2025.02.14
【303日目 16,792km】
首都サンティアゴでは休養と観光で3日間の滞在。
砂漠での疲れもしっかり癒すと、
次なる目的地である
チリ南部の都市「プエルトモント」を目指します。
ここからの距離は1,000kmということで
間に一日休みを挟んで10日前後で付きたいところ。
チリを代表する2都市間を進む
ということで、
その旅路は主に交通量の多い
高速道路を走ることになります。
綺麗に整備され路肩も広いので
逆に安全。
そしてお腹が減ったり
休憩したい時は
高速を降りて小さな町へ。
料金所もしれっと通過できます。
北部の砂漠と違い
ここからは集落も増えるよう。
サンティアゴの街中で
はじめて飲んだ時は
そんなに感動しなかったけど、
30℃の炎天下で走った後には
「モテ・コン・ウエシージョ」の
甘さと冷たさが体に染み渡ります。
120kmを走り切ったこの日の夕方6時頃。
高速道路脇にトラックドライバー向けの休憩所がありました。
トイレに行こうと思ったら、中には監視員さんがいて
トイレのみならず温水シャワーや飲料水まで完備。
しかもWiFiまで付いてるんです。
ということでテント泊のお願い。
設置を許してもらえたのは
ふわっふわの芝生の上。
水もあって、ネット環境もあって
この世の全てを手にしたかのような
最高の野営地となりました。
夕食は道中の町で買っておいた
エンパナダ。
ひき肉とタマネギたっぷりの
具が美味しい総菜パンです。
旧ソビエト圏のピロシキにも似てて、
持ち運べるので旅にはピッタリ。
サンティアゴ出発2日目。
今日も高速道路の脇を黙々と漕ぎ進めていきます。
首都サンティアゴ以北から変わったのは
緑の多さ。
とうもろこしや小麦、果物の木など
広大な畑にすくすくと育っています。
チリの産業や経済なども
南部に集中しているということだろうか。
なかなかいいタイミングで
集落が現れず、
仕方なく路肩のフードトラックで
買ったホットドッグが¥900。
補給や休憩もルートの下調べをして
計画的にやらなければ。
嬉しいのがここ数百kmに渡り
起伏がほとんどないこと。
若干向かい風が多いけども
平坦ならばぐいぐいと
漕ぎ進めることが出来ます。
気持ち良いほどに距離を稼いでいく。
そして前日同様、120kmを走った所で
今日も高速の休憩所へ。
水の心配をしなくていいってだけで
かなり野宿が楽になります。
「向こうに張ってね」と指示されたのは
監視員さんのいる建物から
少し離れた芝生の上。
さすがに電波届かないな、
と思いきや今日もWiFiバッチリ。
チリ高速道路の旅、実に快適です。
テントを張り終えひと段落、
というところで
遠くから声を掛けてくれたのは
こちらのお父さん。
差し入れに
スイカとタマネギを頂きました。
たとえ冷えてなくても
甘くみずみずしいスイカは
疲れた体が喜びます。
夢中でかぶりついてしまいました。
でも、さすがに半玉でギブアップ。
近くに座ってた方にも差し上げました。
サンティアゴ出発3日目、
目を覚ますと綺麗な朝焼け。
薄く広がる雲が良い模様になっています。
大きな坂がないことで
予想よりも早く進めています。
また海から距離があるおかげか
向かい風もさほど強くない。
南米走行でここまでストレスフリー
な道は初めてじゃなかろうか。
一方で、日中は黙々と走り
夜は休憩所でテントを張ってると
あまりに単調に旅が進んでしまう。
ただこの先のスケジュール的に
今はさくさくと南下して
おきたいところ。
昼には「サン・ハビエル」の
町に到着。
田舎の小さな町でも
綺麗に整って
あまりゴミゴミしていないのも
他の南米諸国とは違う。
日に日にチリ名物
「モテ・コン・ウエシージョ」
に魅了されていく。
小麦のおかげで
ランチ代わりとは言わないまでも
多少お腹が膨れるのも良いところ。
今日も順調に走り終え
夕方には休憩エリアへ。
3日連続で120kmと
とてもスムーズに前進してます。
そしてこの休憩所もいい間隔で
待ち受けてくれている。
今日も柔らかい芝生の上にテントを張らせてもらう。
テント泊続きなのに、毎日温かいシャワーを浴びられています。
もはや無料のキャンプ場。
ただ昨日までの休憩所と運営会社が違うらしく、
ここはWiFi無し。
困るじゃないか、まったく…。
ただピクニックテーブルの近くには
コンセントがあります。
ここぞとばかりにあらゆるものを
満タンにさせてもらう。
貰えるものはしっかり貰うタイプ。
もちろん許可頂いとります。
夕食は久しぶりのクスクス。
屋台メシの充実していた南米ですが
ここからは自炊も増えてくるはず。
ちょっと手間だけど、
これが毎日続くと
面倒にも感じないんですよね。
サンティアゴ出発4日目、
朝から近くでゴソゴソ音がすると思ってテントを明けると
そこには一匹の犬。
あまりに人懐っこく、ずっとじゃれあっていたせいで
出発が20分遅れてしまいました。
困るじゃないか、まったく。
今日も変わらない景色を
まっすぐひた走っていく。
サンティアゴ出発直後は
30℃を越えて暑かったけど、
南に進むにつれその暑さも
和らいでいるように感じます。
昼頃に高速を降りて
休憩するのもいつものパターン。
「ヘネラル・クルス」という
町の中心部へ向かい
今日も“アレ”を
探すことにします。
人で賑わうエリアには
必ず“モテ”の屋台があります。
気付けばここ数日ですっかり虜。
チリを象徴する飲み物と言われる
由縁が分かってきました。
なんせ暑い時期にぴったりなんです。
聞けば、ほぼすべての場合
屋台で売ってる方が
自宅で作っているのだそう。
お手製だけあって
砂糖やシナモンの分量はまちまちで、
その微妙な違いも分かってきました。
120kmというのがスタンダードになっている
とても順調なここ数日。
今日はちょうど良い場所に休憩エリアが無く
夕方は野宿場所を求め「ヘネラル・クルス」という集落へ。
集落に入ってすぐに声を掛けてくれたのは、とある夫婦。
「水はある?家そこだからちょっとおいで」
付いていった先のお家では、
ペットボトル入りの水の他にいろいろなモノを勧められます。
「ジュースもあるよ。パンも持ってって。
ここでご飯食べてく?
ていうか、もう泊ってく?」
お昼にBBQをしていたようで
こんがり焼かれた
チキンにビーフをご馳走になりました。
しばらく簡易的な食事が続いたから
こんなに食べ応えあるものに
ありつけるのが嬉しい。
こちらはチリの食卓に欠かせないという
定番ソース「ペブレ」。
お酢ベースに刻みタマネギ、
唐辛子、パクチーが入った
パンチのある一品。
辛みよりも酸味が強いです。
お酢とパクチーのクセが強いので
地元でも好き嫌いが別れるのだとか。
肉と相性が良いですが、
食材に直接かけるのではなく
おかずを飲み込んだ後に
スプーンで一杯口に運ぶのが正しい味わい方だそうです。
さっぱりとして夏にぴったりの味でした。
お言葉に甘えて
敷地内にテントを張らせてもらう。
シャワーもお借りして、
予想もしない展開で
快適な寝床を
確保してしまいました。
夏休みなうえに
奥さんのジェシカさんの誕生日
だったらしく、ご近所さんも一緒に
長い夏の夜を楽しみます。
南米はどこでも爆音で
音楽を流す。
高速道路に沿って走ることで
円滑ながらも単調な日々が続いた中、
チリの日常が垣間見える素敵な出会いに恵まれました。
2025.02.9
【299日目 16,307km】
首都サンティアゴまでいよいよ200km。
チリ入国以来走り続けてきたアタカマ砂漠の旅も
ようやく終わりが見えてきました。
砂漠を越え気候が変わりつつあるのか
このあたりから朝の曇り空が
パタリと無くなりました。
しかもサンティアゴに近づくにつれ
坂も減っていってるので
気持ち良く漕ぎ進めることが出来てます。
それと同時に気温も
少しずつ上がっているように
感じてます。
南下して赤道から
離れているはずなのに。
日中は25℃くらいでしょうか。
お昼過ぎ、南米大陸では初めてとなる
トンネルに差し掛かりました。
ただ高速道路を2kmも進む
長さということで自転車は走行禁止。
トラックに載せてもらうか
周り道をしなければなりません。
トラックがつかまりそうもなく
仕方なく遠回りをしようとしたところ
あるドライバーさんが
声を掛けてくれました。
50kgにも及ぶ自転車を
二人で荷台に抱えて載せる。
10分ほどでトラックは
あっという間にトンネルの反対側へ。
どうしようか、と思いましたが
無事に乗り越えることが出来ました。
ドライバーのカミーロさん、
ありがとう!
サンティアゴに向け道は
内陸へと曲がります。
そのぶん山も多いと思いきや
道路はどこまでも平坦。
嬉しい誤算に
ペダルを漕ぐ足にも力が入る。
野宿をするための十分な水が無いことに気付き
気が付けば道はなにもない荒野へ。
何とか集落へたどり着こうと夜8時過ぎまで
ペダルを漕ぎ続け、ようやく道路脇に食堂を発見。
店主のヴェロニカ&ロベルトさんご夫婦
にテント泊の許可ももらい、
翌朝お店で売るための
パンを焼く作業のお手伝い。
お店の横にある大きな石窯で
次々と焼いていきます。
そのまま店内で焼きたての
パンを食べさせてもらうことに。
近くの村で作られたという
ヤギのチーズと一緒に食べると
もちもちのパンがさらに美味しい。
チリのパンは絶品です。
風を避ける小屋の横に
テントを張らせてもらう。
良い場所に寝られると思いきや、
夜中にご夫婦の飼ってる犬が
近くに寄ってきて
ワンワンと30分くらい吠えてきました。
翌朝、出発前にお二人と記念写真を撮ろうと思ったのに
いつまでも起きてこない。
お店開けなくていいんだろうか…。
残念だけどもう出発しなくては、
昨夜のうちに撮っておけばよかった。
数週間に渡って目指し続けた
サンティアゴまでわずか80km。
やっぱり逐一見所がないと
長期の旅は辛いです。
この3週間はホントに
ただ進むばかりだった…。
南米の都市はどれも
高台にあると思っていたけど
サンティアゴの周辺は
本当にどこまでも平坦。
思いの外スムーズに
都心部までたどり着けそうです。
サンティアゴまでわずか10km。
徐々に大型の小売店や
道路の高架なども現れ
都市空間の片鱗が見えつつあります。
たった数日前とは
全然違う風景。
街の中心部に近づく際には
川沿いの遊歩道を走ります。
こんな綺麗にデザインされた道を
走ること自体、南米では初めてだ。
道沿いに植えられた樹から
漏れる日が美しい。
そびえる高層ビルに
立体交差する道路。
人口550万人を擁する都市とあって
かなり近代的で
人も車も慌ただしく
行き交っています。
そして、ついに到着しました
チリの首都・サンティアゴ!
入国からおよそ3週間、
周辺に町の少ない高速道路ばかりを走ってたことで
半ばモチベーションを失いかけ、
ただ機械の様にペダルを漕ぐだけの日もありましたが、
久しぶりの大都市に気分が高まっております。
まずは宿に向かうのですが、
2日ほど前に予約したはずの所が
カード決済処理が上手くできていない
と言われ、予約できてませんでした。
モヤモヤしつつも地元の人に聞きつつ
飛び込みで別のゲストハウスへ。
ささっと荷物を部屋に移し
5日ぶりのシャワーを浴びたら
近くのラーメン屋へ。
大都市に着いたら
まず一番にラーメン屋を探すという
謎のルーティンが出来上がってます。
到着翌日はさっそく市内の観光へ。
大都市サンティアゴといえども
観光客が訪れる見所は、昨日到着してすぐに向かった
中心部の「アルマス広場」周辺に集約されています。
まず最も目立つ建物
「サンティアゴ大聖堂」へ。
およそ500年の歴史を持つ
風格のある建築は
入植してきたスペインの影響を
大きく感じさせます。
色々な捉え方が出来るだろうけど、
世界中のあらゆる土地において
共通の文化圏を築き上げてきた
キリスト教の力は凄いと感じます。
人類って宗教なしでは
発展できなかったんだろうな。
他にも広場の四方は
歴史的建造物が取り囲んでおり、
こちらは100年以上の歴史を持つ
中央郵便局。
大地震にも耐えてきた
頑丈な作りです。
広場から数百m離れたところにあるのは
大統領官邸の「モネダ宮殿」。
現役の官邸ということで、周囲に賑やかさは無く
荘厳な様子が漂います。
50年前、クーデターにより
社会主義政権が転覆した際、
当時の大統領が
ここで自害したということで、
チリ民主化の歴史においても
大きな意味を持つ場所です。
街を散策する中で、気になるのがこちらのドリンク。
そこらじゅうの屋台で売られています。
名前は「モテ・コン・ウエシージョ」と言って、
桃を砂糖とシナモンで煮出した甘い飲み物です。
これまでのペルー、ボリビアでも似たような
コンポート系の飲み物はありましたが、
特徴的なのが底に沈んだ粒。
実はこれ、殻付きの小麦でございます。
キンキンに冷えたコンポートを飲みつつ、
スプーンで小麦をすくって食べる
というのがこの飲み物の味わい方。
小麦とコンポートの組み合わせが
何とも不思議ですが、夏の風物詩であり
チリを代表するソウルフードだそうです。
滞在2日目に向かったのは
宿からすぐ近くにある山、
「サンクリストバルの丘」。
サンティアゴの街には
ポコポコと小さな山が
いくつか点在してます。
小さいとはいえ高さは
300mほどあり傾斜も急。
自転車乗らない日は
なるべく体力使いたくないけど、
一応観光スポットは網羅しておきたい。
気温は30℃ほどでじわっと汗をかきます。
頂上まで歩くと
大きなマリア像が立っていました。
日光が眩しいし
どう撮っても逆光になるけど
それがまた神々しさを
演出してます。
頂上からの景色がコチラ。
高層マンションがいくつも建ち並ぶ様子は圧巻で、
これまで走ってきた砂漠の景色とはかけ離れています。
海まで100km以上離れているので
どのみち太平洋は見えないのですが、
真夏の昼間ということで空気はかすんで遠くまで
はっきりとは見渡すことができません。
加えて、人口が密集しているサンティアゴは
大気汚染も深刻なようでより空気を濁らせてしまってるのだとか。
こちらはアルマス広場からも
ほど近い中央市場。
チリ入国からそれほど多くの
町を通過してないので
市場というもの自体
チリでは初めて見ることに。
中を覗くと
魚介専門の市場だったようで
魚や貝などがズラリ。
場所によっては市場って
生臭さがヒドいんですが、
ここは新鮮なのかそんなこともなく。
ということでまた食べてしまいました
ラ・セレナの街で虜になった「パイラマリーナ」。
熱々のスープに溶け込んだ魚介の旨味が溜まりません。
チリで美味しいものを食べようと思ったら
やっぱり海鮮になるんだろうな。
これから南下していくのが楽しみ。
さらに観光だけでなく
これから旅の終盤に突入する前に
自転車のメンテナンスをすべく、宿の近くのバイクショップへ。
ギアの変速がスムーズにいかないのが
気になってたのですが、
細かいパーツの取り換えや
ワイヤーの張替えが必要だということに。
アラスカから1万5千kmも走れば
何かとガタもきます。
という感じで、砂漠の疲れを癒しつつ
首都サンティアゴでの3日間の滞在を満喫。
美味しいグルメも堪能しつつ、
柔らかいベッドで横になりつつ、
砂漠の疲れもしっかり癒すことが出来ました。
2025.02.5
【293日目 16,109km】
チリの首都サンティアゴを目指して南下中。
ラ・セレナの街で2日間の休養をして
再びペダルを漕ぎ始めます。
ここからサンティアゴまでは500km足らず。
5日間あれば到着できるはず。
出発した後にも続く都市を見渡して
改めてラ・セレナが
割と大きな街であったことに気付く。
高層ビルや綺麗な住宅が並ぶ様子は
ペルー、ボリビアと眺めた来た
南米の様子とは一味違う。
海沿いを走る高速道路から
右手を見下ろすと
優雅なビーチリゾートが。
おそらくチリだけでなく
各国の富裕層が訪れるんだろうな。
海も建物もすごく綺麗です。
そして例に漏れず
今日も午後から強い風が吹き始める。
目に見えない障害に苦戦してるからか
チリに入国してからとにかく
疲労がスゴイです。
風と戦い続けている。
やはり夜は食堂へ。
もっと地元の人と積極的に
関わろうと思うのですが、
そもそも村が無く食堂しかないので
食事をしてテント泊のお願い、という
パターンが固定してしまっている。
この日は豚のソテーと
スパゲッティ。
すごく美味しいワケじゃないんだけど
1日走り切った後の肉は
やっぱり体に染みます。
素朴でシンプルなお味。
南から吹き上げる風がやまず
場所選びに苦戦するも、
給水塔の陰に
テントを張らせてもらうことに。
風さえなければ食堂横じゃなくても
テント泊できるんだけど…。
ラ・セレナ出発2日目。
朝食は街で買っておいたパンに
チリの定番キャラメルクリームを塗る。
宿にいるときはパンをレンジで温めるんですが、
それがもう美味しくて美味しくて。
朝って大体気分が高揚するんですが、
さすがに絶景も無く
ただ進むだけの日が続きすぎて
ワクワクみたいなものが
無くなってしまっている。
でも安全のために気は抜いちゃダメだ。
ウインドミルの群れを見ると
ゾッとしてしまう。
これが回転しはじめるまえに
この地帯を抜け出さなければ。
もはや強風恐怖症です。
追い風ならいいのに。
海沿いを走るここ数日アップダウンは激しいのですが
今日は特に上りが多い。
汗をかきながらやっと上り終えたと思えば
はるか向こうに次の峠が見える。
体力と同時にメンタルも疲弊してくる。
勾配が急になる場所では
自転車を降りて押しながら、
なるべく止まらないように
少しずつでも進んでいく。
同じ景色ばかり繰り返すのも
やはり辛い…。
夕方、家族連れの車が
わざわざ停まってくれて
エナジードリンクを貰いました。
こんなちょっとしたことで
元気が湧いてくるから
人の優しさってありがたい。
疲れ果てお腹もすいた夜7時頃。
反対車線側に一軒の食堂を発見。
今日は80km程度しか走れてないけど、
そろそろここまでにしておくことに。
少し先に陸橋があり、向こう側へと渡ります。
注文したのは白身魚のフライ。
身が柔らかくて美味しいです。
付け合わせの野菜があるんだけど
いつもイモとトマトばかりで
緑が無いのが残念。
わがままでごめんなさい…。
旅の話で一緒に盛り上がったのは
近くの席で食べていたトラックドライバーの“ホルヘさん”。
アラスカから来たことに感激してくれ
「俺のおごりだ!コーラも飲んでいいぜ!」
と振る舞ってくださいました。
ありがたや。
今日は上りに苦しみ
遅くまで走ったけれど、
人の温もりに触れたことで
気持ち良く眠りにつくことが出来ました。
やっぱり旅は人だなぁ、と
人の少ない砂漠の中でこそ強く感じる。
ラ・セレナ出発3日目。
食堂には看板犬に別れを告げて今日も出発です。
時に人的被害すらもたらすピットブル、
激しい愛情表現でなついてくれました。
ちょっとブサイクなところも可愛いですよね。
昨夜食堂にて
ごちそうしてくれたホルヘさん曰く、
昨日で最も起伏の激しいエリアは
走り切ったはずとのこと。
厚い雲の下
ゆるやかな坂をくだっていきます。
「エンテラウケン」という小さな町を過ぎたところで
ある食べ物屋さんに到着。
グーグルマップでたまたま見つけたのですが
ここを通り過ぎる人たちは皆立ち寄るのだとか。
お店の名物は“チーズエンパナダ”。
ラテン文化圏で広く食べられる
具入りのパイ“エンパナダ”ですが
このお店のチーズが
たっぷり入ったものが
大人気なんだそう。
熱々のエンパナダをかじると
中にはとろけるチーズがぎっしり。
ただのチーズパイでしょと思ったけど
これは予想以上に美味しかった。
そして1つ¥600ほどと
予想以上に高かった。
天気の良くなる午後には
波が打ち寄せる海岸線へ。
地球の裏側の日本まで
この大海原が続くんだから
太平洋ってホントに大きいよなぁ
としみじみ感じる。
ガソリンスタンドで声を掛けてくれたのは
おそろいのホンダのバイクでツーリング中の
“ロドリゴさん&ホルヘさん”。
ジュースとホットドッグを
ご馳走してくれました。
首都サンティアゴが近づくにつれ
交通量も増え、
人と接する機会も
少しずつ増えている気がします。
昨日までの上下に
うねり続ける道が噓のように
まっ平らになりはじめました。
時速20km近い早さで
漕いでいけるのが気持ちいい。
自転車は押すのでなく漕ぐもの。
夕方6時、高速道路脇の
ガソリンスタンドへ。
ファストフードやトイレなども
充実していてとても綺麗です。
しかもWiFiも完備だから
つい長居してしまう。
ガソリンスタンドの敷地の隅に
人目を避ける場所を見つけ、
そのままテントを張ることに。
サンティアゴまではいよいよ200km。
2025.02.1
【291日目 15,826km】
チリの首都サンティアゴを目指しアタカマ砂漠を南下中。
チャニャラルという海辺の町を出発してから、
走り続けて4日目です。
道路脇の食堂で夜を明かし、
今日も強風の吹き始める前にテントを片付け走り始める。
サンティアゴまではおよそ700kmほど。
高速道路の路肩を走るばかりで
なかなか変わった景色も無いのが
アタカマ旅の寂しい所。
大きな街もそれほどなく
疲れはするものの
淡々と日々進んでます。
この日はかなり上り坂の多い行程。
傾斜は決して急ではないものの、
どこまでも続く上り坂を
ゆっくりゆっくりと漕いでいきます。
そして、午後は雲一つない青空が
果てしなく広がる。
世界を巡るサイクリストの間でも
見所の少ないアタカマ砂漠は
バスなどでスキップする人も居るよう。
でもせっかくだから
地続きで旅を進めていきたい、と
せっせとペダルを漕いでるワケです。
夕方には大きな峠に差し掛かり
ここから一気にくだっていく。
風も強いので
どこでも野宿が出来るわけでは
ありません。
目指す場所までは何とか進まねば。
夜7時前に予定していた食堂に到着。
例のごとく、
テントのお願いをするため
まずは先に食事を済ませます。
魚のフライの身がほわっほわで
レモンを絞ると美味しい。
ウェイトレスさんに確認し
無事テントを張れることに。
ちなみに8時半でこの明るさです。
9時過ぎるまで暗くはなりません。
やっぱりチリの時刻設定は
間違ってると思う。
チャニャラル出発5日目。
今日はいつにも増して朝の雲が厚い。
それによって気温も低い。
ジャケットを着こんで坂をくだっていきます。
風と戦い続けているからか、
連続走行5日目にもなると
疲れがどっと出てきました。
いつもはこんなことないのに
砂漠で水を節約していることも
関係あるのかしら。
道路脇の食堂で早めのランチ。
ビフテキはこのあたりの定番ですが
どこで食べても肉が固い。
隣国アルゼンチンの牛肉は
世界的に評価が高いので
今から楽しみです。
昼を過ぎて晴れだした頃に
数日振りの太平洋を拝みました。
日によってはそれほど
気温が上がらないからか
遠くのビーチには
海水浴客の姿は見えません。
海を眺めてのんびり走ろうにも
海岸には崖が多く
道路も常にアップダウン。
疲労の蓄積もあって
途中からはペダルを漕ぐ元気も無く
押しながら進んでいきました。
そして、午後3時。
チャニャラルの町から5日間の走行を経て
「ラ・セレナ」という街に到着しました。
サンティアゴまでの中継地点ということで
ここでひと休みしていくことに。
早速、宿を訪ね歩くと
祝日と重なったようでどこも満室。
「宝石の道」走破した後の
サンペドロを思い出します。
7軒目でようやく空き室を見つけ
ベッドにダイブ。
人口20万人にも達する“ラ・セレナ”の街。
チリ入国3週間目にしてようやく
“街”といえるような街に着いた気がします。
海辺の観光地であると同時に
チリ北部では大きな経済都市でもあるそう。
とはいいつつも、外国人がわざわざ立ち寄るほど
有名な観光スポットがあるわけでもないので
のんびり雰囲気だけ味わってみることに。
入植したスペイン人によって
作られた街の歴史は500年ほどで
チリ国内では2番目に古い街だそう。
街の規模にしては多い
29もの教会が点在するのも
ラ・セレナの特徴です。
街のシンボルとなっているのは。
ビーチにある灯台。
特に古い歴史があるわけでもないけど
シンプルなデザインの建築が
遠くからでも目を惹きます。
白い壁面が青空にマッチ。
ビーチが少し奥まった
湾になっていることから
ここではたくさんの人が泳いでいました。
どうにも小石が多くて、
白い砂が続く気持ちの良いビーチ
というわけではないですけど…。
到着翌日のランチに向かったのは
南米大陸では初めてとなる
マクドナルド。
ペルー、ボリビアでは見かけませんでした。
ただ街に着いてすぐに向かうのが
マックとは、我ながら寂しい…。
セットにナゲットを付けると
¥1,500ほどに。
チリ独自のバーガーもあったけど
それらはセットで¥2,000ほど。
チリの物価は往々にして
日本よりも高いです。
もちろんせっかくなので
チリならではのグルメも堪能しようと
リサーチをして
宿の近くのレストランにやって来ました。
ついにチリの食文化を
たっぷり満喫する時が来た。
それがこちらの「コンプレト」。
パンにソーセージを挟み、刻みタマネギとトマトを加え
最後にドンとワカモレ(アボカド)とマヨネーズを塗りたくった
チリ版“ホットドッグ”です。
これまでもホットドッグの屋台はよく見たのですが、
ネットで調べたところ、まさかコレがチリグルメの一つでした。
「え?これ名物なの??」と思いつつも注文。
気になるお味はというと、もうただのホットドッグ。
そして、南米のマヨネーズって酸味が全然なくて、
“もったり”とした味なんです。
さらに中のソーセージも美味しいかと言われるとそうでもなく
加工肉感がすごくて、肉汁は一滴も溢れません。
うーん…。
砂漠走行中に期待していたのが
街でのグルメだっただけに、
さすがにホットドッグでは
満足するはずもなく。
街の中心にある市場の周辺で
さらなるグルメを探し求めます。
強引な客引きに負けて入ったレストランで注文したのは
「パイラマリーナ」。
熱々の土鍋(パイラ)に注がれているのは海鮮スープ。
煮えたぎっているのでテーブルに置かれてすぐだと
スープ全体が泡を吹いています。
少し冷めた頃を見計らって
一口食べた瞬間、
口いっぱいに広がる貝の旨味。
スープを飲みすすめると
これでもかとゴロゴロ
貝やエビが姿を現します。
何度スプーンですくっても飽きることない
豊かな海の味。
気が付けば夢中で食べ、あっという間に完食してしまいました。
これだけふんだんに海産物が使われているので
当然値段はそれなりですが…。(1杯¥2,000!)
あまりにも美味しかったので
チリ滞在中はリピート確定です。
あぁ、美味しかった。
2025.01.28
【287日目 15,600km】
チリ入国と同時に突入した
アタカマ砂漠の旅が思った以上に過酷で
疲労感もそれなりのもの。
たどり着いた「チャニャラル」の町では
2日間の休養を取ることにしました。
滞在先のゲストハウス。
ペルー、ボリビアより物価は上がり
個室で1泊¥3,000。
ただ移動中は毎日野宿で無料なので
休みの日はためらわず
一人部屋をとるようにしてます。
確認せずとも
Wifiは完備されてるし、
シャワーからお湯は出るし、で
まだ大きな街ではないにせよ
チリがいかに整った国なのか
よく分かります。
海沿いとはいえ
人口も少ない小さな町・チャニャラル。
リゾート感は全くないし
漁港ならではの賑わいみたいなのも
ほとんどありません。
なんだか寂しい…。
そんな町でちょっとテンションが上がったのがスーパー。
南米大陸3カ国目にして劇的に品揃えがよくなり、
アメリカ・カナダで見てきたブランドもラインナップされてます。
そしてペルー、ボリビアでは
探しても無かった
「クスクス」まで発見。
物価高で自炊ばかりだった
北米旅を支えてくれたアイテムです。
迷わず3袋購入。
夕食は町の食堂へ。
これはペルー、ボリビアと変わらない
白身魚のフライなんですが、
物価はグッと上がって
何を頼んでも¥1,000ほど。
そのぶん特に美味しいわけでもなく。
¥300以下で1食を済ませられた
ここ数カ月とは全く別の世界。
ここからは北米の様に
自炊を中心に旅を進めていく必要がありそうです。
2日間の滞在を終え、体力も回復。
引き続き首都サンティアゴを目指して南へ走り始めます。
サンティアゴまでおよそ1,000km。
しばらくは海に沿って道が続いており
久しぶりの太平洋を眺めながら
走っていきます。
この日は雲が厚く
どんよりしてることもあって
さほど綺麗ではないのが残念。
休憩中の野良犬。
“だるまさんがころんだ”の
ごとく、振り向くたびに
こちらに近づいてきました。
そんな目で見つめてこないで。
仕方ないからパンの切れ端をあげる。
正午を過ぎると
空を覆っていた雲が流れ
一気に青空が広がりました。
同時に海も青く輝き始め
眺める景色も綺麗に。
気持ちの良いコーストライン。
バス停一つでも
こんなしっかりしたものが建って
チリは綺麗だなぁ、なんて
感心しながら休憩させてもらいます。
道路にヒビも無いし
確かに“南米のヨーロッパ”だ。
午後になってしばらくすると
再び海を離れ内陸方面へ。
核心部は終えたようだけれど
もうしばらくアタカマ砂漠を
出たり入ったりしながら
道は続いていくようです。
予定以上の130kmを走った夕方6時。
道路脇にレストランを発見。
高速道路の脇にはこうしたトラックドライバー向けの食堂が
一定間隔で現れてくれます。
すでにチリ入国から
2週間近くたちますが
料理の方向性は
ペルー、ボリビアとは
大きく違わないみたい。
シンプルに焼く、揚げるが多いです。
嬉しかったのが食後、
店主のお母さんに声を掛け会計をしようとした時でした。
「ここよくサイクリスト通るのよ。
応援してるからお金は要らないわ!」
そしてそのままお店の横に
テントを張らせてもらうことに。
ドライバーさん達からも
水をよく貰うし、
チリに来て人の温もりを
一段と感じるようになりました。
チニャラル出発2日目。
スクランブルエッグを食べて今日もスタート。
夕食をごちそうしてくれた店主マルシアさんと
記念に写真が撮りたかったけど
まだ寝ているらしくお店にはおらず。
今日も変わらず高速道路の脇を
ひた走って行きます。
チャニャラル以降、
午前中の空は
必ず曇った状態です。
暑くもなく寒くもなくちょうど良い。
ここからおよそ
200km続く砂漠地帯に突入。
またか、という気分だけど
まぁ2日間で走りきれる距離なので
黙々と漕いでいこう。
同じ景色が続きます。
しばらく大きな見所がないだけに
寄り道もせず
どのみち真っ直ぐ走るだけなんだけど、
道路脇にお店もなにもないので
ちょっとだけ心細い。
砂漠の景色にももう飽きてます。
すると12時を回った時点で異変が。
真っ正面から強烈な向かい風が吹きはじめたんです。
ほんの数日前に苦しんだばかりなのに
砂漠にはコレがあることを忘れてた…。
目的の食堂は60kmほど先、
それまでは何もないことが予想される。
ということで今日のところは
進むのを止めといて、
20km戻った街に滞在することに。
風を考慮して
もっと朝早くから
行動をはじめておくべきだった。
「コピアポ」という街には
割りとたくさんの宿があり、
すんなりと泊まれる部屋を
見つけることが出来ました。
¥2000ほどで安いし
延泊したいくらい快適な宿です。
しかし風ひとつで
その日の走行を中止するのも
かなり珍しいです。
南米大陸も南下するにつれ
どんどん強風地域が増えるらしいので
ちょっと不安。
そして翌日、チャニャラル出発3日目。
朝7時には宿を発ちました。
ここ数日の様子を伺うに、
日の出が7時前で、日没が21時頃。
太陽が真上にのぼるのも13時頃だし
チリの時刻って1時間ずれ込んでる感じがします。
朝は曇って、
午後からは曇一つない快晴。
律儀なほどこのパターンを守る
ここ何日かの天気。
この日は曇りというより
雲の中を走ってる様な気分。
しばらくひんやりとした
モヤの中を進むと、
墓地が現れました。
視界の悪さも相まって
非常に怪しげな雰囲気。
お墓は1人に1つみたいです。
昼食はスーパーで買っておいたパン。
ヨーロッパからの影響が大きいチリ。
その恩恵を受けてか
パンがかなり美味しいんです。
小さな町でも歩くと
小麦の良い香りがするほど。
あいかわらず起伏の多い
アタカマ砂漠の道。
午後3時にもなると
日差しは暑くなり
汗をかきながら
必死にペダルを踏み込んでいく。
夕方6時、
この日もやはり道路脇の食堂へ。
まずは食事をして
「あのぅ…、実はお願いが…。」
とテント泊のお願いをするのがお決まりになりつつある。
アメリカの田舎にある
ダイナー(食堂)のように
飾り気はないんだけど
小綺麗に整えられたチリの食堂。
夜も7時頃から作業着を着た
ドライバーさん達で賑わいます。
「カスエラ」という
牛肉と野菜のスープ。
ペルーでもよく食べたけど
疲れた体に嬉しい1品。
やはり値段は¥1000近く
テント泊お願いするための必要経費。
という風に
似た景色、似た行動パターンを繰り返しながら
首都サンティアゴへの距離を縮めています。
2025.01.24
【282日目 15,253km】
ボリビアから宝石の道を越え、チリに入国。
北部に広がるアタカマ砂漠を南下し
首都サンティアゴを目指しています。
アタカマ砂漠を走り始めて4日目。
毎日ペダルを漕ぎ続けるけど
とにかく周辺に街が無い。
物資が補給できないうえに
午後から吹き荒れる風のせいで
朝早く行動しなければいけない。
ボリビアの終盤は苦しみながらも
宝石の道を走り切ったことに清々しさを感じており
ここからはのんびり期間が続くだろうという
根拠のない予想をしていたけれど、
それはあっさり裏切られました。
ここまで風が強いことは
予想外だったにしても、
街が少ないことは
地図を確認すれば分かったはず。
見込みの甘さにより
食料の買い込みも不足気味です。
80kmほど走ったこの日の午後4時前、
想定していなかった場所に食堂が現れる。
この先、風が避けられる場所もないかもだし
ちょっと早いけどここにテントを張らせてもらうことに。
思えばまともな食堂に
立ち寄るのはチリで初めて。
ただシンプルなスープと
鶏肉を焼いたものがだけだったので
まだチリの食文化というものが
分かっていない。
ためらうことなく
テントを張る許可を下さった
“ウェンディさん”ご一家。
砂漠のど真ん中で
こんなのんびりした
レストランに出会えてよかった。
ちなみに食堂内で付いていたテレビの画面を見て、
ボリビアから時刻が1時間ズレていることを知りました。
もう入国から1週間経つというのに
人との関りも少なく砂漠を走るばかりで全然気づかなかった…。
アタカマ砂漠走行5日目。
食堂で朝食をご馳走になり今日も走り始めます。
空気がひんやりとして
風も無い朝の砂漠は
走っていて本当に気持ちが良い。
ただ、こんな時間は
せいぜい最初の1時間で
景色も変わらず進んでる気もしない。
走行開始から1時間弱ほど走ったところで
道路の脇に地面から、うにゅっと突き出る大きな手を発見。
こちらはアタカマ砂漠のちょっとした見所となっている
その名も「砂漠の手(マノ・デ・デシエルト)」
という彫刻作品。
アタカマ砂漠の象徴として、
さらにはかつての独裁政権に
よる被害者を弔うため、
約30年前に製作されたそう。
何もない砂漠の途中で
異様な存在感を放っていました。
この日は斜度がゆるいながらも
獲得標高は1,000mに及ぶ行程。
幸いここ数日に比べると
風がほとんど吹かないおかげで
されほど苦しむことなく
漕ぎ続けることができています。
道端に“食堂”と書かれた小屋を
発見するけども
残念ながら鍵が掛かってました。
“肉が食べられる!”と期待したけど
いつもどおりクッキーなどの行動食で
お腹をごまかすしかなさそう。
気温は25℃くらいだろう
と思うけど、
雲一つなく太陽に
照らされ続けることで
体力を奪われる。
見つけたバス停でしばし休憩。
気付けば水も残り少なくなっており
やむを得ず、走行中のトラックを止め
せがんでしまう。
幸い1台目で停まってくれた
ドライバーさんが快く
ペットボトル一杯に注いでくれました。
前後数十kmに渡って
水の一滴も補給できる場所などないことを、
トラックの運ちゃん達は誰よりもよく知ってくれている。
数日前にはたくさんの差し入れを頂いたし、
チリのトラックドライバー達は
とても好意的に助けてくださいます。
そして夕方5時過ぎ、
前日に続くパンク。
連日ということはタイヤに問題か
と疑ったけれど
新たなトゲが刺さっていました。
チリの高速、多いです。
少しずつ日も傾き、
どこか風をかわせる場所は無いかと探しても
辺りには本当に何もないので
道路から百mほど離れたあたりでテントを張る。
この時は運が良く、ここ数日ではありえないほど
風が弱かったので無事寝床に着くことができました。
アタカマ砂漠走行6日目。
今日も午後の風が怖いので
太陽が上ると同時に走行スタート。
あたりには無数のウインドミル。
このあたりも
風が強い地域と聞いていたので
朝のうちに走り抜けておきたかった。
今は風が弱いどころか
優しい追い風が背中を押してくれるほど。
2時間ほど走った所で
ドライバー向けの食堂を発見。
まだ時間も少し早いけど
何か人の温もりがこもったものを
食べたいので寄ることに。
砂漠に疲れてるんです。
ランチには早い時間だったので
食べれたのは
ハムエッグとパンだけ。
それでも美味しかった。
ただの炒り卵なんだけど
一口ずつ味わって食べる。
すると食事中、しつこく話しかけてくる運ちゃんが。
ぶっきらぼうな話し方と強いアクセントで
ほぼ何を言ってるか分からなかったのですが、
どうやら「オレがおごってやる!」と言ってくれてるよう。
ありがとうアレックさん、
人生で一番おいしいスクランブルエッグでした。
昨日、標高を上げたぶん
今日は下り基調なんだけど
やはり午後からは風が強まるせいで
それほど速くは進めない。
力んでも無駄なので
辛抱強くじっと漕ぎ続けていく。
そして夕方4時、またも道路脇に食堂を見つけました。
本当に砂漠の中のオアシスのよう。
まずは駆け込んで冷たいコーラを流し込む。
お願いしたところ
すんなりとテントを張る許可を
もらうことができました。
地面も平らで整ってるし
風を防ぐ方向に建物があるし
完璧なキャンプ地です。
ランチでも夕食でも
だいたい千円弱ほどと
決して安くはないチリの食事事情。
それでも疲れ切った体には
肉が染み込みます。
この固い牛肉ですら美味しかった。
アタカマ砂漠走行7日目。
今日には小さな町に到着できるはず。
早くシャワーも浴びたい…。
南米大陸の東側沿岸に
細長く伸びるチリの土地。
夏を迎える1月は
陸地の気温が高まることで
広大な太平洋からの空気が
一気に流れ込んでくるそうです。
この日は正午前から
すでに風が吹きはじめてきました。
上りも多い行程だったので
どのみちゆっくりなんだけど
毎日吹きさらされて疲労困憊。
もう好きにして…。
1日に1回はこんな食堂が
道路脇に現れてくれるので、
助かっています。
朝と夜はテントで調理できるけど
日中の移動中は
できるだけ手軽に食事を済ませたい。
さほどお腹が空いていないので
スープだけでささっと済ませる。
いまだに
チリ食文化の核心を突かない
微妙なチョイスをしていると
我ながら思います。
午後からも止まない風の中
ゆっくりと進み続け、
標高800mの峠に到着。
ここから海側に下りていけば
およそ1週間ぶりとなる
町にたどり着けるはず。
そして峠の向こう
最後の10kmが辛かった。
気持ちよく進めそうな下り坂なのに
この3日間ほどで
最も強い向かい風に吹かれる。
だから、もう好きにして…。
そして夕方6時、
サンペドロの町から7日間走り続けた果てに
ようやく海沿いの街「チャニャラル」に到着!
日々、風と戦い続けたことで
もう脚がガクガク。
しばらくここで休むことにします。
2025.01.20
【278日目 14,820km】
「宝石の道」を走り終え、ボリビアも出国。
さらに2国間の緩衝地帯を5km進んだところに
次なる国・チリへの入国審査がありました。
パスポートチェックとX線検査を
終わらせると、あっという間に越境。
国境を越えると同時に
アスファルトで綺麗に整えられた
公道に合流。
およそ一週間に及んだ
砂の道との戦いも
ここで終わりとなります。
4,500mの高所に位置する
宝石の道から脱出して
はじめの町へ向かうには、
標高を2,000mも
下げていきます。
はるか下の地平線が霞んでいる。
2時間以上にも渡って
ペダルをほとんど漕ぐことなく
一気に駆け下りていく。
時速30km近いけど
真っすぐなうえに
交通量がほとんどないのが助かります。
夕方4時頃に到着したのが
アタカマ砂漠観光拠点の町
「サンペドロ・デ・アタカマ」。
宝石の道中盤以降ずっと楽しみにしてたのは、
この町の宿で何もせずゆっくり休むこと。
しかし、いざ町に突入してビックリ。
無数に存在するはずの宿はどれもが満室。
砂漠で年越しをして、この日は1月4日。
クリスマス休暇でバカンスにやって来た観光客で
町は溢れ返っていたのです。
到着から1時間のうちに
訪ねた宿は15軒ほどでしょうか、
町の中心部にやっとのことで
空室のあるトコロを見つけました。
“郊外で野宿”なんていう
最悪のシナリオは何とか避けられた。
南米屈指の物価大国であるチリ。
さらに観光のための街である
「サンペドロ・デ・アタカマ」
の物価は高く1泊¥6,000。
ただ砂漠を走り切ったご褒美に
奮発することにしました。
歩いて回れるほどの大きさしかない
「サンペドロ・デ・アタカマ」。
欧米人が闊歩するメインの通りを歩いても、
カフェとツアー会社があるだけ。
この町自体に見所は無く、
ここから皆さん“宝石の道”や“ウユニ塩湖”へ
ランクルツアーに出かけるみたいです。
観光客の割合は
フランスとブラジルが多いようで、
一気にヨーロッパにワープしたような
錯覚すらしてしまう。
クリスマスとあって
家族連れもよく見かけます。
そんなサンペドロの町で
一番の楽しみだったのが食事。
砂漠の日々はオートミールやクッキー、パスタばかりが続き
走行中は頭の中で食べ物がずっと巡っていました。
思い通りの食材で
思い通りの調理ができる、
ということがこんなにも嬉しい。
滞在中は外食することなく
毎食自炊してました。
パスタは大好きなので飽きません。
朝食は
町で有名なパン屋さんで買った
フランスパン。
オートミールの数倍美味しい。
そして、熱々のコーヒーが
飲めるなんてもう夢のよう。
さらに午後には
ケーキでコーヒーブレイク、
もう砂漠で妄想していたことを
全て実現してやりました。
とにかく“食べ物”なんです。
このケーキ全然美味しくなかったけど…。
オーナー夫妻の
“イヴァンさん&アンへリカさん”
がまた良い方たちで、
夕食に呼ばれた時の魚が美味しかった。
チリはワインも有名ですよね。
僕、飲めませんけども。
という具合に
「宝石の道」走破後、3日間の“冬休み”は
心も体も癒される最高の休息期間になりました。
普段から一人でいることが好きなのですが、
特に今回のように大自然に浸り切った直後は
あまり人と接することなく
神聖な時間の余韻を
たっぷり味わうのが至福のひと時でございます。
合掌。
サンペドロの町で、写真整理やブログ投稿など
のんびりとやるべきことを片付けると
リフレッシュした気持ちでまた自転車を漕ぎ始めます。
宝石の道を走り終えたとはいえ
ここはまだ
チリ北部に広がるアタカマ砂漠の中。
道が舗装されてはいても、
目の前の砂の大地は
もうしばらく続くようです。
砂漠というと
平坦なイメージがあるけど、
アンデスの一角でもあることから
起伏はかなり激しいです。
この日も獲得標高は
1,000m以上に及びます。
ペルー、ボリビアに比べ
道路がとても綺麗に
整備されているのが分かる。
物価面において「南米のヨーロッパ」
などとも言われるチリ。
経済力も豊かなようです。
朝の出発から
緩やかな坂を上り続け
12時には峠に到達。
それなりにしんどい坂だったけど
アスファルトの道を走れるなら
砂に埋まらないぶん快適。
ただ、坂をくだった峠の向こうが過酷だった。
なだらかな平地がどこまでも続く景色の中、
14時を過ぎた時点で
ものすごい向かい風が吹き始めたんです。
あたりには風力発電のウインドミル。
写真で見ると爽やかですが、
これがあるということは
一帯は自転車走行の困難な
強風地帯だということ。
ペダルを踏み込んでも進まない。
平地だというのに
ときに時速8kmという遅さで
夕方5時にやっと
目的の街「カラマ」に到着。
宝石の道走破直後なんだから
のんびり漕がせてほしい。
疲れて余裕がなかったことから
目に留まったハンバーガー屋さんへ。
よく考えると入国後、
はじめての外食。
チリはどんな料理が有名なんだろうか。
これから南へ下っていくのが楽しみだ。
街中に入り込んでしまったので
野宿をあきらめキャンプ場へ。
¥1500と高いんだけれど、
WiFiはサクサクで
シャワーから温かいお湯。
チリのライフラインは安定してるよう。
サンペドロの町を出て
アタカマ砂漠を走ること2日目。
ここから数日は、
路面の整った高速道路の路肩を進んでいくことになります。
山側の内陸部から
海の方へ向かっていくことで
標高2,000m地点から
徐々に下っていきます。
緩やかな坂を信号も無く
滑走していくのが気持ちいい。
途中で小さな集落に到着。
高速道路が延々と続くと
人との交流も少ないんだけど、
宝石の道で深砂に苦戦しまくった
数日前を思えば
黙って爆走してられるのも悪くない。
集落の外れのキッチンカーにて
ランチのホットドッグ。
まだ始まったばかりだけど
チリ旅はこんなファストフード
ばかりになるんだろうか。
海沿いの町に期待。
昼食を終えた走行を再開した午後2時過ぎ、
前日と同じ苦難がまたも襲ってきました。
海側から強烈に吹きつける向かい風です。
下り坂だというのに
やはり時速10kmも出せなくなり、
重たいペダルを踏み込んでいく。
結局、予定していた距離を
走り切ることはできず
高速道路脇に見つけた廃墟で
テントを張ることに。
日が暮れてもしばらく風は止まず
ボロボロの壁でなんとかしのぎます。
向かい風と格闘していた日中、
ほんの30分のうちに
3人ものトラックドライバーから
食料や水の差し入れをもらいました。
アタカマ砂漠は風との戦いになるけど
ちゃんと人の温もりも存在しています。
アタカマ砂漠走行3日目。
この日も午後からの強風が予想されるので、
日も昇りきらないうちからせっせと準備し
朝7時にはペダルを漕ぎ始めます。
砂漠ということで
朝晩の寒暖差もかなりのもの。
ほんの1時間前は凍えながら
テントを片付けてたのに、
ちょっと漕ぎ始めると
もうジャケットが暑くなってしまう。
風さえなければ
路面も綺麗だし、道路幅も広いし
こんなに快適な道はありません。
ただ、午後の風を恐れるあまり
のんびりする間もなく
走れるうちに少しでも進んでおく。
すると後輪がパンク。
ごくごく小さなトゲが
しっかり刺さっていました。
アメリカやメキシコでもそうだったけど
砂利道なんかより高速道路の方が
パンクが多いです。
正午を過ぎ、そろそろ風が吹き始めるか
というタイミングで道路脇すぐにあるキャンプ場へ。
事前に下調べをしたかぎり
他に風をかわせる場所もなさそうだったので
何とか到着できてよかった。
気付けば標高も
500mほどまで下っており
気温も20℃を越えて
じんわり汗をかくくらい。
それでも夜はしっかり冷え込んで
ぐっすり眠れるのが嬉しい。
街がないのでまともに
買い物ができないけれど、
ガソリンスタンドだけはあるので
燃料を気にせずパスタを茹でられます。
そのパスタすら無くなりそうだけど
その前に砂漠を走り切りたい…。
ということで、
走り始めたのは36ヵ国目となるチリ。
細長いことで有名な南米の大国とあって、
走り切るのに2ヵ月程度は掛かってしまいそう。
しかも、現在は
北部から首都のサンティアゴを目指しているのですが
その間にこれといった見所がないので
ただただ南に向け走るだけの日々が続きそう…。
その道中に素敵な出会いがあることに期待しつつ
しばらくイノシシのように爆走していきます!
2025.01.15
【272日目 14,438km】
「宝石の道」5日目。
現地の方や同じ宿に泊まっていた
ヨーロッパのツーリスト達にとって
元日というのはさほど重要ではないので、
こちらも年を越したという事実すら半分忘れたまま
1月1日の走行を開始します。
このあたりから
宝石の道も後半戦に突入。
路面状況も徐々にマシになる
と聞いていたけれど
まだまだそんな気配はありません。
ところどころ苦戦しながら何とか前へ。
出発から1時間ほどのところで
フランスからの旅行者
“マヌエルさん”に声を掛けられる。
自転車で砂漠を渡ることに
大いに感激し
賞賛してくださいました。
そしてお菓子も頂く。
一人ぼっちの旅路において
誰かが関心を向けてくれ
さらに応援してくれる
ということが
とても大きな励みになる。
この日は600mも
標高をあげていく行程。
ただでさえ砂地に苦戦しているのに
傾斜もつくとなると
当然しんどい。
必死で呼吸を整え進んでいく。
急斜面を登った先には何もないだだっ広い平原があり
そこには一瞬たりとも吹き止まない強烈な風が吹き荒れていました。
実は、これまで路面の砂ばかりに言及しておりますが
もう一つ「宝石の道」でサイクリストを悩ませるのは
昼を過ぎて一気に吹き始める“風”。
横から、前から吹き付けられれば
当然走行の邪魔にもなるし、
テントが立てられないせいで
野宿場所を選ぶのにも一苦労。
この時、風を防いでくれる
丘や大きな岩などどこにもなく
あてもないままとにかく
前へと進み続けました。
歩き続けるのも辛く
早くどこかに身を落ち着けたい…。
さらに誰もいない広大な砂漠で
「ゴオォー」と耳に流れ込む轟音を聞き続けると
不安な気持ちが煽られ、焦りも生じる。
日没は19時過ぎでまだ余裕はあるはずだ。と
自分の心を自分でなだめる。
すると夕方18時頃、
路肩に1mにも満たない
石垣が組んであるのを発見。
ここしかない、と身をかがめ
かろうじて風を避ける。
なんとかこれで夜を越せそう。
夜9時を過ぎて星が輝き始める頃に
暴風がパタッと止んでしまうのも毎日のこと。
おかげで穏やかに眠れるのですが
もう少しのんびりと野営地を選ばせてもらいたい。
ちなみにこの平原の標高は実に4,885m。
おそらく旅において最高となるであろう
高所でのテント泊となりました。
「宝石の道」6日目。
目を覚ますと昨日の夕方とは打って変わって
爽やかな朝日と透き通る青空。
この数十cmの石垣のおかげで
無事夜を過ごすことが出来ました。
これを組んでくれたどなたか、本当にありがとう。
この日も午後の風に悩まされる前に
目的地に近づいておきたいと、
荷物をまとめると
円滑に出発します。
砂が薄くて
安定してぺダルを漕げる。
出発から5kmほどのところで
間欠泉を発見。
火山活動も活発なようで
立ち込める硫黄のニオイ。
このニオイをかぐと
“アレ”が恋しくなる。
さらに数百m進んだところで
前日から登り始めた坂の峠に到達。
その高さは4,911m!
昨夜が最高地点のテント泊となったように、
ここも自転車走行における最高到達点となります。
ちなみにペルー後半からこの一か月程度
ずっと4,000m付近に滞在しているので、
高山病の症状はほとんどありません。
おそらく人生で最も心肺機能が強化されている状態です。
峠を過ぎると
一気に下り始めます。
所々ひどいガレ場もあって
手こずりつつも、
今日も目的地である
チャルビリ湖が見えてきました。
やがてたどり着いた湖の畔に沿って
走り続けると、
南端に近づいたところで
観光客が集まる一帯が。
そう、ここには
“アレ”があるんです。
午後3時、ランクルに乗ったツーリスト達が
去っていったのを見計らって
“アレ”を独り占め。
「宝石の道」終盤のご褒美として楽しみにしてたんです。
温度は39℃くらいでしょうか、
熱すぎないからこそいつまでも浸かっていられる。
そのまま湖の脇に立つ
レストランに許可をもらい、
裏手にテントを張らせてもらう。
“アレ”に浸かった後って
何もやる気が起きない
幸せなダルさがありますよね。
「宝石の道」7日目。
砂に、風に、あらゆる砂漠の環境に苦しんできた
道のりもあとわずか。
おかげで大きなトラブルも無く、ここまで来れば
予定通りの日数で走り終えることが出来そう。
出口に近いこともあってか
ランクルの数がすごく多い。
そして、彼らが走り去った後に
立ち上る砂煙が視界を覆い
砂塵を避けるため顔を背ける。
早く普通の道を走りたい。
植物の生えない
砂だらけの景色が広がる瞬間は
まるで他の惑星に降り立ったようだ、
と感じることもある。
毎日こんな景色だけど
これも贅沢な一瞬。
結局この日も
深砂に苦しめられ、決して
最後まで楽な道のりではないみたい。
早く町に着いて
宿で王様の様に
だらりとくつろぎたい。
そして夕方4時過ぎ、
最後の湖となる
「ブランカ湖」に到着。
広大なのはいいんだけれど
強風をかわして
テントを張れるかしら。
すると湖を見下ろす
小さな丘のそばに
石の積まれた廃屋を発見。
四方を囲まれ
風を防ぐのにピッタリ。
最後の夜も無事に過ごせそうです。
そしてこの日は大きな標石へと達することが出来ました。
ちょうど野営地を見つけ今日の走行距離を確認したところで
ユーラシア・アフリカを含む旅の総距離が
なんとピッタリ40,000km!
赤道の長さ、つまり地球一周に相当する距離を
この自転車旅で走ったことになります。
“自転車で世界一周”を掲げ
走り始めてから合計3年足らず。
ついにここまでやってくることが出来ました。
ただ、今回の旅のゴールはアルゼンチンの南端。
もう少しだけ頑張って進んでいこうと思います。
しかし、今日か明日のどこかで、とは思っていたものの
まさか走り終えてちょうどのタイミングになるとは…。
「宝石の道」8日目。
テントを片付けいざ自転車を押し始めると
昨日は気づかなかったけど
廃屋の周りには複数の自転車のタイヤ痕が。
この数日で他の誰かもここで野営をしたのだろうと
想像を膨らませます。
ちなみに宝石の道突入以降、
別のサイクリストには出会っていません。
砂漠の出口までわずか数km。
「あぁ、この大自然の旅を
いつまでも味わっていたい」
なんて思いません。
早く町に着いて美味しいもの食べたい。
この時、頭を巡るのは何故か“巻き寿司”。
ただいつも以上に独りの時間が長く
厳しい砂漠の苦しさと向き合ったことに
どこか清々しさのようなものを
感じているのも事実。
果てしない砂漠、輝く星空は
確かに目に焼き付いています。
走り始めてから
10kmあまりのところで
食堂を発見。
朝食オートミールが物足りないので
ここでも
何か食べていくことに。
出てきたのはパスタ。
結局パスタばかりだった
宝石の道だけど、
生の玉ねぎとトマトが
乗っかっているだけでも
すごく嬉しい。
そして食堂からさらに5kmほど走った所で
国境のゲートが。
「宝石の道」の終わりは
そのままボリビア旅の終わりでもあります。
パスポートにスタンプだけ押されて
大げさでなく、本当に7秒くらいで出国処理完了。
国境の向こうに待っていたのは
実に8日ぶりとなる
アスファルト舗装の道。
あぁ、タイヤが埋まることなく
ちゃんと漕げるし
ちゃんと前にも進む。
ということで、
南米大陸最大級の難所「宝石の道」を走破しました!
自転車を押しまくったせいで
足の裏は水膨れ、そして犬のような臭い。
心も体も疲れ果ててはいますが、
最高標高や4万km達成を実現した記念すべき場所にもなり
充実感に溢れています。
先のことなど考えず
しばらく最初の街で“冬休み”を取ろうと思います。
2025.01.11
【268日目 14,337km】
南米大陸自転車旅における最大の難所ともいえる
「宝石の道」を走り始めて2日目。
オンダ湖湖畔のテントで目を覚ますと
空気はパリッと冷え込んでおり
湖面はうっすらと氷が張っていました。
後ほど調べると-3℃くらいだったろうと推測されます。
朝食は世界一ワクワクしない食材
オートミールでございます。
ココア粉末をまぜて甘めに頂くんだけど
オートミールってどうやっても美味しくない…。
初日が予想以上に
スムーズに進めたものだから
気持ち良く走り出したものの、
湖を離れるといよいよ
宝石の道の厳しさが
その牙をむき始めました。
それがこの深い砂。
総重量60kgに迫るであろう
自転車はズイズイと沈んでいき
押すことも大変。
ハンドルと後部の荷台を掴み
必死でなんとか前進する。
たまに砂が浅くなるエリアで
自転車を寝かせ休憩。
気温は20℃に届かないだろうけど
直射日光を避ける場所など
ほとんど無く、
ジリジリと照らされるのが辛い。
昼過ぎにはこの日一番の
深砂地帯へ。
複数の轍どれをえらんでも
砂からは逃げられない。
1km前進するのに
30分も掛かってしまいます。
そこを過ぎると、
今度は急斜面に石がゴツゴツと転がるガレ場。
踏んばる足も石と砂で滑ってしまい
なかなかまっすぐに進むことが出来ない。
押して進むことに疲れ
ゼエゼエと肩で息をするのが止まらない。
標高4,500mの高所では
深呼吸でも酸素をわずかにしか取り込めない。
ここでツアーのランドクルーザーに
何台も追い抜かれます。
手を振ってくれたり、
スマホで撮影されたり。
可能な限りは笑顔で手を振り返すけど
しんどい時は完全なる無視。
斜面を登り切るとまた深い砂の
平原が広がっています。
変わらない景色の中に
目印になるものは無く
「何とかあそこまで」と
モチベーションを保つことも難しい。
それでも何とか30km程度
進んだ夕方4時。
目標にしていた
砂漠の中のホテルに到着。
西欧を中心としたツアー客向けの
リゾートホテルです。
1万円以上もするホテルに
泊まることはできず、
敷地内にテントを張らせてもらう。
ここでの目的は水をもらうこと。
こうしたポイントが2日に1回は
あるので、乾き切ることなく進めます。
ツアーの運転者やガイドさんが
泊まる予備棟の陰で
寝させてもらうことに。
「お前さっき追い抜いたぞ」と
ものすごく感心されるのが
当たり前になりつつある。
前日に引き続きパスタ。
首都ラパスで日本人の
バックパッカーの方にもらった
お茶漬けの素がここで役に立つ。
感激するほど美味しくもないけど
何より茹でてかけるだけなのが楽。
「宝石の道」3日目。
荷物をまとめると今日も
広大な砂漠へ向けペダルを踏み込んでいきます。
赤茶色の砂地が
どこまでも広がる砂漠では、
実際以上に傾斜がキツく見える
傾向がある気がする。
いざ走ってみると意外に
緩やかなのが嬉しい。
出発2時間の所で
宝石の道はじめてのパンク。
“コルゲーション”と呼ばれる
車の通過により洗濯板状に
波打った轍のせいで、
後輪に衝撃が加わったもよう。
パンク修理作業中にカサコソと
音が鳴る方へ目をやると、
ウサギを発見。
観光客が捨てたであろう
乾燥しきったリンゴを食べてました。
こんな砂漠でたくましい、と感心。
ランチ代わりのクッキー。
たったこれだけの軽食でも
「あと1時間後にしよう」
「2枚じゃなくて1枚にしとこう」
と先をいろいろと考えながら、
砂漠の旅を進めていきます。
多くの場合、ランクルが残した轍は
複数に枝分かれしています。
「右の方が砂が浅そうだな…」と
一方を選んで進みだすと、
全然そんなことなくて後悔したりと
まるで“あみだくじ”の様。
前日ほど砂にはまって苦戦することなく
目的の場所に到着。
不思議な岩がゴロゴロ転がるアタカマ砂漠の名所です。
午後3時の時点で走行距離は30km。
これくらいが宝石の道での
1日当たりの平均走行距離になりそう。
似たような景色が続く砂漠における
ひとつの見所にもなっている「奇岩群」。
普通といえば普通の岩なんだけど
何もない砂漠にあると
それなりに面白い景色に見えます。
今日はここで1泊。
方々で写真を撮る観光客の
人たちが去った午後4時ごろ。
止まない風をかわす
大きな岩陰を選んで
テントを張ります。
周りに人もおらず静かな夜になりそう。
決して走り切ることが容易ではない「宝石の道」。
困難な道のりの対価の一つは間違いなく
毎夜のように頭上に広がる満点の星空。
地上4,500mから見れば
宇宙すらすぐそこに感じさせるほど
澄んだ空に無数の星が輝きます。
「宝石の道」4日目、
この日の朝は小さなトラブル。
お湯を沸かすためのガソリンバーナーの火が弱いため
該当部分を取り外しススを掃除してから
再度組み立てところ、どうにもガソリンが漏れてしまう。
原因は、一つの小さなリングを
組み入れ忘れていただけなのですが
それに気づくのに小一時間もロス。
説明書の読めないせっかちな性格が災いすることが
僕の人生ではよくあります。
12月31日の今日は
年内最終走行。
20km足らず走った先にある
湖畔の宿に泊まる予定なので
朝の出遅れも
たいした問題にはならなそう。
いつものごとく深砂に苦しんでいると
前方から路面を整備する
ロードローラーが出現!
待ってました、と
ドライバーにサムズアップをして
意気揚々と前進再開です。
ところがパッと見には
綺麗にならされているものの、
深い砂の表面が平らになっているだけで
いざ漕ぎだそうにも
タイヤは埋まるばかりで変化なし。
結局押して進むしかなさそうです。
目的のコロラダ湖まで
緩やかな下りだというのに
一向にスピードは上がりません。
「あぁ、クソー!」と
誰もいない砂漠で叫びながら
必死に自転車を前へと押し続ける。
結局わずか17kmの道のりに
5時間も掛かって
ようやく湖のほとりに到着。
ここからは公園に指定されているようで
約¥3,000の入場料を払って
ゲートを越えます。
ゲートを越えてすぐの所に
調べていた宿を発見。
決まって午後から強い風が吹き荒れる宝石の道では
何もない原っぱで吹きさらされるのを防ぐため、
午後4時頃には宿泊(野宿)場所の目途をつけているので
1日の行動時間もふだんより短いです。
何より重量級自転車を押してばかりなので
いつもより疲れるのも早い。
そして足元はいつも砂だらけ。
踏んばって汗をかいてるからか
靴下から犬のような臭いがする。
日本帰って犬をなでなですると
宝石の道を思い出しそうなくらい
印象的な犬の臭い。
¥1,000の宿では
8人部屋に1人きりで寝られることに。
ただ砂漠の真ん中とあって
Wi-Fiがないのは当然で
電気も夜の数時間しか
通じないとのこと。
大晦日のパーティーをしようにも
近くの商店の品揃えは期待外れで
手に入ったのは
無駄に大きな2Lのコーラと
チョコのウエハースだけ。
寂しい年越しになりそうです。
追加料金で夕食もつけられる
とのことだったのでお願いすると、
パスタが出てきました。
いつも食べてるんですけど…。
でも上に乗っかる
ミートソースが美味しかった。
そんな風になんとか
「宝石の道」の中盤に到達。
着実に溜まっていく疲労を感じながら
数日振りのベッドに体をうずめたのでした。
2025.01.7
【265日目 14,261km】
美しき塩の大地「ウユニ塩湖」の走行を終えると
20kmほど離れた観光拠点の町・ウユニに滞在。
年末が差し迫っていたこともあり
ここでのんびり休めたらよかったのですが、
僕の気持ちも行動もソワソワとしておりました。
というのも、これから進む道は
南米大陸きっての難所となるはずだから。
それはウユニの町から南の方向。
真っすぐ公道を進めば隣国チリに入国できるけど、
途中であえて道路をそれて未舗装地帯を進みます。
そこに広がるのは「アタカマ砂漠」。
なんでわざわざ自転車で砂漠を進むかというと、
標高4,000mもの高所に存在する砂漠の道のりが
その美しさから“宝石の道(ルタ・デ・ラス・ホジャス)”
と呼ばれており、
世界各国のサイクリストの憧れとなっているからなんです。
およそ250kmに及ぶ
砂漠地帯を渡り切るのに
想定する日数は8日間。
まともに補給が見込める場所は
なさそうなので、
ウユニの町で食料を買い込んでおく。
当然、水の携行も必須。
5リットルの大きなボトルに加え
1リットルボトルを2本。
これに食料も加えると
普段の走行よりも10kg程度
重い自転車で走ることになります。
2日間のウユニでの滞在を終えると
覚悟を決め、ペダルを漕ぎだします。
まず“宝石の道”に突入する分岐までは200km。
そこまでは公道を行きます。
未知の秘境に向かう
コチラの緊張感など
知る由もないのは
道端のアルパカ達。
可愛らしい耳飾りを付けて
じっと見つめてくれます。
向かう先にある国境が
決して主要なものでなく
さほど大きな都市も無いからだろう、
すでにところどころ
未舗装の部分が出てきます。
でも地面は固くて難なく漕げる。
午後2時過ぎに90kmを走り
「サンクリストバル」
の町に到着。
道路も整ってるし
思いのほか
大きな町ではあるみたい。
まだ漕げる時間だけれども
風も出てきたし、これからのことを考えると
ここで泊まって体力を温存しておきたい。
屋台メシで遅めのランチ。
ボリビアではどこでも
“リャマ肉”が定番みたい。
当たり外れも無く
どこで食べても美味しいから
かなり好きになって来ました。
町の中心近くに宿を発見。
電波も安定して
ベッドで眠れるという環境も
しばらくお預けになりそうだから
今日のうちは
特にしっかり休んでおく。
ウユニ出発2日目。
今日も綺麗に整った路面を
朝から快適に飛ばしていきます。
日本国内外のサイクリスト達が
書き残してくれたブログを見つつ
宝石の道の旅程を組んだのですが、
数年前には未舗装だったエリアも
今はアスファルトで舗装されてます。
時代は流れている。
おかげで目標の“ビジャ・アロタ”には
予想より早いお昼頃の到着。
砂漠前最後の宿泊を、と思いきや
宿主さんが出かけており
泊まることが出来ない。
ネットも繋げると思ったのに…。
チキンの煮込みとライスを食しつつ
しばらく沈思黙考。
もうこの先に宿はないので
進むとなれば野宿になるのは決定。
ただ砂漠に備えて
食料も体力も温存しときたかった…。
結局、留まるにしても
時間があまりに勿体ないので
進んでおくことに。
この先何があるか分からないけど
まぁ何とかなるはず。
不安とともに坂を上り始める。
程なくして坂の途中で
アスファルトが途切れてしまう。
おかげで予想以上の早さで
ここまで来られたけど、
いよいよこれからは
土埃の風景が始まってゆく…。
日が傾くにつれ
強くなり始めた向かい風に加え
未舗装路の凹凸も
だんだん荒くなってゆく。
まだ砂漠突入前なのに
すでに悪路が嫌になる。
すると18時を過ぎた頃
石造りの建物を発見。
近づくと食堂だったようで
持参食料節約のためにも
ここで食べさせてもらうことに。
ありがたや。
出てきたのはリャマのステーキ。
水が90°未満で沸騰してしまう
高所のお米はモサモサで
決しておいしくないけど、
リャマの肉だけは裏切らない。
大事なたんぱく源です。
店の横にテントを張ろうとすると、
(というか一度張り終わった後)
店主さんから一言。
「やっぱ物置で寝れば?外寒いし」
今日から連日のテント泊を
覚悟してたので、嬉しいお誘い。
用意していただいたマットレスでぐっすり眠り
迎えたウユニ出発3日目。
いよいよ、今日にはアタカマ砂漠の難所
“宝石の道”に突入です。
これまでにもサイクリストを受け入れてきたという
店主のアビエルトさんにお礼を伝え、いざ出発。
この先に過酷な旅路が
待つと思えば、
良い天気も、良い景色も
逆に不気味に思えてしまう。
どんな景色が広がっているのだろうか。
期待2割、不安8割。
そしてお世話になった食堂から10kmあまり。
ウユニの町を出て以来ずっと続いた道から
左の方向に目をやると、
車の轍がくねくねと道を作っていました。
ここが“宝石の道”、北側の起点。
ついに過酷な旅路へと足を踏み入れてゆく。
スタートからわずか1kmのところで
傾斜の急な坂が…。
公道ではないので
斜度が計算されておらず
ハンドルを強く握って
重い車体を必死に持ち上げる。
坂を越えた先には
観光にやって来た
4WD車が複数見えました。
宝石の道は絶景ゆえに
観光客も訪れ
そして、轍を作ってくれるのです。
これから数日にわたり
目の前に広がっているであろう
砂の道。
ただ予想以上に固く安定しており
まだまだしっかり
漕ぐことができそう。
砂漠突入2時間足らずで着いたのは「カニャパ湖」。
白く見えるのは塩ではなく
夜間の低気温によって凍ったであろう水面です。
“宝石の道”というのは
道中に点在する湖を
巡っていく道でもあり、
現に英語圏の旅行者からは
“ラグナ・ルート(湖の道)”
として知られてもいます。
青空の下に広がる湖に
花を添えるのが、
ピンクがかった体躯が美しい
フラミンゴ達。
標高4,000mの水辺は
鳥たちの楽園です。
ちょうど昼頃でもあり
湖畔にてランチ。
フレーク状に乾燥したものに
お湯を加えてできあがるのは
インスタントマッシュポテト。
飽きる前に砂漠を走破できるか。
午後から徐々に悪くなっていく路面状況。
ゴツゴツと振動が激しくなると
サドルを降りて、自転車を押さざるを得ません。
それでも、ペダルを
漕ぐことができる箇所もあり
「あら、意外と楽勝?」なんて思いつつ
砂と石の道を進んでいきます。
気温は10°を越え
非常に快適。
カニャバ湖を発って
1時間後には
次なる「エディオンダ湖」へ。
氷が張ってない方が
綺麗なんだろうな。
ちなみに12月は初夏です。
湖畔にはとても綺麗に整った
観光ホテルが。
値段は1万円以上するようなので
休憩にコーラだけ買わせてもらいます。
まださすがに初日なので
泊まりたいとは思わない。
引き続き砂利道を進んで
次なる湖を目指します。
午前中はツアートラックに
たくさん追い抜かれたけど
午後も3時を過ぎると
車も通らなくなりました。
午後4時ごろ、3つ目の湖「オンダ湖」に到着。
“宝石の道”に入って約30kmのところで
1泊目の夜を過ごすことにします。
夜はパスタ。
燃料のガソリンにも限りがあるので
なるべく茹で時間の短い
カッペリーニ(細麺)を
常食として採用しました。
ここから毎日これが続きます。
比較的穏やかに1日目は終了。
ここから徐々に苦しむことになるんだろうな、と
どこかおびえながらも寝袋に包まれました。
2025.01.1
【260日目 14,027km】
パスポート置き忘れにより
ひとりでてんやわんやしたオルロには2日間の滞在。
南の隣国チリの方向へと向かいつつ、
道中にあるボリビア随一の絶景を拝みに走り始めます。
オルロ郊外へ出ると
工事によるオフロードが。
スピードが遅くなるうえに
砂塵防止にまかれた水のせいで
泥が跳ねて自転車が泥だらけ。
しかも10kmも続いておりました。
オルロ以降さほど
大きな都市がないらしく
交通量が激減。
さらに山も無いもんだから
景色の変わらない平地を
数時間も漕ぎ進めていく。
午後からは一時雨も降り
商店の軒下にて
雨宿りをさせてもらう。
これからは景色の良いエリアが
続くことになるから、
なるべく晴れて欲しい…。
予定を越え120kmも走ってしまい
「チャヤパタ」ヘ。
それなりに大きな町で
野宿もできなさそうなので
大人しく宿へとチェックイン。
もっと前で止まっとけばよかった。
オルロ出発2日目。
今日も周りに何もない平地を進んでいきます。
日中は風も強くないし、快適快適。
出発から30km地点で
道が二手に分かれます。
真っすぐ行けば国境方面だけど
“壮大な寄り道”をするために
ここで右へと進路を取ります。
あぁ、ワクワクしてきた。
分岐から10kmのところで
集落に到着。
屋台のおばちゃんが
肉の揚げ焼き“チチャロン”。
豚が定番だけど、「何の肉?」と聞くと
これはリャマの肉だそう。
早速味わったのですが
肉の繊維がしっかりしてて、うま味もあって絶品。
牛肉にかなり近いけど、牛より安いそうです。
世界各国でヤギ、ラクダ、ネズミなど色々食べてきたけど
リャマが一番おいしいかも知れない。
そのまま変わらない景色を進み
出発から90km地点で
道路脇に廃屋を見つけテント泊。
主要道ではないので
車も人も少なく
静かで穏やかな夜を過ごしました。
オルロ出発3日目。
朝から雲のない良い天気。
憧れの絶景に近づくのを感じつつ、今日も漕いでいきます。
車とすれ違うことも
追い抜かれることもほとんどない。
昨日分岐を曲がってから
本当に静かな道のりになってしまった。
ただ目指すのは自然の絶景、
人などほとんどいない場所。
昼過ぎに一つの集落を過ぎてから
道が未舗装の砂利道になりました。
遠くには高くそびえる
「トゥヌパ火山」が見える。
ガタガタの振動を受け流し
黙々と進みます。
未舗装路を30km進んだ先に
「ヒリラ」という小さな集落に到着。
村に一つだけの宿を見つけ
泊まることに。
そして目的の景色はすぐそこ。
明日が楽しみ…。
オルロ出発4日目。
出発の宿から7kmばかり進んだところ、
昨日眺め続けていたトゥヌパ火山がすぐそこに。
ただ目指していた景色はこの火山ではなく、
くるっと背中を向けた反対側に広がります。
山と反対方向に数十m進むと
遂に目的の場所が…。
「良い旅を」と書かれた
石のゲートの向こうには
どこまでも続くだだっ広い
空間が広がっています。
ゲートを越えてやってきたのは
果てしなく広がる塩の大地、
世界的にも有名な絶景スポット「ウユニ塩湖」!
圧倒的な自然美が続く南米の旅路でも
かなり楽しみにしていた場所です。
(360°を塩が取り囲むのでしばらく白い写真が続きます。)
地平線の果ての果てまで続く塩湖。
南北100km、
東西には250kmもの広さがあり
新潟県とほぼ同じ広さだそう。
漕いでも漕いでも景色は変わらない。
“広大”という言葉のスケールが違う。
アンデス山脈が隆起した際、
取り残された海水が干上がって
できたのが「ウユニ塩湖」。
塩の厚みは薄くて60cm、
最も厚い所で11mにも及ぶのだそう。
膨大な量の塩です。
「塩湖に道あんの?」って話ですが
観光用の4WDが走って
塩の表面をならしてくれているので
うっすら一本道が見えるんです。
スマホのGPSも誤差はあるけど
何とか使い物にはなる。
そんなウユニ塩湖ですが、楽しみばかりでなく
自転車旅らしいトラブルにも見舞われることになります。
まずは走行開始30分、
三脚を立てこの写真を撮った直後のこと。
いつもこんな写真を撮るときは、
ガードレールなどに自転車を立てかけ
カメラと三脚をセッティングするのですが
当然塩湖に立てかける場所なんてあるはずもなく…。
“よっこいせ”と重い自転車を
起こした瞬間、
三脚に自転車がドンとぶつかり
カメラごと倒れてしまいました。
「うそっ」と冷や汗をかき
すぐさまカメラをチェック。
するとレンズ(中古6万円)の接合部分が
めりっと隆起してしまっておりました。
まるでアンデス山脈の様に。
この時ほど自分の浅はかな行動を呪ったことはありません。
もうちょっと三脚から離れて自転車を起こしておけば…。
覆水盆に返らず、破鏡再び照らさず、時すでにお寿司。
ただ、ひとりぼっちのウユニ塩湖。
色んなものが少しずつ壊れていくとは
この時の僕はつゆ知らず…。
「上海から旅をはじめて数万枚の写真を撮ってきたんだから
すでにあのレンズは役割を果たしてくれたよね。
うんうん、お疲れ様」
と自分をなぐさめつつ、走り続けました。
(ちなみに以後は、もう一本持参していた単焦点レンズでの撮影です。)
昼過ぎにたどり着いたのは
塩湖の真ん中にある「インカワシ島」。
多くの観光ツアー客が訪れる場所です。
周囲にはたくさんのツアートラックが。
ここではじめて人と出会います。
ちなみに最後まで僕以外に
自転車で走っている人は
見かけることはありませんでした。
島には無数のサボテンが。
真っ白な塩湖を背景にすると
どんなものでも
美しく映えるのが面白い。
観光客の方々はこの背景を利用して
色んなトリック写真を撮るようですよ。
人の住まない観光用の島ですが
トイレと食堂はあります。
ツアーに参加すると
塩湖の真ん中にテーブルを出して
食事ができるので、食堂には
他のお客さんはそれほどいません。
夕方までもうひと走り。
100km先まで走っても
高低差が50cmしかない
というウユニ塩湖は
「世界一平らな場所」でもあるそう。
自転車乗りにぴったり。
夕方5時まで走った所でテントを張る。
もちろん周囲には誰もおらず
塩湖を吹き抜ける風だけが聞こえる神秘的な世界。
贅沢な野宿になりそうです。
自転車のあちこちが塩だらけ。
雪と違って放っておいても
消えてはくれないので
宿に着いたら掃除をせねば。
海辺で潮風にあたるだけでも
さびが付くというのに…。
ウユニ走行2日目。
テントがくしゃっとなっているのですが、
実は昨晩は壮絶な夜を過ごしていました。
夕日を撮ったり、ラーメンを調理して
テントに入ってしばらくした頃、
日が沈んで気温が下がったと同時に
北東からビュービューと強風が吹き荒れ始めたんです。
遮蔽物が何もないことでもろにテントに吹き付ける風。
バタバタと布が音を立て、骨組みのパイプがゆがみ始めたことで
「これはまずい!」とすぐさまパイプの接続を外し
テントを収縮させました。
暗闇の中、それ以上何もできず
萎れたテントにマットと寝袋を乗せ
なんとか夜を越えて朝を迎えたのでした。
朝日に照らされた静かな塩湖。
六角形の塩の模様は
乾いた表面が割れてできた
ヒビとヒビが合わさって
できるのだとか。
自然ってホントに不思議です。
昨日とはまた違う朝の塩湖にうっとりしつつ
「さぁ出発」と荷物をまとめた瞬間、ため息が漏れました。
…パンクです。
ただいつもどうり修理を進めるなか
タイヤに空気が入らないことに気付いたんです。
問題はコチラの空気入れ。
どれだけポンピングしても
空振りするばかり。
どうやらピストン部のゴムが
摩耗して空気が抜けてしまってるよう。
にしても、なぜこのタイミングで…。
さらにさらに、自転車に取り付ける
カバンの持ち手が
ブチンと切れているではないか。
致命的ではないけど
なんで塩湖のど真ん中で
皆寿命を迎えてしまうのか…。
陸地まで60km。
当然パンクした自転車で歩ける距離ではなく
やむを得ずヒッチハイクを試みることに。
ツアートラックが停まってくれるといいけど。
結果として、朝8時半から待ち続けて
4時間の間に通った車の数はたったの3台。
どれも距離が遠く、気づいてもくれませんでした。
無人島に取り残されたかのよう…。
12時30分、やっと現れた救世主は
地元のトラックドライバーさん。
僕の目指す街とは
反対に向かうとのことでしたが、
荷台に電動ポンプをお持ちでした。
神様って本当にいるんだ…。
タイヤにバッチリ空気も入って、午後1時走行開始!
塩湖の主な入口に向かうとあって
昨日よりも轍がくっきり、地面もしっかり踏み固められています。
時速20km/hでゴールを目指す。
塩湖の中心から縁に向かうにつれ
塩の色がほんのり
赤みがかってきました。
やはり中心部ほど
綺麗で真っ白な塩の大地が
広がっているようです。
そして夕方4時過ぎ、
入り口付近の万国旗まで到着。
ウユニ塩湖の
定番フォトスポットですが、
真っ白で広大な塩湖を見た後だと
さほどインパクトを感じません。
さらに進んだところで
アスファルトの舗装路に復帰。
一時はどうなるかと思ったけれど
しっかりウユニ塩湖の魅力を堪能して
“壮大な寄り道”を
終えることが出来ました。
期待を上回る感動と困難を与えてくれた
ボリビアのウユニ塩湖。
はじめてその白い大地が視界の片隅に見えた瞬間は、
あまりの美しさに涙が出そうになったほど。
「旅に出てよかった」と
心から思うことができる素敵な場所となりました。
装備品にもガタがきてるし、疲労も溜まっているので
ゆっくり休みたいところではあるけど、
ウユニ塩湖の直後には
“世界を巡る旅”における最大級の試練と絶景が待っております。
2024.12.28
【254日目 13,562km】
ボリビアの首都(事実上)・ラパスには3日滞在。
標高の低い中心部にある宿を出発すると
ロープウェイで都市郊外へと上っていきます。
大都市を脱出するときは
必ずと言っていいほど、
大混雑の合間を縫ってイライラしながら
走っていくのがお決まりだけど
この日は道もガラガラ。
朝早く出たのが良かったかしら。
しばらく走ると
すぐにのんびりした荒野に。
とりあえず目指すは
200kmあまり先の
地方都市「オルロ」。
順調にいけば明日には着けそう。
ペルー同様、
路上の屋台が充実しているのが
助かります。
どこでも食事にありつけるから
食料を持ち運ばなくてもいい。
しかも安い。
ペルー終盤以降、
ずっと標高4,000m付近を
維持してるけど
さほど寒くないのが嬉しい。
夜も10℃を少し切るぐらいで
とても過ごしやすいです。
午後4時、100kmを走り
「パタカマヤ」という町に到着した時でした。
速度減少のための段差に勢いよくぶつかりすぎ
後輪がパンクしたのですが、
ここからリズムが狂いだす…。
いつも通りパンク修理したのは
良かったものの、
タイヤの着脱を荒く扱ってしまい
ディレイラー(ギア変速機)の
ワイヤーが
ネジから外れてしまいました。
“今日もう少し進んでおかなければ、明日オルロに到着できない…”
という不必要な焦りもあって
作業が雑になり、
チェーンが絡まって余計に時間がかかる。
「もう明日オルロに
着けなくていいや」
と諦め、近くの宿にチェックイン。
ここでゆっくり修理作業を
することに。
1泊¥1,000とお得。
ディレイラー修理は無事完了。
オルロまでの行程が1日伸びたけれど
「ベッドでゆっくり寝られるし
良しとしよう」と眠りにつきます。
しかし、僕はこの宿泊で
“1つのミス”を犯すのでした。
ラパス出発2日目。
今日も起伏の少ないなだらかな道を
気持ち良く走り始めます。
久しぶりにアルパカを発見。
大体近づくと逃げてくんだけど
この子はやたらと
興味ありげにコチラを
見つめてきてくれました。
一回で良いから触りたいなぁ。
今日もランチは
ストリートフード。
食べてると野良犬が
よだれを垂らしジーっと
見つめてくるのも
もはや定番です。
走行中、ふと横に目をやると
集落の中に
“西濃運輸カンガルー便”が。
はるばる地球の裏側まで
配達お疲れ様でございます。
アフリカでもよく見たな。
この2日間、
景色がほとんど変わらない。
車も少ないし
イヤホンを付け音楽を聴きながら
ダラダラと走っていきます。
何か変化が欲しい。
夕方5時過ぎ、「ヴィラヴィラ」という
小さな村に到着。
テントを張れないかと
キョロキョロしつつ進むと
羊の大群に邪魔をされる。
ボリビアは羊優先。
住民の方に確認を取り、
村の奥の廃屋で
テントを張らせてもらうことに。
夕方から吹き始めた強い風も
若干ながら防いでくれそう。
静かでいい場所です。
ガソリンストーブで夕食準備。
標高4,000mだと
炎が安定するのに時間がかかるし、
何より沸点が下がって88℃。
インスタントラーメンなら問題ないけど
美味しいご飯は炊けないだろうな。
ラパス出発3日目、いよいよオルロ到着の日。
人の少ない静かな集落をひっそりと出ていきます。
ラパスを出てから
景色といえばずっとこんな感じ。
だだっ広い荒野に
ポツンと家が一軒。
背景には背の低い山の
なだらかな稜線。
もともと2日で走り切ろう
としていただけに、
今日の行程はわずか50km。
起伏もほとんど無く
交通量も少ない道と
のんびりと走ります。
昼過ぎにオルロ郊外に差し掛かる。
ボリビア入国以降感じてはいたけど
ペルーに比べると街が汚い…。
道路はデコボコなうえに
そこらじゅう散らかるゴミ。
それを貪る野良犬たち。
ゴミ収集は機能していないのだろうか。
ちなみに路上の屋台で
よく食事をしてますが、
小さな村でも鼻を突くアンモニア臭が
漂うこともしばしば。
今のとこ印象良くはないボリビア。
さらに10kmほど進んだところで
街の中心部に到達。
ラパスは賑やかなゲストハウスに
滞在していたので
ここでは個室の宿で
一人ぼっちになりたい。
賑わう市場の近くに1泊¥600の
お得な宿を発見。
さぁ、ここでのんびりひと休み
とウキウキしながらチェックインをしようとした時、
あることに気付くと同時に心臓がキュッとなりました。
「“アレ”がない…」
ボリビアの宿では外国人旅行者は
滞在中、パスポートを受付に預けておく
というルールがあります。
そう、このとき手元になかったのは旅の必需品“パスポート”。
2日前、パンクおよびディレイラー修理のため
急遽宿泊したパタカマヤの宿に預けたまま
パスポートを受け取ることなくチェックアウトしていたのです。
事情を説明すると
理解してくれたオーナーさんは
問題なく泊めてくださることに。
だからといってパスポートが
不要という訳ではありません。
なんとしても取り返さねば。
ということでオルロ到着翌日、
僕はワンボックスカーの乗り合いバスに揺られておりました。
本来ならゆっくり部屋で休みたいところ、
昨日漕いできたばかりの道を引き返す。
なんて時間の無駄なんだろう…。
宿のあるパタカマヤまでは
130kmほど。
「あぁ、あの建物見たな」とか
ゆっくり眺めてきた景色を
猛スピードで巻き戻すように
進んでいきます。
そして、自転車で1日半かけて
やってきた道のりを
わずか1時間半で到着。
“自転車の1日は車の1時間”と
よく言うのですが、大方その通り。
車って便利な乗り物です。
そして宿に向かうと
すんなりパスポートをゲット。
実はパスポートを預けるルールは
アフリカやイランなどでもあって
「いつかやってしまうんじゃないか」
思ってたものの、今回が初めてでした。
バスを降りて取り返すまでほんの5分。
このまま帰るのもシャクなので
床屋さんへ。
刈り上げ部分のバリカンだけなので
これも3分で終わり、たったの¥250。
8分の滞在を終えオルロへと戻りました。
という具合に、
自転車の故障によりオルロ到着が1日伸び
さらにパスポートGETのためオルロ滞在が1日伸びる、
という何とも非効率な時間の使い方をしてしまいました。
ボリビアには壮大な自然の光景が待っており
早くそこに向かいたいのに、
無駄に足踏みをしているここ数日間でございます。
2024.12.24
【247日目 13,318km】
ボリビア入国2日目。
この時、すぐ後ろに世界遺産があることも知らず
首都ラパスを目指して進み始めます。
目指すラパスは
今日の出発地点から60km、
国境からはわずか
100kmの地点にあり
昼過ぎには到着できそう。
そこでしばらくゆっくりする予定。
集落にて早めのランチ。
マカロニパスタの上に乗っている
卵焼きのようなものは
実はチーズなんです。
塩気の強いしょっぱいものは
ペルーでもよく食べられていました。
街が近づくにつれ
緩やかながらも
上り坂になってくると同時に
風も吹いてきました。
ペダルを踏み込んでも
思うほどには進めない。
気が付けば徐々に建物が増え
ラパスの都市圏に
入って来たようです。
大都市だというのに
道は綺麗に舗装されておらず
かなり走りにくい。
放射状に広がるラパスの
核心部に近づくにつれ
車も建物もどんどん増えていく。
クラクションにイライラするけど
冷静さを失わずに
ゆっくりゆっくり。
途中では市場が開かれており
押しながら進むことに。
“泥棒市場”と呼ばれ
日用品から自動車パーツまで
どこかから盗んできたかのように
何でも売っているようです。
そしてようやく、
ラパス全体を見下ろす地点に到着。
昼過ぎの到着予定が気づけば夕方5時前になっていました。
すり鉢状に家々が広がるのがラパスの特徴。
標高4,000mの外縁から中心部へは標高500mも
下らなければなりません。
この時間から混雑した中心部に移動して
そこから宿を探そうものなら、
間違いなく日が暮れてトラブルに見舞われる気がするので
今日は外縁部分に宿を取ることに。
意外にすんなりホテルが見つかり
すぐにチェックイン。
個室で¥1,700と
まぁまぁ割安。
中心部ほど値段は跳ね上がり
個室なんておそらく取れないはず。
翌朝。
荷物をまとめて向かったのはこちら、
ロープウェイの駅。
高低差の激しいラパスの街では
市民の交通手段としてロープウェイが利用されているんです。
街はごみごみしてるけどここだけ近代的。
サイクリストにも嬉しいのが
自転車を乗せられる点。
通常乗車券(¥100)に加え
荷物と自転車分ということで
¥300掛かってしまいました。
でも貴重な経験だから乗っておきたかった。
A地点とB地点を
結ぶのみの単線ではなく、
いくつもの路線が市内の
あちこちに伸びています。
この時も初めて、ロープウェイの
乗り継ぎを経験しました。
ほぼ全面ガラス張りのゴンドラからは
まるで鳥になったように
ラパスの景観を楽しむことが出来ます。
遠くまで広がる都市空間は圧巻。
足元を見下ろすとヒヤッとするほど空高くを
程よいスピードで滑り降りる、
まさに空中散歩。
中心部に下りるなり
昨夜予約しておいたゲストハウスへ。
大きなリュックを背負った
各国からのバックパッカー達が沢山。
相部屋で¥900ほどと
かなりお安いです。
宿に着くと
洗濯、買い物、写真整理、ブログ
などやるべきことを効率的に
消化していきます。
昔は相部屋好きだったけど
自転車旅においては個室の方が良い。
片付けが落ち着いたら市内の散策へ。
ペルーと同じくコロニアル調の建築が目立つ「ラパス」。
100年以上前に政治闘争の末、
古都スクレから国政機能は移ったものの
今も憲法上の首都はスクレとなっているため、
国会議事堂などが集約されたラパスは
“事実上の首都”と言われています。
ロープウェイから見下ろすと
視界いっぱいに広がる都市も、
人口は意外にコンパクトで75万人。
そもそもボリビアの全人口が
1200万人ほどなので
やはり南米の中でも小さな国です。
すり鉢の底にあたる中心部までくれば
平地が広がると思いきや
どこを歩いても坂、坂、坂。
山の急斜面に発展した街だという
ことがよく分かります。
歩くのが一苦労。
食べ物や服装など文化圏としては
ペルーと重なる部分が多いものの、
街の雰囲気はより雑多。
どこにいても上を見上げると
複雑に絡んだ電線が。
溢れる“途上国感”。
街を散策していて印象的なのは
やはり空を移動するロープウェイ。
レンガ造りの伝統的な家々の上を
近代的な交通機関が行き交う様子は
これまでに見たことがありません。
普段は自転車で地を這うように
移動してばかりなので、
空からの視点はホントに新鮮。
場所によっては
見下ろす高さが怖いけど
滞在中は何度も乗ってしまいました。
そしてラパスの見所は、その夜景。
標高4,000mの世界一高い首都に灯る光が
遠くの山麓まで続く様はまるで河のよう。
うっすらと向こうに見える
6000m級の霊峰イリマニ山にも
神々しさを感じます。
旅行者を惹きつける強烈な見所はそれほどないラパス。
地元の人たちが利用する活気ある市場なども
散策しつつ、のんびり過ごしました。
ただこれから進むボリビアの道には
自然が織りなす圧倒的な絶景が数々待っております。
都会のバカンスを終えたら、いよいよ南へ!
2024.12.20
【246日目 13,252km】
ペルー最後の都市プーノでの滞在を終えると
次なる国ボリビアに向けて走り始めます。
出発の朝は市場をやっていて宿の前が出店と人だらけ、
まともに漕げない。
目指す国境はわずか150kmほど。
明日には越えられるだろう。
山との格闘ばかりだったペルーも
結局クスコ以降は
わりと平坦な道ばかりで
最後までのんびり進めそう。
雨季ということで心配していた道中も
ひどく降られたのは一回だけ。
日本の梅雨のように
朝から晩までずっと雨
なんてことが無いのが助かる
南米の降り方。
プーノを出てからというものの
交通量がそれなりにあって
しかも路肩も狭いので
落ち着かず後ろを気にしている状態。
大きい街があるワケじゃないけど
家屋も絶え間なく点在してます。
夕方5時過ぎに
“ポマタ”という集落に到着。
晩御飯はチチカカ湖で
獲れたばかりのトゥルーチャ(マス)。
料理法が“揚げる”しかないのが
寂しいけど、美味しいです。
湖畔の原っぱが安全だよ、
という地元の方のアドバイスに従って
テントを張ることに。
まだ標高4,000mの高さだけど
夜中も寒くならないのが不思議。
気持ち良く眠れました。
プーノ出発2日目。
パッとしない曇り空の下、
いよいよ国境に向けてラストスパートです。
ふと道路の横に掲げられた
カカシにびっくり。
人間のカタチすぎて
ほんとに一瞬ドキッとしました。
もっとコミカルで可愛らしく
作って欲しい…。
雨も風もなく
穏やかすぎて淡泊に感じるほど
何もない道が続きます。
山の向こうには
次なる国が待ってると思えば
ちょっと興奮してくる。
そしてこの日の出発から40kmあまり走った所で
国境の街“デサグアデロ”に到着。
一か月あまりにおよんだペルーの旅もここで終わりです。
まだ昼には早いけど
ペルー硬貨を使い切るためにも
屋台にて食事を。
最後のメニューは魚のマリネ
“セビーチェ”となりました。
さっぽりとして美味しい。
そして遂に越境の時。
ゲートの横に出入国審査の事務所があり
まずそこでスタンプをもらいます。
行列もなくパスポートを見せて
3分もかからず
あっという間に手続き終了。
両国の間にはチチカカ湖へそそぐ
川が流れており、これが
そのまま国境になっています。
人の行き来がかなり多いようで
緊張感もありません。
ワクワクしながらゆっくり渡る。
橋の向こう側のゲートをくぐれば遂にボリビア突入。
ペルー出国時と同じようにパスポート手続きがありますが
こちらも滞在予定など簡単な質問に答えて3分で終了。
日本のパスポートだと30日までビザ無しで滞在可能です。
旅を通じて35ヵ国目となるボリビア。
ペルー、ブラジル、アルゼンチンなど
南米を代表する国々に囲まれつつ
若干地味な印象があるかもしれないけど、
世界を巡る旅のなかでも
最高の絶景に出会える予感がする国なんです。
国境を越えるとまずは両替。
ソル(ペルー)から
ボリビアーノへ換金するのですが、
おばちゃんの提示する金額が
どうにも計算と合わない。
僕が得をしてしまうのが逆に怪しい…。
これは後日分かったのですが、
南米でも決して経済力の強くないボリビア。
自国通貨ボリビアーノに対する信頼が低いらしく
隣国ペルーのソルを持ち込むと公式レート以上の価格で
換金してもらえることが多いのだとか。
事前に分かってればもっとソルをおろしといたのに…。
首都(実質)のラパスまでは
100kmあまり。
明日には余裕をもって
到着できる距離。
まだ時間も早いので今日のうちに
少しでも距離を縮めておきます。
国が越えるたびに毎度
思わされるけど
国境が変わっても景色なんて
ガラッと変わるもんじゃないです。
湖の畔の平原は
どこまでも果てしなく続いている。
一時間走ったところで集落へ。
セビーチェだけじゃ足りないので
食堂に駆け込みました。
出てきたのはペルーと変わらない
トゥルーチャ(マス)。
景色も一緒なら食事も一緒。
ヒヤッとしたのが
たむろする町中の野良犬の数。
ここまで集まると迫力がある。
でも、ワンワン吠えてくるのって
縄張り意識の強い
飼い犬の方ですけどね。
越境後にはっきりと
変わったのが道路事情。
アスファルトが波打って
まぁ漕ぎにくい。
アフリカでも感じたけど
経済力は道路に出ます。
午後3時に「ティワナク」という
小さな町に到着。
まだ漕げるけど、明日には
余裕を持って首都に着けるし
“キャンピング”と書かれた看板に誘われ
今日はここまでとすることに。
敷地内のテント泊が¥600。
ペルーからは宿も安いから
さほどお得でもないけど
温水シャワーを浴びれたから
よしとする。
「ルイスさん」という男性に
中へと導かれると、
ただのキャンプ場ではなく
近辺の発掘品を展示する資料館
だということがわかりました。
骨や石器など様々な展示品。
日がくれた頃に町の中心にある食堂へ。
出てきたのはシンプルに
豚を焼いたもの。
牛もあったけど
自転車で疲れた後には
豚が体に染み渡るんです。
翌朝、出発前に撮影させてもらった
ルイスさん(右)と共同オーナーのオウグスティンさん(左)。
実は後日、首都に着いてから衝撃の事実を知ったのですが
この町には世界遺産にも登録される
古代ティワナクの遺跡があったそう。
「いやルイスさん、教えてよ!」と思いつつも
自分の予習不足を嘆いたのでした。
2024.12.16
【242日目 13,056km】
国境付近の街プーノを目指し、クスコを出発して3日目。
温泉の真横で目を覚まし、冷え切った空気の中
ザブンと湯気の立ちこめるプールに飛び込みました。
南米大陸で味わえると思っていなかった朝風呂で
しっかり整うと今日もペダルを漕ぎ始めます。
前日から登り始めていた
上り坂の続きを進みます。
朝ということもあり
車もほとんど通らず
薄く雲がかかった山を眺めつつ
のんびり漕いでいく。
遠くの山の頂上には
ほんのり雪も積もっています。
南半球なのでこれから
夏を迎えるわけだけど
南下する分寒くもなっていくだろうか。
ペルーは服の調整が大変です。
走り始めて1時間の所で
標高4,300mの峠に到達。
同じ4,000m越えでも
クスコの手前の頃ほど
寒くないのが不思議。
地理によって気温がだいぶ違うみたい。
峠を越えると
緩やかに長く続く下り坂を
滑り降りていきます。
日が昇ると一気に気温も上がり
出発時に着込んだ
ジャケットが暑く感じてくる。
通過した集落にて
ちょっと早めの昼食。
地図で確認する限り
村や町が等間隔で現れるようなので
食料をほとんど運んでおりません。
屋台の多い国はこれだから助かる。
ここしばらく豚の煮込み
“チチャロン”ばっかり。
他に選択肢も少ないんだけど
鍋でグツグツ煮てる調理風景が
美味しそうに見えるんですよね。
ジャガイモと一緒に食べます。
朝に峠を越えて以降、延々と平坦な道が続きました。
だだっ広い平原にポツポツ村が現れる程度で
ペルーでここまで平らな道は初めてというほど。
結果、夕方5時頃に
ある町に着いたけれど
手ごろな宿が見つからず。
「まぁどっかでキャンプしよ」
と気楽に構えてたところ
水が無いことに気付く。
商店のある集落を求めていると
結局、夕暮れ直前になってしまいました。
集落の真ん中の広場に
テントを張っていい、と許可を
もらったのでありがたく
ここで寝させてもらうことに。
食堂すらない小さな村なので
夕食は久しぶりの
インスタントラーメン。
肉っけの強い食事が続いてるので
なんだか寂しい。
でも、これから自炊が増えるはず。
クスコ出発4日目。
プーノまではわずか100kmと
今日のうちには到着できそうです。
この日も朝から
まっ平らな道を行きます。
嬉しいのが風がさほど強くないこと。
ただでさえ変わらない景色で
向かい風が吹くともう最悪。
ペダルを漕ぐのが苦役になります。
クスコまでの道は
変化に富んでいたぶん
ここ数日の景色を
退屈に感じてしまう。
それでも広大な平原は見てて
気持ちが良いんですけどね。
ちょうど昼頃に「フリアカ」という、割と大きな町に到着。
食事をしよう、と思ったけど
車が多く巻き上げる砂が酷くて屋台では食べられず。
なんかゴミゴミしてせわしない街なんですけど…。
結局、10kmぐらい走って
街の反対側の郊外に出たところで
やっと食事にありつける。
ここまでのどかだったのに
ここに来て急に道路も町も
騒がしくなってきました。
午後からも引き続き
フラットな道を走ります。
そういえばクスコから連日
続いていた雨が降らなくなりました。
天気に左右されず
このまま予定通りプーノに着けそう。
プーノも近いということは
国境も近いということ。
ペルーは人も食事も素晴らしく
大好きな国だけに
寂しさが込み上げる。
最後まで味わい尽くそう。
そして最後の10kmで小高い山を越え、
午後3頃「プーノ」に到着です。
クスコから予定していた4日間で
無事着きました。
ここから一気に街の中心へと
滑り降りていく。
左手には高所に位置する淡水湖として有名な“チチカカ湖”。
湖畔の街ということで勝手に平坦をイメージしていましたが
プーノは山肌まで広がる起伏の多い都市なようです。
滞在中に上り下りしたくなので
なるべくフラットな湖寄りに
宿を取りたい。
街の全体像も分からないけど
とにかく坂の下を目指して
進んでみる。
宿探しの前に、屋台の
フレッシュジュースで喉を潤す。
健康的な気がするけど
果物の果糖だって
摂りすぎはよく無いんですよね。
でも美味しいから飲む。
中心部を少し離れた
湖の近くにホテルを発見。
1泊¥1,400ほどで
それなりに綺麗な部屋なので
他と比べることもせず
早々とチェックインします。
水辺の街・プーノの見所はもちろん「チチカカ湖」。
その大きさはなんと琵琶湖の12倍。
標高4,000mという高所に
これだけの規模の湖が存在するのはまれだそう。
ただプーノの街は少し奥まった入江の畔にあるので
かなり沖合に出ないとその大きさは実感できないんです。
到着翌朝には
早速ボートに乗って
観光に出かけてみました。
波のない穏やかな水面が
景色の向こう
どこまでも続いています。
港から40分ほどでやってきたのが
チチカカ湖名物の“ウロス島”。
島の上には枯草でつくった家がいくつか見えています。
島とは呼ばれるものの、実はこちら
人の手によって作られた“人工島”。
およそ500年前、
スペイン人の侵略を逃れるため現地の人たちは
暮らしの場所を湖上に求めたのです。
独特のライフスタイルは
今でも継承されており、
付近に浮かぶ120の島々に
2千人近くもの人が暮らしています。
これらの島々を総称して
ウロス島と呼んでいるそう。
観光ツアーに参加すれば
一つの島に降り立つこともできます。
ボートが近づくと
現地の女性たちが慣れた手つきで
島へと手繰り寄せてくれます。
無事ゆっくりと着岸。
1つの島には多くて
5世帯ほどが暮らし、
漁業と観光を柱に
生計を立てられているのだとか。
小学生までは湖の上の学校で
勉強するんですって。
島の地面を形成するのは
“トトラ”という葦の仲間。
これを縦横交互に敷き詰めて
湖に浮かべます。
流されないよう石の錨で
固定しておくそうです。
数トンにも及ぶであろう島は
とても安定していて、
ボートのようにプカプカと
水面を浮いてる感覚は無いですが
踏み込むと柔らかく沈み込むのが
独特な感触。
観光ツアー用ではない
一般住居用の島も遠目に
見ることが出来ます。
ペルー出国直前にして
また一つこの国ならではの
文化を目の当たりにできました。
チチカカ湖以外には街中に目立った見所は無い様子。
ただ休養も兼ね2日休んで出発する予定が
疲れが上手く取れずもう1泊することに。
酸素が薄いことも疲労回復に影響するのだろうか…。
もうすぐペルーを出るということで
“これだけは食べておかねば”と
レストランに駆け込んで注文したのが
国を代表する珍味“クイ”。
ある動物を揚げたものですが
わりと姿そのままですね。
空飛んでるみたい…。
正体はネズミ(モルモット)。
これまで通過した町の市場にも
売られていて、
国を代表する珍味だとは
聞いておりました。
最後に食べられてよかった。
味や肉質は鶏に近いでしょうか。
かなり淡泊ですが
栄養価はとても高いそう。
一人分でおよそ¥2,000と
高級食材として扱われるみたい。
ペルーへご旅行の際はぜひ。
もう一つプーノ近郊地域の名物料理が“カンカチョ”。
到着2日前頃からそこらじゅうのレストランの看板に
書いてあったから気になってました。
これが何かというと“子羊の骨付き肉”で
スパイスに漬けこんでオーブンで焼いたもの。
感想はというと、
肉は柔らかくて塩気の効いた味がガツンときて
もう本当に絶品。
ペルーは肉料理全般がとても美味しいです。
これで気になるペルーの料理は網羅したかな。
胃袋から満足できたらいよいよ次の国へと向かいます。
2024.12.12
【239日目 12,826km】
観光と休養のため、クスコにはたっぷり一週間の滞在。
これ以上休んでしまうと体がなまってしまうので
準備を整えると久しぶりにペダルを漕ぎ始めます。
ここから目指すは国境付近の街「プーノ」。
クスコ周辺の交通量が
予想より少なかったことに加え
緩やかな下りが続いたこともあり、
思いの外スムーズに郊外へ。
休み明けの出発前は気分が重いけど
スタートすればいつも通り快調。
と思いきや、出発1時間で
南米での初パンク。
クスコの宿周辺を抜ける時
階段が多かったので
おそらく“リム打ち”だと思われる。
30分でスムーズに対処。
クスコまでの道のりは
過酷な山道ばかりだったけれど、
ここから国境までは
割と平坦な道が続きます。
それでも標高は
3,500m程度の高原地帯。
道の脇を見上げると
高層マンションの
ミニチュアのようなものが。
実はこれらはお墓なんです。
それぞれが小さな家のような形で
なんとも可愛らしい。
昼頃に通りがかった街でランチ。
屋台で見つけたのは
豚の揚げ焼き“チチャロン”。
脂ギッシュで重いけど
疲れてお腹ペコペコの時には
食べ応えバッチリなんです。
クスコまでの道もそうであった様に
午後から厚い雲が広がる
雨季のペルー南東部。
ゴロゴロと雷もなってきたけど
プーノまでの旅程を考えると
もうちょっとだけ進んでおきたい。
午後3時頃、「クシパタ」に到着。
空模様を眺めつつ
どこまでいけるか考えていると、
とたんに大雨が降り始めました。
食堂も宿もひと通り揃っている様なので
今日の所はここでステイ。
¥1,000で十分良い部屋を
見つけられました。
これでちゃんとWi-Fiもついてるから
ありがたい。
移動中は極力宿は避けたいけど
雨なので仕方ありません。
クスコ出発2日目、まずは屋台にて朝食。
最近は“シエテ・セミージャ(7つの種)”
という飲み物にハマっています。
ペルーのどこでも飲まれている定番ドリンクで
“トウモロコシ、オーツ麦、キヌア”など
穀物系がミックスされた健康的な飲み物。
昨日の夕立から打って変わって
気持ちの良い青空が広がる朝。
でも今日もどうせ
午後から降るんだろうなと、
空模様を疑い午前中のうちに
出来る限り漕いでおく。
急斜面が減り平地が増えたぶん
耕作地も増えたように感じます。
トウモロコシを中心に
様々な作物が育っています。
こんな景色を見ると
日本の田舎みたいだと思う。
気温は20℃を少し
越える程度でしょうか。
標高が4,000mに近づいても
全く寒くはないです。
そういえばこの高さまできても
頭痛もしなくなったな。
昼頃には「シクアニ」という街に到着。
ランチ休憩にオレンジジュース。
一緒に走ったアウレリオさんが
好きだったこともあって、
最近フレッシュジュースに
ハマりすぎています。
“さぁ、午後の部スタート”
というタイミングで
途端に大雨。
街中だったのが幸いして
お店の軒下で雨宿り。
30分程度、空を眺めて休憩です。
クスコで買っておいた“コカキャンディ”。
これから標高が少し上がるので
いちおう高山病対策です。
ほんのり甘いお茶の味が美味しいけど
ヤベェ白い粉の原料になるコカの葉が
由来なので日本には持ち込み不可。
雨が上がって走り始めた道は
緩やかな上り坂。
力を込めずのんびり漕げる程度だけど
久しぶりに標高4,000mを
越えていきます。
呼吸を整えゆっくり進む。
午後5時、何とか着きたいと
思っていた場所まで来られました。
道路脇の看板には
“アグアス・カリエンテス”。
アグアス(水)、カリエンテス(温い)。
水、温かい。…温かい水。
そう、やってきたのは「温泉」!
リマの日本人宿桜子のナツキさんより情報を得てから
ずっと楽しみにしていた場所なんです。
“熱め、普通、ぬるめ”
と温度別に分かれた
いくつもの露天風呂。
茶色に濁ったお湯からは
ほんのり硫黄の匂い。
正真正銘の温泉です。
目の前には雲のかかった
アンデスの山々。
何にもない田舎だから
お客さんもまばらで
ほぼ貸し切り状態。
ここは天国なのか…。
入浴料は¥320、
敷地内のテント泊が¥200。
入湯税なんてもちろん無し。
あちこちからのぼる
湯気を見るだけで何とも幸せ。
ここは天国なのか…。
「どうせ海外の温泉だし、ぬるいうえに
子供がばしゃばしゃ泳いで、しかも色々浮いてんでしょ…」
と過剰な期待はせずにやって来たのですが
実際には本物の天国でした。
午後6時を過ぎ空気もひんやりし始めたところで
熱めのお湯に浸かる。
「あ゛ぁぁぁ…」
半分のぼせたぽかぽかの状態でそのままテントへ。
旅史上最高の野営地となりました。
2024.12.8
【236日目 12,651km】
クスコに到着してから、
まずすぐに向かったマチュピチュ観光。
そして、
バス酔いに苦しみつつも空中都市の絶景を満喫し
小旅行からクスコに戻った翌日。
僕は性懲りもなくバスの車内で
揺られておりました。
朝4時半にクスコの中央広場にて
予定のバスに乗り込み、
また別の観光地へと向かっています。
観光都市クスコからは行ける場所が多く
まともに休むこともせず
せっせと観光に勤しむ。
日帰りツアーは
嬉しい朝食付き。
観光立国とあって
ペルーのパックツアーは
“やり方を知ってる”という
感じがすごくします。
マチュピチュに向かう時は
散々苦しんだバス酔いですが、
同じく山道を走った今回は全く問題ありませんでした。
あの時は自転車走行の疲れがあったからだろうか、
コンディションが良くなかったみたいです。
10時半には目的地に到着。
向かう先はまた山の上。
杖を突きながらせっせと歩き始めます。
スタート直後から
ゴールの山頂は見えており、
「こんなの余裕ですぐ着くじゃん」
という考えが甘かった。
出発地点の標高4,600mは
すでに低酸素地帯。
標高5,000mオーバーの山頂はすぐ見えているのに
すぐに呼吸は乱れ、足が重く動かない…。
「はぁ、はぁ…」と必死に体に空気を取り込む。
下りる人は意気揚々だけど
登りの人は杖に体を預け、
年齢問わず皆
おじいちゃんおばあちゃんに
なったかのよう。
これはこれで良い経験です。
1時間ほど歩いたところで
頂上付近に到着。
景色を楽しむ前に
食べ物を売っているので
腹ごしらえをしておくことに。
鍋で何かがグツグツ煮られている。
鍋の中身は“アルパカ肉”でした。
塩気が強いけど
疲れた体にしょっぱさが効く。
噛み応えもあって
例えるなら豚に近いでしょうか。
着ても、食べても嬉しいアルパカ。
アルパカを食べ終えて登った頂上から
臨むのはビニクンカ山、通称“レインボーマウンテン”。
地中に含まれる鉱物成分が
独特な模様を生み出しています。
出回ってる写真が過度に編集されてるだけで
「実際大したことないんでしょ?」と斜に構えてやって来ましたが、
いざ目にするとかなりしっかりレインボーしてます。
この写真も明るさしか調整していないんですよ。
実は発見されたのがここ十年程度で
まだまだ新しい観光名所だそう。
日帰りでさくっと参加したツアーだったけど
期待を越える満足感でした。
マチュピチュ、レインボーマウンテンと
目当ての観光を終えるとやっと一息ついて
クスコの街でゆっくりする時間がつくれました。
街の中心にずっしりと構える
大聖堂や周囲の建物からは
スペインからの影響を強く感じます。
イタリアでもなくフランスでもなく
スペインなんですよね。
何かが違うんだけど、知識がない。
山間部とあり斜面の多いクスコ。
遠くの山肌にまでびっしりと
張り着いたように家々が広がる様子は
やはりヨーロッパではなく
南米大陸なんだと気付かせてくれる。
赤茶色の屋根も特徴的です。
インカ帝国の古都とあって
首都リマよりも風情を感じます。
人も建物も多いんだけど
どことなく落ち着きがある。
高所ならではの空気の冷たさもあり
心地の良い滞在になっています。
お世話になったコチラの宿も
傾斜の急な階段の途中にあります。
日本人旅行者に人気で、オーナー夫婦も
単語レベルだけど日本語を知っているのが嬉しい。
マチュピチュ観光など出たり入ったりだったけど
自転車や荷物を置かせてくれて、
何かと心配りをくださいました。
コロナを機に日本人客が
めっきり減ったそうで
他のお客さんも
ほとんどいませんでした。
オフシーズンってのもあるだろうけど
おかげで静かに過ごせます。
宿のテラスから見下ろす
クスコの夜景。
毎晩パレードをやっていたり
花火があがったりと
ほどよい賑やかさでした。
クスコの雰囲気は好きです。
クスコで一番のご馳走はコチラ、
豚のバラ肉を1枚ずつ焼いて食べる
インカ文明の伝統料理「サムギョプサル」。
さらに牛肉などの具を包んだ巻き寿司、
「キンパ」というペルーの国民食も美味しかった。
※冗談ですからね。
めったにないご馳走だけに
キムチチゲと本気で迷ったけど
正しい選択でした。
豚の焼肉って最高に美味しい。
日本に帰ったらホットプレート買って
家でやろっと。
ちなみにクスコ直前で一度別れた
武藤さんと合流して食べに行きました。
これから向かう方向は同じですが
それぞれのペースを尊重して
別々に走っていきます。
お互い良い旅しましょう。
ペルーの料理が不味いワケでなく
むしろものすごく美味しいのですが
たまには胃袋だけ一時帰国したく
なるときがあるんです。
別の日にやってきたのは
和食レストラン“きんたろう”。
注文したのはこちらの“カツ丼”。
見た目は「んっ!?」と思ったけど
味は確かなもので大満足。
やっぱりだしの味って
取って代わるものが無いんです。
幸せの味がしました。
ペルーの飲み物として大定番なのがコチラ、
屋台でもどこでも置いている飲み物「チチャ・モラーダ」。
ある原料を煮出してさらに砂糖をしっかり入れており
コンポートみたいで甘くて飲みやすい。
食事にタダでついてくることもあります。
その原料とは日本で見ることのない
“紫トウモロコシ”。
ジュースやスイーツのみに
使われるそう。
見た目にギョッとするけど
ペルーのどこにでもあります。
さらにはフレッシュジュースも
とてもポピュラー。
クスコに限らず市場に行けば
搾りたてのミックスジュースが飲めます。
¥200ほどと凄く安いワケじゃないけど
連日飲んじゃいました。
パパイヤやパッションフルーツなど
南国系の果物も一般的。
どこで飲んでも美味しいです。
日本帰ったらミキサー買って
ミックスジュースのある日々を
送ろう。
印象的だったのはこちらの「チチャ・デ・ホラ」。
道中の小さな村でも見かけた
とても一般的な飲み物でございます。
濁った茶色をしてますが、原料はやはり“トウモロコシ”。
発芽したトウモロコシから麦汁を抽出し
発酵させて作るそうですが、アルコールは含んでいません。
別名“コーンビール”とも言われる通り
後味はノンアルビールを飲んだ気分の不思議な飲み物でした。
気が付けばペルー旅も終盤に突入。
景色にグルメに、最後までたっぷりと味わっていきます。
2024.12.5
【233日目 12,651km】
アンデスの山々を越え、ナスカから2週間ほどかけて
ついにたどり着いたクスコ。
疲れがたまっているのも当然で、
朝ベッドから体を起こすと
両足太ももがピキーンとつりそうになってしまうほど。
ゆっくり休みたいところですが、
ペルーを訪れるほぼ全ての人がやってくるクスコでは
のんびりするばかりではいられません。
滞在中に行きたい場所がいくつかあります。
何といっても欠かせないのが
世界遺産にも登録される
かの有名な天空都市「マチュピチュ」。
ペルーに来ておいて
ここに行かないわけにはいきません。
移動手段確保ため、朝から旅行会社へ。
クスコから直線距離で
100km足らずの場所にある
秘境マチュピチュ。
当然山奥にあるのですが
現地への向かい方も大変で
ネットで調べても情報は様々。
普段は自由気ままな自転車移動ばかりの僕にとって
タイムスケジュールを考えながら適切な交通機関を選択する
という作業がどうにも億劫。
「もう、誰か代わりにやって」と言いたいけど
大人なので自分でやらなきゃいけません。
クスコから列車でズドンと直行すれば早いけど、当然これは高額。
安いのは、遠回りでバスで移動して最後は10km歩くコース。
悩んだ挙句、行きはバスで向かい、
帰りは贅沢に列車に乗ることにしました。
慣れない行動なので時間や日付を入念に確認して
無事に旅行会社でチケットをゲット。
行きのバスがあんなにも過酷なドライブになるとは思いもせずに…。
クスコ到着翌々日、マチュピチュに向け出発の日。
朝6時に指定の場所に向かうと乗り合いバスが待っていました。
ついにあのマチュピチュを拝めるのだと
ワクワクしながら遠足気分で乗り込みます。
バスの乗車は7時間程度。
最初のうちは何も問題なく
外の景色を気持ち良く眺めながら
車体に揺られておりました。
異変を感じたのは出発から2時間、
峠へ向かう上り坂の途中の事。
「あっ、ダメだ気分悪い」と
自分で気づいてからは一気に体調は悪化。
お腹からぐわっとせり上がるような吐き気に襲われたんです。
「ダメダメ、吐いちゃダメ」
一人格闘しながら、わき上がるものを抑え込みます。
たまたま後ろに座っていたメキシコ人の方がお医者さんで
袋を渡してくれたりと、色々気にかけてくれました。
遠足の時、クラスに一人はいる
残念で可哀そうな子になってしまいました。
やがて健闘むなしく、
堰を切ったように
リバースしてしまう僕。
悲しいのが、他に誰も
気分を悪くしてる人なんていない
ということ。
アンデスの青空の下を走るドライブの中、
BGMとして流れるペルーの伝統音楽に
「オロロロロ…。オェッ、オェッ、……オエェ…。」
という不快なコーラスを添えてしまいました。
結局、最後まで気分は優れず。
汗はびっしょり、お腹もぐるぐるして気持ちが悪い。
午後1時、停留所に着くなり
ベンチに横になって
しばらく休むことに。
気づけば眠りに落ち、
目が覚めると気分は回復して
降っていた雨も止みました。
気を取り直して、マチュピチュへと向かいます。
僕が選んだ最も安い「バス&徒歩ルート」。
マチュピチュの麓にある村まで
ここから10km歩いていかなければなりません。
歩いていくのは線路沿い。
この様子から日本人旅行者の間では
“スタンドバイミールート”
なんて呼ばれています。
僕はゲ〇を吐きまくったぶん
他の人より映画に忠実です。
途中、山稜を見上げると
マチュピチュが確認できました。
とても小さいですが
はるか高くの岩山の一画に
遺跡がちょこんと乗っかってます。
上から眺めるのが楽しみ。
3時間弱の道のりでは
日本人旅行者の方と
2人も出会いました。
互いの身の上を話しながら
歩いていくのが楽しい。
途中で列車にも追いかけられる。
やがて10kmを歩き、観光拠点の村
「アグア・カリエンテ」に到着。
この時点で夕方5時。
基本的にマチュピチュ観光は
2日以上かかってしまいます。
マチュピチュは一日にしてならず。
宿に向かう前に
マチュピチュの入場券を
ゲットしなければいけません。
世界有数の観光地とあって
ネット販売はすべて売り切れ、
現地で前日までに買う必要があります。
マチュピチュ観光って、実はかなり面倒くさいんです。
まず移動手段として、
クスコから列車で直行するのか。
一度途中の村までバスで向かってそこで列車に乗り換えるのか。
はたまたバスで近くまで行って最後ちょっと列車に乗るのか。
あるいは列車に乗らずに歩くのか。
やっと現地に着いたら
遺跡見学の中にも複数のルートがあって、
ルート1、ルート2、ルート3。
さらにルート1にもAとBがあって、ルート2にもAとBが…。
「はあぁ…、めんどくさ。早く自転車旅に戻りたい」と、
事前に調べる内にため息が漏れました。
ただお金さえ払えば
クスコの旅行会社がすべて手配してくれるんですけどね。
無事にチケットを購入し
予約していた宿に向かいました。
朝6時にクスコを出て、
この時点で夕方6時。
半日かけてやっと宿に到着。
車酔いもあって長い一日でした。
一夜明け、ついにマチュピチュ観光の日。
チケットには入場時間の指定があり
僕が買えたのは朝6時。
朝5時過ぎにバス乗り場に向かうと
すでにたくさんの人が並んでいます。
歩いて登ることもできるんですが
朝から1時間以上かけて
階段地獄を登る気になれず。
バスに乗って向かうことにしました。
ただ片道¥1,800と高額なので
帰りは歩きます。
小雨の降る中
6時を迎え、ついにご開門。
チケット管理もかなり厳格で
パスポートを提示して
本人確認を済ませなければいけません。
チケットの横流しは不可能。
入場ゲートから
ほんの少し歩けば
イメージしていた光景が目に入る。
写真やテレビでも幾度と見てきた
あの景色をついに
この目で見ることが出来る。
そして、姿を現してくれました「マチュピチュ」。
雨季ということもあり残念ながら快晴ではなく
空には雲が立ち込めていましたが、
周囲の山が雲を貫く様子も
まさに“空中都市”の呼び名通りの景色。
インカ帝国が1,500年前後に築いた
貴族の為の別荘地だとも言われております。
イギリスの研究家に発見されたのは
たったの100年前。
こんなにも大きな遺跡が
山の上に存在するなんて想像すらできない。
バスに乗車した麓の村からの
高さは400m。
太陽信仰をしていた
当時の人々は、
より高い場所を求め
この場所に街を作り上げました。
遺跡にはおよそ200の住居が
確認されていますが、
車輪を持たないインカの人々が
どのようにこれだけの石材を
運んで上がったのかは
今でも分からないそうです。
マヤ文明にもインカ文明にも共通するのが
“文字を持たない”という点。
そのおかげで解読できる情報も限られてしまう分
想像力も膨らみます。
もっと雨が降ると、遺跡の治水技術が
はっきりと確認できるのだとか。
熱帯雨林気候に属し
様々な動植物が確認される
マチュピチュ。
よく見ると
石の上に何かの動物の糞も
落ちていましたよ。
遺跡の周りは段々畑が囲みます。
頂上からかなり下まで続いたとされ
現在でもそのすべてが
発掘されてはいないのだとか。
高低差を利用して
色々な作物を収穫したようです。
淵に立つと急峻な山肌の果てに
渓谷の下を流れる川が見えます。
気候などの実生活的な面、
太陽信仰など宗教的な面。
何かの理由でこの場所を選んだろうけど
ただ眺めが良いからだったりして。
マチュピチュの観光を終えると
アグアカリエンテスの村にて
もう一泊。
そして、翌朝には駅に向かい
クスコへの帰路に着きます。
欧米の観光客の方がいっぱい。
道中辛い箇所もあったマチュピチュへの小旅行。
行きのバスとは大違いのこのゆったり感。
大きな窓の向こうに見えるアンデスの風景を楽しみながら
のんびり帰ることができました。
2024.11.30
【230日目 12,852km】
アンデス山間の街「アバンカイ」にて
1日休みを挟んで
引き続きペルー第二の都市・クスコを目指します。
斜面に広がるアバンカイとあって
出発時点からいきなり激坂。
ナスカからクスコまでの間に
4,000m越えの大きな峠が
4つあるのですが、
今日挑むのはその3つ目。
街からの獲得標高は1,800m、
1日で登りきってしまいたいところ。
遠いと思っていたクスコも
あと200kmを切りました。
文字通り“山場”はまだあるんだけど
終盤に近づいてるのは間違いない。
容赦のない上り坂を
自分で鼓舞しながら登っていく。
午後4時頃、
疲れ切ったアウレリオさんから
「ここまでにしよう」と提案があり
頂上付近に無人の小屋を見つけ
野宿をすることに。
酪農作業用の小屋のようです。
雨も予想されるので
小屋の中にテントを張る。
風もしのげるし
人目も避けられるし
ここはどうやら
快適な宿泊ができそう。
薪を集め焚き火で
インスタントラーメンを調理。
冷え込む夜に
暖をとるにもピッタリです。
曇って星は見えないけど
良い夜を過ごせました。
アバンカイ出発2日目。
すでに標高4,000mに近づいていることもあり
雲が下に見える。
昨日出発したアバンカイの街を
はるか下に見下ろしながら
昨日登り残した峠を
目指してペダルを踏み込みます。
若干昨日の疲れは残るけど
朝はまだ余裕を持って漕げる。
そして1時間あまり漕いだところで
峠の頂上に到達。
アンデスは他でなかなか経験できない
標高差1,000mの下り坂が
あるから楽しい。
まぁ、登りが大変だけど…。
下り坂の途中で集落に到着。
本当は昨日のうちに
ここまで来ておきたかった
という場所。
朝ご飯をちゃんと食べてないので
ここで食べておくことにします。
朝には重いけど
豚肉の煮込みを頂きます。
水と油が混ざった
不思議な液体で
煮てるのか揚げてるのか
よくわからない調理法。
引き続き坂を下る。
このあたりから
小さな集落が一気に増えました。
どこか日本の田舎にも
雰囲気が似てて
のんびりした空気感が気持ちいい。
雨季の始めということもあり
雲が掛かりがちなここ数日。
雨は困るけど、
雲が山の頂上を被うと
ときに神秘的な景色を
つくりだします。
夕方5時頃、
道路脇に食堂を見つけ
テントを張らせてもらうことに。
思えばペルーで
テントのお願いをして
断られたことはないです。
この日も屋根の下に
寝られることができます。
もちろんテント濡れてもいいけど
朝は乾かす必要があって
出発が遅れるので、
濡れないに越したことはないです。
アバンカイ出発3日目、
この日はスタートから上り坂。
クスコまでの4,000m級峠のラストを攻めます。
嬉しいのは集落が点在しており
食料の補給ができること。
安い食べ物が路上で手に入るので
走行中に食料を運ぶ
必要がありません。
これだけで、結構助かる。
斜度5%になる上り坂を
せっせと登り午後3時頃に
また一つの集落に到着しました。
ちょうどこの村に着くと同時に
後ろから
別のサイクリストの姿が…
それがこちら「武藤大輔さん」。
そう、南北アメリカ大陸においては初めて出会う
日本人のサイクリストです。
実はSNSで連絡を取り合っており
今日あたりにそろそろ道の上で会えるはず、
と分かっていたんです。
もともと和歌山県のパンダが有名な動物園で
“ドルフィントレーナー”をされていた武藤さん。
イルカショーのお兄さんということで、
とても明るい性格でございます。
ちょっと遅れてやってきた
アウレリオさんとも合流。
三人で走るのはこの旅でも初めて。
久しぶりに話せる日本語が嬉しく
べらべら喋りながら
ゆっくりと進み始めます。
夕立に降られた午後5時前、
やむを得ずお家の軒下で雨宿り。
もう峠越えは難しそうだと、
そのままそのお宅に
泊めさせてもらうことに。
スペイン語堪能なアウレリオさんのおかげ。
雨上がりに夕日が差し込む
アンデスの山あい。
散々この山に苦しんでもきたけど
いよいよ明日には
ペルー旅の区切りとなるクスコ
に到着できそう。
お家の方が晩御飯に
ふかしたジャガイモを
用意してくださいました。
そりゃジャガイモの原産地だから
美味しいんですよ。
でもイモばっかり…。
アバンカイ出発4日目。
男三人で物置らしき部屋に川の字で寝ていました。
なかなか無いシチュエーションなので
修学旅行みたいで楽しかった。
目を覚ました時から
気になっていた雨が
止む様子は無く、
覚悟を決めて走り出す。
雨季とは言え
終日降り続くことは少ないそう。
旅はひとりが良いに決まっていますが
たまにこんな大所帯で走るのも
悪くないです。
ちょっとした休憩時に
だらだら話すなんて
いつもはないこと。
そしてついに
最後の峠の頂上に到達。
雨の上にまったく見晴らしもなく
感慨も何もないですが
ナスカから散々上ってきた
山もとりあえず一区切り。
降りやまない雨に
徐々に体も冷えてきました。
防水ジャケットとはいえ
長時間降られ続ければ
内側に水が染みてきてしまいます。
靴もソックスもビショビショ。
11時頃に「アンタ」の町に到着。
クスコの前に他の場所へ寄る武藤さんとは
ここで一度お別れ。
つかの間のグループライドもここで終了です。
別れを告げる前に
みんなで食堂へ。
鶏のスープで体を温めます。
昨日の晩御飯がジャガイモだけ
だったのでなお美味しい。
いや、イモも美味しいんですよ。
武藤さんと別れ
1時間ほど走った所で
クスコ郊外に突入。
気づけば雨もだいぶ弱まっており
ほっとした気持ちになります。
過酷な山登りの旅がとりあえず終わる。
小さな丘から見下ろす
クスコの街並み。
想像していたよりも
ずっと大きく
周囲の山肌まで
びっしり家々が並んでいます。
ナスカの砂漠からはじまり
高山の頭痛に悩まされ
雨に打たれ寒さに凍え、
アンデスの美しさも厳しさも
たっぷり味わったこの2週間。
ひとまずこのクスコで疲れを癒せそう。
街の中心部までやってくると
カフェでひと休み。
一週間以上も共に旅路を共有した
アウレリオさんともここでお別れ。
引き続きお互い
良い旅をしていきましょう!
ということでペルー第二の都市「クスコ」に到着。
ただ休養をとるだけでなく
この都市の周辺には楽しみな観光スポットがたっぷり。
一度、自転車を置いて
“休日”を楽しんでいきます!
2024.11.26
【226日目 12,651km】
プキオを出発し、ブラジル人サイクリストの
“アウレリオ”と走り始めて4日目。
ナスカを出発しアンデスの山々を走り始めてからは
8日目となります。
「クスコ」を目指しつつも
標高4,000mの旅はまだまだ続きそう。
走り始めの朝8時頃。
気温は7°ぐらいだろうか、
ほんのり寒いくらい。
道脇でこちらを見つめてくる
モフモフ達は
この高所でも温かそう。
出発して1時間走った所で
集落に到達。
その集落がそのまま峠に
なっていました。
ここから一気に
下り坂をおりていく。
峠の向こうを見下ろすと
ゴツゴツと隆起した山を
うねるように道が続いています。
アンデス突入以降
何度かこんな景色を見ているけれど
これはいつ見ても爽快。
標高4,200m地点から
一気に3,000m地点まで
下りてきました。
ここからしばらく平地になり
ペルーでは初めて
水の流れる川に沿って進みます。
一気に下ったことで
気温がぐっと上がります。
朝は寒くて冬用のタイツを
履いていたので、
ここで荷物をひっくり返して
衣替え。
数十kmにも渡って
平坦が続くなんて
何日ぶりだろう。
力まず気持ち良く
ペダルを漕いでいるときは
自転車って良い乗り物だなと思う。
ちょうど昼頃に町に到着。
チャンチョ(豚肉)の丸焼き
でお腹を満たす。
アンデスの高所ではマスばかり
続いたので肉が嬉しい。
疲労回復にはやっぱり豚です。
午後からも川沿いを走ります。
スタートのナスカと比べて景色がガラッと変わりました。
砂漠から森林帯へ、アンデスにはいろいろな表情がある。
夕方4時頃、
久しぶりに100km超を走って
「サンタ・ロサ」という
小さな町に到着。
ほとんど登りのない道が
最高に気持ちいい日でした。
寒さを嫌うアウレリオさんの
リクエストもあって
ここ数日、宿に泊まることが多い。
ベッドで寝られるのはいいけど
毎日じゃなくでいいかな。
お金も掛かってしまうし…。
プキオ出発5日目。
気持ちの良い布団で目を覚ますと
今日も走り始めます。
昨日に引き続き
今日も平坦な道が続きます。
景色は単調だけども
ここ数日が過酷すぎたので
良い休憩です。
たまに楽な日が無いと体が持たない。
標高3,000mまで下りると
アルパカは姿を消し
集落が沢山あらわれます。
4,000mというのが
人間の生活圏には適さない
というのがよくわかる。
路肩の食堂にてお昼休み。
ペルーはスープ料理が
充実しているのが嬉しい。
疲れて食欲無い時でも
エネルギー補給のため
ささっと体に流し込めるのが嬉しい。
午後からは上り坂。
山中にある町を目指すのですが
獲得標高は600m。
そこそこの高さだけども
数千m級を登り続けたことを思えば
なんてことのない高さ。
斜度はそれなりだけども
フラットな道が続いたこともあり
脚が絶好調。
スイスイと漕ぎ続け
どこまでも登れそうなほどです。
ランナーズハイ的なものだろか…。
2時間以上にも渡って
坂を上り続けたところで
「アバンカイ」の町に到着。
山の斜面にへばりつくように
町が広がっており
どこも坂だらけで大変。
プキオから連日走ること5日間。
町の中心に位置する宿に泊まり
ここで1日休みをとることに。
山を登って下りての繰り返しで
遅々として進まないようだけど
クスコは徐々に近づいているはず。
到着の晩に食べたこちらが逸品でした。
その名も“アエロプエルト(空港)”。
名前の由来は謎ですが、チャーハンに細い麺が混ざったもので
まさに関西で食べられる“そば飯”なんです。
これまでの食堂でもメニューにあったけど
ここで食べたものが、ごま油の風味も良く
日本でも通用するくらい圧倒的に美味しかった。
もちろん麺なしでお米だけのチャーハン(チャウファ)もありますよ。
ついでにペルーの代表的な料理を
ささっとご紹介します。
“カルド・デ・ガジーナ”
鶏をよく煮込んだスープに
ソフト麵とじゃがいも、ゆで卵
が入った国民的スープ料理。
当たりのお店だと本当に美味しく
まさに鶏塩ラーメンです。
“ロモ・サルタード”
牛肉とじゃがいもを炒めたもので
ほとんど必ずご飯がつけ合わせ。
シンプルで予想通りの味なんだけど
お腹がすいているときの
食べ応えは抜群。
“セビーチェ”
以前もご紹介した
白身魚を柑橘系の果汁で
マリネしたもの。
サッパリとした前菜で
日本人はみんな大好き。
中華料理がかなり国民食として浸透しているようだし、
セビーチェに至っては
日系移民が持ち込んだ食文化の影響なんだとか。
メキシコにおける“タコス”のような
アイコニックな一品が無いように思えるけど、
その背景には他国からの影響を受け入れ
多様化してきた食文化の歴史がひしひしと感じられます。
まだまだ滞在中はペルーグルメを満喫していきます。
2024.11.22
【223日目 12,472km】
ナスカから3日間かけ
4,000mの峠を越えてやって来たのはプキオ。
まだまだアンデス山脈まっ只中ではありますが
つかの間の休みを満喫しています。
平地などほとんど無い
傾斜の急な山間に
これだけの町があるという驚き。
人の数も多いし
これだけの建物や物資が
存在していることが信じられない。
滞在していたのは
こちらのホテル。
観光で訪れるような場所
ではないけれど
¥1,000ちょっとで泊まれる宿が
沢山並んでいます。
路上の屋台で売ってた“コカ茶”。
砂糖が入って飲みやすく
高山病の予防効果もあるそう。
コカの葉は精製しだいで
“ヤべぇ白い粉”も作れてしまうので
日本に持ち込みはできません。
1日休んで町で疲れを癒すと
またクスコに向かいペダルを漕ぎ始めます。
その道のりは当然のように急な山道。
標高3,200mに位置する
プキオの町から、
再び登っていく。
町の周辺は農耕地として
開拓されているようで
畑が広く続いていました。
出発から1時間ほど。
道の上で出会ったのはブラジル人サイクリストの“アイレリオさん”。
コロナ禍の中断をはさみつつ10年近く世界を旅しています。
南米大陸が最後でもうすぐゴールのブラジルに向かうところ。
一緒に走ろうという約束をするでもなく、
ただ一本道をのろのろ走るものだから
当然のごとく共に走ることになりました。
今日は標高を
1,000m上げていく行程。
大変な高さですがアンデス突入後では
ほぼ毎日これぐらい上っています。
一日のうち平坦な道なんて
ほとんどない。
高所あるある。
日焼け止めやコンタクト洗浄液など
フタを明けた瞬間、膨張した空気と共に
「ボフッ」と中身が飛び出します。
この時も相撲取り一人塗れる分の
日焼け止めがこぼれてしまった。
大変だったのがこの日の午後。
路肩で適当に昼食を済ませ、
再び始めてしばらくのことでした。
標高4,000mに近づいた頃に
激しい頭痛に襲われたのです。
「ちょっと休むから先行っといて」
とアウレリオさんに告げ
しばし道端に寝ころび
休むことに。
なかなか痛みが治まらず
1kmほど戻った食堂にて
休ませてもらうことに。
前回の峠越えでもそうだったけど
僕はどうやら3,800mを境に
頭痛が発生してしまう様。
登山においても高い標高に体を慣らす
“高度順応”が必要ですが
まだそれが十分ではなかったみたい。
低気圧下で膨張した血管が
脳をギシギシと圧迫するそうです。
ここまでの頭痛はなかなか無い。
そのまま食堂でテント泊
させてもらうことも考えたけど、
連絡の取れないアウレリオさんに
心配かけてしまうので
頭痛がおさまった2時間後
再び走り出すことに。
そして走ること10kmほど。
別の食堂に到着しました。
「今日はここまでかな」と二人で示し合わせていた場所です。
「追いかけてこないから心配したよ」
と待ってくれていた彼。
さらに頭痛を心配してくれた
食堂のお母さんが
コカ茶を用意してくれました。
人の暖かさが体に染みる。
晩御飯は魚のマス。
カリカリに素揚げされたマスを
素手で持ってかじりながら、
ご飯をかき込むという
日本とそう変わらない
スタイルの食事。
そのまま食堂奥のスペースで
寝させてもらうことに。
標高4,200mに達するここは
深夜0°まで冷え込みます。
アラスカ以来の防寒をして
ゆっくりと床に就きました。
プキオ出発2日目。
朝食にはちょっと重たい牛肉のスープを食べたら
この日も出発です。
昨日から残る頭痛を我慢しつつ、
坂を上るごとに人生最高標高を
記録していく未体験の高所を
なんとか登り続けました。
爽快感のある景色に反して
過酷なアンデスの道のり。
坂を上った先の湖の広がる一帯が
台地になっており
ここからはしばらく平坦な道が
続いていく様子。
昨日プキオを出たばかりだけど
すでにクタクタです。
そして不安が的中した昼過ぎ。
砂漠と森林の境にあたるこの地域。
雨季のはじまりは連日
午後から雨が降ってしまうらしく
どんよりとした雲はあっという間に
雨を降らせ始めました。
急いで漕ぎ進めるなか
ナスカ=クスコ間では最高標高となる
4,500m地点を通過。
ただ景色も良くないし
雨で体が凍え始めているので
ささっと通り過ぎることに。
晴れてたら景色良いんだろうな
と思いつつも、
やがてすぐ横で雷もなり始めました。
避難する場所もなくただただ
無心でペダルを漕ぐ。
昨日まで雨なんて考えもしなかったのに。
60kmほど走った所で
「ネグロ・マヨ」という
集落に到着。
まだまだ走れる時間だけど
悪天候と寒さのため
ここで滞在することに。
村に一つしかない食堂で
唯一のメニューは魚のマス。
カリカリに素揚げされたマスを
片手に持ちかじりながら
ごはんをかき込む、
という行為を最近した気がする。
プキオ出発3日目。
前日の厚い雲は去って、朝からいい天気。
ただ季節的な雨は毎日続くので、
今日も晴れているうちに進んでおきたい。
ちなみにこの宿の2階に泊まっていました。
まだ標高4,200m程度なので
まだ頭痛は残ります。
自転車のガタンという振動で
脳が揺れる。
早く下って
気持ち良く走りたい。
町を離れてほどなく
ついに彼らが現れました!
南米を象徴する動物ともいえる
モフモフ科モフモフ属「アルパカ」。
牛と同じで横を通ると
すっごい見てきます。
出発から10kmあまりで
大きな谷に差し掛かりました。
これが絶景で
勢いよく下りるのがもったいなく
カメラを構えながら
ゆっくりと坂を下る。
こうした雄大な風景こそ
大陸ならではだと感じます。
数百mにも渡って下り続ける道路。
自然が作り出した大地の芸術に
思わず見とれます。
過酷だけど圧倒されるアンデス。
下る途中にもモフモフが。
よーくみたら毛並みが
交換前のダスキンモップみたい
なんて思っても言っちゃダメです。
可愛いで通ってるんだから。
過酷な環境だから汚れるのも仕方ない。
さらに下ると平原いっぱいに
アルパカ達がいました。
写真の小さな点がほぼ全てアルパカです。
夜空を埋める星のようにホント沢山。
このなかに羊もまぎれているので
探してみてください。
谷を下り切った所に
小さな集落があり
そこで昼食を済ませます。
昼間の気温は太陽が出ていれば
16°くらいでしょうか。
割と温かいです。
午後から谷の反対側へ
上ろうとしたころ、
やはり暗雲が立ち込める。
雨が降り出す前に
400mの高さを
登り切ってしまいたい。
と思いきや頂上付近で
やはり雨に打たれてしまう。
民家のガレージ的なスペースにて
ひと休みすることに。
結局降りやまず
2時間の足止めをくらいました。
雨が上がったタイミングで
再び漕ぎはじめ、
谷の頂上までやって来ました。
太陽が隠れると
とたんに気温が下がってしまう。
服の脱ぎ着が大変。
峠の向こうには
緩やかな下りが長く続いていました。
ブレーキを握る必要もない
絶妙な傾斜で
気持ち良くどこまでも下る。
坂道の後のこのご褒美がたまらない。
峠から20kmほどの所で
「ウアラコヨク」という集落に到着。
¥800の安宿に泊まることに。
4,000m付近の寒さと
悪天候のせいで
テント泊から離れてしまっている。
想像すらできなかった高所へ上ることに
不安を感じていたアンデスサイクリング。
頭痛に悩まされたりと苦しいこともありますが、
見たこともないような絶景に圧倒しつつ
南米大陸ならではの旅を楽しんでおります。
2024.11.18
【219日目 12,336km】
リマから6日間かけてやってきたナスカ。
一応は目視確認できた地上絵に満足したことにして
砂漠の町で2日間の休養をとりました。
次に向かう目的地は
かの有名なマチュピチュ観光の
拠点となる街「クスコ」。
距離にして600kmあまりですが
これがただの道のりではなく
文字通り大きな“壁”が立ちはだかります。
それは南米大陸を縦に貫くアンデス山脈。
4,000mにも及ぶ山嶺を
自転車で越えなければなりません。
もちろん山脈なので、
一つ峠を越えて終わりではなく
登っては下り、を何度も繰り返します。
休養を終えたらいよいよ出発。
クスコまで2週間弱はかかるだろうか。
山間に現れる町で休憩をはさみつつ、
ゆっくりと確実に進んでいこう。
ナスカの町を南に出ると
あっという間に民家は無くなります。
遠くに見える山が
少し怖くすら感じる。
けれど最高の景色も持っているはず。
南米旅もここから本番という気持ちです。
道程は初日からかなり過酷で
1日目に2,000m、
2日目には1,500mと
いきなり標高を上げていきます。
アルメニアで経験した1日あたりの
獲得標高の最高記録、2千mに並ぶ。
出発から4時間経ったお昼ごろに
1,000mを登りました。
後ろを振り返るとこの景色。
荷物を積んだ自転車で上るのだから
ひと漕ぎひと漕ぎが重い。
時速7kmでゆっくり進みます。
交通量が少ないのが幸い。
通過するほとんどが大型トラックで、
九十九折りの道を猛スピードで
走れるはずもなく
エンジンをうならせつつも
徐行で僕を追い抜いていきます。
事前にルートチェックはしてますが
思わぬ場所で把握してなかった
フードトラックを発見。
昼食はパンをかじって済ませたけど
路上で人と会うことも無いので
喋りながら言い息抜きになる。
ペルーに来てよく飲むのが
こちらのインカコーラ。
コーラよりもオロナミンCに近い味です。
駄菓子屋の安いジュースみたいだけど
飲み慣れると美味しくなくはない。
まぁ、あくまで“美味しくなくはない”。
大型トラックの走行を考慮してか
傾斜がさほどキツくないのも
なんとか登れる理由です。
立ち漕ぎもせず座ったまま
なんとかペダルを回していく。
後ほど苦しむことになるけど。
午後3時頃、標高2,000m付近に到達。
後ろを振り返ると波のように隆起した山々と
それを縫うように敷設された道路が見える。
さらに進んで夕方5時。
数軒の家屋が並ぶ集落に到着。
十軒あるかないかだけど
ここでどんな生活が
営まれているのだろうか。
トラックが通過するだけの場所なのに。
一軒の食堂があったので
入ってみることに。
牛肉とじゃがいもの煮込み。
ペルーの人はお米も良く食べます。
日系文化の影響もあるだろうか、
食事はかなり美味しいです。
食堂の裏手にテントを張らせてもらう。
聞くと、各国のサイクリストが
立ち寄ってるみたいです。
他に食べる場所もほとんど無いので
皆同じ場所になるよね。
疲れ果てて7時過ぎには就寝。
ナスカ出発2日目。
テントを開けると標高2,500mのアンデスが目に飛び込む。
筋肉の張った足をほぐしたら今日も登りはじめます。
今日は標高4,000m付近まで登る予定。
ナスカで買っておいた高山病の予防薬を
走行前に飲んでおきます。
未体験ゾーンに突入する不安もあるけど
もちろんワクワクもある。
ちゃんと自力で登れるだろうか。
走り始めると食堂の犬が
追いかけてくれました。
昨日の夜、全力で
なでなでしすぎたのかもしれない。
そんな切ない目で見つめられると
出発しにくくなるじゃないの。
走り始めて1時間したところで
集落に到着。
数十km置きにいくつかの食堂も
あるようなので、
これらを頼りつつ
高所アンデスの旅を進めていく。
前日よりも若干ながら
傾斜が緩い気がする。
今日の獲得標高は1,500mだけど
昨日の疲労がある分、
よりしんどく感じる。
クスコに着くころにはボロボロだ。
前日ほど九十九折りの峠もなく
難所らしい所もないんだけど
平坦になる瞬間がほぼないので
体力的にも精神的にも
こたえます。
坂を上ると次の坂が待っている。
そして午後3時頃、
標高3,800mと富士山よりも高い場所に到達した時点で
いよいよ高山病の症状が出始めました。
ズキズキと頭が痛むのに加え、
立ちくらみのように瞬間的にフラッと力が抜ける。
同時に脚の疲労もかなり溜まっているので
自転車を降りて押しながらゆっくり進むことに。
夕方5時前、集落に到着し
休める場所は確保できそう。
もちろん食料は持ち運んでいますが
疲れていることもあって
なるべく栄養と食べ応えと温かさの
あるものが欲しい。
標高は遂に4,000mに到達。
日中は半袖で走っていましたが、
夕暮れが迫ると同時に
一気に気温が下がります。
気温を保持する空気が少ないからか、
ここまで極端な変化は体験したことが無い。
唯一のメニューは
魚のフライと付け合わせに
ジャガイモ。
何でもない料理なんだけど
これが揚げたてで
最高に美味しい。
ナスカ出発3日目。
そのまま食堂の横でテントを張らせてもらいました。
明け方は2~3°まで冷え込むけど、
日が出ると一気に15℃以上まで上昇します。
お世話になった食堂の店主「アナさん」。
週末には町へ下りて
民謡の歌い手をされています。
動画も見せてもらったけど
素晴らしかった。
伝統音楽の生演奏も見たいなあ。
走り始めてすぐの道。
若干のぼり気味なんだけど
それでもここまで平坦な道は
アンデス突入以降
初めてでなかろうか。
スイスイ進むのが気持ちいい。
そして10kmばかり走った所で
標高4,150mの峠に到達。
クスコまでの道のりにおいて
序盤の最高点となります。
まだ、ここより高い場所もあるけど
ここまで一気に登らなくていいはず。
黄金色の草が大地を覆う
標高4,000mの風景。
昨日からの頭痛がうっすら残るけど
呼吸については
さほど息苦しさを感じません。
ちょっとずつ順応しているのか。
峠の向こう側には
果てがうかがい知れないほど
長く続く下り坂が伸びていました。
ここから1,000m近く
標高を下げていきます。
これだけ登ってきたとは信じられない。
途中にいくつかの
集落を通過しながら
3,200m地点まで降下。
最高に気持ちいいんだけど、
どうせまた登ると思えば
嬉しいばかりではないのがアンデス。
山地とあって
牛や羊もたくさん飼われてます。
耳に飾りをつけるのが
アンデススタイル。
そういえば、もふもふした
あの動物はまだ見ていません。
小さな川を越えると
また登りが始まりました。
急峻な山を3日も漕いでると
もう頑張ろうとすら思わなくなる。
押してでもいいからとにかく前へ。
早く町で休みたい。
ちなみに南半球なので季節は
日本と逆転して、ただ今ペルーは春先。
といっても赤道に近いので
この辺りは冬でも雪が降らないそうです。
アラスカを思えば、
アンデスの寒さは何でもない。
午後からも黙々と
登りが基調の道を進み
夕方4時頃、
ついに眼下に広がる町を
確認できました。
あぁ、ベッドで寝られる。
滑り降りるように最後の坂を下り
あっという間に「プキオ」の町に到着しました。
ナスカを出発してアンデスを走ることまずは3日。
たったの150kmですが、濃い道のりでした。
クスコはまだまだ先だけど
休みを挟みつつゆっくり進んでいきます。
2024.11.13
【214日目 12,171km】
首都リマを発ち、南米旅が始まって4日目。
引き続き都市を結ぶ主要道に沿って
南へと下っていきます。
景色はいよいよ本格的な
砂だらけの砂漠へと
移り変わってきました。
“南米すなわち山”という印象だったので
ここまで広大な砂漠が広がっている
ということにビックリ。
町や村の近くの道路上には
車のスピードを抑制するための
突起物がよくあるのですが、
ペルーのはひとつずつがデカい。
高さが10cm弱ほどあるので
停まってゆっくり越えなければ。
60kmほどを走った昼過ぎには
目的の街「イカ」に到着。
リマから300kmほどで、
ここまで大きな規模の街は
出発以来初めて。
先を急がず、今日はここで泊まります。
予約していたゲストハウスにチェックイン。
ペルーは南米屈指の観光立国とあって
それなりの規模の街であれば
安価な宿が充実しているようです。
テントを張る場所も見つけやすいし
ペルーの宿泊事情は良好です。
パパっとシャワーだけ浴びると
オート三輪“トゥクトゥク”に乗って
街の郊外にある観光名所に向かいます。
自転車移動ばっかりだから
他の交通機関で移動すると
ちょっとテンションが上がります。
やって来たのは砂漠のオアシス“ワカチナ”。
イカからほんの2km西に位置する観光スポットです。
写真の通り砂漠にぽっかり穴が開いたようにオアシスがあり、
その周りに小さな町ができている珍しい光景。
水辺には背の高いヤシの木が影を作り
建物がぐるりとオアシスを囲みます。
その背景には数十mに及ぶ砂丘が
ズンと存在していて、
独特な景色を作っています。
これもイメージしてた南米とは違う。
オアシスのほとりに立ち並ぶのは
カフェや宿ばかりで
すっかり観光の町に
なってしまっているそう。
日中の気温は25°くらいでしょうか
影もあるのでそんなに暑くない。
砂丘から見下ろした夕暮れのワカチナ。
本当は日が沈みきった夜景を撮りたかったけど
砂を舞い上げる風と寒さのせいで早めに宿へと切り上げることに。
リマ出発5日目。
イカの街を出る前に路上屋台で朝食を済ませます。
ペルーの皆さんが良く食べるのは
パンに切り込みを入れたサンドウィッチ。
具はソーセージや卵、アボカドなど色々です。
朝夕の気温は13°くらいで
一枚羽織りたいくらいの
気持ちいい寒さ。
日中も汗が滴るほどではなく
旅をしていて一番快適な気候です。
すぐ高山に行くので続かないですけど。
イカの街を過ぎると
道路状況が一気に悪くなりました。
路面のひび割れが酷いし
細かな凹凸も多い。
これらのせいでスピードに乗れないのが
小さなストレス。
午後からは周囲の家屋が激減し
よりディープな砂漠へと
突入していきます。
遮るものが無いから
横からの風がもろに吹き付ける。
思うように進めない。
トラックドライバー向けの
休憩所として、
まれに食堂や商店が現れます。
気温がさほど高くないので
そんなに喉は乾かないけど
座って休める場所が嬉しい。
砂漠を突っ切る一本道。
結局午後は延々と
この景色を走ることになりました。
「あそこまで頑張ろう」という
標石が無いから
メンタルがやられます。
5時頃、手招きされた路肩の商店で
スイカをご馳走になります。
クーラーでしっかり冷えた
果汁が喉に体に染み渡る。
砂漠で食べる果物って
最高に美味しいです。
この先の村まで行って
夜を過ごすことを伝えると、
「もうココで寝てきなよ」と
彼らが寝泊まりしている
道路を挟んだ向かいのプレハブ小屋を
案内してくれました。
6時を過ぎると夕日が沈み、
おぼろ気になっていく地平線を眺める。
首都の喧騒を離れ
雄大な南米の自然へと徐々に
踏み込んでいくのを感じます。
砂漠で過ごす夜は気持ちが良い。
夕食も呼ばれてしまいます。
牛豚も食べるけど一番身近なのは
やはり鶏肉。
そして定番の野菜はジャガイモ。
どっちもスープに沈んでしまって
見えないですが。
プレハブ小屋で目を覚ましたリマ出発6日目。
深夜は少し冷え込むので久しぶりに寝袋の登場。
夜はちょっと寒いくらいの方が熟睡できます。
出発前には朝食までご馳走に。
ご飯に卵を乗っけたもの。
タンパク質と炭水化物が取れて
もう言うことないんだけど、
強いて言うなら醬油をかけたい。
卵にほんの数滴の醤油をかけたい。
名前も無い、村ですらない場所で
一つ思い出が出来ることこそ
自転車旅の魅力。
ペルー旅はスタートから
良い出会いが続いています。
ルイスさん、ありがとう!
昨日と変わらない砂漠を進む。
なかなか写真では
伝わりづらいかも知れないけど、
ペルーの大地の広大さに
圧倒されています。
そして、空が大きく感じられる。
しばらく進むとこんな道が。
南米初のトンネルです。
狭くて暗くて怖いのですが、
手前に信号代わりに
係の人が立っているので
安心して進むことが出来ました。
トンネルと抜けるとそこは雪ぐ…、
長い下り坂が待っていました。
グネグネと九十九折りに
なっているのですが、
これがかなりの急こう配で
ブレーキを必死に握り恐々と下る。
坂の下に村があり
そこでランチ休憩。
魚のフライを頼みました。
川でとれたモノらしく
マスの仲間だそうです。
鮭みたいなピンクの身が美味しい。
食事を済ませ村を出ると
緩やかながらも長い上り坂が
待っていました。
ギアを軽くして
ゆっくりゆっくりペダルを回す。
じわっと汗をかき始める。
坂を上り切った先は標高600mに位置する砂漠地帯。
看板に記されているのは“LINEAS DE NAZCA(ナスカの線)”。
そう、かの有名な「ナスカの地上絵」が描かれた一帯です。
南米大陸を代表する世界遺産に到着したところで
気分も高揚します。
テレビなどで何度も見てきた古代の遺産を
遂に間近で見られるチャンス。
砂漠に入ってすぐの所に
こんな見晴らし台が建っています。
高さ20mくらいはあるだろうか、
ここに上ればきっと
大地に描かれた太古のアートが
目の当たりにできる。
しかし近づいてみると
何やら封鎖されている様子。
ガードマンに確認すると、
ここ一カ月ほどメンテナンスの為
利用不可だとのこと。
「ウ、ウソでしょ…。」
「いや、ちょっと上るだけだからいいじゃん。
アラスカから走って来たんだよ。これを見るために!」
と無駄だろうな、と思いつつ食い下がったけど
やっぱり無理なものは無理でした。
期待していただけに、これはガッカリ…。
仕方なく見張り台を離れ
1kmほど走った先に
小高い丘がありました。
鉄塔の半分くらいの高さしかないけど、
現在地上から見えるのは
ココしかないそう。
丘の上からは大地に連なる一本の線が見えました。
太さ2~3mほどの線が地平線の果てまで続いている。
世界遺産にも登録されている「ナスカの地上絵」。
最も古いもので紀元前3,000年頃から存在しているのだとか。
古代ナスカ文明の遺産でありながら
その線が描かれた目的、方法は
現在でもはっきりとは分かっていないそうです。
他にもいくつもの細い線が
あらゆる方向へと伸びています。
太陽や月の軌道と重なるものもあり
暦との関連もあるそう。
メキシコのマヤ遺跡でも感じたけど
太古の遺跡にはロマンが詰まっている。
あたりの砂漠は小石や砂利が多く
それらの石を綺麗に横に除けるだけで
線が描かれています。
地面に深々掘られてるわけではありません。
数千年も維持されているのは
ほとんど雨が降らないおかげ。
コンドルやクモのモチーフの絵が有名ですが
それらはセスナ(小型飛行機)からでないと
見ることはできません。
発見されたのも飛行機が発明されたここ100年の話で
ホント何のためにこんなものが描かれたのか…。
ロマンです。
30kmほど続く砂漠を再び走ります。
そこらに絵が点在しているのですが
当然サイクリスト目線では
見えるはずもなく。
「あぁ、横に地上絵あるんだなぁ」と
感受性をマックスにして進みました。
砂漠を走り切った所で
「ナスカ」の町に到着。
地上絵を目的にやってくる
観光客が滞在する場所です。
ちなみにセスナ飛行は1万5千円ほど。
僕は怖いので¥100でも乗りたくない。
飛び込みでやって来たゲストハウスにチェックイン。
リマから6日間かけてやって来ましたが
ペルー旅のスタートは
人との出会いあり、魅力的な観光地ありで
充実の旅路となりました。
2024.11.9
【211日目 11,959km】
日本人宿「桜子」ではたっぷり5日間の滞在。
出発時には、
最後の夜にやっと会えた日本人旅行者の方と
オーナーのナツキさんに見送られ
ついに南米旅がスタートです。
南米大陸はじめの国、
そして自転車旅においては34か国目となるペルー。
古代文明が遺した多くの文化遺産や
数千mにもなるアンデス山脈の雄大な光景など、
とても楽しみにしていた国の一つです。
期待と不安を胸に南へと走り始めます。
宿から1kmも走らないうちに
高速道路の乗り口へ。
首都から出るためには
高速道路を進むのが
安全かつ早いそうです。
ちょっとドキドキ。
メキシコは自転車走行が公認だったけど
ペルーではグレゾーンだそう。
ただ料金所でも警察にも
止められないので
事実上オッケーみたい。
路肩も広く落ち着いて走れる。
首都とはいえ高層ビルが
立ち並ぶのは中心の
ほんの一部分だけ。
あとはレンガ造りの建物が
埃っぽい景色を埋め尽くします。
地震が来たら絶対危ない。
新たな大陸とあって
出発前は緊張もあったけど
しばらく走ってしまえば
これまでとなんら大きく
変わることはありません。
ただペルーはクラクション多めかな。
「ここを過ぎるまでは
寄り道なしで突っ切って!」
と忠告を受けていた
“ヴィジャ・エルサルバドル”。
丘の上がギャングの巣窟らしいけど
出発から30kmほどで無事通過。
安全地帯までたどり着いたところで
ガソリンスタンドにて昼休憩。
出発前にナツキさんから
おにぎりとスナックを頂きました。
おかげで余計な買い物もせず
ここまで来ることが出来た。
しばらく走った所で
限りなく広がる太平洋が
お目見え。
バハカリフォルニアでもそうだったけど
はるか向こうにある故郷・日本が
つい頭をよぎる。
夕方になると街も無くなり
ゴツゴツとした岩肌ばかりで
緑のない山々が姿を現しました。
ついこないだまで走っていた
ユカタンのジャングルとは
似つかない風景。
夕方5時を過ぎた頃、リマから90km地点の
「プラジャ・レオン・ドルミド(眠る獅子の海岸)」に到着。
もっと走る予定だったけど、思いのほか日の入りが早い。
ビーチの左手にある大きな岩が
ライオンが寝ている姿に見えるとのこと。
写真の左が頭で、右がおしりです。
砂浜に並んだ海の家のうちの
一軒に尋ねると
テントを張ってもいいとの
許可を頂けました。
ペルー走行初日はとてもスムーズに
野営地を確保。
夕食もここで頂くことに。
海水浴客向けなので値段は高め。
鶏肉を揚げたものに
ポテトとライスで¥1,000ちょっと。
ペルーの相場の把握がまだだけど
毎食こんなに高い訳じゃないです。
ほどなく太陽が海へと沈んでいきます。
言うまでもなくここは海抜0m。
数日後にはここから4,000m
のアンデスまで上っていくんだから
正直全然想像がつかない。
本当に上れるのだろうか…。
リマ出発2日目。
メキシコカンクン到着から昨日のリマ出発まで
10日間空いたものだから、体がなまって仕方ない。
夜の19時半には寝たのに目を覚ますと朝の7時。
ほぼ12時間の爆睡でございます。
テントを畳んですぐ出発と思ったけど
海の家を営業する方から
「朝ごはんも食べていきなよ」
とお誘いを受けたので
お言葉に甘えることに。
これはラッキー。
朝からたまたま親戚の方も
集まっていたそうで
なんだか賑やかな朝食に
なってしまいました。
申し訳ないのでパラソルを運んだり
営業の準備を手伝います。
出発が遅れて今日も予定の街に
着くこと出来なさそうだけど、
こんな理由で足止めされるなら
いくらでも大歓迎です。
フランシアさんご一家、
どうもありがとう。
走り出した道は
昨日と同じ埃っぽい景色。
ペルーといえば山
というイメージだったけれど
それ以上に砂漠が広がっているよう。
とにかく砂が多いです。
リマから数百kmに渡る海岸線には
高級住宅街がたくさん存在します。
白くて無機質な建物が
のっそりと佇んでいる。
全く風景に溶け込んでないんだけど
ほんとに人が住んでるのだろうか。
リマを出発した昨日の午後から
ほとんど景色に変化がない。
退屈といえば退屈なんだけど
これがペルーなのか。
道は綺麗なので
気持ち良くは走れています。
砂漠といえば平地のイメージですが
実はかなり起伏もあります。
ユカタン半島が
ほぼ平らだったこともあって
足がビックリしている。
立ち漕ぎなんて一か月振りじゃないかな。
今日も90kmほど走った所でストップ。
名前も分からない村の食堂で
とりあえず夕食をとります。
まだ料理の名前を覚えてないので
いちいちどんなのが出てくるかも
分からない。
リマ出発3日目。
結局昨晩は食堂の前にテントを張らせてもらいました。
すごい静かでお客さん来るのかなと思ったけど、
日が暮れると高速バスが何台も止まって
百人以上のお客さんが次から次へとやってきました。
休憩地点になってるみたいです。
いざ走り始めると灰色の空。
リマ滞在中もそうだったけど
この辺り午前中は
雲がかかりがちなようです。
雨が降らないからいいんだけど
せっかくなんでスカッと晴れて欲しい。
メキシコほどそこらじゅうに
屋台があるわけじゃないけど、
村や町にたどり着けば
手頃な食堂が沢山あります。
もうちょっとパターンが見えてきたら
ペルー料理もまとめますね。
リマから200kmほど離れると
交通量もかなり落ち着いてきました。
新しい国に入るとまずは
交通事情が不安。
とりあえずこれまでのところ
猛スピードのトラックはいません。
明日には目的の街に
余裕をもってつきそうなので
今日は70kmちょっとでストップ。
「パラカス」という町の外れに
¥1,500の安い宿を
見つけることが出来ました。
いよいよ始まった南米の旅。
まだ海岸線をのんびり漕いでるだけだけど、
先に待ち構えるアンデスの山岳地帯へと
少しずつ距離を縮めていきます。
2024.11.5
【207日目 11,703km】
メキシコのカンクン国際空港にて。
大きな荷物を携えてタクシーで無事に空港までやってきました。
23kgの荷物を2つまで預けられるチケットを購入しております。
おかげで料金は倍に跳ね上がり、全部で7万円ほど掛かりました。
自転車の重さは把握しており箱に入れた状態で21kg程度。
もう一つの旅の荷物がすべて入ったカバンは、量ってすらないのに
なんとほぼ限度重量の「23.1kg」!
この時は自分で自分を褒めてあげたくなりました。よしよし。
(0.1kg分は見逃してくれます。)
尚、心配していたメキシコ入国審査のスタンプ押印が無い件ですが
移民局の事務所に行くと
ティファナ国境にて払うはずだった¥5,000程度の入国税だけ払って
すんなり押印してもらえました。3分で終了。
「最悪、搭乗拒否されたりして」なんて思ったけれど
心配事の9割は実際には起こらない。
宿を出る前に晩御飯を済ませたけど
離陸が深夜1時とあって
やっぱりお腹がすいてしまう。
¥2,000の無駄に高いバーガーが
メキシコ最後の食事になってしまった。
味はとても普通。
そして、予定通り深夜1時に飛行機は離陸。
なにかと不安の付きまとう空路移動もとりあえずはひと安心。
時間も時間なので席に着くなり爆睡してしまいました。
約5時間の飛行の後、現地時間の朝6時に
南米ペルーの首都・リマの空港に到着しました。
ちなみにカンクンとリマに間に時差は無し。
実は、僕は飛行機に乗るのがあまり好きではなく
飛んでる間は不安で仕方ないので、
無事着陸した時にはパイロットの方に、心の中で大きな拍手を送っています。
今回も衝撃の少ない見事な着陸でした。
入国審査を終えると
すでに2つの荷物が
受取所に置いてありました。
過去に例がないほど
スムーズな流れで空港を出られそう。
荷物もすごく綺麗だし。
そのまま空港を出てしまうと
競り市場のごとく
タクシーに声を掛けられまくるので、
ちょっと割高だろうけど
無難に空港オフィシャルタクシーを
利用することに。
余裕のあるサイズの車を
ご用意してもらえました。
飛行機を降りてこの時点まで
ほぼ全ての行程に待ち時間が無く、
30分程度でやってこれました。
幸先のいい南米旅のスタート。
予約している宿までは20km程度。
窓の外に広がる雑然としたリマの街を
キョロキョロと見渡す。
暑い雲が覆っているせいで
スカッとした気分にはなれない。
アラスカ到着時も曇ってたな。
まだ朝も早い7時過ぎに着いたのは「お宿 桜子」。
日本人のオーナーさんが経営されており、
南米を旅する日本の旅人の間では有名な
いわゆる“日本人宿”です。
久しぶりに日本の方との
交流を楽しめると思ったけど
いくつもベッドが並ぶドミトリーには
なんと僕一人だけ。
いいんです、いいんです
一人好きだから。
結果、滞在中には一泊利用の方が
2組泊まっただけ(それも個室)。
広いドミトリーにポツンと一人で眠る毎日でした。
いいんです、いいんです
一人好きだから。
到着当日は移動の疲れもあるけど
何もしないのも勿体ないので
早速、自転車の組み立てを。
数日前に分解したばかりなので
ここではとてもスムーズに
作業が進みます。
翌日からはバスに乗って
リマの中心部の旧市街へと出かける日々です。
のんびり観光という訳にもいかず、
南米旅本格スタートの前に
やっておかなければならないことがいくつもある。
※
ちなみに、今回のブログは
“飛行機移動”と“治安の良くないリマの散策”ということで
カメラを持ち歩かず、スマホで撮影した写真が大部分です。
普段より画質悪いのでご了承ください。
まずやってきたのは電気街。
カメラ周辺機器ばかりのお店が
いくつも並んだエリアへ。
実は、ユカタン半島で
カメラと三脚を固定する“クイックシュー”
という部品を紛失おりました。
同サイズのクイックシューが
見つからないので、
「雲台」というパーツごと
新調することに。
取り寄せになるかも、と思ってたので
すぐ見つかってよかった。
飛行機に乗る前の
梱包作業中に気が付いたのは、
荷物を取り付けるリアキャリアの
ネジ穴が金属疲労で折れていたこと。
暑さ寒さに加え、乾燥と湿気も。
三大陸も巡ればこれだけくたびれて当然。
近くの自動車工場で溶接を
お願いしましたが、
軽量スチールの接合は難しく
これが上手いことくっつきません。
他の場所を尋ねても
無理だと断られてしまいました。
どうにも難しそうなので
ホームセンターで“エポキシ樹脂”を
購入し、自分でくっつけてみる。
ついたけどこれでは弱いだろうな。
応急処置にすぎないけど
一応これでオッケーとしておく。
10,000km以上を走って
かなりすり減った後輪のタイヤ。
メキシコではかなりパンクの回数も増えていました。
大陸規模のサイクリストがほぼ全員使用している
ドイツメーカー“シュワルベ社製”のタイヤ。
耐久性では群を抜いていると評判の製品。
果たしてペルーで見つかるだろうか。
旧市街の自転車ショップエリアで。
分野ごとのお店が密集しているのが
とても助かります。
ただひと通りのお店を見ても
シュワルベタイヤは見当たらない。
違うのを試してみようか…。
手に入れたのはCSTという
台湾メーカーのタイヤ。
¥5,000のシュワルベに対し
わずか¥1,500なので、
3本以下の交換で南米を走り切れたら
CSTの勝ち、結果はいかに。
空港に向かうタクシーで失くしたのは
ウインドブレーカー。
ユーラシア・アフリカを共にしただけに
最後まで一緒に走りたかった。
ご提供いただいたモンベル様、本当に申し訳ございません。
こちらは旧市街の衣類の問屋街へ。
最初はワクワクしたけど
店が無数にありすぎて探すのが大変。
そもそもアウトドア用のジャケット
というものの取り扱いが少ない。
山岳国家なのに。
購入したのはコロンビア製の
ウインドブレーカー。
限られた選択肢の中から
選んだので、あまり気に入ってないけど
これなしで旅はできないので
仕方ない。
という具合に、旅の後半戦に向けて
諸々の準備を整えておりました。
すっきりまとめて書いていますが、
たった一日でスムーズに見つかったのは三脚の部品くらい。
他のものは数日探したうえに、妥協して選んだりもしているので
“のんびり4日間”の予定だったリマの滞在は
“バタバタの5日間”になってしまいました。
最後に滞在中に食べた
ペルーの料理をご紹介。
白身魚をレモンなどの
柑橘系の果汁でマリネにした
“セビーチェ”。
サッパリとして日本人なら誰もが好き。
新鮮な魚じゃなければいけないので
内陸に入ると食べられないだろうな。
一番感動したのは、牛のハツ(心臓)を
串焼きにした“アンティクーチョ”。
スパイスに漬け込んでるので臭みもなく
新鮮だからかすごく柔らかかった。
日本の焼き肉屋を思い出す
最高のグルメでした。
全大陸でも一番といわれる
南米産の牛肉。
市場では200gを
¥250ほどで買うことが出来ました。
シンプルにフライパンで
ステーキにしてみる。
いざ食べると、評判に違わないその美味しさ。
決して“良い肉”とはいえないランクだろうけど
ちゃんと柔らかいし、塩コショウで焼くだけで
しっかり旨味があります。
いよいよ始まる南米旅。
料理だけでなくどんな人がどんな風景が待っているのか、
目の前に待ち受けるすべての出会いが楽しみです。
準備が整ったら、いよいよペダルを漕ぎ始めます!
2024.10.29
【202日目 11,703km】
チチェンイッツァの観光を終え、
いよいよカンクンまではわずか150km。
2日間あれば十分すぎる距離なので
先を急がずユカタンの定番観光地へ足を運ぶことに。
滞在していた“バヤリド”の町から
わずか5kmあまりの場所に
それはあります。
入場口で料金を払い先へ進むと
地下へと進む洞窟が
口を開いておりました。
階段を下りた先に待っていたのがこの「セノーテ」。
ユカタン半島に4,000か所以上も点在する天然の湖です。
ユカタンの特徴である山のない地形。
これにより大きな河川が存在しない代わり
豊富な地下水脈が流れております。
さらに比較的もろい石灰岩地帯が
多いことによって
浸食、陥没が発生しやすく
洞窟ができやすいのだそう。
そこに地下水が流れ込み
形成された湖をセノーテと呼びます。
なんと浸かって泳ぐこともできます。
水温は冷たすぎない21°。
日が差し込む水中をのぞけば
その透明度がよく分かります。
神々しさすら感じる空間。
小さな魚も泳いでいますよ。
「セノーテサムラ」と呼ばれる
このセノーテが穴場だったらしく
朝いちだったこともあり
広い洞窟空間をのんびり楽しめます。
人気のセノーテでは
人がごった返すそう。
さらにすぐ隣の
「ケケンセノーテ」にも入りました。
こちらは22m上の天井から
垂れ下がる鍾乳石が見所。
超現実的で芸術的な空間が
広がっております。
ここまで鍾乳石に近づけて
触れることまでできる場所って
世界でもなかなか
ないのでは無かろうか。
水面に浮かびながら
贅沢な時間を過ごしました。
さほど期待してはいなかったのですが
自然の作り出した景観にしっかり魅了されてしまいました。
別に泳げるからとテンションが上がる方ではないのですが
このセノーテはかなり興奮してしまいました。
メキシコのユカタン方面にお越しの方には
強くお勧めいたします。
セノーテを満喫したら、
バヤリドの街まで戻り
いよいよカンクンを目指して
走り始めます。
2ヵ月以上にも渡る
メキシコの旅がもうすぐ終わる。
ユカタンでは
こんな森の中の一本道を
ひたすら走っておりました。
坂も無くホントにまっすぐ。
何の出来事も起こりません。
思えばアラスカもこんなだったな。
夕方5時過ぎには
もう暗くなり始めてしまう。
焦りながらなんとか“スカン”
という集落に到着。
夜間走行は危ないので
もっと余裕を持たねば。
テントを張る場所を見つけられず
ウロウロしていると
こちらのハンバーガー屋台の
奥さんが、
「閉店後ならここに張っていいよ」
と言ってくださいました。
メキシコ走行最後の夜も
しっかり安全な場所で
眠ることができそう。
突然のお願いにもかかわらず
迎え入れてくださる方が
沢山いる国です。
もちろん晩御飯は
ハンバーガー、そしてコーラ。
メキシコでは定番の屋台メシ
なんですよ。
今日はタコス嫌だって時に
よく食べています。
お店を片付けると
「やっぱり家の中で寝なよ」
とのことで
部屋にぶら下がったハンモックで
寝させてもらうことになりました。
意外としっかり寝られます。
そしてメキシコ走行最終日。
お世話になったヘルミーさんに別れを告げると
90km先のゴール・カンクンを目指します。
まずは道路沿いの屋台で
ユカタン名物「パヌーチョ」。
ほぼタコスじゃん、っていう
料理ばかりだったけれど
メキシコ料理はしばらくしたら
絶対に恋しくなる。
いよいよゴールが迫り
気持ちは高ぶるものの
景色はなんら変わることは
ありません。
ユカタンは最後までユカタン。
熱帯雨林は果てしなく続く。
カンクン付近は
高速道路の自転車走行禁止の為
路肩のない一般道を走ります。
思えば入国前のメキシコは
めちゃくちゃ不安だったな。
轢き殺されるんじゃないかと…。
いよいよあと15km、
という地点で何とパンク。
ずっと一人で旅をしてると
独り言が増えます。
「えー、今ー!?」って
デカい声で愚痴を言う。
やっとパンク修理を終え
カンクン郊外にやってきた時には
日も暮れ始めていました。
後ほど気が付きましたが
タイムゾーンが変わり、
5時だと思ったのが実はすでに6時。
予約していたゲストハウスに着く頃には
すっかり日も暮れてしまいました。
ゴールの感慨に浸る余裕もなく
汗だくになってシャワーを浴びる。
朝から時計が1時間ズレてるから
損した気分になってしまう。
到着翌朝。
リゾート地・カンクンの定番は
白い砂のビーチ。
ただ遠くで発生している
ハリケーンの影響から吹く風で
のんびり眺められる様子じゃない。
リゾートホテルがずらっと並ぶ
カンクンのビーチ沿い。
どこも宿泊者専用に囲われており
誰もがふらっと立ち寄れる
海辺ってほとんど無いんです。
ちくしょう。
ということで
メキシコのゴール地・カンクンに到着しました!
入国から2ヵ月半、
サボテンだらけの砂漠や熱帯雨林、3,000m越えの高所など
様々な表情を見せてくれたこの国。
治安に関する悪評にビビりまくっていたものの
たくさんの素晴らしい出会いに満ち溢れた旅路となりました。
このカンクンをもって、アラスカからスタートした
アメリカ大陸の旅の前半は終了となります。
寒さに凍えていたアラスカの大地が
同じ一つの旅とは思えないほど遠い昔に感じます。
辿った旅路を地図で辿るのは旅の醍醐味。
この赤い線の上にどんな景色が広がっているのか
今の自分にははっきりと分かる。
やれひと段落、と言いたいけれど
カンクンではこなすべきミッションがあります。
それは飛行機搭乗のための準備。
向かったのは宿から一番近い自転車屋さん。
南米旅に備え
予備チューブとチェーンを購入。
さらに大切なのは
自転車を梱包するための
段ボールをもらうこと。
といっても、大抵タダであっさりもらえます。
大きな箱を抱えて宿に戻ると
いよいよ分解作業が始まります。
面倒くさがってダラダラやるのでなく
一気に勢いで片付けてしまうのがコツ。
事前にエネルギードリンクを補給して
すぐに作業に取り掛かります。
やる前はすごく嫌なんですけど
いざ取り掛かると
でっかいプラモデルを扱うみたいで
意外と楽しいこの作業。
1時間ちょっとで
順調に完了。
カンクンでの滞在は各国の旅人が集まるゲストハウス。
リゾート地だしどんちゃん騒ぎしてたらヤダな、と思ったけど
とても静かで落ち着いた場所です。
一泊¥1,500。
データの整理や
南米に向けての情報収集など
やることは盛りだくさん。
リゾート地なのに
宿の共有デスクで黙々作業。
豪遊するお金がないってのもある…。
メキシコの締めくくりグルメは
カカオソースがたまらない“モレ”。