Cycling The Earth ~自転車世界一周の旅~

日記

投稿者: ryosuke

情熱の国・スペイン

2019.05.23

【357日目 14,113km】

 

 

強風のサイクリングで疲れ果てた体を癒したら、

再び海岸線を南へと下っていきます。

 

 

 

モンペリエの街を離れると

また海沿いにはいくつもの池がある湿地帯が広がっています。

青空の下、平坦な水辺を走るのがなんとも気持ち良い。

 

 

 

ふと横に目をやると

たくさんのフラミンゴたちが。

穏やかな水面に立つ

ピンクの鳥の群れの姿は

とても優雅。

 

 

 

 

道の脇には牧場がいくつもあり、

カマルグの地域では半野生化している

気品ある白い馬たちが。

世界の中でも最古といわれる

品種だそうです。

 

 

 

 

道を進んでいると

今度は空を舞うフラミンゴたち。

なかなか近づくことはできませんが

日本では野生のものを

見ることができないので

かなり新鮮。

 

 

 

この日はカマルグの自然公園で

吹き荒れた暴風が止んでおり、

のんびり海辺のサイクリングを

楽しめました。

起伏もないし気持ちが良い。

 

 

 

 

 

 

 

途中で休憩に寄ったスーパーで出会った

イタリア人サイクリストの“ロベルトさん”と一緒に

キャンプ場で1泊。

フランスの旅もあと100kmほどで終了です。

 

 

 

カバンの中に1週間ほど入れてた

トマトソースでパスタ。

腐ってるかどうかの瀬戸際だったけど

残念ながらお腹壊しました。

トマトソースは

お早めにお召し上がりください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明くる日も南に向かって漕ぎ出します。

湿地が広がるこのあたりは道も平坦で漕ぎやすい。

 

 

 

幹線道路から外れているので

対向車もほとんどおらず

とても快適に走ることができました。

フランスはほとんど

田舎ばかり走ってます。

 

 

 

 

水辺にいるのはフラミンゴだけでなく

沢山の種類の鳥たちが集まります。

エサが欲しいのか

人間を見ると寄ってくるヤツら。

 

 

 

 

 

ひざを痛めているロベルトさんとは

途中でお別れ。

再び1人になると

黙々と海岸を南に進んでいきました。

 

 

 

 

 

国境まで数十kmというあたり。

平坦な湿地帯も終わり

起伏の多い山が連なる

地域に差し掛かってきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

あと1つ山を越えれば国境という所で

この日もキャンプ場にチェックイン。

ディナーはプロヴァンスで出会った

ミツコさんからいただいた

たらこスパゲッティ(生風味)。

 

 

 

(生風味)ってなんだろう?

と思いつつ調理してみると

これがまた美味しい。

茹でたパスタにあえるだけ。

これも立派な日本食です。

 

 

 

 

夏に向かっているヨーロッパ。

なかなか日が沈まないので

9時前ごろまでずっと明るい。

キャンプの時は雰囲気出ないし、

早く暗くなってくれた方が良いのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日は出発と同時に山登りが始まります。

車の通らないひっそりとした道を

時に自転車を押しつつせっせと登る。

 

 

 

海辺から一気に峠の上まで

登ってきました。

国境にまたがるピレネー山脈の

東端にあたるこのあたりは

圧巻の景色です。

ただ山頂だけあって風がすごい。

 

 

 

 

 

 

峠がそのまま国境になっていました。

 

ほとんど人の通らない山道なので

看板も何もないけれど

ここから20ヵ国目となる「スペイン」の旅が始まります!

情熱の国はどんな出会いを与えてくれるのか。

 

 

 

国境を越えると

緩やかな下り坂が数十kmに及んで

続いていました。

天気が崩れそうなので

少し急いで先を目指します。

 

 

 

 

急ぐあまり間違って

高速道路に侵入してしまいました。

料金所をこっそりくぐって出るとき

非常ベルみたいなのが鳴って焦ったけど

誰も追いかけてこないのでセーフ。

もう罰金なんて払いたくない…。

 

 

 

 

 

 

国境から70kmほどの「ジローナ」という街。

 

予定していたキャンプ場が見つからず途方に暮れていると

雨が降ってきたので、

近くの農家さんに相談すると

ビニールハウスにテントを張ってもいいということに。

 

 

 

暖かいし、雨も防げるし、

予想以上に快適なキャンプ場所を

発見です。

でも夏場は暑そう…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜が明けると

うってかわって晴天が広がりました。

 

フランスと隣り合ったスペイン北東部の

このあたりはカタルーニャ地方。

最近よく、独立を巡った論争が話題になっている所です。

 

 

 

山間部から海辺に出ると

また道は平坦になります。

この日は南西に向かい

海沿いをただただひた走りました。

 

 

 

 

 

ジローナのビニールハウスから

100kmほど走った夕方、

ビルが増え交通量も多くなり

都会のにおいが

プンプンしてきます。

 

 

 

 

 

 

 

そして、フランス・モンペリエから走ること4日。

スペイン随一の大都市

「バルセロナ」に到着です!

 

 

ラテンの大国を走り出す前に

この街でしばらくのんびりしまーす。

 

 

 

暴風ふたたび

2019.05.18

【350日目 13,696km】

 

 

プロヴァンスの新緑を駆けた抜けたあとは、

再び海岸線へ戻り

西へと向かいます。

 

 

 

ホストのフローレンスさんとミツコさんが

見送りの際に告げてくれた

「今日と明日は、風が強いよ。明日は特に!

このあたりの風はホントに強いんだからね!!」

という言葉。

 

このときは「まあ、何とかなるでしょ」と

さほど気にも留めず

穏やかな景色の中走り始めました。

 

 

 

 

 

 

海のほうへ向かうとほとんど起伏はなく

快調に走って、お昼過ぎには60kmを走って

「アルル」の街へ。

 

 

 

プロヴァンス地方の中でも、

美しい街並みが人気で

多くの観光客が訪れるアルルの街。

昔ながらの街並みが残っています。

 

 

 

 

 

中心部には

大きな円形闘技場がありました。

かつてヨーロッパを広く治めた

ローマ帝国の遺産です。

 

 

 

 

 

かの有名な画家ヴァン・ゴッホが

愛したことでも有名なこのアルル。

名画「夜のテラス」の題材となった

カフェが現在でも残っていました。

こういうとこでフランスだなぁと

実感します。

 

 

 

フランスでは自炊ばかりだったので

記念にこのカフェに入店。

このあたりで有名な

水牛の煮込み料理を頂きました。

そりゃもちろん美味しいけど

値段は¥2,000、…高い。

 

 

 

街を数km離れると

ゴッホ作「アルルの跳ね橋」の

題材になった橋。

偉大な芸術家の感性をくすぐるのが

プロヴァンス地方の風景です。

 

 

 

 

 

 

 

アルルの街を離れると

そのまま南のほうへと下っていきます。

 

 

 

アルルから南に20kmほど下った

「カマルグ」と呼ばれる一帯は、

海水と淡水の混ざった大きな池が

いくつもある湿地帯となっており

自然公園として保護されています。

 

 

 

 

この湿地帯に集まるのは

たくさんの鳥たち。

春のこの時期には

フラミンゴがやって来ていました。

(遠くて見えづらいですが

白い点がフラミンゴです。)

 

 

 

一部区域が鳥たちの

保護観察地域となっており

有料で立ち入り出来るように

なっていました。

湿地の横に建てられた小屋から

スナイパーのように鳥たちを覗きます。

 

 

 

期待に胸を膨らませ

いよいよ覗いてみますが、

1羽たりともいませんでした。

鮮やかなピンクのフラミンゴはどこ?

時間帯が悪かったのか?

 

 

 

 

鳥たちが立ち寄りやすいように

人間の手によって整えられた静かな池。

僕が鳥なら思わず立ち寄りたくなるけど

残念ながら来るタイミングを

間違えたみたいです。

仕方ないけど、やっぱり残念…。

 

 

 

 

 

 

この日は自然公園の近くにあるキャンプ場へ。

設備の整った最新のキャンプ場だったらしく

1泊なんと¥2,000。

 

「もっと安くしてシルブプレ」と交渉するも

値段が変わるわけもなく、

他のキャンプ場を探そうかと悩んでいたところに

とある女性が声を掛けてくれました。

「私たちの借りてる敷地に一緒に泊まりなよ。

人数増えてみんなで割ったら安くなんじゃん」

 

娘さんと2人で写真のバスに乗って

カマルグに遊びに来ていた「マリエルさん」。

かつてのスクールバスをキャンピングカーに

改造してしまったファンキーなフランス人お母さんです。

 

 

 

車内はさすがに広々としていて

もちろんキッチンも付いています。

ベッドもあるし

こんなバスに乗って旅ができたら

本当にどこまでだって行けそう。

 

 

 

 

お言葉に甘えて

晩ご飯までご馳走になることに。

民家だけでなくキャンプ場でも

人のお世話になるとは…。

つくづく人の優しさに感謝です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、テントで夜を明かした翌朝。

深夜未明からやけに強い風が吹いてたのですが

朝になっても吹き止んでいませんでした。

 

ただキャンプ場に2泊するのも嫌なので

覚悟を決めてペダルを漕ぎだします。

 

 

 

広大な湿地帯はどこまでも続いており、

大きな池に挟まれた1本道を

強風の中かろうじて前に進みました。

ただあまりにも強い風に

漕いでも漕いでもほとんど進まず

1時間近く走って3kmがやっと。

 

 

 

 

 

 

この日、あたり一帯に吹き荒れたのは

「ミストラル」と呼ばれる

この地域特有の風。

アルプス山脈からローヌ川流域に強く吹き降ろす風は

時に時速100kmにもおよび

1日中吹き止まないどころか数日続くこともあるそう。

 

 

「このままじゃ今日の予定距離は進めないな」と

思い始めた矢先、

さらに風は勢いを増して

ついにまったく前進できなくなりました。

 

これ以上は進めないと判断してUターンすることに。

今度は背中から吹く風に押されて

ペダルを全く漕いでないのに時速は30kmにも達するほど。

 

しかし、風の向きは一定でなく

時に横からも吹いてくるので走行は実に不安定。

ついには突風に煽られ

「ギャンッ!」と自転車ごとひっくり返されてしまいました。

 

 

 

「もうやだ、自転車なんか漕ぎたくない」

と乗っけてくれるトラックをあてもなく待ち続けることに。

 

しかし、待てど暮らせど自動車1台すら通らないので

とりあえず落ち着きを取り戻すためにも

一度キャンプ場に戻ることに。

 

 

 

あいかわらず吹き続ける強風のなか

お昼過ぎごろなんとかキャンプ場に戻ると、

そこには昨晩一緒に泊まったマリエルさん母娘がまだいました。

 

「ちょうどアンタの話してたことなの、

こんな風のなか自転車漕げるわけないわよ。

風が落ち着くとこまで送ってくわ。」

 

何とか前へ進む方法が見つかったと安堵しつつ

自転車を積んでしばらくバスに揺られました。

 

 

 

 

 

キャンプ場から

20kmほど進んだところで

降ろしてもらい、親子とはお別れ。

風も若干ながら弱まっており

再び西へと進み始めます。

道路横の池にはフラミンゴがのんびり。

 

 

 

湿地帯を抜けだすと主要道路に合流し

遅れを取り戻すかのように

ペダルをグルグルまわして

すっ飛ばして走ります。

休憩もとらず

ただただ前に進みました。

 

 

 

 

 

 

たどり着いたのはモンペリエの街に住む

Warm Showerのホスト

「アンソニーさん&ジェラルディンさん一家」のお宅。

 

事前に「この日に着くからね」と連絡していたので

なんとしても到着しておきたかったんです。

 

 

 

3人の子供がいるアンソニーさん一家は

家族みんなで世界各国を

自転車で旅してきた自転車家族。

今年の夏もヨーロッパを回るそうです。

英語もばっちりの子供たちは

元気で本当に良い子たち。

 

 

 

滞在中はフランスの家庭料理を

たっぷり堪能させてもらいました。

この日のメニューは「ラタトゥイユ」。

一緒に料理させてもらって

各国のご当地レシピ盗みまくってます。

これも旅の醍醐味。

 

 

 

滞在中ずっとお家のごはんを

ご馳走になってましたけど、

冷蔵庫にあるものでぱぱっと

簡単につくる料理が

どれも凄く美味しいんです。

恐るべしフランス料理。

 

 

 

天気が悪かったこともあって

結果的に3日間もお世話になりました。

しかもほぼ外には出ることなく

ずーっと家でまったり。

おかげでプロヴァンス地方からの

疲れもすっかり癒えました。

 

 

 

 

 

 

大陸を渡る自転車旅の楽しさと辛さを知る者同士

たっぷり旅の話を楽しませてもらいました。

 

アンソニーさん一家

素敵な時間をありがとう!

(長女はスペインに修学旅行中)

 

 

 

クロアチアで見舞われた強烈な季節風・ボラにも劣らない

フランスの「ミストラル」。

ここまでの暴風に再び襲われるとは予想もしていませんでした…。

 

 

過酷な自然に翻弄されながら、

出会う人の優しさに癒されながら、

まだまだ旅は続きます。

 

 

 

南仏プロヴァンス

2019.05.14

【348日目 13,503km】

 

 

ニースにてオルダさん一家とはお別れ、

またひとり旅が始まります。

 

 

 

ニースでは1日だけ休暇を取りました。

 

海辺の風が気持ち良い街ですが

いかにもリゾート地といった様子で、

ズンズン鳴ってる音楽に身を揺らせ

お酒をグイグイ飲むような人たちの場所なので

貧乏な旅人が寄り付くには場違いだったように感じます。

 

ということで

ニース名物の延々と続く海辺を走りながら出発。

 

 

 

そのまま海岸を進めば

映画祭で有名な「カンヌ」や

南フランスの大都市「マルセイユ」を

訪ねることもできたけど、

リゾート地はお腹いっぱいなので

山へと入り込んでいきます。

 

 

 

海岸部から内陸へ移動する際には

山を越えなければなりませんでした。

傾斜は緩やかですが

登りがどこまでも続いていきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

70kmほど走ったこの日、

山奥に湖を発見。

久々にキャンプ場ではない

完全なる“野宿”をすることに。

 

 

 

4月下旬のフランスでは

日がとっぷり沈みきるのは

夜の9時頃なので

8時なんてまだまだ明るい。

料理をしながら湖畔の静寂を

1人占めしてやりました。

 

 

 

この日の朝まで

賑やかなニースに滞在してたので、

改めて

静かな自然の尊さを感じつつ

テントの中眠りにつきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目を覚ますと

湖はもやがかかって何とも幽玄な雰囲気。

 

ただ山を越えたことで

海辺に比べて気温が下がってしまったので

少し風邪気味に…。

ゆっくり休める場所もないので覚悟を決めて進んでいきます。

 

 

 

イタリアから国境を越えてすぐ

フランス南東部のこのあたりは

「プロヴァンス」といわれる地域。

広大な土地の遠くに山がそびえる

一帯はワインが有名。

日の光が気持ちよく降り注ぎます。

 

 

 

日が高くなるにつれ

気温も上がって来たけれど

少しづつ体に悪寒が…。

朝の気温の低下が確実に影響してます。

 

 

 

 

 

 

 

 

ということでこの日はわずか40kmほどを走って

「ドラギニャン」という町のキャンプ場に

早めのチェックイン。

 

体調悪いし安宿とろうかなとも思ったけど、

最低でも¥6,000からなのでやっぱりテント泊です。

 

 

 

体を温めるため

パスタのクリーム煮。

イタリアを脱出しても

まだまだパスタ生活は

続いていくんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌朝、体調は改善しないものの

悪化はしていないのでなんとか進みます。

走れば治ると信じる。

 

 

 

この日も雲ひとつない青空が

広がりました。

気だるい体にムチ打って

なんとか前に進んでいきます。

 

 

 

 

 

小さな村が点在している

プロヴァンスの道。

ローマを目指して走った

イタリア・トスカーナを

思い起こさせます。

 

 

 

 

この日もキャンプ場へ。

走っている最中は

アドレナリンが出てるから

なんとか気力を保てるけど

走り終わる頃には疲れが

どっと押し寄せて倒れそうになります。

 

 

 

しんどい時こそ

しっかり食べるようにしてます。

とにかく野菜を鍋に放り込んでしまえば

栄養は摂れる。

しっかり食べたらしっかり寝る!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ニースを出発してから4日目。

この日には目的の場所へ到着する予定。

 

 

 

色鮮やかな花が咲き乱れる

プロヴァンス地方。

このあたりイメージ通りの

フランスといった感じです。

優雅な気分でのんびり

ペダルを漕いでいきました。

 

 

 

峠を越えた向こうに見えたのは

家々が身を寄せ合う町「ボニュー」。

プロヴァンスにはこのような

山の上に砦のごとくつくられた

町がいくつも存在しています。

 

 

 

 

上から見下ろすと

土色の瓦とその向こうに広がる緑が

目の前に広がります。

しばらく海ばかり眺めてたから

山の景色がとても新鮮で落ち着く。

 

 

 

 

ボニューの町を下りて

さらに西へ。

田舎にもこのような自転車専用道が

整備されているフランス。

イタリアにも負けない

さすがの自転車先進国です。

 

 

 

 

 

 

そしてプロヴァンス地方の西の端、

「キャブリエール」という小さな村で迎え入れてくれた

Warm Showerのホスト“フローレンスさん”のお宅へ。

フランスで地元の方のお家へお邪魔するのは

これが初めて。

 

 

 

到着するとさっそく玄関先のポーチで

夕食をご馳走に。

「フランス料理じゃなくてごめんね」

と食べさせてくれたのはボロネーゼ。

イタリアが近いこともあって

やはりパスタは日常食みたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

到着の翌日、フローレンスさん宅から

ひょいと出かけたのは

プロヴァンス地方で最も楽しみにしていた場所

「ゴルド」。

 

前日に訪れたボニューと同じように

山上に多くの家々が密集したこの地域特有のつくりで、

これらは“鷹の巣村”などと呼ばれているそう。

 

その鷹の巣村の中でも

最も形が綺麗といわれ、

国内外から多くの観光客を集めているのが

このゴルド。

“フランスで最も美しい村”と形容されることもあるそうです。

 

 

 

離れてみれば美しいのですが、

村の中に入り込んでしまえば

ホテルやお土産ものが並ぶ

ごく普通の村でした。

絶景は遠くから見るもの。

 

 

 

 

村の高台からはプロヴァンスの

緑地が広がっている様が

よく見渡せます。

結構起伏もあって

よくここを漕いできたもんだと

我ながら感心。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなプロヴァンスの片田舎でのめぐり会いについて。

 

フローレンスさんのお家に

到着した日の夕食時の会話。

 

「日本に帰りたくなることないの?」

「帰りたいとは思わないけど、日本食が恋しくなるときはあるよ」

「それならこの近くに日本人住んでるわよ!」

 

 

ということでフローレンスさん夫妻と歩いて向かったのは

フランス人の旦那さん、息子さんと一緒に

現地で暮らして15年にもなるという

京都ご出身の“ミツコさん”のご自宅。

 

久しぶりに飲むカルピスに大興奮し、

さらに翌日の昼ご飯をご馳走になることに決定。

 

 

 

白ごはんに味噌汁、梅干しなどなど

レストランとは違う

家庭ならではの日本食を

ご馳走になりました。

最初みそ汁を口に含んだ時の

感動が忘れられない。

 

 

 

さらにデザートには

「パウンドケーキ

~プロヴァンスの小豆を添えて~」

を頂きました。

母国の味に取って代われるものなんて

ないですよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちら、お世話になったホストのフローレンスさんご夫妻。

 

離れて住む息子さんたちもみんな

自転車に乗って旅をするのが好きな

サイクリストだそう。

 

 

 

かつてはパリに住んでいたけど、

現在はプロヴァンスで

悠々自適のスローライフを

送ってらっしゃいます。

仲の良い穏やかなご夫婦でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

出発の朝、見送りにきてくれた

ミツコさんとミキオくん(息子さん)と一緒に。

 

旅をする日本の方とはよく会いますが

現地で暮らす方とお会いすることはなかなかありません。

 

住んでいるからこそ分かるフランスの事情など

面白いお話を色々聞かせてもらいました。

 

さらに、

伸び放題になっていた髪もさっぱり散髪してもらいました。

(写真じゃわかりにくいけど…。)

 

 

出会いは予想できないから面白い。

この調子でフランス進んでいきます!

 

 

 

サイクリスト家族

2019.05.9

【343日目 13,226km】

 

 

イタリア最後の都市ジェノヴァで

体を休めて、ジェノヴェーゼをたっぷり堪能した後は

いよいよ次なる国フランスへと向かいます。

 

 

 

ここから数日間とにかく海沿いを走っていく行程。

内陸側には山がずらっとそびえているので

海岸沿いの道を走らざるを得ない

という具合です。

 

 

 

割と起伏があって交通量も多いのですが

サイクリングの定番コースらしく

自転車専用道が

かなり整備されていました。

歩行者の方にさえ気を付ければ

かなり快適。

 

 

 

イタリアももうすぐお別れなので

ランチは奮発して「海鮮パスタ」。

一口食べた途端、

口いっぱいに広がるのは

地中海の香り。

イタリアの食と離れるのが寂しいです。

 

 

 

 

 

 

ランチを済ませて

引き続き走り始めた路上で出会ったのは

大きなバッグを携えたサイクリストの集団。

 

これまでに多くのサイクリストと出会ってきましたが、

この時に出会ったのはなんと

ご夫婦2人にお子様連れ(男の子)の4人家族!

 

小っちゃい子のほうにいたっては

コロコロ付きの自転車に乗ることもままならないらしく

お母さんの後ろにちょこんと座っていました。

 

 

 

半年近くかけて

ヨーロッパを周遊しているという

チェコからお越しの

「オルダさん一家」。

前日にアルプスの高嶺から

降りてきたばかりだそうです。

 

 

 

同じくフランス方面へ

向かって走るということで

しばらく一緒に走行することに。

ひとり旅の身なので

誰かと一緒に走るのは

本当に久しぶり。

 

 

 

一人前に自転車を漕ぐ長男くん。

坂道や車の多い道は

お父さんとゴムひもを繋いで

必死についていきます。

6歳で毎日数十km走るのは

信じられない。

 

 

 

休憩がてら浜辺によると

子供たちはパンツ一丁で水遊び。

その日の気温にかかわらず

海があればどこでも入りたがるそう。

子供のエネルギーってホント

尽きることがないですよね。

 

 

 

さらに毎日欠かせないのがアイス休憩。

食べさせないと

子供たち泣きわめくみたいです。

「毎日2人分って馬鹿になんないから」

ってお母さんもぼやいてました。

 

 

 

 

自分一人の世話しながら

旅するだけでも大変なのに、

小さな子供2人連れてなんて

想像もつかないです。

まあ、こんな可愛い笑顔見せられたら

疲れだって吹き飛ぶけど。

 

 

 

 

 

 

夕方にはキャンプ場へ。

大人数のほうが若干割安になるなんてメリットもあるんです。

一家の大きなテントの隣に張らせてもらいました。

 

 

 

オルダさんたちも

食事はパスタ。

ヨーロッパにいる限り

一番安くて手軽なメニューであることは

間違いありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あくる日も朝から

オルダさんたちと元気よく走り始めます。

 

 

 

ジェノヴァ以西に大きな都市はなく

のんびりとしたほどほどの住宅街が

延々と広がっています。

オルダさん達がいなかったら

退屈してたかもっていうような道。

 

 

 

 

公園で休憩。

写真にはうつってないけど

左側で遊具を巡って

壮絶な兄弟げんかが勃発しており、

後ほど2人ともお母さんに全力で怒られ

大泣きすることになります。

 

 

 

小さな頃に

何か国も渡る壮大な冒険をした子供は

どんな大人になるんだろうか。

この子たちの将来がすごく楽しみ。

なんてこと考えながら

後ろから眺めて走ります。

 

 

 

この日も前日同様キャンプ場へ。

やはりどのサイクリストに聞いても

沿岸部での野宿は難しいらしく

テント泊でもお金を払わざるを得ない

状況です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オルダさん一家と出会って3日目。

キャンプ場を出ると

さっそく登り坂を上っていきます。

 

 

 

そして坂を下った先に待っていたのは

イタリア-フランス国境!

18ヵ国目となるフランスに突入です。

 

 

なお、EU圏内の26ヵ国が加盟する

“シェンゲン協定”というものがありまして、

加盟国間はパスポートの査証なしで

自由に行き来できるという取り決めがあります。

 

しかし同時に、

「外国人は加盟国内での連続滞在期間は90日まで」

というルールもあり

僕がスイスやドイツへ足を延ばさず

最短ルートでヨーロッパを抜けようとする理由もここにあるのです。

 

物価が高いのでどのみち長くも居たくはないんですけど…。

 

 

 

フランス最初の街はメントン。

しばらく海沿いの似たような

リゾート地が続いてるので、

国の違いなんてものも

あまり感じられませんが。

 

 

 

 

僕1人でいても

写真パシャパシャ撮られるのに

家族連れとなればそりゃしょっちゅう。

いままで何人の人のスマホに

自分の写真が収まっただろうか、

というくらい撮られてます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イタリア-フランス国境からわずか10kmあまり走ると

何と次なる国にたどり着いてしまいました。

 

 

中世の都市国家として生まれ、

現在も地中海沿いに存在する「モナコ公国」。

国連加盟国としては世界最小の国家です。

(バチカン市国は正式加盟していません。)

 

 

 

ヨーロッパ各国の富豪たちが別荘を持つことでも有名で

海沿いに高層ビルが立ち並んでいました。

いわゆる「タックス・ヘイブン」といわれる国なので

みんなモナコで資産をごそごそしてるみたいです。

 

 

 

中心にあるモンテ・カルロ地区には

綺麗な浜辺やカジノがズラリ。

絵に描いたようなバカンス地です。

 

 

 

 

 

 

モナコといえば

世界的に有名なF1レース

「モナコグランプリ」。

コチラはテレビ放送でも見たことがある

下り坂の急カーブ、

「ローズヘアピン」。

 

 

 

常設されている縁石には

タイヤ痕がしっかりと残っています。

一般車両がこんなに

乗り上げないと思うのでやっぱり

レース中に付いた痕でしょうか。

 

 

 

 

ローズヘアピンを下った海沿いの車道。

この低いトンネルも

レースカーが猛スピードで走るの

観たことあります。

まさか自転車で走ることになるとは。

 

 

 

 

毎年5月に開催される

モナコグランプリ。

今年もシーズンが近づいているので

観客席が着々と準備中でした。

改めてF1中継を観るのが

楽しみ。

 

 

 

 

 

 

 

30分ほどモナコ市街を走ると

またフランスに戻ります。

かなり海岸沿いの起伏が激しいですが

一家はせっせと上る。

僕は後ろからついてってるけど

1人の時とペースほぼ変わりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この日の夕方、イタリアとの国境から30kmほどにある

海岸リゾートで有名な「ニース」に到着。

 

そして、引き続き海沿いを進むオルダさん一家とも

ここでお別れ。

楽しい3日間をありがとうございました、

これからも気を付けて旅を続けてください。

(お別れ記念に写真撮ればよかった…。)

 

 

 

この「ニース」。

2016年7月に残虐なテロ事件の

現場となってしまった場所です。

今はそれを微塵も思わせない

賑やかで明るい雰囲気。

 

 

 

 

 

 

 

オルダさん一家に続いて

引き続き海岸にそって進む予定でしたが、

リゾート地ばかりが続くので予定変更して

山へ向かうことにしました。

 

その前に疲れたのでニースで休憩します!

 

 

港湾都市ジェノヴァ

2019.05.6

【337日目 13,012km】

 

 

チンクエ・テッレの美しい村を

満喫した後に向かうのは

イタリア最後の都市となる「ジェノヴァ」。

 

 

イタリアの海岸線は比較的平坦でしたが、

ラ・スぺツィアからジェノヴァへは

いくつかの山を越えていかねばなりません。

 

 

 

走り始めて間もない山の中。

川を渡る橋が工事で封鎖されてました。

迂回するには

一つの山を越えなければならないので

無理やりフェンスを開けて通ります。

いいのか?

 

 

 

そして山登りがいよいよ始まります。

ローマ以降ほぼ真っ平らだったので

太ももの筋肉がなまってます。

ちょっと力を入れると

すぐに疲れる。

 

 

 

 

車はほとんど通らないので

せかされることもなく

ゆっくりゆっくり進みました。

この日を境に一気に気温が上がり

汗だくになりながら上へと

向かっていきます。

 

 

 

そして、

山を下ったところにある

キャンプ場で1泊。

キャンプ場はいっぱいあるけど

野宿できそうな場所がないのが

悔しい…。

 

 

 

イタリアのスーパーは

野菜を小分けで売ってくれてるトコが

多いので非常に助かっています。

1人暮らしの旅人にも便利な

ばら売り制度。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日も海沿いをひた走ります。

天気は曇りで非常に走りやすい気温。

 

 

 

しかしその道のりは

常にアップダウン。

海まで下がっては

また峠を上るの繰り返し。

着実に溜まる疲れ。

 

 

 

 

 

 

この日もキャンプ場へ。

ヨーロッパでは

キャンピングカーが普及しているらしく

家族連れの方々が沢山いました。

キャンピングカーの旅も

してみたいな。

 

 

 

飽きないと思ってたパスタですが

ちょっとマンネリ気味…。

他のものつくろうと思うけど、

安くて栄養も摂れるので

結局パスタに落ち着いてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あくる日は

10kあまり走ると都市部に差し掛かりました。

マンションが所狭しと並んでます。

 

 

 

到着したのは

イタリア最後の滞在都市となる「ジェノヴァ」。

 

キリスト教の復活祭「イースター」の日だったので

街も大賑わい。

西洋ではかなり重要な祝日だそうです。

 

 

 

港湾を中心に栄えた都市国家であった「ジェノヴァ」。

 

現在でもイタリア最大の港であるらしく

観光用の客船から商用の貨物船、

個人所有であろうクルーザーまで

港には無数の船が浮かんでいました。

 

 

 

ゲストハウスへ荷物を置いて

港へ観光にくり出すも

突然の曇天。

先ほどまでの青空はどこへやら。

港は晴天だから映えるのに…。

 

 

 

 

ジェノヴァの象徴でもあるのがコチラ。

“Bigo”と呼ばれ

オブジェ兼展望リフトで

多くの人が列を作って並んでいました。

僕は並んでないですけど…。

 

 

 

 

さらに観覧車もあります。

多くの人や貨物が行き来する港が

そのままジェノヴァの

観光資源になっている様子。

周辺にはショッピングセンターや

レストランが多く立ち並んでいました。

 

 

 

港から少し歩いて

旧市街の中心に位置するのは

“フェッラーリ広場”。

噴水の周りに並ぶ銀行や証券所は

歴史的建造物でもあります。

 

 

 

 

アメリカ大陸を発見したコロンブスは

ここジェノヴァで

生まれたとされているそうです。

実は違う場所なんじゃないの

という説もあり、

あくまで「生まれたとされる」場所。

 

 

 

 

 

 

イタリア各地を巡るパスタの旅。

最後を締めくくるのは

ジェノヴァの名産「ジェノヴェーゼ」。

 

日本でもおなじみ、

緑のソースが印象的なソースは

現地では「ペスト」と呼ばれます。

 

 

バジル、松の実、オリーブオイル、ニンニク

などを用いるそのレシピは

“D.O.P”というイタリアの品質管理制度で指定されており

公式の条件を満たさないものは

ペストとは呼ばれないそうです。

もはやジェノバの人々のプライドの結晶。

 

 

 

バジルの爽やかさだけではなく、

松の実とニンニクによって

ガツンとパンチのある味に

仕上がってます。

美味しすぎて

滞在中複数のお店を訪ねました。

 

 

 

レストランによって

パスタのタイプもそれぞれ。

お店によって

ペストの調合も違うので

毎回違った味を楽しめました。

 

 

 

 

 

展望台から見下ろした

ジェノヴァの街。

 

3日間滞在したけど

結局ほとんど晴れることはありませんでした。

 

 

残念だけど、

いつまでも居られないので

次なる場所を目指します。

 

美味しいピザとパスタが

もうじき食べられなくなる…。

 

 

 

絶景・5つの村

2019.05.2

【333日目 12,880km】

 

 

ピサの街で一休みした後は

地中海の海岸線をふたたび北方向に走っていきます。

 

 

この日の目的地は

ピサからわずか70kmほど離れた

「ラ・スぺツィア」という小さな町。

 

 

 

途中マクドナルドでの休憩を挟みつつ

平坦な道を進んでいきます。

トスカーナも海岸沿いの道は

住宅街ばかりで

あまり景色の良い道はありません。

ここ数日、道が退屈…。

 

 

 

出発してからわずか4時間ほどで

目的の「ラ・スぺツィア」に到着。

そして、この町にやって来たのは

近くにある

観光名所を訪れるためなんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その観光名所というのが

世界遺産にも登録されている「チンクエ・テッレ」。

 

直訳すると“5つの村”というその名の通り

切り立った海沿いの崖に

5つの村が数kmの間隔で並んでいるというもの。

 

山と海に囲まれているという地理条件によって

現在まで引き継がれた昔ながらの風景を見るため

多くの観光客が訪れます。

 

 

 

多くの人が観光の拠点とする

ラ・スぺツィアの町に到着した翌日、

さっそく電車に乗って

向かってみました。

 

 

 

 

 

まず向かったのは

「レヴァント」という町。

ここからトレッキングをして

チンクエ・テッレ最初の村を

目指します。

 

 

 

 

進んでいく道は細くゴツゴツとした山道。

のんびりハイキングのつもり

だったのですが

意外としっかり登山しちゃいました。

足に疲労が溜まるのは避けたいのに…。

 

 

 

 

旅のお供はゲストハウスで同室だった

「アイヴァンさん」。

アルゼンチンで弁護士をしてる人です。

本人曰く、

首都ブエノス・アイレスには

弁護士がごろごろいるそう。

 

 

 

 

 

 

2時間ほど登った山の上から

見下ろしたチンクエ・テッレ。

あまりに小さすぎて見えませんが

一応これから訪れる5つの村が

すべて視界に収まっています。

 

 

 

山を下りる前に頂上でランチ。

食材が美味しいので

スーパーで買ったものを

サンドイッチにしてしまえば

とりあえず絶品です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

山を降りてたどり着いたのは

チンクエ・テッレ(5つの村)の

1番西側に位置する「モンテロッソ」。

 

綺麗な光景が広がるかと思いきや

ここはただの町でした。

 

 

 

5つの村の中でも

ここは海水浴目当ての人が集まる

リゾート地という位置づけ。

期待の絶景は次の村までお預けです。

 

 

 

 

 

村から村への移動は電車を使います。

みんな同じような移動をする

観光客ばかりなので

どの便もものすごい乗車率。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わずか5分ほどで着いたのは

2つめの村、「ヴェルナッツァ」。

赤、黄、緑など

色とりどりの建物に

目を奪われつつ

人の集まる海辺のほうを目指します。

 

 

 

町の全容を目にする前に

現地で有名らしい

アイスクリーム屋さんで休憩。

かなり日差しの強い日だったので

冷たいジェラートが美味しかった。

 

 

 

 

海辺へ向かうと、

山を背景に

鮮やかな色が映える村の様子が

しっかりと見えました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして高台から見下ろした

「ヴェルナッツァ」の全体像がコチラ。

 

広い海と山の急斜面に挟まれた

陸の孤島状態でありながらも、

色鮮やかな村には人が溢れ活気が感じられました。

 

期待通りの光景に興奮しつつ

次なる村へと向かいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3つ目の村「コルニリア」は

駅を降りてから300段以上にも及ぶ

階段を登った上に位置しています。

山の上にあるので

5つの村で唯一海辺を持たない

というこの村。

 

 

 

 

登る前から分かってはいたのですが

山の上に位置する村の全景を見るには

空を飛ぶか、ドローンを使うか

しかありません。

 

 

 

 

 

いざ村にたどり着くと

「絶景どこ?どこ?」と、

なってしまいます。

とりあえず村から見下ろせる

ワイン畑を眺めたら、次の村へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つづいて4つ目の村

「マナローラ」へ。

駅からつながったトンネルを抜けると

これまでの村にはないほどの

賑やかさが感じられます。

 

 

 

 

もちろんこの村の絶景が拝めるのも

海辺付近。

人の流れに身を任せて歩きつつ

期待に胸が膨らんでいきます。

 

 

 

 

 

海辺の岩場から見上げた村。

カラフルで可愛らしい建物が

立ち並ぶ一方で、

まるで要塞のように堂々たる風格。

 

 

 

 

 

 

 

 

村の美しさが最もよく分かるのは

やはり高台から見渡した時。

チンクエ・テッレの象徴として

よくポストカードにも描かれるこの

「マナローラ」の絶景。

 

海のほうへせり出した岩山の上に

ぎゅっと身を寄せ合うように

住宅が密集していました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西から順に村を巡り

最後にたどり着いた5つ目の村は

「リオ・マッジョーレ」。

1つ前のマナローラと同じく

かなりの人で賑わっています。

 

 

 

 

山登りから始まり

電車を使いながらとはいえ

歩き続けたこの日、

夕暮れのこの時間には

さすがに足がクタクタです。

夜8時前でもこの明るさだけど。

 

 

 

 

 

 

チンクエ・テッレ(5つの村)

見納めの絶景がこちら。

 

入り江のようにぐっと山へ切り込んだ海辺から

いっきにせり立つ断崖に

色とりどりの建物がところせましと並びます。

 

建物の色づかいはそれぞれに似ていても

地形によって少しずつ印象の違うそれぞれの村。

 

もっとも迫力があったのは

最後のリオ・マッジョーレかも。

 

 

 

 

 

1日中歩き続けたのでこの日はもうヘトヘト…。

レストランで海鮮パスタを食べて

すぐさまベッドに倒れこみました。

 

翌日にはすぐ

自転車に乗って出発する予定でしたが、

のんびりとゲストハウスで休養を取ることに。

 

イタリアもぼちぼち終盤です。

 

 

 

ピサの斜塔

2019.04.28

【330日目 12,798km】

 

 

 

ローマで一休みした後は

さらに西へと向かって走り出します。

 

 

 

長い旅路の中で“シルクロード走破”という

まず最初のピリオドを無事打てたということに

満足と安心を感じながら

のんびりと進み始めました。

 

 

 

 

ローマも中心部を離れてしまえば

あっという間にのどかな景色。

どこまでも建物が並んでいる

日本の風景のほうが

世界的に珍しいと

最近気づきました。

 

 

 

お昼は安心の味、マクドナルド。

小さい頃から食べてきた

ポテトとハンバーガーは

もはや故郷の味。

 

 

 

 

 

巡礼の道とは違い

海沿いは起伏のない

なだらか道がどこまでも

続いていました。

ローマの喧騒が嘘のような

静けさ。

 

 

 

 

 

 

海辺でテントを張るつもりだったこの日。

 

リゾート用に整えられた海辺には

こっそり野宿できるような場所がなく

なんとなくさまよっているとキャンプ場を発見。

 

お金を払ってテントを張るということがこれまでになく

ちょっともったいないなと違和感を感じながらも、

せっかくなので泊まってみることに。

 

 

 

これが予想以上に快適で

場内ならどこにテントを立ててもいいし

Wi-Fiもとんでるし、シャワーもあるし。

ワイルドさのかけらもないけど、

¥1,000足らずの入場料で買える

居心地の良さはクセになりそう。

 

 

 

沈んでゆく夕陽を眺めながら

グツグツと茹でたパスタ。

安いものだと500gで

¥100以下のものが

手に入ります。

さすが世界一のパスタ大国。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日も緑豊かな農耕地帯を

のんびりと進んでいきます。

記憶に残らないような

同じ風景が延々と続いていました。

 

 

 

厄介なのが整備された田園風景が

ずっと続くばかりで、

なかなか野宿場所が見つからないこと。

行けども行けども

道の両脇に広がるのは大きな畑。

 

 

 

 

ということでこの日も

お世話になったのはキャンプ場。

外国人割引ということで

¥500ちょっとで泊まれました。

野良犬もいないし

前日に引き続いて実に快適。

 

 

 

この日のメニューは

ツナパスタ。

トルコ以来キャンプ離れしてましたが

春の到来とともに野宿中心生活に

戻していきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ローマを発ってから3日目。

ほとんど変わらない景色の中を

この日も走りました。

 

 

 

そしてこの日も同じくキャンプ場へ。

馬鹿の一つ覚えというやつです、

はじめてキャンプ場を利用してから

連続3日目。

だって快適なんだもの。

 

 

 

 

自炊のいいところは

自分の好みの食材を摂取できる

という点です。

イタリアのパスタって

あまり具だくさんではないので

イタリアはいってからは野菜不足。

 

 

 

トマトペーストと野菜を鍋に放り込んで

パスタと一緒に煮込んでしまえば

失敗のしようがありません。

安くて美味しい

イタリアでのキャンプ生活。

 

 

 

 

人のいない平日のキャンプ場で

出会ったのは、

愛犬と一緒にヨーロッパを旅する

アメリカ人のデイヴィッドさん。

車イスにのりながらも器用に

車を運転をされます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ローマを出発してから4日目。

引き続き

青い空と緑の大地。

 

このあたりも

巡礼の道を走ったときと同じ

トスカーナ地方です。

 

 

 

せわしないローマの後に

再びトスカーナを訪れると

イタリアの田舎の良さを

より一層感じることができます。

えんえんと続いていく

牧歌的な風景。

 

 

 

地味に上り坂が続いているので

なかなかスピードが

あがりませんでした。

でもこのあたりは

のんびりペースで進んでいくのが

ぴったりの場所。

 

 

 

この日たどり着いた街は

「ピサ」。

中心を流れる川の両脇に

立ち並ぶ古い建物が印象的な

静かな場所です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、

ピサといえば有名なのが「ピサの斜塔」。

 

 

教会の横に建つ鐘楼として建てられ始めたのは

西暦1,100年頃。

不安定な地盤のせいで、

着工後まもなく傾き始めたそうですが

当時の技術では修正できなかったそう。

 

最近また地盤の変化によって、

最上部の中心点を基準に

4cmだけ垂直方向に戻ったらしいですよ。

 

 

 

真っ正面に立ってみると

かなり傾いているのがわかります。

中国にも斜塔はありましたが、

流石にここまでじゃなかった。

現地で見ると本当に

倒れるんじゃないかってくらいです。

 

 

 

もはや名物ともいえるのは、

斜塔を支えるポーズで写真を撮る

観光客の方々。

塔の近くでも遠くでも

いたるところでこのポーズ。

 

 

 

 

国籍・性別・年齢・宗教、

関係なく皆このポーズって

良いですよね。

僕は1人ぼっちで友達もいないので

そのポーズをとる人たちの

写真を撮っていました。

 

 

 

 

 

 

そういえば

ニュートンがここで万有引力の実験をした

っていう逸話がありますが、

本当なんでしょうか。

 

ああいうのって大体

嘘くさい気もするけど…。

 

なんてことを考えながら

キャンプ泊での疲れを癒すべく

ピサの街でのんびり一休みしました。

 

 

 

シルクロード走破!

2019.04.24

【323日目 12,430km】

 

 

フィレンツェからローマを目指し

引き続きイタリアを南下していきます。

 

 

 

巡礼の道を進みはじめて4日目。

緑豊かなトスカーナの風景も

そろそろ見納めです。

 

 

 

この日は自動車道に沿って

進んでいきました。

車を気にしながらだけど、

そこまで交通量もないので

丘の上の未舗装路を走るより

だんぜん快適。

 

 

 

フィレンツェからの道のりで

残念だったのが、不安定な空模様。

終日雨ということはないけれど、

綺麗な青空が澄み渡っていれば

もっと綺麗なトスカーナが拝めたのに。

まあ、これが旅ってもの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

およそ60kmを走ったこの日は

「ヴィテルボ」という街に到着。

 

 

 

またも教会に併設してある

宿泊施設に泊まりました。

1人部屋だし、Wi-Fiもあるし

普通のホテルと比べても

遜色ない居心地の良さです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、巡礼の道5日目。

いよいよイタリアの首都・ローマに到着する日です。

 

 

 

ローマが近づくほどに

建物が増え、車の数も増えていきます。

中国から始まったシルクロードの旅を

頭の中で振り返りながら、

少しづつ終着の地への距離を

縮めていきました。

 

 

 

 

 

80kmほどを走ったところで

市街地に突入。

橋を渡った向こうには

“永遠の都”と呼ばれる

ローマの街並みが広がります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、午後2時ごろ。

 

ついにイタリアの首都、

そして

ユーラシア大陸を結ぶシルクロードの西の果て、

「ローマ」に到着しました!

 

 

 

 

昨年の5月、

中国・上海を出発した時は

本当にたどり着けるのかと不安ばかりだった

旅の始まり。

 

しかしいざ走り出してしまえば、

かつて交易品が人から人へと渡り

“絹の道”を伝ったように、

その土地に住む人々の優しさに触れながら

少しづつ道のりを紡いでいくことができました。

 

 

ユーラシア大陸横断までもうひと踏ん張り、

世界一周を思うとまだまだ先は長いですが

それを成し遂げるための

自信を得ることができたのではないかと感じます。

 

 

 

 

 

 

ローマでは受け入れてくれるホストを

見つけることができずゲストハウスに滞在。

大都市では宿泊先での盗難トラブルなども話に聞くので

ちょっと不安だし高いけど仕方ない。

 

 

 

到着の晩は

シルクロード走破の慰労として

ステーキをたいらげてやりました。

疲れ切った後には

肉汁が血管の先の先まで染み渡る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日は朝からローマ観光へ。

 

まず最初にバスで向かったのは

世界一小さな国として有名な「バチカン市国」。

 

 

 

この白線の内側がバチカン市国。

パスポート査証などはなく

行ったり来たりし放題。

朝一番だというのに

ものすごい人が集まっていました。

 

 

 

 

線の内側、沢山の人が集まっている

サン・ピエトロ広場。

ここからバチカン美術館、

サンピエトロ大聖堂などの

見所へと向かうのですが

 

 

 

 

どの施設も入場するためには

長蛇の列に並ばなければなりません。

先頭がどこなのか最後尾がどこなのか

まったく分からないほどの長い列。

数時間待ちは当たり前だそう。

 

 

 

 

 

 

 

列に並んでいる時間はないので

外観だけ眺めた「サン・ピエトロ大聖堂」。

 

キリストに従えた使徒ペトロの墓でもあるこちらは

キリスト教関連では世界最大級の建築物だそう。

雰囲気だけ味わって早々に退散です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次にバチカン市国から歩いて向かったのは

ローマといえばまず最初に

思いつくであろう場所「トレヴィの泉」。

 

 

「再びローマに戻ってくることができる」

という言い伝えを信じて、

後ろ向きにコインを1枚投げ入れました。

 

後から調べて知ったのですが

2枚投げると、「好きな人と永遠に結ばれる」

3枚投げると、「恋人や伴侶と別れることができる」

らしいです。

 

現地にお越しの際は

必要に応じた枚数をお投げください。

 

 

 

トレヴィの泉でとにかく凄かったのは

泉をとり巻く圧倒的な人の数。

決して広くはないこのあたりに

数え切れないほどの人が

ぎゅうぎゅう詰めで集まっていました。

 

 

 

 

本当はローマ到着直後に

自転車も一緒に記念撮影したかったけど

とてもそんなことができる

余裕はありません。

観光地では当然のことながら

スリの発生率もものすごく高いそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちら教会へと向かう階段が有名な

「スペイン広場」。

ローマの休日だけでなく

色々な映画やドラマで見たことある気がする。

 

 

 

近くにスペイン大使館があることで

この名前がつけられたそうです。

ローマの中心に位置しており、

階段に座って一休みしながら

道行く人をぼうっと

眺めるのにピッタリの場所でした。

 

 

 

階段を1番上まで登れば

広がるローマの街並みが見渡せます。

同じ首都でも東京とは違って、

見所が密集しているので

徒歩でも十分観光して回れるローマ。

 

 

 

 

 

 

本当に一瞬で見終わったのは「真実の口」。

 

昔、ゲームセンターに置いてありましたよね。

今でもあるんでしょうか?

見た目はアレと一緒です。

 

手を入れてみたかったけど

これまたものすごい行列だったので断念。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、最後にやって来たのは

ローマの象徴として

あまりにも有名な「コロッセオ」。

 

 

古代ローマ帝国において、

剣闘士たちの戦いが繰り広げられた

もはや人類史を代表する建造物とも

いえるのではないでしょうか。

 

 

 

入場して内部も見れますが

やはり長蛇の列。

外から眺めるだけで

満足してしまいました。

実際の列を見ると

本当にゲンナリするんですよ。

 

 

 

およそ2,000年前に建てられた

超巨大ともいえる円形競技場は

現地でしか味わうことのできない

圧倒的なスケール感。

大きすぎてどこから写真撮ればいいのか

全然わからず、ほとんど撮ってません。

 

 

 

 

結局、行列を避けてばっかりで

ローマを隅から隅まで堪能したとは言い難いですが…。

(むしろ隅っこをちょっとかじっただけ)

 

このことから学んだのは、

ローマなど世界中から観光客があつまる大都市では

旅行会社の企画するパックツアーに参加して

行列をすり抜けながら、歴史背景の解説を聞きつつ

要領良く見て回るのが正解だということです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ボローニャの“ボロネーゼ”に始まった

ご当地パスタ旅。

ローマの名物は言わずと知れた

パスタの大定番「カルボナーラ」。

 

日本のものと違って生クリームを使用せず、

具はパンツェッタといわれる豚肉の塩漬けのみ。

クリーミーさが無いぶん、

濃厚なチーズの香りと卵のまろやかさが

かなり前面に出てきます。

塩味もしっかり効かせてあり、

カリッカリのパンツェッタとの相性が抜群。

 

クセが強いので好みが分かれそうですが

個人的には大好きな味でした。

 

 

 

ということで1食では飽き足らず

異なるレストランでリピート。

イタリア人は普段

こんなに美味しいものを食べているのか

と嫉妬するほどの美味しさです。

…あぁ、書いてて食べたくなってきた。

 

 

 

レストランでの定番スイーツは

「ティラミス」。

甘さたっぷりで

舌が溶けそうになるほど

美味しかった。

うん、これもまた食べたい。

 

 

 

旅が終わった後で

「世界で1番料理が美味しかった国はどこ?」

で聞かれると「イタリア!」って

迷わず答える気がします。

 

意外性もないし、

答えとしてはまったく面白くないけども。

 

 

 

 

 

 

ローマを観光中、

「ヘーイ、マイフレーンド!」と

路上商人がどこからともなく近づいてきて

腕にアクセサリーやミサンガを無理矢理巻きつけた後に

お金を請求してくるという不器用でピュアな手口が横行してます。

 

「そっちが勝手に巻いといて、払うわけないじゃん」

と無視してやりましたが…。

 

結果、欲しくないアクセサリーを無料でゲット。

でも要らない。

 

 

 

巡礼の道

2019.04.20

【321日目 12,277km】

 

 

フィレンツェで芸術に触れた後は、

いよいよイタリアの首都・ローマを目指して進みます。

 

 

法王の鎮座する場所・ローマ。

そのローマを目指して

はるか昔からヨーロッパ各地の人々が歩いたという

巡礼の道があります。

 

ということで、

フィレンツェ~ローマ間は

悠久の巡礼の道を辿っていくことに。

 

 

 

フィレンツェの街を離れると

なだらかながら起伏の多い

道が延々と続いていました。

主要の国道は別の地域を走っているので

交通量が少ないのがありがたい。

 

 

 

 

緑豊かで牧歌的な風景。

たくさんの丘が目の前に広がる

このあたりは「トスカーナ地方」

と呼ばれるところ。

 

 

 

 

 

残念ながら天気は不安定で

突然の雨に降られてしまいます。

ただ、降ってはやんでを繰り返すのが

イタリアの雨だそうで

しばらく雨宿りをすると

徐々に晴れ間も見えてきました。

 

 

 

巡礼の道は村から村へ

細くうねりながら続いています。

車がせわしなく走っておらず

のんびりと進んでいきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

65kmを走ったこの日は

「モンテリジョーニ」という城壁に囲まれた小さな町に到着。

昔の人はローマに向かう道中、

町の教会で祈りをささげながら

点と点を結ぶように、また次の町を目指したそう。

 

 

 

教会は巡礼者のために

宿泊施設を併設してることがあり、

この日はそこに泊まってみることに。

要は、お寺の宿坊みたいなもの。

四国のお遍路を思い出しながら

ゆっくり休みました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

巡礼の道2日目。

窓を開けると

鮮やかな緑が目に飛び込んでくる

トスカーナ地方、春の朝。

 

 

 

出発してからわずか10kmほど走ると

次の街「シエナ」が見えてきました。

この町も城壁に囲まれており、

巡礼者たちの宿場町として

栄えたそうです。

 

 

 

 

町の中心には築700年近いという

役場とその隣に建つ鐘楼。

後で調べて知ったのですが

この「シエナ」は

歴史地区として町がまるごと

世界遺産に登録されているそう。

 

 

 

ゆっくり観光すればよかったですが

小雨が降っていたので先を急ぎました。

イタリアは歴史遺産があまりに多く

すべてのんびり見ている時間がない

というのが悔やまれます。

 

 

 

 

巡礼者たちへの道しるべとして

ローマの方向を示す標石が

あらゆる所に置いてあります。

歩いてローマに向かう方とも

ちらほら出会いました。

 

 

 

 

小高い丘の上にも道は伸びているので

未舗装の砂利道が続く区間もあります。

整った道ばかりだったイタリアですが

このあたりは走りごたえがあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

75kmを走ったこの日は

10軒ほどの家がある集落の近くで

テントを張らせてもらうことに。

 

朝晩は少し冷え込みますが

日本の3月と同じくらいの気候でしょうか、

アウトドアが快適な季節が近づいてきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つづく巡礼の道3日目は

朝からいい天気。

空模様を気にせず走れるというのが

いかに幸せなことか実感します。

 

 

 

巡礼の道も時に車道と合流して

走りやすくなります。

それでもこのトスカーナ地方、

真っ平らな道はほとんどなく

アップダウンが数十kmにわたり

続いていきました。

 

 

 

途中で「バグニ・サン・フィリポ」

という村により、

名物のテルマエ(天然温泉)に

入ってみることに。

石灰岩が溶け出した様子が

トルコのパムッカレを思い出させます。

 

 

 

景色のいいところは人が多いので

上流のこちらでつかることに。

川に流れだしたお湯に浸かる

というスタイル。

ちょっとぬるめなのが気持ちよく

1時間近く入ってしまいました。

 

 

 

温泉で体がふやけきった後は

再び看板に従って

巡礼の道を進んでいきます。

道は再び、ガタガタの砂利道へ。

 

 

 

 

 

道沿いには時々、

天然水が垂れ流し状態で湧いています。

これがひんやり冷たくて

渇いたのどを潤してくれました。

 

 

 

 

 

こんなに穏やかな景色ですが

上り下りが絶えず続いているので

着実に疲労は溜まっていきます。

時には自転車を押しながらでないと

進めないほどの斜面もありました。

 

 

 

 

 

 

 

52kmを走った3日目は

「プロチェーノ」という丘の上の町に到着。

 

 

 

ここでも巡礼者のための宿泊施設に

泊まります。

ホテルより安いといっても

¥2000近くするので

やっぱりヨーロッパだな、

という値段ですが…。

 

 

 

ドミトリー(相部屋)には

他に誰もいないので貸切状態。

ベッドがすごくかたくて、

未だに引かない事故による首の痛みが

悪化しそうなほどでした…。

(現在、かなり快方に向かってます!)

 

 

 

イタリアに入国した途端に現れたのは

便器の隣に並ぶもう一つの便器。

“ビデ”です。

一般家庭にも置いてありました。

使い方については

ネットで検索してみてください。

 

 

 

 

 

 

夕日が沈むプロチェーノの町。

 

 

シルクロードの西の果て、

ローマまであと2日!

 

 

 

芸術の街・フィレンツェ

2019.04.16

【318日目 12,085km】

 

 

美味しいボロネーゼの街ボローニャを後にして

次なる場所へ向かいます。

 

 

 

アレックスさん宅は山の麓だったので、

この日は1,000mの山を越えていく行程。

気合を入れて臨みます。

 

 

 

天気の良かったイタリアの道のりも

少しずつ曇り空になってきました。

ずっと上りなので

急ぎようもないのですが、

雨が降る前に着かねばと

気持ちだけ焦ってしまう。

 

 

 

傾斜は思いのほか緩やかで

お昼ごろには峠が見えてきました。

高さ1,000mの山越えは

かなり慣れてきたように感じます。

足はあまりムキムキになってない

気がするけど。

 

 

 

そして、山の峠に到着。

ここからアペニン山脈の反対側へ

一気に滑降していきます。

再び木に激突するわけに行かないので

ブレーキを握りしめてゆっくりゆっくり

下りていきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

山を下るとあっという間に

目的地「フィレンツェ」に到着。

 

またまたWarm Showerを利用して

「カルロさん」という

おじいさんのお宅にお世話になります。

 

 

 

夜はやっぱりパスタ。

パパッと簡単に調理してたようですが

物凄くおいしい。

オリーブオイルとか新鮮なレモンとか

素材が良いからイタリアの料理は

美味しいのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日はフィレンツェの観光に出かけます。

天気はあいにくの曇りでしたが…。

 

写真は街の中心部にある

「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」。

フィレンツェの象徴です。

 

 

 

石造りのドームは

キリスト教建築のなかでも

最大級の大きさだそう。

写真では伝わらない

圧倒的な存在感がありました。

 

 

 

 

フィレンツェの歴史を語る上で

欠かせないのは、

この地域の実質的な支配者であり

ルネサンス期の芸術家達の

パトロンとなった「メディチ家」。

 

 

 

彼らが収集した芸術作品を

間近で見るためにやってくることが、

フィレンツェを訪れる観光客の目的でもあります。

 

上記の大聖堂や市役所、そして美術館。

いたるところに作品は展示されているのですが

そのどれも入場料は¥3,000前後。

貧乏旅行者はとてもじゃないけど

すべて入場するわけにはいきません。

 

 

 

そうはいっても何も見ずにこの街を去るのは寂しいので

唯一訪れたのは「ウフィツィ美術館」。

入場料およそ¥2600。

値段の話ばっかりするなって我ながら思います。

 

 

展示されているのは

ルネサンス期の彫刻や絵画。

イタリアでも最大規模の美術館らしく

平日にもかかわらず

かなりの人たちが訪れていました。

 

 

 

 

 

ヨーロッパ圏では

はじめての美術館。

著名な芸術家の作品を

直に見るのが楽しみです。

 

 

 

 

 

「ウルビーノ公夫妻像」

/ピエロ・デッラ・フランチェスカ

 

というか、

写真撮影OKなことが驚きでした。

みんなパシャパシャ撮りまくってます。

 

 

 

 

「ヴィーナスの誕生」

/サンドロ・ボッティチェリ

 

この作品が美術館で

最も有名なものだったでしょうか。

ルネサンスの象徴ボッティチェリ。

 

 

 

 

人気作品には当然

沢山の人だかりができます。

みんななるべく

前で見ようと必死。

 

 

 

 

 

「受胎告知」

/レオナルド・ダ・ヴィンチ

 

人生で初めてダ・ヴィンチの作品を

目の当たりにしました。

 

 

 

 

「メデューサの首」

/カラヴァッジョ

 

インパクトのあるこの作品。

来年、日本にもカラバッジョ展

やってくるそうです。

 

 

 

と、このような作品たちを

3時間ほど見たでしょうか。

作品が強いエネルギーを放っているのか

見終わった後って疲れがどっと押し寄せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

観光を終えて、帰りの路面電車で悲劇が…。

 

停留所の券売機で¥160の切符を購入したのですが、

イタリアでは乗車後に

電車内の機械に切符を挿入して

乗車時間を打刻するというルールがあるそう。

 

これを怠った場合、罰金が発生するのですが

ほとんど電車なんか使わない僕はそんなこと知りません。

 

 

目的の駅について電車を降りようとしたところ

乗り合わせていた係員がつかつかやってきて、

「きみ切符に打刻してないね。はい罰金¥6,000」

 

「いや、そんな決まり聞いてないし!

切符にも説明書いてないし!

ていうか、電車の中にいたんだったら

外国人に優しく説明するのがアンタたちの仕事じゃん!!」

 

 

係員が指で示した停留所の掲示板に物凄く小さな英語で

説明書きが書いてありました。

 

「いやいや、そんなちっちゃいの気づくか!

しかも英語で書かれても日本人だから読めませーん!

したがって、罰金なんて払いませーん!!」

 

「きみ、さっきから英語で文句言ってんじゃん。

絶対読めるでしょ。

すぐ払わない場合は罰金¥30,000まで増えるよ。

それもここに書いてあるから(指でトントン)」

 

罰金増額をほのめかされ、

すぐさま財布を取り出すあたし。

 

 

EU圏内の交通機関では

割とおなじみの仕組みだそうです。

ヨーロッパご旅行の際はお気を付けください。

 

 

 

 

お世話になっていたカルロおじいちゃんに報告すると

「フォッ、フォッ、フォ。わしも罰金払ったことあるよ」

とのこと。

 

現地の人でも打刻するの忘れるなら

システム変えればいいのに!

という行き場のない怒りを飲み込み

また一緒にパスタを食べました。

 

ちなみこのおじいちゃん

若かりし頃、

バイクでアフリカを横断したという

筋金入りの旅人。

 

 

 

いつまでも払ったお金を悔やんでも仕方ないので

忘れることにします。

 

あぁ、¥6,000…。

 

 

 

 

 

絶品ボロネーゼ

2019.04.12

【315日目 11,986km】

 

 

水の都・ヴェネチアを満喫し

スザンナさんに別れを告げると

再び西へ走り始めます。

 

 

 

イタリアのこのあたりの地域には

町と町を結ぶように自転車専用道が敷設されています。

 

実はこれ、

かつて敷かれていた鉄道の線路を取り除き

そのままサイクリングコースにしてしまったというもの。

 

 

 

鉄道が走っていた道なので

曲がりが少なくひたすら真っすぐ。

大部分は未舗装の砂利ですが、

時々ランナーやサイクリストと

すれ違うくらいなので

非常に走りやすいんです。

 

 

 

途中に寄る多くの町は

中世の面影を残しており

昔ながらの雰囲気が漂っています。

石畳が走りにくいけど、

情緒あふれる景色を走るのが

気持ちいい。

 

 

 

人が集まる観光地でなくても

絵になる素敵な風景が広がる

イタリアの道。

ついつい自転車を停めて

写真を撮りたくなってしまいます。

 

 

 

 

 

 

 

この日は130kmを走って「フェラーラ」の街に到着。

 

イタリア北東部海岸沿いは住宅地ばかりで

野宿はしないほうが良いと聞いてたので、

Warm Showerを利用して「ルディーさん」宅にお世話になります。

 

建築家のルディーさんはご自宅も自身でデザインされていました。

天窓から差し込む優しい日の光がロフト部分を抜けて

リヴィングへと注ぎ込む設計はまさに“匠の技”。

 

 

 

ディナーはパスタ。

トマトベースのソースに

具材は豪華なエビと蟹。

さらに、唐辛子とお酢を混ぜた

オリジナル調味料を加えた

スパイシーな一品です。

 

 

 

年に数回休みを取って海外を自転車で走るというルディーさん。

 

日本も走ったことがあるという彼が呟いた言葉は、

「日本の人ってとても親切で礼儀正しいけど

あまりコミュニケーションはとってくれない。

旅の間、僕はずっと1人だったよ。」

 

建築家で、料理も上手くて、イケメン。

そんな伊達男が漏らした寂しい一言が胸に突き刺さった

フェラーラの夜でした。

(一緒に写真撮るの忘れちゃいました…。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日も青空の下、

田舎道をのんびりと走り始めます。

対向車もほとんどおらず

走りながら眠たくなるほどでした。

 

 

 

イタリア入国以来

だだっ広い野原というのはなくて、

何らかの農作物を植えているであろう

畑が延々と続いています。

パスタの国だから

小麦が多いのだろうか。

 

 

 

この日は70kmほどを走ると

「ボローニャ」に到着。

しかし観光は後回しにして

事前に連絡してあった

郊外のホストさん宅へと向かいます。

 

 

 

 

ボローニャの街を少し過ぎると

景色は山に変わり、

急な上り坂が続いていました。

汗をかきながら

時に自転車を押しながら

必死に上っていきます。

 

 

 

ここはすでに

イタリア中央部を貫く

アペニン山脈の麓。

広がる山の景色に癒されながらも

足には疲労が溜まっていきました。

 

 

 

 

 

山を上り始めて1時間ほどで到着したのは、

アレックスさん(カナダ人)とガイアさん(イタリア人)

カップルのお宅。

 

 

 

家のすぐ隣はこの風景。

目の前に広がる青と緑。

元気で素直な子供が育ちそうな

場所です。

お二人に子供はいませんけど。

 

 

 

 

到着した日の晩ご飯は

オムレツ。

イタリアの家庭にお邪魔して

初めてパスタが出なかった日です。

オムレツに乗っかってるのはトリュフ。

トリュフはイタリアの日常。

 

 

 

 

 

到着翌日はバスに乗ってボローニャ観光に繰り出します。

 

サッカーの中田英寿選手も一時期在籍していたボローニャ。

ランボルギーニの本社があったり、

マセラッティが設立された街でもあります

 

 

 

この日は日曜日だということもあり

街の中心は歩行者天国。

沢山の観光客で

かなり賑わっていました。

 

 

 

 

 

こちらは「ボローニャの斜塔」。

かつての富豪たちはこぞって

高い塔を建てたらしいです。

人はお金を持つと

変なことに使いたがる。

 

 

 

 

ヴェネチアに比べて

物凄い数の人がいるわけでもなく

過ごしやすい雰囲気でした。

やっと落ち着いて

イタリアの都市を見た

という気がします。

 

 

 

賑わう人々の中で注目を集めるのは

ストリートパフォーマー達。

ヨーロッパは

バスキング(路上パフォーマンス)の

本場とあって

皆、活き活きと活動してました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、ボローニャで最も楽しみにしていたのは

この街ならではのグルメ。

多くの人が行列をなすこちらの

レストランで味わってみることにしました。

 

 

 

その料理がこちら「ボロネーゼ」。

街の名を冠するこのパスタは、

ひき肉をじっくり煮込んだソースが

平打ちの面にしっかり絡み、

さらにたっぷりとかけたチーズで

マイルドにまとめた一品。

 

 

イタリアには各地に名物パスタがあるので

道中、味わっていくのが楽しみなんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなボローニャの滞在で

街の観光以上に思い出深いのは

ホストのアレックスさん&ガイアさんたち

と過ごした時間。

 

 

 

毎週日曜日は

近所の人たちを集めて

ピザパーティーをするらしく、

朝から仕込んでいた生地を伸ばして

ゼロからの手作りです。

 

 

 

 

家の裏にはピザ窯があり、

直火でピザを焼いていきます。

アレックスさんカナダ人なので

「焼き方あってるか知らない」

らしいですけど。

 

 

 

 

ピザが焼ける頃には

パーティーの準備も整い

ぞろぞろと人が集まってきます。

 

 

 

 

 

 

盛大にみんなで

チンチン(乾杯)するかと思いきや

パーティーはふわっと始まり、

ふわっと終わりました。

イタリア人はあまり

乾杯しないらしいです。

 

 

 

 

 

次の日も

裏庭のご近所共同畑での

農作業を手伝ったり

 

 

 

 

 

 

二人が仕事にいってる間、

作り置きしてくれてた

自家製ボロネーゼを

ご馳走になったり

 

 

 

 

 

最後の夜には

ブルーグラスのセッションを

聴かせてもらったりと、

穏やかなイタリアンライフを

送らせてもらいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

都会的なイタリアの方たちとは

あまりじっくり交流できないのでは

という不安をあっさり拭い去ってくれた、

アレックスさん&ガイアさん宅での

滞在でした。

 

 

“またいつか会いたい人”が

どんどん増えていく。

 

 

 

水の都・ヴェネチア

2019.04.8

【312日目 11,766km】

 

 

木に衝突というアクシデントから始まった

イタリア初日。

しっかりと気を取り直して2日目スタートです。

 

 

 

起伏の多かったバルカン半島に比べて

真っ平らな土地が多くなりました。

力むことなくのほほんと走り始めます。

 

 

 

すっきりと整えられた林。

こういった所を見ると

イメージ通りのヨーロッパだなと

感じます。

青空が気持ち良い。

 

 

 

 

自転車道が整っているのも

自転車先進国ならでは。

イタリアに入って

道がものすごく

走りやすくなった気がする。

 

 

 

 

前日の事故の衝撃で、

カバンのフックが

破損してしまいました。

テープでぐるぐる巻きにして

とりあえず応急処置。

 

 

 

 

イタリア初のランチは

目に留まったマクドナルドへ。

新しい国の食事への好奇心もありますが

自分の知ってる味が提供されるという

安心感を欲することもあります。

 

 

 

 

中国でもそうだったけど

注文は大きなタッチパネルで行う形式。

気になって調べたら

日本にもコレあるんですね。

知らなかった…。

レジに並ぶ時代はもう終わりです。

 

 

 

 

 

 

 

この日は120kmを走破。

前日の事故で頭部に衝撃を受けたので

大丈夫かと気になってましたが、

少し痛みも和らいで

何とか走り切ることができました。

 

 

 

 

たどり着いた石畳の街は

「トレヴィゾ」。

いかにもイタリアといった風な

すっきりとオシャレな空間が

広がっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お世話になったWarm Showerのホストは

街の中心から少し離れたところに住む「スザンナさん」。

 

ご本人写真NGなので飼っている犬を載せておきます。

沢山のお宅の前を通ってきましたが、

イタリアは犬を飼ってる人がすごく多い気がする。

 

 

 

近所の親切なおじさんが

カバンのフックを直してくれました。

旅において、人に相談してみると

大抵の問題が解決されていくので

とても助かっています。

自分でなんとかしろって話ですけど…。

 

 

 

イタリアの家庭料理はやっぱりパスタ。

トマトベースだけど

唐辛子がしっかり効いて

スパイシーで美味しかった。

色んなパスタを食べるのが

これから楽しみ。

 

 

 

 

 

トレヴィソ到着の翌日、

スザンナさん宅から日帰り観光に向かうのは

「水の都・ヴェネチア」。

 

河から運ばれた土砂が堆積してできた海辺の潟(がた)に

大きな魚の形をして浮かんでいる

言わずと知れたイタリア随一の観光地。

車はもちろん自転車でも乗り入れることはできません。

 

 

 

島内の宿泊施設が高額ということもあり

多くの人は付近の都市から

電車に乗って観光に訪れるそう。

トレヴィゾからもわずか30分で

着いてしまいます。

 

 

 

 

長い1本道になっている

橋を渡れば

いよいよヴェネチアに上陸。

たまたま座れたけど

電車はかなりの乗車率でした。

 

 

 

 

電車を降りて

駅舎から出ようとすると

さっそく目に飛び込んでくる運河。

期待が高ぶってきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

駅を出てすぐの景色がこちら。

島内を流れる運河の水際を歩けば

沢山の観光客の熱気で溢れています。

 

 

 

ゲルマン人の侵攻から逃れるように

湿地帯の島に人々が移り住んだのが

ヴェネチアの歴史の始まり。

東ローマ帝国支配下の

都市国家「ヴェネチア帝国」

として栄えたそう。

 

 

 

 

より沢山の人々が住めるように

無数の木の杭を打ち込んで

地盤としているため、

「ヴェネチアをひっくり返すと

森が現れる」

と言われているとか。

 

 

 

入り組んだ迷路のような島内を

運河が複雑に流れ込んでいます。

あたりの流れがよどんでいるのか

水質は決して綺麗とは

言い難い状態でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

島を真っ二つに分断するように

S字を逆さにしたような形で流れる

最も大きな運河「カナル・グランデ」。

 

たくさんの遊覧船や手漕ぎボートが

往来しています。

運河の両脇にずらっと並ぶのは

カフェやホテル、レストラン。

 

 

 

運河には

いくつもの橋が架かっていますが、

最も有名で多くの人が集まるのは

リアルト橋。

ちょうど島の中心辺りに位置します。

 

 

 

 

世界でもトップクラスであろう観光地の

特に人が集まるエリアということで

人口密度はかなりのもの。

時々、人ごみを離れて

呼吸を整える必要があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、

ヴェネチアを訪れた人が必ず向かうのが

サン・マルコ寺院を中心とした「サン・マルコ広場」。

世界一美しい広場とも言われているそう。

高潮の時に沈んでしまうことで有名なのはココです。

 

 

 

サン・マルコ寺院の前には

背の高い鐘楼が

堂々と立っています。

100m近い高さがあり

ヴェネチアで1番高い建物なのだとか。

 

 

 

 

寺院の隣に立つのは

かつての役場だった建物。

数え切れないほどの石の柱が

並ぶ姿は圧巻です。

1階部分は現在、

カフェやレストランになってました。

 

 

 

平日だしまだ観光シーズンでもないのに

物凄い数の人、人、人。

夏場に訪れるともっと凄いらしいです。

ほんとディズニーランドみたい…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヴェネチアを散策していると

とにかくよく見るのがこの仮面。

お土産屋さんには

必ずと言っていいほど置いてあります。

 

 

周辺国との紛争の勝利を祝い

人々が広場に集まって踊り出したことで

1,000年ほど前に始まった

「ヴェネチア・カーニバル」。

仮面で素顔を隠して身分を忘れ、

皆で仲良く騒いだそう。

 

 

 

現在も2月後半から3月前半に

カーニバルが行われているそうです。

これ以上人が多いのは耐え難いけど

カーニバルはちょっと見てみたいです。

でも踊るのってそんなに楽しいですか?

普段踊らないから、よく分かんない。

 

 

 

街には仮面の職人さんがいました。

製作作業を間近で見ることができます。

イタリアって靴とかカバンとか

渋い職人さんがいっぱいいる

イメージでしたけど、

まさにそんな人。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらは「ため息橋」。

かつて囚人が牢獄(右側の建物)に収監される直前のこの橋で

ため息をついたことに由来するのだそう。

 

現在は、

ゴンドラに乗ってこの橋の下で恋人同士がキスをすると

永遠の愛が約束されると言われているみたいです。

1人で行っても無駄。

 

 

 

グランカナルから少し離れれば

落ち着いた運河を見ることができます。

干された洗濯物からにじみ出る生活感。

学校も病院もあって

この島の中で生活している人は

多くいるのだそうです。

 

 

 

節約中の貧乏旅なので

ゴンドラには今回乗りませんでした。

永遠の愛を誓う相手もいないので…。

もちろん乗船時間にもよりますが

貸し切りだと1万円近くします。

お金持ちになったらまた来よう。

 

 

 

 

周辺にもいくつか島があって

そちらも観光できるのですが、

1日ではとても回り切れるものじゃありません。

 

 

写真やテレビで幾度となく見た景色ですが

やはり現地に足を運ぶとその美しさに見とれてしまいます。

「ベニスを見て死ね」の格言に違わず、

訪れる価値のある“水の都・ベネチア”でした。

 

 

引き続き、イタリアの魅力を味わっていきます!

 

 

 

アクシデント!

2019.04.4

【309日目 11,645km】

 

 

強風吹き荒れるボラの中、

救いの手を差し伸べてくれた心優しきナダさんに別れを告げて、

次なる場所を目指します。

 

 

 

ナダさん宅にたどり着いた2日前と比べると

想像もつかないほど穏やかで綺麗な青が広がる海岸線。

アドリア海も色々な表情を持っているようです。

 

 

 

これまで通り

数十km進んでは港町があるので

時に休憩をはさみながら

のんびり進んでいきます。

晴れの海岸線は

本当に気持ちが良い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数百mの高さの山を越え、

100kmを走ってたどり着いたのは「リエカ」。

クロアチアの北部に位置しており、

ここから山を越えた向こうに次なる国への国境があります。

 

 

 

北側国境付近の都市ということで

長い歴史を通じて

イタリアやオーストリアの文化が

流入してきたというリエカの街。

さらに“ヨーロッパ感”が

増したような気がします。

 

 

 

いよいよこの街で

クロアチアともお別れ。

新聞に取り上げてもらったり、

暴風に見舞われたり。

しっかりと旅らしい“想定外”に

出会うことができました。

 

 

 

夕暮れ時、

オレンジに染まっていくリエカの港。

人口400万人ほどのこの国は

大きな街でも

人が溢れかえっていないのが

良いところでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リエカの街で2日ほど休んで疲れを癒すと

いよいよ次なる国へと向かいます。

街を離れると山道に突入。

国境は1,000mの高さを上った先にあります。

 

 

 

ここ数週間、

海沿いの風景が続いていたので

山の道というのも新鮮に感じます。

春の新緑には

まだ少し早いようでしたが。

 

 

 

 

汗をかきながらのぼる上り坂と

その向こうに待つ下り坂の連続が

快感になってきているのは

立派なサイクリストの証なのでしょうか。

山ならではの楽しみがあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リエカの街から4時間ほど漕いで

たどり着いた山中の国境。

主要道路は別にあるのでここはかなり寂しい雰囲気。

 

そして、国境の向こうは

16ヵ国目の「スロベニア」。

 

 

 

引き続き山の中を走っていきます。

実は、スロベニアを走行するのは

わずか20kmあまり。

そのほとんどが下り坂だったので

一歩も足をつかずに

国を越えられるのではと思うほど。

 

 

 

進んでいく道に

町の1つも見当たらないので、

何の出来事も起こらないまま

スロベニアを通過すると思ってました。

出国直前、この旅最大の悲劇が

待っているとも知らずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらスロべニア-イタリア間の国境。

 

楽しみにしていたイタリアなのですが、

この場所からわずか20mほど手前で悲劇は起きました。

 

 

曲がりの多い下り坂を進んでいると、

見通しの悪い道の向こうに突然現れた急カーブ!

 

ブレーキを握りしめるも、

数十kgの荷物をくくり付けた自転車の勢いを止めるには

カーブまでの距離はあまりにも短すぎました。

 

曲がり角に生えていた木に真っ正面から猛スピードで激突。

自転車もろとも倒れこむあたし…。

ぶつかる瞬間、下に顔を向けたので

衝撃を受けたのはヘルメット越しの頭頂でした。

 

体全体に痛みが走るのを感じながら

「ぼぉーっ」とその場に立ち尽くし、

気が付くと自転車を起こしていました。

 

そして、走り始めた直後に

目に留まったのがこのイタリアの看板。

でも正直、この写真撮ったの覚えてないんです。

 

 

 

 

それから

イタリア最初の街トリエステを通過したのですが、

事故を起こしたというショックに加えて

「もし対向車がいたら…」

「もしヘルメットをしていなかったら…」

「もしカーブの向こうが崖だったら…」

色んな事が頭をよぎってしまい

カメラを手にすることもできず写真は1枚も残っていません。

 

この日は野宿の予定でしたが

体の痛みと精神的ショックもありゲストハウスに泊まることに。

 

 

 

 

 

見つけたこちらのゲストハウスは

1泊30ユーロ(およそ¥3,700)。

高い…。

流石のイタリア価格です。

 

 

 

 

身も心もボロボロなのに

「5ユーロまけてよ」って

交渉する元気はありました。

まけてもらえませんでしたけど。

…ケチ。

 

 

 

 

エスプレッソと一緒に頂く

イタリア最初の朝食。

この国では

食べるべきものに対しては

しっかりお金を払ってやろうと

思ってます。

 

 

 

 

 

宿のオーナーとの1枚。

ばっちり目つむっちゃってます。

イタリアの人はそっけないなんて噂も聞いてましたが、

フレンドリーでしっかり話もしてくれて良い人でしたよ。

5ユーロまけてはくれませんけど。

 

 

 

事故の痛みは残っていますが、

ベッドでゆっくり休んだことで気持ちは落ち着きました。

 

思えば、

ブレーキが磨り減ってることに気づいていながら

「まだ大丈夫」と交換を先延ばしにしてたことに原因はあります。

 

 

“腕の良い木こりは体に1つだけ傷を持っている。

0でもなく2つでもなく、1つだけ”

 

この失敗を糧に、

より安全管理徹底して旅をつづけてまいります。

 

 

ということで

イタリア旅スタート!

首が痛い。

 

 

 

「ボラ」

2019.03.31

【305日目 11,439km】

 

 

不安定だったザダルの天気が

回復したところを見計らって

再び走り始めます。

 

南北に長いクロアチアもそろそろ後半戦に突入。

相変わらずではありますが、

ひたすら海岸線を走っていきます。

 

 

 

このあたりの地域には

海沿いに数々の島が存在しており、

島のほうが交通量が少ない

ということを聞いていたので

橋を渡って島に移ることにしました。

 

 

 

 

 

 

 

出発してから2時間ほどで島に架かる橋に到着。

向こう岸には

緑が生えておらず岩がむき出しとなった

島が見えます。

 

写真では伝わらないのですが、

ここに立ってカメラを構えていると

かなりの強風が吹き荒れておりました。

 

この時は、

風をさえぎるものがない海の近くだから

これだけの強風が吹いてるのだろうと

何の気なしに橋を渡っていきました。

後からどれだけこの「風」に苦しめられるかも知らずに…。

 

 

 

島の中には「パグ」という町があり、

スーパーに立ち寄って

のんびり休憩をとりながら

少しづつ進んでいきます。

 

 

 

 

 

街を離れると久しぶりの未舗装路。

砂利にタイヤを取られつつ進んでいると

再び風が強まってきました。

晴れ渡った気持ちのいい天気とは裏腹に

ハンドルをぎゅっと握り、必死で

ペダルを踏み込みながら前進します。

 

 

 

 

 

 

島内を3時間ほど走ったところで

島から本土へ渡るフェリーの発着所に着きました。

ここにきても強い風が吹き続けていたけれど、

向こう岸に渡ればきっと風もおさまるはず。

 

 

 

乗船してしばらくすると

フェリーは本土に向かって動き出しました。

 

向こうに見えるのは

水際から一気にそそり立つ岩山の急斜面。

もう夕方になるし、岩山が壁になるから

風が吹き付けることもないだろうと

のんびり揺られて体を休ませました。

 

 

 

そして、20分ほどして対岸の発着所に到着。

北に25kmほど進んだ村で宿をさがすつもりでしたが、

ここからの道のりは

この旅においても1、2を争うほどの過酷なものでした。

 

あまりの過酷さゆえに写真が1枚もありません!

 

 

 

北へと向かう幹線道路へは

フェリーの発着所から300mの高さまで

上る必要があります。

すでに疲れていた体に鞭を打ち、

自転車を押しながら急斜面を上っていると

激しい突風が体に吹きつけてきました。

 

この日、朝から苦しめられていた強い風が

おさまるどころかよりいっそう猛り狂うなど

予想だにしていませんでした。

 

 

「ゴオォォー」という轟音と共に突風が吹くたび

前に進むことはおろか、

自転車を支えて立っているのがやっと。

しかも、風の方向は一定ではなく

四方八方からタコ殴りにされるかのよう。

 

何とか上って幹線道路までたどり着き

風の止んだ瞬間をうかがって自転車にまたがったその時、

狙いすませたかのように吹く突風!

僕の体重と荷物をあわせれば

合計100kgを超えるはずの自転車がまるごと

ペロンッと道路脇に

軽々ひっくり返されてしまいました。

 

自然の猛威を前にして自分の無力さを感じると、

「アハハ、ウフフ…」と笑う以外何もできないということを

人生で初めて知った瞬間でした。

 

 

それでも、その場に居座るわけにもいかず

なんとか少しづつ進んでいくと

道の外れに1軒の家が見えました!

「お願い、誰か中にいて!」と、

迷わず玄関の扉を叩きます。

 

 

 

 

 

開いたドアの向こうから出てきたのは中年の女性。

 

事情を説明した上でスプリトの新聞取材の記事を見せ

怪しいヤツじゃないよとアピールすると

「とりあえずあがりなさい」と、

迎えてくれました。

 

 

夏場はバカンス地となるこの地域で愛犬と2人暮らす

「ナダさん」に差し出されたお茶を飲みながら、

まず彼女が言ったのは

「なんで今日みたいな日に自転車乗ってるの?」

 

彼女の話を聞いて、

この日自転車を漕いでいたことがいかに愚かなことだったか

思い知ることとなりました。

 

 

朝から吹き荒れていたのは、

「ボラ」と呼ばれ

冬の間にアドリア海沿岸の地域一帯に吹く季節風。

 

特に、この日がそうであったように

3月下旬に吹く強い風は

春の到来を告げるこの季節の風物詩になっているそう。

 

一方で、

風速200km/hを記録したこともあるというこの暴風は

自動車や船の交通網を停止させ、家屋の屋根を吹き飛ばし、

時に死者を出すほどの自然災害にもなり得るとのこと。

 

ちなみに、

この日は注意報も発令されず“よくあるレベル”の風だったそう。

日本人の僕からすると

まるで雨と雲のない台風だったんですけど…。

 

 

 

首都ザグレブで暮らしている

娘さんの目標が

「日本へ留学すること」ということで

親近感を感じてくれたナダさん。

そのまま

泊まらせてもらうことになりました。

 

 

 

愛犬のデイジーちゃん。

アメリカンなんとかっていう犬種です。

この上目遣いでジーッと

見てくるのが堪らなく愛おしい。

僕の足の裏をずっと舐めてきます。

 

 

 

 

 

 

ナダさん宅の前から見た夕陽。

穏やかな景色に似合わない激しい風は

夜中になっても止むことはありませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌朝になっても風は吹き続けており

自転車を漕ぐのは困難だということで、

ナダさん、デイジーと付近を散策することに。

山の中腹にある家から海辺まで一気に下りていきます。

 

 

 

夏になると涼を求めて人が集まるものの

ガイドブックには大きく載らない

穴場観光地「ザブラトニッツァ」。

お馴染みの散歩コースらしく

先々進んでいくデイジー、

あぁ、可愛い…。

 

 

 

入り江とそれをとり巻く岩山が

国立公園に指定されている

ザブラトニッツァ。

第2次世界大戦中のドイツ軍の

ボートが沈んでいます。

 

 

 

 

入り江の奥から海側を見渡した風景。

両腕で抱え込むように

岩山が囲む一帯の水辺は

水が澄んで底がはっきりと

見通せるほどでした。

 

 

 

 

高台に上って記念撮影。

左の彼女がナダさん。

首都ザグレブでの“管理職・高給取り”

という立場を捨て、自然豊かな故郷に

戻ってきたキャリアウーマンです。

 

 

 

 

2日間も寝床のみならず

食事まで提供してもらって

どうやってお礼をしていいやら。

数えきれないほど多くの人に

助けてもらっていますが、

良い感謝の方法が未だ見当たりません。

 

 

 

 

 

 

「春の到来を告げる“ボラ”と同時に

あなたがやって来たのは、

新しい何かを始めなきゃっていう私へのメッセージよ」

 

 

助けを求めて転がり込んだだけの僕との出会いに

価値を感じてくれるなんて、

なんと素敵な感受性の持ち主なのか。

 

旅を通じて、出会いを通じて

自分自身変わっていかねばと気づかされる

クロアチアの春の嵐でした。

 

 

 

世界で1番美しい

2019.03.27

【300日目 11,345km】

 

鮮烈メディアデビューを果たした

スプリトを後にして、

引き続き北へと向かいます。

 

 

 

スプリトは

クロアチアでも2番目に多い人口を抱える都市

ということで、

街中を抜けるまでにはかなりの交通量があります。

 

 

 

それでも1時間ほど走れば

落ち着いた田舎道へ。

気候が穏やかなことに加えて

車もまばら。

静かな海岸をのんびりと

漕ぎ進んでいきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わずか70kmほど走ったこの日は

「シベニク」という町に到着。

ほどよい賑わいもありながら

落ち着いた場所です。

 

 

 

ガイドブックなどでは

あまり紹介されていないこの町も

古くからの歴史ある建物が見所だそう。

旧市街を歩くと

漂う中世の雰囲気が感じられました。

 

 

 

 

世界遺産に登録されている

「聖ヤコブ大聖堂」。

見た目の派手さはないですが、

木やレンガなどの補助材が

一切使われていない石造教会の中では

世界で最も大きな教会だそう。

 

 

 

旧市街の中で

サッカーに熱中する子供たち。

歴史ある家屋の壁に

ボールがバンバンと

当たりまくってます。

 

 

 

 

翌日は雨の予報なので

1日まったり。

オフシーズンに泊まるゲストハウスは

人が少ないので

居心地が非常に良いんです。

結局、ほとんど雨降らなかったけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シベニクで一休みした後、

再び海岸を北へ進んでいきます。

ずっと同じような景色だから、

ずっと気持ちが良い。

 

 

 

ここしばらく道路わきの安い食堂で

ささっと昼食を済ませることが

多かったけど、

1食当たりの値段が上がってきてるので

スーパーで適当なものをつまんでます。

 

 

 

 

午後からも、さっき見たような

どこまで行っても変わらぬ景色。

クロアチア以降も

地中海沿いを走っていくつもりなので

これがずっと続くのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シベニクからおよそ80kmを走って

やって来たのが「ザダル」。

昨年のFIFAワールドカップで大活躍した

クロアチアのスター選手「モドリッチ」

を生んだ場所です。

 

 

 

これまでに訪れた街と同じように

海辺に広がる旧市街。

ドゥブロヴニクとスプリト以外は

あまり予習をしてなかったのですが、

アドリア海沿いには歴史深い街が

ズラリと並んでいるようです。

 

 

 

90年代のユーゴスラビア紛争の際、

大きなダメージを負ったザダル。

荒廃してしまったこの街は、

クロアチアの人たちにとって

紛争を思い起こさせるということで

負のイメージが付きまとったそう。

 

 

 

少しづつ復興の道を歩み

明るさを取り戻しているザダルの街。

海外からの観光客も多くおり、

現在の様子からは

過去の悲劇を匂わせる景色は

見当たりません。

 

 

 

 

 

 

復興のシンボルとして

波打ち際に創作されたのが

「海のオルガン」。

波の力を利用して

金管楽器の低音のような音が鳴る

不思議な楽器です。

 

 

 

不規則にあたり一帯で鳴りつづける

無機質で宇宙的で

サイケデリックなサウンド。

寄せてはかえす波を眺めながら

いつまでも座っていたくなります。

 

 

 

 

 

 

 

旧市街には現地の人たちが

買い物をしにやってくる市場もあります。

地元の野菜は彩り豊かで

慢性的に栄養不足気味の旅人には

非常に魅力的に見えてしまう。

 

 

結局、色々買っちゃいました。

というか物価上昇により

ゲストハウス滞在中は

自炊せざるを得ないというのが

本音です。

 

 

 

 

調理のしやすさと値段の安さから

行きつく先はパスタ、パスタの日々。

これからイタリアで

山ほど食べられるというのに。

でもパスタってどれだけ食べても

飽きないですよね。

 

 

 

 

 

 

かの名監督ヒッチコックをして

「世界で1番美しい」と言わしめたザダルの夕陽。

 

 

沢山の島が浮かぶ穏やかなアドリア海に

ゆっくりと沈んでゆく太陽を見送った後、

次なる場所を目指すつもりでしたが

実はしばらく天気が悪くて4日間もこの街に停滞してます。

 

早く走りたい…。

 

 

 

鮮烈メディアデビュー

2019.03.23

【296日目 11,187km】

 

ジブリの街ドゥブロヴニクを後にして

また海岸線を北へ上がっていきます。

 

 

 

ドゥブロヴニクの北側には大きな橋が

かかっています。

しばらく快晴の日が続いてましたが、

この日は久しぶりに怪しい雲行き。

 

 

 

途中でにわか雨も降り

雨宿りをしながらゆっくりと

進んでいきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

ドゥブロブニクが位置しているのは

クロアチアのほぼ南端。

実はこのあたりの地域は、

海側へとはみ出した隣国ボスニア・ヘルツェゴビナの領土により

本国と分断されてしまっている

いわゆる「飛び地」。

 

背景は複雑なのですが、

およそ300年前にアドリア海沿岸の覇権を争った

ヴェネツィア帝国とオスマン帝国の紛争を緩和するために

引かれた当時の国境線が現在も引き継がれているそう。

 

つまり、これだけ国が密集していれば

いろいろな事情が発生するということです。

 

 

 

 

 

ということで15ヵ国目となる

ボスニア・ヘルツェゴビナへの

国境に到着。

従来通りスタンプを押されると

すんなり入国できました。

 

 

 

 

国は変われど、

この地域に住んでいる人は

クロアチア人が多いらしく

クロアチア通貨の「クーナ」も

使えてしまいます。

 

 

 

 

黙って通り抜けるだけ

というのも寂しいので、

入国記念として

食堂に寄ってランチを食べました。

ボスニア・ヘルツェゴビナでの

唯一の思い出。

 

 

 

飛び地と本国との距離は

わずか15kmほど。

たった1時間で走り抜けた

ボスニア・ヘルツェゴビナ。

1ヵ国の滞在時間としては

この旅での最短記録です。

 

 

 

クロアチアに再入国して

しばらく走ったところで

この日は久々の野宿。

名前もわからない湖のほとりで

のんびり過ごします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

続くこの日も

海沿いを北へと進んでいきました。

 

 

 

木がほとんど生えていない岩山が

延々と続くアドリア海沿岸。

起伏がかなり激しい分、

高いところから見下ろす海を

たっぷり堪能できます。

 

 

 

 

水辺の向こうにそびえる岩山。

写真を撮り終えた途端、

警察に職務質問されました。

…なんでされたんだろう、

事なきを得たのでいいですけど。

 

 

 

 

小さな港町が数十kmおきに

あらわれます。

目的の街が近づくにつれ

交通量も少しずつ増えてきました。

 

 

 

 

 

 

そして、ドゥブロヴニクから

2日かけてたどり着いたのは、

クロアチア第2の都市「スプリト」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3世紀ごろに

古代ローマ皇帝の宮殿が建てられたこの都市。

 

皇帝が逝去して数百年たった後、

荒廃してしまったかつての宮殿を見つけて

「何ここ、良い場所あるじゃん!」と、

中世の人達が住み始めてしまったという

珍しい歴史を辿った街なのです。

 

 

 

かつての宮殿の壁は

中世の人たちにとっての城壁と

なったそう。

一度はボロボロになった古代の遺跡が

人々の生活する街として

息を吹き返したということ。

 

 

 

皇帝のために捧げられた

建物ということで

門構えからして、かなり立派。

古代ローマの気分を味わいながら

生活していた当時の人たち。

何とも贅沢な街です。

 

 

 

現在もこの街には

人々が暮らし続けており

ところどころに

生活感がうかがえます。

 

 

 

 

 

北門を出たところにあるのが

大きな「グルグール像」。

この銅像の左足の指をなでると

幸運がおとずれるそうですが…

 

 

 

 

 

大勢の人が触りすぎて

表面がテカテカになってるというのは

もはや世界各地の

観光地あるあるですね。

僕もしっかりなでなでしたので、

幸運がおとずれることが確定しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

近くの丘から見渡す

スプリトの街並み。

 

写真中央あたりがかつての宮殿ですが、

城壁もあまり高くないうえに範囲が広いわけではないので

パッと見には分かりにくいです。

 

 

 

 

現代の都市空間と

歴史遺産である旧市街が、

自然に溶け合うようにして成り立った

スプリト。

海沿いの通りには

暖かい海風が吹き抜けます。

 

 

 

半日もあれば十分歩けてしまう

旧市街周辺。

のんびりあたりを散策するだけで

気持ちが良くなる、

ドゥブロヴニクとはまた違った

魅力のある街です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなふらっと訪れたスプリトで

面白い出来事が起こります。

 

Warm Shower のホストが見つからず

やむを得ずとあるゲストハウスに身を寄せたところ、

到着直後から宿主は自転車旅に興味津々で

あれやこれやと旅についてお話しました。

 

すると翌朝、

「新聞社の友達が取材したいって言ってるけどいい?」

と思いもよらぬ展開に!

 

断る理由もないので「是非どうぞ」と告げると、

2時間後にはスプリト地方紙の

カメラマンと記者の方がやってきました。

 

そのまま始まったインタビューと写真撮影は

1時間ほどであっという間に終了。

「楽しみにしといて!」と

去っていった新聞社の方たち。

 

 

 

しばらく時間がかかると思いきや

翌朝の新聞には掲載されてました。

あまりの急展開に

驚きがついていきませんが、

旅をしてれば予想外のほうに

ことが進むことなんてよくあること。

 

 

 

新聞を抱えて

スーパーのレジに並んでる時

後ろのおばちゃんに

見て見てと自慢すると、

「えーー?これアンタなの!?」

とビックリしてました。

 

 

 

↓電子版もあるのでご覧ください。

https://www.slobodnadalmacija.hr/dalmacija/split

 

 

 

 

 

ところが驚きはまだまだ止まりません。

のんびり新聞を眺めていると、

宿主のもとにまた連絡がやってきます。

 

取材をしてくれた新聞社の母体が

EU全土に展開するテレビの放送局だったらしく

「いまから取材にいってもいい?」とのこと。

しかも今度はローカルではなく、クロアチアの全国放送。

 

2日連続で、

またもやインタビューと撮影。

旅について根掘り葉掘り聞かれながら

2時間ほどで終了しました。

 

 

 

放送されたのは撮影当日。

しかも、夜の7時という

なかなか良い時間。

しゅっとしたキャスターが

読んでくれます。

 

 

 

日本でも見たことがない

テレビに映る自分の顔。

これまでどんな旅だったのか

偉そうに色々とお話ししました。

あぁ、恥ずかし…。

 

 

 

 

放送時間は3分ほど。

中国から中央アジアにかけての

道がちょっと間違ってるけど、

こうして地図にして道のりを見ると

はるばるやってきたなぁと

感慨深いです。

 

 

 

新聞を読んで興味を持ってくれた

近くに住む「ゴランさん」。

わざわざ宿にやってきて

晩御飯をご馳走してくれました。

他にも多くの方から

メッセージを頂きました。

 

 

 

 

 

こちら宿主の「ボリスさん」。

スプリトについてたったの2日間で

あれよあれよと物事が進んでいきましたが

全てはこの人との出会いがきっかけ。

 

異国の地にまた一つ

忘れられない場所が増えました。

 

 

 

ジブリの世界

2019.03.19

【292日目 10,969km】

 

 

コトルを後にして、

海岸線を北に向かうと

次なる絶景が待っています。

 

 

 

地震によって生み出されたといわれ、

陸地をえぐる様に広がるコトル周辺の入り江は

山と青空を水面に映し出すほどの透明度。

 

 

 

複雑に湾曲しているがゆえに

車もあまり通っておらず

この静かな景色を1人占めにしながら

ゆっくりと進んでいきました。

 

 

 

 

 

最短ルートを行くために

船に乗って対岸へと渡ります。

この旅では5度目くらいでしょうか、

結構船に乗ってます。

 

 

 

 

 

乗船中、興味を持ってくれた

セルビアからの観光客に

質問攻めにあいました。

終始たばこスパスパ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

出発から2時間ほどで

モンテネグロ-クロアチア国境に到着。

国旗もないし、あまりに簡素なつくりなので

ただの料金所か何かだと思ってしまいました。

パスポートを見せると一瞬で越境してしまいます。

 

 

 

 

 

やってきた14ヵ国目は「クロアチア」。

 

サッカーのユニフォームでもお馴染み

赤白のチェックがトレードマークのクロアチアは、

北マケドニア、モンテネグロに続いて

旧ユーゴスラビアの国の一つ。

どんな旅路が待っているのか。

 

 

 

 

4つ前の国ブルガリアからEU圏内に入っていますが、

いよいよ本格的に

思い描いていたヨーロッパの文化圏に突入する

という気がしてきます。

 

 

 

モンテネグロの通貨は“ユーロ”だったので

クロアチアも同じでしょと思いきや

全く使えませんでした。

どんどん国が変わるので

基本情報の予習を怠ってます。

この国の通貨は“クーナ”。

 

 

 

しばらく走ると

海岸線に出てきました。

アップダウンを繰り返しつつ

少しづつ目的の街へと

近づいていきます。

 

 

 

 

常に視界の片隅にあるのに

見晴らしのいい場所があると

つい自転車を置いて眺めてしまう。

そんな美しい水平線が

どこまでも広がっています。

 

 

 

 

 

 

クロアチア最初の目的地

“ドゥブロヴニク”が見えてきました。

実はヨーロッパの旅でもかなり楽しみにしていた場所。

 

はやる気持ちを抑えて、

この日は郊外のゲストハウスで一休みすることに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドゥブロヴニクの全景を

目の当たりにするには

高い場所にのぼる必要があります。

到着の翌朝、

旧市街を取り巻く住宅地の合間を

せっせと登っていきました。

 

 

 

 

住宅地を抜けると

今度は山登りが始まります。

コトルでも散々登ったのに…。

休みたい気持ちもあるけど

絶景を見るために頑張らねば。

 

 

 

 

 

 

30分ほど登った山から見下ろした

ドゥブロヴニクの街。

 

海のほうへとせせり出し

高い壁に囲まれた一画が

世界遺産に登録されている旧市街。

 

 

このドゥブロヴニクの街、

スタジオジブリ作品「魔女の宅急便」「紅の豚」

の舞台になったとか、なってないとか。

 

真偽のほどは分かりませんが

広がる圧倒的な青と鮮やかなオレンジの景色は

確かに創造力溢れるジブリの世界を思わせます。

 

 

 

 

 

山を下りて、

傍らに立つ砦から見た旧市街。

岸壁に打ち付ける荒々しい波が

城壁の頑強さを際立たせます。

 

 

 

 

 

街の北側にある“ピレ門”をくぐり、

いよいよ

旧市街の中へ入っていきます。

 

 

 

門をくぐった先には

大通りが旧市街の中心を貫いています。

久々に中国や韓国、日本など

アジア系の観光客の人が増えました。

やはりここは

アドリア海で1番の観光地。

 

 

 

定番のアトラクションは、

街を取り囲む2kmにもなる城壁を

歩いてまわるというもの。

入場料¥3,500と

かなり足元見てきます。

一生に一回なので払いますけど…。

 

 

 

街がまるごと「ラグサ共和国」という

1つの都市国家だったドゥブロヴニク。

地中海沿岸という地の利を生かし、

15世紀頃には

貿易でかなり栄えていたそうです。

 

 

 

 

世界遺産に登録されていたこともあり

数十年前から観光客で賑わっていたものの、

90年代初頭の

ユーゴスラビア崩壊に伴う内戦により

砲撃を受けて部分的に崩壊してしまった

こともあるのだとか。

 

 

 

海から押し寄せる波を

跳ね返すように、

数百年に及ぶ歴史の荒波に耐えてきた

旧市街とそれを守る城壁の姿が

強く逞しく感じられました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これまでいろんな国で

古い歴史を持つ旧市街を覗いてみると

ぐにゃぐにゃと

迷路のように入り組んだ町並みがほとんどでしたが、

ここドゥブロヴニクは碁盤の目のように

縦横すっきりとした配列。

 

 

 

さらに綺麗に整列した家々が

海から山の方面に向かって

階段状になっているのが特徴。

もちろん現在も人々が暮らしており、

猫もたくさんいました。

 

 

 

 

上へ上へと続く階段の先が気になって

どこまでも散歩したくなる街。

真っ白の石が積まれた

家の壁と階段に囲まれ、

物語の世界に迷い込んだような

空間でした。

 

 

 

 

 

ドゥブロヴニクで気にくわなかったのは

レストランの値段。

 

城壁内の旧市街だと、

安いサンドウィッチやハンバーガーでも¥1,000前後。

まともなランチを食べると¥1,600。

 

ゲストハウスの主人に教えてもらって

なんとか安いレストランでありついた

写真のポークステーキが¥800。

 

 

これまでの国の水準からすると、

うーんって感じの値段です。

 

うーん…。

 

 

 

13ヵ国目・モンテネグロ

2019.03.15

【289日目 10,892km】

 

 

シュコドラの滞在を終えると

北の隣国モンテネグロへと向かいます。

 

 

この日も天気は良好。

海岸線に近いので

気温もさらに暖かくなりました。

 

 

 

シュコドラを出発して

わずか1時間ほどで国境に到着。

中央アジアのような簡易的な

荷物チェックすらなくなりました。

EU圏内の越境は実に楽チン。

 

 

 

 

 

 

13ヵ国目にやってきたのは「モンテネグロ」。

 

旧ユーゴスラビアといわれる国の1つで、

2006年にセルビア・モンテネグロから

分離独立した若い国家。

人口わずか65万人ほどの小さな国の

素晴らしい風景に期待です。

 

 

 

国境を越えると何もない荒原が広がります。

遠くに見える、岩がむき出しになった

ゴツゴツとした山が印象的。

 

 

 

しばらくすると

アドリア海の海岸線に出ました。

くっきりと濃い水平線に

おもわず目が奪われます。

そして、

春を予感させる暖かい地中海気候。

 

 

 

このあたりは海岸の際まで

山がせせり出た地形なので、

平坦な部分はほとんどなく

アップダウンを繰り返しながら

せっせと進んでいきました。

 

 

 

 

ランチは

ポークウインナーと豆のスープ。

これでおよそ¥500。

着実に物価は上昇してきてます。

節約、節約!

 

 

 

 

午後からも

青い海を左に臨みながら

坂道をのぼったりくだったり。

海沿いを走るのは

本当に気持ちが良い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

80km走ったこの日は

海岸のバカンス地「スヴェティ・ステファン」に到着。

海辺からちょこんと突き出た離れ小島が有名だそう。

 

 

 

さっそく島を散歩しようと

島に向かいますが、

島内の高級ホテルの

宿泊客以外は立ち入り禁止。

手前から眺めるだけです。

 

 

 

 

島には入れないし、

逆光で良い写真も撮れないし、

「来た意味ないじゃん!」

って感じでした。

通り道だから寄っただけなので

別にいいですけど。

 

 

 

浜辺沿いにも

宿泊施設が並んでいます。

ただ、今は観光シーズンではないので

人も少なく閑散としていました。

 

 

 

 

 

最安値のホテルは¥1,800。

これから走る地中海沿岸は

観光地ばかりなので、

どんどん値段が上がるのは確実。

もうぼちぼちホテル生活も終わりです。

野宿モードに切り替えねば。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あくる日も

スカッと抜けるような青空の下、

北へと走っていきます。

この日の目的地はわずか30km先。

 

 

 

走り始めて間もなく

道端の家で庭仕事をしていたおじさんに

声をかけられ一休み。

「泊まっていきなよ」とも

言われますが、

まだ走り始めなのでここはお断り。

 

 

 

ごちそうになったのは

自家製のオレンジスカッシュ

のようなもの。

何か浮いてたけど気にしません。

自家製のものって

だいたい何か浮いてますよね。

 

 

 

ふたたび自転車にまたがり

先へと進みます。

アルバニアから

路肩の狭い道路が増えてきて

ちょっと走りにくい。

 

 

 

 

もうすぐで目的地到着というところで

久々のトンネル。

山を丸ごと1つ通り抜けるため

2km超の長さがあります。

幅の狭い歩道部分を

ゆっくりと進んでいきました。

 

 

 

長くて暗いトンネルを

抜けた先には

高くそびえる灰色の岩山。

傍らには、目的地の町を

示す看板も立っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たどり着いた場所は

マケドニア随一の観光地「コトル」。

 

目の前に青く広がるのは、

河川でもなく湖でもなく

内陸に深く切り込んだ海なんです。

 

 

 

港にズラリと停泊しているのは

おそらく個人所有であろう

高級ボートたち。

水際は優雅な散歩道になっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、このコトルの正体は

富豪たちの集まるビーチリゾートではありません。

 

高く積まれた石の壁に囲まれた旧市街が

まるごと世界遺産に登録されている

歴史ある町なのです。

 

 

 

旧市街のメインゲートをくぐると、

町のシンボルでもある時計台の姿。

ヨーロッパを中心に

各国から集まった観光客たちが

あたりを散策しています。

 

 

 

 

バルカン半島の多くの都市が

そうであるように、

東ローマ帝国、セルビア帝国など

支配者を変えてきたコトル。

現在の街並みは、およそ1千年前に

ヴェネツィア帝国が築いたものだそう。

 

 

 

旧市街の中にはいくつかの教会が

建っています。

いずれも500年以上の

歴史を持つ古いものばかり。

 

 

 

 

 

石造りの重厚な見た目が

この町の荘厳な雰囲気を

つくり出しているように感じます。

そして、今もこの場所で

暮らし続ける人がいることで

受け継がれていく町としての美しさ。

 

 

 

滞在するゲストハウスも

旧市街の中。

幅が狭く迷路のように入り組んだ町を

さまよいながらなんとか

場所を見つけることができました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コトルの美しさは、

旧市街を散策するだけでなく

町の背後にそそり立つ岩山の高所から

その全貌を見下ろしたとき、

より一層感じられるとのこと。

到着の翌日朝早くから登ってみることに。

 

 

 

山の中腹に古い教会がいくつかあり、

それらを囲うように

山の斜面に建てられていたのは

全長5kmほどにもなる城壁。

オスマン帝国の侵略も防いだという

偉大な石の壁を登っていきます。

 

 

 

傾斜はかなり急です。

昨日の自転車の疲れもあって

脚にどしっと疲労がやってきました。

サクッと登るつもりでしたが

思いのほか長い階段。

 

 

 

 

山の斜面に沿ってジグザグにつくられた

階段を見下ろすと、

登ってきた高さを

直に感じることができます。

自転車を漕がない日は休みたい…。

 

 

 

 

遠くを見渡せば、そこには

うねうねと湾曲しながら

陸地に入り込んだ海と

オレンジの瓦が並ぶ町。

この旅においても

似たような景色は見た覚えがありません。

 

 

 

 

 

 

そして、

城壁の高台から見下ろした景色がこちら。

 

ぎゅっと三角形にまとまった旧市街と

青空を映す澄んだ入り江が

眼下に広がります。

 

自然によってできた地形と

そこに人間が作り出した町並みの

美しい情景。

 

 

これから進んでいく

地中海沿岸の旅路に待ち構えるのは

このように歴史深い市街の数々。

ヨーロッパの気品あふれる風景に

期待高まるコトルでの滞在でした。

 

 

 

寿司 in アルバニア

2019.03.11

【285日目 10,781km】

 

 

世界遺産の町「ベラト」の後は、

さっそく次の国へと向かうべく

真っすぐ北上していきます。

 

 

相変わらずの良い天気。

相変わらずの平坦な道。

 

交通量も決して多くなく、

朝からのんびりした気分で走っていきます。

 

 

 

広大な盆地の途中、

こうしてときに町が現れます。

高層ビルはなく雑多な感じがしないのが

アルバニアの町。

 

 

 

 

 

あまり声をかけてこない

アルバニアの人々。

鎖国していたことも影響して

外国人に対してシャイなのだろうか。

楽な反面、ちょっと寂しい。

 

 

 

 

お昼に食べたのは

キョフテ(ハンバーグ)とサラダ。

サラダの味付けが

オリーブオイルとバルサミコ酢である

あたりにヨーロッパを感じます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この日は100kmを走って

“ドゥラス”に到着。

トルコのイスタンブール以来1ヵ月振りの海です。

 

ブーツの形をしたイタリアとバルカン半島に挟まれ、

地中海の一画を成している“アドリア海”。

この街も夏場は多くのリゾート客で賑わうそう。

 

 

 

夕食にて、「ビーフステーキ」

と書かれたメニューが

¥500だったので頼んでみると

出てきたのは思いっきり豚肉。

食べられれば何でもいいけど…、

嘘つき。

 

 

 

 

 

 

 

 

次の日も変わらぬ景色の中を

漕ぎ進んでいきます。

幹線道路の路肩が狭いのが難点。

 

 

 

 

道は平坦でしたが、

敵は“風”。

数時間にわたって向かい風の中

ゆっくりゆっくり走りました。

 

 

 

 

 

この日の距離は110km。

山がないので楽かと思いきや

風のせいで走り終わるころには

脚がクタクタです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たどり着いた街は「シュコドラ」。

古き良きアルバニアが残っているといわれる

歴史ある街です。

 

街の真ん中に位置する大通りを歩くと

これまでのアルバニアの街にはない

活気を感じることができました。

 

 

 

発展しすぎておらず

路地に入り込めば落ち着いた

雰囲気も味わえます。

アルバニア北部に位置する

この街から、隣のモンテネグロは

もうすぐそこ。

 

 

 

シュコドラの誇る遺跡が

街の南西の外れに位置する

「ロザファ城」。

周囲の城壁が今もその形を

残しています。

 

 

 

 

紀元前の昔、

古代ギリシャ人によって

建てられたこの城。

シュコドラの観光名所であるらしく

多くの人が訪れていました。

 

 

 

 

お城から見下ろす

シュコドラの街。

左側には

モンテネグロとの国境をまたぐ

大きなシュコドラ湖が見えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

滞在先のゲストハウス。

Warm Showerの利用者があまり多くないのが

この国で残念だったところ。

やっぱり地元の人と交流できたほうが楽しいです。

 

 

 

アルバニアでは3軒目のゲストハウス。

毎度ドミトリー(複数人の相部屋)

に泊まるのですが、

いずれも一人っきりの貸切状態。

誰もこんな時期に

この国を旅行しないということ。

 

 

 

 

 

 

 

 

街の中心から通りを少し南西に下ると

「Sushi Te Shoki」という

お寿司屋さんがあります。

 

実はここ、

シュコドラの街で1番楽しみにしていたところ。

 

 

 

足を踏み入れると

机やイス、装飾など

和風に整えられた店内。

旅をする日本人にとって

落ち着きの空間です。

 

 

 

 

店主は「横山翔来さん」。

日本から遠く離れたアルバニアの地で

1人お店を切り盛りされています。

ご自身も旅人として

世界を巡っていた最中、縁あって

シュコドラで開業することになったそう。

 

 

 

外国人の経営する和食レストランに

行ったこともありますが、

やはり日本の方が調理するのを見ると

落ち着きが感じられます。

滑らかかつスピーディーな手つき。

 

 

 

 

こちら「海老天ロール」。

付け合わせのから揚げと味噌汁も美味!

海外でお寿司といえば

“握り”よりも“巻き”だそうです。

地元の人も来店して

美味しそうに食べてました。

 

 

 

 

 

 

お店を開くに至った経緯、今後の展望など

旅の話を交えつつ色々お話させていただきました。

 

現地の人との交流ももちろんですが

海外での日本の方との出会いは本当に刺激的。

人生是、旅の如し。

それぞれの生き方で我が道を行く旅人たち。

 

↓横山さんのブログもぜひご覧ください!

http://albania-kaigyou.blog.jp/

 

 

 

 

 

 

昼に寿司を食べておきながら

夜は、この1週間で3枚目のピザ。

文化的にも閉鎖的だった

アルバニアにおいて

アドリア海対岸のイタリアからは

割と文化が入ってきたそうです。

 

 

 

通りを歩けばピザ屋さんだらけ。

1人には十分のこのサイズで

たった¥350!

そして味も申し分なし。

 

 

 

 

 

本場イタリアに到着する前に

食べ飽きてしまうのでないか、

という深刻な問題が懸念されております。

 

しばらくピザ自粛しよ。

 

 

 

12ヵ国目・アルバニア

2019.03.7

【281日目 10,573km】

 

 

湖畔の町オフリドを後にして

北マケドニアから次の国へと向かいます。

 

 

宿を出発してから、

ペダルを漕ぎつつ

左手に見えるのはオフリド湖。

背景の雪山と青空が綺麗に映えます。

 

 

 

向かう国境はやはり山の上、

のぼる高さはほんの300mほど。

雲のないこの日ですが、

気温は低めで

冷たい風が吹きつけてきました。

 

 

 

 

オフリドの町から2時間ほど漕ぐと

北マケドニア-アルバニア国境に到着。

列をなす自動車の間をすり抜け

無事ゲートを通過しました。

1週間ほどの滞在を終えて

北マケドニアとはお別れです。

 

 

 

 

 

 

 

 

やってきた12ヵ国目は「アルバニア」。

双頭の鷲をモチーフにしたカッコいい国旗です。

 

日本人にはなかなか馴染みのないこの国。

その特徴は、

■約30年前は周辺国との国交を断絶した「鎖国状態」であった。

■かつて、いかなる宗教の信仰も許されない「無神国家」であった。

■90年代、紛争中の旧ユーゴスラビア諸国に武器を秘密裏に供給。

―密輸組織の資金源として国民の大多数が「ネズミ講」の被害者となり

―国内経済が破綻して、大暴動が起こった。

という、

近年までかなり閉鎖的かつ不安定だった国なんです。

 

あまり長く滞在する予定ではないのですが、

どんな景色を見せてくれるのでしょうか。

 

 

 

国境を超えると長い下り坂。

これがかなり急で、

ジェットコースターのように

猛スピードで駆け下りていきます。

 

 

 

 

 

しばらく山間の谷を流れる

川沿いをのんびり走っていきます。

下りがほとんどなので

気持ちよく進みました。

 

 

 

 

 

とある村を通り過ぎようとした時、

橋の上には人だかり。

パトカーも駆けつけて

何やら物騒な出来事の予感。

 

 

 

 

 

近づいてみると

高校生のサッカーの試合でした。

この日は日曜日で大勢の人が

観戦に集まっていました。

ヨーロッパだけにサッカー熱は

かなりのもの。

 

 

 

 

 

 

国境から60kmほど走った町、

「エルバサン」にてこの日は宿泊。

民家の広い庭の一画を宿泊部屋にしてあるという

とても落ち着いたゲストハウスです。

 

 

 

冬はオフシーズンなので

部屋も貸切状態。

「千円でこれなら良いじゃないの」

という快適な宿でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の日も晴れた空の下

穏やかな丘陵地帯をのんびり進んでいきます。

 

天気が良いっていうだけで

もうこの国のこと好きになりそう。

それくらい気持ちのいい道のりでした。

 

 

 

丘一面には

田園地帯が広がっています。

まだ冬なので

何を育ててるのか分かりませんが

イメージ通りのヨーロッパの田舎

といった風景。

 

 

 

前日に山を下りきっていたので

この日の道はとにかく平坦。

ペダルを踏むのにも力はいらず

午後から太陽に照らされると

なんだか眠くなるほどでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

65kmを走ったこの日は

目的地「ベラト」に到着。

北マケドニアのオフリドに続き、

同じく世界遺産に登録されている町です。

 

 

 

町の中心にある小高い山の岩肌に

古い住宅が隙間なく建てられています。

 

窓を多く持つオスマン様式の建物が

互いにぎゅっと身を寄せ合っている様子から

呼ばれている名は「千の窓の町」。

 

 

 

 

家々が並ぶ旧市街に足を踏み入れると

傾斜はかなり急。

石の階段があちこちへと伸びており

あたり一帯がまさに立体迷路。

家はどれも似てるので

どこから来たのかわからなくなります。

 

 

 

路地から見上げると

ずらっと並んでいる家の窓。

日光がしっかり入るから

家の中は気持ちよさそう。

もちろん現在も地元の方が

住んでいます。

 

 

 

家と家の隙間の幅はかなり狭く

人がすれ違うのがやっと。

白い石がびっしりと敷き詰められた

石畳の道が風情を醸し出します。

 

 

 

 

 

ものを運搬するのには

馬が利用されています。

車は当然入れないし、

あまりに急なので

自転車も入れないです。

美しくても、住むのが大変そうな所。

 

 

 

高くへと登っていけば

スーパーやレストランもある

新市街が見下ろせます。

この後、迷いながらも

なんとか旧市街を抜け出せました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どんな国なのかよくわからないままに

やってきたバルカン半島の小国「アルバニア」。

 

入国2日目にして、

穏やかな道と趣のある街並みのおかげで

良い印象を持つことができました。

 

やっぱりヨーロッパって

落ち着いてていいですね。

 

 

 

湖畔の町・オフリド

2019.03.3

【277日目 10,417km】

 

 

スコピエの観光をあっという間に終えて

次なる場所“オフリド”へ。

2つの山を越える道のりです。

 

 

北マケドニアに入ってから

かなり天気は安定しており、

連日気持ちのいい日が続いています。

 

 

 

午前中に65kmを走り

“ゴスティバル”で休憩。

昼までにこの距離を走りきるのは

かなり久しぶり。

やはり暖かい方が走れます。

 

 

 

 

午後からの山越えに備えて

しっかりとした昼食。

かつてのオスマン帝国の文化圏なので

トルコのキョフテ(ハンバーグ)が

ここでも食べられました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

街を出たとたんに

山が待ち構えていました。

気温はさほど下がらず寒くはないけど、

標高が上がればまだ雪が残っています。

 

 

 

黙々と上った標高は700m。

これくらいの山はしょっちゅうですが、

この時はしんどかった…。

疲れが溜まっているのか。

 

 

 

 

 

峠を越え、山を下ると

穏やかな平野が広がっていました。

自転車でなければ味わえない

山越えの後の気持ち良さ。

 

 

 

 

 

1つの山を越えたこの日は、

110kmを走って

“キチェヴォ”に到着。

山間でありながら

割と賑わいのある町でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日も、

街を出るなり山道が始まります。

 

もちろん写真は撮ってないのですが、

北マケドニアに入って犬や猫の亡骸が

いっぱい道路脇に落ちてるのがすごい気になります。

臭うし、不吉だし。

誰か回収して…。

 

 

 

スコピエを出発して

2つ目の山は高さ600m。

さほどで高くなくても

連日となるとさすがに辛いです。

 

 

 

 

 

何とか峠を越えれば

また平坦な道がひたすら続きます。

天気が良いって本当に幸せなこと。

 

 

 

 

 

 

この日は60kmを走り

目的地“オフリド”に到着です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

北マケドニア屈指の観光地である“オフリド”。

隣国アルバニアとの間にまたがる

オフリド湖の湖畔に古くからある町は

世界遺産にも登録されています。

 

 

 

観光客が押し寄せるのは

夏だそうで、

2月なら落ち着いていると思いきや

思いのほか

賑わいが感じられました。

 

 

 

 

水際すぐのところまで

家屋が建っており、

静かな路地の向こうに

キラキラと

日の光を反射する水面がのぞく

素敵な街並みです。

 

 

 

北マケドニアの南西に

位置するオフリド湖。

対岸は隣国アルバニアの土地。

国土を対角に横切っても

わずか3日の走行で

走り切ってしまった北マケドニア。

 

 

 

 

 

 

 

 

1,000年以上前から続くオフリドの歴史。

ブルガリア帝国、ビザンツ帝国、セルビア帝国など

支配者が次々変わるのは

東ヨーロッパ各地域における共通項の様です。

 

オレンジの瓦が印象的なオフリドの旧市街は

オスマン帝国の様式だそう。

 

 

 

歴史ある町オフリドは、

自然が生み出した美しい湖と

文明が遺した貴重なキリスト教建築物との

複合遺産として世界遺産に登録されています。

 

 

 

旧市街への入り口をくぐると

さっそく姿を現す聖堂。

アルメニア、ブルガリアとは

また違う

オレンジの瓦が印象的なデザインでした。

 

 

 

 

こちらはローマ劇場。

住宅地の真ん中に堂々と

建っています。

夏にはここでイベントが

行われるそう。

 

 

 

 

オフリドのトレードマークとも

なっているのが

スヴェーティ・ヨヴァン・カネオ聖堂。

湖へとせり出した崖の上に立つ姿が

なんとも美しかったです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

丘の上の砦から見下ろしたオフリドの町。

 

 

旅に出るまで場所も知らなかった

北マケドニアという国にある、

名前すら聞いたこともない

“オフリド”という町。

 

この広い世界にはまだまだ美しい場所が

山ほどあります。

 

 

 

11ヵ国目・北マケドニア

2019.02.27

【274日目 10,242km】

 

 

ブルガリアの首都ソフィアでの

観光を終え、次なる国を目指します。

 

 

 

3~4℃というイスタンブール以降、

最も寒いのではないかという気温の中

走り始めます。

 

 

 

寒いといっても

12月、1月と雪に埋もれながら

トルコの山中を走った経験があるので

大した苦ではありません。

成長する自転車乗り。

 

 

 

 

この日は500mの山を

2つ越えるという行程。

合間の平地では

綺麗なブルガリアの自然を

堪能しながら走ります。

 

 

 

 

2つめの山の峠を越え、

緩やかな下りを

気持ちよく滑り降ります。

向こうに目的の町が

ぼんやり見えてきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

95kmを走り、

ブルガリア最後の町“キュステンディル”に到着。

 

ブルガリアの滞在期間はわずか1週間あまりで

あっという間に走り切ってしまいました。

以後しばらくこれくらいのサイズの国が続いていきます。

 

 

 

夕食のポークステーキ。

イスラム文化圏を抜けたので

久々の豚肉。

疲労回復には

鶏より牛より、豚です!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日は町を出るなり

上り坂が待っていました。

国境があるのは

800mの山の頂上。

 

 

 

2時間かけて山頂に到着。

山の上の国境は、

国防上は都合がいいのでしょうが

サイクリストには酷です。

着込んでるので汗びっしょりでした。

 

 

 

 

荷物を調べられることもなく

ドライブスルーのごとく

スムーズに通過。

EU圏内は審査ゆるゆるなのか。

やってきた11ヵ国目は

“北マケドニア”です!

 

 

 

越境後は、一気に下り坂。

車もほとんど通っていないので

綺麗な自然のなか

風を切るように進んでいきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

国境からわずか15kmほど

「クリヴァ・パランカ」という田舎の町に着きました。

前日から続けてものすごく天気が良い。

 

 

 

予定してた宿が中々見つからず

地元の人に尋ねまわって

やっとのことで発見。

ブルガリア以降は

英語が話せる人が劇的に増えました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ソフィアを出発してから3日目。

国境付近の町から

北マケドニアの首都へと向かいます。

 

 

 

この日も雲のない晴天。

国境を越えてから気温も

ぐっと上がりました。

やっぱりサイクリングは

暖かい時期にやるもんだなと

ほのぼの感じつつ、走ります。

 

 

 

休憩に寄ったガソリンスタンド。

「冷蔵庫のジュースどれでも、

好きなだけ飲んでいいぞ!」

と夢のような言葉をくれました。

でもいい年の大人なので

遠慮して、飲んだのは1本だけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、北マケドニア入国2日目にして

たどり着いたのは首都“スコピエ”。

こじんまりとした綺麗な街です。

 

 

旧ユーゴスラビアといわれる国々の中で

南端に位置する北マケドニア。

なんと僕が到着する直前の

2019年2月12日に国名が変わったんです。

 

 

1991年に国が独立する際に

“マケドニア共和国”を名乗ろうとしたのですが、

異を唱えたのは隣国ギリシャ。

 

かのアレクサンダー大王で有名な“古代マケドニア王国”ですが、

その領土の大部分が位置していたのは

現在のギリシャなので、

「お前らだけ“マケドニア”名乗ってんじゃねぇ!」

という言い分。

 

 

 

それから暫定的に

「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」

を名称としていたのですが、

両者納得いかないまま20余年。

 

 

 

 

 

そしてついに昨年、

「北マケドニア共和国」とすることで

互いの政府が合意。

この2月12日に

正式変更となりました。

 

 

 

 

どの国もお隣さんとの関係は複雑だと感じつつ、

記念すべきタイミングでこの国にやってきました。

特に式典もイベントも無かったですが…。

 

 

 

 

 

 

 

 

近年、観光に力を入れようとしているらしく

その一環で、街中にとにかく

たくさんの銅像が建っています。

はたして、銅像で観光客は来るのか。

 

 

 

どれも精巧だし

大きくて迫力もあるのですが、

これを見るために

わざわざ足を運ぶってものじゃない

気がします。

 

 

 

 

橋のふもとには、

溺れてる人の足と

飛び込もうとしてる人。

コンセプトが全くつかめません。

なんだか面白いけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中心街にはかの有名なマザー・テレサの像。

アレクサンダー大王と並び、

北マケドニアが生んだ偉人として

名をあげられる存在です。

 

 

 

像のすぐ横には

彼女の功績を讃える

記念館が建っていました。

 

 

 

 

 

 

展示物がかなり少なく

あまり濃い内容ではなかったのが残念。

色々噂がありますよね、

マザー・テレサって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スコピエでお世話になったホストが

カナダ人の“ロバートさん”。

カナダに家族を残し、

北マケドニアで教鞭をとっています。

 

 

このロバートさん、

“Cycling to stop the cycle”というプロジェクトを掲げて

「ドラッグに身を沈めるよりも、自転車を漕ごう!」

という青少年へのメッセージのもと、

多くの学校で講演を行いながら

当時13歳の息子さんと共に北米大陸を自転車で旅した

行動力溢れるお方なのです。

 

‹ロバートさんのサイト(英語)›

https://www.cyclingtostopthecycle.org

 

 

 

サイクリストならではの

旅の話を分かち合えるのも

Warm Showerのいい所。

世界各地に

仲間が増えていく感覚です。

ホント色んな人がおりますなぁ。

 

 

 

地元のレストランで

ロバートさんにごちそうしてもらった

伝統料理「キャセロール」。

濃厚なチーズの中に肉がたっぷり入った

グラタンのようなもの。

トルコ料理にも負けない絶品でした。

 

 

 

首都ソフィア・後編

2019.02.23

【269日目 10,020km】

 

 

サニーさんのマンションに

のんびり滞在しながらもうしばらく

ソフィアの観光を楽しみます。

 

 

滞在2日目の観光は

サニーさんに紹介してもらった“フリーフードツアー”。

 

前日の観光ツアーとは別の団体が行っていて

街中のレストランを数件まわりながら

ちょっとづつ味見していくというもの。

オランダなんかでも同じようなツアーがあるそうです。

 

 

 

ところが、

街角で集合するのですが

時間になってもガイドさん以外誰1人現れず

この日の参加者はなんと僕だけ。

 

1人だけのためにまわるのも

なんだか申し訳ないなと思ったのですが、

「せっかくだから行きましょ」

ということでツアーに出発することに。

 

 

 

1件目は

トマトの煮物とパンとチーズ。

さらにヨーグルトもついてきました。

これまでの国でも食べてきましたが

日本で食べるヨーグルトに近いのは

やはりブルガリア産。

 

 

ヨーグルト発祥の地は

トルコ、ギリシャ、ブルガリアの一帯だそうですが

日本で作られているものは

ここブルガリアと同じバクテリアが使われているそうです。

 

「日本では、ブルガリアといえばヨーグルトなんでしょ」と

ガイドさんから言われました。

他の国では有名じゃないんでしょうか。

 

 

 

2軒目は

パンにチーズが挟まったもの。

本当に1口サイズです。

しかもまたパン。

でも文句なんて言っちゃダメです、

タダなんだから。

 

 

 

3軒目は

パンにトマトの煮物と

野菜のマリネが乗ったもの。

またパン、またトマト。

でも文句なんか言っちゃダメです、

だってタダなんだから。

 

 

 

最後の4軒目は

揚げパンのようなものに

砂糖をまぶしたもの。

…またパン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「パンばっかりじゃん!」なんてこれっぽっちも口にせず、

「わざわざ1人のために案内してくれてありがとね」と

ガイドさんに心からの感謝を告げて

ツアーは終わりました。

 

普段は7~10人の参加者がいる上に

もっと多くのレストランをまわるそうです。

きっと料理のバリエーションも豊富なはずです。

 

料理の味はどれもおいしいので、

ブルガリアにいかれた際は

是非フードツアー参加してくださいね!

(誰に気を使って宣伝してるんだろう。)

 

 

 

 

 

 

 

 

滞在3日目。

この日はバスに乗ってソフィア郊外まで

足を延ばします。

 

 

 

バスに揺られて2時間ほど、

ソフィアから100kmあまりの山の奥に

たたずむのは世界遺産「リラ修道院」。

 

1,000以上前からこの場所に存在し、

国内建築の最高峰とも称される

ブルガリア正教会の修道院です。

 

 

 

特徴は壁一面を覆い尽くす

色鮮やかなフレスコ画。

1000年の間、

修復を繰り返しながらではありますが

この繊細な芸術で人々を

魅了してきました。

 

 

 

ここ数か月、味わってきた

イスラムの文化とは全く違う世界観。

そして、

イメージ通りのキリスト教大聖堂とも

違う独特のデザインです。

 

 

 

 

ぐるっと周りを取り囲むのは

図書館やキッチンなどを含む

聖職者たちの居住スペース。

人里離れた山奥にあることからも

あたりは神秘的な雰囲気に

覆われていました。

 

 

 

 

 

 

こんなかたちで

ブルガリアの観光名所を堪能。

現在いるソフィアから

隣国マケドニアはもうすぐそこ。

 

あっという間に次の国に向かってしまいます!

 

 

 

 

 

 

ソフィア観光中

バス停でスマホを落としてしまい

ついに故障、修理不能に。

 

5年間連れ添いましたが

あっけない最後でした。

今までありがとう。

 

というか、

こないだも充電器を失くしたばっかりで

嫌なことが続いています。

自分のせいだけど。

 

旅を支えてくれる道具たち、

大切にせねば。

 

 

 

首都ソフィア・前編

2019.02.19

【267日目 10,020km】

 

 

プロブディフを発って

さらに西を目指します。

 

 

実はこの日の出発直後、

2匹の野犬に遭遇。

 

ワンワン吠えられながら追いかけられるのは

しょっちゅうあることなのですが、

ついに後ろのカバンをガブッと噛まれてしまいました。

 

開いた穴の大きさはわずかだったけど

これまでの道中、互いに心を通わせてきた犬たちに

牙を向けられたという事実に深く傷ついたブルガリアの道。

 

 

 

心の傷を癒すためにも

食堂で温かいスープを飲みます。

距離が近いからか

トルコのものと味付けに大差は

ありません。

 

 

 

 

首都ソフィアへの道に

立ちはだかる山の登り坂が

はじまりました。

道端には

なぜか“柔道”の文字。

 

 

 

 

入国3日目ですが

こんなのどかな田舎が

ずっと続いています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

85kmを走ったこの日、

“モミン・プロホド”という小さな集落に到着。

おそらく村唯一であろう宿は安くはなかったものの

綺麗で居心地最高でした。

 

 

 

 

 

 

あくる日は朝から最高の天気で

まさしくサイクリング日和。

 

綺麗に舗装された高速道路が平行していて

そこを走行することもできたのですが、

デコボコの田舎道を走る良さがあるんです。

 

 

 

こんな牧歌的な風景を

のんびり眺めて走ることは

自転旅の醍醐味。

ゆるやかな登り坂を

気持ちよく進んでいきます。

 

 

 

 

首都までわずかなのに

まだこんな山の中。

外国の都市って

何もない原っぱに

突然現れるような場合が

多いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてやはり突然

近代的なビルが姿を現しました。

ブルガリアの首都“ソフィア”です。

 

 

 

人口130万人を抱える都市の

中心に位置する大通り。

すぐ向こう側にはそびえ立つ

山の姿が見えます。

 

 

 

 

 

いかにもヨーロッパといった

街並みでありながら、

どこか旧ソ連圏の国に共通する

共産主義国風デザインが感じられます。

 

 

 

 

 

 

 

 

WarmShowerを通じて知り合った

ホストの方が“サニーさん”。

初日からちょっと面白い展開になりました。

 

サニーさんは街のはずれにある

このマンションをもうじき引き払う予定。

 

そして数百km離れた別の都市に移り住むらしいのですが

引っ越し先の都市で用事を片付ける必要があるから

「明日からあなた1人で過ごしてね、ヨロシク」

と言われてしまいます。

 

いやいや今日出会ったばかりの人間に

留守番させていいのか、と聞くと

「I trust you. (信じてるわよ。)」

 

 

 

結果的に4日間1人っきり

この快適な部屋で

過ごさせてもらいました。

本当にありがたいことです。

何も悪いことしてないですよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

到着の翌日は

地元のNGO団体が行っている

ソフィア無料観光ツアーに参加。

 

徒歩で各所を周りながら

英語で解説をしてくれます。

 

 

 

7,000年もの昔から人々が定住し

ヨーロッパでも最古に近い歴史を持つ

都市“ソフィア”。

西洋では女の子に付けられる

その名は古代ギリシャ語で“知恵”を

意味するそうです。

 

 

 

古代ローマ、オスマン帝国、

ブルガリア帝国、ソビエト連邦と

数百年単位で支配者を変えてきたのが

ブルガリアの特徴。

写真の行政機関はソ連時代の

典型的な建築デザインです。

 

 

 

大統領邸宅の敷地内には、

国の主要宗教となっている

ブルガリア正教会の遺跡が

静かに建っていました。

なんと4世紀に建てられたそう。

 

 

 

 

ヨーロッパでは珍しく

河川を持たない首都として知られる

ソフィアですが、

近くの山々がもたらす湧き水が

街の40ヶ所からから常に溢れており

地元の方が自然の水を汲みにきていました。

 

 

 

街のトレードマークである

アレクサンドル・ネフスキー大聖堂。

ロシア-トルコ戦争の戦没者を弔って

建てられたもの。

撮影禁止の内部は静かながらも

煌びやかな空間が広がっていました。

 

 

 

 

 

 

あまりこれといった見所がないと聞いていた

ブルガリアの首都ソフィア。

 

派手さはないですが

こじんまりとしていて観光しやすく

ヨーロッパの雰囲気を初めに感じるには

ピッタリの街です。

 

 

 

10ヵ国目ブルガリア

2019.02.15

【264日目 9,869km】

 

 

いよいよトルコに別れを告げると、

次なる国・ブルガリアに突入です。

 

 

 

 

トルコ最後の町“エディルネ”を後にして

西に向かうと、

わずか1時間ほどでトルコ-ブルガリア国境に到着。

 

改めてヨーロッパに

たどり着いたことを実感します。

 

 

 

といっても、

急に風景が変わるはずもなく…。

どの国も国境付近は

栄えていないので、

しばらく寂しい景色が続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブルガリア最初の町で真っ先に向かったのは

銀行のATM。

新しい国に入るときはすぐに両替できるよう

前もってお金を多めに用意しておくのですが、

この時はさっぱり忘れていました。

 

トルコに2ヵ月もいたので

旅人としての感覚が鈍ってます。

 

しかも、

ブルガリアの通貨が何なのかも調べてないし

「こんにちわ」「ありがとう」の挨拶も予習してないし

時差も調べてないから何時なのかもわからないし

入国初日はもう本当にぐだぐだ…。

 

国境を越えてから一人でバタバタ焦ってました。

気を引き締めねば。

 

 

 

ブルガリア1日目のこの日は

国境から80kmほどのところ

“ハスコヴォ”に到着。

 

 

 

人口10万人のこの街。

さっそくブルガリアの雰囲気を

感じられると思ったのですが、

中心地にいっても人がおらず

ガランとしてました。

これがブルガリアなのか…。

 

 

 

安いホテルを何件か探し求めたけど

とりあえず最安値が¥1,800。

これまでの国で

一番高いくらいの水準です。

もっと安いトコあったのかな。

 

 

 

 

街を歩くと

とにかく目につくのがカジノ。

通りの両脇に

ずらっと並んでいました。

 

 

 

 

 

他に娯楽がないから

なのでしょうか。

ブルガリアの第一印象は

どこか寂しさ漂う国という

感じです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の日も、

車の少ない田舎道を進んでいきました。

イスタンブールを出発してから

少しづつ寒さが戻ってきています。

 

 

 

休憩に寄った村で

集まってきた子供たち。

外国人自体がかなり珍しいようで

この周りにも遠巻きに眺める子たちが

沢山いました。

 

 

 

 

 

 

 

ハスコヴォから70kmほど走ると

ブルガリア第2の規模を誇る都市

“プロヴディフ”に到着。

 

 

 

中心街に行けば

人もたくさんいて

賑やかな雰囲気が味わえました。

 

 

 

街のあちこちに

アート作品が多く

展示されています。

 

 

 

 

 

 

近代的で

イメージ通りのヨーロッパ

に近づいてきたように感じます。

町全体がなんともオシャレ。

 

 

 

 

 

 

 

 

このプロヴディフ

ただ栄えているというだけでなく、

数千年に及ぶ歴史を通じて

ローマ帝国、オスマン帝国と

異なる大国によって支配されてきた街なのです。

 

 

 

街全体に多くの考古遺跡が

存在しており、

その代表は丘の上に建つ

1,500年以上前のローマ劇場。

現在もイベントが催されるそう。

 

 

 

 

こちら2世紀頃に造られた

古代ローマの円形競技場。

なんとその上にショッピングセンターが

覆いかぶさっています。

まさに古代と現代の

コラボレーション。

 

 

 

そして旧市街には

古代ローマではなく

オスマン帝国時代の邸宅が立ち並びます。

1つの町に異なる国の遺産が

共存していること自体、

日本人の感覚からすると実に新鮮。

 

 

 

紆余曲折を経て現在に至る

ブルガリアの歴史の複雑さを

垣間見たプロヴディフの街でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ホテルに到着して

「さぁ、くつろぐぞ」という時、

前日のホテルにスマホの充電器と変換プラグを

忘れてきたことが発覚!

 

金額的にも大した損失じゃないのですが

実は旅に出て以来

物を失くしたり、忘れたり、盗まれたことって

ほとんどないんです。

 

 

たかが充電器とはいえ

共にアジアを渡ってきた仲間を置き忘れきたことが

すごくショックでした…。

 

さよなら、古い充電器。

こんにちは、新しい充電器。

 

 

 

さよなら、トルコ

2019.02.11

【260日目 9,690km】

 

 

イスタンブールをひと通り観光し

のんびりと過ごしたら、

いよいよ西側の国境を目指します。

 

 

 

海峡間の橋は自動車しか走れないので、

船に自転車を載せてヨーロッパ側へと渡ります。

これで本当にアジアとはお別れ。

 

 

 

イスタンブールの都市圏を抜けるには

かなり混雑が予想されるので、

少し北側に迂回するルートをとりました。

 

2時間ほど走るとあっという間に

のどかな風景に変わってしまいます。

 

 

 

交通量が少ないぶん起伏の多い道を進んだため

この日は予定の120kmを走りきることができず、

小さな村“ビンクリチ”に泊まることに。

 

 

 

 

安宿はないかと村人に尋ねると

この村に宿泊施設はないとのこと。

すると、

話を聞いていたとある方が

「ウチの事務所で寝てっていいよ。」

しかも、晩御飯までご馳走になりました。

 

 

 

事務所内のソファーで

そのまま寝かせてもらうことに。

薪ストーブの燃える暖かい場所で

深い深い眠りにつきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜が明けると再び西に向かって漕ぎ出します。

これまでトルコでは見ることのなかった

広大な平原をのんびりと進んでいきました。

 

 

 

80kmほど走ると

“リュレブルガズ”に到着。

小さいけれど

活気のある良い町でした。

 

 

 

 

 

この日、

トルコのチームに移籍した香川選手が

3分間に2点を決める鮮烈デビュー。

イスタンブールは

香川フィーバーに沸いたらしいです。

この町は穏やかでしたが…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の日もスカッと気持ちのいい青空を見上げながら

見渡す限りの大平原を走っていきます。

 

そして、トルコの道を走るのは

実質この日が最後。

 

気がつけば入国してから64日目。

まったく予定していませんでしたが、

この旅での最長滞在国となっていました。

 

 

 

そして、昼過ぎに

国境の町“エディルネ”に着きました。

隣国ブルガリアまではわずか20kmほど。

 

到着と同時に、

2か月にわたるトルコの旅の思い出が

ぐっとこみ上げてきます。

 

 

 

かつてオスマン帝国の首都であり

古く歴史のあるエディルネは、

トルコ国内からの観光客たちで

賑わいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

この街の象徴は、

世界遺産にも登録されている

「セリミエ・モスク」。

街の中心に堂々と建っています。

 

 

 

およそ500年前、

オスマン帝国時代に建てられた

このモスクは

イスラム建築の最高峰と

称されているそうです。

 

 

 

 

大きなドームを内側から見上げると

イランやイスタンブールで

散々モスク巡りをした後でも

感動するほどの迫力と美しさでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

旧市街には

サフランボルでも見た

オスマン様式の古い家屋が

立ち並びます。

 

 

 

 

 

ほかにも橋や駅など

トルコ建国以前の施設が、

現代も人々の生活に溶け込んだ形で

その姿を残していました。

 

 

 

 

 

 

 

 

夜には、

イスタンブールで出会った日本人観光客の方と食事。

同じ旅の身でありながらご馳走になりました。

色んなかたちの出会いがあります。

 

 

 

 

 

エディルネ滞在中にお世話になったのは“エンギンさん”。

イスタンブールに引き続いてWarm Showerです。

もうクセになりそう。

 

 

 

かつて自転車屋を営んでいた

エンギンさん。

この数年で各国からの旅人を

招き入れてきたそう。

壁には感謝のメッセージが

したためられていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

氷点下の雪山にはじまり、

穏やかな海岸線や緑の大平原まで

様々な景色を見せてくれた

トルコの道。

 

 

 

 

 

圧倒的な自然の光景や

世界史においても大きな存在感を放った

オスマン帝国の遺した建造物など、

旅の魅力がぎっしりつまった

長くて短い2か月でした。

 

 

 

 

優しい人々と美味しいトルコ料理に

後ろ髪を引かれつつ、

次なる国へと向かいます。

 

ということで、

さよならトルコ!

 

 

 

東西の架け橋、イスタンブール

2019.02.6

【254日目 9,430km】

 

トルコ最大の都市にして

アジアからヨーロッパへの玄関口である

「イスタンブール」。

 

黒海とマルマラ海に挟まれた細長い半島は

ヒビが入ったかのようにボスポラス海峡によって

東西に分断されています。

 

海峡の東側がアジア、

西側がヨーロッパであるため

長きにわたるアジアの旅もここで終わりとなります。

 

 

 

 

 

 

イスタンブールの観光名所が多く集まるのは

ヨーロッパ側。

 

滞在していたアフメットさん宅はアジア側なので

ボートに乗って海峡を渡る必要があります。

 

 

 

黒海沿岸の町でもそうでしたが

とにかくカモメが多いイスタンブール。

古い街並み、船、海、カモメ。

どこを切り取っても

絵になります。

 

 

 

 

写真の右側がアジアで、

左側がヨーロッパ。

海峡の幅の狭いところには

橋が架かっています。

でも残念ながら自転車は通行禁止。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヨーロッパ側へ渡ると、

町ゆく人の数は増え

レストランやみやげもの屋がひしめき合っていました。

 

大きなイスタンブールですが、

観光の見所は徒歩圏内にぎゅっと密集しています。

 

 

 

 

 

 

 

イスタンブール歴史遺産の代表として知られるのは

“ブルーモスク”こと

「スルタンアフメト・モスク」。

 

取り囲むミナレット(塔)が青空を突き刺す様子は

遠目に見ても存在感に溢れています。

 

 

 

およそ400年前に

建てられたこのモスクは

今でも現役の礼拝施設。

トルコ内外から参拝のため

大勢の人が集まります。

 

 

 

 

参拝時間外であれば

イスラム教徒でなくても入場可。

中に入れば

よりそのスケール感を味わえます。

豪華で煌びやかなモスクも

ぼちぼち見納めか。

 

 

 

 

 

 

ブルーモスクと互いに見つめ合うかのように

真正面に建っているのが

「アヤ・ソフィア」。

 

その歴史はまさに

文化の交流地点であるイスタンブールの歴史を

象徴しています。

 

 

 

紀元537年に

ビザンツ帝国(東ローマ帝国)の教会

として建てられたのがはじまり。

そして1453年に、一帯を支配した

オスマン帝国によって

まるごとモスクへと改修されたんです。

 

 

 

20世紀に入りトルコ建国の際、

政教分離を唱える政府により

モスクは博物館になりました。

時代の波に揉まれ続けた歴史は、

どれだけその美しさによって

人々を魅了してきたかを物語ります。

 

 

 

壁の一部には1,000年以上前の

キリスト教のモザイク画が

残っています。

時代は違えど、1つの建物が

異なる宗教によって讃えられるのは

世界的にも珍しいそう。

 

 

 

 

 

 

アヤソフィアのすぐ近くにあるのが、

“地下宮殿”こと

「バシリカ・シスタン」。

 

アヤソフィアと同じく、

ビザンツ帝国によって西暦500年代につくられた

地下貯水槽です。

 

336本の支柱によって広がる空間は

荘厳な雰囲気が漂っており、

映画の撮影にも使われたそう。

 

 

 

 

 

 

海峡間を結ぶ船の発着場は

人々で賑わっており、

簡易的な食堂が並びます。

 

 

 

ここの名物は“サバサンド”。

焼きサバとタマネギ、キャベツを

挟んだサンドイッチです。

机に置かれたレモンと塩をかけて

かぶりつけば、あっさりとした

海の町ならではのグルメが味わえます。

 

 

 

トルコの人たちが愛する

キュウリ、キャベツのピクルスと

サバサンドは相性抜群。

トルコへお越しの際は

ぜひご賞味ください。

 

 

 

 

鉄板にずらっと並んだサバたちが

煙を上げて焼かれています。

かなりの数があるんだけど

これらが飛ぶように

どんどん売れていました。

 

 

 

 

 

 

 

さらに港の近く、

イスタンブールの定番風景になっているのが

「ガラタ橋」。

 

1階はレストラン、2階は道路という

珍しい2階構造になっています。

 

 

 

そして名物は、

橋の上から海へと竿をたらす

地元の釣り人たち。

何百という竿が横に

ずらりと並んでいました。

 

 

 

 

橋の上からだからか

みなさんかなり大漁の様子。

これなんの魚なんだろう。

詳しくないのでよくわかりません。

まあ、魚です。

 

 

 

 

 

 

 

橋を渡った向こう側に建つのが

「ガラタ塔」。

 

何度も壊れては建て直してを繰り返し

現在のものは50年ほど前に

建てられたものです。

 

 

 

内部にはエレベーターもあって、

上まで昇るとそこにはレストランが

ありました。

外から見ると

そんなに広く見えなかったけども。

 

 

 

 

 

 

 

塔から見下ろしたイスタンブールの街並み。

 

これまで旅をしてきて

大都市というのは概してごちゃごちゃとしてて

あまり魅力的でないことが多かったのですが、

このイスタンブールはしっかりと“町の色”を持った

味わい深い所でした。

 

 

ここからいよいよヨーロッパの旅がはじまります。

道のり的にもう一度寒い場所に

逆戻りするみたいだけど…。

 

引き続き良い出会いがいっぱいありますように。

 

 

 

漕いでイスタンブール

2019.02.2

【252日目 9,430km】

 

 

海辺の町「アクチャコジャ」で一休みして

すぐに出発するつもりだったのですが、

実は到着翌日の晩から熱を出してしまいまして。

 

これまで1カ月以上に及んで

氷点下のトルコを走ってきながらも

まったく体調を崩さないなんて、

「あら、わたしったらなんて健康なの」と

思っていた矢先のことでした。

 

 

 

現地調達の薬を服用しながら

ベッドに横たわりつづけます。

 

熱をおびた頭でぼんやり天井を見上げていると、

広大なトルコを走り切るのに

予想以上の日数がかかっているという焦りに加えて、

無事にヨーロッパにたどり着けるのだろうかという

これまでよぎったこともないような不安さえこみ上げてきました。

 

健康な身体なくして健全な精神あらず。

弱っているときには考えが良い方には向かいません。

改めて元気でいられることの

ありがたみを感じる時間でした。

 

 

 

 

 

 

3日間寝込んだ後、

咳もおさまらないなかで再び自転車にまたがります。

起伏の少ない行程を90km走ったこの日は

「サカリヤ」に到着。

 

ペダルを漕いでいる時は

意外と気分が楽なのですが

ホテルに着くと疲れがどっと押し寄せてきます。

 

 

 

 

 

 

徐々に体調が改善されていくのを感じながら

明くる日も走ります。

 

前日まで右手に黒海を眺めていたのですが、

こんどは左に“マルマラ海”が姿をあらわしました。

南北を海に挟まれた細い半島を西に向かいます。

 

 

 

80kmあまりを走って

「ゲブゼ」に到着。

道路わきのホテルで

身を休めます。

 

 

 

 

 

この日を境に

風邪もいっきに

吹っ切れた気がします。

しかし、ここ最近ほんとうに

ホテルは“当たり”ばっかり。

テント生活に戻れるか不安。

 

 

 

 

 

 

次の日、

穏やかな海辺の景色は都市空間へと姿を変え

車の数も劇的に増えます。

 

自転車のすれすれを走っていく自動車と

細かなアップダウンにストレスを感じながらも

ゆっくり50kmを走りました。

 

 

 

そして15:00頃。

ついにトルコの大都市、

アジアとヨーロッパが出会う場所

「イスタンブール」に到着です!

 

 

 

1,500万人もの人口を抱える

イスタンブール。

東京やニューヨークをかるく凌ぐほど

多くの人々が

この都市で暮らしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実はこのイスタンブールで初の試みをやってみました。

 

インターネット会員サイト

“Warm Shower (ウォームシャワー)”

というものがありまして、

世界中の自転車好きたちが

互いに無償で寝床を提供しあおうという

素晴らしいサービスなんです。

 

これまで存在は知っていたのですが、

ヨーロッパ方面は特に会員が多いということで

試してみることに。

 

 

 

今回お世話になったのは医師の“アフメットさん”。

大分大学に短期留学もしていたこともあり

ぜひ日本人を招きたいと思ってくれていたそう。

 

到着の数日前から連絡をとり合って、

初回から良い人にめぐり会うことができました。

 

 

 

都会のど真ん中にありながら

ゆったりとした寛ぎの空間を

提供してもらいました。

本当に素晴らしいサービスです、

Warm Shower。

自転車旅の際はぜひご利用ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イスタンブール観光へと駆りだす前に

到着翌日は自転車のメンテナンス。

アフメットさんが紹介してくれた

街の自転車屋さんで備品を調達します。

 

 

 

お店でやってもらうこともできましたが

自らの手で旅の相棒を労うことに。

錆びついて伸びてきたチェーンと

磨り減ってきたブレーキの

交換をやってみます。

 

 

 

 

男ってDIYとか機械いじりとか

往々にして好きなものですけど、

僕は手を汚したくないし

金持ちのお嬢様と一緒で

箸より重いもの持ちたくない派です。

しかし、旅を通じて成長せねば。

 

 

 

10,000km近くを

走ってきたチェーン。

毎日毎日くるくると

何周くらい回ったんだろうか。

ここまでありがとう。

お疲れさまでした。

 

 

 

 

 

やってみれば何てことはない作業でした。

細かいところまでしっかり掃除すれば

ぴかぴかの輝きが蘇ります。

 

 

サイクリング自体は楽しいし好きなのですが、

自転車の機構とかフォルムがどうとか

僕はほとんど興味がないんです。

 

でもこの自転車は、

地球の裏側まで連れて行ってくれる大切な相棒。

ものすごい愛着が湧きはじめてます。

 

これからも大切にしよう。

 

 

 

海へと

2019.01.29

【245日目 9,201km】

 

 

世界遺産の町“サフランボル”で

3日ほどゆっくりして次の場所へと向かいます。

 

 

この日は山間の谷を流れる川に沿って

延々と北を目指しました。

ありがたいことに長い下りが続きます。

 

 

 

出発から70kmほどすると

谷が開けて平坦な道が

伸びていました。

標高も下がって

雪はまったく見当たりません。

 

 

 

 

道路わきの食堂で休憩。

屋外の席に案内され

寒さを感じることなく

食事を済ませました。

山をひとつ下るだけで

とたんに気温が上がります。

 

 

 

 

 

 

 

 

この日の終わりに400mほどの峠を越え、

たどり着いたのが“黒海”を臨む街

「ゾングルダック」。

 

 

 

中国・上海を出発して

実に8カ月ぶりの海。

いくつもの山を越え

荒野を走った後に見る

真っ青な海に

感動してしまいました。

 

 

 

すごかったのは

群がるカモメたち。

海浜公園の観光客たちが

エサを宙にばらまけば

バッサバッサと集まってきます。

 

 

 

 

中心街にあるホテルでひと休み。

この日は久々に

100km以上を走行。

達成感のある心地の良い疲れです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日は出発してからずっと

右手に海を眺めながら走りました。

思いの外、風は冷たくなく

爽快なシーサイドサイクリングを楽しみます。

 

 

 

午前中に600mの山越えをした後、

道はずっと平らでした。

10km以上平坦な道が続くなんて

3カ月前のイラン以降

はじめてな気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

およそ80kmを走ったこの日、

海辺の町「アクチャコジャ」に到着。

トルコ国内の旅行者が集まる観光地です。

 

 

 

目の前に広がる“黒海”は

湖ではなくれっきとした海。

2つの海峡を経て

大西洋へとつながります。

遊歩道を歩くと確かに

ほんのり潮の香り。

 

 

 

 

トルコ入国以来ずっと

標高1,000m以上を走ってましたが

ここはもちろん海抜0m。

そして、気温はなんと15℃。

ついこないだまで氷点下の世界で

凍えていたのが嘘のようです。

 

 

 

 

観光地としてもシーズンオフと思いきや

意外に人が集まっていました。

イスタンブールやアンカラから

寒さを逃れて

遊びに来ているそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

町のど真ん中に位置するホテルに宿泊。

観光地だし高いんだろうな、

と思ったら

¥1,000ちょっとで

泊まれちゃいました。

 

 

 

 

しかも綺麗だし

設備もちゃんとしてて、

ここ数カ月で1番コスパの良い宿

だったのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

バルコニーの向こうには

一面に広がる黒海。

最高のオーシャンビューに

居心地の良さを覚えて

予定より長く泊まることに決めました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この町で印象的だったのが野良犬たち。

野良というより

町のみんなで飼ってる感じらしく

どいつもこいつも結構肥えてました。

 

暖かいからか、

やる気ゼロの彼らは

そこらじゅうで寝てます。

 

 

 

こないだYouTubeで

「この世から人類が消え去ったら」って

ヤツ観てて言ってましたけど、

猫は本能で狩りをして生き残れても

文明の中で人間に依存しちゃってる犬は

すぐに絶滅するらしいですよ。

 

 

 

こんなにだらけきってたら

確かに生きてけないだろうなって

思います。

余計なお世話だろうけど….。

犬たちよ、目を覚ませ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大西洋だったり太平洋だったり

名称は違うけど結局、

地球の海って1つにつながってます。

 

 

黒海なんて初めて来たけど

どこか落ち着くのは

この海が日本へと続いてるからでしょうか。

 

海の近くで育ったわけでもないし、

景色も全然日本と似てないけれど、

何となく望郷の想いに駆られる海辺の町でした。

 

 

 

古き町サフランボル

2019.01.25

【241日目 9,005km】

 

 

大都会アンカラを後にして

次なる場所へと向かいます。

 

 

 

首都であるアンカラは交通量が多く

車を気にしながら走らなければなりません。

 

ゆっくりとすすみ

2時間ほどかけて都市部を抜けると、

一気に山の風景に戻ります。

 

 

 

この日は80kmあまり走って

「キズィルチャハマム」の町に到着。

夕食は久々の魚を食べます。

寒いなか何とか元気でいられるのは

様々な食材をバランスよく

食べられてるからでしょうか。

 

 

 

 

 

 

翌日、距離短めの予定だからと

朝食を軽めに食べたのが祟ってか、

峠を上る途中

腹ペコで動けなくなりそうになりました。

いわゆる“ハンガーノック”の状態。

サイクリングにおいて食事はとても大切。

 

 

 

必死に前へと進みつづけ、

65kmを走って「ゲレデ」で1泊。

安いホテルが見つからず

¥3,000のちょっと良いホテルへ。

おかげでゆっくり休めました。

 

 

 

 

 

 

 

続くこの日は山越え。

といってもその行程のほとんどが下り坂で

すべり降りるように進んでいきました。

 

標高1,500mの高さから

500mほどの町まで一気に下ります。

 

 

 

お昼によった食堂の店主は

自転車旅に興味津々。

食後に支払いをしようとするも、

「てやんでぃ!金なんていらねぇよ」

優しい人はカッコ良い。

 

 

 

 

 

 

 

アンカラから走ること3日間。

たどり着いた町は「サフランボル」。

山間に位置する黒海沿岸の観光地です。

 

 

 

サフランボルの見所は“町そのもの”。

旧市街を歩くと写真のように

白い壁と四角い木枠の窓が特徴の

家があたりに立ち並びます。

どこかヨーロッパを思わせるデザイン。

 

 

 

 

実はここ、

町全体が世界遺産に

登録されているほど

文化的価値が高く評価されている

場所なんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

丘から見下ろしたサフランボルの町。

オレンジの瓦が広がる様が有名なのですが、

雪が積もっちゃってました。

 

数週間前から感じてましたが、

トルコに来る時期間違えてる気がします。

でも、これはこれで綺麗。

 

 

 

町の歴史は13世紀ごろまで遡ります。

シルクロードを辿って

西洋と東洋を行き来する商人たちの

宿場町として栄えたのが始まり。

交易の場としてかなり賑わったそう。

 

 

 

 

町の名は“たくさんのサフラン”の意。

あたりが有名なサフランの産地

であったことも発展に貢献しました。

しかし、鉄道の出現と同時に

町は徐々に衰退していきます。

 

 

 

 

商人たちがいなくなった現在も、

建てられた家々は

オスマン帝国を代表する建築様式

として保存されているそうです。

多くの家屋はホテルに

改装されていました。

 

 

 

中世から商人の町として栄え

そのまま大都市となっている場所もあれば、

こうして時代の波に飲まれ

かつての賑わいを失っていく場所もあります。

 

シルクロードに沿って旅をすると

文明の栄枯盛衰を見ているようで面白い。

 

 

 

 

 

 

町を見下ろす小高い丘で

夕日を眺めていると、

地元の大学生に声を掛けられました。

そのまま自宅に招待され

夕食のピザをごちそうに。

 

 

 

 

ピザを横取りしようとする

猫と戦いつつ完食しました。

猫って呼んでもこっち来ないくせに

来なくていい時に寄って来るから

犬の方がカワイイと思います。

性格もルックスも犬の方が良いです。

 

 

 

っていいながら

猫を抱っこしてみんなと記念撮影。

膝の上にちょこんとのってるときは猫もいいヤツ。

 

 

広大なトルコも

気がつけばぼちぼち後半戦に突入。

 

寒さはあいかわらずですが、

このままトルコ随一の大都市イスタンブールに向かいます!

 

 

 

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