Cycling The Earth ~自転車世界一周の旅~

日記

投稿者: ryosuke

11ヵ国目・北マケドニア

2019.02.27

【274日目 10,242km】

 

 

ブルガリアの首都ソフィアでの

観光を終え、次なる国を目指します。

 

 

 

3~4℃というイスタンブール以降、

最も寒いのではないかという気温の中

走り始めます。

 

 

 

寒いといっても

12月、1月と雪に埋もれながら

トルコの山中を走った経験があるので

大した苦ではありません。

成長する自転車乗り。

 

 

 

 

この日は500mの山を

2つ越えるという行程。

合間の平地では

綺麗なブルガリアの自然を

堪能しながら走ります。

 

 

 

 

2つめの山の峠を越え、

緩やかな下りを

気持ちよく滑り降ります。

向こうに目的の町が

ぼんやり見えてきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

95kmを走り、

ブルガリア最後の町“キュステンディル”に到着。

 

ブルガリアの滞在期間はわずか1週間あまりで

あっという間に走り切ってしまいました。

以後しばらくこれくらいのサイズの国が続いていきます。

 

 

 

夕食のポークステーキ。

イスラム文化圏を抜けたので

久々の豚肉。

疲労回復には

鶏より牛より、豚です!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日は町を出るなり

上り坂が待っていました。

国境があるのは

800mの山の頂上。

 

 

 

2時間かけて山頂に到着。

山の上の国境は、

国防上は都合がいいのでしょうが

サイクリストには酷です。

着込んでるので汗びっしょりでした。

 

 

 

 

荷物を調べられることもなく

ドライブスルーのごとく

スムーズに通過。

EU圏内は審査ゆるゆるなのか。

やってきた11ヵ国目は

“北マケドニア”です!

 

 

 

越境後は、一気に下り坂。

車もほとんど通っていないので

綺麗な自然のなか

風を切るように進んでいきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

国境からわずか15kmほど

「クリヴァ・パランカ」という田舎の町に着きました。

前日から続けてものすごく天気が良い。

 

 

 

予定してた宿が中々見つからず

地元の人に尋ねまわって

やっとのことで発見。

ブルガリア以降は

英語が話せる人が劇的に増えました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ソフィアを出発してから3日目。

国境付近の町から

北マケドニアの首都へと向かいます。

 

 

 

この日も雲のない晴天。

国境を越えてから気温も

ぐっと上がりました。

やっぱりサイクリングは

暖かい時期にやるもんだなと

ほのぼの感じつつ、走ります。

 

 

 

休憩に寄ったガソリンスタンド。

「冷蔵庫のジュースどれでも、

好きなだけ飲んでいいぞ!」

と夢のような言葉をくれました。

でもいい年の大人なので

遠慮して、飲んだのは1本だけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、北マケドニア入国2日目にして

たどり着いたのは首都“スコピエ”。

こじんまりとした綺麗な街です。

 

 

旧ユーゴスラビアといわれる国々の中で

南端に位置する北マケドニア。

なんと僕が到着する直前の

2019年2月12日に国名が変わったんです。

 

 

1991年に国が独立する際に

“マケドニア共和国”を名乗ろうとしたのですが、

異を唱えたのは隣国ギリシャ。

 

かのアレクサンダー大王で有名な“古代マケドニア王国”ですが、

その領土の大部分が位置していたのは

現在のギリシャなので、

「お前らだけ“マケドニア”名乗ってんじゃねぇ!」

という言い分。

 

 

 

それから暫定的に

「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」

を名称としていたのですが、

両者納得いかないまま20余年。

 

 

 

 

 

そしてついに昨年、

「北マケドニア共和国」とすることで

互いの政府が合意。

この2月12日に

正式変更となりました。

 

 

 

 

どの国もお隣さんとの関係は複雑だと感じつつ、

記念すべきタイミングでこの国にやってきました。

特に式典もイベントも無かったですが…。

 

 

 

 

 

 

 

 

近年、観光に力を入れようとしているらしく

その一環で、街中にとにかく

たくさんの銅像が建っています。

はたして、銅像で観光客は来るのか。

 

 

 

どれも精巧だし

大きくて迫力もあるのですが、

これを見るために

わざわざ足を運ぶってものじゃない

気がします。

 

 

 

 

橋のふもとには、

溺れてる人の足と

飛び込もうとしてる人。

コンセプトが全くつかめません。

なんだか面白いけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中心街にはかの有名なマザー・テレサの像。

アレクサンダー大王と並び、

北マケドニアが生んだ偉人として

名をあげられる存在です。

 

 

 

像のすぐ横には

彼女の功績を讃える

記念館が建っていました。

 

 

 

 

 

 

展示物がかなり少なく

あまり濃い内容ではなかったのが残念。

色々噂がありますよね、

マザー・テレサって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スコピエでお世話になったホストが

カナダ人の“ロバートさん”。

カナダに家族を残し、

北マケドニアで教鞭をとっています。

 

 

このロバートさん、

“Cycling to stop the cycle”というプロジェクトを掲げて

「ドラッグに身を沈めるよりも、自転車を漕ごう!」

という青少年へのメッセージのもと、

多くの学校で講演を行いながら

当時13歳の息子さんと共に北米大陸を自転車で旅した

行動力溢れるお方なのです。

 

‹ロバートさんのサイト(英語)›

https://www.cyclingtostopthecycle.org

 

 

 

サイクリストならではの

旅の話を分かち合えるのも

Warm Showerのいい所。

世界各地に

仲間が増えていく感覚です。

ホント色んな人がおりますなぁ。

 

 

 

地元のレストランで

ロバートさんにごちそうしてもらった

伝統料理「キャセロール」。

濃厚なチーズの中に肉がたっぷり入った

グラタンのようなもの。

トルコ料理にも負けない絶品でした。

 

 

 

首都ソフィア・後編

2019.02.23

【269日目 10,020km】

 

 

サニーさんのマンションに

のんびり滞在しながらもうしばらく

ソフィアの観光を楽しみます。

 

 

滞在2日目の観光は

サニーさんに紹介してもらった“フリーフードツアー”。

 

前日の観光ツアーとは別の団体が行っていて

街中のレストランを数件まわりながら

ちょっとづつ味見していくというもの。

オランダなんかでも同じようなツアーがあるそうです。

 

 

 

ところが、

街角で集合するのですが

時間になってもガイドさん以外誰1人現れず

この日の参加者はなんと僕だけ。

 

1人だけのためにまわるのも

なんだか申し訳ないなと思ったのですが、

「せっかくだから行きましょ」

ということでツアーに出発することに。

 

 

 

1件目は

トマトの煮物とパンとチーズ。

さらにヨーグルトもついてきました。

これまでの国でも食べてきましたが

日本で食べるヨーグルトに近いのは

やはりブルガリア産。

 

 

ヨーグルト発祥の地は

トルコ、ギリシャ、ブルガリアの一帯だそうですが

日本で作られているものは

ここブルガリアと同じバクテリアが使われているそうです。

 

「日本では、ブルガリアといえばヨーグルトなんでしょ」と

ガイドさんから言われました。

他の国では有名じゃないんでしょうか。

 

 

 

2軒目は

パンにチーズが挟まったもの。

本当に1口サイズです。

しかもまたパン。

でも文句なんて言っちゃダメです、

タダなんだから。

 

 

 

3軒目は

パンにトマトの煮物と

野菜のマリネが乗ったもの。

またパン、またトマト。

でも文句なんか言っちゃダメです、

だってタダなんだから。

 

 

 

最後の4軒目は

揚げパンのようなものに

砂糖をまぶしたもの。

…またパン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「パンばっかりじゃん!」なんてこれっぽっちも口にせず、

「わざわざ1人のために案内してくれてありがとね」と

ガイドさんに心からの感謝を告げて

ツアーは終わりました。

 

普段は7~10人の参加者がいる上に

もっと多くのレストランをまわるそうです。

きっと料理のバリエーションも豊富なはずです。

 

料理の味はどれもおいしいので、

ブルガリアにいかれた際は

是非フードツアー参加してくださいね!

(誰に気を使って宣伝してるんだろう。)

 

 

 

 

 

 

 

 

滞在3日目。

この日はバスに乗ってソフィア郊外まで

足を延ばします。

 

 

 

バスに揺られて2時間ほど、

ソフィアから100kmあまりの山の奥に

たたずむのは世界遺産「リラ修道院」。

 

1,000以上前からこの場所に存在し、

国内建築の最高峰とも称される

ブルガリア正教会の修道院です。

 

 

 

特徴は壁一面を覆い尽くす

色鮮やかなフレスコ画。

1000年の間、

修復を繰り返しながらではありますが

この繊細な芸術で人々を

魅了してきました。

 

 

 

ここ数か月、味わってきた

イスラムの文化とは全く違う世界観。

そして、

イメージ通りのキリスト教大聖堂とも

違う独特のデザインです。

 

 

 

 

ぐるっと周りを取り囲むのは

図書館やキッチンなどを含む

聖職者たちの居住スペース。

人里離れた山奥にあることからも

あたりは神秘的な雰囲気に

覆われていました。

 

 

 

 

 

 

こんなかたちで

ブルガリアの観光名所を堪能。

現在いるソフィアから

隣国マケドニアはもうすぐそこ。

 

あっという間に次の国に向かってしまいます!

 

 

 

 

 

 

ソフィア観光中

バス停でスマホを落としてしまい

ついに故障、修理不能に。

 

5年間連れ添いましたが

あっけない最後でした。

今までありがとう。

 

というか、

こないだも充電器を失くしたばっかりで

嫌なことが続いています。

自分のせいだけど。

 

旅を支えてくれる道具たち、

大切にせねば。

 

 

 

首都ソフィア・前編

2019.02.19

【267日目 10,020km】

 

 

プロブディフを発って

さらに西を目指します。

 

 

実はこの日の出発直後、

2匹の野犬に遭遇。

 

ワンワン吠えられながら追いかけられるのは

しょっちゅうあることなのですが、

ついに後ろのカバンをガブッと噛まれてしまいました。

 

開いた穴の大きさはわずかだったけど

これまでの道中、互いに心を通わせてきた犬たちに

牙を向けられたという事実に深く傷ついたブルガリアの道。

 

 

 

心の傷を癒すためにも

食堂で温かいスープを飲みます。

距離が近いからか

トルコのものと味付けに大差は

ありません。

 

 

 

 

首都ソフィアへの道に

立ちはだかる山の登り坂が

はじまりました。

道端には

なぜか“柔道”の文字。

 

 

 

 

入国3日目ですが

こんなのどかな田舎が

ずっと続いています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

85kmを走ったこの日、

“モミン・プロホド”という小さな集落に到着。

おそらく村唯一であろう宿は安くはなかったものの

綺麗で居心地最高でした。

 

 

 

 

 

 

あくる日は朝から最高の天気で

まさしくサイクリング日和。

 

綺麗に舗装された高速道路が平行していて

そこを走行することもできたのですが、

デコボコの田舎道を走る良さがあるんです。

 

 

 

こんな牧歌的な風景を

のんびり眺めて走ることは

自転旅の醍醐味。

ゆるやかな登り坂を

気持ちよく進んでいきます。

 

 

 

 

首都までわずかなのに

まだこんな山の中。

外国の都市って

何もない原っぱに

突然現れるような場合が

多いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてやはり突然

近代的なビルが姿を現しました。

ブルガリアの首都“ソフィア”です。

 

 

 

人口130万人を抱える都市の

中心に位置する大通り。

すぐ向こう側にはそびえ立つ

山の姿が見えます。

 

 

 

 

 

いかにもヨーロッパといった

街並みでありながら、

どこか旧ソ連圏の国に共通する

共産主義国風デザインが感じられます。

 

 

 

 

 

 

 

 

WarmShowerを通じて知り合った

ホストの方が“サニーさん”。

初日からちょっと面白い展開になりました。

 

サニーさんは街のはずれにある

このマンションをもうじき引き払う予定。

 

そして数百km離れた別の都市に移り住むらしいのですが

引っ越し先の都市で用事を片付ける必要があるから

「明日からあなた1人で過ごしてね、ヨロシク」

と言われてしまいます。

 

いやいや今日出会ったばかりの人間に

留守番させていいのか、と聞くと

「I trust you. (信じてるわよ。)」

 

 

 

結果的に4日間1人っきり

この快適な部屋で

過ごさせてもらいました。

本当にありがたいことです。

何も悪いことしてないですよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

到着の翌日は

地元のNGO団体が行っている

ソフィア無料観光ツアーに参加。

 

徒歩で各所を周りながら

英語で解説をしてくれます。

 

 

 

7,000年もの昔から人々が定住し

ヨーロッパでも最古に近い歴史を持つ

都市“ソフィア”。

西洋では女の子に付けられる

その名は古代ギリシャ語で“知恵”を

意味するそうです。

 

 

 

古代ローマ、オスマン帝国、

ブルガリア帝国、ソビエト連邦と

数百年単位で支配者を変えてきたのが

ブルガリアの特徴。

写真の行政機関はソ連時代の

典型的な建築デザインです。

 

 

 

大統領邸宅の敷地内には、

国の主要宗教となっている

ブルガリア正教会の遺跡が

静かに建っていました。

なんと4世紀に建てられたそう。

 

 

 

 

ヨーロッパでは珍しく

河川を持たない首都として知られる

ソフィアですが、

近くの山々がもたらす湧き水が

街の40ヶ所からから常に溢れており

地元の方が自然の水を汲みにきていました。

 

 

 

街のトレードマークである

アレクサンドル・ネフスキー大聖堂。

ロシア-トルコ戦争の戦没者を弔って

建てられたもの。

撮影禁止の内部は静かながらも

煌びやかな空間が広がっていました。

 

 

 

 

 

 

あまりこれといった見所がないと聞いていた

ブルガリアの首都ソフィア。

 

派手さはないですが

こじんまりとしていて観光しやすく

ヨーロッパの雰囲気を初めに感じるには

ピッタリの街です。

 

 

 

10ヵ国目ブルガリア

2019.02.15

【264日目 9,869km】

 

 

いよいよトルコに別れを告げると、

次なる国・ブルガリアに突入です。

 

 

 

 

トルコ最後の町“エディルネ”を後にして

西に向かうと、

わずか1時間ほどでトルコ-ブルガリア国境に到着。

 

改めてヨーロッパに

たどり着いたことを実感します。

 

 

 

といっても、

急に風景が変わるはずもなく…。

どの国も国境付近は

栄えていないので、

しばらく寂しい景色が続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブルガリア最初の町で真っ先に向かったのは

銀行のATM。

新しい国に入るときはすぐに両替できるよう

前もってお金を多めに用意しておくのですが、

この時はさっぱり忘れていました。

 

トルコに2ヵ月もいたので

旅人としての感覚が鈍ってます。

 

しかも、

ブルガリアの通貨が何なのかも調べてないし

「こんにちわ」「ありがとう」の挨拶も予習してないし

時差も調べてないから何時なのかもわからないし

入国初日はもう本当にぐだぐだ…。

 

国境を越えてから一人でバタバタ焦ってました。

気を引き締めねば。

 

 

 

ブルガリア1日目のこの日は

国境から80kmほどのところ

“ハスコヴォ”に到着。

 

 

 

人口10万人のこの街。

さっそくブルガリアの雰囲気を

感じられると思ったのですが、

中心地にいっても人がおらず

ガランとしてました。

これがブルガリアなのか…。

 

 

 

安いホテルを何件か探し求めたけど

とりあえず最安値が¥1,800。

これまでの国で

一番高いくらいの水準です。

もっと安いトコあったのかな。

 

 

 

 

街を歩くと

とにかく目につくのがカジノ。

通りの両脇に

ずらっと並んでいました。

 

 

 

 

 

他に娯楽がないから

なのでしょうか。

ブルガリアの第一印象は

どこか寂しさ漂う国という

感じです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の日も、

車の少ない田舎道を進んでいきました。

イスタンブールを出発してから

少しづつ寒さが戻ってきています。

 

 

 

休憩に寄った村で

集まってきた子供たち。

外国人自体がかなり珍しいようで

この周りにも遠巻きに眺める子たちが

沢山いました。

 

 

 

 

 

 

 

ハスコヴォから70kmほど走ると

ブルガリア第2の規模を誇る都市

“プロヴディフ”に到着。

 

 

 

中心街に行けば

人もたくさんいて

賑やかな雰囲気が味わえました。

 

 

 

街のあちこちに

アート作品が多く

展示されています。

 

 

 

 

 

 

近代的で

イメージ通りのヨーロッパ

に近づいてきたように感じます。

町全体がなんともオシャレ。

 

 

 

 

 

 

 

 

このプロヴディフ

ただ栄えているというだけでなく、

数千年に及ぶ歴史を通じて

ローマ帝国、オスマン帝国と

異なる大国によって支配されてきた街なのです。

 

 

 

街全体に多くの考古遺跡が

存在しており、

その代表は丘の上に建つ

1,500年以上前のローマ劇場。

現在もイベントが催されるそう。

 

 

 

 

こちら2世紀頃に造られた

古代ローマの円形競技場。

なんとその上にショッピングセンターが

覆いかぶさっています。

まさに古代と現代の

コラボレーション。

 

 

 

そして旧市街には

古代ローマではなく

オスマン帝国時代の邸宅が立ち並びます。

1つの町に異なる国の遺産が

共存していること自体、

日本人の感覚からすると実に新鮮。

 

 

 

紆余曲折を経て現在に至る

ブルガリアの歴史の複雑さを

垣間見たプロヴディフの街でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ホテルに到着して

「さぁ、くつろぐぞ」という時、

前日のホテルにスマホの充電器と変換プラグを

忘れてきたことが発覚!

 

金額的にも大した損失じゃないのですが

実は旅に出て以来

物を失くしたり、忘れたり、盗まれたことって

ほとんどないんです。

 

 

たかが充電器とはいえ

共にアジアを渡ってきた仲間を置き忘れきたことが

すごくショックでした…。

 

さよなら、古い充電器。

こんにちは、新しい充電器。

 

 

 

さよなら、トルコ

2019.02.11

【260日目 9,690km】

 

 

イスタンブールをひと通り観光し

のんびりと過ごしたら、

いよいよ西側の国境を目指します。

 

 

 

海峡間の橋は自動車しか走れないので、

船に自転車を載せてヨーロッパ側へと渡ります。

これで本当にアジアとはお別れ。

 

 

 

イスタンブールの都市圏を抜けるには

かなり混雑が予想されるので、

少し北側に迂回するルートをとりました。

 

2時間ほど走るとあっという間に

のどかな風景に変わってしまいます。

 

 

 

交通量が少ないぶん起伏の多い道を進んだため

この日は予定の120kmを走りきることができず、

小さな村“ビンクリチ”に泊まることに。

 

 

 

 

安宿はないかと村人に尋ねると

この村に宿泊施設はないとのこと。

すると、

話を聞いていたとある方が

「ウチの事務所で寝てっていいよ。」

しかも、晩御飯までご馳走になりました。

 

 

 

事務所内のソファーで

そのまま寝かせてもらうことに。

薪ストーブの燃える暖かい場所で

深い深い眠りにつきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜が明けると再び西に向かって漕ぎ出します。

これまでトルコでは見ることのなかった

広大な平原をのんびりと進んでいきました。

 

 

 

80kmほど走ると

“リュレブルガズ”に到着。

小さいけれど

活気のある良い町でした。

 

 

 

 

 

この日、

トルコのチームに移籍した香川選手が

3分間に2点を決める鮮烈デビュー。

イスタンブールは

香川フィーバーに沸いたらしいです。

この町は穏やかでしたが…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の日もスカッと気持ちのいい青空を見上げながら

見渡す限りの大平原を走っていきます。

 

そして、トルコの道を走るのは

実質この日が最後。

 

気がつけば入国してから64日目。

まったく予定していませんでしたが、

この旅での最長滞在国となっていました。

 

 

 

そして、昼過ぎに

国境の町“エディルネ”に着きました。

隣国ブルガリアまではわずか20kmほど。

 

到着と同時に、

2か月にわたるトルコの旅の思い出が

ぐっとこみ上げてきます。

 

 

 

かつてオスマン帝国の首都であり

古く歴史のあるエディルネは、

トルコ国内からの観光客たちで

賑わいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

この街の象徴は、

世界遺産にも登録されている

「セリミエ・モスク」。

街の中心に堂々と建っています。

 

 

 

およそ500年前、

オスマン帝国時代に建てられた

このモスクは

イスラム建築の最高峰と

称されているそうです。

 

 

 

 

大きなドームを内側から見上げると

イランやイスタンブールで

散々モスク巡りをした後でも

感動するほどの迫力と美しさでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

旧市街には

サフランボルでも見た

オスマン様式の古い家屋が

立ち並びます。

 

 

 

 

 

ほかにも橋や駅など

トルコ建国以前の施設が、

現代も人々の生活に溶け込んだ形で

その姿を残していました。

 

 

 

 

 

 

 

 

夜には、

イスタンブールで出会った日本人観光客の方と食事。

同じ旅の身でありながらご馳走になりました。

色んなかたちの出会いがあります。

 

 

 

 

 

エディルネ滞在中にお世話になったのは“エンギンさん”。

イスタンブールに引き続いてWarm Showerです。

もうクセになりそう。

 

 

 

かつて自転車屋を営んでいた

エンギンさん。

この数年で各国からの旅人を

招き入れてきたそう。

壁には感謝のメッセージが

したためられていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

氷点下の雪山にはじまり、

穏やかな海岸線や緑の大平原まで

様々な景色を見せてくれた

トルコの道。

 

 

 

 

 

圧倒的な自然の光景や

世界史においても大きな存在感を放った

オスマン帝国の遺した建造物など、

旅の魅力がぎっしりつまった

長くて短い2か月でした。

 

 

 

 

優しい人々と美味しいトルコ料理に

後ろ髪を引かれつつ、

次なる国へと向かいます。

 

ということで、

さよならトルコ!

 

 

 

東西の架け橋、イスタンブール

2019.02.6

【254日目 9,430km】

 

トルコ最大の都市にして

アジアからヨーロッパへの玄関口である

「イスタンブール」。

 

黒海とマルマラ海に挟まれた細長い半島は

ヒビが入ったかのようにボスポラス海峡によって

東西に分断されています。

 

海峡の東側がアジア、

西側がヨーロッパであるため

長きにわたるアジアの旅もここで終わりとなります。

 

 

 

 

 

 

イスタンブールの観光名所が多く集まるのは

ヨーロッパ側。

 

滞在していたアフメットさん宅はアジア側なので

ボートに乗って海峡を渡る必要があります。

 

 

 

黒海沿岸の町でもそうでしたが

とにかくカモメが多いイスタンブール。

古い街並み、船、海、カモメ。

どこを切り取っても

絵になります。

 

 

 

 

写真の右側がアジアで、

左側がヨーロッパ。

海峡の幅の狭いところには

橋が架かっています。

でも残念ながら自転車は通行禁止。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヨーロッパ側へ渡ると、

町ゆく人の数は増え

レストランやみやげもの屋がひしめき合っていました。

 

大きなイスタンブールですが、

観光の見所は徒歩圏内にぎゅっと密集しています。

 

 

 

 

 

 

 

イスタンブール歴史遺産の代表として知られるのは

“ブルーモスク”こと

「スルタンアフメト・モスク」。

 

取り囲むミナレット(塔)が青空を突き刺す様子は

遠目に見ても存在感に溢れています。

 

 

 

およそ400年前に

建てられたこのモスクは

今でも現役の礼拝施設。

トルコ内外から参拝のため

大勢の人が集まります。

 

 

 

 

参拝時間外であれば

イスラム教徒でなくても入場可。

中に入れば

よりそのスケール感を味わえます。

豪華で煌びやかなモスクも

ぼちぼち見納めか。

 

 

 

 

 

 

ブルーモスクと互いに見つめ合うかのように

真正面に建っているのが

「アヤ・ソフィア」。

 

その歴史はまさに

文化の交流地点であるイスタンブールの歴史を

象徴しています。

 

 

 

紀元537年に

ビザンツ帝国(東ローマ帝国)の教会

として建てられたのがはじまり。

そして1453年に、一帯を支配した

オスマン帝国によって

まるごとモスクへと改修されたんです。

 

 

 

20世紀に入りトルコ建国の際、

政教分離を唱える政府により

モスクは博物館になりました。

時代の波に揉まれ続けた歴史は、

どれだけその美しさによって

人々を魅了してきたかを物語ります。

 

 

 

壁の一部には1,000年以上前の

キリスト教のモザイク画が

残っています。

時代は違えど、1つの建物が

異なる宗教によって讃えられるのは

世界的にも珍しいそう。

 

 

 

 

 

 

アヤソフィアのすぐ近くにあるのが、

“地下宮殿”こと

「バシリカ・シスタン」。

 

アヤソフィアと同じく、

ビザンツ帝国によって西暦500年代につくられた

地下貯水槽です。

 

336本の支柱によって広がる空間は

荘厳な雰囲気が漂っており、

映画の撮影にも使われたそう。

 

 

 

 

 

 

海峡間を結ぶ船の発着場は

人々で賑わっており、

簡易的な食堂が並びます。

 

 

 

ここの名物は“サバサンド”。

焼きサバとタマネギ、キャベツを

挟んだサンドイッチです。

机に置かれたレモンと塩をかけて

かぶりつけば、あっさりとした

海の町ならではのグルメが味わえます。

 

 

 

トルコの人たちが愛する

キュウリ、キャベツのピクルスと

サバサンドは相性抜群。

トルコへお越しの際は

ぜひご賞味ください。

 

 

 

 

鉄板にずらっと並んだサバたちが

煙を上げて焼かれています。

かなりの数があるんだけど

これらが飛ぶように

どんどん売れていました。

 

 

 

 

 

 

 

さらに港の近く、

イスタンブールの定番風景になっているのが

「ガラタ橋」。

 

1階はレストラン、2階は道路という

珍しい2階構造になっています。

 

 

 

そして名物は、

橋の上から海へと竿をたらす

地元の釣り人たち。

何百という竿が横に

ずらりと並んでいました。

 

 

 

 

橋の上からだからか

みなさんかなり大漁の様子。

これなんの魚なんだろう。

詳しくないのでよくわかりません。

まあ、魚です。

 

 

 

 

 

 

 

橋を渡った向こう側に建つのが

「ガラタ塔」。

 

何度も壊れては建て直してを繰り返し

現在のものは50年ほど前に

建てられたものです。

 

 

 

内部にはエレベーターもあって、

上まで昇るとそこにはレストランが

ありました。

外から見ると

そんなに広く見えなかったけども。

 

 

 

 

 

 

 

塔から見下ろしたイスタンブールの街並み。

 

これまで旅をしてきて

大都市というのは概してごちゃごちゃとしてて

あまり魅力的でないことが多かったのですが、

このイスタンブールはしっかりと“町の色”を持った

味わい深い所でした。

 

 

ここからいよいよヨーロッパの旅がはじまります。

道のり的にもう一度寒い場所に

逆戻りするみたいだけど…。

 

引き続き良い出会いがいっぱいありますように。

 

 

 

漕いでイスタンブール

2019.02.2

【252日目 9,430km】

 

 

海辺の町「アクチャコジャ」で一休みして

すぐに出発するつもりだったのですが、

実は到着翌日の晩から熱を出してしまいまして。

 

これまで1カ月以上に及んで

氷点下のトルコを走ってきながらも

まったく体調を崩さないなんて、

「あら、わたしったらなんて健康なの」と

思っていた矢先のことでした。

 

 

 

現地調達の薬を服用しながら

ベッドに横たわりつづけます。

 

熱をおびた頭でぼんやり天井を見上げていると、

広大なトルコを走り切るのに

予想以上の日数がかかっているという焦りに加えて、

無事にヨーロッパにたどり着けるのだろうかという

これまでよぎったこともないような不安さえこみ上げてきました。

 

健康な身体なくして健全な精神あらず。

弱っているときには考えが良い方には向かいません。

改めて元気でいられることの

ありがたみを感じる時間でした。

 

 

 

 

 

 

3日間寝込んだ後、

咳もおさまらないなかで再び自転車にまたがります。

起伏の少ない行程を90km走ったこの日は

「サカリヤ」に到着。

 

ペダルを漕いでいる時は

意外と気分が楽なのですが

ホテルに着くと疲れがどっと押し寄せてきます。

 

 

 

 

 

 

徐々に体調が改善されていくのを感じながら

明くる日も走ります。

 

前日まで右手に黒海を眺めていたのですが、

こんどは左に“マルマラ海”が姿をあらわしました。

南北を海に挟まれた細い半島を西に向かいます。

 

 

 

80kmあまりを走って

「ゲブゼ」に到着。

道路わきのホテルで

身を休めます。

 

 

 

 

 

この日を境に

風邪もいっきに

吹っ切れた気がします。

しかし、ここ最近ほんとうに

ホテルは“当たり”ばっかり。

テント生活に戻れるか不安。

 

 

 

 

 

 

次の日、

穏やかな海辺の景色は都市空間へと姿を変え

車の数も劇的に増えます。

 

自転車のすれすれを走っていく自動車と

細かなアップダウンにストレスを感じながらも

ゆっくり50kmを走りました。

 

 

 

そして15:00頃。

ついにトルコの大都市、

アジアとヨーロッパが出会う場所

「イスタンブール」に到着です!

 

 

 

1,500万人もの人口を抱える

イスタンブール。

東京やニューヨークをかるく凌ぐほど

多くの人々が

この都市で暮らしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実はこのイスタンブールで初の試みをやってみました。

 

インターネット会員サイト

“Warm Shower (ウォームシャワー)”

というものがありまして、

世界中の自転車好きたちが

互いに無償で寝床を提供しあおうという

素晴らしいサービスなんです。

 

これまで存在は知っていたのですが、

ヨーロッパ方面は特に会員が多いということで

試してみることに。

 

 

 

今回お世話になったのは医師の“アフメットさん”。

大分大学に短期留学もしていたこともあり

ぜひ日本人を招きたいと思ってくれていたそう。

 

到着の数日前から連絡をとり合って、

初回から良い人にめぐり会うことができました。

 

 

 

都会のど真ん中にありながら

ゆったりとした寛ぎの空間を

提供してもらいました。

本当に素晴らしいサービスです、

Warm Shower。

自転車旅の際はぜひご利用ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イスタンブール観光へと駆りだす前に

到着翌日は自転車のメンテナンス。

アフメットさんが紹介してくれた

街の自転車屋さんで備品を調達します。

 

 

 

お店でやってもらうこともできましたが

自らの手で旅の相棒を労うことに。

錆びついて伸びてきたチェーンと

磨り減ってきたブレーキの

交換をやってみます。

 

 

 

 

男ってDIYとか機械いじりとか

往々にして好きなものですけど、

僕は手を汚したくないし

金持ちのお嬢様と一緒で

箸より重いもの持ちたくない派です。

しかし、旅を通じて成長せねば。

 

 

 

10,000km近くを

走ってきたチェーン。

毎日毎日くるくると

何周くらい回ったんだろうか。

ここまでありがとう。

お疲れさまでした。

 

 

 

 

 

やってみれば何てことはない作業でした。

細かいところまでしっかり掃除すれば

ぴかぴかの輝きが蘇ります。

 

 

サイクリング自体は楽しいし好きなのですが、

自転車の機構とかフォルムがどうとか

僕はほとんど興味がないんです。

 

でもこの自転車は、

地球の裏側まで連れて行ってくれる大切な相棒。

ものすごい愛着が湧きはじめてます。

 

これからも大切にしよう。

 

 

 

海へと

2019.01.29

【245日目 9,201km】

 

 

世界遺産の町“サフランボル”で

3日ほどゆっくりして次の場所へと向かいます。

 

 

この日は山間の谷を流れる川に沿って

延々と北を目指しました。

ありがたいことに長い下りが続きます。

 

 

 

出発から70kmほどすると

谷が開けて平坦な道が

伸びていました。

標高も下がって

雪はまったく見当たりません。

 

 

 

 

道路わきの食堂で休憩。

屋外の席に案内され

寒さを感じることなく

食事を済ませました。

山をひとつ下るだけで

とたんに気温が上がります。

 

 

 

 

 

 

 

 

この日の終わりに400mほどの峠を越え、

たどり着いたのが“黒海”を臨む街

「ゾングルダック」。

 

 

 

中国・上海を出発して

実に8カ月ぶりの海。

いくつもの山を越え

荒野を走った後に見る

真っ青な海に

感動してしまいました。

 

 

 

すごかったのは

群がるカモメたち。

海浜公園の観光客たちが

エサを宙にばらまけば

バッサバッサと集まってきます。

 

 

 

 

中心街にあるホテルでひと休み。

この日は久々に

100km以上を走行。

達成感のある心地の良い疲れです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日は出発してからずっと

右手に海を眺めながら走りました。

思いの外、風は冷たくなく

爽快なシーサイドサイクリングを楽しみます。

 

 

 

午前中に600mの山越えをした後、

道はずっと平らでした。

10km以上平坦な道が続くなんて

3カ月前のイラン以降

はじめてな気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

およそ80kmを走ったこの日、

海辺の町「アクチャコジャ」に到着。

トルコ国内の旅行者が集まる観光地です。

 

 

 

目の前に広がる“黒海”は

湖ではなくれっきとした海。

2つの海峡を経て

大西洋へとつながります。

遊歩道を歩くと確かに

ほんのり潮の香り。

 

 

 

 

トルコ入国以来ずっと

標高1,000m以上を走ってましたが

ここはもちろん海抜0m。

そして、気温はなんと15℃。

ついこないだまで氷点下の世界で

凍えていたのが嘘のようです。

 

 

 

 

観光地としてもシーズンオフと思いきや

意外に人が集まっていました。

イスタンブールやアンカラから

寒さを逃れて

遊びに来ているそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

町のど真ん中に位置するホテルに宿泊。

観光地だし高いんだろうな、

と思ったら

¥1,000ちょっとで

泊まれちゃいました。

 

 

 

 

しかも綺麗だし

設備もちゃんとしてて、

ここ数カ月で1番コスパの良い宿

だったのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

バルコニーの向こうには

一面に広がる黒海。

最高のオーシャンビューに

居心地の良さを覚えて

予定より長く泊まることに決めました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この町で印象的だったのが野良犬たち。

野良というより

町のみんなで飼ってる感じらしく

どいつもこいつも結構肥えてました。

 

暖かいからか、

やる気ゼロの彼らは

そこらじゅうで寝てます。

 

 

 

こないだYouTubeで

「この世から人類が消え去ったら」って

ヤツ観てて言ってましたけど、

猫は本能で狩りをして生き残れても

文明の中で人間に依存しちゃってる犬は

すぐに絶滅するらしいですよ。

 

 

 

こんなにだらけきってたら

確かに生きてけないだろうなって

思います。

余計なお世話だろうけど….。

犬たちよ、目を覚ませ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大西洋だったり太平洋だったり

名称は違うけど結局、

地球の海って1つにつながってます。

 

 

黒海なんて初めて来たけど

どこか落ち着くのは

この海が日本へと続いてるからでしょうか。

 

海の近くで育ったわけでもないし、

景色も全然日本と似てないけれど、

何となく望郷の想いに駆られる海辺の町でした。

 

 

 

古き町サフランボル

2019.01.25

【241日目 9,005km】

 

 

大都会アンカラを後にして

次なる場所へと向かいます。

 

 

 

首都であるアンカラは交通量が多く

車を気にしながら走らなければなりません。

 

ゆっくりとすすみ

2時間ほどかけて都市部を抜けると、

一気に山の風景に戻ります。

 

 

 

この日は80kmあまり走って

「キズィルチャハマム」の町に到着。

夕食は久々の魚を食べます。

寒いなか何とか元気でいられるのは

様々な食材をバランスよく

食べられてるからでしょうか。

 

 

 

 

 

 

翌日、距離短めの予定だからと

朝食を軽めに食べたのが祟ってか、

峠を上る途中

腹ペコで動けなくなりそうになりました。

いわゆる“ハンガーノック”の状態。

サイクリングにおいて食事はとても大切。

 

 

 

必死に前へと進みつづけ、

65kmを走って「ゲレデ」で1泊。

安いホテルが見つからず

¥3,000のちょっと良いホテルへ。

おかげでゆっくり休めました。

 

 

 

 

 

 

 

続くこの日は山越え。

といってもその行程のほとんどが下り坂で

すべり降りるように進んでいきました。

 

標高1,500mの高さから

500mほどの町まで一気に下ります。

 

 

 

お昼によった食堂の店主は

自転車旅に興味津々。

食後に支払いをしようとするも、

「てやんでぃ!金なんていらねぇよ」

優しい人はカッコ良い。

 

 

 

 

 

 

 

アンカラから走ること3日間。

たどり着いた町は「サフランボル」。

山間に位置する黒海沿岸の観光地です。

 

 

 

サフランボルの見所は“町そのもの”。

旧市街を歩くと写真のように

白い壁と四角い木枠の窓が特徴の

家があたりに立ち並びます。

どこかヨーロッパを思わせるデザイン。

 

 

 

 

実はここ、

町全体が世界遺産に

登録されているほど

文化的価値が高く評価されている

場所なんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

丘から見下ろしたサフランボルの町。

オレンジの瓦が広がる様が有名なのですが、

雪が積もっちゃってました。

 

数週間前から感じてましたが、

トルコに来る時期間違えてる気がします。

でも、これはこれで綺麗。

 

 

 

町の歴史は13世紀ごろまで遡ります。

シルクロードを辿って

西洋と東洋を行き来する商人たちの

宿場町として栄えたのが始まり。

交易の場としてかなり賑わったそう。

 

 

 

 

町の名は“たくさんのサフラン”の意。

あたりが有名なサフランの産地

であったことも発展に貢献しました。

しかし、鉄道の出現と同時に

町は徐々に衰退していきます。

 

 

 

 

商人たちがいなくなった現在も、

建てられた家々は

オスマン帝国を代表する建築様式

として保存されているそうです。

多くの家屋はホテルに

改装されていました。

 

 

 

中世から商人の町として栄え

そのまま大都市となっている場所もあれば、

こうして時代の波に飲まれ

かつての賑わいを失っていく場所もあります。

 

シルクロードに沿って旅をすると

文明の栄枯盛衰を見ているようで面白い。

 

 

 

 

 

 

町を見下ろす小高い丘で

夕日を眺めていると、

地元の大学生に声を掛けられました。

そのまま自宅に招待され

夕食のピザをごちそうに。

 

 

 

 

ピザを横取りしようとする

猫と戦いつつ完食しました。

猫って呼んでもこっち来ないくせに

来なくていい時に寄って来るから

犬の方がカワイイと思います。

性格もルックスも犬の方が良いです。

 

 

 

っていいながら

猫を抱っこしてみんなと記念撮影。

膝の上にちょこんとのってるときは猫もいいヤツ。

 

 

広大なトルコも

気がつけばぼちぼち後半戦に突入。

 

寒さはあいかわらずですが、

このままトルコ随一の大都市イスタンブールに向かいます!

 

 

 

首都アンカラ

2019.01.21

【235日目 8,772km】

 

 

2晩お世話になった

サヴァシさんの家を発って向かうのは

いよいよトルコの首都「アンカラ」。

 

 

 

クルッカレから1つ山を越え

60km足らずを走ると、

交通量も増え

都市の雰囲気が漂いはじめます。

 

 

実を言うとこの首都・アンカラ。

あまり見どころもなく面白い場所じゃないと、

トルコの人たちからも聞いていたので

立ち寄るべきか迷っていました。

 

しかし、

走行ルート上避けた方が遠回りになるし、

大国の首都の様子を少しでも覗き見るべく

訪れてみることに。

 

 

ということで到着しました「アンカラ」。

気がつけばトルコ入国から5週間以上が過ぎ

中国に次ぐ長期滞在国になってます。

 

繁華街の中心に建てられているのは

現在も国民からの絶大な支持を集める

初代アタテュルク大統領の像。

 

 

 

やはり首都だけあって

トルコでは見たことのないほどの

高層ビル、

そして人の数。

活気に溢れています。

 

 

 

 

 

中心部にある城壁にのぼると

360°広がるアンカラの都市が

見渡せます。

あまりの広さに

その端は見えないほどでした。

 

 

 

 

 

 

 

クルッカレで出会った

うどん職人兼・織物職人兼・高校教師の

サヴァシさんから

「アンカラに友達いるよ」

ということで紹介してもらい、

お世話になったのは“アイジャンさん”。

 

 

 

まだまだ駆け出しだそうですが、

ファッションブランドを立ち上げ

自ら製作した服を販売している

デザイナーさん。

家がそのまま工房になっています。

 

 

 

 

当然、服飾文化の造詣は深く

日本の“藍染め”にも挑戦している

アイジャンさん。

こうして海外で日本文化に出会うと

誇らしい気分になります。

 

 

 

 

 

 

 

お邪魔させてもらったのは

アイジャンさんと

彼女のお手伝いをする友達が

共同生活をする

シェアハウスのようなところ。

 

 

 

 

都会らしく

モダンで何ともハイカラな部屋。

これまで色々なお宅に

お世話になりましたが

一番おしゃれな部屋でした。

 

 

 

 

 

 

 

この日はモデルとなる友人を招いて

ネット販売用の広告写真の撮影会。

リビングがそのままスタジオになります。

 

 

 

こないだ田舎の村で

のんびり暮らす人に

お世話になったばかりだけど、

都会の若者はエネルギッシュで

面白いことやるなあと

ぼんやり眺めてしまいます。

 

 

 

自分たちで撮ること自体が

初の試みらしく、

あーでもないこーでもないと

撮影はかなり長い時間に

およびました。

 

 

 

 

 

 

 

そして夜はなんと“巻き寿司”をつくることに!

こないだのうどんといい、

嬉しいことに日本食が続きます。

 

 

旅に出て実感しているのが、

我らが国民食“スシ”は

本当に世界中で愛されているということ。

 

この時だって、

「スシをつくろう!」と決まると

彼女たち歓喜に沸いていました。

 

「日本から来たんだよ」と伝えると、

“イチロー”よりも“ケイスケ・ホンダ”よりも

とにかく“スシ”なんです。

 

 

 

酢飯のつくり方や具材の味付けを

監修させていただきました。

レストランや居酒屋で

バイトしてて本当に良かった。

料理すること自体が

良いコミュニケーションになります。

 

 

 

海苔や乾燥シイタケも

流通しているトルコ。

これまであまり良い醤油に

出会えていなかったのですが、

トルコ産の醤油はかなり日本のものに

近くて美味しかったです。

 

 

 

アンカラの日本食レストランでは

たった6切れで

¥1,000近くもするそう。

手作りならば安くて旨い

スシが食べれちゃいます。

やっぱり日本食が美味しい。

 

 

 

 

 

 

ほんの1カ月前にやってきたばかりの国で、

ありがたいことに

人から人へと出会いをつないでもらっています。

 

 

険しい山と厳しい寒さの道中にあふれている

温かい出会いの数々のおかげで、

トルコは忘れられない国になりそうな予感。

 

 

 

日本人より日本人

2019.01.11

【232日目 8,700km】

 

 

大雪の中たどり着いたハミットの村を出て

親切なトールガさん一家に別れを告げると、

首都アンカラの方向へと走りだします。

 

 

 

前日の猛吹雪はぱったりと止み

綺麗な青空が広がっています。

一面に広がる雪景色が

クセになりつつあるトルコの旅。

 

 

 

時々あらわれる町を横目に

ひたすら進んでいきます。

ほどほどの起伏があるおかげで

身体があったまりました。

 

 

 

 

 

 

 

この日に着いたのは「クルッカレ」という街。

街の中心部で安いホテルはないかと探していると

とある男性が声を掛けてきました。

 

「ホテルは沢山あるけど、せっかくだしウチにおいでよ」

 

これまでに沢山の外国人旅行者を招いてきたという

彼を信用してお邪魔することにしました。

 

車で走る彼を7kmほど追いかけると

郊外のマンションに到着。

 

 

 

奥さんは近々引っ越す予定の

イスタンブールに先に行っており、

しばらく独りで暮らしているという「サヴァシさん」。

 

少し話しただけで

にじみ出る人柄の良さが感じられる人でした。

 

 

 

そんな彼の趣味は“織物”。

伝統工芸職人であるあばあちゃんから

直々に教わったという腕は

素人でもその精巧さが分かるほど。

リビングには自作の手織り機が

堂々と置いてありました。

 

 

 

羊毛を紡ぐところから

手作業でおこなう本格派。

トルコでもここまでやる人は

決して多くないらしく、

彼のもとにやってきた友人が

パシャパシャ写真を撮っていました。

 

 

 

 

 

 

実は、

織物好きのサヴァシさんの本職は学校の先生。

街の外れにある高校で英語を教えてるんです。

 

出会った翌日、

彼が教鞭をとる学校に出向き

授業に参加させてもらうことになりました。

 

校長先生にも許可をいただき、ワクワクしつつ

日も昇りきらぬうちからバスに乗って学校に向かいます。

 

 

 

山間部にある学校のため

交通手段はみんなスクールバス。

生徒や同僚の先生が

次々と乗ってきました。

 

 

 

 

 

いよいよ楽しみになってきたと思いきや

バスの中で残念なお知らせが…。

あまりに雪が深いため

この日の学校は

お休みになってしまいました。

 

 

 

 

学校にたどり着くことすらできず

バスはそのままUターン。

後々聞くと、

この日から3日連続休みになったそう。

この辺でも珍しいほどの雪とのこと。

我ながらよくこの中を漕いできたな。

 

 

 

 

 

 

プロ並みの織物師だったり、

僕の前職でもあった英語教員であったり、

色々と驚かされたサヴァシさんですが

一番の衝撃は奥さんと夫婦そろって

大の“日本フリーク”だということ。

 

特に日本食に関心が強いらしく、

「朝ごはんを食べよう!」と言ったとき

まさか卵焼き用の四角いフライパンが出てくるとは

思いませんでした。

 

 

 

学校が休みになって時間ができたので

一緒にうどんを作ることに。

「こっちの食材じゃ

和食のだしは再現できないよ」

と伝えると、海外ではほとんど見ない

“昆布”が出てきました。

 

 

 

「こんな田舎じゃ

日本の麺なんか売ってないでしょ」

と言うと、小麦粉を出してきて

“うどんの麺”を打ちはじめました。

 

 

 

 

 

「麺をのばす棒が要るよ」

と言ってすらないのに、

“麺棒”が出てきました。

もはやこの家にはなんでもある。

 

 

 

 

 

まさか故郷の日本から

数千kmも離れた異国で

人生で初めてうどんを打つとは。

うどん打ち体験に興味がある方は

トルコへどうぞ。

 

 

 

 

もちろん麺を切るための

包丁も出てきました。

ホント職人みたい。

実はトルコにも似たような

麺料理の文化はあるそうです。

 

 

 

 

箸も上手に使いこなし

見事に茹で上げてくれました。

茹でた後に冷水にさらすとこまで

もう完璧。

 

 

 

 

 

うどんだけじゃ寂しいので

親子丼もつくりました。

これは僕が作ったんですよ。

ホントに。

 

 

 

 

 

旅をしていて「日本が恋しい!」

と思う時の理由は食事。

摂取することで精神的余裕を取り戻し

旅を続けることができます。

まさかトルコの田舎で食べられるとは。

予想を大きく超えるほど美味しかった。

 

 

 

 

 

 

日本を愛し、

手打ちの麺を茹で、自作の袴を身に着ける。

そんなサヴァシさんは日本人よりも日本人。

 

 

ホテル泊が中心となっていた

冬のトルコの旅路。

ここにきて現地の人とのかかわりが増えてきています。

 

思わぬ場所での思わぬ出会い、

どれだけ味わっても飽きることがありません。

 

 

 

猛吹雪

2019.01.10

【231日目 8,638km】

 

 

カッパドキアでのんびりと年末年始の休みを過ごした後は、

再び自転車にまたがり西へと向かいます。

 

 

いよいよ2019年の走り始めと意気込んだこの日は

朝から強い風と雨。

出発を遅らせて

天気予報を確認しつつ空模様をうかがっても、

これから数日間天気は安定しないようなので

腹をくくって小雨のなかいよいよ出発しました。

 

 

 

道は決して過酷ではないものの

強い風のせいで

思うようにペダルを漕げません。

さらに時折強まる雨のため

休みを取りつつ

ゆっくり進みました。

 

 

 

予定の半分も走れなかったこの日は

「ハシベクタシュ」という

小さな田舎町で一泊。

通りを歩いても

誰一人すれ違わない淋しい町でした。

 

 

 

 

 

 

 

明くる日も曇天の下を走り始めます。

寒いし、気持ちのいい天気ではないですが

雪が降ってないのが救い。

 

 

 

走り始めてわずか3kmのところで

サドルに違和感を覚え、

自転車を確認してみると

およそ4カ月ぶりのパンク。

脇に建つ民家の軒下で

ささっと修理させてもらいました。

 

 

 

前日に到着予定だった

「クルシェヒル」に着きここで一泊。

トルコの田舎では1,000円前後で

割に良いホテルに泊まれるから

助かってます。

 

 

 

 

 

 

 

大変だったのが

カッパドキアを出発してから3日目のこと。

走り始めにパラパラと降っていた雨は

気がつくと雪に変わっていました。

 

 

この日走行予定の100kmをこなすために

急がねばとペダルを踏みしめますが

50kmを走った昼前ごろに状況は悪化。

猛吹雪に見舞われ、視界はほとんど奪われました。

 

 

 

みるみるうちに雪は積もっていき、

さすがに走行不可能と判断して

自転車を押しながら

助けを求めてたどり着いたのは小さな村「ハミット」。

 

 

 

ひと気のない村の通りを歩くと

ある建物に中年の男たちが集まっており

「ここで休んでけ」と、

声を掛けてもらいました。

 

 

 

 

 

建物の中に足を踏み入れると、

何やら無数の大人たちが

テーブルを囲んでおり

かなり活気が溢れています。

 

 

 

 

 

そこにいる人たちは皆

麻雀のような遊びに興じており、

どのテーブルも満席。

いわゆる“雀荘”のような所で

順番待ちの人もいるほどの

大賑わいでした。

 

 

 

キョトンと立ち尽くしていると、

「これに着替えろ」と

雪でびしょ濡れになった服の替わりを

用意してくれたり

昼ごはんまで食べさせてくれたりと

まさに至れり尽くせり。

 

 

 

ギャンブルに没頭する男たちの

ダーティな遊び場で出会ったのは、

トルコの心優しき

ジェントルマンたちでした。

平日の昼間から

ずっと遊んでたけど…。

 

 

 

 

 

 

そんな雀荘(らしき場所)で出会ったのは

近くに住む“トールガさん”。

「今夜はウチで泊まっていいよ」と、

優しく迎え入れてくれました。

 

 

 

同居する

おじいちゃん、おばあちゃん

との夕食。

思えばトルコで

地元の方の手料理をご馳走になるのは

はじめてのこと。

 

 

 

真ん中に座るのが

“トールガさん”。

雪に埋もれた小さな村で

ゆっくり穏やかな時間を

過ごすことがました。

 

 

 

 

経験したことのないような猛吹雪の中

1人ぽつんとたたずみ

一時はどうなることかと思いましたが、

そんな状況だからこそ与えられる

素晴らしい出会いってものがあります。

 

 

寒さはまだまだ厳しいけれど、

なんとか進んでいけそうです。

 

 

 

1年のはじまり、カッパドキア

2019.01.9

【227日目 8,473km】

 

 

パムッカレでの観光を終え、

再びバスに乗って“カッパドキア”に戻ってきました。

世界屈指の絶景を堪能しつつ

年を越すことにします。

 

 

 

ウネウネ、ニョキニョキと

不思議な形をした奇岩が

あたりに広がるカッパドキア。

 

 

 

 

 

 

火山の噴火によって

堆積した地層が

数万年という年月をかけ

風化、侵食され

この地が形成されたそう。

 

 

 

 

 

 

パムッカレから戻ると、

自転車で到着した時とうって変わり

奇岩群が雪をかぶっていました。

この時期ならではの貴重な風景です。

 

 

 

6,000~8,000年前には

人類が居住しはじめていた

といわれるカッパドキア。

岩肌には無数の穴があり

洞窟住居の形跡が残っています。

 

 

 

 

視界に収まる程度の広さだと

思っていたのですが、

じっくり見て回ると

バスに乗っても

とても1日では足りないほど。

 

 

 

 

奇岩群のなかに

ひっそりたたずむ

通称“ラクダ岩”。

ほかに

アザラシやライオンもいます。

 

 

 

 

 

 

世界遺産に登録されているカッパドキア。

実は、自然景観だけでなく

文化的価値もあわせ持った複合遺産として登録されています。

 

 

 

キリスト誕生直後の

2,000年前ごろ、

現地に根ざしていた土着の宗教を

押しのけるようなかたちで

定着したキリスト教。

 

 

 

地理的に、

イスラム勢力との衝突が多かったこの地域。

キリスト教徒は逃げ隠れるように

岩の中を暮らしの場として選びました。

 

 

 

教会や修道院、住居など

当時の生活を物語る遺跡。

現在、残っているのは

11世紀ごろに

建てられた(掘られた)

ものだそうです。

 

 

 

洞窟の中の壁には

藍やクルミを染料とした

色鮮やかな“フレスコ画”が

描かれています。

絵にダメージを与えないため

残念ながら撮影禁止でした。

 

 

 

 

 

カッパドキアの中心に位置し、

ホテルが密集していて観光の拠点になる町が

“ギョレメ”。

 

 

 

レストランや旅行会社など

世界各地からやってくる観光客を

ターゲットとしたお店が

ひしめき合っていました。

 

 

 

 

 

 

町中を歩いていても

そこら中に大きな岩が

ズシンとあらわれます。

 

 

 

 

 

 

かつての洞窟住居も

現在はその多くが

旅行者を迎えるためのホテルへと

改築されています。

 

 

 

 

宿泊したホテルの相部屋。

岩を掘っているので窓はなし。

ヒンヤリして寒いのかと

思ってましたが、

保温性があるのか意外と

暖かったです。

 

 

 

 

 

カッパドキアの名物料理

“テスティケバブ(壺焼きケバブ)”。

ふたのついた壺を

トンカチでパッコンと割ります。

 

 

 

 

 

中から出てくるのは

肉と野菜の煮もの。

羊肉、鶏肉もありますが

このとき食べたのは牛肉。

串焼きのケバブにくらべマイルドで

寒い季節にぴったりの1品です。

 

 

 

 

 

ギョレメ滞在中にお世話になっていたのが

ムラートさんと日本人・りょうこさんの

ご夫婦が営む旅行会社 “Bridge Of The World”。

 

 

日本で出会ったお二人が4カ月ほど前にはじめたお店には、

沢山の日本人旅行者の方が

観光ツアーや気球などのアクティビティーを

申し込みにやってきていました。

 

 

貧乏旅行ゆえに

いくつものツアーには

参加できなかったにもかかわらず、

訪れるたびチャイでもてなしてもらい

すっかりくつろぎの場となりました。

 

 

 

 

大晦日の夜には

元コックでもあるムラートさんの

手料理をごちそうになりました。

おかげで楽しい年越しを

過ごせました。

 

 

 

強引な客引きやぼったくりも多い

海外の人気観光地にありながら

安心の日本人スタッフ駐在のお店です。

 

カッパドキアご訪問の際は、ぜひお立ち寄りください!

https://www.instagram.com/bridge_of_the_world

 

 

 

お店で出会った日本人の方々と

町を見下ろす丘の上で年越しのカウントダウン。

 

町中のあちこちから無数の花火が上がる様子は

1年に1回きりのド派手な光景。

2019年は最高の幕開けでした!

 

 

いつもよりちょっと贅沢なホテルでのんびり充電したら

今年もいよいよ走りはじめます!!

 

 

 

2018年、走り納め

2018.12.29

【221日目 8,473km】

 

トラックに乗ってやって来たシワスで3日間過ごしたのち

再び自転車に乗って進みはじめます。

 

 

 

標高が1,000m近くまで下がっているので

遠くを眺めても雪は見当たりません。

気温も5℃くらいまで上がって

少し漕ぐと暑さを感じるほど。

 

 

 

久しぶりに123kmと

長距離を気持ちよく走ったこの日は

「ゲメレク」という田舎町で1泊。

心地よい疲れの中

ゆっくり眠りました。

 

 

 

 

翌日も平坦な道を80kmあまり走り

トルコ中部の大都市「カイセリ」に到着。

有名な観光地もないので

翌朝すぐ発つことにしました。

 

 

 

 

 

 

 

シワスから続けて走ること3日目。

久々に爽快な青空が広がったこの日は

2018年最後の走行、

今年の走り納めです。

 

 

 

大都市カイセリから

400mほど標高の高い台地。

霊峰“エルジェス山”を背に

進んでいきます。

 

 

 

 

 

この日の行程は短めの70kmほど。

旅が始まった今年、

思えば遠くへ来たもんだと

しみじみ感じつつ

ペダルを漕ぎつづけました。

 

 

 

 

15時頃、目的地である村

「ギョレメ」に到着。

村の中には奇妙な岩が

ウニョウニョと生えています。

 

 

 

 

 

 

 

高台から見下ろしたギョレメ。

 

実はこの村、奇岩群が織りなす絶景で

世界的にも有名な観光地“カッパドキア”の

ど真ん中に位置しているんです。

 

年末年始の冬休みということで、

しばらく自転車を置いて

ここでのんびり年越しを過ごしたいと思います。

 

 

 

ユーラシア大陸を渡る中でも楽しみにしていたカッパドキア。

 

早速じっくりと観光したいところでしたが、

年越しまでしばし日にちもあるということで

はやる気持ちを抑えつつ

まずはバスに乗って遠く離れた別の観光地へと

足を伸ばすことにしました。

 

 

ところが

向かう道中ちょっとしたハプニングが…。

 

 

 

予定通り走りはじめた

ギョレメ発の夜行バスは、深夜0時に

とあるターミナルでなぜか停車。

トルコ語のアナウンスが流れますが

よく分からないので

そのまま寝入ってしまいました。

 

 

 

到着予定の朝6時、目を覚ますと

そこはまだ

深夜に停まったターミナルのまま。

実はこの時、広範囲で大雪が降り

先の道路で大勢が病院に運び込まれる

大事故が発生し道路網は大混乱。

 

 

 

停車してから約12時間後の正午。

待ち続けた末、警察の通行許可がおり

半日ぶりに走りはじめたバスは拍手喝采に包まれました。

 

本来、早朝に着く予定だったのですが

遅れながらもその日の夜7時に何とか目的地に到着。

 

 

 

 

 

ギョレメから西へおよそ500km、

やってきた観光地は

「ヒエラポリス-パムッカレ」。

 

 

 

紀元2~3世紀、

2000年近いほどの昔に反映した

古代ローマ帝国の遺跡群。

石造りの宮殿が崩れながらも

所々その姿を残しています。

 

 

 

 

なかでも圧巻は

丘の上に立つ半円形の劇場。

最上部からすり鉢状の底にある

舞台を見下ろすと

その大きさが感じ取れます。

 

 

 

 

 

 

そして、

ヒエラポリス遺跡観光の目玉ともいえるのがこちら

「パムッカレ」。

 

溢れ出る温泉水に含まれる石灰によって

丘の斜面に大きなお皿が幾重にも重なった棚田のような

絶景が出来上がったそうです。

 

 

 

しみ出るお湯の温度は

38℃ほど。

石灰岩を汚さないよう

皆はだしになります。

 

 

 

 

 

かつてはローマ帝国の

温泉保養地として栄えたパムッカレ。

数百人の兵士たちが同時に浸かって

汗を流したそうです。

 

 

 

 

 

冬場の石灰岩の上は

すっかり冷えきっています。

脇の水路を流れるお湯に足を浸すのが

本当に気持ち良い。

 

 

 

 

 

 

 

数年前まではお皿の1枚1枚に

しっかりお湯が溜まって、

石灰の白と水の青がより美しい絶景を作り出していた上に

深い所では全身浸かることもできたとか。

 

 

 

しかし、

開発が進み周囲に建つホテルたちが

温泉水をひいたことで

パムッカレは干上がりつつあるそう。

お湯を返せ。

 

 

 

 

 

 

バスで一緒になった中国の方と。

 

干上がりかけていることで

「がっかり遺産」なんていう前評判も聞いておりましたが、

上から見下ろす景色は綺麗だし

のんびり足湯につかるのも気持ち良くて

しっかりパムッカレを満喫させてもらいました。

 

 

再びバスでギョレメに戻り、

今度はカッパドキアを楽しみたいと思います!

 

 

ということで2018年の自転車旅はこれにて終了。

それでは、皆さん良いお年を!

 

 

師走にシワス

2018.12.27

【212日目 8,190km】

 

 

エルジンジャンを出て

次の街を目指します。

 

予定ではここから3日間かけて

1,000mの峠を2つ超えるという

トルコ入国以来の過酷な道のりを行くつもりでした。

…つもりでした。

 

 

ところが、

出発から30kmほどのところで

上り坂を一生懸命漕いでいたときのこと。

 

 

後ろからやってきた大きなトラックの運転手が

クラクションを鳴らして合図をしてきました。

「ここからは坂がキツいし、ひどい寒さだ。」

 

それでも道路に雪はないし

何とか自力で進む意思を伝えると、

「やめとけ、街まで乗っけてやる。」

 

 

地元の人がやめろって言ってるし

人の優しさを無下にできないし

ということで、迷いながらも

お言葉に甘えることにしました。

 

 

 

 

 

厳冬の険しい道をゆけるのも

こうやって

いざという時の助けがあるからだと

感謝を抱きつつ車体に揺られました。

 

 

 

 

 

しかし、

トラックの助手席に座りながら

雪景色を眺めていると

胸の中にはモヤモヤが。

 

 

 

 

確かに寒そうだし、坂も急だけど

「これなら自転車でイケてた」とぼんやり思ったんです。

ここに来るまでに

2,000mの峠も越えてきたし、

氷点下のアイスバーンの道も走ってきたし。

 

現地の人の言うことをきくのも大事だけど、

それと同じくらい

自分を信じて突き進むのも大事だと強く実感しました。

 

 

 

ただ、

言葉も通じない見ず知らずの旅人を

放っておけない暖かい人情が

トルコの人々の心に

宿っているのを感じました。

“アルメットさん”本当にありがとう!

 

 

そんなことを考えつつ

気づけば泊まるつもりだった村を過ぎ

トラックはどんどん目的の街に近づきました。

 

 

 

3日間の行程をすっ飛ばしてやって来たのは

トルコ東部最大級の都市“シワス”。

「師走」に「シワス」です、ダジャレなんです。

 

 

街の中央通りには

ブティックや高級レストランも立ち並び

これまでのトルコの都市と比べても

かなり発展していて賑やかです。

 

 

 

 

 

近代的な建物がたち

自動車が行きかう景色の真ん中に

堂々たるモスクがそびえ立つのも

シワスの特徴。

“これぞトルコ”といった街並みです。

 

 

 

 

さらにこのシワスから100kmあまり離れた街に

「ディヴリーイの大モスクと病院」という、

イスラム建築の最高峰ともいわれ

世界遺産にも登録されている

800年前の遺跡があるんです。

 

 

ホテルのスタッフや街中で会った人も

「あの建築は素晴らしい」「ぜひ見ておくべきだ」

と口を揃えて絶賛するほど。

 

英語の通じない人が多いなか

何とか行き方を調べ、

2時間半バスに乗ってたどり着きました!

 

 

はい、改修工事中。

立ち入り禁止。

 

 

「日本からはるばる来たんだぞ!」

と、無理を言って

敷地内には入れてもらいましたが

鉄骨と屋根に覆われて

ほとんどなにも見えません。

 

 

 

 

帰り際に振り向いてみましたが

やはり何も見えません。

改修が終わるのは2年後だそう。

というか、バスの運ちゃんか誰かが

「今は見れないよ」って

教えてくれてもいいと思うんですけど。

 

 

 

 

そんなこんなで数日間過ごしているシワス。

あっという間に過ぎてしまう師走。

 

今年もあと少しですな。

 

 

 

白銀をゆく

2018.12.25

【209日目 8,154km】

 

エルズルムの街を3日間ほど堪能したのち

次なる場所へと走りはじめます。

 

 

 

エルズルム周辺はこれまでより標高が低いので

寒さも和らぎ雪も少ないのではと予想してたのですが

出発前夜に激しい雪が降り

走りはじめるとやっぱり白銀の世界。

道路も泥まじりの雪でビチャビチャでした。

 

 

 

 

 

日本ではなかなか

お目にかかれない規模の雪原を

横に見ながら

延々とペダルを漕ぎます。

 

 

 

 

 

深い雪景色のなかに

突如ぽつんと現れる町や村。

レストランで休憩すると

寒さゆえに

休み終えて出発するのが億劫になります。

 

 

 

 

 

 

起伏の多さは相変わらずで

この日も400mほどの峠を越えました。

重いペダルを必死に漕ぐのはつらくても

のぼっている最中は体が温まるので寒さを感じません。

 

峠の頂上から眺める

雪をかぶった山々が波打つように連なる風景は息をのむ素晴らしさ。

この季節ならではの光景です。

 

 

 

 

 

下りの坂も急傾斜すぎず

気持ちよく滑り降りていきます。

標高が下がるにつれ雪も減っていき

走りやすくなりました。

 

 

 

 

 

90kmほど走行したこの日は

「タルチャン」という

小さな町に泊まることに。

 

 

 

 

 

 

日が暮れ始めると

通りにはほとんど人がいなくなります。

地元の人も

家に閉じこもりたくなる寒さ。

 

 

 

 

 

 

 

明くる日も西へ向かって走ります。

標高も1,500mを下回ると雪はなくなりました。

1日中走っても雪を見なかったのは久々な気がする。

 

 

 

 

ゆるやかな下りがほとんどの道のりを

90km走ってたどり着いた町が

「エルジンジャン」。

 

 

 

 

 

 

大きすぎず小さすぎずの中級都市

といったところでしょうか。

ここしばらくどの町にも

安いホテルがたくさんあるので

宿探しがとても簡単で助かってます。

 

 

 

 

 

 

街中にはとくに見どころはないのですが

少し離れたところに地元の人に人気の観光スポットがありました。

 

エルジンジャンの町から20kmほど、

バスで1時間弱揺られたところにある「ギルヴィクの滝」。

 

小さな滝がいくつも集まっており

あちこちから水が流れている不思議な景色で

“トルコで1番美しい滝”とも言われているそう。

 

 

 

気温が氷点下近くまで下がるこの時期は

滝の凍った姿が見れるかもと

期待して向かいましたが

結果は、“半凍り”でした。

岩の壁を伝い落ちる水が

ところどころ凍っています。

 

 

 

1m以上はあろうかという大きなつららが

何百、何千と並んでぶら下がる

幻想的な光景。

まさに

自然が作り出した芸術品です。

 

 

 

 

 

こごえる寒さのサイクリングにも慣れつつあり、

冬ならではの魅力を何とか見出せそうです。

 

ただ、

これからもっと雪が降り積もって道が閉ざされたら

この旅はどうなってしまうのでしょうか。

 

どうしよう。

 

 

 

エルズルム到着

2018.12.21

【204日目 7,964km】

 

ホラサンを発ち、

さらに西へと進んでいきます。

 

 

 

ここしばらく天気は良好。

冬の青空は空気が透き通って清々しい気分で走れます。

 

この日は平坦に見えて

ゆるやかな上り坂がずっと続いていました。

90kmの道のりのほぼすべてが上りで

太ももには着実に疲労が溜まっていきます。

 

 

 

 

 

7時間にわたり

ゆっくりゆっくり上り続けて

たどり着いた所が「エルズルム」。

トルコで最初に訪れた都市・カルス

を上回るほどの大きな都市です。

 

 

 

 

ホテルやビルが乱立し

沢山の車が行き交っています。

ヨーロッパとの距離が近いからか

よく目にするのは

BMW、フィアットなどの欧州産。

もちろんトヨタや日産も走ってます。

 

 

 

標高1,500mの高所にあることから

スキーリゾートでも有名なこの街からは

すぐそこに雪山も望めます。

 

 

 

 

 

 

 

 

街中には近代的なビルだけでなく

イスラム教の歴史ある建築物も堂々たる存在感を表しています。

 

2本の塔が印象的なコチラは“チフテ・ミナーレ・マドラサ”。

イスラムの神学校ですが

石造りの重厚な見た目はどこかアルメニアの教会にも似た雰囲気。

宗教は違えど地理的に近いことで

互いに影響を与え合ったのでしょうか。

 

 

神学校の近くにある3つの尖塔

“ユチ・キュンベット”は

細かい彫刻などの装飾がなされた霊廟なのですが

誰を弔ったものかは分かっていないそうです。

 

 

 

 

 

街の中心部には

ショッピングモールもあります。

中央アジアなどの商業施設は

たいてい閑散として空虚感が漂うのですが

こちらは割と賑わっていました。

 

 

 

 

フードコートには

旅の始まり中国以来のマクドナルドが!

日本生まれでも何でもないけれど

久々に見るとちょっと落ち着きます。

 

 

 

 

 

“マンガルバーガー”なるものを注文。

若干ケモノ臭かったので

おそらく羊肉のバーガーです。

セットにナゲットを加えて約400円。

激安ではないですが

やはり日本の相場に比べると安い。

 

 

 

 

 

中央アジアからイラン、コーカサスにかけて

単調な食事が続いておりましたが

中華料理、フランス料理に並んで

“世界3大料理”の1つに数えられるトルコ料理。

確かにその食材、味はこれまでの国よりも豊か。

ここ数日で味わったものをご紹介します。

 

 

“キョフテ”

羊や牛の挽き肉を

卵と玉ねぎをつなぎにしてこねて焼いた

まさにトルコ風ハンバーグ。

空腹時にガツンと食べ応えありです。

 

 

 

 

“バルク・ウズガラ”

そのまんま「魚の塩焼き」です。

この時は食べたのはカツオでした。

黒海、地中海に挟まれたトルコは

海鮮料理も豊富。

レモンを絞ってどうぞ。

 

 

 

“マンティ”

小麦粉でつくった皮で

挽き肉などの具を包んで茹でた

トルコ風ギョウザ。

トマトソースとヨーグルトをかけて

あっさり召し上がれ。

 

 

 

“ピデ”

パン生地にお肉たっぷりの具と

チーズをのせて焼いた料理。

ピザの原型だという説もあるとか。

濃厚で結構お腹にきます。

 

 

 

 

“ストゥラッチ”

お米のはいった

トロットロの焼きミルクプリン。

甘さたっぷりの定番スーツは

脂っこい肉料理の後にピッタリ。

 

 

 

 

 

ここエルズルムの名物料理として有名なのが「ジャー・ケバブ」。

焼肉料理を総称して“ケバブ”と呼ぶそうですが、

こちらはマリネ(酢漬け)した羊肉を

回転させながらローストするもので

垂直ではなく横方向にして焼くのが特徴。

 

 

薄切りにしたものが鉄串に刺さった状態で提供されます。

塩をパパッとかけるだけのシンプルな味付けなのですが

肉の旨みたっぷりでこれまた美味しい。

 

 

このように種類豊富なトルコ料理。

味覚は国や文化によってそれぞれなので

どれが美味しいとは一概には決められませんが、

料理に対してどれだけ工夫するか、手をかけるかという点で

これまでの国のなかでも

中国とトルコは群を抜いていると感じます。

 

しかしトルコ料理はまだこんなものではありません。

西に向かえばさらなるグルメがあると聞いております。

 

究極の食を求める旅、

まだまだ続きます。

 

 

 

寒さ増してくトルコの道

2018.12.16

【202日目 7,877km】

 

カルスで2日間ほど身を休めたら

西に向かってまた走りはじめます。

 

 

 

日に日に下がっていく気温。

知ったところで良いことは何もないから調べてすらないですが

おそらく1℃か0℃くらいでしょうか。

 

吹く風は冷たいけども

走行中に雪が降っていないのが救いです。

 

 

 

 

 

夏のように体力を使い切ってしまうと

バテて風邪をひくのがこわいので

毎日少しづつ進むことにしています。

この日もわずか60km足らずを走り

「サルカムシュ」の町に到着。

 

 

 

 

たどり着くまでの道路に雪はなかったのに

町の中は雪がどっしりで

歩道はかっちかちのアイスバーン状態。

しかも坂の多い所だったので

自転車を押すのも一苦労です。

 

 

 

 

面白いのが

通りを歩く現地の人も

ツルツル滑りまくって

コケそうになってること。

この場所で幾度冬を越せども

全然、雪に慣れてない様子です。

 

 

 

 

 

イランを離れてから

アルメニア、ジョージアの人はシャイなのか

あまり声を掛けられることはなかったのですが、

トルコに入ってまた明るい笑顔とともに

声を掛けられることが増えた気がします。

 

 

夕食時のレストランで同席した地元の女子学生。

散々キャッキャと話したあとで

「写真送っといてねー」と言い放ち去っていきました。

 

親日国として知られるトルコ。

陽気でフレンドリーな人が多いです。

 

 

 

 

 

翌日早くに走りはじめると

空気は前日よりも

ぐっと冷え込んでいました。

ついに道路も

凍ってアイスバーンになってます。

 

 

 

 

主要道路を外れて

車の少ない道をひとり寂しく漕いでいると

横を列車が走っていきました。

写真を撮っていると

中から手を振ってくれるたくさんの人。

こんなちょっとしたことで元気が出ます。

 

 

 

 

 

 

雪の積もった峠を越え

冷たい風にさらされながら

長い下り坂をおりると

小さな集落にたどり着きました。

 

 

 

 

 

通りに立つおじさんに「休んでいきな」

と呼び止められ建物の中へ。

ごうごうと燃えるストーブに

あたりながら飲む甘いチャイ(紅茶)は

前に進む活力を与えてくれました。

 

 

 

 

 

 

さっきまで真っ白だった景色が一変。

平坦な道はなく常にアップダウンを繰り返しているので

1日走っているあいだに

雪があらわれたり突然なくなったり。

汗をかいたり、こごえたりと体温調整が大変です。

 

 

この日もおよそ70kmを走り「ホラサン」の町に到着。

立ち寄ったレストランの愉快な店員さんたちが

教えてくれたホテルに向かいベッドに倒れ込みました。

 

 

世界を旅するサイクリストの悩みの種が“野犬”。

 

彼らのテリトリーに入ると

野生の咆哮とともに親の仇でもあるかのごとく

執拗に追われるわけですが

こっちから「おいでおいで」すると

意外となついてくるものだと最近発見しました。

 

犬って顔は怖くても、

根はいいヤツが多いです。

 

 

 

冬山の洗礼

2018.12.15

【199日目 7,747km】

 

国境付近の町「チュルドゥル」を出発し、

いよいよアジアからヨーロッパへの玄関口である

トルコのサイクリングがはじまります。

 

しかし、意気揚々と走りだしたトルコの道に

冬山の厳しさをまざまざと見せつけられました。

 

 

 

ホテルを出てしばらく走るとそこに綺麗な湖。

透き通る空の下で

気持ちの良い湖畔のサイクリングが楽しめたのも

ほんの束の間のこと。

 

ここからわずか30分ほど走ると

天気は急変し、あたりは雪に覆われ

台風並みの暴風が吹き荒れ始めたんです。

 

手はかじかみ耳はちぎれそうなほど冷え切っているうえ

激しい風で前には進めず後ろにも戻れずまさに絶体絶命!

(カメラを取り出す余裕もありませんでした…。)

 

困り果てていたその時

後ろから1台のワゴン車が通りがかり、

降りてきたドライバーは無言のまま

後ろのトランクを開ると

ジェスチャーで「自転車をのせろ!」と

示してくれました。

 

さっきまで広がっていた青空が

一瞬で灰色の雲に覆われ強風が吹くとは

さすがに山の上。

予想のできない天候は

冬山の油断できないところです。

 

湖から標高が300mほど下がり

雪も減り、風が穏やかになったところにある

小さな町でおろしてもらいました。

 

 

 

車をおりてすぐレストランで食べた牛肉とジャガイモのスープ。

芯まで冷えきった体にしみわたる美味しさでした。

 

 

しっかり体力も回復して

相変わらず冷たい風が吹くなか40kmを走りました。

 

 

 

たどり着いた

トルコ最初の都市は「カルス」。

7万人ほどが住む

トルコ東部最大級の都市です。

 

木もはえない荒野のような風景のなか

どこかから街をまるごと持ってきたかのように

とつぜん都会になりました。

 

通りを歩けば活気に溢れていて

笑顔で声を掛けられます。

アルメニアの首都エレバン以降

あまり元気のない場所が続いていたので

街歩きの楽しさがよみがえりました。

 

 

オスマン帝国の前身である

“セルジューク・トルコ”時代の要塞などの

歴史遺跡もあるカルス。

ヨーロッパからの観光客もいました。

 

イスラム教国家であるトルコにありながら

アルメニア式の教会もあります。

まだ国境からさほど離れていないので

周辺国の文化が交わっているよう。

 

 

 

宿泊先のホテル。

夜が氷点下まで下がるようになってから

野宿や現地の方の家に泊まったりする

機会が減ってます。

 

寒いせいか自転車で走ってても人を見かけることが少なく

地元の方々との交わりも少ないです。

 

ホテル泊はゆっくり休めるし、気楽だけど

ワクワクもちょっと少ない。

 

冬は淋しい季節だ。

 

 

 

 

あっという間のジョージア、そしてトルコへ!

2018.12.11

【197日目 7,692km】

 

 

無事アルメニアを出国してやってきたのは

8ヵ国目となる「ジョージア」。

国境から40kmほどの田舎町「アハラカルキ」に到着しました。

 

特に観光地もない静かな町です。

これまで山中では部分的に雪が降り積もっている所はありましたが

いよいよ町中にもちらほら雪が見えるようになりました。

 

このジョージア。

ワインや伝統料理が評判で長居する観光客もいるそうですが、

これから厳しい冬を迎えるうえで

自転車での進行速度が鈍ることが予想されるため

観光はせず早々と次のトルコに向かうことにしました。

 

アルメニアから直接トルコに入ればよいのですが、

隣り合う両国の関係が悪く国境が閉鎖されているので

一度ジョージアに入国する必要があったのです。

 

アルメニアの山々によって疲労困憊状態のため

この町で3日ほど休憩。

美味しそうなレストランもないので毎日自炊しとりました。

 

 

疲れが癒えたらいよいよ出発。

いちおう道路には雪はないですが

見渡す限り真っ白の景色のなかを走りだします。

 

交通量が少ないうえに、雪が積もっていることもあって

あたりは本当に静寂の世界。

寒さと同時に清々しさも感じます。

 

 

不思議なことに、

若干の起伏がある程度でほとんど標高は下がっていないのに

ある丘を越えると突然雪が消え去りました。

 

「アハラカルキ」の町を出発してから30kmほど走ると

ジョージア-トルコ国境に到着。

 

ジョージアに入る際はかなりスムーズに入国できましたが、

ここではかなり入念な荷物検査を受けました。

数年前にはテロが起こっていたり、

シリアの隣でもあるトルコ。

警備の目を光らせているのが感じ取れます。

 

 

いよいよ国境を越えて入国すると

一気に400mをのぼる峠が待っていました。

本当に休む間を与えてくれません。

 

ここしばらく標高1,500~2,000mのあいだを

ひたすら上ったり下りたりしています。

そして気温は5℃から-5℃。

走っている最中は身体も温まっていますが、

少し止って休むと一気に冷え込みます。

 

 

峠を下った先にあるのが「チュルドゥル」という町。

声を掛けてきた警察が町はずれのホテルへと案内してくれました。

 

1泊1,200円なので

物価はこれまでの国とも大きくは変わらない様子。

 

 

入国後、記念すべき1食目の食事は

やっぱりケバブ。

イランには失礼ですが、ケバブの味はトルコの勝ち。

 

 

ということで

アジアとヨーロッパが出会う国、

地中海と黒海に挟まれた大国“トルコ”の旅がはじまります!

 

 

アルメニア出国

2018.12.7

【193日目 7,632km】

 

大成さんとも別れを告げて、ふたたび1人に。

「スピタック」という町から

北側のアルメニア-ジョージア国境に向けて走りだします。

 

 

アルメニアを出るまで残り100kmあまりなのですが、

山ばかりであることに加えて日が短くなっていることもあり

1日の移動距離も短くなってしまいます。

 

これまでは1日当たり120~130kmほど平気で走れていましたが、

アルメニアに入ってからは100km未満に留まっているのが現状。

やはり冬のサイクリング、

穏やかな季節とはわけが違います。

 

この坂の少し前にトンネルがありました。

中国で旅を始めて以来トンネルはほとんどなく、これで5本目くらい。

困ったことにこれまでどのトンネルも日本のように灯りはついておらず

中に入ると完璧な暗闇。

 

どれも猛スピードで間近を走り去る自動車に肝を冷やすような

命がけの走行でした。

 

今回の2kmにおよぶトンネルも前日から不安だったのですが

トンネルに到着していざ突入しようとした時、

後ろから通りがかった車のドライバーのおじさんが

「自転車で通るのか? 危ないからオレが後ろから守ってやる」

 

駅伝の監督車のようについてきてくれることで、

道を照らしてくれると同時に後続車の追突を防いでくれたのです!

出国直前に、

アルメニア男児の粋な思いやりを感じた出来事でした。

 

 

この日はわずか50km足らずを走り

「ギュムリ」という町で1泊。

 

市役所(写真右)も西洋風の洗練されたデザイン。

こじんまりとした田舎町です。

 

街の中心にある教会を訪れると結婚式が行われていました。

この旅でもかなりの結婚式に出くわしてます。

良いこと良いこと。

 

 

翌朝、日も昇りきらない8時前(日の出がかなり遅いんです)に

標高2,200mに位置する国境に向かい走りはじめます。

 

ギュムリの町が標高1,500m前後なので、700mの上昇。

毎日数百m上るのが日課になってきています。

少しは慣れてる気がするけど

やはり数十kmにおよぶ上りは辛い。

 

村が時々あるくらいで建物はほとんどなく車もあまり通らない、

まさに荒涼とした風景のなかアップダウンを繰り返し進んでいきます。

 

冷たい風を避けて休むような場所もない。

前を向いてひたすら漕ぎ進むだけ。

 

 

出発から5時間ほど。

黙々と進み続け、道ばたに雪も見えてきたころに

アルメニア-ジョージア国境が見えてきました。

 

観光バスはおろか地元の人もほとんどいない、

物流トラックが数台のみというこれまでで最も閑散とした国境です。

パスポートや荷物チェックも、

自転車に乗ったままドライブスルーのごとく

簡潔に(いい加減に)終了しました。

 

 

広大な砂漠が広がるイランとはうって変わって、

起伏の激しい山間に古い教会が美しく点在する

小ヨーロッパのような国でした。

 

短い間でしたが、

さようならアルメニア。

 

 

 

旅の仲間

2018.12.3

【191日目 7,493km】

 

エレバンを発ち、次の国ジョージアを目指します。

 

ゴリスでは霧に阻まれ、エレバンではリダの家でくつろいでしまい

気がつけば自転車を漕ぐことがほぼ2週間振り。

なまった体に鞭打って走りはじめました。

 

 

そして実は、

この日は心強い仲間が!

 

この夏にキルギスの日本人宿で出会った

日本人サイクリスト・大成和義(おおなりかずよし)さん。

「リダの家」でおよそ3ヵ月ぶりの再会を果たしていたのです。

※写真左

 

すでに1年以上世界を走っている旅の先輩である大成さんは

なんと僕と同じ広島県(瀬戸内海に浮かぶ大崎上島)のご出身。

つまり、広島人は自転車で旅しがちということ。

 

※大成さんのブログもぜひご覧ください。↓

「今日も世界のどこかで全力疾走」  https://zenryoku-sissou.com/

 

日本から遠く離れたアルメニアにいながら

僕らの話題は「カープの丸は移籍するのか?」

(行っちゃいましたね。)

 

 

走る道がしばらく同じということで

大成さんと一緒に出発することになりました。

 

 

相変わらず山だらけのアルメニアの大地。

平坦な道はほとんどなく、常に坂道ばかり。

(そのほとんどが登りだったんです…。)

 

 

国のいたるところに歴史ある教会が点在するのはアルメニアの特徴。

首都エレバンを離れて山間部に向かったこの日も

「オハナバンク」、「サモサバンク」という

2つの教会を観光しました。

 

昼はケバブを食べて休憩。

イランを離れてもケバブからは逃げれませんでした。

この時は疲れてたのでただただ美味しかったですが。

 

進めども進めども終わりの見えないゆるやかな上り坂。

終日ほとんど登りっぱなしで

首都エレバンから1,000mほど上がったでしょうか。

 

 

日が沈むころにたどり着いた「アパラン」という町では

調べていたホテルが存在しておらず、

警察に泊まれる場所をたずねました。

 

紹介してもらった暖房なし、お湯なしのホテルに滞在。

本当に寒かったけど、夕食の“鶏肉の何か”は美味しかった。

 

 

明くる日もしばらくは登り坂。

標高も2,000mを超えると景色は真っ白。

水たまりも凍っています。

 

雪を被った山を見渡すことも、

車の中からなら綺麗かもしれないけど

冷たい風が直接吹きつける自転車だとそんな余裕がないです。

ただただ寒かった。

 

 

ゆっくり進み続けて昼頃には標高2,200mの峠に差し掛かりました。

ここから一気に600mを滑降していくのですが

これまた冷たい風の中を切り裂くように走るのでものすごく寒かった。

 

 

2週間ぶりの高山サイクリングは

これから迎える冬の厳しさを思い知るには十分でした。

 

ただ、

たとえ身を切る寒さと終わりの見えない登り坂の途中でも

同じ苦しみを味わう仲間がそばにいることで

前に進もうという気持ちが湧いてくるんです。

 

峠を下った先、「スピタック」の町に着くと

ジョージアの首都トビリシへ向かう大成さんともお別れ。

 

こごえる山越えを心折れることなく1つこなせたのも、

一緒に走る仲間がいたからこそ。

出会いに感謝です。

 

 

そして、これから続く山々は自分だけで

進んでいかなければいけません。

 

旅に出て1人が心細いって思うの初めてかも…。

頑張ろう。

 

 

 

アルメニア、負の歴史

2018.11.29

【184日目 7,384km】

 

 

エレバンの中心部から少し外れた小高い丘の上。

地面に潜り込むように下へと続く階段をおりるとそこに

“アルメニア人虐殺博物館”はあります。

 

アルメニアという国について知ろうと調べるとき、

避けて通ることのできないのが

「アルメニア人虐殺」という負の歴史。

 

僕自身、旅に出るまで

この国の悲しい歴史について何も知りませんでした。

 

この施設を訪れたことで

“虐殺博物館”という名が表すとおりの

物々しい出来事の断片を垣間見ることができました。

 

最盛を誇った15~16世紀から20世紀初頭にかけて

地中海東部沿岸を中心に大きな存在感を示していた

強大な「オスマン帝国」。

 

支配層はイスラム教徒であるトルコ人が占めていたものの、

大国は多くの異なる民族、宗教、文化を抱えていました。

 

長きに渡って共存していた複数の民族たちでしたが

19世紀に入ってキリスト教を重んじる西ヨーロッパ諸国が台頭すると

オスマン帝国内のキリスト教徒である

アルメニア人に対する風向きも大きく変化。

異教徒として排斥しようという動きが始まります。

 

彼らに対する差別が最も激化し、

ついに虐殺が行われたのは1910年代後半。

戦うことのできる成人男性たちは命を軽んじられたことから

第一次世界大戦の最前線に置かれました。

 

女性や子供、お年寄りたちは祖国を追いやられ

オスマン帝国の領外(現在のシリア)の砂漠地域に

強制的に連行されていきます。

そして、ただ追放されただけでなく

そこで彼らを待っていたのは

オスマン帝国軍による人を人とも思わぬ残酷な殺戮でした。

 

崖から湖に飛び込ませ溺死させる。

馬に身体をくくりつけて引きずり回す。

生きたまま火に焼かれる。

 

あらゆる方法で無数の命が消し去られ、

現在でも明らかになっていないながら

その犠牲者の数は数十万とも百万以上とも言われています。

(現在のアルメニア国内の人口はおよそ300万人)

 

 

かなり簡潔にまとめてしまいましたが

このようにして起きたのが、

わずか100年前このアルメニアを中心におこなわれた

近代史におけるはじめての大虐殺ともいわれる

「アルメニア人虐殺」。

 

博物館の外には犠牲となった人びとを追悼する

モニュメントが静かにたたずんでいます。

 

互いに隣り合う

トルコ(オスマン帝国の後継国)とアルメニアは

この出来事を巡った歴史認識問題を抱えており

両国の友好関係構築の障害になっているそう。

 

慰霊の炎の周りに捧げられた花たち。

この写真を撮った直後にも花をたむける人の姿がありました。

 

現在でもこの国の人々の胸に深く刻まれている出来事。

経緯がどうであれ、被害者の累計数がどうであれ

多くの命があまりにも虚しく扱われたことに違いはありません。

 

 

旅をして世界各国を巡っているわけですが、

こうして歴史を知ることは

その土地とそこで暮らす人々に対する敬意を示す方法のひとつ。

 

 

環境に恵まれ自由に旅ができている身として、

多くの場所を訪ねて

世界を知らねばと感じます。

 

 

 

首都エレバン

2018.11.26

【183日目 7,384km】

 

 

タテヴ修道院への観光も終えて

いざ首都エレバンに向かおうとすると、再び雨と霧。

時期的にどうしても悪天候は避けられないようです。

 

朝一晴れてたからと自転車に乗って出発したのですが

山のうえへと進んでいくにつれ天気は悪化、

雨と強風にあおられて宿に戻ってしまうほど。

 

このままでは先に進めないので

やむを得ずバスに自転車を載せて移動することを決心しました。

 

バスといっても実際は大きめのワンボックスカー。

現地の人に任せた結果、

自転車を無理やりトランクにぐいぐい押し込められてしまいましたが

何とか載せて移動することはできました。

もう二度とやりたくない。

 

 

ゴリスから北西に約200km、バスでおよそ4時間。

アルメニアの首都エレバンにやって来ました!

 

首都だけにそれなりに活気があって賑やかですが

人であふれかえっているほどではなく過ごしやすそうな雰囲気。

街や建物の様子を見ると、

イランからぐっと西欧に近づいたように感じます。

 

行き交う人の顔つきはロシア系。

アルメニア語という独自の言語が話されてますが

聞くかぎりロシア語との共通点も多いよう。

文字はロシアのキリル文字をもっとクニャクニャさせた感じです。

 

街中にどしっとそびえ立っている大聖堂。

昼間からお祈りに訪れる人も多くおり、

改めてキリスト教が深く根付いた場所であることを感じます。

 

 

 

エレバン到着の翌日、さっそく口にしたのは

数百年前からアルメニアに伝わる伝統料理「ウドン」。

(嘘ですよ。)

 

あっさりのカツオ出汁とシコシコの麺、

そして上にのっかるのはサクサクの衣に包まれたかしわ天。

それは故郷を思わせる懐かしい味。

 

4年ほど前からオーナーの櫻田さんが営む日本食レストラン、

その名も「SAKURADA」。

日本からの旅人だけでなく、日本の食文化に興味を持つ現地人にも

愛されるレストランです。

 

キルギス以来3カ月ぶりの和食でしたが、

やさしく芳醇なだしの味は五臓六腑にしみわたります。

もう毎日うどん食べながら旅したい。

 

 

 

エレバンから郊外へと足をのばして

観光にやってきたのが「ゲガルド修道院」。

山間にぽつんとたたずむ修道院です。

 

そして、世界遺産にも登録されているこの修道院を

有名にしているのが“ロンギヌスの槍(やり)”の存在。

 

 

およそ2,000年前に磔に処されたイエス・キリスト。

刑が処されたあと、キリストの死を確認するために

亡骸の脇腹を槍でツンツンしたのがロンギヌスという兵士。

浴びた返り血によって

ロンギヌスが患っていた白内障が治ってしまったのだとか。

 

そして、その時に使われた

“ロンギヌスの槍”の一部が発見されたのがここゲガルド修道院。

槍を意味する“ゲガルド”がそのまま修道院の名前になっています。

 

本来であれば少し離れた別の修道院にその槍は展示されていますが、

現在はニューヨークの博物館に貸し出し中。

この旅でニューヨークを訪れるのは1年以上先になるのですが

その頃には槍はアルメニアに戻ってきているそう。

 

追いかけても追いかけても、逃げていく槍。

 

先日訪れた崖の上のタテヴ修道院しかり、

谷間に佇むゲガルド修道院にしかり、

たどり着くにはアクセスの悪い場所にあるのが特徴。

 

かつての僧侶たちは神に近づくため、

俗世間から離れて生活していたということでしょうか。

修道院がなおさら神秘的な雰囲気を帯びている要因です。

 

 

エレバン滞在中にお世話になっている「リダの家」。

 

数年前に宿泊先に困っていた日本人旅行客を泊めて以来、

日本からの旅人を受け入れているリダおばあちゃんとその一家。

ホテルでもゲストハウスでもなく、ここは「リダの家」なんです。

 

アルメニアを訪れる旅人たちには有名なため

複数のバックパッカーの方々が集まっています。

おかげでみんなで鍋をしたりと楽しいひと時を過ごせました。

 

 

穴の開いたズボンを直してくれるリダおばあちゃん。

 

コーヒーを淹れてくれるリダおばあちゃん。

 

このやさしさにどれだけの人が癒されてきたことだろう。

いつまでも元気で長生きしてね。

 

 

 

ついに晴れ間が

2018.11.23

【179日目 7,384km】

 

あいもかわらず霧に包まれた山間の町「ゴリス」で

どこにも行くことができず

悶々と宿で過ごすこと3日間。

 

劇的に天気が回復する見込みもなく

いっそのこと次の町へと進んでしまおうかと

考え始めた4日目の朝のこと。

窓から外をのぞくと、空にはわずかな晴れ間が!

 

 

到着以来、その姿をおがむことのなかったゴリスの町。

高台から見下ろしてみれば

山を背景に家々がずらっと立ち並ぶ景色が美しい場所です。

 

 

まだまだ完璧な天気とはいえませんが

いつ雲に覆われるかもわからないので、

さっそく念願の観光スポット「タテヴ修道院」へと向かうことにしました。

 

ゴリスの町からタクシーで10kmほど、

山の頂へと続くロープウェーに乗ります。

 

麓と崖の上の修道院を結ぶこちらのロープウェー

“Wings Of Tatev(タテヴの翼)”。

 

中継地点を持たないロープウェーとしては

世界最長を誇りその距離じつに5752m。

ギネスブックにも登録されています。

 

閑散期とあって、地元の観光客の方が数名のみでしたが

夏場は満員でこれに乗り込むそう。

 

中国でもロープウェーに乗りましたが、

地上数百mの高さで宙ぶらりんの状態がつづくのって

あまり落ち着くものじゃないです。

安心のスイス社製ですが…。

 

とはいいつつ、地上の谷や川を見下ろすのは

なかなか乙なもの。

まさに鳥になった気分で空の旅を満喫しました。

 

 

そして、たどり着いた先には崖の淵に建つ「タテヴ修道院」。

山に囲まれた場所にたたずむ姿から放たれる独特の存在感。

すべて石でできた武骨なルックスもあって、

ずしっと重厚感を醸しています。

 

中に入ってみれば荘厳な空気が漂っていました。

 

このタテヴ修道院が建てられたのは9世紀ごろ。

建設からすでに1,000年以上が経過している歴史深い建物です。

かつては600人近い僧侶たちが共同生活を送っていたのだとか。

 

敷地内には、地震や敵の襲来(ひずめの振動)を

感知する機能を備えた柱もあったそうです。

 

 

近くの丘から見たタテヴ修道院。

 

日本人にとってあまりなじみのないコーカサスの小国アルメニア。

この国を象徴するのが「タテヴ修道院」に代表される

教会や修道院などのキリスト教関連施設です。

 

イラン、トルコというイスラム教国家と隣接していながら

西暦301年に世界で初めてキリスト教を

国教として定めた国でもあります。

 

“アルメニア正教会”とも呼ばれる独自の宗教文化を築いたが故に

悲しい歴史を持つことにもなるのですが…。

(また後ほど。)

 

 

観光を終えるとゴリスの町に戻りました。

 

連日天気に恵まれなかったゴリスで

お世話になっていた“Aregak Guest House”。

そして、名物女将にもなっているのがお母さん“マリエッタ”。

到着した瞬間から熱いハグで出迎えてくれました。

 

壁にしたためられた

旅人からの感謝のメッセージの数々が

物語っているこの宿とマリエッタの魅力。

 

なかなか外に出ることもかなわず

毎日のようにマリエッタの手作りスイーツを堪能していました。

 

この宿がアルメニアで一番思い入れのある場所になるかも。

 

 

 

何も見えない

2018.11.20

【177日目 7,384km】

 

 

「カパン」の町で一休みをして

大きな峠を越えた勢いそのままに意気揚々と走りだそうとしたその日、

コーカサスの大地は決して優しくありませんでした。

 

 

「ゴリス」という町を目指して朝早く宿を出ると

雲が空を覆い、小雨が降っています。

 

旅をするうえで

多少の暑さや寒さ、雨に雪は覚悟をしているつもりですが

この日の出発からわずか5kmで行く手を阻んだのは“霧”。

ほんの20~30m先が見えないほど濃く深い霧が

一帯を覆い尽くしていました。

 

視界が奪われた中、蛇行しながらアップダウンを繰り返し

さらに車も行きかう山道を走るのはあまりにも危険と判断し、

やむを得ずタクシーでの移動を決断しました。

 

地元のドライバーは慣れているのでしょうが

助手席に座っていると、

どこを走っているのかわからず、ギリギリまで対向車の姿も見えず

命の危険すら感じる極限のドライブです。

 

 

肝を冷やしながら1時間ほどで目的の町「ゴリス」に到着しました。

ほんの少しだけど標高が下がるぶん霧もはれていると思いきや、

やはり町全体に立ち込める深い霧。

 

古くから山間に存在する歴史ある町だそうですが、

どんより沈んだように感じます。

おまけに雨でろくに散歩もできず。

 

 

 

この町にやってきた旅人たちが目指すのは

少し離れた山にある「タテヴ」。

崖の淵に建つ教会が絶景と評判の観光地で

期待に胸が膨みます。

 

天気なんて日々移り変わるもの。

そのうち晴れるだろうとゴリスの町で

1日過ごし2日過ごし、太陽の姿を首をながくして待っていました。

 

ところが、

国土のほとんどが標高1,000m以上という山岳国家アルメニア。

待てども待てども、一瞬たりとも霧がはれることはありません。

 

 

 

同じ宿に滞在していたドイツ人バックパッカーの方と

何もしないまま過ごしていたところ、

「ここならあまり霧も出てないはず!」という宿主のアドバイスを受け

タクシーで近くの観光地に行くことにしました。

 

そこは、

吊り橋が掛かった谷の向こう側に

中世の人々が暮らした洞窟住居群があるという

地元有数の観光スポット。

 

久々に霧の外に出られるかもとワクワクしながら

タクシーに乗り込みます。

 

相変わらず視界の奪われた危険な山道を進み、

10kmほど走ると到着!

 

 

あれ?

 

あれれ?

でもまあ吊り橋の向こうはきっと…

 

 

 

……、

……………。

そのまま宿に戻って温かい料理を食べました。

 

 

旅の出発当初、訪れる予定はなかったのですが

出会う旅人たちが口を揃えて「美しい」と称賛していた国・アルメニア。

 

僕にはまだその魅力を理解できそうにないです。

 

 

 

7ヵ国目”アルメニア”

2018.11.17

【174日目 7,379km】

 

イランを北側に抜けてたどり着いたのは

7ヵ国となる「アルメニア」。

カスピ海と黒海に挟まれ、険しい山が連なった

「コーカサス」と呼ばれる地域に位置する国です。

 

国境を越えてすぐに景色が変わるということはなく

イラン北部から引き続き、緑の少ない岩山の間を縫うように走りました。

 

入国したこの日は山中の小さな村「メグリ」で1泊。

通りを歩く人とすれ違っても

イラン人のように元気よく声を掛けられることがありません。

 

気温も下がりどことなく寂しさを感じてしまいますが

まだまだ田舎なので、アルメニアの雰囲気が掴めるのもしばらく先でしょうか。

 

初日から驚いたのは宿の値段。

暖房もなく病院のような飾りっ気のないベッドが

ぽつんと置かれただけの部屋で5,000ドラム(≒1,150円)。

 

イランでは500~700円ほどで安宿に泊まれていたので

高く感じてしまいます。

節約しよう。

 

 

 

翌日、南の端からアルメニア中心部を目指していくわけですが

滞在2日目にして目の前に難関が立ちはだかっていました。

はるか高く峠を越えていかなければならず、

その高さは出発地点の村・メグリから1,960m。

 

イラン後半から起伏が激しく、いくつも山を越えてきましたが

今回は少し段違いです。

2,000m近くをたった1日で登ってしまうのはこの旅でも初めての経験。

果たして自分にできるのだろうか…。

またしても、前日から不安に襲われていました。

 

 

日が昇って間もない朝7:30、

少しおびえながら漕ぎだします。

 

走りはじめは快調。

ゆっくりゆっくりではあるけれど、これを繰り返していけば

いつか着くんだと自分を励まします。

 

とはいいつつも、時間が経つにつれ高く登っていくにつれ

踏み込むのが重くなっていくペダル。

少し勾配が急になるとすぐにサドルを降りて自転車を押して進みました。

 

過酷さを記録するため、なるべくたくさん写真を撮ろうを思ってましたが

結果的に登りながら唯一撮ったのがこの1枚。

カメラを構えるために立ち止まってしまうと、

次に踏み出す一歩がなかなか出ないんです。

それくらいしんどかった。

 

途中で、持ってきたパンをかじりながら

なるべく止まらないよう少しずつ登ります。

それでも午後になってからは足がつりそうになり

数十m進んでは休むの繰り返し。

 

そして、午後3:00頃。

登りはじめてから7時間半、標高は2,535m。

ふらつきながらもついに峠に到着しました。

 

 

まばらではありますが雪を被った峠付近。

ゆっくりでも必死に進んでいるとじんわり汗をかきますが、

少し休むとすぐに0℃近くの寒さが身体を冷やします。

 

北側(写真左側)に向かうと一気に下り坂。

努力が報われたように気持ちよく滑り降りていきました。

 

山をくだりながら見下ろしたカジャランという町。

この日はさらにここから30kmほど下りて

「カパン」という町で休みました。

 

 

過酷な道が続き、

ときに次の町へと向かうのが怖くもある自転車旅。

そのぶん、困難を乗り越えた達成感も相まって

たどり着いた先のなんでもない安宿のベッドが

最高に気持ち良いんです。

 

まだまだこの調子でビビりながら進んでいきます。

 

 

 

 

さよなら、イラン

2018.11.14

【173日目 7,305km】

 

 

イラン最後の都市タブリーズでしばらく休むこと3日間。

いざ北の隣国「アルメニア」に向かいます。

 

 

気合を入れて走りだしたその日ですが、ちょっと予想外のことが。

 

目指すはタブリーズから真北の方角に位置する

イラン-アルメニア国境だったのですが、

直進の最短ルートを行くと途中の山を1,000m登る必要があります。

 

これまでの経験からも十分越えられるはずと意気込み、

朝早く出発しました。

そして徐々に急になっていく勾配を登っていくこと

3時間、距離にして30kmほど。

 

小さな村の商店に寄るとそこには井戸端会議をする地元のおじさんたち。

これから山を越えてアルメニアに入国することを伝えると、

「無理だ、雪が積もって車でも行けないぞ。戻れ!」

 

なんとも浅はかでした。

イラン北部の気候と標高を考えれば、雪は想定できたはず。

タブリーズまで戻るというトラックの運ちゃんに乗せてもらい

その日はまた宿に戻って、ベッドでぬくぬくと休みました。

 

これから気候も地形も過酷になっていくため、

地元の人からの情報収集は非常に重要です。

今回の出来事はそれを学ぶための必要な失敗だったのです。

(絶対必要だったんです!)

 

 

 

気を取り直して翌日、山を迂回する国道ルートを走りはじめました。

若干の起伏はあるものの道も整備されていてなんとも走りやすい。

急がば回れとはよく言ったもの。

 

 

イラン北の果ての町「ジョルファ」で1晩休み、

国境である川に沿って走ります。

 

 

川の右手はイラン、左手は未承認国家「ナゴルノ・カラバフ」。

隣り合うアルメニアとアゼルバイジャンがその領土権を争っている地域です。

 

平坦だろうという予想に反してアップダウンの激しい川沿いを

東に走ることおよそ60km。

ついにイラン-アルメニア国境に到着しました!

 

両国を分ける川に架かる橋の向こう側に渡れば次の国アルメニア。

いよいよ1カ月以上に及ぶイランの旅は終わりです。

 

 

ユーラシア大陸の中央に位置する中東の大国イラン。

陽気で友好的で、

ふらっと訪れただけの旅人を優しく暖かく迎え入れてくれる人たち。

 

常にのんびりで、時にいい加減な彼らは

「厳格な生活習慣を持った排他的な国」という

ネガティブなイメージを拭ってくれました。

半ばその優しさにすがる様に旅をしてしまっていましたが、

それほどにこの国の魅力は「人そのもの」だったなぁと感じます。

 

寂しさを噛みしめつつ、これからも色んな人に出会っていかなければ。

 

ということで

さよなら、イラン。

 

 

 

イラン北部をゆく

2018.11.10

【166日目 7,096km】

 

山あいの小さな村“シャル”からさらに北に向かい国境を目指します。

 

 

イラン北部になると気温もぐっと下がり防寒が必要になってきました。

10℃を少し上回るくらいでしょうか。

 

ピリッとした空気が肌寒い一方で、

視界が澄んで空の青がすごく鮮やかで気持ちいいです。

しかしこれから本格的な冬を迎えるのが不安で不安で仕方ない。

 

 

有名観光地の少ないイランの北部。

外国人が珍しいのか、声を掛けられる回数が一段と増えた気がします。

おかげさまで、こちらからお願いしてもいないのに

その日の寝床はなんとかなるからありがたい。

 

“ギヴィ”という村で迎え入れてくれたのは

小学校教諭の「アレハンさん」とその兄弟。

サッカー大好きな彼らとの話題はもっぱら

ACL決勝戦の鹿島アントラーズVSペルセポリス(イラン)について。

 

というかこの1週間、出会う人に「日本人だよ」と伝えるたび

ACLの話題ばっかり。

娯楽の少ないイランにおいてサッカー熱はかなりのものです。

 

 

さらに次の日、

かなり久々に本格的な雨に降られながら走っていたときの事。

横を通り抜けた1台の車が目の前で停まりました。

 

「近くの街に俺の家があるからそこまで乗っけてくよ!」

 

基本的に車では移動したくないしもうすぐでその街に着くしなぁ、

とためらいつつも雨は止みそうにないし風邪の予感もしてたので

お言葉に甘えてしまいました。

 

プロのレスリング選手として駆け出しのころにケガをしてしまい

現役の道を断たれた「バーゲルさん」。

現在は、牧場で働きながらレスリングコーチをするいいお父さんです。

 

鍛えることが大好きな彼には夜の8時半に「泳ぐぞ!」と

市民プールに連れてかれました。

(プール行くには時間遅いんですけど…。)

 

いざ行ってみると温水のジャグジーがあって、ずっとそこに浸かってました。

イランでお風呂に入れるとは予想外。

めちゃくちゃ気持ちよかったです。

 

戦闘民族であったペルシャ人の家庭にはナイフに剣に銃まで。

夜中に身体をズタズタに切り裂かれるのではと思いましたがそんなことはなかったです。

 

右上の手はキツネではなく、聖なる動物オオカミ。

トルコやイラン北部では幸福のシンボルだそうです。

 

 

さらに翌日、1日走ってイラン最後の都市“タブリーズ”に到着。

もう一つ山を越えれば次の国・アルメニアが待っています。

 

連日の走行を終えて大都市に着くといつも安心感を感じるのですが

今回ばかりは心優しいイランの人との別れが近づいていることに

寂しさがこみ上げてきます。

 

タブリーズの名物は、1000年以上も前から街の中心に存在しており

世界遺産にも登録されているというバザール。

道が入り組んでいるうえに人がかなり密集しているので1度入ると同じ所には出られません。

 

並んでいる商品はほかの街と変わりありませんでした。

電化製品や洋服など現代的なモノもあるのですが、

こういう香辛料は何百年も前から同じカタチで売られてるんでしょうね。

 

 

故障のため、「新富士バーナーさん」から再度ご提供頂いた

ガソリンストーブの代替品と、

実家から送られたみそ汁をこの街の郵便局で受け取りました!

 

改めて、

多くの人に支えられてこの旅は成り立っていることを実感しております。

 

 

やっぱりみそ汁美味しいなあ。

 

 

 

山を越える

2018.11.7

【162日目 6,730km】

 

“マースーレ”での滞在を終えると、

再び北に向かって進んでいきます。

 

 

北側の国境にたどり着くためには

幾つかの山を越えていくことは避けられず、

高所の村・マースーレからさらに上を目指さなければなりません。

 

この日、越えていく峠は標高およそ2,800m。

のんびり坂道をのぼれるのならまだいいですが、

傾斜も急でわずか10kmあまりの移動の内に

1000m以上の高さまで上がっていきます。

 

果たして、自分の体力で越えていけるのか

前の晩からソワソワしてうまく眠れないほど。

 

覚悟を決めて朝早く走りはじめると

緑豊かな風景に癒されつつ、少しずつ進みました。

さすがにコンクリートの舗装路ではないですが、

車の往来はあるようでしっかり踏み固められて思いの外走りやすい山道。

 

ギアを一番軽くして必死にペダルをぐるぐる回しますが

少しずつ傾斜はきつくなり、しまいには自転車を押して歩くことに。

標高が上がるにつれ気温が下がると汗も出てこなくなります。

 

 

1時間に5kmも進まないようなペースでゆっくりゆっくりと登っていき

4時間が経った頃でしょうか、ついに峠にたどり着きました。

 

冷たい風が吹き抜け、雲を見下ろす標高2,800m。

予想以上に早く着き終わってみれば大したことはなかったのですが、

登り切った後の気分はやっぱり清々しいもの。

 

 

峠の向こう側は舗装もされており、整った道を一気に下っていきます。

猛スピードで走ると身を切るように吹き付ける冷たい風。

 

重い荷物を積んで下り坂を進むと自転車の勢いが猛烈なので

ブレーキが利かずヒヤッとすることもしばしば。

お金出して良いブレーキにしとけばよかったな…。

 

 

山を下り人家が見え始めると“シャル”という小さな村にたどり着きました。

 

通りを走っていると、ある男性が寄ってきて

「ヘーイ、ストップストップ!!」

と半ば強制的に自転車を止められます。

 

外国人旅行者と話をするのが大好きな“モルテザ”というこの男性。

「紅茶だけでも飲んでって! いや、むしろ泊まってって!!」

かなり必死に招き入れようとしてくれました。

 

まだまだ走れる時間だったので迷いつつも、

良い人そうだしいいかなということでお世話になることに。

 

夏場だけ開店して現在は休業中のレストランに寝床を準備してくれました。

寒さもしのげてかなり快適。

 

それから車で村を案内してくれたり、

ご飯をごちそうしてくれたり、

一緒にTVゲームをしたり。

 

心温まるおもてなしのおかげで、

観光資源なんて何もない小さな村にも忘れられない思い出ができました。

 

 

イラン北部では養蜂が盛ん。

村のいたるところに木箱が置かれています。

 

巣まるごと供される新鮮なハチミツは甘さたっぷり。

最高の朝食でした。

 

 

 

CATEGORIES

PAGE TOP