2019.04.4
【309日目 11,645km】
強風吹き荒れるボラの中、
救いの手を差し伸べてくれた心優しきナダさんに別れを告げて、
次なる場所を目指します。
ナダさん宅にたどり着いた2日前と比べると
想像もつかないほど穏やかで綺麗な青が広がる海岸線。
アドリア海も色々な表情を持っているようです。
これまで通り
数十km進んでは港町があるので
時に休憩をはさみながら
のんびり進んでいきます。
晴れの海岸線は
本当に気持ちが良い。
数百mの高さの山を越え、
100kmを走ってたどり着いたのは「リエカ」。
クロアチアの北部に位置しており、
ここから山を越えた向こうに次なる国への国境があります。
北側国境付近の都市ということで
長い歴史を通じて
イタリアやオーストリアの文化が
流入してきたというリエカの街。
さらに“ヨーロッパ感”が
増したような気がします。
いよいよこの街で
クロアチアともお別れ。
新聞に取り上げてもらったり、
暴風に見舞われたり。
しっかりと旅らしい“想定外”に
出会うことができました。
夕暮れ時、
オレンジに染まっていくリエカの港。
人口400万人ほどのこの国は
大きな街でも
人が溢れかえっていないのが
良いところでした。
リエカの街で2日ほど休んで疲れを癒すと
いよいよ次なる国へと向かいます。
街を離れると山道に突入。
国境は1,000mの高さを上った先にあります。
ここ数週間、
海沿いの風景が続いていたので
山の道というのも新鮮に感じます。
春の新緑には
まだ少し早いようでしたが。
汗をかきながらのぼる上り坂と
その向こうに待つ下り坂の連続が
快感になってきているのは
立派なサイクリストの証なのでしょうか。
山ならではの楽しみがあります。
リエカの街から4時間ほど漕いで
たどり着いた山中の国境。
主要道路は別にあるのでここはかなり寂しい雰囲気。
そして、国境の向こうは
16ヵ国目の「スロベニア」。
引き続き山の中を走っていきます。
実は、スロベニアを走行するのは
わずか20kmあまり。
そのほとんどが下り坂だったので
一歩も足をつかずに
国を越えられるのではと思うほど。
進んでいく道に
町の1つも見当たらないので、
何の出来事も起こらないまま
スロベニアを通過すると思ってました。
出国直前、この旅最大の悲劇が
待っているとも知らずに。
こちらスロべニア-イタリア間の国境。
楽しみにしていたイタリアなのですが、
この場所からわずか20mほど手前で悲劇は起きました。
曲がりの多い下り坂を進んでいると、
見通しの悪い道の向こうに突然現れた急カーブ!
ブレーキを握りしめるも、
数十kgの荷物をくくり付けた自転車の勢いを止めるには
カーブまでの距離はあまりにも短すぎました。
曲がり角に生えていた木に真っ正面から猛スピードで激突。
自転車もろとも倒れこむあたし…。
ぶつかる瞬間、下に顔を向けたので
衝撃を受けたのはヘルメット越しの頭頂でした。
体全体に痛みが走るのを感じながら
「ぼぉーっ」とその場に立ち尽くし、
気が付くと自転車を起こしていました。
そして、走り始めた直後に
目に留まったのがこのイタリアの看板。
でも正直、この写真撮ったの覚えてないんです。
それから
イタリア最初の街トリエステを通過したのですが、
事故を起こしたというショックに加えて
「もし対向車がいたら…」
「もしヘルメットをしていなかったら…」
「もしカーブの向こうが崖だったら…」
色んな事が頭をよぎってしまい
カメラを手にすることもできず写真は1枚も残っていません。
この日は野宿の予定でしたが
体の痛みと精神的ショックもありゲストハウスに泊まることに。
見つけたこちらのゲストハウスは
1泊30ユーロ(およそ¥3,700)。
高い…。
流石のイタリア価格です。
身も心もボロボロなのに
「5ユーロまけてよ」って
交渉する元気はありました。
まけてもらえませんでしたけど。
…ケチ。
エスプレッソと一緒に頂く
イタリア最初の朝食。
この国では
食べるべきものに対しては
しっかりお金を払ってやろうと
思ってます。
宿のオーナーとの1枚。
ばっちり目つむっちゃってます。
イタリアの人はそっけないなんて噂も聞いてましたが、
フレンドリーでしっかり話もしてくれて良い人でしたよ。
5ユーロまけてはくれませんけど。
事故の痛みは残っていますが、
ベッドでゆっくり休んだことで気持ちは落ち着きました。
思えば、
ブレーキが磨り減ってることに気づいていながら
「まだ大丈夫」と交換を先延ばしにしてたことに原因はあります。
“腕の良い木こりは体に1つだけ傷を持っている。
0でもなく2つでもなく、1つだけ”
この失敗を糧に、
より安全管理徹底して旅をつづけてまいります。
ということで
イタリア旅スタート!
首が痛い。
2019.03.31
【305日目 11,439km】
不安定だったザダルの天気が
回復したところを見計らって
再び走り始めます。
南北に長いクロアチアもそろそろ後半戦に突入。
相変わらずではありますが、
ひたすら海岸線を走っていきます。
このあたりの地域には
海沿いに数々の島が存在しており、
島のほうが交通量が少ない
ということを聞いていたので
橋を渡って島に移ることにしました。
出発してから2時間ほどで島に架かる橋に到着。
向こう岸には
緑が生えておらず岩がむき出しとなった
島が見えます。
写真では伝わらないのですが、
ここに立ってカメラを構えていると
かなりの強風が吹き荒れておりました。
この時は、
風をさえぎるものがない海の近くだから
これだけの強風が吹いてるのだろうと
何の気なしに橋を渡っていきました。
後からどれだけこの「風」に苦しめられるかも知らずに…。
島の中には「パグ」という町があり、
スーパーに立ち寄って
のんびり休憩をとりながら
少しづつ進んでいきます。
街を離れると久しぶりの未舗装路。
砂利にタイヤを取られつつ進んでいると
再び風が強まってきました。
晴れ渡った気持ちのいい天気とは裏腹に
ハンドルをぎゅっと握り、必死で
ペダルを踏み込みながら前進します。
島内を3時間ほど走ったところで
島から本土へ渡るフェリーの発着所に着きました。
ここにきても強い風が吹き続けていたけれど、
向こう岸に渡ればきっと風もおさまるはず。
乗船してしばらくすると
フェリーは本土に向かって動き出しました。
向こうに見えるのは
水際から一気にそそり立つ岩山の急斜面。
もう夕方になるし、岩山が壁になるから
風が吹き付けることもないだろうと
のんびり揺られて体を休ませました。
そして、20分ほどして対岸の発着所に到着。
北に25kmほど進んだ村で宿をさがすつもりでしたが、
ここからの道のりは
この旅においても1、2を争うほどの過酷なものでした。
あまりの過酷さゆえに写真が1枚もありません!
北へと向かう幹線道路へは
フェリーの発着所から300mの高さまで
上る必要があります。
すでに疲れていた体に鞭を打ち、
自転車を押しながら急斜面を上っていると
激しい突風が体に吹きつけてきました。
この日、朝から苦しめられていた強い風が
おさまるどころかよりいっそう猛り狂うなど
予想だにしていませんでした。
「ゴオォォー」という轟音と共に突風が吹くたび
前に進むことはおろか、
自転車を支えて立っているのがやっと。
しかも、風の方向は一定ではなく
四方八方からタコ殴りにされるかのよう。
何とか上って幹線道路までたどり着き
風の止んだ瞬間をうかがって自転車にまたがったその時、
狙いすませたかのように吹く突風!
僕の体重と荷物をあわせれば
合計100kgを超えるはずの自転車がまるごと
ペロンッと道路脇に
軽々ひっくり返されてしまいました。
自然の猛威を前にして自分の無力さを感じると、
「アハハ、ウフフ…」と笑う以外何もできないということを
人生で初めて知った瞬間でした。
それでも、その場に居座るわけにもいかず
なんとか少しづつ進んでいくと
道の外れに1軒の家が見えました!
「お願い、誰か中にいて!」と、
迷わず玄関の扉を叩きます。
開いたドアの向こうから出てきたのは中年の女性。
事情を説明した上でスプリトの新聞取材の記事を見せ
怪しいヤツじゃないよとアピールすると
「とりあえずあがりなさい」と、
迎えてくれました。
夏場はバカンス地となるこの地域で愛犬と2人暮らす
「ナダさん」に差し出されたお茶を飲みながら、
まず彼女が言ったのは
「なんで今日みたいな日に自転車乗ってるの?」
彼女の話を聞いて、
この日自転車を漕いでいたことがいかに愚かなことだったか
思い知ることとなりました。
朝から吹き荒れていたのは、
「ボラ」と呼ばれ
冬の間にアドリア海沿岸の地域一帯に吹く季節風。
特に、この日がそうであったように
3月下旬に吹く強い風は
春の到来を告げるこの季節の風物詩になっているそう。
一方で、
風速200km/hを記録したこともあるというこの暴風は
自動車や船の交通網を停止させ、家屋の屋根を吹き飛ばし、
時に死者を出すほどの自然災害にもなり得るとのこと。
ちなみに、
この日は注意報も発令されず“よくあるレベル”の風だったそう。
日本人の僕からすると
まるで雨と雲のない台風だったんですけど…。
首都ザグレブで暮らしている
娘さんの目標が
「日本へ留学すること」ということで
親近感を感じてくれたナダさん。
そのまま
泊まらせてもらうことになりました。
愛犬のデイジーちゃん。
アメリカンなんとかっていう犬種です。
この上目遣いでジーッと
見てくるのが堪らなく愛おしい。
僕の足の裏をずっと舐めてきます。
ナダさん宅の前から見た夕陽。
穏やかな景色に似合わない激しい風は
夜中になっても止むことはありませんでした。
翌朝になっても風は吹き続けており
自転車を漕ぐのは困難だということで、
ナダさん、デイジーと付近を散策することに。
山の中腹にある家から海辺まで一気に下りていきます。
夏になると涼を求めて人が集まるものの
ガイドブックには大きく載らない
穴場観光地「ザブラトニッツァ」。
お馴染みの散歩コースらしく
先々進んでいくデイジー、
あぁ、可愛い…。
入り江とそれをとり巻く岩山が
国立公園に指定されている
ザブラトニッツァ。
第2次世界大戦中のドイツ軍の
ボートが沈んでいます。
入り江の奥から海側を見渡した風景。
両腕で抱え込むように
岩山が囲む一帯の水辺は
水が澄んで底がはっきりと
見通せるほどでした。
高台に上って記念撮影。
左の彼女がナダさん。
首都ザグレブでの“管理職・高給取り”
という立場を捨て、自然豊かな故郷に
戻ってきたキャリアウーマンです。
2日間も寝床のみならず
食事まで提供してもらって
どうやってお礼をしていいやら。
数えきれないほど多くの人に
助けてもらっていますが、
良い感謝の方法が未だ見当たりません。
「春の到来を告げる“ボラ”と同時に
あなたがやって来たのは、
新しい何かを始めなきゃっていう私へのメッセージよ」
助けを求めて転がり込んだだけの僕との出会いに
価値を感じてくれるなんて、
なんと素敵な感受性の持ち主なのか。
旅を通じて、出会いを通じて
自分自身変わっていかねばと気づかされる
クロアチアの春の嵐でした。
2019.03.27
【300日目 11,345km】
鮮烈メディアデビューを果たした
スプリトを後にして、
引き続き北へと向かいます。
スプリトは
クロアチアでも2番目に多い人口を抱える都市
ということで、
街中を抜けるまでにはかなりの交通量があります。
それでも1時間ほど走れば
落ち着いた田舎道へ。
気候が穏やかなことに加えて
車もまばら。
静かな海岸をのんびりと
漕ぎ進んでいきました。
わずか70kmほど走ったこの日は
「シベニク」という町に到着。
ほどよい賑わいもありながら
落ち着いた場所です。
ガイドブックなどでは
あまり紹介されていないこの町も
古くからの歴史ある建物が見所だそう。
旧市街を歩くと
漂う中世の雰囲気が感じられました。
世界遺産に登録されている
「聖ヤコブ大聖堂」。
見た目の派手さはないですが、
木やレンガなどの補助材が
一切使われていない石造教会の中では
世界で最も大きな教会だそう。
旧市街の中で
サッカーに熱中する子供たち。
歴史ある家屋の壁に
ボールがバンバンと
当たりまくってます。
翌日は雨の予報なので
1日まったり。
オフシーズンに泊まるゲストハウスは
人が少ないので
居心地が非常に良いんです。
結局、ほとんど雨降らなかったけど。
シベニクで一休みした後、
再び海岸を北へ進んでいきます。
ずっと同じような景色だから、
ずっと気持ちが良い。
ここしばらく道路わきの安い食堂で
ささっと昼食を済ませることが
多かったけど、
1食当たりの値段が上がってきてるので
スーパーで適当なものをつまんでます。
午後からも、さっき見たような
どこまで行っても変わらぬ景色。
クロアチア以降も
地中海沿いを走っていくつもりなので
これがずっと続くのだろうか。
シベニクからおよそ80kmを走って
やって来たのが「ザダル」。
昨年のFIFAワールドカップで大活躍した
クロアチアのスター選手「モドリッチ」
を生んだ場所です。
これまでに訪れた街と同じように
海辺に広がる旧市街。
ドゥブロヴニクとスプリト以外は
あまり予習をしてなかったのですが、
アドリア海沿いには歴史深い街が
ズラリと並んでいるようです。
90年代のユーゴスラビア紛争の際、
大きなダメージを負ったザダル。
荒廃してしまったこの街は、
クロアチアの人たちにとって
紛争を思い起こさせるということで
負のイメージが付きまとったそう。
少しづつ復興の道を歩み
明るさを取り戻しているザダルの街。
海外からの観光客も多くおり、
現在の様子からは
過去の悲劇を匂わせる景色は
見当たりません。
復興のシンボルとして
波打ち際に創作されたのが
「海のオルガン」。
波の力を利用して
金管楽器の低音のような音が鳴る
不思議な楽器です。
不規則にあたり一帯で鳴りつづける
無機質で宇宙的で
サイケデリックなサウンド。
寄せてはかえす波を眺めながら
いつまでも座っていたくなります。
旧市街には現地の人たちが
買い物をしにやってくる市場もあります。
地元の野菜は彩り豊かで
慢性的に栄養不足気味の旅人には
非常に魅力的に見えてしまう。
結局、色々買っちゃいました。
というか物価上昇により
ゲストハウス滞在中は
自炊せざるを得ないというのが
本音です。
調理のしやすさと値段の安さから
行きつく先はパスタ、パスタの日々。
これからイタリアで
山ほど食べられるというのに。
でもパスタってどれだけ食べても
飽きないですよね。
かの名監督ヒッチコックをして
「世界で1番美しい」と言わしめたザダルの夕陽。
沢山の島が浮かぶ穏やかなアドリア海に
ゆっくりと沈んでゆく太陽を見送った後、
次なる場所を目指すつもりでしたが
実はしばらく天気が悪くて4日間もこの街に停滞してます。
早く走りたい…。
2019.03.23
【296日目 11,187km】
ジブリの街ドゥブロヴニクを後にして
また海岸線を北へ上がっていきます。
ドゥブロヴニクの北側には大きな橋が
かかっています。
しばらく快晴の日が続いてましたが、
この日は久しぶりに怪しい雲行き。
途中でにわか雨も降り
雨宿りをしながらゆっくりと
進んでいきました。
ドゥブロブニクが位置しているのは
クロアチアのほぼ南端。
実はこのあたりの地域は、
海側へとはみ出した隣国ボスニア・ヘルツェゴビナの領土により
本国と分断されてしまっている
いわゆる「飛び地」。
背景は複雑なのですが、
およそ300年前にアドリア海沿岸の覇権を争った
ヴェネツィア帝国とオスマン帝国の紛争を緩和するために
引かれた当時の国境線が現在も引き継がれているそう。
つまり、これだけ国が密集していれば
いろいろな事情が発生するということです。
ということで15ヵ国目となる
ボスニア・ヘルツェゴビナへの
国境に到着。
従来通りスタンプを押されると
すんなり入国できました。
国は変われど、
この地域に住んでいる人は
クロアチア人が多いらしく
クロアチア通貨の「クーナ」も
使えてしまいます。
黙って通り抜けるだけ
というのも寂しいので、
入国記念として
食堂に寄ってランチを食べました。
ボスニア・ヘルツェゴビナでの
唯一の思い出。
飛び地と本国との距離は
わずか15kmほど。
たった1時間で走り抜けた
ボスニア・ヘルツェゴビナ。
1ヵ国の滞在時間としては
この旅での最短記録です。
クロアチアに再入国して
しばらく走ったところで
この日は久々の野宿。
名前もわからない湖のほとりで
のんびり過ごします。
続くこの日も
海沿いを北へと進んでいきました。
木がほとんど生えていない岩山が
延々と続くアドリア海沿岸。
起伏がかなり激しい分、
高いところから見下ろす海を
たっぷり堪能できます。
水辺の向こうにそびえる岩山。
写真を撮り終えた途端、
警察に職務質問されました。
…なんでされたんだろう、
事なきを得たのでいいですけど。
小さな港町が数十kmおきに
あらわれます。
目的の街が近づくにつれ
交通量も少しずつ増えてきました。
そして、ドゥブロヴニクから
2日かけてたどり着いたのは、
クロアチア第2の都市「スプリト」。
3世紀ごろに
古代ローマ皇帝の宮殿が建てられたこの都市。
皇帝が逝去して数百年たった後、
荒廃してしまったかつての宮殿を見つけて
「何ここ、良い場所あるじゃん!」と、
中世の人達が住み始めてしまったという
珍しい歴史を辿った街なのです。
かつての宮殿の壁は
中世の人たちにとっての城壁と
なったそう。
一度はボロボロになった古代の遺跡が
人々の生活する街として
息を吹き返したということ。
皇帝のために捧げられた
建物ということで
門構えからして、かなり立派。
古代ローマの気分を味わいながら
生活していた当時の人たち。
何とも贅沢な街です。
現在もこの街には
人々が暮らし続けており
ところどころに
生活感がうかがえます。
北門を出たところにあるのが
大きな「グルグール像」。
この銅像の左足の指をなでると
幸運がおとずれるそうですが…
大勢の人が触りすぎて
表面がテカテカになってるというのは
もはや世界各地の
観光地あるあるですね。
僕もしっかりなでなでしたので、
幸運がおとずれることが確定しました。
近くの丘から見渡す
スプリトの街並み。
写真中央あたりがかつての宮殿ですが、
城壁もあまり高くないうえに範囲が広いわけではないので
パッと見には分かりにくいです。
現代の都市空間と
歴史遺産である旧市街が、
自然に溶け合うようにして成り立った
スプリト。
海沿いの通りには
暖かい海風が吹き抜けます。
半日もあれば十分歩けてしまう
旧市街周辺。
のんびりあたりを散策するだけで
気持ちが良くなる、
ドゥブロヴニクとはまた違った
魅力のある街です。
そんなふらっと訪れたスプリトで
面白い出来事が起こります。
Warm Shower のホストが見つからず
やむを得ずとあるゲストハウスに身を寄せたところ、
到着直後から宿主は自転車旅に興味津々で
あれやこれやと旅についてお話しました。
すると翌朝、
「新聞社の友達が取材したいって言ってるけどいい?」
と思いもよらぬ展開に!
断る理由もないので「是非どうぞ」と告げると、
2時間後にはスプリト地方紙の
カメラマンと記者の方がやってきました。
そのまま始まったインタビューと写真撮影は
1時間ほどであっという間に終了。
「楽しみにしといて!」と
去っていった新聞社の方たち。
しばらく時間がかかると思いきや
翌朝の新聞には掲載されてました。
あまりの急展開に
驚きがついていきませんが、
旅をしてれば予想外のほうに
ことが進むことなんてよくあること。
新聞を抱えて
スーパーのレジに並んでる時
後ろのおばちゃんに
見て見てと自慢すると、
「えーー?これアンタなの!?」
とビックリしてました。
↓電子版もあるのでご覧ください。
https://www.slobodnadalmacija.hr/dalmacija/split
ところが驚きはまだまだ止まりません。
のんびり新聞を眺めていると、
宿主のもとにまた連絡がやってきます。
取材をしてくれた新聞社の母体が
EU全土に展開するテレビの放送局だったらしく
「いまから取材にいってもいい?」とのこと。
しかも今度はローカルではなく、クロアチアの全国放送。
2日連続で、
またもやインタビューと撮影。
旅について根掘り葉掘り聞かれながら
2時間ほどで終了しました。
放送されたのは撮影当日。
しかも、夜の7時という
なかなか良い時間。
しゅっとしたキャスターが
読んでくれます。
日本でも見たことがない
テレビに映る自分の顔。
これまでどんな旅だったのか
偉そうに色々とお話ししました。
あぁ、恥ずかし…。
放送時間は3分ほど。
中国から中央アジアにかけての
道がちょっと間違ってるけど、
こうして地図にして道のりを見ると
はるばるやってきたなぁと
感慨深いです。
新聞を読んで興味を持ってくれた
近くに住む「ゴランさん」。
わざわざ宿にやってきて
晩御飯をご馳走してくれました。
他にも多くの方から
メッセージを頂きました。
こちら宿主の「ボリスさん」。
スプリトについてたったの2日間で
あれよあれよと物事が進んでいきましたが
全てはこの人との出会いがきっかけ。
異国の地にまた一つ
忘れられない場所が増えました。
2019.03.19
【292日目 10,969km】
コトルを後にして、
海岸線を北に向かうと
次なる絶景が待っています。
地震によって生み出されたといわれ、
陸地をえぐる様に広がるコトル周辺の入り江は
山と青空を水面に映し出すほどの透明度。
複雑に湾曲しているがゆえに
車もあまり通っておらず
この静かな景色を1人占めにしながら
ゆっくりと進んでいきました。
最短ルートを行くために
船に乗って対岸へと渡ります。
この旅では5度目くらいでしょうか、
結構船に乗ってます。
乗船中、興味を持ってくれた
セルビアからの観光客に
質問攻めにあいました。
終始たばこスパスパ。
出発から2時間ほどで
モンテネグロ-クロアチア国境に到着。
国旗もないし、あまりに簡素なつくりなので
ただの料金所か何かだと思ってしまいました。
パスポートを見せると一瞬で越境してしまいます。
やってきた14ヵ国目は「クロアチア」。
サッカーのユニフォームでもお馴染み
赤白のチェックがトレードマークのクロアチアは、
北マケドニア、モンテネグロに続いて
旧ユーゴスラビアの国の一つ。
どんな旅路が待っているのか。
4つ前の国ブルガリアからEU圏内に入っていますが、
いよいよ本格的に
思い描いていたヨーロッパの文化圏に突入する
という気がしてきます。
モンテネグロの通貨は“ユーロ”だったので
クロアチアも同じでしょと思いきや
全く使えませんでした。
どんどん国が変わるので
基本情報の予習を怠ってます。
この国の通貨は“クーナ”。
しばらく走ると
海岸線に出てきました。
アップダウンを繰り返しつつ
少しづつ目的の街へと
近づいていきます。
常に視界の片隅にあるのに
見晴らしのいい場所があると
つい自転車を置いて眺めてしまう。
そんな美しい水平線が
どこまでも広がっています。
クロアチア最初の目的地
“ドゥブロヴニク”が見えてきました。
実はヨーロッパの旅でもかなり楽しみにしていた場所。
はやる気持ちを抑えて、
この日は郊外のゲストハウスで一休みすることに。
ドゥブロヴニクの全景を
目の当たりにするには
高い場所にのぼる必要があります。
到着の翌朝、
旧市街を取り巻く住宅地の合間を
せっせと登っていきました。
住宅地を抜けると
今度は山登りが始まります。
コトルでも散々登ったのに…。
休みたい気持ちもあるけど
絶景を見るために頑張らねば。
30分ほど登った山から見下ろした
ドゥブロヴニクの街。
海のほうへとせせり出し
高い壁に囲まれた一画が
世界遺産に登録されている旧市街。
このドゥブロヴニクの街、
スタジオジブリ作品「魔女の宅急便」「紅の豚」
の舞台になったとか、なってないとか。
真偽のほどは分かりませんが
広がる圧倒的な青と鮮やかなオレンジの景色は
確かに創造力溢れるジブリの世界を思わせます。
山を下りて、
傍らに立つ砦から見た旧市街。
岸壁に打ち付ける荒々しい波が
城壁の頑強さを際立たせます。
街の北側にある“ピレ門”をくぐり、
いよいよ
旧市街の中へ入っていきます。
門をくぐった先には
大通りが旧市街の中心を貫いています。
久々に中国や韓国、日本など
アジア系の観光客の人が増えました。
やはりここは
アドリア海で1番の観光地。
定番のアトラクションは、
街を取り囲む2kmにもなる城壁を
歩いてまわるというもの。
入場料¥3,500と
かなり足元見てきます。
一生に一回なので払いますけど…。
街がまるごと「ラグサ共和国」という
1つの都市国家だったドゥブロヴニク。
地中海沿岸という地の利を生かし、
15世紀頃には
貿易でかなり栄えていたそうです。
世界遺産に登録されていたこともあり
数十年前から観光客で賑わっていたものの、
90年代初頭の
ユーゴスラビア崩壊に伴う内戦により
砲撃を受けて部分的に崩壊してしまった
こともあるのだとか。
海から押し寄せる波を
跳ね返すように、
数百年に及ぶ歴史の荒波に耐えてきた
旧市街とそれを守る城壁の姿が
強く逞しく感じられました。
これまでいろんな国で
古い歴史を持つ旧市街を覗いてみると
ぐにゃぐにゃと
迷路のように入り組んだ町並みがほとんどでしたが、
ここドゥブロヴニクは碁盤の目のように
縦横すっきりとした配列。
さらに綺麗に整列した家々が
海から山の方面に向かって
階段状になっているのが特徴。
もちろん現在も人々が暮らしており、
猫もたくさんいました。
上へ上へと続く階段の先が気になって
どこまでも散歩したくなる街。
真っ白の石が積まれた
家の壁と階段に囲まれ、
物語の世界に迷い込んだような
空間でした。
ドゥブロヴニクで気にくわなかったのは
レストランの値段。
城壁内の旧市街だと、
安いサンドウィッチやハンバーガーでも¥1,000前後。
まともなランチを食べると¥1,600。
ゲストハウスの主人に教えてもらって
なんとか安いレストランでありついた
写真のポークステーキが¥800。
これまでの国の水準からすると、
うーんって感じの値段です。
うーん…。