2025.04.17
【365日目 19,429km】
南北アメリカ大陸を巡る旅の果てに
たどり着いた街・ウシュアイア。
到着の翌日には雪が降り始め、
本格的に寒くなる前に到着することが出来てよかったと
ホッと胸をなでおろしております。
“世界の果ての街”という冠を
掲げているだけあって
多くの観光客がやってくるウシュアイア。
通りにはお土産屋や旅行会社が沢山あり
何となく話には聞いてたものの
予想以上の発展ぶりに驚かされます。
帰国の便までは1週間余り。
日にちがあるようだけど
帰国準備のためそんなにのんびりもしてられません。
滞在していたゲストハウスを拠点に
何かとせわしなく動き回っておりました。
大変だったのが
自転車輸送に必要な段ボールの調達。
大陸の端にあることで
物流もままならないウシュアイア。
サイクリストが皆欲しがるものだから
どのお店も余剰段ボールがないんです。
街の通りを歩き回ったり、
宿のお姉さんに電話で当たってもらうも
譲ってくれるお店は見つからず。
結局、事前情報で得ていた
3kmも街から外れた自転車屋さんから
¥1,000で譲ってもらう。…高い。
バラした自転車を
もらった段ボールに収納。
ラッピングまで自分でしておかないと
アルゼンチンでは空輸の際に
高額なラッピング代を取られる
という噂を聞いとります。
さらには自転車だけでなく
旅の荷物もまとめたりと、
整理整頓ができる人なら
一瞬でやってのける作業を
ダラダラと時間をかけて行います。
同室の方々、ごめんなさい。
作業の合間に唯一観光らしいことをしたのが
ウシュアイアが面するビーグル海峡を
遊覧するというボートツアー。
この日、3月31日が今シーズン最後の運航と聞いて
作業を放り投げて飛び込みで参加しました。
ツアーの見所は海にすむ野生動物達。
といっても結果的に見られたのは
岩山に群れるトドだけでしたが…。
それでも数百という個体が
所せましとそこら中に
横たわっている様子は圧巻。
摂氏0℃で冷たい風も吹き付ける
海の上で気持ちよさそうに
寝そべる姿をみると
自然の動物の力強さを感じます。
世界の果てなんだけど
こんなところにも無数の命が宿っている。
最終的に4日間の滞在となった宿での最後の夜。
みんなでBBQを食べるというので混ぜてもらいました。
「おい、コイツ自転車で世界一周したんだぜ!」
仲良くなった地元アルゼンチンのお父さんが
自分のことのように皆に触れ回ってくれるのが嬉しい。
ウシュアイア最後の夜を
最高の料理で締めくくることに。
雄大なパタゴニアで育った牛は
身が引き締まっており
北部のものより質が良いそうです。
これは本当に美味しかった。
そして遂に最果ての地を離れる時が。
ウシュアイア到着5日目の朝、
軽めの食事を済ませると予約しておいたタクシーで空港へ。
宿からほんの15分ほどで到着したかと思うと、
自転車など荷物の預け入れまでスムーズに完了。
晴れやかな気分で機内へと乗り込みます。
一気に日本に帰りたい気分だけど、
例えるならば
まだ北海道の知床にいるようなもの。
まずはアルゼンチンの中心部へ。
首都のブエノスアイレスまで
4時間あまりのフライトです。
雪も降り風も強かったけど、
飛行機はスムーズにブエノスアイレスに到着。
自転車などの荷物を受けとると空港の公式タクシーを手配し
宿泊場所へと向かいます。
空港から20分ほど乗車して
やって来たのはこちらのアパート。
旅における最後の滞在地となる
ブエノスアイレスでは
宿ではなく人のお家に
お世話になることに。
家の主は“フリアンさん”。
チリのアウストラル街道で2日間ほど
一緒に走ったサイクリスト仲間です。
彼も1年間に及ぶ南米大陸の旅を終え
ブエノスアイレスのお家に戻ったばかり。
別れてからも連絡を取り合っていたのです。
帰国便で南米を発つまではあと4日。
フリアンさんのアパートを拠点に
大陸を代表する大都市・ブエノスアイレスの
観光へと繰り出すことに。
スペインをはじめヨーロッパの
影響をとても色濃く表す建物。
碁盤目状に整った街並みも
西欧の都市を思い起こさせます。
“南米のパリ”と形容されることも
うなずけます。
観光客が多く訪れる街の中心には
大統領官邸「カサ・ロサダ」。
海外の官邸って観光地のど真ん中に
あることが多いけど
ただ賑やかなだけでなく
独特の緊張感もあるんですよね。
各国をイメージした庭園が
集まる一角には
“日本庭園”もありました。
興味本位で行ってみたけど
イメージを取ってつけたよな感じで
厳かな雰囲気が無かったな。
ブエノスアイレスの代表的な観光地になっているのが
こちらの「エル・アテネオ」。
“世界で二番目に美しい書店”と
称される本屋さんなのですが、
なんと百年近い歴史を持つ本物の劇場が
20年ほど前に本屋さんへと改修されたという場所。
観客席のバルコニーにも
ぎっしりと本が並んでおります。
ライトアップも劇用だからか
荘厳なビジュアルが印象的です。
でもなぜ“世界で二番目”なのか、
そこは謎でした。
特に街歩きが楽しかったのは
イタリアからの移民が多く住んでいた地区「ラ・ボカ」。
ガイド付きの無料ウォーキングツアーに参加しました。
かつてはトタンなどを継ぎ接ぎした
掘っ立て小屋に
複数の家族が密集して暮らしたのだとか。
むさ苦しさを紛らわすためか、
カラフルに塗られた壁面が
現在ではこの地区の魅力でもあります。
音楽や絵など芸術も盛んなラ・ボカ。
旅で初めておみやげに絵を
買ってしまいました。
部屋に飾るのが楽しみ。
この画家のおじさん、過去に
日本のテレビ番組に取材されてましたよ。
さらにラ・ボカ散策で見落とせないのは
地区のはずれで大きな存在感を示す
青と黄色のスタジアム。
ひしめき合う建物の
合間を縫って歩いた先に
急に、どどんと現れます。
実は、ラ・ボカは南米を代表する
サッカークラブチーム
「ボカ・ジュニア―ス」の
本拠地なのです。
かのマラドーナがここでプレーした
と思えば、やはりすごい場所だ。
限られた滞在期間のうちに要所だけは押さえておこうと
ちょこまか動き回ったブエノス・アイレス。
その中でも最高の思い出になったのは
大都市を歩き疲れた夜に訪れた
こちらのバー「ボリチェ・デ・ロベルト」。
130年の歴史を抱える
小さなバーの魅力は
地元のミュージシャンによって
奏でられる“タンゴ”。
ブエノスアイレスには欠かせない
伝統音楽です。
「タンゴに幸せな歌はない」
と言われるように
人生の悲哀を主題とした音楽ですが、
力強い歌声とギターからは
強烈なエネルギーが放たれています。
ものすごくエモーショナル。
滞在していたフリアンさん宅から徒歩5分と
“近いから”行ったのですが、
観光客向けではなく通なローカルの方々が集う
最高の音楽空間でした。
そんなブエノスアイレスの滞在で何より良かったのは
フリアンさんやお家にやって来る友達と時間を過ごせたこと。
特に何をしたわけでもないのですが
一緒にピザを食べたり、TVゲームをしたり。
一人で宿に泊まってると、
旅の終わりだからと
感傷に浸りすぎてしまいそう。
地元の皆さんと過ごすなかで
感じたのは、どこまで行ったって
何げない日常こそ世界の景色だってこと。
地球の裏側にあるこの街でも
日々の楽しみ方は変わりありません。
週末には皆集まってあれこれ話しながら
テレビを見たり、お酒を飲んだり。
色んな国でこんな光景を見てきたし
もちろん日本にもこんな日常が溢れている。
そんなことを考えていると
いよいよ日本の日常が
恋しくなってきました。
出発の朝、アパートの近くで
最後のコーヒーを飲み干したら
いよいよ日本に帰る時です。
カフェから戻ってしばらくしたら
フリアンさんが手配してくれたタクシーが迎えにきました。
思えば、前回の旅で南アフリカ・ケープタウンにてゴールを迎えた時も
地元のご家族が観光に連れていってくれたり空港まで送ってくれたりと
旅の終わりはいつも誰かが見送ってくれます。
僕はあまり積極的に人と関わる方じゃないけど
旅は素敵な出会いを最後まで与えてくれる。
そして、たくさんの人と出会っては別れてきたけど
これでいよいよ最後。
フリアンさん、そして旅で出会ったすべての人たち
本当にありがとう。
1時間足らずで郊外の国際空港へ。
ちなみにブエノスアイレスからは
ブラジル・サンパウロ(3時間)、
カナダ・モントリオール(10時間)
日本・成田(13時間)の経路で飛び、
合計26時間、待ち時間も含めると36時間もの
人生最長のロングフライトとなります。
機内やトランジットの待ち時間には
旅の日記を読み返し
アラスカから1日1日を振り返る。
これだけで何時間も時間が潰せて
自分が走ってきた道のりの長さを
改めて知ることが出来る。
やがて最後の経由地
カナダ・モントリオールを発つと
まっすぐ西の方向へ。
もうすぐ故郷に帰れる。
1年前の出発の時と似たような
ワクワクがこみ上げる。
そして4月9日午後16頃、
成田空港に到着。
1年振りに日本に帰ってまいりました!
預け荷物がモントリオールの空港に取り残されたままだけど
大きなトラブルも無く
無事に日本の土地を踏むことが出来ました。
(※後日自宅に送られてきました。)
ということで、
世界を巡る自転車の旅はこれで終了となります。
ユーラシア・アフリカ大陸を含めると
44,000km、37カ国の道のりを走ってきました。
準備段階やコロナ禍による中断を含めると
10年にも及ぶ夢の旅路。
2018年、上海を出発する前には想像もつかなかった
たくさんの景色をこの目で眺めてきました。
ただ大きな挑戦を達成したことで晴れやかな気分はあるものの、
まだ旅は続くような気がしていて
“終わった感覚”がしてないんです。
旅を計画し始めた頃から気になっていたこと。
それは“自転車で世界一周を旅した人は、その後どんな人生を送るんだろう”
という疑問。
まだまだこれからのことは不透明なことも多いです。
でも旅で培った経験、行動力さえあればなんだってできるはず。
新たに始まる旅の日々に期待しつつ、
“Cycling The Earth ~自転車世界一周の旅~”
はここで幕を下ろします。
ブログを読んでくださった皆さん
本当にありがとうございました。
2025.04.2
【356日目 19,429km】
パタゴニアを吹き荒れる風に行く手を阻まれ
やむを得ずヒッチハイクをしてやってきた集落「セロ・ソンブレロ」。
車での移動中に渡った海はマゼラン海峡。
旅のステージは正真正銘の最終章「フエゴ島」へ。
滞在していたキャンプ場を出発すると
ここ数日続いている
何もないだだっ広い草原。
予報では弱いと言っていた
午前中の風も
漕ぎ始めると大きな障害に。
出発から1時間半も掛かって
走れたのはほんの10km。
バス停のような小屋を見つけ
しばし風をよけて休むことに。
ただ風は止むどころか
むしろ強まるばかり。
また通りすがるトラックに
載せてもらうのか…。
いやゴールまでたったの400km、
ここからは何が何でも
自走で進みたい。
最後まで走りぬきたい。
悩んだ挙げ句、けっきょく朝出発したばかりの
「セロ・ソンブレロ」の集落まで戻ることに。
逆方向となるので立ちはだかった風は追い風となり
あっという間に到着。
一度出発した場所に戻ってくるなんて今回の旅で初めてです。
すぐそこに迫ったゴールになかなか近づけない。
昨晩は無料のキャンプ場に滞在したけど、
時間を有効利用してパソコン作業に充てたいので
値段は高くてもネット環境のあるホテルへ。
実はすでに帰国便の航空券を
購入しているため、
いつまでも停滞するわけにいかない。
これから数日間の風向きを
入念にチェックし、
ゴールまでの計画を練る。
翌日。
予報では風向きが変わりむしろ背中を押してくれそう。
パタゴニアに広がるパンパの大草原、風が全てです。
停滞していたセロ・ソンブレロを
横目に眺めつつ、
いよいよ終幕の地へ
ペダルを漕ぎ始める。
無機質な建物が集まっただけの
侘しい雰囲気だったな。
強い風が吹かない代わりに
平原に深いもやがかかっています。
景色は似たような毎日だけど
気候は色んな表情を見せてくれる。
人がなかなか住み着かないのも
落ち着かない気象条件のせいだろうか。
あれだけ風に苦しんだ
ここ2日間が嘘のように
走りやすい道のりです。
起伏も無くどこまでも
原っぱが続くばかり。
進んでる気がしなくなるほどに。
本当に道中の景色に何の変化もないまま
110kmを走りきった夕方6時。
道路脇に
この日何度か見かけていた風よけのシェルターがあったので
ここで夜を越すことに。
現地の人からも
“何km地点にあるぞ”
と聞いてたので、あてにしてました。
サイクリストの為に設置されてるそうだけど
これが無かったらどこにテント張ろう、
というくらい辺りは何もない。
セロ・ソンブレロ出発2日目。
アルゼンチン入国以来
ほぼ毎朝拝むことが出来ている朝焼けが
1日の始まりを知らせます。
出発から25kmほどのところで
アルゼンチン側に再入国。
これまでにいくつも自転車で
国境を越えてきたけれど、
いよいよこれが最後の
国境越えとなります。
国境を越えてすぐのところに看板が。
ついにゴールの地・ウシュアイアまでの
距離が表示されました。
あと300km足らず、
どんな気持ちでその時を迎えるんだろう。
ドキドキしてきます。
永遠に続くのではと思うほど
限りなく続くパンパの草原。
でも間違いなく
距離は進んでいる。
漕いでも漕いでも道は続く。
そんな自転車の旅がもうすぐ終わる。
順調に100kmを進み
「リオ・グランデ」という街に
差し掛かった頃、視界の端に見えていた
大西洋が一気に近づきました。
吹き付ける風も南へ向かうほど
冷たくなってきます。
リオ・グランデ付近で野宿のつもりが
気が付くと住宅地まで入り込んでいたので、
一応下調べをしておいたキャンプ場へ。
キャンプ場といっても
チリ以降よくある
自宅の庭にテント張ってください
というスタイル。
それでも温水シャワーがあって
風が避けられれば十分です。
他にもパタゴニア地方を走っている
サイクリストやバイカーがおりました。
皆さんヨーロッパからお越しです。
ここ2日寂しい時間が続いたので
人との交流が嬉しく
楽しい時間を過ごす。
翌朝、リオグランデの街を出発。
ゴールまではおよそ200km。
あぁ、もうすぐそこだ…。
嬉しいことに今日も追い風。
ここまでくれば
もうヒッチハイクに頼ることなく
自分の力で走り切ることが出来そう。
ゆっくり眺めるほどの景色も無く
ただ前へと向け走る。
フエゴ島に入ってからは
かなり起伏の多い日。
なだらかで長い坂が多いかと思えば
周囲に木が増えてきました。
永遠に続くかと思えたパンパ地帯も
いよいよ終わりに差し掛かっている様。
110kmを走り切った夕方6時、
「トルウィン」という町に到着。
ゴール前最後の宿泊となる場所。
この町にはぜひ
寄っておきたいところが
あったんです。
それはこちらのパン屋さん「ラ・ウニオン」。
ガラス張りの綺麗なお店はとても評判で
特に世界をめぐるサイクリストの間でも有名なんです。
眩しいほどにライトアップされた
ショーケースに並ぶ
パンやスイーツ。
もはやヨーロッパ水準の
高級感あふれる店構えなのですが、
目的はパンだけではありません。
実は、このパン屋さん
向かいにある倉庫の地下で
旅するサイクリストを
無料で泊めさせてくれるんです。
数年前の火事での店舗焼失にもめげず
そのホスピタリティは健在。
美味しそうなパンも気になったので
夕食はお店で。
アルゼンチン名物
ミラネッサ(牛カツ)の
サンドウィッチはボリューム満点。
大きすぎて翌朝の朝食になりました。
寝室を案内してくれたりと
いろいろ気にかけてくれた
“ファブリシオくん”をはじめ
ラ・ウニオンのスタッフの皆さん
ありがとうございました!
これからもサイクリストをよろしく。
そして迎えた翌朝、最後の走行日。
コーヒーを飲みながら毎日つけている旅の日記を読み返す。
その日の出来事を簡単にメモしてる程度だけど
目にした景色、出会った人がありありと脳裏によみがえる。
一緒に泊まっていた
地元アルゼンチンのアレックスさん。
「一緒に走りたいトコだけど
今日は一人で行きたいだろう」
気持ちを汲んでくれるのがありがたい。
思い出を振り返りつつ終わりへと向かいます。
9時を少し過ぎたところで出発。
かなり南下してきていることもあって
気温は3℃。
手袋をして少し凍えながら
ペダルを漕ぎ始めます。
雪が降る前にゴールできそうで良かった。
昼前にはスカッと晴れて
気持ちの良い青空が広がりました。
それでも停まると寒く
ゆっくり休む気にはなれない。
まわりに山が増えたおかげで
風はそれほど強くありません。
荒涼とした大草原のまま
最後まで走り切るのかと思ったけど
気が付けばあたりは
綺麗に紅葉した木々に溢れてます。
針葉樹があまり見られないのが
アラスカとは違う。
お昼過ぎには上り坂に突入。
400mの峠で大したことは無いんだけど
寒さ対策で着込んでるので
じんわりと汗をかいてしまう。
1時間ほどで頂上に到達。
今日はのんびりかつしみじみ
漕げると思ってたけど
気付けば必死に漕いでました。
あとはここを下れば
もうじきゴールだ。
ゆるやかな起伏を越えつつ
周りの景色に目をやる。
雪を被った険しい山が増えました。
数千mの山々も越えてきたけど
このあたりはアンデスの端に
あたるそうです。
そして、ゴールまでの距離が10km足らずに迫ったところで
“ウシュアイア”と刻まれたモニュメントが現れました。
本当にここまで来たんだ、もう終わるんだ。
ここで声を掛けてくれたのが
地元アルゼンチンの旅行者の皆さん。
「アラスカから来たのか!?
おめでとう、本当にスゴイよ!」
褒められることで
ちょっとずつ実感が沸きます。
モニュメントを過ぎると
一気に景色が開けて
予想以上に発展している
ウシュアイアの街が一望できました。
ずっと目指してきた場所が
今、目の前にある。
“あぁ、もう終わる
走り続けた道がここで終わる”
嬉しいとも、悲しいとも表現できない
気持ちがグルグルと渦巻きながら
ゆっくりと街の中心部へと
近づいていきます。
そして、観光客の方々が行き交う一画に
ひっそりと木の看板が立っていました。
看板には「ウシュアイア」
という街の名の下に
はっきりとこう書かれています。
“フィン・デル・ムンド(世界の果て)”
遂にこの場所にたどり着きました、
南北アメリカ大陸を渡る自転車旅のゴール「ウシュアイア」!
356日間、19,429km。
1年前アラスカを出発した時には遠すぎて想像もしなかった場所に
無事到着することが出来ました!!
地図を見れば本当に先の先までやって来たのが分かります。
“到着しては、また出発して”
をずっと繰り返してきたので
正直まだ続きがあるように感じてしまいますが
確かにこれより南に目指す場所などありません。
旅で見てきたこと、感じたこと。
これらを自分の中で整理するには
しばらく時間がかかってしまいそうですが、
帰国の準備をしながら達成の余韻に浸りたいと思います。
ということで
“南北アメリカ大陸を巡る自転車の旅”
走破しました。
2025.03.28
【351日目 18,979km】
「エル・カラファテ」に滞在しながら
“ペリト・モレノ氷河”への観光を終えて宿に戻ってからのこと。
ここからしばらく連続走行が続くため、
もう1日延泊して
ブログ執筆やルートの下調べなどの
事務作業を片付けるつもりでいました。
ドミトリーのベッドも結構空いてるし、
まあ問題ないでしょと気楽に受付にお願いしてビックリ。
「明日から4日間は全部、予約埋まっちゃってるよ」
聞くと、“La Renga”という
ロックバンドのコンサートが
このエル・カラファテで行われるため、
パタゴニアのみならず
アルゼンチン全土から
多くの人が押し寄せるのだとか。
他のホテルを調べても、どこも満室。
やむをえず最低限の用事だけ済ませ、出発の準備を整えることに。
ただ間接的にではあるものの、
このコンサートに後々助けられることになります。
結局2日間の滞在となったエル・カラファテの街。
長距離バスで先に南へと向かう
千田さんともついにここでお別れ。
短い時間ながら旅の思い出を共有させてもらい光栄です。
日本で必ず会いましょう!
エル・カラファテを発つと
だだっ広いパンパの景色が
どこまでも続きます。
ここから目指すは
ゴールの“ウシュアイア”。
もうじき旅も終わりを迎えます。
2時間ほどで3日前に
バスに拾ってもらった地点に到着。
あの時は100mすら進めなかったのに。
風向き一つで走行が左右されるとは…。
自転車旅における最も重要な天候条件は
雨より気温より、風なのかも。
午後からは緩やかながら
20kmにもわたる上り坂に突入。
傾斜が緩いだけに
ずっと漕ぎ続けられるんだけど、
どこまでのぼっても
終わりが見えないのが辛い…。
途中から降り出した
雨を耐え忍ぶと、
坂の上には平らな道が
延々と続いておりました。
右を向いても左を向いても
どこまで草原だらけ。
雨雲も去り青空が広がった夕方5時過ぎ。
エル・カラファテから100kmの地点で
事前に調べていた道路整備の施設に到着。
サイクリストやバイカーを泊めてくれるそうです。
雨風をしのげる軒下に、テントを
張らせてもらうことが出来ました。
さらにはフリーWiFiまで完備。
数百kmに渡り草原が続くパンパ地帯。
緊急連絡用に要所で
WiFiが飛んでるんです。
管理人の“クラウディオさん”。
気を使って
大きなやかん一杯の水まで
持ってきてくれました。
心配りに感謝です。
Oh! クラウディオ。
エル・カラファテ出発2日目、
朝7時に目を覚ますとオレンジ色に灼ける東の空。
天気に恵まれる1日になりそうです
もうここからウシュアイアまで
目立った観光地もなく、
言ってしまえばこの殺風景な
草原が続くばかり。
人もほとんど住まない大陸の南、
世界の果てへと進んでいく。
70kmを走ったお昼過ぎに
「エスペランサ」という集落へ。
集落といってもドライバーの休憩のため
ガソリンスタンドといくつかの
食堂が集まっただけです。
それでも貴重なオアシス。
ガソリンスタンドの前に立ってると
「ヘイ、アミーゴ!」と
ガタイの良い兄ちゃんがピザをくれ、
名前を聞く間もなく去っていきました。
臆することなく人に親切を与えられる、
そんな人間に私はなりたい。
午後の部スタート直後、
道路脇には轢かれたであろう
アルマジロの亡き骸が…。
アウストラル街道で見れるかも
と思ってたけど、こんな初対面だとは。
こうなる前のキミに会いたかった…。
基本的には西から東へと
吹き抜けるのが
秋を迎えるパタゴニアの風。
南東方向に走るここ2日間は
追い風基調だから良いものの
これが向かい風だと思えばぞっとする。
順調に走り、気づけば130kmも走ったこの日。
川辺に風をかわす林を見つけてテントを張ります。
「このキャンプ飯もあと何回…」
とぼんやり火を眺めてると
クスクスの入った鍋を
コテンと傾けてしまいました。
“あぁー、クソー!”と誰もいない
パタゴニアの草原で叫ぶ。
エル・カラファテ出発3日目。
今日も朝から青空が広がり気持ち良く走れそうです。
さらに前日に引き続き
背中を押してくれる追い風。
調子が良いと時速30kmも出るから
漕いでいて楽しい。
あぁ、このままゴールまで行けたら
どんなに良いだろう。
そのまま風に乗って
80kmをスムーズに走り、
午後2時過ぎには
カラファテから3日振りとなる街
「リオ・ガジェゴス」に到着。
計画通りに進めてます。
向かったのは住宅街の真ん中にある
こちらの宿。
パタゴニア特有なのか、
住宅街も殺伐とした雰囲気で
陽気なラテンアメリカという
感じではありません。
到着翌日、宿にて1日休養。
エル・カラファテで済ませておきたかった作業を
ここで完了させておきます。
宿のお母さんから
「今夜はBBQだから
あんたも一緒に食べるのよ!」
とのお誘い(有料)。
屋内に炭火グリルがあるほど
アルゼンチン人はBBQ好き。
道中に出会った人からも
アルゼンチンのBBQは勧められており
実は楽しみにしてました。
そして、期待に違わぬその美味しさ。
チョリソーもビーフも
本当に絶品でした。
パソコン作業ばかりの休日でしたが
宿主“シリさん”とそのお友達のおかげで
美味しく素敵な夜を過ごせました!
アルゼンチン滞在中、絶対またBBQ食べよう。
「リオ・ガジェゴス」で休養をした翌日。
BBQの旨味を思い出しながら、
さらに大陸の南を目指します。
ただエル・カラファテから
順調に進んでいたここ数日とは
大きな違いが…。
街を出ると斜め前から吹き付ける風。
風向きは変わらないものの
進路自体が南西に向かい始めたんです。
数日間は強い風が吹き続けること、
リオ・ガジェゴス以降進路上どうしても
向かう風を受けてしまうこと。
当然そんなことは出発前から分かっておりました。
実際この時期、多くのサイクリストは
強風を考慮してバスでスキップしてしまうエリアなんです。
でもゴールまで数百kmに迫った地点で
バスに乗るなんてしたくなかったし、
何とか自力で、と思っておりました。
ただ吹き付ける風はあまりに強く
頑張ってどうにかなるレベルではない。
やむをえず、ヒッチハイクをすることに。
交通量の少なさから長期戦を覚悟したヒッチハイクですが
10分ほどすると1台のピックアップトラックが
停まってくれるではないか!
ちょうど進行方向にある街へと帰るのだという
“レネさん&ダイアナさん”父娘。
なんと僕がエル・カラファテの宿を
予定より早くチェックアウトせざるを得ない理由となった、
La Rengaのコンサートを見に行った帰りだというのです。
どの宿も満室で困ったけど、これでプラマイゼロになった気がします。
La Rengaの皆さん、ありがとう!
「いや、もうちょいゆっくり…」
と後ろからお願いしたくなるほど
の速さで爆走するレネさん。
けど乗せてもらってる身なので
わがままなんて言えません。
でも、ちょっと怖い…。
ここで一度、国境を越えチリへ再入国。
ゴールのウシュアイアは
アルゼンチン側ですが
このあたり国境線が複雑なので
出たり入ったりなんです。
検疫でタマネギとトマトを没収される。
さらに船に乗って海を渡る。
客室などなく車に乗ったままです。
あまりにも風が強いため、
なかなか船が出ず
2時間近くも待たされました。
乗船時間はわずか30分ほど。
向こう岸についてさらに40kmほど進んだ
「セロ・ソンブレロ」という小さな町で降ろしてもらうことに。
結局、終日風が止むことは無く
町中まで1kmあまりを進むにも大変なほどでした。
レネさん、ダイアナさん
本当にありがとう!
町の外れには
公営の無料キャンプ場が。
「こんな大草原の真ん中に
誰が泊まるのか」
と思いきや、予想以上の
車が泊まりに来てました。
という具合に、
思い通りにことが進まないながらも
ゴールに向け前進することができました。
自分の脚で進めなかったのが悔しいけど
これがパタゴニア、世界の果てならではの旅なのかもしれません。
旅の終わりウシュアイアまで、あと400km。
2025.03.25
【346日目 18,649km】
大恩人・千田さんの助けもあって
何とか苦難の国境越えを終えた翌日。
前日通過したアルゼンチンの入国審査は湖に面しており、
ボートに乗って対岸に向かうことから
アルゼンチン走行の初日が始まります。
といっても午前11時出発なので朝はかなりのんびりできました。
南の方角、ボートの進行方向には
名峰フィッツロイが鎮座するのですが
朝からずっと雲に覆われています。
天気は良いのに
どうしても山頂が見えないのが悔しい。
早起きしたけど、日の出もダメでした。
ただ横を見てみると
山の上が真っ白。
雪のように見えますが
所々青く透き通ってることから
氷河だというのがよく分かる。
小さな滝も滴ってました。
ということで、
美しい大自然から始まった
37ヵ国目、そして世界を巡る旅における
最後の国となるのは“アルゼンチン”。
メキシコ以来、ずっとスペイン語圏が続くので
国が変わってもさほど
大きな変化がないように感じてはいるのですが、
“サッカー”、“タンゴ”のイメージが強いこの国では
どんな旅路が待ち受けているのでしょう。
1時間しないうちにボートは着岸。
ここから40km弱離れた
アルゼンチン最初の町を目指す。
写真に写ってないけど、横には大恩人・千田さんもいます。
アウストラル街道後半から
数百kmに及んだ未舗装路も
もうじき終わり。
“あぁ、このガタガタ道も最後か…”
なんて名残惜しくはありません。
はやくアスファルトを走りたい。
未舗装に加えて
のんびり会話をしながら
走ったこともあって、
4時間あまりも掛かった末に
ようやく遠くに
目指す町が見えてきました。
夕方5時前、国境から40kmに位置する
「エル・チャルテン」に到着。
“名峰フィッツロイ”のトレッキング拠点として
この20年で出来上がった町らしく、
新しい建物ばかりがまばらに建っている様子は
住宅展示場みたい。
観光客は多いけど、なんかスカスカな印象です。
自転車旅を締めくくり、
ここからは交通機関を利用しつつ
南へ向かう千田さんとは
一度お別れ。
とはいえ200km離れた
次の観光地ですぐ再会の約束。
その後、節約のためにも
キャンプ場へ向かうつもりだったけど
調べてたところが休業中。
しかたなく近くの宿へ。
6人の相部屋でも¥3000
してしまう…、高い。
エル・チャルテン到着翌日、
雲に隠れてなかなか姿を見せてくれないフィッツロイ。
晴れの日にその頂を間近でみるためには
場合によっては5日近くも待たなくてはならず、
天候が好転しそうもないことからトレッキングをあきらめ
すぐに出発することに。
国境越えの日に見れたのが本当にラッキーだ。
エル・チャルテンを出るなり
数週間ぶりとなる
アルファルト舗装の道が
待ち受けておりました。
あぁ、もうあんな悪路を走る
必要なんて無いんだ…。
当初はトレッキングを
したかっただけに
後ろのフィッツロイが気になる。
ただ何度振り返っても
常に雲に覆われており
以後、山頂を見ることはできず。
国境を越えエル・チャルテンを発ったと同時に
大陸東部に広がる広大な草原
“パンパ地帯”に突入しました。
深い森を進み続けた「アウストラル街道」から
たった2日で景色はガラリと変わり、
木の一本も生えてはおりません。
山あり谷ありの砂利道ばかりで
1日60km程度を
走るのがやっとだった
この一カ月。
ここからは時速20kmで
ぐんぐん進めそうです。
ただスムーズに走れるのは良いけど
建物なんて一つも無く
走れども走れども
同じ景色が続くばかり。
朝に町を出てから
歩いてる人を見てません。
夕方5時頃にようやく
道端に建物を発見。
レストラン兼ホテルのよう。
本来ならわざわざ寄らないけど
あまりに寂しい道が続いたので
人恋しくて立ち寄ることに。
前後100km近くにわたり
お店などないからか
特別美味しくもないピザが
ひと切れで¥500。
アルゼンチンの物価が怖いけど
疲れてるからつい買ってしまう…。
何気なくレストランの壁を眺めると賞金首の張り紙が。
よく見ると“ブッチ・キャシディ”
と書かれているではないか。
お店の人に尋ねると
映画「ブッチ・キャシディ&サンダンス・キッド(明日に向かって撃て)」
の題材になった二人の強盗が
実際にこの宿に宿泊したのだそう。
映画のロケ地に使われたのか
と思ったのですが、
そうではなく実物の2人が
100年前に泊ったと聞いて
一人で興奮してしまいました。
(※60年代の映画が好きなんです)
ホテルはキャンプ場も兼ねてたけど
寝るだけのためにお金使うのも
勿体ないので、
川を挟んだ向かい側にて野宿。
ロケーションは悪くないけど
トゲのある植物がやっかいでした。
エル・カラファテ出発2日目。
東からのぼる眩しい朝日を眺め
朝食を済ませる。
“さぁ、今日も100km超の道のりを行こう”
と張り切ったのですが…
テントを片付けている最中に
西からものすごい風が
吹き始めました。
進行方向に対して右から吹くので
道路側にどんどん体が
持ってかれてしまう。
大西洋と太平洋、
二つの大海が合流する
パタゴニアは
世界有数の暴風地帯としても
知られています。
朝から1秒たりとも吹き止まない。
昨日は穏やかだったけど
今日はとことん吹き荒れるみたい。
横風でもなかなか前には進まず
体力だけが奪い取られる…。
小さいのに¥500もする
エンパナダで回復を図る。
天気予報では追い風基調
のはずだったけど、
道は曲がりくねるし
丘などで風の向きが変わる
こともあって
ときに向かい風を浴びることも。
それでもなんとか80kmを進み
夕方5時半には東西に走る道路と合流する丁字路に到着。
ただここからの問題は、目指す街が西の方角にあるということ。
つまり完全な向かい風を受け続けなければなりません。
試しにペダルを踏み込んでも
まともに前進はできず…。
やむを得ずヒッチハイクを試みることに。
ただ交通量が少ないのですんなりいきそうもない。
冷たい風に吹かれ続けること1時間。
あまりにも成果が出ないので
停まってくれるわけないと思いつつ、
ツアーバスにも向けて親指を立てると
バスは徐々に減速。
ついに乗せてもらうことができました!
聞けば、僕が昨日出発した
エル・チャルテンに
お客さんを降ろしたのち、
会社に戻っている最中でした。
ということで広々とした車内に
優雅に座らせて頂く。
30分ほどでバスは目的の街
「エル・カラファテ」に到着。
しかも、わざわざ僕の予約していたゲストハウスの前まで
送り届けてくださいました。
クリストファーさん、ありがとう!
ということで
そのまま宿にチェックイン。
荷物を運びひと段落したところで
食事スペースに向かうと、
先にバスで移動していた
千田さんと合流を果たしました。
エル・チャルテンからたった2日しか漕いでないけど
前日風にあおられ続けたことで疲労困憊。
宿でダラダラしつつ、
観光客でにぎわう綺麗な街並みを歩きつつ、
到着翌日は休養日とします。
チリでは、ほぼ野宿を中心にしつつ
大きな街では個室に泊まってたので
ドミトリー(相部屋)自体が
久しぶり。
まだ物価がよく分かってないけど
贅沢が出来る国ではありません。
「エル・カラファテ」の街はパタゴニアを代表する
一大観光地への拠点として知られております。
ということで、
滞在2日目の朝7時から大恩人・千田さんと連れ立って
バスに揺られながらその場所を目指す。
街から西に進むこと70km、
バスで1時間以上かけて
目的地に到着。
琵琶湖よりも大きな湖の一画に
それは待ち構えております。
ワクワク…。
たどり着いたテラスから見渡すのはこちら
「ペリト・モレノ氷河」。
チリ=アルゼンチン間にまたがる広大な氷原から
ゆっくりと這うようにせせりだす巨大な氷塊です。
青みがかった幻想的な色も
素敵ですが、
何よりまずその大きさに
圧倒されてしまいます。
高さにして40m、
とにかくデカイ…。
1日あたり2m押し出されており
先端から崩落した氷が
流氷となって漂っております。
この日は確認できませんでしたが
轟音とともに崩落する瞬間は
迫力もあり見ものだそうですよ。
付近にある48もの氷河の多くが
温暖化の影響を受けて縮小・後退が確認されるなか、
“ペリト・モレノ氷河”については
今のところ観測上の変化はないのだとか。
パタゴニア氷河界のエースに
予想を越える衝撃を受ける満足の観光となりました。
氷河の観光を終えた後は
ゲストハウスでまったり。
大恩人・千田さんへのささやかなお礼として
食事をごちそうさせて頂きます。
観光客向けスーパーの品揃えは悪く
大したものを用意できなかったけれど、
それでも喜んで頂くことが出来ました。
千田さーーん!!
2025.03.21
【341日目 18,425km】
3週間に及ぶ「アウストラル街道」の旅の果てに
ゴールの村“ヴィジャ・オイギンス”に到着。
いくつかの商店とパン屋さんがある程度で
少し歩けば見て回れるほどの小さな集落です。
滞在していたのは宿、兼キャンプ場。
チリも南下するにつれ
物価が上がってきてるので
テント泊を選びます。
疲れてはいるものの
慣れてしまえばテントも快適。
滞在中には連日
アウストラル街道を走り終えた
サイクリスト達がベッドを求めて
宿にやって来ました。
イギリス、スペイン、フランスなど
特にヨーロッパ勢がたくさん。
さてさて、
オフロードの続いたアウストラル街道を走り終えたことで
すっかり達成感を覚え、羽を伸ばせるかと思いきや
そんなことはなく僕はとてもソワソワしておりました。
というのも
ビジャ・オイギンスから南に待つアルゼンチンに向かうには、
ボートで湖を越え、自転車を抱えトレッキングルートを進む
という大変な道が待ち構えているんです。
その道のりがサイクリストの間では
“世界一過酷な国境越え”ともいわれるほどハードなもの。
そんな厳しい道のりを50kgにも及ぶ自転車で
乗り越えられるかしら、と
不安で不安で夜しか眠れません。
そんな不安を和らげてくれる予期せぬ出会いが
キャンプ場に待っていました!
僕と同じ日にヴィジャ・オイギンスに到着したのは
大阪からお越しの千田(せんだ)さん。
穏やかな笑顔が印象的な千田さんは、
定年退職の節目に2ヵ月かけてパタゴニアを自転車旅されております。
これから向かう国境越えの道は、立ちはだかる困難に向かうため
ペアでの走行が推奨されているのですが
お互いソロサイクリストということで、ここからしばらく
手を取り合って進んでいくことに。
千田さん、よろしくお願いします!
まずは湖を渡るために
週に2回しか就航していない
ボートの予約をする必要があります。
実は、木曜日のボートを狙って
ちょうど良い日にちに村に着くよう
走行を調整していたのです。
ところが最初の困難が…。
翌日木曜の便は
強風予報のため欠航に。
よくあるとは聞いてたものの
早速、出鼻をくじかれる。
でも金曜にはどうやら出られる模様。
宿からは僕たちを含む
5人のサイクリストが
国境越えに挑みます。
各々入念に自転車の手入れをしたり
道中の食料を準備したりと
戦闘態勢を整えていく。
そして、ヴィジャ・オイギンスにて3泊した後の朝。
風を考慮して普段より早く出発するというボートに乗るため
村から7km離れた港を目指し朝の5時45分に出発。
早いし寒いんですけど…。
日の出ていない暗がりを走るのは今回の旅で初めてです。
30分あまりで港に到着。
ここにきてやっと
「アウストラル街道」終点の看板が。
少し達成感を感じるものの
今日待ち受ける道のりが不安で
正直それどころじゃない…。
他の宿に泊まっていた
サイクリストの方もおり
計11台の自転車が港に集いました。
「全部乗るの?」と思ったけど
パズルの要領で上手に
積み込みも完了。
じっくりと日が昇り始め
全ての荷物が乗った8時前に
ボートは出港。
思いのほか穏やかな水面を
滑らかに進んでいきます。
2時間余りで向こう岸へ。
10時過ぎに着岸。
ここから20kmに及ぶ山道を進み
隣国アルゼンチンを目指します。
自転車に荷物を取り付けていく
サイクリストを眺めながら
緊張感を感じる…。
港から急こう配を1kmほど登った所で
チリの出国審査がありました。
一人一人の面談で時間がかかるけど
同じ便の人たちより早めに着いたので
スムーズに通過。
2ヵ月に渡るチリ旅もここで終わりです。
いよいよ国境越えのはじまり。
最初の5kmがかなり急峻でもちろん地面は未舗装。
数日晴れが続いたからぬかるんではいないものの、
乾いた砂のせいで踏んばる足が滑る。
じんわりと汗をかきながらも
2時間程度
自転車に乗り降りしながら
ゆっくりと進んだところで
気が付けば勾配の緩やかな
エリアに突入。
木の生い茂る山道には
美しい木漏れ日が降り注ぎます。
最初は上るのに必死だったけれど、
周囲に目をやると
なんて素敵な道を走ってるんだろうと
幸せな気持ちにすらなる。
やたら木が整っていると思うと
目の前から
ガウチョ(南米のカウボーイ)
のおじさん登場。
牛追いをされてたのでどうやら
このあたりは管理区画らしい。
それからも数kmにわたって走りやすい道が続いていました。
気温も10℃前後で走りやすく
あたりの紅葉した木々がなんとも美しい。
時におしゃべりをしながら、
時に黙々としずかに、
千田さんの背中を追うように
ペダルを踏み込んでいく。
僕より荷物が少ないとはいえ
千田さん、速いです。
そしてちょうど15時、
スタートから15km地点で
アルゼンチン=チリ国境に到達。
イミグレーション(入国審査)は
もう少し先だけど
かなり順調にここまでやってこれました。
ここからゴールまでわずか5km。
“過酷な道なんて大したことないじゃん”と思いながら
アルゼンチン側を進み始めた矢先、
山道はその表情をガラッと変えたのです。
道幅は極端に狭くなり、凹凸も激しく漕げない箇所もしばしば。
まず大変なのが道を横切る小川。
深さは10cm程度のことが多いけど
まともに踏み込めば靴は濡れるので、
傍に横たえられた丸太を渡りつつ
アスレチックの要領で
浸水しないように渡っていく。
これがひとつふたつならまだしも
次から次へと現れるから大変。
先をいく千田さんの足取りを参考に
ゆっくりと一つずつクリアしていきます。
これは確かにペアがいると
精神的にも助けられる。
さらに行く手を阻むのは倒木。
迂回できないこともしばしばで
こればっかりは自転車を持ち上げて
進んでいくしかありません。
最初は楽しみつつこなすけど
徐々に体力は削られていく…。
と、この数点の写真を撮ってくれているのは千田さん。
悠長に写真を撮ってもらえるということは
まだ余裕があるからに他ならず。
この後、公道ではありえないほどの急斜面が続き
時に後ろから支えてもらいながらかろうじて進む、
という状況が続きました。
やっと平坦な場所を見つけ、時間と距離を確認すると
なんとたった1km進むのに1時間半も掛かっていました。
単純計算であと4km進むには6時間を要してしまう。
そして何より足を引っ張っているのは僕。
協力しながらといいつつも、
ただただ助けてもらっているだけ
という申し訳なさに加え
二人ともがゴールに辿り着けない可能性を考慮し、
「千田さん、僕はどっかで野宿してもいいから
もう先に行ってください…」
そう伝えました。
しぶる千田さんを何とか説得して見送ると
心細い一人の旅路が始まりました。
ただ最初の1kmが特に過酷だったようで
徐々に平坦な道も増えてきた。
出来る限り進んで、最悪どこかでテントを張ろう。
時にあらわれる急坂も
もう押してくれる人はいないので、
どうしても登れない所は
全ての荷物を外し
何度も往復をして
かろうじて進んでいく。
一人になって1時間。
ゆっくりと進んではいるけれど
まだ川も坂もありそうだし
お腹も減ってきたしで、
ゴールにたどり着く自信も
無くなってきた。
“やっぱりテントを張るしかないか”
とうつむき気味に自転車を押していると
前から人影が…。
千田さぁーーん!!
ゴールを見下ろす展望台まで進んだところで自転車を置いて、
「やっぱりほっとけないよ」と
僕を助けに戻ってきてくれたんです。
1番重いカバンを背負い先導してくれる千田さんの左膝は
擦りむけて血が流れているではないか…。
「早く助けに行こうと思ったらコケちゃって」
あぁ、千田さん…。
その後も大きな川があり
荷物の着脱を繰り返し
なんとか進んでいく。
「ここまでしてもらったからには
何としてでもゴールせねば」
再び心に火が灯ります。
そしてゴール1km手前、
景色の開けた展望台にやってきました。
ここまで来ればもう確実に
日没までにイミグレーションに
たどり着けるはず。
そして、目の前の広がるのは…
パタゴニア地域を代表する名峰“フィッツロイ”。
雲に覆われることも多く、
「今日の道で綺麗に見えるといいね」
と二人で話していたその山は、
1日の苦労を労うように完璧な姿を見せてくれたのです。
アウトドアブランド“パタゴニア”
のロゴマークにも使用される
その凛々しい姿を目にするため
多くの観光客がやってきます。
でもこの角度から見れるのは
この国境ルートを渡った人だけ。
ここからはもう
ウイニングランの気持ちでのんびり、
と思いきや最後の川。
せっかく荷物を積みなおしたのに
ここでまたほどく。
もう二度とこんな道来たくない…。
そしてついに19時半、
日没前にアルゼンチン側の
イミグレーション到着です。
パスポートにスタンプが押される様子は
この日乗り越えた困難を
評価してもらったかのよう。
イミグレーションの横は
無料のキャンプ場になっており
一緒にボートを渡った方々も
みんなここで夜を明かします。
アメリカ人サイクリストに
千田さんの傷も手当してもらう。
ということで、かろうじて難所を攻略し
国境を越えることが出来ました。
一人では決して乗り越えることが出来なかった道のりですが
最高の出会いに恵まれ
前に進むことができた喜びを嚙み締めつつ眠りに落ちます。
千田さーーん!
2025.03.18
【338日目 18,398km】
「アウストラル街道」最後の休養地となる“コクラン”に滞在中。
何日か走り続けて、山間のひっそりした町でひと休みをする
という街道サイクリングのルーティンが心地良くなりつつあります。
そして休養日は必ず快晴。
走行日も晴れて欲しいけど、まぁ良しとする。
宿泊はコチラのお宿。
休みは一日だけなので
町はちょろっと歩いて回る程度で
そんなにじっくり見たりはしません。
写真整理や荷物の整理やら
何かと地味に忙しい。
どの地域よりもたくさんの
サイクリスト達に出会える
アウストラル街道。
「今どこまで行った?」と
SNSでやり取りできるのは
現代の旅の魅力です。
宿のキッチンが使用不可だったので
夜は久しぶりの外食。
食材が豊富じゃないからか
ステーキにポテトと目玉焼きを
添えただけのもの。
これが¥1500近くしちゃいます。
休養を終えると再び南へと漕ぎ始めます。
町の周辺は嬉しいアスファルト舗装。
アウストラル街道に突入してからは21日目となりますが、
ゴール地である“ヴィジャ・オイギンス”という村は
ここから200km、あと4日で到着の予定です。
天気は概ね晴れの予報。
ここまで雨に苦しんできたけど
終盤戦は割と天気に恵まれる
ことが出来そうです。
青空が広がると
やっと景色を楽しむ余裕も出てきます。
コクランを出て10kmあまり走った所で
未舗装路へと変わっていきました。
アップダウンも激しく
思ったほどスムーズには
距離が伸びていきません。
時には押しながら黙々と前へ。
雪を被った山々と
その麓に鬱蒼と広がる森林。
旅の始まり・アラスカの景色を
彷彿とさせます。
南北の両極に近づくほど
風景も似てくるのが面白い。
アウストラル街道の象徴ともいえる
木々のトンネル。
気持ちよさそうに見えるけど、
路面はガタガタと洗濯板状の
“コルゲーション”なので
走りにくいこともしばしばです。
65kmを走った夕方5時半ごろ。
道路から開けた場所が見えたのでテントを張ることに。
遠くに岩山を臨む最高の景色です。
澄み切った清流が
さらさらと流れる川辺。
水が流れる音以外には
何も聞こえない静かな場所です。
贅沢なパタゴニア大自然のキャンプ、
素敵な時間が過ごせそうです。
雨が続いたことで
あまり良いキャンプも出来てなかった分
最高の気分で焚火を眺めました。
とっぷり暗くなるとパチパチと
薪の爆ぜる音を聞きながら
テントの中で読書、あぁ幸せ。
コクラン出発2日目、
前日とは違って雲が掛かった重たい空模様。
降られなきゃいいんだけど
とにかく可能な限り早く進んでおこう。
と思ったら、パンク。
凸凹道に強くタイヤを
打ち付けてしまいました。
もうタイヤも擦り減って
ツルツルだけど、このまま
ゴールを迎えられるかしら。
くねくねと
左右にそして上下に
森の道はどこまでも続いていきます。
意外とバイクや車も多くて
皆さん結構飛ばしていくので
砂埃が小さなストレス。
僕とは反対方向へ進んでいく
アメリカのカップルと遭遇。
なんと数回に分けてアラスカを
目指すそうです。
あんな遠いとこまで行くなんて…。
良い旅を!
午後3時頃、二手に分かれた分岐に到達。
ここから左に曲がって、
久しぶりのフェリー乗船が待ちうける港に向かうのですが
その前に大き峠越えをしなければいけません。
400mほどとさほど高くはないけど
勾配が異常なまでに急でした。
斜度10%はあろうかという箇所もあり
坂というよりもはや壁。
結果わずか2km進むのに
40分も要してしまいました。
最初の2kmを過ぎてしまえば
傾斜も落ち着いて若干緩やかに。
しかし今度は雨が降ってきてしまった。
雨宿りなどできる場所はなく
もうこれは濡れながら進むしかない。
はぁ、最後までびしょ濡れなのか…。
結局、峠を上って下るまでに
3時間近くかかり
ようやく港が近づいてきました。
30分以上雨に打たれたので
頭からつま先までびしょびしょ。
今日は薪ストーブで乾かせそうにもない。
さらに進んで港到着。
6時の最終便はもう出てしまったようので、明日まで待たなければ。
あぁ、寒い…。
港の待合室が解放されてました。
係員も誰もいないので
ここで夜を越すことに。
雨もしばらく降り続きそうなので
とりあえず屋根の下で
眠ることが出来て嬉しい。
屋内だけどテントを設営。
テント泊ばかりしてると
テントの狭い空間の中の方が
落ち着いて眠れるんです。
若干ながら寒さ対策にもなるかな。
旅人病でございます。
コクラン出発3日目。
目を覚ましてゴソゴソ準備をしてると、
湖の対岸に向かう10時の始発フェリーがやって来ました。
「アウストラル街道」序盤以来、久しぶりのフェリー移動です。
わずか40分で対岸に到着。
昨日パンク修理時に変なとこ触ったのか
ギアの調子が悪く、調整をしておきます。
作業してるとお腹も減ったので
インスタントマッシュポテトで腹ごしらえ。
気付けばすっかりお昼になってました。
12時になってようやく出発。
対岸もこれまでと変わらず
未舗装の林道が続いておりました。
ゴールの“ヴィジャ・オイギンス”
までは残り90km。
雨は昨日ので終わりにしてくれ。
2時間ほど走った所で、路上に停まった一人のサイクリストが。
北上しているというアイルランド人のキムさんですが
チェーンが切れて困っていたようです。
僕は道具を持ってるので、修理をしてあげることに。
スムーズに作業は完了。
普段は他人に
助けてもらってばかりなので
お役に立てて光栄でございます。
お礼にクッキーを頂きました。
キムさん、良い旅を!
「この先、大きな峠よ」と
キムさんから情報を貰ってたのですが
標識がものスゴイ角度。
これ、わざとなのかミスなのか。
でもこんなの張られると
おかげで覚悟はできます。
さすがに標識が示すほどではないけど
確かに坂は急でした。
それでは1時間ほどで
峠を越え下り坂へ。
雨がまたブレーキすり減ってるので
下りが怖い…。
予想以上にアップダウンが激しく、
そもそも出発が遅かったこともあり
朝の港から30kmちょっとの所で野宿をすることに。
「アウストラル街道」最後の夜も
ゆっくり焚火と向き合うことが出来ました。
この先、ここまでの大自然の中で
野営することも無いかもしれないので
どうしても野宿で
締めくくっておきたかった。
コクラン出発4日目。
そして、アウストラル街道走行24日目。
いよいよ今日にはゴールに到達できそうです。
遂に最終日と
意気込んだのはいいものの、
朝からとんでもない斜度の
アップダウンが続いておりました。
ほとんど漕ぐことなどできず
押しながらゆっくり進む。
峠に差し掛かった所で
振り返ると、雄大な景色が。
さっきまで走っていた道を
はるか下に見下ろす。
最悪ヒッチハイクも想定してたけど
なんとか自力で完走できそうです。
お昼を過ぎたところで
ようやく道は平たんになり青空も広がり始めました。
このまま晴天の下、ゴールできそうです。
そのまま緩やかな道が続き
景色を楽しむ余裕も出てきました。
湖畔の爽やかな道を行く。
アウストラル街道だけで
いくつの湖を見てきただろう、
とにかく緑と青がどこまでも広がります。
やがてちょっとした起伏も無くなり
道がどんどん穏やかになってきました。
絶対、最後まで雨なんだろう
と思っていたので
青空を拝みながら走り終われるなんて
すごく幸せ。
そして、夕方4時半頃
ついにアウストラル街道のゴール「ヴィジャ・オイギンス」に到着しました!
スタートの街・プエルトモントから距離にして1,200km、
東京から九州に至るほどの長さに及ぶ道中は
たくさんの雨と森と水辺に溢れていました。
そして、余裕がなくてほとんど写真に撮れなかったけど
たくさんのサイクリスト達と出会えたのも、この道ならでは。
達成感を覚えつつも
オイギンスの村自体は
地味というか、簡素というか
ひっそりとしてホントに静かな様子。
でもこの静けさこそが
“最果て”を感じさせてくれるのかも。
しばらく好天が続くようなので
ここではキャンプ場に滞在することに。
アウストラル街道は走破したものの、
実はまだ“冒険”は続くのです…。
2025.03.14
【333日目 18,398km】
大雨に降られながら逃げ込んだ“アンヘルさん”宅の小屋で
テントを張らせてもらった翌朝。
コヤイケの街を出発して4日目、
「アウストラル街道」を走り始めてからは
16日目になります。
用事があると、僕より少し早く
家を出発していくアンヘルさん。
トラックに荷台には
“山勇畜産”の文字。
でも実は左ハンドルだったりして、
どんな経路でここにやって来たんだろう。
出発準備中は
ちらっと青空も見えたけれど
走り始めるころには
やっぱり雲に覆われ
パラパラと小雨が降り出す。
今日も濡れるんだろうなぁ。
出発1時間のところで
やはり激しく降り始めました。
たまたま見つけた小屋に避難。
じっとしてると
濡れた体が凍えてくる。
はぁ、もうパタゴニア辛い…。
待てど暮らせど止まない雨に
「もうどうにでもなれ」と
ヤケクソで走行再開すると
意外にすっと
雨は弱まってくれました。
漕いでた方が体は暖まる。
途中の道端にあったのはコチラの墓地。
ひとつひとつがこの地域でよく見られる
ログハウスを模した可愛らしいカタチをしてます。
丘の上の墓地からは
美しい湖の景色が見える。
“温かい小屋の中で
綺麗な景色を眺めて欲しい”
という亡き人への思いやりが伝わる
素敵なお墓です。
午後からは少しづつ
晴れ間が広がりました。
青く輝く大きな湖面に、
雲を被った急峻な山々。
ようやく想像通りの
パタゴニアの風景を眺められた。
湖のほとりを進む道路は
起伏に富んでおり
まっすぐのんびり漕がせてくれません。
かなり急な上り坂も随所にあって
じわっと汗をかきながら
必死に押して進んでいく。
午後5時前に到着したのは
「プエルト・リオ・トランキーロ」。
湖畔の小さな町です。
“あるスポット”を訪ねて
多くの観光客がやってくるので
小さい町ながらも
たくさんの宿があります。
僕もそのスポットに行きたいので
ここでひと休みすることに。
トランキーロの町に到着した翌朝。
宿からほんの数百メートル歩くと
南米大陸で2番目に大きな湖
「ヘネラル・カレーラ湖」が目の前に臨めました。
“その場所”へは10人乗りの
小さなボートで向かいます。
「アウストラル街道」はじめての
観光らしい観光だけど
今日は朝から快晴。
気持ち良く現地まで向かえそうです。
「けっこう揺れるし、水も掛かるからね。
カメラは預かるからこのカバンに入れてくれ」
ボートの操縦士さんにそう言われて少しビビる。
穏やかな湖ののんびりクルージングだと思ってたのに。
やがて、モーター音を轟かせ
風が荒らす水面を切るようにボートが進み始めました。
距離にして3kmほどでしょうか、
15分ほどの予想以上に激しいクルージングを終えると
目の前には目的の場所が…。
それがこちらの「マーブル・カセドラル」、
岸壁を水が浸食してできた自然の洞窟です。
“大理石の大聖堂”の名の通り、
表面はゴツゴツとした無骨な岩肌ながらも
繊細で美しい模様をしています。
まるで大理石のよう…、
ではなくこの洞窟は実際の大理石なんです。
外から眺めるだけと思いきや
ボートはぐいぐい洞窟の中へ。
ターコイズブルーの鮮やかな水面を
反射する洞窟が一段と美しい。
そもそも湖の色が綺麗なのも
大理石の成分のおかげなのだとか。
かつて海だった一帯には貝やサンゴが堆積しており、
その海底が隆起して陸地に。
そこを氷河が削って湖が出来たうえで
貝やサンゴのカルシウムがマグマの熱と反応し、
大理石が形成されたそう。
そもそも基となる貝やサンゴを解析すると、
チリではなく遥か北にあるエクアドルあたりから
漂流してやってきたものである可能性も高いとか…。
つまり何万年と気の遠くなるほどの
長い年月をかけてできた
自然の芸術が今目の前にあるということ。
皮脂によってphが変化してしまうので
たとえ近づいても触れるのは厳禁。
まぁ、普通の人は触らない。
地形として大理石と水が
触れ合う位置関係にあるのは
地球上でこの場所だけだとされており
「世界で最も美しい洞窟」
という由縁もそこにあります。
パタゴニアならではの絶景ということ。
カヤックで周辺を漕ぐツアーもあります。
地元の人からも勧められてたけど
“どうせ雨だろな”と止めておきました。
でも僕が自転車を漕がない日は
天気が良いんです。
そういう風になってるんです。
こちらの大理石でできた大きな岩は
教会に見立てられており、
実際に結婚式も挙げられるそう。
こんな大自然で挙行できる式なんでロマンチックですね。
走るばかりだったうえに
雨に打たれてイライラしがちだった
アウストラル街道。
世界各地から多くの人が
やってくる理由の一つを
やっと目にすることが出来ました。
コヤイケ出発6日目。
“マーブル・カセドラル”の観光と町での休養により
ずぶ濡れによる疲れとストレスもリセットできました。
上りは多いけど、今日は天気も良いようだし
晴れやかな気分で漕ぎだします。
この水の色は
なかなかカメラに収めるのは
難しいだろうな。
すごく綺麗な
ターコイズブルーをしてるんです。
本当ですよ。
湖畔の道は常にアップダウン。
そして野生動物にも遭います。
キツネが横切ったと思えば
頭上には2m弱はあろうか
というコンドルが羽ばたいていきました。
本当ですよ。
気持ちの良い晴れではないけど
雨が降らないというだけで
快適さが格段に増します。
雨多いけど動物に襲われないパタゴニア、
天気良かったけど熊に恐れてたアラスカ、
どっちが良いだろうなぁ。
道路脇の草むらでランチ。
のんびりひと休みと思いきや
無数の蚊が襲撃してきました。
「あぁー!!」とイライラしながら
振り払う姿は、遠くから見たら
変な人だったと思います。
大きいものから小さなものまで
たくさんの湖があちこちにあります。
このターコイズブルーはパタゴニアの象徴として
ずっと記憶に残りそうだ。
絶えず水辺とセットなのが急な坂道。
上り坂も大変だけど
砂で滑るうえに
凹凸だらけの下りを行くのも
かなり神経を使います。
もう汗だく…。
夕方6時に「ベルトランド」
という村に到着。
キャンプ場もあるらしいけど
天気も悪くないし
休養日以外は
基本的に野宿をしたい。
まだ体力も余裕があったので
川に沿った道をもう少し進みます。
「世界一美しい林道」とも言われる
アウストラル街道。
美しいかはわからないけど
とにかくどこまでも森が続きます。
ベルトランドから10kmあまり走った所で
平らな場所を見つけキャンプ。
地図を見る限り静かな川辺かと思いきや
数百mの眼下に激流を望む一大パノラマでした。
景色良いけど、なんか落ち着かない…。
コヤイケ出発7日目。
テント撤収中は雨が降ってたけど
走り始めるとすぐに小雨になってきました。
「アウストラル街道」も
終盤を迎えつつあるけど、
ゴール前最後の休養地には
今日到着する予定。
またしてもずぶ濡れの荷物を
今すぐ乾かしたい。
数百mの峠から見下ろす渓谷。
街道の序盤に比べて
かなり起伏が激しくなっています。
最も高い標高でも600m程度だけど
とにかくアップダウンが多いから
決して楽な道のりではない。
さっきすれ違ったサイクリストに
「こっから町まではずっと下りだよ!」
と言われたけど
結構上るじゃないか…。
地球上には下り坂よりも
上り坂の方が多いんですって。
出発したキャンプ地からはわずか35kmなのに
5時間近くも掛かって「コクラン」の町に到着。
アウストラル街道のラストスパート前に
ここでひと休みしていきます。
2025.03.10
【329日目 18,206km】
アウスロラル街道の中間地点にして
最も大きな街「コヤイケ」に滞在中。
昨日まで降り続いた雨は止み、
晴天のもと遥か遠くにはパタゴニアの山々が見えます。
リフレッシュの為に
コヤイケでは2日間の休養。
パタゴニアの玄関口である
「プエルトモント」から
10日間走り続けたことに加え、
直近5日間は雨ばかりで身体はクタクタ。
トレッキングやサイクリングの
合間の休憩地点という位置付けで
街そのものには
さほど用事はありません。
ひたすらベッドで横になってたいけど
片付けておきたいこともたっぷりある。
まず最優先事項は装備品を乾かすこと。
とにかく雨に降られ続けたことで、
あらゆるものがジメッと湿り不快極まりない。
パタゴニアを進む限りどうせまた降られるんだろうけど、
一回なんとしても綺麗にリセットしておきたかった。
そして、プエルトモントで買った
安物ペダルの交換。
途中で応急処置はしたものの
長続きはせず、
気付けば左右ともに
ボキッと折れていたんです。
雨により急激に磨り減った
ブレーキパッド共々
ここで交換しておきます。
ゴールが近いからと
いい加減なものを選んだのが失敗。
“安物買いの銭失い”とはこのこと。
2日間の休養を終えると再びサドルにまたがります。
1200kmに及ぶ「アウストラル街道」ですが
ここからは後半戦に突入。
町を出ると、開けた平原が
どこまでも続いておりました。
深い森林を縫うように
進むことが多かったので
この開放感のある景色は新鮮。
山頂に雪をかぶった景色も綺麗。
今日の獲得標高は1,000mあって
地味に上りの多い行程だったけど
景色も良いうえに
久しぶりに天気も良かったからか
全然苦しく感じることも無く。
ずっとこの天気が続いておくれ。
昼前の11時と
のんびりスタートだったけれど
夕方5時頃には
60kmあまりを走り切って
予定していた無料のキャンプ場に到着。
まだ明るいけど早めに切り上げ。
無料の割には手入れがしっかりされていて
居心地最高。
せっかくの大自然の旅、
毎日こんなキャンプが続いたらどんなに幸せだろう。
(これから数日先の予報をチェックしてるからこそ切なくなる…)
煌々と降り注ぐ太陽の下、
読書しながらコーヒーを飲むなんて
最高の贅沢。
さらにチョコチップクッキー
まであるんだから言うことない。
(あぁ、明日からも晴れてくれたら…)
日が暮れた頃に食べるのは
やっぱり今日もパスタ。
街を出た直後は食材も豊富だから
調理自体が楽しくなる。
ジェノヴェーゼとトマトソース
の日替わりです。
コヤイケ出発2日目。
昨日上りきっていなかった坂を
ちょっとだけ上る所からスタートです。
道路脇の“動物注意”の看板が
ヤギになったりキツネになったり。
鳥は多いんですが
哺乳類の野生動物は見ていません。
この地域にはネコ科の“プーマ”が
生息してるけどかなりレアだそう。
コヤイケ以降は
ほとんど未舗装になるのですが
このあたりはまだ
綺麗なアスファルトが続いております。
この道がどこまでも
続いてくれればいいんだけど。
やがて峠を越えると
蛇のように曲がりくねった
九十九折りの下り坂が。
大自然を整った道路が
貫く様はどこか
ヨーロッパのようでもあります。
坂を下った先で「セロ・カスティージョ」という町に到着。
“アウストラル街道”沿い有数のトレッキングスポットで、
僕も1日休んでちょっと歩こうかとも思ったのですが
あいにくの天気なのでスルーすることに。
町でひと休みしてから
午後の部突入。
朝から薄く広がっていた雲は
徐々に厚みを増してきました。
さらに起伏も激しくなり
気分も重たくなる。
やがてこちらの見晴らし台に到着。
実はここから、先ほどの町の名にもなっていた
“セロ・カスティージョ”というパタゴニアの名峰の一つが
見えるのですが、残念ながらその姿は見ることは出来ず…。
このあたりで少し気持ちも折れてきました。
アウストラル街道の魅力は、道中に待ち受ける絶景の数々。
しかし悪天候が続くばかりで
正直期待していた景色を見ることが出来ていません。
トレッキングの予定を中止にしたり、
雨を避けるためアウストラル街道を逸れていく
他のサイクリスト達と「まぁ、仕方ないよね…」と
傷を舐めあうのが精いっぱい。
やれやれ、とため息をつきつつ
再び漕ぎ始めたところで
看板に書いてあるのは
「舗装路、終了!」のお知らせ。
分かっていたことだけど
いよいよか、はぁ…。
やがて雨も降り始めました。
瞬間的にひどく降ることもあるけど
基本的に雨粒は小さなことが多く
写真では分かりにくいほど。
パタゴニアの雄大な自然の支えだけど
もうちょっと晴れの日もあって欲しい。
前日と同じく60kmほど走った所で
川辺にちょうどいい場所を発見。
軽い雨なら木が防いでくれそう。
先人が焚火の後を
残してくれていたので
ありがたく再利用させてもらう。
あまり気分の良い日じゃなかったけど
揺らめく炎をぼんやり眺めるのが
ちょっとした癒しになりました。
コヤイケ出発3日目。
朝方テントを打っていた雨の音は
出発の頃には鳴り止んでいました。
今のうちに少しでも進もう、と急いで準備を整える。
走り始めてすぐ
前方の山に這うように
伸びている雲が美しい。
気流は激しいようで
こっちは止んでて、向こうは降ってる
なんてのもよく見えます。
1時間ほど走った所で
割と急な上り坂に突入。
足元の砂利道が
すごく緩いワケじゃないけど
ここまで傾斜が急だと
なかなか前にも進みません。
そして坂を上ってしばらくのところで
やっぱり降り出した雨、それもかなり土砂降り。
ちょうど道路脇にキャンプ場があり避難したけれども
オーナーも誰もおらず。
勝手に小屋の下で、なついてくれない犬と一緒に
雨宿りをさせてもらいます。
なんとそのまま激しい雨は
3時間にもわたって降り続けました。
もう今日は無理か、と思った
15時過ぎにピタッと止んだ雨。
「ちょっとだけでも進むか」と
だらだら漕ぎ始める。
“テントを張れる場所はあるだろうか”
とキョロキョロしながら
林道を進みつつ、
この写真を撮った数分後。
再び堰を切ったように
この日一番の雨が降り注ぎました。
1年近く旅をしていて、この数日ほど
自転車を漕ぐモチベーションが下がったことはありません。
“止まない雨はない”とか“雨の日は雨を愛す”なんて言葉は
その日家にいて、外に出る用事がない人が他人事だから言えるのであって、
「30kgの荷物を携えてパタゴニアの砂利道を
大雨の中走ってみやがれ!」という
やり場のない怒りをここに綴らせて頂きます。
合掌。
土砂降りの中10分ほど必死に漕ぎ続けたところ。
道路脇に人家を発見し、
なりふり構わず避難させてもらうことに。
玄関を開け穏やかな笑顔で
迎えてくれた男性は“アンヘルさん”。
温かいコーヒーを供してくれました。
天使(アンヘル)の名に違わぬ
優しさを持ち合わせた
素敵なおじさんです。
凍える自分の体が落ち着いたら
濡れた衣類を乾かさせてもらいます。
ひと段落したところで、ふと
窓の外を見ると雨は止んでました。
いいんです、いいんです。
僕が屋根の下に入ると止むんです。
そのまま小屋の下に
テントを張っても良いと
許可を貰いました。
ワラの上で寝たら気持ち良さそうだけど
まず寒いし、アトピー持ちだから
絶対痒くなる。
ずぶ濡れになった上に
旅の中で最も短い25kmしか進めない
という散々な1日だったけど、
アンヘルさんの優しい眼差しは
「まぁまぁ、そんな日もあるよ」と宥めてくれているようでした。
2025.03.6
【324日目 18,051km】
アウストラル街道7日目。
「プユワピ」の宿で1泊を明かしたけれど
次の日も相変わらずの雨。
予報を見ても、地元の人に聞いても
数日は降り続くようなので、昼頃にはあきらめて走り始めます。
フィヨルドの湾曲した入り江に沿って
ペダルを漕ぎ進めます。
すぐ頭上にはふわふわの雲。
気流が激しいのか
かなりの速さで流れていきます。
おかげで雨も降ったりやんだり。
町を出て20kmほどのところで
路面が未舗装に。
細かいアップダウンもあるので
どうしてもスピードが落ちます。
この入り江沿いも、天気さえよければ
綺麗なんだろうな。
道中にはたくさんのサイクリスト達。
大体みな同じような速度なので
顔馴染みの方もちらほら。
「2日前の町でちょっと喋った、
えぇっと、ナニさんだっけ??」
というのがすごくよくある。
道の傍らでは
そこらじゅうに清流が。
宝石の道やアタカマでは
水の心配ばかりだったので、
この点は本当に助かります。
雨で少し濁ってるけど問題なし。
50kmほど走った夕方6時前。
大きな峠を前にして、今日はここまでに。
途中から一緒に走り始めた
スペイン、アルゼンチンのお二人と一緒に
道路脇でテントを張ります。
雨がヒドくなったので
夕食はそれぞれテント内での自炊。
クスクスだけでなく
パスタも持ち運んでます。
ジェノヴェーゼって和えるだけで
美味しいから便利。
アウストラル街道8日目。
朝7時、ふと目を覚ますとポツポツとテントを打つ雨の音。
悪天候が続くと分かっていても
朝からこれでは気分も乗らない…。
雨が弱まるのを待って
ようやく出発の準備が
整ったのは10時頃。
一瞬だけ顔を覗かせた太陽を
見逃さず、ちょっとだけでも
テントを乾かしておく。
今日のスタートは
6kmで600mの峠を越える
かなりの急坂。
単純計算で斜度10%。
地元の人か観光用の4WDしか通らないので
とにかく傾斜が容赦ありません。
かなり深い山の中を進みます。
砂利道なのも厄介で、
押して歩こうにも
踏んばる足が滑って
思うように進めない。
おまけに地面は水分も含んでます。
見上げる山には
怪しげに雲が立ち込めます。
海のすぐ傍である上に
山がどこまでも広がっているので
とにかく天気がすぐ変わる。
さっきは太陽がちらっと見えたけど。
そして雨が降り始めました。
決して雨粒は大きく無いんだけど
風もそれなりに吹いてるので
顔に打ち付けるのが厄介。
ただでさえ急斜面に
苦戦してるというのに…。
上り始めて3時間弱。
ほとんど押して歩いたけど、ようやく峠に着きました。
そしてここからは嬉しいアスファルト舗装。
ただ雨に濡れるとブレーキシューが
みるみる摩耗し、効きが悪くなります。
50kgの重みを止めるのは容易でなく
握りしめる手もすぐに疲れ果てます。
上りも大変だったけど
下りも同じくらいしんどい。
ようやく坂を下り切った先の
東屋で遅めのランチブレイク。
ただ気温は8℃、
雨に濡れたことで体が冷え
ゆっくり休まらない。
漕いでた方がマシなのですぐ出発。
さらに20km近く走った所で
キャンプ場を発見。
結局、ほぼ終日
雨に降られ続けてしまいました。
ここまでずぶ濡れになるのは
今回の旅で初めてじゃなかろうか。
屋根付きのサイトを選んでテントを張る。
毎日乾き切らない内にたたんでしまうものだから
日ごとにテントがカビくさくなってしまう。
あぁ、徐々に雨によるストレスが蓄積してゆく…。
キャンプ場には小さな食堂も付いてます。
薪ストーブもあるので
明日も着るものを優先的に
乾かさせてもらう。
炎をあげる薪が
体を芯から温めてくれます。
実は今日は誕生日でした。
ということで
贅沢にピザを食べちゃいます。
雨に降られて散々だったぶん
こんな小さな贅沢が
大きな幸せに感じられる。
アウストラル街道9日目。
誕生日の翌日ということで贅沢に朝食も注文。
この調子であと一週間は誕生日フェアやろうかな…。
温かいコーヒーを飲みながら、
今日も朝から降っている外の雨を見ないように現実逃避。
半日休みは数回とったものの
プエルトモントから連続走行9日目。
疲労に加えて、旅の荷物が
びしょびしょに湿ってるせいで
日に日にイライラしてくる。
ダメだ…、平常心、平常心。
前日ほど強く降ることはなく
パラパラと弱い雨が降ったり止んだり。
実は有名な国立公園も通過してるのですが
雲が覆うばかりで
景色を楽しむどころじゃない。
はやく進んで街で休みたい。
この辺りはコンドルの棲み家で
バードウォッチングもできるらしいけど
雨のせいか、何も飛んでません。
1200kmに及ぶアウストラル街道、
その全ての景色を最高の条件で
眺めるのは難しいようです。
最近、ランチはパンに
チーズとハムを挟んで食べてます。
これも気温が低いことの恩恵。
メキシコなんかでは毎日暑いから
とても食材を運ぼうとは
思いもしなかった。
ただ10℃前後の気温って
服の調整がすごく難しい。
着込むと暑いし、薄着じゃ寒いし。
もっと寒くなってくれて
冬用の機能性の高いウェアを来た方が
だいぶマシじゃなかろうか。
午後からは起伏も少なく5時に
「マニウアレス」に到着。
今日も雨が降りそうなので
キャンプ場に泊まっておきたいところ。
町に入ってすぐキャンプ場を発見。
しっかり枝の伸びた大木の下に
テントを張ることに。
大雨にはならなそうなので
たぶんこれで
大丈夫だろう。
オーナーさん宅の共有スペースでのんびり。
もっと野宿ができたらいいんだけど、
ここまで雨が続くと
つい快適さを優先してしまう。
ちなみにキャンプ場はどこも
¥1,000ほどが相場です。
キッチンを借りて夕食の準備。
薪ストーブの上で鍋をかけるのが
パタゴニアスタイル。
屋内だけどちょっとだけ
アウトドア気分を味わうことが
できます。
この日もジェノベーゼ。
雨で不快な日々も
夕食だけは
割りと充実してる気がする
アウストラル街道の旅。
いつも同じメニューだけども。
アウストラル街道10日目。
今日には街道最大の都市である
「コヤイケ」に到着できそう。
天気は当然朝から雨でございます。
谷間の道をのんびり漕いでると
うっすらと虹が!
ひたすら続く森の景色に
うんざりしつつありましたが、
久しぶりに目の前の景色に感動しました。
このままスカッと晴れてくれ。
しかし、それからも
雨は降ったりやんだり。
一時激しくなったときには
バス停で雨宿りをするほど。
ここ数日、靴はずっと
びしょびしょです。
昼頃に一軒の商店を発見。
ただこないだまで汗だくになって
飲み干すジュースが美味しかったけど
気温が下がったことで
そんなに飲み物も欲しくない。
自炊も多いし節約できてます。
コヤイケまであと
40kmに迫った午後。
徐々に空に広がる雲は薄くなり
時には日が照るようになりました。
雨が止んでようやく
周りの景色を眺める余裕が出てくる。
小さなものも含めると
アウストラル街道はとにかく
滝だらけ。
そこらじゅうで水が流れ落ちています。
さらに4時頃には
数日ぶりに青空を
拝むことが出来ました。
そして街へと向かう最後の上り坂。
これがかなり急でしかも長い。
汗もびっしょりになっていく。
そして坂を上りきったところ、
看板には「コヤイケ」まで
残りわずか10km。
連日雨に打たれて
走ってきたけど
ようやく街に着ける。
峠を越えると
一気に景色が開けました。
はるか向こうには
予想以上にたくさんの家屋が
山肌に広がっています。
気合いをいれて最後のひと踏ん張り。
通りも建物もきれいに整って
チリも南下するほど
どんどん“ヨーロッパ感”
が増しているように感じます。
ずっと森と雨ばかりだったので
清々しい気分。
そして到着しました
アウストラル街道・最大の都市
であると同時に前半戦のゴールでもある町「コヤイケ」。
滞在中は天気が良いようなので
太陽の恵みを受けつつ、ここでひと休み。
2025.03.2
【320日目 17,805km】
チリ南部の都市・プエルトモントを出発して3日目。
フェリーを乗り継いで、
入り組んだフィヨルドの沿岸に続く
「アウストラル街道」を進み始めました。
降水量が多いことで有名な
パタゴニアを進むということで
雨の心配をしてたのですが、
ここ3日間は
とても気持ちの良い快晴。
湖の青も良く映えます。
前日から続く深い森林は
まだ途切れそうにもない。
“世界一の林道”という形容が
確かに大げさではないな
と感じるほど、とにかく深い緑。
一歩踏み入れると遭難しそう。
透き通った清流が
あちこちに流れており、
木と水によって目が潤います。
数週間前に砂漠を走っていた自分に
この水をたっぷりと
飲ませてあげたい。
キャンプ場を出発して50km足らずを走った午後1時前。
目標としていた「チャイテン」の町に着きました。
ハイカーやサイクリスト達の
拠点となる場所と聞いていたので、
それなりに活気があると思いきや
昼だというのに通りはとても静か。
まぁ、町自体に見所は無いので
みんな宿でゆっくりしてるのだろう。
案の定、宿はどこも一杯で
5軒目でようやく空室を発見。
パタゴニアの自然を満喫するには
一番の夏季。
道路上でも、町の中でも
たくさんの観光客に出会います。
予定よりも早い日数で
ここまで来られたうえに、
昼には宿にチェックインできたので
明日は休養日を設けずに
もう出発してしまおう。
良い感じ、良い感じ。
アウストラル街道4日目。
せっかく宿代を支払ったので
チェックアウトギリギリの11時まで部屋でのんびり。
スーパーで食料の買い出しを済ませたら
お昼にゆっくり出発です。
しばらく人口の少ない
集落ばかりが続くので、
交通量もかなりまばら。
チャイテン出発直後は
起伏のないなだらかな道を
気持ち良く進んでいます。
すると目の前に割れた酒瓶の底が
落ちておりました。
「あっ、ヤバい」と意識するほど
避けれず踏んでしまうんですよね。
もちろんすぐにパンク。
ため息をつきながら迅速に修理。
現在の目標は、1200kmに渡る
アウストラル街道の半ばに
位置する都市「コヤイケ」。
あと400kmほどということで
これまで通り
順調にいけると良いけど…。
チャイテン出発から
50kmほどのところで
目標としていた橋に到着。
今日は昼出発の
“のんびりデイ”なので
このあたりにしておこう。
橋の下に丁度良く平らな場所を見つけ
テントを張る。
まだ午後4時で太陽も高く
目の前には綺麗な河。
良いキャンプになりそうでございます。
最近、読書熱が上がって
テントで本を読む時間が幸せ。
読書は“紙派”なんですが
長旅にはKindleがピッタリ。
ロマンはないけど
便利なものは便利です。
ここまでのアウストラル街道での
最高気温は15℃ほど。
さらに寒くなっていくはずですが
気温が低いときのメリットは
新鮮な食料を持ち運べること。
キャンプ飯も楽しくなります。
小粒パスタ“クスクス”は
どんなアレンジも可能。
オートミールと違って
「仕方なく食べる」って感じでは
ないんですよ。
ちゃんと美味しいアラブ料理です。
アウストラル街道5日目。
前日ののんびりキャンプで
しっかり体力を温存した翌日は
600mの峠越えからスタートです。
アウストラル街道走破にあたり
過去数年の先人方々の
情報を参考にしているのですが、
ここ数年で一気に道路の舗装工事が
進んでいるみたい。
ここも未舗装だと思ってました。
そのこともあって
1時間ほどで峠も順調にクリア。
砂利道で苦しむのも
良い思い出にはなるはずだけど
まぁ、道路は
綺麗に越したことはないです。
峠を下り切った所で
「サンタ・ルシア」
の集落に到着。
ちょうど昼頃なので
ここでランチブレイクを
取っていくことに。
ここで小さなトラブルが…
アラスカから2万km近く漕いできた右のペダルが
“カリ、カリ”と異音を鳴らすようになったので
プエルトモントの街で新品に交換してたんです。
「もうゴールも近いし、安いのでいいや」と
¥1,000のプラスチック製のものを取り付けておりました。
すると先ほどの峠越えで力んだからか、
気が付けばペダルが半分に折れているではないか!
安物とはいえ、たった5日で折れるとは…。
(商店のおばちゃんにテープを借りて応急処置をしましたが
たった4漕ぎしたところでまた折れました。)
折れたペダルが
若干漕ぎにくいものの、
意外と走行に支障は無く
午後からも順調に前進。
高低差50m程度の
地味なアップダウンが続きます。
午後6時頃に「ラ・フンタ」到着。
今日も野宿が良かったけど、
夜から雨が降るらしく
濡れないように
屋根のあるキャンプ場で
テントを張っておきたかったんです。
アウストラル街道沿いの町には、
広い庭の一画にテントを張らせてもらうスタイルの
キャンプ場が多いです。
風情も何もないけど、
テントを持ってるアウトドア客が多いから
安い値段で寝るだけの、このスタイルが定着してるんでしょうね。
付設の台所で今日もクスクス。
南米は屋台メシの
多いエリアが続いたから、
しばらく自炊がご無沙汰だったけど
やり始めると限られた条件下の
クッキングが楽しい。
アウストラル街道6日目。
やはり予報通り夜中に雨は降り始め
朝になっても止む様子はありません。
雨具を着たら、覚悟を決めて出発です。
あたり一帯の豊かな自然を
支えている雨は、
パタゴニア旅には付きもの。
最も降水量が少ないという
2月でさえ、
雨の日がかなり多いそうです。
そういうわけで
ここまで晴天が続いていたこと自体が
実は意外だったんです。
視界も悪いし、体は冷えるしで
決して快適ではないけど
これこそがアウストラル街道の旅。
40kmあまり走った12時頃に
「プユワピ」という町に到着。
気持ちに余裕があればもうちょっと進もうかとも思ったけど、
やっぱり雨は辛い…。
もう早いとこ宿で休みたい。
海沿いということで
町中には「TSUNAMI」の看板が。
スペイン語圏でも通じるんですね。
ちなみにインスタントラーメンの
「MARUCHAN(マルチャン)」
も南米の皆さんご存じです。
氷河の見える国立公園も近いとあって
小さな町にも関わらずそこら中が宿だらけ。
そのうちの一軒に決めると、
雨から逃げるようにチェックイン。
パタゴニアの宿は
オーナーの自宅も兼ねた
民宿スタイルが定番のよう。
私生活も垣間見れることで
どこか温かみを感じます。
時間がゆったり流れている。
雨雲が広がると同時に
気温も下がって10℃ほど。
日本の冬ほどじゃないけど
居間には薪ストーブが焚かれてました。
びしょ濡れになった衣類や靴を
ここで乾かさせてもらう。
残念ながら宿の台所は使用不可。
ここ数日テント泊の時は、自炊でしっかり野菜も食べれたけど
仕方なくこんなものを食べることに。
「MARCHAN」じゃなくて「NISSHIN」です。
でも、久しぶりに食べると美味しい…。
2025.02.26
【316日目 17,566km】
首都サンティアゴから1,000kmの旅を経て
たどり着いたのは「プエルトモント」。
海に面した都市にはたくさんのビルも建ち並んでいます。
南北に細長く伸びるチリの国土でも
かなり南に位置する
プエルトモント。
ここからさらに南に広がる
“パタゴニア”といわれる
地域への玄関口ともなっています。
街の中心を歩くと
首都サンティアゴと同じ
近代的な印象を受けます。
ただ南に真っすぐ
下ってきたこともあり
日中でも1枚羽織りたいほどの気温。
プエルトモントを訪れる観光客の多くは
周辺の火山や湖を目的とするそうですが、
街中にも見所はあります。
それが“アンヘルモ”という
街の西にある魚市場。
ちょうど滞在が週末と
重なったこともあって
沢山の人で賑わっていました。
そこらに溢れる海鮮の数々。
もちろん魚も沢山売られてるのですが
甲殻類や貝類も充実しております。
これまで海に面した都市を
そんなに通過していないので
ここまで活きの良いものが並ぶと
見てるだけでワクワクしてきます。
魚市場には当然食堂も。
チリ入国以来3杯目となるのは
「パイラマリーナ」。
貝やエビの旨味が
ぎゅっと濃縮されたスープは
海鮮の魅力を味わうには一番です。
別日に再訪して食べたのは
こちらの「チュペ」。
牛乳やパン粉がベースの
濃厚なグラタンでございます。
具材は贅沢にもタラバガニ。
そりゃ、美味しいに決まってます。
滞在していたのはコチラの宿。
到着時にはここまでの都市と同じように
どこも満室だったり高額だったりで
数軒尋ね歩いてようやく見つけた場所です。
1泊¥3,000ほどだけど
この街の個室ではかなり安い方。
しかもすごく綺麗で
これから向かう大自然に備えて
たっぷりと休養のとれる
最高のお宿となりました。
宿に滞在する時の楽しみは自炊。
ということで日中訪ねた魚市場で
サーモンとウニを仕入れておきました。
大体200gほどで¥800。
普段ウニなんて買うことないから
相場が分かりません。
クリーミーかつ塩気のあるウニは
パスタにしてやりました。
あぁ、美味しい。
サーモンは定番のムニエルに。
馴染みのある魚だけに
食べるとほっとします。
思えば日本のスーパーでも
チリ産のサーモンは多いですよね。
海鮮グルメの日々、幸せ…。
同時に泊まっていた
アルゼンチンのご家族には
マテ茶をご馳走になりました。
渋みが強いけど、日本人には
かなり合うお味です。
ちなみに上の白い粉は砂糖ですよ。
さてさて。
プエルトモントから引き続き南へと向かうわけですが、
ここから旅は新たな局面へ突入します。
南に向かうほど先細っていく南米大陸。
特に南緯40度以南、
つまりこのプエルトモントから先の地域は
「パタゴニア」と呼ばれ圧倒的な大自然が広がります。
さらにプエルトモントから続く
ギザギザに入り組んだ海岸線に沿って1,200kmに及ぶ道路
「アウストラル街道」は、
その道中の自然美を楽しむため世界中からサイクリストが訪れる
自転車乗りの聖地ともなっております。
1年通じて雨や風が多いことに加え、
寒さも待ち受けるパタゴニア。
雄大な自然の厳しさと美しさを感じながら
南北アメリカ大陸、そして世界を巡る旅の“最終章”を
楽しんでいきたいと思います。
プエルトモントで休むこと3日間、
荷物をまとめて宿を発つと
いよいよパタゴニアの旅が始まります。
海辺の遊歩道にはアウストラル街道の起点を示す
“KM0,00”の標識。
走り始めて30分ほど、
思いのほかコンパクトな
プエルトモントの郊外へ出るまでは
あっという間でした。
午前中は100%に近い率で
厚い雲が広がります。
海辺を走る道路は
まっ平らか、起伏が激しいか
のどちらかなのですが
どうやら後者であるよう。
写真では伝わりませんが
かなりの激坂です。
昼過ぎの1時には
45kmほどを走って
港に到着。
実はここで道路が途切れており
対岸へと
向かう必要があります。
パタゴニアのチリ側海岸は
氷河によって陸地が複雑に削られた“フィヨルド”
であるため、こうした
フェリーの利用が不可避なポイントが複数あります。
最初のポイントはわずか30分で料金も¥500ほど。
昼過ぎなので
ちょうど良い休憩に。
街で買っていた
パンをかじりながら
ゆっくりと流れる景色を
のんびり眺めて過ごします。
予定通り30分でフェリーは対岸へ到着。
このあたりで1泊と考えてましたが、
時間は午後2時なのでまだまだ漕げそうです。
パタゴニアを南下するにつれ
集落は減るものの、
全く無くなるわけではなく
道路沿いには人家が
まばらに現れます。
土地が安いのか立派な家が多い。
都市間を行き交う
大きな物流トラックが通らないからか
道路の起伏が容赦ありません。
公道ではあるけど
こんな急な坂は
経験がない、というほど。
平坦な道などほとんど無く
常に上るか下るかの道を数時間漕ぎ続け、
夜7時に「オルノピレン」の町に到着。
次なるフェリーの港もあるので
今日はここで泊まっていきます。
町中のキャンプ場へ。
キャンプ場というより
「裏庭にテント張って良いですよ」
という感じで、
サイクリストや登山客でぎっしり。
1泊¥1,000ほどです。
道が起伏に富んでいるうえに
フェリーの利用もあることから
ここまで2日掛かるかも、
と想定してたのですが
1日で順調に来れました。
アウストラル街道、良いスタートです。
アウストラル街道2日目。
ここ数日では珍しく朝から広がる青空の下、
港へ向かうと
すでに10時出港予定のフェリーが停泊していました。
いざ船に乗り込むと
すでに沢山の自転車が。
昨日の時点で
「どこから来たの?」なんて
全員と話せばキリのないほど
たくさんのサイクリストと遭遇してます。
今日のフェリー移動は
2つの船を乗り継いでいく行程で
60kmも南下します。
入り江を進むので
波も無く穏やか。
故郷の瀬戸内海のよう。
あたりを見回すと
チリやお隣アルゼンチンの方が
多い様子。
やはり地元の人でも
パタゴニアにはテンションあがるのか
パシャパシャ写真撮りまくりです。
3時間ほどかけて
船は港に到着。
ここから10km自転車を漕いで
次の港を目指さなければなりません。
シャトルバスが欲しいけど
景色が綺麗だから良しとする。
無事次の港について
20分ほど待ったところで
フェリーが到着。
まずはサイクリスト達が続々乗船。
地元チリや
アメリカ、カナダの方たちです。
気温は20℃を少し切る
くらいでしょうか。
船の上は風が吹くから寒いけど
走る分にはちょうど良い気候です。
まぁ多分それも今だけで
どんどん寒くなりそう…。
2回目のフェリーは45分ほどで港に到着。
この時点ですでに午後4時半。
今日は船旅メインでほとんど走れそうにありません。
といっても港付近に
町は無く、うっそうと
森が広がっているばかりなので
少なくとものんびり
テントを張れるところまでは
走らなければ。
アウストラル街道は
「世界一美しい林道」とも
呼ばれており、さっそく
奥深い原生林へと入り込んでいきます。
道は未舗装である上に
山中なのでアップダウンも多い。
港から走り始め
わずか17kmの距離に2時間半も費やして
下調べしておいたキャンプ場へ。
どうやらスタッフもいないようでタダで泊まれそう。
風に揺れる木の音を聞きながら
クスクスを茹でていると、
改めて大自然に足を踏み入れた
のだと感じさせられました。
プエルトモント出発翌日にして
ガラリと変わった景色。
ということで、いよいよ
旅の最終章・パタゴニア編が始まりました。
これから進む道には
これまでに眺めてきたどの景色にも負けないような
雄大な自然美が待っているはず。
砂利道と上り坂に苦しみながら1日ずつ前進していきます。
2025.02.22
【311日目 17,426km】
チリの首都サンティアゴから
南部の都市「プエルトモント」を目指す1,000kmの旅。
途中の街テムコでは思いのほか疲れが溜まっていたことから
2日間も休んでしまいました。
ここからプエルトモントまでは350km。
これまでのペースで進めれば3日間で到着できるはず。
テムコ到着前から起伏が
増えてはいたけども、
どうやらここからも
ずっとまっ平らということは
ないみたい。
時に踏んばりながら上り坂を進む。
1日1杯のモテは
やっぱり欠かせません。
たまに甘すぎたりして
微妙な時もあるからこそ
当たりの時の喜びがあります。
手作りならではの面白さ。
ひたすら高速道路を走って
道路脇の食堂でひと休みという
パターンは、
サンティアゴからずっと。
テムコ以降、山が多いからか
おしゃれなログハウス調が増えてきた。
ホットドッグが千円ほどするけど
他に選択肢が無くやむを得ず注文。
やってきたのは
肘から指の先まであるような
長いホットドッグでした。
味は普通だけど、食べ応えは抜群。
暑さはそれほどでもないけど
坂が予想以上に多いことで
かなり疲れてしまう。
ここまでの道がスムーズすぎただけに
なかなかスピードに乗れないのが
もどかしい…。
休憩に寄ったガソリンスタンドで
自転車に興味を持ってくれた
ご家族が、
「何でも買ってあげる!」
と何とも嬉しいお言葉をくれました。
優しさは遠慮なく受け取るスタイル。
バイク乗りである旦那さんは
特に感心してくれます。
これから向かう南部にお住まいなので
細かい情報もお聞きできました。
“ファブロ&パトリシアさん”
本当にありがとう!
予定通りの120kmを走り切った6時過ぎ。
橋から見えた河原に向かうと
BBQを楽しむ家族に声を掛けられました。
夏休み中ということで、
こんな人たちがそこらじゅうにいるんです。
「俺たちもう帰るから、ココにテント張りなよ!
あと肉もパンも食べて食べて。
ジュースもこれ飲んで!」
嵐のように家族が去った後
無事テントを設置。
BBQの余りをごちそうになったことで
お腹もいっぱい。
自炊の手間も省けました。
ゆっくり休めそうだ。
夜中1時頃、
「ガサガサ。バキバキ」という音で目が覚めました。
テントのすぐ傍には“フンフン”ととても荒い鼻息。
しばらくすると謎の生き物は去っていきました。
たぶん豚じゃないかと思うのですが、何だったんだろう…。
テムコ出発2日目。
サンティアゴを発ってから朝晩の寒暖差は大きかったのですが
テムコ以降は一段と朝が冷え込むようになりました。
着る服に迷いながらもテントを片付けて今日も出発。
今日もアップダウンが大きく
思ったほどには
スムーズに進めそうにない。
頻繁に休みをとりつつ
ゆっくりでも
前に進んでいきます。
スープや海鮮が美味しいチリ料理だけど
国民食でもあるホットドッグは
本当に普通。
でも¥300だから食べる。
アボカドペーストがのってるのが
特徴です。
引き続き起伏の多い道を進み続けた午後3時。
朝から70kmほど走ったところで
「今日はもうしんどい!」と走るのが嫌になりました。
こんなことも珍しいんですが、
平坦な道が続くだろうという勝手な見込んでたことが
仇になってしまいました。
そのままダラダラ進んだ先にサービスエリアを発見。
まだ時間的には走れるけど
今日はここまでとすることに。
嬉しいことに一画が
“ピクニックエリア”になっており
芝生にテーブルが設置されていました。
しかも温水シャワーも完備。
“あぁ、ここまでにしといて良かった”
のんびり休憩です。
夕食はエンパナダ。
メキシコからずっと売られてた食べ物だけど
チリでやっと
その美味しさに気付きました。
というよりチリのエンパナダは
他の国より絶対美味しいです。
テムコ出発3日目、
昨夜ちょっと遊んだ犬が朝テントにすり寄ってきました。
しかたないから15分ほど撫でてじゃれあう。
犬がいるだけでテント泊が数倍充実します。
これまで内陸を走っていたのが
南部の海が近づいていることで
明らかに風が強くなっています。
それも南から北に吹き上げるので
ほぼ向かい風。
強くペダルを踏んでも時速15km。
チリ入国以来お世話になっている
ガソリンスタンド“COPEC”。
Shellもあるけどこちらの方が
WiFiが安定しており
充電しながらスマホをいじるのが
お決まりになってます。
午後になっても風は止まず。
アタカマ砂漠の強風ほどじゃないけど
止むことなく延々と吹き続けます。
この風の様子だと
どのみちテムコから3日間で
到着するのは無理だったろうな。
今日は「チフィン」という集落にてテント泊。
ここ数日、山が増えたと同時に川も増えました。
橋をいくつも通過するので
そこから良い野宿場を探すのが楽しい。
そしてまたエンパナダ。
両手に収まるほどで
そんなに大きくはないけど、
具がぎっしり詰まってるので
一つで腹八分目までは満たされます。
残りの二分は節約のため我慢。
そのエンパナダを狙ってるのが犬。
チリに限らず南米は犬だらけです。
仕方ないから切れ端をちょっとあげると
上目遣いで
「もっと…」って見つめてくるんです。
あぁ、日本連れて帰りたい。
テムコ出発4日目。
朝から厚い雲が広がるうえに風が吹くものだから
いつもより寒いです。
空は徐々に晴れてきたけれど
向かい風はなかなかやまず。
重いばかりのペダルを踏んでも
さほどスピードにも乗れない。
海が近いことを感じながらも
苦戦しながらゆっくり進みます。
昼過ぎ14時頃。
緩やかながらも長い坂を上ると
高速の料金所が見えました。
いつものように
ゲートを通過する自動車の横を
しれっと抜けてゆく。
ゲートを越えた先の
下り坂を滑り降りていくと
向こうには青くキラキラ輝く
海面が見えています。
手前にはたくさんのビルも建ち
道路には多くの車が行き交う。
ということで到着しました、「プエルトモント」。
首都サンティアゴから走行日数にして10日間、
高速道路をひたすら南に下ること1,000km。
予想を上回る大都市に驚きつつも
まずは宿探し。
いよいよ迎える旅の最終章に備え
ここでしばらく英気を養います。
2025.02.18
【307日目 17,035km】
首都サンティアゴを出発して5日目、
南部の都市「プエルトモント」を目指しています。
途中の小さな町で
親切なご夫婦“ルイス&ジェシカさん”に声を掛けてもらい
テントを張らせてもらった翌朝。
なかなかお二人が起きてこないので、
実は昨日の夕方に判明していたパンクの修理をおこなう。
のんびり起きてきたジェシカさんが
朝食に用意してくれたのは、
チリの家庭料理「ウミタ」。
すり潰したトウモロコシを
皮に包んで茹でたもの。
ほんのり甘味があって美味しいです。
記念撮影をして、今日も出発。
高速道路の単調な日々が
続いていたので、ご夫婦との
出会いがとても嬉しかった。
“ルイス&ジェシカさん”
ありがとうございました!
そしていつも通り高速道路へ。
何でもない町に忘れられない
出会いがあるって
やはり自転車旅は素敵です。
いつもこうだといいけど、
いつもじゃないからこそありがたい。
出発から40分のところで
高速を下ります。
何百kmもひたすらずっと
真っすぐ爆走してますが
今日は珍しく
ちょっと立ち寄ってみたい所が。
すぐに現地に到着。
安全な場所に自転車を置いて
歩きはじめると、
沢山の土産屋や
通りを歩く観光客の姿が。
ワクワクしてきます。
目的の場所がコチラ「ラハの滝」。
森の中を激しく流れ落ちる豪快な瀑布。
ずっとアスファルトを眺めて走って来たので
目が潤います。
すぐ傍まで近づくと
スゴイ水しぶき。
何か記録的だとか、逸話があるとか
そういう滝ではないんですが、
落差40mに及ぶ滝は珍しく
予想以上に圧倒されました。
自転車を置かせてもらっていた屋台で
今日の“モテ”。
日に日に、このチリの
夏の風物詩の飲み物が
大好きになっていってます。
必ずキンキンに冷やされてるのも良い。
そしてまた高速道路を
走り始める。
サンティアゴ出発から
ずっと道は平坦だったけど
このあたりから起伏が出てきました。
時に立ち漕ぎをして進む。
夏真っ盛りのチリは
ただ今夏休み中。
平日なのに交通量多いし、
休憩に停まると
どこも家族連れの人でいっぱい。
ジュースを買うのも行列です。
あたりには木々も増え
気がつけば平原から
山間部に突入していました。
南北にほぼ真っ直ぐチリを
突っ切っていると、
地形の変化が感じられて面白い。
夕方7時頃、
「エスペランサ」という小さな集落に到着。
村に入る手前の橋から
ちょうど良さそうな川辺が見えたので
テントを張ることに。
静かだし、水は手に入るし
これ以上ないキャンプ地です。
傾いていく日を眺めつつ
夕食のクスクスを調理。
久しぶりに食べ始めたら
やっぱりクスクスは美味しい。
しばらくすると大自然に突入するので
かなりお世話になりそうです。
サンティアゴ出発6日目。
連日、朝から天気が良く
雲のない青空がどこまでも広がります。
前日から増え始めた上り坂が
さらに多くなる。
ここ数日120km走るのが
当たり前だったけど、
今日はそこまで楽には
進めないかもしれない。
なかなか休める村を
見つけられないなか、
お昼過ぎに
道路脇のカフェを発見。
何もない景色を延々と走ると
つい休憩を忘れて疲れてしまいがち。
今日のモテ。
よく冷えてるどころか
半分凍ってシャリシャリなのが
すごく美味しい。
フルーツ缶の汁を薄めて
飲みやすくした様なお味です。
朝は一枚羽織るぐらいだけど、
日中はじわり汗をかくほどに
暑いです。
気付けば水も残り少なく
喉が渇いた状態で
前へと漕ぎ進んでいく。
そんなところに停まってくれたのが
こちらのご家族。
興奮した様子で、水と一緒に
熱い応援の言葉を貰いました。
“フリオ&パトリシオさん”
どうもありがとう!
そして、100kmあまりを走った夕方7時。
チリ南部では比較的大きな街だという「テムコ」に到着。
サンティアゴからプエルトモント、1000kmの旅ですが
ここで一度中休みをとっておきます。
すんなり宿を見つけられる
と思いきや、夏休みということで
チリやお隣アルゼンチンからの
旅行客でどこも満室。
一か月前に入国して以来、
大きな街はどこも人で溢れてます。
7軒目でやっと見つけた安宿。
画角の小さな単焦点レンズでは
映り切らないほど狭い部屋だけど
¥3,000とボチボチの値段。
でも個室だし綺麗とは言えないけど
ゆっくり休むことはできそうです。
6日間連続で走ると
さすがに疲れが溜まっています。
同時に、順調に進めた達成感も合わさった
心地の良い筋肉痛を抱え翌日は街を探索。
テムコの街は市場が評判だとか。
思えばチリでは
一定規模以上の街じゃないと
こうしたローカルの市場が無いようで
久しぶりの感じ。
特に買うものは無いんだけど
ダラダラと歩いて廻ります。
目を引いたのは
こちらも久しぶりのセビーチェ。
魚介類を果汁やお酢でしめた
サッパリとした海鮮グルメ。
生なので鮮魚が手に入る場所
じゃないとお目にかかれません。
テムコで一番おいしかったのは
宿近くの食堂で食べた「カスエラ」。
牛肉のほか、じゃがいも、カボチャ、トウモロコシ
と中に入る具材が決まっている定番スープ。
道中何度も食べてきたけども、
ダシが良く効いてて感動的に美味しかった。
スープを染み込ませて食べる付け合わせのパンも
また良いんです。
胃袋から満足できたら
引き続き南へ!
2025.02.14
【303日目 16,792km】
首都サンティアゴでは休養と観光で3日間の滞在。
砂漠での疲れもしっかり癒すと、
次なる目的地である
チリ南部の都市「プエルトモント」を目指します。
ここからの距離は1,000kmということで
間に一日休みを挟んで10日前後で付きたいところ。
チリを代表する2都市間を進む
ということで、
その旅路は主に交通量の多い
高速道路を走ることになります。
綺麗に整備され路肩も広いので
逆に安全。
そしてお腹が減ったり
休憩したい時は
高速を降りて小さな町へ。
料金所もしれっと通過できます。
北部の砂漠と違い
ここからは集落も増えるよう。
サンティアゴの街中で
はじめて飲んだ時は
そんなに感動しなかったけど、
30℃の炎天下で走った後には
「モテ・コン・ウエシージョ」の
甘さと冷たさが体に染み渡ります。
120kmを走り切ったこの日の夕方6時頃。
高速道路脇にトラックドライバー向けの休憩所がありました。
トイレに行こうと思ったら、中には監視員さんがいて
トイレのみならず温水シャワーや飲料水まで完備。
しかもWiFiまで付いてるんです。
ということでテント泊のお願い。
設置を許してもらえたのは
ふわっふわの芝生の上。
水もあって、ネット環境もあって
この世の全てを手にしたかのような
最高の野営地となりました。
夕食は道中の町で買っておいた
エンパナダ。
ひき肉とタマネギたっぷりの
具が美味しい総菜パンです。
旧ソビエト圏のピロシキにも似てて、
持ち運べるので旅にはピッタリ。
サンティアゴ出発2日目。
今日も高速道路の脇を黙々と漕ぎ進めていきます。
首都サンティアゴ以北から変わったのは
緑の多さ。
とうもろこしや小麦、果物の木など
広大な畑にすくすくと育っています。
チリの産業や経済なども
南部に集中しているということだろうか。
なかなかいいタイミングで
集落が現れず、
仕方なく路肩のフードトラックで
買ったホットドッグが¥900。
補給や休憩もルートの下調べをして
計画的にやらなければ。
嬉しいのがここ数百kmに渡り
起伏がほとんどないこと。
若干向かい風が多いけども
平坦ならばぐいぐいと
漕ぎ進めることが出来ます。
気持ち良いほどに距離を稼いでいく。
そして前日同様、120kmを走った所で
今日も高速の休憩所へ。
水の心配をしなくていいってだけで
かなり野宿が楽になります。
「向こうに張ってね」と指示されたのは
監視員さんのいる建物から
少し離れた芝生の上。
さすがに電波届かないな、
と思いきや今日もWiFiバッチリ。
チリ高速道路の旅、実に快適です。
テントを張り終えひと段落、
というところで
遠くから声を掛けてくれたのは
こちらのお父さん。
差し入れに
スイカとタマネギを頂きました。
たとえ冷えてなくても
甘くみずみずしいスイカは
疲れた体が喜びます。
夢中でかぶりついてしまいました。
でも、さすがに半玉でギブアップ。
近くに座ってた方にも差し上げました。
サンティアゴ出発3日目、
目を覚ますと綺麗な朝焼け。
薄く広がる雲が良い模様になっています。
大きな坂がないことで
予想よりも早く進めています。
また海から距離があるおかげか
向かい風もさほど強くない。
南米走行でここまでストレスフリー
な道は初めてじゃなかろうか。
一方で、日中は黙々と走り
夜は休憩所でテントを張ってると
あまりに単調に旅が進んでしまう。
ただこの先のスケジュール的に
今はさくさくと南下して
おきたいところ。
昼には「サン・ハビエル」の
町に到着。
田舎の小さな町でも
綺麗に整って
あまりゴミゴミしていないのも
他の南米諸国とは違う。
日に日にチリ名物
「モテ・コン・ウエシージョ」
に魅了されていく。
小麦のおかげで
ランチ代わりとは言わないまでも
多少お腹が膨れるのも良いところ。
今日も順調に走り終え
夕方には休憩エリアへ。
3日連続で120kmと
とてもスムーズに前進してます。
そしてこの休憩所もいい間隔で
待ち受けてくれている。
今日も柔らかい芝生の上にテントを張らせてもらう。
テント泊続きなのに、毎日温かいシャワーを浴びられています。
もはや無料のキャンプ場。
ただ昨日までの休憩所と運営会社が違うらしく、
ここはWiFi無し。
困るじゃないか、まったく…。
ただピクニックテーブルの近くには
コンセントがあります。
ここぞとばかりにあらゆるものを
満タンにさせてもらう。
貰えるものはしっかり貰うタイプ。
もちろん許可頂いとります。
夕食は久しぶりのクスクス。
屋台メシの充実していた南米ですが
ここからは自炊も増えてくるはず。
ちょっと手間だけど、
これが毎日続くと
面倒にも感じないんですよね。
サンティアゴ出発4日目、
朝から近くでゴソゴソ音がすると思ってテントを明けると
そこには一匹の犬。
あまりに人懐っこく、ずっとじゃれあっていたせいで
出発が20分遅れてしまいました。
困るじゃないか、まったく。
今日も変わらない景色を
まっすぐひた走っていく。
サンティアゴ出発直後は
30℃を越えて暑かったけど、
南に進むにつれその暑さも
和らいでいるように感じます。
昼頃に高速を降りて
休憩するのもいつものパターン。
「ヘネラル・クルス」という
町の中心部へ向かい
今日も“アレ”を
探すことにします。
人で賑わうエリアには
必ず“モテ”の屋台があります。
気付けばここ数日ですっかり虜。
チリを象徴する飲み物と言われる
由縁が分かってきました。
なんせ暑い時期にぴったりなんです。
聞けば、ほぼすべての場合
屋台で売ってる方が
自宅で作っているのだそう。
お手製だけあって
砂糖やシナモンの分量はまちまちで、
その微妙な違いも分かってきました。
120kmというのがスタンダードになっている
とても順調なここ数日。
今日はちょうど良い場所に休憩エリアが無く
夕方は野宿場所を求め「ヘネラル・クルス」という集落へ。
集落に入ってすぐに声を掛けてくれたのは、とある夫婦。
「水はある?家そこだからちょっとおいで」
付いていった先のお家では、
ペットボトル入りの水の他にいろいろなモノを勧められます。
「ジュースもあるよ。パンも持ってって。
ここでご飯食べてく?
ていうか、もう泊ってく?」
お昼にBBQをしていたようで
こんがり焼かれた
チキンにビーフをご馳走になりました。
しばらく簡易的な食事が続いたから
こんなに食べ応えあるものに
ありつけるのが嬉しい。
こちらはチリの食卓に欠かせないという
定番ソース「ペブレ」。
お酢ベースに刻みタマネギ、
唐辛子、パクチーが入った
パンチのある一品。
辛みよりも酸味が強いです。
お酢とパクチーのクセが強いので
地元でも好き嫌いが別れるのだとか。
肉と相性が良いですが、
食材に直接かけるのではなく
おかずを飲み込んだ後に
スプーンで一杯口に運ぶのが正しい味わい方だそうです。
さっぱりとして夏にぴったりの味でした。
お言葉に甘えて
敷地内にテントを張らせてもらう。
シャワーもお借りして、
予想もしない展開で
快適な寝床を
確保してしまいました。
夏休みなうえに
奥さんのジェシカさんの誕生日
だったらしく、ご近所さんも一緒に
長い夏の夜を楽しみます。
南米はどこでも爆音で
音楽を流す。
高速道路に沿って走ることで
円滑ながらも単調な日々が続いた中、
チリの日常が垣間見える素敵な出会いに恵まれました。
2025.02.9
【299日目 16,307km】
首都サンティアゴまでいよいよ200km。
チリ入国以来走り続けてきたアタカマ砂漠の旅も
ようやく終わりが見えてきました。
砂漠を越え気候が変わりつつあるのか
このあたりから朝の曇り空が
パタリと無くなりました。
しかもサンティアゴに近づくにつれ
坂も減っていってるので
気持ち良く漕ぎ進めることが出来てます。
それと同時に気温も
少しずつ上がっているように
感じてます。
南下して赤道から
離れているはずなのに。
日中は25℃くらいでしょうか。
お昼過ぎ、南米大陸では初めてとなる
トンネルに差し掛かりました。
ただ高速道路を2kmも進む
長さということで自転車は走行禁止。
トラックに載せてもらうか
周り道をしなければなりません。
トラックがつかまりそうもなく
仕方なく遠回りをしようとしたところ
あるドライバーさんが
声を掛けてくれました。
50kgにも及ぶ自転車を
二人で荷台に抱えて載せる。
10分ほどでトラックは
あっという間にトンネルの反対側へ。
どうしようか、と思いましたが
無事に乗り越えることが出来ました。
ドライバーのカミーロさん、
ありがとう!
サンティアゴに向け道は
内陸へと曲がります。
そのぶん山も多いと思いきや
道路はどこまでも平坦。
嬉しい誤算に
ペダルを漕ぐ足にも力が入る。
野宿をするための十分な水が無いことに気付き
気が付けば道はなにもない荒野へ。
何とか集落へたどり着こうと夜8時過ぎまで
ペダルを漕ぎ続け、ようやく道路脇に食堂を発見。
店主のヴェロニカ&ロベルトさんご夫婦
にテント泊の許可ももらい、
翌朝お店で売るための
パンを焼く作業のお手伝い。
お店の横にある大きな石窯で
次々と焼いていきます。
そのまま店内で焼きたての
パンを食べさせてもらうことに。
近くの村で作られたという
ヤギのチーズと一緒に食べると
もちもちのパンがさらに美味しい。
チリのパンは絶品です。
風を避ける小屋の横に
テントを張らせてもらう。
良い場所に寝られると思いきや、
夜中にご夫婦の飼ってる犬が
近くに寄ってきて
ワンワンと30分くらい吠えてきました。
翌朝、出発前にお二人と記念写真を撮ろうと思ったのに
いつまでも起きてこない。
お店開けなくていいんだろうか…。
残念だけどもう出発しなくては、
昨夜のうちに撮っておけばよかった。
数週間に渡って目指し続けた
サンティアゴまでわずか80km。
やっぱり逐一見所がないと
長期の旅は辛いです。
この3週間はホントに
ただ進むばかりだった…。
南米の都市はどれも
高台にあると思っていたけど
サンティアゴの周辺は
本当にどこまでも平坦。
思いの外スムーズに
都心部までたどり着けそうです。
サンティアゴまでわずか10km。
徐々に大型の小売店や
道路の高架なども現れ
都市空間の片鱗が見えつつあります。
たった数日前とは
全然違う風景。
街の中心部に近づく際には
川沿いの遊歩道を走ります。
こんな綺麗にデザインされた道を
走ること自体、南米では初めてだ。
道沿いに植えられた樹から
漏れる日が美しい。
そびえる高層ビルに
立体交差する道路。
人口550万人を擁する都市とあって
かなり近代的で
人も車も慌ただしく
行き交っています。
そして、ついに到着しました
チリの首都・サンティアゴ!
入国からおよそ3週間、
周辺に町の少ない高速道路ばかりを走ってたことで
半ばモチベーションを失いかけ、
ただ機械の様にペダルを漕ぐだけの日もありましたが、
久しぶりの大都市に気分が高まっております。
まずは宿に向かうのですが、
2日ほど前に予約したはずの所が
カード決済処理が上手くできていない
と言われ、予約できてませんでした。
モヤモヤしつつも地元の人に聞きつつ
飛び込みで別のゲストハウスへ。
ささっと荷物を部屋に移し
5日ぶりのシャワーを浴びたら
近くのラーメン屋へ。
大都市に着いたら
まず一番にラーメン屋を探すという
謎のルーティンが出来上がってます。
到着翌日はさっそく市内の観光へ。
大都市サンティアゴといえども
観光客が訪れる見所は、昨日到着してすぐに向かった
中心部の「アルマス広場」周辺に集約されています。
まず最も目立つ建物
「サンティアゴ大聖堂」へ。
およそ500年の歴史を持つ
風格のある建築は
入植してきたスペインの影響を
大きく感じさせます。
色々な捉え方が出来るだろうけど、
世界中のあらゆる土地において
共通の文化圏を築き上げてきた
キリスト教の力は凄いと感じます。
人類って宗教なしでは
発展できなかったんだろうな。
他にも広場の四方は
歴史的建造物が取り囲んでおり、
こちらは100年以上の歴史を持つ
中央郵便局。
大地震にも耐えてきた
頑丈な作りです。
広場から数百m離れたところにあるのは
大統領官邸の「モネダ宮殿」。
現役の官邸ということで、周囲に賑やかさは無く
荘厳な様子が漂います。
50年前、クーデターにより
社会主義政権が転覆した際、
当時の大統領が
ここで自害したということで、
チリ民主化の歴史においても
大きな意味を持つ場所です。
街を散策する中で、気になるのがこちらのドリンク。
そこらじゅうの屋台で売られています。
名前は「モテ・コン・ウエシージョ」と言って、
桃を砂糖とシナモンで煮出した甘い飲み物です。
これまでのペルー、ボリビアでも似たような
コンポート系の飲み物はありましたが、
特徴的なのが底に沈んだ粒。
実はこれ、殻付きの小麦でございます。
キンキンに冷えたコンポートを飲みつつ、
スプーンで小麦をすくって食べる
というのがこの飲み物の味わい方。
小麦とコンポートの組み合わせが
何とも不思議ですが、夏の風物詩であり
チリを代表するソウルフードだそうです。
滞在2日目に向かったのは
宿からすぐ近くにある山、
「サンクリストバルの丘」。
サンティアゴの街には
ポコポコと小さな山が
いくつか点在してます。
小さいとはいえ高さは
300mほどあり傾斜も急。
自転車乗らない日は
なるべく体力使いたくないけど、
一応観光スポットは網羅しておきたい。
気温は30℃ほどでじわっと汗をかきます。
頂上まで歩くと
大きなマリア像が立っていました。
日光が眩しいし
どう撮っても逆光になるけど
それがまた神々しさを
演出してます。
頂上からの景色がコチラ。
高層マンションがいくつも建ち並ぶ様子は圧巻で、
これまで走ってきた砂漠の景色とはかけ離れています。
海まで100km以上離れているので
どのみち太平洋は見えないのですが、
真夏の昼間ということで空気はかすんで遠くまで
はっきりとは見渡すことができません。
加えて、人口が密集しているサンティアゴは
大気汚染も深刻なようでより空気を濁らせてしまってるのだとか。
こちらはアルマス広場からも
ほど近い中央市場。
チリ入国からそれほど多くの
町を通過してないので
市場というもの自体
チリでは初めて見ることに。
中を覗くと
魚介専門の市場だったようで
魚や貝などがズラリ。
場所によっては市場って
生臭さがヒドいんですが、
ここは新鮮なのかそんなこともなく。
ということでまた食べてしまいました
ラ・セレナの街で虜になった「パイラマリーナ」。
熱々のスープに溶け込んだ魚介の旨味が溜まりません。
チリで美味しいものを食べようと思ったら
やっぱり海鮮になるんだろうな。
これから南下していくのが楽しみ。
さらに観光だけでなく
これから旅の終盤に突入する前に
自転車のメンテナンスをすべく、宿の近くのバイクショップへ。
ギアの変速がスムーズにいかないのが
気になってたのですが、
細かいパーツの取り換えや
ワイヤーの張替えが必要だということに。
アラスカから1万5千kmも走れば
何かとガタもきます。
という感じで、砂漠の疲れを癒しつつ
首都サンティアゴでの3日間の滞在を満喫。
美味しいグルメも堪能しつつ、
柔らかいベッドで横になりつつ、
砂漠の疲れもしっかり癒すことが出来ました。
2025.02.5
【293日目 16,109km】
チリの首都サンティアゴを目指して南下中。
ラ・セレナの街で2日間の休養をして
再びペダルを漕ぎ始めます。
ここからサンティアゴまでは500km足らず。
5日間あれば到着できるはず。
出発した後にも続く都市を見渡して
改めてラ・セレナが
割と大きな街であったことに気付く。
高層ビルや綺麗な住宅が並ぶ様子は
ペルー、ボリビアと眺めた来た
南米の様子とは一味違う。
海沿いを走る高速道路から
右手を見下ろすと
優雅なビーチリゾートが。
おそらくチリだけでなく
各国の富裕層が訪れるんだろうな。
海も建物もすごく綺麗です。
そして例に漏れず
今日も午後から強い風が吹き始める。
目に見えない障害に苦戦してるからか
チリに入国してからとにかく
疲労がスゴイです。
風と戦い続けている。
やはり夜は食堂へ。
もっと地元の人と積極的に
関わろうと思うのですが、
そもそも村が無く食堂しかないので
食事をしてテント泊のお願い、という
パターンが固定してしまっている。
この日は豚のソテーと
スパゲッティ。
すごく美味しいワケじゃないんだけど
1日走り切った後の肉は
やっぱり体に染みます。
素朴でシンプルなお味。
南から吹き上げる風がやまず
場所選びに苦戦するも、
給水塔の陰に
テントを張らせてもらうことに。
風さえなければ食堂横じゃなくても
テント泊できるんだけど…。
ラ・セレナ出発2日目。
朝食は街で買っておいたパンに
チリの定番キャラメルクリームを塗る。
宿にいるときはパンをレンジで温めるんですが、
それがもう美味しくて美味しくて。
朝って大体気分が高揚するんですが、
さすがに絶景も無く
ただ進むだけの日が続きすぎて
ワクワクみたいなものが
無くなってしまっている。
でも安全のために気は抜いちゃダメだ。
ウインドミルの群れを見ると
ゾッとしてしまう。
これが回転しはじめるまえに
この地帯を抜け出さなければ。
もはや強風恐怖症です。
追い風ならいいのに。
海沿いを走るここ数日アップダウンは激しいのですが
今日は特に上りが多い。
汗をかきながらやっと上り終えたと思えば
はるか向こうに次の峠が見える。
体力と同時にメンタルも疲弊してくる。
勾配が急になる場所では
自転車を降りて押しながら、
なるべく止まらないように
少しずつでも進んでいく。
同じ景色ばかり繰り返すのも
やはり辛い…。
夕方、家族連れの車が
わざわざ停まってくれて
エナジードリンクを貰いました。
こんなちょっとしたことで
元気が湧いてくるから
人の優しさってありがたい。
疲れ果てお腹もすいた夜7時頃。
反対車線側に一軒の食堂を発見。
今日は80km程度しか走れてないけど、
そろそろここまでにしておくことに。
少し先に陸橋があり、向こう側へと渡ります。
注文したのは白身魚のフライ。
身が柔らかくて美味しいです。
付け合わせの野菜があるんだけど
いつもイモとトマトばかりで
緑が無いのが残念。
わがままでごめんなさい…。
旅の話で一緒に盛り上がったのは
近くの席で食べていたトラックドライバーの“ホルヘさん”。
アラスカから来たことに感激してくれ
「俺のおごりだ!コーラも飲んでいいぜ!」
と振る舞ってくださいました。
ありがたや。
今日は上りに苦しみ
遅くまで走ったけれど、
人の温もりに触れたことで
気持ち良く眠りにつくことが出来ました。
やっぱり旅は人だなぁ、と
人の少ない砂漠の中でこそ強く感じる。
ラ・セレナ出発3日目。
食堂には看板犬に別れを告げて今日も出発です。
時に人的被害すらもたらすピットブル、
激しい愛情表現でなついてくれました。
ちょっとブサイクなところも可愛いですよね。
昨夜食堂にて
ごちそうしてくれたホルヘさん曰く、
昨日で最も起伏の激しいエリアは
走り切ったはずとのこと。
厚い雲の下
ゆるやかな坂をくだっていきます。
「エンテラウケン」という小さな町を過ぎたところで
ある食べ物屋さんに到着。
グーグルマップでたまたま見つけたのですが
ここを通り過ぎる人たちは皆立ち寄るのだとか。
お店の名物は“チーズエンパナダ”。
ラテン文化圏で広く食べられる
具入りのパイ“エンパナダ”ですが
このお店のチーズが
たっぷり入ったものが
大人気なんだそう。
熱々のエンパナダをかじると
中にはとろけるチーズがぎっしり。
ただのチーズパイでしょと思ったけど
これは予想以上に美味しかった。
そして1つ¥600ほどと
予想以上に高かった。
天気の良くなる午後には
波が打ち寄せる海岸線へ。
地球の裏側の日本まで
この大海原が続くんだから
太平洋ってホントに大きいよなぁ
としみじみ感じる。
ガソリンスタンドで声を掛けてくれたのは
おそろいのホンダのバイクでツーリング中の
“ロドリゴさん&ホルヘさん”。
ジュースとホットドッグを
ご馳走してくれました。
首都サンティアゴが近づくにつれ
交通量も増え、
人と接する機会も
少しずつ増えている気がします。
昨日までの上下に
うねり続ける道が噓のように
まっ平らになりはじめました。
時速20km近い早さで
漕いでいけるのが気持ちいい。
自転車は押すのでなく漕ぐもの。
夕方6時、高速道路脇の
ガソリンスタンドへ。
ファストフードやトイレなども
充実していてとても綺麗です。
しかもWiFiも完備だから
つい長居してしまう。
ガソリンスタンドの敷地の隅に
人目を避ける場所を見つけ、
そのままテントを張ることに。
サンティアゴまではいよいよ200km。
2025.02.1
【291日目 15,826km】
チリの首都サンティアゴを目指しアタカマ砂漠を南下中。
チャニャラルという海辺の町を出発してから、
走り続けて4日目です。
道路脇の食堂で夜を明かし、
今日も強風の吹き始める前にテントを片付け走り始める。
サンティアゴまではおよそ700kmほど。
高速道路の路肩を走るばかりで
なかなか変わった景色も無いのが
アタカマ旅の寂しい所。
大きな街もそれほどなく
疲れはするものの
淡々と日々進んでます。
この日はかなり上り坂の多い行程。
傾斜は決して急ではないものの、
どこまでも続く上り坂を
ゆっくりゆっくりと漕いでいきます。
そして、午後は雲一つない青空が
果てしなく広がる。
世界を巡るサイクリストの間でも
見所の少ないアタカマ砂漠は
バスなどでスキップする人も居るよう。
でもせっかくだから
地続きで旅を進めていきたい、と
せっせとペダルを漕いでるワケです。
夕方には大きな峠に差し掛かり
ここから一気にくだっていく。
風も強いので
どこでも野宿が出来るわけでは
ありません。
目指す場所までは何とか進まねば。
夜7時前に予定していた食堂に到着。
例のごとく、
テントのお願いをするため
まずは先に食事を済ませます。
魚のフライの身がほわっほわで
レモンを絞ると美味しい。
ウェイトレスさんに確認し
無事テントを張れることに。
ちなみに8時半でこの明るさです。
9時過ぎるまで暗くはなりません。
やっぱりチリの時刻設定は
間違ってると思う。
チャニャラル出発5日目。
今日はいつにも増して朝の雲が厚い。
それによって気温も低い。
ジャケットを着こんで坂をくだっていきます。
風と戦い続けているからか、
連続走行5日目にもなると
疲れがどっと出てきました。
いつもはこんなことないのに
砂漠で水を節約していることも
関係あるのかしら。
道路脇の食堂で早めのランチ。
ビフテキはこのあたりの定番ですが
どこで食べても肉が固い。
隣国アルゼンチンの牛肉は
世界的に評価が高いので
今から楽しみです。
昼を過ぎて晴れだした頃に
数日振りの太平洋を拝みました。
日によってはそれほど
気温が上がらないからか
遠くのビーチには
海水浴客の姿は見えません。
海を眺めてのんびり走ろうにも
海岸には崖が多く
道路も常にアップダウン。
疲労の蓄積もあって
途中からはペダルを漕ぐ元気も無く
押しながら進んでいきました。
そして、午後3時。
チャニャラルの町から5日間の走行を経て
「ラ・セレナ」という街に到着しました。
サンティアゴまでの中継地点ということで
ここでひと休みしていくことに。
早速、宿を訪ね歩くと
祝日と重なったようでどこも満室。
「宝石の道」走破した後の
サンペドロを思い出します。
7軒目でようやく空き室を見つけ
ベッドにダイブ。
人口20万人にも達する“ラ・セレナ”の街。
チリ入国3週間目にしてようやく
“街”といえるような街に着いた気がします。
海辺の観光地であると同時に
チリ北部では大きな経済都市でもあるそう。
とはいいつつも、外国人がわざわざ立ち寄るほど
有名な観光スポットがあるわけでもないので
のんびり雰囲気だけ味わってみることに。
入植したスペイン人によって
作られた街の歴史は500年ほどで
チリ国内では2番目に古い街だそう。
街の規模にしては多い
29もの教会が点在するのも
ラ・セレナの特徴です。
街のシンボルとなっているのは。
ビーチにある灯台。
特に古い歴史があるわけでもないけど
シンプルなデザインの建築が
遠くからでも目を惹きます。
白い壁面が青空にマッチ。
ビーチが少し奥まった
湾になっていることから
ここではたくさんの人が泳いでいました。
どうにも小石が多くて、
白い砂が続く気持ちの良いビーチ
というわけではないですけど…。
到着翌日のランチに向かったのは
南米大陸では初めてとなる
マクドナルド。
ペルー、ボリビアでは見かけませんでした。
ただ街に着いてすぐに向かうのが
マックとは、我ながら寂しい…。
セットにナゲットを付けると
¥1,500ほどに。
チリ独自のバーガーもあったけど
それらはセットで¥2,000ほど。
チリの物価は往々にして
日本よりも高いです。
もちろんせっかくなので
チリならではのグルメも堪能しようと
リサーチをして
宿の近くのレストランにやって来ました。
ついにチリの食文化を
たっぷり満喫する時が来た。
それがこちらの「コンプレト」。
パンにソーセージを挟み、刻みタマネギとトマトを加え
最後にドンとワカモレ(アボカド)とマヨネーズを塗りたくった
チリ版“ホットドッグ”です。
これまでもホットドッグの屋台はよく見たのですが、
ネットで調べたところ、まさかコレがチリグルメの一つでした。
「え?これ名物なの??」と思いつつも注文。
気になるお味はというと、もうただのホットドッグ。
そして、南米のマヨネーズって酸味が全然なくて、
“もったり”とした味なんです。
さらに中のソーセージも美味しいかと言われるとそうでもなく
加工肉感がすごくて、肉汁は一滴も溢れません。
うーん…。
砂漠走行中に期待していたのが
街でのグルメだっただけに、
さすがにホットドッグでは
満足するはずもなく。
街の中心にある市場の周辺で
さらなるグルメを探し求めます。
強引な客引きに負けて入ったレストランで注文したのは
「パイラマリーナ」。
熱々の土鍋(パイラ)に注がれているのは海鮮スープ。
煮えたぎっているのでテーブルに置かれてすぐだと
スープ全体が泡を吹いています。
少し冷めた頃を見計らって
一口食べた瞬間、
口いっぱいに広がる貝の旨味。
スープを飲みすすめると
これでもかとゴロゴロ
貝やエビが姿を現します。
何度スプーンですくっても飽きることない
豊かな海の味。
気が付けば夢中で食べ、あっという間に完食してしまいました。
これだけふんだんに海産物が使われているので
当然値段はそれなりですが…。(1杯¥2,000!)
あまりにも美味しかったので
チリ滞在中はリピート確定です。
あぁ、美味しかった。
2025.01.28
【287日目 15,600km】
チリ入国と同時に突入した
アタカマ砂漠の旅が思った以上に過酷で
疲労感もそれなりのもの。
たどり着いた「チャニャラル」の町では
2日間の休養を取ることにしました。
滞在先のゲストハウス。
ペルー、ボリビアより物価は上がり
個室で1泊¥3,000。
ただ移動中は毎日野宿で無料なので
休みの日はためらわず
一人部屋をとるようにしてます。
確認せずとも
Wifiは完備されてるし、
シャワーからお湯は出るし、で
まだ大きな街ではないにせよ
チリがいかに整った国なのか
よく分かります。
海沿いとはいえ
人口も少ない小さな町・チャニャラル。
リゾート感は全くないし
漁港ならではの賑わいみたいなのも
ほとんどありません。
なんだか寂しい…。
そんな町でちょっとテンションが上がったのがスーパー。
南米大陸3カ国目にして劇的に品揃えがよくなり、
アメリカ・カナダで見てきたブランドもラインナップされてます。
そしてペルー、ボリビアでは
探しても無かった
「クスクス」まで発見。
物価高で自炊ばかりだった
北米旅を支えてくれたアイテムです。
迷わず3袋購入。
夕食は町の食堂へ。
これはペルー、ボリビアと変わらない
白身魚のフライなんですが、
物価はグッと上がって
何を頼んでも¥1,000ほど。
そのぶん特に美味しいわけでもなく。
¥300以下で1食を済ませられた
ここ数カ月とは全く別の世界。
ここからは北米の様に
自炊を中心に旅を進めていく必要がありそうです。
2日間の滞在を終え、体力も回復。
引き続き首都サンティアゴを目指して南へ走り始めます。
サンティアゴまでおよそ1,000km。
しばらくは海に沿って道が続いており
久しぶりの太平洋を眺めながら
走っていきます。
この日は雲が厚く
どんよりしてることもあって
さほど綺麗ではないのが残念。
休憩中の野良犬。
“だるまさんがころんだ”の
ごとく、振り向くたびに
こちらに近づいてきました。
そんな目で見つめてこないで。
仕方ないからパンの切れ端をあげる。
正午を過ぎると
空を覆っていた雲が流れ
一気に青空が広がりました。
同時に海も青く輝き始め
眺める景色も綺麗に。
気持ちの良いコーストライン。
バス停一つでも
こんなしっかりしたものが建って
チリは綺麗だなぁ、なんて
感心しながら休憩させてもらいます。
道路にヒビも無いし
確かに“南米のヨーロッパ”だ。
午後になってしばらくすると
再び海を離れ内陸方面へ。
核心部は終えたようだけれど
もうしばらくアタカマ砂漠を
出たり入ったりしながら
道は続いていくようです。
予定以上の130kmを走った夕方6時。
道路脇にレストランを発見。
高速道路の脇にはこうしたトラックドライバー向けの食堂が
一定間隔で現れてくれます。
すでにチリ入国から
2週間近くたちますが
料理の方向性は
ペルー、ボリビアとは
大きく違わないみたい。
シンプルに焼く、揚げるが多いです。
嬉しかったのが食後、
店主のお母さんに声を掛け会計をしようとした時でした。
「ここよくサイクリスト通るのよ。
応援してるからお金は要らないわ!」
そしてそのままお店の横に
テントを張らせてもらうことに。
ドライバーさん達からも
水をよく貰うし、
チリに来て人の温もりを
一段と感じるようになりました。
チニャラル出発2日目。
スクランブルエッグを食べて今日もスタート。
夕食をごちそうしてくれた店主マルシアさんと
記念に写真が撮りたかったけど
まだ寝ているらしくお店にはおらず。
今日も変わらず高速道路の脇を
ひた走って行きます。
チャニャラル以降、
午前中の空は
必ず曇った状態です。
暑くもなく寒くもなくちょうど良い。
ここからおよそ
200km続く砂漠地帯に突入。
またか、という気分だけど
まぁ2日間で走りきれる距離なので
黙々と漕いでいこう。
同じ景色が続きます。
しばらく大きな見所がないだけに
寄り道もせず
どのみち真っ直ぐ走るだけなんだけど、
道路脇にお店もなにもないので
ちょっとだけ心細い。
砂漠の景色にももう飽きてます。
すると12時を回った時点で異変が。
真っ正面から強烈な向かい風が吹きはじめたんです。
ほんの数日前に苦しんだばかりなのに
砂漠にはコレがあることを忘れてた…。
目的の食堂は60kmほど先、
それまでは何もないことが予想される。
ということで今日のところは
進むのを止めといて、
20km戻った街に滞在することに。
風を考慮して
もっと朝早くから
行動をはじめておくべきだった。
「コピアポ」という街には
割りとたくさんの宿があり、
すんなりと泊まれる部屋を
見つけることが出来ました。
¥2000ほどで安いし
延泊したいくらい快適な宿です。
しかし風ひとつで
その日の走行を中止するのも
かなり珍しいです。
南米大陸も南下するにつれ
どんどん強風地域が増えるらしいので
ちょっと不安。
そして翌日、チャニャラル出発3日目。
朝7時には宿を発ちました。
ここ数日の様子を伺うに、
日の出が7時前で、日没が21時頃。
太陽が真上にのぼるのも13時頃だし
チリの時刻って1時間ずれ込んでる感じがします。
朝は曇って、
午後からは曇一つない快晴。
律儀なほどこのパターンを守る
ここ何日かの天気。
この日は曇りというより
雲の中を走ってる様な気分。
しばらくひんやりとした
モヤの中を進むと、
墓地が現れました。
視界の悪さも相まって
非常に怪しげな雰囲気。
お墓は1人に1つみたいです。
昼食はスーパーで買っておいたパン。
ヨーロッパからの影響が大きいチリ。
その恩恵を受けてか
パンがかなり美味しいんです。
小さな町でも歩くと
小麦の良い香りがするほど。
あいかわらず起伏の多い
アタカマ砂漠の道。
午後3時にもなると
日差しは暑くなり
汗をかきながら
必死にペダルを踏み込んでいく。
夕方6時、
この日もやはり道路脇の食堂へ。
まずは食事をして
「あのぅ…、実はお願いが…。」
とテント泊のお願いをするのがお決まりになりつつある。
アメリカの田舎にある
ダイナー(食堂)のように
飾り気はないんだけど
小綺麗に整えられたチリの食堂。
夜も7時頃から作業着を着た
ドライバーさん達で賑わいます。
「カスエラ」という
牛肉と野菜のスープ。
ペルーでもよく食べたけど
疲れた体に嬉しい1品。
やはり値段は¥1000近く
テント泊お願いするための必要経費。
という風に
似た景色、似た行動パターンを繰り返しながら
首都サンティアゴへの距離を縮めています。
2025.01.24
【282日目 15,253km】
ボリビアから宝石の道を越え、チリに入国。
北部に広がるアタカマ砂漠を南下し
首都サンティアゴを目指しています。
アタカマ砂漠を走り始めて4日目。
毎日ペダルを漕ぎ続けるけど
とにかく周辺に街が無い。
物資が補給できないうえに
午後から吹き荒れる風のせいで
朝早く行動しなければいけない。
ボリビアの終盤は苦しみながらも
宝石の道を走り切ったことに清々しさを感じており
ここからはのんびり期間が続くだろうという
根拠のない予想をしていたけれど、
それはあっさり裏切られました。
ここまで風が強いことは
予想外だったにしても、
街が少ないことは
地図を確認すれば分かったはず。
見込みの甘さにより
食料の買い込みも不足気味です。
80kmほど走ったこの日の午後4時前、
想定していなかった場所に食堂が現れる。
この先、風が避けられる場所もないかもだし
ちょっと早いけどここにテントを張らせてもらうことに。
思えばまともな食堂に
立ち寄るのはチリで初めて。
ただシンプルなスープと
鶏肉を焼いたものがだけだったので
まだチリの食文化というものが
分かっていない。
ためらうことなく
テントを張る許可を下さった
“ウェンディさん”ご一家。
砂漠のど真ん中で
こんなのんびりした
レストランに出会えてよかった。
ちなみに食堂内で付いていたテレビの画面を見て、
ボリビアから時刻が1時間ズレていることを知りました。
もう入国から1週間経つというのに
人との関りも少なく砂漠を走るばかりで全然気づかなかった…。
アタカマ砂漠走行5日目。
食堂で朝食をご馳走になり今日も走り始めます。
空気がひんやりとして
風も無い朝の砂漠は
走っていて本当に気持ちが良い。
ただ、こんな時間は
せいぜい最初の1時間で
景色も変わらず進んでる気もしない。
走行開始から1時間弱ほど走ったところで
道路の脇に地面から、うにゅっと突き出る大きな手を発見。
こちらはアタカマ砂漠のちょっとした見所となっている
その名も「砂漠の手(マノ・デ・デシエルト)」
という彫刻作品。
アタカマ砂漠の象徴として、
さらにはかつての独裁政権に
よる被害者を弔うため、
約30年前に製作されたそう。
何もない砂漠の途中で
異様な存在感を放っていました。
この日は斜度がゆるいながらも
獲得標高は1,000mに及ぶ行程。
幸いここ数日に比べると
風がほとんど吹かないおかげで
されほど苦しむことなく
漕ぎ続けることができています。
道端に“食堂”と書かれた小屋を
発見するけども
残念ながら鍵が掛かってました。
“肉が食べられる!”と期待したけど
いつもどおりクッキーなどの行動食で
お腹をごまかすしかなさそう。
気温は25℃くらいだろう
と思うけど、
雲一つなく太陽に
照らされ続けることで
体力を奪われる。
見つけたバス停でしばし休憩。
気付けば水も残り少なくなっており
やむを得ず、走行中のトラックを止め
せがんでしまう。
幸い1台目で停まってくれた
ドライバーさんが快く
ペットボトル一杯に注いでくれました。
前後数十kmに渡って
水の一滴も補給できる場所などないことを、
トラックの運ちゃん達は誰よりもよく知ってくれている。
数日前にはたくさんの差し入れを頂いたし、
チリのトラックドライバー達は
とても好意的に助けてくださいます。
そして夕方5時過ぎ、
前日に続くパンク。
連日ということはタイヤに問題か
と疑ったけれど
新たなトゲが刺さっていました。
チリの高速、多いです。
少しずつ日も傾き、
どこか風をかわせる場所は無いかと探しても
辺りには本当に何もないので
道路から百mほど離れたあたりでテントを張る。
この時は運が良く、ここ数日ではありえないほど
風が弱かったので無事寝床に着くことができました。
アタカマ砂漠走行6日目。
今日も午後の風が怖いので
太陽が上ると同時に走行スタート。
あたりには無数のウインドミル。
このあたりも
風が強い地域と聞いていたので
朝のうちに走り抜けておきたかった。
今は風が弱いどころか
優しい追い風が背中を押してくれるほど。
2時間ほど走った所で
ドライバー向けの食堂を発見。
まだ時間も少し早いけど
何か人の温もりがこもったものを
食べたいので寄ることに。
砂漠に疲れてるんです。
ランチには早い時間だったので
食べれたのは
ハムエッグとパンだけ。
それでも美味しかった。
ただの炒り卵なんだけど
一口ずつ味わって食べる。
すると食事中、しつこく話しかけてくる運ちゃんが。
ぶっきらぼうな話し方と強いアクセントで
ほぼ何を言ってるか分からなかったのですが、
どうやら「オレがおごってやる!」と言ってくれてるよう。
ありがとうアレックさん、
人生で一番おいしいスクランブルエッグでした。
昨日、標高を上げたぶん
今日は下り基調なんだけど
やはり午後からは風が強まるせいで
それほど速くは進めない。
力んでも無駄なので
辛抱強くじっと漕ぎ続けていく。
そして夕方4時、またも道路脇に食堂を見つけました。
本当に砂漠の中のオアシスのよう。
まずは駆け込んで冷たいコーラを流し込む。
お願いしたところ
すんなりとテントを張る許可を
もらうことができました。
地面も平らで整ってるし
風を防ぐ方向に建物があるし
完璧なキャンプ地です。
ランチでも夕食でも
だいたい千円弱ほどと
決して安くはないチリの食事事情。
それでも疲れ切った体には
肉が染み込みます。
この固い牛肉ですら美味しかった。
アタカマ砂漠走行7日目。
今日には小さな町に到着できるはず。
早くシャワーも浴びたい…。
南米大陸の東側沿岸に
細長く伸びるチリの土地。
夏を迎える1月は
陸地の気温が高まることで
広大な太平洋からの空気が
一気に流れ込んでくるそうです。
この日は正午前から
すでに風が吹きはじめてきました。
上りも多い行程だったので
どのみちゆっくりなんだけど
毎日吹きさらされて疲労困憊。
もう好きにして…。
1日に1回はこんな食堂が
道路脇に現れてくれるので、
助かっています。
朝と夜はテントで調理できるけど
日中の移動中は
できるだけ手軽に食事を済ませたい。
さほどお腹が空いていないので
スープだけでささっと済ませる。
いまだに
チリ食文化の核心を突かない
微妙なチョイスをしていると
我ながら思います。
午後からも止まない風の中
ゆっくりと進み続け、
標高800mの峠に到着。
ここから海側に下りていけば
およそ1週間ぶりとなる
町にたどり着けるはず。
そして峠の向こう
最後の10kmが辛かった。
気持ちよく進めそうな下り坂なのに
この3日間ほどで
最も強い向かい風に吹かれる。
だから、もう好きにして…。
そして夕方6時、
サンペドロの町から7日間走り続けた果てに
ようやく海沿いの街「チャニャラル」に到着!
日々、風と戦い続けたことで
もう脚がガクガク。
しばらくここで休むことにします。
2025.01.20
【278日目 14,820km】
「宝石の道」を走り終え、ボリビアも出国。
さらに2国間の緩衝地帯を5km進んだところに
次なる国・チリへの入国審査がありました。
パスポートチェックとX線検査を
終わらせると、あっという間に越境。
国境を越えると同時に
アスファルトで綺麗に整えられた
公道に合流。
およそ一週間に及んだ
砂の道との戦いも
ここで終わりとなります。
4,500mの高所に位置する
宝石の道から脱出して
はじめの町へ向かうには、
標高を2,000mも
下げていきます。
はるか下の地平線が霞んでいる。
2時間以上にも渡って
ペダルをほとんど漕ぐことなく
一気に駆け下りていく。
時速30km近いけど
真っすぐなうえに
交通量がほとんどないのが助かります。
夕方4時頃に到着したのが
アタカマ砂漠観光拠点の町
「サンペドロ・デ・アタカマ」。
宝石の道中盤以降ずっと楽しみにしてたのは、
この町の宿で何もせずゆっくり休むこと。
しかし、いざ町に突入してビックリ。
無数に存在するはずの宿はどれもが満室。
砂漠で年越しをして、この日は1月4日。
クリスマス休暇でバカンスにやって来た観光客で
町は溢れ返っていたのです。
到着から1時間のうちに
訪ねた宿は15軒ほどでしょうか、
町の中心部にやっとのことで
空室のあるトコロを見つけました。
“郊外で野宿”なんていう
最悪のシナリオは何とか避けられた。
南米屈指の物価大国であるチリ。
さらに観光のための街である
「サンペドロ・デ・アタカマ」
の物価は高く1泊¥6,000。
ただ砂漠を走り切ったご褒美に
奮発することにしました。
歩いて回れるほどの大きさしかない
「サンペドロ・デ・アタカマ」。
欧米人が闊歩するメインの通りを歩いても、
カフェとツアー会社があるだけ。
この町自体に見所は無く、
ここから皆さん“宝石の道”や“ウユニ塩湖”へ
ランクルツアーに出かけるみたいです。
観光客の割合は
フランスとブラジルが多いようで、
一気にヨーロッパにワープしたような
錯覚すらしてしまう。
クリスマスとあって
家族連れもよく見かけます。
そんなサンペドロの町で
一番の楽しみだったのが食事。
砂漠の日々はオートミールやクッキー、パスタばかりが続き
走行中は頭の中で食べ物がずっと巡っていました。
思い通りの食材で
思い通りの調理ができる、
ということがこんなにも嬉しい。
滞在中は外食することなく
毎食自炊してました。
パスタは大好きなので飽きません。
朝食は
町で有名なパン屋さんで買った
フランスパン。
オートミールの数倍美味しい。
そして、熱々のコーヒーが
飲めるなんてもう夢のよう。
さらに午後には
ケーキでコーヒーブレイク、
もう砂漠で妄想していたことを
全て実現してやりました。
とにかく“食べ物”なんです。
このケーキ全然美味しくなかったけど…。
オーナー夫妻の
“イヴァンさん&アンへリカさん”
がまた良い方たちで、
夕食に呼ばれた時の魚が美味しかった。
チリはワインも有名ですよね。
僕、飲めませんけども。
という具合に
「宝石の道」走破後、3日間の“冬休み”は
心も体も癒される最高の休息期間になりました。
普段から一人でいることが好きなのですが、
特に今回のように大自然に浸り切った直後は
あまり人と接することなく
神聖な時間の余韻を
たっぷり味わうのが至福のひと時でございます。
合掌。
サンペドロの町で、写真整理やブログ投稿など
のんびりとやるべきことを片付けると
リフレッシュした気持ちでまた自転車を漕ぎ始めます。
宝石の道を走り終えたとはいえ
ここはまだ
チリ北部に広がるアタカマ砂漠の中。
道が舗装されてはいても、
目の前の砂の大地は
もうしばらく続くようです。
砂漠というと
平坦なイメージがあるけど、
アンデスの一角でもあることから
起伏はかなり激しいです。
この日も獲得標高は
1,000m以上に及びます。
ペルー、ボリビアに比べ
道路がとても綺麗に
整備されているのが分かる。
物価面において「南米のヨーロッパ」
などとも言われるチリ。
経済力も豊かなようです。
朝の出発から
緩やかな坂を上り続け
12時には峠に到達。
それなりにしんどい坂だったけど
アスファルトの道を走れるなら
砂に埋まらないぶん快適。
ただ、坂をくだった峠の向こうが過酷だった。
なだらかな平地がどこまでも続く景色の中、
14時を過ぎた時点で
ものすごい向かい風が吹き始めたんです。
あたりには風力発電のウインドミル。
写真で見ると爽やかですが、
これがあるということは
一帯は自転車走行の困難な
強風地帯だということ。
ペダルを踏み込んでも進まない。
平地だというのに
ときに時速8kmという遅さで
夕方5時にやっと
目的の街「カラマ」に到着。
宝石の道走破直後なんだから
のんびり漕がせてほしい。
疲れて余裕がなかったことから
目に留まったハンバーガー屋さんへ。
よく考えると入国後、
はじめての外食。
チリはどんな料理が有名なんだろうか。
これから南へ下っていくのが楽しみだ。
街中に入り込んでしまったので
野宿をあきらめキャンプ場へ。
¥1500と高いんだけれど、
WiFiはサクサクで
シャワーから温かいお湯。
チリのライフラインは安定してるよう。
サンペドロの町を出て
アタカマ砂漠を走ること2日目。
ここから数日は、
路面の整った高速道路の路肩を進んでいくことになります。
山側の内陸部から
海の方へ向かっていくことで
標高2,000m地点から
徐々に下っていきます。
緩やかな坂を信号も無く
滑走していくのが気持ちいい。
途中で小さな集落に到着。
高速道路が延々と続くと
人との交流も少ないんだけど、
宝石の道で深砂に苦戦しまくった
数日前を思えば
黙って爆走してられるのも悪くない。
集落の外れのキッチンカーにて
ランチのホットドッグ。
まだ始まったばかりだけど
チリ旅はこんなファストフード
ばかりになるんだろうか。
海沿いの町に期待。
昼食を終えた走行を再開した午後2時過ぎ、
前日と同じ苦難がまたも襲ってきました。
海側から強烈に吹きつける向かい風です。
下り坂だというのに
やはり時速10kmも出せなくなり、
重たいペダルを踏み込んでいく。
結局、予定していた距離を
走り切ることはできず
高速道路脇に見つけた廃墟で
テントを張ることに。
日が暮れてもしばらく風は止まず
ボロボロの壁でなんとかしのぎます。
向かい風と格闘していた日中、
ほんの30分のうちに
3人ものトラックドライバーから
食料や水の差し入れをもらいました。
アタカマ砂漠は風との戦いになるけど
ちゃんと人の温もりも存在しています。
アタカマ砂漠走行3日目。
この日も午後からの強風が予想されるので、
日も昇りきらないうちからせっせと準備し
朝7時にはペダルを漕ぎ始めます。
砂漠ということで
朝晩の寒暖差もかなりのもの。
ほんの1時間前は凍えながら
テントを片付けてたのに、
ちょっと漕ぎ始めると
もうジャケットが暑くなってしまう。
風さえなければ
路面も綺麗だし、道路幅も広いし
こんなに快適な道はありません。
ただ、午後の風を恐れるあまり
のんびりする間もなく
走れるうちに少しでも進んでおく。
すると後輪がパンク。
ごくごく小さなトゲが
しっかり刺さっていました。
アメリカやメキシコでもそうだったけど
砂利道なんかより高速道路の方が
パンクが多いです。
正午を過ぎ、そろそろ風が吹き始めるか
というタイミングで道路脇すぐにあるキャンプ場へ。
事前に下調べをしたかぎり
他に風をかわせる場所もなさそうだったので
何とか到着できてよかった。
気付けば標高も
500mほどまで下っており
気温も20℃を越えて
じんわり汗をかくくらい。
それでも夜はしっかり冷え込んで
ぐっすり眠れるのが嬉しい。
街がないのでまともに
買い物ができないけれど、
ガソリンスタンドだけはあるので
燃料を気にせずパスタを茹でられます。
そのパスタすら無くなりそうだけど
その前に砂漠を走り切りたい…。
ということで、
走り始めたのは36ヵ国目となるチリ。
細長いことで有名な南米の大国とあって、
走り切るのに2ヵ月程度は掛かってしまいそう。
しかも、現在は
北部から首都のサンティアゴを目指しているのですが
その間にこれといった見所がないので
ただただ南に向け走るだけの日々が続きそう…。
その道中に素敵な出会いがあることに期待しつつ
しばらくイノシシのように爆走していきます!
2025.01.15
【272日目 14,438km】
「宝石の道」5日目。
現地の方や同じ宿に泊まっていた
ヨーロッパのツーリスト達にとって
元日というのはさほど重要ではないので、
こちらも年を越したという事実すら半分忘れたまま
1月1日の走行を開始します。
このあたりから
宝石の道も後半戦に突入。
路面状況も徐々にマシになる
と聞いていたけれど
まだまだそんな気配はありません。
ところどころ苦戦しながら何とか前へ。
出発から1時間ほどのところで
フランスからの旅行者
“マヌエルさん”に声を掛けられる。
自転車で砂漠を渡ることに
大いに感激し
賞賛してくださいました。
そしてお菓子も頂く。
一人ぼっちの旅路において
誰かが関心を向けてくれ
さらに応援してくれる
ということが
とても大きな励みになる。
この日は600mも
標高をあげていく行程。
ただでさえ砂地に苦戦しているのに
傾斜もつくとなると
当然しんどい。
必死で呼吸を整え進んでいく。
急斜面を登った先には何もないだだっ広い平原があり
そこには一瞬たりとも吹き止まない強烈な風が吹き荒れていました。
実は、これまで路面の砂ばかりに言及しておりますが
もう一つ「宝石の道」でサイクリストを悩ませるのは
昼を過ぎて一気に吹き始める“風”。
横から、前から吹き付けられれば
当然走行の邪魔にもなるし、
テントが立てられないせいで
野宿場所を選ぶのにも一苦労。
この時、風を防いでくれる
丘や大きな岩などどこにもなく
あてもないままとにかく
前へと進み続けました。
歩き続けるのも辛く
早くどこかに身を落ち着けたい…。
さらに誰もいない広大な砂漠で
「ゴオォー」と耳に流れ込む轟音を聞き続けると
不安な気持ちが煽られ、焦りも生じる。
日没は19時過ぎでまだ余裕はあるはずだ。と
自分の心を自分でなだめる。
すると夕方18時頃、
路肩に1mにも満たない
石垣が組んであるのを発見。
ここしかない、と身をかがめ
かろうじて風を避ける。
なんとかこれで夜を越せそう。
夜9時を過ぎて星が輝き始める頃に
暴風がパタッと止んでしまうのも毎日のこと。
おかげで穏やかに眠れるのですが
もう少しのんびりと野営地を選ばせてもらいたい。
ちなみにこの平原の標高は実に4,885m。
おそらく旅において最高となるであろう
高所でのテント泊となりました。
「宝石の道」6日目。
目を覚ますと昨日の夕方とは打って変わって
爽やかな朝日と透き通る青空。
この数十cmの石垣のおかげで
無事夜を過ごすことが出来ました。
これを組んでくれたどなたか、本当にありがとう。
この日も午後の風に悩まされる前に
目的地に近づいておきたいと、
荷物をまとめると
円滑に出発します。
砂が薄くて
安定してぺダルを漕げる。
出発から5kmほどのところで
間欠泉を発見。
火山活動も活発なようで
立ち込める硫黄のニオイ。
このニオイをかぐと
“アレ”が恋しくなる。
さらに数百m進んだところで
前日から登り始めた坂の峠に到達。
その高さは4,911m!
昨夜が最高地点のテント泊となったように、
ここも自転車走行における最高到達点となります。
ちなみにペルー後半からこの一か月程度
ずっと4,000m付近に滞在しているので、
高山病の症状はほとんどありません。
おそらく人生で最も心肺機能が強化されている状態です。
峠を過ぎると
一気に下り始めます。
所々ひどいガレ場もあって
手こずりつつも、
今日も目的地である
チャルビリ湖が見えてきました。
やがてたどり着いた湖の畔に沿って
走り続けると、
南端に近づいたところで
観光客が集まる一帯が。
そう、ここには
“アレ”があるんです。
午後3時、ランクルに乗ったツーリスト達が
去っていったのを見計らって
“アレ”を独り占め。
「宝石の道」終盤のご褒美として楽しみにしてたんです。
温度は39℃くらいでしょうか、
熱すぎないからこそいつまでも浸かっていられる。
そのまま湖の脇に立つ
レストランに許可をもらい、
裏手にテントを張らせてもらう。
“アレ”に浸かった後って
何もやる気が起きない
幸せなダルさがありますよね。
「宝石の道」7日目。
砂に、風に、あらゆる砂漠の環境に苦しんできた
道のりもあとわずか。
おかげで大きなトラブルも無く、ここまで来れば
予定通りの日数で走り終えることが出来そう。
出口に近いこともあってか
ランクルの数がすごく多い。
そして、彼らが走り去った後に
立ち上る砂煙が視界を覆い
砂塵を避けるため顔を背ける。
早く普通の道を走りたい。
植物の生えない
砂だらけの景色が広がる瞬間は
まるで他の惑星に降り立ったようだ、
と感じることもある。
毎日こんな景色だけど
これも贅沢な一瞬。
結局この日も
深砂に苦しめられ、決して
最後まで楽な道のりではないみたい。
早く町に着いて
宿で王様の様に
だらりとくつろぎたい。
そして夕方4時過ぎ、
最後の湖となる
「ブランカ湖」に到着。
広大なのはいいんだけれど
強風をかわして
テントを張れるかしら。
すると湖を見下ろす
小さな丘のそばに
石の積まれた廃屋を発見。
四方を囲まれ
風を防ぐのにピッタリ。
最後の夜も無事に過ごせそうです。
そしてこの日は大きな標石へと達することが出来ました。
ちょうど野営地を見つけ今日の走行距離を確認したところで
ユーラシア・アフリカを含む旅の総距離が
なんとピッタリ40,000km!
赤道の長さ、つまり地球一周に相当する距離を
この自転車旅で走ったことになります。
“自転車で世界一周”を掲げ
走り始めてから合計3年足らず。
ついにここまでやってくることが出来ました。
ただ、今回の旅のゴールはアルゼンチンの南端。
もう少しだけ頑張って進んでいこうと思います。
しかし、今日か明日のどこかで、とは思っていたものの
まさか走り終えてちょうどのタイミングになるとは…。
「宝石の道」8日目。
テントを片付けいざ自転車を押し始めると
昨日は気づかなかったけど
廃屋の周りには複数の自転車のタイヤ痕が。
この数日で他の誰かもここで野営をしたのだろうと
想像を膨らませます。
ちなみに宝石の道突入以降、
別のサイクリストには出会っていません。
砂漠の出口までわずか数km。
「あぁ、この大自然の旅を
いつまでも味わっていたい」
なんて思いません。
早く町に着いて美味しいもの食べたい。
この時、頭を巡るのは何故か“巻き寿司”。
ただいつも以上に独りの時間が長く
厳しい砂漠の苦しさと向き合ったことに
どこか清々しさのようなものを
感じているのも事実。
果てしない砂漠、輝く星空は
確かに目に焼き付いています。
走り始めてから
10kmあまりのところで
食堂を発見。
朝食オートミールが物足りないので
ここでも
何か食べていくことに。
出てきたのはパスタ。
結局パスタばかりだった
宝石の道だけど、
生の玉ねぎとトマトが
乗っかっているだけでも
すごく嬉しい。
そして食堂からさらに5kmほど走った所で
国境のゲートが。
「宝石の道」の終わりは
そのままボリビア旅の終わりでもあります。
パスポートにスタンプだけ押されて
大げさでなく、本当に7秒くらいで出国処理完了。
国境の向こうに待っていたのは
実に8日ぶりとなる
アスファルト舗装の道。
あぁ、タイヤが埋まることなく
ちゃんと漕げるし
ちゃんと前にも進む。
ということで、
南米大陸最大級の難所「宝石の道」を走破しました!
自転車を押しまくったせいで
足の裏は水膨れ、そして犬のような臭い。
心も体も疲れ果ててはいますが、
最高標高や4万km達成を実現した記念すべき場所にもなり
充実感に溢れています。
先のことなど考えず
しばらく最初の街で“冬休み”を取ろうと思います。
2025.01.11
【268日目 14,337km】
南米大陸自転車旅における最大の難所ともいえる
「宝石の道」を走り始めて2日目。
オンダ湖湖畔のテントで目を覚ますと
空気はパリッと冷え込んでおり
湖面はうっすらと氷が張っていました。
後ほど調べると-3℃くらいだったろうと推測されます。
朝食は世界一ワクワクしない食材
オートミールでございます。
ココア粉末をまぜて甘めに頂くんだけど
オートミールってどうやっても美味しくない…。
初日が予想以上に
スムーズに進めたものだから
気持ち良く走り出したものの、
湖を離れるといよいよ
宝石の道の厳しさが
その牙をむき始めました。
それがこの深い砂。
総重量60kgに迫るであろう
自転車はズイズイと沈んでいき
押すことも大変。
ハンドルと後部の荷台を掴み
必死でなんとか前進する。
たまに砂が浅くなるエリアで
自転車を寝かせ休憩。
気温は20℃に届かないだろうけど
直射日光を避ける場所など
ほとんど無く、
ジリジリと照らされるのが辛い。
昼過ぎにはこの日一番の
深砂地帯へ。
複数の轍どれをえらんでも
砂からは逃げられない。
1km前進するのに
30分も掛かってしまいます。
そこを過ぎると、
今度は急斜面に石がゴツゴツと転がるガレ場。
踏んばる足も石と砂で滑ってしまい
なかなかまっすぐに進むことが出来ない。
押して進むことに疲れ
ゼエゼエと肩で息をするのが止まらない。
標高4,500mの高所では
深呼吸でも酸素をわずかにしか取り込めない。
ここでツアーのランドクルーザーに
何台も追い抜かれます。
手を振ってくれたり、
スマホで撮影されたり。
可能な限りは笑顔で手を振り返すけど
しんどい時は完全なる無視。
斜面を登り切るとまた深い砂の
平原が広がっています。
変わらない景色の中に
目印になるものは無く
「何とかあそこまで」と
モチベーションを保つことも難しい。
それでも何とか30km程度
進んだ夕方4時。
目標にしていた
砂漠の中のホテルに到着。
西欧を中心としたツアー客向けの
リゾートホテルです。
1万円以上もするホテルに
泊まることはできず、
敷地内にテントを張らせてもらう。
ここでの目的は水をもらうこと。
こうしたポイントが2日に1回は
あるので、乾き切ることなく進めます。
ツアーの運転者やガイドさんが
泊まる予備棟の陰で
寝させてもらうことに。
「お前さっき追い抜いたぞ」と
ものすごく感心されるのが
当たり前になりつつある。
前日に引き続きパスタ。
首都ラパスで日本人の
バックパッカーの方にもらった
お茶漬けの素がここで役に立つ。
感激するほど美味しくもないけど
何より茹でてかけるだけなのが楽。
「宝石の道」3日目。
荷物をまとめると今日も
広大な砂漠へ向けペダルを踏み込んでいきます。
赤茶色の砂地が
どこまでも広がる砂漠では、
実際以上に傾斜がキツく見える
傾向がある気がする。
いざ走ってみると意外に
緩やかなのが嬉しい。
出発2時間の所で
宝石の道はじめてのパンク。
“コルゲーション”と呼ばれる
車の通過により洗濯板状に
波打った轍のせいで、
後輪に衝撃が加わったもよう。
パンク修理作業中にカサコソと
音が鳴る方へ目をやると、
ウサギを発見。
観光客が捨てたであろう
乾燥しきったリンゴを食べてました。
こんな砂漠でたくましい、と感心。
ランチ代わりのクッキー。
たったこれだけの軽食でも
「あと1時間後にしよう」
「2枚じゃなくて1枚にしとこう」
と先をいろいろと考えながら、
砂漠の旅を進めていきます。
多くの場合、ランクルが残した轍は
複数に枝分かれしています。
「右の方が砂が浅そうだな…」と
一方を選んで進みだすと、
全然そんなことなくて後悔したりと
まるで“あみだくじ”の様。
前日ほど砂にはまって苦戦することなく
目的の場所に到着。
不思議な岩がゴロゴロ転がるアタカマ砂漠の名所です。
午後3時の時点で走行距離は30km。
これくらいが宝石の道での
1日当たりの平均走行距離になりそう。
似たような景色が続く砂漠における
ひとつの見所にもなっている「奇岩群」。
普通といえば普通の岩なんだけど
何もない砂漠にあると
それなりに面白い景色に見えます。
今日はここで1泊。
方々で写真を撮る観光客の
人たちが去った午後4時ごろ。
止まない風をかわす
大きな岩陰を選んで
テントを張ります。
周りに人もおらず静かな夜になりそう。
決して走り切ることが容易ではない「宝石の道」。
困難な道のりの対価の一つは間違いなく
毎夜のように頭上に広がる満点の星空。
地上4,500mから見れば
宇宙すらすぐそこに感じさせるほど
澄んだ空に無数の星が輝きます。
「宝石の道」4日目、
この日の朝は小さなトラブル。
お湯を沸かすためのガソリンバーナーの火が弱いため
該当部分を取り外しススを掃除してから
再度組み立てところ、どうにもガソリンが漏れてしまう。
原因は、一つの小さなリングを
組み入れ忘れていただけなのですが
それに気づくのに小一時間もロス。
説明書の読めないせっかちな性格が災いすることが
僕の人生ではよくあります。
12月31日の今日は
年内最終走行。
20km足らず走った先にある
湖畔の宿に泊まる予定なので
朝の出遅れも
たいした問題にはならなそう。
いつものごとく深砂に苦しんでいると
前方から路面を整備する
ロードローラーが出現!
待ってました、と
ドライバーにサムズアップをして
意気揚々と前進再開です。
ところがパッと見には
綺麗にならされているものの、
深い砂の表面が平らになっているだけで
いざ漕ぎだそうにも
タイヤは埋まるばかりで変化なし。
結局押して進むしかなさそうです。
目的のコロラダ湖まで
緩やかな下りだというのに
一向にスピードは上がりません。
「あぁ、クソー!」と
誰もいない砂漠で叫びながら
必死に自転車を前へと押し続ける。
結局わずか17kmの道のりに
5時間も掛かって
ようやく湖のほとりに到着。
ここからは公園に指定されているようで
約¥3,000の入場料を払って
ゲートを越えます。
ゲートを越えてすぐの所に
調べていた宿を発見。
決まって午後から強い風が吹き荒れる宝石の道では
何もない原っぱで吹きさらされるのを防ぐため、
午後4時頃には宿泊(野宿)場所の目途をつけているので
1日の行動時間もふだんより短いです。
何より重量級自転車を押してばかりなので
いつもより疲れるのも早い。
そして足元はいつも砂だらけ。
踏んばって汗をかいてるからか
靴下から犬のような臭いがする。
日本帰って犬をなでなですると
宝石の道を思い出しそうなくらい
印象的な犬の臭い。
¥1,000の宿では
8人部屋に1人きりで寝られることに。
ただ砂漠の真ん中とあって
Wi-Fiがないのは当然で
電気も夜の数時間しか
通じないとのこと。
大晦日のパーティーをしようにも
近くの商店の品揃えは期待外れで
手に入ったのは
無駄に大きな2Lのコーラと
チョコのウエハースだけ。
寂しい年越しになりそうです。
追加料金で夕食もつけられる
とのことだったのでお願いすると、
パスタが出てきました。
いつも食べてるんですけど…。
でも上に乗っかる
ミートソースが美味しかった。
そんな風になんとか
「宝石の道」の中盤に到達。
着実に溜まっていく疲労を感じながら
数日振りのベッドに体をうずめたのでした。
2025.01.7
【265日目 14,261km】
美しき塩の大地「ウユニ塩湖」の走行を終えると
20kmほど離れた観光拠点の町・ウユニに滞在。
年末が差し迫っていたこともあり
ここでのんびり休めたらよかったのですが、
僕の気持ちも行動もソワソワとしておりました。
というのも、これから進む道は
南米大陸きっての難所となるはずだから。
それはウユニの町から南の方向。
真っすぐ公道を進めば隣国チリに入国できるけど、
途中であえて道路をそれて未舗装地帯を進みます。
そこに広がるのは「アタカマ砂漠」。
なんでわざわざ自転車で砂漠を進むかというと、
標高4,000mもの高所に存在する砂漠の道のりが
その美しさから“宝石の道(ルタ・デ・ラス・ホジャス)”
と呼ばれており、
世界各国のサイクリストの憧れとなっているからなんです。
およそ250kmに及ぶ
砂漠地帯を渡り切るのに
想定する日数は8日間。
まともに補給が見込める場所は
なさそうなので、
ウユニの町で食料を買い込んでおく。
当然、水の携行も必須。
5リットルの大きなボトルに加え
1リットルボトルを2本。
これに食料も加えると
普段の走行よりも10kg程度
重い自転車で走ることになります。
2日間のウユニでの滞在を終えると
覚悟を決め、ペダルを漕ぎだします。
まず“宝石の道”に突入する分岐までは200km。
そこまでは公道を行きます。
未知の秘境に向かう
コチラの緊張感など
知る由もないのは
道端のアルパカ達。
可愛らしい耳飾りを付けて
じっと見つめてくれます。
向かう先にある国境が
決して主要なものでなく
さほど大きな都市も無いからだろう、
すでにところどころ
未舗装の部分が出てきます。
でも地面は固くて難なく漕げる。
午後2時過ぎに90kmを走り
「サンクリストバル」
の町に到着。
道路も整ってるし
思いのほか
大きな町ではあるみたい。
まだ漕げる時間だけれども
風も出てきたし、これからのことを考えると
ここで泊まって体力を温存しておきたい。
屋台メシで遅めのランチ。
ボリビアではどこでも
“リャマ肉”が定番みたい。
当たり外れも無く
どこで食べても美味しいから
かなり好きになって来ました。
町の中心近くに宿を発見。
電波も安定して
ベッドで眠れるという環境も
しばらくお預けになりそうだから
今日のうちは
特にしっかり休んでおく。
ウユニ出発2日目。
今日も綺麗に整った路面を
朝から快適に飛ばしていきます。
日本国内外のサイクリスト達が
書き残してくれたブログを見つつ
宝石の道の旅程を組んだのですが、
数年前には未舗装だったエリアも
今はアスファルトで舗装されてます。
時代は流れている。
おかげで目標の“ビジャ・アロタ”には
予想より早いお昼頃の到着。
砂漠前最後の宿泊を、と思いきや
宿主さんが出かけており
泊まることが出来ない。
ネットも繋げると思ったのに…。
チキンの煮込みとライスを食しつつ
しばらく沈思黙考。
もうこの先に宿はないので
進むとなれば野宿になるのは決定。
ただ砂漠に備えて
食料も体力も温存しときたかった…。
結局、留まるにしても
時間があまりに勿体ないので
進んでおくことに。
この先何があるか分からないけど
まぁ何とかなるはず。
不安とともに坂を上り始める。
程なくして坂の途中で
アスファルトが途切れてしまう。
おかげで予想以上の早さで
ここまで来られたけど、
いよいよこれからは
土埃の風景が始まってゆく…。
日が傾くにつれ
強くなり始めた向かい風に加え
未舗装路の凹凸も
だんだん荒くなってゆく。
まだ砂漠突入前なのに
すでに悪路が嫌になる。
すると18時を過ぎた頃
石造りの建物を発見。
近づくと食堂だったようで
持参食料節約のためにも
ここで食べさせてもらうことに。
ありがたや。
出てきたのはリャマのステーキ。
水が90°未満で沸騰してしまう
高所のお米はモサモサで
決しておいしくないけど、
リャマの肉だけは裏切らない。
大事なたんぱく源です。
店の横にテントを張ろうとすると、
(というか一度張り終わった後)
店主さんから一言。
「やっぱ物置で寝れば?外寒いし」
今日から連日のテント泊を
覚悟してたので、嬉しいお誘い。
用意していただいたマットレスでぐっすり眠り
迎えたウユニ出発3日目。
いよいよ、今日にはアタカマ砂漠の難所
“宝石の道”に突入です。
これまでにもサイクリストを受け入れてきたという
店主のアビエルトさんにお礼を伝え、いざ出発。
この先に過酷な旅路が
待つと思えば、
良い天気も、良い景色も
逆に不気味に思えてしまう。
どんな景色が広がっているのだろうか。
期待2割、不安8割。
そしてお世話になった食堂から10kmあまり。
ウユニの町を出て以来ずっと続いた道から
左の方向に目をやると、
車の轍がくねくねと道を作っていました。
ここが“宝石の道”、北側の起点。
ついに過酷な旅路へと足を踏み入れてゆく。
スタートからわずか1kmのところで
傾斜の急な坂が…。
公道ではないので
斜度が計算されておらず
ハンドルを強く握って
重い車体を必死に持ち上げる。
坂を越えた先には
観光にやって来た
4WD車が複数見えました。
宝石の道は絶景ゆえに
観光客も訪れ
そして、轍を作ってくれるのです。
これから数日にわたり
目の前に広がっているであろう
砂の道。
ただ予想以上に固く安定しており
まだまだしっかり
漕ぐことができそう。
砂漠突入2時間足らずで着いたのは「カニャパ湖」。
白く見えるのは塩ではなく
夜間の低気温によって凍ったであろう水面です。
“宝石の道”というのは
道中に点在する湖を
巡っていく道でもあり、
現に英語圏の旅行者からは
“ラグナ・ルート(湖の道)”
として知られてもいます。
青空の下に広がる湖に
花を添えるのが、
ピンクがかった体躯が美しい
フラミンゴ達。
標高4,000mの水辺は
鳥たちの楽園です。
ちょうど昼頃でもあり
湖畔にてランチ。
フレーク状に乾燥したものに
お湯を加えてできあがるのは
インスタントマッシュポテト。
飽きる前に砂漠を走破できるか。
午後から徐々に悪くなっていく路面状況。
ゴツゴツと振動が激しくなると
サドルを降りて、自転車を押さざるを得ません。
それでも、ペダルを
漕ぐことができる箇所もあり
「あら、意外と楽勝?」なんて思いつつ
砂と石の道を進んでいきます。
気温は10°を越え
非常に快適。
カニャバ湖を発って
1時間後には
次なる「エディオンダ湖」へ。
氷が張ってない方が
綺麗なんだろうな。
ちなみに12月は初夏です。
湖畔にはとても綺麗に整った
観光ホテルが。
値段は1万円以上するようなので
休憩にコーラだけ買わせてもらいます。
まださすがに初日なので
泊まりたいとは思わない。
引き続き砂利道を進んで
次なる湖を目指します。
午前中はツアートラックに
たくさん追い抜かれたけど
午後も3時を過ぎると
車も通らなくなりました。
午後4時ごろ、3つ目の湖「オンダ湖」に到着。
“宝石の道”に入って約30kmのところで
1泊目の夜を過ごすことにします。
夜はパスタ。
燃料のガソリンにも限りがあるので
なるべく茹で時間の短い
カッペリーニ(細麺)を
常食として採用しました。
ここから毎日これが続きます。
比較的穏やかに1日目は終了。
ここから徐々に苦しむことになるんだろうな、と
どこかおびえながらも寝袋に包まれました。
2025.01.1
【260日目 14,027km】
パスポート置き忘れにより
ひとりでてんやわんやしたオルロには2日間の滞在。
南の隣国チリの方向へと向かいつつ、
道中にあるボリビア随一の絶景を拝みに走り始めます。
オルロ郊外へ出ると
工事によるオフロードが。
スピードが遅くなるうえに
砂塵防止にまかれた水のせいで
泥が跳ねて自転車が泥だらけ。
しかも10kmも続いておりました。
オルロ以降さほど
大きな都市がないらしく
交通量が激減。
さらに山も無いもんだから
景色の変わらない平地を
数時間も漕ぎ進めていく。
午後からは一時雨も降り
商店の軒下にて
雨宿りをさせてもらう。
これからは景色の良いエリアが
続くことになるから、
なるべく晴れて欲しい…。
予定を越え120kmも走ってしまい
「チャヤパタ」ヘ。
それなりに大きな町で
野宿もできなさそうなので
大人しく宿へとチェックイン。
もっと前で止まっとけばよかった。
オルロ出発2日目。
今日も周りに何もない平地を進んでいきます。
日中は風も強くないし、快適快適。
出発から30km地点で
道が二手に分かれます。
真っすぐ行けば国境方面だけど
“壮大な寄り道”をするために
ここで右へと進路を取ります。
あぁ、ワクワクしてきた。
分岐から10kmのところで
集落に到着。
屋台のおばちゃんが
肉の揚げ焼き“チチャロン”。
豚が定番だけど、「何の肉?」と聞くと
これはリャマの肉だそう。
早速味わったのですが
肉の繊維がしっかりしてて、うま味もあって絶品。
牛肉にかなり近いけど、牛より安いそうです。
世界各国でヤギ、ラクダ、ネズミなど色々食べてきたけど
リャマが一番おいしいかも知れない。
そのまま変わらない景色を進み
出発から90km地点で
道路脇に廃屋を見つけテント泊。
主要道ではないので
車も人も少なく
静かで穏やかな夜を過ごしました。
オルロ出発3日目。
朝から雲のない良い天気。
憧れの絶景に近づくのを感じつつ、今日も漕いでいきます。
車とすれ違うことも
追い抜かれることもほとんどない。
昨日分岐を曲がってから
本当に静かな道のりになってしまった。
ただ目指すのは自然の絶景、
人などほとんどいない場所。
昼過ぎに一つの集落を過ぎてから
道が未舗装の砂利道になりました。
遠くには高くそびえる
「トゥヌパ火山」が見える。
ガタガタの振動を受け流し
黙々と進みます。
未舗装路を30km進んだ先に
「ヒリラ」という小さな集落に到着。
村に一つだけの宿を見つけ
泊まることに。
そして目的の景色はすぐそこ。
明日が楽しみ…。
オルロ出発4日目。
出発の宿から7kmばかり進んだところ、
昨日眺め続けていたトゥヌパ火山がすぐそこに。
ただ目指していた景色はこの火山ではなく、
くるっと背中を向けた反対側に広がります。
山と反対方向に数十m進むと
遂に目的の場所が…。
「良い旅を」と書かれた
石のゲートの向こうには
どこまでも続くだだっ広い
空間が広がっています。
ゲートを越えてやってきたのは
果てしなく広がる塩の大地、
世界的にも有名な絶景スポット「ウユニ塩湖」!
圧倒的な自然美が続く南米の旅路でも
かなり楽しみにしていた場所です。
(360°を塩が取り囲むのでしばらく白い写真が続きます。)
地平線の果ての果てまで続く塩湖。
南北100km、
東西には250kmもの広さがあり
新潟県とほぼ同じ広さだそう。
漕いでも漕いでも景色は変わらない。
“広大”という言葉のスケールが違う。
アンデス山脈が隆起した際、
取り残された海水が干上がって
できたのが「ウユニ塩湖」。
塩の厚みは薄くて60cm、
最も厚い所で11mにも及ぶのだそう。
膨大な量の塩です。
「塩湖に道あんの?」って話ですが
観光用の4WDが走って
塩の表面をならしてくれているので
うっすら一本道が見えるんです。
スマホのGPSも誤差はあるけど
何とか使い物にはなる。
そんなウユニ塩湖ですが、楽しみばかりでなく
自転車旅らしいトラブルにも見舞われることになります。
まずは走行開始30分、
三脚を立てこの写真を撮った直後のこと。
いつもこんな写真を撮るときは、
ガードレールなどに自転車を立てかけ
カメラと三脚をセッティングするのですが
当然塩湖に立てかける場所なんてあるはずもなく…。
“よっこいせ”と重い自転車を
起こした瞬間、
三脚に自転車がドンとぶつかり
カメラごと倒れてしまいました。
「うそっ」と冷や汗をかき
すぐさまカメラをチェック。
するとレンズ(中古6万円)の接合部分が
めりっと隆起してしまっておりました。
まるでアンデス山脈の様に。
この時ほど自分の浅はかな行動を呪ったことはありません。
もうちょっと三脚から離れて自転車を起こしておけば…。
覆水盆に返らず、破鏡再び照らさず、時すでにお寿司。
ただ、ひとりぼっちのウユニ塩湖。
色んなものが少しずつ壊れていくとは
この時の僕はつゆ知らず…。
「上海から旅をはじめて数万枚の写真を撮ってきたんだから
すでにあのレンズは役割を果たしてくれたよね。
うんうん、お疲れ様」
と自分をなぐさめつつ、走り続けました。
(ちなみに以後は、もう一本持参していた単焦点レンズでの撮影です。)
昼過ぎにたどり着いたのは
塩湖の真ん中にある「インカワシ島」。
多くの観光ツアー客が訪れる場所です。
周囲にはたくさんのツアートラックが。
ここではじめて人と出会います。
ちなみに最後まで僕以外に
自転車で走っている人は
見かけることはありませんでした。
島には無数のサボテンが。
真っ白な塩湖を背景にすると
どんなものでも
美しく映えるのが面白い。
観光客の方々はこの背景を利用して
色んなトリック写真を撮るようですよ。
人の住まない観光用の島ですが
トイレと食堂はあります。
ツアーに参加すると
塩湖の真ん中にテーブルを出して
食事ができるので、食堂には
他のお客さんはそれほどいません。
夕方までもうひと走り。
100km先まで走っても
高低差が50cmしかない
というウユニ塩湖は
「世界一平らな場所」でもあるそう。
自転車乗りにぴったり。
夕方5時まで走った所でテントを張る。
もちろん周囲には誰もおらず
塩湖を吹き抜ける風だけが聞こえる神秘的な世界。
贅沢な野宿になりそうです。
自転車のあちこちが塩だらけ。
雪と違って放っておいても
消えてはくれないので
宿に着いたら掃除をせねば。
海辺で潮風にあたるだけでも
さびが付くというのに…。
ウユニ走行2日目。
テントがくしゃっとなっているのですが、
実は昨晩は壮絶な夜を過ごしていました。
夕日を撮ったり、ラーメンを調理して
テントに入ってしばらくした頃、
日が沈んで気温が下がったと同時に
北東からビュービューと強風が吹き荒れ始めたんです。
遮蔽物が何もないことでもろにテントに吹き付ける風。
バタバタと布が音を立て、骨組みのパイプがゆがみ始めたことで
「これはまずい!」とすぐさまパイプの接続を外し
テントを収縮させました。
暗闇の中、それ以上何もできず
萎れたテントにマットと寝袋を乗せ
なんとか夜を越えて朝を迎えたのでした。
朝日に照らされた静かな塩湖。
六角形の塩の模様は
乾いた表面が割れてできた
ヒビとヒビが合わさって
できるのだとか。
自然ってホントに不思議です。
昨日とはまた違う朝の塩湖にうっとりしつつ
「さぁ出発」と荷物をまとめた瞬間、ため息が漏れました。
…パンクです。
ただいつもどうり修理を進めるなか
タイヤに空気が入らないことに気付いたんです。
問題はコチラの空気入れ。
どれだけポンピングしても
空振りするばかり。
どうやらピストン部のゴムが
摩耗して空気が抜けてしまってるよう。
にしても、なぜこのタイミングで…。
さらにさらに、自転車に取り付ける
カバンの持ち手が
ブチンと切れているではないか。
致命的ではないけど
なんで塩湖のど真ん中で
皆寿命を迎えてしまうのか…。
陸地まで60km。
当然パンクした自転車で歩ける距離ではなく
やむを得ずヒッチハイクを試みることに。
ツアートラックが停まってくれるといいけど。
結果として、朝8時半から待ち続けて
4時間の間に通った車の数はたったの3台。
どれも距離が遠く、気づいてもくれませんでした。
無人島に取り残されたかのよう…。
12時30分、やっと現れた救世主は
地元のトラックドライバーさん。
僕の目指す街とは
反対に向かうとのことでしたが、
荷台に電動ポンプをお持ちでした。
神様って本当にいるんだ…。
タイヤにバッチリ空気も入って、午後1時走行開始!
塩湖の主な入口に向かうとあって
昨日よりも轍がくっきり、地面もしっかり踏み固められています。
時速20km/hでゴールを目指す。
塩湖の中心から縁に向かうにつれ
塩の色がほんのり
赤みがかってきました。
やはり中心部ほど
綺麗で真っ白な塩の大地が
広がっているようです。
そして夕方4時過ぎ、
入り口付近の万国旗まで到着。
ウユニ塩湖の
定番フォトスポットですが、
真っ白で広大な塩湖を見た後だと
さほどインパクトを感じません。
さらに進んだところで
アスファルトの舗装路に復帰。
一時はどうなるかと思ったけれど
しっかりウユニ塩湖の魅力を堪能して
“壮大な寄り道”を
終えることが出来ました。
期待を上回る感動と困難を与えてくれた
ボリビアのウユニ塩湖。
はじめてその白い大地が視界の片隅に見えた瞬間は、
あまりの美しさに涙が出そうになったほど。
「旅に出てよかった」と
心から思うことができる素敵な場所となりました。
装備品にもガタがきてるし、疲労も溜まっているので
ゆっくり休みたいところではあるけど、
ウユニ塩湖の直後には
“世界を巡る旅”における最大級の試練と絶景が待っております。
2024.12.28
【254日目 13,562km】
ボリビアの首都(事実上)・ラパスには3日滞在。
標高の低い中心部にある宿を出発すると
ロープウェイで都市郊外へと上っていきます。
大都市を脱出するときは
必ずと言っていいほど、
大混雑の合間を縫ってイライラしながら
走っていくのがお決まりだけど
この日は道もガラガラ。
朝早く出たのが良かったかしら。
しばらく走ると
すぐにのんびりした荒野に。
とりあえず目指すは
200kmあまり先の
地方都市「オルロ」。
順調にいけば明日には着けそう。
ペルー同様、
路上の屋台が充実しているのが
助かります。
どこでも食事にありつけるから
食料を持ち運ばなくてもいい。
しかも安い。
ペルー終盤以降、
ずっと標高4,000m付近を
維持してるけど
さほど寒くないのが嬉しい。
夜も10℃を少し切るぐらいで
とても過ごしやすいです。
午後4時、100kmを走り
「パタカマヤ」という町に到着した時でした。
速度減少のための段差に勢いよくぶつかりすぎ
後輪がパンクしたのですが、
ここからリズムが狂いだす…。
いつも通りパンク修理したのは
良かったものの、
タイヤの着脱を荒く扱ってしまい
ディレイラー(ギア変速機)の
ワイヤーが
ネジから外れてしまいました。
“今日もう少し進んでおかなければ、明日オルロに到着できない…”
という不必要な焦りもあって
作業が雑になり、
チェーンが絡まって余計に時間がかかる。
「もう明日オルロに
着けなくていいや」
と諦め、近くの宿にチェックイン。
ここでゆっくり修理作業を
することに。
1泊¥1,000とお得。
ディレイラー修理は無事完了。
オルロまでの行程が1日伸びたけれど
「ベッドでゆっくり寝られるし
良しとしよう」と眠りにつきます。
しかし、僕はこの宿泊で
“1つのミス”を犯すのでした。
ラパス出発2日目。
今日も起伏の少ないなだらかな道を
気持ち良く走り始めます。
久しぶりにアルパカを発見。
大体近づくと逃げてくんだけど
この子はやたらと
興味ありげにコチラを
見つめてきてくれました。
一回で良いから触りたいなぁ。
今日もランチは
ストリートフード。
食べてると野良犬が
よだれを垂らしジーっと
見つめてくるのも
もはや定番です。
走行中、ふと横に目をやると
集落の中に
“西濃運輸カンガルー便”が。
はるばる地球の裏側まで
配達お疲れ様でございます。
アフリカでもよく見たな。
この2日間、
景色がほとんど変わらない。
車も少ないし
イヤホンを付け音楽を聴きながら
ダラダラと走っていきます。
何か変化が欲しい。
夕方5時過ぎ、「ヴィラヴィラ」という
小さな村に到着。
テントを張れないかと
キョロキョロしつつ進むと
羊の大群に邪魔をされる。
ボリビアは羊優先。
住民の方に確認を取り、
村の奥の廃屋で
テントを張らせてもらうことに。
夕方から吹き始めた強い風も
若干ながら防いでくれそう。
静かでいい場所です。
ガソリンストーブで夕食準備。
標高4,000mだと
炎が安定するのに時間がかかるし、
何より沸点が下がって88℃。
インスタントラーメンなら問題ないけど
美味しいご飯は炊けないだろうな。
ラパス出発3日目、いよいよオルロ到着の日。
人の少ない静かな集落をひっそりと出ていきます。
ラパスを出てから
景色といえばずっとこんな感じ。
だだっ広い荒野に
ポツンと家が一軒。
背景には背の低い山の
なだらかな稜線。
もともと2日で走り切ろう
としていただけに、
今日の行程はわずか50km。
起伏もほとんど無く
交通量も少ない道と
のんびりと走ります。
昼過ぎにオルロ郊外に差し掛かる。
ボリビア入国以降感じてはいたけど
ペルーに比べると街が汚い…。
道路はデコボコなうえに
そこらじゅう散らかるゴミ。
それを貪る野良犬たち。
ゴミ収集は機能していないのだろうか。
ちなみに路上の屋台で
よく食事をしてますが、
小さな村でも鼻を突くアンモニア臭が
漂うこともしばしば。
今のとこ印象良くはないボリビア。
さらに10kmほど進んだところで
街の中心部に到達。
ラパスは賑やかなゲストハウスに
滞在していたので
ここでは個室の宿で
一人ぼっちになりたい。
賑わう市場の近くに1泊¥600の
お得な宿を発見。
さぁ、ここでのんびりひと休み
とウキウキしながらチェックインをしようとした時、
あることに気付くと同時に心臓がキュッとなりました。
「“アレ”がない…」
ボリビアの宿では外国人旅行者は
滞在中、パスポートを受付に預けておく
というルールがあります。
そう、このとき手元になかったのは旅の必需品“パスポート”。
2日前、パンクおよびディレイラー修理のため
急遽宿泊したパタカマヤの宿に預けたまま
パスポートを受け取ることなくチェックアウトしていたのです。
事情を説明すると
理解してくれたオーナーさんは
問題なく泊めてくださることに。
だからといってパスポートが
不要という訳ではありません。
なんとしても取り返さねば。
ということでオルロ到着翌日、
僕はワンボックスカーの乗り合いバスに揺られておりました。
本来ならゆっくり部屋で休みたいところ、
昨日漕いできたばかりの道を引き返す。
なんて時間の無駄なんだろう…。
宿のあるパタカマヤまでは
130kmほど。
「あぁ、あの建物見たな」とか
ゆっくり眺めてきた景色を
猛スピードで巻き戻すように
進んでいきます。
そして、自転車で1日半かけて
やってきた道のりを
わずか1時間半で到着。
“自転車の1日は車の1時間”と
よく言うのですが、大方その通り。
車って便利な乗り物です。
そして宿に向かうと
すんなりパスポートをゲット。
実はパスポートを預けるルールは
アフリカやイランなどでもあって
「いつかやってしまうんじゃないか」
思ってたものの、今回が初めてでした。
バスを降りて取り返すまでほんの5分。
このまま帰るのもシャクなので
床屋さんへ。
刈り上げ部分のバリカンだけなので
これも3分で終わり、たったの¥250。
8分の滞在を終えオルロへと戻りました。
という具合に、
自転車の故障によりオルロ到着が1日伸び
さらにパスポートGETのためオルロ滞在が1日伸びる、
という何とも非効率な時間の使い方をしてしまいました。
ボリビアには壮大な自然の光景が待っており
早くそこに向かいたいのに、
無駄に足踏みをしているここ数日間でございます。
2024.12.24
【247日目 13,318km】
ボリビア入国2日目。
この時、すぐ後ろに世界遺産があることも知らず
首都ラパスを目指して進み始めます。
目指すラパスは
今日の出発地点から60km、
国境からはわずか
100kmの地点にあり
昼過ぎには到着できそう。
そこでしばらくゆっくりする予定。
集落にて早めのランチ。
マカロニパスタの上に乗っている
卵焼きのようなものは
実はチーズなんです。
塩気の強いしょっぱいものは
ペルーでもよく食べられていました。
街が近づくにつれ
緩やかながらも
上り坂になってくると同時に
風も吹いてきました。
ペダルを踏み込んでも
思うほどには進めない。
気が付けば徐々に建物が増え
ラパスの都市圏に
入って来たようです。
大都市だというのに
道は綺麗に舗装されておらず
かなり走りにくい。
放射状に広がるラパスの
核心部に近づくにつれ
車も建物もどんどん増えていく。
クラクションにイライラするけど
冷静さを失わずに
ゆっくりゆっくり。
途中では市場が開かれており
押しながら進むことに。
“泥棒市場”と呼ばれ
日用品から自動車パーツまで
どこかから盗んできたかのように
何でも売っているようです。
そしてようやく、
ラパス全体を見下ろす地点に到着。
昼過ぎの到着予定が気づけば夕方5時前になっていました。
すり鉢状に家々が広がるのがラパスの特徴。
標高4,000mの外縁から中心部へは標高500mも
下らなければなりません。
この時間から混雑した中心部に移動して
そこから宿を探そうものなら、
間違いなく日が暮れてトラブルに見舞われる気がするので
今日は外縁部分に宿を取ることに。
意外にすんなりホテルが見つかり
すぐにチェックイン。
個室で¥1,700と
まぁまぁ割安。
中心部ほど値段は跳ね上がり
個室なんておそらく取れないはず。
翌朝。
荷物をまとめて向かったのはこちら、
ロープウェイの駅。
高低差の激しいラパスの街では
市民の交通手段としてロープウェイが利用されているんです。
街はごみごみしてるけどここだけ近代的。
サイクリストにも嬉しいのが
自転車を乗せられる点。
通常乗車券(¥100)に加え
荷物と自転車分ということで
¥300掛かってしまいました。
でも貴重な経験だから乗っておきたかった。
A地点とB地点を
結ぶのみの単線ではなく、
いくつもの路線が市内の
あちこちに伸びています。
この時も初めて、ロープウェイの
乗り継ぎを経験しました。
ほぼ全面ガラス張りのゴンドラからは
まるで鳥になったように
ラパスの景観を楽しむことが出来ます。
遠くまで広がる都市空間は圧巻。
足元を見下ろすとヒヤッとするほど空高くを
程よいスピードで滑り降りる、
まさに空中散歩。
中心部に下りるなり
昨夜予約しておいたゲストハウスへ。
大きなリュックを背負った
各国からのバックパッカー達が沢山。
相部屋で¥900ほどと
かなりお安いです。
宿に着くと
洗濯、買い物、写真整理、ブログ
などやるべきことを効率的に
消化していきます。
昔は相部屋好きだったけど
自転車旅においては個室の方が良い。
片付けが落ち着いたら市内の散策へ。
ペルーと同じくコロニアル調の建築が目立つ「ラパス」。
100年以上前に政治闘争の末、
古都スクレから国政機能は移ったものの
今も憲法上の首都はスクレとなっているため、
国会議事堂などが集約されたラパスは
“事実上の首都”と言われています。
ロープウェイから見下ろすと
視界いっぱいに広がる都市も、
人口は意外にコンパクトで75万人。
そもそもボリビアの全人口が
1200万人ほどなので
やはり南米の中でも小さな国です。
すり鉢の底にあたる中心部までくれば
平地が広がると思いきや
どこを歩いても坂、坂、坂。
山の急斜面に発展した街だという
ことがよく分かります。
歩くのが一苦労。
食べ物や服装など文化圏としては
ペルーと重なる部分が多いものの、
街の雰囲気はより雑多。
どこにいても上を見上げると
複雑に絡んだ電線が。
溢れる“途上国感”。
街を散策していて印象的なのは
やはり空を移動するロープウェイ。
レンガ造りの伝統的な家々の上を
近代的な交通機関が行き交う様子は
これまでに見たことがありません。
普段は自転車で地を這うように
移動してばかりなので、
空からの視点はホントに新鮮。
場所によっては
見下ろす高さが怖いけど
滞在中は何度も乗ってしまいました。
そしてラパスの見所は、その夜景。
標高4,000mの世界一高い首都に灯る光が
遠くの山麓まで続く様はまるで河のよう。
うっすらと向こうに見える
6000m級の霊峰イリマニ山にも
神々しさを感じます。
旅行者を惹きつける強烈な見所はそれほどないラパス。
地元の人たちが利用する活気ある市場なども
散策しつつ、のんびり過ごしました。
ただこれから進むボリビアの道には
自然が織りなす圧倒的な絶景が数々待っております。
都会のバカンスを終えたら、いよいよ南へ!
2024.12.20
【246日目 13,252km】
ペルー最後の都市プーノでの滞在を終えると
次なる国ボリビアに向けて走り始めます。
出発の朝は市場をやっていて宿の前が出店と人だらけ、
まともに漕げない。
目指す国境はわずか150kmほど。
明日には越えられるだろう。
山との格闘ばかりだったペルーも
結局クスコ以降は
わりと平坦な道ばかりで
最後までのんびり進めそう。
雨季ということで心配していた道中も
ひどく降られたのは一回だけ。
日本の梅雨のように
朝から晩までずっと雨
なんてことが無いのが助かる
南米の降り方。
プーノを出てからというものの
交通量がそれなりにあって
しかも路肩も狭いので
落ち着かず後ろを気にしている状態。
大きい街があるワケじゃないけど
家屋も絶え間なく点在してます。
夕方5時過ぎに
“ポマタ”という集落に到着。
晩御飯はチチカカ湖で
獲れたばかりのトゥルーチャ(マス)。
料理法が“揚げる”しかないのが
寂しいけど、美味しいです。
湖畔の原っぱが安全だよ、
という地元の方のアドバイスに従って
テントを張ることに。
まだ標高4,000mの高さだけど
夜中も寒くならないのが不思議。
気持ち良く眠れました。
プーノ出発2日目。
パッとしない曇り空の下、
いよいよ国境に向けてラストスパートです。
ふと道路の横に掲げられた
カカシにびっくり。
人間のカタチすぎて
ほんとに一瞬ドキッとしました。
もっとコミカルで可愛らしく
作って欲しい…。
雨も風もなく
穏やかすぎて淡泊に感じるほど
何もない道が続きます。
山の向こうには
次なる国が待ってると思えば
ちょっと興奮してくる。
そしてこの日の出発から40kmあまり走った所で
国境の街“デサグアデロ”に到着。
一か月あまりにおよんだペルーの旅もここで終わりです。
まだ昼には早いけど
ペルー硬貨を使い切るためにも
屋台にて食事を。
最後のメニューは魚のマリネ
“セビーチェ”となりました。
さっぽりとして美味しい。
そして遂に越境の時。
ゲートの横に出入国審査の事務所があり
まずそこでスタンプをもらいます。
行列もなくパスポートを見せて
3分もかからず
あっという間に手続き終了。
両国の間にはチチカカ湖へそそぐ
川が流れており、これが
そのまま国境になっています。
人の行き来がかなり多いようで
緊張感もありません。
ワクワクしながらゆっくり渡る。
橋の向こう側のゲートをくぐれば遂にボリビア突入。
ペルー出国時と同じようにパスポート手続きがありますが
こちらも滞在予定など簡単な質問に答えて3分で終了。
日本のパスポートだと30日までビザ無しで滞在可能です。
旅を通じて35ヵ国目となるボリビア。
ペルー、ブラジル、アルゼンチンなど
南米を代表する国々に囲まれつつ
若干地味な印象があるかもしれないけど、
世界を巡る旅のなかでも
最高の絶景に出会える予感がする国なんです。
国境を越えるとまずは両替。
ソル(ペルー)から
ボリビアーノへ換金するのですが、
おばちゃんの提示する金額が
どうにも計算と合わない。
僕が得をしてしまうのが逆に怪しい…。
これは後日分かったのですが、
南米でも決して経済力の強くないボリビア。
自国通貨ボリビアーノに対する信頼が低いらしく
隣国ペルーのソルを持ち込むと公式レート以上の価格で
換金してもらえることが多いのだとか。
事前に分かってればもっとソルをおろしといたのに…。
首都(実質)のラパスまでは
100kmあまり。
明日には余裕をもって
到着できる距離。
まだ時間も早いので今日のうちに
少しでも距離を縮めておきます。
国が越えるたびに毎度
思わされるけど
国境が変わっても景色なんて
ガラッと変わるもんじゃないです。
湖の畔の平原は
どこまでも果てしなく続いている。
一時間走ったところで集落へ。
セビーチェだけじゃ足りないので
食堂に駆け込みました。
出てきたのはペルーと変わらない
トゥルーチャ(マス)。
景色も一緒なら食事も一緒。
ヒヤッとしたのが
たむろする町中の野良犬の数。
ここまで集まると迫力がある。
でも、ワンワン吠えてくるのって
縄張り意識の強い
飼い犬の方ですけどね。
越境後にはっきりと
変わったのが道路事情。
アスファルトが波打って
まぁ漕ぎにくい。
アフリカでも感じたけど
経済力は道路に出ます。
午後3時に「ティワナク」という
小さな町に到着。
まだ漕げるけど、明日には
余裕を持って首都に着けるし
“キャンピング”と書かれた看板に誘われ
今日はここまでとすることに。
敷地内のテント泊が¥600。
ペルーからは宿も安いから
さほどお得でもないけど
温水シャワーを浴びれたから
よしとする。
「ルイスさん」という男性に
中へと導かれると、
ただのキャンプ場ではなく
近辺の発掘品を展示する資料館
だということがわかりました。
骨や石器など様々な展示品。
日がくれた頃に町の中心にある食堂へ。
出てきたのはシンプルに
豚を焼いたもの。
牛もあったけど
自転車で疲れた後には
豚が体に染み渡るんです。
翌朝、出発前に撮影させてもらった
ルイスさん(右)と共同オーナーのオウグスティンさん(左)。
実は後日、首都に着いてから衝撃の事実を知ったのですが
この町には世界遺産にも登録される
古代ティワナクの遺跡があったそう。
「いやルイスさん、教えてよ!」と思いつつも
自分の予習不足を嘆いたのでした。
2024.12.16
【242日目 13,056km】
国境付近の街プーノを目指し、クスコを出発して3日目。
温泉の真横で目を覚まし、冷え切った空気の中
ザブンと湯気の立ちこめるプールに飛び込みました。
南米大陸で味わえると思っていなかった朝風呂で
しっかり整うと今日もペダルを漕ぎ始めます。
前日から登り始めていた
上り坂の続きを進みます。
朝ということもあり
車もほとんど通らず
薄く雲がかかった山を眺めつつ
のんびり漕いでいく。
遠くの山の頂上には
ほんのり雪も積もっています。
南半球なのでこれから
夏を迎えるわけだけど
南下する分寒くもなっていくだろうか。
ペルーは服の調整が大変です。
走り始めて1時間の所で
標高4,300mの峠に到達。
同じ4,000m越えでも
クスコの手前の頃ほど
寒くないのが不思議。
地理によって気温がだいぶ違うみたい。
峠を越えると
緩やかに長く続く下り坂を
滑り降りていきます。
日が昇ると一気に気温も上がり
出発時に着込んだ
ジャケットが暑く感じてくる。
通過した集落にて
ちょっと早めの昼食。
地図で確認する限り
村や町が等間隔で現れるようなので
食料をほとんど運んでおりません。
屋台の多い国はこれだから助かる。
ここしばらく豚の煮込み
“チチャロン”ばっかり。
他に選択肢も少ないんだけど
鍋でグツグツ煮てる調理風景が
美味しそうに見えるんですよね。
ジャガイモと一緒に食べます。
朝に峠を越えて以降、延々と平坦な道が続きました。
だだっ広い平原にポツポツ村が現れる程度で
ペルーでここまで平らな道は初めてというほど。
結果、夕方5時頃に
ある町に着いたけれど
手ごろな宿が見つからず。
「まぁどっかでキャンプしよ」
と気楽に構えてたところ
水が無いことに気付く。
商店のある集落を求めていると
結局、夕暮れ直前になってしまいました。
集落の真ん中の広場に
テントを張っていい、と許可を
もらったのでありがたく
ここで寝させてもらうことに。
食堂すらない小さな村なので
夕食は久しぶりの
インスタントラーメン。
肉っけの強い食事が続いてるので
なんだか寂しい。
でも、これから自炊が増えるはず。
クスコ出発4日目。
プーノまではわずか100kmと
今日のうちには到着できそうです。
この日も朝から
まっ平らな道を行きます。
嬉しいのが風がさほど強くないこと。
ただでさえ変わらない景色で
向かい風が吹くともう最悪。
ペダルを漕ぐのが苦役になります。
クスコまでの道は
変化に富んでいたぶん
ここ数日の景色を
退屈に感じてしまう。
それでも広大な平原は見てて
気持ちが良いんですけどね。
ちょうど昼頃に「フリアカ」という、割と大きな町に到着。
食事をしよう、と思ったけど
車が多く巻き上げる砂が酷くて屋台では食べられず。
なんかゴミゴミしてせわしない街なんですけど…。
結局、10kmぐらい走って
街の反対側の郊外に出たところで
やっと食事にありつける。
ここまでのどかだったのに
ここに来て急に道路も町も
騒がしくなってきました。
午後からも引き続き
フラットな道を走ります。
そういえばクスコから連日
続いていた雨が降らなくなりました。
天気に左右されず
このまま予定通りプーノに着けそう。
プーノも近いということは
国境も近いということ。
ペルーは人も食事も素晴らしく
大好きな国だけに
寂しさが込み上げる。
最後まで味わい尽くそう。
そして最後の10kmで小高い山を越え、
午後3頃「プーノ」に到着です。
クスコから予定していた4日間で
無事着きました。
ここから一気に街の中心へと
滑り降りていく。
左手には高所に位置する淡水湖として有名な“チチカカ湖”。
湖畔の街ということで勝手に平坦をイメージしていましたが
プーノは山肌まで広がる起伏の多い都市なようです。
滞在中に上り下りしたくなので
なるべくフラットな湖寄りに
宿を取りたい。
街の全体像も分からないけど
とにかく坂の下を目指して
進んでみる。
宿探しの前に、屋台の
フレッシュジュースで喉を潤す。
健康的な気がするけど
果物の果糖だって
摂りすぎはよく無いんですよね。
でも美味しいから飲む。
中心部を少し離れた
湖の近くにホテルを発見。
1泊¥1,400ほどで
それなりに綺麗な部屋なので
他と比べることもせず
早々とチェックインします。
水辺の街・プーノの見所はもちろん「チチカカ湖」。
その大きさはなんと琵琶湖の12倍。
標高4,000mという高所に
これだけの規模の湖が存在するのはまれだそう。
ただプーノの街は少し奥まった入江の畔にあるので
かなり沖合に出ないとその大きさは実感できないんです。
到着翌朝には
早速ボートに乗って
観光に出かけてみました。
波のない穏やかな水面が
景色の向こう
どこまでも続いています。
港から40分ほどでやってきたのが
チチカカ湖名物の“ウロス島”。
島の上には枯草でつくった家がいくつか見えています。
島とは呼ばれるものの、実はこちら
人の手によって作られた“人工島”。
およそ500年前、
スペイン人の侵略を逃れるため現地の人たちは
暮らしの場所を湖上に求めたのです。
独特のライフスタイルは
今でも継承されており、
付近に浮かぶ120の島々に
2千人近くもの人が暮らしています。
これらの島々を総称して
ウロス島と呼んでいるそう。
観光ツアーに参加すれば
一つの島に降り立つこともできます。
ボートが近づくと
現地の女性たちが慣れた手つきで
島へと手繰り寄せてくれます。
無事ゆっくりと着岸。
1つの島には多くて
5世帯ほどが暮らし、
漁業と観光を柱に
生計を立てられているのだとか。
小学生までは湖の上の学校で
勉強するんですって。
島の地面を形成するのは
“トトラ”という葦の仲間。
これを縦横交互に敷き詰めて
湖に浮かべます。
流されないよう石の錨で
固定しておくそうです。
数トンにも及ぶであろう島は
とても安定していて、
ボートのようにプカプカと
水面を浮いてる感覚は無いですが
踏み込むと柔らかく沈み込むのが
独特な感触。
観光ツアー用ではない
一般住居用の島も遠目に
見ることが出来ます。
ペルー出国直前にして
また一つこの国ならではの
文化を目の当たりにできました。
チチカカ湖以外には街中に目立った見所は無い様子。
ただ休養も兼ね2日休んで出発する予定が
疲れが上手く取れずもう1泊することに。
酸素が薄いことも疲労回復に影響するのだろうか…。
もうすぐペルーを出るということで
“これだけは食べておかねば”と
レストランに駆け込んで注文したのが
国を代表する珍味“クイ”。
ある動物を揚げたものですが
わりと姿そのままですね。
空飛んでるみたい…。
正体はネズミ(モルモット)。
これまで通過した町の市場にも
売られていて、
国を代表する珍味だとは
聞いておりました。
最後に食べられてよかった。
味や肉質は鶏に近いでしょうか。
かなり淡泊ですが
栄養価はとても高いそう。
一人分でおよそ¥2,000と
高級食材として扱われるみたい。
ペルーへご旅行の際はぜひ。
もう一つプーノ近郊地域の名物料理が“カンカチョ”。
到着2日前頃からそこらじゅうのレストランの看板に
書いてあったから気になってました。
これが何かというと“子羊の骨付き肉”で
スパイスに漬けこんでオーブンで焼いたもの。
感想はというと、
肉は柔らかくて塩気の効いた味がガツンときて
もう本当に絶品。
ペルーは肉料理全般がとても美味しいです。
これで気になるペルーの料理は網羅したかな。
胃袋から満足できたらいよいよ次の国へと向かいます。
2024.12.12
【239日目 12,826km】
観光と休養のため、クスコにはたっぷり一週間の滞在。
これ以上休んでしまうと体がなまってしまうので
準備を整えると久しぶりにペダルを漕ぎ始めます。
ここから目指すは国境付近の街「プーノ」。
クスコ周辺の交通量が
予想より少なかったことに加え
緩やかな下りが続いたこともあり、
思いの外スムーズに郊外へ。
休み明けの出発前は気分が重いけど
スタートすればいつも通り快調。
と思いきや、出発1時間で
南米での初パンク。
クスコの宿周辺を抜ける時
階段が多かったので
おそらく“リム打ち”だと思われる。
30分でスムーズに対処。
クスコまでの道のりは
過酷な山道ばかりだったけれど、
ここから国境までは
割と平坦な道が続きます。
それでも標高は
3,500m程度の高原地帯。
道の脇を見上げると
高層マンションの
ミニチュアのようなものが。
実はこれらはお墓なんです。
それぞれが小さな家のような形で
なんとも可愛らしい。
昼頃に通りがかった街でランチ。
屋台で見つけたのは
豚の揚げ焼き“チチャロン”。
脂ギッシュで重いけど
疲れてお腹ペコペコの時には
食べ応えバッチリなんです。
クスコまでの道もそうであった様に
午後から厚い雲が広がる
雨季のペルー南東部。
ゴロゴロと雷もなってきたけど
プーノまでの旅程を考えると
もうちょっとだけ進んでおきたい。
午後3時頃、「クシパタ」に到着。
空模様を眺めつつ
どこまでいけるか考えていると、
とたんに大雨が降り始めました。
食堂も宿もひと通り揃っている様なので
今日の所はここでステイ。
¥1,000で十分良い部屋を
見つけられました。
これでちゃんとWi-Fiもついてるから
ありがたい。
移動中は極力宿は避けたいけど
雨なので仕方ありません。
クスコ出発2日目、まずは屋台にて朝食。
最近は“シエテ・セミージャ(7つの種)”
という飲み物にハマっています。
ペルーのどこでも飲まれている定番ドリンクで
“トウモロコシ、オーツ麦、キヌア”など
穀物系がミックスされた健康的な飲み物。
昨日の夕立から打って変わって
気持ちの良い青空が広がる朝。
でも今日もどうせ
午後から降るんだろうなと、
空模様を疑い午前中のうちに
出来る限り漕いでおく。
急斜面が減り平地が増えたぶん
耕作地も増えたように感じます。
トウモロコシを中心に
様々な作物が育っています。
こんな景色を見ると
日本の田舎みたいだと思う。
気温は20℃を少し
越える程度でしょうか。
標高が4,000mに近づいても
全く寒くはないです。
そういえばこの高さまできても
頭痛もしなくなったな。
昼頃には「シクアニ」という街に到着。
ランチ休憩にオレンジジュース。
一緒に走ったアウレリオさんが
好きだったこともあって、
最近フレッシュジュースに
ハマりすぎています。
“さぁ、午後の部スタート”
というタイミングで
途端に大雨。
街中だったのが幸いして
お店の軒下で雨宿り。
30分程度、空を眺めて休憩です。
クスコで買っておいた“コカキャンディ”。
これから標高が少し上がるので
いちおう高山病対策です。
ほんのり甘いお茶の味が美味しいけど
ヤベェ白い粉の原料になるコカの葉が
由来なので日本には持ち込み不可。
雨が上がって走り始めた道は
緩やかな上り坂。
力を込めずのんびり漕げる程度だけど
久しぶりに標高4,000mを
越えていきます。
呼吸を整えゆっくり進む。
午後5時、何とか着きたいと
思っていた場所まで来られました。
道路脇の看板には
“アグアス・カリエンテス”。
アグアス(水)、カリエンテス(温い)。
水、温かい。…温かい水。
そう、やってきたのは「温泉」!
リマの日本人宿桜子のナツキさんより情報を得てから
ずっと楽しみにしていた場所なんです。
“熱め、普通、ぬるめ”
と温度別に分かれた
いくつもの露天風呂。
茶色に濁ったお湯からは
ほんのり硫黄の匂い。
正真正銘の温泉です。
目の前には雲のかかった
アンデスの山々。
何にもない田舎だから
お客さんもまばらで
ほぼ貸し切り状態。
ここは天国なのか…。
入浴料は¥320、
敷地内のテント泊が¥200。
入湯税なんてもちろん無し。
あちこちからのぼる
湯気を見るだけで何とも幸せ。
ここは天国なのか…。
「どうせ海外の温泉だし、ぬるいうえに
子供がばしゃばしゃ泳いで、しかも色々浮いてんでしょ…」
と過剰な期待はせずにやって来たのですが
実際には本物の天国でした。
午後6時を過ぎ空気もひんやりし始めたところで
熱めのお湯に浸かる。
「あ゛ぁぁぁ…」
半分のぼせたぽかぽかの状態でそのままテントへ。
旅史上最高の野営地となりました。
2024.12.8
【236日目 12,651km】
クスコに到着してから、
まずすぐに向かったマチュピチュ観光。
そして、
バス酔いに苦しみつつも空中都市の絶景を満喫し
小旅行からクスコに戻った翌日。
僕は性懲りもなくバスの車内で
揺られておりました。
朝4時半にクスコの中央広場にて
予定のバスに乗り込み、
また別の観光地へと向かっています。
観光都市クスコからは行ける場所が多く
まともに休むこともせず
せっせと観光に勤しむ。
日帰りツアーは
嬉しい朝食付き。
観光立国とあって
ペルーのパックツアーは
“やり方を知ってる”という
感じがすごくします。
マチュピチュに向かう時は
散々苦しんだバス酔いですが、
同じく山道を走った今回は全く問題ありませんでした。
あの時は自転車走行の疲れがあったからだろうか、
コンディションが良くなかったみたいです。
10時半には目的地に到着。
向かう先はまた山の上。
杖を突きながらせっせと歩き始めます。
スタート直後から
ゴールの山頂は見えており、
「こんなの余裕ですぐ着くじゃん」
という考えが甘かった。
出発地点の標高4,600mは
すでに低酸素地帯。
標高5,000mオーバーの山頂はすぐ見えているのに
すぐに呼吸は乱れ、足が重く動かない…。
「はぁ、はぁ…」と必死に体に空気を取り込む。
下りる人は意気揚々だけど
登りの人は杖に体を預け、
年齢問わず皆
おじいちゃんおばあちゃんに
なったかのよう。
これはこれで良い経験です。
1時間ほど歩いたところで
頂上付近に到着。
景色を楽しむ前に
食べ物を売っているので
腹ごしらえをしておくことに。
鍋で何かがグツグツ煮られている。
鍋の中身は“アルパカ肉”でした。
塩気が強いけど
疲れた体にしょっぱさが効く。
噛み応えもあって
例えるなら豚に近いでしょうか。
着ても、食べても嬉しいアルパカ。
アルパカを食べ終えて登った頂上から
臨むのはビニクンカ山、通称“レインボーマウンテン”。
地中に含まれる鉱物成分が
独特な模様を生み出しています。
出回ってる写真が過度に編集されてるだけで
「実際大したことないんでしょ?」と斜に構えてやって来ましたが、
いざ目にするとかなりしっかりレインボーしてます。
この写真も明るさしか調整していないんですよ。
実は発見されたのがここ十年程度で
まだまだ新しい観光名所だそう。
日帰りでさくっと参加したツアーだったけど
期待を越える満足感でした。
マチュピチュ、レインボーマウンテンと
目当ての観光を終えるとやっと一息ついて
クスコの街でゆっくりする時間がつくれました。
街の中心にずっしりと構える
大聖堂や周囲の建物からは
スペインからの影響を強く感じます。
イタリアでもなくフランスでもなく
スペインなんですよね。
何かが違うんだけど、知識がない。
山間部とあり斜面の多いクスコ。
遠くの山肌にまでびっしりと
張り着いたように家々が広がる様子は
やはりヨーロッパではなく
南米大陸なんだと気付かせてくれる。
赤茶色の屋根も特徴的です。
インカ帝国の古都とあって
首都リマよりも風情を感じます。
人も建物も多いんだけど
どことなく落ち着きがある。
高所ならではの空気の冷たさもあり
心地の良い滞在になっています。
お世話になったコチラの宿も
傾斜の急な階段の途中にあります。
日本人旅行者に人気で、オーナー夫婦も
単語レベルだけど日本語を知っているのが嬉しい。
マチュピチュ観光など出たり入ったりだったけど
自転車や荷物を置かせてくれて、
何かと心配りをくださいました。
コロナを機に日本人客が
めっきり減ったそうで
他のお客さんも
ほとんどいませんでした。
オフシーズンってのもあるだろうけど
おかげで静かに過ごせます。
宿のテラスから見下ろす
クスコの夜景。
毎晩パレードをやっていたり
花火があがったりと
ほどよい賑やかさでした。
クスコの雰囲気は好きです。
クスコで一番のご馳走はコチラ、
豚のバラ肉を1枚ずつ焼いて食べる
インカ文明の伝統料理「サムギョプサル」。
さらに牛肉などの具を包んだ巻き寿司、
「キンパ」というペルーの国民食も美味しかった。
※冗談ですからね。
めったにないご馳走だけに
キムチチゲと本気で迷ったけど
正しい選択でした。
豚の焼肉って最高に美味しい。
日本に帰ったらホットプレート買って
家でやろっと。
ちなみにクスコ直前で一度別れた
武藤さんと合流して食べに行きました。
これから向かう方向は同じですが
それぞれのペースを尊重して
別々に走っていきます。
お互い良い旅しましょう。
ペルーの料理が不味いワケでなく
むしろものすごく美味しいのですが
たまには胃袋だけ一時帰国したく
なるときがあるんです。
別の日にやってきたのは
和食レストラン“きんたろう”。
注文したのはこちらの“カツ丼”。
見た目は「んっ!?」と思ったけど
味は確かなもので大満足。
やっぱりだしの味って
取って代わるものが無いんです。
幸せの味がしました。
ペルーの飲み物として大定番なのがコチラ、
屋台でもどこでも置いている飲み物「チチャ・モラーダ」。
ある原料を煮出してさらに砂糖をしっかり入れており
コンポートみたいで甘くて飲みやすい。
食事にタダでついてくることもあります。
その原料とは日本で見ることのない
“紫トウモロコシ”。
ジュースやスイーツのみに
使われるそう。
見た目にギョッとするけど
ペルーのどこにでもあります。
さらにはフレッシュジュースも
とてもポピュラー。
クスコに限らず市場に行けば
搾りたてのミックスジュースが飲めます。
¥200ほどと凄く安いワケじゃないけど
連日飲んじゃいました。
パパイヤやパッションフルーツなど
南国系の果物も一般的。
どこで飲んでも美味しいです。
日本帰ったらミキサー買って
ミックスジュースのある日々を
送ろう。
印象的だったのはこちらの「チチャ・デ・ホラ」。
道中の小さな村でも見かけた
とても一般的な飲み物でございます。
濁った茶色をしてますが、原料はやはり“トウモロコシ”。
発芽したトウモロコシから麦汁を抽出し
発酵させて作るそうですが、アルコールは含んでいません。
別名“コーンビール”とも言われる通り
後味はノンアルビールを飲んだ気分の不思議な飲み物でした。
気が付けばペルー旅も終盤に突入。
景色にグルメに、最後までたっぷりと味わっていきます。