2018.11.14
【173日目 7,305km】
イラン最後の都市タブリーズでしばらく休むこと3日間。
いざ北の隣国「アルメニア」に向かいます。
気合を入れて走りだしたその日ですが、ちょっと予想外のことが。
目指すはタブリーズから真北の方角に位置する
イラン-アルメニア国境だったのですが、
直進の最短ルートを行くと途中の山を1,000m登る必要があります。
これまでの経験からも十分越えられるはずと意気込み、
朝早く出発しました。
そして徐々に急になっていく勾配を登っていくこと
3時間、距離にして30kmほど。
小さな村の商店に寄るとそこには井戸端会議をする地元のおじさんたち。
これから山を越えてアルメニアに入国することを伝えると、
「無理だ、雪が積もって車でも行けないぞ。戻れ!」
なんとも浅はかでした。
イラン北部の気候と標高を考えれば、雪は想定できたはず。
タブリーズまで戻るというトラックの運ちゃんに乗せてもらい
その日はまた宿に戻って、ベッドでぬくぬくと休みました。
これから気候も地形も過酷になっていくため、
地元の人からの情報収集は非常に重要です。
今回の出来事はそれを学ぶための必要な失敗だったのです。
(絶対必要だったんです!)
気を取り直して翌日、山を迂回する国道ルートを走りはじめました。
若干の起伏はあるものの道も整備されていてなんとも走りやすい。
急がば回れとはよく言ったもの。
イラン北の果ての町「ジョルファ」で1晩休み、
国境である川に沿って走ります。
川の右手はイラン、左手は未承認国家「ナゴルノ・カラバフ」。
隣り合うアルメニアとアゼルバイジャンがその領土権を争っている地域です。
平坦だろうという予想に反してアップダウンの激しい川沿いを
東に走ることおよそ60km。
ついにイラン-アルメニア国境に到着しました!
両国を分ける川に架かる橋の向こう側に渡れば次の国アルメニア。
いよいよ1カ月以上に及ぶイランの旅は終わりです。
ユーラシア大陸の中央に位置する中東の大国イラン。
陽気で友好的で、
ふらっと訪れただけの旅人を優しく暖かく迎え入れてくれる人たち。
常にのんびりで、時にいい加減な彼らは
「厳格な生活習慣を持った排他的な国」という
ネガティブなイメージを拭ってくれました。
半ばその優しさにすがる様に旅をしてしまっていましたが、
それほどにこの国の魅力は「人そのもの」だったなぁと感じます。
寂しさを噛みしめつつ、これからも色んな人に出会っていかなければ。
ということで
さよなら、イラン。
2018.11.10
【166日目 7,096km】
山あいの小さな村“シャル”からさらに北に向かい国境を目指します。
イラン北部になると気温もぐっと下がり防寒が必要になってきました。
10℃を少し上回るくらいでしょうか。
ピリッとした空気が肌寒い一方で、
視界が澄んで空の青がすごく鮮やかで気持ちいいです。
しかしこれから本格的な冬を迎えるのが不安で不安で仕方ない。
有名観光地の少ないイランの北部。
外国人が珍しいのか、声を掛けられる回数が一段と増えた気がします。
おかげさまで、こちらからお願いしてもいないのに
その日の寝床はなんとかなるからありがたい。
“ギヴィ”という村で迎え入れてくれたのは
小学校教諭の「アレハンさん」とその兄弟。
サッカー大好きな彼らとの話題はもっぱら
ACL決勝戦の鹿島アントラーズVSペルセポリス(イラン)について。
というかこの1週間、出会う人に「日本人だよ」と伝えるたび
ACLの話題ばっかり。
娯楽の少ないイランにおいてサッカー熱はかなりのものです。
さらに次の日、
かなり久々に本格的な雨に降られながら走っていたときの事。
横を通り抜けた1台の車が目の前で停まりました。
「近くの街に俺の家があるからそこまで乗っけてくよ!」
基本的に車では移動したくないしもうすぐでその街に着くしなぁ、
とためらいつつも雨は止みそうにないし風邪の予感もしてたので
お言葉に甘えてしまいました。
プロのレスリング選手として駆け出しのころにケガをしてしまい
現役の道を断たれた「バーゲルさん」。
現在は、牧場で働きながらレスリングコーチをするいいお父さんです。
鍛えることが大好きな彼には夜の8時半に「泳ぐぞ!」と
市民プールに連れてかれました。
(プール行くには時間遅いんですけど…。)
いざ行ってみると温水のジャグジーがあって、ずっとそこに浸かってました。
イランでお風呂に入れるとは予想外。
めちゃくちゃ気持ちよかったです。
戦闘民族であったペルシャ人の家庭にはナイフに剣に銃まで。
夜中に身体をズタズタに切り裂かれるのではと思いましたがそんなことはなかったです。
右上の手はキツネではなく、聖なる動物オオカミ。
トルコやイラン北部では幸福のシンボルだそうです。
さらに翌日、1日走ってイラン最後の都市“タブリーズ”に到着。
もう一つ山を越えれば次の国・アルメニアが待っています。
連日の走行を終えて大都市に着くといつも安心感を感じるのですが
今回ばかりは心優しいイランの人との別れが近づいていることに
寂しさがこみ上げてきます。
タブリーズの名物は、1000年以上も前から街の中心に存在しており
世界遺産にも登録されているというバザール。
道が入り組んでいるうえに人がかなり密集しているので1度入ると同じ所には出られません。
並んでいる商品はほかの街と変わりありませんでした。
電化製品や洋服など現代的なモノもあるのですが、
こういう香辛料は何百年も前から同じカタチで売られてるんでしょうね。
故障のため、「新富士バーナーさん」から再度ご提供頂いた
ガソリンストーブの代替品と、
実家から送られたみそ汁をこの街の郵便局で受け取りました!
改めて、
多くの人に支えられてこの旅は成り立っていることを実感しております。
やっぱりみそ汁美味しいなあ。
2018.11.7
【162日目 6,730km】
“マースーレ”での滞在を終えると、
再び北に向かって進んでいきます。
北側の国境にたどり着くためには
幾つかの山を越えていくことは避けられず、
高所の村・マースーレからさらに上を目指さなければなりません。
この日、越えていく峠は標高およそ2,800m。
のんびり坂道をのぼれるのならまだいいですが、
傾斜も急でわずか10kmあまりの移動の内に
1000m以上の高さまで上がっていきます。
果たして、自分の体力で越えていけるのか
前の晩からソワソワしてうまく眠れないほど。
覚悟を決めて朝早く走りはじめると
緑豊かな風景に癒されつつ、少しずつ進みました。
さすがにコンクリートの舗装路ではないですが、
車の往来はあるようでしっかり踏み固められて思いの外走りやすい山道。
ギアを一番軽くして必死にペダルをぐるぐる回しますが
少しずつ傾斜はきつくなり、しまいには自転車を押して歩くことに。
標高が上がるにつれ気温が下がると汗も出てこなくなります。
1時間に5kmも進まないようなペースでゆっくりゆっくりと登っていき
4時間が経った頃でしょうか、ついに峠にたどり着きました。
冷たい風が吹き抜け、雲を見下ろす標高2,800m。
予想以上に早く着き終わってみれば大したことはなかったのですが、
登り切った後の気分はやっぱり清々しいもの。
峠の向こう側は舗装もされており、整った道を一気に下っていきます。
猛スピードで走ると身を切るように吹き付ける冷たい風。
重い荷物を積んで下り坂を進むと自転車の勢いが猛烈なので
ブレーキが利かずヒヤッとすることもしばしば。
お金出して良いブレーキにしとけばよかったな…。
山を下り人家が見え始めると“シャル”という小さな村にたどり着きました。
通りを走っていると、ある男性が寄ってきて
「ヘーイ、ストップストップ!!」
と半ば強制的に自転車を止められます。
外国人旅行者と話をするのが大好きな“モルテザ”というこの男性。
「紅茶だけでも飲んでって! いや、むしろ泊まってって!!」
かなり必死に招き入れようとしてくれました。
まだまだ走れる時間だったので迷いつつも、
良い人そうだしいいかなということでお世話になることに。
夏場だけ開店して現在は休業中のレストランに寝床を準備してくれました。
寒さもしのげてかなり快適。
それから車で村を案内してくれたり、
ご飯をごちそうしてくれたり、
一緒にTVゲームをしたり。
心温まるおもてなしのおかげで、
観光資源なんて何もない小さな村にも忘れられない思い出ができました。
イラン北部では養蜂が盛ん。
村のいたるところに木箱が置かれています。
巣まるごと供される新鮮なハチミツは甘さたっぷり。
最高の朝食でした。
2018.11.3
【160日目 6,679km】
北の方角にある国境へ向け、引き続き進んでいます。
10月も後半にさし掛かったとはいえやはり砂漠の国イラン。
汗が滴るまではないですが、
まだまだ半袖で走れるほど。
国土のほとんどを緑の少ない砂漠や荒野が占めるイランですが、
北部のカスピ海の周りにはぐるっと覆うように山脈がそびえています。
もちろんこれを超えていく必要があるのですが、
首都のテヘランはすでに標高1,000m越え。
ほとんど登ることなく山間を滑降するように
カスピ海沿いの地域へ下ることができました。
気持ちよく山を下りた日は
路肩のレストラン横の小屋で一晩お世話になりまして
明くる日にそのままカスピ海沿岸を進むこともできたのですが、
ここでしばし寄り道。
再び山の中へと向かいます。
久々に緑に囲まれた山の中を漕ぎつづけ、
2時間ほどかけて900mの高さを登りました。
はるばる高所目指してたどり着いたのが、
標高1,500mにひっそり佇む山奥の村“マースーレ”。
山肌に張り付くように無数の住宅が寄り添い合い建っています。
標高のせいもあり、
見上げるとすぐ真上はかなり濃い霧に包まれていました。
というかほとんど雲の中にいるような感じ。
遠目から一見するとただの集合住宅のように見えるこの村。
実はここ、
家の上にまた家がのっかるようにして建てられており
それぞれの家の屋根が生活道として利用されているんです。
つまり、自分の頭の上を誰かがペタペタと歩いている状態。
そのためどの家の屋根も平らにできています。
内部をのぞいてみると家と家の間には階段がびっしり。
かなり傾斜も急で足腰がしっかり鍛えられそうです。
当然、自動車が乗り入れるような道は無し。
綺麗に段々になっているわけではなくて、
それぞれの家の向きや高さはバラバラ。
おそらく都市計画も何もなく、
低い位置から建てたいように建てたんだと思いますが
道も階段も非常に入り組んでいて、
まさに村全体が立体迷路になっているマースーレ。
手すりすらない坂道が複雑に絡み合っているので
気を付けて歩かないと、時々ヒヤッとしてしまいます。
多分、年に何人か落ちてる人いそうですけど…。
中心部に数多く並ぶのはお土産屋さんに、レストランやカフェなど。
イラン国内の人々に人気の観光地らしく、
夜はかなり賑わっていました。
反面、外国人観光客をそれほど見かけなかったんですが、
あまり有名ではないんでしょうか。
雰囲気があって良いトコなんですけど。
足元に通りが伸びていて人が歩いてたり、
頭上に誰かがいてこっちをのぞいてたり。
なかなか日常では味わえない不思議な空間がここに広がってます。
人間ばかりでなく犬もいっぱいいました。
鎖でつなぐ習慣がないからなのか、
角から急に現れるのでしょっちゅう驚かされます。
ちっちゃな村だし、
することなくて暇なんでしょうね。
観光でふらっと訪れるぶんには良いのでしょうが、
杖をつくお年寄りの姿を見るたびに
ココに住むのは大変だろうなあと感じてしまいます。
山間の限られた空間を有効的に使って出来上がった村・マースーレ。
その土地ならではの独特の暮らしを目にするたび、
世界には色んな場所があるもんだと感心するばかり。
イランの旅もそろそろ終盤。
出会う景色をしっかり目に焼き付けて進んでいきます!
2018.10.31
【157日目 6,461km】
無事イラン延長分のビザも取得し、
再び自転車に乗って進んでいきます。
イラン各所への観光旅行とビザ待ちもあって、荷物を積んで走るのが2週間ぶり。
漕ぎはじめは重みを感じてフラフラしてしまいました。
首都テヘランの混雑は相変わらずで、
すぐ横すれすれを追い抜いていく自動車たち。
都市部を抜けるのに2時間ほど掛かったでしょうか。
しっかり走行感覚を取り戻したこの日の終わりに
たどり着いたのは道端のサービスエリア。
食事を済ませ、広々した駐車場の隅にこっそりテントを張ることに。
無事設置を済ませて売店に水を買いに行くと
レジのおじちゃんが、
「あそこで寝るつもりなのか? 寒いし、野良犬もいるぞ」
そのままおじちゃんとレストランの店員さんたちの緊急会議開始。
結果的に「ここで寝な」と通されたのはレストラン横にある
イスラム圏お馴染みの礼拝部屋。
こんな神聖な場所で寝てもいいのかと思いつつ、お言葉に甘えました。
イランに入国して以来、
移動中は毎日と言っていいくらい好意を受け取っています。
こんなに人に親切にしてもらうばかりでいいのかと疑問を抱きつつも、
イラン人のやさしさは止まりません。
翌日も快調に走りはじめたのですが、
いつかやらかすのではと思っていた失敗をついにしでかします。
お昼過ぎに少し休憩をしようと自転車を停め、
スマホのGPSで場所を確認したところ真っすぐ西に向かっていたつもりが
気がつけば矢印は下向き、南に下っていました。
大きな街に入り、抜け出すときに間違った方向に出てしまった様子。
正しい道路には後方30km戻る必要があります。
時間にして2時間分ほどの走行が水の泡になったと嘆きつつも
できるのは自分を責めることだけ。仕方なく来た道を引き返します。
再び2時間かけて合計60kmの無駄な寄り道を済ませ、
本来の道に戻ってすぐのこと。
1台のセダンがのろのろと並走してきました。
「ヘイ、フレンド! どこから来たんだい?」
声を掛けられても、遅れを取り戻すために
いちいち止まってる場合じゃないとさらっと流して先を急ぎました。
すると、わざわざ路肩に停めた車から降りてくるドライバー。
「オレは警察官なんだ。何か君の力になりたい」
胸には確かに警察のバッジもあり、すでに夕方だったことから
言われるがままついていくことにしました。
たどり着いた先は彼の家。
あがるなり果物やチャイをごちそうになりました。
「ここを家だと思ってくれていいよ。」
優しい言葉のまま、シャワーを借りたり、車で町を案内してもらったり。
とにかく至れり尽くせりでした。
食事までごちそうになり、すっかり家でくつろがせて頂きました。
やはり布団でぐっすり眠るのはテントよりも快適なもの。
居間でくつろぎながら次々聞かれるのは日本のことや、旅のこと。
見知らぬ外国人に興味津々で接してくれました。
現地に住む人の優しい表情を見ているときは、
“他人の親切を食いつぶしているだけでは?”という疑問も吹き飛んで、
“出会えて良かった”という感謝の気持ちが沸いてきます。
その時間、その場所にいたからこその出会いに気づかされるのは、
間違えた道にも意味があるということ。
心優しき警察官、バーバイーさん一家。
素敵なひと時をありがとうございました!
2018.10.27
【150日目 6,226km】
ほぼ1週間かけてイランの有名観光地を巡った後に
再び首都テヘランに舞い戻ってきました。
相変わらず道路は混沌としており、
どこを歩いても人口密度の高さを肌で感じます。
すぐに自転車に乗って出発したいところなのですが、
ビザ期間30日間のうちに出国することが難しそうなので
ビザを延長する必要があります。
申請の次の日には発行されるとのことだったでのんびり構えてたのですが
観光から戻った翌日の木曜に申請のため警察に行くと、
翌週の月曜日までかかるとのこと。
イスラム圏は金曜日が休日であることを完璧に忘れていました。
急に3日間予定が空くって結構長いです。
せっかくなのでテヘランをぶらぶらしてみました。
見所の少ないテヘランにも世界遺産があって、
それがこの「ゴレスターン宮殿」。
かつての王宮が現在は博物館になっています。
内部はまさに贅沢尽くしで、キラキラの装飾に覆われています。
展示品は各国からの調度品などが並んでいました。
宮殿から少し離れると考古学博物館もあります。
ただ、早く走りたいとはやる気持ちのせいかあまりじっくり見ていませんが…。
観光なんて1日で終わってしまい何とか時間を潰すべく
バザールを歩いてみたり、
ざくろのフレッシュジュースを飲んでみたり、
いろいろするのですが少しづつうんざり感じ始めます。
ゆっくり休めばいいのに
何でこんなに落ち着かないんだろうと考えるとある答えが見つかりました。
それはイランのレストラン事情です!
ケバブ。
次もケバブ。
はい、またケバブ。
ケバブに次ぐケバブ。明けても暮れてもケバブ。
そもそもレストランが少ないのにその多くがケバブ屋さんなんです。
サンドイッチ屋さんもあるんですがモサモサしてあまり美味しくない…。
あまり食にこだわっているつもりもないんですが
「次の食事なに食べようかな、フフフ」っていう楽しみが
ものすごく大切だということに気づきました。
早く次の食文化に出会いたい!
実は自転車でテヘランに着く前に初めて装備品のトラブルがありまして。
外で料理をするためのガソリンストーブですが、
火がつかなくなってしまいました。
提供メーカーさんに確認をした結果、
内部に溜まったススを取り除く際に、重要な部品を誤って捨ててしまったことが発覚。
早急に対応いただきイラン出国直前の都市で
日本からの代替品を受け取ることになりました。
「新富士バーナー」さん、本当にありがとうございます!
これからもっと大変なトラブルが待ち構えているんだろうなあと
びくびくしながら進んでいきたいと思います。
2018.10.23
【149日目 6,226km】
ヤズドを後にして
夜行バスで次の街「シーラーズ」に向かいます。
シーラーズを訪れる人の多くが目的とするのは
車で1時間ほどの郊外にある遺跡“ペルセポリス”。
約2,500年前の帝国・アケメネス朝ペルシアの宮殿群で、
500m四方ほどのかなり広大な範囲に広がるこの遺跡は
世界遺産にも登録されています。
長い年月を経ているため破壊されている箇所も多いですが
それでも吹きさらしの大地にありながら
2,000年以上経過した現在も、数々の彫刻が姿を残しています。
機械もない時代に人の手によって掘られた芸術はかなり見もの。
ライオンの彫刻があったんですが、中東にライオンがいたんでしょうか。
王族が住む宮殿だけとしてだけでなく政治や儀式も行われていたらしく、
かなりの人数を収容できる施設が複数あったようです。
丘から見下ろせばその規模が一目瞭然。
シーラーズの街中にも歴史あるモスクや庭園などが数多くありますが、
なかでも有名なのが“マスジェデ・ナスィーロル・モルク”。
モスクのタイルは青を基調としたものが多いなか、
細かくピンクのバラが一面に描かれていることから
「ピンクモスク」とも呼ばれています。
そして、西側の礼拝堂に足を踏み入れるとその先に幻想的な空間が広がっていました。
差し込む光がステンドグラスを通過して綺麗に反射します。
この瞬間が見れるのは東から低い朝日が差し込む午前の数時間のみ。
早起きして7時過ぎに到着したらすでに20名ほどの観光客がおり、
良い写真を撮るべく場所取り合戦が勃発してました。
さらにシーラーズから北に向かうのは「イスファハーン」。
中世の王朝が首都を置いた場所であり、
「世界の半分がある」と称されてきた街です。
見どころは中心部にあるイマーム広場。
モスクや王宮、さらにバザールなどの複合施設で
当時の建設技術の最先端が詰まった綺麗な場所です。
光に照らされた美しい夜の姿。
ただ、
左右対称の整った形状、繊細な装飾、
豪華絢爛を形にしたようなデザイン。
非の打ちどころのないイスラム建築もお腹いっぱいになりつつあります…。
街を流れる河にはおよそ400年前に
都市計画の一環で架けられた橋が今も残ります。
写真はその1つ、ハージュ橋。
夕方になると地元の人たちが多く集まってきました。
それぞれの時間を過ごす憩いの場にもなっているよう。
心の落ち着く場所です。
イマーム広場で出会った日本語を巧みに操るイラン人が
「コノ料理ニハ、世界ノ全テガ詰マッテイマス。」
と称賛していた地元の名物料理“ベルヤーニ”。
羊肉をこねて焼いたものですが、食感がパッサパサのモッサモサ。
ガストのハンバーグの方が断然美味しいんですけども…。
2018.10.21
【144日目 6,226km】
1週間に及ぶ走行の末にたどり着いた首都テヘラン。
少し落ち着きたいところだったのですが、
人ごみに溢れ、空気も汚く、これといった観光地もないというのは
各国の首都ではお約束。
実はイランの見所は国の中央部~南部に集中しています。
もちろん自転車でまわれたらいいのですが
ビザの期限や冬が迫っているという焦りもあって
宿に自転車を残し、交通機関で各観光地を巡ることにしました。
早速、駅に向かって電車に乗るのですが
イランの特徴でもあるのが交通機関の安さ。
7時間ほどかけて400kmあまり南へ下る大きな移動だったのですが
切符の値段は400円ほど。
日本のタクシー初乗り運賃よりも安いです。
上等席ではなかったのですが隣には食堂車両がついていました。
思わぬところで人生初体験を味わっちゃいます。
(料理は普通のケバブでしたが)
のんびり揺られつつ日が暮れてから
到着した街の名が“ヤズド”。
砂漠に囲まれたイランの定番観光地です。
モスクを中心に広がる旧市街が特徴で、
藁を混ぜた土壁でできた住宅が迷路のように連なります。
外部の車両は入ってくることができないので
のんびり散歩をしながら街で暮らす人々の姿を垣間見ることができました。
さらにヤズドは、
世界最古の宗教として知られる「ゾロアスター教」の中心地
ということでも有名。
この「ゾロアスター教」は
砂漠の宗教と言われるユダヤ教、キリスト教、イスラム教はもちろん
シルクロードを辿って仏教にも影響を与えたことから
人類史すべての主要宗教のルーツになっているとも言えるそうです。
拝火教とも呼ばれ、火を崇めるゾロアスター教。
旧市街から少し離れたところにある寺院をのぞくと
預言者“ツァラトゥストラ”が灯したといわれる聖火が煌々と燃えていました。
ゾロアスター教の善の神“アフラ・マズダー”は
広島が誇る自動車メーカー「MAZDA」の社名の由来でもあります。
さらにヤズドの街外れに
2つ並んで小高い岩山のようにたたずむのが「沈黙の塔」。
コチラもゾロアスター教の重要な遺産です。
聖なる火、水、土を汚すことを嫌った人々が
死者を葬る際に選んだのが鳥葬。
塔の頂上に亡骸を安置し、
その死肉をハゲタカがついばむのを待つという方法。
そして残った骨を中央の穴の中に放っていたそうです。
紀元前の昔に、
死者を送る神聖な儀式がおこなわれていたこの場所。
遠い過去の時代も今と変わらず
亡き人の命に対する敬意がはらわれていた証です。
イラン観光地巡り第1弾は
人類史のルーツともいえる聖地を訪ねる
貴重な体験となりました。
引き続きイラン観光ツアー楽しんでまいります!
2018.10.17
【141日目 6,226km】
砂漠の町シャールードで1日休みをはさみ
再びテヘランを目指して走りはじめます。
相変わらず色彩の乏しい景色の中を黙々と進んでいきました。
中央アジア・キルギスの豊かな青と緑が懐かしい。
巨大なユーラシア大陸の真ん中だからなのか、
中央アジアでは雨に降られることはなく連日晴天だったので
天気予報をチェックするという習慣すら忘れ去っていました。
ところがイランでは空模様が怪しくなることもあり、
にわか雨に遭ってしまうことも。
カスピ海沿岸には高い山が連なり5,000m級の山まであるそう。
砂漠を走っていてもかなり起伏があります。
この日も傾斜を800m登った先にあるサービスエリアに到着。
傍らには2,000年前の遺跡がありちょこっと探索してみました。
するとパトロール中の警官に呼び止められて、
そのまま警察の詰め所に泊めさせてもらうことに。
休憩室のようなところに横になっていると
色々な人がやって来て休んでは、また出て行ったりの繰り返し。
こちらから「あなた誰なの?」と尋ねると、
「警察だ。」「レストランのコックだ。」「近くで店をやってるんだ。」
みんな答えはバラバラ。
なんで警察の詰め所にこんな色々な人が好き勝手出入りするんだろう。
海外のこういうトコロって本当によくわかりません。
でもとにかく安全に夜を越すことはできました。
何百キロと離れた場所でも残り200kmほどとなれば
何となく終わりが見える気がしてきます。
走る以外なにもすることがない荒野の中にいるので
いちいち休んでられないと毎日走り続けました。
そして最後の夜、たどり着いたのが道端にある“キャラバンサライ”。
かつてシルクロードを渡った商人たちのための宿です。
現代風の改築がされており、どことなく上品。
レストランで食事をするだけの予定だったのですが
せっかくなので泊まってみることにしました。
中庭を囲うようにロの字型に配置された宿泊部屋はこじんまりしており
砂を防ぐためなのか窓はついていません。
少し暑いのですが、こういうところは快適性よりも雰囲気が大事なんです。
1泊1,000円と予想よりリーズナブルでしたが他の観光客はゼロ。
周囲数十kmにわたって観光地も何もない場所だからか
そもそも車もほとんど通らないようなところでした。
翌朝、宿のオーナーと
「朝食代が高い!」「いや、高くない!」と
激しい言い争いをしつつ互いにムスッとしたままここを出発。
(絶対高かった。)
そしてこの日、約150kmを走りぬいて
たどり着いたのがイランの首都「テヘラン」。
ついに到着です。
休養日を1日はさみ7日間で走った距離が905km!
かなり走ったつもりですが、疲れもあまり溜まっていません。
身体が旅に慣れてきてるんでしょうか。
しばらく自転車をおいてのんびりします!
2018.10.13
【136日目 5,817km】
イラン東部の都市マシュハドから
まっすぐ西の方向にあるのが首都「テヘラン」。
地図で見る限りその距離は800kmあまりにおよび、
東京-広島間に相当する大移動となります。
マシュハドの街を少しはずれるとあたりは何もない荒野がつづきます。
カザフスタンあたりからずっと似た景色ばかりで新鮮味がないのは
ユーラシア大陸中央部を走るサイクリストにとってちょっとした難点。
それこそ広島から東京に向かうのであれば、
兵庫で有馬温泉に入ったり、大阪でたこ焼き食べたり、静岡で富士山を眺めたり
その土地ごとでの楽しみがあるのになあと妄想してしまいます。
好きで走っといて文句言うなって話ですけども…。
大移動の初日は野宿をする予定でした。
しかし、毎度のことながら良い意味で予定とは違う方へと向かっていきます。
日が沈む前に食糧調達のために寄った小さな商店で買い物を済ますと、
「この近くに俺の部屋があるからそこで寝てけよ」と店主。
店から少し離れた長屋の一室には
家庭のリビングルームのような空間が広がっています。(シャワー、トイレ付き)
店主の家は別にあるらしくこの夜は一人でここに寝ることに。
のんびり休んでいると、突然図体の大きな中年の男たち5人が入ってきました。
なんで日本人がここにいるんだと驚かれましたが経緯を説明すると
チャイ(紅茶)をすすめられ歓迎ムードに。
しばらくして、輪になった男たちはトランプで遊び始めます。
店主の友人である彼らは毎夜ここに集まって
チャイを飲み、シーシャ(水タバコ)を吸いながらトランプに興じるそう。
お金も飛び交ってないし、健全な人たちによる健全な遊びなようでした。
夜が明けると、
前日も同じ道を走ったんじゃないかというような景色のなか
懸命に進んでいきます。
そろそろテントで寝てもいいなと思いながらも、
イラン人の優しさがそうはさせてくれません。
夕方、休憩のため商店に寄ると
「この先はしばらく荒野が続くからここで寝てきなさい。」
(ここまでもずっと荒野だったんですけど…。)
商品がずらっと並ぶ棚の前に布団を敷いてくれました。
こんなトコで、と思いながらも横になるとスッと寝入ってしまいます。
翌朝、片付けようとしても
「いいから置いときな!」と手に持った布団を奪われる始末。
とにかく“お客さん”に徹しなさいということです。
その後も、犬と遊んだり(遊ばれたり)
レストラン裏でテントを張ったりしつつ、
とにかく西へと毎日120km超の移動をつづけること4日間、
砂漠の中の町“シャ-ルーズ”に到着。
まだまだテヘランへの道は続きます。
2018.10.9
【131日目 5,321km】
国境付近の村でお世話になった翌日、
もっとも近い都市“マシュハド”を目指して進みます。
しばらくは標高2,000m付近の山を登ったり下ったり。
砂漠のイメージが強い中東ですが、高い山々もそびえ立っています。
黙々と走り続け、国境から80kmほど走ると山の麓に降り立ちました。
ここからはひたすら都市間を結ぶ幹線道路を走ります。
この日、日没前にたどり着いたのが道路わきのモスク。
食堂や売店も隣接しており、休憩所として利用されています。
テントを張っていいかと尋ねると、
「モスクはみんなのものだから」ということで了承をもらえました。
神聖な場所なのでダメもとで聞いたのですが、
イスラムの人はかなり懐が深い様子。
眺めていると、休憩がてらモスクでお祈りをしていくたくさんの人たち。
モスクがイランの人たちにとって身近な存在だということが改めて分かります。
夜が明けると、再び平坦な道を走りはじめます。
少しづつ交通量が増え始め気がつくと大都会の中に。
イラン第二の都市“マシュハド”に到着です。
道路に並ぶたくさんの車に、道を埋め尽くす人々。
ここまで熱気のある街は中国以来かもしれません。
イラン各地から人が押し寄せる都市・マシュハド。
そしてこの地を訪れた人々は街の中心に位置する
イスラム教の聖地「イマーム・リダー・ハラム」に向かいます。
神の啓示を受けた預言者ムハンマドの8代目後継者“イマーム・リダー”。
マシュハドで埋葬されたその人の霊廟である「金のドーム」を中心に
複数のモスクや儀式のための広場などがひろがっています。
その面積は広大で、
サッカーグラウンド2面ほどの大きな広場の向こうに
また同じくらいの広場が次々と現れます。
広さはもちろんのこと、圧倒されるのはそこにいる人の多さ。
メッカ巡礼にも並ぶほどマシュハドへの巡礼は貴重とされているらしく
年間2,000万人以上の人がこの地を訪れます。
いざ広場に入ってみると荘厳な雰囲気というよりも、
お祭り会場のようでワイワイと盛り上がっているような感じ。
家族連れの姿もかなり目にしました。
晴天の下で熱心に祈りを捧げる人々の姿をみると、
この土地がただ歴史の足跡を世に伝えるためではなく
現在進行形で人々のこころの拠りどころになっていることがわかります。
ウズベキスタンの遺跡も「青」を基調としたものが多かったですが、
神と対話するときに仰ぐ空の色であり
生命の象徴である水の色であることに由来するそう。
乾燥した地域に暮らす人々にとって癒しの色にも感じられるのでしょうか。
色々な宗教の経典や信条を理解することは簡単ではないですが、
幸せを求めて祈りを捧げる人が集まる場所には力強いエネルギーを感じます。
日本から観光客がやってきたということで
現地ラジオ局のお姉さんからインタビューを受けました。
この後別れ際に握手を求めたのですが、笑顔でやんわり断られることに。
イスラム教では異性間の握手は禁止なの忘れてました。
2018.10.4
【128日目 5,245km】
謎深きトルクメニスタンでの1泊を終え、
早々と次の国イランを目指します。
国境に向かうべくアシガバードの街中を走ると
石油産出国だけあり道路やビルはまさに豪華絢爛。
行ったことはないですが、ドバイなどに似た街並みなのでしょうか。
(自転車がかなり目立ってしまいジロジロみられるので写真は控えました。)
トルクメニスタン-イラン国境は、
アシガバードから距離にしてみればわずか60kmなのですが
その標高ははるか山の上1,700m。
5日間でのトルクメニスタン自転車縦断をあきらめた理由がここにあります。
1日掛かりの山登りになると意気込んでおりました。
食料も買い込んで準備万端だったのですが、実はしばらくして拍子抜け。
山道を登り始めて5kmほどで小さなゲートに着きました。
「ここからは自転車もバスに乗っけていってね。」
徒歩や自転車での通行は禁止されているようです。
しばらくしてやって来た大型バスに自転車ごと乗ってしまいました。
汗をかきながら数時間かけて走ることになるだろうと
思っていた登り道ですが、30分ほどで国境に到着。
何か予想しえないトラブルに遭うのではと
ヒヤヒヤしていたトルクメニスタンでの滞在はわずか24時間ほどで終了。
あっという間に6ヵ国目“イラン”に入国してしまいました。
今回の旅で唯一となる中東の国に突入です!
といっても越境直後はまだまだ何もない山の上、
はるか麓を目指して進まねばなりません。
木も生えていない殺伐とした山の中を2時間ほど走り、
夕方にたどり着いたのが
ひっそりとした山間の村“ダル・バーダーム”。
四角い家々が立ち並ぶ中央アジアにはなかった光景が
確かに異なる地域にやってきたコトを感じさせてくれます。
小さな商店の前に集まっていた人たちと話をしてみましたが、
英語は当然通じず、響きもこれまでの中央アジアとは違うペルシャ語になりました。
アルファベットから変化したキリル文字(ロシア語)も難しかったですが、
ペルシャ文字ともなるといよいよ解読不能です。
テントを張る場所を探しつつ村を散策していると、
ある男性が「ウチに泊まっていきなさい。」と優しい言葉。
リンゴ畑の奥を進んだ離れに寝床を用意してくれました。
ウズベキスタン最後の町ヒヴァを出発する時から、
閉鎖的なトルクメニスタンを経由し
中東のイランに入っていくということで、
どことなく不安や緊張がありました。
それでもこうした人の優しさに触れることで
晴れた気持ちで落ち着いて眠ることができます。
心優しきバルゲリーさん一家。
本当にありがとう!
とにかく人が親切だということで旅人からも評判の国・イラン。
1日目から素敵な出会いを与えてくれました。
この勢いで中東の大国を旅していきます!