Cycling The Earth ~自転車世界一周の旅~

日記

謎深きトルクメニスタン

2018.09.30 | ウズベキスタン トルクメニスタン

【127日目 5,198km】

 

 

砂漠の聖都“ヒヴァ”での滞在を終えると

いよいよウズベキスタンともお別れ。

わずか60kmほど西にある国境を目指します。

 

 

国境の向こうに待ちかまえる次の国は“トルクメニスタン”。

中央アジア最後の国となります。

 

実はこのトルクメニスタンという国、

・故ニヤゾフ大統領時代より続く独裁政治

・旅程詳細を申請の上、ガイド付きでなければ観光旅行不可

・報道の自由度世界ワースト3位

 

これらのことから

「中央アジアの北朝鮮」とも呼ばれ、

極めて閉鎖的な国として知られています。

 

ただ入国することがまったく不可能なわけではなく

他の国へ向かうための経由地としてであれば5日間滞在することが認められており、

シルクロードを辿って旅をしているものとしては

通らざるを得ない場所にあります。

 

実際に、近年「地獄の門」なる観光スポットが人気で

多くの旅人が訪れているんです。

(絶景ですが、今回は行っていないので気になる人は検索!)

 

 

当初、自転車で縦断することを予定していたのですが

5日間という期限付きであることから断念してしまいました。

 

ということで、

お昼前頃にウズベキスタン-トルクメニスタン国境を

予想以上にスムーズに超えた後、

待ち構えていたタクシーを捕まえました。

(というか捕まりました。)

 

南のイラン側国境付近の首都アシガバードまで40ドル。

トヨタセダンの後部座席に何とか自転車を押し込むと

ドライバーは勢いよく走りだします。

 

道のりのほとんどはウズベキスタンでも散々見てきたような砂漠ばかり。

国土の85%が砂で埋め尽くされており、

人が住むのは国境付近の端のあたりだけだそう。

 

 

7時間ほどのドライブの末、目的地のアシガバードに着いたのが夜8時ごろ。

野宿は当然許可されておらず、

外国人が宿泊できるホテルも限られています。

 

いくつか安宿に目を付けていたのですがすべて満室で断られ、

たどり着いたのが1泊80ドル(1万円弱)の高級ホテル。

今回の旅で最高額の宿です。

 

夕食をとろうとホテルのレストランに向かうと、

30人程のスーツを着た大人たちが円卓を囲み大宴会をしておりました。

こちらの姿を見つけると、

「こっちおいで!」と無理やり椅子に座らされます。

 

次々と出される料理をつまみながら、

「どっから来たんだ?」「どんな旅をしてるんだ?」と、

酔っ払いたちから矢継ぎ早の質問。

 

何となく打ち解けたと感じた頃合いを見はかり

一緒に写真を撮ってもいいかと聞くと、

「ダメだ。カメラをしまいなさい」と忠告されてしまいました。

さっきまで機嫌よく話していたのに断られるとは…。

 

 

公的機関などの撮影が固く禁じられていることは聞いていました。

街中で白昼堂々とカメラを構えているとたちまち公安がやってきて

データの削除を命令するそうです。

 

そしてどうやらこのスーツのおじさん達も撮影禁止。

何者だったんだろう…。

終わりの見えない宴会の隙を突き、トイレに行くふりをして逃げ出しました。

 

 

どことなく窮屈さを感じつつこの日は就寝。

高級ホテルにもう1泊できるはずはなく、

ろくに観光もしないまま翌日トルクメニスタンを後にすることになりました。

 

 

聖都ヒヴァ

2018.09.27 | ウズベキスタン

【122日目 5,138km】

 

 

3日間かけてわたりきった砂漠の果てにたどり着いた小さなモーテル。

そこからさらにいくつかの町を通り抜け100kmあまりを進むと

国境近くの町“ヒヴァ”にたどり着きました。

 

サマルカンド、ブハラに並ぶウズベキスタン屈指の観光地でもあり、

同じように神学校やモスクを中心とした旧市街が見どころのこの町。

実は、ウズベキスタンで一番楽しみにしていた場所でもあります。

 

中世には国の首都でもあったというヒヴァ。

非常にこじんまりした町ですが、魅力がギュッと詰まった渋いトコロです。

 

泉が湧き出ることから砂漠の中のオアシスとして栄えたヒヴァですが、

その特徴ともなっているのが

1000年前ごろから建てはじめられたという城壁。

町をぐるりと囲んでいる土を塗り固めた壁の高さは10mにも及びます。

城壁が囲む旧市街は、

1km四方ほどなのでのんびり散歩しながら回れるほどの大きさ。

 

メインゲートである西門をくぐればいよいよ旧市街。

城壁に囲まれた内側は“イチャン・カラ”と呼ばれ、

町全体が世界遺産にも指定されています。

 

通りにはお土産屋がずらっと並び、

各国の旅行者が散策する様子が目に留まります。

レンガ造りの建物がイスラムの雰囲気をぐっと演出しています。

堂々たるマドラサ(神学校)も、

現在は内部がお土産屋さんやレストランとなっています。

 

イチャン・カラに複数ある塔の中で最も高いものが

“イスラーム・ホジャ・ミナレット”で45mほど。

ヒヴァの象徴でもあり、頂上は見張り台になっていて登ることができるんです。

 

 

町をぶらぶら散歩していると人だかりと何やらにぎやかな声が聞こえました。

 

近寄ってみると、スマホのカメラを向ける人々の向こうに

メガホンを握る監督とカチンコを鳴らすスタッフが!

どうやら映画か何かの撮影のようです。

 

時間をおいた別の場所でもまた撮影現場に出くわしました。

剣を携えた大勢の騎士たちが「ヤァアーーッ!」と叫びながらぶつかり合います。

 

やはり歴史ある景観地区だからでしょうか、

確かにどこを撮っても画になります。

 

 

旧市街の中心を少しはずれるとレンガ造りの民家が多く立ち並びます。

静かな路地を歩くと、現地で暮らす住民の方にもたくさんすれ違いました。

現在でも、城壁の中で3,000人ほどの人々が生活しているそう。

 

ヒヴァの町でとにかくよく見かけるのがタキシードとドレスの新郎新婦。

ポージングをするカップルとそれを取り巻く親戚とカメラマンたち。

みんな楽しそうだし、幸せそう。

 

 

おそらく近くで式も挙げると思うのですが、

やはりウズベキスタンの人たちにとっても特別な場所なのだと感じます。

 

 

 

イスラーム・ホジャ・ミナレットから見下ろす夕暮れのヒヴァ。

砂でかすんで遠くは見えないのですが、

オレンジに染まる町は風情たっぷりです。

 

いよいよウズベキスタンもこの町で最後。

こんな素晴らしい景色を求めてどんどん前に進んでいきます!

 

 

 

砂漠を渡る

2018.09.23 | ウズベキスタン

【120日目 5,022km】

 

 

しばらくブハラでの滞在を楽しんでから、

ウズベキスタン最後の街“ヒヴァ”に向かって再びペダルを漕ぎだします。

 

 

ユーラシア大陸の中央に位置するウズベキスタンの領土ですが、

実はその多くを占めるのは砂漠。

なんと国土の80%ほどにも及ぶそうです。

 

山が少ないことからここまで自転車で進むことも容易でしたが、

ブハラからヒヴァの間には“キジルクム砂漠”という難関が待ち構えており、

400kmあまりの移動のうち約300kmは砂漠のなかを走ることとなります。

 

無事越えられるだろうかという不安の反面、少しワクワクもしつつ走りはじめました。

 

ブハラを離れ50kmほどすると家屋はほとんど無くなり、

乾いた砂の大地が広がりはじめました。

ただ砂漠といっても舗装された一本道が敷かれており、

かなり走行しやすくなっています。

 

向かう西のヒヴァが観光地ということもあって

10分に1台程度、車も通過するので

何かトラブルがあっても大丈夫だろうと安心して進みはじめました。

 

 

変わらぬ景色の中をひたすら走り続けるのですが、

実はこの砂漠まったく何も建物がないワケではないんです。

 

事前に走行計画を立てるため、Googleマップの衛星写真を拡大して見ていると…

砂のなかを突っ切る一筋の国道脇に集落らしきものが見えました!

 

「これが村ならば休めるはず!最悪、廃墟でもここでテントを張ろう」

と、この場所に目星を付けて期待しつつ走っていきます。

 

100km以上の距離を進み現地に辿り着くと、そこにはやはり村がありました。

周囲数十kmは何もない砂の中に突如現れた村。

500m四方ほどの土地に100軒にも満たない家が建っていました。

 

通りを散策していると、「コンニチワー」と日本語のあいさつで声を掛けられます。

声の主は家の前で作業をするお父さん。

家の床を固めるためワラと粘土を一生懸命こねています。

 

家の中を覗いてみると、床をペタペタと塗り固めるお母さん。

夫婦そろっての共同作業です。

聞くと、移り住むための家をつくっている最中だそうでした。

 

何もない砂漠のど真ん中にぽつんと佇む村でも、

新しい家が日々完成に近づいています。

 

テントを張れる場所がないか尋ねると、

「この家の前で寝ていいよ」とのことだったので、

人のいない建築中の家の前でありがたく寝床を確保させてもらいました。

 

 

一晩体を休めるとまた延々と続く砂漠の中を進んでいきました。

 

村と同じように、3~40kmおきに小さな食堂や休憩所のようなものが在り

そこで時おり身を休めます。

 

砂漠といえど9月も後半に差し掛かっていたからか、

気温は高くても28℃ほどにとどまり、猛暑というほどではありません。

キルギスでビザ待ちをして時期がズレ込んだことによる恩恵が

こんなところにあらわれます。

 

声を掛けてくれたり、手を振ってくれたりと

追い越していくドライバーたちに励まされながら漕いでいきました。

 

 

次の日の晩も、通りがかりの集落でしっかり休み

ブハラから進んだ距離が350km!

 

 

家や緑が見えはじめ、ついに砂漠が途切れたのが3日目の夕方近く、

無事に難所を渡り切ることができました。

道路わきのモーテルのベッドに倒れ込んで爆睡です。

 

 

砂漠の食堂で食べたウズベキスタン代表料理“シャシュリク”。

要は、牛や羊などの肉を串焼きにしたシンプルな料理ですが、

疲れた身体に肉の旨味がじわっと沁みわたるんです。

これは旨かったー!

 

 

 

オアシス都市ブハラ

2018.09.19 | ウズベキスタン

【116日目 4,672km】

 

到着するなり首都タシケントに戻ったりとバタバタしましたが

“ブハラ”は、乾いたシルクロードの道中に在るオアシス都市として栄え、

神学校やモスクが集中していたことで多くの有識者を育成、輩出。

旧市街には数々の史跡が溢れ、

現在でも世界中からの旅行者をひきつける観光地なんです。

 

自転車を置いてのんびり観光を楽しめたので

街のハイライトをご紹介したいと思います!

 

「カラーン・ミナレット」

ブハラ旧市街を代表する建築物が、

カラーン・モスクとその傍らにある“カラーン・ミナレット”。

約900年前に建てられた高さ47mにも及ぶ塔は

中央アジア地域のイスラム建築の中でも最大の高さを誇るのだそう。

 

青い空を貫く姿が爽快ですが、かつては罪人を袋に詰め

ここから突き落とす公開処刑の場でもあったみたいです。(怖いっ。)

現在修復工事中で残念ながら上には登れませんでした。

 

 

「アルク(城)」

5世紀頃に地を収めた領主の王宮として建てられ、

ブハラで一番古い建物でもあるのが「アルク(城)」。

壮大な建築ですが、1920年にロシア赤軍に爆撃され8割が崩壊してしまいました。

 

内部は博物館になっていて、

王室や処刑場など当時の暮らしが分かるようになっています。

中央アジアに来て以来あまり見かけなかった

中国人旅行客が殺到してました…。

 

 

「チャル・ミナール」

入り組んだ住宅街の中にこじんまり佇むのが「チャル・ミナール」。

築およそ200年のこの建物はかつて傍にあった神学校の門番小屋だったらしく、

重要な役割を担う場所ではなかったみたいです。

 

しかし、ブハラでは珍しくインドの建築様式の影響下にあり

そびえる青い4つの塔が特徴的。

中はお土産屋さんになっていました。

 

 

「ボロハウス・モスク」

アルク(城)のすぐにあるこちら「ボロハウス・モスク」。

王族が祈りを捧げとき専用のモスクであったそうです。

 

外側の柱に石ではなくクルミの木を使っていたり、

砂漠の地域にも関わらず目の前に大きな池があったりと、

王族ならではの特別配慮がちりばめられていました。

 

 

「タキバザール」

小さなドームが集合して、モコモコと丸い屋根が特徴の「タキバザール」。

数百年間前から市場としてあちこちに点在していたそうですが、

旧市街には3つのバザールが現存しています。

 

その名の通り今もバザールとしての役目を果たしています。

すべてお土産屋さんで、

民族衣装、絨毯、ナイフ、スパイスなどなど

まさにシルクロードを彷彿とさせるアイテムがそろっており

貧乏旅をしている身でもついつい買い物したい気分になってしまいます。

 

 

まだまだこれだけでなく、

大きなものから小さなものまで歴史を語る貴重な建築物が

ずらっと揃っている“ブハラ”の街。

しかもその多くは旧市街中心地に密集しているので

1日もあればひと通りまわれてしまいます。

 

 

自転車で移動すれば上海からたったの3カ月。

中央アジアへのご旅行をお考えの方はぜひお立寄りください!

 

 

 

ビザをもらいに

2018.09.14 | ウズベキスタン

【114日目 4,672km】

 

豪華絢爛なサマルカンドでのんびりと観光を楽しむこと3日間。

すっかり疲れも癒えてまた次の目的地を目指します。

 

 

山がほとんどなく、とにかく平坦な道が続くウズベキスタン。

 

この日、100kmあまりを走り

夕方たどり着いた小さな町でお腹を満たすべく

レストランはないかと通りすがりの人に尋ねたところ、

指された方には看板も何もない倉庫のような建物がありました。

 

 

こんなところで食事が出るのかと疑いながらも中に入ると、

いくつかのテーブルが並び奥にはキッチンもありました。

メニューなんてものもなく、適当に食べれるものちょうだいと注文します。

 

出されたスープを食べていると、

「どうせ泊まるとこもないんだろうから、ここで寝てけよ。」

と優しく声をかけてくれるマスター。

 

食べ終えて案内されたのは隣の部屋で、モノが雑多に置かれた倉庫です。

ネズミがごそごそ走り回る音を聞きながら、

年季の入ったベッドで朝までゆっくり寝かせてもらいました。

 

ついに頼んですらないのに寝床を提供してもらえるようになりました。

新しい場所にたどり着くたびに、恩を受け取るばかりです。

 

 

 

さらに2日かけて目的地の“ブハラ”にたどり着きました。

暑いなか走り続けたことが祟ったのか、

到着と同時に熱が出て寝込んでしまう始末。

確実に体力を奪われているのを感じます。

 

 

しっかり休んでから、

いざ“サマルカンド”と並ぶシルクロードの要所を観光したいところでしたが

実はその前に、首都“タシケント”に戻って申請中の隣国トルクメニスタンの

ビザを受け取るという重要ミッションをこなさなければなりません。

 

自転車では時間が掛かりすぎるので、ここは列車を使っての移動です。

早速タシケントに向かおうと駅に着けば

そこには新幹線のように先のとんがった立派な電車が!

と興奮したのですが、実際乗るのは奥の普通の電車でした。

 

がっかりしたのも束の間で、内装は意外としっかりしていて

個室にはクッションやら新聞やらバッチリおもてなしモードでした。

(上級座席しか残ってなかったので…)

 

乗り慣れぬ電車に揺られ、夜にはタシケント到着。

計6日間かけてやってきた道をわずか6時間ほどで戻ってしまいました。

 

 

明くる日、トルクメニスタン大使館に向かいます。

移動で疲れていることもありのんびり休みたいところですが

この日は早起きする必要があります。

開館時間は9時なのですが、

早朝6時に門の前に置かれる紙に自分の名前を書いて

順番を予約する必要があるのです。

 

予約せず9時に向かうと

こんなにもたくさんの人だかり↓の中で待たされた挙句、

運が悪ければ「今日はもうビザ処理やんなーい!」と相手にされないこともあるとか。

変なルールだ。

6時10分に到着して名前を書くと順番はすでに10番目!

皆さん予想以上に早いです。

 

改めて9時に向かうと予約していたこともありすんなり中に入れました。

そして、簡単な書類記入とビザ代55ドルを支払うと

無事にトルクメニスタンビザ取得です!

 

世界を飛びまわる旅人たちのなかでもビザ取得には骨が折れると評判の中央アジア。

これでひと通り取得完了です。

 

あとは安全に自転車で通過するのみ!

 

 

 

青の都

2018.09.10 | ウズベキスタン

【107日目 4,398km】

 

トルクメニスタンのビザ申請を終え、

首都タシケントを後に再び南に向けて進んでいきます。

 

道を進んでいると声を掛けてきたのは路上のメロン商人たち。

カザフスタンではスイカを売る人たちに助けられましたが、今度はメロンです。

自転車を停めるなり、おじさんたちは切り出したメロンを差し出してくれました。

 

中央アジアではラグビーボールのような楕円形をしたメロンが主流。

荒涼とした大地が広がるウズベキスタンで獲れるメロンは、

昼夜の温度差が大きいことで果肉に甘みがギュッと凝縮されるそうです。

 

噂に違わぬその美味しさに大満足し、

差し出されるまま山ほどいただきました。ごちそうさまでした。

さらに、去り際には2玉タダでくれるという大サービス。

走行に影響が出るほどずっしり重いメロンをたずさえて、再び走り出します。

 

 

安定した舗装路を進み、途中の小さな町で休みをとりながら進むこと3日。

いくつもの丘を越え、次なる目的地にたどり着きました。

 

 

街の名前は“サマルカンド”。

ここはウズベキスタン随一の観光地でもあります。

 

街の真ん中に佇むのが見どころの一つである“レギスタン広場”。

“マドラサ”と呼ばれる神学校として500~400年前に建てられ、

破損と修復を繰り返しながら現在のかたちに至るのだそう。

 

かつては交易の要所として栄えたサマルカンドの経済的中心地であり

バザールが開かれる場所でもあったそうです。

 

その豪華絢爛な外観、繊細なタイルの模様など

いかにもシルクロードの繁栄を象徴している建造物です。

細かく華やかに彩られた、煌びやかな内装。

思えば今回の旅で歴史的に重要なイスラム建築を目にするのは初めてで、

これから奥深いイスラム世界の土地に飛び込んでいくことを予感させてくれます。

 

さらに中心部から少し離れた場所にあるのが“シャーヒ・ズィンダ廟群”。

この地にイスラム教を持ち込み反映させた領主達の霊廟であり、

神殿でもあるこの場所。

やはり、豪華な装飾で華やかに彩られています。

 

これらの他にも華やかなモスクなどがそびえるサマルカンド。

文明発展に貢献した重要な文化交差路として世界遺産にも登録されているこの街は

装飾の鮮やかなブルーのタイルと透き通るような青空から、

“青の都”とも呼ばれています。

 

最近観光地としてますます人気が増しているそうで、

日本人旅行者の方とも沢山お会いしました。

 

 

カラフルにライトアップされる夜のレギスタン広場。

 

 

夜の宿で道中貰ったメロンを食べることを楽しみにしてました。

しかし、自転車にしっかりくくり付けていたはずのメロンが

到着する前どこかでコロリと落下して無くなってたんです。

 

またどこかで貰えますように!

 

 

 

4ヵ国目ウズベキスタン

2018.09.5 | ウズベキスタン カザフスタン

【101日目 4,059km】

 

カザフスタン最後の都市“シムケント”を発って

100kmあまり南にある国境ゲートを目指します。

 

 

連日100km以上に及ぶ距離を走ってきましたが、

あまり景色に代わり映えはなくとにかく目の前に広がるのは何もない荒野。

綺麗な舗装路を快調に走れるのはいいですがちょっと退屈…。

 

 

早朝に出発し、お昼過ぎにはカザフスタン~ウズベキスタン国境に到着。

 

 

沢山の車が行列をなしており、この後ろに並ぶのかと嫌な予感がします。

先に進んでみると、係員が「自転車はコッチ!」と別の道を案内してくれました。

列に巻き込まれなくていいんだとホッとしたのも束の間、

係員が指さした先には数え切れないほどの人たちが!

 

そこは徒歩で国境を超える人専用の道でした。

2m幅ほどの通用口になだれ込む人々はもはや列をなしておらず、

我先にと群衆に身を投じなければ先には進めない状況。

 

「でっかい荷物と自転車あるし、通れるワケないじゃん!」と訴えても、

係員には「いやいや、君もここから通過してね。」と言われるばかり。

自転車携えて通勤ラッシュの電車に乗り込むようなもんです。

 

 

覚悟を決めて人だかりに飛び込むと、身体も自転車も揉みくちゃにされました。

ブーブー文句を言われながら、ジロジロ睨まれながらかろうじて進んでいきます。

 

カザフスタン出国審査からのウズベキスタン入国審査。

そして、最後は荷物検査。

1時間強ほどかかってボロボロになりながら

何とか無事に国境を超えることができました…。

 

 

国境からわずか10kmほど進むと首都“タシケント”に到着です。

これまでの広大な荒野が嘘かと思うほどの大都会が現れました。

 

旅人の間でもウズベキスタン名物として知られるのが

かさばってしまう大量の紙幣。

1円=約70スムということで、

およそ1万円を両替すると写真の通り1万スム札が70枚にも及びます。

 

財布にもおさまらず邪魔で仕方ないですが

大量のお札をパタパタなびかせ、しばしの富豪気分を楽しみたいと思います。

 

 

今後はウズベキスタンを渡りイランに向かうわけですが、その前に立ちはだかるのが

「中央アジアの北朝鮮」の異名をとる“トルクメニスタン”。

あまり観光客に対してもオープンな国ではないですが

ここタシケントでトルクメニスタンのビザを取得しておく必要があります。

 

タシケント到着翌日の早朝、大使館へ向かうと

申請用紙に記入をして思いのほかスムーズに申請作業は終了。

あとは無事発行されるのを待つのみ。

(イランの時みたいに待たされませんように!)

 

発行までしばらく時間が掛かる様なので

自転車で次の街に向かってしまおうと思います。

 

 

ということで4ヵ国目ウズベキスタン、はじまり!!

 

 

 

キルギス脱出、再びカザフスタン

2018.09.1 | カザフスタン キルギス

【100日目 3,923km】

 

 

キルギスの首都ビシュケクに留まること3週間、

遂にイランビザが発行されました!

 

 

夏の休暇時期と被ったとはいえ、あまりに時間が掛かったので

このまま入国拒否されるのではないかという不安もよぎりましたが

無事、先へと続く道は開けました。

 

予定スケジュールよりも若干遅れているので、

荷物をまとめて早速出発です。

思わぬ長逗留に体がなまってしまったのか、踏み込むたび重く感じるペダル。

それでもなんとか進みつつ、大きな荷物を運ぶ感覚を取り戻していきます。

 

首都ビシュケクから西に向かって90kmほど、

お昼過ぎにはキルギス~カザフスタン国境にたどり着きました。

交通量の多い主要道路ということもあり混雑している様子でしたが

意外にスムーズに流れ大きなトラブルもなく難なく通過。

 

緑と青が美しい自然豊かな小国キルギス、

多くの思い出を噛みしめつつ、ここでお別れです。

 

 

およそ1か月ぶりに再入国したのはカザフスタン。

人々の表情や言葉に大きな違いがないので別の国だとは感じませんが…。

 

国境から進むこと30kmほどのところ。

この日、野宿する予定だった“メルケ”という町が予想以上に栄えており

キャンプ場所を見つけるのが難しそうなのでホテルを探すことにしました。

 

そこで、

道端のスイカ売りの青年たちにホテルがないか尋ねると、

「ここで寝てけよ。」

思わぬカタチで寝床を確保してしまいました。

 

ピラミッドのように高く積まれたスイカの山。

それらが道路脇にずらっと並んでおります。

このスイカたちを見守るため、すぐ横に毛布を敷いて当番が寝るのだそうです。

 

 

道路には車がビュンビュン走ってますが、疲れていれば気にせず爆睡できるもの。

 

ただ、中央アジア定番の果物であるスイカは大人気。

すっかり夜は更けて深夜になっても

路肩に車を止めたドライバーたちが次々に買っていきます。

 

まるまる1玉食べさせてもらいましたが

水分たっぷりのスイカはかなり甘くて美味しかったです。

 

 

夜を明かし路上のスイカ商人たちに別れを告げると、

再び西に向かって、乾いた中央アジアの大地をひたすら進みます。

 

 

この日の夕暮れにたどり着いたのは、“シャクパク・ババ”という村。

道路の両脇に100軒ほどの家が集まっただけの小さな集落でした。

 

道で遊んでいた子どもたちが

たくさんの荷物を積んだ自転車に興味を持ってくれます。

「テントを張りたいんだけど、この辺オオカミ出ないかな?」

ジェスチャーで何とか伝えると

「家の庭で寝ればいいじゃん!」と、あるお家に連れていかれました。

 

 

「このヤポーニャ(日本人)泊めたげて」と、

親に直談判してくれる頼もしい子どもたち。

 

すんなり許しをくれて、庭にベッドをこしらえてくれたのは

この家でかなり強い発言権を持っていると思しきおばあちゃん。

お父さんでもおじいちゃんでもなく、おばあちゃん。

 

空気の澄み切った星空の下、ぐっすり眠ることができました。

 

好奇心たっぷり、元気いっぱいの子どもたち。

見知らぬ外国人にも臆することなく、優しく受け入れてくれました。

 

 

道路の脇に建つモーテルでも身を休めつつ、

ビシュケクから4日間かけてたどり着いたのはカザフスタン南部の都市“シムケント”。

旅に出てからちょうど100日目でした。

 

 

そして、

すぐ近くの国境の向こうに待つのは、4カ国目ウズベキスタンです!

 

 

 

ビザが出ない…

2018.08.25 | キルギス

  • 【93日 3,446km】

 

当初2~3週間の滞在を予定していたキルギスですが、

気がつけば入国してから5週間目をむかえようとしています。

 

8月のはじめに首都ビシュケクに到着してすぐ

旅行代理店にてイランのビザを申請。

キルギスに駐在している担当者が休暇中らしく

発行まで10日ほどかかってしまうとのことでした。

「夏だしね。まぁ、仕方ない仕方ない。」

と大人しく待っていました。

 

標高が高いとはいえ、気温が35℃ほどにもなるキルギスの夏。

暑さと戦いつつ、

同じくビザ発行を待ちわびる日本の旅の方々と時間を過ごしました。

 

 

10日が過ぎてもビザの連絡が来ないので確認に行くと、

「もう1週間かかります。」

今度はイラン本国の担当部署が休暇に入ってしまったとのこと。

 

休暇シーズンに訪れてしまったタイミングの悪さを悔やみつつも、

こみあげてくるのは旅を進められないもどかしさ。

走行距離が伸びない日々が続きます。

旅人でありながら旅をしない、旅用語でいうところの「沈没」状態です。

 

 

ということで、何もせずムダに過ごすこともできないので

キルギス各所の観光に行ってみました。

 

 

■ブラナの塔

 

数少ないキルギスの世界遺産の一つがコチラ。

平原に立つ20mほどの塔は

1,000年ほど前に栄えた都市・ベラサグンの遺跡で

シルクロードの象徴の一つでもあるそうです。

 

 

■アニマル・マーケット

 

キルギス東部の都市・カラコルで毎週日曜日の早朝に

家畜たちの売買がおこなわれる市場。

大勢の人と家畜でいっぱいの会場は熱気とケモノの臭いに溢れています。

 

 

売られる家畜は主にヒツジ、牛、馬。

ヒツジ1頭=約6,000円

牛1頭=約80,000円

馬1頭=約120,000円

 

買われた家畜はよその土地に連れていかれるのを予感するのか、

呻き声をあげて暴れるものもいます。

 

 

■アルティン・アラシャン

カラコルの町から少し離れたところにある登山口から

15kmほどにわたるトレッキングルート。

 

ヨーロッパを中心に様々な国からやってきたハイカーたちが

大きなザックを背負って黙々と歩いています。

 

ゴツゴツとした岩場や砂利道を、

時には急斜面を登りつつ

およそ4時間に亘って進み続けました。

 

 

たどり着いた谷は“アルティン・アラシャン”。

川が流れる山間にキャンプサイトやゲストハウスが並びます。

現地語で“黄金の温泉”を意味するその名の通り

ここでの名物は温泉!

 

「ぬるい」「お湯が汚い」などの前評判もあり

あまり期待はしてなかったんですが、

貸し切りの小さな浴槽のお湯は予想に反して熱々で綺麗です。

日本を出て以来3カ月ぶりのお風呂は体の芯まで癒してくれました。

 

 

という感じで、時間を潰すように色々な場所へ行ってますが

ぼちぼちキルギスもお腹いっぱいです…。

 

いつになれば先に進めるのか。

大使館の人、ビザ早くちょうだい。

 

 

 

首都ビシュケク

2018.08.8 | キルギス

【76日目 3,446km】

 

 

秘境「ソンコル湖」での滞在を終え、はるか下界を目指します。

 

湖の周辺エリアは未舗装のオフロードが続きスピードもなかなか出ません。

加えて、アップダウンの多い丘によって体力が着実に奪われていきます。

 

ハンドル操作もままならない急こう配を下りつつ、

ガイドブックにも載らない小さな町で休みつつ、

3日かけて、何とか麓の町“コシュコル”に戻ってきました。

 

キルギス山間部のハイライトを終え、

首都の「ビシュケク」を目指します。

 

 

キルギス最後の目的地となるであろうビシュケクに向かって

ある山を登り、峠を越えようとしたまさにその時、

ふと男性の集団が声を掛けてきました。

 

「ヘイ、フレンド。どこに向かってるんだ?」

これまで幾度となく聞かれた質問に、さらっと答えて進もうとしたとき

意外な言葉が…。

「ちょっとインタビューさせてもらってもいいかな?」

 

実は彼ら、

キルギスで一番の人気を誇るインターネット番組(自称)の撮影クルーでした。

 

「なぜ世界を旅しているのか?」

「キルギスの感想はどうか?」

「トラブルに遭ったことはないか?」

「一番の旅の思い出は?」 …などなど

矢継ぎ早の質問を受けたあと、

ヘルメットにカメラを装着され、頭上にはドローンが飛び始めました。

イメージ映像の撮影だそうです。

 

30分ほどで突然の撮影は終了。

編集が終わって公開するときには連絡をくれるとのことでした。

(まだきてないけど…。)

思わぬ出会いがあるもんですね。

 

引き続き西へと走り、コシュコルから2日かけて辿り着いたのが

キルギスの首都「ビシュケク」。

特にこれといって見どころもない街ですが、

今後訪問予定の国のビザを取得するという重大なミッションを果たします!

 

 

滞在しているのが日本人オーナーの経営する“さくらゲストハウス”。

これまでまったく関わりのなかった日本人バックパッカーの方々とも交流。

重要な情報交換の場にもなっています。

 

 

到着翌日、ビザの申請をおこなうため旅行代理店へ行くと、

「大使館の人が夏休み入っちゃったんでビザ出るの10日後です。」

 

思い通りに進まないことなんていつものこと。

早く先に進みたくて仕方ないんですが、

この街で足止めを食らうことが決定しました。

 

 

てことで、しばらくココでのんびりしまーす!

 

 

 

 

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