2024.09.20
【161日目 9,278km】
テキーラの原産地“テキーラ”を出発。
メキシコ本土最初の目標としていた
グアダラハラまではわずか70km。
街そのものが楽しみということもあるけど
まずは休みたい。
街を離れても
アガベ畑はかなりの面積に
広がっています。
所々に農家さんが作業をしており
肥料を蒔いたり世話をしてます。
9年てホントすごいなぁ…。
アガベに突き刺された
女性のモニュメント。
コンセプトが全く分かりません。
作者に聞いてみたい。
メキシコはこういった銅像などが
すごく多いです。
醸造所にてアガベが焼かれている様子。
サツマイモをふかしたような
どことなく甘い匂いがします。
これがあの強烈なお酒になる
というのが信じられないよな。
ふかし芋の方が美味しいけども。
午後にはいよいよ
グアダラハラの都市圏に突入。
道路が急に広くなったけど
同時に交通量も極端に増えました。
トラックも多いので
気を付けて路肩を進む。
中心部に近づくと
かなり長い距離に渡って
サイクルロードが敷設されていました。
入国以来ここまで整ったエリアは
走っていないので
新鮮に感じる。
そして、ついにたどり着きましたグアダラハラ!
標高1,500mに位置し、
ここに来るまで上がっては下がる山道に苦戦しましたが
港町マサトランから1週間ほどかけて到着。
まず最初に向かったのは自転車屋さん。
ここで何としても
手に入れておかなければいけないものがありました。
それがサイクルパンツ。
バハ走行の後半、夜中に干してる間に
犬に嚙まれたのだろうと思います。
最初はほんの小さなピンホールだったのに
一週間あまりでここまで広がってしまった。
人の家泊るのに、こんな奴が来たらヤダ。
ネットでノーブランドの安物を
買ったのも良くなかったです。
内側のクッションもボロボロなので
迷わず新品を購入。
信頼のブランド“スペシャライズド”
(¥6,000也)
到着翌日は早速市内の観光へ。
グアダラハラ市そのものの人口は130万人ですが、
都市圏を形成する近郊の街を含めると
なんと500万人規模の大都市であるグアダラハラ。
首都メキシコ・シティに次ぐ国内2番目の大きさだそうです。
人口の多さだけでなく
かつて植民地として支配していた
スペインの面影を
かなり色濃く残しているのも特徴。
観光地としても有名で、
国内外から多くの人が訪れます。
バハ・カリフォルニアから始まり
いくつかの街を通過してきましたが
メキシコの本格的な都市を歩くのは
ここが初めて。
まず目を奪われるのは
やはり歴史的な建造物群。
数多くの建物の中でも、抜群の存在感を示すのが
都市のど真ん中に鎮座する“グアダラハラ大聖堂”。
完成からは400年も建っており
地域で最も古い教会だそう。
中に入れば、祭壇の上部から
鮮やかな色を放つ
ステンドグラスに視線を奪われます。
壁や天井の彫刻も繊細で
言葉を忘れて見とれてしまう。
これが街の真ん中にあるから凄い。
現役で使用されている
市役所庁舎や劇場など、
どれもが長い歴史を持っており
建物自体が芸術作品といえるほど。
アラスカから走ってきて、ここで
初めてヨーロッパの香りを感じます。
中心部から5kmほど離れたところにあるのは
“トラケパケ”という地域。
伝統的な民芸品を揃えたお店がずらりと並びます。
特に有名なのが
ガラス工芸だそう。
お店に足を踏み入れると
メキシコならではの
色彩豊かなオブジェが
壁中に飾られております。
生活雑貨から家の壁まで
とにかくカラフルで明るいのが
メキシコの特徴。
日本の“わびさび”的な感性とは
真逆をいくようです。
ずっと見てられる。
見所の多いグアダラハラの中でも
一番長く滞在したのが中心部の“リベルタ市場”。
中南米全土でも最大級の規模を誇る市場だそうです。
3つのフロアから成っており
吹き抜けを見下ろすとこんな様子。
八百屋からお土産屋、
靴屋に食堂まで
様々なジャンルのお店が
ぎゅうぎゅうにひしめき合ってます。
やはり心を奪られるのが
色彩豊かな雑貨たち。
こんなの部屋に置きたいなぁ、
ということでお土産に
いくつも買ってしまいました。
(空輸にて日本へ発送。)
メキシコのみならず
中南米を代表する音楽ともいえる
“マリアッチ”もグアダラハラが発祥。
平日だというのに
市場の中では楽団の陽気な
生演奏が響いていました。
市場で食べたのは
グアダラハラ名物“アオガダ”。
牛肉を挟んだサンドイッチに
トマトベースのスープをかけたもの。
パンが染みてグジュグジュです。
ちなみにアオガダは“水死体”の意。
グアダラハラ滞在中、お世話になったのは
Warmshowerのホスト“アルドさん”宅。
二人の息子さんと仲良く暮らしています。
半年後に、僕が南下した
バハカリフォルニア半島を自転車で走るそうで
お互い有益な情報交換が出来ました。
アルドさんのお仕事はピザ屋さん。
完成したピザを十代の息子さんが
自転車で届けに行きます。
昼間からせっせと生地をこね
夜の忙しい時間帯に備えます。
今は一日十枚のスモールビジネス。
どこでピザ修業したの?、と聞くと
「YouTubeだよ」とのこと。
そんなんで美味しいのが出来るわけ…、
と疑いつつもご馳走になると
これがホントに絶品!
やろうと思えば何だってできる。
アラスカ出発以来初めてといえるほど
グアダラハラではゆっくりと観光を楽しみました。
バハから海を渡り、
本当のメキシコというのが分かりつつあるように感じます。
まだまだ山間部が続きそうですが
引き続きメキシコを南へ下っていきます。
2024.09.15
【157日目 9,278km】
メキシコ本土を走り始め、学校訪問のため
アマリジョにてひと休み。
引き続き、「グアダラハラ」を目指して進み始めます。
走るのはほぼ高速道路。
自転車が正式に認められているらしく
料金所でも
「横の方を通ってね」と、
何も咎められることはありません。
起伏も少なく順調に進んでいく。
本土を走り始めて意外だったのは
緑の多さ。
メキシコは乾いたイメージが
あったけれども、
遠くに見える山々は
ほとんど日本と変わりません。
120kmあまり走った夕方に、
「ヒコテ」という集落に到着。
雑貨屋さんのお兄さんに声を掛けられ
「ウチの裏にテント張りなよ」と、
到着3分で寝床が決まりました。
本当に助かる。
日が暮れると、気温が
30℃を切るようになりました。
バハでは暑すぎて
テントで寝られなかったので
これは嬉しい。
蚊が多いのでテント必須です。
パルミジャス出発2日目。
店主のハイメさんと彼のお友達とのんびり談笑したら
この日も漕ぎ始めます。
フェリーで本土に着いたので
海抜0mからのスタートですが
目指すグアダラハラの標高は
はるか高く1,500m。
泊まっていたヒコテを発つと
本格的な山岳地帯がはじまりました。
それも傾斜がかなり急で
平坦な道など全くないまま
数十kmを必死に上り続けます。
時に立ち漕ぎをしながら
時速7kmでゆっくりゆっくり。
路肩が広いのが幸い。
上り坂に加えて辛いのが
90%にも達する湿気。
気温は32℃ほどに落ち着いたけど
バハとは違った不快さです。
異常なまでに汗が噴き出る。
快適に走れる地域は無いのか。
14時過ぎには「テピック」に到着。
走行距離はわずか30kmあまりだけど
一日の獲得標高が1,500mにも達し
体はバテバテ。
山が多いとは分かっていたけど
思った以上にしんどい…。
もう少し進んで野宿の予定だったけど
あまりの疲労で、急遽
ゲストハウスに泊まることに。
¥3,000を切る所があり
予約なしですんなり入れました。
滝のような汗をシャワーで流す。
「今日、君一人だからゆっくりしてね」
と家に帰ったオーナーさん。
しーんと静まりかえる宿。
バハのゴール地・ラパスにいた時
YouTubeでずっと怖い話を見てたので
なんだか怖くなる。
パルミジャス出発3日目。
疲れ果てたどり着いた宿では結局爆睡。
今日も気持ちよく漕ぎだします。
すでに標高は1,000mを越えており
この日を境に
一気に涼しくなりました。
また、嫌らしい湿気も無くなり
景色も気候も長野県のような感じです。
一回しか行ったことないけど。
登りばかりだった昨日とは違い
午後には、数kmにもおよぶ
長い長い下り坂が待っていました。
坂はずっと続くものの
このあたりから傾斜が
だいぶ緩くなり始めます。
16時頃、この日の目標である
「イストラン」の街が
目の前に広がりました。
白い壁の家々が並ぶ様子を
遠くから見下ろすのが気持ち良い。
本土は町と町の間隔も近いです。
町へ下りて、中心部の教会へ。
どんなに小さな町でも
必ずと言っていいほど
石造りの古い教会があります。
その多くは時計台を冠っており
遠くからも良く目立つ。
平屋がいくつも並ぶ路地に
日光が差し込むと
思わずカメラを構えたくなる。
メキシコの町には風情があって
角の向こうに何があるだろうかと、
ふらふら歩きたくなります。
町の規模が思ったよりも
大きかったので、
野宿場所を探すのに
手間がかかりそうなので
この日も宿へ。
ちょっと奮発しすぎてるな。
パルミジャス出発4日目。
通りの屋台でタコスを食べたら、
また高速道路を進んでいきます。
山々に苦しんできたけど
目標のグアダラハラまでも
あと2日。
山道も少しずつ緩くなっているし
疲労は蓄積しているけど
気分は高揚しています。
砂漠ばかりではなく
木々がどこまでも広がる山があり
爽やかな海辺もあるメキシコ。
夏は旅に適した季節ではないだろうけど
結局のところ楽しめています。
はやく都市も見てみたい。
昼には小さな町へ。
1日にいくつも町を通過するので
食料や水を山ほど
持たなくてもいいのが
バハに比べて楽な点。
メキシコ本土、楽しいです。
標高もひと通り上がり切ったのか
なだらかな平原が広がります。
作物が植えられ
広大な畑が山の向こうまで
延々と続いている。
遠くを眺めてのんびり進む。
17時頃、とある町に到着。
町の外れに大きな畑があり、
その畑の観光ツアー(有料)に
参加すれば
敷地に泊まらせてもらえるという
事前情報を聞いておりました。
その畑で育てられているのがこちらの「アガベ」。
日本では“リュウゼツラン”と訳され、
かの有名な「テキーラ」の原料となる植物です。
やって来たこの街の名前は
まさに“テキーラ”。
世界的に有名なお酒ですが
この街こそ原産地なんです。
グアナファト到着前に
ひそかに楽しみだった場所。
春に植えられる“アガベ”の苗。
なんとこちらの畑では
9年もの長い歳月に渡って
大切に育て上げられるそうです。
近くにそびえる火山の存在も
良いアガベが育つ秘訣だとか。
こちらはすでに9年間育ったアガベ。
成人男性としては小さめの僕の身長に
迫るほど大きいです。
(わかりにくい。)
尖った先端は固くて痛いです。
アガベの近くではふざけないように。
こちらは蒸留所にある窯。
特徴的なトゲトゲは
すべて切り落とし、
根元の部分を
何時間もかけて蒸し焼きにし
絞り汁を発酵させ、蒸留させるそう。
こちら完成品のテキーラ。
ただ僕はアルコールアレルギーの
下戸なのでペロッと舐めるだけ。
ご丁寧に説明まで聞いたけど
カァーッとするばっかりで
全然美味しくない。
説明してくださったオーナーのホセさんと。
来春4月、東京で開かれる展示会に出展するため
自身のブランド「プントゥアル」を携えて
来日するそうです。
ご興味のある方はぜひ。
ただ、カァーッとするばっかりで
全然美味しくないですよ。
2024.09.11
【153日目 8,959km】
バハカリフォルニアのゴール地・ラパスにて休養中。
滞在しているのは今回の旅で初めてとなる“ゲストハウス”。
世界旅行の定番ですが、カナダ・アメリカでは
旅人が集まるような観光地を訪れていないので
泊まる機会がありませんでした。
ゲストハウスの良い所は
大体キッチンが着いている点。
スーパーで買い物をすれば
野菜なり肉なり
自分の望むものが食べられるし
料理をすること自体が楽しい。
砂漠の水不足は深刻なため
手洗いで洗濯するのも禁止でした。
「近くの洗濯屋さん行ってちょうだい」
とのことで、お任せすると
¥800ほどとぼちぼちの値段。
水が無いからと1日遅れでの仕上がり。
写真整理にブログ更新、
船チケット購入などなど
細々した用事をこなすと
2日間の休養日はあっという間。
結局ラパスの街も軽く歩いた程度。
スキューバの名所らしいですよ。
そしてついに本土へ移動する日。
港は中心街から20kmほど離れていました。
19時発だけど、なぜか16時には乗船しなければならない。
暑さのピークとなる昼過ぎに宿を出て向かいます。
宿を出てほどなく
港方面に向かうトラックに
声を掛けられました。
普段なら断るけど、
今日は港までの小移動なので
ここは甘えてしまいます。
あっという間に港に到着。
19時に出港して
対岸のマサトランに着くのは明朝9時。
つまり船で夜を越すことになります。
普段自転車ばかりだから
ちょっとワクワクする。
ちなみにチケットは1万6千円。
もっと安く、日をまたがずに着く
船会社もあったけど
なかなか経験しない船旅を
楽しみたかったんです。
どんな部屋だろう…。
期待を胸にキャビンへ向かうと
飛行機のように椅子がズラリ。
実は、一番安いチケットでは
ベッドなどなく椅子だけ。
「ウソでしょ、船旅楽しみだったのに…」
スペイン語が理解しきれない為の失敗です。
乗り込んでしばらくすると
まだ出港前だというのに
食事の配給が始まりました。
ビーフの煮込みとトルティーヤなど。
メキシコ人の「そんなに辛くないよ」は
僕にとってはめっちゃ辛いです。
やがて日も暮れた頃に船は出港。
座席を倒しても、やはりじっくりとは眠れず
寝たり起きたりを繰り返しながら朝を迎えました。
朝の9時の到着したのは
海辺の観光地でもある「マサトラン」。
船上から街を見渡すと
高いビルも立ち並び
賑わいが感じられます。
メキシコ旅も次なるステージへ。
船の上で仲良くなったのは
自転車好きのフアン&カルロスさん。
バハの各所を自転車で走った
帰りなのだそう。
インチキスペイン語をなんとか
聞きとってくれました。
フェリーを降りたら、
勢い良くペダルを漕ぎ始める予定だったけど
椅子で寝たせいで、体が痛くイマイチ眠れてないので
今日は無理せずマサトランにて一泊してくことに。
港近くのホテルにチェックイン。
すぐに走れるよう朝到着の便を選んだのに
結局宿をとることになるなんて…。
言葉が上手く話せていれば、と思うけど
こういう小さなトラブルこそ
旅の醍醐味だと納得することにする。
宿のベッドでぐっすり眠った翌朝。
気を取り直して、いよいよメキシコ本土を走り始めます。
ここからまず目指すのは国内一大観光地である「グアダラハラ」。
5日もあれば着くだろうか…。
船で出会ったフアンさん達の
アドバイスに従って
“オウトピスタ(高速道路)”を
走ることに。
多くの区間は無料で
路肩がしっかり確保されてます。
「メキシコの高速なんて危なそう…」
と思っていたけど、
交通量はそんなに多くないし
スピード出す人もそんないないので
のどかな景色を眺めつつ
とても快適に走ることができます。
昼は町に着いてランチ。
まだ走り始めたばかりだけど
バハに比べると、
小さな集落でも人が多くて
活気があるように感じます。
バハが田舎だったんだろうな。
半島に比べると若干気温は下がり
30℃ほど。
少しは快適かと思いきや
こんどは体にドロっとまとわりつく
湿気がひどい。
日本の梅雨時のような不快な暑さ。
120kmほどを走って
夕方に「パルミジャス」
という集落に到着。
怪しい雲行きが気になってたけど
やはりしばらくすると
雨が降り始めました。
雨宿りもかねて飛び込んだ食堂。
日も暮れて雨も止まないことから、
閉店後にこの軒下で
寝させてもらいないかと
店主のおばあちゃんに
相談しました。
すると、いとこの家にベッドが空いてるからと
そちらで寝かせてもらうことに。
不安だったメキシコ本土での野宿ですが
なんと初日から幸運に恵まれました。
しかも、いとこの“ショーンさん”は
(↑上写真右側)
小学校の先生をされているとのこと。
話は進み、
翌日は学校の授業に
お邪魔することとなりました。
翌朝。
集落の外れにあるのは100人あまりが通う公立中学校。
ショーンさんと一緒に朝7時前に来ました。
やたら早いから授業準備かなと思ったら、
なんと1時間目の始業が7時だそう。
各クラス10~20人ほど。
自己紹介をすると
生徒の子供たちは
旅について、日本について
あれこれと質問をしてくれました。
最終的に4つの授業に参加。
普段は英語を教えている
ショーンさんですが、
この日は近く行われる行事で
披露するダンスの練習を行っていました。
中学生にあたる子供たちですが
みんな素直で良い子そう。
楽しいひと時を終え
午前中で授業は終了。
午後からはショーンさん宅で
のんびりさせてもらうことに。
ただ、暑いしジメジメするしで
家の中にいても汗をかいてしまう。
ショーンさんお手製の晩御飯で、
食べよう食べようと思いつつも
出会えていなかった
サボテン(ノパル)を食べました。
炒めものだと味ははっきりしないですが
ネバっとした食感が独特。
ということで、メキシコ本土編に突入しました。
1日走っただけで、嬉しい理由での足止めもあり
これからの旅路にも期待が高まります。
ショーンさんありがとう!
2024.09.7
【147日目 8,827km】
暑さにあえぎながら辿り着いたのは「ロレト」。
当初キャンプ場に泊まる予定でしたが、
熱帯夜による睡眠不足を考慮して宿をとりました。
エアコンの効いた部屋で
ベッドに埋もれる幸せ。
メキシコのWi-Fi環境はかなり良く
宿泊施設は当然の事、小さな食堂ですら
ネットワークを備えている確率が
かなり高いです。
到着翌日は休養日。
ロレトは“新大陸”西部への
キリスト教布教の拠点となった街。
中心部には石造りの教会が
堂々と構えています。
天気は毎日快晴。
ただ、炎天下での観光は地獄。
そもそも他の観光客なんて
ほとんどいないし、
お土産屋の人達も
日陰でぐでぇっと横になってます。
すぐ宿に戻ってのんびりしました。
翌日、体力も回復してロレトを出発。
目指すはここから400km南の「ラパス」。
バハカリフォルニアの南端にある港町です。
出発からほどなくして見つけた商店で
めったに飲まないエナジードリンクを
補給しておきます。
今日は標高500mを一気に登る
峠が待ち受けている。
暑くなければ何でもないんだけど。
昼前にいよいよ峠越えの始まり。
バハも後半になるけど
結局、ほとんどの道に
十分な路肩はありませんでした。
まあ交通量自体が多くは無いので
危険を感じることも少ないですが。
ギアを一番軽くして、
時速6kmくらいで
じわりじわりとペダルを踏み込む。
振り返ったときの
曲がりくねった坂に
達成感を覚え、また上を目指す。
メキシコの道路脇には
よく祠のようなものがあります。
影で見えにくいですが
中に祀ってるのは聖母マリア。
ベンチを置いてあることも多いので
座って休ませてもらう。
意外とスムーズに峠を上り切り
60kmを走った所で食堂を発見。
まだ15時だし走れそうだけど、
この先に何もない砂漠が数十km
続くようなので、今日はここに
寝かせてもらえないか、お願いする。
100ペソ(約¥700)で
泊ってもいいよ、とのこと。
シャワーもあるようなので
泊まっていくことにします。
風通しも良く涼しい屋内で
休めるのが嬉しい。
営業中だというのに
広々と絨毯を敷き
くつろがせてもらうことに。
結果的に19時の閉店まで
ほとんどお客は来ませんでした。
大丈夫なのかしら?
ロレト出発2日目。
食料も持ってるけど、売り上げ貢献のために朝食を注文。
まあ美味しいんだけど、豆と炒り卵で¥700は高いなあ…。
昨日の峠を上ってからは
ほとんど平坦な道が延々と
伸びていました。
いくつものサボテンが
どこまでも生えているわけでもなく
だいぶ退屈な道が続く。
バハカリフォルニアで涼しかったのは
海沿いの街エンセナダくらいで
結局、全行程3週間のうち
ほとんどを暑さに苦しみながら
走っています。
常に冷たい飲み物を求めている。
砂漠に現れるこんな商店に
いつも助けられています。
掘っ立て小屋みたいなお店でも
ちゃんと冷蔵庫があって
冷たい飲み物を用意してくれてるから
なんとも嬉しい。
昼には町に到着し、
路肩の屋台にてタコス休憩。
汗だくで食欲無いのに
焼きたてのタコスは
食べれちゃうんですよね。
すっかり魅了されてます。
午後からも
代り映えのないまっすぐな道を
ひた走る。
サボテンの絶景を堪能したバハも
もう終わりに近づいているようで
ちょっとだけ寂しくなる。
16時前には100kmを走り
「コンスティテューション」という
街に到着。
予想以上に栄えており
ヤシの木が並ぶ
綺麗な街のようです。
通りにいくつもホテルが並んでおり
試しに値段を聞いてみると
¥3,000ほどと
意外に安いことが判明。
今日は野宿の予定だったけど
宿に入ることに決定。
気温の下がらない熱帯夜が
何日も続くことで、
夜が来るのが嫌にすら
なりつつあるここ数日。
朝まで目を覚まさずに
眠ることがこんなにも尊い。
ロレト出発3日目。
今日はひたすらに砂漠を走っていく行程。
アメリカ国境から1,500kmも
離れていたラパスが
あとほんの155km先に。
順調にいけば
明日には到着できそう。
予定通りにここまで来れました。
アメリカ・カリフォルニア州では
46℃のヒートドームに苦戦しただけに、
35℃なんて余裕と思ってましたが
最後までヘロヘロになりながら
何とか進んでいるという状態です。
観光をする元気すらない…。
暑いばかりに野宿でなく
宿に泊まることも多かったぶん
地元の方との交流も
最低限に留まり、
町から町への移動ばかりとなった
バハカリフォルニアの旅。
110km近く走ったこの日の夕方。
道路わきの食堂で食事を済ませ
店主の人に、
ここで寝ても良いかと尋ねる。
快く許可をくれて
裏の敷地に寝させてもらうことに。
家の横にはズラリと
牛肉が干してありました。
メキシコに入ってから
ビーフを食べる機会が
すごく多いです。
タコスは圧倒的にビーフが美味しい。
水辺が無く蚊がいなければ
テントすら立てず、
絨毯の上にごろんと寝てしまいます。
この日は吹く風も冷たく
気持ち良く眠ることが出来た。
いよいよ、バハ走行もあと1日。
ロレト出発4日目。
若干ながらも起伏があり、朝から汗を流して進む。
商店のベンチでちょっと休むつもりが
30分近く寝落ちしてしまう。
確実に疲れは溜まってます。
でもこの日の光を避けて
日陰で休んでいる時間は
最高に気持ちが良い。
ゆるやかな坂を上り続け
昼過ぎには峠の頂きに到着。
ここを下ればもうラパスは
すぐそこ。
達成感もあるけど、
何より早く宿で休みたい。
向こうには数日振りに目にする
カリフォルニア湾が。
来週にはこの向こうの
メキシコ本土を
走り始めているのか。
先の事を考えるといつも不安。
街の郊外で食堂を発見。
かなり久し振りに
お米を食べる。
これがかなり美味しかったけど
メニューの名前を覚えてない。
またこんなの食べたいから調べとこ。
坂を下り切ってから
さらに10kmほど進むと
いよいよ市街地へやってきました。
ここまで人や車が多いのは
国境付近のエンセナダ以来。
バハは大きな街も少なかったな。
バハカリフォルニアのゴール地・ラパス、到着しました!
まだメキシコ入国から一か月も経ってないですが、
すごく長く感じています。
メキシコに対する漠然とした不安があり気疲れしたのでしょうか、
とりあえず初めのパートを無事に走り切りホッとしています。
ここで船を待ちつつひと休みしたら、
いよいよメキシコの本土へと渡っていきます!
2024.09.1
【142日目 8,466km】
熱中症の疲れをとるためにも
ゲレロネグロの町では2日ほどお休み。
足の重さは残っているものの、疲労は絶えず付きものなので
全快を待たず
再び南に向けて漕ぎ始めます。
ここからバハカリフォルニア半島も
後半戦に突入といったところですが、
景色はこれまでと変わらず
サボテン砂漠。
もう半島にいる間は
最後までずっとこれなんだろうな。
そして砂漠の真ん中に現れる町にて
お昼の休憩。
メニューなんやかんや書いてるけど
聞くとタコスしかない。
美味しいからいいんだけども、
もっといろんなメニューに挑戦したい。
この日は、アラスカ出発以降
一番といっていいほど、
まっ平らな道のりでした。
坂もなく風も吹かなければ
時速25kmはでます。
勢いに乗ってぐんぐん進む。
出発時、全く意気込んでなかったのに
今回の旅の一日の最長距離144km
を走破してしまいました。
しかもまだ夕方16時半、
サンリノという小さな集落に到着。
さらに砂漠が続くので今日はここまで。
事前情報に従って向かったのは
「La Casa del Cyclista」
“サイクリストの家”という場所。
一般のお家なのですが
100ペソ(¥750)で
サイクリストを泊めてくれるそう。
庭先にテントを張らせてもらいます。
さらにシャワーもWi-Fiもついて
大助かり。
夕食は久しぶりのインスタントラーメン。
メキシコに浮かれ奮発しすぎなので
“1日1タコス”ルールが制定されました。
メキシコで大変なのは飲料水の確保。
アメリカ・カナダでは簡単に手に入った水ですが、
メキシコの水道水はとてもじゃないけど飲めたものじゃありません。
ということで各家庭はこちらの「ガラフォン」という
10Lの大きなボトルを購入して飲料水としているのだとか。
なので道中は1.5Lのペットボトルを購入するか、
このガラフォンから頂けるときは頂いて走っております。
ちなみに走行中は3L程度持ち運んでいます。
地図を見る限り、メキシコは1日中ずっと町がなく
補給ができないことはなさそう。
ゲレロネグロ出発2日目。
昨日ずっと平らだった分、
今日は朝からなだらかながらも
起伏があります。
そして、海辺のゲレロネグロを離れて
また暑くなり始めました。
いくつかの坂を越えた昼前、
目の前に真っ青の海が広がりました。
こちら半島の東側「カリフォルニア湾」。
すかっと気持ちの良い景色な気がするけど
太平洋側と違い、熱気がこもって
全く涼しくないです。
海沿いにやけに鳥が多いな、と
思っていたら
大規模なゴミ捨て場がありました。
ちゃんと管理されてるんだろうか、
異臭がすさまじいです。
暑さもあいまって、くらくらする。
さらに少し走って
「サンタロサリア」という町へ。
この時の気温は32℃。
最近の世界情勢を考えると
大したことない数字に感じてしまうけど
かなり暑いです。
そして今日のタコス。
海辺の町の定番は
白身魚やエビのフライ。
これに唐辛子のソースをかけて
ライムを絞るのが美味しいんです。
一つでおよそ¥300。
引き続き海沿いを南へ。
左手に海を臨むけども
風も吹かないし全然気温が
下がらない。
バハカリフォルニアの後半、
暑さとの戦いはまだ続きそうです。
90kmほど走った所で
海辺にキャンプ場を発見。
ところが受付が見当たらず
係の人も誰もいない。
勝手に泊ってしまうことに。
シャワーも浴びれたしラッキー。
夜になってもなかなか気温は
下がらず30℃。
暑さにうなされながらふと
頭上を見上げると、
これまでの旅路でも
最高の星空が広がっていました。
ゲレロネグロ出発3日目。
テントの向こうには空を綺麗に染め上げる朝焼け。
ただ熱帯夜が続いているので、基本的に夜は熟睡できません。
日毎に疲労は溜まっていく。
ただ良いのか悪いのか、
どれだけしんどくても
サドルにまたがってしまえば
足は動いてしまうサイクリストの性。
9時5時で働く公務員のように
今日もきっちり走っていきます。
ルート上、最も暑くなると
予想していたのが
アメリカ南部からメキシコにかけて。
予想はしていたものの
やはり実際に走ると
決して楽ではない。
アラスカの寒さも厳しかったけど、
着込むことで夜は眠れていました。
あの時は「早くメキシコへ」と
ずっと考えていたけれど
今は雪山の景色が懐かしい。
道端で出くわすクマが恋しい。
せっかく世界を旅してるのに
よその土地に想い焦がれるなんて
もったいないとふと考えてしまう。
寒さに耐え、暑さを忍んで進んでますが
各土地の快適な時期に
旅行をした方がいいと思います。
カリフォルニア湾の海沿いは
起伏が激しいけれど、
透き通ったビーチを楽しめる
バカンス地にもなっています。
アップダウンを繰り返すたびに
次のバカンスホテルが姿を現す。
ふと道路の横を見ると
サボテンのてっぺんにちょこんと
乗っているのはコンドル。
20羽ほどのコンドルが皆
同じ方向を眺めていました。
なにを考えてるんだろうか。
90kmを走った1日の終わりに
ビーチに建つレストランを発見。
この日は営業してないものの
アメリカ人のオーナーさんに
宿泊許可を頂きました。
しかも、シャワー付き。
治安面も含め心配だった
メキシコの宿泊事情ですが、
バハカリフォルニアに関しては
毎日スムーズに
野営場を見つけられています。
砂漠地域が広いからかもだけど。
ゲレロネグロ出発4日目。
蚊も出ないので、ビーチに絨毯とマットだけ敷いて
寝ていました。
実はオーナーさん曰く、
「このビーチでは、深夜の1時から3時頃
東の空に不規則に動く光が観察される」とのことでした。
暑さで上手く眠れないこともあり1時頃起きてたのですが
残念ながら何も発見できず。
メキシコ滞在中、UFOを目撃することはできるでしょうか。
引き続き今日も海沿いを進みます。
暑さには悩まされているものの
思いのほか順調な
メキシコ旅。
どこか淡々と日々が
進んでいるように感じる。
午前中、割と大きな峠があり
自転車を押しながらなんとか
乗り越えました。
ただバハカリフォルニア、
どこを撮ってもサボテンばかりで
山の過酷さが伝えられない。
助かるのが、
こんなに広い砂漠でも
何故かポツンと商店や食堂が現れて
最低限の補給が出来てしまうこと。
100km以上の無補給は
ほとんど無いのではなかろうか…。
南に下りるにつれて
徐々に気温が上がっているようです。
午後になるとものすごい汗が。
半島から本土に移れば
若干なりとも暑さは和らぐようなので
はやくバハを走り切りたい。
夕方、飲み物目当てに寄った商店で
お母さんがサボテンのトゲを
取り除く作業をしてました。
一つ頂いたけど、
そのままでは味もないし微妙。
サラダに入れると美味しいそうです。
そして100kmを走り「ロレト」に到着。
あまりに睡眠がとれていないので
この街で少し休むことにします。
バハカリフォルニアの最終地・ラパスまで
あと400km。
2024.08.27
【138日目 8,042km】
バハカリフォルニアの砂漠の真っ只中、
道脇に佇む商店の隣にテントを張らせてもらい一泊。
目を覚ましテントを出ようとすると、
「あれ、サンダルが片っぽない…」
周りを見回すと、飼われてるのか
野良なのかわからない3頭の犬。
英語もスペイン語も通じない相手に問い詰めようもなく、
周辺を探すも見つからず。
悔しいけどあきらめることにしました。
“犬にしがまれる”という第二の人生を精一杯歩んでください。
前日同様、乾ききった
荒野の山間部を進み始めます。
ただ標高はこれ以上あがることなく、
アップダウンを繰り返しつつも
道は真っすぐと続いているようです。
車はかなり少なめ。
道の脇には背の高いサボテンが
たくさん生えています。
イメージしていた通りの
メキシコの砂漠の風景。
青空に向かって
高々と真っすぐ伸びている。
昼前、道端にカフェを発見。
ドリンクを買おうとするも
財布には500ペソ札しかなく。
(およそ¥4,000相当)
「そんな大きい金額、お釣りがねぇよ」
と店主。
アジアやアフリカの途上国でもあったけど、
お金はあるのに買い物ができないという状況。
ボロボロのお店で当然カードも使えるはずはなく。
残っていた米1ドル札で何とかまけてもらいました。
まだ頭がアメリカからメキシコモードに変換できていない。
南北300kmにもなる
砂漠の一本道。
正午を過ぎ太陽が真上から
照り付けるとかなり暑い…。
喉がからからに乾いても
ひたすら前へ。
15時頃に「カタビニャ」という集落へ。
予想以上に小さな村だけど、
最低限の商店はあって
冷蔵庫で冷えたドリンクで喉を潤す。
こんな砂漠のど真ん中で
どうやって暮らしてるんだろう…。
食堂もあり、
遅めのランチをとることに。
これだけ暑くても
トルティーヤは美味しい。
アメリカに比べてタンパク質が
かなり摂りやすくなったな。
さらに夕方からもうひと踏ん張りして
進むことに。
サボテンと岩に囲まれた
独特の道を走る。
暑くさえなければじっくり
写真でも撮って行きいたいくらい。
18時頃、道路わきの
人目を避ける場所で
テントを張ることに。
この日も35℃くらいでしょうか、
日が暮れても気温が下がらず
暑いまま…。
地面に寝そべって星を眺める。
ただ、肉眼では割と綺麗なんだけど
ちょうど満月で上手く撮影はできず。
サボテンと星のコラボ撮りたかったのに。
夜が更けても煌々と明るい
砂漠の夜でした。
翌朝、目を覚ますとビックリ。
テント内に数えきれないほどの
アリがいるではないか!
どこから入ったのかと必死に探すと、
なんとテント底面の布が食い破られていました。
適当に置いていた菓子パンの匂いに誘われ集まったよう。
(※本当に焦って夢中で処理したので写真がありません)
他にも未開封の状態で
ジップロックに入ったシリアルバーも
袋が破られ山ほどたかっていました。
過去の野宿経験でも
ここまでアリにやられたのは
流石にはじめて。
加えて自分自身の体にも異変が…。
僕は超朝型人間なので
起きたらテキパキ行動できるのですが、
今日はどうにも体がだるい。
漕ぎ始めても
いつにも増して足が重い。
でも気分が悪いわけでもなく
ただ体が重いという感じ。
しかし砂漠の真ん中でうだうだ
考えても仕方ないので
目の前にある道をただただ
進むことに専念する。
昼前、道の脇に小綺麗な
レストランを発見。
疲れた体にタコスが染み込む。
食欲ない気がするけど
体が肉を求めてるんだろうな。
ペロリと平らげてしまいます。
ひと休みして、また漕ぎ始めると
やはりいつものようには
体が動かない…。
意識ははっきりしてるのに。
ここでふと、冷静に気づきました。
「あぁ、多分コレ熱中症だ」
自転車旅をしてると
不思議なもので毎日100km漕げてしまいます。
“ランナーズハイ”的なものなのか、
何日も続けて走ってる時こそ逆に調子が良かったりもして。
アラスカから数千kmを走ってきて
「今日はもう無理」なんてことはほとんど無いんです。
だからこそ、この時は異常でした。
間違いなく体が進みたがってないのが分かる。
普段一日走り終わると
炭酸ジュースを飲むんですが、
脱水症状気味になると
これが喉を通らなくなるんです。
もうスポーツドリンクしか飲めなくなる。
色んなカタチで体はサインを出している。
そんな時、アメリカから仕事で来た
ドライバーさんから水をもらう。
水もだけど、英語を話せるとホッとする。
まだ国境も近いし、メキシコの人って
割と英語話せると思っていました。
予想以上に英語は通じません。
ところどころに現れる商店で休みつつ、
なんとか予定の集落を目指す。
今日もおそらく熱帯夜だから
テントで寝られる余裕なんてない。
はやくベッドに倒れこみたい。
ただ無心で前へ前へ。
そして夕方6時前、
「プンタ・プリエタ」到着。
モーテルを見つけ、
フラフラになりつつ
なんとかチェックインを済ませました。
そして部屋の扉を開けようとすると…
ドアノブを掴んだ腕の筋肉が
シュルシュルと縮んでいく感覚。
「あーーー!!つるつるつる!つる、つるうぅーー!!」
後ほど落ち着いて調べてみると
“筋肉のけいれん”や“こむら返り”は
典型的な熱中症の初期症状だそうですね。
今日ずっと足が動かなかったのもこのせい。
水分・塩分不足はもちろん
暑さで上手く眠れてないのも良くないみたい。
続く朝も体のダルさは取れていないけど
今日走ればスーパーのある町に着けるので、
気合を入れてなんとか漕ぎ始めます。
砂漠に突入してから3日目。
横を見ればこんな景色が
延々と広がっています。
この向こうに海がある。
全部脱ぎ捨てて
ジャボンと飛び込みたい。
これまでの旅の経験で
寒い方が絶対しんどいと
思っていましたが、
必ずしもそうでもないかもしれない。
氷点下のアラスカでも
走行中に凍えることはなかったし。
途中、軍隊による検問がありました。
自転車の荷物を検査されることはなく
「ここで休んでいきな」と
冷たいドリンクを頂きました。
しんどい時だからこそ
人の優しさが心と体に染み渡る。
ペダルを強く踏み込むような
上り坂がなかったこともあり、
思いのほかスムーズに100km走破。
この日の目標としていた
「ゲレラ・ネグロ」に着きました。
ちょうど半島の真ん中あたりです。
海辺の町はホエールウォッチングの
有名スポットだとか。
町の入り口には、大きなクジラの
骨格が飾られていました。
せっかくだし見たいな、と思ったけど
日本も太平洋に面してるし見れるよな。
すぐにモーテルへチェックイン。
300kmの砂漠を抜けた
疲れを振り払うように、
ベッドに倒れこみました。
流石にすぐ動けそうにないので
しばらく休みをとることに。
到着翌日。
ゲレラ・ネグロの町そのものにはさほど見所が無いようで
ガランとしており、人も少ない。
熱中症による疲れもひどいので、完全なる休養をとりました。
これまでゆっくりと見れていないスーパーを覗いてみます。
2か月続くメキシコ旅の物価チェックをしておかねば。
※現在、メキシコ1ペソは8円弱。
玉ねぎ1つ¥110、
リンゴが1つ¥250。
肉はもちろん種類によるけど
大体100gが¥80~110。
コカ・コーラ600mが¥140、
1リットルの水も¥140。
牛乳1リットルあたり¥180、
卵10個あたり¥260。
つまりスーパーに並ぶものは
ほとんど日本と同じくらいなんです。
食事も安い食堂でも1食につき
¥1000弱はしてしまう。
メキシコは何となく物価の安いイメージがあり、
ほぼレストランに行けなかったアメリカ・カナダの反動で
タコスを食べまくっていますが、
これを続けてしまうわけにはいかない。
アメリカを出て安心したけど
まだまだ貧乏旅をしなければいけないようです。
2024.08.23
【133日目 7,731km】
エンセナダではのんびり3日も滞在。
情報を整理して準備を整えると
バハカリフォルニアを南へと下っていきます。
いよいよメキシコ本格走行開始。
国境のティファナからエンセナダまでは
無機質な高速道路沿いを
進んでいたので、
ここから本格的にメキシコという
国を走り始める感覚。
期待半分、不安半分。
いつくもの集落を通過していきますが
とにかく埃っぽい。
砂まみれの道であるうえ
交通量が多いから
景色がくすんでみえます。
トラックが横通ると特にヒドい。
海沿いということもあって
空気が滞留しないからか、
昼過ぎでも気温はおそらく30℃ほど。
汗が滝のように流れることもなく
快適に走ることが出来ます。
田舎道は特に気持ち良い。
80kmほど走った「サン・ビセンテ」
の集落にてモーテルへ。
エンセナダのトーマスさん宅の
水道の調子が悪く4日ほど
シャワーを浴びれておらず。
どうしても浴びたかったんです。
1泊が¥3,000あまり。
1万円以下では泊まれなかった
アメリカと比べると
一気に安くなりました。
温水も出てWi-Fiもついて
十分快適です。
夕食は近くの食堂へ。
なんやかんやメニューが並んでいますが
基本はトルティーヤで包む具材を
何にするか、というチョイス。
ビーフとチキンが定番のようで
ケサ(チーズ)が入れば絶対美味しい。
エンセナダ出発2日目。
宿の前の屋台で朝食を済ませます。
やっぱり路上で食事が食べられる国が好きだ。
運転が荒いのでは、と懸念していた
メキシコのドライバーですが
なんらアメリカ・カナダと変わりません。
猛スピードで追い抜かされることも
ものすごく接近されることもなく。
ボロボロの車は多いけど…。
お昼には小さな集落
「エヒード・プンタ・コルネット」
に到着。
多少スペイン語は勉強してきたけど
メキシコは料理名や地名が
長くて難しすぎます。
タコスやブリトーは
生野菜をしっかり摂れるのも
嬉しいところ。
トマト、玉ねぎ、パクチーにキャベツなど。
“ワカモレ”というアボカドを
すり潰したものは必須です。
ランチを済ませるとお昼寝タイム。
エンセナダのお土産屋さんで
絨毯をゲット(¥2,000)。
乾燥した地域だと
日陰がすごく涼しくて気持ちがいい。
1時間近く爆睡しました。
バハカリフォルニア半島は
“1号線”が貫いており、
南北に移動するには
ほぼこの道路しかありません。
必ずしも整備状況が良いわけでなく
路肩が無いこともしばしば。
目的の町「サン・キンティン」
が近づいた夕方。
予想を超えて栄えており
一気に交通量が増えてしまった。
みんなゆっくりだから危なくはないけど
かなりすれすれを追い越されていく。
昼寝のし過ぎで到着が
遅くなってしまい、賑わう街に
野宿場を探す余裕が無くモーテルへ。
アメリカより安いとはいえ
毎日数千円を使うわけにはいかない。
気を引き締めねば。
そして、タコスでも何でも
1食¥800ほどは掛かってしまいます。
物価大国アメリカのせいで
感覚がマヒしてますが
実は今のメキシコ
ものすごい安いわけではありません。
エンセナダ出発3日目。
気を引き締めねば、とか言ってるそばから
食堂にて朝食。
だってメキシコ料理の誘惑が…。
向こう側に見える太平洋。
曇り気味なこともあって
午前中のうちは少し寒いほど。
ただ今日は内陸の砂漠に
突入するので、海ともお別れ。
暑くなっていくんだろうな…。
海に沿って南に向いていた道が
内陸側に曲がると
山が増えて、道の起伏も
激しくなって来ました。
時には自転車を押しながら
せっせと進んでいく。
昼には「エル・ロサリオ」
という集落に到着。
スーパーもあるので
これから向かう砂漠に備え
食料や水などの
買い出しをしておきます。
午後からいよいよ山間部へ。
これまで一定間隔で集落がありましたが
ここから300km近くは
砂漠地域広がっています。
海から離れることで
気温も上がり始めました。
メキシコ入国以来、
涼しい日が続いていたけど
このあたりから気温は35℃。
アリゾナの災害級の暑さじゃないにしろ
やっぱりしんどいです。
熱くなった水で喉を潤す。
最も高い場所でも
標高800mほどだけど、
いくつもアップダウンを繰り越すので
1日の獲得標高は1,000mを
越えます。暑くさえければ
なんてこと無いんだけども…。
夕方、荒野のなかにポツンと佇む
商店を発見。
トラック運転手向けでしょうか、
おじさんが一人で営んでいました。
冷蔵庫もあり冷たいドリンクを買って
今夜はテントを張らせてもらうことに。
モノに溢れ便利すぎるアメリカ・カナダから
やって来た国メキシコ。
物価も高いのか安いのか分からないまま
あれこれと手探りですが、
なんとか前に進み順応していきます。
2024.08.19
【129日目 7,440km】
アメリカ最後の街・サンディエゴにて
しっかり疲れを癒すと、いよいよ国境越え。
楽しみでもあるけど、やっぱり不安もあります。
街の南にある国境までは
わずか40kmあまり。
「自転車コースがあるから
オレも一緒に走って案内するよ」
と、ホストのショーンさんと共に
青空の下を進みました。
途中で、フランスからやって来た
ファミリーサイクリストと遭遇。
実は今夜ショーンさん宅に泊まることに
なっている次のゲストさんでした。
家族5人でメキシコを下っていくそう。
メキシコでまた会えたりして。
ショーンさんとも別れ、
サンディエゴ中心部から
さらに南へ下り続けると
大きなショッピングモールが現れました。
この辺りが国境らしいけど、
よく分からないので人に聞いてみる。
教えてもらった方へ行くと
拍子抜けするほど
質素な国境審査の入り口が。
移民流入、麻薬取引など
多くの問題を抱えてるそうだけど
国境は本当にシンプル。
そのまま中に進むと、
X線の荷物検査があっただけで
5分ほどでメキシコ側に抜けてしまいました。
気づけばパスポートのチェックすらしてもらっていません。
僕が入国した記録がどこにも残っていない状態だけども
本当にこれでいいのかしら。
疑問に思いつつも、もう審査所に戻ることもできないので
そのまま街へ向かうことにします。
ということでやってまいりました
33ヵ国目となる「メキシコ合衆国」。
タコスやトルティーヤに代表される伝統料理が
とても魅力的な国。
アメリカ、カナダとうって変わってスペイン語圏となり
コミュニケーションが難しくなってしまうのも、
逆に旅の楽しさの一つになると信じています。
ちょっとしたトラブルもありそうではありますが
南北アメリカにおいてもっとも期待していた国の一つ。
国境を越えた瞬間の
雑多な雰囲気につい圧倒され
カメラを取り出すこともなく
15分ほどで予約していたホテルへ。
下水の鼻をつく臭いは
やっぱりアメリカと違う。
ショーンさん宅を出発したのが14時頃と遅く
ホテルにチェックインしたころには日が暮れかけていました。
やってきた国境の街ティファナは治安が良くないとのことだったので、
へたにうろちょろせず今日は近くの中華レストランで済ませることに。
すると、カード社会のアメリカから来たからこともあり
現金を下ろすのを忘れており財布がスッカラカン。
会計時カードが使えず、暗くなった街でATMを探すはめに。
近くのスーパーですぐ見つかったからいいものの
旅人の感覚がすっかり抜け落ちてます。
翌朝。
ほんとうはティファナの街にしばらく滞在して
メキシコ文化に慣れておきたかったのですが、
アメリカに近くホテルの料金も思いのほか
高かったので(¥5,000)
すぐに移動することに。
今いるティファナから
2か月半かけてカンクンを目指す予定ですが、
まずは西部の“バハ・カリフォルニア”という
半島部分を走っていきます。
海に囲まれた砂漠の景色を走っていくのが楽しみ。
ティファナは坂の町で
道は絶えず上に下にと
うねっています。
アメリカほどしっかり
車線が引かれてないけど
そんなに運転も荒くない印象。
街を見下ろすと
家がひしめき合うように
建っていました。
言ってしまえば“ぐちゃぐちゃ”な
感じがアフリカやアジアの国のよう。
綺麗な国からくるとビビってしまう。
ホテルから30分ほど海の方へ
向かって走ると、
国境の壁にたどり着きました。
公園として整備されており
銃を持った兵士が見守っている
わけではありません。
ただ、ここまで大きな壁というのも
見たことは無いので
それだけ不法入国を
企む人も多いということだろうか。
隣り合う国の格差が大きいと
こうなってしまうんだろうな。
写真を撮って「さぁ出発」と思ったときに
声をかけてくれたのは“ダンさん”。
北米から中米にかけて自転車旅をしたことがあるらしく
僕に興味をもってくれたそう。
「今日走るのに水がいるよね」と
手元の水をくれました。
容器をのぞくとなにか
葉っぱが浮いている。
「ハマイカ」と呼ばれるこれ、
正体はハイビスカスです。
健康にとてもいいらしく
日本人にとってのお茶みたいなもの。
赤みがかってほんのり香ります。
こういう「何これ!?」ってのが
カナダやアメリカには無かったな…。
文句じゃないんですよ。
さて、いよいよ本格的に走り始めます。
目指すは南へ100kmの街「エンセナダ」。
アメリカで聞いたアドバイスに従って
高速道路の路肩を走ることに。
しれっと料金所の端を抜けてゆく。
聞いていた通り
かなり路肩に幅があり
安心して走ることが出来ます。
山はないけど、海沿いには崖もあるので
意外と起伏は激しい。
時に立ち漕ぎをしながら必死に漕ぐ。
途中横切ったビーチには
人も凄いけど、車もびっしり。
こないだサンディエゴで足だけ
海に浸かったけど、冷たくて
入れたもんじゃないけどな。
一応8月だしシーズンなようです。
問題なく100kmを走り切り
夕方には目標の街・エンセナダへ。
看板の文字がスペイン語なのは
違うけど、走ってる分には
まだアメリカと変わった気がしない。
南に行くと“濃く”なってくんだろうな。
街に到着して向かったのは
Warmshowerのホスト“トーマスさん宅”。
欧米が中心ではあるものの世界中に
登録者のいるサイトなので、
今後もチャンスがあれば利用していきます。
これまでに300人近くもの
旅人を受け入れてきたという
トーマスさん。
これから進む道のアドバイスを頂き
わずかながらもメキシコの
不安がやわらぎました。
到着翌日はエンセナダの街をぶらついて
メキシコの雰囲気に慣れておくことに。
街の風景からして、やはりこれまでの国とは大きく違う。
太平洋に面する港町である
エンセナダ。
アメリカから大きな客船がきて
たくさんの観光客がやってくる
場所でもあります。
海辺をゆったり歩いてみる。
魚市場にはあらゆる種類の
海産物がズラリと並びます。
魚だけでなく
エビ、タコ、牡蠣など
本当になんでもありました。
これまで海岸を走ってないから新鮮。
こういう安っぽいお土産を
これでもかと店先に並べるのも
アメリカ・カナダには無かったな。
客引きがひどいなんて
評判も聞いてたけど全然
そんなことなかったです。
中心部を離れても
波が押し寄せるビーチはどこまでも続いています。
平日だというのにすごい人。
もちろんビーチタウンということで
サーフィンも盛ん。
釣りとかもできるんだろうけど、
僕は“海の趣味”を持ってないんです。
せっかく湘南に住んでるんだし
日本帰ったら、なんかやろっと。
そして、メキシコといえば“タコス”。
トウモロコシの粉でできた生地を焼いて
各種肉に玉ねぎ、パクチーをのせ
唐辛子のソースとライムをかけてかぶりつく。
もうこれは、滞在中飽きることないだろうな。
1個が大体¥200~300で
男性なら3個は食べたいところ。
そんなエンセナダで
一番おいしかったのは味噌ラーメン。
「入国初日も中華だったし
メキシコ料理食べろよ」
という風に
思われるかもしれません。
でもね。
数カ月にわたって旅してると
まずは日本はじめアジアの料理が食べたいんです。
それか、自転車で旅してるときは
野菜とか高たんぱくな肉とか
栄養のあるものを体が求めます。
つまり、地元の料理を堪能しようなんてのは
ある程度お腹が満たされてからの話ってこと。
(誰に対して言い訳をしてるんでしょうか。)
街の自転車屋さんでゲットしたのは“バックミラー”。
ティファナから出発して道路脇を走っているときに
警察に停められて、
「付けた方がいいよ」とアドバイスをもらっていました。
カナダの時点で探してたんですが
良いのが見つからず、
ここへきてやっと入手。
全方向にしっかり目を配らせて
安全第一でメキシコの道を進んでまいります。
2024.08.14
【125日目 7,261km】
酷暑の中たどり着いたカリフォルニア最初の街「ブライス」。
半分、熱中症になっていたのだと思うけど
モーテルに逃げ込んだ翌日はほとんど体も動かず
寝たきりで1日を過ごしました。
天気予報を見ても46℃の高温は
どうやら数日続くよう。
“ヒートドーム”と呼ばれ
熱気がドーム状に籠ってしまうという
アメリカで発生しがちな現象だそうです。
通りには誰も歩いていない。
「どうしようか?」とまともに
思考できるようになったのは
モーテル滞在2日目。
この先には本格的な砂漠もあり
自転車で走ることは
現実的ではなさそう。
ブライス到着3日目。
走れるところまで走って、
砂漠地域をヒッチハイクで進むことにしました。
ここまで自走でやって来ただけにかなり悔しいけど
こればかりは仕方ないと、腹をくくることに。
ブライスのモーテルから
30kmほど南に下りたところで
砂漠の入り口に到着。
午前中だけどすでに気温は
40℃を越え汗はダラダラ。
商店で買ったドリンクを流し込む。
覚悟を決め商店の前で
ヒッチハイクを始めるのですが、
思いのほか車の数が少ない。
「1時間足らずで捕まるっしょ」
と思ってたけど、この調子では
すんなりいきそうにありません。
すると見かねた商店のおばちゃんが声を掛けてくれました。
「あんたさっきまで自転車漕いでて、
また太陽の下に立ってるとホント死んでしまうわよ。
私が友達に掛け合ってみるから、店の中で涼んでなさい」
ということで、お言葉に甘えて休ませてもらい
さらには車の手配までお世話になることに。
ちょうど夕方に砂漠を越えた街に向かう
お友達がいるとのことで
しばらく待った後、
無事に載せてもらうことが出来ました。
何から何まで取り計らってもらって
もうお礼のしようもない。
広がる砂漠は距離にして110km。
曲がりくねって視界が悪いうえに
路肩が無くすごく危険な道でした。
暑くなくてもここは漕ぎたくなかった。
ヒッチハイクはなるべく避けたかったけど、
これは正しい判断だったな。
快く載せてくださった
“ジェイさん&サニーさん”ご夫妻。
車で1時間以上もの距離を
乗っけてもらい本当に助かりました。
自転車漕げない時にだって
その時ならではの出会いがあるもの。
砂漠を越えたとはいえ
まだ“ヒートドーム”の範囲内で、
夜は38℃なのでモーテルに泊まることに。
ただここから1日走れば
山を越えて一気に気温が下がるはず。
早く海を拝みたい…。
ブライス出発2日目。
気温は35℃を越えているだろうか、朝から暑いけど
雲が厚いのが幸い。
少しでも早くヒートドームから外へ。
しばらくするとハイウェイに合流し
路肩を走り始めます。
一見怖いけど、幅がかなり広く
多くのドライバーは
余裕をもって避けてくれるので
意外に落ち着いて走ることが出来る。
少し疲れを感じ始めた昼前、
一台の車が止まり
ヒンヤリ冷たい水と
粉末の経口補水液をもらいました。
喉がカラッカラに乾いていたので
最高に嬉しい。
そして午後からは山越え、
20kmにおよぶ上り坂です。
ただここを越えてしまえば
ヒートドームの外側に出て
灼熱地帯に別れを告げられる。
じわりじわりとペダルを踏み込む。
坂を上り始めて2時間ほどしたころ。
後ろからパトカーがやってきました。
「あー、そこの自転車止まりなさい」
“へっ?何か悪いことしたかな”と思いつつ
耳を傾けると、
「さっき道端でサイクリストがぶっ倒れてるって通報はあったんだよね。
君、まだ坂続くけど大丈夫なの?」
仰向けで大の字に寝そべって休憩していたのを、
どなたかが心配してくださったようでした。
わざわざ警察まで動かしてしまって申し訳ございません。
警察が去ってから数分後、
さらに別のドライバーが停まってくれます。
「もうすぐで頂上だから頑張れよ!」
アメリカ旅最終局面にして、
この日は本当に
沢山の思いやりを受け取っています。
そして夕方18時頃、
ついに峠の頂上へ。
1日で1,000m上りました。
そしてついにヒートドームの外側へ。
30℃前後でしょうか、
疲れてるけど滝のような汗は流れない。
少し進んで「ジャコンバ」という
小さな集落へ。
公園を見つけてテントを張ります。
日が暮れるころには空気もひんやり、
暑さにうなされることなく
気持ち良く爆睡させてもらいます。
ブライス出発3日目。
山岳地帯を進んで目指すは海辺の街「サンディエゴ」。
今日がアメリカ走行最後の日です。
道の左手に目を向けると、
メキシコとの国境に立ちはだかる
無骨で物々しい壁が
どこまでも続いています。
色んな国を走ったけど、こんなに
大きく長い国境壁は見たことない。
このまますぐに南下して
メキシコ入りすることもできるのですが、
せっかくここまで来て
アメリカ西海岸の“バイブス”を
一度は 感じておきたかったので
サンディエゴを目指しています。
昨日、汗かいて上った坂を
今日は一気に下っていく。
ただあまりに急すぎて
ブレーキを必死に握って下るので
そんなに早くは進めません。
安全第一。
坂を下り切ったお昼過ぎ、
道のわきに小さな商店を発見。
おそらく1番気温が高い
時間帯だろうけど、
それでも30℃ほどでしょうか。
山を越えたとたん気候が変わりました。
さらに1時間ほど走ると
いよいよ交通量も増え、
都市の様子を感じ始めます。
しかも自転車道が整っており
予想よりもかなり走りやすい。
都市は好きじゃないけど、良い気分。
そして遂に到着しましたアメリカ南西部、
国境の街「サンディエゴ」。
雲一つない青空に向かってまっすぐ伸びるヤシの木。
あぁ、西海岸。
ルートの都合もあり、今回の旅で
アメリカの大都市を訪れるのは初めて。
中心街の高層ビル群も新鮮。
といってもサンディエゴの人口は
100万人程度なので、
“ぼちぼち”の大きさですが。
サンディエゴではWarmshowerのホスト
“ショーンさん&キャリーさん”ご夫婦宅にお世話になることに。
今年Warmshoerのサイトに登録されたばかりで
僕が初めてのゲストなんだとか。
光栄でございます。
暑さによる疲れと
アメリカを走り切った達成感を感じつつ、
到着翌日はお二人と
のんびり休日を過ごします。
自転車に乗らない日こそ楽しいのが
自転車旅の魅力。
午後は海へドライブ。
スタート地点のアラスカ以来となる
太平洋とのご対面。
この海の向こうに
“スウィートホーム 湘南”が
あるのか…。
ランチはお二人のお気に入りだという
メキシカンレストランへ。
これから散々食べることになるけど、
メキシコ料理はバリエーションが
かなり豊かなので
飽きることなさそう。
とても穏やかで気持ち良い日を過ごすことが出来ました。
“ショーンさん&キャリーさん”、ありがとう!
そして嬉しかったのは、
ショーンさんに電話をお借りして
事故により救急車で運ばれてしまったロブさんとお話が出来たこと。
入院こそしなかったものの足の骨を折っており
今でもまだ歩けないそうですが、
看護師である奥さんの献身的な看病のもと
穏やかな療養生活を送られているようでした。
出国前に声が聞けてよかった。
ということで
新たな国に向かう不安もありましたが、
疲れも癒えて準備は万全。
ここからいよいよメキシコに向かいます。
2024.08.10
【119日目 6,990km】
ユークアラさんとセドナで過ごすこと1週間。
今回の旅でここまでゆっくりすることもなかなか無く、
重い腰を上げて走り始めます。
目指すは西海岸「サンディエゴ」、アメリカ最後の街へ。
砂漠の広がるアリゾナ州。
高気温が不安でルート選びに悩みましたが、
ユークアラさんやお友達のアドバイスに従い
セドナを真っすぐ西に向かうことに。
どのみち暑くはなるけど
少しはマシだそう。
走り始めて2時間ほどでパンク。
セドナの自転車屋さんで
診てもらったはずなのになぜだ…。
しっかりチェックしても
トゲも刺さってないようだし。
もやもやしたまま取りあえず修理。
確かにルートが良いのか、
最も暑い昼過ぎでも走れるほどの気温。
35℃くらいでしょうか、
決して殺人的な暑さではなく
水分補給さえすれば
フラフラにはなりません。
夕方に“プレスコット”到着。
なかなか野宿場所が見つけられず、
日が沈むことになってやっと
工事現場のすみっこにテントを張る。
風情も何もなく
ただ夜を過ごすだけのキャンプ。
セドナ出発2日目。
どうやら前輪のタイヤが調子悪いようで、
ゆっくり空気が抜けている。
プレスコットの町を出る前に
自転車さんに寄ってみる。
やはりトゲも刺さっていないようで
はっきりした原因は分からず。
すっごくモヤモヤします。
パンクが気になって気持ち良く走れない。
パンク補修剤を注入してもらい
走り続けることに。
プレスコットからは少し峠が続きます。
ただ主要な完全道路が別にあるので
交通量はかなり少なめ。
日差しに照らされせっせと上る。
峠を越えるとゆるやかな下り坂。
ここからは大きな山が無く
西海岸まで下っていくだけだそう。
アメリカはモンタナから入り
標高1,000から2,000mを
ずっと上下してきました。
夕方に「ヤーネル」という小さな集落へ。
公園を見つけテントを張ります。
ここしばらくロブさんやユークアラさんと
嬉しい出会いが続いたので、少し寂しい。
一人が好きと言っておきながら
出会いが無いと旅も退屈です。
セドナ出発3日目。
朝から下り坂を気持ちよく滑り降りていきます。
高台から見下ろす荒野。
ここを降りると標高500mほどになり
いよいよ平地に下りていくことに。
ただ標高が下がると気温が
上がってしまうのが不安。
しっかりと走っていけるだろうか。
そして下り坂の途中で
「プスッ!」と大きな音が。
路肩の大きな釘が刺さったよう。
ただでさえ前輪の謎のパンクに
悩んでいるのに、後輪もぐさっと
やられてしまいました。
朝いちから日陰もない場所でパンク修理。
セドナを出て3日間毎日タイヤを外して
作業をしています。
そして、奥底でフツフツと
怒りが湧いているのを感じる。
「あぁ、イライラする…」
自分の心の状態が良くないことを感じ、
パンク現場から30kmばかり離れた「ウィッケンバーグ」にて
モーテルに泊まることに。
苛立っている時って必ず何かやらかしてしまいます。
大切なものを失くすとか、不注意でケガや事故をするとか。
長旅で大切なことは
“平常心”だと思っています。
いつも通りのことを
いつも通り淡々と確実にこなす。
それが出来そうにない時は前に進まず
心をニュートラルに戻す。
ついでに謎のパンクが続く前輪もチェック。
小さな町の店で適当に買った接着剤が
あまり良いものではなかったのか、
どうやら修理箇所が
しっかり塞がれてなかったよう。
ここでしっかり直しておく。
セドナ出発4日目。
クーラーの効いた部屋でぐっすり眠って
心と体を整えたら仕切り直し。
ウィッケンバーグの街をまっすぐ西へ向かうと
いよいよ本格的な荒野が広がっていました。
道路わきの看板に書かれた
“ロサンゼルス”の文字を見ると
いよいよ海が近づくのを感じる。
ロスには行かないし、
まだ距離もかなりあるんだけど
走ってきたんだなぁと感慨に浸る。
たまに現れる町の商店で
水分補給の休憩。
メキシコの人が多いのか
聞こえてくる言葉に
スペイン語がかなり増えてきました。
いよいよ国境が近づいている。
90kmを走って「ウェンデン」という
小さな集落へ。
はずれに広い公園を見つけ
テントを張ることに。
子供たちのバスケを眺めながら
のんびり野営の準備です。
標高が下がっているからか、この日から
夜の気温が上がった気がします。
日が暮れてもほとんど涼しくならない。
なるべくすぐ眠りたいのに
じわっと汗をかき、すっと眠りに
落ちることが出来ませんでした。
セドナ出発5日目。
結局うまく眠れず朝から体が重い。
ただゆっくり休める場所も無いので
とにかく先へと進まなければ。
朝7時には走り出したのに
すでにもう暑い…。
昨日までと全く様子が違います。
今日は100km先の街に
着きたいけれど、
無事にたどり着けるだろうか。
キャンプ場の横に商店を見つけ
逃げ込むように日陰へ。
冷たいスポーツドリンクを飲み干すと
そのまま体に染み込むように感じる。
間違いなく体が
悲鳴を上げつつある状態です。
それからまともに休めるような場所もなく、
午前中の内に80kmを走り切って
13時に「クオーツサイト」という街へ。
暑さのあまり食欲もないけれど、冷房を求めて
“M”の看板が印象的なハンバーガー屋さんへ入ります。
「はぁ、暑い暑い…」とゆっくり食べてると、
隣のご家族のお父さんが声をかけてきました。
「君、頑張ってるようだけど大丈夫?
一応伝えておくけど外の気温44℃だよ」
「へ?」と一瞬、耳を疑いました。
移動中はネットなどつながらないので
気温をチェックする習慣すらないのですが、
どうやらとんでもない温度に到達していたようです。
「さすがにこの暑さはヤバい…」
熱中症気味でもあり野宿は考えられず。
モーテルのある街は
さらに30km進まなければなりません。
下り坂で風を浴びても
ドライヤーの熱風が当たるみたいで
まったく涼しくはありません。
1時間走った所で
ガソリンスタンド付きの商店へ。
火照った体をドリンクで冷ます。
それでも滝のような汗が止まりません。
ここから街までさらに1時間。
意を決して再びペダルを漕ぐ。
街まで10kmを切った地点で
州境であるコロラド川に差し掛かり、
アリゾナ州からカリフォルニア州へ。
ただ感慨にふける余裕もなく
早く先に進みたい…。
暑い、暑い…。
そして夕方17時過ぎに「ブライス」
という町に到着。
昼に予約しておいたモーテルへ駆け込む。
頭も体もフラフラで
何も考えることが出来ない。
もう疲れた…。
モーテルの方に聞くと
到着した夕方時点の気温がなんと46℃!
人生最高気温となる猛烈な暑さでした。
どうやら前日からあたりを熱波が襲っているようで
この地域でも異常な暑さなんだとか。
ベッドに就いて寝ようとする頃にも39℃…。
セドナを出発してから
連発するパンクに悩まされ、
未体験の酷暑に苦しめられ、
なんとも険しいカリフォルニアまでの道のりでした。
2024.08.5
【114日目 6,571km】
体調を崩してフラッグスタッフにて1泊。
モニュメントバレーの観光やロブさんの事故もありつつ
7日間連続で走っていますが、
ここからわずか50kmほど南下した町で
ゆっくり休める予定です。
フラッグスタッフ中心部を離れると
一気に下り坂でした。
向かう先が観光地でもあるため
交通量もそれなり。
しっかり右によって安全に、安全に。
事故直後とあって、少しビビる。
下り坂を1時間進んだ先に
あっという間に目的地である
「セドナ」に到着。
あぁ、懐かしいこの町の雰囲気。
僕が旅に夢中になる
きっかけとなった場所の一つでもあります。
町に着いて向かったのはこちらの寺院。
ヨガや瞑想などのレッスンを
行う施設になっています。
ここに来たというのも、
ぜひ会っておきたかった人がいるから。
待つこと1時間ほど。
それがこちらの「ジェームス・ユークアラ」さん。
この人に会えるということでアラスカ出発以来、
セドナにやってくるのを楽しみにしていました。
彼とはどういう関係かというと、ちょうど10年前の夏。
バックパックを背負ってアメリカを旅していたのですが、
このセドナで野宿をしようと寝袋を抱えてキョロキョロしていると、
たまたま声をかけてくれたのがユークアラさん。
当時、観光客で賑わうセドナで野宿場は見つけられず
結局彼の家に4日間ほどお世話になったんです。
当然、今回の旅でも会わないわけにはいかず
セドナにやってくるのを楽しみにしていたというわけ。
ぱっと見にも、奇抜で派手な見た目のユークアラさん。
実はアメリカ原住民のハバスパイ族という部族でいらっしゃって、
その中でもメディシンマン(シャーマン)として
精神的、儀礼的指導を行う立場にある人なんです。
ハバスパイの伝統的儀式を継承すると同時に
そのライフスタイルや人生哲学が
他の文化圏の人々にとっても生き方のヒントになるということで、
日本やヨーロッパまで講演会やイベントに引っ張りだこ。
NHKの取材も受けられていましたよ。
現在、寺院の一画に住んでおり
僕もこちらで寝泊まりさせてもらうことに。
10年前は違う家だったので
こちらははじめて。
静かでとても居心地の良い
空間でございます。
ユークアラさんは伝統的で
厳粛な暮らしをしているかというと、
そんなことはなくまぁ普通です。
なんなら家いる時はずっとスマホ。
「リールとかずっと見ちゃうよね」
って感じです。
寺院の一画で
暮らしているということで、
ヨガ教室にも参加させてもらいます。
自転車旅中はしっかり
ストレッチをやってるけど
やっぱりヨガとなるとしんどい。
ただユークアラさん、
とてもお忙しい人でもあり
セドナを拠点に色々な場所へ
用事で出かけられるのですが、
滞在中は僕も付き人として
あちこちご一緒させてもらいました。
まず、再会の翌日にはセドナの北200kmにある
「グランドキャニオン」へ。
アメリカはもちろん、もはや地球を代表するといっても過言ではない
雄大な自然遺産です。
谷底を流れるコロラド川が
ゆっくりゆっくりと大地を削り
つくりだした巨大な渓谷。
その期間は20億年にもおよび
地球の歴史の3分の1にもなります。
まさに天文学数字。
“人生観が変わる”なんて大げさな表現で
形容すると胡散臭いですが、
このグランドキャニオンに関しては
決して言い過ぎではないかもしれない。
目の前に立つと必ず何かを感じる、
それぐらい力強い景色です。
と、ここにきたのも観光ではなく。
国立公園のビジターセンターにて
観光客に向けて放映する短編映画の
撮影が目的です。
ユークアラさんは谷底にある村の出身。
語り部として出演されるそう。
朝日を迎えると同時に祈りを捧げる様子。
ハバスパイの言葉で祝詞を唱え
セージを燃やす姿は、
仙人のようですらあります。
背後に広がる渓谷の風景が
さらに荘厳さを増す。
ネイティブアメリカンの信仰は
「おお、我らが神よ」といったような妄信的な宗教感ではなく、
太陽や山、木、動植物など身近な自然に感謝をしようといったもの。
(僕の解釈です…)
ユークアラさんがしばしば口にする教えも、
「過去や未来にとらわれず、今を生きよう」
「良いことも悪いことも意味があって起こる」
といったように、
あくまで日常を前向きに過ごしていくための
コツに留まっているように感じます。
シンプルだからこそ胸にストン、と落ちてしまう。
そんな“暮らしの教え”的な哲学が
日本の神道ととても似ていると思うのですが、
実際ユークアラさんのもとを訪れる日本の方も多いようです。
撮影が終わるとレストランにて朝食。
この格好をしているだけに
ユークアラさんはしょっちゅう
写真撮影をお願いされます。
普通の格好で横に座るのが
逆に恥ずかしい。
さらにグランドキャニオンから戻った翌日には
セドナから南へ、車で3時間のフェニックスへ。
こちらのホテルが今日の現場。
新しいプロジェクトを
立ち上げるためのミーティングです。
“ユークアラ”ブランドの健康グッズ
を売り出すのだとか。
「会議の様子をかっこよく撮ってくれ」
と付き人の仕事を受ける。
会議は2時間にも及び、
ウェブサイトのデザインについて
熱のこもった議論がなされます。
僕はその向こうのモニターの
パリオリンピック開会式を
じーっと見ていました。
さらにホテルから場所を移し
今度はスタジオへ。
ウェブサイト用のBGMと
写真撮影をするそうです。
ほんとマネージャーになったみたい。
仕事内容全く理解してないマネージャー。
録音するのはハバスパイの儀式で
歌われる歌なのですが、
これがすごく神聖な雰囲気で
そのまま作品にもできそうなほど。
低い声から高い声まで
楽器のように喉を鳴らしていました。
そのまま写真撮影へ。
写真を撮られること自体
大好きなユークアラさんですが、
魅せ方を知ってるという感じ。
カメラを前にして
流れるように色々なポーズを見せます。
そのままホテルに戻って
宿泊することに。
こんなふかふかベッドに寝られるなんて
いつもの自転車旅とギャップがありすぎて
不思議な感覚に陥ってしまう。
どうして自分はここにいるんだろうか…。
付き人期間中は
美味しいものを山ほど
ごちそうになってしまいました。
ここまでほとんどレストラン
入ってないから、もう
何を食べてもあごが落ちそう。
再びセドナに戻ると、
町の見どころである「カセドラル・ロック」に登ったりと
やっとのんびりした時間を過ごしました。
10年前に旅をして、
日本とはかけ離れた赤土の景色に
魅了されたセドナの町。
さらに忘れられない出会いもあって
旅をすることの素晴らしさを
教えてもらった場所でもあります。
“少数民族のメディシンマン”という
背景を抜きにしても、
そのおおらかで前向きな人柄で
他人を引き付けるユークアラさん。
こういう風になりたい、と思える
とても豊かな人格をお持ちです。
結局、予定をオーバーして一週間も滞在してしまいました。
セドナにいないことも多いようなので、
会うことが出来て本当に良かった。
ユークアラさん、年明けにも来日して
スピリチュアルトークをされる予定です。
乞うご期待。
2024.08.1
【106日目 6,518km】
絶景・モニュメントバレーで朝日を迎え、
いざ走り出そうとするも前輪がフニャフニャ。
“やれやれ”とため息をつきながら、予備のチューブと交換です。
実は前夜、夕日を待っている時に
左足親指を“ヒアリ”に刺されるというトラブルもありました。
裸足にサンダルだったのですが、
突然、成人男性に爪の先っちょで
おもっきり強くつねられたくらいの痛みと
同時に燃えるような熱さも感じる未体験の刺激。
朝になってもタンスにひどくぶつけた時のような痺れが続いてました。
赤土の地域をご旅行の際はお気をつけください。
チューブ交換もスムーズに完了し、
気を取り直して再出発。
ここモニュメントバレーを境に
ユタ州からアリゾナ州に突入です。
乾いた荒野の大地、砂漠の旅は
まだまだ続く。
と、ほどなくしてまたパンク。
しっかり確認したはずのタイヤに
おそらくトゲが残ってたようです。
予備チューブがもうないので、
穴を塞ぐべく修理キットを
取り出したところでビックリ。
写真のパッチを接着剤で貼り付ける
必要があるのですが、
日毎続く暑さのせいで、
接着剤がカバンの中で爆発してました。
さすがに予想外。
これでは修理はできない…。
本当にどうしようもなかったので
お世話になった人にお渡しする
ステッカーで応急処置を。
置かれた環境で
いかに問題を解決できるか。
旅の経験が問われます。
ところが、やっぱりそんな甘くない。
すぐに空気は抜けふにゃふにゃに。
ついにお手上げ、
ヒッチハイクをすることに。
ただキャンピングカーが多く
なかなか乗せてもらえません。
1時間ほど路肩で手をあげ続け、
ついにトラックが停まってくれました。
このあたりは「ナバホ・ネイション」と呼ばれ
ネイティブアメリカンの人々の居留地となっております。
アジア人にも似た顔立ちで、
どこか親近感を感じずにはいられないドライバーさんに
20kmほど離れた「カリェンテ」の町まで乗せてもらいました。
接着剤も購入し、
自動車整備の工場にて腰を据えて
修理作業をさせてもらうことに。
パンク修理、今回の旅では3回目です。
距離の割りには少ない方かな。
メキシコ以降、増えるだろうけど。
タイヤをよく見ると、パインツリーの
棘が2つも刺さってました。
この地域に生える木なので
しばらく続く可能性もありそう。
アフリカではアカシアの棘に
何回もやられたっけ。
やっとまともにペダルを漕げると安心し、幹線道路を南へ。
観光地モニュメントバレーに近い割りには
交通量は落ち着いています。
夕方、商店があると聞いており
横でテント張らせてもらうつもりが
廃業してました。
虚しい…。
せっかく冷たいジュースが
飲めると思ってたのに。
すぐ近くにお家があり、
奥さんに訪ねると
「うちの敷地でテント張っていいよ」
とのこと。
南に下るにつれ野宿が
しやすくなったように感じます。
さらにテントまでご飯を
持ってきてくれました。
“インディアンタコ”と呼ばれる、
ナバホの伝統料理だそう。
小麦粉ベースの揚げパンで
鶏肉が挟んであって食べ応えバッチリ。
モニュメントバレー出発2日目。
テントを片付け出発してから、わずか10分後に
キコキコと後ろから追いかけてくる男性が。
こちらのロブさんは、子ども達の住むミシガン州から
アリゾナ州フェニックスの自宅まで
自転車で帰っている最中だとか。
地図で見てもらえると分かりますが
73歳のおじいちゃんが漕ぐにしてはすごい距離です。
ただ、僕は他人と行動するのが苦手でして。
こういう時は、しばらく共に走っておいて
適当なタイミングでしれっと距離を空け
お別れしたいのが本音なところ。
一人で旅をしているだけに
一人でいることが好きなんです。
一方、ロブさんは他人と走るのが大好き。
「なぁリョウスケ、あの日陰で休もう」
「次の休憩でサンドイッチを食べるぞ。
お前は何を食べるんだ?」
あぁ…、もうすっごい
話しかけてくるんですけど。
まぁアラスカからここまで
誰かと一緒に走ることもしてないし、
“たまにはこういうのも良いよね”
と自分を納得させながら、
暑い道のりを
一緒にゆっくりと漕ぎ進めました。
15時には目標のトゥーバシティに到着。
「今日はキャンプ場予約してあるから
一緒に泊まろう。あとマックも食べよう、
ご馳走するから」とロブさん。
悪いなぁ、と思いつつも
お言葉に甘えてしまう。
「リョウスケのペースは俺にぴったりだ。
今日は一緒に走ってくれてありがとう」
いつも一人で走るのが当たり前だからこそ
そんな飾りっ気のない言葉がすごく嬉しい。
“誰かと一緒に走るのも悪くない”
と心から感じつつ眠りに落ちました。
モニュメントバレー出発3日目。
この日も気温の上がりきらない朝のうちに
たくさん走るため、7時前には出発します。
目的の「フラッグスタッフ」という
大きな街までは、
1日で1,000mも標高を
あげなければなりません。
こんなときに、ひとりじゃない
という事実はとても心強い。
僕が先を走り
ロブさんが後ろを追って走ります。
今日は景色も地味でとくに見所がなく
ただただ距離を縮めていくだけの
日になりそうな予感。
なおさら二人で良かった。
そして、その瞬間はあまりにも突然でした。
「カマロン」という小さな町を過ぎたあたり。
路肩に自転車を寄せ水をごくごくと飲み込んでから、
後ろのロブさんの姿を確認した、その時。
ハザードランプを点けて停まった2台の車。
そして、道路脇に倒れ込んで動かないのはロブさん。
「えっ?」と戸惑いながらも状況を把握するため近づくと、
ロブさんの周りには散乱した旅の荷物、そして痛々しい血痕。
頭から血を流し真っ青な顔をして、目をつむったままのロブさん。
「ウソでしょ…? ロブさん…。ロブさー-ーん!」
あっという間に、人が集まり
たまたま通りかかったナースの女性を中心に
応急処置が始まりました。
弱りながらも呼び掛けには応えており、
なんとかロブさんの命には別状がなさそう。
どうやら、白線上を走っていたロブさんの頭部を
追い越した車のミラーが直撃したとのこと。
まずはパトカーが来て、30分経ったところで救急車が到着。
なにもできない無力感を感じながら傍観していると、
ナースの女性が僕に声をかけてきました。
「リョウスケってあなた? 彼から話があるみたいよ」
近づくと、弱々しく口を開くロブさん。
「リョウスケ…。
今日の目的地にキャンプ場を予約してある。
もうオンラインで払っちゃったから、絶対泊まるんだ…。」
「どうでもいいよ!無理して喋んなくていいから!」
思わず半泣きで突っ込んでしまいました。
救急車が到着してからは処置も順調に進み、
集まった人たちも徐々に去っていきました。
僕も警察から簡単な聴取を受けると、
「もう行っていいよ」とのことで現場を去ることに。
正直あまりに衝撃的な出来事に
それから走る気も起こらなかったのですが、
ストレッチャ-で運ばれるロブさんが最後に言い残した
「Hit The Road!(進め!)」
という言葉が耳に残っており、
重い足を踏み込みながらなんとか走り続けることに。
標高を数百mも上げていく
長い上り坂だったのですが、
半分放心状態でぼぉっとしながら走るものだから
写真すらまともに撮っていません。
事故の瞬間を見てしまっていたら、
おそらくこの日漕ぐことはできなかったと思います。
そして、19時前には目的の街「フラッグスタッフ」に到着。
受付に行くと確かにロブさんの予約はあり
遺言に従って代わりに泊まらせてもらうことに。
(死んでません。)
テントを張って一段落すると
今日起こったことを反芻する。
もし自分に同じことが起こったら…。
ロブさんに最悪の事が起こっていたら…。
改めて旅の危険性を確認しつつ、
ここまで安全に進めていることに感謝。
事故翌日。
フラッグスタッフには大きな病院が一つしかないようで
おそらくここだろうと目星をつけのぞいてみることに。
すると、たしかにロブさんはここに搬送されたそうですが
ほんの1時間前に奥さんの運転でご自宅へと帰ったそう。
一目会えたらよかったけど、入院も必要無いようで本当に良かった。
ほっとしたのもつかの間。
実は前日の午後、ひどい夕立に降られおり体はクッタクタ。
悪寒がしはじめました。
もう今日は走れそうにないやと、
やむを得ずモーテルに泊まることに(¥16,000!)。
思えば、まともに風邪をひくのはアラスカ出発以降はじめて。
倒れ込むように、ベッドに体を沈めました。
2024.07.27
【102日目 6,253km】
赤土の大地が織りなす絶景・アーチーズを堪能すると
モアブを後にして、次なる絶景を目指して進みます。
日中の酷暑を考慮して
「一人サマータイム」を導入しました。
朝5時には起きて7時までには走行開始。
涼しい午前中の内に
少しでも距離を稼ぐという作戦です。
夏には夏の走り方がある。
モアブを離れると
どこまでも砂の平地が
広がっていました。
観光案内の掲示板が
貴重な日陰をつくっており
お昼の休憩をとる。
暑さで食欲もわかないので
昼も夜もトルティーヤばっかり。
アボカド、玉ねぎ、ベーコンを刻んで
ソースをかけてクルクル。
巻き方がどんどん上手くなっていく。
メキシコに行く頃には飽きてないだろうか。
15時頃には目的の
「モンティセロ」の町に到着。
途中でにわか雨も降って
意外と涼しく、まだ走れそうだけど
無理をしない。
暑い時期は刻んで刻んで進みます。
商店にはドリンクバーのマシンがあって
自分で注いでレジに持っていくのですが
「ジュースだけ?なら払わなくていいよ」
とタダにしてもらうのは3回目。
サービス精神というより少額清算が
面倒くさいからではなかろうか、良い国…。
スーパーで割引のものを買って
夕食にする。
自炊を楽しもうという気持ちが
ひとかけらも無くなるユタの夏。
冷やしうどんをつるっと流し込んで
ちゃちゃっと済ませたいくらいです。
町はずれに湖を発見。
ほとりには大きめの東屋もあり
ここで寝させてもらうことに。
ユタ州に入って野宿場所の確保が
若干容易になったように感じます。
人気もないしゆっくり眠りに落ちます。
モアブ出発2日目。
湖の向こうから登る朝日を眺めつつパッキング。
空気がひんやりして気持ちいい5時起き生活。
悪くないです。
ここ数日続いていた熱波が去り
だいぶ涼しくなっているのを感じます。
適度に休憩を挟めば
熱中症の心配もなさそう。
一時はどうなるかと思った暑さも
なんとか乗り越えられそうな予感。
70kmほど走った所で
「ブラフ」という集落に到着。
このあたりからゴツゴツとした岩が
周囲に沢山見られるようになりました。
本当に不思議な形をしたものが
あちこちにあります。
町にはクーラーの効いた
ヴィジターセンターもありました。
ランチ休憩も兼ね暑い昼過ぎの時間帯を
ここでやり過ごさせてもらうことに。
「えっアラスカから!?」と
10回くらい聞かれる。
雲が厚くなったタイミングを見計らい
再び走り出す。
ブラフを離れるといよいよ
カラッカラに乾いた荒野が
広がり始めました。
そして緩やかな上り坂。
日が傾くと、あっという間に
表面の色が変わるのが
赤土の岩山の面白いところ。
影が差し込み立体感の出た
山肌を眺めつつ、下り坂を滑っていく。
思い描いたアメリカならではの景色。
“メキシカンハット”という集落に到着。
生鮮のほとんど置いてない小さな商店で
買い物をして、お菓子のような夕食に。
ドーナツばっかり食べてたら
すぐにアメリカ人のようにコロッコロの
体型になるんだろうな…。
集落の横を流れる川辺に
テントを張る。
テントなしで地べたでも
寝られる気温だけど
水辺だけに蚊がすごいんです。
日が暮れると数が増える。
モアブ出発3日目。
いよいよ目的としていた絶景まではわずか40km。
朝から雲一つない快晴に気分も高まります。
走り始めて10kmあまりの所。
岩山に向かってまっすぐ進む印象的な道は
映画のワンシーンでも知られる
「フォレストガンプ・ポイント」。
アメリカで走っておきたかった
道の一つです。
ただの道路なのですが
名所ということもあって、
写真を撮りたい人が順番待ち。
僕も旅情ある一枚を、と思ったけど
どうやら三脚立ててのんびりやってる
余裕もなさそうなのでやめとくことに。
ここで声を掛けてくれたご夫婦が。
アラスカから走ってきたことに
とても感心してくださり、
「ランチでも食べて」と
御心付($20)を頂いてしまいました。
大切に使わせて頂きます。
さらに15kmほど進んだところで
ついに目的の場所「モニュメントバレー」に着きました。
アメリカでも特に楽しみにしていた場所です。
公園内は自転車禁止の為
観光ツアーに申し込み(2万!)。
同じトラックに乗り合わせたのは
なんと日本からお越しのご夫婦。
よく考えればアメリカ入国以来
日本の方は初めてです。
お二人の旅行を邪魔して申し訳なさを感じつつも
久しぶりに交わす日本語での会話も嬉しく、
しばらくご一緒させてもらいました。
“モニュメント(記念碑)”のように
雨と風に浸食された岩山は
「ビュート」と呼ばれています。
こないだ見に行ったアーチーズとは
また違う形状につくり出された
自然の芸術。
西部劇のような風景ですが
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」
「イージー・ライダー」
「インディ・ジョーンズ」など
数多くの名作映画の撮影でも
使われてきています。
これまで世界各地の自然遺産を
訪ねてきましたが、
アメリカ南西部に広がる
赤土の台地が織りなす沢山の絶景は
特に深く心に刺さります。
波長が合うというか。
ネイティブアメリカンたちの信仰の対象
ともなっているこの地域の自然遺産ですが、
神とか宇宙といった大きな存在と
結び付けてしまうのもうなづけるほど
目の前に立った時の力強さは
すさまじいものがあります。
お昼に頂いたお金でディナーに
ハンバーガーを(¥3,200)。
振り返ると、幾度かマクドナルドで
ちょっとしたもの食べたくらいで
アメリカではレストランは
初めてかもしれない…。
朝日を迎えるモニュメントバレーは
さらに神々しい。
これを見るためには公園内のキャンプ場に
泊まらなくてはいけないのですが、
テントを張るだけでなんと¥9,000。
お昼の観光ツアーも含めると¥30,000。
今アメリカを旅行するとはこういうことでございます。
まぁ、良いものは見れたんだけど。
はぁ…。
2024.07.23
【98日目 6,001km】
ユタ州最初の街・ヴァーナルでひと休み。
こちらの写真は、お世話になっていたジャレドさんと
当初泊まらせてもらう予定だったカルヴィンさん。
出発の朝に郊外まで一緒に走り、お見送りをしてくれました。
南に下って次に目指すのは
「モアブ」という町。
ユタ州を代表する観光地の
拠点となる場所です。
ヴァーナルからは4日はかかる行程。
どんな景色が広がってるでしょう。
ジャレドさんから忠告も受けており
「ここからは一気に暑くなる。
ルート変更も考えておいた方がいい」
とのこと。
本格的な荒野が広がるようで
覚悟を決めて進んでいく。
70kmばかり走ったこの日。
“ダイナソー”という小さな町に着きました。
町役場には名の通り恐竜のモニュメント。
様々な種類の恐竜の化石が
この地域で発見されているそうです。
子供たちが喜びそうな町。
容赦のない暑さに対処するために
ここからは1日の走行距離を
短くしていきます。
日々の疲労をちょっとでも軽くして
ダウンしないように、ゆっくりでも
確実に前に進んでいきたい。
ヴァーナル出発2日目。
ここから「ダグラス・パス」という
2,500mの峠を目指していきます。
緩やかだけども
地味に高度をあげていく。
ユタ州に入ってから2,000m越えの
峠がかなり続いているので
上り坂には慣れているものの
暑さのせいでやっぱり辛い。
あたりに集落はないものの
こうした東屋が所々にあるので
日陰を求めて
頻繁に休憩をはさみます。
背の高い木がないので
走行中は影がまったくありません。
スタートのダイナソーから
700mほど高度を上げ
峠の手前の道端にて野宿。
標高が2,000m近いこともあり
日が暮れると一気に気温が下がります。
涼しいので夜はよく寝られる。
暑いと料理をする気も失せてしまう。
これまでストーブで
クスクスを調理してたけど、
適当に食材をトルティーヤで巻いて
お腹を満たす。
栄養だけはとっておかねば。
ヴァーナル出発3日目。
前日に登り切れなかった峠を上り始める。
頂上付近は傾斜が急なこともあり
ほとんどペダルを漕がず押していきます。
1時間ほど登ったところで
ダグラス・パスの頂上に到達しました。
2,500mの峠から見上げる
青空はとても爽快。
まだ朝9時ということもあり
涼しい風を受けてしばらく景色を眺める。
眼下にはこれから
下っていく道が蛇のように
うねりながら続いています。
反対に登っていくことを考えると
ゾッとするけど、実際同じだけ
登ってきたんだよな、と感慨に耽る。
限りなく広がる荒野を
突っ切る真っすぐな道を
スピードに乗って滑走していく。
昼前にもなると気温も上がり始め
じわっと汗をかき始めます。
余裕にあるうちにちょっとでも進みたい。
“ロマ”という小さな集落で休むと
大きな幹線道路に沿って走り始めます。
午後からはさらに気温が上がるので
休みをとりつつ、
疲れ切ってしまわないよう
慎重に。
この日を境に気温が確実に
一段階ほど上がったのを体感します。
乾燥しているとはいえ
日陰のない道を走り続ければ
焦がされた体からは徐々に
体力が無くなっていく…。
高架下に貴重な影を発見。
自転車を置いてひと休み。
太陽にさらされ熱くなってしまった
ペットボトルの水を喉に流し込む。
美味しくはないけど
とにかく水分を摂取しておかねば。
さらに1時間ほど漕ぐと休憩所を発見。
日陰に入ると極端に涼しくなる点は
湿気の多い日本との違いだろうか。
だらぁっと横になって休む。
すると暑さでダウンしてると思ったのか
ドライバーさんたちがちらほら集まりました。
聞けば周辺に熱波がやってきており
この時間40℃にも達しているのだとか。
さらに今後何日も酷暑が続くそう。
そりゃ、どうにも暑いわけだ。
沢山の方から
水やスポーツドリンクなどを頂く。
フラフラになりながらも
“シスコ”という集落に到着。
集落というより廃屋がいくつか
集まっただけで本当になにもない。
荒野のど真ん中に虚しさだけを
取り残した空間が広がっています。
そんな中、一つだけ商店がありました。
事前に調べた情報によると
敷地内にテントを張らせてくれる
とのことだったけれども、
到着が遅すぎて閉まっていました。
もう誰もいない…。
誰もいないので日陰を求めて
裏で寝させてもらうことに。
勝手に敷地に入るのも良くないけれど、
暑さにやられて考える余裕もなく。
おかげで無事に疲れた体を
休めることが出来ました。
ヴァーナル出発4日目。
目的の町・モアブまでは80km。
早く着いて休みたい。
幹線道路を離れ128号線という
コロラド川に沿った道に入ると、
大きな赤い岩が削れた
豪快な景色が広がっていました。
横切る車も少なく
ゆっくり眺めながら進んでいく。
これぞ思い描いていたアメリカ、
というような景色がどこまでも続く。
眺めるだけで喉乾くし
日差しが今日も暑いけれど、
この場所はうだるほどの暑さも含めての
風景だろうな。
モアブの町が近づいたあたりで
自転車道が現れます。
ただこの時すでに
40℃近いであろう午後2時。
自転車に乗って走っている人など
一人もいません。
そして、ついに到着しました「モアブ」。
小さいながらも観光客に溢れ
活気のある町なようです。
ヴァーナルから走ること4日。
クタクタになった体を
ここでしっかり癒しておきたい。
まずは商店で冷たいドリンクを飲み干し、
この町でもWarmshowerの
ホストの方にお世話になります。
今回はどんな方だろう、
と地図を見ながら郊外にある
お宅に向かったのですが…
たどり着いたお家の門がこれ。
“え?ここなの?
呪い人形みたいなの気になりすぎるんですけど。
てか、もう嫌なんですけど…。”
「あんたがリョウスケね。
まずどうしたいの、シャワー?洗濯?
忙しい時に来たわね。タイミング悪いわ」
60歳前後であろう女性の“テリアンさん”
からまともな挨拶もなく
まくしたてられました。
「あたし日焼け止めクリーム嫌いだから
すぐシャワーで洗い流して。
二階で寝てもらうけど足音立てないで。
荷物運ぶとき、砂持ち込まないで。
Wi-Fiあるけど
変なものダウンロードしないで。」
これまでのホストさんのパターンだと、
「全部君のものだと思って好きに使ってくれよ!」
というお家が多かったのですが、
こちらは禁止事項が多く、あたりも強め。
数泊とはいえ大丈夫だろうか…。
ただテリアンさん、とても器用な方でもあり
家の水道や電気配線などの施工を
ご自身でされたそう。
とても芸術家肌なようで
古着屋さんのような匂いのするお家も
雰囲気があって良い感じ。
話してみると、冗談も言うしよく笑うし
口は悪いけど、根は悪い人ではなさそう。
ジブリ映画に出てくる魔女みたいなものだと思って
数日お世話になります。(超失礼)
到着翌日、「パーティーあるから
あんたも行くのよ」と
お友達の家に連れてきてもらいました。
誕生日会とのことで
予想以上の人に溢れています。
年齢もホントばらばら。
アメリカ大陸を旅してるということで
興味を持ってくれる人がいたり、
日本に縁のある人もいたりで、
パーティ嫌いな僕も
すごく楽しい時間を
過ごすことが出来ました。
モアブ滞在中に観光にやってきたのは
町から10kmほど北にある
「アーチーズ国立公園」。
ユタ州きっての観光地であり
モアブはここに向かう人たちの
拠点となる場所というわけ。
砂漠の観光地とあってこの日も暑い。
朝7時には公園に入り、
散策を始めました。
多くの観光客同様
水をたっぷり持って
トレッキングルートを進みます。
最初にやってきたのが公園内1番の見どころともいえる
「デリケートアーチ」。
“アーチーズ”とは、名の通り
雨や風によってアーチ状に浸食された芸術的な岩が
2,000も点在する場所なんです。
ちなみにこのデリケートアーチは
州のナンバープレートにも描かれるほどで、
アーチーズ国立公園のみならずユタ州の象徴ともいえる風景です。
数億年前、あたりに
流れ込んだ海水によって
岩が塩分を多く含むらしく、
特有の地質がこの土地ならではの
光景を生み出しているのだとか。
中には歩いてくぐれるものも。
2つのアーチが重なった「ダブルアーチ」。
圧倒されるのは
魅力的な造形のみでなく、その大きさ。
こればかりは写真で伝えきれず
ふもとに立って見上げるしかありません。
とにかくデカい。
名前の通り、絶妙なバランスで
そびえるのは“バランスロック”。
中には浸食がすすみ
数年後には崩壊が予想される
岩もあるそう。
今しか見られない地球の芸術。
“悪魔の庭”、“エデンの園”など
仰々しい名を冠したものも多い
アーチーズ国立公園。
確かにどこか超常的なものを感じさせる
強烈な景色が広がる場所です。
暑さも忘れて見とれてしまう。
アーチーズの観光含め、
暑さからくる疲れをとるためにも
モアブの町にはたっぷり3日滞在。
どれだけ静かに歩いても
「足音うるさいわよ」と言ってくるテリアンさんに
すっかり愛しさすら感じ始めてしまいました。
2024.07.19
【91日目 5,642km】
ワイオミング州ジャクソンにて
チャック&カレンさんに提供して頂いた宿で休むこと3日。
疲れもとれた出発の朝。
「なあリョウスケ、わしの充電器のコードとったじゃろ。返しなさい」
とチャックさん。
僕「いや、荷物確認したけどないよ。」
C「いやいや、3日も滞在してるし絶対わしのヤツ使ったはず…。」
僕「でも持ってないよ。てかチャックのタイプBじゃん。Bなんか使いませーん」
C「え?タイプBとかCとかあんの?」
僕「あるよ!もっかい身の回り見てよ」
そんなやり取りをして1時間後。
「ごめんごめん、車の中にあったわ」とニコニコ顔のチャックさん。
こんなやりとりは世界中でおこなわれてるんだろうなとしみじみ感じつつ、
二人に別れを告げて出発しました。
ジャクソンから目指すのは
「ヴァーナル」という街。
5日ほどかかるだろうか。
イエローストーンとは打って変わり
途中に見どころも特に無いようで
走るばかりの日々が続きそうです。
ランチは昨日の残りのチャーシュー。
ゆで卵もたんぱく源になるけど
気温がどんどん上がってきており
持ち運びには向かない。
これからは夏仕様の
キャンプ飯も考えねば。
遠くに見えるロッキー山脈。
カナダ北端からのお付き合いだけど
そろそろ見納め。
自転車で走るとよく分かるけど
途切れず延々と山嶺が続く
大陸ならではのスケールに圧倒されます。
この日悩まされたのが野営地探し。
住宅が密集した街にテントは張れず
平原広がる郊外はフェンスが敷かれ
寝る場所が見つからない。
“どこでも寝れるでしょ”と下調べを
していないのがあだとなる。
21時まで走り続け
やっとキャンプ場を発見。
1泊¥4,000ほどと高額。
貧乏旅において
まず節約したいのが宿泊費。
これが続くとやってられないです。
ジャクソン出発2日目。
起伏の少ない平坦な道を今日も漕ぎ進めます。
モンタナから続く大平原が
乾いた荒野へと変化しつつあり
耕作地も減ってきています。
見てるだけで喉が渇くような風景。
こんな景色が海のように
どこまでも続いています。
夕方、“ファーソン”という集落に到着。
後々知ったのですが右の建物が
地域で大評判の
アイスクリーム屋さんとのこと。
¥600と高額なのでやめたけど
食べとけばよかった…。
この日も野営地探しに苦労。
公園を見つけて
まずは食事をしていると
警察がじろじろ見てくるので
退散することに。
ワイオミングの野宿は難しい。
教会の敷地の隅で
テントの許可を頂きました。
日が長いことも野宿が難しい原因です。
もっと早く暗くなれば
どこかに隠れてできるのに、
と犯罪者になったような気分。
ジャクソン出発3日目。
お世話になった教会の方が、
「キリスト教に興味はあるかい?」と分厚い聖書を渡そうとしてくれます。
「いや、ちょっと荷物になるし、うーん」
「こっちのちっちゃいヴァージョンもあるよ」
「いや、僕は信心深い方じゃないし…、うん大丈夫」と言葉を濁し退散しました。
お世話になったのになんだか申し訳ない気分でございます。
イエローストーン以降、文字通り
雲一つない快晴が続いております。
天気を気にしなくていいのは
旅において本当に楽。
ただこれからは気温が気になるけど…。
すでに日中かなり暑い。
写真では見えにくいですが、
道路脇には数百kmに渡って
フェンスが延々と敷かれています。
これだけ広大なのに土地にこだわるのは
不法侵入・占有が多いからだろうか。
ヨーロッパより野宿難しいかも。
昼過ぎには「ロック・スプリング」に到着。
このあたりでは大きな街で
当然野宿もできそうにないのですが、
この日はここでゆっくり過ごそうという
狙いがありました。
というのも…
今日は7月4日の独立記念日。
至る場所で国旗が掲げられ、
夜には街中で花火が上がるとのこと。
ただ思ったほどお祭りムードでもなく
パレードもやってないよう。
普通の祝日といった印象です。
せっかくだから現地の人と過ごそうと思い
キャンプ場に向かうと、
なんとテントを張るだけで1泊¥9,000。
聞き間違えかと思い
「え?パードゥン?」と疑ってしまう。
これが通常価格なようです。
「いいもん、独立記念日なんか関係ないもん」
と行くあてもなく公園で時間を潰します。
街の規模にもよるそうですが
地方の小さなところでは
さほど大きなイベントはないのだとか。
ちょっと拍子抜け。
綺麗な公園で野宿もできそうになく
街のはずれの自動車修理工の方の
敷地にてなんとかテントを張ることに。
毎日人頼みでキャンプ地を探すのも
精神的に疲れるし、
なにより迷惑な気もしてくる。
とっぷり日も暮れた22時。
さぁ花火があがるぞ、とカメラを構えるも
「…、…。……。…、パーン。…パン」
いや、玉数少な!そして低っ!
写真すら撮れず、期待外れの
7月4日が終わりました。
ジャクソン出発4日目。
ロックスプリングを出ると、延々と続く長い上り坂が待っていました。
「フレーミング渓谷」というこの地域。
家屋は全くなく、見晴らしの良い
谷間の景色を眺めつつ
緩やかな坂を進みます。
追い越していく車も少なく
ストレスなく走れる。
日を避ける影など何一つない一本道。
真っ正面から走ってきたドライバーさんに
水をもらいました。
しかも、クーラーボックスで
キンキンに冷えたもの。
火照った体を気持ち良くクールダウン。
見下ろす渓谷にははじめて
赤土の大地を拝めました。
イメージ通りのアメリカの荒野です。
遠目から見ると
層になっているのがよく分かる。
北米ならではの自然の景観です。
そして夕方17時頃。
アメリカ中部のユタ州に突入。
モンタナ、ワイオミングに続く
3つ目の州です。
恐竜の化石がたくさん
発掘されることでも有名だそう。
「ダッチ・ジョン」という小さな町の
外れにて、人目を忍ぶ場所を発見。
日の入りは21時半ごろでしょうか、
夏至は過ぎたけれど
まだまだ日は長いようです。
暗くなる前に眠る。
ジャクソン出発5日目。
この日も朝から上り坂で標高2,500mの峠を目指します。
前日の上り坂がキツかったこともあり
ほとんど漕ぐことが出来ない…。
そんなに急な坂じゃないのに
時速4kmで押して歩く。
暑さもこたえて
もうクタクタ。
昼過ぎにようやく峠の頂上へ。
途中でクラシックカーの
イベントをやっていたようで
おしゃれな車がいっぱい走ったのに
そんなの写真撮る余裕がないほど
疲れ切ってました。
峠から一気に坂を下り
標高1,500mの地点にやってきます。
ユタ州に入って一気に気温が上がったのか
空気がもわっと暑苦しい…。
下り坂でも爽やかな
涼しい風は吹きません。
そしてついに「ヴァーナル」到着。
するとちょっとしたトラブルが。
マクドナルドでWi-Fiをつなぐと
事前連絡していたホストさんからメール。
「ごめん!家族の急用で街を出なきゃ。
今夜泊められないわ!」とのこと。
あてにしていたWarmshowerの宿泊先が無くなり焦っていたところに、
再度連絡が入ります。
「友達が泊めてくれるからそっち向かってくれ」
ということでやってきたのが
「ジャレドさん」のお宅。
急なお願いにも関わらず
庭先のRV車に水と電気を通して
泊まれるようにしてくださいました。
素晴らしいホスピタリティ。
5日間走行が続いたので
到着翌日はお休み。
涼しいお家で
のんびり休ませてもらいました。
アメリカ入ってから
街をじっくり見てない気がする…。
貴重な週末にお邪魔させてくださった
ジャレドさんご一家。
仲良く明るい皆さんでした。
自転車乗りのコミュニティサイト“Warmshower”。
ほどほどに使っていこうと思っていましたが、
時にキャンプ場ですら¥5,000を超えるアメリカでは
大いに頼ってしまっています。
2024.07.15
【86日目 5,163km】
イエローストーン公園内で2つ目の夜が明け、
キャンプ場を後にして南へと向かいます。
公園自体が2,000mを越える高所に
あるとあって、傾斜が急な箇所もしばしば。
そのぶん自然豊かな景観を
楽しむこともできます。
しばらく乾いた大平原が続いたので
水辺に心が潤う。
お昼過ぎには国立公園のゲートを
通過して、イエローストーンの
サイクリングも終了。
ここしばらくランチは
トルティーヤばっかり。
アボカドが美味しいんですよね。
気温はお昼で20℃前後でしょうか。
夜も涼しくて寝やすいです。
南に下りるにつれ猛暑が予想されるので
おそらく今が一番過ごしやすい。
というかこないだまですごく寒かったし
快適な期間短いんですけど…。
“ジャクソンレイク”という湖のほとりに
キャンプ場を発見。
ここもサイクリスト用の場所が
用意されており
¥1,500ほどで泊まれます。
シャワーも浴びれてほんと快適。
夏休みに突入して溢れかえった
周りの観光客の皆さんにつられて
アイスを食べてしまう。
3段で¥900と
日本なら定食食べられる値段。
でも食べたかったんだもの…。
翌日。
引き続き南下しますがイエローストーンに隣り合った
「グランドティトン国立公園」をなかを進むことになります。
ロッキー山脈の景色が見どころ。
湖の向こうに見える尖った山々。
このエリアをサイクリングしたり
トレッキングする人が多く、
イエローストーンとセットで
観光するのが定番だそう。
家族連れが沢山います。
整ったサイクリングロードを
気持ち良く走ることが出来ます。
観光地ではe-バイクをよく見かけます。
スイスイ楽に走れて楽しそう。
あれで旅が出来たらどんなにいいか。
充電が大変だけども…。
グランドティトンを走り抜け
20kmほど南下すると
イエローストーン観光拠点の町
“ジャクソン”に到着しました。
冬場はスキー客でも賑わうらしく
山肌がスッキリ刈られています。
ジャクソンの町から3kmほど南にやってきたのがこちらのお家。
いつもおなじみのサイクリストコミュニティサイト
“Warm shower”で連絡を取り合っていた
ホストファミリーさんのお宅なのですが、
この時はちょっとおかしな状況。
すでに退職された悠々自適のご夫婦いわく
「週末ちょっとキャンプ行ってくるから
家泊まってていいよ、鍵開けとくね」
とのこと。
「ようこそリョウスケ、この家だよ!」
と紙が貼られた玄関を開けると、
素敵な居住空間が広がっていました。
“ウソでしょ、ここ一人で使っていいの?”
予想を超える最高の宿に出会えたようです。
もう、幸せ…。
滞在に先立ち食材も調達済み。
何が食べたいかって
新鮮な野菜と肉でございます。
自分で調理できるのも
休日の楽しみ。
(自転車漕がない日を“休日”と呼びます。)
YouTube見ながらのんびり料理するのが
もう楽しくて楽しくて。
こんな時に日本での日常が恋しくなります。
欲しいものが手に入って
体が欲しがるものを摂取する、
これだけのことがすごく嬉しい。
テント泊ばかりが続いており
屋根の下、ふかふかベッドで
寝られるのは
カルガリー以来2週間ぶり。
布団って久し振りだと
姿勢が落ち着かないですよね。
朝食を済ませコーヒーを飲みながら
日が差し込むテーブルで
パソコンに向かい作業をする。
全てを手に入れた成功者の気分です。
フリーターのくせに…。
ちょっとしたことで喜びを感じる旅人。
羽を伸ばしきって2泊、ご夫婦帰宅の日。
お礼にチャーシューを作る。
お世話になった家では振る舞うのは
決まってチャーシュー。
こっちの食材で作りやすいし
皆さんに喜んでもらいやすいんです。
滞在3日目にしてついに
“チャックさん&カレンさん”ご夫婦にお会いできました。
「快適に滞在できたかしら?」とカレンさん。
いや、もう骨の髄が溶けてしまいそうなぐらい
快適でございました。
やっとお会いできた二人にお礼を伝え
楽しく食卓を囲みます。
見知らぬ旅人の為に
家まであけてくれる人が
この世にはいる、という事実。
自分は人のためにどこまでできるだろう。
チャーシューなんかでは決して返せない恩を
また一つ受けてしまいました。
2024.07.11
【82日目 5,087km】
“自転車はここで止まれ”の看板の通り足を止め、
“リーさん&ジーニーさん”宅にてお世話になった朝。
ジーニーさんの作ってくれたサンドイッチを受け取ると
「イエローストーン」を目指してさらに南へ。
天気の良さは相変わらず。
暑さも若干和らいで
かなり過ごしやすい気候です。
南の方向に山々が見えてきた。
カナダのバンフ以来となる
ロッキー山脈地域に突入していきます。
昼には“リヴィングストン”
という町に到着。
古い雰囲気を醸すダウンタウン。
ここから西に40kmの“ボーズマン”
という町にジョニー・デップが
住んでるそうですよ。
街を出るとまっすぐ南に下りる
一本道を進みます。
リーさんに教えてもらった
交通量の少ない道路がすごく走りやすい。
地元の人の情報に頼ることが
旅においてとても大事です。
ジーニーさんが作ってくれた
サンドウィッチでランチ。
ゆっくり座って休憩することが
気持ち良くなったのは
ホントここ最近です。
こないだまでもう寒くて寒くて…。
110kmを走った夕方に
国立公園の玄関口「ガードナー」
という町に到着。
観光客で溢れかえる
とても賑やかな場所です。
欧米だけでなくアジア系の人もたくさん。
立ち寄ったスーパーで
牛肉が安く(¥400)、
夕食はステーキに。
前の旅含めても初めてじゃなろうか。
焼くだけで意外と調理も簡単だし。
走り切った日に食べる肉、最高です。
町のはずれに図書館を発見。
誰もいないようなので裏で
テントを張らせてもらうことに。
観光地なのでどうかなと思ったけれど、
ぐっすり眠って
無事に朝を迎えることが出来ました。
翌朝。ガードナーの町の南側に料金所があります。
ここからいよいよ「イエローストーン国立公園」へ。
入場料$35と聞いてたけど、自転車は$20とのこと。
嬉しい。
標高2,400mにあるイエローストーン。
ゲートの向こうはかなりの急坂でした。
「傾斜キツイし、路肩もないから
トラックにでも乗せてもらったら…?」
と言われたけど、これまで通り
自力で行きたい。
まず1時間ほど坂をのぼると
“マンモス”というエリアへ。
大自然が広がっていると思いきや
高級なホテルが立ち並んでいました。
イエローストーンは全米屈指の観光地。
人も車も凄い数です。
最初にやってきたのは「マンモス・ホットスプリングス」。
そもそも“イエローストーン国立公園”とは
大きな火山地帯です。
地中深くに世界最大とも言われるマグマだまりがあり、
その地表ではガスや熱水が噴き出す間欠泉など
特有の火山活動が見られるのが国立公園の魅力。
熱水が湧きだす泉を見てみると
複雑な結晶のようなものが見えます。
これらはバクテリアが
層を成しているらしく、
場所によっていろいろな
模様を見せてくれます。
ここマンモス・ホットスプリングスは
棚田のように傾斜した
石灰岩が特徴で、
白い岩肌と
茶色いバクテリアが
独特な景色をつくっています。
ひと通り見終えるとまた坂を上ります。
南北には200kmにも及ぶほど広い国立公園。
その中に間欠泉などの見どころが点在しており
ひとつ見たらまた次へ、と移動を繰り返して観光していきます。
昼頃に高低差800mにもなる
坂を全て上り切りました。
その先は平らな台地になっており
分かりやすいほどに平坦。
高所だけに涼しく、ジャケットを
羽織って漕いでいきます。
何やら車が渋滞しており
合間を縫うように追い越して進むと、
森の奥になんと「グリズリー」が!
“黒いパンダ”ことブラックベアとは違い
グリズリーは本物の猛獣です。
おしりをこちらに向け去っていきました。
15時頃には「ナリス・ガイザー・ベイスン」へ。
開けた土地にいくつもの間欠泉(ガイザー)があり、
そこら中から湯気やガスが立ち上っています。
特に激しくガスを噴出している場所では
「シュー、シュー!」と轟音が
聞こえます。
まさに地球の鼓動とも思えるような
日常ではまず聞くことのない
生々しく存在感のある音。
てくてく歩いていると
一気に雨雲がかかり、
やがて激しく降り始めてしまいました。
観光どころではないと
諦めて退散。
せっかくだから隅々までみたいのに。
雨の中しぶしぶ漕いでいると
やがて晴れ間も見えてきました。
2,000mを越える高山とあって
天気も気温も変わりやすい。
道をのんびり走っていると
湯気が上る場所がちらほら。
数十kmにもなる巨大なマグマが
地中にあるので、
いたるところで温泉が湧いているよう。
なかなかここまでの景色がお目にかかれない。
源泉に触れてみると
45℃ほどでしょうか、
足湯できるような湯加減ではなく
すごく熱いです。
川を眺めながら
お湯に浸かれたら気持ちいいのに。
公園内は野宿厳禁だそうでキャンプ場へ。
高額を覚悟したものの
サイクリスト価格が用意されており
$10とかなり安い。
売店まであり、観光地らしい
整い切ったキャンプ場でした。
イエローストーン観光2日目。
今日も平坦な道をたくさんの車に追い越されながら進みます。
漕ぎ始めてすぐに
間欠泉がありました。
前日よりも天気が良く
青々とした泉が綺麗に映えます。
飛び込みたくなるような色だけど
離れても熱気を感じるほど熱いです。
じっくり見れば見るほど
宝石のように鮮やかな
色と模様。
まさに自然が生み出す芸術。
風がつくりだす水面の波紋が
また美しい。
さらに進んだ場所にあるのは
「ブランド・プリスマティック・スプリング」。
公園内でも特に人気な見所です。
高台からの景色は圧巻。
泉の中心から外側に向かって
温度が変わるのですが、
それによって棲むバクテリアが異なり
青とオレンジのコントラストを
生んでいるのだとか。
舞い上がる湯気がまた荘厳さを増す。
そんな美しい景色の広がるイエローストーンですが、
とにかく人が多い。
平日でしたが、そんなの関係なく人気スポットの周りは大渋滞。
駐車場に入りきらない車が道路にはみ出しています。
こちらはトイレの大行列。
僕は自転車なので
道路脇で適当に済ませますが
これはちょっと嫌だな。
そういう僕自身も観光客の一人なので
何とも言えないですが。
最後にやってきたのが、イエローストーンのみならず
世界でも最も有名な間欠泉である
「オールド・フェイスフル」。
90分おきに30mもの高さまで豪快に熱水を噴出します。
時間なんて全く気にしてなかったのに、
僕が着いてほんの1分後に噴き出してくれました。
ただ、イエローストーン1番の目玉ともいえる
このオールドフェイスフル。
若干、興ざめしてしまったというのも本音でして…。
間欠泉の周りにはぐるりと
人、人、人。
千人は軽く超えるでしょうか。
敷設されたベンチには
収まらないほど溢れかえっています。
皆で中央の間欠泉を見るというわけ。
駐車場から歩いてくる間にも
ホテルやスーパーまであるんですよ。
ただただテーマパークで大きな噴水を見た
という風に感じてしまいました。
「間欠泉も水道水だったりして」
とか思っちゃうくらいです…。
人の多い観光地に来ると
自転車旅の魅力に気づかされます。
誰もいない何でもない景色の方が
いつまでも心に残っていたりして。
でも独特の火山活動の風景は圧巻でしたよ。
(誰に向けてのフォローなのか。)
北米大陸を東西に分断する
ロッキー山脈にあるイエローストーン。
こちらの分水嶺は
太平洋と大西洋それぞれに下っていく
水流の境目となっています。
まさに大陸の分け目。
前日に引き続いてキャンプ場へ。
公園内を自転車で移動する人などほとんどおらず
たくさんの車に追い抜かれながら進みました。
すると間欠泉を見学中に
「お前、さっき見たぞ。頑張れよ!」
「もうここまで来たのか!早いな」
など沢山声をかけてもらい、お菓子をもらったりします。
そんな、いつも以上にちやほやされた
2日間のイエローストーン観光でした。
2024.07.7
【79日目 4,833km】
アメリカに入国して、“ダットン”という小さな集落でひと休み。
ここから有名観光地である
「イエローストーン国立公園」を目指して進み始めます。
お昼ごろにはモンタナ州有数の都市
「グレイトフォールズ」に到着。
ミズーリ川の沿岸に
快適な自転車道が敷設されています。
車を気にすることなく
のんびりと走っていく。
しばらく進むと
都市名の由来にもなっている
大きな滝がありました。
今はダムになっていますが、
一部ゴツゴツとした岩場が
スケールの大きさを物語ります。
街を出る前に大型スーパー
「ウォルマート」にて
アメリカ本土で初のお買い物。
バナナ5本¥130、リンゴ1つ¥250。
ソフトドリンク1缶¥270。
もちろん高いけど予想ほどではない。
グレイトフォールズを出ると
また大平原を進みます。
気温は20℃を越え、
一気に暖かくなりました。
アラスカ出発以降
初めて終日半袖で走った日となります。
“ビッグ・スカイ”と称される
モンタナ大平原の大空。
綺麗なのは何も夕焼けだけでなく、
昼の時間でも立体感のある雲と
突き抜ける青空が最高に美しい
画を見せてくれます。
90kmほど走って
「ベルト」という町の公園にて
テントを張ります。
芝生がきれいなだけに
スプリンクラーに要注意。
あの悲劇を繰り返してはいけない…。
ダットン出発2日目。
ルークさん宅で頂いた“アップルバター”がすごく美味しい。
最近はパンではなく、もっぱらトルティーヤ。
かさばらないし、日持ちもするし、
どんな味付けもできる便利食材です。
さらにどこかで落としてしまっていた
コーヒーフィルターまで
頂いちゃいました。
楽しく旅をすすめるために
朝のコーヒーは欠かせません。
あぁ、やっと飲める。
この日は標高1,000mのスタート地から
2,400mの峠を越えるコース。
つまり1,400mも登るということ。
イエローストーンを目指すには最短だそうで
通らないわけにはいかない。
気合を入れて進み始める。
朝からクラクラするほどの暑さです。
たった4日前は息も白く
手袋してたのに。
今日は汗が止まらず
上半身裸で
せっせと坂を漕いでゆく。
標高が上がるにつれ
岩山の合間をぬうような
道へと変わっていきます。
幸い吹き下ろす向かい風が
ないのが嬉しい。
時速10kmでゆっくり前へ。
午後からは小川の傍らを上ります。
涼しげな水面に反して
気温は上がるばかり。
太陽に照らされて
ぬるくなった水で喉を潤す。
車が少ないのもありがたい。
そして夕方6時過ぎ、
やっとのことで標高2,400m、
峠の頂上へとたどり着けました。
疲れて“手前で野宿を”とも
思ったけれど、一日で上り切ると
達成感があります。
峠を下り15kmほど
進んだところでキャンプ場を発見。
有料と聞いていたけど
誰もおらず何もないので
しれっと泊まらせてもらうことに。
オンシーズンのはずなんだけども。
ダットン出発3日目。
前日にさんざん上った坂を今日は一気に下る。
下り坂から始まる1日なんてホント最高です。
アメリカに入国してから
天気はほとんど晴れ。
気まぐれな通り雨が降る以外は
どこまでも青空が広がっています。
やっと理想のサイクリングシーズンが
やってきたようだ。
40kmほど走った昼前に
“ホワイト・サルファー・スプリング”
という小さな集落に到着。
イメージ通りのアメリカの田舎
といった雰囲気です。
落ち着いた良い場所だ。
商店にてレジ横にピザが置いてあるので
つい買ってしまう。
1枚¥300で割とオッケーな値段。
美味しい誘惑がいっぱいのアメリカ。
カナダからアメリカに入って
肥満体型の人が明らかに増えた気がする。
まだお昼だけどキャンプ場にチェックイン。
前日が大きな峠越えだったので
半休日にします。
急な気温上昇に体も疲れている。
自転車って前に向かって頑張りすぎるので
時には「休むぞ!」って決心が必要。
近くにスーパーがあったので
夕食には、野宿中は食べない
ソーセージや野菜など。
ここしばらく食べることが
一番の幸せになっている。
ちょっとでも美味しいものを。
ダットン出発4日目。
今日も青空の下、平原の道を進んでいく。
中央アジアにも通じるような
どこまでも果てのない原っぱ。
日本の国土と同じほど広いモンタナ州。
でも、人口は全体で100万人ほど。
地元の広島市とか今住んでる湘南エリアと
同じくらいだから人口密度はかなり低い。
ランチはトルティーヤ。
カナダで1週間前に買った
アボカドがやっと柔らかく
なり始めました。
早く本場メキシコで食べたい。
美味しいんだろうなあ…。
夕方4時ごろ、「クライドパーク」という町を過ぎたあたりで
道端に“The Bike Stops Here(自転車はここで止まれ)”
という看板を発見。
トルーマン大統領の格言をもじっていると思われる文言に従い
立ち寄ってみることに。
奥に進むと平屋があり、ただ家主は不在のよう。
“でも止まれって言われてるしなぁ”ということで
20分ほど木陰で休んでいると
車に乗ったご夫婦が帰宅されました。
聞けば、自転車が大好きなご夫婦は
ここを通るサイクリストを
よく泊めてあげているそう。
裏庭にテントを張って良いということで
遠慮なくここで一泊させてもらいます。
スプリンクラーの心配も無し。
涼しくなった夕方に裏庭でのディナー。
BBQポークがとても美味しい。
食欲爆発で「ねぇ、これも食べていい?」
って聞くのが恥ずかしいけどやめられない。
太ってる人ってこんな感じなんだろうな。
永遠に食べられそう。
「自転車のことで困ってないかい?」
ということで緩んだうえに
錆び付いていたバッグのネジを
つけ直してもらいました。
アメリカの家庭はみな
お店が出来そうなほど工具が揃ってます。
実はこちらの“リーさん&ジーニーさん”、
昼間は遠くから来た友達と会っていたそう。
「このまま夜は映画行く?ディナーはどう?」
と誘ったところ、その友達に“疲れたからホテル戻る”と断られたのだとか。
「それで家に帰るとあなたがいたのよ」とのこと。
出会いって小さな奇跡の末に生まれてるんです。
断ってくれたお友達、心からありがとう。
2024.07.2
【75日目 4,520km】
ふらっと立ち寄っただけの旅人を歓迎してくれた
アイラさん宅にて過ごしたカナダ最後の夜。
朝にはコーヒーとパンまで用意してくれました。
朝からパラパラと止まない雨。
空を見上げても晴れる様子はなく
諦めて濡れながら
進むことを覚悟します。
どうやら青空のもとの
国境越えとはならないようだ。
大都市・カルガリーを出て4日。
太陽を見ることはなく
常に厚い雲が
空に立ち込めています。
それに加えて
日に日に寒さが増している。
この日、日中の気温はなんと6℃。
南に下っているというのに
日本の冬並みの寒さです。
休憩に立ち寄った集落でも
店が開いておらず。
あまりの寒さに外で食べることもできず。
午後から晴れる予報だったけれど
どうやら、そんな様子もなく。
6月の終わりに
手袋をして走ることになるとは
思ってもいません。
息も白いし、体が震える。
14時ごろに“ミルクリバー”
という集落に到着。
カナダ最後の食事はレストランの
ハンバーガー(¥2,000)でした。
最後の記念だからではなく、
寒くて外で自炊する元気がなかったんです。
さらに走ること1時間。
“クーツ”という集落の国境に
たどり着きました。
山火事という思わぬ
トラブルもあり2カ月の旅となった
カナダの道はここで終わり。
パスポートを見せると
簡単な質問をされます。
色んな国へ行ったけど
口座の預金額を聞かれたのは
アメリカ、カナダだけではなかろうか。
貧乏なんだから聞かないで…。
ということで、やってきました
31ヵ国目・アメリカ合衆国。
すでにアラスカ州を走っているので一度入国済みですが、
いよいよ本土の走行が始まります。
多くの人が観光に訪れる東西の両海岸ではなく、
中央部の田舎地域を中心に走ることになります。
果たしてどんな旅が待っているだろうか…。
国境を越えてやってきたのは
モンタナ州。
大平原グレートプレーンズが
広くを占める州で
「あそこ走ってもホント退屈だぞ」
と出会う人が口を揃えます。
国境を越えてもすぐに町はなく
変わらない平原がどこまでも
目の前に広がります。
これが何日も続くのだろうか…。
遠くの方にポツンと
何軒かの家が見える。
入国からわずか15kmほどで
「サンバースト」という
何とも暑そうな名前の
集落に到着。
キャンプ場ではなく
タダで野宿できるところを探したい。
町のはずれに静かな公園を発見。
人もいないようだし
芝生は綺麗だし
ここなら落ち着いて眠れそうと
安心してテントを張ることが出来ました。
あんなことが起こるとも知らずに…。
すやすやと気持ち良く眠っていた深夜2時。
突然「ザアー、ザア」と激しい水が
テントを打つ音で目を覚ましました。
“雨か…”と思い、再び眠ろうとするもやけに激しい。
一度止んだかと思うと、また降りはじめる。
というかこの雨には変なリズムがある。
そして、雨に強いはずのテントが下の方から濡れている。
ん? なんかおかしい…。
眠い目をこすり外に出ると
顔に「びしゃぁっ」としぶきが当たる。
どうやら水は地面から吹き上げられている。
スプリンクラーだ。
そして、テントが思いっきり狙い撃ちされているではないか。
「ヤバいヤバい」と眠たい頭で思考し、
なんとかタオルで噴射口を結んでふさぐ。
近くにある二つの噴射口をやっとふさいだ瞬間、
時間が来たようで全体のスプリンクラーが稼働終了。
ムカつく…。
朝目が覚めると、思った以上に
テントが降れていることが判明。
アメリカで過ごす最初の夜が大切な教訓を与えてくれました。
「公園野宿はスプリンクラーに気をつけろ」
荷物をまとめて走り始めると
青空が広がっていました。
ここ数日拝めていなかった
太陽に感動。
日光が降り注ぐ平原の景色、
まったく退屈ではありません。
ハイウェイを進んでいるけれど
交通量はさほど多くなく
路肩もかなり余裕がある。
昨日までとうって変わり
とても気持ち良く
晴天のサイクリングを楽しめます。
午後からはやはり厚い雲が
空を覆う。
カナダの針葉樹林もそうだったけど
こんな大平原で降られても
まったく逃げ場がございません。
お願い、やめて…。
わずか10分後の写真。
この10分間に、
まず無数の雹が体に降り注ぎ、
やがて大粒の雨に変わったかと
思うと、すぐに晴れ渡りました。
モンタナの天気めちゃくちゃです。
休憩に止まれるような場所すらなく
120kmを走破。
どうやらモンタナ州は
ただただ走ってばかりになりそう。
大平原の小さな村
「ダットン」に到着しました。
「ダットン」の集落でお世話になるのは、
Warmshowerのホスト“ルークさん”ご一家。
緑色の可愛らしいお家です。
到着翌日は休養日。
奥さんの“メーガンさん”お手製の
アップルバターが絶品で
パンを何枚も食べちゃいました。
レシピも教えてもらったので、
日本に帰ってつくるのが楽しみ。
この日は1年で最も日の長い夏至の日。
夜10時を過ぎてもまだ明るく
子ども達も外で遊びます。
焚き火であぶるマシュマロが美味しい。
一人キャンプの時は
やらないからこそ楽しい。
明るく楽しい家族の
夏休みを1日だけ
ご一緒させてもらいました。
こうして色んなご家庭の日常を
のぞき見させてもらえるのも
自転車旅の良いところ。
僕はもっと日の長いカナダから南下してきたので
夏至の特別感を感じないけども、
麦畑に沈む夕日がとても綺麗でした。
広大なモンタナの空は色んな表情を見せてくれる。
一番近い道を進みたいがために
退屈な景色が続くだろう、と覚悟したモンタナ州。
似たような景色が続くのは間違えないけれど、
決して退屈な道なんかではありません。
2024.06.29
【72日目 4,520km】
カルガリーではのんびりと4泊もお休み。
モノもそろって、体力も回復したら
南の国境を目指してまた走り始めます。
お世話になったマークさんに別れを告げて、走り出そうとすると
向かいのお家から可愛らしい兄弟が出てきてくれました。
実は、カナダ人のお父さんが日本企業にお勤めな上に
奥さんも日本の方ということで、滞在中に話は盛り上がり。
いよいよ出発というとき、
見送りの品におにぎりなどを持たせてくれたんです。
一人ぼっちで異国を旅する身として“誰かが関心を寄せてくれている”
という事実だけで、心から嬉しい気持ちになります。
出発から懸念していたものの
カルガリーの街を抜け出すのが一苦労。
都市の道路は複雑で、ただ真っすぐ
進めばいいというものではありません。
右に行きたければ、一度左に進め
という具合でとても分かりづらい。
やっと数十km進んでも
街が続くものだから
ゆっくり休む場所もなく。
分かったうえで早めに出発したけど
走りながら
徐々にイライラしてしまう。
頂いたおにぎりでランチ。
梅干しやおかかなど
こちらではまず出会えない
日本の味が美味しく、体に染み込む。
腹持ちの良さという点でも
おにぎりって最高の食べ物です。
天気はあいにくの曇天。
予報から分かってはいたものの
これから進む方向に
どんより暗い空が広がるのは
気が重い…。
すかっと晴れてくれ。
カルガリー中心部から50kmほど
離れても、まだ住宅が広がります。
これまで見ることのなかった二階の戸建てや
アパートが沢山あることからも
人口の多さがうかがい知れます。
日本の住宅地となんら変わらない。
夕方17時にようやくカルガリー脱出。
雨にも降られたことで
予定の100kmには到底及ばず。
なるべく大都市を避けたい
理由がここにあります。
とにかく都市部は走りにくい。
18時を過ぎて“オコトクス”の町に到着。
再び降り出した雨は止まず
考える間もなくキャンプ場に直行。
受付を済ませてびっくり、
テントを張るだけで¥4,000。
この時、どこか気持ちがプツリと切れました。
アラスカから続く針葉樹林とカナディアンロッキーの山々。
寒さに耐えてこれらの地域を走り切り、
カルガリーで一度リセットしたのちは
しばらく穏やかな気候のもと進めるものと想定してたんです。
ところがカルガリー出発初日から
寒さが戻り、降っては止んでを繰り返すにわか雨も相変わらず。
野宿場所を探す時間や体力もなく
やっとたどり着いたキャンプ場で高額を払わされる。
「嫌だ。もう円安下の北米旅が嫌だ。早くメキシコに抜けたい」
そんな思いが溢れ、ルートを簡略化し
1日も早くアメリカを走り去ることを決意。
カルガリー出発2日目。
朝から降り続ける雨の下、濡れながらも走り始めます。
ルートを変更したことで
大平原グレートプレーンズの
真っ只中を進むことになります。
景色が変わらず退屈になってしまうけど
一番早く南下できる道でもあります。
「いいから、早くメキシコへ」
太陽が顔を見せる様子はなく
どこまでもどんより。
そして寒い…。
日本出発してからずっと寒い。
先週までこの地域は20℃あったはずなのに
なんで…。
小さな集落の公園にてお昼休憩。
近くに泊まっていたキャンピングカーから
「寒いから、中にはいりなさいよ」と
お招きを受けました。
暖房も効いて暖かい車内。
ごちそうになるトルティーヤが旨い。
旅に大いに感心してくれた
“リックさん&グレナンさん”。
この先に進むルートの
アドバイスもくれました。
悪天候と寒さなどでイライラしていた
気持ちが少しほぐれていく。
午後からも気温は上がらず。
追い風なのはいいけれど、
時々強く吹けば身を切る寒さ。
カナディアンロッキーですら
もう少し暖かかったのに。
あぁ、太陽。
“クレアズホーム”という集落についた夕方。
「私たちも去年、自転車で
カナダを横断したのよ!」と
車から声を掛けてくれたのは
“ケヴィンさん&リサさん”。
「何かごちそうさせてちょうだい!」
「自転車にはカロリーよ!
カロリー高いもの選ぶのよ!」
とリサさん。
ハンバーガーをごちそうになりました。
お昼に続いて人の優しさに触れ
穏やかな気持ちで1日が終わる。
小さな集落に野宿できそうな場所が見つからず
昨日に続きキャンプ場へ。
少しは安いけど、
野宿ならタダで済ませられるのに。
大平原の野営地探し
簡単ではなさそうです。
カルガリー出発3日目。
引き続き麦の穂が揺れる平原を進んでいきます。
大陸名物“巨大水やり機”。
このあたりは麦やアルファルファ(牧草)
が主な作物だそう。
ジャガイモやとうもろこしには
少し寒すぎるようです。
少しというかだいぶ寒いですけど…。
お昼には“レスブリッジ”
という街に到着。
国境までは残り100kmほど。
スーパーもあるので
休憩がてら立ち寄って
補充をしておきます。
街の中に「日加友好庭園」を発見。
地図では事前に見てたのですが
“ニッカ・ユウコさん”という偉人を
記念したものかと思ってました。
日本とカナダの友好ってことね。
入場料かかったので今回は見送りです。
街を抜けると再び大平原。
海のように広がる麦畑に
浮かぶ島ように小さな集落が点在してます。
つまりあらゆる土地が管理されており
野宿がとても難しい。
でも今日はさすがにキャンプ場は厳しい。
「このままではどこにも泊まれない」と彷徨うように
20時までふらふら走り続けてしまいました。
疲れ果てたまますがるように
あるお家の前に立っていた男性に声を掛けると
「家の庭にテント張りなよ」
と、あっさり快く受け入れてくださいました。
「旅の話、聞かせてくれよ」と
焚火を起こしたアイラさん。
寒空のもと
暖かい火に手をかざしながら、
100km以上を走った疲れも忘れて
夜遅くまで話をしました。
季節外れの寒さが押し寄せ、
いつまでも暖かくならない旅路にイライラしながらも
進みはじめたカルガリーから国境へと向かう道。
大平原の景色は変わり映えせず単調だけど、
出国直前まで地元の人たちの暖かさに触れ
結局は充実した旅になってる、
としみじみ感じたカナダ最後の夜でした。
2024.06.25
【69日目 4,248km】
ロッキー山脈の観光地“バンフ”でひと休みすると、
北へと向かう日本人サイクリスト・中野さんともお別れ。
アルバータ州最大の都市・カルガリーを目指します。
朝から天気が良く、
鋭くとがった山々を望みながら
緩い下り坂を心地よく
進んでいきます。
自転車道が整備されており
車を気にする必要もない。
出発から1時間ほどで
“キャンモア”という町に到着。
こちらも観光客の多く訪れる場所で
安宿さえあるなら
1泊したいくらいのんびりと
良い空気が漂っていました。
キャンモアからは都市間を繋ぐ
大きなハイウェイを進みます。
車との接近が怖かったけど
路肩がとても広いうえに
意外と交通量も少ない。
時速25kmで快適に進んでいきます。
14時過ぎには120kmを走破。
予想以上の早さで
カルガリー郊外に到着。
ハイウェイというのは車だけでなく
サイクリストにとっても
スピーディに走れる道路です。
西側の郊外には、1988年に開催された
冬季オリンピック会場の跡地がありました。
リフトやジャンプ台が遠くからでも見えます。
映画「クールランニング」の題材となった
ボブスレー・ジャマイカ代表も
この大会なんですね。
現在は公園一帯が
ウィンタースポーツの
トレーニング施設となっております。
調べると、僕はカルガリーオリンピック
大会期間中に生まれてました。
なので、記憶も何もないです。
ということで、今回のルートにおいて
カナダ最後にして最大の都市となる“カルガリー”に到着です。
アラスカ出発以降、見たこともないほど
高層ビルが乱立する都市空間が広がっている。
人口100万人を超えるカルガリーに
もはやブラックベアの気配はありません。
ずっと大自然に身を置いていたので
暖かい日差しを反射した
ガラス窓がいくつも並ぶ景色が
とても新鮮。
「カルガリーに着いたら何をすればいい?」
と到着する前から沢山の人に聞いていました。
するとすべての人が苦笑いとともに
「ナッシング」と答えます。
カルガリーの唯一の魅力は
バンフやジャスパーが近いことだそう。
カルガリー滞在中にお世話になったのは
北側の住宅街にお住いの“マークさん”ご一家。
旅のスタート地・アンカレッジを出て最初にお世話になった
“ジェイソンさん”のお友達です。
人の移動が活発な北米では
「〇〇に行ったら、オレの友達紹介するぜ!」という
数珠繋ぎがとても容易く、その気になれば
ずっと人の家に泊まりながらの旅もできそうなほどです。
友達の友達は皆友達。
裏庭のテント泊でも全然問題ないのに
わざわざ部屋までご用意いただきました。
屋根の下、布団で寝られるなんて
この世の全てを手に入れたような
幸せな気分でございます。
他に何を望もうか…。
最後の街・カルガリーでの
ミッションはお買い物。
サイクルグローブやドリンクホルダーなど、
国境を越えアメリカの円安ドル高地獄に
再突入する前に、何としても
手に入れておきたかったんです。
特に欲しかったが荷台に積む
ボストンバック。
日本で買った安いバッグに気に食わず…。
日本国内で1万5千円ほどのものが
9千円で買えました!
こちらでお買い得と感じた唯一の買い物です。
カナダ出国が近づいたこの時点であることに気づきました。
“カナダならではの名産品を食べてない…。
このままではカナダのベストフードは味噌ラーメンになってしまう!”
そこで色々な人に尋ねて食べにやって来たのが
上の写真の“プーティーン”。
これが何かというと、
フライドポテトにチーズや豚肉を散らして
グレイビーソースをかけたもの。
例えるならば、
フライドポテトにチーズと豚肉を散らして
グレイビーソースをかけたような味がします。
これまでの道中も、
「ここの名産何なの?」と町ごとに聞いてきたのですが
「うーん…」と困ってしまうのがカナダの食文化だそうで。
歴史も浅く、農作物も限られる北の大国では
胸を張って差し出せる料理はなかなか無いのかもしれません。
ということでカナダのベストフードは味噌ラーメンでした。
2024.06.21
【65日目 4,124km】
ジャスパーでの滞在を終えると、引き続き東へ。
カナディアンロッキーもう一つの観光地
“バンフ”を目指します。
ジャスパーとバンフを繋ぐ道路は
“アイスフィールド・パークウェイ”
と呼ばれ、カナディアンロッキーの
絶景を楽しみながら走ることが出来ます。
通行する車のほとんどが観光目的のため
皆、焦らず運転ものんびりモード。
出発から間もなく道路脇の休憩所にて。
「え!?アルゼンチンまで走るの?」
と驚いたご夫婦から
お金を頂いてしまいました。
しかも25米ドルとそれなりの値段。
お金をもらうことはかなり珍しいです。
これが特別嬉しかったのは、理由がありまして。
ジャスパーにて渓谷へハイキングに行った際
少しでも荷物を減らすため、財布を持たず
現金紙幣(¥4,500ほど)をポケットに突っ込んで歩いておりました。
町に戻ってふとポケットを探ると、お札がなく
どこかで落としてしまったようです。
決して安くはないお金を不注意で失くし
ショックを受けていたところでこのご夫婦からのご支援金。
何かを失うと、まわりまわって何か得られるようになってるんです。
だって地球は丸いから…。
自転車を停めて横に目をやると
山々の絶景が。
上り坂でかいた汗の嫌らしさも
吹き飛ぶような
さわやかな光景。
これをずっと眺めながら走れるのは贅沢。
午後の休憩中に悲劇が…。
少し自転車から離れた間に、
ナップサックに入れてた
10本あったはずのシリアルバーが
2本に減っているではないか。
犯人はまだ遠くないはず。
あたりを見回すと
頭上に「カァ、カァー!」と黒いカラスが2羽。
せっかく安くまとめ買いしたのに。
せっかく朝お金を頂いて良いことがあったのに。
何かを得ると、まわりまわって何か失うようになってるんです。
だって地球は丸いから…。
夕方からかなり急な上り坂へ。
きょう出発したジャスパーの
標高は1,400m。
バンフに向けては2,000mに達する
峠を2つ越えなければいけません。
まさに1つ目の峠に差し掛かったところ。
せっせと漕いでいると
羊の大群が道をふさぐ。
観光目的で来てるドライバー
ばかりなので、動物が現れると
みんなスマホでパシャパシャ。
たちまち渋滞が起こります。
坂を上り始めて1時間半。
ようやく頂上に近づき
道も平らになりました。
すぐそこに迫った雪の壁の迫力。
自分の足で来たからこそ感慨深く
じっと見とれてしまいます。
予定していたキャンプ場が
まだ開業しておらず。
けど誰もいないのでしれっと侵入。
後から聞くと、今年は冬が長く
開業時期がずれ込んでいるようです。
2,000mで過ごす夜は寒い。
ジャスパー出発2日目。
スタートから一気に峠を下ります。
曇り空と標高のせいで空気が冷たい。
手袋をしてしっかりブレーキを握る。
昨日さんざん上ったぶん
高所から見下ろす谷間の景色が
最高に美しい。
“ロッキー山脈”の名の通り
無骨な岩肌が見渡す限り
どこまでも広がっている。
今日はリレーマラソンの大会だそうで、
たくさんのランナーが汗をたらし
激坂を上っていました。
対向車線側の路肩を走ってるんですが
そっちの方が安全なのだろうか。
この景色の中走るのは楽しいだろうな。
ちょうどお昼頃、
坂を下り切るとレストランを発見。
観光客でにぎわっております。
「ちょっと飲み物を」
と売店に向かうと、
ジュースが1缶¥550。
“だろうね、観光地だもんね”と
手ぶらで外へ。
ただでさえ円安で苦しいのに
こんなとこじゃ買い物できません。
レストランの良い匂いを嗅ぎつつ
インスタントラーメンをすする。
そして午後からは
昨日に続いてまたも
2,000mの峠越え。
傾斜は緩やかなものの
上り坂が30kmも
続いています。
午前中、空を覆っていた雲が流れ去り
太陽がさんさんと背中に照り付ける。
朝の出発時はあんなに寒かったのに…。
寒暖差が激しいだけでなく
標高も絶えず変わるので
どの服装が正しいのか分からない。
そして午後4時、峠の頂上へ。
標高2,069mは
カナディアンロッキーにおいて、
そしてカナダの旅路においての
最高到達点です。
あとはここから下るだけ。
夜寒いから少しでも標高を下げようと、
20kmほど進んだ先にキャンプ場を発見。
かなり混んでおり“どこか空いてないかな”
とキョロキョロしてると、
一人のおじさんが「ここに張れよ」と
招いてくれました。ラッキー。
ジャスパー出発3日目。
すでに山場となる2つの峠を越えており
ウイニングランの気分でのんびり漕ぎだします。
久しぶりのクマちゃん、13頭目。
かなり道路に近いですが
無心でタンポポを
頬張っているようです。
獣というにはあまりに可愛く
もはや黒いパンダ。
バンフまで50kmほどの所、
これまで走ってきたハイウェイと並行して
この時期限定の自転車専用道が
敷設されていました。
車もおらず静かな道を
気持ち良く進んでゆく。
バンフの町が近づくほどに
サイクリストが増えてきます。
ちょうど週末でもあり
数えきれないほどの人に
追い越されていく。
荷物なしでまた走りたいほど良い道。
ちょっと休憩していると
隣のほうから日本語が聞こえるではないか。
「日本の方ですか?」と
尋ねたのをきっかけに会話は盛り上がります。
“ジョンさん&ヒロミさん”ご夫婦はバンフ在住20年以上。
かつて日本人向けのツアーガイドをしていた夫のジョンさんも日本語ペラペラ。
なんやかんやと気づけば1時間近く道端で話し込みました。
(※ご本人の希望もあり写真は控えます)
夕食のお誘いを受けて、ご夫婦とは一度お別れ。
バンフの町に到着するとキャンプ場に向かいました。
テキパキとキャンプの準備をしますが、写真の通りテントが二つ。
実はバンフではある方と会う約束をしてたんです。
それが日本人サイクリストの中野亘さん。
過去にヨーロッパやアフリカを走破しており、
今回はカルガリーから北極海へ、
つまり僕のきたルートを逆へと旅されるそう。
偶然、時期も場所も近いということで
連絡を取り合っておりました。
一通りテントを整えると、中野さんと共に
中心部にお住まいの
“ジョンさん&ヒロミさん”宅へ。
晩御飯をごちそうになります。
久しぶりに話す日本語の会話が心地よく
楽しいひと時を過ごしました。
バンフ到着翌日は自転車を置いて
ゆっくり休むことに。
“トンネルマウンテン”に登れば町を一望できます。
午後からは町を散策。
ロッキー山脈のど真ん中に
バーやレストランなど賑やかな
お店が立ち並んでいます。
こないだまで一人ぼっちだったのに
周囲には人だらけ。
どうやら町にはラーメン屋さんまで
あるらしいとのことで
喜々としてやってきました。
その名も“ラーメン 嵐”。
日本人の方が経営されてるようです。
期待が高まる、よだれが垂れる。
看板メニューの“ブラック嵐ラーメン”。
とんこつをベースに黒ゴマのペースト
を加えることで濃厚さを増したスープ。
替え玉込みで24カナダドル。
美味しく食べるコツは
日本円に換算しないこと。
一日の終わりにはキャンプ場で
中野さんと遅くまで話し込みました。
海外を大陸規模で旅する
日本人サイクリストというのは
貴重な存在で、「そうそう!」と
互いの経験に激しく共感します。
偶然の出会いも含め、日本人の方々と
たっぷり時間を共にしたバンフでの滞在となりました。
カナディアンロッキーの景色をしっかりと心に焼き付けたら
いよいよカナダ最後の町・カルガリーに向かいます。
<訂正とお詫び>
前回のブログ“雨にうたれてジャスパーへ”にて、
「オスのムースを目撃した」と記述いたしました。
しかし、正しくは『ムース』ではなく『エルク』であることが判明しました。
混同してしまったムース様、エルク様および不快な思いをされた皆様に
心よりお詫び申し上げます。
2024.06.18
【61日目 3,830km】
現在、プリンスジョージを出発して
カナダ最後の都市・カルガリーを目指しています。
ただ平坦な道をのんびり進むわけではなく、
その途中に立ちはだかるのはロッキー山脈。
特に“ジャスパー”と“バンフ”
という二つの町は、
カナディアンロッキーの観光名所
として知られており
それらの町に立ち寄るのも楽しみにしつつ、
ペダルを漕ぎ始めました。
山脈の核心部に向かうにつれ
当然、標高も上がってきます。
斜度はそれほど急ではないけど
朝晩がまた一段と
冷え込むようになっています。
いつまでもジャケットが手放せない。
また1日のどこかで必ず
突然のにわか雨に降られています。
どしゃ降りとまでいかずとも
荷物は濡れるし、視界は悪いしで
とても大きなストレス。
今年はやはり降水量が多いそう。
夕方には付近で唯一の町
“マクブライド”に到着。
人口千人にも満たない
小さな町ですが、
最低限の補給はできるようで
助かります。
町のはずれに公園をみつけ
テントを張ることに。
“宿泊禁止”と書いてありましたが
地元の人曰く、
「誰も気にしないから寝ていいよ」
とのこと。
スーパーの品ぞろえが充実しており
なんやかんやと買ってしまいました。
南下してきたことで
新鮮な野菜も手に入りやすくなった。
ブロッコリーが¥200、
みかんが7個で¥400と悪くない。
アラスカ、ユーコンで
悩まされた食料調達も
ここからは大きく改善されそうです。
やはり北の大地で暮らすということは
何かと困難が付きまとうよう。
住むには南のあったかいトコが良い。
翌朝。
テントを片付けながら嫌な予感はしていたものの、
この日は旅立ち以来最悪といっていいほどの向かい風。
真正面から吹き付ける風は
ほとんど止む瞬間すらありません。
これから向かう山脈の方から
吹き下ろしているようなので
おそらく弱まることを望んでもムダ。
時速10kmでゆっくりと進んでいく。
加えて、やはり今日も
雨が降り始める。
もう漕ぐのやめようかなと
思っても、
雨風をしのげる場所すらない。
いやいやながら漕ぐしかない。
と思いきや、
次の瞬間には気持ち良く
青空が広がります。
雨が降ると気温も下がり
服の脱ぎ着が本当に面倒。
自然環境に翻弄されまくりです。
そして、また降り始める。
風だけでも辛いのに
体を濡らす雨が心から憎い。
たまたまロッジがあったので
しばし雨宿りをさせてもらうことに。
手が震えるほど、寒い…。
結局、予定の距離は走れず
70kmのあたりで
道路わきの休憩所にテントを
張ることに。
ここまで天候に悩まされることも
珍しい。
この休憩所、芝生がフカフカで
トイレもすごくきれいで
どこからかWi-Fiが飛んでくる、
という謎の最高キャンプスポットでした。
向かい風と雨に苦しんだ一日も、
最後には良いことが待っている。
そして、次の日。
前日の向かい風はどこへやら
穏やかな天候のもと朝から下り坂を気持ちよく
滑り降りていきます。
走りながら左手に見えるのは
“ロブソン山”。
多くの登山家が目指す名峰だそう。
雲がかかっているのは残念だけど
頂上付近の雪がかかった岸壁に
風格を感じます。
山脈の中へと入りこむにつれ
遠くに見えた雪山も
徐々にすぐそこまで
近づいてきています。
大きな坂もなく
割と平坦な道を気持ちよく進ます。
曇り空も、午後からは
気持ち良く晴れて
気温も上がってきました。
天気が良ければロッキー山脈の
美しさもより映えます。
空気も水も美味しく感じる。
よく見かけるのが
ビーバーの作ったダム。
周辺には前歯でガシガシ削った
木もたくさんあります。
でも肝心のビーバー本体を見ていない。
カナダを象徴する動物なのに。
そして午後3時頃、
ブリティッシュコロンビア州から
州境をまたいで“アルバータ州”へ。
ユーコン、BCに続く3つ目の州です。
時間も変わって時計を1時間進める。
日本との時差は15時間です。
ふと目の前に料金所が現れました。
ここからは国立公園内のため
滞在1日に着き¥1,200とのこと。
公園を抜けるのに6日は掛かるので
¥7,000あまり。
全く事前調査しておらずかなりショック。
そしてやってきました、
カナディアンロッキー1つ目の観光地“ジャスパー”。
建物も綺麗で、色んな国籍の人が練り歩いている
典型的な観光地でございます。
当然、町で野宿は禁止。
Warmshowerのホスト
“グレッグさん”宅にお世話になります。
娯楽としての自転車文化が根付く
北米ではオンラインコミュニティ
“Warmshower”が活発でとても助かる。
裏庭にテントを張らせてもらいます。
ただ、ホストのグレッグさん
多忙な方で外出も多く
滞在中ほとんどゆっくり話もできず。
ホント無料で泊めてもらうだけで
申し訳ない。
到着翌日は休養日にしてのんびり観光へ。
町から10kmほどの場所にある
“マリーンキャニオン”へ散策に出かけました。
数万年にわたって
川が削り出した渓谷は
深く鋭いゴツゴツとした
岩の彫刻作品のよう。
流れる水も澄み切って
傍を歩いていると癒されます。
野生動物の住処でもある
ジャスパー国立公園。
渓谷への道ではついに初めて
オスのムースを見ることが出来ました。
やはり普通のシカとは違う
神々しさがあります。
帰り道には
“ビッグホーンシープ”現る。
その名の通り
大きな角が印象的な羊です。
この辺りの個体は人に慣れてるのか
近づいても全然逃げない。
ジャスパーの町に戻ると中心部を散策。
ここに来るまで多くの人に
勧められたのが
“ベアパウズ(熊の手)・ベーカリー”。
「ジャスパー行ったら絶対食べて!」
と皆が言うので気になってました。
持ち帰って食べると
噂に違わぬ美味しさで、
シナモンロール(¥450)が
なかなかの絶品。
近くにあるとリピートしたくなる
一品でございます。
そしてついに、このジャスパーで
山火事前からの走行プランに復帰することができました!
かなりの遠回りでしたが、
その分違う景色も眺められたと満足しております。
カナディアンロッキーの綺麗な空気を吸って
疲れを癒したら、
さらに東へとペダルを漕ぎ始めます。
2024.06.14
【57日目 3,564km】
ガソリンスタンドでばったり会った
シャノンさんの歓迎を受けてひと晩。
朝起きると、手作りのグラノーラバーを用意してくれていました。
また一つ優しさを受け取って目的の街・プリンスジョージを目指します。
緩やかな起伏の続く16号線を
数日にわたって走ってきましたが、
やっとプリンスジョージに到着の日。
心地いい追い風を背中に受けて
青空のもと
快適に進んでいきます。
そして出発から4時間ほど、
お昼過ぎに70kmを走り切り
プリンスジョージ郊外にやってきました。
実はこの街には
何日も前から楽しみにしていた
場所があるんです。
それがこちら、「らぁめん屋 船頭」さん。
レネイさん宅で山火事避難生活を送っていた時に
Googleマップで見つけ、ずっと目をつけていました。
ついに、この時がやってきた…。
目の前に現れたるは“味噌ラーメン”。
深い大地の色をしたスープ。
触れずともその弾力を
感じさせるチャーシュー。
果てしない旅路のごとく細長い麵。
待ちに待ったふるさとの味、頂きます。
「走ってるときなに考えてるんですか?」
ってよく聞かれます。
そこで、“人はなぜ生きるのか”とか“本当の幸せとは何か”とか
そういう哲学的な答えを提供できるといいのですが、
実際は“ラーメン食べたい”と“牛丼食べたい”が日替わりで頭を駆け巡っています。
和食に限らずとも、そもそもまともなレストランすら無かったので
飢えに飢えて、よだれはダラダラ。
ここ数日はラーメンの事ばかり考えて走っていました。
“本当の幸せ”ってラーメンのことですよ。
会計時、日本人のご主人が
「がんばってね」と手渡してくれたのは
おにぎり。
一口かじるとおかかの旨味が
ほわっと広がりました。
異国で味わう日本の味は最高です。
満ち足りた心と胃袋に最高の満足を感じながら
プリンスジョージの中心部へ。
特段、見どころはないらしいのですが
ずっと森を走ってたので街の景色にほっとします。
まず向かったのは自転車屋さん。
アフリカ大陸を走り切った
前輪のタイヤにガタンガタンと
違和感を感じていたんです。
内側のワイヤーが切れているらしく
新品と交換してもらいました。
プリンスジョージでお世話になったのは
Warmshowerのホストファミリー、“ロブさん”ご一家。
この辺りによく見る平屋の可愛らしいお家。
ロブさん宅もそうですが、大体地下に広い部屋があるんですけどね。
奥さんの“ナタリーさん”と、
言葉はまだほとんど話せないけど
“ノー”だけははっきり言う
一歳半の“アーサーちゃん”。
ほのぼの家族タイムを
ご一緒させてもらいました。
ご飯もお世話になりました。
走行中はなかなか食べない
肉と野菜が嬉しい。
お刺身とかも大好きですけど
意外と食べたくならないです。
体が味の濃いものを求めている。
滞在中はほとんど雨で屋内で
パソコン作業するばかりでしたが、ゆっくり疲れを癒すことができました。
ロブさんご一家(※真ん中はお友達)、素敵な時間をありがとう。
プリンスジョージでひと休みすると、
東に向かって大都市・カルガリーを目指します。
カナダの旅路もあと2週間ほどだろうか。
引き続き16号線を真っすぐ。
プリンスジョージを少し離れると
交通量がぐっと減りました。
僕が走っているルートがそうなのか
カナダって本当に
人も車も少ないです。
シャロンさんがくれた
手作りシリアルバーが美味しい。
ていうか手作りできるものなんだ…。
北米旅はゲストハウスに泊まってないので
料理をする機会が少ないです。
たまには自分で思うように料理がしたい。
100kmほど走って道路わきにあったのは
原生林の保護地区。
ロブさんから聞いており、立ち寄ってみることにしました。
遊歩道を歩くと
背の高いスプルース(マツ)が
うっそうと広がっています。
さんざん森を眺めてきたけど
ここまでしっかり中に
踏み込むのは初めて。
あまり街らしい街をたくさん
通過しないまま
出国してしまいそうだけど、
この原始林こそがカナダらしい風景
なのかもしれない。
雄大な自然に圧倒されます。
原生林の入り口に東屋があったので、
そのままテントを
張らせてもらうことに。
水も手に入るし
いい野宿場所になりそうです。
屋根があるので雨でも安心。
プリンスジョージのスーパーにて
たっぷり買い物を済ませました。
どんどん充実していく調味料たち。
ただ食べて終わりでなく、
楽しく美味しいキャンプ飯が
長旅の秘訣です。
ターメリックなどの香辛料を加えることで
クスクスが、より本場・北アフリカに味に近づきつつあります。
昔から大っ嫌いだったレーズンもクスクスに入れると
美味しく食べられることが判明。
至高のクスクスを求める旅、まだまだ続きます。
2024.06.11
【53日目 3,341km】
スミザーズを出発すると、16号線を東に走り始めます。
ここからひとまず目標にするのは“プリンスジョージ”という大きな街。
郊外には自転車専用道もあり、
このあたりが
しっかりと管理された街であることがわかります。
道路脇には初めてビニールハウスが。
ここまで畑も何もありませんでした。
玉ねぎが1玉¥300もしたのは
円安だけでなく、
作物のできない地理的な要因も
かなり大きいように感じます。
ランチはヨーロッパあたりでも
お世話になった
インスタントマッシュポテト。
1袋¥150ほど。
香辛料で味整えれば
飽きずに美味しく食べられます。
町が増え便利になったぶん
景色は一層退屈になりました。
動物注意の看板も見るけど
出てきそうな雰囲気はありません。
道路わきで草を食べる
ブラックベアが恋しい。
途中の町ではじめて
セブンイレブンを発見。
マツダ車まで停まってると
まるで日本と変わらない風景。
というか、もともとこっちの店なので
日本がアメリカナイズされてるだけか。
最近、胃袋が大きくなっているのか
食欲が爆発して困っております。
そこに町があればつい何か買ってしまう。
ホットドッグとジュースで¥800、高い。
経済的にも健康的にも宜しくない。
自粛せねば…。
100kmほど走って
「トップリー」の町に到着。
野宿できるところはないかと
きょろきょろ探すと、
道路わきに休憩スペースを見つけ
テント泊をすることに。
スミザーズで買い物したので食料は充実。
モロッコでよく食べた“クスクス”を入手。
今までなんで作ってこなかったんだろう、
というほど簡単で美味しい。
キャンプ飯のレギュラーメンバーに抜擢です。
これは日本帰っても食べ続けたい。
スミザーズ出発2日目。
明け方からポツポツ降っていた雨がいつまでも
止む気配がない。
はぁ、と重い腰を上げて出発準備をします。
雨の勢いが収まらない上に
割と長めの上り坂。
地面から跳ね上がる泥に汚れながら
無心でペダルを漕いでいく。
プリンスジョージまでは
あと3日ほどか。
昼頃にやっと
気持ち良く晴れてくれました。
ちょうど上り坂も走り終え
快適な気分で坂を下り始める。
地元の人曰く、これからしばらくは
毎日雨模様とのこと。
昼過ぎに“バーンズレイク”という
町に到着。
町に着くと油断して
つい何か食べようとしてしまうので
我慢、我慢。
無駄使い禁止。
朝とうって変わって
午後からはスカっと晴れた青空のもと
平坦な道をスムーズに駆け抜けていきます。
調子がいい時は平均速度25km/hほど。
スピードに乗って走り抜けると
やっぱり気持ちがいい。
行動食にとスーパーで買った
バナナチップとダークチョコ。
美味しすぎて一気に食べてしまい
行動食として適さないことが発覚。
安くてお腹膨れて
あまり美味しくないことが大事です。
勢いにのり120kmをはしり
“フレーザーレイク”に到着。
毎日のように町があると
本当に気持ちに余裕ができます。
ただ、これが続くと
旅が退屈になる気がする。
湖のほとりに
とてもきれいに管理された
無料のキャンプ場がありました。
青々とした芝生もあり
間違いなく
気持ち良く寝られるはず。
前日に引き続きクスクス。
パスタの一種なので
どんな味付けも合います。
調味料を充実させて
バリエーションを増やすのが楽しみ。
いやぁ、良いものに出会えた。
スミザーズ出発3日目。
朝から天気が良く、道も穏やかな様子。
50kmほど走り
昼には「バンダーフーフ」という
小さな町に到着。
プリンスジョージまでは
150kmほどでしょうか、
順調に進んでいます。
町をまっすぐ抜けて
15kmほど進んだところ。
時間的にはまだまだ走れますが
今日は約束があって
寄らなきゃいけない
所があるんです。
国道を横にそれると
森の奥へと続く小道が。
本当にここであってるのか、
と不安になりつつも
ゆっくりペダルを
漕ぎ進めてみることに。
小道を1kmほど進むと三角形の可愛らしいお家を発見。
「ワン、ワン」と元気の良い犬の鳴き声が聞こえていました。
ガチャっと、玄関を開けて出てきた女性は
“シャノンさん”。
4日前、スミザーズの手前の
ガソリンスタンドでの休憩中に
声をかけてくれたシャノンさん。
「何日か走ったら私の家の前を
通るはずだから、ぜひ泊まってって!」
とお誘い頂いておりました。
二人そろって公立高校の
先生だというシャノンさんご夫婦。
自転車がお好きだそうで
僕を見て声を掛けずに
いられなくなったのだとか。
本当にありがたいです。
晩御飯は旦那さんが狩ってきた
鹿肉のトルティーヤ。
新鮮なシャキシャキ野菜の食感も最高で、
遠慮もなく食べまくってしまいました。
がっついてしまって
ホント、お恥ずかしい…。
野宿時が質素な食事ばかりということもあってか、
高たんぱくで栄養価の高いものをたくさん食べると
夜眠れないということが、貧乏旅において多々あります。
多分、胃がビックリしてるんでしょうけど
「年のせいかな…?」
とか考えながら、悶々としたままベッドで起きてました。
年かな…。
2024.06.6
【50日目 3,042km】
山火事を避けやってきた「ハイウェイ37」も、いよいよ終盤。
ここを走り切り、別の国道に合流すると
いっきに人も町も増えるとのこと。
メジアディンのモーテルを出発し、今日も走り始めます。
ここ数日全く雨の降らない日が
ほとんどなく、
一日のどこかで雨に濡れています。
道が湿るとゆっくり腰を
落ち着けるところが
なくなるから嫌だ。
休憩中に前方からやってきたのはベルギー人
サイクリスト「フランソワ」さん。
10年近く世界を自転車で旅しているそう。
今回はメキシコから北上しており
僕とは真逆に走っているとのこと。
ルートの情報共有をします。
生粋の自転車好きであるフランソワさんは
毎日140kmも走るそう。
僕は大体100km前後ですが、
ここしばらく刺激が少ないので
今日はちょっと長めに
走ってみることにする。
15時頃、またもや向こうから
やってきたのはスペイン人サイクリスト
「セルジ」さん。
僕が旅のゴールとしている
アルゼンチン・ウシュアイアから
16ヵ月かけてやってきたのだとか。
北米旅においては
ほとんどサイクリストと会ってなかったのに
ここに来て連続で遭遇しております。
珍しい存在だけに
言葉以上に分かり合える気がする。
たまには誰かとキャンプもしてみたいな。
ベルギーのフランソワさんに触発され
予定以上の130kmを走破した19時頃。
ギタンヨーという小さな集落に到着。
当初は森の中でのテント泊を
予定してたので、
小さな商店があるのがとても嬉しい。
自転車でアンカレッジから来たことに
感心してくれた店のお兄さんが
「何か注文しなよ。ごちそうするから」
と嬉しい一言。
チキンフライとポテト…。茶色い。
深い森の集落に新鮮な野菜などありません。
そのままお店の横に
テントを張らせてもらいます。
Wi-Fiも届くし、
トイレ使って良いらしいし、
地味に最高なキャンプスポット
となりました。
翌朝。
今日はここ数日走ってきたハイウェイ37の最終日。
8時過ぎに少しウキウキして走り始めます。
そしてスタートから
20kmばかり走った所、
16号線との合流地点。
ひとつの節目としていた場所に
たどり着くことができました。
「やっとここまで来れたんだ」
この地点はただ道路が合流すること
以上の意味を持っていました。
16号線を東に向かうのですが
ここから先は
多くの町があり
多くの人が暮らしているんです。
つまりアラスカから永遠とも思われるほどに
続いてきた針葉樹林帯の終わり。
国としての“カナダ”が味わえるのはこれからなのかもしれません。
缶詰とポテトチップスしか手に入らない集落や
目の前に川があるのに凍って水が手に入らない
なんてこともおそらく無くなるはず。
北の大自然も素晴らしいのですが、来る時期が早かったばかりに
モノが手に入らない日々が苦しかったんです…。
町が続くとまた大自然が恋しくなるんだろうけども。
お祝いに
曲がり角のガソリンスタンドにて
ピザとコーラ。(¥500)
円安の影響も
カナダにいる内は若干マイルドです。
またアメリカに入るのが怖くて怖くて…。
写真では伝わりにくいかも知れませんが
道路が広くきれいに、
そして交通量も増えました。
起伏はあるもののこれまでに比べて
急なアップダウンは少ないです。
のんびりと気持ちにも余裕が出てくる。
数百kmにひとつしか集落がなかったのに
ちょっと走るだけで
いくつもの町を通り抜けます。
残りの食料もさほど気にしなくて
いいので嬉しい。
どこにでもスーパーがあります。
100kmほど走ったこの日、
ウィットセットという町で
キャンプ場に泊まりました。
値段は¥2500。
町に来ると野宿場所を探すのが
大変になりそう。
続いて翌日。
本当は休養日に充てようと思っていたのですが、
少し進んだ先に大きな街があるようなので
ちょっとだけ進むことにします。
本来は1週間に1~2日ほど
走らない日をもうけて
写真整理したり本読んだりしたいですが
何もない深い森が続いていたので
進むしかないという状況でした。
旅はのんびりがいいに決まってる。
30kmほど走って着いたのは「スミザーズ」。
お店もいっぱいあって
ここで色々なものが揃えられそうです。
町に着いてすぐ向かったのは
インド料理屋さん。
とにかくハンバーガーと揚げ物以外で
お腹を満たしたい。
和食じゃなくてもアジアの食べ物は
血管まで深く浸みわたる。
町の外れに、綺麗で
雰囲気の良いキャンプ場を発見。
まだお昼過ぎだけど
ゆっくり休むことにします。
これでもうちょっと暖かくなったら
最高なんだけどな。
隣にテントを張っていた皆さんと一緒にディナー。
なんと彼ら消防士で、僕も大きな影響を受けた
フォートネルソンの山火事の応援に行っていたそう。
ちなみにまだ道路は封鎖中らしいです。
大自然から少しずつ文明の中へ、
引き続き進んでいきます。
2024.06.2
【47日目 2,762km】
ただ今、山火事を迂回して“ハイウェイ37”を走行中。
地域で一番大きな町「ディーズレイク」を出発します。
町にはスーパーがあるので、出発前にここで買い物をしておく。
アラスカ出発から一か月余り。
道中どんなモノを食べているのかご紹介してみます。
主食のミニットライス(アルファ米)。
熱湯を注いで5分待つだけの
要はインスタントライスです。
700g(7日分程度)で¥900。
次のアメリカまでは
お世話になりそうな予感。
たんぱく源のツナ缶。
パスタでもライスでも
入れておけば食べ応えが増します。
1缶¥350ほど。
味のバリエーション豊富なので
日替わりで試してます。
お昼に食べがちなのは“サッポロ一番”。
1袋¥150くらい。
どこにでも置いています。
基本、具は玉ねぎだけ。
大きい街に着いたら
本当に美味しいラーメン食べてやる。
走行中につまむ行動食は
その都度あるものを買いますが
この時はバナナとデーツ(ナツメグ)。
デーツはユーラシア、アフリカと
どこでもお世話になってきました。
375gで¥600。
物価が高いからこそ、
安く実現可能なレシピを探そうと張り切っていましたが、
ここまでしっかりしたスーパー自体が少なく
あまりバリエーションは増えておりません。
カナダ南部~アメリカにかけてはもっと
美味しく安いレシピを見つけてみせる。
買い物を済ませると「ディーズレイク」を出発。
この日は大きな峠を二つ越える行程。
気合を入れて走り出します。
ドライバー達が
「この先はすごい上りだぞ」
というからビビってましたが、
いざ上るとそうでもない。
車と自転車では
道の見え方がちょっと違うんです。
思いのほか順調に
峠を越えることが出来ました。
休む町がなく毎日漕いでると
脚が強くなっていってしまう。
本当はもっと観光もしつつ
のんびり進みたいのに。
二つの峠を越えた夕方
「イスカット」という集落に到着。
小さな商店がありました。
ただ、今朝しっかり買い物を
済ませているので買うものが無い。
のぞくだけのぞいてみる。
中に入るとレストランまでありました。
今朝たっぷり買い物を済ませたのに
結局贅沢をしてしまう。
ポークの煮物が¥2,000あまり。
高いけど、どこで何を食べても
これくらいです。
さらに10kmほど走って
湖のほとりにテントを張る。
そういえばハイウェイ37に入って
熊を見ていません。
このあたりはいないのだろうか、
安心して眠らせてもらいます。
やけに冷え込むと思っていたら
雹が降り始めました。
とにかく日毎の寒暖差が激しい。
もう凍えて眠ることはないと
思っていたのに。
おそらく氷点下であろう…。
ディーズレイク出発2日目。
朝から身を切るような寒さです。
バッグの奥にしまった手袋をまた取り出して走り始める。
山や湖の間をつっきる
ハイウェイ37。
平坦な道が続くことは少なく、
常に上るか下るか。
なかなかスピードに
乗ることが出来ない。
休憩中に出会ったご夫婦。
「私、地元に日本人の友達がいるのよ。
彼女と英会話の練習をしたりするの」
と嬉しそうに話す奥さん。
“あぁ、そうなんだね”と
ここまではホントによくある会話でした…
ただ、続く奥さんの言葉にビックリ。
「その友達、日本で歌手活動してるのよ。“UA”っていうんだけど、あなた知ってる?」
いやいや知ってるも何も、とんでもないビッグネームでございます。
UAさん、カナダに家を買って日本と往復しながら暮らされているそうです。
(※ご本人も公表されています。)
久しぶりにクマちゃん登場。
休憩所のトイレを覗いておられます。
トイレから出てきてこの距離で
クマいたら心臓止まるだろうな。
向こうが逃げることが圧倒的に
多いみたいですが。
少し走るとまたクマちゃん。
足元の草を食みながら
こちらをじっと見てきます。
冬眠明けだし、新芽出てるしで
とにかく遭遇率高いです。
8頭目。
夕方、道路わきの休憩所にて
テントを張る。
風を避けるために
キャンピングカーの横で寝ます。
交通量もさほど多くないので
音も気になりません。
夕食はミニットライス。
野菜ブイヨンにツナと玉ねぎ、
すっかり体が旅モードになってるので
食欲がとても旺盛でございます。
常に何か食べてたいほど
いっつも腹ペコ。
ディーズレイク出発3日目。
写真の真ん中の黒い点がお分かりでしょうか。
ブラックベアは本当に毛並みが真っ黒なので、
遠くからでもすぐに発見できます。
さらに近くにも出現、10頭目。
というか自転車に鈴ぶら下げて
チリンチリン鳴らしてるんですが
全然逃げないではないか。
カナダ北部ではクマを避けて
旅することはできないようです。
天気は良いけども景色は変わらない。
カナダの針葉樹林帯は
世界の森林面積の10%を占めるそう。
自転車で走るとよくわかるそのスケール。
アラスカから一か月以上走り続けても
とにかく森が途切れることが無いんです。
100kmを走ってこの日も
道路わきの休憩所にてテント泊。
芝生もあって良い場所じゃんと
スヤスヤ眠りましたが、
後に知らない所で他人に迷惑を
かけていたことを知ります。
ディーズレイク出発4日目。
朝から緩やかな上り坂をゆっくりゆっくり
進んでいきます。
そして2時間ほど走り30km進んだ地点でのことでした。
後ろからやってきたパトカーに
停められました。
「キミひょっとして昨夜、
道路横の休憩所で野宿してた?」
警察に話しかけられるとヒヤリとします。
「うん、してたけども…。」
聞けば、昨夜未明
置いてある自転車を目撃したあるドライバーが
“何もない森のなかに自転車がポツンとあるのはおかしい、事件だ!”
と通報したのだとか。
(暗くて、横に張ってあるテントが見えなかったそう。)
駆け付けたお巡りさんが、自転車の持ち主を探して
この辺りを何往復もしたのだとか。
「何事も無いなら良かったよ。では気を付けて!」と
パトカーは去っていきました。
なんか、ごめんなさい…。
昼前には“メジアディン”という
集落に到着。
延々と続く深い森を走ることで
心も疲れています。
この日はモーテルに泊ることに、
束の間の休息。
¥10,000くらいだけど、この辺りでは安い方。
部屋を見てみるとすごく簡易的。
観光客よりも、道路工事の作業員たちのための施設のようです。
早く森を走り切って人の住むところに行きたい…。
2024.05.30
【43日目 2,422km】
レネイさん宅でお世話になること1週間。
再び彼らのトラックの後部座席に揺られています。
山火事は収まる様子を見せず、どうやら道路は
1~2週間の内には開きそうもないことが分かりました。
僕が2週間前に通過したワトソンレイクに夫妻が買い出しに行くというので、
一緒に乗っけてもらい遠回りして
ワトソンレイクから自転車を漕いで南下することに決めたのです。
自転車乗りとして一番嫌なのが“来た道を戻る”という行為。
これまでの努力が水の泡になった気がするし、
「一度見た景色なんか見たかねぇやい」って気分です。
ひょっとしたら道路が開くかもなんて期待もあり
ひとつのギャンブルではありましたが、
せっかく海外まで旅に出たのにただ待つだけの日々を送る
というのも気が進まず、決心しました。
道中にはやはりブラックベアが。
遠くから見ると可愛らしいですが
車で近くから見ると
やはり迫力があります。
でも、彼ら見た目に似合わず
タンポポとか草を食べるんですよ。
300kmあまり走って
ワトソンレイクに到着。
二番目に近い街が300kmって
どんだけ町が無いのか…。
さんざん一緒にご飯を食べたけど
このランチがいよいよ最後です。
買い物を済ませると、ついに彼らと別れ
走り出す時が来ました。
偶然通りかかっただけなのに、本当に優しくもてなして頂きました。
今回の旅でこんなにも長い時間を共にする人は
ひょっとしてもういないかもしれません。
レネイさん、クリスティーナさん、本当にありがとう。
手を振りながら去る二人を見送ると
一気に寂しくなりました。
これから走るのは“ハイウェイ37”という道路。
平常時は交通量が少なく、道も狭くあまり整備されてないそう。
曇り空だし、なんか心細いんですけど。
しばらく進むと、
辺りは焼け焦げた森でした。
今回の火事とは別に
数年前にこの辺りも
ひどく燃えたそうです。
かなり広い範囲が焼け野原。
60km走った夕方。
川辺に無料のキャンプサイトを
発見し、テントを張る。
しばらくベッドで寝てたのに
テント張るとすぐアウトドアモード
入れちゃうから不思議です。
レネイさんおすすめの
インスタントライスが絶品。
もう少し南下したら
スーパーが増えるので
キャンプ飯のバリエーションを
増やしていこう。
再出発2日目、この日は朝から雨。
基本ネットも通じないし、
天気予報をチェックする習慣がありません。
そういえばこんなもの持ってた
とバッグ用のレインカバーを初使用。
小屋の一つもあれば
雨宿りしたいけど、
何もない森が続けば
ただ前進するしかありません。
昼に小さな集落に到着。
郵便局の前で
ラーメン休憩です。
体も濡れて、雲もかかって
一気に冷え込む。
春はまだなのか…。
すると、午後から噓のように
綺麗に晴れ渡りました。
思えば今のところ
カナダでは終日雨というのは
経験していません。
日本が雨多いのか…。
午後4時頃。道路わきに
カフェを見つけ休んでいると、
あっという間に雲がかかり
今度は雹(ひょう)が。
なんだか今日は
情緒不安定な空模様。
そして数十分で
また綺麗に晴れ渡る。
もう全く予想ができません。
ただ、どんな悪天候も
どうやら一時的なので
あまり気にせずに進んでいこう。
今日も川辺に丁度いい場所を
見つけてテントを張る。
人が少なくて良いのは
どこでもキャンプができるということ。
アメリカ入ったらどこでもって
ワケにはいかないだろうな。
再出発3日目。
今日はどうやら天気が良いみたい。
何日も変わらない景色をまた走り出す。
寒暖差が激しく
なんとも言えないですが、
暖かい日は暖かいです(当たり前)。
まっすぐ南に下りているので
1日でも早く半袖で走れる日が
来ることに期待。
100kmばかり走って
「ディーズレイク」に到着。
ハイウェイ37では最も大きい町
らしいけど、大したことはありません。
無限に続く森が若干
ストレスになりつつある…。
シャワーを浴びたかったので
初めてキャンプ場に泊まりました。
¥2,000ほどで
ヨーロッパと同じくらいかな。
熊の心配をせずに
夜中ぐっすり眠れるだけでメリット。
フォートネルソンの山火事を受け、
一時はどうなることかと思いましたが
何とか再び前に進み始めることができました。
遠回りするのが億劫だったけど、
やっぱり走ってる日々の方が楽しい。
少し時間はロスしたけど焦らず進んでいきます。
2024.05.26
【38日目 2,178km】
火事に燃えるフォートネルソンの手前で
レネイさん&クリスティーナさん夫婦に救助され、
火災現場から200km離れた田舎の集落“トードリバー”に滞在中。
当初、「翌朝には多少落ち着いて通過できるようになるでしょ」と
思っていたものの、
随時更新される情報をチェックしていても
被害状況は広まるばかり。
火の手は徐々に町の中心部へと近づき
住民避難の最後通告がなされるなど、まさに非常事態の様相。
レネイさん達もご近所さんと朝からそわそわ話をしており、
この地域の人も決して慣れているわけではないご様子。
多くの方の日常が脅かされており、
旅が滞っている僕のモヤモヤなんてちっぽけなものです。
レナイさん達と色々お話をする中で衝撃的だったのは
「ゾンビ・ファイア」なるものの存在。
BBQ後の木炭が消えたと見えて実はくすぶっているように、
消火したとされる火事が雪の下で微かに燃え残ったまま冬を越し、
湿度が下がり気温の上がる春の時期に再び大きく燃え始めることがあるそう。
乾燥がひどく自然火災の多い北米大陸西部に起こりうる現象だそうです。
今回のフォートネルソンの件も、
もともと2か所で“ゾンビ・ファイア”が確認されており
そこに人間の過失が加わり一気に燃え出した可能性が高いとのこと。
そもそも“一つの町が燃える”なんてことが
日本人の感覚からすると想像を超えてるわけですが、
「へぇ、まだまだ知らないことがあるんだねぇ」と呑気に感心しております。
“一つ町が封鎖されたなら
ちょっと避けて通ればいいじゃん”という話なのですが、
ここもだいぶ日本と事情が違うところでして。
世界第二位の面積を誇りながらも、人口は3000万人ほどのカナダ。
特に北部は人口密度がとても低いんです。
となると町の数が少なく、そのぶん道路もシンプル。
日本のように網目状にはなっておらず
一か所が閉じるともうほとんど動けない。
さらに先に目指している南の町に向かって遠回りするとなれば
1,500km、つまり日本の本州ほどの距離を
進む必要があるわけでございます。
それで、どうにも困っているわけでございます。
“ひょっとしたら1週間近く道路が封鎖されたままかも…”
ということで、
庭に停めてあったRV(キャンピングカー)を開放してもらいました。
庭もデカいし、車もデカい。
電源、Wi-Fiもバッチリ、
写真整理やブログの更新も
のんびりできそう。
ご夫婦は引退したら
このキャンピングカーで
ヨーロッパを旅するのが夢だそう。
もちろんベッドも完備。
クリスティーナさんが丁寧に
ベッドメイキングまでしてくれました。
下手なホテルよりずっと良い。
避難生活が長引くと
テント生活が嫌になっちゃいそう…。
夫のゴリ…、レナイさんは大工で
週末は家の周りで色々とDIYをしています。
クリスティーナさんは先生で、
家のすぐ隣にある全児童6人の小学校で授業をしています。
「1週間も一緒にいたら
俺たち大親友になれるな!」
とレナイさん。
大親友どころか大恩人でございます。
本当に素敵な人に
助けてもらうことができました。
家庭の食事は料理好きの
レナイさんが担当。
お礼に何か僕からも
ごちそうをと思いつつも
町が封鎖されて
買い出しに行けないのがもどかしい…。
せっかくここまで調子よく走ってきたのに…。
乾燥がひどくて顔パリッパリになるし。
何日も経てば、やることも無くなるし。
毎晩ベッドは気持ち良いし。
レナイさんの作ったチーズケーキ美味しいし。
2匹の大型犬めちゃめちゃ可愛いし。
Wi-Fi調子良くて動画見放題だし。
読めてなかった本たっぷり読めるし。
避難生活さいこ…、
いや、一日も早く火事が収まりますように。
2024.05.24
【35日目 2,178km】
温泉で心も体もリフレッシュした翌朝。
次に目指す町“フォートネルソン”までは320km、
ここから3日あれば着けるはず。
のんびりと朝食を済ませるとまたペダルを漕ぎ始めます。
リアドホットスプリングスを出発すると
ほどなく山岳地帯に突入。
このあたりは“カナディアンロッキー”
とも言われ、
北米大陸を5,000kmにも渡って貫く
ロッキー山脈の北部の起点です。
この日、朝から悩まされたのは
真正面から吹き付ける向かい風。
ペダルを踏みこむ足がすごく重たい…。
この強風が結果として、
翌日に訪れる“予想だにしない展開”の
一因となります。
道の両側を山が挟んでおり
風向きが変わることがありません。
南から吹き上げる風は絶え間なく、
休憩中も吹きさらされながら
バーナーでインスタントラーメンを
作ります。
標高400mほどの温泉地から
最高1,200mまで上る行程。
勾配がキツくはないですが、
アップダウンを繰り返すのが
精神的に答えます。
上っては下りを繰り返すのが辛い。
標高1,000mに近づくと景勝地でもある
“マンチョレイク”を通過。
湖面は凍っており、
脇の道路を走ると寒いです。
疲労と曇り空も相まって
心細い気持ちになる…。
ふと道に現れたのは、この地域にしか
生息しない「ストーンシープ」。
くるんと曲がった角が特徴です。
自転車のハンドルもくるんと
曲がってるので仲間だと思ったのか、
全く逃げるそぶりを見せない。
19時頃、やっと
この日の最高地点1,200mに到達。
結局向かい風が止むことは
ほとんどなく、
終日必死にペダルを踏みこんでいました。
そして下り坂を一気に下る。
坂をひと通り下って、
茂みの中にテントを張る。
あまり良い場所でもないけど、
疲れ果てたこの日は
もっといい場所なんて
探す余力もありません。
温泉を出発して2日目。
明日には“フォートネルソン”に着けるはず。
町には中華レストランもあるらしく、
「グフフ…」と妄想しヨダレを垂らしながら走り始めます。
平坦な道を2時間ほど走ったあたりで
“トードリバー”という集落に到着。
ロッジ兼レストランがあり
クラブハウスサンドを注文してしまう。
この“トードリバー”、思わぬ形で
忘れられない場所になります。
昨日、南に向いていた道路が
大きく曲がり今日は東向きに。
おかげで前日から吹き続ける
強風が追い風になってくれました。
誰かに背中を押してもらっていると
感じるほど力強い風です。
立ちはだかるのは前日を越える
標高1300mの峠。
ただ、やはり傾斜は緩やかで
時間さえかければ着実に上っていけます。
頂上付近の景色は本当に美しい。
写真を撮りつつ、のんびり進む。
夕方17時にサミットレイクという
峠を越えると、20kmにも及ぶ
長い下り坂が待っていました。
対向車もほとんどおらず
気持ち良く風を切って下ります。
峠の後のご褒美が最高。
そして、坂を下り切った夕方18時前。
僕は地元の方の運転する車の後部座席にちょこんと座っておりました。
実はこの数分前、僕は予想すらしていない出来事に
巻き込まれ始めていたんです。
標高1300mの峠を下り切り、「このあたりでテント張ろうかしら」と
道端できょろきょろしていた時のこと。
60代のご夫婦が乗った1台の車が前方からやってきました。
そして、僕のそばで停まった車からご主人が顔を出してひと言。
「フォートネルソン・イズ・オン・ファイア」(フォートネルソンが燃えてる)
町が燃えてる?ん?ん?どゆこと?
まさに言葉通りなのですが、理解が追い付きません。
落ち着いて彼らとやり取りをすると、
町の付近で発生した山火事が原因で道路が封鎖され、これ以上は進めないということ。
そして町へと買い出しに向っていた彼らも引き返しているところでした。
「もう先へは進めない。ここでキャンプは熊が出るからダメだ。
キミの選択肢は引き返す以外にない」
急に言われても、せっかく今日走った100kmの道のりを引き返すなんて
すぐには決心できません。
「いいから乗るんだ。俺たちの家の近くまで送るから」
ということで、荷台に自転車と荷物を載せると
彼らの家のある“トードリバー”、
つまり朝クラブハウスサンドを食べた集落まで引き返すことに。
レネイさん&クリスティーナさんご夫婦は
町へ向かう道中で僕のことを見かけており、火事だと分かったとたんに
“あのサイクリストを助けなきゃ”と思ってくれたそう。
「でも、これからどうすりゃいいのか」と
答えが出ないまま後部座席で揺られます。
そして、6時間かけて走った道のりをたったの1時間で戻ってしまいました。
「また明日、道路が通れそうなら送るから」ということで
彼らの庭にテントを張らせていただくことに。
ところがレナイさん宅でニュースをチェックすると、
強風の影響で火事は発生からものすごい早さで燃え広がり、
全住人3,000人あまりに避難指示が出ていることが分かりました。
「こりゃぁ、すぐには道路開かないな」とレネイさん。
どうやら火事からの避難生活、ちょっとのあいだ続いてしまいそうです。
はぁ、どうしよう…。