Cycling The Earth ~自転車世界一周の旅~

日記

観光地めぐり①

2018.10.21 | 6 イラン

【144日目 6,226km】

 

1週間に及ぶ走行の末にたどり着いた首都テヘラン。

少し落ち着きたいところだったのですが、

人ごみに溢れ、空気も汚く、これといった観光地もないというのは

各国の首都ではお約束。

 

実はイランの見所は国の中央部~南部に集中しています。

もちろん自転車でまわれたらいいのですが

ビザの期限や冬が迫っているという焦りもあって

宿に自転車を残し、交通機関で各観光地を巡ることにしました。

 

早速、駅に向かって電車に乗るのですが

イランの特徴でもあるのが交通機関の安さ。

 

7時間ほどかけて400kmあまり南へ下る大きな移動だったのですが

切符の値段は400円ほど。

日本のタクシー初乗り運賃よりも安いです。

 

上等席ではなかったのですが隣には食堂車両がついていました。

思わぬところで人生初体験を味わっちゃいます。

(料理は普通のケバブでしたが)

 

 

 

のんびり揺られつつ日が暮れてから

到着した街の名が“ヤズド”。

砂漠に囲まれたイランの定番観光地です。

 

 

モスクを中心に広がる旧市街が特徴で、

藁を混ぜた土壁でできた住宅が迷路のように連なります。

 

外部の車両は入ってくることができないので

のんびり散歩をしながら街で暮らす人々の姿を垣間見ることができました。

 

 

さらにヤズドは、

世界最古の宗教として知られる「ゾロアスター教」の中心地

ということでも有名。

 

この「ゾロアスター教」は

砂漠の宗教と言われるユダヤ教、キリスト教、イスラム教はもちろん

シルクロードを辿って仏教にも影響を与えたことから

人類史すべての主要宗教のルーツになっているとも言えるそうです。

 

拝火教とも呼ばれ、火を崇めるゾロアスター教。

旧市街から少し離れたところにある寺院をのぞくと

預言者“ツァラトゥストラ”が灯したといわれる聖火が煌々と燃えていました。

 

ゾロアスター教の善の神“アフラ・マズダー”は

広島が誇る自動車メーカー「MAZDA」の社名の由来でもあります。

 

 

さらにヤズドの街外れに

2つ並んで小高い岩山のようにたたずむのが「沈黙の塔」。

コチラもゾロアスター教の重要な遺産です。

聖なる火、水、土を汚すことを嫌った人々が

死者を葬る際に選んだのが鳥葬。

 

塔の頂上に亡骸を安置し、

その死肉をハゲタカがついばむのを待つという方法。

そして残った骨を中央の穴の中に放っていたそうです。

 

紀元前の昔に、

死者を送る神聖な儀式がおこなわれていたこの場所。

遠い過去の時代も今と変わらず

亡き人の命に対する敬意がはらわれていた証です。

 

 

イラン観光地巡り第1弾は

人類史のルーツともいえる聖地を訪ねる

貴重な体験となりました。

 

引き続きイラン観光ツアー楽しんでまいります!

 

 

首都テヘランへ!②

2018.10.17 | 6 イラン

【141日目 6,226km】

 

砂漠の町シャールードで1日休みをはさみ

再びテヘランを目指して走りはじめます。

 

相変わらず色彩の乏しい景色の中を黙々と進んでいきました。

中央アジア・キルギスの豊かな青と緑が懐かしい。

 

巨大なユーラシア大陸の真ん中だからなのか、

中央アジアでは雨に降られることはなく連日晴天だったので

天気予報をチェックするという習慣すら忘れ去っていました。

ところがイランでは空模様が怪しくなることもあり、

にわか雨に遭ってしまうことも。

 

カスピ海沿岸には高い山が連なり5,000m級の山まであるそう。

砂漠を走っていてもかなり起伏があります。

 

この日も傾斜を800m登った先にあるサービスエリアに到着。

傍らには2,000年前の遺跡がありちょこっと探索してみました。

するとパトロール中の警官に呼び止められて、

そのまま警察の詰め所に泊めさせてもらうことに。

 

休憩室のようなところに横になっていると

色々な人がやって来て休んでは、また出て行ったりの繰り返し。

こちらから「あなた誰なの?」と尋ねると、

「警察だ。」「レストランのコックだ。」「近くで店をやってるんだ。」

みんな答えはバラバラ。

 

なんで警察の詰め所にこんな色々な人が好き勝手出入りするんだろう。

海外のこういうトコロって本当によくわかりません。

でもとにかく安全に夜を越すことはできました。

 

 

何百キロと離れた場所でも残り200kmほどとなれば

何となく終わりが見える気がしてきます。

走る以外なにもすることがない荒野の中にいるので

いちいち休んでられないと毎日走り続けました。

 

 

そして最後の夜、たどり着いたのが道端にある“キャラバンサライ”。

かつてシルクロードを渡った商人たちのための宿です。

現代風の改築がされており、どことなく上品。

 

レストランで食事をするだけの予定だったのですが

せっかくなので泊まってみることにしました。

 

中庭を囲うようにロの字型に配置された宿泊部屋はこじんまりしており

砂を防ぐためなのか窓はついていません。

少し暑いのですが、こういうところは快適性よりも雰囲気が大事なんです。

 

1泊1,000円と予想よりリーズナブルでしたが他の観光客はゼロ。

周囲数十kmにわたって観光地も何もない場所だからか

そもそも車もほとんど通らないようなところでした。

 

翌朝、宿のオーナーと

「朝食代が高い!」「いや、高くない!」と

激しい言い争いをしつつ互いにムスッとしたままここを出発。

(絶対高かった。)

 

 

そしてこの日、約150kmを走りぬいて

たどり着いたのがイランの首都「テヘラン」。

ついに到着です。

 

休養日を1日はさみ7日間で走った距離が905km!

かなり走ったつもりですが、疲れもあまり溜まっていません。

身体が旅に慣れてきてるんでしょうか。

 

しばらく自転車をおいてのんびりします!

 

 

 

首都テヘランへ!①

2018.10.13 | 6 イラン

【136日目 5,817km】

 

イラン東部の都市マシュハドから

まっすぐ西の方向にあるのが首都「テヘラン」。

地図で見る限りその距離は800kmあまりにおよび、

東京-広島間に相当する大移動となります。

 

マシュハドの街を少しはずれるとあたりは何もない荒野がつづきます。

カザフスタンあたりからずっと似た景色ばかりで新鮮味がないのは

ユーラシア大陸中央部を走るサイクリストにとってちょっとした難点。

 

それこそ広島から東京に向かうのであれば、

兵庫で有馬温泉に入ったり、大阪でたこ焼き食べたり、静岡で富士山を眺めたり

その土地ごとでの楽しみがあるのになあと妄想してしまいます。

好きで走っといて文句言うなって話ですけども…。

 

 

大移動の初日は野宿をする予定でした。

しかし、毎度のことながら良い意味で予定とは違う方へと向かっていきます。

 

日が沈む前に食糧調達のために寄った小さな商店で買い物を済ますと、

「この近くに俺の部屋があるからそこで寝てけよ」と店主。

店から少し離れた長屋の一室には

家庭のリビングルームのような空間が広がっています。(シャワー、トイレ付き)

店主の家は別にあるらしくこの夜は一人でここに寝ることに。

 

 

のんびり休んでいると、突然図体の大きな中年の男たち5人が入ってきました。

なんで日本人がここにいるんだと驚かれましたが経緯を説明すると

チャイ(紅茶)をすすめられ歓迎ムードに。

しばらくして、輪になった男たちはトランプで遊び始めます。

 

店主の友人である彼らは毎夜ここに集まって

チャイを飲み、シーシャ(水タバコ)を吸いながらトランプに興じるそう。

お金も飛び交ってないし、健全な人たちによる健全な遊びなようでした。

 

 

夜が明けると、

前日も同じ道を走ったんじゃないかというような景色のなか

懸命に進んでいきます。

 

そろそろテントで寝てもいいなと思いながらも、

イラン人の優しさがそうはさせてくれません。

 

夕方、休憩のため商店に寄ると

「この先はしばらく荒野が続くからここで寝てきなさい。」

(ここまでもずっと荒野だったんですけど…。)

商品がずらっと並ぶ棚の前に布団を敷いてくれました。

こんなトコで、と思いながらも横になるとスッと寝入ってしまいます。

 

翌朝、片付けようとしても

「いいから置いときな!」と手に持った布団を奪われる始末。

とにかく“お客さん”に徹しなさいということです。

 

その後も、犬と遊んだり(遊ばれたり)

 

レストラン裏でテントを張ったりしつつ、

 

とにかく西へと毎日120km超の移動をつづけること4日間、

砂漠の中の町“シャ-ルーズ”に到着。

 

まだまだテヘランへの道は続きます。

 

 

 

巡礼地マシュハド

2018.10.9 | 6 イラン

【131日目 5,321km】

 

国境付近の村でお世話になった翌日、

もっとも近い都市“マシュハド”を目指して進みます。

 

しばらくは標高2,000m付近の山を登ったり下ったり。

砂漠のイメージが強い中東ですが、高い山々もそびえ立っています。

 

 

黙々と走り続け、国境から80kmほど走ると山の麓に降り立ちました。

ここからはひたすら都市間を結ぶ幹線道路を走ります。

 

この日、日没前にたどり着いたのが道路わきのモスク。

食堂や売店も隣接しており、休憩所として利用されています。

 

テントを張っていいかと尋ねると、

「モスクはみんなのものだから」ということで了承をもらえました。

神聖な場所なのでダメもとで聞いたのですが、

イスラムの人はかなり懐が深い様子。

 

眺めていると、休憩がてらモスクでお祈りをしていくたくさんの人たち。

モスクがイランの人たちにとって身近な存在だということが改めて分かります。

 

 

夜が明けると、再び平坦な道を走りはじめます。

少しづつ交通量が増え始め気がつくと大都会の中に。

イラン第二の都市“マシュハド”に到着です。

道路に並ぶたくさんの車に、道を埋め尽くす人々。

ここまで熱気のある街は中国以来かもしれません。

 

 

イラン各地から人が押し寄せる都市・マシュハド。

そしてこの地を訪れた人々は街の中心に位置する

イスラム教の聖地「イマーム・リダー・ハラム」に向かいます。

 

神の啓示を受けた預言者ムハンマドの8代目後継者“イマーム・リダー”。

マシュハドで埋葬されたその人の霊廟である「金のドーム」を中心に

複数のモスクや儀式のための広場などがひろがっています。

 

その面積は広大で、

サッカーグラウンド2面ほどの大きな広場の向こうに

また同じくらいの広場が次々と現れます。

 

広さはもちろんのこと、圧倒されるのはそこにいる人の多さ。

メッカ巡礼にも並ぶほどマシュハドへの巡礼は貴重とされているらしく

年間2,000万人以上の人がこの地を訪れます。

 

いざ広場に入ってみると荘厳な雰囲気というよりも、

お祭り会場のようでワイワイと盛り上がっているような感じ。

家族連れの姿もかなり目にしました。

 

晴天の下で熱心に祈りを捧げる人々の姿をみると、

この土地がただ歴史の足跡を世に伝えるためではなく

現在進行形で人々のこころの拠りどころになっていることがわかります。

 

 

ウズベキスタンの遺跡も「青」を基調としたものが多かったですが、

神と対話するときに仰ぐ空の色であり

生命の象徴である水の色であることに由来するそう。

乾燥した地域に暮らす人々にとって癒しの色にも感じられるのでしょうか。

 

色々な宗教の経典や信条を理解することは簡単ではないですが、

幸せを求めて祈りを捧げる人が集まる場所には力強いエネルギーを感じます。

 

 

日本から観光客がやってきたということで

現地ラジオ局のお姉さんからインタビューを受けました。

この後別れ際に握手を求めたのですが、笑顔でやんわり断られることに。

イスラム教では異性間の握手は禁止なの忘れてました。

 

 

 

中東の大国イラン

2018.10.4 | 5 トルクメニスタン 6 イラン

【128日目 5,245km】

 

 

謎深きトルクメニスタンでの1泊を終え、

早々と次の国イランを目指します。

 

国境に向かうべくアシガバードの街中を走ると

石油産出国だけあり道路やビルはまさに豪華絢爛。

行ったことはないですが、ドバイなどに似た街並みなのでしょうか。

(自転車がかなり目立ってしまいジロジロみられるので写真は控えました。)

 

 

トルクメニスタン-イラン国境は、

アシガバードから距離にしてみればわずか60kmなのですが

その標高ははるか山の上1,700m。

5日間でのトルクメニスタン自転車縦断をあきらめた理由がここにあります。

 

1日掛かりの山登りになると意気込んでおりました。

食料も買い込んで準備万端だったのですが、実はしばらくして拍子抜け。

 

山道を登り始めて5kmほどで小さなゲートに着きました。

「ここからは自転車もバスに乗っけていってね。」

徒歩や自転車での通行は禁止されているようです。

しばらくしてやって来た大型バスに自転車ごと乗ってしまいました。

 

 

汗をかきながら数時間かけて走ることになるだろうと

思っていた登り道ですが、30分ほどで国境に到着。

何か予想しえないトラブルに遭うのではと

ヒヤヒヤしていたトルクメニスタンでの滞在はわずか24時間ほどで終了。

 

あっという間に6ヵ国目“イラン”に入国してしまいました。

今回の旅で唯一となる中東の国に突入です!
といっても越境直後はまだまだ何もない山の上、

はるか麓を目指して進まねばなりません。

 

木も生えていない殺伐とした山の中を2時間ほど走り、

夕方にたどり着いたのが

ひっそりとした山間の村“ダル・バーダーム”。

 

四角い家々が立ち並ぶ中央アジアにはなかった光景が

確かに異なる地域にやってきたコトを感じさせてくれます。

 

小さな商店の前に集まっていた人たちと話をしてみましたが、

英語は当然通じず、響きもこれまでの中央アジアとは違うペルシャ語になりました。

アルファベットから変化したキリル文字(ロシア語)も難しかったですが、

ペルシャ文字ともなるといよいよ解読不能です。

 

テントを張る場所を探しつつ村を散策していると、

ある男性が「ウチに泊まっていきなさい。」と優しい言葉。

リンゴ畑の奥を進んだ離れに寝床を用意してくれました。

 

ウズベキスタン最後の町ヒヴァを出発する時から、

閉鎖的なトルクメニスタンを経由し

中東のイランに入っていくということで、

どことなく不安や緊張がありました。

 

それでもこうした人の優しさに触れることで

晴れた気持ちで落ち着いて眠ることができます。

 

心優しきバルゲリーさん一家。

本当にありがとう!

 

とにかく人が親切だということで旅人からも評判の国・イラン。

1日目から素敵な出会いを与えてくれました。

 

この勢いで中東の大国を旅していきます!

 

 

 

謎深きトルクメニスタン

2018.09.30 | 4 ウズベキスタン 5 トルクメニスタン

【127日目 5,198km】

 

 

砂漠の聖都“ヒヴァ”での滞在を終えると

いよいよウズベキスタンともお別れ。

わずか60kmほど西にある国境を目指します。

 

 

国境の向こうに待ちかまえる次の国は“トルクメニスタン”。

中央アジア最後の国となります。

 

実はこのトルクメニスタンという国、

・故ニヤゾフ大統領時代より続く独裁政治

・旅程詳細を申請の上、ガイド付きでなければ観光旅行不可

・報道の自由度世界ワースト3位

 

これらのことから

「中央アジアの北朝鮮」とも呼ばれ、

極めて閉鎖的な国として知られています。

 

ただ入国することがまったく不可能なわけではなく

他の国へ向かうための経由地としてであれば5日間滞在することが認められており、

シルクロードを辿って旅をしているものとしては

通らざるを得ない場所にあります。

 

実際に、近年「地獄の門」なる観光スポットが人気で

多くの旅人が訪れているんです。

(絶景ですが、今回は行っていないので気になる人は検索!)

 

 

当初、自転車で縦断することを予定していたのですが

5日間という期限付きであることから断念してしまいました。

 

ということで、

お昼前頃にウズベキスタン-トルクメニスタン国境を

予想以上にスムーズに超えた後、

待ち構えていたタクシーを捕まえました。

(というか捕まりました。)

 

南のイラン側国境付近の首都アシガバードまで40ドル。

トヨタセダンの後部座席に何とか自転車を押し込むと

ドライバーは勢いよく走りだします。

 

道のりのほとんどはウズベキスタンでも散々見てきたような砂漠ばかり。

国土の85%が砂で埋め尽くされており、

人が住むのは国境付近の端のあたりだけだそう。

 

 

7時間ほどのドライブの末、目的地のアシガバードに着いたのが夜8時ごろ。

野宿は当然許可されておらず、

外国人が宿泊できるホテルも限られています。

 

いくつか安宿に目を付けていたのですがすべて満室で断られ、

たどり着いたのが1泊80ドル(1万円弱)の高級ホテル。

今回の旅で最高額の宿です。

 

夕食をとろうとホテルのレストランに向かうと、

30人程のスーツを着た大人たちが円卓を囲み大宴会をしておりました。

こちらの姿を見つけると、

「こっちおいで!」と無理やり椅子に座らされます。

 

次々と出される料理をつまみながら、

「どっから来たんだ?」「どんな旅をしてるんだ?」と、

酔っ払いたちから矢継ぎ早の質問。

 

何となく打ち解けたと感じた頃合いを見はかり

一緒に写真を撮ってもいいかと聞くと、

「ダメだ。カメラをしまいなさい」と忠告されてしまいました。

さっきまで機嫌よく話していたのに断られるとは…。

 

 

公的機関などの撮影が固く禁じられていることは聞いていました。

街中で白昼堂々とカメラを構えているとたちまち公安がやってきて

データの削除を命令するそうです。

 

そしてどうやらこのスーツのおじさん達も撮影禁止。

何者だったんだろう…。

終わりの見えない宴会の隙を突き、トイレに行くふりをして逃げ出しました。

 

 

どことなく窮屈さを感じつつこの日は就寝。

高級ホテルにもう1泊できるはずはなく、

ろくに観光もしないまま翌日トルクメニスタンを後にすることになりました。

 

 

聖都ヒヴァ

2018.09.27 | 4 ウズベキスタン

【122日目 5,138km】

 

 

3日間かけてわたりきった砂漠の果てにたどり着いた小さなモーテル。

そこからさらにいくつかの町を通り抜け100kmあまりを進むと

国境近くの町“ヒヴァ”にたどり着きました。

 

サマルカンド、ブハラに並ぶウズベキスタン屈指の観光地でもあり、

同じように神学校やモスクを中心とした旧市街が見どころのこの町。

実は、ウズベキスタンで一番楽しみにしていた場所でもあります。

 

中世には国の首都でもあったというヒヴァ。

非常にこじんまりした町ですが、魅力がギュッと詰まった渋いトコロです。

 

泉が湧き出ることから砂漠の中のオアシスとして栄えたヒヴァですが、

その特徴ともなっているのが

1000年前ごろから建てはじめられたという城壁。

町をぐるりと囲んでいる土を塗り固めた壁の高さは10mにも及びます。

城壁が囲む旧市街は、

1km四方ほどなのでのんびり散歩しながら回れるほどの大きさ。

 

メインゲートである西門をくぐればいよいよ旧市街。

城壁に囲まれた内側は“イチャン・カラ”と呼ばれ、

町全体が世界遺産にも指定されています。

 

通りにはお土産屋がずらっと並び、

各国の旅行者が散策する様子が目に留まります。

レンガ造りの建物がイスラムの雰囲気をぐっと演出しています。

堂々たるマドラサ(神学校)も、

現在は内部がお土産屋さんやレストランとなっています。

 

イチャン・カラに複数ある塔の中で最も高いものが

“イスラーム・ホジャ・ミナレット”で45mほど。

ヒヴァの象徴でもあり、頂上は見張り台になっていて登ることができるんです。

 

 

町をぶらぶら散歩していると人だかりと何やらにぎやかな声が聞こえました。

 

近寄ってみると、スマホのカメラを向ける人々の向こうに

メガホンを握る監督とカチンコを鳴らすスタッフが!

どうやら映画か何かの撮影のようです。

 

時間をおいた別の場所でもまた撮影現場に出くわしました。

剣を携えた大勢の騎士たちが「ヤァアーーッ!」と叫びながらぶつかり合います。

 

やはり歴史ある景観地区だからでしょうか、

確かにどこを撮っても画になります。

 

 

旧市街の中心を少しはずれるとレンガ造りの民家が多く立ち並びます。

静かな路地を歩くと、現地で暮らす住民の方にもたくさんすれ違いました。

現在でも、城壁の中で3,000人ほどの人々が生活しているそう。

 

ヒヴァの町でとにかくよく見かけるのがタキシードとドレスの新郎新婦。

ポージングをするカップルとそれを取り巻く親戚とカメラマンたち。

みんな楽しそうだし、幸せそう。

 

 

おそらく近くで式も挙げると思うのですが、

やはりウズベキスタンの人たちにとっても特別な場所なのだと感じます。

 

 

 

イスラーム・ホジャ・ミナレットから見下ろす夕暮れのヒヴァ。

砂でかすんで遠くは見えないのですが、

オレンジに染まる町は風情たっぷりです。

 

いよいよウズベキスタンもこの町で最後。

こんな素晴らしい景色を求めてどんどん前に進んでいきます!

 

 

 

砂漠を渡る

2018.09.23 | 4 ウズベキスタン

【120日目 5,022km】

 

 

しばらくブハラでの滞在を楽しんでから、

ウズベキスタン最後の街“ヒヴァ”に向かって再びペダルを漕ぎだします。

 

 

ユーラシア大陸の中央に位置するウズベキスタンの領土ですが、

実はその多くを占めるのは砂漠。

なんと国土の80%ほどにも及ぶそうです。

 

山が少ないことからここまで自転車で進むことも容易でしたが、

ブハラからヒヴァの間には“キジルクム砂漠”という難関が待ち構えており、

400kmあまりの移動のうち約300kmは砂漠のなかを走ることとなります。

 

無事越えられるだろうかという不安の反面、少しワクワクもしつつ走りはじめました。

 

ブハラを離れ50kmほどすると家屋はほとんど無くなり、

乾いた砂の大地が広がりはじめました。

ただ砂漠といっても舗装された一本道が敷かれており、

かなり走行しやすくなっています。

 

向かう西のヒヴァが観光地ということもあって

10分に1台程度、車も通過するので

何かトラブルがあっても大丈夫だろうと安心して進みはじめました。

 

 

変わらぬ景色の中をひたすら走り続けるのですが、

実はこの砂漠まったく何も建物がないワケではないんです。

 

事前に走行計画を立てるため、Googleマップの衛星写真を拡大して見ていると…

砂のなかを突っ切る一筋の国道脇に集落らしきものが見えました!

 

「これが村ならば休めるはず!最悪、廃墟でもここでテントを張ろう」

と、この場所に目星を付けて期待しつつ走っていきます。

 

100km以上の距離を進み現地に辿り着くと、そこにはやはり村がありました。

周囲数十kmは何もない砂の中に突如現れた村。

500m四方ほどの土地に100軒にも満たない家が建っていました。

 

通りを散策していると、「コンニチワー」と日本語のあいさつで声を掛けられます。

声の主は家の前で作業をするお父さん。

家の床を固めるためワラと粘土を一生懸命こねています。

 

家の中を覗いてみると、床をペタペタと塗り固めるお母さん。

夫婦そろっての共同作業です。

聞くと、移り住むための家をつくっている最中だそうでした。

 

何もない砂漠のど真ん中にぽつんと佇む村でも、

新しい家が日々完成に近づいています。

 

テントを張れる場所がないか尋ねると、

「この家の前で寝ていいよ」とのことだったので、

人のいない建築中の家の前でありがたく寝床を確保させてもらいました。

 

 

一晩体を休めるとまた延々と続く砂漠の中を進んでいきました。

 

村と同じように、3~40kmおきに小さな食堂や休憩所のようなものが在り

そこで時おり身を休めます。

 

砂漠といえど9月も後半に差し掛かっていたからか、

気温は高くても28℃ほどにとどまり、猛暑というほどではありません。

キルギスでビザ待ちをして時期がズレ込んだことによる恩恵が

こんなところにあらわれます。

 

声を掛けてくれたり、手を振ってくれたりと

追い越していくドライバーたちに励まされながら漕いでいきました。

 

 

次の日の晩も、通りがかりの集落でしっかり休み

ブハラから進んだ距離が350km!

 

 

家や緑が見えはじめ、ついに砂漠が途切れたのが3日目の夕方近く、

無事に難所を渡り切ることができました。

道路わきのモーテルのベッドに倒れ込んで爆睡です。

 

 

砂漠の食堂で食べたウズベキスタン代表料理“シャシュリク”。

要は、牛や羊などの肉を串焼きにしたシンプルな料理ですが、

疲れた身体に肉の旨味がじわっと沁みわたるんです。

これは旨かったー!

 

 

 

オアシス都市ブハラ

2018.09.19 | 4 ウズベキスタン

【116日目 4,672km】

 

到着するなり首都タシケントに戻ったりとバタバタしましたが

“ブハラ”は、乾いたシルクロードの道中に在るオアシス都市として栄え、

神学校やモスクが集中していたことで多くの有識者を育成、輩出。

旧市街には数々の史跡が溢れ、

現在でも世界中からの旅行者をひきつける観光地なんです。

 

自転車を置いてのんびり観光を楽しめたので

街のハイライトをご紹介したいと思います!

 

「カラーン・ミナレット」

ブハラ旧市街を代表する建築物が、

カラーン・モスクとその傍らにある“カラーン・ミナレット”。

約900年前に建てられた高さ47mにも及ぶ塔は

中央アジア地域のイスラム建築の中でも最大の高さを誇るのだそう。

 

青い空を貫く姿が爽快ですが、かつては罪人を袋に詰め

ここから突き落とす公開処刑の場でもあったみたいです。(怖いっ。)

現在修復工事中で残念ながら上には登れませんでした。

 

 

「アルク(城)」

5世紀頃に地を収めた領主の王宮として建てられ、

ブハラで一番古い建物でもあるのが「アルク(城)」。

壮大な建築ですが、1920年にロシア赤軍に爆撃され8割が崩壊してしまいました。

 

内部は博物館になっていて、

王室や処刑場など当時の暮らしが分かるようになっています。

中央アジアに来て以来あまり見かけなかった

中国人旅行客が殺到してました…。

 

 

「チャル・ミナール」

入り組んだ住宅街の中にこじんまり佇むのが「チャル・ミナール」。

築およそ200年のこの建物はかつて傍にあった神学校の門番小屋だったらしく、

重要な役割を担う場所ではなかったみたいです。

 

しかし、ブハラでは珍しくインドの建築様式の影響下にあり

そびえる青い4つの塔が特徴的。

中はお土産屋さんになっていました。

 

 

「ボロハウス・モスク」

アルク(城)のすぐにあるこちら「ボロハウス・モスク」。

王族が祈りを捧げとき専用のモスクであったそうです。

 

外側の柱に石ではなくクルミの木を使っていたり、

砂漠の地域にも関わらず目の前に大きな池があったりと、

王族ならではの特別配慮がちりばめられていました。

 

 

「タキバザール」

小さなドームが集合して、モコモコと丸い屋根が特徴の「タキバザール」。

数百年間前から市場としてあちこちに点在していたそうですが、

旧市街には3つのバザールが現存しています。

 

その名の通り今もバザールとしての役目を果たしています。

すべてお土産屋さんで、

民族衣装、絨毯、ナイフ、スパイスなどなど

まさにシルクロードを彷彿とさせるアイテムがそろっており

貧乏旅をしている身でもついつい買い物したい気分になってしまいます。

 

 

まだまだこれだけでなく、

大きなものから小さなものまで歴史を語る貴重な建築物が

ずらっと揃っている“ブハラ”の街。

しかもその多くは旧市街中心地に密集しているので

1日もあればひと通りまわれてしまいます。

 

 

自転車で移動すれば上海からたったの3カ月。

中央アジアへのご旅行をお考えの方はぜひお立寄りください!

 

 

 

ビザをもらいに

2018.09.14 | 4 ウズベキスタン

【114日目 4,672km】

 

豪華絢爛なサマルカンドでのんびりと観光を楽しむこと3日間。

すっかり疲れも癒えてまた次の目的地を目指します。

 

 

山がほとんどなく、とにかく平坦な道が続くウズベキスタン。

 

この日、100kmあまりを走り

夕方たどり着いた小さな町でお腹を満たすべく

レストランはないかと通りすがりの人に尋ねたところ、

指された方には看板も何もない倉庫のような建物がありました。

 

 

こんなところで食事が出るのかと疑いながらも中に入ると、

いくつかのテーブルが並び奥にはキッチンもありました。

メニューなんてものもなく、適当に食べれるものちょうだいと注文します。

 

出されたスープを食べていると、

「どうせ泊まるとこもないんだろうから、ここで寝てけよ。」

と優しく声をかけてくれるマスター。

 

食べ終えて案内されたのは隣の部屋で、モノが雑多に置かれた倉庫です。

ネズミがごそごそ走り回る音を聞きながら、

年季の入ったベッドで朝までゆっくり寝かせてもらいました。

 

ついに頼んですらないのに寝床を提供してもらえるようになりました。

新しい場所にたどり着くたびに、恩を受け取るばかりです。

 

 

 

さらに2日かけて目的地の“ブハラ”にたどり着きました。

暑いなか走り続けたことが祟ったのか、

到着と同時に熱が出て寝込んでしまう始末。

確実に体力を奪われているのを感じます。

 

 

しっかり休んでから、

いざ“サマルカンド”と並ぶシルクロードの要所を観光したいところでしたが

実はその前に、首都“タシケント”に戻って申請中の隣国トルクメニスタンの

ビザを受け取るという重要ミッションをこなさなければなりません。

 

自転車では時間が掛かりすぎるので、ここは列車を使っての移動です。

早速タシケントに向かおうと駅に着けば

そこには新幹線のように先のとんがった立派な電車が!

と興奮したのですが、実際乗るのは奥の普通の電車でした。

 

がっかりしたのも束の間で、内装は意外としっかりしていて

個室にはクッションやら新聞やらバッチリおもてなしモードでした。

(上級座席しか残ってなかったので…)

 

乗り慣れぬ電車に揺られ、夜にはタシケント到着。

計6日間かけてやってきた道をわずか6時間ほどで戻ってしまいました。

 

 

明くる日、トルクメニスタン大使館に向かいます。

移動で疲れていることもありのんびり休みたいところですが

この日は早起きする必要があります。

開館時間は9時なのですが、

早朝6時に門の前に置かれる紙に自分の名前を書いて

順番を予約する必要があるのです。

 

予約せず9時に向かうと

こんなにもたくさんの人だかり↓の中で待たされた挙句、

運が悪ければ「今日はもうビザ処理やんなーい!」と相手にされないこともあるとか。

変なルールだ。

6時10分に到着して名前を書くと順番はすでに10番目!

皆さん予想以上に早いです。

 

改めて9時に向かうと予約していたこともありすんなり中に入れました。

そして、簡単な書類記入とビザ代55ドルを支払うと

無事にトルクメニスタンビザ取得です!

 

世界を飛びまわる旅人たちのなかでもビザ取得には骨が折れると評判の中央アジア。

これでひと通り取得完了です。

 

あとは安全に自転車で通過するのみ!

 

 

 

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