2019.09.20
【477日目 19,708km】
コログウェの町で1日休むと
次なる町「モロゴロ」を目指し、
再び南へ向かって走り出します。
ヨーロッパやモロッコと違って
観光都市が乏しいアフリカの国々。
ひたすら走っては休んでの繰り返しになりそうです。
町を出ると2つに分かれる道。
どちらを通っても目的地に向かうのですが
交通量の少ないであろう田舎道(右側)へ進むことにします。
路上のオレンジ商人。
真っ二つに切って
果汁を搾り取るように
かぶりつくのが
タンザニアの食べ方の様です。
天気はあいにくの曇り空。
気温は20~25℃でしょうか。
アフリカ大陸に関しては
来た時期が良かったのか、
サハラ砂漠といい
快適な気候を満喫してます。
小さな村で昼食休憩。
店先ではおっちゃんが
生肉の骨をぶつ切りにすべく
勢いよく包丁を振り下ろしています。
ワイルドなアフリカ流の調理。
ふと横を見ると
無残なヤギの姿が!
しかし、これも生きるということ。
感謝の気持ちを抱いて
いただきます。
ガスはなく
薪を燃やして屋外で調理されていく
ヤギの肉。
保健所の監査が入ったら即アウトでも
これがアフリカンスタイル。
トマトと煮たヤギ肉は
ごはんとの相性ピッタリ。
いくつか村を訪ねてきましたが
タンザニアにおいて、
お米はかなり広く
食べられているようです。
午後から走行再開。
この日はゆるやかに600mほど
標高を上げていく行程。
水を運ぶ少年も
長く続く上り坂に苦戦してるよう。
このあたり山中なので
平坦な道は無く
常に上るか、下っているか。
15時過ぎ頃、
この日の目的地ハンデニに到着。
出発したコログウェからは
60kmほど。
村には安宿が多くあり
適当に決めたところにフラッと
入ってみることに。
寝床の心配しなくていいのは
本当に楽です。
大きなベッドで蚊帳も付いて
¥500。
とにかく安いので
複数の宿の値段を聞いて回ることすら
していません。
ただ、
シャワーやトイレの蛇口をひねっても
水は出ず。
貯水槽からバケツでくみ上げた
冷たい水でこの日の汗を
洗い流しました。
コログウェ出発2日目。
村を離れると激しいアップダウン。
大きなトラックが往来する主要道ではないので
傾斜はお構いなしで急なんです。
そして出発から5kmほどで
オフロード(未舗装路)突入。
事前に把握はしてたけど
いざガタガタ道を走ると
気が滅入る…。
オフロードを走り始めて
わずかのところで小さな集落を発見。
声を掛けられたので
ちょっとだけ覗いてみることに。
イスを勧められ、出てきたのは
アンダージ(タンザニア版ドーナツ)。
村を通過するたび
そこらじゅうで揚げているのが
目に留まります。
ゆっくり休ませてくれない
幼い子供たち。
一定の距離以上近づいては来ないけど
こちらに物凄く興味を持ってくれてるのは
伝わります。
再び走り出し
いよいよ道は山の中へ。
スムーズには走れないけど
車の数が少ないので
相当気持ちが楽です。
さらに昼頃には別の村を発見。
食事を求めて立ち寄ることに。
しかし、ここでも出てきたのは
アンダージ。
ショウガたっぷりのチャイ(紅茶)
と一緒に頂きます。
このあたりかなりミツバチが多く、
ぼーっとしてると
甘いチャイのカップはハチだらけに。
自分で寄ってきといて
自分でおぼれていくんです。
ハチは賢いと思ってたのに…。
またもや集まってくる村の子供たち。
写真は少し怖いけど
カメラにも興味はあるみたい。
慣れると少しずつ色んな表情を
見せてくれる彼ら。
この日もあいかわらずのアップダウン。
交換したばかりのブレーキも
あっという間に
すれ減っていきそうです。
この日も60kmほどをはしって
比較的大きな村「ニゲロ」に到着。
見つけた宿はなんと¥250。
先日泊まったケニアの¥300という
最安値記録をあっという間に
更新してしまいました。
これがどこまでも続きますように。
村の中心では
サッカーに夢中の青年たち。
グラウンドが斜面だろうと
平気でプレーしています。
服脱いでやってる人たちもいるんですが
驚くべきはその筋肉。
やっぱりアフリカ系の肉体美は
ほかの人種とは異なるものがあります。
さらに村を歩いて食事探し。
路上で売っていたのは
キャッサバといわれる芋。
地理の授業で習ったけど
実際に目にするのは初めて。
トマトとタマネギの酢漬けを挟んで
いただきました。
サツマイモと山芋の間のような
食感でしょうか。
芋だけでは足りず
加えて牛肉を食すことに。
ヤギばかり食べてると
やっぱり牛の美味しさが分かります。
お腹にガツンとくる
抜群の食べ応え。
こんな感じで小さな村を転々としつつ
タンザニアの山間を進んでます。
動物たちまであと少し…。
2019.09.16
【474日目 19,582km】
ケニアのナイロビから走ること3日。
あっという間に隣国への国境到着です。
やってきた25ヵ国目は「タンザニア」。
最高峰キリマンジャロのみならず
各地にある国立公園でのサファリツアーなど、
豊かな自然を活かした観光が世界的に有名なこの国。
ケニアと同じくスワヒリ語が話されており、
植民地時代以前のアフリカ古来の文化を
色濃く残す国でもあるそうです。
国境の向こう側の道路は
とても綺麗に整備されています。
山の中にもかかわらず
民家は途切れず続いていました。
カメラを向けると
喜んでポーズをとってくれた
この子たち。
見慣れぬ外国人に
興味津々なようです。
とにかく上がっては下る
の繰り返し。
ナイロビから3日続けて走ったこの日は
もうヘトヘト。
サハラを乗り越えた体力が
もう確実に落ちてます。
入国初日に着いたのは
山間の小さな村「マシャティ」。
ひっそりとした村には不似合いな
あまりにも綺麗なホテルを発見。
どうせ高いだろうなと思いつつ
値段を尋ねると
1泊¥750!
即決でした。
翌朝目覚めると、
体がベッドに縛り付けられたのではと
錯覚するほどのヒドい筋肉痛。
予定変更でもう1泊しました。
筋肉痛と疲労で
終日なんにもできず…。
だいぶ疲れも癒えたさらに次の日。
天気も良いし、
はりきってタンザニア走行2日目スタートです。
キリマンジャロ山麓を越えるまでは
とにかくアップダウン。
少しづつギアを上げたいのに
タンザニアなかなか手ごわいです。
昼前に小さな食堂でドーナツ休憩。
右の飲み物はコーヒーではなく
タンザニアの人が
日常的に飲んでいるチャイ。
ショウガ入りの紅茶で甘みたっぷり。
健康にも良さそうです。
山麓を降りきった午後からは
南東に伸びる国道をひたすら走ります。
主要道路の割には
交通量はまばら。
落ち着いてのんびり走ることが
出来ました。
道すがら存在感を放つのは
バオバブの木。
「星の王子様」に出てくるやつです。
どこか怪しげで、でも美しさのある
素敵なフォルムが好きです。
途中から
パイナップルゾーンに突入。
収穫作業を思うと
途方もない広さですが
目の前一面に広がっていました。
道路は最近工事が行われたのか、
赤ちゃんの頬っぺたくらい
滑々でなめらか。
多分いつまでもは
続かないだろうけど…。
100kmを走ったこの日は「ムガガオ」に到着。
タンザニアは小さな集落でも
割と宿泊施設を備えてくれているようです。
WiFiはないけども、
その他には非の打ち所がないような
部屋なのに¥750。
¥2,000が最安値だった
西アフリカとの違いは
何なんだろう。
タンザニア走行3日目。
宿の前の兄ちゃんに
「喜望峰まで行くのか?!スゲぇな!頑張れ」と
気持ちよく励まされてこの日も漕ぎ出します。
「強風注意」の看板。
この注意書きの通り
この日は(翌日もだけど…)
絶え間ない向かい風に
悩まされました。
キリマンジャロ山麓を離れてから
緩やかな起伏がありつつも
基本的に道は平坦。
写真を見返しても変わり映えせず
これどこだろう、というよな
風景が延々と続きました。
砂漠をずっと走ってたとき
よりましだけど
頭がボーっとしてくる。
それでもただ黙って
漕ぎ続ける。
この日は「ムコマジ」という村の宿に宿泊。
そして、
ここでちょっとしたトラブルが発生してしまいます。
宿のおばちゃんとひと通りのやり取りして部屋へ向かうと
廊下には2台の自転車が。
ノックすると出てきたのはニュージーランド人のカップルでした。
僕とは逆で、南アフリカからエジプトまで北上しているそう。
「あとで一緒にご飯食べよ」と告げ
それぞれの部屋へ向かいます。
荷物整理も済ませて
ベッドでリラックスすること
30分ほど。
誰かが僕の部屋をノックしてきました。
そこにいたのは現地人であろう
黒人のおっちゃんたちが5人ほど。
地元の自治体を名乗る彼らが言い出しました。
「君まだ、宿の帳簿に名前とか記入してないよね?
情報を記入せずに部屋に入ることはタンザニアでは違法だから。
隣のニュージーランド人もそうだけど、
罰金として約3万円払ってもらうよ」
確かにまだ帳簿記入も支払いもしてなかったのですが、
“なんじゃそのめちゃくちゃな罰金、怪しい奴め…”
と心の内に秘めつつ、
「そんなルール聞いたことないし、そもそもアンタら本物?
仮にそんな決まりあったとしても
説明してない宿の責任だと思うんですけど…」
ふと宿のおばちゃんを見ても
英語で話す僕らのことを理解できず
オロオロと戸惑った様子。
どうやらグルではなさそう…、多分。
そして会話を聞いた隣室の
ニュージーカップルも参戦。
特に彼女がヒートアップ。
「そんな罰金、どこの国だって
聞いたことないわよ!!」
奴ら:
「とにかく支払い義務は
宿じゃなくて、客である君たちにあるから。
すぐに払いなさい。現金で」
こっち:
「ルールがあるなら規定が書かれた書類持ってきてよ。
その上で、大使館に連絡とって
支払い義務があるって言うなら払うよ」
途中から同じことの繰り返しになりはじめた会話が
続くこと20分ほど。
ついに彼らは「やれやれ」という顔をして
引き上げていきました。
彼らが本物の公的機関で
僕らが本当に違反してたならば、
警察に連れて行ってでも支払いをさせるはず。
というか、
“帳簿への記帳をしてないだけで罰金”というのも
やはりあり得ないので
彼らはどう考えても金目当てのペテン師集団。
「とにかく変な奴らだったけど、
上手く撃退できて良かったね」と
一緒に食事を済ませて気持ち良く眠りにつきました。
タンザニア走行4日目。
逆の方向へ向かう“エマさん&カイルさん”
とはお別れ。
お気をつけて、良い旅を!
道に戻ると再びパイナップル畑。
でも実はなってないみたいです。
夏の果物だから
南半球ではあと半年後だろうか。
タンザニアのパイナップル
めちゃくちゃ美味しいらしいです。
アフリカで初めての水田を発見。
確かに皆お米たくさん食べてます。
泥が混じったような匂いと、
風に揺れる水稲の音。
祖国を思い出します。
あぁ、日本…。
謎の看板発見。
耳に斜線。
「しっかり聞け!」なのか
「何も聞くな!」なのか。
というか、
ホントに耳なのか。
少しづつ海が近づいたこのあたりで
初めての川に遭遇。
水があって緑が豊かで、
もうすぐ出会える野生動物たちの
声が聞こえてくるよう。
この日は80kmを走って
「コログウェ」到着。
同じような景色を
漕ぐこと数百km。
疲れました…。
ビルなんてないけど
タンザニアでは初めての町らしい町に着きました。
ちょっとこの町でひと休みです。
2019.09.13
【470日目 19,252km】
飛行機でやって来たケニアの首都・ナイロビ。
3日ほど休みつつ準備を整えると東アフリカの旅の始まり。
ここから南アフリカ・喜望峰を目指して走っていきます。
ちなみに、ダカールからナイロビへ空路移動した際に
気づくと赤道を越えてしまってました。
ということでここからは
季節も逆転の南半球ということになります。
曇り空の下、漕ぎだしたのは
南東へと向かう幹線道路。
そしてなんと、
中国を出発して24か国目のケニアで
ついに初めての左側通行!
愛する祖国・日本と同じだけど
1年以上右側走ってたので
違和感が物凄い、すごく走りにくい…。
首都ナイロビ付近とあって
交通量はかなりのもの。
気をつけて進まねば。
運転マナーが悪いということはなく
スピード出しまくるドライバーも
いないようです。
休憩によったガソリンスタンドで
日本製品“レモンウォーター”を発見。
スポーツドリンク的な飲み物が
海外は少ないので
こういうものがもっと普及してほしい。
昼に食堂で食べたのは「ウガリ」。
コーンスターチ(トウモロコシの粉)を
水で練って焼いたもの。
ケニア以南のアフリカでは広く食べられる主食だそうで
国境を変えるたびその呼び名を変えながらも
これから度々お世話になりそうです。
あまり味はなく、
付け合わせの肉や野菜と一緒に食べるのが定番。
午後からは青空が広がり
車の量も減って
気持ちの良い景色を
のんびりと走っていきました。
意外とアップダウンのあったこの地域。
西アフリカのサハラはほとんど
起伏がなかったので
足がなまってます。
登りがしんどい…。
道路脇には絶えず家々が立っていました。
自転車漕いでるとすごく目立つのですが
ケニアの人は皆
明るく声を掛けてくれたり
手を振ってくれたり。
初日から気分が良いです。
ひたすら幹線道路を110km走ったこの日は
「エマリ」に到着。
道路脇に宿を発見。
ケニアでは初めての宿泊なので
相場が気になりますが…
なんと1泊¥300!
お湯も出るし、蚊帳もついてるし
トイレットペーパーもタオルもついて
たったの¥300!
タダの野宿は何度もしてきたけど
宿泊施設としては最安値です。
夕食は近くの食堂でピラフ。
ケニアでは割と定番メニューな様です。
野菜もしっかり添えてあって
これが¥250。
ケニアは激安王国なのか…。
好き。
ナイロビ出発2日目。
この日は幹線道路をそれて南へ向かい始めます。
国境の町“オロイトキトク”まで100km。
ケニア入国以来
朝がたはいつも曇っています。
そういう時期なのか
気温も25℃くらいで
とても過ごしやすいです。
しばらくすすむと
“野生動物に注意”の看板が。
道路には現れないけど
一応、ゾウやキリンの生息域だそう。
出てこい、出てこい。
飛行機移動を挟んだこの2週間ほど、
自転車を全く漕いでいなかったので
一気に疲労が押し寄せました。
足が動かずペダルが重い。
サハラ砂漠では
我ながらよく毎日漕いでたな。
休憩をして
再び走り始めるとこんな看板が。
日本政府が小学校設立の援助を
してるみたいです。
アフリカではぜひ
学校訪問してみたいな。
ふと、道ばたを歩く
マサイ族のおっちゃん発見。
「写真NGだけどこれ撮っていいよ」
と見せてくれた棒。
テレビで見たことあるけど
これでライオンやっつけるそうです。
お腹すいたので
ふらっと食堂に寄ることに。
小麦粉を練った焼いたチャパティと
キャベツの炒め物を
食べようとしたその瞬間…
子供たちの集団が
コチラをじっと見てきました。
食べ物を狙ってるわけじゃないらしく
外国人に興味があったみたい。
寄ってくるけど声はかけてこないのが
シャイでカワイイ。
もう少しで目的の村という16時ごろ。
うっすらと大きな山の姿が見え始めました。
こちらは
言わずと知れた世界の名山、
アフリカ大陸最高峰「キリマンジャロ」です。
頂上には雲がかかってますが
その存在感は圧倒的。
じっと見つめていたくなります。
サバンナの低木の向こうに見る
キリマンジャロ。
どこまでもつづく赤土の大地。
こんな景色を見るために
旅に出たんだと
心奪われる風景でした。
キリマンジャロに見とれながら走っていると、
後ろから古い自転車をキコキコと漕いでやってきて
そのまま並走し始めた少年・ダンくん。
夕日を浴びながら
簡単な英語で会話をしつつ、
5kmほど走ったところで
目的の町「キマナ」に到着。
疲れてたけど、ゆったりとした良い時間でした。
適当にふらっと入った安宿に
そのままチェックイン。
しっかりした作りだけど
昨日と同じく¥300。
もう世界中のホテルが
¥300ならいいのに…。
夕食はまたもやピラフ。
アフリカは料理がおいしくないと
聞いてましたが、
しっかり野菜も摂れるし
個人的には大満足です。
ナイロビ出発3日目。
やはり曇ってます。
このあたりキリマンジャロの山麓とあって
とにかく登りが続きます。
2時間ほど走ると
国境の町「オロイトキトク」到着。
変わった地名が多いけど
ケニアや周辺国で
多く話されているのはスワヒリ語。
「ジャンボ!」ってやつです。
昨日までのサバンナ地域よりも
山麓の方が
多く人が住んでいるようです。
町から国境までは
あと10kmほど。
そして田舎道のひっそりとした国境に到着。
ケニア走行はたった3日間だったけど、
これからのアフリカ大陸の旅がより楽しみになる
良いスタートが切れました。
国境の向こうはタンザニア!
2019.09.9
【466日目 19,053km】
ダカールで一休みし
日本人宿「和心」の皆さんにお別れをすると、
いよいよ飛行機に乗って東アフリカ・ケニアを目指します。
郊外の空港までの移動はタクシー。
途中スコールが降り出して
ワイパーすら動かないボロ車の視界が奪われたときは
ホントにスリル満点でした。
こんなトコで旅を終えるのはヤダ…。
セダン型のタクシーの後部座席に
何とか荷物を載せてもらいます。
追加料金とられたけど
安全に空港に着いてくれれば
それでいい。
ちゃんと着いて…。
ダカール市内から1時間ほどで
無事到着。
今回の旅で飛行機初めてだし
自転車載せるなんて初体験なので
とにかくドキドキ。
「搭乗直前で自転車の積込みを断られた」とか
「調理用のガソリンボトルを没収された」など、
他のサイクリストたちの色々なエピソードを聞いて
かなり不安になっていたけれども
手続きは思いの外スムーズ。
自転車(23kg)と旅の荷物(28kg)の
過剰積載料金2万円を支払うと、
中身をチェックすることなく受け取ってくれました。
航空券と併せて7万円でケニアの首都・ナイロビへ向かいます。
途中、コートジボワールを経由して
フライト時間は10時間足らず。
機内食食べて、
映画を観て(万引き家族)、
少し眠ると
あっという間に到着してしまいました。
到着すると荷物の受け取り。
大きな荷物なので
通常のベルトコンベアとは
別の場所での受け取りです。
自転車無事だろうか?
乗り換えもないし
1回飛行機に載せて下ろすだけなのに
やけにダンボールが
ボロボロになってました。
空港の人って荷物積む時投げますよね。
アレ、ホントに嫌なんですけど。
空港を出ると
タクシーに乗って予約していたゲストハウスへ。
たどりついた宿はマンションの1室。
玄関開けてビックリ、ヨーロッパの水準と変わらない
綺麗に整えられた部屋でした。
到着の翌日は
朝から自転車の組み立て作業。
空輸の際に傷がついてないか
不安だったけど、
とりあえず大きなダメージは
なさそうです。
宿のおばちゃんに見つめられながら
コツコツと作業。
分解を経験してるので
組み立てはすんなりできます。
自転車の構造に少し詳しくなりました。
今更だけど…。
そのまた翌日、おばちゃんに
「アンタちょっとはナイロビ観光しなさいよ。
動物だけがケニアじゃないわよ」
と尻を叩かれ、
首都・ナイロビにくり出すことに。
大都市ナイロビはいつだって大渋滞。
滞在先から中心部まで
わずか20kmなのに
バスで1時間以上もかかりました。
自転車ぐらい遅い…。
期待して訪れたのは中心から少し外れにある
「キリンセンター」。
敷地内に足を踏み入れた瞬間から
もう彼らは見えてました。
近い、そしてデカい。
このセンターの魅力は
エサやり体験ができること。
「エサをくれくれ」と
待ってます。
首を長くして。
エサを食べるときは
舌をベロンと出してきます。
0mの距離まで近づいて見る
キリンの顔は可愛いけど
ちょっと怖い。
はい、ベロン。
舌の感触はかなりざらざらとしており
こちらの手はもれなく
ヨダレでべとべとになってしまいます。
しかも粘着性がすごくて
しっかり洗わないととれない。
草食性でおとなしいけれど、
首を振り回したり
後ろ足で蹴ったりと
攻撃力は高め。
天敵はほぼいないらしく
最強にちかい動物だそうです。
ふと後ろをみると
ちょこんと佇むイノシシ。
ここはキリンセンターなので
誰も見てくれません。
記念撮影。
これからサバンナの走行で
たくさん動物を見るだろうけど
触れることはないと思うので
とても貴重な体験です。
ナイロビ市内に戻って
向かったのはKICC(ケニア国際会議場)。
宿のおばちゃんイチオシスポットです。
見どころは
27階のエレベーターを降りた
さらにその上。
屋上の展望台です。
雲が広がっているのが残念。
モーリタニア、セネガルと比べても
圧倒的に高層ビルが多い
ケニアの首都ナイロビ。
建設中のモノも多くあり
今なお経済発展中の様です。
目の前に広がるナイロビの街並み。
この向こうには広大なサハラがどこまでも広がっています。
これから走るアフリカの大地には
一体どんな景色が待ち構えているだろう…。
期待なのか、不安なのか
胸のドキドキが止まりません。
目指すは南アフリカ・喜望峰。
アフリカ後半戦いよいよスタートです!
2019.09.5
【461日目 19,053km】
西アフリカ走行の最終地であるセネガルの首都・ダカール。
サハラ縦断の疲れを癒すためにも
のんびりしたいところでしたが、
東アフリカへの移動に伴う準備をしていかなければなりません。
まず向かったのは自転車屋さん。
実は、モーリタニアあたりから
ギアチェンジがうまくできなくなっており
だましだまし走って来たのですが、
ここで原因解明及び問題解決をしておかなければなりません。
ネットで見つけたお店が「Espace Velo」。
原因はリアディレーラー(変速機)。
修理不能なので
新品と交換する必要があるようです。
プロはすぐに問題を把握してくれる。
僕は旅をはじめて1年以上だけど
自転車の知識、大して増えてないです。
新しく取り付けてもらったのは
安心・安全のシマノ製(日本)。
小さな小屋みたいなお店だけれど
各パーツ部品かなり揃ってるようで
大抵の問題は解決してくれそう。
セネガル、侮れません。
さらに2万km近く走って
ついに初めて後ろのタイヤを交換。
よくここまで持ってくれました。
変速機と併せて1万円也(作業代込)。
最後は掃除までしてもらいます。
本当にありがとうございました。
東アフリカへの移動は当然飛行機。
人生初の飛行機輪行(自転車の積込み)に挑戦です。
大きなスポーツショップを訪ねると
ちょうど店先で新品自転車の組み立てをしており、
「その横のダンボールちょーだい」と、
すんなり箱をゲット!(しかもタダ)
宿に戻ると、梱包するため
自転車をできるだけバラバラにします。
タイヤ、ハンドル、サドルにペダル
外せるものはすべて外す。
六角レンチ3サイズで
すべて分解できるようになってます。
日本でも自転車の分解したことないけど
ネットやYouTubeで予習済み。
梱包用のテープやプチプチの入手も
予想以上に苦労しました。
それでも、アフリカだって
なんやかんや手には入るものです。
3時間ほど作業をした末、
何とか箱詰めまで漕ぎ着けました。
雨季に入りはじめたセネガル
じめじめした30℃越えの暑さの中、
作業完了のころには
汗はダラダラ。
自転車の修理と梱包が完了したらやっと
観光にくり出します。
セネガルの港から船で20分ほど揺られた先、
海の上に浮かぶのは世界遺産「ゴレ島」。
上陸すると朝から沢山の観光客が。
雨季は曇りも多く
ときおり激しいスコールが降るのですが
この日は観光日和の
気持ちの良い晴天。
かつて西アフリカから集められた人々が
奴隷として売買されていた場がゴレ島。
ポーランドの“アウシュビッツ収容所”
広島の“原爆ドーム”などと同様、
人類の過ちを語り継ぐ
「負の遺産」として知られる所です。
小さな島を見下ろすと
決して大きな建物は無く、
民家サイズのものばかり。
言われなければ、
悲しい歴史を背負った場所だとは
感じることもありません。
アフリカ人たちが収容されていた
「奴隷の家」。
金品と交換された奴隷たちは
アメリカ新大陸の労働力として
海を越えて連行されたそう。
島の高台に建つモニュメント。
現在でも
北朝鮮、エリトリアなどの国では
強制労働、性的奴隷の形で
世界累計4000万人ほどの人が
奴隷状態下に置かれているのだとか。
セネガルの人たちにとっては
バカンス地のようでもあるらしく
眩しい日差しを浴びながら
波打ち際で皆キャッキャと
はしゃいでいました。
ダカール滞在中にお世話になっていたのは
日本食レストラン兼宿「和心」さん。
ダカール到着前からとても楽しみにしていた場所です。
営んでらっしゃるのは
千葉県出身の幼なじみ2人組。
原田さんは奥さんとお子さんも連れて
ご家族でセネガル生活を送っています。
前のお仕事を辞めてから
料理の勉強をはじめられたのだとか。
小林さんも日本では
飲食とは無関係の仕事をされており、
セネガルに移り住んできたそう。
2人とも僕の同学年
昭和62・63年組です。
海の外に出たがるゆとり世代。
感心したのは現地人スタッフが多くおり
皆さん慣れた手つきで
日本食を調理されていました。
現地セネガルに
雇用をもたらしていることが
素晴らしい。
頼んだのは“カツオのたたき”。
海に囲まれたダカールの港には
毎日新鮮な魚が水揚げされています。
生魚はいつぶりだろう?
シャキシャキの玉ねぎとの相性が
抜群の1品でした。
そして、もう一品は“そば”。
これまで様々な国の料理を
食してきましたが、
僕にとって揺らぐことのない
世界一の料理は“そば”なんです。
あぁ、美味し…。
お店の2階には寝室があり
宿としても利用できます。
ここに居たのは
個性的で面白い生き方してる人ばかり。
のんびりゆったりしながらも
刺激のある滞在でした。
おかげさまで
数か月ぶりに日本的空間を味わうことが出来ました。
食事だけでなく
日本から来られてる人たちと
久々に触れ合えたことで精神的な疲れも癒された気がする。
準備が整ったら
新たなステージ・東アフリカへと飛んでいきます!
2019.09.2
【456日目 19,053km】
世界遺産の街サン・ルイから向かうのは
セネガルの首都・ダカール。
アフリカ大陸前半戦、
西アフリカ編のゴールとなる場所です。
サン・ルイの玄関口でもある大きな橋。
曇り空の下、ゆっくりと走り始めました。
サバンナ地帯の特徴は
乾いた砂の大地に
2~3mの背の低い樹木が
立ち並んでいること。
大型動物に会えるのは
まだ先なようですが。
路肩が狭いのが気になるけど、
交通量もそんなに多くないし
さほど運転マナーが悪くないようなので
割と落ち着いて走れます。
路面もキレイ。
サン・ルイを離れたセネガル北部。
何故か異様に
朽ち果てた家畜の亡骸が多いです。
ここまで走ってきて
牛の死骸なんてほとんど
見ることなかったのに…。
この日の宿泊予定は70kmほど走った
“ローガ”の町。
お昼過ぎには到着です。
のんびり進む。
予定していたホテルが高く
なんとか地域で一番安いであろう宿を見つけ出しました。
そうはいっても
こんなごく普通の部屋が
¥2,000。
アフリカは思ったほど
節約できそうにないです。
サン・ルイ出発2日目は、
出発してものの5分で後輪がパンク。
走り初めのパンクはホントに勘弁してほしいのに…。
道ばたで迅速に修理をおこないます。
気を取り直して再出発。
この日は100km超を走る予定ですが
道は平坦なうえに
コンクリートがとても滑らかなので
すごく走りやすい。
ヤギの亡骸をついばむワシ。
大型猛禽類が
さらっと登場してくるあたり
アフリカにやって来たなと
感じてしまう。
草を食む牛たち。
かなり痩せてるのが気になります。
肥えてないから美味しそうじゃないけど
この牛達も
食べられるんだろうか?
昼過ぎに「メウエ」という町に到着。
熱心な客引きに寄せられ
ガーナ人夫妻が営む
レストランで休憩することに。
牛肉が入ったこちらの米料理が
かなりの絶品。
魚や米をふんだんに使う
西アフリカの料理。
日本人の口に合うのは
間違いありません。
午後からも快調に走りつづけます。
怪しい空模様。
後から知ったことですが、
この日頃からセネガルは
3か月ほどの
短い雨季に突入したそう。
するとやはり
突然のスコールに降られ
道路脇の東屋で雨宿り。
短時間で一気に降るのが
この地域の雨季の特徴だそうです。
15分ほどで雨は上がり走行再開。
赤土が印象的なこのあたり。
道ばたには
アフリカの象徴でもある
バオバブの木が堂々と
生えていました。
130kmほどを走ったこの日は
「ティエス」の街に到着。
セネガルでもかなり大きな街だそうですが
高いビルなどはなく、
あまり人で溢れかえってもいないようです。
街の外れの宿へ。
敷地内でテントを張って
¥600で泊まらせてもらう
話だったのですが、
夜中に雨が降りそうなので
倉庫で寝させてもらうことに。
サン・ルイ出発3日目、
目的地のダカールまでは70km。
西アフリカ走行最終日ということで
最後まで安全運転!
夕べ激しい雨が降ったこともあってか
空の抜けるような青が気持ち良い。
ただ首都に向かっているので
着実に車の量は増えています。
ダカール中心部まで20kmの郊外に突入。
待っていたのは
先の見えない渋滞と
水はけが悪く汚水にまみれた道路。
どこの国であれ
首都を走るのは気持ちのいいものではないです。
さらに進むと
行き場のない雨水が溢れ
湖と化していました。
ため息をつきながらも
う回路を探しつつ
少しずつ進む。
それでもめげずに進み続け、
ついにセネガルの首都「ダカール」に到着しました!
ちなみに後ろに見えるのは、
2010年に北朝鮮に企業によって建てられた
「アフリカ・ルネサンスの像」。
当時の大統領が考案し、
像自体の存在意義があるのかと物議を醸しまくったそうです。
ジブラルタル海峡を渡ってやって来たアフリカ大陸。
モロッコから大西洋沿岸を南下してきましたが、
大陸の西側を走るのはここダカールで終了。
今度は東側へと飛行機で移動するわけですが、
その前にダカールでのんびり一休みしていきたいと思います!
2019.08.29
【453日目 18,778km】
夏のサハラ砂漠を抜け、
モーリタニア南部から隣国・セネガルまであと少し。
引き続き南下を続けます。
モーリタニアの首都・ヌアクショットを発って
3日目の朝。
緑豊かな国立公園の道を走り始めます。
穏やかな朝の湿地帯では
牛たちものんびり。
付近には小さな集落もあるようなので
おそらく半野生化している
家畜たち。
空を映す水面でのどを潤すロバの親子、
その上を漂う水鳥。
砂漠を走り終えた先に待っていたのは
樹木が生い茂り
動物たちが暮らす
サバナ(サバンナ)地帯です。
水辺をバシャバシャと走って進むのは
イボイノシシ(写真左上)。
このコだけでなく、
家族連れなど合計20頭くらいは
見たんじゃなかろうか。
とにかくいっぱいいました。
しばらく進むと公園のエントランスへ。
公園を走り終えようというこの場所で
入場料の¥600を取られました。
「お金取んの?」と思ったけど
すごい気持ち良い道だったから
よしとする。
そしてさらにガタガタの未舗装路を
進みます。
緑の数がどんどんと増えていく。
サハラとサバンナ、
異なる気候の境目を
肌で感じることが出来ています。
そして10kmほど走ったところで
モーリタニア=セネガル国境に到着。
ほんの2週間ほどの滞在でしたが、
観光地巡りをしてないぶん、
モーリタニアは
人の優しさが特に心に残る砂漠の国でした。
2つの国の間にまたがるのはセネガル川。
橋を渡って入国審査へと向かいます。
やってきた23ヵ国目は「セネガル」。
公用語がフランス語であるほど、
かつて植民地支配していた
フランスの影響を強く受けていながらも
国民の多くがイスラム教を信仰している国。
昨年のワールドカップで日本と対戦したことも
記憶に新しいこの国が、
西アフリカの旅では最後の国となります。
モーリタニア側の未舗装路も終わり
綺麗なコンクリートを
気持ちよく走り始めます。
道ばたには相変わらず
ゴミがいっぱいだけど…。
こちらに手を振ってきた子供たち。
肌の色が違う外国人は
とにかく目立ってしまいます。
人懐っこくて元気な
セネガルの少年たち。
すると今度は、前から牛の大群が。
サハラを越えてから
途端に牛が増えたけど
このあたりの牛はとにかく
つのがデカい。カッコいい。
国境から20kmほど走れば
少しづつ街のニオイが
漂ってきました。
人と車の量が着実に
増えてくる。
そして、到着したセネガル最初の町は
「サン・ルイ」。
天気はあいにくの曇りですが…。
この街には2泊する予定なので
ゲストハウスへ。
ドミトリー(相部屋)で
¥1,500。
モーリタニアに続き、
あまり安くはないようです。
到着した日に食べたのは
ヴェトナム料理“フォー”。
せっかくだから現地料理を食べねば
という意識などありません。
やっぱりアジア料理は落ち着く。
やってきたセネガル北部の「サン・ルイ」。
実は国内でも数少ない
世界遺産に登録された場所なのです。
大西洋に臨む水辺の街は
かつて植民地としてこの地を支配した
フランス文化を色濃く残す場所。
この文化的景観が
非常に価値があるとのこと。
碁盤目状に並んだ建物は確かに
ヨーロピアンな雰囲気を醸しています。
でも、正直これで世界遺産なの?
っていう感じがしなくもないのですが。
ちょっとうす汚れた感じが
良く言えば、渋い。
街を歩けば
至るところで子供たちがサッカーに
熱中しています。
どこがコートかも分からないけど
みんな必死にボールを追う。
日本人だよ、と伝えると
「ホンダ!カガワ!ナガトモ!
カワシマ!̪シバザキ!・・・」
もういいよってくらい日本代表選手の
名前を連呼してくれました。
ワールドカップの名残だろうか。
港には何隻ものボートが停泊していました。
モーリタニアの水産業がさかんだったように
ここセネガルでも漁は重要な産業であるよう。
ただ残念なのは
とにかくゴミが酷い。
居住区の一画でもあるというのに
地面を埋め尽くすのは
ゴミ、ゴミ、ゴミ。
掃除をしなさい。
ということで
無事23ヵ国目のセネガルまで
やってくることが出来ました。
この調子でアフリカ大陸前半のゴールまで向かいます!
2019.08.25
【452日目 18,715km】
西サハラ=モーリタニアの国境から南へとひた走り
たどり着いたのは
首都・ヌアクショット。
砂漠の真ん中にある
モーリタニア最大の都市はいかなるものかと
散策をすると、
これがもうゴミ、ゴミ、ゴミ。
ゴミを踏まずして歩くことは
不可能というほど
とにかく街中がゴミだらけ。
当然ニオイもかなりのもの。
おまけに砂埃も相当スゴイです。
そんななかでも
元気に暮らす地元の子供たち。
「写真撮ってよ」と親しげに
近寄ってきました。
さらには
お礼に僅かながら小銭を頂く始末。
なんでこんなに街中に捨てるんだろう
と思うけど、ゴミ処理システムは
確立してないだろうし…。
大した観光地がないことからも
「世界一しょぼい首都」なんて
言われるとか。
イスラム教国らしく
モスクもあります。
さすがにこの周辺は
若干ながら綺麗ではありました。
中心の一番汚いであろうエリアから
少し離れたところにある
ゲストハウスに滞在しました。
数千円の高値が続いていた
モーリタニアの宿ですが、
コチラは¥600。
砂漠の疲れを癒すため
4泊もしてしまいました。
水のない砂漠を走ってたので
これまで蚊はいなかったのに、
人の暮らす都市ともなれば
やっぱり奴らは現れます。
かゆくてかゆくて寝苦しかった。
疲れが癒えたらヌアクショットを出発。
10kmほど走れば都市圏を抜け、ご覧の風景。
サハラ砂漠はもう少し続くようです。
ただこれまでより家の数も増え、
砂の大地に木が生えています。
もう何十kmに渡って
何もないということはなさそう。
道ばたのモスクで昼休憩。
この時、
弱いながら向かい風が吹いており
なかなかスムーズに進めません。
再び走り出すと
目の前にはラクダが。
ちゃんと左右を見て
車が来てないのを確かめてから
渡ってましたよ。
110kmを走って夕方、
「ティグエンド」という村に到着。
宿探しの前に飲み物を買いに商店へ行くと、
英語ペラペラな男性が声を掛けてきて
「俺んち泊まって来なよ!」とのこと。
イギリスで働いており数年ぶりに
帰国したという“アドゥラミさん”。
「旅人を助けるのは当たり前だよ」
という嬉しい言葉。
離れにマットレスを用意していただき、
ここでゆっくり休ませていただきました。
夕ご飯までごちそうになって
至れり尽くせり。
翌朝。
人の家にお世話になった時は
相手のお顔を忘れないためにも
記念写真を撮らせてもらうのですが、
僕が出発するときになっても寝ていたアドゥラミさん。
「気をつけてね、良い旅を。おやすみ…zzz」
起きてくれませんでした。
昨日撮っときゃよかったと思いつつ
この日も出発。
道の両脇にはまばらながらも
木々が立ち並ぶようになりました。
一瞬にしてではなく
少しずつ変わっていく景色を
堪能できるのは
自転車旅の良いところ。
気温は30℃ちょっとでしょうか。
西サハラよりも暑くはなってるけど、
路肩に小さな商店がいくつもあるので
水分補給は簡単です。
大量に水を運ばなくてもいいから
助かる。
隣国・セネガルに向かうにおいて、
主要道(オレンジ)を進み
「ロッソ」という街で越境する予定だったのですが、
■国境であるセネガル川を渡るためにボートにすし詰めにされる
■入国審査の際にワイロを請求される
との悪評があったので、
外れの田舎道(青)を進んで「ディアマ」の国境を目指すことに。
途中、国立公園もあるので
景色もいいのではと淡い期待。
実際の分かれ道。
右側に行く車は少なく
多くの人が
主要道を進み
ロッソに向かっているようでした。
進んだ先には多くのアップダウンが…。
疲れは溜まるけど、
徐々に増えていく緑に心が和む。
いよいよ砂漠を渡りきろう
というところなのか。
そして、分かれ道から30kmほど。
緑の生い茂った一帯に瑞々しい湿地帯があらわれました!
モロッコから走り続けることおよそ2,000km。
明らかな標識なんかはないですが
この瞬間、サハラ砂漠縦断を達成したことに!
不安だらけでしたが、人の助けもあり
無事渡り切ることが出来ました。
さらに進んだ先は、
決して交通量の多い道ではないので
舗装もされておらず
牛が堂々と闊歩しています。
過酷な地帯を越えた安心感と達成感で
胸を弾ませのんびり走ります。
国境であるセネガル川に沿った
未舗装路が50kmにも及びます。
どのみち今日の到着は無理なので
ガタガタ道をゆっくり進む。
道を外れた、あたりに人もいない所で
この日は野宿。
夜になれば十分涼しいです。
アフリカにも売ってます、
夏の風物詩。
水辺なのでおそらく夜は
いっぱい蚊が出てくるはず。
ディナーは
久しぶりのインスタントラーメン。
キャンプってくせになるもので
久々に1泊すると
次の日もやりたくなるんですよね。
国境までもう少し。
2019.08.21
【447日目 18,504km】
掘立小屋の食堂を営むセイドゥさんとお別れした
モーリタニア入国3日目の朝。
再び南を向き始めた道路を進んでいきます。
南に向いたことで横風はまた追い風に変わりました。
ただ少し内陸に入ったせいか
風自体が弱め。
もっと強く吹いてほしいけど
自然にわがままを言っても仕方がない。
70kmほどを走ったお昼頃。
道路脇にガソリンスタンドと
小さな商店を見つけたので
ここで一休み。
かなり人懐こい
モーリタニアの人たち。
道中で
旅に興味を持ってくれる人に出会うと
本当に元気をもらえます。
これまで涼しかったサハラ砂漠も
この日からかなり暑くなってきました。
やはり南に下りてきているからなのか。
ここにきてはじめて
夏を感じているかもしれない。
とはいえ乾燥してるし
35℃いかないくらいだと思うので
日本の酷暑に比べるとマシなのかも。
なんとかバテることなく
走ることが出来てます。
モロッコにまけない程の頻度で
軍や警察の検問があります。
毎回パスポートを出すのは手間だけど
しっかり治安維持してくれてるようで
旅人からするとひと安心。
モーリタニア軍の方と。
アフリカ系とアラブ系の人々が共存する
モーリタニアを象徴する写真です。
そこに平べったい顔をした
日本人も混ざってみる。
150km近く走ったこの日は“シャミ”の町に到着。
しかし予定していたモーテルがなんと¥7,500。
モーリタニアには安宿の概念があまりないみたいです。
「えー、高いよ!高い、高い!!」と
駄々をこねると
現在使っていないらしい倉庫らしき
ところで寝かせてくれました。
シャワー付きとはいえこれでも
¥1,500だし、やはり高い…。
夕食はまたもやチェップ。
決して食のバリエーションが
豊富ではないらしいモーリタニア。
それでも素材が良いのか
お米と魚が本当に美味しい。
モーリタニア入国4日目。
ひきつづきひたすら南下するのですが
この日は弱いながらも向かい風が吹いてました。
ずっと追い風って聞いてたのに話と違う…。
朝から気温も上がって
体力が奪われます。
どこまでもつづく砂漠を
ノロノロと走るのは
精神的にも参ります。
しんどい…。
昼過ぎに道ばたお家の小屋で
休憩させてもらうことに。
日陰でくつろぎながら
パンを頬張る。
休んでると小さな女の子が
謎の生命体の赤ちゃんを
見せてくれました。
体長2cmほどの哺乳類っぽい生き物。
「正体分かるよ」という方は
早急にご連絡ください。
再び走り始めますが
午後から向かい風が強くなり
走行不可能と判断。
砂漠の真ん中で
無駄に体力を奪われることは
何としても避けなければなりません。
予定の半分も満たない70kmを走ったところで
集落を発見。
小さな商店で水を買い求めると、
男の子に導かれ
大きなテントへと連れていかれました。
テントの中では、男性3人組が
村の大勢の女性に
なにやらプレゼンテーションを行っております。
こちらに気づいた男性たちは英語が堪能。
事情を説明すると今晩ココに泊めてもらえることに。
この時、村には
男性3人組以外がほぼ女性。
基本的に女性(特に未婚)は
撮影禁止なので
あまり村の様子を撮影出来てません。
夜は魚料理を頂くことに。
海が近いこのあたりは
「魚が美味しいんだよ」と
村の方が胸を張る一品です。
出てきたのがコチラ。
見た目はシンプルですが
この揚げた白身魚が絶品で
食べた瞬間に口いっぱいに
旨味が広がるんです。
アフリカ大陸暫定1位。
こちらのとんがり屋根の
可愛らしい小屋で寝させてもらいます。
砂漠の夜は気温が下がるけど
寒くもなく暑くもなく
快適に寝ることが出来ました。
翌朝、出発前の記念撮影。
実は、
左側の僕を挟んだ男性3人組は
エネルギー関連の外資系企業に勤めるモーリタニア人で、
付近で採れる鉱石の有用性と危険性を
砂漠の村々に説明する広報活動をされており、
昨日のプレゼンがまさにそれ。
僕と同じようにこの村に泊まられてました。
右側が集落のトップである女性たち。
このあたりの地域は女性の立場がかなり強いそう。
この時だけは撮影許可を頂きました。
モーリタニア出国5日目。
この日も向かい風で思うように進まない。
おかげに起伏も多い。
毎日風を受けて進みまくってた
西サハラがもう懐かしい。
風を貯金できたらいいのにという
よく分からないことまで考えるほど
暑いし、疲れてきてます。
昼に到着した村で長めの休憩。
ばったり出会った村長らしき男性に
ボロボロになった学校を案内されました。
「日本人の力で建て替えることができないだろうか?」
無力で申し訳ない…。
涼しくなった夕方に
もうひと踏ん張り。
モーリタニアの海沿いに大きな街は
ほとんどなく、
この日も数軒が並ぶだけの
小さな集落を発見。
コチラの宿に
泊めてもらうことにしました。
どうやらこのカタチの小屋が
この地域の定番みたいです。
モーリタニア入国6日目。
休養日をとることなく8日間も走っているので
疲労で体はボロボロ。
なかなか思うように前へ進みません。
それでも何とか這うように
進んでいると
数日振りに都市空間が見えてきました。
もうすぐで休める…。
そして国境から走ること500km。
ついにモーリタニアの
首都・ヌアクショットに到着です。
サハラ砂漠もぼちぼち終盤。
ホント、疲れた…。
2019.08.13
【443日目 18,196km】
追い風の助けを受けて
どこの国でもない地域・西サハラを脱出。
次なる国の始まりです。
やって来た22ヵ国目は“モーリタニア”。
正式名称「モーリタニア・イスラム共和国」の名の通り
イスラム教を信仰する国家で、
人口は400万人ほど。
国土の9割が砂漠が占める砂の国です。
主要産業の1つが水産業で、
特に日本で消費されているタコの30%が
ここモーリタニア産だとか。
はたして現地で美味しいタコは食べられるのか?
道路状況の悪い国境をなんとか越えたけど
すでに15時ごろになっていたこの時は
疲れてフラフラ。
国境越えってなんとなく
神経が磨り減る場面でもあります。
国境から10kmほどで
東西に分かれる分岐点に到着。
予定では東側(写真左側)に
向かうつもりでしたが…
国境越えで体力を奪われていたことと
これまでの追い風が厳しい横風になることを考慮し、
疲れを癒すためにも
この日は50km先にあり
半島の先端に位置する最寄り都市“ヌアディブ”
に向かうことに。
また逆戻りする必要があるけど
この時は疲れて早く休みたかった…。
追い風に乗っかり
勢いよく半島を南下していきます。
ここ2週間ほど風ありきで走ってるから
足がなまってるんじゃなかろうか
と心配。
ヌアディブに到着し、
ゆっくり休もうと安宿を探し始めたこの時
モーリタニアの厳しい現実を知りました。
訪ねたホテルはいずれも¥4,000越え。
もっと安いところがあるはずと
疲れた体にムチを打つけど、
街はゴミだらけで臭いし
車のクラクションはうるさいし
自転車乗りながらイライラ、イライラ。
なんとか見つけた最安値が
¥3,000。
モロッコでは
¥600前後で泊まれてたのに。
でも砂まみれで野宿する元気もなく
なくなくチェックイン。
モーリタニア入国2日目。
もう1日休みたかったけれど
ホテルが高いので出ていかざるを得ません。
前日の分岐点まで北上して戻る必要がありますが
「一度走った道は交通機関で戻っても良い」
というルールがこないだ制定されたので
またもやヒッチハイクをすることに。
1時間近く粘ったころ
北の国境方面に向かうという
1台の軽トラが泊まってくれました。
言葉通じないけどタダでいいのかな?
タダでありますように。
荷台に自転車を乗っけると
トコトコ走り出してくれました。
風を直に感じられるオープンカーで
砂漠を突き進むのは
最高に気持ちが良いです。
砂がすごいけど…。
ゆっくりゆっくり進んで1時間ほど、
荷台に揺られ続けて昨日の分岐点までやってきました。
軽トラの運ちゃんはお金をせびることもなく
国境の方へと去っていきました。
(タダだ!)
ここからは覚悟を決めて
強い横風を受けて進まねばなりません。
横風と共に舞う砂のつぶてが
頬にぶつかって痛いのなんの。
追い風のない砂漠はここまで
厳しいものなのか…。
早く南に向かって走りたい。
遠くに見えるのは鉱石を積んだ鉄道。
連結車両の全長が3kmにもなる
こちらの列車は世界一の長さだとか。
確かに途切れることなく
延々と続いていました。
さらに途中では
飛行機の翼らしきものを発見。
ここで組み立てるわけはないし
何をするつもりなんだろう?
分岐点から走り始めて40kmほど。
日も傾き始めたころに集落に到着しました。
道ばたに建てられた掘立小屋の中に商店を発見。
冷たい飲み物を求めて向かうと
背後から一人の男性が。
「俺んとこレストランやってるから食べてってよ」
国境で働くセイドゥさんが家族と営む
小さなレストランにお邪魔しました。
(ただの小屋だけど…)
小さな男の子が元気で
ホントに賑やか。
でてきたのは
モーリタニア料理“チェップ”。
ご飯の上に魚と野菜がのっただけだけど
食べやすくてとても美味しい。
1人前が50ウギア(¥150)の
激安価格。
仲良し家族と話をしていると
今夜ここで泊まっても良い
ということになりました。
モロッコから人の誘いに
乗りすぎな気がするけどいいのかな?
まあ、いいか。
集落の名前は“ボン・ラヌアー”。
モーリタニア突入してからの特徴は
一度道路を外れてしまうと
とにかく砂だらけということ。
タイヤが埋まって村の中には
自転車の乗り入れができません。
砂漠に沈んでいく夕陽。
サハラでは
ゆっくり夕陽を拝んでなかったけど
この時は実に幻想的で美しかった。
1晩お世話になるセイドゥさんの食堂。
壁は段ボールで張り合わされています。
ご自宅は少し離れた
別の場所にあるそう。
セイドゥさんとの1枚。
舞い上がる砂と値段の高いホテルで
第一印象の良くなかったモーリタニアですが、
いざ走り始めると、
心優しい人が暮らしている場所であることに気づかされます。
これからこの国を進んでいくのが楽しみ。
2019.08.13
【441日目 18,089km】
西サハラも終盤に差し掛かり
一気に国境を目指して南へ下ってまいります。
滞在していたダフラは半島の先端に位置しており、
南下するためには
来た道を40kmも戻らなければなりません。
しかも向かい風。
この時
「一度走った道であれば
交通機関を使って戻っても良いものとする」
という都合のいいルールが制定されました。
ということで分岐点までヒッチハイク。
街の外れで待つこと30分ほど。
やっとつかまったのは
「¥2,000で乗っけてやる」という
おっちゃん。
少し高いけど、時間ももったいないし
お願いすることに。
車に自転車を積んだら
さっそく発車。
車に乗ってしまうと
風が吹ているかどうかすら
分かりません。
1時間足らずで
分岐点のガソリンスタンドに到着。
ここからサハラ縦断の本線に戻り
自力で漕いで進んでいきます。
やっぱりこの日も追い風。
勢いよく背中を押してくれる砂漠の風が
なんとも心地よい。
このままアフリカ最南端まで連れてってくれたら
どれだけいいだろう。
途中で水や食料を入手できない
いわゆる“無補給地帯”。
この日はサハラでの最長区間
150kmが待ち構えている予定。
風に身を任せ
少しでも早く行きたいところ。
ところが出発から100kmのところで
地図にはなかった
ガソリンスタンドを発見。
日陰を求めて休憩させてもらいました。
さらに走って、
この日は170km。
道の傍らにひっそりと建つ
食堂が見えてきました。
この時すでに18時ごろ。
店に入って少し話をすると
店主が、
「今日はもうここで寝ていくだろう」
前後数十kmに及んで
建物一つない砂漠のど真ん中。
これまで何人ものサイクリストを
泊めてきたというこの食堂。
旅人たちのオアシスです。
ダフラ出発2日目。
食堂を後にしてこの日も走ります。
西サハラの旅もぼちぼち終わり。
南に行くにつれ
どんどん交通量が減っています。
数十分に1台通るかどうか。
広大な砂漠の景色を独り占め。
80kmほど走ると昼頃には
小さな村に到着。
各町や村に着くたび
モロッコ警察や軍の検問が待ってます。
国境までもう少しという所で
この日は早めのチェックイン。
午後はのんびりとホテルで
休憩して過ごすことにします。
砂漠の数少ない宿ということで、
アフリカを縦断するバイカーに
ワゴンで世界を周る家族など
国籍や旅の手段も様々な
旅人と出会うことが出来ました。
(写真撮ってないけど…)
ダフラ出発3日目、
いよいよ国境越えの日です。
朝から風が強い。
これまでずっと平坦だったのに
この日はかなり起伏がありました。
砂漠にも色々な地形があるようです。
実質モロッコが支配する地域
“西サハラ”。
政治的には不安定らしいけど、
旅をしていて
特に物騒な様子はありませんでした。
というか人がほとんどいないし。
お昼前には国境到着。
出国しようとするトラックの行列が
見えてきました。
自転車も待たされるんだろうか。
越境の前に傍らにあった食堂で
腹ごしらえ。
西サハラ最後のタジンです。
肉はなんと“ラクダ”。
結構脂っこくて
豚肉に似ている印象です。
そしていよいよ西サハラを離れる時がやって来ました。
といってもここは領有権を主張する
モロッコの管理下なので、
モロッコの出国スタンプが押されます。
トラックの脇を抜けスイスイ行かせてもらいました。
パスポートチェックの後、
次なる国・モーリタニアのゲートまでは
3kmほど。
ここでもトラックの行列がすごかった。
この国境間のいわゆる“緩衝地帯”が
めちゃくちゃ。
アスファルトの道が途絶えた先は
深い砂の大地。
渋滞の理由はこれでした。
タイヤが砂に埋もれて進めないんです。
僕も自転車で大苦戦。
国家間を結ぶ大事な道がなんでこんなに
ぐだぐだなんだろう。
もはやこの世の終わりのような
荒涼とした大地が広がってます。
なんとか砂の上を押しきり
モーリタニア側の入国審査に到着。
事前申請の必要ないアライバルビザ(¥6,500)を
取得するとスムーズに入国。
モーリタニア旅の始まりです!
2019.08.10
【436日目 17,745km】
モロッコを抜け、
どこでもない国「西サハラ」に突入。
引き続き南下してまいります。
ラーユーンを発つと
あいかわらずの曇り空。
今はもう、こういう季節なんだろうな。
写真映えしないけど涼しいから良しとする。
サハラ走行直後に比べると
交通量が減ってきた気がします。
隣の町まで100km近く。
この地域は車で走ってても
疲れるような場所だろうな。
人のいない廃墟を見つけて
昼休憩。
このあたりから物凄い風が吹き始め
ものがどんどん飛ばされるので
おさえておくのに必死。
午後からも風は吹き止むことなく
強風にあおられ続けます。
そして、幸運なことに
常に追い風。
スピードに乗ってぐんぐん進む。
16時には110kmを走り切り
野宿を予定していた集落に到着。
でも風はまだまだ止みそうもないし、
日没は21時だし、
もうちょっとイケるかも。
とりあえず食堂でタジンを食べながら
考えることに。
このまま進むとすれば
隣の町は80km先。
「結構離れてるしどうしようか」と
沈思黙考…。
強く吹き続ける風の力を借りて
進み続けることにしました。
平坦なコンクリートを滑るように走った
この時の平均時速は28km/h!
(普段は大体18km/hくらい)
そして19時過ぎには
翌日着予定だった「ブーダー」に到着。
80kmを3時間余りで走るなんて
この旅始まって以来の
速さじゃないだろうか。
予想してたよりも割と大きな街。
自転車で旅してて、
予定より遅くなることはあっても
早まることなんて滅多にないので
すごく得した気分。
優雅なダブルの部屋が800円。
明け方ぐっと冷え込む西サハラ、
8月とはいえエアコン要らず。
寝るときは毛布必須。
色んな面で予想外が続いてます。
海沿いの町では肉よりも魚が
新鮮で美味しいともっぱらの評判。
海からあがったばかりであろう魚を
いただいてみることに。
いくつか食堂をのぞいたけど
ここの人たちどうやら
「油で揚げる」しか
知らないみたいです。
日本人なら手を変え品を変え
調理するのに…。
ブーダーの町で体を休めたら
再び海に沿って進んでいきます。
そしてこの日も朝から
非常に強い追い風。
止まると、立っているのがやっと
というような
ものすごい風を背中から受けて
スイスイ進んでいきました。
昼の時点で90km走破。
道ばたに食堂を発見。
予想以上の順調な走りに
笑顔ほくほくで休憩突入です。
そもそもこのあたり、建物が
存在していないと思ったので
用意していた食材でサンドウィッチ。
自炊って程じゃないけど、
自分でつくる美味しさって
ものがあります。
予定よりだいぶ早く進んでるので
食堂で昼寝させてもらうことに。
「あそこ気持ち良さそうだから
寝てもいい?」って
日本なら絶対
たずねることないだろうな。
午後からも追い風はやむ気配なし。
細かい砂が舞い上がる道を
颯爽と走っていきます。
ペダルは軽いし
このままどこまでも走れそう。
この日は175kmを走行。
上り坂もないし、
気が付けば
終日青空が広がったのも
サハラ突入後はじめてのこと。
家が数軒集まった集落に到着。
モロッコ警察の検問があり
「今日の夜どこで寝んの?」
と聞かれました。
「このあたりでキャンプしたいんだけど」
というと、
検問所のすぐ隣の
旧・食堂跡地で寝ていいとのこと。
なんとか風はしのげそうです。
寝るのにちょうど良さそうな
旧・キッチンを発見。
蚊も出ないし寝袋あれば十分なので
テントも張りません。
シャウエンの絨毯がいろんな場所で
役に立つ。
ラーユーン出発3日目。
サハラを走り始めて
500km以上移動してきましたが
道路状況は非常に良いです。
時にはラクダの群れに遭遇。
耳にタグがしてあるので
野放し状態の半野生家畜。
触りたいけど、臆病なのか
近づくと逃げていく彼ら。
この日も順調に進み
昼には80km到達。
人のいないモスクを発見し、
食事休憩を取ります。
久々のインスタントヌードル。
イスラム圏でも袋めん売ってました。
「出前一丁」や「チャルメラ」の
足元にも及ばない味だけれど。
この日の午前中弱まっていた追い風も
午後からはいつもの調子を
取り戻してくれました。
もはや追い風ありきで
走行計画立ててるので
吹いてくれなきゃ困るんです。
そしてこの日も180kmを走って
「ダフラ」の街に到着。
荘厳なゲートに掲げられているのは
モロッコ大統領像。
西サハラのバカンス地であるらしく
ゆったりとした海辺の町は
休暇を楽しむモロッコの人々で
賑わっているようでした。
ラーユーンから走った距離およそ550km。
本来6日間を予定していた行程を
3日で走り切ってしまいました。
決して自分の努力ではなく
海から大陸に吹きつける強い追い風のおかげ。
自然の恩恵に感謝しつつ、
ダフラの街でしばし休みたいと思います。
2019.08.4
【431日目 17,202km】
いよいよ始まったサハラ砂漠の旅。
これからしばらくは、
海に沿ってひたすら南を目指す日々です。
タンタン出発直後、
空は曇天。
朝方はおそらく雨が降っていたよう。
気温が上がらず涼しいのは良いけど、
空が曇っていると
いまいち気分がスカッとしないです。
でも、日が照ると
ものすごい暑さになりそうなので
わがまま言うのはやめとこ。
この日の行程は
とにかく平坦。
どこまでも続く地平線を
追いかけながら
気持ちよく走りつづけました。
1日で110km走っておきながら
上り坂はたったの4か所。
数少ない坂のガードレールが
ものすごい角度で
ひん曲がってます。
15時ごろには「アクフェニル」の町に到着。
サハラは砂漠でありながらも、
少なくとも100km置きくらいには町が点在しています。
小さな町でも大概ホテルや食堂はあるので
これらを利用しつつ、
町から町へと毎日移動を繰り返すスタイルで走っていきます。
早速、道路沿いにホテルを発見。
値段や清潔度など
モロッコはどこも似たり寄ったりなので
複数軒比べることもなく
ふらっと入ったところにチェックイン。
ここは1泊で¥600。
だいたい¥500前後が相場なので
もはや値切ることすらしてません。
お湯も出るし、WiFiもつながる。
非常に助かります。
モロッコ各地の路上で見られるのがコチラ。
屋台で売られている緑の物体。
正体は“サボテンの実”。
日本ではなじみ無いですが、
メキシコやスペインなどでも
定番のフルーツ。
7月ごろから収穫されるそうで
今がまさに旬。
屋台のおっちゃんに
ナイフでペロンと皮を剥いてもらうと
鮮やかな黄色い果肉。
ビタミン豊富で体にとても良いそう。
触感は違うけど、ほんのりした甘さが
サツマイモみたいで美味しいです。
タンタン出発2日目。
この日は曇りどころかほとんど霧。
すぐ右手が海なこともあり、
砂漠なのに湿気がすごいです。
しばらく進むと、
サラサラの砂が道路にまで
押し寄せていました。
これがもっと乾燥した日なら
砂埃すごいんだろうな。
この時期、風は北から南に吹くので
概ね追い風を受けるのですが
この時は突発的な向かい風。
坂を上るように
必死にペダルを踏みしめました。
出発から60km地点で
この日に初めて見た建物が
このガソリンスタンド。
ちょうど昼頃なので
休憩していくことに。
ただ南に下りてきて
タジンの質が下がってきたように
感じます。
美味しい食材が
手に入らないからなのか。
午後からもうひと踏ん張り。
起伏はほとんどなく
1日中、平坦な道を走るので
5時間ほどで100km
走り切れちゃいます。
そして15時ごろには
「タルファヤ」の町に到着。
腹をくくって
灼熱のサハラに来たつもりですが、
あまり汗をかいていません。
日本の方が絶対に暑いだろうな…。
この日もホテルを見つけてチェックイン。
過酷な砂漠の旅のつもりが
毎日ふかふかベッドで
寝させてもらってます。
ああ、気持ち良い。
1ヵ月ほど走行してきたモロッコですが、
“正式なモロッコ”としてはこの日が最終日。
というのも、これから向かう
西サハラと呼ばれる地域(黄色部分)は
1970年代に領主であったスペインの手を離れて以来、
“モロッコ”と
“サハラ・アラブ民主共和国”(国連未承認国家)が
互いに領有権を主張しているとても微妙な場所。
日本や欧米諸国はどちらの言い分も認めておらず
国連からも「非自治地域」として指定され、
“どこの国でもない世界地図上の空白”という
よく分からない所なんです。
よく分からないので
そのままこっそり進んでみることにします。
タンタン出発3日目。
この日もやっぱり曇り。
サハラ砂漠に来てから、太陽見てないです。
道路脇に工事中の“新・道路”を発見。
「もう完成しとるじゃん」ってことで
勝手に侵入してしまいます。
コンクリートは非常に滑らかで
とても走りやすい良い道路でした。
ありがとうございました。
さらにこの日は
心地良い追い風が
終始背中を押し続けてくれました。
風って嫌な時は最悪だけど、
良い時はホントに良いヤツです。
ありがとうございました。
そして気がつくと「西サハラ」に
該当する地域に入っていました。
検問もないし、ゲートもないし
本当に何もない。
モロッコはやはりしっかり
国旗でアピールしています。
小さな食堂でお昼休み。
ただ卵を潰して焼いただけのものを
“オムレツ”と呼ぶのは
やめてほしいんですけど…。
国連も認めないと思うんですけど…。
午後からも引き続き
良い風に乗りつづけることが出来ました。
暑くないし、風は吹いてくれるし
サハラって本当に良い所です。
そして100kmほど走ったこの日、
西サハラ地域最大の都市「ラーユーン」に到着。
サハラの真ん中に
20万もの人口を抱える都市が
あるんです。
世界は知らない場所だらけ。
複雑な状況に揺れる西サハラですが
実効支配しているのはモロッコ。
暮らしてる人、言語、通貨など
これまでのモロッコとなんら
変わりはありません。
赤い国旗がなびいてます。
連日100km以上漕ぐことなんて
いつ振りだろうか。
スイスイ進んでいく気持ち良さを
感じながらも
疲労は着実に溜まっています。
ベッドに倒れ込んでひと休み。
2019.07.31
【425日目 16,892km】
海沿いのアガディールから
せっせとモロッコを南下しています。
小さな集落で出会ったナジッドさんに別れを告げると
涼しい朝のうちにまた走り始めました。
出発からわずか1時間ほどで
前日に到着予定だった
「ゲルミン」の街に到着。
綺麗に整備されており
なかなかの規模であるようです。
実はこの街は
“Door to Sahara(サハラへの玄関口)”
と呼ばれている場所。
つまり、この街からいよいよ
サハラ砂漠の旅が始まるということです。
お昼にはちょっと早いけど
食堂へ寄って腹ごしらえ。
鍋ではないけれど
お皿に盛られたタジンです。
まだ羊とヤギの違いがよく分からない。
思っていたより大きな街ゲルミン。
ゆっくり昼の休憩を取り、
心と体の準備が整ったら
街を南へと抜けていきます。
モロッコ市街の郊外には
こうした石造りのゲートがあります。
ゲルミンの街の出口であるこちらのゲートをくぐると
ついに、
これから1ヵ月2,000kmに及ぶ
真夏のサハラ砂漠を越える旅の始まりです!
アーチをくぐった途端、
ものすごく分かりやすいほど
急に建物がなくなりました。
どこまでも広がる茶色の大地。
この景色をこれから何日も
眺めつづけることになります。
砂漠といっても
サラサラの砂の土地ではなく、
まだ乾いた荒野といった様子。
羊やラクダたちも
のんびり過ごしています。
営業していないカフェを発見して
軒下で休憩。
この日は向かい風が強く
思うように前進できませんでした。
まだ始まったばかりなのに
先が思いやられる…。
曇り空に覆われ暑さに悩むこともなく
砂漠を70kmほど走ったところで、
道路脇に食堂がいくつも集まった場所を発見。
高速のサービスエリアのような感じでしょうか。
この時点で19時ごろ。
先には数十kmに及んで
建物がなさそうなので
今日はここで休むことにします。
夕食は牛肉のバーベキュー。
疲れた状態でかぶりつく肉は最高。
モロッコの1食当たりの平均金額は
¥200~300くらいでしょうか。
安いからもはや値段すら聞かずに
欲しいものそのまま注文してしまってます。
食堂を少し離れたところに民家を発見。
テントを張ってもいいかと尋ねたところ
快く許可してくださいました。
さらにチャイや果物の差し入れもあり、
人の優しさに触れてこの日は就寝。
翌朝目を覚ますとなんと雨。
前日から曇っていたもののまさかサハラで雨が降るとは。
気温も下がり、ウィンドブレーカを羽織るほどでした。
雨も弱まった10時過ぎ頃、
荷物をまとめて出発。
少し内陸側なので
まだちょっとした山があります。
日差しが無いので汗もかかずに
気楽に上ることが出来ました。
道路はかなり整備されており
交通量もそれなりにあります。
このあたりしばらくは
自分の身に何か起こっても
助けてくれる人はいそう。
出発から60kmほど。
道の向こうにかすかに
町が見えてきました。
昨日砂漠に突入してから
ここまで130km。
もうすぐでゆっくり休める…。
そして、到着したのが
サハラ砂漠最初の街「タンタン」。
そして、“正式なモロッコの街”としては
ここがほぼ最後になります。
(詳しい説明は後ほど)
広大な砂漠に突如現れた街・タンタン。
予想していたよりもはるかに町の規模は大きく
中心部には活気が溢れています。
砂漠を移動する人たちの
休憩地点的な立ち位置かと思いきや
しっかりこの地に根を下ろし
生活している人はいます。
人口はなんと60,000人。
到着当日は、ここ最近モロッコでも
かなり賑わっていたサッカー大会
「コパ・アフリカ」の決勝戦。
モロッコの隣国で仲の良い
アルジェリアがセネガルを打ち破り
優勝したので皆、大盛り上がり。
こちらが滞在していたカフェの2階にある
1泊¥400の激安ホテル。
タンタンの街で疲れを癒したら、
さらにサハラ砂漠へと
深く深く突入してきたいと思います。
2019.07.27
【423日目 16,735km】
海辺の街アガディールを出発すると
さらに南、サハラ砂漠の方面へと向かいます。
砂漠の国・モロッコの夏は
いつもカンカン照りかと思いきや
朝方は雲が広がることが多いです。
涼しいので非常に助かる。
街を抜けるとバイパスのような
1本の大きな道路をひたすら進みます。
車がすぐ横を通りますが、
これまで旅をしてきた国の中で
モロッコは運転マナーが
さほど悪くはないような気がする。
昼には定番のタジン。
もはや他のメニューに
目を向けることはありません。
帰国したらタジンの写真展できるくらい
タジン食べまくりの撮りまくり。
午後から走り始めると、
いよいよ景色は
これまで以上に起伏のない
なだらかな荒野に変わっていきました。
こうして徐々に砂漠に近づくのを
感じています。
まれに小さなカフェや
レストランが現れる。
つぎの補給地点が遠い可能性もあるので
少しずつ水分を補給しながら
着実に距離を縮めていきます。
100km足らず走ったこの日は
「ティーズニート」の街に到着。
最高気温はおそらく30℃ほど。
南下しているもののマラケシュ周辺にいたころより
かなり涼しくなっています。
地形の関係でしょうか。
カフェの2階にある
¥500の安宿にチェックイン。
この価格帯の宿が通りに並んでおり
宿探しが楽なのがとてもありがたい
モロッコの道。
トルコ入国以来ハマってるカタツムリ。
調べてみると、
低脂肪で高タンパクなうえに
ミネラル豊富で消化器系にも優しい
かなりのスーパーフードだとか。
これからもお世話になります。
アガディール出発2日目。
街を離れるとあっという間に
見渡すかぎりの荒野。
モロッコ旅前半の景色と似ているようで
緑の数が着実に減っていることが分かります。
また街から街への間隔も
かなり長くなってきており、
マラケシュ以南は
人口密度が少ないことが
目で見てわかります。
道ばたのカフェで
しばしの休憩。
静かな場所でのんびりしていると
エネルギッシュな旧市街が印象的だった
モロッコとの別れが近づいてることを
予感します。
昼前にはアガディール出発以降、
最大となるであろう峠に差し掛かりました。
自転車を押しながらゆっくり登り
1時間ほどかけて頂上へ。
峠を越えるとちょうど昼頃に
「ラクサス」という小さな町に到着。
今日はヤギのタジン。
どれだけ暑くてもこれは美味しい。
¥300前後で買える毎日の幸せ。
モロッコ終わって
タジン食べられないの嫌だな…。
午後からも元気よく進みます。
最近涼しいので、
シエスタ(昼寝)することもなく
快適に走ることが出来てます。
サハラは意外と涼しいのだろうか。
「あぁ、涼し。楽だわ」と
余裕で走っていると、
舗装路は途切れて
ゴツゴツのオフロードへ。
スピードに乗れないし
コケそうになるし大嫌い。
オフロードに四苦八苦すること1時間ほど。
たどり着いたのは
地図にも載っていなかった小さな集落。
冷たい飲み物を買おうと
商店を探していると、
英語が堪能な男性と遭遇。
「お店は今日閉まってるし
ウチで休んでおいでよ」と
招いてくれたのは“ナジッドさん”。
言われるがままにホイホイついていき、
お家の中で冷たい水とスイカを
ご馳走になりました。
のどが渇いているときのスイカは
本当に美味しい。
まだ日が暮れるまで時間もあるので
ナジッドさんの案内で
集落を散策することに。
失礼ながら本当に何もない場所ですが、
こういうトコロに立ち寄れるのは
自転車旅ならではの恩恵です。
ヨーロッパに留学経験があり
“先進国”の生活を知るナジッドさん。
「モロッコの生活は
ストレスはないけど、退屈だよ」
確かに、静かで穏やかな場所だけど
ずっとここには居られないかも。
「もう今日は泊まって来なよ」
ということで、
ありがたく1晩お世話になることに。
部屋の中は空気がひんやりとして涼しく
のんびり移動の疲れを
癒すことが出来ました。
荒野のど真ん中の
名もない集落で(あるんだろうけど…)
まったりとした時間を過ごすことができました。
引き続き、南へと下ります。
2019.07.23
【419日目 16,553km】
賑わうマラケシュの街を後にすると
南へと下っていきます。
モロッコ前半はシャウエン、フェズ、マラケシュと
たっぷり観光を楽しみました。
これからは走行、走行で
とにかく南を目指していきます。
幸い海に向けてのルートは
起伏が緩やかで
走りやすい。
まずは海沿いの街
「アガディール」を
目指します。
マラケシュ周辺は
気温がぐっと上がると
聞いていましたが、
意外と涼しくて快適。
おそらく30℃前後。
昼はやっぱりタジン。
ずらっと並ぶ鍋が七輪でグツグツ煮込まれているのを見ると
寄らずにはいられないんです。
これはズルい…。
旅をしていて
ここまで1つの料理にハマる
っていうのは初めてじゃないだろうか。
野菜たっぷりで
意外と素朴な味が良いんです。
店の前で仲良くなった兄ちゃんが
メロンをくれました。
中央アジアもそうだったように、
昼夜の寒暖差がある地域は
メロンとスイカが甘くて
本当に美味しいです。
最近のお気に入りアイテムがコレ。
青の町・シェフシャウエンで買った絨毯(¥3,000)です。
最も気温が上がる昼過ぎの13~15時は、
体力を消耗しないためにスペイン人にならって
“シエスタ(昼寝)”を導入しています。
(僕は今フリーターなのでどれだけ寝てもいいんです。)
道ばたにこの絨毯を敷いて
ごろんと横になるのが実に心地良い。
やわらかな布の感触を味わうと
まるで部屋の中にいるような感覚になるんです。
いや、ホントに。
このときも廃屋の陰で
絨毯敷いてひと休み。
ロバが見守ってくれてるので
防犯面もバッチリです。
ロバって物凄い鳴き声で鳴くんですよ、
「ヴエ゛ーッ、ヴア゛エ゛ー!」って。
しっかり休んだら走行再開。
16時くらいになると
若干暑さも和らいで
走りやすくなります。
遠くに見える山が美しい。
この日は100kmほど走ったところで
町を発見。
まだ走れるけどここでストップ。
体力を温存しつつ、
距離もおさえ気味で走ることを
心がけてます。
着いたのは「イミンタノウテ」という町。
あまりルートの下調べしてなかったけども、
ここまで賑やかな町があるとは。
野宿の予定でしたが、
警察に身元確認をされ
「安いホテルがあるからそこに泊まりなさい」
との指示を受けてしまいました。
地元の人がホテルまで
案内してくれました。
大きなベッドが置かれた部屋が
¥600。
田舎は観光客価格じゃないから
助かります。
町の中心部にくり出して食事へ。
肉屋の店先に大胆に吊るされた
牛肉にそそられてそのまま購入。
軽やかな手つきで捌いてくれます。
さらに魚3匹(¥20!)も買って
近くの食堂で焼いてもらいます。
モロッコで数回目の
食材持ち込みスタイル。
食べたいものを食べたいだけ
食べられるから非常に便利です。
日本なら毎日そうめんしか食べたくない
ってくらい暑いにもかかわらず、
ここしばらく非常に食欲旺盛なんです。
1日1回は牛か羊の肉を
食べないと気が済まない。
どうしたんだろう?
マラケシュ出発2日目。
肉を食べてしっかり寝たらこの日も走ります。
前日はほぼ平坦だったのですが
この日は700mほどの標高を
一気に上って一気に下るという行程。
アップダウンがちまちま続くより
上りっぱなしの方が気分が楽です。
気温が上がりきらない午前中に
とにかく上る。
途中、大型トラックが道ばたに
はみ出してひっくり返ってました。
気の毒すぎて写真撮れなかったんですが
何があったんだろう。
昼前に峠を上りきったあたりで休憩。
一度絨毯の上でリラックスモードに
入るとなかなか走り出せなくなります。
冬場コタツから出られないみたいに。
なんせやわらかい布の感触によって
部屋の中のような居心地なので…。
午後からは緩やかな下りが
数十kmに及んでいました。
風を切りながら
のんびり走れると思いきや、
強い向かい風のせいで
結局必死に漕ぐことに。
そして夕方、
この日は70kmほど走って
そろそろ寝床を探そうと思いながら
道の脇の小さな集落へと向かいました。
予想以上に長い夜になるとは
露ほども知らずに。
18時ごろに着いたのは
「イムーゾーウ」という地域の小さな集落。
広場で談笑していた人たちに声をかけると、
「あそこの食堂の軒下なら
安全だしテントを張ってもいいよ。」
ということで、
村の人たちと楽しく話をしながら
食堂が閉店するまで待つことに。
21時頃、日が暮れてもまだ食堂は閉まらないので
相変わらずみんなでヘラヘラ笑いながら
お喋りしていました。
すると、
ヘラヘラ笑う村人たちとヘラヘラ笑う僕のもとに
キリッとした男性がやって来ました。
「ここで泊まろうという日本人とは君のことかね。
私はこの村の責任者だけども
保安上、君をここに泊めるワケにはいかないから。
もう警察にも連絡しちゃったから」
この村長的男性の出現によって
この集落には泊まれないことが確定。
ヘラヘラしてた村人たちも解散して、
とりあえずその場で男性と一緒に警察を待つことに。
30分ほどしてパトカーが到着。
「てか、外国人が宿泊施設以外に泊まるのNGだからね。
今日は警察の駐在所にテント張ってもらいます」
ということでパトカーに自転車を載せると
10kmほど離れた駐在所に身柄を移送されました。
到着するなり入念な身元確認。
これまでのルートや今後の予定を根掘り葉掘り聞かれました。
こちらからも事情を聞くと、
昨年は外国人をターゲットにした
残虐な殺人事件も起きているモロッコ。
観光が大きな産業であるこの国で、
外国人旅行者がトラブルに巻き込まれることは
何としても避けなければならないので
単独の野宿などは当然不可。
警察も旅行者の安全管理をしなければならない
とのことでした。
「こちらの安全を気にかけてくれてるんですね」と
感謝の念を抱きつつ、
テントに身を落ち着けたのは深夜0時ごろ。
思わぬ展開に身も心も疲れてぐっすり眠りにつきました。
そして、翌朝。
「お腹ぺこぺこですけど朝食は付いてないんですか?」
なんて聞けるはずもなく、
お世話になった警察の方に見送られて出発です。
少し山を上ると、急な下り坂を
一気に駆け下りていきます。
カーブの少ない坂を
猛スピードで滑り降りるって
自転車で1番気持ち良い瞬間です。
途中の村で早めのランチ。
(だって警察には朝食ついてないから)
もはやタジン以外には目もくれません。
ぺっこぺこの胃袋に流し込むタジンは
これまた格別です。
山を下りきると都市部に突入。
見渡しても荒野が広がってないのは
かなり久しぶりな気がする。
渇いた大地の果てになんとか
モロッコ西部沿岸までやって来ました。
マラケシュから走ること3日間。
海辺の街「アガディール」に到着。
ビーチリゾートの街に見所はさほどなさそうなので
ゆっくり体を休ませたいと思います。
2019.07.20
【414日目 16,302km】
フェズを出発してから
荒野を走り続けること4日目。
引き続きマラケシュを目指して走ります。
朝早く、
泊まっていたフキネ・ベンヌ・サラの大通りを
勢いよく漕ぎ出しました。
町を抜けると
あっという間に
何もない荒野の風景に戻ります。
目的の場所まで
200kmを切ると
もうすぐ着くという感覚。
このあたりやたら家畜用の干し草を
積んだ馬車を見かけました。
ただの草じゃんって思うけど
有名産地とかあるんだろうか?
この日は曇りだったので
暑すぎることなく
快適に走ることが出来ました。
30℃前後くらいでしょうか。
最近はヨーロッパの方が
40℃越えで大変らしいですが。
マラケシュに近づくにつれ
山が減ってきています。
この日の道はほとんど平坦で
汗だらっだらになることも
ありませんでした。
100kmあまり走ったところで
「エル・ケッラ・デ・スラーナ」の町に到着。
もう地名なんて全然覚えられません。
町で出会った人に
ホテルを紹介してもらいました。
ほどほどの規模の町であれば
安いホテルが簡単に見つかるので
助かります。
ベッドとイスだけが置かれた
何とも質素な部屋が600円。
Wi-Fiも付いてるので
コスパは非常に良いです。
翌朝もありがたいことに曇り空。
涼しい風を感じながら走り始めます。
マラケシュまではもう100km足らず。
この数日は景色が大して変わらないので
ただただ距離を縮めていくために
ペダルを漕いでいるという
気がしてしまいます。
お昼には道路わきの食堂でタジン。
鍋がずらっと並んでるので
ついつい食欲をそそられます。
この野菜たちの下に
やわらかい羊肉が眠っています。
味付けはどこも似通ってますが
具材が店ごとにちょっと違うんです。
お店の人が蓋を持ち上げて
湯気がもわっと立ち上がる瞬間が好き。
お腹を満たしたら
午後からもう一頑張り。
少しづつ交通量が増えているのがわかります。
そしてマラケシュ市内に入ってきました。
車や人の数も増え、
あたりはかなり賑わっています。
そしてフェズから走ること5日間、
500kmほどにおよぶ荒野の道のりの末、
「マラケシュ」に到着です。
毎度のことながら
到着の日は宿から動けません。
近くにあったカフェで
ラクダ肉のハンバーガーを食したら
この日はぐっすり。
観光大国モロッコの中でも
1番の人気観光地であろう場所「マラケシュ」。
イスラム王朝の都市として栄え、
1,000年ほどの歴史を持つこの街。
その風情ある街並みから“南の真珠”と称されてきたそう。
これまで訪れた他の街と同じように
中心部には旧市街の
「メディナ」が広がっています。
ただフェズほど混沌とはしておらず
ゆったりと歩いて見れるのが
マラケシュの良いところ。
通りには
絨毯、ランプ、革製品、スパイスなど
アラブの国ならではの
みやげ物をそろえた店が
ずらっと並んでいます。
フェズで浪費したのでここでは自重。
モスクや庭園もあるのですが
マラケシュでの楽しみ方はやっぱり
街歩き。
メディナで迷子になりながら
フラフラさまようのが楽しい場所です。
とつぜん地元の人が声を掛けてきて
「タンネリ(皮のなめし場)見せてやる」と
言ってきました。
「絶対お金せびってくるクセに」と思いつつ
せっかくなので見に行くことに。
フェズのモノに比べると
やはりスケールはぐっと下がります。
見学が終わるとやっぱり
「チップくれ、チップ!」
と言ってきます。
「ヤダよ、絶対払わないから!」
と応えると、罵詈雑言を吐き
彼は去っていきました。
多くの人が集まるのは
メディナに隣接した「フナ広場」。
フルーツジュースの屋台が無数にあり
歩いているだけでそこらじゅうから呼び込みの声が聞こえます。
オレンジジュースが1杯50円。
日中歩いて疲れたら
何杯でも飲めちゃいます。
ひんやり冷えてて
これがすごく美味しい。
そして「フナ広場」が
本来の魅力を見せてくれるのは日が沈んだ後。
ずらっと並ぶ屋台の明かりが夜の闇に浮かぶ様子は
実に圧巻。
写真や映像でもよく見られる
モロッコの象徴的なワンシーンです。
言ってしまえば広場の周りは
屋台とみやげ物屋が
あるくらいなんですが、
ヨーロッパを中心にあらゆる国からの
観光客の人々が悠久の街の
夏の夜を楽しんでいます。
夜になってフナ広場に姿を現した屋台は
ほぼすべて地元モロッコの伝統料理のお店。
魚の揚げ物やタジンにクスクス、
これまでのモロッコ旅で味わってきた
料理達がフナ広場では総出演です。
ガイドブックに載ってるような
定番メニューはおそらく
ここですべて食べられるはず。
タジンはフェズからの道中
食べまくってたので
魚介の盛り合わせを食べることに。
砂漠の国だけにどこでも海産物が
食べられるワケではないので
かなり美味しく感じられました。
フェズで食べたカタツムリが
マラケシュでも待ち構えていました。
揚げ物をさんざん食べた後でも
ペロッといけるクセになる美味さ。
ヘンなものにハマってしまった。
このマラケシュをもって
モロッコの観光地巡りは終了。
ここからはさらに南下して
サハラ砂漠へと向かいます…。
2019.07.15
【411日目 16,108km】
迷宮都市フェズを発とうとした朝、
突然なぞの腹痛に苦しみ出発を2日延期。
フェズでは予定オーバーの5日間も滞在してしまいました。
体調が戻ったら改めて出発。
500km近く離れた大都市マラケシュを目指して
進み始めます。
街を離れてもしばらくは
人の多い町が続いていました。
町さえあれば補給ができるので
暑さの中でもとりあえず安心。
水だけは絶やさずに
走らねばなりません。
それでも朽ち果てた家が増えていき、
南に下りるにつれて
過酷な砂漠地域に向かっているのを
感じます。
ちょっと怖いけど、
ワクワクもしている今日この頃。
小さな集落で食堂を見つけ
昼食をとることに。
走行中は
肉類、豆類のたんぱく質を
摂るようにしています。
昼の休憩をはさんだら
午後から再び走行開始。
さらに家屋は減って
渇いた荒野が延々と続いていました。
だだっ広い荒野でも
家畜を見るとひと安心。
動物がいるということは
近くに人間もいるということ、
倒れても助けてくれる人はいる…。
100km近く走ったこの日は
“アムガッセ”という小さな集落に到着。
野宿場所を探してウロウロしていると
地元の警察官がやって来て
「ここでキャンプはダメだ!」とのこと。
そうはいってもホテルなどあるはずもないので
テントを張らせてくれるお家を探すことに。
他人のお家にお願いするときは
玄関もしくは門の前に立って
「こんにちはーー!(現地語)」と
元気よくニコニコ笑顔で挨拶しています。
すると一軒目で
快く受け入れてくださったのが
“モハメドさん”。
この旅で何人目のモハメドさんだろう?
とにかく裏庭にテントを
張らせてもらいました。
テントを張らせてもらい
水浴びが終わったら、
何と食事までご用意いただきました。
申し訳なくていつも断ろうとしますが、
断り切れたためしがありません。
優しい人はどこまでも優しい。
テントを張ったにもかかわらず
「こっちのが気持ち良いよ」と、
軒下に布団を敷いてもらいました。
中央アジアでも何回かあったけど
星空の下に布団敷いて寝るのって
最高に気持ち良いです。爆睡。
翌朝も朝食をご馳走になり準備が整ったら
モハメドさんともお別れ。
言葉も通じない人間に優しくしてくれて
本当にありがとうございました。
出発するなりあたりは何もない荒野。
しかも起伏はかなりのもので、
どこまで行っても変わらない風景を
せっせと進んでいきます。
主要道ではないにもかかわらず
道は安定して舗装されており
交通量も多くはないので
走りやすいのは助かります。
ただ暑い…。
昼頃に休憩に寄った店で
ジュースを飲んでると
「腹減ってんだろ?食べろ」
と無料でサンドウィッチを
ごちそうになりました。
ありがたや。
休憩していた村を離れると
また同じような荒野の風景。
山を越えた向こうにまた山が見えると
本当にげんなりします。
どこまで続くのか…。
牛に注意。
徐々に日が傾いてきました。
今日もぼちぼち寝床を探さねば。
といっても道路脇に
隠れやすい場所がないので
この日も農家さんの庭にお願いしたい。
すると何もない荒野の中に
このあたりではかなり立派な2階建ての建物がありました。
ご挨拶して話を聞いてみると、
ここは“エッディさん”はじめ複数の家族が
共同で農場を運営しているところ。
このあたりは何もないからここで泊まっていきなさいと
ありがたく宿泊許可を頂きました。
しかも外ではなく
応接室のようなところを
開けていただけました。
かなりしっかりしたお家。
割と裕福なんだろうか。
一晩ゆっくりさせていただくと
またこの日も出発です。
フェズを出発してから3日目。
漕ぎ始める前には子供たちと記念撮影。
撮影を終えて、いざ出発!
と思ったら後輪のパンクが発覚。
1月のトルコ以来
実に6か月ぶりのパンク。
出発直前に気づくのは
本当に気持ちが萎える…。
パンク修理が完了したら
気を取り直していよいよ出発。
まあ、景色は前日までとなんら変わり映えしません。
何もない荒野に“注意!”の看板。
何もなさ過ぎて眠たくなるような道の
どこに注意すればいいのだろうか。
お昼ごろには
割と大きな街に到着。
暑さのあまり食欲はないのですが、
次の町が数十km離れてる時は
とりあえず食べとかなければ
体力が持ちません。
あたりを探しても見当たるのはケバブ屋さんばかりでした。
ここは自分で直接
肉屋さんから肉を買うスタイル。
買った肉を持っていくと
近くのお店で焼いてくれます。
このおじさんの仕事は
持ち込まれた肉を
美味しく焼くこと。
300円ほどで
それなりの量が食べられます。
モロッコでは羊や鶏よりも
牛肉を食べる機会が多いですが
値段の割にかなり美味しいです。
栄養を蓄えたらさらに西へ。
起伏はほとんどなくても、
景色が変わらないせいかすごく疲れる気がする…。
夕方には
「フキネ・ベンヌ・サラ」
という町に到着。
予想以上に大きな町なので
ホテルに泊まることに。
シングルルームで
¥2,000足らず。
エアコンはついてないけど
疲れを取るには十分の快適さでした。
やっぱりベッドはよく眠れる。
こんな感じでひたすら荒野を進んでます。
マラケシュまであと200km。
2019.07.11
【405日目 15,827km】
シャウエンから2日かけてたどり着いた街「フェズ」。
自転車はひと休みしてのんびり観光です。
モロッコに旅行にやって来た人のほとんどが訪れるほどの
人気観光地であるフェズ。
青の町・シャウエンと同じく、
“メディナ”という城壁に囲まれた旧市街があり
世界遺産にも登録されているこの一画が
そのまま観光の見所となっています。
“ブルーゲート”と呼ばれる門をくぐり
メディナの内部へと入り込むと、
そこには古くから続く
アラブの世界が広がっています。
路地の幅はせいぜい2~3m、
すれ違う人と
肩がぶつかりそうになるほど狭く、
とうぜん自動車は入ってることが
出来ません。
街の高台から見下ろしたフェズのメディナ。
昔ながらの建物がぎゅっと密集しているのがよく分かります。
複雑に配置された家々が
つくりあげる小さな通りの数は
1000を超えるともいわれ
まさにこのフェズは迷宮都市。
旅で慣らした方向感覚も
全く役に立ちません。
観光客が練り歩く主な通りが
2本あるのですが、
そこをはみ出てしまうと
地元の方の生活エリアに
迷い込んでしまいます。
夏の暑さとアラブ人たちの熱気で
溢れかえる旧市街。
ヨーロッパにはない
エネルギッシュな商人の町です。
メディナの中にあるのは家屋やお土産屋だけではありません。
細い路地の中に突然、荘厳なモスクが現れます。
建物の規模はあまり大きくないものの
彫刻は非常に細かく繊細で
建物そのものが芸術品。
久々に見たけど、
やっぱりモスクはしびれます。
なかでも「カラウィーン・モスク」は、
859年に神学校として設立され
現在でも教育機関として機能しており
現存する最古の大学として
ギネスブックに登録されているそうです。
でも、イスラム教徒以外立ち入り禁止。
そして、
フェズの象徴ともなっているのが
メディナの中に位置する“タンネリ”。
このタンネリは動物の皮をなめす作業場となっており、
蜂の巣のようにずらっと並んだ大きな桶の中には
なめしに使うタンニンの液がたっぷり。
数百年前から続く伝統的な
皮のなめし。
この時も暑い中、
職人さんがせっせと
作業をされていました。
近くの革製品のお店の方の案内で
作業を間近で見せてもらうことが
出来ました。
こういう職人さんの仕事を近くで
見るのってたまらないです。
渋くてカッコいい。
なめすのは牛だけでなく
羊、ヤギ、ラクダなど色々な動物の皮。
見学している間にも
作業場には
次々と皮が運ばれていました。
作業場一帯に立ち込めるのは
独特のニオイ。
1番スゴイところだと
ドブと生ごみと野良犬が混ざったような
とても素敵なニオイがします。
ということでフェズの名産品はもちろん革製品。
タンネリの作業場を見学した後は
「さぁ、買っていけ」と
もの凄い勢いでセールストークが始まります。
なかでも有名なのは
“バブーシュ”という
モロッコスタイルのスリッパ。
革の柔らかさが
足をスッポリ覆ってくれて
素晴らしい履き心地です。
他にもカバンやベルトを筆頭に
あらゆる数の革製品のお土産屋さんが
これでもかというほどに
通りに連なっています。
観光地でのセールストークって
割と楽しくて、嫌いじゃないです。
さらにこの街は革製品だけでなく赤銅も名産。
歩いているとどこからともなく
カンカンと鐘を打ち鳴らすような音が聞こえてきました。
ときどきテレビで猛スピードの餅つきとか見ますけど、
あんな感じで抜群のコンビネーションの職人技を見せてくれました。
商人だけでなく
職人の街でもあるモロッコのフェズ。
街の片隅で、こちらには目もくれず
黙々と作業をおこなう
仕事人があちこちにいました。
フェズでのんびり過ごす間に
モロッコの定番料理を堪能しました。
まず1品目は「クスクス」。
北アフリカだけでなく、
中東やヨーロッパでも食べられているコチラ。
小麦からできた粒状の食材で
世界最小のパスタと言われているそうです。
上には野菜や肉の煮物や炒め物がのっており
これだけでお腹いっぱいの定番モロッコ料理!
続いて食べたのは「タジン」。
とんがった蓋が有名なタジン鍋で
香辛料をふんだんに使った煮込み料理。
この時食べたはチキンでしたが、
羊肉や野菜など色々な
食材や味付けがあるそうです。
そして、通りの屋台で食べたのが
「カタツムリ」。
これが貝みたいで旨味があって
結構美味しいんです。
近くでじっくり見たら食欲失せるんで
勢いでどんどん食べるのがコツ。
スペインでもらった特別賞のトロフィーを持って走っていると
「これ何?ねぇねぇ何なの??」と、
しょっちゅう聞かれて
いちいち説明するのもめんどくさいので
日本に送ることにします。
加えて、フェズの魅力的な工芸品に購買欲をそそられて
おみやげ爆買いしちゃいました。
お気をつけて日本まで行ってらっしゃいませ。
‹お知らせ›
旅で出会った方のご縁を通じて、
「Grobal Travel Channel」という
インターネットラジオに出演させていただきました。
オーストラリアに拠点を置く局なので全編英語ですが、
旅について色々お話していますので是非聞いてみてください!
https://www.globaltravelchannel.com
2019.07.6
【403日目 15,827km】
青の町・シャウエンでの観光を終えると
次なる場所へ向けて走り出します。
シャウエンが位置するのは山の上。
走り始めは
一気に傾斜を滑り降りていきました。
海辺に比べて緑が増えました。
何もない土色の岩山に比べれば
見てるだけで
暑さが和らぐような気がします。
気持ちの問題だろうけど…。
走り始めて1時間ほどのこと、
道の途中で大きな荷物を携えた
ブラジル人サイクリストと出会いました。
(写真撮り忘れたけど…)
彼は僕がこれから向かう西サハラから北上してきたらしく、
1ヵ月近く走ったモロッコで
最初に出会ったサイクリストが僕だとのこと。
他のサイクリストがいないということは
間違った季節に間違った国を走っているということなのか…。
それほどこれからやってくる暑さは厳しいのか…。
いや大丈夫。絶対に大丈夫。
…うん、大丈夫大丈夫。
昼は小さなカフェで休憩。
「なんか食べさせて」というと、
煎り卵が出てきました。
料理というより
ホントただの煎り卵。
午後からは比較的道は平坦。
ただ14時頃になると
ギラギラ輝く太陽に
汗が止まりません。
まだ35℃まであがってないだろうけど
かなり暑い…。
とにかく頻繁に休みを取ります。
スペインとあまり変わらないと
思っていたけど、
やっぱりかなり暑くなってます。
1日の走行計画を見直さねば…。
ヨーロッパと違って
自転車乗りの方はいなくなったけど、
ロバが引く馬車(ロバ車?)が
すごく多いんです。
いつ着くの?ってくらい
遅いので追い越してきますけど。
少し涼しくなってきた夕方、
そろそろ野営地を探そうと
思ったところで、
「ジョルフ・エル・メルハ」
という町が見えました。
寝床を探す前にまずは腹ごしらえ。
この日のディナーは道ばたのケバブ屋さん。
炭火焼きのビーフケバブ。
つまりバーベキューなのですが
これが疲れた体に染み渡る
美味しさ。
値段はおよそ300円。
イランでは毎日食べすぎて
ケバブにはうんざりだったのですが
久々に食べるとやっぱり美味しい。
モロッコ後半には
また飽きるんだろうか…。
さすがに町のなかにテントは張れないので、
少し離れた場所で集落を発見。
テントを張らせてくれないかと頼んだところ
集落のモスクに泊めてもらえることになりました。
完全なる野営を予定してたけど、
屋根の下に
なんと布団まで敷いていただきます。
蚊はすごい出るけど…。
文句言うな。
さらに
「お腹減ってないかい?」と
お食事まで提供していただく始末。
モスクには宿直の方がおられるので
本当に至れり尽くせり。
突然やって来た異国からの旅人を
暖かいおもてなしで迎え入れてくれるモロッコの人たち。
同じイスラム教国である中東・イランを思い出しました。
心優しきアラブ人に感謝です。
翌日は朝から曇り。
曇り空ってどんよりして好きじゃないけど、
さすがにモロッコの暑さのなかでは
嬉しい気持ちが上回ります。
あたりは牧畜をおこなう
小さな集落がときどきあるのみ。
人間よりも
牛や羊を見かけることの方が
多いです。
前の晩モスクで現地の方の優しさに触れたこの日に
ちょっと悲しい出来事が。
小さな集落を通過する際に
子供たちに石を投げられました。
しかも背中に命中。
イラッとしたけど、
実はこれアフリカを走るサイクリストによくあることで
人種差別というよりも
子供たちは多分ふざけて遊んでるだけ。
(許せないけど…)
でも、
その1時間後には車で通りがかったおじさんに
「ようこそモロッコへ、楽しんでけよ!」と、
冷たいペットボトルの水を頂きました。
旅には色んな側面があって、
なるべく明るく楽しい面を見るようにしなければ
長い旅を続けていくことは出来ないです。
体調を整えるのと同じくらい、
心のバランスを保つことも大事。
ポジティブ、ポジティブ。
この日は前よりも
かなり起伏が激しく
時には自転車を押しながら
ゆっくりゆっくりと進んでいきました。
午後からは雲がなくなり、
青空が広がりました。
同時に気温も上昇、
暑い日の上り坂は本当に過酷。
ふらふらになりながら
黙って歩を進めます。
峠を越えたはるか向こうに
目的の街がぼんやりと見えてきました。
さらにいくつかの坂を越えて
市街地に突入です。
ほっとするけど
モロッコの街はかなり汚くて
でっかいゴミ箱の中にいる気がする。
クサい…。
シャウエンから走ること2日。
暑さのせいでたった2日間なのにどっと疲れたけど、
シャウエンにならぶ人気観光地フェズに到着です!
2019.07.2
【400日目 15,634km】
モロッコの玄関口タンジェを出発し
ついにアフリカ旅が開始。
まずはモロッコの一大観光地を目指します。
道ばたで野宿をした翌朝、
天気は快晴。
前日に引き続き気持ちよく走り出すも
待ち構えていたのは長く続く上り坂。
午前中は涼しいのでまだマシだけど
これからモロッコ南部までは
山が続く予定なので不安。
峠を越えた向こうにはまた峠。
モロッコは初っ端からハードです。
このあたり路肩は
あまり整備されていないけど
交通量が少ないのが救い。
さほど車を気にすることなく
走ることが出来ました。
昨晩の野営地から40kmほど、
最後に大きな坂を上り切ると
目的の町が見えてきました。
やって来たのは「シェフシャウエン」、
モロッコで最初の観光地です。
着いたのはお昼過ぎだけど
2日間走っただけで体はバテバテ。
宿にチェックインした後は
そのままベッドに倒れ込む。
夜に中華だけ食べたら
この日は終わりです。
次の日はいよいよ観光開始。
家の壁から階段まで
すべてが真っ青に塗られたシェフシャウエン。
地元の人からもシンプルに「シャウエン」と呼ばれ、
“青の町”として有名な景色は
世界中からの多くの観光客を魅了しています。
「メディナ」と呼ばれる
城壁で囲われた旧市街は特に真っ青。
迷路のように入り組んだ路地の
目に飛び込んでくる一面の青。
現実離れした絵画のような
空間です。
この時、朝食前の朝8時ごろ。
地元の方と時々すれ違うくらいで
他の観光客もおらず、
青の世界を独り占め。
幾度となくシャッターを
押してしまいます。
朝の時間帯は
細い路地まで日が差し込んでこず、
少し影のある
深い青を楽しむことが出来ます。
無機質ですごく幻想的。
旧市街を見下ろす丘の上から眺めた
シャウエンの町並み。
およそ500年前に
スペイン・イベリア半島を追われたイスラムの人々が
地元の民族やユダヤ人と共に住み始めてできたというこの町。
山の斜面に民家が密集している様子は
かつてイスラム王朝が支配していた
スペイン・アンダルシア地方
にも似ています。
人の移動と共に文化も海峡を越えた
というのがよく分かる。
気になるのがシャウエンが青く塗られている理由。
町の人にも聞いてみたのですが、
誰も明確な理由を知りません。
ただ広く知られている説が2つあるようで、
まず1つがイスラム教、ユダヤ教ともに
“青”を神聖な色と捉えているからという説。
そしてもう1つが
「青は蚊が嫌う色だから」という説。
実際にシャウエンでは、
8月になっても蚊はいないらしく
お年寄りの方もこの町では
蚊に刺されたことがないそう。
なんとも合理的な理由ですが
真相はいかに…。
日中に再び旧市街を歩くと
朝とはまた違った様子を楽しむことが出来ました。
現地の伝統工芸の絨毯が
壁一面にズラリ。
ビビットな色が
青の景色によく映えます。
朝は何もなかったのに
物凄い数のみやげものが
路地に現れていました。
毎日出したりしまったり
大変そうだけど…。
人気の撮影スポットには人が殺到。
順番待ちをしなければ撮れないほど。
朝はあんなに静かだったのに、
もの凄い賑わいです。
日の光に照らされた青もまた素敵。
時間帯によって色の映え方が
違って見えるのが面白いです。
暑くてずっと歩いてられないので
宿に戻ったり、また出かけたり。
シャウエンの町には
たくさんのお土産屋さんがひしめいていますが
その中で流暢な日本語を操って声を掛けてくる男の子が…。
彼の名は“モハメドくん”、17歳。
4年前から本格的に外国語の勉強を
始めたというモハメドくん。
アラブ語、英語、フランス語、
スペイン語、中国語がペラペラ。
1番苦手だという日本語も
かなりのレベルです。
日本語を教えながら一緒にディナー。
言葉巧みに言い寄ってくる商人は
山ほどいますが、
彼からは純粋に日本語を勉強したい
という気持ちが伝わってきました。
楽しい時間だったな。
シャウエンの町を歩いていると
お土産屋さんでしょっちゅう目にするのが
手のひらに目が描かれたこのマーク。
調べてみると、
“ファティマの手(またはハムサ)”と
呼ばれるもの。
イヴィル・アイ(邪視)という呪いの視線を除ける効果があり、
北アフリカや中東で広く知られているそうです。
要は事故や災難から
身を守ってくれるお守り。
タクシードライバーなんかも
交通安全を祈願して
ミラーからぶら下げているとか。
キーホルダーやマグネット、
財布やバッグの柄にいたるまで
とにかく色んなものにおいての
モチーフとなっている
ファティマの手。
アクセサリー屋さんに行って
アフリカを走行する旨を伝えると、
「ファティマの手は
君の旅にぴったりのお守りだよ!」
とのことで、
さっそく作ってもらうことに。
色はもちろんシャウエンブルー。
(汚い足見せてゴメンなさい。)
危険な自動車や盗人、マラリア。
ゾウやライオンにカバ。
アフリカ大陸には危険な存在がうようよしていますが
そんなヤツらを
“ファティマの手”で退けながら進んでまいります!
2019.06.28
【398日目 15,594km】
ユーラシア大陸最後の町「タリファ」に着いた後は
しばらく、のんびりまったり。
ヨーロッパの滞在期限が90日間だったのですが、
ビザ失効1日前の89日目まで
スペインの端っこで往生してやりました。
疲れもしっかりとれたら
いよいよアフリカに向かいます。
荷物をまとめてタリファの港へ。
フェリーに乗って進むのは
地中海と大西洋の境でもある
ジブラルタル海峡。
わずか20kmほどの航路を
1時間足らずで
渡り切ってしまいます。
離れていくイベリア半島を見送りながら
思いのほか激しくうねる波の上を
揺られました。
時間短縮のためか、
入国スタンプも
船上で押されてしまいます。
アフリカ旅はじまりの国であり
21ヵ国目となるのは「モロッコ」。
公用語はアラブ語、ベルベル語ですが
多くの人が流暢なフランス語を話せるそう。
トルコ以来のイスラム文化圏に突入です。
港の簡易的な入国審査を7秒くらいで終えると、
モロッコの玄関口「タンジェ」の街に到着です。
熱気にあふれていると思いきや、
意外とスッキリとした印象。
特に海沿いの大通りは
綺麗に整備されており、
ゆるー南国の雰囲気。
イメージしていた「アフリカ感」は
まだしばらくお預けか。
この日は走行せずにタンジェの街で過ごすことに。
港からほど近い旧市街の安宿で1泊します。
海沿いを見たときには
感じませんでしたが、
旧市街に入り込むと
途端にイスラムの雰囲気が漂います。
もうヨーロッパじゃないんだな…。
当たり前だけど。
これまで訪れた国の中では
やはり同じイスラム文化圏の
イランに近い気がします。
迷路のような街と
鼻を突いてくる香辛料の匂い。
宿に荷物を置いたら地元の食堂へ。
勧められるがままに食べたのは
「魚の揚げ物」。
モロッコ旅の楽しみの一つは
その豊かな食文化。
これはまぁ普通の魚だったけど。
この日はあてもなく街をぶらぶら。
商店をのぞいてみると
ヨーロッパに比べ物価が下がったこと
を確認して安心しました。
おそらくこの旅で最も物価の高い
地域は抜け出せたはず。
宿の屋上から見渡すタンジェの旧市街。
いわゆる先進国といわれる国々を走るうちに薄らいでいた
旅のゾクゾク感が蘇ってくるのを感じます。
これから始まるアフリカ旅が本当に楽しみ。
これからアフリカ大陸を南下していくのですが
①モロッコ→セネガル間、西サハラ地域を走行
②セネガル→ケニア間、今回の旅初めての空路移動
③ケニアから南アフリカ喜望峰を目指して南下
という流れで走行していく予定です。
アフリカ大陸すべて陸路で縦断したいところですが、
旅全体のスケジュール、季節を考慮した結果
このような計画となりました。
この旅で最も楽しみにしていた大陸・アフリカ。
忘れられない素敵な出会いに恵まれますように。
ということで
タンジェの街で1晩すごしたのちは
いよいよアフリカの大地を走り始めます。
とはいってもまだスペインと
さほど離れていないこともあってか、
アンダルシア地方と似たような
渇いた茶色の丘が続く風景。
道もしっかり舗装されています。
時にあらわれる路肩の商店で
フルーツを買って休憩。
アフリカでは頻繁に休みを取りつつ
“疲れ果てない!”
をモットーに走るつもりです。
ゆっくりコツコツ進むスタイル。
昼を過ぎると
一気に気温が上がりました。
少しでも上り坂になると
汗が噴き出してくる。
それでも気温はまだ30℃ちょっと。
慣れねば…。
80kmほど走ったこの日は道路から離れた
大きな木の下で野宿。
地元の人曰く、
「モロッコはどこでもキャンプできる」そう。
助かります。
夕食は相変わらずのパスタ。
せっかくなのでアフリカ流の料理を
マスターしてやろうと考えてます。
といいながら
しばらくパスタばかりだろうけど。
人が近寄ってこない場所を
選んだつもりでしたが、
テントで休んでいると
牛をつれた人が。
この後、
羊の大群も横切っていきました。
ついに始まった旅の第2章にあたるアフリカ編。
決して無理せず、しっかりご飯食べて
健やかに旅の日々を過ごしてまいりたいと思います。
2019.06.24
【394日目 15,514km】
スペイン・イベリア半島の最南端を目指す前に
まずはマラガの街を
散策してみることにします。
スペイン6番目の人口を誇る都市「マラガ」。
多く人を抱える大都市としては
ヨーロッパで最も南に位置している街です。
中心部には
ブランド店などが並ぶ大通り。
沢山の観光客たちが闊歩していました。
かの芸術家ピカソを
生んだ場所でもあります。
マラガの街に集まる人々の目的は
“コスタ・デル・ソル(太陽の海岸)”
と評される美しい海岸。
結構な割合でヌーディストがいるので
写真を撮るのは一苦労。
(皆さん下ははかれてましたよ。)
実はこの街で、
10か月前にキルギスでお会いした
日本人の旅人の方と束の間の合流。
再会を祝してちょっと奮発。
海の幸を遠慮なく平らげました。
複数人だと色んなメニューが
食べられるから素晴らしいです。
料理って1人で黙々とではなく、
「美味しいね。」「そうだね。」
と笑顔で食べるもの。
まぶしい日差しが照りつけるマラガの街で
3日間ほどのんびりしたら、
いよいよスペイン
そしてユーラシア大陸最後の地
を目指して走り始めます。
マラガを抜けても
海岸沿いは人の多く住む
住宅街が続いており、
交通量の多いバイパスに沿って
走って行きます。
風が吹き抜けるからなのか
海沿いの道はあまり暑くもなく
起伏も少ないので
力強くペダルを踏みしめて
ぐんぐんと進んでいきました。
100kmあまり走ったこの日は
小さな町のビーチにテントを張ることに。
基本的には海辺一帯は野宿禁止みたいだけど
茂みに隠れてこっそりしちゃいます。
目の前は地中海。
日が傾きはじめる頃には
誰もいなくなり、
波の音を聞きながら
ゆっくりと眠りました。
翌朝、目を覚ますと東から眩しい朝日が
煌々と輝き始めていました。
今日は旅の節目ともなる特別な日。
前日に引き続き
海沿いのバイパスを
南へ南へと進んでいきます。
目の前にひろがるイベリア半島の大地。
この景色ももう間もなく
見納めとなります。
目に焼き付けるように
噛みしめて走る。
お昼の休憩を挟んで、
最後に待ち構えるのは
標高300mほどの山。
午後からは少し気温も上がって
のどがカラカラになりながら
何とか登っていきます。
峠を越えると最後は
長い下り坂。
強く吹き始めた風は止むことがなく
海峡が近づいていることを
予感させます。
そして、坂を下った先には
「タリファ」と書かれた看板が。
スペイン・イベリア半島の
最南端の位置する岬の町に
やって来ました。
強く気持ちのいい風が吹き抜ける
小さな町を走りぬけた先には
港が見えてきました。
やっとここまで来たんだと
少しずつ胸が高鳴っていく。
そしてついに、
スペイン・イベリア半島タリファの港に到着です!
青い空の下に広がるのは
スペインとモロッコに挟まれたジブラルタル海峡。
さらに向こうにうっすらと見えるのは
これから向かうアフリカ大陸。
ということで
1年余りに及んだユーラシア大陸横断の旅は
ここタリファの地で終わりを告げます。
一部交通機関を使用した区間もありましたが、
確かにこの足で(タイヤで)
地球上最も大きな大陸を踏みしめてまいりました。
掛かった日数:394日
走った距離:15,514km
訪れた国:20ヵ国
使ったお金:約100万円
出会った人たち:数知れず
この旅路での経験を勇気と自信に変え、
この先に待ち構えている
アフリカ大陸の旅を乗り越えてまいります。
タリファ到着のこの日は、
ユーラシア完走を祝してビーフステーキ。
安宿泊まれるくらい高かったけど
ヨーロッパ最後のご馳走です。
ボートに乗ってアフリカに向かう前に
しばらくタリファの町でゆっくりすることにしました。
ヨーロッパの滞在ビザももう少し残ってるので。
これまでに見たスペイン南部の
典型的な町並み。
歩いているだけで落ち着く
白い壁がどこまでも続きます。
特に観光資源があるわけでもなく
町の観光客は決して多くはありません。
最果ての町なので、
都市からのアクセスが
すごくいいわけでもないし。
ひっそりとした町を抜けて
海辺に向かうとビーチは大賑わい。
ヨーロッパの人って
本当に海が好きみたい。
平日なのにすごい人が集まってました。
大洋に面し、強い風が吹き続ける
タリファの町はカイトサーフィンの
スポットとして有名。
広大なビーチには
無数のカイトサーファーたち。
移動の疲れも癒えて
気持ちの準備が整ったら、
いよいよ新たなる大陸「アフリカ編」の始まりです。
今は不安しかないですが、
きっと現地に着けば
忘れられない素敵な出会いが待っているはず。
さよならユーラシア。
待ってろアフリカ。
2019.06.20
【389日目 15,346km】
グラナダをしっかりと満喫した後は
スペイン南部の都市マラガを目指して進みます。
グラナダの街を離れると
あっという間に山の中。
またもや暑さとの戦いが始まります。
海の見えない内陸部は
どこを走っても山だらけで、
平らな道はほとんどなし。
常にのぼっているか
下っているか。
疲れる一方です。
山中といえど
原生林はほとんどなく、
アンダルシア地方には
みかんやオリーブ畑が広がっています。
どこまでものどか。
グラナダから60kmあまり走って着いたのは
山間の小さな街「アルアマ・デル・グラナダ」。
遠くからでも目を引くのは白い家々。
このあたりは温泉が湧いており、
川沿いに無料で入れる場所を発見。
さっそくパンツ一丁になり
汗と一緒に疲れも
流してしまいます。
やっぱり温泉、気持ち良い。
温泉で出会ったのは
アンダルシア地方の
旅行ガイドをしている“フランさん”。
一緒にアルアマの町を
散策してみることにしました。
グラナダでも見た
石灰を使った白い壁が並ぶ町並み。
迷路のような路地の幅が狭いのは
暑い日差しが差し込まないように
しているのではないか、
という僕の予想。
窓辺に飾られた真っ赤な花が
家の壁に映える風景は
ほんとうに絵画の様。
ここにお住いの方々の
美意識の賜物です。
観光客は一人もすれ違うことなく
たまに住民の人と出会うだけ。
美しい真っ白な空間は
観光用のテーマパークではなく
あくまで人が暮らすための町
だということが分かります。
町から見える
岩がむき出しになった断崖。
緑豊かな日本では見ることのない
大陸ならではの
ダイナミックな光景です。
観光を終えてフランさんに別れを告げると、
村から少し離れた農場の隅っこで
テントを張らせてもらいました。
海沿いは人がたくさんいるけど
山間部に入ってしまえばこっちのもの。
どこでも野宿できちゃいます。
翌日も青空の下、
元気よく走り始めます。
遠くに岩山が眺めながら進むのが気持ちいい。
空が澄み渡っていると
切り立つ岩山の迫力が
一層際立ちます。
ワイルドな光景が広がる
スペイン南部。
舗装された公道を
ずっと進んでいるのですが、
すれ違う車はほとんど無し。
荒涼とした空間を
1人占めにしながら
黙々と走りつづけます。
山を一つ越えたと思ったら、
その向こうにはどこまでも
起伏が続いています。
迂回する道など無く、
一つ一つゆっくりと越えていきます。
この日も前日と同じく
農場の隅で野宿。
近くに小川でも流れてたら最高ですが
文句なんて言える立場じゃありません。
静かな夜の中、ぐっすり眠らせもらいます。
夕食は相変わらずパスタ。
ヨーロッパを抜け出しても
これが続くんだろうな。
…だって簡単なんだもの。
明くる日はうってかわって
朝から曇天。
アンダルシア地方で青空を拝めないのは
はじめてのことです。
といっても、
あっという間に雲は流れ
昼前には晴れ間が見えてきました。
絶えず移り変わるところは
やはり山の天気。
道すがら立ち寄ったのはヤギ牧場。
広大な丘陵地帯で放牧を行うようです。
こんな穏やかな場所で育ったら
気持ち良いだろうな、
ヤギになりたい…。
ときどき現れる村は、
いずれも山の麓に
ぎゅっと身を寄せ合うように
白い家々が密集してます。
「ここが村!」って感じで
とても分かりやすい。
午後からは
すっかり天気も良くなり、
青空のもと勢い良く
山の間を縫って走ります。
グラナダを発って3日目。
「エル・チョロ」といわれる地域にやってきました。
湖をとり巻くように遊歩道が整備されたこのエリア。
実は、ここにやって来たのには理由がありまして…
※参考写真
それが、
「カミニート・デル・レイ(王の小道)」という
大渓谷の壁に沿った補助道を歩く
スリル満点の人気アクティビティ。
インターネットで事前にチケットを購入しようとしたところ
2か月先まで予約はいっぱい。
それでも
「1人なら現地で当日券が手に入るよ」と、
複数の情報筋から聞いていたのを信じて
突撃してみることに。
入り口ゲートに着くとスタッフのお姉さんがいました。
「あのぅ、予約はしてないんですけどもぉ…。
でも1人だけなんで入場させてもらえ…」
「ダメよ。帰りなさい。」
うつむきながら
来た道を引き返しました。
ヨーロッパの人気観光地はどこも
数か月前に予約をするか
旅行会社を通して手配するように
心がけましょう。
エルチョロのアクティビティを諦め
そのまま南へ向かうと
夕方にはアロラという小さな町に到着。
休みなく自転車を漕いだ上に
山道を歩いたことで
疲労が溜まったのか、
頭痛が起こり熱中症気味に。
見つけたモーテルにふらふら状態で
駆け込みました。
暑いなか毎日全力で漕いでたら
体力なんて持ちません。
余裕をもって
のんびり進んでいかねば。
人間いつも健康第一です。
一晩寝れば体力は回復。
海岸を目指して南下していきます。
山だらけの風景が
ビルも増えて
道も平らになってきました。
3日振りの都会のニオイ。
そして昼過ぎ、
スペイン最後の大都市「マラガ」に到着です!
ヨーロッパの旅もあと少し。
2019.06.16
【383日目 15,101km】
日ごと増していく暑さの中、
たどり着いたのは
スペイン南部アンダルシア地方を
代表する観光都市「グラナダ」。
ここでお世話になっていた
WarmShowerのホストは“ディヴィットさん”。
冬場はスキーインストラクターをされている
アクティブな方です。
お家を留守にされることが多く、
貸切状態で
気持ちよく過ごさせてもらいました。
ここを拠点にグラナダ観光を
楽しみます。
グラナダは観光地といえど
街の規模は割にこじんまりとしていて
人口はおよそ25万人。
広さも十分歩いて回れるほどです。
長い歴史のなかで
時代の波にもまれつづけたグラナダ。
それを象徴する古くからの遺産が
街の中心に
今もその姿を残しています。
小高い丘の上から街を見下ろしているのは
「アルハンブラ宮殿」。
グラナダはもちろん
スペインを代表する歴史遺産であり、
多くの観光客は
ここを訪れるためにグラナダにやってくる
というような場所です。
アフリカ北部から海を渡り
数百年に及んでスペイン南部を占領したイスラム王朝によって、
9世紀ごろから増築を繰り返し建てられたのがこの宮殿。
キリスト教カトリックの
レコンキスタ(スペイン国土回復運動)によって
王朝が陥落した後も、
あまりにも素晴らしい建築物だということで
破壊されることなく現在にいたるまで
その姿を留めてきました。
ものすごく歴史的価値のある場所だということで
当然この場所への観光は大人気。
インターネットで入場チケットを購入しようとしたところ
数か月先まで予約はいっぱい。
当日券を手に入れるには
早朝から長蛇の列に並んで
ダフ屋のおっちゃんと競争する必要があるということで
泣く泣く入場は断念。
現地の人曰く、
「この宮殿を見なきゃ
グラナダに来た意味はない」とのこと。
いいんです、いいんです。
宮殿から解き放たれるエネルギーを
たっぷり吸収したので。
そして、街のほぼ中心に建つのは
「グラナダ大聖堂」。
およそ200年の建築期間を経て
18世紀に完成したカトリックの大聖堂は
大きなビルのないグラナダにおいて
抜群の存在感。
正面に立つと圧倒されます。
内部はまさに豪華絢爛。
広いだけでなく
繊細な彫刻、装飾に目を奪われます。
イスラムに支配されつづけた街で
「ここはキリスト教の土地だ」と
高らかに宣言しているかのよう。
グラナダ陥落と同時に
スペイン国内のイスラム王朝は滅亡。
異なる宗教建築が共存していることは、
この場所が
土地争奪戦の最前線であったことを
象徴しているように感じます。
宮殿のふもとにあり、大聖堂を取り囲むように広がるのは
イスラム王朝時代の旧市街「アルバイシン地区」。
オスマン帝国文化圏でも見てきた
古くからのこる迷路のような住宅街。
アルハンブラ宮殿とあわせて
世界遺産に登録されています。
印象的なのは爽やかな白い壁。
ヨーロッパでは豊富に産出される
石灰が使われてます。
外壁が白いことで
熱を逃がすこともできるとか。
暑い地域ならではの工夫です。
イスラムの建築様式と
地中海沿いであるという要因が
重なってできる
この土地ならではの町並み。
あぁ、アンダルシア。
グラナダならではの食の楽しみ方があるらしく
昼間から賑わうバル(居酒屋)へ。
どこも列ができるほど人で溢れてます。
グラナダ名物の食事サービスが
「タパス」。
要は日本の“突き出し”にあたるもの。
(“お通し”?)
最初の1皿だけでなく
飲み物を頼むごとに付いてきます。
毎回違うものが色々出てくるタパス。
数軒はしごしながら
お店ごとのタパスを楽しむのが
グラナダ観光の定番。
何が出てくるかわからないから
おもしろいです。
グラナダ滞在中は市内観光だけでなく、
デイヴィッドさんや彼の友達と一緒に
山登りも楽しんできました。
といっても麓からではなく
車で移動して2,000m近い高さからのスタート。
グラナダからわずか30kmほどの南に
連なるのは「シエラネバダ山脈」。
スペイン最高峰のムラセン山を
有しています。
といっても3,480mなので
富士山の勝ち。
スペイン語で「雪の積もった山脈」を
意味するシエラネバダ。
アメリカにも
同じ名前の山脈がありますが、
デイヴィッドさん曰く、
「こっちがホンモノ」とのこと。
傾斜はきつくなく
気温もさほど低くないので
ピクニック気分でのんびり登ります。
といっても3,000m付近になると
わずかながら息が切れて
酸素が薄いのを実感できました。
丸みを帯びた地平線の上に広がる
一面の深い青は
空というよりももはや
すぐそこにある宇宙を
感じさせます。
3時間足らずで目的の3,393m峰に到達!
本格的な登山ではないけれど、
下に広がる絶景もあいまって
この時の達成感は素晴らしかったです。
世界の山を登りながらの旅するのも楽しそう。
この日は登りませんでしたが
さらに向こうには山脈の最高峰が見えます。
頂上目指して
少しずつ登っていくっていいですよね。
長い距離を進む自転車旅と感覚が似てる気がする。
帰国したら日本の山々も登ってみようかな…。
面白いのが登った後のこと。
スペインには
伝統的な昼寝文化“シエスタ”があります。
この時もデイヴィットさん達、
「ちょっとシエスタするわ。」と
いきなり寝はじめました。
大のオトナ達が地面にごろごろ。
何とも愛らしいぞ、スペイン人!
※この昼寝文化がスピーディな現代社会において、
スペイン経済を停滞させてるという説もあります。
観光したり、山に登ったり
気が付けば5日間も滞在してしまったグラナダの街。
のんびりリラックスした後は、
さらにスペインの南端へと向かいます!
2019.06.12
【380日目 15,101km】
スペインも後半戦に突入。
ムルシアから次なる場所へと走り始めます。
天気は雲一つない快晴。
午前中の間は暑さを気にすることもなく
気持ちよく漕ぎ出します。
ヨーロッパ全体に言えることですが
スペインでも自転車文化は盛ん。
いたるところで
何人もの本格的な
ロードバイク乗りの人たちに
追い抜かれていきました。
主要の幹線道路に沿って走ってます。
路肩は狭いけど
そこまで交通量がないので
割と余裕をもって
進むことが出来ました。
ちょうど昼頃にたどり着いたのは「ロルカ」という町。
中央にある高台に立つと
町の全体を見下ろすことが出来ます。
渇いた荒野の中にあらわれた
土色の石で造られた家々。
同じヨーロッパとはいえ
イタリア、フランスとは
明らかに違うスペインならではの
町という雰囲気です。
特に重要な観光名所はないらしく
散策している観光客の人とも
ほとんどすれ違うことはありません。
でも、何気ないただの町角が
すごく綺麗な場所でした。
再び走り始めて
午後にはスペインの
最も南に位置する
「アンダルシア州」に
突入しました。
この日はあまりの暑さに
かなり疲れが溜まったので
スペインで初めて宿に泊まりました。
30℃は優に超えてたと思います。
といっても去年の中央アジアは
毎日これ以上の暑さだったけど。
ベッドでしっかり休んだら翌日も朝から走り始めます。
ムルシアあたりから緑は減っていましたが、
このあたりからさらに渇いた荒野へと
景色が変わっていきました。
暑い時期のサイクリングは
涼しい午前中に
どれだけ距離を稼ぐかが大切。
暑さと同時に着実に戻ってくるのは
中央アジアの砂漠を走った時の感覚。
面白いことが起こったのは、
お昼に何か食べようと
「オルラ・デル・リオ」という
小さな町をウロウロしていた時のこと。
何か自転車のイベントをしていたらしく
サイクリストの集団に出くわしました。
パシャパシャと写真を撮っていると
「お前もついてこいよ!」と手招きされたので
何もわからぬままとりあえずついて行ってみることに。
たどり着いたのは
町の外れにある大きな倉庫。
中にはサイクルジャージを着た
サイクリスト達が100人ほど
いたでしょうか。
聞けば、この日
午前中は自転車レースをしており
午後からはこの倉庫で
打ち上げのパーティーが行われるそう。
会場に入るなり大勢の方に囲まれ
スペイン語の質問が飛び交いました。
パーティ-で皆が食べるのは
大きな鍋で炊かれた「巨大パエリヤ」。
スペインではイベント時の恒例なのか?
これで約100人分はあります。
何でも“デカい”ってだけで
興奮しますよね。
「特別ゲストなんだからお前も食え!」
と言われたので
遠慮なくご相伴にあずかりました。
こないだバレンシアの有名店で食べたけど
なんら遜色ないほど美味しかった。
きっとデカい鍋だから美味しいんです。
食事を済ませると
自転車レースの表彰式が始まりました。
少年の部、女性の部と
順に発表され、
表彰されていきます。
そしてなんと、
日本からの特別ゲストとして
“リョウスケ・トモタケ”が
町長特別賞を受賞してしまいました!
日本でも手にすることのないトロフィーを
スペインの片田舎でもらうことになるとは…。
ふらっと立ち寄っただけなのに、
気を使っていただいて申し訳ない。
自分の好きで誰のためにもならない旅をしてるのですが
こうして現地の人たちに暖かく迎えられると
心から嬉しく思います。
こんな思いもよらぬ出会いがあるから
「また先へ進んでいこう」
という気持ちになるんです。
夕方、パーティーが終わると
もう少しだけ進んでおきたかったので
再び走り始めます。
乾いた大地はどこまでも続く。
岩山のふもとに
人の来なさそうな場所を見つけ
テントを張ることに。
日が沈まないから
気温も下がらない。
日が長いぶん自転車を漕げる時間も
長くなるのですが、
毎日長時間漕いでられないので
正直8時ぐらいになったら
もう暗くなってほしい。
文句言っても仕方ないけど…。
野宿で夜を明かすと
引き続き走り始めました。
山の中にも自転車専用道が整備されており、
とても助かります。
遠くを眺めれば風力発電の風車が。
風車って牧歌的で好きなんですけど、
これがあるってことは
風が強い地域ということなので
「びくっ」と不安になってしまいます。
この時は強風は吹いてなかったけど。
小さな町で一休みして
午後から再び走り始めたとき、
ちょっとしたハプニングが…。
荒野の道を何となく走っていると
知らないうちに自動車専用のバイパスに侵入しておりました。
ビュンビュンとすごい勢いの車に
追い抜かれつつおろおろしていると
バイクに乗った警察がやってきます。
「ここは自転車走行不可だから次の出口で降りなさい。」
バイパスを降りたところで他に道は無いしどうしよう、
と悩んでいるとガソリンスタンドを発見。
しばらくしてやって来たワンボックスバンのドライバーさんに
事情を説明すると、自転車ごと載せてくれることに。
とてもスムーズにヒッチハイク成功です。
人にやさしさに助けられてばかり。
車を降ろしてもらった先に着いたのは
「グラディックス」という町。
遠くの山の頂には雪が見えるけど
まだまだ暑い…。
全然下調べをしてなかったけど
ものすごく綺麗な街並みでした。
スペインの小さな町って
どこも真ん中に教会が建ってて
美しいところが多いです。
この日も暑いうえに
目的地に早くついてしまい
日没まで時間がありすぎるので
キャンプではなく
宿に泊まることに。
クーラーが効いてなくても
屋内は涼しいし、ベッドはふかふか。
幸せ…。
キャンプばっかりしてると
初めてやってきた宿でも
快適すぎて家みたいに感じます。
ぐっすり眠って
明くる日は山を越える行程。
気合を入れて出発です。
起伏もかなり激しくなってきました。
暑い中での上り坂は
本当に過酷。
景色を楽しむ余裕もなくなります。
したたる汗をぬぐうこともせず
黙々と山を登り、
峠にたどり着きました。
ここからは下り坂。
気持ちよく滑降していると
緑も増えた山の中に
鮮やかなエメラルドグリーンの湖が。
断崖でなければ服を脱いで
飛び込んでしまいたいほど
綺麗な水辺でした。
やがて斜面も緩やかになり
平坦な道を進んでいきました。
スペイン南部は
緑が減ったり増えたり
とにかく景色がコロコロ変わる。
そしてたどり着いたのは
スペイン南部の観光都市「グラナダ」。
この街でしばし疲れを癒し、
観光を楽しみたいと思います!
2019.06.8
【375日目 14,805km】
バレンシア地方での滞在を終え
次なる場所へと向かっていきます。
これまでスペイン東側の海沿いを走ってきましたが、
クリェラの町からは
少しだけ内陸の山の中へと突入。
しばらく大きな幹線道路沿いを
走ったので
それなりに交通量もあります。
たくさんの車に追い抜かれつつ
少しずつ進みました。
出発から50kmほど走ったお昼頃。
ちょろっと立ち寄ったのは
山の麓にある町「ハティバ」。
山のゆるやかな斜面に
昔ながらの白い壁をした家屋が
立ち並んでいます。
とても静かな場所でした。
路地をさまよっていると
町の中央に建つ教会の鐘楼が
見えます。
迷子になりそうになるけど
この教会を目印になんとか
抜け出すことが出来ました。
午後から走行再開。
傾斜が徐々に急になり
わずかながら
標高が上がっていくのが分かります。
足に力を入れてせっせとのぼる。
この日から気温が一気に上がりました。
朝の走行開始時から半袖で走ったのは
今季初めて。
スペインもそろそろ南部に
差し掛かる頃です。
降り注ぐ日差しが強く
どんどん体力が奪われていきます。
ただこれから暑くなる一方なので
これに慣れていかねば。
先が思いやられます。
山をのぼった一帯が農耕地帯になっており
野宿場所を探すのに意外に苦戦。
ひっそりとした誰もいない公園を見つけ
テントを張ります。
この日のメニューは
手抜きインスタントラーメン。
安い袋ラーメンって
結構どの国でも売られてるので
かなり助かってます。
美味しいのはあまりないけど…。
翌日も朝から快晴、
この日はほとんど下り坂の予定なので
気持ちよく走り始めました。
暑さは前日と相変わらず。
山上だから若干涼しい気はするものの
少し走れば汗がしたたります。
これから休憩の頻度が
ものすごく増えそう。
これまで海沿いばかりだったので
スペインでは
山をじっくり見てませんでした。
南部の乾燥した内陸部では
大きな岩山がいくつもあるようです。
目前にしたときの迫力がすごい。
前日に山をのぼっていたときの
緑豊かな景色とはうって変わり、
乾燥した地域であることが
一目でわかります。
この景色を見るだけで
のどが渇いてくる…。
山を降りると道路も平坦になり
車の数も多くなりました。
目的の街まで颯爽と
駆け抜けていきます。
やって来たのはスペイン南東部に位置する
ムルシア州の州都「ムルシア」。
中心を流れるセグラ川のほとりに立つ大聖堂が印象的。
州都なので賑やかなのかと思いきや
こじんまりとしていて
割と静かな街でした。
街をぶらぶらする程度なら
ちょうどいい気温です。
自転車漕いだら暑いけど。
街の中心部を訪れても
観光客が殺到しているということもなく
とても過ごしやすい場所です。
これがスペインの
“普通の街”なんだろうなという感じ。
ムルシアの街で受け入れてくれた
WarmShowerのホストは“フアンさん”。
到着した日の夜は
自宅アパートの屋上でディナーをご馳走になりました。
そんなフアンさんは
ムルシア中心部の街角で
自転車屋さんを
営んでらっしゃいます。
店内をのぞいてみると
修理機材や自転車部品がびっしり。
僕がたどり着いた時も
複数のお客さんの対応中で
かなり繁盛しているようでした。
バルセロナでパーツを一新してから
なぜかペダルを重く感じていたので
チェックしてもらうことに。
細かい説明をしなくても原因を究明し
ささっと調整してくれる姿は
まさに職人です。カッコいい。
自転車屋の作業場のすぐ横が
居住スペースになっており
ここに泊めてもらってました。
実は家電とソファー以外はほぼすべて
フアンさんによる手作りなんです。
机や棚はもちろん、
床張りや電気配線まで
自分でやってしまったのだとか。
大学では工学でなく
経済学を勉強していたということで
自転車修理も含めすべて独学です。
かつては首都・マドリードで
システムエンジニアとして働いていたフアンさん。
「やるべき仕事は終わってるのに、
上司が席を立つまでは帰れないような日々にウンザリ」
と感じて故郷に戻ったそう。
どの国も似たようなもんですね…。
さらに旅人としての一面も持つ彼。
この夏には2ヵ月間お店を休み、
写真の黄色い自転車に乗って
イランの北隣・アゼルバイジャンまで向かうのだとか。
自宅のWiFiパスワードが
「Cars are shit(車なんてクソくらえ)」であることからも
溢れる自転車愛が感じられるフアンさん。
創造力いっぱいの彼のライフスタイルに
ものすごく刺激を与えられた
ムルシアでの滞在でした。
2019.06.4
【370日目 14,577km】
テント泊を続けながら
引き続きスペインを南下していきます。
スペイン各所には「Via Verde(緑の道)」
と呼ばれる自転車道が整備されており
とても走りやすくなっています。
イタリアやフランスのものと同様
かつての鉄道用線路を
サイクリングコースにしたようです。
極端な曲がりも少ないので
景色を満喫しながら
ゆったり走るのが気持ち良い。
途切れながらではあるけど
スペイン全土に広がるので
休暇ごとに色んなコースを走るのが
スパニッシュサイクリスト達の
楽しみだそうです。
時々パン屋などで
休憩に立ち寄りながらこの日も
ゆっくり進んでいきました。
この日は「プラヤ」という
小さな町のキャンプ場に宿泊。
最近サラミにはまってまして
テントをはり終えたら
ゆっくり食べるのが恒例。
イタリア発祥の乾燥肉ですが
ヨーロッパのどの国でも
たくさん売られています。
どんどん日が長くなっていく
この季節。
夕方6時なんてまだまだ青空全開。
本当に真っ暗になるのは
夜10時頃です。
そして翌日もとにかく南へと走ります。
長く続くVia Verede がありがたい。
まもなくスペイン第3の都市
「バレンシア」が近づいてきます。
交通量も徐々に増えてきました。
この日はバレンシアを素通りして
少し南にある町「クリェラ」へ。
お世話になる宿泊先へと向かいます。
クリェラで泊まったのは
個人のお宅ではなく、
いわゆるノマドワーカーたちへの
貸事務所の様なアパート。
こちらもWarm Showerを通じて
知った場所です。
オーナーがサイクリング好きな方で
自転車旅の人には
無料で宿泊させてくれるというもの。
色んなところで
自転車ならではの恩恵を受け取ってます。
クリェラの町に到着した翌日は
電車に乗って
バレンシアの観光にくり出しました。
スペイン東側沿岸のほぼ中央に位置する
バレンシア州の州都「バレンシア」。
マドリード、バルセロナに次いで
国内3番目の人口を誇る大都市です。
北部のバルセロナに比べると
雨も少なく気温も高く
イメージ通りのスペインといった気候。
観光客がまず向かうのは
旧市街の中心地にある「ビルヘン広場」。
多くの人が集まる賑やかな場所です。
広場を見守るように立つのは
「サンタ・マリア大聖堂」。
キリストが最後の晩餐の際、
使用した(可能性が高い)という
聖杯が収められています。
ありがたや。
大聖堂の横に建つ鐘楼の上にのぼれば
バレンシア旧市街が一望できます。
古い建物と新しい建物の
コントラストが面白い。
広場ではフラメンコの
パフォーマンスをしていました。
ふらっと見ただけなのに
物凄い迫力に一瞬で圧倒されます。
スペイン滞在中に生演奏付の踊りを
見ておかねば。
さらに広場から少し離れたところには
観光名所ともなっている中央市場。
要は普通の市場なのですが
100年近い歴史を誇り
とても活気に溢れていました。
地中海沿いの港湾都市だけあって
目を引くのは豊富な海産物たち。
魚、エビ、貝、イカ、タコ
とにかく何でもあります。
宿が近かったら
何か買って帰りたいのに…。
もちろん海鮮だけでなく
肉も野菜も揃っています。
どの国に行っても市場は
熱気があって
見ているだけでワクワクしてしまいます。
歴史ある街バレンシアですが
旧市街を離れた河川沿いの一画には
まったく違う顔ものぞかせています。
それが「芸術科学都市」といわれる
現代建築物群。
10数年前に完成した
劇場、水族館、プラネタリウム、博物館
などの複合施設となっているこの一帯。
建物そのものが芸術作品のようで
あたりには
別空間の雰囲気が漂っています。
もちろん中に入れば
色々見所もあると思うのですが、
周辺を散歩するだけでも
ちょっとした未来空間を味わい
近代都市としての
バレンシアを楽しむことが出来ました。
再び旧市街に戻ると
バレンシアが生んだグルメを堪能するため
事前に調べていた人気のレストランへ。
注文したのは伝統料理「パエリヤ」。
スペインといえば
まず思い浮かぶこの料理、
発祥の地はここバレンシアです。
熱々の鍋に平べったく盛られたのは
海鮮と一緒に炊きこまれたお米。
バルセロナを発って
初めてまともなレストランで
食事をしましたが
これは本当に美味しかったです。
特に、おこげのカリカリが。
といった感じでスペイン前半は
道も穏やかで非常にのんびり進んでいます。
この調子で南部まで楽しんでいきます!
2019.05.31
【366日目 14,420km】
バルセロナのマルコさんの家を出発して
いよいよ
スペインの大地を南へ走り始めます。
バルセロナは大都市であるにもかかわらず
思いのほか車の流れもスムーズ。
自転車を漕ぐのも苦戦することなく
30分ほどで都市部を抜けだすことが出来ました。
バルセロナの南は
ひたすら平坦な道が続いています。
所々にある町で休みを取りつつ
進んでいきました。
スペインは割とドライバーの
マナーが良い気がする。
100kmほど走ったこの日は
「タラゴナ」という街の郊外の
海辺にあるキャンプ場にチェックイン。
強い風にあおられ
この時はテントを立てるのも一苦労でした。
夕食はパスタ。
色んな形のパスタを試した結果
やっぱり麺状のスパゲッティが
1番美味しいということが
解明されました。
茹で加減も慣れてるので分かりやすい。
キャンプ場で出会ったのは
アーチェリーの大会に出場するため
スイスから数か月にわたり
自転車で旅をしているという女性サイクリスト。
後ろの白い大きな筒は弓だそう。
「旅をしている期間を練習に充てなくていいのか」
なんて聞いちゃダメです。
旅人の思考回路なんて他人からしたら
理解できるものじゃないことがほとんどなので。
翌日、キャンプ場からすぐ近くの観光名所に
向かってみることに。
山の中にひっそりとたたずむのは
「ラスファレラス水道橋」。
紀元前1世紀につくられたローマ帝国の遺産です。
この橋、
2000年以上の昔に
これだけの橋をつくるとは
「悪魔の仕業に違いない!」
ということで
“悪魔の橋”の異名を持ちます。
橋の上部は
歩けるようになっています。
人とすれ違うのが困難なほど
幅が狭いことからも、
通行用ではなく
水を運ぶためだと分かります。
水道橋の観光を終えると
前日に引き続き走り始めます。
海辺は綺麗に整えられて
非常に走りやすい。
出発からわずか30kmほどのこと。
自転車専用道を走っていると
ジョギング中のとある男性が声をかけてきました。
「俺も自転車に乗って世界を旅してたんだよ。
今はこの街のホテルで住み込みで働いてるから
今日は1晩泊まっていきなよ!」
路上でまさか旅の同志との出会い。
この日もう少し進む予定でしたが
急いでないので誘われるがまま泊めてもらうことに。
ホテルの主催する自転車ツアーの
ガイドをしているという
スイス人“マティアス”さん。
立派なリゾートホテルのベッドで
寝かせていただくことに。
寝床のみならず
食事までごちそうになりました。
なんとなんとビュッフェスタイル。
職員関係者ということで
無料で食べさせてもらいます。
あぁ、幸せ…。
貧乏旅人である以上
ヨーロッパでのビュッフェなんて
なかなか
ありつけるものじゃありません。
ここぞとばかりに
胃袋に詰め込んでやります。
ユーラシア、オセアニア地域を2年半かけて
旅してきたマティアスさん。
日本を走った際には
我が故郷・広島も走ったらしく、
地元のソウルフード“お好み焼き”を絶賛してくれました。
もうじきガイドの勤務を辞めて
再びヨーロッパの旅へと出発するそうです。
安全に気を付けてお互い良い旅しましょう!
(マティアスさんのブログ→https://www.umunum.ch/)
マティアスさんに別れを告げると
再び南へ下っていきます。
天気は安定していて
暑すぎずとても気持ちが良い。
スペインは南に行くにつれ
降水量も減ってくるそうです。
似たような風景がどこまでも続きます。
海岸は走りやすいけど
道は退屈…。
あまり印象に残らない道が
延々と続きました。
午後からは一気に風が強まりました。
遮蔽物が何もないので
体は吹きさらしの状態。
漕いでも漕いでも進まない道を
少しづつ前と向かいます。
そして海辺のキャンプ場へ。
ここしばらく海岸沿いには
ものすごくたくさんのキャンプ場が並んでいます。
値段を聞いてまわっては安いところにチェックイン。
夕方早めについて
のんびりご飯の準備をしているときが
癒しの時間です。
波の音を聞きながら
ひとりでまったり。
バルセロナを出発してから4日目。
この日はおもに幹線道路沿いを走っていきました。
西の内陸側に目をやると
山が連なっています。
海側よりも内陸側の方が
走るのは楽しそうだけど、
ビザの期限もあり
そこまで回り道できないのが悔しい。
同じような景色が
どこまで続くんだろうか。
素敵な出会いはやはり
どこにでもあるわけじゃなく
ときに旅は退屈…。
この日は「オロペサ」という
小さな町のキャンプ場にチェックイン。
平日だったこともあってか
おそらく客は僕一人。
夕食はやっぱりパスタ。
そろそろ違うものをと思いつつ
結局、
楽なものに落ち着いてしまいます。
このままではどんどん
アウトドアでのパスタの
腕前が上がってしまいます。
栄養摂れるし美味しいのは良いけど
そろそろ変わり種レシピも覚えよう。
という風に
幹線道路に沿ってしまってるので
若干刺激が少ないながら
穏やかなスペインの旅が続いています。
さらに南へ向かえば
「これぞスペイン」な風景に出会えるはず…、多分!
2019.05.27
【362日目 14,113km】
ユーラシア大陸の終盤となる国・スペインに到着。
先を急がず
まずはバルセロナの街を楽しむことにします。
街の中心に位置しており
バルセロナの象徴ともいえるのは
あまりにも有名な「サグラダ・ファミリア」。
これまで各国の偉大な建築物を見てきましたが、
その中でも
間近ではじめて見た時の衝撃はトップレベルです。
とにかくデカい、そして美しい。
建築家アントニオ・ガウディ
の設計に基づき、
1882年に着工された
未完成の教会。
完成予定はガウディ没後100年の
2026年になるそう。
実は数年前、当初申請していた
工事作業の期限を超過してるのが発覚し
違法建築となってしまったそう。
カトリック教会がバルセロナ市に
およそ47億円の解決金を払うことで
落ち着いたらしいです。
それでも毎日ものすごい数の
観光客が訪れており
支払いの目途はたっているそう。
なんせ入場料は¥4,000なので
ものすごいお金が動いてます。
僕は外から眺めるだけ。
続いて向かったのは街の高台にある「グエル公園」。
こちらもサグラダ・ファミリアと同じく
ガウディの作品です。
地元の実業家「グエルさん」とガウディが
芸術と自然が溶け込んだ住宅地をつくろうと張り切ったものの、
発想がぶっ飛びすぎてて誰も住もうとせず
市の所有になってしまったというこの公園。
見晴らしは抜群で、
バルセロナの街を見下ろし
向こうには海の見える最高の場所。
ガウディは純粋無垢な感性を持った人
だったんだろうなというのが
感じられる場所です。
この公園の人気スポットが
階段の真ん中に居座るトカゲ。
まあ、ただのトカゲなんですけど
みんな写真撮っていたので
撮ってみました。
こちらはガウディのライバルである
建築家ドメネクが設計した「サンパウ病院」。
芸術には人を癒す効果があるとし
施設には多くの装飾が施されている様。
現在、病院機能は隣接する新病棟に移され
ここは文化遺産として保護されています。
という具合に
世界遺産に登録されている代表的な場所を訪れてみましたが
イタリア・ローマと同じで入場料が高く、
長い行列に並ばなければならないものばかりなので
簡単に眺めただけで終わってしまいました。
バルセロナの魅力は街の雰囲気そのもの
だったのではないかと思います。
もちろんもの凄い数の人がいるのですが
大都市なのになぜかせかせかした感じがなく、
ゆったりとした印象でした。
これがラテンの国なのか。
夕方にふらふら散歩してる時が一番楽しかった気がする。
商業地区を離れて旧市街に行くと
のんびりおしゃべりしたり
友達とお酒を飲んだりと
みんな楽しそう。
古い建物がいっぱいあって
すごく落ち着く雰囲気です。
スリなどの軽犯罪が多いため
「バルセロナに行くときは気を付けろ」
と散々注意を受けており
少し緊張してたのですが、
実際来てみると
なかなか居心地のいい場所。
バルセロナといえば
世界最強の「FCバルセロナ」。
街角には
スタジアム外では唯一の
オフィシャルショップがありました。
旧市街のなかに突如現れた
赤ちょうちんと見覚えのあるキャラクター。
お店の名前は、
「MUTENROSHI RAMEN (武天老師ラーメン)」
店内は和風のものや
ドラゴンボールグッズで
溢れていました。
頼んだのは味噌ラーメン。
日本のラーメン屋さんと
同じレベルとまではいきませんが、
かなり寄せてきてます。
これは美味しかった、
ごちそうさまです。
バルセロナ滞在中にお世話になっていたのは
現地在住のイタリア人“マルコさん”のお宅。
彼に出会ったのは旅の途中、
ウズベキスタンのサマルカンドでのこと。
偶然同じ宿に泊まっており、
「バルセロナに着いたら家においでね」と
お誘いいただき、別れたのはもう8ヵ月前の話。
中央アジアから遠く離れたスペインでの再会です。
大都市の安宿は盗難トラブルが多く
あまり泊まりたくないので
ものすごく助かります。
荷物も散らかし放題
させてもらいました。
人様の部屋を散らかすな。
日本文化が大好きで来日経験もある
マルコさんの本棚には
漫画がびっしり。
日本語読めないけど
持ってるだけで嬉しいそうです。
日本が愛されるのはこちらも嬉しい。
居間で寝かせてもらってたのですが
毎朝、東側の窓から差し込む朝日で
目を覚ますのが本当に気持ち良かった。
というか最近テント泊ばかりなので
屋根の下で寝られるだけで幸せ。
旅の疲れが飛んでいきます。
マルコさん宅滞在中は
友達と一緒に
地元のスペイン料理を食べに行ったり、
街で一番と評判の
イタリア料理を食べに行ったりと、
とにかく食べてました。
どれも本当に美味しかった。
バルセロナで果たすべき重要ミッションは
自転車のメインテナンス。
スペインを走り終えた後に待っている
この旅の次なるステップへと備えます。
タイヤを交換するつもりでお店に行くと
1年近く走ったのに
タイヤにはほとんどダメージがなく、
むしろペダルやチェーン回りの部品を
交換する必要がありました。
餅は餅屋ですな。
その他予備のパーツも併せて購入。
この先向かっていくのは
自転車ショップなどない僻地です。
期待と不安が高まってきている。
バルセロナに住むマルコさんに
代理で受け取ってもらっていたのは
日本からの大切な贈り物。
旅を支援してくださっている
ダイアテック株式会社様 から
GIRO社製ヘルメット「Syntax MIPS AF white silver」
をご提供頂きました。
なんと2019年の最新モデル!!
イタリア入国の際の
木への衝突事故により、以前のものは
内側の緩衝材が破損しちゃいました。
ヘルメットとして機能しないので
一足先に帰国してもらいます。
また帰ったら会いましょう。
改めて新しいヘルメットで安全を確保しつつ
旅を進めてまいります!
結局、バルセロナには5日間も
居座り続けてしまいました。
マルコさん本当にありがとうございます。
人生で初めてやって来たヨーロッパで
こうして人との縁をつむぐことができており、
改めて旅の素晴らしさを感じているところでございます。
自転車もリフレッシュしたし
ヘルメットも手に入ったし準備万端。
ユーラシア大陸最後の国・スペインを走り始めます!