2019.05.9
【343日目 13,226km】
イタリア最後の都市ジェノヴァで
体を休めて、ジェノヴェーゼをたっぷり堪能した後は
いよいよ次なる国フランスへと向かいます。
ここから数日間とにかく海沿いを走っていく行程。
内陸側には山がずらっとそびえているので
海岸沿いの道を走らざるを得ない
という具合です。
割と起伏があって交通量も多いのですが
サイクリングの定番コースらしく
自転車専用道が
かなり整備されていました。
歩行者の方にさえ気を付ければ
かなり快適。
イタリアももうすぐお別れなので
ランチは奮発して「海鮮パスタ」。
一口食べた途端、
口いっぱいに広がるのは
地中海の香り。
イタリアの食と離れるのが寂しいです。
ランチを済ませて
引き続き走り始めた路上で出会ったのは
大きなバッグを携えたサイクリストの集団。
これまでに多くのサイクリストと出会ってきましたが、
この時に出会ったのはなんと
ご夫婦2人にお子様連れ(男の子)の4人家族!
小っちゃい子のほうにいたっては
コロコロ付きの自転車に乗ることもままならないらしく
お母さんの後ろにちょこんと座っていました。
半年近くかけて
ヨーロッパを周遊しているという
チェコからお越しの
「オルダさん一家」。
前日にアルプスの高嶺から
降りてきたばかりだそうです。
同じくフランス方面へ
向かって走るということで
しばらく一緒に走行することに。
ひとり旅の身なので
誰かと一緒に走るのは
本当に久しぶり。
一人前に自転車を漕ぐ長男くん。
坂道や車の多い道は
お父さんとゴムひもを繋いで
必死についていきます。
6歳で毎日数十km走るのは
信じられない。
休憩がてら浜辺によると
子供たちはパンツ一丁で水遊び。
その日の気温にかかわらず
海があればどこでも入りたがるそう。
子供のエネルギーってホント
尽きることがないですよね。
さらに毎日欠かせないのがアイス休憩。
食べさせないと
子供たち泣きわめくみたいです。
「毎日2人分って馬鹿になんないから」
ってお母さんもぼやいてました。
自分一人の世話しながら
旅するだけでも大変なのに、
小さな子供2人連れてなんて
想像もつかないです。
まあ、こんな可愛い笑顔見せられたら
疲れだって吹き飛ぶけど。
夕方にはキャンプ場へ。
大人数のほうが若干割安になるなんてメリットもあるんです。
一家の大きなテントの隣に張らせてもらいました。
オルダさんたちも
食事はパスタ。
ヨーロッパにいる限り
一番安くて手軽なメニューであることは
間違いありません。
あくる日も朝から
オルダさんたちと元気よく走り始めます。
ジェノヴァ以西に大きな都市はなく
のんびりとしたほどほどの住宅街が
延々と広がっています。
オルダさん達がいなかったら
退屈してたかもっていうような道。
公園で休憩。
写真にはうつってないけど
左側で遊具を巡って
壮絶な兄弟げんかが勃発しており、
後ほど2人ともお母さんに全力で怒られ
大泣きすることになります。
小さな頃に
何か国も渡る壮大な冒険をした子供は
どんな大人になるんだろうか。
この子たちの将来がすごく楽しみ。
なんてこと考えながら
後ろから眺めて走ります。
この日も前日同様キャンプ場へ。
やはりどのサイクリストに聞いても
沿岸部での野宿は難しいらしく
テント泊でもお金を払わざるを得ない
状況です。
オルダさん一家と出会って3日目。
キャンプ場を出ると
さっそく登り坂を上っていきます。
そして坂を下った先に待っていたのは
イタリア-フランス国境!
18ヵ国目となるフランスに突入です。
なお、EU圏内の26ヵ国が加盟する
“シェンゲン協定”というものがありまして、
加盟国間はパスポートの査証なしで
自由に行き来できるという取り決めがあります。
しかし同時に、
「外国人は加盟国内での連続滞在期間は90日まで」
というルールもあり
僕がスイスやドイツへ足を延ばさず
最短ルートでヨーロッパを抜けようとする理由もここにあるのです。
物価が高いのでどのみち長くも居たくはないんですけど…。
フランス最初の街はメントン。
しばらく海沿いの似たような
リゾート地が続いてるので、
国の違いなんてものも
あまり感じられませんが。
僕1人でいても
写真パシャパシャ撮られるのに
家族連れとなればそりゃしょっちゅう。
いままで何人の人のスマホに
自分の写真が収まっただろうか、
というくらい撮られてます。
イタリア-フランス国境からわずか10kmあまり走ると
何と次なる国にたどり着いてしまいました。
中世の都市国家として生まれ、
現在も地中海沿いに存在する「モナコ公国」。
国連加盟国としては世界最小の国家です。
(バチカン市国は正式加盟していません。)
ヨーロッパ各国の富豪たちが別荘を持つことでも有名で
海沿いに高層ビルが立ち並んでいました。
いわゆる「タックス・ヘイブン」といわれる国なので
みんなモナコで資産をごそごそしてるみたいです。
中心にあるモンテ・カルロ地区には
綺麗な浜辺やカジノがズラリ。
絵に描いたようなバカンス地です。
モナコといえば
世界的に有名なF1レース
「モナコグランプリ」。
コチラはテレビ放送でも見たことがある
下り坂の急カーブ、
「ローズヘアピン」。
常設されている縁石には
タイヤ痕がしっかりと残っています。
一般車両がこんなに
乗り上げないと思うのでやっぱり
レース中に付いた痕でしょうか。
ローズヘアピンを下った海沿いの車道。
この低いトンネルも
レースカーが猛スピードで走るの
観たことあります。
まさか自転車で走ることになるとは。
毎年5月に開催される
モナコグランプリ。
今年もシーズンが近づいているので
観客席が着々と準備中でした。
改めてF1中継を観るのが
楽しみ。
30分ほどモナコ市街を走ると
またフランスに戻ります。
かなり海岸沿いの起伏が激しいですが
一家はせっせと上る。
僕は後ろからついてってるけど
1人の時とペースほぼ変わりません。
この日の夕方、イタリアとの国境から30kmほどにある
海岸リゾートで有名な「ニース」に到着。
そして、引き続き海沿いを進むオルダさん一家とも
ここでお別れ。
楽しい3日間をありがとうございました、
これからも気を付けて旅を続けてください。
(お別れ記念に写真撮ればよかった…。)
この「ニース」。
2016年7月に残虐なテロ事件の
現場となってしまった場所です。
今はそれを微塵も思わせない
賑やかで明るい雰囲気。
オルダさん一家に続いて
引き続き海岸にそって進む予定でしたが、
リゾート地ばかりが続くので予定変更して
山へ向かうことにしました。
その前に疲れたのでニースで休憩します!
2019.05.6
【337日目 13,012km】
チンクエ・テッレの美しい村を
満喫した後に向かうのは
イタリア最後の都市となる「ジェノヴァ」。
イタリアの海岸線は比較的平坦でしたが、
ラ・スぺツィアからジェノヴァへは
いくつかの山を越えていかねばなりません。
走り始めて間もない山の中。
川を渡る橋が工事で封鎖されてました。
迂回するには
一つの山を越えなければならないので
無理やりフェンスを開けて通ります。
いいのか?
そして山登りがいよいよ始まります。
ローマ以降ほぼ真っ平らだったので
太ももの筋肉がなまってます。
ちょっと力を入れると
すぐに疲れる。
車はほとんど通らないので
せかされることもなく
ゆっくりゆっくり進みました。
この日を境に一気に気温が上がり
汗だくになりながら上へと
向かっていきます。
そして、
山を下ったところにある
キャンプ場で1泊。
キャンプ場はいっぱいあるけど
野宿できそうな場所がないのが
悔しい…。
イタリアのスーパーは
野菜を小分けで売ってくれてるトコが
多いので非常に助かっています。
1人暮らしの旅人にも便利な
ばら売り制度。
翌日も海沿いをひた走ります。
天気は曇りで非常に走りやすい気温。
しかしその道のりは
常にアップダウン。
海まで下がっては
また峠を上るの繰り返し。
着実に溜まる疲れ。
この日もキャンプ場へ。
ヨーロッパでは
キャンピングカーが普及しているらしく
家族連れの方々が沢山いました。
キャンピングカーの旅も
してみたいな。
飽きないと思ってたパスタですが
ちょっとマンネリ気味…。
他のものつくろうと思うけど、
安くて栄養も摂れるので
結局パスタに落ち着いてしまう。
あくる日は
10kあまり走ると都市部に差し掛かりました。
マンションが所狭しと並んでます。
到着したのは
イタリア最後の滞在都市となる「ジェノヴァ」。
キリスト教の復活祭「イースター」の日だったので
街も大賑わい。
西洋ではかなり重要な祝日だそうです。
港湾を中心に栄えた都市国家であった「ジェノヴァ」。
現在でもイタリア最大の港であるらしく
観光用の客船から商用の貨物船、
個人所有であろうクルーザーまで
港には無数の船が浮かんでいました。
ゲストハウスへ荷物を置いて
港へ観光にくり出すも
突然の曇天。
先ほどまでの青空はどこへやら。
港は晴天だから映えるのに…。
ジェノヴァの象徴でもあるのがコチラ。
“Bigo”と呼ばれ
オブジェ兼展望リフトで
多くの人が列を作って並んでいました。
僕は並んでないですけど…。
さらに観覧車もあります。
多くの人や貨物が行き来する港が
そのままジェノヴァの
観光資源になっている様子。
周辺にはショッピングセンターや
レストランが多く立ち並んでいました。
港から少し歩いて
旧市街の中心に位置するのは
“フェッラーリ広場”。
噴水の周りに並ぶ銀行や証券所は
歴史的建造物でもあります。
アメリカ大陸を発見したコロンブスは
ここジェノヴァで
生まれたとされているそうです。
実は違う場所なんじゃないの
という説もあり、
あくまで「生まれたとされる」場所。
イタリア各地を巡るパスタの旅。
最後を締めくくるのは
ジェノヴァの名産「ジェノヴェーゼ」。
日本でもおなじみ、
緑のソースが印象的なソースは
現地では「ペスト」と呼ばれます。
バジル、松の実、オリーブオイル、ニンニク
などを用いるそのレシピは
“D.O.P”というイタリアの品質管理制度で指定されており
公式の条件を満たさないものは
ペストとは呼ばれないそうです。
もはやジェノバの人々のプライドの結晶。
バジルの爽やかさだけではなく、
松の実とニンニクによって
ガツンとパンチのある味に
仕上がってます。
美味しすぎて
滞在中複数のお店を訪ねました。
レストランによって
パスタのタイプもそれぞれ。
お店によって
ペストの調合も違うので
毎回違った味を楽しめました。
展望台から見下ろした
ジェノヴァの街。
3日間滞在したけど
結局ほとんど晴れることはありませんでした。
残念だけど、
いつまでも居られないので
次なる場所を目指します。
美味しいピザとパスタが
もうじき食べられなくなる…。
2019.05.2
【333日目 12,880km】
ピサの街で一休みした後は
地中海の海岸線をふたたび北方向に走っていきます。
この日の目的地は
ピサからわずか70kmほど離れた
「ラ・スぺツィア」という小さな町。
途中マクドナルドでの休憩を挟みつつ
平坦な道を進んでいきます。
トスカーナも海岸沿いの道は
住宅街ばかりで
あまり景色の良い道はありません。
ここ数日、道が退屈…。
出発してからわずか4時間ほどで
目的の「ラ・スぺツィア」に到着。
そして、この町にやって来たのは
近くにある
観光名所を訪れるためなんです。
その観光名所というのが
世界遺産にも登録されている「チンクエ・テッレ」。
直訳すると“5つの村”というその名の通り
切り立った海沿いの崖に
5つの村が数kmの間隔で並んでいるというもの。
山と海に囲まれているという地理条件によって
現在まで引き継がれた昔ながらの風景を見るため
多くの観光客が訪れます。
多くの人が観光の拠点とする
ラ・スぺツィアの町に到着した翌日、
さっそく電車に乗って
向かってみました。
まず向かったのは
「レヴァント」という町。
ここからトレッキングをして
チンクエ・テッレ最初の村を
目指します。
進んでいく道は細くゴツゴツとした山道。
のんびりハイキングのつもり
だったのですが
意外としっかり登山しちゃいました。
足に疲労が溜まるのは避けたいのに…。
旅のお供はゲストハウスで同室だった
「アイヴァンさん」。
アルゼンチンで弁護士をしてる人です。
本人曰く、
首都ブエノス・アイレスには
弁護士がごろごろいるそう。
2時間ほど登った山の上から
見下ろしたチンクエ・テッレ。
あまりに小さすぎて見えませんが
一応これから訪れる5つの村が
すべて視界に収まっています。
山を下りる前に頂上でランチ。
食材が美味しいので
スーパーで買ったものを
サンドイッチにしてしまえば
とりあえず絶品です。
山を降りてたどり着いたのは
チンクエ・テッレ(5つの村)の
1番西側に位置する「モンテロッソ」。
綺麗な光景が広がるかと思いきや
ここはただの町でした。
5つの村の中でも
ここは海水浴目当ての人が集まる
リゾート地という位置づけ。
期待の絶景は次の村までお預けです。
村から村への移動は電車を使います。
みんな同じような移動をする
観光客ばかりなので
どの便もものすごい乗車率。
わずか5分ほどで着いたのは
2つめの村、「ヴェルナッツァ」。
赤、黄、緑など
色とりどりの建物に
目を奪われつつ
人の集まる海辺のほうを目指します。
町の全容を目にする前に
現地で有名らしい
アイスクリーム屋さんで休憩。
かなり日差しの強い日だったので
冷たいジェラートが美味しかった。
海辺へ向かうと、
山を背景に
鮮やかな色が映える村の様子が
しっかりと見えました。
そして高台から見下ろした
「ヴェルナッツァ」の全体像がコチラ。
広い海と山の急斜面に挟まれた
陸の孤島状態でありながらも、
色鮮やかな村には人が溢れ活気が感じられました。
期待通りの光景に興奮しつつ
次なる村へと向かいます。
3つ目の村「コルニリア」は
駅を降りてから300段以上にも及ぶ
階段を登った上に位置しています。
山の上にあるので
5つの村で唯一海辺を持たない
というこの村。
登る前から分かってはいたのですが
山の上に位置する村の全景を見るには
空を飛ぶか、ドローンを使うか
しかありません。
いざ村にたどり着くと
「絶景どこ?どこ?」と、
なってしまいます。
とりあえず村から見下ろせる
ワイン畑を眺めたら、次の村へ。
つづいて4つ目の村
「マナローラ」へ。
駅からつながったトンネルを抜けると
これまでの村にはないほどの
賑やかさが感じられます。
もちろんこの村の絶景が拝めるのも
海辺付近。
人の流れに身を任せて歩きつつ
期待に胸が膨らんでいきます。
海辺の岩場から見上げた村。
カラフルで可愛らしい建物が
立ち並ぶ一方で、
まるで要塞のように堂々たる風格。
村の美しさが最もよく分かるのは
やはり高台から見渡した時。
チンクエ・テッレの象徴として
よくポストカードにも描かれるこの
「マナローラ」の絶景。
海のほうへせり出した岩山の上に
ぎゅっと身を寄せ合うように
住宅が密集していました。
西から順に村を巡り
最後にたどり着いた5つ目の村は
「リオ・マッジョーレ」。
1つ前のマナローラと同じく
かなりの人で賑わっています。
山登りから始まり
電車を使いながらとはいえ
歩き続けたこの日、
夕暮れのこの時間には
さすがに足がクタクタです。
夜8時前でもこの明るさだけど。
チンクエ・テッレ(5つの村)
見納めの絶景がこちら。
入り江のようにぐっと山へ切り込んだ海辺から
いっきにせり立つ断崖に
色とりどりの建物がところせましと並びます。
建物の色づかいはそれぞれに似ていても
地形によって少しずつ印象の違うそれぞれの村。
もっとも迫力があったのは
最後のリオ・マッジョーレかも。
1日中歩き続けたのでこの日はもうヘトヘト…。
レストランで海鮮パスタを食べて
すぐさまベッドに倒れこみました。
翌日にはすぐ
自転車に乗って出発する予定でしたが、
のんびりとゲストハウスで休養を取ることに。
イタリアもぼちぼち終盤です。
2019.04.28
【330日目 12,798km】
ローマで一休みした後は
さらに西へと向かって走り出します。
長い旅路の中で“シルクロード走破”という
まず最初のピリオドを無事打てたということに
満足と安心を感じながら
のんびりと進み始めました。
ローマも中心部を離れてしまえば
あっという間にのどかな景色。
どこまでも建物が並んでいる
日本の風景のほうが
世界的に珍しいと
最近気づきました。
お昼は安心の味、マクドナルド。
小さい頃から食べてきた
ポテトとハンバーガーは
もはや故郷の味。
巡礼の道とは違い
海沿いは起伏のない
なだらか道がどこまでも
続いていました。
ローマの喧騒が嘘のような
静けさ。
海辺でテントを張るつもりだったこの日。
リゾート用に整えられた海辺には
こっそり野宿できるような場所がなく
なんとなくさまよっているとキャンプ場を発見。
お金を払ってテントを張るということがこれまでになく
ちょっともったいないなと違和感を感じながらも、
せっかくなので泊まってみることに。
これが予想以上に快適で
場内ならどこにテントを立ててもいいし
Wi-Fiもとんでるし、シャワーもあるし。
ワイルドさのかけらもないけど、
¥1,000足らずの入場料で買える
居心地の良さはクセになりそう。
沈んでゆく夕陽を眺めながら
グツグツと茹でたパスタ。
安いものだと500gで
¥100以下のものが
手に入ります。
さすが世界一のパスタ大国。
翌日も緑豊かな農耕地帯を
のんびりと進んでいきます。
記憶に残らないような
同じ風景が延々と続いていました。
厄介なのが整備された田園風景が
ずっと続くばかりで、
なかなか野宿場所が見つからないこと。
行けども行けども
道の両脇に広がるのは大きな畑。
ということでこの日も
お世話になったのはキャンプ場。
外国人割引ということで
¥500ちょっとで泊まれました。
野良犬もいないし
前日に引き続いて実に快適。
この日のメニューは
ツナパスタ。
トルコ以来キャンプ離れしてましたが
春の到来とともに野宿中心生活に
戻していきます。
ローマを発ってから3日目。
ほとんど変わらない景色の中を
この日も走りました。
そしてこの日も同じくキャンプ場へ。
馬鹿の一つ覚えというやつです、
はじめてキャンプ場を利用してから
連続3日目。
だって快適なんだもの。
自炊のいいところは
自分の好みの食材を摂取できる
という点です。
イタリアのパスタって
あまり具だくさんではないので
イタリアはいってからは野菜不足。
トマトペーストと野菜を鍋に放り込んで
パスタと一緒に煮込んでしまえば
失敗のしようがありません。
安くて美味しい
イタリアでのキャンプ生活。
人のいない平日のキャンプ場で
出会ったのは、
愛犬と一緒にヨーロッパを旅する
アメリカ人のデイヴィッドさん。
車イスにのりながらも器用に
車を運転をされます。
ローマを出発してから4日目。
引き続き
青い空と緑の大地。
このあたりも
巡礼の道を走ったときと同じ
トスカーナ地方です。
せわしないローマの後に
再びトスカーナを訪れると
イタリアの田舎の良さを
より一層感じることができます。
えんえんと続いていく
牧歌的な風景。
地味に上り坂が続いているので
なかなかスピードが
あがりませんでした。
でもこのあたりは
のんびりペースで進んでいくのが
ぴったりの場所。
この日たどり着いた街は
「ピサ」。
中心を流れる川の両脇に
立ち並ぶ古い建物が印象的な
静かな場所です。
そして、
ピサといえば有名なのが「ピサの斜塔」。
教会の横に建つ鐘楼として建てられ始めたのは
西暦1,100年頃。
不安定な地盤のせいで、
着工後まもなく傾き始めたそうですが
当時の技術では修正できなかったそう。
最近また地盤の変化によって、
最上部の中心点を基準に
4cmだけ垂直方向に戻ったらしいですよ。
真っ正面に立ってみると
かなり傾いているのがわかります。
中国にも斜塔はありましたが、
流石にここまでじゃなかった。
現地で見ると本当に
倒れるんじゃないかってくらいです。
もはや名物ともいえるのは、
斜塔を支えるポーズで写真を撮る
観光客の方々。
塔の近くでも遠くでも
いたるところでこのポーズ。
国籍・性別・年齢・宗教、
関係なく皆このポーズって
良いですよね。
僕は1人ぼっちで友達もいないので
そのポーズをとる人たちの
写真を撮っていました。
そういえば
ニュートンがここで万有引力の実験をした
っていう逸話がありますが、
本当なんでしょうか。
ああいうのって大体
嘘くさい気もするけど…。
なんてことを考えながら
キャンプ泊での疲れを癒すべく
ピサの街でのんびり一休みしました。
2019.04.24
【323日目 12,430km】
フィレンツェからローマを目指し
引き続きイタリアを南下していきます。
巡礼の道を進みはじめて4日目。
緑豊かなトスカーナの風景も
そろそろ見納めです。
この日は自動車道に沿って
進んでいきました。
車を気にしながらだけど、
そこまで交通量もないので
丘の上の未舗装路を走るより
だんぜん快適。
フィレンツェからの道のりで
残念だったのが、不安定な空模様。
終日雨ということはないけれど、
綺麗な青空が澄み渡っていれば
もっと綺麗なトスカーナが拝めたのに。
まあ、これが旅ってもの。
およそ60kmを走ったこの日は
「ヴィテルボ」という街に到着。
またも教会に併設してある
宿泊施設に泊まりました。
1人部屋だし、Wi-Fiもあるし
普通のホテルと比べても
遜色ない居心地の良さです。
そして、巡礼の道5日目。
いよいよイタリアの首都・ローマに到着する日です。
ローマが近づくほどに
建物が増え、車の数も増えていきます。
中国から始まったシルクロードの旅を
頭の中で振り返りながら、
少しづつ終着の地への距離を
縮めていきました。
80kmほどを走ったところで
市街地に突入。
橋を渡った向こうには
“永遠の都”と呼ばれる
ローマの街並みが広がります。
そして、午後2時ごろ。
ついにイタリアの首都、
そして
ユーラシア大陸を結ぶシルクロードの西の果て、
「ローマ」に到着しました!
昨年の5月、
中国・上海を出発した時は
本当にたどり着けるのかと不安ばかりだった
旅の始まり。
しかしいざ走り出してしまえば、
かつて交易品が人から人へと渡り
“絹の道”を伝ったように、
その土地に住む人々の優しさに触れながら
少しづつ道のりを紡いでいくことができました。
ユーラシア大陸横断までもうひと踏ん張り、
世界一周を思うとまだまだ先は長いですが
それを成し遂げるための
自信を得ることができたのではないかと感じます。
ローマでは受け入れてくれるホストを
見つけることができずゲストハウスに滞在。
大都市では宿泊先での盗難トラブルなども話に聞くので
ちょっと不安だし高いけど仕方ない。
到着の晩は
シルクロード走破の慰労として
ステーキをたいらげてやりました。
疲れ切った後には
肉汁が血管の先の先まで染み渡る。
翌日は朝からローマ観光へ。
まず最初にバスで向かったのは
世界一小さな国として有名な「バチカン市国」。
この白線の内側がバチカン市国。
パスポート査証などはなく
行ったり来たりし放題。
朝一番だというのに
ものすごい人が集まっていました。
線の内側、沢山の人が集まっている
サン・ピエトロ広場。
ここからバチカン美術館、
サンピエトロ大聖堂などの
見所へと向かうのですが
どの施設も入場するためには
長蛇の列に並ばなければなりません。
先頭がどこなのか最後尾がどこなのか
まったく分からないほどの長い列。
数時間待ちは当たり前だそう。
列に並んでいる時間はないので
外観だけ眺めた「サン・ピエトロ大聖堂」。
キリストに従えた使徒ペトロの墓でもあるこちらは
キリスト教関連では世界最大級の建築物だそう。
雰囲気だけ味わって早々に退散です。
次にバチカン市国から歩いて向かったのは
ローマといえばまず最初に
思いつくであろう場所「トレヴィの泉」。
「再びローマに戻ってくることができる」
という言い伝えを信じて、
後ろ向きにコインを1枚投げ入れました。
後から調べて知ったのですが
2枚投げると、「好きな人と永遠に結ばれる」
3枚投げると、「恋人や伴侶と別れることができる」
らしいです。
現地にお越しの際は
必要に応じた枚数をお投げください。
トレヴィの泉でとにかく凄かったのは
泉をとり巻く圧倒的な人の数。
決して広くはないこのあたりに
数え切れないほどの人が
ぎゅうぎゅう詰めで集まっていました。
本当はローマ到着直後に
自転車も一緒に記念撮影したかったけど
とてもそんなことができる
余裕はありません。
観光地では当然のことながら
スリの発生率もものすごく高いそうです。
こちら教会へと向かう階段が有名な
「スペイン広場」。
ローマの休日だけでなく
色々な映画やドラマで見たことある気がする。
近くにスペイン大使館があることで
この名前がつけられたそうです。
ローマの中心に位置しており、
階段に座って一休みしながら
道行く人をぼうっと
眺めるのにピッタリの場所でした。
階段を1番上まで登れば
広がるローマの街並みが見渡せます。
同じ首都でも東京とは違って、
見所が密集しているので
徒歩でも十分観光して回れるローマ。
本当に一瞬で見終わったのは「真実の口」。
昔、ゲームセンターに置いてありましたよね。
今でもあるんでしょうか?
見た目はアレと一緒です。
手を入れてみたかったけど
これまたものすごい行列だったので断念。
そして、最後にやって来たのは
ローマの象徴として
あまりにも有名な「コロッセオ」。
古代ローマ帝国において、
剣闘士たちの戦いが繰り広げられた
もはや人類史を代表する建造物とも
いえるのではないでしょうか。
入場して内部も見れますが
やはり長蛇の列。
外から眺めるだけで
満足してしまいました。
実際の列を見ると
本当にゲンナリするんですよ。
およそ2,000年前に建てられた
超巨大ともいえる円形競技場は
現地でしか味わうことのできない
圧倒的なスケール感。
大きすぎてどこから写真撮ればいいのか
全然わからず、ほとんど撮ってません。
結局、行列を避けてばっかりで
ローマを隅から隅まで堪能したとは言い難いですが…。
(むしろ隅っこをちょっとかじっただけ)
このことから学んだのは、
ローマなど世界中から観光客があつまる大都市では
旅行会社の企画するパックツアーに参加して
行列をすり抜けながら、歴史背景の解説を聞きつつ
要領良く見て回るのが正解だということです。
ボローニャの“ボロネーゼ”に始まった
ご当地パスタ旅。
ローマの名物は言わずと知れた
パスタの大定番「カルボナーラ」。
日本のものと違って生クリームを使用せず、
具はパンツェッタといわれる豚肉の塩漬けのみ。
クリーミーさが無いぶん、
濃厚なチーズの香りと卵のまろやかさが
かなり前面に出てきます。
塩味もしっかり効かせてあり、
カリッカリのパンツェッタとの相性が抜群。
クセが強いので好みが分かれそうですが
個人的には大好きな味でした。
ということで1食では飽き足らず
異なるレストランでリピート。
イタリア人は普段
こんなに美味しいものを食べているのか
と嫉妬するほどの美味しさです。
…あぁ、書いてて食べたくなってきた。
レストランでの定番スイーツは
「ティラミス」。
甘さたっぷりで
舌が溶けそうになるほど
美味しかった。
うん、これもまた食べたい。
旅が終わった後で
「世界で1番料理が美味しかった国はどこ?」
で聞かれると「イタリア!」って
迷わず答える気がします。
意外性もないし、
答えとしてはまったく面白くないけども。
ローマを観光中、
「ヘーイ、マイフレーンド!」と
路上商人がどこからともなく近づいてきて
腕にアクセサリーやミサンガを無理矢理巻きつけた後に
お金を請求してくるという不器用でピュアな手口が横行してます。
「そっちが勝手に巻いといて、払うわけないじゃん」
と無視してやりましたが…。
結果、欲しくないアクセサリーを無料でゲット。
でも要らない。
2019.04.20
【321日目 12,277km】
フィレンツェで芸術に触れた後は、
いよいよイタリアの首都・ローマを目指して進みます。
法王の鎮座する場所・ローマ。
そのローマを目指して
はるか昔からヨーロッパ各地の人々が歩いたという
巡礼の道があります。
ということで、
フィレンツェ~ローマ間は
悠久の巡礼の道を辿っていくことに。
フィレンツェの街を離れると
なだらかながら起伏の多い
道が延々と続いていました。
主要の国道は別の地域を走っているので
交通量が少ないのがありがたい。
緑豊かで牧歌的な風景。
たくさんの丘が目の前に広がる
このあたりは「トスカーナ地方」
と呼ばれるところ。
残念ながら天気は不安定で
突然の雨に降られてしまいます。
ただ、降ってはやんでを繰り返すのが
イタリアの雨だそうで
しばらく雨宿りをすると
徐々に晴れ間も見えてきました。
巡礼の道は村から村へ
細くうねりながら続いています。
車がせわしなく走っておらず
のんびりと進んでいきました。
65kmを走ったこの日は
「モンテリジョーニ」という城壁に囲まれた小さな町に到着。
昔の人はローマに向かう道中、
町の教会で祈りをささげながら
点と点を結ぶように、また次の町を目指したそう。
教会は巡礼者のために
宿泊施設を併設してることがあり、
この日はそこに泊まってみることに。
要は、お寺の宿坊みたいなもの。
四国のお遍路を思い出しながら
ゆっくり休みました。
巡礼の道2日目。
窓を開けると
鮮やかな緑が目に飛び込んでくる
トスカーナ地方、春の朝。
出発してからわずか10kmほど走ると
次の街「シエナ」が見えてきました。
この町も城壁に囲まれており、
巡礼者たちの宿場町として
栄えたそうです。
町の中心には築700年近いという
役場とその隣に建つ鐘楼。
後で調べて知ったのですが
この「シエナ」は
歴史地区として町がまるごと
世界遺産に登録されているそう。
ゆっくり観光すればよかったですが
小雨が降っていたので先を急ぎました。
イタリアは歴史遺産があまりに多く
すべてのんびり見ている時間がない
というのが悔やまれます。
巡礼者たちへの道しるべとして
ローマの方向を示す標石が
あらゆる所に置いてあります。
歩いてローマに向かう方とも
ちらほら出会いました。
小高い丘の上にも道は伸びているので
未舗装の砂利道が続く区間もあります。
整った道ばかりだったイタリアですが
このあたりは走りごたえがあります。
75kmを走ったこの日は
10軒ほどの家がある集落の近くで
テントを張らせてもらうことに。
朝晩は少し冷え込みますが
日本の3月と同じくらいの気候でしょうか、
アウトドアが快適な季節が近づいてきました。
つづく巡礼の道3日目は
朝からいい天気。
空模様を気にせず走れるというのが
いかに幸せなことか実感します。
巡礼の道も時に車道と合流して
走りやすくなります。
それでもこのトスカーナ地方、
真っ平らな道はほとんどなく
アップダウンが数十kmにわたり
続いていきました。
途中で「バグニ・サン・フィリポ」
という村により、
名物のテルマエ(天然温泉)に
入ってみることに。
石灰岩が溶け出した様子が
トルコのパムッカレを思い出させます。
景色のいいところは人が多いので
上流のこちらでつかることに。
川に流れだしたお湯に浸かる
というスタイル。
ちょっとぬるめなのが気持ちよく
1時間近く入ってしまいました。
温泉で体がふやけきった後は
再び看板に従って
巡礼の道を進んでいきます。
道は再び、ガタガタの砂利道へ。
道沿いには時々、
天然水が垂れ流し状態で湧いています。
これがひんやり冷たくて
渇いたのどを潤してくれました。
こんなに穏やかな景色ですが
上り下りが絶えず続いているので
着実に疲労は溜まっていきます。
時には自転車を押しながらでないと
進めないほどの斜面もありました。
52kmを走った3日目は
「プロチェーノ」という丘の上の町に到着。
ここでも巡礼者のための宿泊施設に
泊まります。
ホテルより安いといっても
¥2000近くするので
やっぱりヨーロッパだな、
という値段ですが…。
ドミトリー(相部屋)には
他に誰もいないので貸切状態。
ベッドがすごくかたくて、
未だに引かない事故による首の痛みが
悪化しそうなほどでした…。
(現在、かなり快方に向かってます!)
イタリアに入国した途端に現れたのは
便器の隣に並ぶもう一つの便器。
“ビデ”です。
一般家庭にも置いてありました。
使い方については
ネットで検索してみてください。
夕日が沈むプロチェーノの町。
シルクロードの西の果て、
ローマまであと2日!
2019.04.16
【318日目 12,085km】
美味しいボロネーゼの街ボローニャを後にして
次なる場所へ向かいます。
アレックスさん宅は山の麓だったので、
この日は1,000mの山を越えていく行程。
気合を入れて臨みます。
天気の良かったイタリアの道のりも
少しずつ曇り空になってきました。
ずっと上りなので
急ぎようもないのですが、
雨が降る前に着かねばと
気持ちだけ焦ってしまう。
傾斜は思いのほか緩やかで
お昼ごろには峠が見えてきました。
高さ1,000mの山越えは
かなり慣れてきたように感じます。
足はあまりムキムキになってない
気がするけど。
そして、山の峠に到着。
ここからアペニン山脈の反対側へ
一気に滑降していきます。
再び木に激突するわけに行かないので
ブレーキを握りしめてゆっくりゆっくり
下りていきました。
山を下るとあっという間に
目的地「フィレンツェ」に到着。
またまたWarm Showerを利用して
「カルロさん」という
おじいさんのお宅にお世話になります。
夜はやっぱりパスタ。
パパッと簡単に調理してたようですが
物凄くおいしい。
オリーブオイルとか新鮮なレモンとか
素材が良いからイタリアの料理は
美味しいのでしょうか。
翌日はフィレンツェの観光に出かけます。
天気はあいにくの曇りでしたが…。
写真は街の中心部にある
「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」。
フィレンツェの象徴です。
石造りのドームは
キリスト教建築のなかでも
最大級の大きさだそう。
写真では伝わらない
圧倒的な存在感がありました。
フィレンツェの歴史を語る上で
欠かせないのは、
この地域の実質的な支配者であり
ルネサンス期の芸術家達の
パトロンとなった「メディチ家」。
彼らが収集した芸術作品を
間近で見るためにやってくることが、
フィレンツェを訪れる観光客の目的でもあります。
上記の大聖堂や市役所、そして美術館。
いたるところに作品は展示されているのですが
そのどれも入場料は¥3,000前後。
貧乏旅行者はとてもじゃないけど
すべて入場するわけにはいきません。
そうはいっても何も見ずにこの街を去るのは寂しいので
唯一訪れたのは「ウフィツィ美術館」。
入場料およそ¥2600。
値段の話ばっかりするなって我ながら思います。
展示されているのは
ルネサンス期の彫刻や絵画。
イタリアでも最大規模の美術館らしく
平日にもかかわらず
かなりの人たちが訪れていました。
ヨーロッパ圏では
はじめての美術館。
著名な芸術家の作品を
直に見るのが楽しみです。
「ウルビーノ公夫妻像」
/ピエロ・デッラ・フランチェスカ
というか、
写真撮影OKなことが驚きでした。
みんなパシャパシャ撮りまくってます。
「ヴィーナスの誕生」
/サンドロ・ボッティチェリ
この作品が美術館で
最も有名なものだったでしょうか。
ルネサンスの象徴ボッティチェリ。
人気作品には当然
沢山の人だかりができます。
みんななるべく
前で見ようと必死。
「受胎告知」
/レオナルド・ダ・ヴィンチ
人生で初めてダ・ヴィンチの作品を
目の当たりにしました。
「メデューサの首」
/カラヴァッジョ
インパクトのあるこの作品。
来年、日本にもカラバッジョ展
やってくるそうです。
と、このような作品たちを
3時間ほど見たでしょうか。
作品が強いエネルギーを放っているのか
見終わった後って疲れがどっと押し寄せます。
観光を終えて、帰りの路面電車で悲劇が…。
停留所の券売機で¥160の切符を購入したのですが、
イタリアでは乗車後に
電車内の機械に切符を挿入して
乗車時間を打刻するというルールがあるそう。
これを怠った場合、罰金が発生するのですが
ほとんど電車なんか使わない僕はそんなこと知りません。
目的の駅について電車を降りようとしたところ
乗り合わせていた係員がつかつかやってきて、
「きみ切符に打刻してないね。はい罰金¥6,000」
「いや、そんな決まり聞いてないし!
切符にも説明書いてないし!
ていうか、電車の中にいたんだったら
外国人に優しく説明するのがアンタたちの仕事じゃん!!」
係員が指で示した停留所の掲示板に物凄く小さな英語で
説明書きが書いてありました。
「いやいや、そんなちっちゃいの気づくか!
しかも英語で書かれても日本人だから読めませーん!
したがって、罰金なんて払いませーん!!」
「きみ、さっきから英語で文句言ってんじゃん。
絶対読めるでしょ。
すぐ払わない場合は罰金¥30,000まで増えるよ。
それもここに書いてあるから(指でトントン)」
罰金増額をほのめかされ、
すぐさま財布を取り出すあたし。
EU圏内の交通機関では
割とおなじみの仕組みだそうです。
ヨーロッパご旅行の際はお気を付けください。
お世話になっていたカルロおじいちゃんに報告すると
「フォッ、フォッ、フォ。わしも罰金払ったことあるよ」
とのこと。
現地の人でも打刻するの忘れるなら
システム変えればいいのに!
という行き場のない怒りを飲み込み
また一緒にパスタを食べました。
ちなみこのおじいちゃん
若かりし頃、
バイクでアフリカを横断したという
筋金入りの旅人。
いつまでも払ったお金を悔やんでも仕方ないので
忘れることにします。
あぁ、¥6,000…。
2019.04.12
【315日目 11,986km】
水の都・ヴェネチアを満喫し
スザンナさんに別れを告げると
再び西へ走り始めます。
イタリアのこのあたりの地域には
町と町を結ぶように自転車専用道が敷設されています。
実はこれ、
かつて敷かれていた鉄道の線路を取り除き
そのままサイクリングコースにしてしまったというもの。
鉄道が走っていた道なので
曲がりが少なくひたすら真っすぐ。
大部分は未舗装の砂利ですが、
時々ランナーやサイクリストと
すれ違うくらいなので
非常に走りやすいんです。
途中に寄る多くの町は
中世の面影を残しており
昔ながらの雰囲気が漂っています。
石畳が走りにくいけど、
情緒あふれる景色を走るのが
気持ちいい。
人が集まる観光地でなくても
絵になる素敵な風景が広がる
イタリアの道。
ついつい自転車を停めて
写真を撮りたくなってしまいます。
この日は130kmを走って「フェラーラ」の街に到着。
イタリア北東部海岸沿いは住宅地ばかりで
野宿はしないほうが良いと聞いてたので、
Warm Showerを利用して「ルディーさん」宅にお世話になります。
建築家のルディーさんはご自宅も自身でデザインされていました。
天窓から差し込む優しい日の光がロフト部分を抜けて
リヴィングへと注ぎ込む設計はまさに“匠の技”。
ディナーはパスタ。
トマトベースのソースに
具材は豪華なエビと蟹。
さらに、唐辛子とお酢を混ぜた
オリジナル調味料を加えた
スパイシーな一品です。
年に数回休みを取って海外を自転車で走るというルディーさん。
日本も走ったことがあるという彼が呟いた言葉は、
「日本の人ってとても親切で礼儀正しいけど
あまりコミュニケーションはとってくれない。
旅の間、僕はずっと1人だったよ。」
建築家で、料理も上手くて、イケメン。
そんな伊達男が漏らした寂しい一言が胸に突き刺さった
フェラーラの夜でした。
(一緒に写真撮るの忘れちゃいました…。)
翌日も青空の下、
田舎道をのんびりと走り始めます。
対向車もほとんどおらず
走りながら眠たくなるほどでした。
イタリア入国以来
だだっ広い野原というのはなくて、
何らかの農作物を植えているであろう
畑が延々と続いています。
パスタの国だから
小麦が多いのだろうか。
この日は70kmほどを走ると
「ボローニャ」に到着。
しかし観光は後回しにして
事前に連絡してあった
郊外のホストさん宅へと向かいます。
ボローニャの街を少し過ぎると
景色は山に変わり、
急な上り坂が続いていました。
汗をかきながら
時に自転車を押しながら
必死に上っていきます。
ここはすでに
イタリア中央部を貫く
アペニン山脈の麓。
広がる山の景色に癒されながらも
足には疲労が溜まっていきました。
山を上り始めて1時間ほどで到着したのは、
アレックスさん(カナダ人)とガイアさん(イタリア人)
カップルのお宅。
家のすぐ隣はこの風景。
目の前に広がる青と緑。
元気で素直な子供が育ちそうな
場所です。
お二人に子供はいませんけど。
到着した日の晩ご飯は
オムレツ。
イタリアの家庭にお邪魔して
初めてパスタが出なかった日です。
オムレツに乗っかってるのはトリュフ。
トリュフはイタリアの日常。
到着翌日はバスに乗ってボローニャ観光に繰り出します。
サッカーの中田英寿選手も一時期在籍していたボローニャ。
ランボルギーニの本社があったり、
マセラッティが設立された街でもあります
この日は日曜日だということもあり
街の中心は歩行者天国。
沢山の観光客で
かなり賑わっていました。
こちらは「ボローニャの斜塔」。
かつての富豪たちはこぞって
高い塔を建てたらしいです。
人はお金を持つと
変なことに使いたがる。
ヴェネチアに比べて
物凄い数の人がいるわけでもなく
過ごしやすい雰囲気でした。
やっと落ち着いて
イタリアの都市を見た
という気がします。
賑わう人々の中で注目を集めるのは
ストリートパフォーマー達。
ヨーロッパは
バスキング(路上パフォーマンス)の
本場とあって
皆、活き活きと活動してました。
そして、ボローニャで最も楽しみにしていたのは
この街ならではのグルメ。
多くの人が行列をなすこちらの
レストランで味わってみることにしました。
その料理がこちら「ボロネーゼ」。
街の名を冠するこのパスタは、
ひき肉をじっくり煮込んだソースが
平打ちの面にしっかり絡み、
さらにたっぷりとかけたチーズで
マイルドにまとめた一品。
イタリアには各地に名物パスタがあるので
道中、味わっていくのが楽しみなんです。
そんなボローニャの滞在で
街の観光以上に思い出深いのは
ホストのアレックスさん&ガイアさんたち
と過ごした時間。
毎週日曜日は
近所の人たちを集めて
ピザパーティーをするらしく、
朝から仕込んでいた生地を伸ばして
ゼロからの手作りです。
家の裏にはピザ窯があり、
直火でピザを焼いていきます。
アレックスさんカナダ人なので
「焼き方あってるか知らない」
らしいですけど。
ピザが焼ける頃には
パーティーの準備も整い
ぞろぞろと人が集まってきます。
盛大にみんなで
チンチン(乾杯)するかと思いきや
パーティーはふわっと始まり、
ふわっと終わりました。
イタリア人はあまり
乾杯しないらしいです。
次の日も
裏庭のご近所共同畑での
農作業を手伝ったり
二人が仕事にいってる間、
作り置きしてくれてた
自家製ボロネーゼを
ご馳走になったり
最後の夜には
ブルーグラスのセッションを
聴かせてもらったりと、
穏やかなイタリアンライフを
送らせてもらいました。
都会的なイタリアの方たちとは
あまりじっくり交流できないのでは
という不安をあっさり拭い去ってくれた、
アレックスさん&ガイアさん宅での
滞在でした。
“またいつか会いたい人”が
どんどん増えていく。
2019.04.8
【312日目 11,766km】
木に衝突というアクシデントから始まった
イタリア初日。
しっかりと気を取り直して2日目スタートです。
起伏の多かったバルカン半島に比べて
真っ平らな土地が多くなりました。
力むことなくのほほんと走り始めます。
すっきりと整えられた林。
こういった所を見ると
イメージ通りのヨーロッパだなと
感じます。
青空が気持ち良い。
自転車道が整っているのも
自転車先進国ならでは。
イタリアに入って
道がものすごく
走りやすくなった気がする。
前日の事故の衝撃で、
カバンのフックが
破損してしまいました。
テープでぐるぐる巻きにして
とりあえず応急処置。
イタリア初のランチは
目に留まったマクドナルドへ。
新しい国の食事への好奇心もありますが
自分の知ってる味が提供されるという
安心感を欲することもあります。
中国でもそうだったけど
注文は大きなタッチパネルで行う形式。
気になって調べたら
日本にもコレあるんですね。
知らなかった…。
レジに並ぶ時代はもう終わりです。
この日は120kmを走破。
前日の事故で頭部に衝撃を受けたので
大丈夫かと気になってましたが、
少し痛みも和らいで
何とか走り切ることができました。
たどり着いた石畳の街は
「トレヴィゾ」。
いかにもイタリアといった風な
すっきりとオシャレな空間が
広がっています。
お世話になったWarm Showerのホストは
街の中心から少し離れたところに住む「スザンナさん」。
ご本人写真NGなので飼っている犬を載せておきます。
沢山のお宅の前を通ってきましたが、
イタリアは犬を飼ってる人がすごく多い気がする。
近所の親切なおじさんが
カバンのフックを直してくれました。
旅において、人に相談してみると
大抵の問題が解決されていくので
とても助かっています。
自分でなんとかしろって話ですけど…。
イタリアの家庭料理はやっぱりパスタ。
トマトベースだけど
唐辛子がしっかり効いて
スパイシーで美味しかった。
色んなパスタを食べるのが
これから楽しみ。
トレヴィソ到着の翌日、
スザンナさん宅から日帰り観光に向かうのは
「水の都・ヴェネチア」。
河から運ばれた土砂が堆積してできた海辺の潟(がた)に
大きな魚の形をして浮かんでいる
言わずと知れたイタリア随一の観光地。
車はもちろん自転車でも乗り入れることはできません。
島内の宿泊施設が高額ということもあり
多くの人は付近の都市から
電車に乗って観光に訪れるそう。
トレヴィゾからもわずか30分で
着いてしまいます。
長い1本道になっている
橋を渡れば
いよいよヴェネチアに上陸。
たまたま座れたけど
電車はかなりの乗車率でした。
電車を降りて
駅舎から出ようとすると
さっそく目に飛び込んでくる運河。
期待が高ぶってきました。
駅を出てすぐの景色がこちら。
島内を流れる運河の水際を歩けば
沢山の観光客の熱気で溢れています。
ゲルマン人の侵攻から逃れるように
湿地帯の島に人々が移り住んだのが
ヴェネチアの歴史の始まり。
東ローマ帝国支配下の
都市国家「ヴェネチア帝国」
として栄えたそう。
より沢山の人々が住めるように
無数の木の杭を打ち込んで
地盤としているため、
「ヴェネチアをひっくり返すと
森が現れる」
と言われているとか。
入り組んだ迷路のような島内を
運河が複雑に流れ込んでいます。
あたりの流れがよどんでいるのか
水質は決して綺麗とは
言い難い状態でした。
島を真っ二つに分断するように
S字を逆さにしたような形で流れる
最も大きな運河「カナル・グランデ」。
たくさんの遊覧船や手漕ぎボートが
往来しています。
運河の両脇にずらっと並ぶのは
カフェやホテル、レストラン。
運河には
いくつもの橋が架かっていますが、
最も有名で多くの人が集まるのは
リアルト橋。
ちょうど島の中心辺りに位置します。
世界でもトップクラスであろう観光地の
特に人が集まるエリアということで
人口密度はかなりのもの。
時々、人ごみを離れて
呼吸を整える必要があります。
そして、
ヴェネチアを訪れた人が必ず向かうのが
サン・マルコ寺院を中心とした「サン・マルコ広場」。
世界一美しい広場とも言われているそう。
高潮の時に沈んでしまうことで有名なのはココです。
サン・マルコ寺院の前には
背の高い鐘楼が
堂々と立っています。
100m近い高さがあり
ヴェネチアで1番高い建物なのだとか。
寺院の隣に立つのは
かつての役場だった建物。
数え切れないほどの石の柱が
並ぶ姿は圧巻です。
1階部分は現在、
カフェやレストランになってました。
平日だしまだ観光シーズンでもないのに
物凄い数の人、人、人。
夏場に訪れるともっと凄いらしいです。
ほんとディズニーランドみたい…。
ヴェネチアを散策していると
とにかくよく見るのがこの仮面。
お土産屋さんには
必ずと言っていいほど置いてあります。
周辺国との紛争の勝利を祝い
人々が広場に集まって踊り出したことで
1,000年ほど前に始まった
「ヴェネチア・カーニバル」。
仮面で素顔を隠して身分を忘れ、
皆で仲良く騒いだそう。
現在も2月後半から3月前半に
カーニバルが行われているそうです。
これ以上人が多いのは耐え難いけど
カーニバルはちょっと見てみたいです。
でも踊るのってそんなに楽しいですか?
普段踊らないから、よく分かんない。
街には仮面の職人さんがいました。
製作作業を間近で見ることができます。
イタリアって靴とかカバンとか
渋い職人さんがいっぱいいる
イメージでしたけど、
まさにそんな人。
こちらは「ため息橋」。
かつて囚人が牢獄(右側の建物)に収監される直前のこの橋で
ため息をついたことに由来するのだそう。
現在は、
ゴンドラに乗ってこの橋の下で恋人同士がキスをすると
永遠の愛が約束されると言われているみたいです。
1人で行っても無駄。
グランカナルから少し離れれば
落ち着いた運河を見ることができます。
干された洗濯物からにじみ出る生活感。
学校も病院もあって
この島の中で生活している人は
多くいるのだそうです。
節約中の貧乏旅なので
ゴンドラには今回乗りませんでした。
永遠の愛を誓う相手もいないので…。
もちろん乗船時間にもよりますが
貸し切りだと1万円近くします。
お金持ちになったらまた来よう。
周辺にもいくつか島があって
そちらも観光できるのですが、
1日ではとても回り切れるものじゃありません。
写真やテレビで幾度となく見た景色ですが
やはり現地に足を運ぶとその美しさに見とれてしまいます。
「ベニスを見て死ね」の格言に違わず、
訪れる価値のある“水の都・ベネチア”でした。
引き続き、イタリアの魅力を味わっていきます!
2019.04.4
【309日目 11,645km】
強風吹き荒れるボラの中、
救いの手を差し伸べてくれた心優しきナダさんに別れを告げて、
次なる場所を目指します。
ナダさん宅にたどり着いた2日前と比べると
想像もつかないほど穏やかで綺麗な青が広がる海岸線。
アドリア海も色々な表情を持っているようです。
これまで通り
数十km進んでは港町があるので
時に休憩をはさみながら
のんびり進んでいきます。
晴れの海岸線は
本当に気持ちが良い。
数百mの高さの山を越え、
100kmを走ってたどり着いたのは「リエカ」。
クロアチアの北部に位置しており、
ここから山を越えた向こうに次なる国への国境があります。
北側国境付近の都市ということで
長い歴史を通じて
イタリアやオーストリアの文化が
流入してきたというリエカの街。
さらに“ヨーロッパ感”が
増したような気がします。
いよいよこの街で
クロアチアともお別れ。
新聞に取り上げてもらったり、
暴風に見舞われたり。
しっかりと旅らしい“想定外”に
出会うことができました。
夕暮れ時、
オレンジに染まっていくリエカの港。
人口400万人ほどのこの国は
大きな街でも
人が溢れかえっていないのが
良いところでした。
リエカの街で2日ほど休んで疲れを癒すと
いよいよ次なる国へと向かいます。
街を離れると山道に突入。
国境は1,000mの高さを上った先にあります。
ここ数週間、
海沿いの風景が続いていたので
山の道というのも新鮮に感じます。
春の新緑には
まだ少し早いようでしたが。
汗をかきながらのぼる上り坂と
その向こうに待つ下り坂の連続が
快感になってきているのは
立派なサイクリストの証なのでしょうか。
山ならではの楽しみがあります。
リエカの街から4時間ほど漕いで
たどり着いた山中の国境。
主要道路は別にあるのでここはかなり寂しい雰囲気。
そして、国境の向こうは
16ヵ国目の「スロベニア」。
引き続き山の中を走っていきます。
実は、スロベニアを走行するのは
わずか20kmあまり。
そのほとんどが下り坂だったので
一歩も足をつかずに
国を越えられるのではと思うほど。
進んでいく道に
町の1つも見当たらないので、
何の出来事も起こらないまま
スロベニアを通過すると思ってました。
出国直前、この旅最大の悲劇が
待っているとも知らずに。
こちらスロべニア-イタリア間の国境。
楽しみにしていたイタリアなのですが、
この場所からわずか20mほど手前で悲劇は起きました。
曲がりの多い下り坂を進んでいると、
見通しの悪い道の向こうに突然現れた急カーブ!
ブレーキを握りしめるも、
数十kgの荷物をくくり付けた自転車の勢いを止めるには
カーブまでの距離はあまりにも短すぎました。
曲がり角に生えていた木に真っ正面から猛スピードで激突。
自転車もろとも倒れこむあたし…。
ぶつかる瞬間、下に顔を向けたので
衝撃を受けたのはヘルメット越しの頭頂でした。
体全体に痛みが走るのを感じながら
「ぼぉーっ」とその場に立ち尽くし、
気が付くと自転車を起こしていました。
そして、走り始めた直後に
目に留まったのがこのイタリアの看板。
でも正直、この写真撮ったの覚えてないんです。
それから
イタリア最初の街トリエステを通過したのですが、
事故を起こしたというショックに加えて
「もし対向車がいたら…」
「もしヘルメットをしていなかったら…」
「もしカーブの向こうが崖だったら…」
色んな事が頭をよぎってしまい
カメラを手にすることもできず写真は1枚も残っていません。
この日は野宿の予定でしたが
体の痛みと精神的ショックもありゲストハウスに泊まることに。
見つけたこちらのゲストハウスは
1泊30ユーロ(およそ¥3,700)。
高い…。
流石のイタリア価格です。
身も心もボロボロなのに
「5ユーロまけてよ」って
交渉する元気はありました。
まけてもらえませんでしたけど。
…ケチ。
エスプレッソと一緒に頂く
イタリア最初の朝食。
この国では
食べるべきものに対しては
しっかりお金を払ってやろうと
思ってます。
宿のオーナーとの1枚。
ばっちり目つむっちゃってます。
イタリアの人はそっけないなんて噂も聞いてましたが、
フレンドリーでしっかり話もしてくれて良い人でしたよ。
5ユーロまけてはくれませんけど。
事故の痛みは残っていますが、
ベッドでゆっくり休んだことで気持ちは落ち着きました。
思えば、
ブレーキが磨り減ってることに気づいていながら
「まだ大丈夫」と交換を先延ばしにしてたことに原因はあります。
“腕の良い木こりは体に1つだけ傷を持っている。
0でもなく2つでもなく、1つだけ”
この失敗を糧に、
より安全管理徹底して旅をつづけてまいります。
ということで
イタリア旅スタート!
首が痛い。