鮮烈メディアデビュー
【296日目 11,187km】
ジブリの街ドゥブロヴニクを後にして
また海岸線を北へ上がっていきます。
ドゥブロヴニクの北側には大きな橋が
かかっています。
しばらく快晴の日が続いてましたが、
この日は久しぶりに怪しい雲行き。
途中でにわか雨も降り
雨宿りをしながらゆっくりと
進んでいきました。
ドゥブロブニクが位置しているのは
クロアチアのほぼ南端。
実はこのあたりの地域は、
海側へとはみ出した隣国ボスニア・ヘルツェゴビナの領土により
本国と分断されてしまっている
いわゆる「飛び地」。
背景は複雑なのですが、
およそ300年前にアドリア海沿岸の覇権を争った
ヴェネツィア帝国とオスマン帝国の紛争を緩和するために
引かれた当時の国境線が現在も引き継がれているそう。
つまり、これだけ国が密集していれば
いろいろな事情が発生するということです。
ということで15ヵ国目となる
ボスニア・ヘルツェゴビナへの
国境に到着。
従来通りスタンプを押されると
すんなり入国できました。
国は変われど、
この地域に住んでいる人は
クロアチア人が多いらしく
クロアチア通貨の「クーナ」も
使えてしまいます。
黙って通り抜けるだけ
というのも寂しいので、
入国記念として
食堂に寄ってランチを食べました。
ボスニア・ヘルツェゴビナでの
唯一の思い出。
飛び地と本国との距離は
わずか15kmほど。
たった1時間で走り抜けた
ボスニア・ヘルツェゴビナ。
1ヵ国の滞在時間としては
この旅での最短記録です。
クロアチアに再入国して
しばらく走ったところで
この日は久々の野宿。
名前もわからない湖のほとりで
のんびり過ごします。
続くこの日も
海沿いを北へと進んでいきました。
木がほとんど生えていない岩山が
延々と続くアドリア海沿岸。
起伏がかなり激しい分、
高いところから見下ろす海を
たっぷり堪能できます。
水辺の向こうにそびえる岩山。
写真を撮り終えた途端、
警察に職務質問されました。
…なんでされたんだろう、
事なきを得たのでいいですけど。
小さな港町が数十kmおきに
あらわれます。
目的の街が近づくにつれ
交通量も少しずつ増えてきました。
そして、ドゥブロヴニクから
2日かけてたどり着いたのは、
クロアチア第2の都市「スプリト」。
3世紀ごろに
古代ローマ皇帝の宮殿が建てられたこの都市。
皇帝が逝去して数百年たった後、
荒廃してしまったかつての宮殿を見つけて
「何ここ、良い場所あるじゃん!」と、
中世の人達が住み始めてしまったという
珍しい歴史を辿った街なのです。
かつての宮殿の壁は
中世の人たちにとっての城壁と
なったそう。
一度はボロボロになった古代の遺跡が
人々の生活する街として
息を吹き返したということ。
皇帝のために捧げられた
建物ということで
門構えからして、かなり立派。
古代ローマの気分を味わいながら
生活していた当時の人たち。
何とも贅沢な街です。
現在もこの街には
人々が暮らし続けており
ところどころに
生活感がうかがえます。
北門を出たところにあるのが
大きな「グルグール像」。
この銅像の左足の指をなでると
幸運がおとずれるそうですが…
大勢の人が触りすぎて
表面がテカテカになってるというのは
もはや世界各地の
観光地あるあるですね。
僕もしっかりなでなでしたので、
幸運がおとずれることが確定しました。
近くの丘から見渡す
スプリトの街並み。
写真中央あたりがかつての宮殿ですが、
城壁もあまり高くないうえに範囲が広いわけではないので
パッと見には分かりにくいです。
現代の都市空間と
歴史遺産である旧市街が、
自然に溶け合うようにして成り立った
スプリト。
海沿いの通りには
暖かい海風が吹き抜けます。
半日もあれば十分歩けてしまう
旧市街周辺。
のんびりあたりを散策するだけで
気持ちが良くなる、
ドゥブロヴニクとはまた違った
魅力のある街です。
そんなふらっと訪れたスプリトで
面白い出来事が起こります。
Warm Shower のホストが見つからず
やむを得ずとあるゲストハウスに身を寄せたところ、
到着直後から宿主は自転車旅に興味津々で
あれやこれやと旅についてお話しました。
すると翌朝、
「新聞社の友達が取材したいって言ってるけどいい?」
と思いもよらぬ展開に!
断る理由もないので「是非どうぞ」と告げると、
2時間後にはスプリト地方紙の
カメラマンと記者の方がやってきました。
そのまま始まったインタビューと写真撮影は
1時間ほどであっという間に終了。
「楽しみにしといて!」と
去っていった新聞社の方たち。
しばらく時間がかかると思いきや
翌朝の新聞には掲載されてました。
あまりの急展開に
驚きがついていきませんが、
旅をしてれば予想外のほうに
ことが進むことなんてよくあること。
新聞を抱えて
スーパーのレジに並んでる時
後ろのおばちゃんに
見て見てと自慢すると、
「えーー?これアンタなの!?」
とビックリしてました。
↓電子版もあるのでご覧ください。
https://www.slobodnadalmacija.hr/dalmacija/split
ところが驚きはまだまだ止まりません。
のんびり新聞を眺めていると、
宿主のもとにまた連絡がやってきます。
取材をしてくれた新聞社の母体が
EU全土に展開するテレビの放送局だったらしく
「いまから取材にいってもいい?」とのこと。
しかも今度はローカルではなく、クロアチアの全国放送。
2日連続で、
またもやインタビューと撮影。
旅について根掘り葉掘り聞かれながら
2時間ほどで終了しました。
放送されたのは撮影当日。
しかも、夜の7時という
なかなか良い時間。
しゅっとしたキャスターが
読んでくれます。
日本でも見たことがない
テレビに映る自分の顔。
これまでどんな旅だったのか
偉そうに色々とお話ししました。
あぁ、恥ずかし…。
放送時間は3分ほど。
中国から中央アジアにかけての
道がちょっと間違ってるけど、
こうして地図にして道のりを見ると
はるばるやってきたなぁと
感慨深いです。
新聞を読んで興味を持ってくれた
近くに住む「ゴランさん」。
わざわざ宿にやってきて
晩御飯をご馳走してくれました。
他にも多くの方から
メッセージを頂きました。
こちら宿主の「ボリスさん」。
スプリトについてたったの2日間で
あれよあれよと物事が進んでいきましたが
全てはこの人との出会いがきっかけ。
異国の地にまた一つ
忘れられない場所が増えました。