アルメニア、負の歴史

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【184日目 7,384km】

 

 

エレバンの中心部から少し外れた小高い丘の上。

地面に潜り込むように下へと続く階段をおりるとそこに

“アルメニア人虐殺博物館”はあります。

 

アルメニアという国について知ろうと調べるとき、

避けて通ることのできないのが

「アルメニア人虐殺」という負の歴史。

 

僕自身、旅に出るまで

この国の悲しい歴史について何も知りませんでした。

 

この施設を訪れたことで

“虐殺博物館”という名が表すとおりの

物々しい出来事の断片を垣間見ることができました。

 

最盛を誇った15~16世紀から20世紀初頭にかけて

地中海東部沿岸を中心に大きな存在感を示していた

強大な「オスマン帝国」。

 

支配層はイスラム教徒であるトルコ人が占めていたものの、

大国は多くの異なる民族、宗教、文化を抱えていました。

 

長きに渡って共存していた複数の民族たちでしたが

19世紀に入ってキリスト教を重んじる西ヨーロッパ諸国が台頭すると

オスマン帝国内のキリスト教徒である

アルメニア人に対する風向きも大きく変化。

異教徒として排斥しようという動きが始まります。

 

彼らに対する差別が最も激化し、

ついに虐殺が行われたのは1910年代後半。

戦うことのできる成人男性たちは命を軽んじられたことから

第一次世界大戦の最前線に置かれました。

 

女性や子供、お年寄りたちは祖国を追いやられ

オスマン帝国の領外(現在のシリア)の砂漠地域に

強制的に連行されていきます。

そして、ただ追放されただけでなく

そこで彼らを待っていたのは

オスマン帝国軍による人を人とも思わぬ残酷な殺戮でした。

 

崖から湖に飛び込ませ溺死させる。

馬に身体をくくりつけて引きずり回す。

生きたまま火に焼かれる。

 

あらゆる方法で無数の命が消し去られ、

現在でも明らかになっていないながら

その犠牲者の数は数十万とも百万以上とも言われています。

(現在のアルメニア国内の人口はおよそ300万人)

 

 

かなり簡潔にまとめてしまいましたが

このようにして起きたのが、

わずか100年前このアルメニアを中心におこなわれた

近代史におけるはじめての大虐殺ともいわれる

「アルメニア人虐殺」。

 

博物館の外には犠牲となった人びとを追悼する

モニュメントが静かにたたずんでいます。

 

互いに隣り合う

トルコ(オスマン帝国の後継国)とアルメニアは

この出来事を巡った歴史認識問題を抱えており

両国の友好関係構築の障害になっているそう。

 

慰霊の炎の周りに捧げられた花たち。

この写真を撮った直後にも花をたむける人の姿がありました。

 

現在でもこの国の人々の胸に深く刻まれている出来事。

経緯がどうであれ、被害者の累計数がどうであれ

多くの命があまりにも虚しく扱われたことに違いはありません。

 

 

旅をして世界各国を巡っているわけですが、

こうして歴史を知ることは

その土地とそこで暮らす人々に対する敬意を示す方法のひとつ。

 

 

環境に恵まれ自由に旅ができている身として、

多くの場所を訪ねて

世界を知らねばと感じます。