Cycling The Earth ~自転車世界一周の旅~

日記

投稿者: ryosuke

アンデス山脈、4,000mの世界

2024.11.18

【219日目 12,336km】

 

 

リマから6日間かけてやってきたナスカ。

一応は目視確認できた地上絵に満足したことにして

砂漠の町で2日間の休養をとりました。

 

 

 

次に向かう目的地は

かの有名なマチュピチュ観光の

拠点となる街「クスコ」。

距離にして600kmあまりですが

これがただの道のりではなく

文字通り大きな“壁”が立ちはだかります。

 

 

 

それは南米大陸を縦に貫くアンデス山脈。

4,000mにも及ぶ山嶺を

自転車で越えなければなりません。

もちろん山脈なので、

一つ峠を越えて終わりではなく

登っては下り、を何度も繰り返します。

 

 

 

 

 

 

 

 

休養を終えたらいよいよ出発。

クスコまで2週間弱はかかるだろうか。

山間に現れる町で休憩をはさみつつ、

ゆっくりと確実に進んでいこう。

 

 

 

ナスカの町を南に出ると

あっという間に民家は無くなります。

遠くに見える山が

少し怖くすら感じる。

けれど最高の景色も持っているはず。

南米旅もここから本番という気持ちです。

 

 

 

道程は初日からかなり過酷で

1日目に2,000m、

2日目には1,500mと

いきなり標高を上げていきます。

アルメニアで経験した1日あたりの

獲得標高の最高記録、2千mに並ぶ。

 

 

 

出発から4時間経ったお昼ごろに

1,000mを登りました。

後ろを振り返るとこの景色。

荷物を積んだ自転車で上るのだから

ひと漕ぎひと漕ぎが重い。

時速7kmでゆっくり進みます。

 

 

 

交通量が少ないのが幸い。

通過するほとんどが大型トラックで、

九十九折りの道を猛スピードで

走れるはずもなく

エンジンをうならせつつも

徐行で僕を追い抜いていきます。

 

 

 

事前にルートチェックはしてますが

思わぬ場所で把握してなかった

フードトラックを発見。

昼食はパンをかじって済ませたけど

路上で人と会うことも無いので

喋りながら言い息抜きになる。

 

 

 

ペルーに来てよく飲むのが

こちらのインカコーラ。

コーラよりもオロナミンCに近い味です。

駄菓子屋の安いジュースみたいだけど

飲み慣れると美味しくなくはない。

まぁ、あくまで“美味しくなくはない”。

 

 

 

大型トラックの走行を考慮してか

傾斜がさほどキツくないのも

なんとか登れる理由です。

立ち漕ぎもせず座ったまま

なんとかペダルを回していく。

後ほど苦しむことになるけど。

 

 

 

 

 

 

午後3時頃、標高2,000m付近に到達。

後ろを振り返ると波のように隆起した山々と

それを縫うように敷設された道路が見える。

 

 

さらに進んで夕方5時。

数軒の家屋が並ぶ集落に到着。

十軒あるかないかだけど

ここでどんな生活が

営まれているのだろうか。

トラックが通過するだけの場所なのに。

 

 

 

一軒の食堂があったので

入ってみることに。

牛肉とじゃがいもの煮込み。

ペルーの人はお米も良く食べます。

日系文化の影響もあるだろうか、

食事はかなり美味しいです。

 

 

 

食堂の裏手にテントを張らせてもらう。

聞くと、各国のサイクリストが

立ち寄ってるみたいです。

他に食べる場所もほとんど無いので

皆同じ場所になるよね。

疲れ果てて7時過ぎには就寝。

 

 

 

 

 

 

 

 

ナスカ出発2日目。

テントを開けると標高2,500mのアンデスが目に飛び込む。

筋肉の張った足をほぐしたら今日も登りはじめます。

 

 

 

今日は標高4,000m付近まで登る予定。

ナスカで買っておいた高山病の予防薬を

走行前に飲んでおきます。

未体験ゾーンに突入する不安もあるけど

もちろんワクワクもある。

ちゃんと自力で登れるだろうか。

 

 

 

走り始めると食堂の犬が

追いかけてくれました。

昨日の夜、全力で

なでなでしすぎたのかもしれない。

そんな切ない目で見つめられると

出発しにくくなるじゃないの。

 

 

 

走り始めて1時間したところで

集落に到着。

数十km置きにいくつかの食堂も

あるようなので、

これらを頼りつつ

高所アンデスの旅を進めていく。

 

 

 

前日よりも若干ながら

傾斜が緩い気がする。

今日の獲得標高は1,500mだけど

昨日の疲労がある分、

よりしんどく感じる。

クスコに着くころにはボロボロだ。

 

 

 

前日ほど九十九折りの峠もなく

難所らしい所もないんだけど

平坦になる瞬間がほぼないので

体力的にも精神的にも

こたえます。

坂を上ると次の坂が待っている。

 

 

 

 

 

 

そして午後3時頃、

標高3,800mと富士山よりも高い場所に到達した時点で

いよいよ高山病の症状が出始めました。

 

ズキズキと頭が痛むのに加え、

立ちくらみのように瞬間的にフラッと力が抜ける。

同時に脚の疲労もかなり溜まっているので

自転車を降りて押しながらゆっくり進むことに。

 

 

 

夕方5時前、集落に到着し

休める場所は確保できそう。

もちろん食料は持ち運んでいますが

疲れていることもあって

なるべく栄養と食べ応えと温かさの

あるものが欲しい。

 

 

 

標高は遂に4,000mに到達。

日中は半袖で走っていましたが、

夕暮れが迫ると同時に

一気に気温が下がります。

気温を保持する空気が少ないからか、

ここまで極端な変化は体験したことが無い。

 

 

 

唯一のメニューは

魚のフライと付け合わせに

ジャガイモ。

何でもない料理なんだけど

これが揚げたてで

最高に美味しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

ナスカ出発3日目。

そのまま食堂の横でテントを張らせてもらいました。

明け方は2~3°まで冷え込むけど、

日が出ると一気に15℃以上まで上昇します。

 

 

 

お世話になった食堂の店主「アナさん」。

週末には町へ下りて

民謡の歌い手をされています。

動画も見せてもらったけど

素晴らしかった。

伝統音楽の生演奏も見たいなあ。

 

 

 

走り始めてすぐの道。

若干のぼり気味なんだけど

それでもここまで平坦な道は

アンデス突入以降

初めてでなかろうか。

スイスイ進むのが気持ちいい。

 

 

 

そして10kmばかり走った所で

標高4,150mの峠に到達。

クスコまでの道のりにおいて

序盤の最高点となります。

まだ、ここより高い場所もあるけど

ここまで一気に登らなくていいはず。

 

 

 

黄金色の草が大地を覆う

標高4,000mの風景。

昨日からの頭痛がうっすら残るけど

呼吸については

さほど息苦しさを感じません。

ちょっとずつ順応しているのか。

 

 

 

峠の向こう側には

果てがうかがい知れないほど

長く続く下り坂が伸びていました。

ここから1,000m近く

標高を下げていきます。

これだけ登ってきたとは信じられない。

 

 

 

途中にいくつかの

集落を通過しながら

3,200m地点まで降下。

最高に気持ちいいんだけど、

どうせまた登ると思えば

嬉しいばかりではないのがアンデス。

 

 

 

山地とあって

牛や羊もたくさん飼われてます。

耳に飾りをつけるのが

アンデススタイル。

そういえば、もふもふした

あの動物はまだ見ていません。

 

 

 

小さな川を越えると

また登りが始まりました。

急峻な山を3日も漕いでると

もう頑張ろうとすら思わなくなる。

押してでもいいからとにかく前へ。

早く町で休みたい。

 

 

 

ちなみに南半球なので季節は

日本と逆転して、ただ今ペルーは春先。

といっても赤道に近いので

この辺りは冬でも雪が降らないそうです。

アラスカを思えば、

アンデスの寒さは何でもない。

 

 

 

午後からも黙々と

登りが基調の道を進み

夕方4時頃、

ついに眼下に広がる町を

確認できました。

あぁ、ベッドで寝られる。

 

 

 

 

 

 

滑り降りるように最後の坂を下り

あっという間に「プキオ」の町に到着しました。

 

ナスカを出発してアンデスを走ることまずは3日。

たったの150kmですが、濃い道のりでした。

クスコはまだまだ先だけど

休みを挟みつつゆっくり進んでいきます。

 

 

 

 

がっかり世界遺産?

2024.11.13

【214日目 12,171km】

 

 

首都リマを発ち、南米旅が始まって4日目。

引き続き都市を結ぶ主要道に沿って

南へと下っていきます。

 

 

 

景色はいよいよ本格的な

砂だらけの砂漠へと

移り変わってきました。

“南米すなわち山”という印象だったので

ここまで広大な砂漠が広がっている

ということにビックリ。

 

 

 

町や村の近くの道路上には

車のスピードを抑制するための

突起物がよくあるのですが、

ペルーのはひとつずつがデカい。

高さが10cm弱ほどあるので

停まってゆっくり越えなければ。

 

 

 

60kmほどを走った昼過ぎには

目的の街「イカ」に到着。

リマから300kmほどで、

ここまで大きな規模の街は

出発以来初めて。

先を急がず、今日はここで泊まります。

 

 

 

予約していたゲストハウスにチェックイン。

ペルーは南米屈指の観光立国とあって

それなりの規模の街であれば

安価な宿が充実しているようです。

テントを張る場所も見つけやすいし

ペルーの宿泊事情は良好です。

 

 

 

パパっとシャワーだけ浴びると

オート三輪“トゥクトゥク”に乗って

街の郊外にある観光名所に向かいます。

自転車移動ばっかりだから

他の交通機関で移動すると

ちょっとテンションが上がります。

 

 

 

 

 

 

やって来たのは砂漠のオアシス“ワカチナ”。

イカからほんの2km西に位置する観光スポットです。

 

写真の通り砂漠にぽっかり穴が開いたようにオアシスがあり、

その周りに小さな町ができている珍しい光景。

 

 

 

水辺には背の高いヤシの木が影を作り

建物がぐるりとオアシスを囲みます。

その背景には数十mに及ぶ砂丘が

ズンと存在していて、

独特な景色を作っています。

これもイメージしてた南米とは違う。

 

 

 

オアシスのほとりに立ち並ぶのは

カフェや宿ばかりで

すっかり観光の町に

なってしまっているそう。

日中の気温は25°くらいでしょうか

影もあるのでそんなに暑くない。

 

 

 

 

 

 

 

砂丘から見下ろした夕暮れのワカチナ。

本当は日が沈みきった夜景を撮りたかったけど

砂を舞い上げる風と寒さのせいで早めに宿へと切り上げることに。

 

 

 

 

 

 

 

 

リマ出発5日目。

イカの街を出る前に路上屋台で朝食を済ませます。

ペルーの皆さんが良く食べるのは

パンに切り込みを入れたサンドウィッチ。

具はソーセージや卵、アボカドなど色々です。

 

 

 

朝夕の気温は13°くらいで

一枚羽織りたいくらいの

気持ちいい寒さ。

日中も汗が滴るほどではなく

旅をしていて一番快適な気候です。

すぐ高山に行くので続かないですけど。

 

 

 

イカの街を過ぎると

道路状況が一気に悪くなりました。

路面のひび割れが酷いし

細かな凹凸も多い。

これらのせいでスピードに乗れないのが

小さなストレス。

 

 

 

午後からは周囲の家屋が激減し

よりディープな砂漠へと

突入していきます。

遮るものが無いから

横からの風がもろに吹き付ける。

思うように進めない。

 

 

 

トラックドライバー向けの

休憩所として、

まれに食堂や商店が現れます。

気温がさほど高くないので

そんなに喉は乾かないけど

座って休める場所が嬉しい。

 

 

 

砂漠を突っ切る一本道。

結局午後は延々と

この景色を走ることになりました。

「あそこまで頑張ろう」という

標石が無いから

メンタルがやられます。

 

 

 

5時頃、手招きされた路肩の商店で

スイカをご馳走になります。

クーラーでしっかり冷えた

果汁が喉に体に染み渡る。

砂漠で食べる果物って

最高に美味しいです。

 

 

 

この先の村まで行って

夜を過ごすことを伝えると、

「もうココで寝てきなよ」と

彼らが寝泊まりしている

道路を挟んだ向かいのプレハブ小屋を

案内してくれました。

 

 

 

6時を過ぎると夕日が沈み、

おぼろ気になっていく地平線を眺める。

首都の喧騒を離れ

雄大な南米の自然へと徐々に

踏み込んでいくのを感じます。

砂漠で過ごす夜は気持ちが良い。

 

 

 

夕食も呼ばれてしまいます。

牛豚も食べるけど一番身近なのは

やはり鶏肉。

そして定番の野菜はジャガイモ。

どっちもスープに沈んでしまって

見えないですが。

 

 

 

 

 

 

 

 

プレハブ小屋で目を覚ましたリマ出発6日目。

深夜は少し冷え込むので久しぶりに寝袋の登場。

夜はちょっと寒いくらいの方が熟睡できます。

 

 

 

出発前には朝食までご馳走に。

ご飯に卵を乗っけたもの。

タンパク質と炭水化物が取れて

もう言うことないんだけど、

強いて言うなら醬油をかけたい。

卵にほんの数滴の醤油をかけたい。

 

 

 

名前も無い、村ですらない場所で

一つ思い出が出来ることこそ

自転車旅の魅力。

ペルー旅はスタートから

良い出会いが続いています。

ルイスさん、ありがとう!

 

 

 

昨日と変わらない砂漠を進む。

なかなか写真では

伝わりづらいかも知れないけど、

ペルーの大地の広大さに

圧倒されています。

そして、空が大きく感じられる。

 

 

 

しばらく進むとこんな道が。

南米初のトンネルです。

狭くて暗くて怖いのですが、

手前に信号代わりに

係の人が立っているので

安心して進むことが出来ました。

 

 

 

トンネルと抜けるとそこは雪ぐ…、

長い下り坂が待っていました。

グネグネと九十九折りに

なっているのですが、

これがかなりの急こう配で

ブレーキを必死に握り恐々と下る。

 

 

 

坂の下に村があり

そこでランチ休憩。

魚のフライを頼みました。

川でとれたモノらしく

マスの仲間だそうです。

鮭みたいなピンクの身が美味しい。

 

 

 

食事を済ませ村を出ると

緩やかながらも長い上り坂が

待っていました。

ギアを軽くして

ゆっくりゆっくりペダルを回す。

じわっと汗をかき始める。

 

 

 

 

 

 

坂を上り切った先は標高600mに位置する砂漠地帯。

看板に記されているのは“LINEAS DE NAZCA(ナスカの線)”。

そう、かの有名な「ナスカの地上絵」が描かれた一帯です。

 

南米大陸を代表する世界遺産に到着したところで

気分も高揚します。

テレビなどで何度も見てきた古代の遺産を

遂に間近で見られるチャンス。

 

 

 

砂漠に入ってすぐの所に

こんな見晴らし台が建っています。

高さ20mくらいはあるだろうか、

ここに上ればきっと

大地に描かれた太古のアートが

目の当たりにできる。

 

 

 

しかし近づいてみると

何やら封鎖されている様子。

ガードマンに確認すると、

ここ一カ月ほどメンテナンスの為

利用不可だとのこと。

「ウ、ウソでしょ…。」

 

 

 

「いや、ちょっと上るだけだからいいじゃん。

アラスカから走って来たんだよ。これを見るために!」

と無駄だろうな、と思いつつ食い下がったけど

やっぱり無理なものは無理でした。

期待していただけに、これはガッカリ…。

 

 

 

仕方なく見張り台を離れ

1kmほど走った先に

小高い丘がありました。

鉄塔の半分くらいの高さしかないけど、

現在地上から見えるのは

ココしかないそう。

 

 

 

 

 

丘の上からは大地に連なる一本の線が見えました。

太さ2~3mほどの線が地平線の果てまで続いている。

 

世界遺産にも登録されている「ナスカの地上絵」。

最も古いもので紀元前3,000年頃から存在しているのだとか。

古代ナスカ文明の遺産でありながら

その線が描かれた目的、方法は

現在でもはっきりとは分かっていないそうです。

 

 

 

他にもいくつもの細い線が

あらゆる方向へと伸びています。

太陽や月の軌道と重なるものもあり

暦との関連もあるそう。

メキシコのマヤ遺跡でも感じたけど

太古の遺跡にはロマンが詰まっている。

 

 

 

あたりの砂漠は小石や砂利が多く

それらの石を綺麗に横に除けるだけで

線が描かれています。

地面に深々掘られてるわけではありません。

数千年も維持されているのは

ほとんど雨が降らないおかげ。

 

 

 

コンドルやクモのモチーフの絵が有名ですが

それらはセスナ(小型飛行機)からでないと

見ることはできません。

発見されたのも飛行機が発明されたここ100年の話で

ホント何のためにこんなものが描かれたのか…。

ロマンです。

 

 

 

 

 

 

30kmほど続く砂漠を再び走ります。

そこらに絵が点在しているのですが

当然サイクリスト目線では

見えるはずもなく。

「あぁ、横に地上絵あるんだなぁ」と

感受性をマックスにして進みました。

 

 

 

砂漠を走り切った所で

「ナスカ」の町に到着。

地上絵を目的にやってくる

観光客が滞在する場所です。

ちなみにセスナ飛行は1万5千円ほど。

僕は怖いので¥100でも乗りたくない。

 

 

 

 

 

 

飛び込みでやって来たゲストハウスにチェックイン。

 

リマから6日間かけてやって来ましたが

ペルー旅のスタートは

人との出会いあり、魅力的な観光地ありで

充実の旅路となりました。

 

 

 

 

34か国目・ペルー

2024.11.9

【211日目 11,959km】

 

 

日本人宿「桜子」ではたっぷり5日間の滞在。

出発時には、

最後の夜にやっと会えた日本人旅行者の方と

オーナーのナツキさんに見送られ

ついに南米旅がスタートです。

 

 

 

南米大陸はじめの国、

そして自転車旅においては34か国目となるペルー。

 

古代文明が遺した多くの文化遺産や

数千mにもなるアンデス山脈の雄大な光景など、

とても楽しみにしていた国の一つです。

期待と不安を胸に南へと走り始めます。

 

 

 

宿から1kmも走らないうちに

高速道路の乗り口へ。

首都から出るためには

高速道路を進むのが

安全かつ早いそうです。

ちょっとドキドキ。

 

 

 

メキシコは自転車走行が公認だったけど

ペルーではグレゾーンだそう。

ただ料金所でも警察にも

止められないので

事実上オッケーみたい。

路肩も広く落ち着いて走れる。

 

 

 

首都とはいえ高層ビルが

立ち並ぶのは中心の

ほんの一部分だけ。

あとはレンガ造りの建物が

埃っぽい景色を埋め尽くします。

地震が来たら絶対危ない。

 

 

 

新たな大陸とあって

出発前は緊張もあったけど

しばらく走ってしまえば

これまでとなんら大きく

変わることはありません。

ただペルーはクラクション多めかな。

 

 

 

「ここを過ぎるまでは

寄り道なしで突っ切って!」

と忠告を受けていた

“ヴィジャ・エルサルバドル”。

丘の上がギャングの巣窟らしいけど

出発から30kmほどで無事通過。

 

 

 

安全地帯までたどり着いたところで

ガソリンスタンドにて昼休憩。

出発前にナツキさんから

おにぎりとスナックを頂きました。

おかげで余計な買い物もせず

ここまで来ることが出来た。

 

 

 

しばらく走った所で

限りなく広がる太平洋が

お目見え。

バハカリフォルニアでもそうだったけど

はるか向こうにある故郷・日本が

つい頭をよぎる。

 

 

 

夕方になると街も無くなり

ゴツゴツとした岩肌ばかりで

緑のない山々が姿を現しました。

ついこないだまで走っていた

ユカタンのジャングルとは

似つかない風景。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕方5時を過ぎた頃、リマから90km地点の

「プラジャ・レオン・ドルミド(眠る獅子の海岸)」に到着。

もっと走る予定だったけど、思いのほか日の入りが早い。

 

ビーチの左手にある大きな岩が

ライオンが寝ている姿に見えるとのこと。

写真の左が頭で、右がおしりです。

 

 

 

砂浜に並んだ海の家のうちの

一軒に尋ねると

テントを張ってもいいとの

許可を頂けました。

ペルー走行初日はとてもスムーズに

野営地を確保。

 

 

 

夕食もここで頂くことに。

海水浴客向けなので値段は高め。

鶏肉を揚げたものに

ポテトとライスで¥1,000ちょっと。

ペルーの相場の把握がまだだけど

毎食こんなに高い訳じゃないです。

 

 

 

ほどなく太陽が海へと沈んでいきます。

言うまでもなくここは海抜0m。

数日後にはここから4,000m

のアンデスまで上っていくんだから

正直全然想像がつかない。

本当に上れるのだろうか…。

 

 

 

 

 

 

 

 

リマ出発2日目。

メキシコカンクン到着から昨日のリマ出発まで

10日間空いたものだから、体がなまって仕方ない。

夜の19時半には寝たのに目を覚ますと朝の7時。

ほぼ12時間の爆睡でございます。

 

 

 

テントを畳んですぐ出発と思ったけど

海の家を営業する方から

「朝ごはんも食べていきなよ」

とお誘いを受けたので

お言葉に甘えることに。

これはラッキー。

 

 

 

朝からたまたま親戚の方も

集まっていたそうで

なんだか賑やかな朝食に

なってしまいました。

申し訳ないのでパラソルを運んだり

営業の準備を手伝います。

 

 

 

出発が遅れて今日も予定の街に

着くこと出来なさそうだけど、

こんな理由で足止めされるなら

いくらでも大歓迎です。

フランシアさんご一家、

どうもありがとう。

 

 

 

 

 

 

走り出した道は

昨日と同じ埃っぽい景色。

ペルーといえば山

というイメージだったけれど

それ以上に砂漠が広がっているよう。

とにかく砂が多いです。

 

 

 

リマから数百kmに渡る海岸線には

高級住宅街がたくさん存在します。

白くて無機質な建物が

のっそりと佇んでいる。

全く風景に溶け込んでないんだけど

ほんとに人が住んでるのだろうか。

 

 

 

リマを出発した昨日の午後から

ほとんど景色に変化がない。

退屈といえば退屈なんだけど

これがペルーなのか。

道は綺麗なので

気持ち良くは走れています。

 

 

 

砂漠といえば平地のイメージですが

実はかなり起伏もあります。

ユカタン半島が

ほぼ平らだったこともあって

足がビックリしている。

立ち漕ぎなんて一か月振りじゃないかな。

 

 

 

今日も90kmほど走った所でストップ。

名前も分からない村の食堂で

とりあえず夕食をとります。

まだ料理の名前を覚えてないので

いちいちどんなのが出てくるかも

分からない。

 

 

 

 

 

 

 

 

リマ出発3日目。

結局昨晩は食堂の前にテントを張らせてもらいました。

 

すごい静かでお客さん来るのかなと思ったけど、

日が暮れると高速バスが何台も止まって

百人以上のお客さんが次から次へとやってきました。

休憩地点になってるみたいです。

 

 

 

 

いざ走り始めると灰色の空。

リマ滞在中もそうだったけど

この辺り午前中は

雲がかかりがちなようです。

雨が降らないからいいんだけど

せっかくなんでスカッと晴れて欲しい。

 

 

 

メキシコほどそこらじゅうに

屋台があるわけじゃないけど、

村や町にたどり着けば

手頃な食堂が沢山あります。

もうちょっとパターンが見えてきたら

ペルー料理もまとめますね。

 

 

 

リマから200kmほど離れると

交通量もかなり落ち着いてきました。

新しい国に入るとまずは

交通事情が不安。

とりあえずこれまでのところ

猛スピードのトラックはいません。

 

 

 

明日には目的の街に

余裕をもってつきそうなので

今日は70kmちょっとでストップ。

「パラカス」という町の外れに

¥1,500の安い宿を

見つけることが出来ました。

 

 

 

 

 

 

いよいよ始まった南米の旅。

まだ海岸線をのんびり漕いでるだけだけど、

先に待ち構えるアンデスの山岳地帯へと

少しずつ距離を縮めていきます。

 

 

 

 

首都リマ滞在記

2024.11.5

【207日目 11,703km】

 

 

メキシコのカンクン国際空港にて。

大きな荷物を携えてタクシーで無事に空港までやってきました。

 

23kgの荷物を2つまで預けられるチケットを購入しております。

おかげで料金は倍に跳ね上がり、全部で7万円ほど掛かりました。

 

自転車の重さは把握しており箱に入れた状態で21kg程度。

もう一つの旅の荷物がすべて入ったカバンは、量ってすらないのに

なんとほぼ限度重量の「23.1kg」!

この時は自分で自分を褒めてあげたくなりました。よしよし。

(0.1kg分は見逃してくれます。)

 

 

 

尚、心配していたメキシコ入国審査のスタンプ押印が無い件ですが

移民局の事務所に行くと

ティファナ国境にて払うはずだった¥5,000程度の入国税だけ払って

すんなり押印してもらえました。3分で終了。

「最悪、搭乗拒否されたりして」なんて思ったけれど

心配事の9割は実際には起こらない。

 

 

 

宿を出る前に晩御飯を済ませたけど

離陸が深夜1時とあって

やっぱりお腹がすいてしまう。

¥2,000の無駄に高いバーガーが

メキシコ最後の食事になってしまった。

味はとても普通。

 

 

 

そして、予定通り深夜1時に飛行機は離陸。

なにかと不安の付きまとう空路移動もとりあえずはひと安心。

時間も時間なので席に着くなり爆睡してしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

約5時間の飛行の後、現地時間の朝6時に

南米ペルーの首都・リマの空港に到着しました。

ちなみにカンクンとリマに間に時差は無し。

 

実は、僕は飛行機に乗るのがあまり好きではなく

飛んでる間は不安で仕方ないので、

無事着陸した時にはパイロットの方に、心の中で大きな拍手を送っています。

今回も衝撃の少ない見事な着陸でした。

 

 

 

入国審査を終えると

すでに2つの荷物が

受取所に置いてありました。

過去に例がないほど

スムーズな流れで空港を出られそう。

荷物もすごく綺麗だし。

 

 

 

そのまま空港を出てしまうと

競り市場のごとく

タクシーに声を掛けられまくるので、

ちょっと割高だろうけど

無難に空港オフィシャルタクシーを

利用することに。

 

 

 

余裕のあるサイズの車を

ご用意してもらえました。

飛行機を降りてこの時点まで

ほぼ全ての行程に待ち時間が無く、

30分程度でやってこれました。

幸先のいい南米旅のスタート。

 

 

 

予約している宿までは20km程度。

窓の外に広がる雑然としたリマの街を

キョロキョロと見渡す。

暑い雲が覆っているせいで

スカッとした気分にはなれない。

アラスカ到着時も曇ってたな。

 

 

 

 

 

 

まだ朝も早い7時過ぎに着いたのは「お宿 桜子」。

日本人のオーナーさんが経営されており、

南米を旅する日本の旅人の間では有名な

いわゆる“日本人宿”です。

 

 

 

久しぶりに日本の方との

交流を楽しめると思ったけど

いくつもベッドが並ぶドミトリーには

なんと僕一人だけ。

いいんです、いいんです

一人好きだから。

 

 

 

結果、滞在中には一泊利用の方が

2組泊まっただけ(それも個室)。

広いドミトリーにポツンと一人で眠る毎日でした。

いいんです、いいんです

一人好きだから。

 

 

 

到着当日は移動の疲れもあるけど

何もしないのも勿体ないので

早速、自転車の組み立てを。

数日前に分解したばかりなので

ここではとてもスムーズに

作業が進みます。

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日からはバスに乗って

リマの中心部の旧市街へと出かける日々です。

 

のんびり観光という訳にもいかず、

南米旅本格スタートの前に

やっておかなければならないことがいくつもある。

 

ちなみに、今回のブログは

“飛行機移動”と“治安の良くないリマの散策”ということで

カメラを持ち歩かず、スマホで撮影した写真が大部分です。

普段より画質悪いのでご了承ください。

 

 

 

まずやってきたのは電気街。

カメラ周辺機器ばかりのお店が

いくつも並んだエリアへ。

実は、ユカタン半島で

カメラと三脚を固定する“クイックシュー”

という部品を紛失おりました。

 

 

 

同サイズのクイックシューが

見つからないので、

「雲台」というパーツごと

新調することに。

取り寄せになるかも、と思ってたので

すぐ見つかってよかった。

 

 

 

 

 

 

飛行機に乗る前の

梱包作業中に気が付いたのは、

荷物を取り付けるリアキャリアの

ネジ穴が金属疲労で折れていたこと。

暑さ寒さに加え、乾燥と湿気も。

三大陸も巡ればこれだけくたびれて当然。

 

 

 

近くの自動車工場で溶接を

お願いしましたが、

軽量スチールの接合は難しく

これが上手いことくっつきません。

他の場所を尋ねても

無理だと断られてしまいました。

 

 

 

どうにも難しそうなので

ホームセンターで“エポキシ樹脂”を

購入し、自分でくっつけてみる。

ついたけどこれでは弱いだろうな。

応急処置にすぎないけど

一応これでオッケーとしておく。

 

 

 

 

 

 

10,000km以上を走って

かなりすり減った後輪のタイヤ。

メキシコではかなりパンクの回数も増えていました。

 

大陸規模のサイクリストがほぼ全員使用している

ドイツメーカー“シュワルベ社製”のタイヤ。

耐久性では群を抜いていると評判の製品。

果たしてペルーで見つかるだろうか。

 

 

 

旧市街の自転車ショップエリアで。

分野ごとのお店が密集しているのが

とても助かります。

ただひと通りのお店を見ても

シュワルベタイヤは見当たらない。

違うのを試してみようか…。

 

 

 

手に入れたのはCSTという

台湾メーカーのタイヤ。

¥5,000のシュワルベに対し

わずか¥1,500なので、

3本以下の交換で南米を走り切れたら

CSTの勝ち、結果はいかに。

 

 

 

 

 

 

 

 

空港に向かうタクシーで失くしたのは

ウインドブレーカー。

ユーラシア・アフリカを共にしただけに

最後まで一緒に走りたかった。

ご提供いただいたモンベル様、本当に申し訳ございません。

 

 

 

こちらは旧市街の衣類の問屋街へ。

最初はワクワクしたけど

店が無数にありすぎて探すのが大変。

そもそもアウトドア用のジャケット

というものの取り扱いが少ない。

山岳国家なのに。

 

 

 

購入したのはコロンビア製の

ウインドブレーカー。

限られた選択肢の中から

選んだので、あまり気に入ってないけど

これなしで旅はできないので

仕方ない。

 

 

 

という具合に、旅の後半戦に向けて

諸々の準備を整えておりました。

すっきりまとめて書いていますが、

たった一日でスムーズに見つかったのは三脚の部品くらい。

 

他のものは数日探したうえに、妥協して選んだりもしているので

“のんびり4日間”の予定だったリマの滞在は

“バタバタの5日間”になってしまいました。

 

 

 

最後に滞在中に食べた

ペルーの料理をご紹介。

 

 

 

白身魚をレモンなどの

柑橘系の果汁でマリネにした

“セビーチェ”。

サッパリとして日本人なら誰もが好き。

新鮮な魚じゃなければいけないので

内陸に入ると食べられないだろうな。

 

 

 

一番感動したのは、牛のハツ(心臓)を

串焼きにした“アンティクーチョ”。

スパイスに漬け込んでるので臭みもなく

新鮮だからかすごく柔らかかった。

日本の焼き肉屋を思い出す

最高のグルメでした。

 

 

 

全大陸でも一番といわれる

南米産の牛肉。

市場では200gを

¥250ほどで買うことが出来ました。

シンプルにフライパンで

ステーキにしてみる。

 

 

 

 

 

 

いざ食べると、評判に違わないその美味しさ。

 

決して“良い肉”とはいえないランクだろうけど

ちゃんと柔らかいし、塩コショウで焼くだけで

しっかり旨味があります。

 

いよいよ始まる南米旅。

料理だけでなくどんな人がどんな風景が待っているのか、

目の前に待ち受けるすべての出会いが楽しみです。

準備が整ったら、いよいよペダルを漕ぎ始めます!

 

 

 

 

アメリカ大陸、前半終了。

2024.10.29

【202日目 11,703km】

 

 

チチェンイッツァの観光を終え、

いよいよカンクンまではわずか150km。

2日間あれば十分すぎる距離なので

先を急がずユカタンの定番観光地へ足を運ぶことに。

 

 

 

滞在していた“バヤリド”の町から

わずか5kmあまりの場所に

それはあります。

入場口で料金を払い先へ進むと

地下へと進む洞窟が

口を開いておりました。

 

 

 

 

 

 

階段を下りた先に待っていたのがこの「セノーテ」。

ユカタン半島に4,000か所以上も点在する天然の湖です。

 

ユカタンの特徴である山のない地形。

これにより大きな河川が存在しない代わり

豊富な地下水脈が流れております。

 

 

 

さらに比較的もろい石灰岩地帯が

多いことによって

浸食、陥没が発生しやすく

洞窟ができやすいのだそう。

そこに地下水が流れ込み

形成された湖をセノーテと呼びます。

 

 

 

なんと浸かって泳ぐこともできます。

水温は冷たすぎない21°。

日が差し込む水中をのぞけば

その透明度がよく分かります。

神々しさすら感じる空間。

小さな魚も泳いでいますよ。

 

 

 

「セノーテサムラ」と呼ばれる

このセノーテが穴場だったらしく

朝いちだったこともあり

広い洞窟空間をのんびり楽しめます。

人気のセノーテでは

人がごった返すそう。

 

 

さらにすぐ隣の

「ケケンセノーテ」にも入りました。

こちらは22m上の天井から

垂れ下がる鍾乳石が見所。

超現実的で芸術的な空間が

広がっております。

 

 

 

ここまで鍾乳石に近づけて

触れることまでできる場所って

世界でもなかなか

ないのでは無かろうか。

水面に浮かびながら

贅沢な時間を過ごしました。

 

 

 

さほど期待してはいなかったのですが

自然の作り出した景観にしっかり魅了されてしまいました。

別に泳げるからとテンションが上がる方ではないのですが

このセノーテはかなり興奮してしまいました。

メキシコのユカタン方面にお越しの方には

強くお勧めいたします。

 

 

 

 

 

 

セノーテを満喫したら、

バヤリドの街まで戻り

いよいよカンクンを目指して

走り始めます。

2ヵ月以上にも渡る

メキシコの旅がもうすぐ終わる。

 

 

 

ユカタンでは

こんな森の中の一本道を

ひたすら走っておりました。

坂も無くホントにまっすぐ。

何の出来事も起こりません。

思えばアラスカもこんなだったな。

 

 

 

夕方5時過ぎには

もう暗くなり始めてしまう。

焦りながらなんとか“スカン”

という集落に到着。

夜間走行は危ないので

もっと余裕を持たねば。

 

 

 

テントを張る場所を見つけられず

ウロウロしていると

こちらのハンバーガー屋台の

奥さんが、

「閉店後ならここに張っていいよ」

と言ってくださいました。

 

 

 

メキシコ走行最後の夜も

しっかり安全な場所で

眠ることができそう。

突然のお願いにもかかわらず

迎え入れてくださる方が

沢山いる国です。

 

 

 

もちろん晩御飯は

ハンバーガー、そしてコーラ。

メキシコでは定番の屋台メシ

なんですよ。

今日はタコス嫌だって時に

よく食べています。

 

 

 

お店を片付けると

「やっぱり家の中で寝なよ」

とのことで

部屋にぶら下がったハンモックで

寝させてもらうことになりました。

意外としっかり寝られます。

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてメキシコ走行最終日。

お世話になったヘルミーさんに別れを告げると

90km先のゴール・カンクンを目指します。

 

 

 

まずは道路沿いの屋台で

ユカタン名物「パヌーチョ」。

ほぼタコスじゃん、っていう

料理ばかりだったけれど

メキシコ料理はしばらくしたら

絶対に恋しくなる。

 

 

 

 

いよいよゴールが迫り

気持ちは高ぶるものの

景色はなんら変わることは

ありません。

ユカタンは最後までユカタン。

熱帯雨林は果てしなく続く。

 

 

 

カンクン付近は

高速道路の自転車走行禁止の為

路肩のない一般道を走ります。

思えば入国前のメキシコは

めちゃくちゃ不安だったな。

轢き殺されるんじゃないかと…。

 

 

 

いよいよあと15km、

という地点で何とパンク。

ずっと一人で旅をしてると

独り言が増えます。

「えー、今ー!?」って

デカい声で愚痴を言う。

 

 

 

やっとパンク修理を終え

カンクン郊外にやってきた時には

日も暮れ始めていました。

後ほど気が付きましたが

タイムゾーンが変わり、

5時だと思ったのが実はすでに6時。

 

 

 

 

予約していたゲストハウスに着く頃には

すっかり日も暮れてしまいました。

ゴールの感慨に浸る余裕もなく

汗だくになってシャワーを浴びる。

朝から時計が1時間ズレてるから

損した気分になってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

到着翌朝。

リゾート地・カンクンの定番は

白い砂のビーチ。

ただ遠くで発生している

ハリケーンの影響から吹く風で

のんびり眺められる様子じゃない。

 

 

 

リゾートホテルがずらっと並ぶ

カンクンのビーチ沿い。

どこも宿泊者専用に囲われており

誰もがふらっと立ち寄れる

海辺ってほとんど無いんです。

ちくしょう。

 

 

 

 

 

 

ということで

メキシコのゴール地・カンクンに到着しました!

 

入国から2ヵ月半、

サボテンだらけの砂漠や熱帯雨林、3,000m越えの高所など

様々な表情を見せてくれたこの国。

治安に関する悪評にビビりまくっていたものの

たくさんの素晴らしい出会いに満ち溢れた旅路となりました。

 

 

 

このカンクンをもって、アラスカからスタートした

アメリカ大陸の旅の前半は終了となります。

 

寒さに凍えていたアラスカの大地が

同じ一つの旅とは思えないほど遠い昔に感じます。

辿った旅路を地図で辿るのは旅の醍醐味。

この赤い線の上にどんな景色が広がっているのか

今の自分にははっきりと分かる。

 

 

 

 

 

 

 

 

やれひと段落、と言いたいけれど

カンクンではこなすべきミッションがあります。

それは飛行機搭乗のための準備。

向かったのは宿から一番近い自転車屋さん。

 

 

 

南米旅に備え

予備チューブとチェーンを購入。

さらに大切なのは

自転車を梱包するための

段ボールをもらうこと。

といっても、大抵タダであっさりもらえます。

 

 

 

大きな箱を抱えて宿に戻ると

いよいよ分解作業が始まります。

面倒くさがってダラダラやるのでなく

一気に勢いで片付けてしまうのがコツ。

事前にエネルギードリンクを補給して

すぐに作業に取り掛かります。

 

 

 

やる前はすごく嫌なんですけど

いざ取り掛かると

でっかいプラモデルを扱うみたいで

意外と楽しいこの作業。

1時間ちょっとで

順調に完了。

 

 

 

 

 

 

カンクンでの滞在は各国の旅人が集まるゲストハウス。

リゾート地だしどんちゃん騒ぎしてたらヤダな、と思ったけど

とても静かで落ち着いた場所です。

一泊¥1,500。

 

 

 

データの整理や

南米に向けての情報収集など

やることは盛りだくさん。

リゾート地なのに

宿の共有デスクで黙々作業。

豪遊するお金がないってのもある…。

 

 

 

メキシコの締めくくりグルメは

カカオソースがたまらない“モレ”。

悪くなかったけど、

プエブラでラウラさんが

作ってくれたヤツのが美味しかった。

何でも手作りに限る。

 

 

 

南米に向け荷物整理をする中、

飛行機に載せられない荷物がありました。

アラスカでもらった“ベアスプレー”。

クマに怯えていた日々が懐かしい。

宿のオーナーが「こんなのあるんだ!?」

と興奮気味に貰ってくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

3日間の滞在を終え、いよいよフライトの夜。

昼間のうちにタクシー乗り場で

お願いしていた運ちゃんが時間通りに来てくれました。

 

ちゃんと来てくれるか心配で

時間と住所のメモを渡していた甲斐がある。

 

 

 

郊外の空港まではわずか20分ほど。

後に手遅れになって気づきますが

この車内に、旅に欠かすことのできない

ウインドブレーカーを置き忘れます。

普段慣れない動きをすると

必ず何かミスをする。

 

 

 

 

 

 

そして新たな門出の場となる

カンクン国際空港へ到着。

大きな荷物を携えてカウンターの前に立つと

出発の成田空港を思い出す。

 

では、新たな大陸に向かって飛び立ちます!

 

 

 

マヤの文化を巡る旅

2024.10.26

【196日目 11,532km】

 

 

ユカタン半島の街・カンペチェを出発。

ここからメキシコのゴール地・カンクンまでは500kmほど。

途中に現れる観光名所にも寄りつつ半島の先端を目指します。

 

 

 

これまで通りフラットな

道がどこまでも続くのですが、

問題は朝から止まない向かい風。

無風で平坦なら時速18kmほどだけど

この日は12kmくらいしか出ない。

漕いでも漕いでも進まない。

 

 

 

上り坂は頂上に

着いた時の達成感があるけど、

風はただただしんどいだけ。

ご褒美に追い風が

吹いてくれるわけでもないし、

ひたすら太ももに乳酸がたまる。

 

 

 

予定の100kmを走り切ることが出来ず

手前の「ベカル」という町に到着。

何にも情報を調べてないですが

どこかテントを張れる場所は

あるだろうか。

キョロキョロしつつ町を巡る。

 

 

 

 

 

 

日も暮れた頃に、

中心部の大聖堂とは別の小さな教会を発見。

芝生も生えてるので、ここで泊まらせてもらおうと

近づいてみることに。

 

 

 

すると教会の敷地内には

一軒のお家が。

中から出てきたお母さんが

「お腹すいてるでしょ。

中へ入んなさい」と

招き入れてくれました。

 

 

 

テーブルの上に置かれたのは

“ブリケケン”という

豆と豚肉を煮たもの。

ユカタン半島で繁栄した

マヤ文明から伝わる伝統料理です。

日本の煮豆にも似て美味しい。

 

 

 

出迎えてくれたハスミンさんの苗字は“ウク・ウク”。

メキシコで一般的な「ロペス」「ガルシア」とは明らかに違う響き。

実はハスミンさんの家系は「マヤ人」なんです。

 

500年ほど前にスペインによる征服と共に滅亡したマヤ文明ですが、

僕たち日本人やネイティブアメリカンとも似た顔立ちを持つマヤの人々は

現在でもユカタン半島を中心に暮らしています。

その人口は数百万にも及ぶのだとか。

 

 

 

神父をされているご主人の

“ヴィクトルさん”と

子供たちが揃ったら

町の中心部へ。

夜の屋台でユカタン名物を食べよう

とのことでございます。

 

 

 

それがこちらの「パヌーチョ」。

油で揚げたインゲン入りの

サクサクしたトルティーヤに

具を乗せたものです。

「もうほぼタコスじゃん」

って思っても、言わないのが大人。

 

 

 

もともとテントを張らせてもらう

予定だったのですが、

「疲れてるだろうし

ベッドで寝たほうがいいよ」

と準備してくださいました。

シャワーも浴びれたし、もう最高。

 

 

 

 

 

 

 

 

カンペチェ出発2日目。

走り出す前にハスミンさん達と記念撮影。

 

ただよく見てもらうと後輪がペシャンコに潰れています。

朝からやれやれとため息をつき、

タイヤに刺さったトゲを抜いて修理を済ませて出発です。

 

 

 

前日から吹き続ける

向かい風によりなかなか

スムーズには進めない。

さらに分厚い雲が時折雨を降らせ

イライラしながらも黙って進む。

メキシコ終盤戦、苦しんでます。

 

 

 

後に他人から聞いて

分かったのですが、

ちょうど半島の沖合に

ハリケーンが来ていたのだとか。

朝から晩まで止まない風は

海の向こうから吹きつけてたそう。

 

 

 

途中に寄った町で

ついにイグアナの撮影に成功。

実はユカタンに入ってから

100匹近く見てるのですが

どれもすばしっこくて

カメラに収めることが出来ませんでした。

 

 

 

10cm程度の子供から1m近い大人まで

大きさも様々。

小さいものほど鮮やかな蛍光グリーンで

道路上にいるとすごく目立つのですが、

写真の個体のように環境によって色を変えていくと思われます。

恐竜みたいでカッコいい。

 

 

 

この日も予定の距離を走れず

ユカタンの中核都市「メリダ」

に泊まることに。

観光地でもありますが

天気が優れず、ゲストハウスで

大人しくじーっと過ごします。

 

 

 

 

 

 

 

 

カンペチェ出発3日目。

出発前にメリダ中心部の大聖堂だけ見ておく。

 

実はもうメキシコ発の飛行機を押さえているので

遅れるわけにはいかない。

ちゃちゃっと見たらすぐに走り出す。

 

 

 

メリダを起点に進行方向が90°曲がるため

向かい風が横風に変わると確信してましたが、

どうやらこの日も真正面の向かい風。

風が意思を持って邪魔しているかのよう。

「なんでやーーー!!」って

1人で叫びながら走ってました。

 

 

 

カンペチェ出発以来

3日間止まない向かい風の中を

漕いでいると脚はもうパンパン。

ほぼ毎日漕いでると筋肉痛なんて

起こらないのですが、

この時ばかりはヒドい筋肉痛が…。

 

 

 

さらに風に加えて

午後からはどんよりと

暗く重たい雲が空を覆っていました。

いつ降り出すだろうかと、

様子を伺いつつも

なんとか持ちそうなので進むことに。

 

 

すると走行中に突然の大雨が…。

自分自身も後ろに着いた荷物ももうビショビショ。

熱帯雨林を突っ切る一本道に雨宿りできる場所は無く

無心でひたすら前に向かいペダルを漕ぎました。

 

 

 

雨の中、「オルカ」という

街に到着。

全く止む様子が無いので

お土産屋さんの軒下に

テントを張らせてもらえないか交渉。

100ペソで許可をもらいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

カンペチェ出発4日目。

昨日の雨は上がったものの、

起きると脚がピキーンとなる。

連日の向かい風、効いてます。

 

 

 

朝食はほぼ毎日

路上の屋台にて。

この日もユカタン名物

パヌーチョを頂きます。

雨のせいで靴までびしょ濡れで

非常に心地悪い…。

 

 

 

カンペチェからカンクンを目指して

日々走っておりますが、

今日は途中で楽しみにしていた

観光が待っています。

思えばメキシコシティ以降

ほとんど観光してないな。

 

 

 

出発から40kmほど走った所で

目的の場所にたどり着きました。

入場ゲートにはメキシコ人だけでなく

様々な国からやって来た人がいます。

入場料が¥5,000ほどと超高額なのに

メキシコ随一の観光地はやはり人気。

 

 

 

 

 

 

 

 

やってきたのがこちら

メキシコのみならず中南米を代表する文化遺産「チチェン・イッツァ」。

紀元前1,000年から17世紀まで存在したとされる

マヤ文明でも最大規模の都市遺跡です。

 

周辺に点在する遺跡の中でも目を引くのが

中央に鎮座する石のピラミッド「カスティージョ」。

創造神ククルカンを祀った祭壇であるこのピラミッドは

高さ24mにも及びます。

 

 

 

四面に敷設されたそれぞれ91段の階段。

頂上の1段を加えて365段になることから

マヤ文明はすでに現在の太陽暦を

把握していたことが分かります。

さらに260日周期の独自の暦と

2つを並行して採用したのだとか。

 

 

 

階段の下部には蛇の姿をした

“ククルカン”の頭が。

春分・秋分の日にだけ

日光の具合で蛇の胴体部が

現れるそうです。

方角も正確に捉えていたということ。

 

 

 

こちらはカラコルと呼ばれる天文台。

太陽や星の動きを観察して

公転周期を把握したのでしょう。

現代の観測所と同じドーム型の屋根を

すでに持ち合わせていることがスゴイ。

人間の文明って脅威的です。

 

 

 

こちらはサッカーのような

球技が行われた競技場。

ただ宗教儀式の一環で、

勝ったチームのキャプテンは

栄誉として首を狩られ

生贄として捧げられたのだとか。

 

 

 

“セノーテ”と呼ばれる天然の湖。

このセノーテに生贄の体や心臓を

放り込んでいたそうで

水底からは人骨も見つかっています。

信仰って崇高であると同時に

狂気ですよね。

 

 

 

当時の暮らしを想像しつつ、

人類の歴史の壮大さを

感じずにはいられません。

遺跡って本当にロマンが詰まってます。

色々な場所を訪れると

勉強したいことがどんどん増える。

 

 

 

 

 

チチェンイッツァの観光を終えると

さらに40kmほど進んで

「バヤドリド」という町へ。

ユカタンの熱帯雨林の湿気はひどく

観光中もジトジトで汗だくです。

早くシャワーを浴びたい。

 

 

 

¥1,500のゲストハウスを見つけチェックイン。

ゴールのカンクンまでいよいよあと150km。

 

ちなみにこの宿に

写真に写ってる充電コードを忘れてきちゃいました。

 

 

 

ユカタン半島突入

2024.10.22

【192日目 11,183km】

 

 

メキシコ湾沿いの街・コアツァコアルコスにて

ひと休みすると

メキシコのゴール地“カンクン”を目指して走り始めます。

 

 

 

街を出てしばらく走ると

“タバスコ州”に到着。

この州原産の唐辛子をもとに

アメリカの実業家が

開発したのが

タバスコソースだそうです。

 

 

 

このあたりから

大西洋に突き出した

“ユカタン半島”に突入。

数百万年前に恐竜達が

絶滅するきっかけとなった

巨大隕石が衝突した場所です。

 

 

 

ユカタン半島の特徴は

大部分が完全な平地で

ほとんど山が存在しないこと。

そのため内陸部には川が無く

地下水が脈々と流れ

独特な景色を作り出しているそう。

 

 

 

120kmを走って

「カルデナス」に到着。

“メキシコ各所では消防署が

サイクリストを泊めてくれる”

という話を聞いており

はじめて訪ねてみることに。

 

 

 

 

この街は簡易的な駐在所で

狭いため、中では寝れないけど

目の前でテント張っていいよ

とのことで

お言葉に甘えることに。

安全が保障されればどこでも寝ます。

 

 

 

 

 

 

 

 

コアツァコアルコス出発2日目、

お世話になった消防士さん達と。

とても気さくでフレンドリーな方々でした。

 

 

 

街を出て

半島を東の方向へと

進んでいきます。

朝は必ずと言っていいほど

天気がとてもいい。

そして午後には崩れる。

 

 

 

こんなにもか、というほどに

どこまでもまっ平ら。

山間部を旅してるときには

“地球がどこも平らならいいのに”

と考えながら走ってますが

それが実現されているユカタン半島。

 

 

 

中の具材に肉を包んで

油で揚げた“エンパナダ”。

もちろん美味しいんですが、

結局タコスの延長的なものと

感じてしまう。

もちろん美味しいんですよ。

 

 

 

高速を離れて、メキシコ湾沿いの

道を進んでいるため

交通量も少なめ。

落ち着いてのんびりと

走ることができます。

いよいよ熱帯の景色になってきた。

 

 

 

道沿いの商店。

檻に囲われており

中には入れず欲しいものを

口頭で伝えるシステム。

防犯のためですが

どれだけ治安が悪いのか…。

 

 

 

 

17時過ぎには

「フランシスコ・マデロ」という

小さな集落に到着。

教会の敷地内に

テントを張らせてもらうことに。

安心安全のテント泊。

 

 

 

 

 

 

 

 

コアツァコアルコス出発3日目。

小さな村の教会で何にも邪魔されることなく

静かに眠ることが出来ました。

 

 

 

カンクンへの道中にある

“カンペチェ”という街を

とりあえず目指しているのですが、

結果として景色が変わらず

ただ走るだけの日々が続いたので

若干“巻き”でお伝えします。

 

 

 

湾岸沿いを走っていることもあり

いくつかの橋を渡りながら

進んでいきます。

数日前のジメジメした

嫌らしい湿気も無くなり

割と過ごしやすい。

 

 

 

夕方に“”カルメン”という

港町に到着。

道路の真ん中には

街の名産であるエビのオブジェが、

綺麗なエビ反りを見せてくれております。

お金かけてまで作るものだろうか。

 

 

 

大きな街でテント泊は

難しそうなので

ホテルに泊まることに。

¥2,500ほどと

南に下りるほど安い宿が

増えている気がする。

 

 

 

 

 

 

コアツァコアルコス出発4日目。

最近の朝食は路上の屋台ばっかり。

¥300程度で十分なものにありつけます。

 

 

 

今日も天気が良いけど

横風が強い。

向かい風じゃないだけマシだけど

漕ぎにくいしスピードも落ちる。

海沿いって景色はいいけど

無風であることがほとんどないです。

 

 

 

大きなメキシコ湾では

ほとんど波が立たないようで

終始穏やかな海面。

1日走っても意外と

潮風がベタベタしないのも

嬉しいです。

 

 

 

海沿いの小さな漁村

“チェセン”に到着。

ここ最近は18時前には

日が沈んでしまいます。

暗くなる直前に

なんとか着けてよかった。

 

 

 

着いてすぐに見つけた食堂でディナー。

氷河にぶつかった船が沈んでいく映画

をやっていました。

途中、半泣きになりながら

気づけば最後まで見てしまった。

お店の横にテントを張らせてもらうことに。

 

 

 

 

 

 

 

 

コアツァコアルコス出発5日目。

メキシコでは人目を避けてこっそりではなく

人の懐を借りながら

安全に夜を過ごすことが出来ています。

 

 

 

この日はいつになく

雨の時間帯が多い。

降りっぱなしではないけれども

朝から降ったりやんだりの

繰り返し。

雨宿りをしつつゆっくり進む。

 

 

 

結局、目的の街に着くまで

小雨に降られてしまいました。

視界が悪いのが気になるけど

車がしっかり避けてくれるので

そんなに危険を感じることなく

進むことが出来ました。

 

 

 

そしてコアツァコアルコスを

発って5日目にして

「カンペチェ」到着。

碁盤の目に整った

中心部の景色がなんとも

綺麗な街です。

 

 

 

 

 

滞在先はゲストハウス。

数人で部屋を共有するドミトリータイプ。

 

貧乏旅の定番ですが、

なんでもない村で地元の人と交流したり

テントで一人静かに過ごすことが多い自転車旅を続けていると

あんまり好きじゃなくなってきてしまったな。

 

 

 

カンペチェの街では、

観光より何よりも

重要なミッションが。

現時点で僕のパスポートには

メキシコ入国時に押されるはずの

スタンプが押されておりません。

 

 

 

アメリカ・サンディエゴからティファナの国境を越えて

メキシコに入国したのですが

X線による荷物チェックだけで、

僕が進んだゲートにはなぜか入国審査がありませんでした。

数十ヵ国を旅してきてこんな事態は初めて。

飛行機で出国する際に面倒になること間違いないので

移民局に尋ねることに。

 

結論として、

ここでスタンプは押すことができず、

「そのまま空港から出国していいよ。

早めに着いて事情説明してね」とのこと。

本当に大丈夫なのだろうか…。

 

 

 

 

 

 

カンペチェには密かな名物料理があります。

それが、こちらの「パン・デ・カソン」。

トルティーヤと“ある具材”をミルフィーユ状に重ねて

トマトベースのソースをかけたものです。

 

 

 

その“ある具材”がこちらです。

そう、サメ。

あまり大きくはないんですが

姿かたちはしっかりサメ。

メキシコ湾で捕れたばかりの

新鮮なものを食べることができました。

 

 

 

ミンチ状になってるんですが

正直お味は微妙です。

そもそも美味しいなら日本人が

寿司のネタとして採用してるはずだし。

美味しい魚って

美味しい見た目をしてますよね。

 

 

 

 

 

 

この街を出発してしまえば

メキシコのゴール“カンクン”までわずか500km。

 

達成感を感じると同時に

どこか寂しさも感じています。

 

 

 

メキシコ湾へ

2024.10.19

【186日目 10,613km】

 

 

カルロスさん達にお世話になったプエブロを発って3日目。

涼しい気候の続いたメキシコ中央高原から

海抜100m程度の低地まで下りてきました。

 

 

 

高速道路は

熱帯雨林のような深い森を

突っ切っているため、

暑さだけでなく湿気も高い。

汗を拭き流しながら

黙々と漕ぎ進めていきます。

 

 

 

海もほど近くなったことで

山も減り、起伏が穏やかに。

まっ平らってほどでもないけど

必死にペダルを踏み込むほどの

坂はありません。

スムーズにどんどん距離を伸ばす。

 

 

 

すでに沖縄より南に位置する

あたりまで南下しています。

地域によっては常夏ともいえる

気候のメキシコ。

10月というのに立派な

積乱雲が空に浮かんでいます。

 

 

 

夕方18時に、高速道路をはずれ

「ラ・ウニオン」という村に到着。

公園では子供に混ざって

複数のお母さんも一緒に

バレーボールを楽しんでいます。

晩御飯作らなくていいのだろうか。

 

 

 

ある食堂に、

“テント張ってもいいかい”と尋ねると

快く許可を下さいました。

本当はテントも張りたくないほど

暑いけど、蚊が多いので

そのまま寝るわけにはいかず。

 

 

 

ご主人の“オスカルさん”。

宿泊許可をもらう際に

「どこから来た?」

「仕事は何してたんだ?」

と面接のように聞かれました。

ニコニコ愛想よく対応するのがコツ。

 

 

 

なんと晩御飯まで

ご馳走してくださいました。

メニューはもちろんタコス。

そろそろ違うのが食べ…、

刻んだビーフと辛みの効いたソースが

抜群のコンビネーションです。

 

 

 

 

 

 

 

 

ジメジメとしてた割には意外とスッキリ眠れた翌朝。

オスカルさんはじめ、食堂のお姉さん方と記念撮影。

 

「気を付けて、良い旅を。」

胸の前で十字架を切りながら祈ってくれる皆さん。

こんな人の助けがあるから、まだまだ安全に進んでいける。

 

 

 

熱帯気候ならではの

躍動感のある樹木。

景色として楽しむのはいいんだけど

朝からのジトっとした

蒸し暑さは

サイクリングに向かない。

 

 

 

引き続きオウトピスタ(高速道路)の

路肩を走っていく。

メキシコ旅も後半に差し掛かるけど

総じて運転は荒くないです。

スレスレを追い抜かれることもなし。

故障車よく停まってるけど…。

 

 

 

日本帰ったら

タコス写真展やろうか、

というほどにタコスばかり。

同じように見えて

ちゃんと当たり外れもあるんですよ。

美味しい所は本当に美味しい。

 

 

 

徐々に上り坂も減ってきて

遠くに見える山も

無くなってきました。

中央高原を離れた南は

平地が広々と続きます。

これはこれで退屈。

 

 

 

120kmを走って

「クアツァコアルコス」

に到着。

カルロスさんと別れ

プエブラから走ること4日。

この街でひと休みしてきます。

 

 

 

 

 

 

クアツァコアルコスは海辺の街。

目の前に広がるのは大西洋の一画、“メキシコ湾”。

アラスカ出発以来、西側の太平洋に沿って走ってきましたが

ついに大陸の東側、大西洋までやって来ました!

 

 

 

ただ感慨に浸ろうにも

ものすごい暴風が吹いております。

ちょうど北のフロリダでは

ハリケーンが猛威を振るっている頃。

ゆっくり散策などできなさそうなので

宿を探すことに。

 

 

 

海の近くに

¥3,000ほどの

やたら細長い宿を発見。

テント泊慣れてても

やっぱりベッドで眠れば

疲れがしっかり取れます。

 

 

 

 

 

 

1日だけ休んですぐ走り始める予定でしたが、

お腹が張ったような違和感のため2日間休むことに。

思えば現地で薬を購入するのははじめて。

なんか変なもの食べたっけな…。

 

 

 

写真整理にブログ、

今後のルート確認など

休みの日って

なんやかんやとやることは

多いんです。

でもそんな作業も楽しかったりして。

 

 

 

 

 

 

 

特筆するイベントもなく街に着いてしまったので、

ここでメキシコに関する小話を。

 

旅行者の間では有名なメキシコのコーラ。

世界中どこでも飲まれるコーラですが、

メキシコのものは特に美味しいと評判です。

 

その秘密は“砂糖”にあり。

基本的にコーラには

トウモロコシを原料とする甘味料が使われるのですが、

メキシコ産のものには

ちゃんとサトウキビ由来の砂糖が使われているそうです。

 

 

 

コーラの後味って口の中にべっとり

甘味がまとわりつく印象があり

ジンジャエール派最右翼の僕は

日本ではあまり飲まないのですが、

メキシコ産だとそれが

スッキリして飲みやすく感じます。

 

 

 

そんな事情もあってかメキシコ人のコーラ消費量は世界第1位。

平均で一人当たり年間160リットルも飲むそうです。

ヤバいですよね。

 

サトウキビ使用はガラス瓶のほうで

ペットボトルのコーラは通常の甘味料の味だそう。

 

 

 

写真のような

3リットルのペットボトルなんか

冷蔵庫の中で邪魔になるじゃん、

と思うのですが

数人でシェアしながら

あっという間に飲み干すのだとか。

 

 

 

メキシコは水道水が飲めないので

飲み水として各家庭でミネラルウォーターを購入するのですが、

「どうせ買うなら味のついたジュースのが良いじゃん」

っていう感覚もどこかにあるんじゃないかなぁ、

と僕は勘ぐっています。

あと、タコスとの相性が良すぎるってのも大きいはず。

 

実際に僕も走行中にお店を見つけたら

冷たい水もいいけどやっぱジュースにしとこ、

と普段以上に炭酸飲料を多く飲んでいます。

 

そんな具合のメキシココーラ事情。

といっても、味の違いとしては後味がちょっと違う程度なので

メキシコにご旅行の際はあまり期待をしすぎず、ぜひご賞味ください。

 

 

 

別れを経て前に進む

2024.10.15

【182日目 10,355km】

 

 

プエブラの街では3日間の休息。

お世話になった人たちにお別れをして、さぁ出発という時

カルロスさんの格好はバッチリ自転車モード。

「街を出るまで一緒に漕ごう」

 

家を出てそのまま別れるつもりだったので

その一言がすごく嬉しい。

 

 

 

まずは中心部の大聖堂前にて

記念撮影。

プエブラではさほど

観光らしいこともしてない。

けれども仲間の皆さんと

ゆっくり過ごす時間が楽しかった。

 

 

 

次に立ち寄ったのは

カルロスさんの職場。

なんと大学の調査施設で

天候に関する情報データを

まとめる仕事をされているとのこと。

歴史ある立派な建物です。

 

 

 

3人のお子さんも

全員医療関係にお勤めで

かなり立派なご一家。

カルロスさんをただの

お腹ポヨポヨおじさんだと

思ったら大間違い。

 

 

 

 

複雑な街の道を抜けて

高速道路へ。

黙々と先を進む彼の後ろ姿を

見つめつつ、

いつもは一人で走る道を

二人で進んでいきます。

 

 

 

昼過ぎにカルロスさんのタイヤがパンク。

ガラス片が刺さっていました。

ここしばらく僕も

パンクが続いてましたが

このあたりの道は誰が走っても

パンクしやすいんだろうな。

 

 

 

「高速の入り口まで」と言ってたのに

どこまでも一緒に走り続けてくれる

カルロスさん。

気が付けば家からもう70km。

彼の背中を眺めて走っていると

色んな思いがこみ上げてきました。

 

 

 

正直、入国前にはかなり不安だったメキシコ。

言葉も不自由だし、治安面も怖いし。

どんな旅路になるのか予想もつきませんでした。

 

出発時、奥さんのラウラさんがハグをしながら言ってくれた

「メキシコのプエブラに

あなたの家があることを忘れないで…」

という言葉。

そして、今目の前にあるカルロスさんの背中。

 

あんなに不安だった国に、

今は離れたくない場所と別れたくない人がいる。

こんな出会いがどこにでもあるワケじゃないからこそ

心の底から感謝の思いが込み上げてくる。

 

 

 

そして15時頃。

「じゃあ、ここまでだ」と

ついに別れの時が来ました。

フェリーで偶然会っただけなのに

温かいおもてなしをしてくれた

カルロスさん、本当にありがとう。

 

 

これまでに幾度となく別れを経てきたのに

この時は一層寂しく感じ、つい泣きそうになりました。

というかちょっと泣きました。

 

 

 

 

 

 

別れた直後に突然の夕立。

ここ数日のパターンから

あるだろうなとは思ったけれど。

高架下にて、通過する車の

水しぶきを受けながら

30分あまりの雨宿り。

 

 

 

 

思いのほか長く続いた雨に

予定の距離は走れず。

「クアクノパラン」という

通りすがりの町に

泊まっていくことにします。

なんかどんより暗い雰囲気。

 

 

 

野宿のつもりだったけれど

安いホテルが見つかったので

チェックイン。

というか最近、宿が続いているので

野宿が億劫になっている。

こんなんじゃダメダメ。

 

 

 

僕と同じように

雨に打たれたはずのカルロスさん。

心配になってメッセージを送ると

21時になってようやく

家に到着したとのこと。

あぁ、本当にありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

プエブラ出発2日目。

漕ぎ始める前に通りの露店にて朝食を済ませます。

 

 

 

村や町が多ければ

ストリートフードも充実してるので

自炊からも遠ざかっています。

なんやかんや名前が違うけど

トルティーヤに具が乗ってれば

日本人にとってはすべてタコス。

 

 

 

この日も高速を行きます。

路肩が広いのもあるし、

高速道路周辺にある町は

人の出入りが多いぶん

治安も安定しているとのこと。

最後まで安全第一で。

 

 

 

20kmほど走ると峠に到達。

ここまで苦しみながら走ってきた

メキシコ中央高原を下り、

一日で一気に標高を2,000mも

落としていく行程。

どうやら楽な日になりそう。

 

 

 

と思いきや、かなりのトラックが

ふん詰まり状態。

スムーズに下りたいんですけど。

道路工事かしら、と

ブレーキを握りつつ

ゆっくり進んでいきます。

 

 

 

 

よく見ればトラック達は

全く動いておらず、

これはただ事ではない。

数百台にもおよび車の合間を縫って

申し訳なさそうに

どんどん下っていきます。

 

 

 

すると渋滞を5km以上も進んだ先に

衝撃の事故現場がありました。

立ち入り禁止テープの先には

大破したトラックの残骸。

 

聞いてみると、幸い死者は出ておらず

運転手も重体ではないとのこと。

まあ、ここまで派手に事故ればすでに大事ですが。

 

 

 

積載物は3ℓのオレンジジュース。

数千どころか万は軽く超えるだろう

膨大な量のペットボトルが散乱してます。

立ち入り禁止を無視した野次馬が

これをどんどん持ってくんだから

ホントに無神経というか何というか…。

 

 

 

事故現場を横目に

バイクはすり抜けているようなので

僕も構わず

先に進ませてもらうことに。

後ろから全然車が来ないので

堂々と走ることが出来ました。

 

 

 

面白いのが、

時折僕を追い抜いていくバイクたち。

皆が皆、オレンジジュースのボトルを

荷台に括りつけてるもんだから

声を出して笑ってしまいました。

 

地震などの災害が発生しても

略奪が起こらない日本が僕は大好きです。

 

 

 

オリサバという街に着いたところで

ランチ休憩。

グアナファト以降から

町同士の間隔がかなり狭いので

食べ物を持ち運ばなくていいのが

本当に助かる。

 

 

 

午後からも緩く長い下り坂。

80kmにも及んで

ゆっくり高原を下っていくので

傾斜も急すぎず

かなり気持ち良く下ることが出来ます。

ここまで長い下りは初めてじゃないかな。

 

 

 

引き換えに、帰ってきたのが

じめじめとイヤらしい蒸し暑さ。

朝はジャケットを着ていたのに

標高も200m程度になれば

汗だくだくになるほど

かなり暑いです。

 

 

 

結局141kmと、

最長に近い走行距離を経て

「ティナハ」という村に到着。

村の方のアドバイスで

ガソリンスタンドの休憩スペースに

テントを張らせてもらうことに。

 

 

 

 

 

一人でゆったりと寝られると思いきや

日が暮れると数名のトラックドライバーが

寝床を準備し始め、

修学旅行のようにぎゅうぎゅうに。

 

最後はみんなで枕投げをして眠りました。

嘘です。

 

 

 

一カ月振りの再会

2024.10.12

【179日目 10,124km】

 

 

3日間の滞在を終え、

メキシコシティからさらに南下します。

滞在中もずっと天気は良くなかったけれど

出発の時もやっぱり曇り。

 

 

 

騒がしい朝のメキシコシティを

走ってゆきます。

ただ大都市の割に

高いビル群が無いからか

窮屈な印象がありません。

“都会っぽさ”において東京は別格。

 

 

 

連日の雨もあり

冠水しきっている道も。

余儀なく遠回りをします。

宿のシャワーの威力が弱いのも

しょっちゅうで、メキシコの

水回りは大変みたいです。

 

 

 

到着するときはワクワクしてるから

まだしも、大都市を出ていくのって

かなりストレスが大きいです。

道路は複雑だし、車は溢れ返ってるし。

ゆっくり道を確認してると

後ろからクラクションを鳴らされる。

 

 

 

曇っているから

写真では分かりにくいですが、

先に見える街のスモッグが濃い。

メキシコシティは盆地のため

大気汚染の進行が酷いそうです。

息を止めたくなるような景色。

 

 

 

40kmあまりを走るのに

5時間も掛かってしまった。

道路脇のお店でタコス休憩。

陶器もおしゃれなメキシコ。

こういうのも一緒に

日本に送ればよかった。

 

 

 

少し休んでると

雨がひどくなりました。

「イスタパルカ」という街で、

まだ15時だけどホテルを探して

チェックイン。

すぐ見つかったのでラッキー。

 

 

 

¥2,000なのにすごく綺麗な宿。

お湯も勢いよく出るし

Wi-Fiも絶好調。

なぜかコンセントが

床から2mくらいの天井付近に

しかないこと以外完璧です。

 

 

 

近くの中華レストランで

テイクアウト。

メキシコの中華レストランは、

メキシコ人によって

営業されてることが多いです。

国民食として受け入れられているよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

メキシコシティ出発2日目。

ギリギリ雨は降っていないというような重い曇天。

高速道路を進んでいきます。

 

 

 

実は、今日はかなり大変な日。

出発した街は標高2,200m。

立ちはだかる峠の標高は

なんと3,200m。

20kmという短い距離のうち

一気に1,000mも上っていきます。

 

 

 

上り坂の苦労もあるけど

不安だったのはその標高。

過去には2,500mあたりから

高山病の初期症状が出たことも。

ただもう進むしかないので

覚悟を決めてゆっくり漕ぎ進める。

 

 

 

ただ2,000m地帯に

2週間近く滞在してるからか

特に症状もなく上ることができます。

峠に近づくほど、もやは霧になり

やがとほとんど雲の中かというほど

視界も悪くなりました。

 

 

 

そして坂を上り始めて3時間。

3,200mの峠に着きました。

雲の上に出たのか

すかっと抜けるような青空。

メキシコ旅においては

最高到達点となります。

 

 

 

路肩の店でご褒美のビーフ。

ランチにしてはちょっと奮発。

すると旅に感心してくれたご主人が

50ペソ(¥350)に

まけてくれました。

ホントは¥1,000近くします。

 

 

 

食事を済ませると

午前中かけて必死に上った

1,000mの坂を

一気に滑り降りていきます。

気持ち良いけど、

風が冷たくてもう寒い。

 

 

 

やがて平坦になった道を

40kmほど走ると

「プエブラ」という街に到着。

やはり今日も夕方には

雨が降り始めました。

はやく目的の場所へ。

 

 

 

事前に聞いていた住所を

訪ねてやってきたのは

街の中心部に近いこちらのお家。

メキシコ本土に渡ってから

ずっと会いたかった人に

ここでようやく会えます。

 

 

 

 

 

 

それがこちらのカルロスさん(右側)。

バハカリフォルニアから

本土に渡るフェリーで出会った方です。

左の女性は、奥さんのラウラさん。

 

 

 

拙いスペイン語でなんとか

コミュニケーションをとって

船上にて再会の約束を交わしたのは

一か月前の事。

そこからメッセージをやり取りしつつ

プエブラ到着を楽しみにしてました。

 

 

 

夕食を済ませると

フアンさん(上写真の左)とも合流、

夜のプエブラを散策に。

雨上がりの街は

ひんやり風が冷たく

歩いているだけで気持ちが良い。

 

 

 

メキシコの街はどれも

真ん中に大聖堂があって

その目の前に広場があって、と

ある意味ワンパターンなのですが

ちょっとずつデザインが違うのが

見ていて面白いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

到着翌日はメキシコ初の

女性大統領の就任記念日

ということで祝日。

2日前に通ってきた

首都のソカロ広場の式典が

大々的にテレビで放送されてます。

 

 

 

滞在用にわざわざ

空き部屋にエアーマットも

ご用意してもらいました。

ふわふわで気持ちが良い。

気圧が低いことも影響してか

筋肉の疲労が深刻な気がする。

 

 

 

カルロスさん宅のダイニングテーブル。

たった2か月前に入国した時は

誰一人知り合いなんていなかった

メキシコでこんなにも

くつろげる場所に、人に

出会えたことがすごく嬉しい。

 

 

 

激しいジャンプで

猛烈な歓迎をしてくれたのは

愛犬のジャッキー。

机の上に置いておいたイヤホンを

ズタズタに嚙み切ってくれました。

買いなおさねば。…この野郎。

 

 

 

 

 

 

首都メキシコシティ同様に

ほぼ雨模様でさほどゆっくり観光できなかったプエブラ。

一度だけカルロスご夫妻と近くの旧市街を街ブラ。

 

 

 

地元の人が

普段の買い物をする市場へ。

新鮮な野菜や肉が並び

何も買いつもりがないのに

ただ見ているだけで

ワクワクする場所です。

 

 

 

市場で買ったのは

“トゥナ”と呼ばれるサボテンの実。

みずみずしくて、ほんのり甘くて

いくつでも食べられそうな

メキシコを代表するフルーツ。

アフリカのモロッコでも食べたな。

 

 

 

 

 

 

カルロスさん宅でご馳走になったもので

ぜひ紹介しておきたいのがこちら。

 

メキシコ南部を中心に食べられる伝統料理で、

“モレ”と呼ばれるカレーのような見た目のソース。

チキンやビーフ、時には

タコスにかけて食べることもあるそうですが

ここではライスとポークで頂きました。

奥さんのラウラさんお手製。

 

このモレが面白いのは

“チョコレートソース”をベースに作られているという点。

それだけ聞くと「えぇ、チョコ?」と思いますが、

無理やり例えるなら、やはりカレーに近いです。

 

 

 

ただチョコだけでなく

チリ、玉ねぎ、ラード、ニンニクなど

多くの食材を複雑に調合して煮込みます。

はじめはチョコの甘味、それからチリの辛み

そして動物性の旨味と

奥行きのある深い味がするんです。

 

 

 

好き嫌いが分かれるとも言われてるようですが

カレーが大好きな日本人ならば

ほとんどの人が気に入るのではないでしょうか。

美味しさも衝撃度も今のところ一番の料理です。

機会があればぜひ食べていただきたい。

 

 

 

 

 

 

もう一人のお友達

“フアンさん”のお仕事は床屋さん。

カルロスさん宅から車で10分のところに

お店を構えています。

 

 

 

「切ってやる」とのことで

サイドの刈り上げ部分だけ

刈ってもらうことに。

こないだグアダラハラで

床屋さんに行ったときは

¥700ほどでした。

 

 

 

 

 

 

さらに滞在最終日の夜には、

カルロスさん、フアンさんの自転車仲間の伝手で

地元オンラインメディアの取材を受けることに。

 

派手な見所があるわけでは無いけれど、

忘れられない出会いに恵まれたおかげで

充実した日々を過ごすことが出来たプエブラでした。

 

 

 

首都メキシコシティ到着!

2024.10.8

【175日目 9,981km】

 

 

立て続けの世界遺産巡りを終え、ケレタロの街を出発。

首都メキシコシティまでは250kmほど。

 

 

 

やはり首都に近づくにつれ

ゴミが多い。

写真では見えにくいですが

ゴムの切れ端や金属片が

無数に落ちています。

お願い、パンクしませんように。

 

 

 

はい、パンク。

ただ刺さった針金がはっきりと

確認できるのでまだマシです。

アメリカでは路面の暑さゆえか

原因が特定できない

パンクが多かった。

 

 

 

「ポロティトラン」にてホテル泊。

都会が近づき、人も町も増え

野宿が難しいけれど

そのぶん宿も安いのは嬉しい。

¥2,000ほどで

十分なトコロに泊まれます。

 

 

 

 

 

 

 

 

ケレタロ出発2日目。

少しずつ朝が肌寒くなってきました。

日中は十分暖かく、午後には雨雲が広がるというのが

典型的な雨季のメキシコ。

 

 

 

向かう首都のメキシコシティは

およそ標高2,300m。

ここからは若干ながら

上り坂の多い行程。

特に景色が良いわけでもない道を

淡々と進んでいきます。

 

 

 

いよいよ都市圏に近づくと

これまでにないような渋滞が。

自転車は関係ないと思いきや

路肩にもはみ出す車があるので

止まらざるをえない。

煙を吸いながらゆっくり前へ。

 

 

 

夕方5時過ぎには

都市部の縁に位置する

「トポツォトラン」に到着。

もちろん野宿できるほどの

小さな村ではないので

空模様を気にしつつ宿を探す。

 

 

 

数軒まわり交渉してる間に

やっぱり雨が。

仕方ないので¥3,500の

宿に泊まることに。

何でもないホテルだけど

オレンジに塗られた壁がおしゃれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

ケレタロ出発3日目。

すでに首都の大都市圏には入っているので

出発と同時に渋滞に巻き込まれる。

しかも雨。

 

 

 

トラックやバスに接近されつつ

ぶつからないように

隙間をぬって進んでいく。

車線や信号も整っているので

そんなに混沌としているわけでは

ありません。

 

 

 

宿を出てから

40kmあまり走った地点で、

シティの中心部に到達。

ただ雨が止む様子もないので

感慨に浸る暇もなく

早く目的の場所へと向かう。

 

 

 

 

 

 

雨に濡れながらでも来たかったのがこちら「すき家」。

何とあるんです、メキシコに。

こないだ地図でたまたま発見してから気になってました。

 

 

 

ビジネス街にあるとあって

店内も小綺麗だし

他のお客さんもシュッとした

人が多い様子です。

そして僕意外に日本人はおらず

現地の人ばっかり。

 

 

 

唐揚げとみそ汁の牛丼セットが

¥1,000ちょっと。

味はまったく遜色ありません。

紅しょうがはないみたいだけど

ちゃんと“すき家”。

もうね、最高です。

 

 

 

翌日も別店舗に行ってしまった。

今度はチキンカツカレー。

日本帰れば家から徒歩で

3分のトコにすき家あるけど、

アラスカから1万km漕いで

食べるすき家は格別です。

 

 

 

本当は市内の名所を回りたかったけど

雨が止む気配もないので

大人しく予約していたゲストハウスへ。

相部屋で1泊¥2,000以下と

コスパ良し。

やはり都会ほど安いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

到着翌日の日中が結果的に唯一の晴れ間となりました。

 

完成から200年近くが経つ

“メトロポリタン大聖堂”を中心に

メキシコシティは広がります。

 

 

 

大聖堂の前にある「ソカロ広場」。

国旗が掲げられた広場に

沢山の人が集まっています。

他にも周辺には

美術館や国立宮殿があるのですが

どれも改装中で閉まっていました。

 

 

 

ソカロ広場の少し西にあるのは

多くの小売店が並ぶ商店街。

ヨーロッパ風の綺麗に整った通りです。

無数の観光客がいますが

パッと見には欧米やアジア圏の人は

多くなさそう。

 

 

 

やたらと宝石店や時計店があるので

電池が切れて動かなくなっていた

G-SHOCKの電池交換を

してもらいました。

¥700ちょっとでお得。

職人の手が僕は大好きです。

 

 

 

郊外の人口密集地を含んだ

都市圏人口は2,000万人。

ただ数字の割に雑多な様子はありません。

現地のメキシコ人曰く、

「写真で見た“シブヤ”の方がヤバいぞ」

とのことです。

 

 

 

こちらは独立百周年の「革命記念塔」。

ただ“議会場”として建築を進めていた

当時の政府が、別の革命によって

倒されて計画変更。

そのままモニュメントになったそう。

微妙なデザインなのはそのためか。

 

 

 

地下鉄が発達しているメキシコシティ。

人の車に乗ることはあったけど

公共交通機関はこの旅で初めてです。

どこまで乗っても約30円。

構内も別に雰囲気は悪くなく

おかげで快適に移動が出来ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

滞在中気持ち良く晴れる時間も少なく、

思ったほど観光はできず。

それでもここだけは外すワケにはいかないと

やって来たのは“アレナ・メヒコ”。

 

“テキーラ”や“タコス”と並んで

メキシコの代名詞ともなっている「ルチャ・リブレ(プロレス)」

を見にやって来ました!

 

 

 

週に2回ほど行われ

夜の20時30分に開始。

僕はプロレス好き

という訳ではないですが、

照明が落ちてリングが照らされると

ドキドキします。

 

 

 

プロレスも迫力あるけど

ここで面白いのが、

ビールを飲みながら

盛り上がる1万人もの観客。

「ウォー!」と盛り上がったり

「ブー、ブー!」とブーイングしたり。

 

 

 

半分やらせのようなプロレスの美学を

理解してないのですが、

レスラーの一挙手一投足に

会場全体がワーワー盛り上がるのが

凄く面白いです。

これは誰が見ても面白いはず。

 

 

 

 

 

 

会場を出ると沢山の露店がならび

“ルチャ・リブレ”グッズが並んでいました。

 

長旅なので普段おみやげなんて買わないですが、

どうしても日本にいる甥っ子達に

着て欲しい衝動が止まなかったので

日本に発送してしまいました。

へへへ…。

 

 

 

世界遺産巡り

2024.10.3

【170日目 9,757km】

 

 

宝石を散りばめたような絶景が広がる

グアナファトでは3日間の滞在。

 

ここから首都のメキシコシティを目指してすすむワケですが

道中に待つ個性的な街にも立ち寄りながら南下します。

 

 

 

今日向かう街への近道となるので、

都市間をつなぐ高速道路ではなく

山間の田舎道を行く。

少し起伏もあるけど

交通量が少ないので

景色を楽しみつつのんびり。

 

 

 

すると早々に

道を間違えたことが発覚。

正しい道へ復帰するために

農道をショートカットしたところ

避けようのない水溜りが…。

仕方なく覚悟を決めて前に進みました。

 

 

 

結果、靴も靴下も泥水でビショビショ。

道路脇のガソリンスタンドで

ゆっくり洗いました。

今日は走行距離も短いし

天気も良いのに、

なにをやっているんだ…。

 

 

 

気を取り直し

引き続きペダルを漕ぎだす。

このあたりで遂に

標高は2,000mに到達。

20℃を少し超えるくらいか、

湿気もなくかなり快適です。

 

 

 

メキシコで“UFO”といえば

空飛ぶ円盤ですが、

日清の方も展開されとります。

現地向けのTERIYAKI味なので

日本のモノと全く一緒ではないけど

全然オッケーな味でした。

 

 

 

気持ち良く走っていた午後に

またパンク。

ここ一週間かなり

続いてしまってます。

おかげで修理作業が劇的に

早くなってしまったではないか。

 

 

 

16時前には70kmを走り切り

「サンミゲル・デ・アジェンデ」

に到着。

グアナファトの観光を

終えたばかりですが、

この場所も楽しみにしておりました。

 

 

 

予約していたゲストハウスに

チェックインを済ませると、

中華レストランへ。

大体、¥700~800で

お皿いっぱいに持ってくれるのが

メキシコ流中華料理。

 

 

 

 

 

 

 

 

到着翌日はゆっくりと街を散策。

実はこちらの「サンミゲル・デ・アジェンデ」。

こないだ訪れたばかりのグアナファトと同じく

世界遺産にも登録されており、多くの観光客が訪れる場所でもあります。

 

トレードマークとなっているのは

中心部に堂々とそびえ立つ教会。

うっすらピンクがかった色も独特で

むしろお城のような佇まい。

 

 

 

教会を中心に

植民地時代の趣を遺した

コロニアル建築の建物が並びます。

グアナファトとは違い

赤と黄の暖色を基調とした

統一感のある街並み。

 

 

 

木造が主流の日本と違い

石造りが主なメキシコですが、

しっかりと温もりも感じるんです。

石のままだと無骨で冷たい印象だから

カラフルな装飾が発展したんだろうか。

街中がホントにおしゃれ。

 

 

 

お昼ごろには

原住民族の衣装を着た人たちの

ダンスが行われていました。

ヨーロッパが持ち込んだ文化と

以前から栄えていた文明の調和。

大陸ならではの光景です。

 

 

 

夜になるとまた違う表情を見せる

サンミゲル・デ・アジェンデ。

ライトアップされた教会は

一層神々しさを増します。

賑やかな街は治安も良く

危なさを感じる場面もありません。

 

 

 

広場には伝統音楽マリアッチを

演奏するバンドがいくつも現れます。

互いの演奏がぶつからない

絶妙な距離であっちでもこっちでも。

弦楽器の重奏と伸びやかな歌声が

涼しい風によく溶け合う。

 

 

 

演奏されるのは

スタンダード曲が多いようで

聴衆の皆さんもお酒片手に

合唱したりダンスを踊ったり。

人々が純粋に楽しんでいる風景に

どこか胸がじわっときます。

 

 

 

 

 

 

 

 

「サンミゲル・デ・アジェンデ」には2日滞在。

さらに南に向けて首都メキシコシティへと近づいていきます。

 

 

 

アラスカを発って

今が一番快適ではなかろうか。

朝晩も寒くないし、

水を飲みまくるほど日中が

暑いわけでもない。

これがずっと続けばどれだけいいか。

 

 

 

出発1時間でまだパンク。

後輪の調子がどうも悪い。

というかグアダラハラ以降

都市が続くからか、

路肩の塵やゴミが多いのが

原因だろうな。

 

 

 

道路脇のお店でランチ。

そういえばタコスを注文しても

「小麦粉か、トウモロコシ粉か?」

を聞かれなくなってきました。

トウモロコシの一択なんだけど

これも地域差だろうか。

 

 

 

目的の街「ケレタロ」

が近づいてきました。

かなり発展した都市なようで

遠くからも高層ビルが見えます。

緩やかな坂を下って

中心部へと向かう。

 

 

 

 

 

到着しました、ケレタロ。

今朝出発したばかりのサンミゲル・デ・アジェンデと同じく

歴史的建造物が残る世界遺産です。

見晴らし台に上ると築200年の水道橋が遠くに見える。

 

ゲストハウスに向かう前に

市街の見所を回ってみることに。

 

 

 

数多い建築物の中でも

見所はこちらの

「サンタクルス修道院」。

900年近くも前に建てられた

歴史ある修道院です。

青空の下、石の壁がよく映える。

 

 

 

ただ“グアナファト”、“サンミゲル~”

そして“ケレタロ”と

世界遺産の街が続いているからか

食傷気味であまりワクワクしない…。

建築のテイストも似てるので

もうお腹いっぱいなんです。

 

 

 

それぞれの街同士が

100km足らずの距離にあり

すぐに到着してしまうのも原因。

バスならたった1時間で着くほど。

観光と自転車走行のほどよい

バランスが大切だと気付きました。

 

 

 

 

 

 

ひと通り街を見ると、どうしても

甘いものが欲しくなったので

3段アイスクリームを食す。

注文してビックリ¥600。

何で3段なんか頼んだんだろう。

ちょっと奮発しすぎた…。

 

 

 

 

 

 

すると大きな荷物を積んだ自転車を見た

店主さんが旅に興味津々。

 

「アラスカから来たのか、スゴイな!

心ばかりだけど応援したいから受け取ってくれ」

ご主人が財布から取り出したのはなんと200ペソ(約¥1,400)。

 

「いやぁ、そんなの悪いよ」とか言いつつ

僕の手はしっかりお札を掴んでいました。

ウフフ…。

 

 

 

宝石箱のような…

2024.09.28

【165日目 9,610km】

 

 

大都市グアダラハラを出発して4日目。

目指す街「グアナファト」まではわずか70km。

昼過ぎには着けるだろうか…。

 

 

 

スタートした宿から30kmほど

走った所で

“レオン”という都市を通過。

かなり発展しているようだけど

ここは特に用事が無いので

走り去る。

 

 

 

グアダラハラ以南は

多くの人口を擁する街が増え

街同士の間隔もかなり近い。

何もない山が数十km続く、

なんてことも

ほとんど無くなりました。

 

 

 

目的地まで10kmほど。

数日にわたり平坦な道が続いたけれど

ここからは若干の山道です。

メキシコでもかなり

楽しみにしていた場所なので

ワクワクしてくる。

 

 

 

そして市街地へ突入。

その景観が有名な街とあって、

中心部へ行かずとも

鮮やかな色をした家が

乱立した様子は

期待を高ぶらせます。

 

 

 

ただ街の中心に向かうには

かつての坑道を利用した

トンネルを通る必要があります。

これが迷路のように

複雑に入り組んでおり大苦戦。

狭いし、暗いし、坂も急だし。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして到着しました「グアナファト」。

住宅やお店がひしめき合っており

狭い路地に車が通り、

観光に訪れた人が闊歩しております。

 

 

 

 

 

 

世界遺産にも登録されているこの街の魅力は

丘の上から全体を見下ろしたこの景色。

 

これまで旅をしてきて

“目に飛び込む鮮やかな色彩”というのが

メキシコの強い印象ですが、

まさにその魅力がぎゅっと詰まった場所です。

 

 

 

さらに遠くの山まで見渡すと

どこまでも家々が広がっています。

かつて銀の発掘で発展した街は

丁寧に区画整理されたというより

とりとめもなく所狭しと

拡大していった様子。

 

 

 

ガイドブックなどでも

“宝石箱をひっくり返したよう”

とも形容されるグアナファト。

見た目にも華やかだし、

見下ろす家にそれぞれの生活が

あると、想像力も掻き立てられる。

 

 

 

 

 

 

この街の楽しみ方は、

入り組んだ細い路地に踏み込んで迷子になること。

 

ぐねぐねと曲がりくねっている上に

階段や斜面も多いので、慣れるまでは

自分がどこにいるのかも分からなくなってしまいます。

 

 

 

寒色、暖色問わず

まさに“色々”な壁の色。

イスラム圏で青が尊重されるような

宗教的な意味合いはさほど無いらしく

シンプルに装飾として塗ってるそう。

陽気なメキシコ人を象徴してます。

 

 

 

路地が狭いばかりに、日中でも

光が届かない場所も多いけど

カメラを構えてるうち

影とのコントラストも

この街の魅力だと気付きました。

鮮やかな建物がより映える。

 

 

 

 

こちらは市街地の中心に位置する「グアナファト大学」。

なんと今も現役の学生が通っている正式な大学です。

世界遺産の真ん中にある学校に通えるなんて

どんなに素敵なことか。

 

 

 

滞在2日目には

マウンテンバイクのダウンヒルが

行われていました。

ものスゴイ勢いで滑降していく

沢山のライダー達。

自転車の乗り方にも色々ある。

 

 

 

沢山の観光客が訪れる街には

楽器を抱えて

バスキングする人も多いです。

こないだお邪魔した家で

ちょっとギターを触ってから

無性にギターが弾きたい…。

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなグアナファトの本当の美しさが

味わえるのは日没頃。

散らばった宝石たちがキラキラと輝き始めます。

 

 

 

完全に日が沈むと

街は一層輝きを増します。

メキシコで一番とも称される夜景。

メキシコどころか世界中でも

こんなに豪華な夜景は

そう多くないのでなかろうか。

 

 

 

ちなみに日没待ちの展望台では

テノール歌手の方が熱唱してました。

「写真撮りたいから、そこどいて」

なんて思っても言っちゃダメです。

“オーソーレミーオォーー”って

気持ちよさそうに歌ってんだから。

 

 

 

グアナファトの象徴でもある

バシリカ教会も、夜になると

さらにその存在感を増します。

思えばヨーロッパには

色の塗られた教会というのは

ほとんどないのでは…。

 

 

 

外見に違わず

内部の様子も荘厳です。

造りはこれだけ派手だけど

少し緊張感のある静けさが

教会の良さ。

祈り方も知らずにじっと佇む。

 

 

 

結局3泊もして散策を楽しんだグアナファト。

メキシコ観光の定番であるだけに

しっかり心を奪われました。

 

これから観光地巡りが続きそうですが

ゆっくり楽しんでいきます。

 

 

 

メキシコ独立記念日

2024.09.24

【164日目 9,519km】

 

 

大都市グアダラハラでは3日間の休養。

次に目指すのはこちらも人気観光地の「グアナファト」。

300km足らずなので、3日あれば着くはず。

 

 

 

グアダラハラを出発したのは

日曜日の朝。

この時間帯は街の主要道路の一つが

歩行者天国ならぬ、自転車天国に。

日本の都市でもやって欲しいけど

“碁盤の目構造”じゃないと無理だろな。

 

 

 

街から離れると

緩やかながらも上りが続く。

休養明けのサイクリングは、

疲れが無く調子が良い時もあれば

体がなまって足が重い時もある。

今日はどうやら後者。

 

 

 

基本的には高速道路を走るけど

ランチを食べる時には、

一度下りて町へと向かう。

高速は真っすぐで便利だけど

これがちょっとめんどくさい。

食べるのはもちろんタコス。

 

 

 

午後3時頃にパンク。

小さな針金が刺さってました。

今日は100kmあまりを

走りたかったけど、

どうやらもう無理そう。

荷物の着脱含め30分は掛かる。

 

 

 

修理が完了して、いざ走り出すと

今度は突然の雨。

空模様から嫌な予感はしてたけど。

すぐに雨宿りできないのも

高速道路のデメリット。

それでも安全だから走るんですけど。

 

 

 

 

 

 

これ以上の走行は諦め、

近くの「テパチトラン」という割に大きな街へ。

安宿は無いかと中心部をウロウロしていると、

バイクに乗った青年が声を掛けてくれました。

 

「ウチはバイカー用の無料キャンプ場なんだ。

もちろんサイクリストも歓迎だから、おいでよ!」

 

数年前にアメリカ大陸をバイクで旅しているマリオさん。

“旅人への助けは惜しまないよ”と嬉しい言葉。

 

 

 

突然の誘いを受けそのまま郊外へ。

キャンプ場といいつつも、

空き地に簡易的な家があるだけですが

もともとは宿を探してたので、

無料で泊まらせてもらえるなんて

もう最高でございます。

 

 

 

テント泊のつもりが

「ベッドで寝ていいよ」とのこと。

お湯シャワーあるし、Wi-Fiもあるし

可愛いフレンチブルもいるし

これ以上なんて望めない

素敵な宿に出会ったようです。

 

 

 

雨も上がった

夕暮れ時の西の空。

オレンジと紫のグラデーションに

うっとり見とれる。

こんなことで一日の疲れが癒える。

何でもない町が思い出深くなる。

 

 

 

夕食はマリオさん御用達の

近くのレストランへ。

彼の勧めで注文したのは

「ポソレ」という鶏肉のスープ。

優しい味でとても食べやすい。

爽やかな香りのレモンを絞ってどうぞ。

 

 

 

互いの拙い英語、スペイン語で進めるマリオさんとの会話。

その途中で判明して驚いたのは、

彼の母方のひいお祖母さんが

数十年前に日本からやって来た移民だということ。

それも僕の地元・広島県から。

 

異国の地で偶然出会った彼との距離が

ぐっと縮まったように感じます。

大きいようで小さなこの地球。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

グアダラハラ出発2日目。

マリオさんに別れを告げ

グアナファトへの道のりを走り始めます。

 

 

 

3日で着くと思っていた

グアナファトですが

パンクや夕立の影響もあり

もう1日掛かってしまいそう。

急ぐとイライラするばっかりなので

のんびり時間をかけていこう。

 

 

 

マリオさんの助言に沿って

高速道路ではない

田舎道を進むことに。

路肩が無いこともあるけど、

近いうえに交通量も少なく

落ち着いて走ることができます。

 

 

 

 

 

 

 

ちょうどお昼に着いたのは「アランダス」の街。

中心部に近づくと耳に入ってきたのは

ドンドンと打ち鳴らされるパーカッション。

目の前には通りを行き交うたくさんの人たち。

 

 

 

今日は9月16日。

およそ200年前に

植民地支配を受けていた

スペインから独立を果たした

「独立記念日」なんです。

街は文字通りのお祭り騒ぎ。

 

 

 

通りには屋台がずらっと並び、

道路には花で鮮やかに飾られた

トラック達がゆっくりと

行進していきます。

お揃いのスーツを着た楽団

“マリアッチ”達が街を賑やかす。

 

 

 

旗を振り、お酒を飲んで

盛り上がる地元の人々。

陽気なメキシコを象徴するイベント。

少し覗くつもりが

年に一度の祝祭を

長いこと楽しみました。

 

 

 

 

 

 

祭りもひと段落したところで街を出発。

すると、前日に続いての夕立。

実は9月のメキシコは雨季。

このところ毎日

かなりの確率で雨が降っています。

商店でしばしの雨宿り。

 

 

 

ただ日本の梅雨と違うのは

朝から晩まで雨というのは無く

午後のどこかで1時間程度

降るくらい。

「雨だから今日は走るのやめよう」

ということはないです。

 

 

 

 

 

 

 

 

雨も止み、祭りで賑わうアランダから

20km足らずの村にあるお宅を訪ねました。

 

実は今朝別れたばかりのマリオさんから

「電話しとくから、泊まらせてもらうといいよ」

とお友達を紹介されておりました。

 

 

 

二人で仲良く暮らす

“パンチョさん”ご夫妻の庭、

フカフカの芝の上に

テントを張らせてもらいます。

塀で囲まれた敷地の中なら

周囲を気にせずのんびり休める。

 

 

 

晩御飯までお世話になります。

豆を煮たものと鶏を煮たもの。

トウモロコシの粉で焼いた

トルティーヤは

日本人にとってのお米みたいなもの。

どんな料理でも必ずついてきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

グアナファト出発3日目。

朝食を食べつつパンチョさん夫妻とゆっくりお話し。

 

思えばメキシコ本土では完璧な野宿というのはなく、

人のお家や庭でお世話になってばかり。

麻薬戦争、多数の行方不明者、など

物騒なキーワードで語られがちなメキシコのイメージが

大きく変わり始めています。

 

 

 

アガベ畑を横目に

車を気にすることなく

ゆっくりと進む田舎道。

標高は1,700mほどで

気温も日中で25℃程度。

かなり過ごしやすくなりました。

 

 

 

もともと3日行程の予定を

4日に増やしたおかげで

かなりゆとりをもって進むことができる。

ずっとこうして余裕があればいいけど、

のんびりしすぎても

南米のゴール地が寒くなりすぎる…。

 

 

 

昼には「ハルパ」という

町に到着。

わざわざ観光客が足を

運ぶような場所じゃないけど

静かで教会もすごく綺麗。

こんな場所がたくさんあるメキシコ。

 

 

 

ひっそりとした教会の雰囲気には

何となく癒されます。

家にもキリストの絵が飾ってあったり

メキシコ人はかなり信心深いよう。

なんと世界で2番目に

カトリック教徒が多いのだとか。

 

 

 

ランチを済ませ

町を出たとたんにパンク。

たったこないだもあったけど

なんでパンクって続くんだろうか。

穴の場所も違うから

それぞれ違う原因だろうけど。

 

 

 

 

気を取り直して走行再開。

ずっと山が続くと思ってたけど

意外に平坦です。

ちなみに雨季はハリケーンも発生するけど

中央部の標高が高いエリアは

心配ないみたい。

 

 

 

ふと道路脇では

アガベの収穫作業が

行われていました。

この長い柄のついた道具で

トゲトゲをどんどん

落としてくようです。

 

 

トゲの落ちたアガベがこちら。

トラックに次々積み込まれます。

このあたりテキーラの町から

300km程度離れてますが

「ホントの発祥はこの地域だぜ!」

とのこと。

 

 

 

 

 

 

サンフランシスコという街に着き

ホテルにチェックイン。

 

飛び込みで来たけど

ビジネスホテル並みに綺麗な部屋が

¥2,000と、最高のコスパでした。

グアナファトまであと70km。

 

 

 

メキシコ第二の都市・グアダラハラ

2024.09.20

【161日目 9,278km】

 

 

テキーラの原産地“テキーラ”を出発。

メキシコ本土最初の目標としていた

グアダラハラまではわずか70km。

街そのものが楽しみということもあるけど

まずは休みたい。

 

 

 

街を離れても

アガベ畑はかなりの面積に

広がっています。

所々に農家さんが作業をしており

肥料を蒔いたり世話をしてます。

9年てホントすごいなぁ…。

 

 

 

アガベに突き刺された

女性のモニュメント。

コンセプトが全く分かりません。

作者に聞いてみたい。

メキシコはこういった銅像などが

すごく多いです。

 

 

 

醸造所にてアガベが焼かれている様子。

サツマイモをふかしたような

どことなく甘い匂いがします。

これがあの強烈なお酒になる

というのが信じられないよな。

ふかし芋の方が美味しいけども。

 

 

 

午後にはいよいよ

グアダラハラの都市圏に突入。

道路が急に広くなったけど

同時に交通量も極端に増えました。

トラックも多いので

気を付けて路肩を進む。

 

 

 

中心部に近づくと

かなり長い距離に渡って

サイクルロードが敷設されていました。

入国以来ここまで整ったエリアは

走っていないので

新鮮に感じる。

 

 

 

そして、ついにたどり着きましたグアダラハラ!

標高1,500mに位置し、

ここに来るまで上がっては下がる山道に苦戦しましたが

港町マサトランから1週間ほどかけて到着。

 

 

 

 

 

 

まず最初に向かったのは自転車屋さん。

ここで何としても

手に入れておかなければいけないものがありました。

 

 

それがサイクルパンツ。

バハ走行の後半、夜中に干してる間に

犬に嚙まれたのだろうと思います。

最初はほんの小さなピンホールだったのに

一週間あまりでここまで広がってしまった。

人の家泊るのに、こんな奴が来たらヤダ。

 

 

 

ネットでノーブランドの安物を

買ったのも良くなかったです。

内側のクッションもボロボロなので

迷わず新品を購入。

信頼のブランド“スペシャライズド”

(¥6,000也)

 

 

 

 

 

 

 

 

到着翌日は早速市内の観光へ。

 

グアダラハラ市そのものの人口は130万人ですが、

都市圏を形成する近郊の街を含めると

なんと500万人規模の大都市であるグアダラハラ。

首都メキシコ・シティに次ぐ国内2番目の大きさだそうです。

 

 

 

人口の多さだけでなく

かつて植民地として支配していた

スペインの面影を

かなり色濃く残しているのも特徴。

観光地としても有名で、

国内外から多くの人が訪れます。

 

 

 

バハ・カリフォルニアから始まり

いくつかの街を通過してきましたが

メキシコの本格的な都市を歩くのは

ここが初めて。

まず目を奪われるのは

やはり歴史的な建造物群。

 

 

 

数多くの建物の中でも、抜群の存在感を示すのが

都市のど真ん中に鎮座する“グアダラハラ大聖堂”。

完成からは400年も建っており

地域で最も古い教会だそう。

 

 

 

中に入れば、祭壇の上部から

鮮やかな色を放つ

ステンドグラスに視線を奪われます。

壁や天井の彫刻も繊細で

言葉を忘れて見とれてしまう。

これが街の真ん中にあるから凄い。

 

 

 

現役で使用されている

市役所庁舎や劇場など、

どれもが長い歴史を持っており

建物自体が芸術作品といえるほど。

アラスカから走ってきて、ここで

初めてヨーロッパの香りを感じます。

 

 

 

 

 

 

中心部から5kmほど離れたところにあるのは

“トラケパケ”という地域。

伝統的な民芸品を揃えたお店がずらりと並びます。

 

 

 

特に有名なのが

ガラス工芸だそう。

お店に足を踏み入れると

メキシコならではの

色彩豊かなオブジェが

壁中に飾られております。

 

 

 

生活雑貨から家の壁まで

とにかくカラフルで明るいのが

メキシコの特徴。

日本の“わびさび”的な感性とは

真逆をいくようです。

ずっと見てられる。

 

 

 

 

 

 

見所の多いグアダラハラの中でも

一番長く滞在したのが中心部の“リベルタ市場”。

中南米全土でも最大級の規模を誇る市場だそうです。

 

 

 

3つのフロアから成っており

吹き抜けを見下ろすとこんな様子。

八百屋からお土産屋、

靴屋に食堂まで

様々なジャンルのお店が

ぎゅうぎゅうにひしめき合ってます。

 

 

 

やはり心を奪られるのが

色彩豊かな雑貨たち。

こんなの部屋に置きたいなぁ、

ということでお土産に

いくつも買ってしまいました。

(空輸にて日本へ発送。)

 

 

 

メキシコのみならず

中南米を代表する音楽ともいえる

“マリアッチ”もグアダラハラが発祥。

平日だというのに

市場の中では楽団の陽気な

生演奏が響いていました。

 

 

 

市場で食べたのは

グアダラハラ名物“アオガダ”。

牛肉を挟んだサンドイッチに

トマトベースのスープをかけたもの。

パンが染みてグジュグジュです。

ちなみにアオガダは“水死体”の意。

 

 

 

 

 

 

 

 

グアダラハラ滞在中、お世話になったのは

Warmshowerのホスト“アルドさん”宅。

二人の息子さんと仲良く暮らしています。

 

半年後に、僕が南下した

バハカリフォルニア半島を自転車で走るそうで

お互い有益な情報交換が出来ました。

 

 

 

アルドさんのお仕事はピザ屋さん。

完成したピザを十代の息子さんが

自転車で届けに行きます。

昼間からせっせと生地をこね

夜の忙しい時間帯に備えます。

今は一日十枚のスモールビジネス。

 

 

 

どこでピザ修業したの?、と聞くと

「YouTubeだよ」とのこと。

そんなんで美味しいのが出来るわけ…、

と疑いつつもご馳走になると

これがホントに絶品!

やろうと思えば何だってできる。

 

 

 

 

 

 

アラスカ出発以来初めてといえるほど

グアダラハラではゆっくりと観光を楽しみました。

バハから海を渡り、

本当のメキシコというのが分かりつつあるように感じます。

 

まだまだ山間部が続きそうですが

引き続きメキシコを南へ下っていきます。

 

 

 

メキシコ名物のアレ

2024.09.15

【157日目 9,278km】

 

 

メキシコ本土を走り始め、学校訪問のため

アマリジョにてひと休み。

引き続き、「グアダラハラ」を目指して進み始めます。

 

 

走るのはほぼ高速道路。

自転車が正式に認められているらしく

料金所でも

「横の方を通ってね」と、

何も咎められることはありません。

起伏も少なく順調に進んでいく。

 

 

 

本土を走り始めて意外だったのは

緑の多さ。

メキシコは乾いたイメージが

あったけれども、

遠くに見える山々は

ほとんど日本と変わりません。

 

 

 

120kmあまり走った夕方に、

「ヒコテ」という集落に到着。

雑貨屋さんのお兄さんに声を掛けられ

「ウチの裏にテント張りなよ」と、

到着3分で寝床が決まりました。

本当に助かる。

 

 

 

日が暮れると、気温が

30℃を切るようになりました。

バハでは暑すぎて

テントで寝られなかったので

これは嬉しい。

蚊が多いのでテント必須です。

 

 

 

 

 

 

 

 

パルミジャス出発2日目。

店主のハイメさんと彼のお友達とのんびり談笑したら

この日も漕ぎ始めます。

 

 

 

フェリーで本土に着いたので

海抜0mからのスタートですが

目指すグアダラハラの標高は

はるか高く1,500m。

泊まっていたヒコテを発つと

本格的な山岳地帯がはじまりました。

 

 

それも傾斜がかなり急で

平坦な道など全くないまま

数十kmを必死に上り続けます。

時に立ち漕ぎをしながら

時速7kmでゆっくりゆっくり。

路肩が広いのが幸い。

 

 

 

上り坂に加えて辛いのが

90%にも達する湿気。

気温は32℃ほどに落ち着いたけど

バハとは違った不快さです。

異常なまでに汗が噴き出る。

快適に走れる地域は無いのか。

 

 

 

14時過ぎには「テピック」に到着。

走行距離はわずか30kmあまりだけど

一日の獲得標高が1,500mにも達し

体はバテバテ。

山が多いとは分かっていたけど

思った以上にしんどい…。

 

 

 

もう少し進んで野宿の予定だったけど

あまりの疲労で、急遽

ゲストハウスに泊まることに。

¥3,000を切る所があり

予約なしですんなり入れました。

滝のような汗をシャワーで流す。

 

 

 

「今日、君一人だからゆっくりしてね」

と家に帰ったオーナーさん。

しーんと静まりかえる宿。

バハのゴール地・ラパスにいた時

YouTubeでずっと怖い話を見てたので

なんだか怖くなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

パルミジャス出発3日目。

疲れ果てたどり着いた宿では結局爆睡。

今日も気持ちよく漕ぎだします。

 

 

すでに標高は1,000mを越えており

この日を境に

一気に涼しくなりました。

また、嫌らしい湿気も無くなり

景色も気候も長野県のような感じです。

一回しか行ったことないけど。

 

 

 

登りばかりだった昨日とは違い

午後には、数kmにもおよぶ

長い長い下り坂が待っていました。

坂はずっと続くものの

このあたりから傾斜が

だいぶ緩くなり始めます。

 

 

 

16時頃、この日の目標である

「イストラン」の街が

目の前に広がりました。

白い壁の家々が並ぶ様子を

遠くから見下ろすのが気持ち良い。

本土は町と町の間隔も近いです。

 

 

 

町へ下りて、中心部の教会へ。

どんなに小さな町でも

必ずと言っていいほど

石造りの古い教会があります。

その多くは時計台を冠っており

遠くからも良く目立つ。

 

 

 

平屋がいくつも並ぶ路地に

日光が差し込むと

思わずカメラを構えたくなる。

メキシコの町には風情があって

角の向こうに何があるだろうかと、

ふらふら歩きたくなります。

 

 

 

町の規模が思ったよりも

大きかったので、

野宿場所を探すのに

手間がかかりそうなので

この日も宿へ。

ちょっと奮発しすぎてるな。

 

 

 

 

 

 

 

 

パルミジャス出発4日目。

通りの屋台でタコスを食べたら、

また高速道路を進んでいきます。

 

 

 

山々に苦しんできたけど

目標のグアダラハラまでも

あと2日。

山道も少しずつ緩くなっているし

疲労は蓄積しているけど

気分は高揚しています。

 

 

 

砂漠ばかりではなく

木々がどこまでも広がる山があり

爽やかな海辺もあるメキシコ。

夏は旅に適した季節ではないだろうけど

結局のところ楽しめています。

はやく都市も見てみたい。

 

 

 

昼には小さな町へ。

1日にいくつも町を通過するので

食料や水を山ほど

持たなくてもいいのが

バハに比べて楽な点。

メキシコ本土、楽しいです。

 

 

 

標高もひと通り上がり切ったのか

なだらかな平原が広がります。

作物が植えられ

広大な畑が山の向こうまで

延々と続いている。

遠くを眺めてのんびり進む。

 

 

 

17時頃、とある町に到着。

町の外れに大きな畑があり、

その畑の観光ツアー(有料)に

参加すれば

敷地に泊まらせてもらえるという

事前情報を聞いておりました。

 

 

 

 

 

 

その畑で育てられているのがこちらの「アガベ」。

日本では“リュウゼツラン”と訳され、

かの有名な「テキーラ」の原料となる植物です。

 

 

 

やって来たこの街の名前は

まさに“テキーラ”。

世界的に有名なお酒ですが

この街こそ原産地なんです。

グアナファト到着前に

ひそかに楽しみだった場所。

 

 

 

春に植えられる“アガベ”の苗。

なんとこちらの畑では

9年もの長い歳月に渡って

大切に育て上げられるそうです。

近くにそびえる火山の存在も

良いアガベが育つ秘訣だとか。

 

 

 

こちらはすでに9年間育ったアガベ。

成人男性としては小さめの僕の身長に

迫るほど大きいです。

(わかりにくい。)

尖った先端は固くて痛いです。

アガベの近くではふざけないように。

 

 

 

こちらは蒸留所にある窯。

特徴的なトゲトゲは

すべて切り落とし、

根元の部分を

何時間もかけて蒸し焼きにし

絞り汁を発酵させ、蒸留させるそう。

 

 

 

こちら完成品のテキーラ。

ただ僕はアルコールアレルギーの

下戸なのでペロッと舐めるだけ。

ご丁寧に説明まで聞いたけど

カァーッとするばっかりで

全然美味しくない。

 

 

 

 

 

 

説明してくださったオーナーのホセさんと。

来春4月、東京で開かれる展示会に出展するため

自身のブランド「プントゥアル」を携えて

来日するそうです。

 

ご興味のある方はぜひ。

ただ、カァーッとするばっかりで

全然美味しくないですよ。

 

 

 

メキシコ本土、走行開始

2024.09.11

【153日目 8,959km】

 

 

バハカリフォルニアのゴール地・ラパスにて休養中。

滞在しているのは今回の旅で初めてとなる“ゲストハウス”。

世界旅行の定番ですが、カナダ・アメリカでは

旅人が集まるような観光地を訪れていないので

泊まる機会がありませんでした。

 

 

 

ゲストハウスの良い所は

大体キッチンが着いている点。

スーパーで買い物をすれば

野菜なり肉なり

自分の望むものが食べられるし

料理をすること自体が楽しい。

 

 

 

砂漠の水不足は深刻なため

手洗いで洗濯するのも禁止でした。

「近くの洗濯屋さん行ってちょうだい」

とのことで、お任せすると

¥800ほどとぼちぼちの値段。

水が無いからと1日遅れでの仕上がり。

 

 

 

写真整理にブログ更新、

船チケット購入などなど

細々した用事をこなすと

2日間の休養日はあっという間。

結局ラパスの街も軽く歩いた程度。

スキューバの名所らしいですよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてついに本土へ移動する日。

港は中心街から20kmほど離れていました。

19時発だけど、なぜか16時には乗船しなければならない。

暑さのピークとなる昼過ぎに宿を出て向かいます。

 

 

 

宿を出てほどなく

港方面に向かうトラックに

声を掛けられました。

普段なら断るけど、

今日は港までの小移動なので

ここは甘えてしまいます。

 

 

 

あっという間に港に到着。

19時に出港して

対岸のマサトランに着くのは明朝9時。

つまり船で夜を越すことになります。

普段自転車ばかりだから

ちょっとワクワクする。

 

 

 

ちなみにチケットは1万6千円。

もっと安く、日をまたがずに着く

船会社もあったけど

なかなか経験しない船旅を

楽しみたかったんです。

どんな部屋だろう…。

 

 

 

期待を胸にキャビンへ向かうと

飛行機のように椅子がズラリ。

実は、一番安いチケットでは

ベッドなどなく椅子だけ。

「ウソでしょ、船旅楽しみだったのに…」

スペイン語が理解しきれない為の失敗です。

 

 

 

乗り込んでしばらくすると

まだ出港前だというのに

食事の配給が始まりました。

ビーフの煮込みとトルティーヤなど。

メキシコ人の「そんなに辛くないよ」は

僕にとってはめっちゃ辛いです。

 

 

 

やがて日も暮れた頃に船は出港。

座席を倒しても、やはりじっくりとは眠れず

寝たり起きたりを繰り返しながら朝を迎えました。

 

 

 

朝の9時の到着したのは

海辺の観光地でもある「マサトラン」。

船上から街を見渡すと

高いビルも立ち並び

賑わいが感じられます。

メキシコ旅も次なるステージへ。

 

 

 

船の上で仲良くなったのは

自転車好きのフアン&カルロスさん。

バハの各所を自転車で走った

帰りなのだそう。

インチキスペイン語をなんとか

聞きとってくれました。

 

 

 

 

 

 

フェリーを降りたら、

勢い良くペダルを漕ぎ始める予定だったけど

椅子で寝たせいで、体が痛くイマイチ眠れてないので

今日は無理せずマサトランにて一泊してくことに。

 

 

港近くのホテルにチェックイン。

すぐに走れるよう朝到着の便を選んだのに

結局宿をとることになるなんて…。

言葉が上手く話せていれば、と思うけど

こういう小さなトラブルこそ

旅の醍醐味だと納得することにする。

 

 

 

 

 

 

 

 

宿のベッドでぐっすり眠った翌朝。

気を取り直して、いよいよメキシコ本土を走り始めます。

ここからまず目指すのは国内一大観光地である「グアダラハラ」。

5日もあれば着くだろうか…。

 

 

 

船で出会ったフアンさん達の

アドバイスに従って

“オウトピスタ(高速道路)”を

走ることに。

多くの区間は無料で

路肩がしっかり確保されてます。

 

 

 

「メキシコの高速なんて危なそう…」

と思っていたけど、

交通量はそんなに多くないし

スピード出す人もそんないないので

のどかな景色を眺めつつ

とても快適に走ることができます。

 

 

 

昼は町に着いてランチ。

まだ走り始めたばかりだけど

バハに比べると、

小さな集落でも人が多くて

活気があるように感じます。

バハが田舎だったんだろうな。

 

 

 

半島に比べると若干気温は下がり

30℃ほど。

少しは快適かと思いきや

こんどは体にドロっとまとわりつく

湿気がひどい。

日本の梅雨時のような不快な暑さ。

 

 

 

120kmほどを走って

夕方に「パルミジャス」

という集落に到着。

怪しい雲行きが気になってたけど

やはりしばらくすると

雨が降り始めました。

 

 

 

雨宿りもかねて飛び込んだ食堂。

日も暮れて雨も止まないことから、

閉店後にこの軒下で

寝させてもらいないかと

店主のおばあちゃんに

相談しました。

 

 

 

 

 

 

すると、いとこの家にベッドが空いてるからと

そちらで寝かせてもらうことに。

不安だったメキシコ本土での野宿ですが

なんと初日から幸運に恵まれました。

 

 

 

しかも、いとこの“ショーンさん”は

(↑上写真右側)

小学校の先生をされているとのこと。

話は進み、

翌日は学校の授業に

お邪魔することとなりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

翌朝。

集落の外れにあるのは100人あまりが通う公立中学校。

ショーンさんと一緒に朝7時前に来ました。

やたら早いから授業準備かなと思ったら、

なんと1時間目の始業が7時だそう。

 

 

 

各クラス10~20人ほど。

自己紹介をすると

生徒の子供たちは

旅について、日本について

あれこれと質問をしてくれました。

最終的に4つの授業に参加。

 

 

普段は英語を教えている

ショーンさんですが、

この日は近く行われる行事で

披露するダンスの練習を行っていました。

中学生にあたる子供たちですが

みんな素直で良い子そう。

 

 

 

楽しいひと時を終え

午前中で授業は終了。

午後からはショーンさん宅で

のんびりさせてもらうことに。

ただ、暑いしジメジメするしで

家の中にいても汗をかいてしまう。

 

 

 

ショーンさんお手製の晩御飯で、

食べよう食べようと思いつつも

出会えていなかった

サボテン(ノパル)を食べました。

炒めものだと味ははっきりしないですが

ネバっとした食感が独特。

 

 

 

 

 

ということで、メキシコ本土編に突入しました。

 

1日走っただけで、嬉しい理由での足止めもあり

これからの旅路にも期待が高まります。

ショーンさんありがとう!

 

 

 

バハカリフォルニア走破!

2024.09.7

【147日目 8,827km】

 

 

暑さにあえぎながら辿り着いたのは「ロレト」。

当初キャンプ場に泊まる予定でしたが、

熱帯夜による睡眠不足を考慮して宿をとりました。

 

 

 

エアコンの効いた部屋で

ベッドに埋もれる幸せ。

メキシコのWi-Fi環境はかなり良く

宿泊施設は当然の事、小さな食堂ですら

ネットワークを備えている確率が

かなり高いです。

 

 

 

到着翌日は休養日。

ロレトは“新大陸”西部への

キリスト教布教の拠点となった街。

中心部には石造りの教会が

堂々と構えています。

天気は毎日快晴。

 

 

 

ただ、炎天下での観光は地獄。

そもそも他の観光客なんて

ほとんどいないし、

お土産屋の人達も

日陰でぐでぇっと横になってます。

すぐ宿に戻ってのんびりしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日、体力も回復してロレトを出発。

目指すはここから400km南の「ラパス」。

バハカリフォルニアの南端にある港町です。

 

 

 

出発からほどなくして見つけた商店で

めったに飲まないエナジードリンクを

補給しておきます。

今日は標高500mを一気に登る

峠が待ち受けている。

暑くなければ何でもないんだけど。

 

 

 

昼前にいよいよ峠越えの始まり。

バハも後半になるけど

結局、ほとんどの道に

十分な路肩はありませんでした。

まあ交通量自体が多くは無いので

危険を感じることも少ないですが。

 

 

 

ギアを一番軽くして、

時速6kmくらいで

じわりじわりとペダルを踏み込む。

振り返ったときの

曲がりくねった坂に

達成感を覚え、また上を目指す。

 

 

 

メキシコの道路脇には

よく祠のようなものがあります。

影で見えにくいですが

中に祀ってるのは聖母マリア。

ベンチを置いてあることも多いので

座って休ませてもらう。

 

 

 

意外とスムーズに峠を上り切り

60kmを走った所で食堂を発見。

まだ15時だし走れそうだけど、

この先に何もない砂漠が数十km

続くようなので、今日はここに

寝かせてもらえないか、お願いする。

 

 

 

100ペソ(約¥700)で

泊ってもいいよ、とのこと。

シャワーもあるようなので

泊まっていくことにします。

風通しも良く涼しい屋内で

休めるのが嬉しい。

 

 

 

営業中だというのに

広々と絨毯を敷き

くつろがせてもらうことに。

結果的に19時の閉店まで

ほとんどお客は来ませんでした。

大丈夫なのかしら?

 

 

 

 

 

 

 

 

ロレト出発2日目。

食料も持ってるけど、売り上げ貢献のために朝食を注文。

まあ美味しいんだけど、豆と炒り卵で¥700は高いなあ…。

 

 

 

昨日の峠を上ってからは

ほとんど平坦な道が延々と

伸びていました。

いくつものサボテンが

どこまでも生えているわけでもなく

だいぶ退屈な道が続く。

 

 

 

バハカリフォルニアで涼しかったのは

海沿いの街エンセナダくらいで

結局、全行程3週間のうち

ほとんどを暑さに苦しみながら

走っています。

常に冷たい飲み物を求めている。

 

 

 

砂漠に現れるこんな商店に

いつも助けられています。

掘っ立て小屋みたいなお店でも

ちゃんと冷蔵庫があって

冷たい飲み物を用意してくれてるから

なんとも嬉しい。

 

 

 

昼には町に到着し、

路肩の屋台にてタコス休憩。

汗だくで食欲無いのに

焼きたてのタコスは

食べれちゃうんですよね。

すっかり魅了されてます。

 

 

 

午後からも

代り映えのないまっすぐな道を

ひた走る。

サボテンの絶景を堪能したバハも

もう終わりに近づいているようで

ちょっとだけ寂しくなる。

 

 

 

16時前には100kmを走り

「コンスティテューション」という

街に到着。

予想以上に栄えており

ヤシの木が並ぶ

綺麗な街のようです。

 

 

 

通りにいくつもホテルが並んでおり

試しに値段を聞いてみると

¥3,000ほどと

意外に安いことが判明。

今日は野宿の予定だったけど

宿に入ることに決定。

 

 

 

気温の下がらない熱帯夜が

何日も続くことで、

夜が来るのが嫌にすら

なりつつあるここ数日。

朝まで目を覚まさずに

眠ることがこんなにも尊い。

 

 

 

 

 

 

 

 

ロレト出発3日目。

今日はひたすらに砂漠を走っていく行程。

 

 

 

アメリカ国境から1,500kmも

離れていたラパスが

あとほんの155km先に。

順調にいけば

明日には到着できそう。

予定通りにここまで来れました。

 

 

 

アメリカ・カリフォルニア州では

46℃のヒートドームに苦戦しただけに、

35℃なんて余裕と思ってましたが

最後までヘロヘロになりながら

何とか進んでいるという状態です。

観光をする元気すらない…。

 

 

暑いばかりに野宿でなく

宿に泊まることも多かったぶん

地元の方との交流も

最低限に留まり、

町から町への移動ばかりとなった

バハカリフォルニアの旅。

 

 

 

110km近く走ったこの日の夕方。

道路わきの食堂で食事を済ませ

店主の人に、

ここで寝ても良いかと尋ねる。

快く許可をくれて

裏の敷地に寝させてもらうことに。

 

 

 

家の横にはズラリと

牛肉が干してありました。

メキシコに入ってから

ビーフを食べる機会が

すごく多いです。

タコスは圧倒的にビーフが美味しい。

 

 

 

水辺が無く蚊がいなければ

テントすら立てず、

絨毯の上にごろんと寝てしまいます。

この日は吹く風も冷たく

気持ち良く眠ることが出来た。

いよいよ、バハ走行もあと1日。

 

 

 

 

 

 

 

 

ロレト出発4日目。

若干ながらも起伏があり、朝から汗を流して進む。

 

 

 

商店のベンチでちょっと休むつもりが

30分近く寝落ちしてしまう。

確実に疲れは溜まってます。

でもこの日の光を避けて

日陰で休んでいる時間は

最高に気持ちが良い。

 

 

 

ゆるやかな坂を上り続け

昼過ぎには峠の頂きに到着。

ここを下ればもうラパスは

すぐそこ。

達成感もあるけど、

何より早く宿で休みたい。

 

 

 

向こうには数日振りに目にする

カリフォルニア湾が。

来週にはこの向こうの

メキシコ本土を

走り始めているのか。

先の事を考えるといつも不安。

 

 

 

街の郊外で食堂を発見。

かなり久し振りに

お米を食べる。

これがかなり美味しかったけど

メニューの名前を覚えてない。

またこんなの食べたいから調べとこ。

 

 

 

坂を下り切ってから

さらに10kmほど進むと

いよいよ市街地へやってきました。

ここまで人や車が多いのは

国境付近のエンセナダ以来。

バハは大きな街も少なかったな。

 

 

 

 

 

 

バハカリフォルニアのゴール地・ラパス、到着しました!

 

まだメキシコ入国から一か月も経ってないですが、

すごく長く感じています。

メキシコに対する漠然とした不安があり気疲れしたのでしょうか、

とりあえず初めのパートを無事に走り切りホッとしています。

 

ここで船を待ちつつひと休みしたら、

いよいよメキシコの本土へと渡っていきます!

 

 

 

バハを南へ進む日々

2024.09.1

【142日目 8,466km】

 

 

熱中症の疲れをとるためにも

ゲレロネグロの町では2日ほどお休み。

足の重さは残っているものの、疲労は絶えず付きものなので

全快を待たず

再び南に向けて漕ぎ始めます。

 

 

 

ここからバハカリフォルニア半島も

後半戦に突入といったところですが、

景色はこれまでと変わらず

サボテン砂漠。

もう半島にいる間は

最後までずっとこれなんだろうな。

 

 

 

そして砂漠の真ん中に現れる町にて

お昼の休憩。

メニューなんやかんや書いてるけど

聞くとタコスしかない。

 美味しいからいいんだけども、

もっといろんなメニューに挑戦したい。

 

 

 

この日は、アラスカ出発以降

一番といっていいほど、

まっ平らな道のりでした。

坂もなく風も吹かなければ

時速25kmはでます。

勢いに乗ってぐんぐん進む。

 

 

 

出発時、全く意気込んでなかったのに

今回の旅の一日の最長距離144km

を走破してしまいました。

しかもまだ夕方16時半、

サンリノという小さな集落に到着。

さらに砂漠が続くので今日はここまで。

 

 

 

事前情報に従って向かったのは

「La Casa del Cyclista」

“サイクリストの家”という場所。

一般のお家なのですが

100ペソ(¥750)で

サイクリストを泊めてくれるそう。

 

 

 

庭先にテントを張らせてもらいます。

さらにシャワーもWi-Fiもついて

大助かり。

夕食は久しぶりのインスタントラーメン。

メキシコに浮かれ奮発しすぎなので

“1日1タコス”ルールが制定されました。

 

 

 

 

 

 

 

 

メキシコで大変なのは飲料水の確保。

 

アメリカ・カナダでは簡単に手に入った水ですが、

メキシコの水道水はとてもじゃないけど飲めたものじゃありません。

ということで各家庭はこちらの「ガラフォン」という

10Lの大きなボトルを購入して飲料水としているのだとか。

 

なので道中は1.5Lのペットボトルを購入するか、

このガラフォンから頂けるときは頂いて走っております。

 

ちなみに走行中は3L程度持ち運んでいます。

地図を見る限り、メキシコは1日中ずっと町がなく

補給ができないことはなさそう。

 

 

 

ゲレロネグロ出発2日目。

昨日ずっと平らだった分、

今日は朝からなだらかながらも

起伏があります。

そして、海辺のゲレロネグロを離れて

また暑くなり始めました。

 

 

 

いくつかの坂を越えた昼前、

目の前に真っ青の海が広がりました。

こちら半島の東側「カリフォルニア湾」。

すかっと気持ちの良い景色な気がするけど

太平洋側と違い、熱気がこもって

全く涼しくないです。

 

 

 

海沿いにやけに鳥が多いな、と

思っていたら

大規模なゴミ捨て場がありました。

ちゃんと管理されてるんだろうか、

異臭がすさまじいです。

暑さもあいまって、くらくらする。

 

 

 

さらに少し走って

「サンタロサリア」という町へ。

この時の気温は32℃。

最近の世界情勢を考えると

大したことない数字に感じてしまうけど

かなり暑いです。

 

 

 

そして今日のタコス。

海辺の町の定番は

白身魚やエビのフライ。

これに唐辛子のソースをかけて

ライムを絞るのが美味しいんです。

一つでおよそ¥300。

 

 

 

引き続き海沿いを南へ。

左手に海を臨むけども

風も吹かないし全然気温が

下がらない。

バハカリフォルニアの後半、

暑さとの戦いはまだ続きそうです。

 

 

 

90kmほど走った所で

海辺にキャンプ場を発見。

ところが受付が見当たらず

係の人も誰もいない。

勝手に泊ってしまうことに。

シャワーも浴びれたしラッキー。

 

 

 

夜になってもなかなか気温は

下がらず30℃。

暑さにうなされながらふと

頭上を見上げると、

これまでの旅路でも

最高の星空が広がっていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

ゲレロネグロ出発3日目。

テントの向こうには空を綺麗に染め上げる朝焼け。

ただ熱帯夜が続いているので、基本的に夜は熟睡できません。

日毎に疲労は溜まっていく。

 

 

 

ただ良いのか悪いのか、

どれだけしんどくても

サドルにまたがってしまえば

足は動いてしまうサイクリストの性。

9時5時で働く公務員のように

今日もきっちり走っていきます。

 

 

 

ルート上、最も暑くなると

予想していたのが

アメリカ南部からメキシコにかけて。

予想はしていたものの

やはり実際に走ると

決して楽ではない。

 

 

 

アラスカの寒さも厳しかったけど、

着込むことで夜は眠れていました。

あの時は「早くメキシコへ」と

ずっと考えていたけれど

今は雪山の景色が懐かしい。

道端で出くわすクマが恋しい。

 

 

 

せっかく世界を旅してるのに

よその土地に想い焦がれるなんて

もったいないとふと考えてしまう。

寒さに耐え、暑さを忍んで進んでますが

各土地の快適な時期に

旅行をした方がいいと思います。

 

 

 

カリフォルニア湾の海沿いは

起伏が激しいけれど、

透き通ったビーチを楽しめる

バカンス地にもなっています。

アップダウンを繰り返すたびに

次のバカンスホテルが姿を現す。

 

 

 

ふと道路の横を見ると

サボテンのてっぺんにちょこんと

乗っているのはコンドル。

20羽ほどのコンドルが皆

同じ方向を眺めていました。

なにを考えてるんだろうか。

 

 

 

90kmを走った1日の終わりに

ビーチに建つレストランを発見。

この日は営業してないものの

アメリカ人のオーナーさんに

宿泊許可を頂きました。

しかも、シャワー付き。

 

 

 

治安面も含め心配だった

メキシコの宿泊事情ですが、

バハカリフォルニアに関しては

毎日スムーズに

野営場を見つけられています。

砂漠地域が広いからかもだけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

ゲレロネグロ出発4日目。

蚊も出ないので、ビーチに絨毯とマットだけ敷いて

寝ていました。

 

実はオーナーさん曰く、

「このビーチでは、深夜の1時から3時頃

東の空に不規則に動く光が観察される」とのことでした。

 

暑さで上手く眠れないこともあり1時頃起きてたのですが

残念ながら何も発見できず。

メキシコ滞在中、UFOを目撃することはできるでしょうか。

 

 

 

引き続き今日も海沿いを進みます。

暑さには悩まされているものの

思いのほか順調な

メキシコ旅。

どこか淡々と日々が

進んでいるように感じる。

 

 

 

午前中、割と大きな峠があり

自転車を押しながらなんとか

乗り越えました。

ただバハカリフォルニア、

どこを撮ってもサボテンばかりで

山の過酷さが伝えられない。

 

 

 

助かるのが、

こんなに広い砂漠でも

何故かポツンと商店や食堂が現れて

最低限の補給が出来てしまうこと。

100km以上の無補給は

ほとんど無いのではなかろうか…。

 

 

南に下りるにつれて

徐々に気温が上がっているようです。

午後になるとものすごい汗が。

半島から本土に移れば

若干なりとも暑さは和らぐようなので

はやくバハを走り切りたい。

 

 

 

夕方、飲み物目当てに寄った商店で

お母さんがサボテンのトゲを

取り除く作業をしてました。

一つ頂いたけど、

そのままでは味もないし微妙。

サラダに入れると美味しいそうです。

 

 

 

 

 

 

そして100kmを走り「ロレト」に到着。

 

あまりに睡眠がとれていないので

この街で少し休むことにします。

バハカリフォルニアの最終地・ラパスまで

あと400km。

 

 

 

サボテン砂漠で暑さにやられる

2024.08.27

【138日目 8,042km】

 

 

バハカリフォルニアの砂漠の真っ只中、

道脇に佇む商店の隣にテントを張らせてもらい一泊。

 

目を覚ましテントを出ようとすると、

「あれ、サンダルが片っぽない…」

周りを見回すと、飼われてるのか

野良なのかわからない3頭の犬。

 

英語もスペイン語も通じない相手に問い詰めようもなく、

周辺を探すも見つからず。

悔しいけどあきらめることにしました。

“犬にしがまれる”という第二の人生を精一杯歩んでください。

 

 

 

 

前日同様、乾ききった

荒野の山間部を進み始めます。

ただ標高はこれ以上あがることなく、

アップダウンを繰り返しつつも

道は真っすぐと続いているようです。

車はかなり少なめ。

 

 

 

道の脇には背の高いサボテンが

たくさん生えています。

イメージしていた通りの

メキシコの砂漠の風景。

青空に向かって

高々と真っすぐ伸びている。

 

 

 

 

昼前、道端にカフェを発見。

ドリンクを買おうとするも

財布には500ペソ札しかなく。

(およそ¥4,000相当)

「そんな大きい金額、お釣りがねぇよ」

と店主。

 

 

 

アジアやアフリカの途上国でもあったけど、

お金はあるのに買い物ができないという状況。

ボロボロのお店で当然カードも使えるはずはなく。

残っていた米1ドル札で何とかまけてもらいました。

まだ頭がアメリカからメキシコモードに変換できていない。

 

 

 

南北300kmにもなる

砂漠の一本道。

正午を過ぎ太陽が真上から

照り付けるとかなり暑い…。

喉がからからに乾いても

ひたすら前へ。

 

 

 

15時頃に「カタビニャ」という集落へ。

予想以上に小さな村だけど、

最低限の商店はあって

冷蔵庫で冷えたドリンクで喉を潤す。

こんな砂漠のど真ん中で

どうやって暮らしてるんだろう…。

 

 

 

食堂もあり、

遅めのランチをとることに。

これだけ暑くても

トルティーヤは美味しい。

アメリカに比べてタンパク質が

かなり摂りやすくなったな。

 

 

 

さらに夕方からもうひと踏ん張りして

進むことに。

サボテンと岩に囲まれた

独特の道を走る。

暑くさえなければじっくり

写真でも撮って行きいたいくらい。

 

 

 

18時頃、道路わきの

人目を避ける場所で

テントを張ることに。

この日も35℃くらいでしょうか、

日が暮れても気温が下がらず

暑いまま…。

 

 

 

地面に寝そべって星を眺める。

ただ、肉眼では割と綺麗なんだけど

ちょうど満月で上手く撮影はできず。

サボテンと星のコラボ撮りたかったのに。

夜が更けても煌々と明るい

砂漠の夜でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

翌朝、目を覚ますとビックリ。

テント内に数えきれないほどの

アリがいるではないか!

 

どこから入ったのかと必死に探すと、

なんとテント底面の布が食い破られていました。

適当に置いていた菓子パンの匂いに誘われ集まったよう。

(※本当に焦って夢中で処理したので写真がありません)

 

 

 

他にも未開封の状態で

ジップロックに入ったシリアルバーも

袋が破られ山ほどたかっていました。

過去の野宿経験でも

ここまでアリにやられたのは

流石にはじめて。

 

 

 

加えて自分自身の体にも異変が…。

僕は超朝型人間なので

起きたらテキパキ行動できるのですが、

今日はどうにも体がだるい。

漕ぎ始めても

いつにも増して足が重い。

 

 

 

でも気分が悪いわけでもなく

ただ体が重いという感じ。

しかし砂漠の真ん中でうだうだ

考えても仕方ないので

目の前にある道をただただ

進むことに専念する。

 

 

 

昼前、道の脇に小綺麗な

レストランを発見。

疲れた体にタコスが染み込む。

食欲ない気がするけど

体が肉を求めてるんだろうな。

ペロリと平らげてしまいます。

 

 

 

ひと休みして、また漕ぎ始めると

やはりいつものようには

体が動かない…。

意識ははっきりしてるのに。

ここでふと、冷静に気づきました。

「あぁ、多分コレ熱中症だ」

 

 

 

自転車旅をしてると

不思議なもので毎日100km漕げてしまいます。

“ランナーズハイ”的なものなのか、

何日も続けて走ってる時こそ逆に調子が良かったりもして。

 

アラスカから数千kmを走ってきて

「今日はもう無理」なんてことはほとんど無いんです。

だからこそ、この時は異常でした。

間違いなく体が進みたがってないのが分かる。

 

 

 

普段一日走り終わると

炭酸ジュースを飲むんですが、

脱水症状気味になると

これが喉を通らなくなるんです。

もうスポーツドリンクしか飲めなくなる。

色んなカタチで体はサインを出している。

 

 

 

そんな時、アメリカから仕事で来た

ドライバーさんから水をもらう。

水もだけど、英語を話せるとホッとする。

まだ国境も近いし、メキシコの人って

割と英語話せると思っていました。

予想以上に英語は通じません。

 

 

 

ところどころに現れる商店で休みつつ、

なんとか予定の集落を目指す。

今日もおそらく熱帯夜だから

テントで寝られる余裕なんてない。

はやくベッドに倒れこみたい。

ただ無心で前へ前へ。

 

 

 

そして夕方6時前、

「プンタ・プリエタ」到着。

モーテルを見つけ、

フラフラになりつつ

なんとかチェックインを済ませました。

そして部屋の扉を開けようとすると…

 

 

 

ドアノブを掴んだ腕の筋肉が

シュルシュルと縮んでいく感覚。

「あーーー!!つるつるつる!つる、つるうぅーー!!」

 

 

 

後ほど落ち着いて調べてみると

“筋肉のけいれん”や“こむら返り”は

典型的な熱中症の初期症状だそうですね。

今日ずっと足が動かなかったのもこのせい。

水分・塩分不足はもちろん

暑さで上手く眠れてないのも良くないみたい。

 

 

 

 

 

 

続く朝も体のダルさは取れていないけど

今日走ればスーパーのある町に着けるので、

気合を入れてなんとか漕ぎ始めます。

 

 

 

砂漠に突入してから3日目。

横を見ればこんな景色が

延々と広がっています。

この向こうに海がある。

全部脱ぎ捨てて

ジャボンと飛び込みたい。

 

 

 

これまでの旅の経験で

寒い方が絶対しんどいと

思っていましたが、

必ずしもそうでもないかもしれない。

氷点下のアラスカでも

走行中に凍えることはなかったし。

 

 

 

途中、軍隊による検問がありました。

自転車の荷物を検査されることはなく

「ここで休んでいきな」と

冷たいドリンクを頂きました。

しんどい時だからこそ

人の優しさが心と体に染み渡る。

 

 

 

ペダルを強く踏み込むような

上り坂がなかったこともあり、

思いのほかスムーズに100km走破。

この日の目標としていた

「ゲレラ・ネグロ」に着きました。

ちょうど半島の真ん中あたりです。

 

 

 

海辺の町はホエールウォッチングの

有名スポットだとか。

町の入り口には、大きなクジラの

骨格が飾られていました。

せっかくだし見たいな、と思ったけど

日本も太平洋に面してるし見れるよな。

 

 

 

すぐにモーテルへチェックイン。

300kmの砂漠を抜けた

疲れを振り払うように、

ベッドに倒れこみました。

流石にすぐ動けそうにないので

しばらく休みをとることに。

 

 

 

 

 

 

 

 

到着翌日。

ゲレラ・ネグロの町そのものにはさほど見所が無いようで

ガランとしており、人も少ない。

熱中症による疲れもひどいので、完全なる休養をとりました。

 

 

 

これまでゆっくりと見れていないスーパーを覗いてみます。

2か月続くメキシコ旅の物価チェックをしておかねば。

※現在、メキシコ1ペソは8円弱。

 

 

 

玉ねぎ1つ¥110、

リンゴが1つ¥250。

肉はもちろん種類によるけど

大体100gが¥80~110。

コカ・コーラ600mが¥140、

1リットルの水も¥140。

 

 

 

牛乳1リットルあたり¥180、

卵10個あたり¥260。

つまりスーパーに並ぶものは

ほとんど日本と同じくらいなんです。

食事も安い食堂でも1食につき

¥1000弱はしてしまう。

 

 

 

 

メキシコは何となく物価の安いイメージがあり、

ほぼレストランに行けなかったアメリカ・カナダの反動で

タコスを食べまくっていますが、

これを続けてしまうわけにはいかない。

 

アメリカを出て安心したけど

まだまだ貧乏旅をしなければいけないようです。

 

 

 

メキシコ走行開始!

2024.08.23

【133日目 7,731km】

 

エンセナダではのんびり3日も滞在。

情報を整理して準備を整えると

バハカリフォルニアを南へと下っていきます。

いよいよメキシコ本格走行開始。

 

 

 

国境のティファナからエンセナダまでは

無機質な高速道路沿いを

進んでいたので、

ここから本格的にメキシコという

国を走り始める感覚。

期待半分、不安半分。

 

 

 

いつくもの集落を通過していきますが

とにかく埃っぽい。

砂まみれの道であるうえ

交通量が多いから

景色がくすんでみえます。

トラックが横通ると特にヒドい。

 

 

 

海沿いということもあって

空気が滞留しないからか、

昼過ぎでも気温はおそらく30℃ほど。

汗が滝のように流れることもなく

快適に走ることが出来ます。

田舎道は特に気持ち良い。

 

 

 

80kmほど走った「サン・ビセンテ」

の集落にてモーテルへ。

エンセナダのトーマスさん宅の

水道の調子が悪く4日ほど

シャワーを浴びれておらず。

どうしても浴びたかったんです。

 

 

 

1泊が¥3,000あまり。

1万円以下では泊まれなかった

アメリカと比べると

一気に安くなりました。

温水も出てWi-Fiもついて

十分快適です。

 

 

 

夕食は近くの食堂へ。

なんやかんやメニューが並んでいますが

基本はトルティーヤで包む具材を

何にするか、というチョイス。

ビーフとチキンが定番のようで

ケサ(チーズ)が入れば絶対美味しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

エンセナダ出発2日目。

宿の前の屋台で朝食を済ませます。

やっぱり路上で食事が食べられる国が好きだ。

 

 

 

運転が荒いのでは、と懸念していた

メキシコのドライバーですが

なんらアメリカ・カナダと変わりません。

猛スピードで追い抜かされることも

ものすごく接近されることもなく。

ボロボロの車は多いけど…。

 

 

 

 

 

お昼には小さな集落

「エヒード・プンタ・コルネット」

に到着。

多少スペイン語は勉強してきたけど

メキシコは料理名や地名が

長くて難しすぎます。

 

 

 

タコスやブリトーは

生野菜をしっかり摂れるのも

嬉しいところ。

トマト、玉ねぎ、パクチーにキャベツなど。

“ワカモレ”というアボカドを

すり潰したものは必須です。

 

 

 

ランチを済ませるとお昼寝タイム。

エンセナダのお土産屋さんで

絨毯をゲット(¥2,000)。

乾燥した地域だと

日陰がすごく涼しくて気持ちがいい。

1時間近く爆睡しました。

 

 

 

バハカリフォルニア半島は

“1号線”が貫いており、

南北に移動するには

ほぼこの道路しかありません。

必ずしも整備状況が良いわけでなく

路肩が無いこともしばしば。

 

 

 

目的の町「サン・キンティン」

が近づいた夕方。

予想を超えて栄えており

一気に交通量が増えてしまった。

みんなゆっくりだから危なくはないけど

かなりすれすれを追い越されていく。

 

 

 

昼寝のし過ぎで到着が

遅くなってしまい、賑わう街に

野宿場を探す余裕が無くモーテルへ。

アメリカより安いとはいえ

毎日数千円を使うわけにはいかない。

気を引き締めねば。

 

 

 

そして、タコスでも何でも

1食¥800ほどは掛かってしまいます。

物価大国アメリカのせいで

感覚がマヒしてますが

実は今のメキシコ

ものすごい安いわけではありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

エンセナダ出発3日目。

気を引き締めねば、とか言ってるそばから

食堂にて朝食。

だってメキシコ料理の誘惑が…。

 

 

 

向こう側に見える太平洋。

曇り気味なこともあって

午前中のうちは少し寒いほど。

ただ今日は内陸の砂漠に

突入するので、海ともお別れ。

暑くなっていくんだろうな…。

 

 

 

海に沿って南に向いていた道が

内陸側に曲がると

山が増えて、道の起伏も

激しくなって来ました。

時には自転車を押しながら

せっせと進んでいく。

 

 

 

 

昼には「エル・ロサリオ」

という集落に到着。

スーパーもあるので

これから向かう砂漠に備え

食料や水などの

買い出しをしておきます。

 

 

 

午後からいよいよ山間部へ。

これまで一定間隔で集落がありましたが

ここから300km近くは

砂漠地域広がっています。

海から離れることで

気温も上がり始めました。

 

 

 

メキシコ入国以来、

涼しい日が続いていたけど

このあたりから気温は35℃。

アリゾナの災害級の暑さじゃないにしろ

やっぱりしんどいです。

熱くなった水で喉を潤す。

 

 

 

最も高い場所でも

標高800mほどだけど、

いくつもアップダウンを繰り越すので

1日の獲得標高は1,000mを

越えます。暑くさえければ

なんてこと無いんだけども…。

 

 

 

夕方、荒野のなかにポツンと佇む

商店を発見。

トラック運転手向けでしょうか、

おじさんが一人で営んでいました。

冷蔵庫もあり冷たいドリンクを買って

今夜はテントを張らせてもらうことに。

 

 

 

モノに溢れ便利すぎるアメリカ・カナダから

やって来た国メキシコ。

 

物価も高いのか安いのか分からないまま

あれこれと手探りですが、

なんとか前に進み順応していきます。

 

 

 

33ヵ国目・メキシコ

2024.08.19

【129日目 7,440km】

 

 

アメリカ最後の街・サンディエゴにて

しっかり疲れを癒すと、いよいよ国境越え。

楽しみでもあるけど、やっぱり不安もあります。

 

 

 

街の南にある国境までは

わずか40kmあまり。

「自転車コースがあるから

オレも一緒に走って案内するよ」

と、ホストのショーンさんと共に

青空の下を進みました。

 

 

 

途中で、フランスからやって来た

ファミリーサイクリストと遭遇。

実は今夜ショーンさん宅に泊まることに

なっている次のゲストさんでした。

家族5人でメキシコを下っていくそう。

メキシコでまた会えたりして。

 

 

 

ショーンさんとも別れ、

サンディエゴ中心部から

さらに南へ下り続けると

大きなショッピングモールが現れました。

この辺りが国境らしいけど、

よく分からないので人に聞いてみる。

 

 

 

教えてもらった方へ行くと

拍子抜けするほど

質素な国境審査の入り口が。

移民流入、麻薬取引など

多くの問題を抱えてるそうだけど

国境は本当にシンプル。

 

 

 

そのまま中に進むと、

X線の荷物検査があっただけで

5分ほどでメキシコ側に抜けてしまいました。

 

気づけばパスポートのチェックすらしてもらっていません。

僕が入国した記録がどこにも残っていない状態だけども

本当にこれでいいのかしら。

疑問に思いつつも、もう審査所に戻ることもできないので

そのまま街へ向かうことにします。

 

 

 

 

 

 

 

 

ということでやってまいりました

33ヵ国目となる「メキシコ合衆国」。

 

タコスやトルティーヤに代表される伝統料理が

とても魅力的な国。

アメリカ、カナダとうって変わってスペイン語圏となり

コミュニケーションが難しくなってしまうのも、

逆に旅の楽しさの一つになると信じています。

 

ちょっとしたトラブルもありそうではありますが

南北アメリカにおいてもっとも期待していた国の一つ。

 

 

 

国境を越えた瞬間の

雑多な雰囲気につい圧倒され

カメラを取り出すこともなく

15分ほどで予約していたホテルへ。

下水の鼻をつく臭いは

やっぱりアメリカと違う。

 

 

 

 

 

 

ショーンさん宅を出発したのが14時頃と遅く

ホテルにチェックインしたころには日が暮れかけていました。

やってきた国境の街ティファナは治安が良くないとのことだったので、

へたにうろちょろせず今日は近くの中華レストランで済ませることに。

 

すると、カード社会のアメリカから来たからこともあり

現金を下ろすのを忘れており財布がスッカラカン。

 

会計時カードが使えず、暗くなった街でATMを探すはめに。

近くのスーパーですぐ見つかったからいいものの

旅人の感覚がすっかり抜け落ちてます。

 

 

 

 

 

 

 

 

翌朝。

ほんとうはティファナの街にしばらく滞在して

メキシコ文化に慣れておきたかったのですが、

アメリカに近くホテルの料金も思いのほか

高かったので(¥5,000)

すぐに移動することに。

 

 

 

今いるティファナから

2か月半かけてカンクンを目指す予定ですが、

まずは西部の“バハ・カリフォルニア”という

半島部分を走っていきます。

海に囲まれた砂漠の景色を走っていくのが楽しみ。

 

 

 

ティファナは坂の町で

道は絶えず上に下にと

うねっています。

アメリカほどしっかり

車線が引かれてないけど

そんなに運転も荒くない印象。

 

 

 

街を見下ろすと

家がひしめき合うように

建っていました。

言ってしまえば“ぐちゃぐちゃ”な

感じがアフリカやアジアの国のよう。

綺麗な国からくるとビビってしまう。

 

 

 

ホテルから30分ほど海の方へ

向かって走ると、

国境の壁にたどり着きました。

公園として整備されており

銃を持った兵士が見守っている

わけではありません。

 

 

 

ただ、ここまで大きな壁というのも

見たことは無いので

それだけ不法入国を

企む人も多いということだろうか。

隣り合う国の格差が大きいと

こうなってしまうんだろうな。

 

 

 

 

 

写真を撮って「さぁ出発」と思ったときに

声をかけてくれたのは“ダンさん”。

北米から中米にかけて自転車旅をしたことがあるらしく

僕に興味をもってくれたそう。

 

 

 

「今日走るのに水がいるよね」と

手元の水をくれました。

容器をのぞくとなにか

葉っぱが浮いている。

「ハマイカ」と呼ばれるこれ、

正体はハイビスカスです。

 

 

 

健康にとてもいいらしく

日本人にとってのお茶みたいなもの。

赤みがかってほんのり香ります。

こういう「何これ!?」ってのが

カナダやアメリカには無かったな…。

文句じゃないんですよ。

 

 

 

 

 

 

さて、いよいよ本格的に走り始めます。

目指すは南へ100kmの街「エンセナダ」。

アメリカで聞いたアドバイスに従って

高速道路の路肩を走ることに。

しれっと料金所の端を抜けてゆく。

 

 

 

聞いていた通り

かなり路肩に幅があり

安心して走ることが出来ます。

山はないけど、海沿いには崖もあるので

意外と起伏は激しい。

時に立ち漕ぎをしながら必死に漕ぐ。

 

 

 

途中横切ったビーチには

人も凄いけど、車もびっしり。

こないだサンディエゴで足だけ

海に浸かったけど、冷たくて

入れたもんじゃないけどな。

一応8月だしシーズンなようです。

 

 

 

問題なく100kmを走り切り

夕方には目標の街・エンセナダへ。

看板の文字がスペイン語なのは

違うけど、走ってる分には

まだアメリカと変わった気がしない。

南に行くと“濃く”なってくんだろうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

街に到着して向かったのは

Warmshowerのホスト“トーマスさん宅”。

欧米が中心ではあるものの世界中に

登録者のいるサイトなので、

今後もチャンスがあれば利用していきます。

 

 

これまでに300人近くもの

旅人を受け入れてきたという

トーマスさん。

これから進む道のアドバイスを頂き

わずかながらもメキシコの

不安がやわらぎました。

 

 

 

 

 

 

 

 

到着翌日はエンセナダの街をぶらついて

メキシコの雰囲気に慣れておくことに。

街の風景からして、やはりこれまでの国とは大きく違う。

 

 

 

太平洋に面する港町である

エンセナダ。

アメリカから大きな客船がきて

たくさんの観光客がやってくる

場所でもあります。

海辺をゆったり歩いてみる。

 

 

 

魚市場にはあらゆる種類の

海産物がズラリと並びます。

魚だけでなく

エビ、タコ、牡蠣など

本当になんでもありました。

これまで海岸を走ってないから新鮮。

 

 

 

こういう安っぽいお土産を

これでもかと店先に並べるのも

アメリカ・カナダには無かったな。

客引きがひどいなんて

評判も聞いてたけど全然

そんなことなかったです。

 

 

 

 

 

中心部を離れても

波が押し寄せるビーチはどこまでも続いています。

平日だというのにすごい人。

 

 

 

もちろんビーチタウンということで

サーフィンも盛ん。

釣りとかもできるんだろうけど、

僕は“海の趣味”を持ってないんです。

せっかく湘南に住んでるんだし

日本帰ったら、なんかやろっと。

 

 

 

 

 

 

そして、メキシコといえば“タコス”。

トウモロコシの粉でできた生地を焼いて

各種肉に玉ねぎ、パクチーをのせ

唐辛子のソースとライムをかけてかぶりつく。

もうこれは、滞在中飽きることないだろうな。

 

1個が大体¥200~300で

男性なら3個は食べたいところ。

 

 

 

そんなエンセナダで

一番おいしかったのは味噌ラーメン。

「入国初日も中華だったし

メキシコ料理食べろよ」

という風に

思われるかもしれません。

 

 

 

でもね。

数カ月にわたって旅してると

まずは日本はじめアジアの料理が食べたいんです。

それか、自転車で旅してるときは

野菜とか高たんぱくな肉とか

栄養のあるものを体が求めます。

 

つまり、地元の料理を堪能しようなんてのは

ある程度お腹が満たされてからの話ってこと。

(誰に対して言い訳をしてるんでしょうか。)

 

 

 

 

 

 

街の自転車屋さんでゲットしたのは“バックミラー”。

ティファナから出発して道路脇を走っているときに

警察に停められて、

「付けた方がいいよ」とアドバイスをもらっていました。

 

カナダの時点で探してたんですが

良いのが見つからず、

ここへきてやっと入手。

 

全方向にしっかり目を配らせて

安全第一でメキシコの道を進んでまいります。

 

 

 

 

国境の街・サンディエゴへ

2024.08.14

【125日目 7,261km】

 

 

酷暑の中たどり着いたカリフォルニア最初の街「ブライス」。

半分、熱中症になっていたのだと思うけど

モーテルに逃げ込んだ翌日はほとんど体も動かず

寝たきりで1日を過ごしました。

 

 

 

天気予報を見ても46℃の高温は

どうやら数日続くよう。

“ヒートドーム”と呼ばれ

熱気がドーム状に籠ってしまうという

アメリカで発生しがちな現象だそうです。

通りには誰も歩いていない。

 

 

 

「どうしようか?」とまともに

思考できるようになったのは

モーテル滞在2日目。

この先には本格的な砂漠もあり

自転車で走ることは

現実的ではなさそう。

 

 

 

 

 

 

ブライス到着3日目。

走れるところまで走って、

砂漠地域をヒッチハイクで進むことにしました。

ここまで自走でやって来ただけにかなり悔しいけど

こればかりは仕方ないと、腹をくくることに。

 

 

 

ブライスのモーテルから

30kmほど南に下りたところで

砂漠の入り口に到着。

午前中だけどすでに気温は

40℃を越え汗はダラダラ。

商店で買ったドリンクを流し込む。

 

 

 

覚悟を決め商店の前で

ヒッチハイクを始めるのですが、

思いのほか車の数が少ない。

「1時間足らずで捕まるっしょ」

と思ってたけど、この調子では

すんなりいきそうにありません。

 

 

 

すると見かねた商店のおばちゃんが声を掛けてくれました。

「あんたさっきまで自転車漕いでて、

また太陽の下に立ってるとホント死んでしまうわよ。

私が友達に掛け合ってみるから、店の中で涼んでなさい」

 

ということで、お言葉に甘えて休ませてもらい

さらには車の手配までお世話になることに。

 

 

 

ちょうど夕方に砂漠を越えた街に向かう

お友達がいるとのことで

しばらく待った後、

無事に載せてもらうことが出来ました。

何から何まで取り計らってもらって

もうお礼のしようもない。

 

 

 

広がる砂漠は距離にして110km。

曲がりくねって視界が悪いうえに

路肩が無くすごく危険な道でした。

暑くなくてもここは漕ぎたくなかった。

ヒッチハイクはなるべく避けたかったけど、

これは正しい判断だったな。

 

 

 

快く載せてくださった

“ジェイさん&サニーさん”ご夫妻。

車で1時間以上もの距離を

乗っけてもらい本当に助かりました。

自転車漕げない時にだって

その時ならではの出会いがあるもの。

 

 

 

砂漠を越えたとはいえ

まだ“ヒートドーム”の範囲内で、

夜は38℃なのでモーテルに泊まることに。

ただここから1日走れば

山を越えて一気に気温が下がるはず。

早く海を拝みたい…。

 

 

 

 

 

 

 

 

ブライス出発2日目。

気温は35℃を越えているだろうか、朝から暑いけど

雲が厚いのが幸い。

少しでも早くヒートドームから外へ。

 

 

 

しばらくするとハイウェイに合流し

路肩を走り始めます。

一見怖いけど、幅がかなり広く

多くのドライバーは

余裕をもって避けてくれるので

意外に落ち着いて走ることが出来る。

 

 

 

 

少し疲れを感じ始めた昼前、

一台の車が止まり

ヒンヤリ冷たい水と

粉末の経口補水液をもらいました。

喉がカラッカラに乾いていたので

最高に嬉しい。

 

 

 

そして午後からは山越え、

20kmにおよぶ上り坂です。

ただここを越えてしまえば

ヒートドームの外側に出て

灼熱地帯に別れを告げられる。

じわりじわりとペダルを踏み込む。

 

 

 

坂を上り始めて2時間ほどしたころ。

後ろからパトカーがやってきました。

「あー、そこの自転車止まりなさい」

 

“へっ?何か悪いことしたかな”と思いつつ

耳を傾けると、

「さっき道端でサイクリストがぶっ倒れてるって通報はあったんだよね。

君、まだ坂続くけど大丈夫なの?」

仰向けで大の字に寝そべって休憩していたのを、

どなたかが心配してくださったようでした。

わざわざ警察まで動かしてしまって申し訳ございません。

 

 

 

警察が去ってから数分後、

さらに別のドライバーが停まってくれます。

「もうすぐで頂上だから頑張れよ!」

アメリカ旅最終局面にして、

この日は本当に

沢山の思いやりを受け取っています。

 

 

 

そして夕方18時頃、

ついに峠の頂上へ。

1日で1,000m上りました。

そしてついにヒートドームの外側へ。

30℃前後でしょうか、

疲れてるけど滝のような汗は流れない。

 

 

 

少し進んで「ジャコンバ」という

小さな集落へ。

公園を見つけてテントを張ります。

日が暮れるころには空気もひんやり、

暑さにうなされることなく

気持ち良く爆睡させてもらいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

ブライス出発3日目。

山岳地帯を進んで目指すは海辺の街「サンディエゴ」。

今日がアメリカ走行最後の日です。

 

 

 

道の左手に目を向けると、

メキシコとの国境に立ちはだかる

無骨で物々しい壁が

どこまでも続いています。

色んな国を走ったけど、こんなに

大きく長い国境壁は見たことない。

 

 

 

このまますぐに南下して

メキシコ入りすることもできるのですが、

せっかくここまで来て

アメリカ西海岸の“バイブス”を

一度は 感じておきたかったので

サンディエゴを目指しています。

 

 

昨日、汗かいて上った坂を

今日は一気に下っていく。

ただあまりに急すぎて

ブレーキを必死に握って下るので

そんなに早くは進めません。

安全第一。

 

 

 

坂を下り切ったお昼過ぎ、

道のわきに小さな商店を発見。

おそらく1番気温が高い

時間帯だろうけど、

それでも30℃ほどでしょうか。

山を越えたとたん気候が変わりました。

 

 

 

さらに1時間ほど走ると

いよいよ交通量も増え、

都市の様子を感じ始めます。

しかも自転車道が整っており

予想よりもかなり走りやすい。

都市は好きじゃないけど、良い気分。

 

 

 

 

 

 

そして遂に到着しましたアメリカ南西部、

国境の街「サンディエゴ」。

雲一つない青空に向かってまっすぐ伸びるヤシの木。

あぁ、西海岸。

 

 

ルートの都合もあり、今回の旅で

アメリカの大都市を訪れるのは初めて。

中心街の高層ビル群も新鮮。

といってもサンディエゴの人口は

100万人程度なので、

“ぼちぼち”の大きさですが。

 

 

 

 

 

 

 

サンディエゴではWarmshowerのホスト

“ショーンさん&キャリーさん”ご夫婦宅にお世話になることに。

今年Warmshoerのサイトに登録されたばかりで

僕が初めてのゲストなんだとか。

光栄でございます。

 

 

 

暑さによる疲れと

アメリカを走り切った達成感を感じつつ、

到着翌日はお二人と

のんびり休日を過ごします。

自転車に乗らない日こそ楽しいのが

自転車旅の魅力。

 

 

 

午後は海へドライブ。

スタート地点のアラスカ以来となる

太平洋とのご対面。

この海の向こうに

“スウィートホーム 湘南”が

あるのか…。

 

 

 

ランチはお二人のお気に入りだという

メキシカンレストランへ。

これから散々食べることになるけど、

メキシコ料理はバリエーションが

かなり豊かなので

飽きることなさそう。

 

 

 

 

 

 

とても穏やかで気持ち良い日を過ごすことが出来ました。

“ショーンさん&キャリーさん”、ありがとう!

 

 

そして嬉しかったのは、

ショーンさんに電話をお借りして

事故により救急車で運ばれてしまったロブさんとお話が出来たこと。

 

入院こそしなかったものの足の骨を折っており

今でもまだ歩けないそうですが、

看護師である奥さんの献身的な看病のもと

穏やかな療養生活を送られているようでした。

出国前に声が聞けてよかった。

 

ということで

新たな国に向かう不安もありましたが、

疲れも癒えて準備は万全。

ここからいよいよメキシコに向かいます。

 

 

 

パンク地獄、灼熱地獄

2024.08.10

【119日目 6,990km】

 

 

ユークアラさんとセドナで過ごすこと1週間。

今回の旅でここまでゆっくりすることもなかなか無く、

重い腰を上げて走り始めます。

目指すは西海岸「サンディエゴ」、アメリカ最後の街へ。

 

 

 

砂漠の広がるアリゾナ州。

高気温が不安でルート選びに悩みましたが、

ユークアラさんやお友達のアドバイスに従い

セドナを真っすぐ西に向かうことに。

どのみち暑くはなるけど

少しはマシだそう。

 

 

 

走り始めて2時間ほどでパンク。

セドナの自転車屋さんで

診てもらったはずなのになぜだ…。

しっかりチェックしても

トゲも刺さってないようだし。

もやもやしたまま取りあえず修理。

 

 

 

確かにルートが良いのか、

最も暑い昼過ぎでも走れるほどの気温。

35℃くらいでしょうか、

決して殺人的な暑さではなく

水分補給さえすれば

フラフラにはなりません。

 

 

 

夕方に“プレスコット”到着。

なかなか野宿場所が見つけられず、

日が沈むことになってやっと

工事現場のすみっこにテントを張る。

風情も何もなく

ただ夜を過ごすだけのキャンプ。

 

 

 

 

 

 

 

 

セドナ出発2日目。

どうやら前輪のタイヤが調子悪いようで、

ゆっくり空気が抜けている。

 

 

 

プレスコットの町を出る前に

自転車さんに寄ってみる。

やはりトゲも刺さっていないようで

はっきりした原因は分からず。

すっごくモヤモヤします。

パンクが気になって気持ち良く走れない。

 

 

 

パンク補修剤を注入してもらい

走り続けることに。

プレスコットからは少し峠が続きます。

ただ主要な完全道路が別にあるので

交通量はかなり少なめ。

日差しに照らされせっせと上る。

 

 

 

峠を越えるとゆるやかな下り坂。

ここからは大きな山が無く

西海岸まで下っていくだけだそう。

アメリカはモンタナから入り

標高1,000から2,000mを

ずっと上下してきました。

 

 

 

夕方に「ヤーネル」という小さな集落へ。

公園を見つけテントを張ります。

ここしばらくロブさんやユークアラさんと

嬉しい出会いが続いたので、少し寂しい。

一人が好きと言っておきながら

出会いが無いと旅も退屈です。

 

 

 

 

 

 

 

 

セドナ出発3日目。

朝から下り坂を気持ちよく滑り降りていきます。

 

 

 

高台から見下ろす荒野。

ここを降りると標高500mほどになり

いよいよ平地に下りていくことに。

ただ標高が下がると気温が

上がってしまうのが不安。

しっかりと走っていけるだろうか。

 

 

 

そして下り坂の途中で

「プスッ!」と大きな音が。

路肩の大きな釘が刺さったよう。

ただでさえ前輪の謎のパンクに

悩んでいるのに、後輪もぐさっと

やられてしまいました。

 

 

 

朝いちから日陰もない場所でパンク修理。

セドナを出て3日間毎日タイヤを外して

作業をしています。

そして、奥底でフツフツと

怒りが湧いているのを感じる。

「あぁ、イライラする…」

 

 

 

 

 

 

自分の心の状態が良くないことを感じ、

パンク現場から30kmばかり離れた「ウィッケンバーグ」にて

モーテルに泊まることに。

 

苛立っている時って必ず何かやらかしてしまいます。

大切なものを失くすとか、不注意でケガや事故をするとか。

 

 

 

長旅で大切なことは

“平常心”だと思っています。

いつも通りのことを

いつも通り淡々と確実にこなす。

それが出来そうにない時は前に進まず

心をニュートラルに戻す。

 

 

 

ついでに謎のパンクが続く前輪もチェック。

小さな町の店で適当に買った接着剤が

あまり良いものではなかったのか、

どうやら修理箇所が

しっかり塞がれてなかったよう。

ここでしっかり直しておく。

 

 

 

 

 

 

 

 

セドナ出発4日目。

クーラーの効いた部屋でぐっすり眠って

心と体を整えたら仕切り直し。

ウィッケンバーグの街をまっすぐ西へ向かうと

いよいよ本格的な荒野が広がっていました。

 

 

 

道路わきの看板に書かれた

“ロサンゼルス”の文字を見ると

いよいよ海が近づくのを感じる。

ロスには行かないし、

まだ距離もかなりあるんだけど

走ってきたんだなぁと感慨に浸る。

 

 

 

たまに現れる町の商店で

水分補給の休憩。

メキシコの人が多いのか

聞こえてくる言葉に

スペイン語がかなり増えてきました。

いよいよ国境が近づいている。

 

 

 

90kmを走って「ウェンデン」という

小さな集落へ。

はずれに広い公園を見つけ

テントを張ることに。

子供たちのバスケを眺めながら

のんびり野営の準備です。

 

 

 

標高が下がっているからか、この日から

夜の気温が上がった気がします。

日が暮れてもほとんど涼しくならない。

なるべくすぐ眠りたいのに

じわっと汗をかき、すっと眠りに

落ちることが出来ませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

セドナ出発5日目。

結局うまく眠れず朝から体が重い。

ただゆっくり休める場所も無いので

とにかく先へと進まなければ。

 

 

 

朝7時には走り出したのに

すでにもう暑い…。

昨日までと全く様子が違います。

今日は100km先の街に

着きたいけれど、

無事にたどり着けるだろうか。

 

 

 

キャンプ場の横に商店を見つけ

逃げ込むように日陰へ。

冷たいスポーツドリンクを飲み干すと

そのまま体に染み込むように感じる。

間違いなく体が

悲鳴を上げつつある状態です。

 

 

 

 

 

 

それからまともに休めるような場所もなく、

午前中の内に80kmを走り切って

13時に「クオーツサイト」という街へ。

 

暑さのあまり食欲もないけれど、冷房を求めて

“M”の看板が印象的なハンバーガー屋さんへ入ります。

 

「はぁ、暑い暑い…」とゆっくり食べてると、

隣のご家族のお父さんが声をかけてきました。

「君、頑張ってるようだけど大丈夫?

一応伝えておくけど外の気温44℃だよ」

 

「へ?」と一瞬、耳を疑いました。

移動中はネットなどつながらないので

気温をチェックする習慣すらないのですが、

どうやらとんでもない温度に到達していたようです。

「さすがにこの暑さはヤバい…」

 

 

 

熱中症気味でもあり野宿は考えられず。

モーテルのある街は

さらに30km進まなければなりません。

下り坂で風を浴びても

ドライヤーの熱風が当たるみたいで

まったく涼しくはありません。

 

 

 

1時間走った所で

ガソリンスタンド付きの商店へ。

火照った体をドリンクで冷ます。

それでも滝のような汗が止まりません。

ここから街までさらに1時間。

意を決して再びペダルを漕ぐ。

 

 

 

街まで10kmを切った地点で

州境であるコロラド川に差し掛かり、

アリゾナ州からカリフォルニア州へ。

ただ感慨にふける余裕もなく

早く先に進みたい…。

暑い、暑い…。

 

 

 

そして夕方17時過ぎに「ブライス」

という町に到着。

昼に予約しておいたモーテルへ駆け込む。

頭も体もフラフラで

何も考えることが出来ない。

もう疲れた…。

 

 

 

 

 

 

モーテルの方に聞くと

到着した夕方時点の気温がなんと46℃!

人生最高気温となる猛烈な暑さでした。

 

どうやら前日からあたりを熱波が襲っているようで

この地域でも異常な暑さなんだとか。

ベッドに就いて寝ようとする頃にも39℃…。

 

セドナを出発してから

連発するパンクに悩まされ、

未体験の酷暑に苦しめられ、

なんとも険しいカリフォルニアまでの道のりでした。

 

 

 

スピリチュアル・デイズ in セドナ

2024.08.5

【114日目 6,571km】

 

 

体調を崩してフラッグスタッフにて1泊。

モニュメントバレーの観光やロブさんの事故もありつつ

7日間連続で走っていますが、

ここからわずか50kmほど南下した町で

ゆっくり休める予定です。

 

 

 

フラッグスタッフ中心部を離れると

一気に下り坂でした。

向かう先が観光地でもあるため

交通量もそれなり。

しっかり右によって安全に、安全に。

事故直後とあって、少しビビる。

 

 

 

 

下り坂を1時間進んだ先に

あっという間に目的地である

「セドナ」に到着。

あぁ、懐かしいこの町の雰囲気。

僕が旅に夢中になる

きっかけとなった場所の一つでもあります。

 

 

 

町に着いて向かったのはこちらの寺院。

ヨガや瞑想などのレッスンを

行う施設になっています。

ここに来たというのも、

ぜひ会っておきたかった人がいるから。

待つこと1時間ほど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それがこちらの「ジェームス・ユークアラ」さん。

この人に会えるということでアラスカ出発以来、

セドナにやってくるのを楽しみにしていました。

 

彼とはどういう関係かというと、ちょうど10年前の夏。

バックパックを背負ってアメリカを旅していたのですが、

このセドナで野宿をしようと寝袋を抱えてキョロキョロしていると、

たまたま声をかけてくれたのがユークアラさん。

 

当時、観光客で賑わうセドナで野宿場は見つけられず

結局彼の家に4日間ほどお世話になったんです。

当然、今回の旅でも会わないわけにはいかず

セドナにやってくるのを楽しみにしていたというわけ。

 

 

 

ぱっと見にも、奇抜で派手な見た目のユークアラさん。

実はアメリカ原住民のハバスパイ族という部族でいらっしゃって、

その中でもメディシンマン(シャーマン)として

精神的、儀礼的指導を行う立場にある人なんです。

 

ハバスパイの伝統的儀式を継承すると同時に

そのライフスタイルや人生哲学が

他の文化圏の人々にとっても生き方のヒントになるということで、

日本やヨーロッパまで講演会やイベントに引っ張りだこ。

NHKの取材も受けられていましたよ。

 

 

 

現在、寺院の一画に住んでおり

僕もこちらで寝泊まりさせてもらうことに。

10年前は違う家だったので

こちらははじめて。

静かでとても居心地の良い

空間でございます。

 

 

 

ユークアラさんは伝統的で

厳粛な暮らしをしているかというと、

そんなことはなくまぁ普通です。

なんなら家いる時はずっとスマホ。

「リールとかずっと見ちゃうよね」

って感じです。

 

 

 

寺院の一画で

暮らしているということで、

ヨガ教室にも参加させてもらいます。

自転車旅中はしっかり

ストレッチをやってるけど

やっぱりヨガとなるとしんどい。

 

 

 

ただユークアラさん、

とてもお忙しい人でもあり

セドナを拠点に色々な場所へ

用事で出かけられるのですが、

滞在中は僕も付き人として

あちこちご一緒させてもらいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

まず、再会の翌日にはセドナの北200kmにある

「グランドキャニオン」へ。

アメリカはもちろん、もはや地球を代表するといっても過言ではない

雄大な自然遺産です。

 

 

 

谷底を流れるコロラド川が

ゆっくりゆっくりと大地を削り

つくりだした巨大な渓谷。

その期間は20億年にもおよび

地球の歴史の3分の1にもなります。

まさに天文学数字。

 

 

 

“人生観が変わる”なんて大げさな表現で

形容すると胡散臭いですが、

このグランドキャニオンに関しては

決して言い過ぎではないかもしれない。

目の前に立つと必ず何かを感じる、

それぐらい力強い景色です。

 

 

 

と、ここにきたのも観光ではなく。

国立公園のビジターセンターにて

観光客に向けて放映する短編映画の

撮影が目的です。

ユークアラさんは谷底にある村の出身。

語り部として出演されるそう。

 

 

 

朝日を迎えると同時に祈りを捧げる様子。

ハバスパイの言葉で祝詞を唱え

セージを燃やす姿は、

仙人のようですらあります。

背後に広がる渓谷の風景が

さらに荘厳さを増す。

 

 

 

 

 

 

ネイティブアメリカンの信仰は

「おお、我らが神よ」といったような妄信的な宗教感ではなく、

太陽や山、木、動植物など身近な自然に感謝をしようといったもの。

(僕の解釈です…)

 

ユークアラさんがしばしば口にする教えも、

「過去や未来にとらわれず、今を生きよう」

「良いことも悪いことも意味があって起こる」

といったように、

あくまで日常を前向きに過ごしていくための

コツに留まっているように感じます。

シンプルだからこそ胸にストン、と落ちてしまう。

 

そんな“暮らしの教え”的な哲学が

日本の神道ととても似ていると思うのですが、

実際ユークアラさんのもとを訪れる日本の方も多いようです。

 

 

 

 撮影が終わるとレストランにて朝食。

この格好をしているだけに

ユークアラさんはしょっちゅう

写真撮影をお願いされます。

普通の格好で横に座るのが

逆に恥ずかしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さらにグランドキャニオンから戻った翌日には

セドナから南へ、車で3時間のフェニックスへ。

こちらのホテルが今日の現場。

 

 

 

新しいプロジェクトを

立ち上げるためのミーティングです。

“ユークアラ”ブランドの健康グッズ

を売り出すのだとか。

「会議の様子をかっこよく撮ってくれ」

と付き人の仕事を受ける。

 

 

 

会議は2時間にも及び、

ウェブサイトのデザインについて

熱のこもった議論がなされます。

僕はその向こうのモニターの

パリオリンピック開会式を

じーっと見ていました。

 

 

 

さらにホテルから場所を移し

今度はスタジオへ。

ウェブサイト用のBGMと

写真撮影をするそうです。

ほんとマネージャーになったみたい。

仕事内容全く理解してないマネージャー。

 

 

 

録音するのはハバスパイの儀式で

歌われる歌なのですが、

これがすごく神聖な雰囲気で

そのまま作品にもできそうなほど。

低い声から高い声まで

楽器のように喉を鳴らしていました。

 

 

 

そのまま写真撮影へ。

写真を撮られること自体

大好きなユークアラさんですが、

魅せ方を知ってるという感じ。

カメラを前にして

流れるように色々なポーズを見せます。

 

 

 

そのままホテルに戻って

宿泊することに。

こんなふかふかベッドに寝られるなんて

いつもの自転車旅とギャップがありすぎて

不思議な感覚に陥ってしまう。

どうして自分はここにいるんだろうか…。

 

 

 

付き人期間中は

美味しいものを山ほど

ごちそうになってしまいました。

ここまでほとんどレストラン

入ってないから、もう

何を食べてもあごが落ちそう。

 

 

 

 

 

 

 

 

再びセドナに戻ると、

町の見どころである「カセドラル・ロック」に登ったりと

やっとのんびりした時間を過ごしました。

 

 

 

10年前に旅をして、

日本とはかけ離れた赤土の景色に

魅了されたセドナの町。

さらに忘れられない出会いもあって

旅をすることの素晴らしさを

教えてもらった場所でもあります。

 

 

 

“少数民族のメディシンマン”という

背景を抜きにしても、

そのおおらかで前向きな人柄で

他人を引き付けるユークアラさん。

こういう風になりたい、と思える

とても豊かな人格をお持ちです。

 

 

 

 

 

 

結局、予定をオーバーして一週間も滞在してしまいました。

セドナにいないことも多いようなので、

会うことが出来て本当に良かった。

 

ユークアラさん、年明けにも来日して

スピリチュアルトークをされる予定です。

乞うご期待。

 

 

 

 

悲しい出来事

2024.08.1

【106日目 6,518km】

 

絶景・モニュメントバレーで朝日を迎え、

いざ走り出そうとするも前輪がフニャフニャ。

“やれやれ”とため息をつきながら、予備のチューブと交換です。

 

実は前夜、夕日を待っている時に

左足親指を“ヒアリ”に刺されるというトラブルもありました。

裸足にサンダルだったのですが、

突然、成人男性に爪の先っちょで

おもっきり強くつねられたくらいの痛みと

同時に燃えるような熱さも感じる未体験の刺激。

 

朝になってもタンスにひどくぶつけた時のような痺れが続いてました。

赤土の地域をご旅行の際はお気をつけください。

 

 

 

 

チューブ交換もスムーズに完了し、

気を取り直して再出発。

ここモニュメントバレーを境に

ユタ州からアリゾナ州に突入です。

乾いた荒野の大地、砂漠の旅は

まだまだ続く。

 

 

 

と、ほどなくしてまたパンク。

しっかり確認したはずのタイヤに

おそらくトゲが残ってたようです。

予備チューブがもうないので、

穴を塞ぐべく修理キットを

取り出したところでビックリ。

 

 

 

写真のパッチを接着剤で貼り付ける

必要があるのですが、

日毎続く暑さのせいで、

接着剤がカバンの中で爆発してました。

さすがに予想外。

これでは修理はできない…。

 

 

 

本当にどうしようもなかったので

お世話になった人にお渡しする

ステッカーで応急処置を。

置かれた環境で

いかに問題を解決できるか。

旅の経験が問われます。

 

 

 

ところが、やっぱりそんな甘くない。

すぐに空気は抜けふにゃふにゃに。

ついにお手上げ、

ヒッチハイクをすることに。

ただキャンピングカーが多く

なかなか乗せてもらえません。

 

 

 

 

 

 

1時間ほど路肩で手をあげ続け、

ついにトラックが停まってくれました。

このあたりは「ナバホ・ネイション」と呼ばれ

ネイティブアメリカンの人々の居留地となっております。

 

アジア人にも似た顔立ちで、

どこか親近感を感じずにはいられないドライバーさんに

20kmほど離れた「カリェンテ」の町まで乗せてもらいました。

 

 

 

接着剤も購入し、

自動車整備の工場にて腰を据えて

修理作業をさせてもらうことに。

パンク修理、今回の旅では3回目です。

距離の割りには少ない方かな。

メキシコ以降、増えるだろうけど。

 

 

 

タイヤをよく見ると、パインツリーの

棘が2つも刺さってました。

この地域に生える木なので

しばらく続く可能性もありそう。

アフリカではアカシアの棘に

何回もやられたっけ。

 

 

 

 

 

 

やっとまともにペダルを漕げると安心し、幹線道路を南へ。

観光地モニュメントバレーに近い割りには

交通量は落ち着いています。

 

 

 

夕方、商店があると聞いており

横でテント張らせてもらうつもりが

廃業してました。

虚しい…。

せっかく冷たいジュースが

飲めると思ってたのに。

 

 

 

すぐ近くにお家があり、

奥さんに訪ねると

「うちの敷地でテント張っていいよ」

とのこと。

南に下るにつれ野宿が

しやすくなったように感じます。

 

 

 

さらにテントまでご飯を

持ってきてくれました。

“インディアンタコ”と呼ばれる、

ナバホの伝統料理だそう。

小麦粉ベースの揚げパンで

鶏肉が挟んであって食べ応えバッチリ。

 

 

 

 

 

 

 

 

モニュメントバレー出発2日目。

テントを片付け出発してから、わずか10分後に

キコキコと後ろから追いかけてくる男性が。

 

こちらのロブさんは、子ども達の住むミシガン州から

アリゾナ州フェニックスの自宅まで

自転車で帰っている最中だとか。

地図で見てもらえると分かりますが

73歳のおじいちゃんが漕ぐにしてはすごい距離です。

 

 

 

ただ、僕は他人と行動するのが苦手でして。

こういう時は、しばらく共に走っておいて

適当なタイミングでしれっと距離を空け

お別れしたいのが本音なところ。

一人で旅をしているだけに

一人でいることが好きなんです。

 

 

 

 

一方、ロブさんは他人と走るのが大好き。

「なぁリョウスケ、あの日陰で休もう」

「次の休憩でサンドイッチを食べるぞ。

お前は何を食べるんだ?」

あぁ…、もうすっごい

話しかけてくるんですけど。

 

 

 

まぁアラスカからここまで

誰かと一緒に走ることもしてないし、

“たまにはこういうのも良いよね”

と自分を納得させながら、

暑い道のりを

一緒にゆっくりと漕ぎ進めました。

 

 

 

 

15時には目標のトゥーバシティに到着。

「今日はキャンプ場予約してあるから

一緒に泊まろう。あとマックも食べよう、

ご馳走するから」とロブさん。

悪いなぁ、と思いつつも

お言葉に甘えてしまう。

 

 

 

「リョウスケのペースは俺にぴったりだ。

今日は一緒に走ってくれてありがとう」

いつも一人で走るのが当たり前だからこそ

そんな飾りっ気のない言葉がすごく嬉しい。

“誰かと一緒に走るのも悪くない”

と心から感じつつ眠りに落ちました。

 

 

 

 

 

 

 

 

モニュメントバレー出発3日目。

この日も気温の上がりきらない朝のうちに

たくさん走るため、7時前には出発します。

 

 

 

目的の「フラッグスタッフ」という

大きな街までは、

1日で1,000mも標高を

あげなければなりません。

こんなときに、ひとりじゃない

という事実はとても心強い。

 

 

 

僕が先を走り

ロブさんが後ろを追って走ります。

今日は景色も地味でとくに見所がなく

ただただ距離を縮めていくだけの

日になりそうな予感。

なおさら二人で良かった。

 

 

 

 

 

 

そして、その瞬間はあまりにも突然でした。

 

「カマロン」という小さな町を過ぎたあたり。

路肩に自転車を寄せ水をごくごくと飲み込んでから、

後ろのロブさんの姿を確認した、その時。

 

ハザードランプを点けて停まった2台の車。

そして、道路脇に倒れ込んで動かないのはロブさん。

「えっ?」と戸惑いながらも状況を把握するため近づくと、

ロブさんの周りには散乱した旅の荷物、そして痛々しい血痕。

頭から血を流し真っ青な顔をして、目をつむったままのロブさん。

「ウソでしょ…? ロブさん…。ロブさー-ーん!」

 

 

あっという間に、人が集まり

たまたま通りかかったナースの女性を中心に

応急処置が始まりました。

弱りながらも呼び掛けには応えており、

なんとかロブさんの命には別状がなさそう。

 

どうやら、白線上を走っていたロブさんの頭部を

追い越した車のミラーが直撃したとのこと。

 

まずはパトカーが来て、30分経ったところで救急車が到着。

なにもできない無力感を感じながら傍観していると、

ナースの女性が僕に声をかけてきました。

「リョウスケってあなた? 彼から話があるみたいよ」

 

近づくと、弱々しく口を開くロブさん。

「リョウスケ…。

今日の目的地にキャンプ場を予約してある。

もうオンラインで払っちゃったから、絶対泊まるんだ…。」

 

「どうでもいいよ!無理して喋んなくていいから!」

思わず半泣きで突っ込んでしまいました。

 

救急車が到着してからは処置も順調に進み、

集まった人たちも徐々に去っていきました。

僕も警察から簡単な聴取を受けると、

「もう行っていいよ」とのことで現場を去ることに。

 

 

 

 

 

 

正直あまりに衝撃的な出来事に

それから走る気も起こらなかったのですが、

ストレッチャ-で運ばれるロブさんが最後に言い残した

「Hit The Road!(進め!)」

という言葉が耳に残っており、

重い足を踏み込みながらなんとか走り続けることに。

 

 

 

標高を数百mも上げていく

長い上り坂だったのですが、

半分放心状態でぼぉっとしながら走るものだから

写真すらまともに撮っていません。

事故の瞬間を見てしまっていたら、

おそらくこの日漕ぐことはできなかったと思います。

 

 

 

そして、19時前には目的の街「フラッグスタッフ」に到着。

受付に行くと確かにロブさんの予約はあり

遺言に従って代わりに泊まらせてもらうことに。

(死んでません。)

 

 

テントを張って一段落すると

今日起こったことを反芻する。

もし自分に同じことが起こったら…。

ロブさんに最悪の事が起こっていたら…。

改めて旅の危険性を確認しつつ、

ここまで安全に進めていることに感謝。

 

 

 

 

 

 

 

 

事故翌日。

フラッグスタッフには大きな病院が一つしかないようで

おそらくここだろうと目星をつけのぞいてみることに。

 

すると、たしかにロブさんはここに搬送されたそうですが

ほんの1時間前に奥さんの運転でご自宅へと帰ったそう。

一目会えたらよかったけど、入院も必要無いようで本当に良かった。

 

 

 

 

 

 

ほっとしたのもつかの間。

実は前日の午後、ひどい夕立に降られおり体はクッタクタ。

悪寒がしはじめました。

 

もう今日は走れそうにないやと、

やむを得ずモーテルに泊まることに(¥16,000!)。

思えば、まともに風邪をひくのはアラスカ出発以降はじめて。

倒れ込むように、ベッドに体を沈めました。

 

 

 

荒野の絶景

2024.07.27

【102日目 6,253km】

 

 

赤土の大地が織りなす絶景・アーチーズを堪能すると

モアブを後にして、次なる絶景を目指して進みます。

 

 

 

日中の酷暑を考慮して

「一人サマータイム」を導入しました。

朝5時には起きて7時までには走行開始。

涼しい午前中の内に

少しでも距離を稼ぐという作戦です。

夏には夏の走り方がある。

 

 

 

モアブを離れると

どこまでも砂の平地が

広がっていました。

観光案内の掲示板が

貴重な日陰をつくっており

お昼の休憩をとる。

 

 

 

暑さで食欲もわかないので

昼も夜もトルティーヤばっかり。

アボカド、玉ねぎ、ベーコンを刻んで

ソースをかけてクルクル。

巻き方がどんどん上手くなっていく。

メキシコに行く頃には飽きてないだろうか。

 

 

 

15時頃には目的の

「モンティセロ」の町に到着。

途中でにわか雨も降って

意外と涼しく、まだ走れそうだけど

無理をしない。

暑い時期は刻んで刻んで進みます。

 

 

 

商店にはドリンクバーのマシンがあって

自分で注いでレジに持っていくのですが

「ジュースだけ?なら払わなくていいよ」

とタダにしてもらうのは3回目。

サービス精神というより少額清算が

面倒くさいからではなかろうか、良い国…。

 

 

 

スーパーで割引のものを買って

夕食にする。

自炊を楽しもうという気持ちが

ひとかけらも無くなるユタの夏。

冷やしうどんをつるっと流し込んで

ちゃちゃっと済ませたいくらいです。

 

 

 

 

町はずれに湖を発見。

ほとりには大きめの東屋もあり

ここで寝させてもらうことに。

ユタ州に入って野宿場所の確保が

若干容易になったように感じます。

人気もないしゆっくり眠りに落ちます。

 

 

 

 

 

 

 

 

モアブ出発2日目。

湖の向こうから登る朝日を眺めつつパッキング。

空気がひんやりして気持ちいい5時起き生活。

悪くないです。

 

 

 

ここ数日続いていた熱波が去り

だいぶ涼しくなっているのを感じます。

適度に休憩を挟めば

熱中症の心配もなさそう。

一時はどうなるかと思った暑さも

なんとか乗り越えられそうな予感。

 

 

 

 

70kmほど走った所で

「ブラフ」という集落に到着。

このあたりからゴツゴツとした岩が

周囲に沢山見られるようになりました。

本当に不思議な形をしたものが

あちこちにあります。

 

 

 

町にはクーラーの効いた

ヴィジターセンターもありました。

ランチ休憩も兼ね暑い昼過ぎの時間帯を

ここでやり過ごさせてもらうことに。

「えっアラスカから!?」と

10回くらい聞かれる。

 

 

 

 

雲が厚くなったタイミングを見計らい

再び走り出す。

ブラフを離れるといよいよ

カラッカラに乾いた荒野が

広がり始めました。

そして緩やかな上り坂。

 

 

 

日が傾くと、あっという間に

表面の色が変わるのが

赤土の岩山の面白いところ。

影が差し込み立体感の出た

山肌を眺めつつ、下り坂を滑っていく。

思い描いたアメリカならではの景色。

 

 

 

“メキシカンハット”という集落に到着。

生鮮のほとんど置いてない小さな商店で

買い物をして、お菓子のような夕食に。

ドーナツばっかり食べてたら

すぐにアメリカ人のようにコロッコロの

体型になるんだろうな…。

 

 

 

集落の横を流れる川辺に

テントを張る。

テントなしで地べたでも

寝られる気温だけど

水辺だけに蚊がすごいんです。

日が暮れると数が増える。

 

 

 

 

 

 

 

 

モアブ出発3日目。

いよいよ目的としていた絶景まではわずか40km。

朝から雲一つない快晴に気分も高まります。

 

 

 

走り始めて10kmあまりの所。

岩山に向かってまっすぐ進む印象的な道は

映画のワンシーンでも知られる

「フォレストガンプ・ポイント」。

アメリカで走っておきたかった

道の一つです。

 

 

 

ただの道路なのですが

名所ということもあって、

写真を撮りたい人が順番待ち。

僕も旅情ある一枚を、と思ったけど

どうやら三脚立ててのんびりやってる

余裕もなさそうなのでやめとくことに。

 

 

 

ここで声を掛けてくれたご夫婦が。

アラスカから走ってきたことに

とても感心してくださり、

「ランチでも食べて」と

御心付($20)を頂いてしまいました。

大切に使わせて頂きます。

 

 

 

 

 

 

さらに15kmほど進んだところで

ついに目的の場所「モニュメントバレー」に着きました。

アメリカでも特に楽しみにしていた場所です。

 

 

 

公園内は自転車禁止の為

観光ツアーに申し込み(2万!)。

同じトラックに乗り合わせたのは

なんと日本からお越しのご夫婦。

よく考えればアメリカ入国以来

日本の方は初めてです。

 

 

お二人の旅行を邪魔して申し訳なさを感じつつも

久しぶりに交わす日本語での会話も嬉しく、

しばらくご一緒させてもらいました。

 

 

 

“モニュメント(記念碑)”のように

雨と風に浸食された岩山は

「ビュート」と呼ばれています。

こないだ見に行ったアーチーズとは

また違う形状につくり出された

自然の芸術。

 

 

 

西部劇のような風景ですが

「バック・トゥ・ザ・フューチャー」

「イージー・ライダー」

「インディ・ジョーンズ」など

数多くの名作映画の撮影でも

使われてきています。

 

 

 

これまで世界各地の自然遺産を

訪ねてきましたが、

アメリカ南西部に広がる

赤土の台地が織りなす沢山の絶景は

特に深く心に刺さります。

波長が合うというか。

 

 

 

ネイティブアメリカンたちの信仰の対象

ともなっているこの地域の自然遺産ですが、

神とか宇宙といった大きな存在と

結び付けてしまうのもうなづけるほど

目の前に立った時の力強さは

すさまじいものがあります。

 

 

 

 

お昼に頂いたお金でディナーに

ハンバーガーを(¥3,200)。

振り返ると、幾度かマクドナルドで

ちょっとしたもの食べたくらいで

アメリカではレストランは

初めてかもしれない…。

 

 

 

 

 

 

 

朝日を迎えるモニュメントバレーは

さらに神々しい。

 

これを見るためには公園内のキャンプ場に

泊まらなくてはいけないのですが、

テントを張るだけでなんと¥9,000。

お昼の観光ツアーも含めると¥30,000。

今アメリカを旅行するとはこういうことでございます。

まぁ、良いものは見れたんだけど。

はぁ…。

 

 

 

 

 

砂漠の町・モアブへ

2024.07.23

【98日目 6,001km】

 

 

ユタ州最初の街・ヴァーナルでひと休み。

こちらの写真は、お世話になっていたジャレドさんと

当初泊まらせてもらう予定だったカルヴィンさん。

出発の朝に郊外まで一緒に走り、お見送りをしてくれました。

 

 

 

南に下って次に目指すのは

「モアブ」という町。

ユタ州を代表する観光地の

拠点となる場所です。

ヴァーナルからは4日はかかる行程。

どんな景色が広がってるでしょう。

 

 

 

ジャレドさんから忠告も受けており

「ここからは一気に暑くなる。

ルート変更も考えておいた方がいい」

とのこと。

本格的な荒野が広がるようで

覚悟を決めて進んでいく。

 

 

 

70kmばかり走ったこの日。

“ダイナソー”という小さな町に着きました。

町役場には名の通り恐竜のモニュメント。

様々な種類の恐竜の化石が

この地域で発見されているそうです。

子供たちが喜びそうな町。

 

 

 

容赦のない暑さに対処するために

ここからは1日の走行距離を

短くしていきます。

日々の疲労をちょっとでも軽くして

ダウンしないように、ゆっくりでも

確実に前に進んでいきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

ヴァーナル出発2日目。

ここから「ダグラス・パス」という

2,500mの峠を目指していきます。

 

 

 

緩やかだけども

地味に高度をあげていく。

ユタ州に入ってから2,000m越えの

峠がかなり続いているので

上り坂には慣れているものの

暑さのせいでやっぱり辛い。

 

 

 

あたりに集落はないものの

こうした東屋が所々にあるので

日陰を求めて

頻繁に休憩をはさみます。

背の高い木がないので

走行中は影がまったくありません。

 

 

 

スタートのダイナソーから

700mほど高度を上げ

峠の手前の道端にて野宿。

標高が2,000m近いこともあり

日が暮れると一気に気温が下がります。

涼しいので夜はよく寝られる。

 

 

 

暑いと料理をする気も失せてしまう。

これまでストーブで

クスクスを調理してたけど、

適当に食材をトルティーヤで巻いて

お腹を満たす。

栄養だけはとっておかねば。

 

 

 

 

 

 

 

 

ヴァーナル出発3日目。

前日に登り切れなかった峠を上り始める。

頂上付近は傾斜が急なこともあり

ほとんどペダルを漕がず押していきます。

 

 

 

1時間ほど登ったところで

ダグラス・パスの頂上に到達しました。

2,500mの峠から見上げる

青空はとても爽快。

まだ朝9時ということもあり

涼しい風を受けてしばらく景色を眺める。

 

 

 

眼下にはこれから

下っていく道が蛇のように

うねりながら続いています。

反対に登っていくことを考えると

ゾッとするけど、実際同じだけ

登ってきたんだよな、と感慨に耽る。

 

 

 

限りなく広がる荒野を

突っ切る真っすぐな道を

スピードに乗って滑走していく。

昼前にもなると気温も上がり始め

じわっと汗をかき始めます。

余裕にあるうちにちょっとでも進みたい。

 

 

 

“ロマ”という小さな集落で休むと

大きな幹線道路に沿って走り始めます。

午後からはさらに気温が上がるので

休みをとりつつ、

疲れ切ってしまわないよう

慎重に。

 

 

 

この日を境に気温が確実に

一段階ほど上がったのを体感します。

乾燥しているとはいえ

日陰のない道を走り続ければ

焦がされた体からは徐々に

体力が無くなっていく…。

 

 

 

高架下に貴重な影を発見。

自転車を置いてひと休み。

太陽にさらされ熱くなってしまった

ペットボトルの水を喉に流し込む。

美味しくはないけど

とにかく水分を摂取しておかねば。

 

 

 

さらに1時間ほど漕ぐと休憩所を発見。

日陰に入ると極端に涼しくなる点は

湿気の多い日本との違いだろうか。

だらぁっと横になって休む。

すると暑さでダウンしてると思ったのか

ドライバーさんたちがちらほら集まりました。

 

 

 

聞けば周辺に熱波がやってきており

この時間40℃にも達しているのだとか。

さらに今後何日も酷暑が続くそう。

そりゃ、どうにも暑いわけだ。

沢山の方から

水やスポーツドリンクなどを頂く。

 

 

 

フラフラになりながらも

“シスコ”という集落に到着。

集落というより廃屋がいくつか

集まっただけで本当になにもない。

荒野のど真ん中に虚しさだけを

取り残した空間が広がっています。

 

 

 

そんな中、一つだけ商店がありました。

事前に調べた情報によると

敷地内にテントを張らせてくれる

とのことだったけれども、

到着が遅すぎて閉まっていました。

もう誰もいない…。

 

 

 

誰もいないので日陰を求めて

裏で寝させてもらうことに。

勝手に敷地に入るのも良くないけれど、

暑さにやられて考える余裕もなく。

おかげで無事に疲れた体を

休めることが出来ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

ヴァーナル出発4日目。

目的の町・モアブまでは80km。

早く着いて休みたい。

 

 

 

幹線道路を離れ128号線という

コロラド川に沿った道に入ると、

大きな赤い岩が削れた

豪快な景色が広がっていました。

横切る車も少なく

ゆっくり眺めながら進んでいく。

 

 

 

これぞ思い描いていたアメリカ、

というような景色がどこまでも続く。

眺めるだけで喉乾くし

日差しが今日も暑いけれど、

この場所はうだるほどの暑さも含めての

風景だろうな。

 

 

 

モアブの町が近づいたあたりで

自転車道が現れます。

ただこの時すでに

40℃近いであろう午後2時。

自転車に乗って走っている人など

一人もいません。

 

 

 

そして、ついに到着しました「モアブ」。

小さいながらも観光客に溢れ

活気のある町なようです。

ヴァーナルから走ること4日。

クタクタになった体を

ここでしっかり癒しておきたい。

 

 

 

まずは商店で冷たいドリンクを飲み干し、

この町でもWarmshowerの

ホストの方にお世話になります。

今回はどんな方だろう、

と地図を見ながら郊外にある

お宅に向かったのですが…

 

 

 

 

 

 

 

 

たどり着いたお家の門がこれ。

“え?ここなの?

呪い人形みたいなの気になりすぎるんですけど。

てか、もう嫌なんですけど…。”

 

 

 

「あんたがリョウスケね。

まずどうしたいの、シャワー?洗濯?

忙しい時に来たわね。タイミング悪いわ」

60歳前後であろう女性の“テリアンさん”

からまともな挨拶もなく

まくしたてられました。

 

 

 

「あたし日焼け止めクリーム嫌いだから

すぐシャワーで洗い流して。

二階で寝てもらうけど足音立てないで。

荷物運ぶとき、砂持ち込まないで。

Wi-Fiあるけど

変なものダウンロードしないで。」

 

 

 

これまでのホストさんのパターンだと、

「全部君のものだと思って好きに使ってくれよ!」

というお家が多かったのですが、

こちらは禁止事項が多く、あたりも強め。

数泊とはいえ大丈夫だろうか…。

 

 

 

ただテリアンさん、とても器用な方でもあり

家の水道や電気配線などの施工を

ご自身でされたそう。

 

とても芸術家肌なようで

古着屋さんのような匂いのするお家も

雰囲気があって良い感じ。

話してみると、冗談も言うしよく笑うし

口は悪いけど、根は悪い人ではなさそう。

ジブリ映画に出てくる魔女みたいなものだと思って

数日お世話になります。(超失礼)

 

 

 

到着翌日、「パーティーあるから

あんたも行くのよ」と

お友達の家に連れてきてもらいました。

誕生日会とのことで

予想以上の人に溢れています。

年齢もホントばらばら。

 

 

 

アメリカ大陸を旅してるということで

興味を持ってくれる人がいたり、

日本に縁のある人もいたりで、

パーティ嫌いな僕も

すごく楽しい時間を

過ごすことが出来ました。

 

 

 

 

 

 

 

モアブ滞在中に観光にやってきたのは

町から10kmほど北にある

「アーチーズ国立公園」。

ユタ州きっての観光地であり

モアブはここに向かう人たちの

拠点となる場所というわけ。

 

 

 

砂漠の観光地とあってこの日も暑い。

朝7時には公園に入り、

散策を始めました。

多くの観光客同様

水をたっぷり持って

トレッキングルートを進みます。

 

 

 

 

 

 

最初にやってきたのが公園内1番の見どころともいえる

「デリケートアーチ」。

 

“アーチーズ”とは、名の通り

雨や風によってアーチ状に浸食された芸術的な岩が

2,000も点在する場所なんです。

 

ちなみにこのデリケートアーチは

州のナンバープレートにも描かれるほどで、

アーチーズ国立公園のみならずユタ州の象徴ともいえる風景です。

 

 

 

数億年前、あたりに

流れ込んだ海水によって

岩が塩分を多く含むらしく、

特有の地質がこの土地ならではの

光景を生み出しているのだとか。

中には歩いてくぐれるものも。

 

 

 

2つのアーチが重なった「ダブルアーチ」。

圧倒されるのは

魅力的な造形のみでなく、その大きさ。

こればかりは写真で伝えきれず

ふもとに立って見上げるしかありません。

とにかくデカい。

 

 

 

名前の通り、絶妙なバランスで

そびえるのは“バランスロック”。

中には浸食がすすみ

数年後には崩壊が予想される

岩もあるそう。

今しか見られない地球の芸術。

 

 

 

“悪魔の庭”、“エデンの園”など

仰々しい名を冠したものも多い

アーチーズ国立公園。

確かにどこか超常的なものを感じさせる

強烈な景色が広がる場所です。

暑さも忘れて見とれてしまう。

 

 

 

 

 

 

アーチーズの観光含め、

暑さからくる疲れをとるためにも

モアブの町にはたっぷり3日滞在。

 

どれだけ静かに歩いても

「足音うるさいわよ」と言ってくるテリアンさんに

すっかり愛しさすら感じ始めてしまいました。

 

 

ユタ州突入

2024.07.19

【91日目 5,642km】

 

 

ワイオミング州ジャクソンにて

チャック&カレンさんに提供して頂いた宿で休むこと3日。

 

疲れもとれた出発の朝。

「なあリョウスケ、わしの充電器のコードとったじゃろ。返しなさい」

とチャックさん。

僕「いや、荷物確認したけどないよ。」

C「いやいや、3日も滞在してるし絶対わしのヤツ使ったはず…。」

僕「でも持ってないよ。てかチャックのタイプBじゃん。Bなんか使いませーん」

C「え?タイプBとかCとかあんの?」

僕「あるよ!もっかい身の回り見てよ」

そんなやり取りをして1時間後。

 

「ごめんごめん、車の中にあったわ」とニコニコ顔のチャックさん。

こんなやりとりは世界中でおこなわれてるんだろうなとしみじみ感じつつ、

二人に別れを告げて出発しました。

 

 

 

ジャクソンから目指すのは

「ヴァーナル」という街。

5日ほどかかるだろうか。

イエローストーンとは打って変わり

途中に見どころも特に無いようで

走るばかりの日々が続きそうです。

 

 

 

ランチは昨日の残りのチャーシュー。

ゆで卵もたんぱく源になるけど

気温がどんどん上がってきており

持ち運びには向かない。

これからは夏仕様の

キャンプ飯も考えねば。

 

 

 

遠くに見えるロッキー山脈。

カナダ北端からのお付き合いだけど

そろそろ見納め。

自転車で走るとよく分かるけど

途切れず延々と山嶺が続く

大陸ならではのスケールに圧倒されます。

 

 

 

この日悩まされたのが野営地探し。

住宅が密集した街にテントは張れず

平原広がる郊外はフェンスが敷かれ

寝る場所が見つからない。

“どこでも寝れるでしょ”と下調べを

していないのがあだとなる。

 

 

 

21時まで走り続け

やっとキャンプ場を発見。

1泊¥4,000ほどと高額。

貧乏旅において

まず節約したいのが宿泊費。

これが続くとやってられないです。

 

 

 

 

 

 

 

 

ジャクソン出発2日目。

起伏の少ない平坦な道を今日も漕ぎ進めます。

 

 

 

モンタナから続く大平原が

乾いた荒野へと変化しつつあり

耕作地も減ってきています。

見てるだけで喉が渇くような風景。

こんな景色が海のように

どこまでも続いています。

 

 

 

夕方、“ファーソン”という集落に到着。

後々知ったのですが右の建物が

地域で大評判の

アイスクリーム屋さんとのこと。

¥600と高額なのでやめたけど

食べとけばよかった…。

 

 

 

この日も野営地探しに苦労。

公園を見つけて

まずは食事をしていると

警察がじろじろ見てくるので

退散することに。

ワイオミングの野宿は難しい。

 

 

 

教会の敷地の隅で

テントの許可を頂きました。

日が長いことも野宿が難しい原因です。

もっと早く暗くなれば

どこかに隠れてできるのに、

と犯罪者になったような気分。

 

 

 

 

 

 

 

 

ジャクソン出発3日目。

お世話になった教会の方が、

「キリスト教に興味はあるかい?」と分厚い聖書を渡そうとしてくれます。

「いや、ちょっと荷物になるし、うーん」

「こっちのちっちゃいヴァージョンもあるよ」

「いや、僕は信心深い方じゃないし…、うん大丈夫」と言葉を濁し退散しました。

お世話になったのになんだか申し訳ない気分でございます。

 

 

 

イエローストーン以降、文字通り

雲一つない快晴が続いております。

天気を気にしなくていいのは

旅において本当に楽。

ただこれからは気温が気になるけど…。

すでに日中かなり暑い。

 

 

 

写真では見えにくいですが、

道路脇には数百kmに渡って

フェンスが延々と敷かれています。

これだけ広大なのに土地にこだわるのは

不法侵入・占有が多いからだろうか。

ヨーロッパより野宿難しいかも。

 

 

 

昼過ぎには「ロック・スプリング」に到着。

このあたりでは大きな街で

当然野宿もできそうにないのですが、

この日はここでゆっくり過ごそうという

狙いがありました。

というのも…

 

 

 

今日は7月4日の独立記念日。

至る場所で国旗が掲げられ、

夜には街中で花火が上がるとのこと。

ただ思ったほどお祭りムードでもなく

パレードもやってないよう。

普通の祝日といった印象です。

 

 

 

せっかくだから現地の人と過ごそうと思い

キャンプ場に向かうと、

なんとテントを張るだけで1泊¥9,000。

聞き間違えかと思い

「え?パードゥン?」と疑ってしまう。

これが通常価格なようです。

 

 

 

「いいもん、独立記念日なんか関係ないもん」

と行くあてもなく公園で時間を潰します。

街の規模にもよるそうですが

地方の小さなところでは

さほど大きなイベントはないのだとか。

ちょっと拍子抜け。

 

 

 

綺麗な公園で野宿もできそうになく

街のはずれの自動車修理工の方の

敷地にてなんとかテントを張ることに。

毎日人頼みでキャンプ地を探すのも

精神的に疲れるし、

なにより迷惑な気もしてくる。

 

 

 

とっぷり日も暮れた22時。

さぁ花火があがるぞ、とカメラを構えるも

「…、…。……。…、パーン。…パン」

いや、玉数少な!そして低っ!

写真すら撮れず、期待外れの

7月4日が終わりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

ジャクソン出発4日目。

ロックスプリングを出ると、延々と続く長い上り坂が待っていました。

 

 

 

「フレーミング渓谷」というこの地域。

家屋は全くなく、見晴らしの良い

谷間の景色を眺めつつ

緩やかな坂を進みます。

追い越していく車も少なく

ストレスなく走れる。

 

 

 

日を避ける影など何一つない一本道。

真っ正面から走ってきたドライバーさんに

水をもらいました。

しかも、クーラーボックスで

キンキンに冷えたもの。

火照った体を気持ち良くクールダウン。

 

 

 

見下ろす渓谷にははじめて

赤土の大地を拝めました。

イメージ通りのアメリカの荒野です。

遠目から見ると

層になっているのがよく分かる。

北米ならではの自然の景観です。

 

 

 

そして夕方17時頃。

アメリカ中部のユタ州に突入。

モンタナ、ワイオミングに続く

3つ目の州です。

恐竜の化石がたくさん

発掘されることでも有名だそう。

 

 

 

「ダッチ・ジョン」という小さな町の

外れにて、人目を忍ぶ場所を発見。

日の入りは21時半ごろでしょうか、

夏至は過ぎたけれど

まだまだ日は長いようです。

暗くなる前に眠る。

 

 

 

 

 

 

 

 

ジャクソン出発5日目。

この日も朝から上り坂で標高2,500mの峠を目指します。

 

 

 

前日の上り坂がキツかったこともあり

ほとんど漕ぐことが出来ない…。

そんなに急な坂じゃないのに

時速4kmで押して歩く。

暑さもこたえて

もうクタクタ。

 

 

 

昼過ぎにようやく峠の頂上へ。

途中でクラシックカーの

イベントをやっていたようで

おしゃれな車がいっぱい走ったのに

そんなの写真撮る余裕がないほど

疲れ切ってました。

 

 

 

峠から一気に坂を下り

標高1,500mの地点にやってきます。

ユタ州に入って一気に気温が上がったのか

空気がもわっと暑苦しい…。

下り坂でも爽やかな

涼しい風は吹きません。

 

 

 

そしてついに「ヴァーナル」到着。

するとちょっとしたトラブルが。

マクドナルドでWi-Fiをつなぐと

事前連絡していたホストさんからメール。

「ごめん!家族の急用で街を出なきゃ。

今夜泊められないわ!」とのこと。

 

 

 

あてにしていたWarmshowerの宿泊先が無くなり焦っていたところに、

再度連絡が入ります。

「友達が泊めてくれるからそっち向かってくれ」

 

 

 

 

 

 

ということでやってきたのが

「ジャレドさん」のお宅。

急なお願いにも関わらず

庭先のRV車に水と電気を通して

泊まれるようにしてくださいました。

素晴らしいホスピタリティ。

 

 

 

5日間走行が続いたので

到着翌日はお休み。

涼しいお家で

のんびり休ませてもらいました。

アメリカ入ってから

街をじっくり見てない気がする…。

 

 

 

 

 

 

貴重な週末にお邪魔させてくださった

ジャレドさんご一家。

仲良く明るい皆さんでした。

 

自転車乗りのコミュニティサイト“Warmshower”。

ほどほどに使っていこうと思っていましたが、

時にキャンプ場ですら¥5,000を超えるアメリカでは

大いに頼ってしまっています。

 

 

 

最高の宿

2024.07.15

【86日目 5,163km】

 

 

イエローストーン公園内で2つ目の夜が明け、

キャンプ場を後にして南へと向かいます。

 

 

 

公園自体が2,000mを越える高所に

あるとあって、傾斜が急な箇所もしばしば。

そのぶん自然豊かな景観を

楽しむこともできます。

しばらく乾いた大平原が続いたので

水辺に心が潤う。

 

 

 

お昼過ぎには国立公園のゲートを

通過して、イエローストーンの

サイクリングも終了。

ここしばらくランチは

トルティーヤばっかり。

アボカドが美味しいんですよね。

 

 

 

気温はお昼で20℃前後でしょうか。

夜も涼しくて寝やすいです。

南に下りるにつれ猛暑が予想されるので

おそらく今が一番過ごしやすい。

というかこないだまですごく寒かったし

快適な期間短いんですけど…。

 

 

 

 

“ジャクソンレイク”という湖のほとりに

キャンプ場を発見。

ここもサイクリスト用の場所が

用意されており

¥1,500ほどで泊まれます。

シャワーも浴びれてほんと快適。

 

 

 

夏休みに突入して溢れかえった

周りの観光客の皆さんにつられて

アイスを食べてしまう。

3段で¥900と

日本なら定食食べられる値段。

でも食べたかったんだもの…。

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日。

引き続き南下しますがイエローストーンに隣り合った

「グランドティトン国立公園」をなかを進むことになります。

ロッキー山脈の景色が見どころ。

 

 

 

湖の向こうに見える尖った山々。

このエリアをサイクリングしたり

トレッキングする人が多く、

イエローストーンとセットで

観光するのが定番だそう。

家族連れが沢山います。

 

 

 

整ったサイクリングロードを

気持ち良く走ることが出来ます。

観光地ではe-バイクをよく見かけます。

スイスイ楽に走れて楽しそう。

あれで旅が出来たらどんなにいいか。

充電が大変だけども…。

 

 

 

グランドティトンを走り抜け

20kmほど南下すると

イエローストーン観光拠点の町

“ジャクソン”に到着しました。

冬場はスキー客でも賑わうらしく

山肌がスッキリ刈られています。

 

 

 

 

 

 

 

 

ジャクソンの町から3kmほど南にやってきたのがこちらのお家。

 

いつもおなじみのサイクリストコミュニティサイト

“Warm shower”で連絡を取り合っていた

ホストファミリーさんのお宅なのですが、

この時はちょっとおかしな状況。

 

すでに退職された悠々自適のご夫婦いわく

「週末ちょっとキャンプ行ってくるから

家泊まってていいよ、鍵開けとくね」

とのこと。

 

 

 

「ようこそリョウスケ、この家だよ!」

と紙が貼られた玄関を開けると、

素敵な居住空間が広がっていました。

“ウソでしょ、ここ一人で使っていいの?”

予想を超える最高の宿に出会えたようです。

もう、幸せ…。

 

 

 

滞在に先立ち食材も調達済み。

何が食べたいかって

新鮮な野菜と肉でございます。

自分で調理できるのも

休日の楽しみ。

(自転車漕がない日を“休日”と呼びます。)

 

 

 

YouTube見ながらのんびり料理するのが

もう楽しくて楽しくて。

こんな時に日本での日常が恋しくなります。

欲しいものが手に入って

体が欲しがるものを摂取する、

これだけのことがすごく嬉しい。

 

 

 

テント泊ばかりが続いており

屋根の下、ふかふかベッドで

寝られるのは

カルガリー以来2週間ぶり。

布団って久し振りだと

姿勢が落ち着かないですよね。

 

 

 

朝食を済ませコーヒーを飲みながら

日が差し込むテーブルで

パソコンに向かい作業をする。

全てを手に入れた成功者の気分です。

フリーターのくせに…。

ちょっとしたことで喜びを感じる旅人。

 

 

 

羽を伸ばしきって2泊、ご夫婦帰宅の日。

お礼にチャーシューを作る。

お世話になった家では振る舞うのは

決まってチャーシュー。

こっちの食材で作りやすいし

皆さんに喜んでもらいやすいんです。

 

 

 

 

 

 

滞在3日目にしてついに

“チャックさん&カレンさん”ご夫婦にお会いできました。

「快適に滞在できたかしら?」とカレンさん。

いや、もう骨の髄が溶けてしまいそうなぐらい

快適でございました。

 

 

 

やっとお会いできた二人にお礼を伝え

楽しく食卓を囲みます。

見知らぬ旅人の為に

家まであけてくれる人が

この世にはいる、という事実。

自分は人のためにどこまでできるだろう。

 

 

 

チャーシューなんかでは決して返せない恩を

また一つ受けてしまいました。

 

 

 

CATEGORIES

PAGE TOP