2025.01.11
【268日目 14,337km】
南米大陸自転車旅における最大の難所ともいえる
「宝石の道」を走り始めて2日目。
オンダ湖湖畔のテントで目を覚ますと
空気はパリッと冷え込んでおり
湖面はうっすらと氷が張っていました。
後ほど調べると-3℃くらいだったろうと推測されます。
朝食は世界一ワクワクしない食材
オートミールでございます。
ココア粉末をまぜて甘めに頂くんだけど
オートミールってどうやっても美味しくない…。
初日が予想以上に
スムーズに進めたものだから
気持ち良く走り出したものの、
湖を離れるといよいよ
宝石の道の厳しさが
その牙をむき始めました。
それがこの深い砂。
総重量60kgに迫るであろう
自転車はズイズイと沈んでいき
押すことも大変。
ハンドルと後部の荷台を掴み
必死でなんとか前進する。
たまに砂が浅くなるエリアで
自転車を寝かせ休憩。
気温は20℃に届かないだろうけど
直射日光を避ける場所など
ほとんど無く、
ジリジリと照らされるのが辛い。
昼過ぎにはこの日一番の
深砂地帯へ。
複数の轍どれをえらんでも
砂からは逃げられない。
1km前進するのに
30分も掛かってしまいます。
そこを過ぎると、
今度は急斜面に石がゴツゴツと転がるガレ場。
踏んばる足も石と砂で滑ってしまい
なかなかまっすぐに進むことが出来ない。
押して進むことに疲れ
ゼエゼエと肩で息をするのが止まらない。
標高4,500mの高所では
深呼吸でも酸素をわずかにしか取り込めない。
ここでツアーのランドクルーザーに
何台も追い抜かれます。
手を振ってくれたり、
スマホで撮影されたり。
可能な限りは笑顔で手を振り返すけど
しんどい時は完全なる無視。
斜面を登り切るとまた深い砂の
平原が広がっています。
変わらない景色の中に
目印になるものは無く
「何とかあそこまで」と
モチベーションを保つことも難しい。
それでも何とか30km程度
進んだ夕方4時。
目標にしていた
砂漠の中のホテルに到着。
西欧を中心としたツアー客向けの
リゾートホテルです。
1万円以上もするホテルに
泊まることはできず、
敷地内にテントを張らせてもらう。
ここでの目的は水をもらうこと。
こうしたポイントが2日に1回は
あるので、乾き切ることなく進めます。
ツアーの運転者やガイドさんが
泊まる予備棟の陰で
寝させてもらうことに。
「お前さっき追い抜いたぞ」と
ものすごく感心されるのが
当たり前になりつつある。
前日に引き続きパスタ。
首都ラパスで日本人の
バックパッカーの方にもらった
お茶漬けの素がここで役に立つ。
感激するほど美味しくもないけど
何より茹でてかけるだけなのが楽。
「宝石の道」3日目。
荷物をまとめると今日も
広大な砂漠へ向けペダルを踏み込んでいきます。
赤茶色の砂地が
どこまでも広がる砂漠では、
実際以上に傾斜がキツく見える
傾向がある気がする。
いざ走ってみると意外に
緩やかなのが嬉しい。
出発2時間の所で
宝石の道はじめてのパンク。
“コルゲーション”と呼ばれる
車の通過により洗濯板状に
波打った轍のせいで、
後輪に衝撃が加わったもよう。
パンク修理作業中にカサコソと
音が鳴る方へ目をやると、
ウサギを発見。
観光客が捨てたであろう
乾燥しきったリンゴを食べてました。
こんな砂漠でたくましい、と感心。
ランチ代わりのクッキー。
たったこれだけの軽食でも
「あと1時間後にしよう」
「2枚じゃなくて1枚にしとこう」
と先をいろいろと考えながら、
砂漠の旅を進めていきます。
多くの場合、ランクルが残した轍は
複数に枝分かれしています。
「右の方が砂が浅そうだな…」と
一方を選んで進みだすと、
全然そんなことなくて後悔したりと
まるで“あみだくじ”の様。
前日ほど砂にはまって苦戦することなく
目的の場所に到着。
不思議な岩がゴロゴロ転がるアタカマ砂漠の名所です。
午後3時の時点で走行距離は30km。
これくらいが宝石の道での
1日当たりの平均走行距離になりそう。
似たような景色が続く砂漠における
ひとつの見所にもなっている「奇岩群」。
普通といえば普通の岩なんだけど
何もない砂漠にあると
それなりに面白い景色に見えます。
今日はここで1泊。
方々で写真を撮る観光客の
人たちが去った午後4時ごろ。
止まない風をかわす
大きな岩陰を選んで
テントを張ります。
周りに人もおらず静かな夜になりそう。
決して走り切ることが容易ではない「宝石の道」。
困難な道のりの対価の一つは間違いなく
毎夜のように頭上に広がる満点の星空。
地上4,500mから見れば
宇宙すらすぐそこに感じさせるほど
澄んだ空に無数の星が輝きます。
「宝石の道」4日目、
この日の朝は小さなトラブル。
お湯を沸かすためのガソリンバーナーの火が弱いため
該当部分を取り外しススを掃除してから
再度組み立てところ、どうにもガソリンが漏れてしまう。
原因は、一つの小さなリングを
組み入れ忘れていただけなのですが
それに気づくのに小一時間もロス。
説明書の読めないせっかちな性格が災いすることが
僕の人生ではよくあります。
12月31日の今日は
年内最終走行。
20km足らず走った先にある
湖畔の宿に泊まる予定なので
朝の出遅れも
たいした問題にはならなそう。
いつものごとく深砂に苦しんでいると
前方から路面を整備する
ロードローラーが出現!
待ってました、と
ドライバーにサムズアップをして
意気揚々と前進再開です。
ところがパッと見には
綺麗にならされているものの、
深い砂の表面が平らになっているだけで
いざ漕ぎだそうにも
タイヤは埋まるばかりで変化なし。
結局押して進むしかなさそうです。
目的のコロラダ湖まで
緩やかな下りだというのに
一向にスピードは上がりません。
「あぁ、クソー!」と
誰もいない砂漠で叫びながら
必死に自転車を前へと押し続ける。
結局わずか17kmの道のりに
5時間も掛かって
ようやく湖のほとりに到着。
ここからは公園に指定されているようで
約¥3,000の入場料を払って
ゲートを越えます。
ゲートを越えてすぐの所に
調べていた宿を発見。
決まって午後から強い風が吹き荒れる宝石の道では
何もない原っぱで吹きさらされるのを防ぐため、
午後4時頃には宿泊(野宿)場所の目途をつけているので
1日の行動時間もふだんより短いです。
何より重量級自転車を押してばかりなので
いつもより疲れるのも早い。
そして足元はいつも砂だらけ。
踏んばって汗をかいてるからか
靴下から犬のような臭いがする。
日本帰って犬をなでなですると
宝石の道を思い出しそうなくらい
印象的な犬の臭い。
¥1,000の宿では
8人部屋に1人きりで寝られることに。
ただ砂漠の真ん中とあって
Wi-Fiがないのは当然で
電気も夜の数時間しか
通じないとのこと。
大晦日のパーティーをしようにも
近くの商店の品揃えは期待外れで
手に入ったのは
無駄に大きな2Lのコーラと
チョコのウエハースだけ。
寂しい年越しになりそうです。
追加料金で夕食もつけられる
とのことだったのでお願いすると、
パスタが出てきました。
いつも食べてるんですけど…。
でも上に乗っかる
ミートソースが美味しかった。
そんな風になんとか
「宝石の道」の中盤に到達。
着実に溜まっていく疲労を感じながら
数日振りのベッドに体をうずめたのでした。
2025.01.7
【265日目 14,261km】
美しき塩の大地「ウユニ塩湖」の走行を終えると
20kmほど離れた観光拠点の町・ウユニに滞在。
年末が差し迫っていたこともあり
ここでのんびり休めたらよかったのですが、
僕の気持ちも行動もソワソワとしておりました。
というのも、これから進む道は
南米大陸きっての難所となるはずだから。
それはウユニの町から南の方向。
真っすぐ公道を進めば隣国チリに入国できるけど、
途中であえて道路をそれて未舗装地帯を進みます。
そこに広がるのは「アタカマ砂漠」。
なんでわざわざ自転車で砂漠を進むかというと、
標高4,000mもの高所に存在する砂漠の道のりが
その美しさから“宝石の道(ルタ・デ・ラス・ホジャス)”
と呼ばれており、
世界各国のサイクリストの憧れとなっているからなんです。
およそ250kmに及ぶ
砂漠地帯を渡り切るのに
想定する日数は8日間。
まともに補給が見込める場所は
なさそうなので、
ウユニの町で食料を買い込んでおく。
当然、水の携行も必須。
5リットルの大きなボトルに加え
1リットルボトルを2本。
これに食料も加えると
普段の走行よりも10kg程度
重い自転車で走ることになります。
2日間のウユニでの滞在を終えると
覚悟を決め、ペダルを漕ぎだします。
まず“宝石の道”に突入する分岐までは200km。
そこまでは公道を行きます。
未知の秘境に向かう
コチラの緊張感など
知る由もないのは
道端のアルパカ達。
可愛らしい耳飾りを付けて
じっと見つめてくれます。
向かう先にある国境が
決して主要なものでなく
さほど大きな都市も無いからだろう、
すでにところどころ
未舗装の部分が出てきます。
でも地面は固くて難なく漕げる。
午後2時過ぎに90kmを走り
「サンクリストバル」
の町に到着。
道路も整ってるし
思いのほか
大きな町ではあるみたい。
まだ漕げる時間だけれども
風も出てきたし、これからのことを考えると
ここで泊まって体力を温存しておきたい。
屋台メシで遅めのランチ。
ボリビアではどこでも
“リャマ肉”が定番みたい。
当たり外れも無く
どこで食べても美味しいから
かなり好きになって来ました。
町の中心近くに宿を発見。
電波も安定して
ベッドで眠れるという環境も
しばらくお預けになりそうだから
今日のうちは
特にしっかり休んでおく。
ウユニ出発2日目。
今日も綺麗に整った路面を
朝から快適に飛ばしていきます。
日本国内外のサイクリスト達が
書き残してくれたブログを見つつ
宝石の道の旅程を組んだのですが、
数年前には未舗装だったエリアも
今はアスファルトで舗装されてます。
時代は流れている。
おかげで目標の“ビジャ・アロタ”には
予想より早いお昼頃の到着。
砂漠前最後の宿泊を、と思いきや
宿主さんが出かけており
泊まることが出来ない。
ネットも繋げると思ったのに…。
チキンの煮込みとライスを食しつつ
しばらく沈思黙考。
もうこの先に宿はないので
進むとなれば野宿になるのは決定。
ただ砂漠に備えて
食料も体力も温存しときたかった…。
結局、留まるにしても
時間があまりに勿体ないので
進んでおくことに。
この先何があるか分からないけど
まぁ何とかなるはず。
不安とともに坂を上り始める。
程なくして坂の途中で
アスファルトが途切れてしまう。
おかげで予想以上の早さで
ここまで来られたけど、
いよいよこれからは
土埃の風景が始まってゆく…。
日が傾くにつれ
強くなり始めた向かい風に加え
未舗装路の凹凸も
だんだん荒くなってゆく。
まだ砂漠突入前なのに
すでに悪路が嫌になる。
すると18時を過ぎた頃
石造りの建物を発見。
近づくと食堂だったようで
持参食料節約のためにも
ここで食べさせてもらうことに。
ありがたや。
出てきたのはリャマのステーキ。
水が90°未満で沸騰してしまう
高所のお米はモサモサで
決しておいしくないけど、
リャマの肉だけは裏切らない。
大事なたんぱく源です。
店の横にテントを張ろうとすると、
(というか一度張り終わった後)
店主さんから一言。
「やっぱ物置で寝れば?外寒いし」
今日から連日のテント泊を
覚悟してたので、嬉しいお誘い。
用意していただいたマットレスでぐっすり眠り
迎えたウユニ出発3日目。
いよいよ、今日にはアタカマ砂漠の難所
“宝石の道”に突入です。
これまでにもサイクリストを受け入れてきたという
店主のアビエルトさんにお礼を伝え、いざ出発。
この先に過酷な旅路が
待つと思えば、
良い天気も、良い景色も
逆に不気味に思えてしまう。
どんな景色が広がっているのだろうか。
期待2割、不安8割。
そしてお世話になった食堂から10kmあまり。
ウユニの町を出て以来ずっと続いた道から
左の方向に目をやると、
車の轍がくねくねと道を作っていました。
ここが“宝石の道”、北側の起点。
ついに過酷な旅路へと足を踏み入れてゆく。
スタートからわずか1kmのところで
傾斜の急な坂が…。
公道ではないので
斜度が計算されておらず
ハンドルを強く握って
重い車体を必死に持ち上げる。
坂を越えた先には
観光にやって来た
4WD車が複数見えました。
宝石の道は絶景ゆえに
観光客も訪れ
そして、轍を作ってくれるのです。
これから数日にわたり
目の前に広がっているであろう
砂の道。
ただ予想以上に固く安定しており
まだまだしっかり
漕ぐことができそう。
砂漠突入2時間足らずで着いたのは「カニャパ湖」。
白く見えるのは塩ではなく
夜間の低気温によって凍ったであろう水面です。
“宝石の道”というのは
道中に点在する湖を
巡っていく道でもあり、
現に英語圏の旅行者からは
“ラグナ・ルート(湖の道)”
として知られてもいます。
青空の下に広がる湖に
花を添えるのが、
ピンクがかった体躯が美しい
フラミンゴ達。
標高4,000mの水辺は
鳥たちの楽園です。
ちょうど昼頃でもあり
湖畔にてランチ。
フレーク状に乾燥したものに
お湯を加えてできあがるのは
インスタントマッシュポテト。
飽きる前に砂漠を走破できるか。
午後から徐々に悪くなっていく路面状況。
ゴツゴツと振動が激しくなると
サドルを降りて、自転車を押さざるを得ません。
それでも、ペダルを
漕ぐことができる箇所もあり
「あら、意外と楽勝?」なんて思いつつ
砂と石の道を進んでいきます。
気温は10°を越え
非常に快適。
カニャバ湖を発って
1時間後には
次なる「エディオンダ湖」へ。
氷が張ってない方が
綺麗なんだろうな。
ちなみに12月は初夏です。
湖畔にはとても綺麗に整った
観光ホテルが。
値段は1万円以上するようなので
休憩にコーラだけ買わせてもらいます。
まださすがに初日なので
泊まりたいとは思わない。
引き続き砂利道を進んで
次なる湖を目指します。
午前中はツアートラックに
たくさん追い抜かれたけど
午後も3時を過ぎると
車も通らなくなりました。
午後4時ごろ、3つ目の湖「オンダ湖」に到着。
“宝石の道”に入って約30kmのところで
1泊目の夜を過ごすことにします。
夜はパスタ。
燃料のガソリンにも限りがあるので
なるべく茹で時間の短い
カッペリーニ(細麺)を
常食として採用しました。
ここから毎日これが続きます。
比較的穏やかに1日目は終了。
ここから徐々に苦しむことになるんだろうな、と
どこかおびえながらも寝袋に包まれました。
2025.01.1
【260日目 14,027km】
パスポート置き忘れにより
ひとりでてんやわんやしたオルロには2日間の滞在。
南の隣国チリの方向へと向かいつつ、
道中にあるボリビア随一の絶景を拝みに走り始めます。
オルロ郊外へ出ると
工事によるオフロードが。
スピードが遅くなるうえに
砂塵防止にまかれた水のせいで
泥が跳ねて自転車が泥だらけ。
しかも10kmも続いておりました。
オルロ以降さほど
大きな都市がないらしく
交通量が激減。
さらに山も無いもんだから
景色の変わらない平地を
数時間も漕ぎ進めていく。
午後からは一時雨も降り
商店の軒下にて
雨宿りをさせてもらう。
これからは景色の良いエリアが
続くことになるから、
なるべく晴れて欲しい…。
予定を越え120kmも走ってしまい
「チャヤパタ」ヘ。
それなりに大きな町で
野宿もできなさそうなので
大人しく宿へとチェックイン。
もっと前で止まっとけばよかった。
オルロ出発2日目。
今日も周りに何もない平地を進んでいきます。
日中は風も強くないし、快適快適。
出発から30km地点で
道が二手に分かれます。
真っすぐ行けば国境方面だけど
“壮大な寄り道”をするために
ここで右へと進路を取ります。
あぁ、ワクワクしてきた。
分岐から10kmのところで
集落に到着。
屋台のおばちゃんが
肉の揚げ焼き“チチャロン”。
豚が定番だけど、「何の肉?」と聞くと
これはリャマの肉だそう。
早速味わったのですが
肉の繊維がしっかりしてて、うま味もあって絶品。
牛肉にかなり近いけど、牛より安いそうです。
世界各国でヤギ、ラクダ、ネズミなど色々食べてきたけど
リャマが一番おいしいかも知れない。
そのまま変わらない景色を進み
出発から90km地点で
道路脇に廃屋を見つけテント泊。
主要道ではないので
車も人も少なく
静かで穏やかな夜を過ごしました。
オルロ出発3日目。
朝から雲のない良い天気。
憧れの絶景に近づくのを感じつつ、今日も漕いでいきます。
車とすれ違うことも
追い抜かれることもほとんどない。
昨日分岐を曲がってから
本当に静かな道のりになってしまった。
ただ目指すのは自然の絶景、
人などほとんどいない場所。
昼過ぎに一つの集落を過ぎてから
道が未舗装の砂利道になりました。
遠くには高くそびえる
「トゥヌパ火山」が見える。
ガタガタの振動を受け流し
黙々と進みます。
未舗装路を30km進んだ先に
「ヒリラ」という小さな集落に到着。
村に一つだけの宿を見つけ
泊まることに。
そして目的の景色はすぐそこ。
明日が楽しみ…。
オルロ出発4日目。
出発の宿から7kmばかり進んだところ、
昨日眺め続けていたトゥヌパ火山がすぐそこに。
ただ目指していた景色はこの火山ではなく、
くるっと背中を向けた反対側に広がります。
山と反対方向に数十m進むと
遂に目的の場所が…。
「良い旅を」と書かれた
石のゲートの向こうには
どこまでも続くだだっ広い
空間が広がっています。
ゲートを越えてやってきたのは
果てしなく広がる塩の大地、
世界的にも有名な絶景スポット「ウユニ塩湖」!
圧倒的な自然美が続く南米の旅路でも
かなり楽しみにしていた場所です。
(360°を塩が取り囲むのでしばらく白い写真が続きます。)
地平線の果ての果てまで続く塩湖。
南北100km、
東西には250kmもの広さがあり
新潟県とほぼ同じ広さだそう。
漕いでも漕いでも景色は変わらない。
“広大”という言葉のスケールが違う。
アンデス山脈が隆起した際、
取り残された海水が干上がって
できたのが「ウユニ塩湖」。
塩の厚みは薄くて60cm、
最も厚い所で11mにも及ぶのだそう。
膨大な量の塩です。
「塩湖に道あんの?」って話ですが
観光用の4WDが走って
塩の表面をならしてくれているので
うっすら一本道が見えるんです。
スマホのGPSも誤差はあるけど
何とか使い物にはなる。
そんなウユニ塩湖ですが、楽しみばかりでなく
自転車旅らしいトラブルにも見舞われることになります。
まずは走行開始30分、
三脚を立てこの写真を撮った直後のこと。
いつもこんな写真を撮るときは、
ガードレールなどに自転車を立てかけ
カメラと三脚をセッティングするのですが
当然塩湖に立てかける場所なんてあるはずもなく…。
“よっこいせ”と重い自転車を
起こした瞬間、
三脚に自転車がドンとぶつかり
カメラごと倒れてしまいました。
「うそっ」と冷や汗をかき
すぐさまカメラをチェック。
するとレンズ(中古6万円)の接合部分が
めりっと隆起してしまっておりました。
まるでアンデス山脈の様に。
この時ほど自分の浅はかな行動を呪ったことはありません。
もうちょっと三脚から離れて自転車を起こしておけば…。
覆水盆に返らず、破鏡再び照らさず、時すでにお寿司。
ただ、ひとりぼっちのウユニ塩湖。
色んなものが少しずつ壊れていくとは
この時の僕はつゆ知らず…。
「上海から旅をはじめて数万枚の写真を撮ってきたんだから
すでにあのレンズは役割を果たしてくれたよね。
うんうん、お疲れ様」
と自分をなぐさめつつ、走り続けました。
(ちなみに以後は、もう一本持参していた単焦点レンズでの撮影です。)
昼過ぎにたどり着いたのは
塩湖の真ん中にある「インカワシ島」。
多くの観光ツアー客が訪れる場所です。
周囲にはたくさんのツアートラックが。
ここではじめて人と出会います。
ちなみに最後まで僕以外に
自転車で走っている人は
見かけることはありませんでした。
島には無数のサボテンが。
真っ白な塩湖を背景にすると
どんなものでも
美しく映えるのが面白い。
観光客の方々はこの背景を利用して
色んなトリック写真を撮るようですよ。
人の住まない観光用の島ですが
トイレと食堂はあります。
ツアーに参加すると
塩湖の真ん中にテーブルを出して
食事ができるので、食堂には
他のお客さんはそれほどいません。
夕方までもうひと走り。
100km先まで走っても
高低差が50cmしかない
というウユニ塩湖は
「世界一平らな場所」でもあるそう。
自転車乗りにぴったり。
夕方5時まで走った所でテントを張る。
もちろん周囲には誰もおらず
塩湖を吹き抜ける風だけが聞こえる神秘的な世界。
贅沢な野宿になりそうです。
自転車のあちこちが塩だらけ。
雪と違って放っておいても
消えてはくれないので
宿に着いたら掃除をせねば。
海辺で潮風にあたるだけでも
さびが付くというのに…。
ウユニ走行2日目。
テントがくしゃっとなっているのですが、
実は昨晩は壮絶な夜を過ごしていました。
夕日を撮ったり、ラーメンを調理して
テントに入ってしばらくした頃、
日が沈んで気温が下がったと同時に
北東からビュービューと強風が吹き荒れ始めたんです。
遮蔽物が何もないことでもろにテントに吹き付ける風。
バタバタと布が音を立て、骨組みのパイプがゆがみ始めたことで
「これはまずい!」とすぐさまパイプの接続を外し
テントを収縮させました。
暗闇の中、それ以上何もできず
萎れたテントにマットと寝袋を乗せ
なんとか夜を越えて朝を迎えたのでした。
朝日に照らされた静かな塩湖。
六角形の塩の模様は
乾いた表面が割れてできた
ヒビとヒビが合わさって
できるのだとか。
自然ってホントに不思議です。
昨日とはまた違う朝の塩湖にうっとりしつつ
「さぁ出発」と荷物をまとめた瞬間、ため息が漏れました。
…パンクです。
ただいつもどうり修理を進めるなか
タイヤに空気が入らないことに気付いたんです。
問題はコチラの空気入れ。
どれだけポンピングしても
空振りするばかり。
どうやらピストン部のゴムが
摩耗して空気が抜けてしまってるよう。
にしても、なぜこのタイミングで…。
さらにさらに、自転車に取り付ける
カバンの持ち手が
ブチンと切れているではないか。
致命的ではないけど
なんで塩湖のど真ん中で
皆寿命を迎えてしまうのか…。
陸地まで60km。
当然パンクした自転車で歩ける距離ではなく
やむを得ずヒッチハイクを試みることに。
ツアートラックが停まってくれるといいけど。
結果として、朝8時半から待ち続けて
4時間の間に通った車の数はたったの3台。
どれも距離が遠く、気づいてもくれませんでした。
無人島に取り残されたかのよう…。
12時30分、やっと現れた救世主は
地元のトラックドライバーさん。
僕の目指す街とは
反対に向かうとのことでしたが、
荷台に電動ポンプをお持ちでした。
神様って本当にいるんだ…。
タイヤにバッチリ空気も入って、午後1時走行開始!
塩湖の主な入口に向かうとあって
昨日よりも轍がくっきり、地面もしっかり踏み固められています。
時速20km/hでゴールを目指す。
塩湖の中心から縁に向かうにつれ
塩の色がほんのり
赤みがかってきました。
やはり中心部ほど
綺麗で真っ白な塩の大地が
広がっているようです。
そして夕方4時過ぎ、
入り口付近の万国旗まで到着。
ウユニ塩湖の
定番フォトスポットですが、
真っ白で広大な塩湖を見た後だと
さほどインパクトを感じません。
さらに進んだところで
アスファルトの舗装路に復帰。
一時はどうなるかと思ったけれど
しっかりウユニ塩湖の魅力を堪能して
“壮大な寄り道”を
終えることが出来ました。
期待を上回る感動と困難を与えてくれた
ボリビアのウユニ塩湖。
はじめてその白い大地が視界の片隅に見えた瞬間は、
あまりの美しさに涙が出そうになったほど。
「旅に出てよかった」と
心から思うことができる素敵な場所となりました。
装備品にもガタがきてるし、疲労も溜まっているので
ゆっくり休みたいところではあるけど、
ウユニ塩湖の直後には
“世界を巡る旅”における最大級の試練と絶景が待っております。
2024.12.28
【254日目 13,562km】
ボリビアの首都(事実上)・ラパスには3日滞在。
標高の低い中心部にある宿を出発すると
ロープウェイで都市郊外へと上っていきます。
大都市を脱出するときは
必ずと言っていいほど、
大混雑の合間を縫ってイライラしながら
走っていくのがお決まりだけど
この日は道もガラガラ。
朝早く出たのが良かったかしら。
しばらく走ると
すぐにのんびりした荒野に。
とりあえず目指すは
200kmあまり先の
地方都市「オルロ」。
順調にいけば明日には着けそう。
ペルー同様、
路上の屋台が充実しているのが
助かります。
どこでも食事にありつけるから
食料を持ち運ばなくてもいい。
しかも安い。
ペルー終盤以降、
ずっと標高4,000m付近を
維持してるけど
さほど寒くないのが嬉しい。
夜も10℃を少し切るぐらいで
とても過ごしやすいです。
午後4時、100kmを走り
「パタカマヤ」という町に到着した時でした。
速度減少のための段差に勢いよくぶつかりすぎ
後輪がパンクしたのですが、
ここからリズムが狂いだす…。
いつも通りパンク修理したのは
良かったものの、
タイヤの着脱を荒く扱ってしまい
ディレイラー(ギア変速機)の
ワイヤーが
ネジから外れてしまいました。
“今日もう少し進んでおかなければ、明日オルロに到着できない…”
という不必要な焦りもあって
作業が雑になり、
チェーンが絡まって余計に時間がかかる。
「もう明日オルロに
着けなくていいや」
と諦め、近くの宿にチェックイン。
ここでゆっくり修理作業を
することに。
1泊¥1,000とお得。
ディレイラー修理は無事完了。
オルロまでの行程が1日伸びたけれど
「ベッドでゆっくり寝られるし
良しとしよう」と眠りにつきます。
しかし、僕はこの宿泊で
“1つのミス”を犯すのでした。
ラパス出発2日目。
今日も起伏の少ないなだらかな道を
気持ち良く走り始めます。
久しぶりにアルパカを発見。
大体近づくと逃げてくんだけど
この子はやたらと
興味ありげにコチラを
見つめてきてくれました。
一回で良いから触りたいなぁ。
今日もランチは
ストリートフード。
食べてると野良犬が
よだれを垂らしジーっと
見つめてくるのも
もはや定番です。
走行中、ふと横に目をやると
集落の中に
“西濃運輸カンガルー便”が。
はるばる地球の裏側まで
配達お疲れ様でございます。
アフリカでもよく見たな。
この2日間、
景色がほとんど変わらない。
車も少ないし
イヤホンを付け音楽を聴きながら
ダラダラと走っていきます。
何か変化が欲しい。
夕方5時過ぎ、「ヴィラヴィラ」という
小さな村に到着。
テントを張れないかと
キョロキョロしつつ進むと
羊の大群に邪魔をされる。
ボリビアは羊優先。
住民の方に確認を取り、
村の奥の廃屋で
テントを張らせてもらうことに。
夕方から吹き始めた強い風も
若干ながら防いでくれそう。
静かでいい場所です。
ガソリンストーブで夕食準備。
標高4,000mだと
炎が安定するのに時間がかかるし、
何より沸点が下がって88℃。
インスタントラーメンなら問題ないけど
美味しいご飯は炊けないだろうな。
ラパス出発3日目、いよいよオルロ到着の日。
人の少ない静かな集落をひっそりと出ていきます。
ラパスを出てから
景色といえばずっとこんな感じ。
だだっ広い荒野に
ポツンと家が一軒。
背景には背の低い山の
なだらかな稜線。
もともと2日で走り切ろう
としていただけに、
今日の行程はわずか50km。
起伏もほとんど無く
交通量も少ない道と
のんびりと走ります。
昼過ぎにオルロ郊外に差し掛かる。
ボリビア入国以降感じてはいたけど
ペルーに比べると街が汚い…。
道路はデコボコなうえに
そこらじゅう散らかるゴミ。
それを貪る野良犬たち。
ゴミ収集は機能していないのだろうか。
ちなみに路上の屋台で
よく食事をしてますが、
小さな村でも鼻を突くアンモニア臭が
漂うこともしばしば。
今のとこ印象良くはないボリビア。
さらに10kmほど進んだところで
街の中心部に到達。
ラパスは賑やかなゲストハウスに
滞在していたので
ここでは個室の宿で
一人ぼっちになりたい。
賑わう市場の近くに1泊¥600の
お得な宿を発見。
さぁ、ここでのんびりひと休み
とウキウキしながらチェックインをしようとした時、
あることに気付くと同時に心臓がキュッとなりました。
「“アレ”がない…」
ボリビアの宿では外国人旅行者は
滞在中、パスポートを受付に預けておく
というルールがあります。
そう、このとき手元になかったのは旅の必需品“パスポート”。
2日前、パンクおよびディレイラー修理のため
急遽宿泊したパタカマヤの宿に預けたまま
パスポートを受け取ることなくチェックアウトしていたのです。
事情を説明すると
理解してくれたオーナーさんは
問題なく泊めてくださることに。
だからといってパスポートが
不要という訳ではありません。
なんとしても取り返さねば。
ということでオルロ到着翌日、
僕はワンボックスカーの乗り合いバスに揺られておりました。
本来ならゆっくり部屋で休みたいところ、
昨日漕いできたばかりの道を引き返す。
なんて時間の無駄なんだろう…。
宿のあるパタカマヤまでは
130kmほど。
「あぁ、あの建物見たな」とか
ゆっくり眺めてきた景色を
猛スピードで巻き戻すように
進んでいきます。
そして、自転車で1日半かけて
やってきた道のりを
わずか1時間半で到着。
“自転車の1日は車の1時間”と
よく言うのですが、大方その通り。
車って便利な乗り物です。
そして宿に向かうと
すんなりパスポートをゲット。
実はパスポートを預けるルールは
アフリカやイランなどでもあって
「いつかやってしまうんじゃないか」
思ってたものの、今回が初めてでした。
バスを降りて取り返すまでほんの5分。
このまま帰るのもシャクなので
床屋さんへ。
刈り上げ部分のバリカンだけなので
これも3分で終わり、たったの¥250。
8分の滞在を終えオルロへと戻りました。
という具合に、
自転車の故障によりオルロ到着が1日伸び
さらにパスポートGETのためオルロ滞在が1日伸びる、
という何とも非効率な時間の使い方をしてしまいました。
ボリビアには壮大な自然の光景が待っており
早くそこに向かいたいのに、
無駄に足踏みをしているここ数日間でございます。
2024.12.24
【247日目 13,318km】
ボリビア入国2日目。
この時、すぐ後ろに世界遺産があることも知らず
首都ラパスを目指して進み始めます。
目指すラパスは
今日の出発地点から60km、
国境からはわずか
100kmの地点にあり
昼過ぎには到着できそう。
そこでしばらくゆっくりする予定。
集落にて早めのランチ。
マカロニパスタの上に乗っている
卵焼きのようなものは
実はチーズなんです。
塩気の強いしょっぱいものは
ペルーでもよく食べられていました。
街が近づくにつれ
緩やかながらも
上り坂になってくると同時に
風も吹いてきました。
ペダルを踏み込んでも
思うほどには進めない。
気が付けば徐々に建物が増え
ラパスの都市圏に
入って来たようです。
大都市だというのに
道は綺麗に舗装されておらず
かなり走りにくい。
放射状に広がるラパスの
核心部に近づくにつれ
車も建物もどんどん増えていく。
クラクションにイライラするけど
冷静さを失わずに
ゆっくりゆっくり。
途中では市場が開かれており
押しながら進むことに。
“泥棒市場”と呼ばれ
日用品から自動車パーツまで
どこかから盗んできたかのように
何でも売っているようです。
そしてようやく、
ラパス全体を見下ろす地点に到着。
昼過ぎの到着予定が気づけば夕方5時前になっていました。
すり鉢状に家々が広がるのがラパスの特徴。
標高4,000mの外縁から中心部へは標高500mも
下らなければなりません。
この時間から混雑した中心部に移動して
そこから宿を探そうものなら、
間違いなく日が暮れてトラブルに見舞われる気がするので
今日は外縁部分に宿を取ることに。
意外にすんなりホテルが見つかり
すぐにチェックイン。
個室で¥1,700と
まぁまぁ割安。
中心部ほど値段は跳ね上がり
個室なんておそらく取れないはず。
翌朝。
荷物をまとめて向かったのはこちら、
ロープウェイの駅。
高低差の激しいラパスの街では
市民の交通手段としてロープウェイが利用されているんです。
街はごみごみしてるけどここだけ近代的。
サイクリストにも嬉しいのが
自転車を乗せられる点。
通常乗車券(¥100)に加え
荷物と自転車分ということで
¥300掛かってしまいました。
でも貴重な経験だから乗っておきたかった。
A地点とB地点を
結ぶのみの単線ではなく、
いくつもの路線が市内の
あちこちに伸びています。
この時も初めて、ロープウェイの
乗り継ぎを経験しました。
ほぼ全面ガラス張りのゴンドラからは
まるで鳥になったように
ラパスの景観を楽しむことが出来ます。
遠くまで広がる都市空間は圧巻。
足元を見下ろすとヒヤッとするほど空高くを
程よいスピードで滑り降りる、
まさに空中散歩。
中心部に下りるなり
昨夜予約しておいたゲストハウスへ。
大きなリュックを背負った
各国からのバックパッカー達が沢山。
相部屋で¥900ほどと
かなりお安いです。
宿に着くと
洗濯、買い物、写真整理、ブログ
などやるべきことを効率的に
消化していきます。
昔は相部屋好きだったけど
自転車旅においては個室の方が良い。
片付けが落ち着いたら市内の散策へ。
ペルーと同じくコロニアル調の建築が目立つ「ラパス」。
100年以上前に政治闘争の末、
古都スクレから国政機能は移ったものの
今も憲法上の首都はスクレとなっているため、
国会議事堂などが集約されたラパスは
“事実上の首都”と言われています。
ロープウェイから見下ろすと
視界いっぱいに広がる都市も、
人口は意外にコンパクトで75万人。
そもそもボリビアの全人口が
1200万人ほどなので
やはり南米の中でも小さな国です。
すり鉢の底にあたる中心部までくれば
平地が広がると思いきや
どこを歩いても坂、坂、坂。
山の急斜面に発展した街だという
ことがよく分かります。
歩くのが一苦労。
食べ物や服装など文化圏としては
ペルーと重なる部分が多いものの、
街の雰囲気はより雑多。
どこにいても上を見上げると
複雑に絡んだ電線が。
溢れる“途上国感”。
街を散策していて印象的なのは
やはり空を移動するロープウェイ。
レンガ造りの伝統的な家々の上を
近代的な交通機関が行き交う様子は
これまでに見たことがありません。
普段は自転車で地を這うように
移動してばかりなので、
空からの視点はホントに新鮮。
場所によっては
見下ろす高さが怖いけど
滞在中は何度も乗ってしまいました。
そしてラパスの見所は、その夜景。
標高4,000mの世界一高い首都に灯る光が
遠くの山麓まで続く様はまるで河のよう。
うっすらと向こうに見える
6000m級の霊峰イリマニ山にも
神々しさを感じます。
旅行者を惹きつける強烈な見所はそれほどないラパス。
地元の人たちが利用する活気ある市場なども
散策しつつ、のんびり過ごしました。
ただこれから進むボリビアの道には
自然が織りなす圧倒的な絶景が数々待っております。
都会のバカンスを終えたら、いよいよ南へ!
2024.12.20
【246日目 13,252km】
ペルー最後の都市プーノでの滞在を終えると
次なる国ボリビアに向けて走り始めます。
出発の朝は市場をやっていて宿の前が出店と人だらけ、
まともに漕げない。
目指す国境はわずか150kmほど。
明日には越えられるだろう。
山との格闘ばかりだったペルーも
結局クスコ以降は
わりと平坦な道ばかりで
最後までのんびり進めそう。
雨季ということで心配していた道中も
ひどく降られたのは一回だけ。
日本の梅雨のように
朝から晩までずっと雨
なんてことが無いのが助かる
南米の降り方。
プーノを出てからというものの
交通量がそれなりにあって
しかも路肩も狭いので
落ち着かず後ろを気にしている状態。
大きい街があるワケじゃないけど
家屋も絶え間なく点在してます。
夕方5時過ぎに
“ポマタ”という集落に到着。
晩御飯はチチカカ湖で
獲れたばかりのトゥルーチャ(マス)。
料理法が“揚げる”しかないのが
寂しいけど、美味しいです。
湖畔の原っぱが安全だよ、
という地元の方のアドバイスに従って
テントを張ることに。
まだ標高4,000mの高さだけど
夜中も寒くならないのが不思議。
気持ち良く眠れました。
プーノ出発2日目。
パッとしない曇り空の下、
いよいよ国境に向けてラストスパートです。
ふと道路の横に掲げられた
カカシにびっくり。
人間のカタチすぎて
ほんとに一瞬ドキッとしました。
もっとコミカルで可愛らしく
作って欲しい…。
雨も風もなく
穏やかすぎて淡泊に感じるほど
何もない道が続きます。
山の向こうには
次なる国が待ってると思えば
ちょっと興奮してくる。
そしてこの日の出発から40kmあまり走った所で
国境の街“デサグアデロ”に到着。
一か月あまりにおよんだペルーの旅もここで終わりです。
まだ昼には早いけど
ペルー硬貨を使い切るためにも
屋台にて食事を。
最後のメニューは魚のマリネ
“セビーチェ”となりました。
さっぽりとして美味しい。
そして遂に越境の時。
ゲートの横に出入国審査の事務所があり
まずそこでスタンプをもらいます。
行列もなくパスポートを見せて
3分もかからず
あっという間に手続き終了。
両国の間にはチチカカ湖へそそぐ
川が流れており、これが
そのまま国境になっています。
人の行き来がかなり多いようで
緊張感もありません。
ワクワクしながらゆっくり渡る。
橋の向こう側のゲートをくぐれば遂にボリビア突入。
ペルー出国時と同じようにパスポート手続きがありますが
こちらも滞在予定など簡単な質問に答えて3分で終了。
日本のパスポートだと30日までビザ無しで滞在可能です。
旅を通じて35ヵ国目となるボリビア。
ペルー、ブラジル、アルゼンチンなど
南米を代表する国々に囲まれつつ
若干地味な印象があるかもしれないけど、
世界を巡る旅のなかでも
最高の絶景に出会える予感がする国なんです。
国境を越えるとまずは両替。
ソル(ペルー)から
ボリビアーノへ換金するのですが、
おばちゃんの提示する金額が
どうにも計算と合わない。
僕が得をしてしまうのが逆に怪しい…。
これは後日分かったのですが、
南米でも決して経済力の強くないボリビア。
自国通貨ボリビアーノに対する信頼が低いらしく
隣国ペルーのソルを持ち込むと公式レート以上の価格で
換金してもらえることが多いのだとか。
事前に分かってればもっとソルをおろしといたのに…。
首都(実質)のラパスまでは
100kmあまり。
明日には余裕をもって
到着できる距離。
まだ時間も早いので今日のうちに
少しでも距離を縮めておきます。
国が越えるたびに毎度
思わされるけど
国境が変わっても景色なんて
ガラッと変わるもんじゃないです。
湖の畔の平原は
どこまでも果てしなく続いている。
一時間走ったところで集落へ。
セビーチェだけじゃ足りないので
食堂に駆け込みました。
出てきたのはペルーと変わらない
トゥルーチャ(マス)。
景色も一緒なら食事も一緒。
ヒヤッとしたのが
たむろする町中の野良犬の数。
ここまで集まると迫力がある。
でも、ワンワン吠えてくるのって
縄張り意識の強い
飼い犬の方ですけどね。
越境後にはっきりと
変わったのが道路事情。
アスファルトが波打って
まぁ漕ぎにくい。
アフリカでも感じたけど
経済力は道路に出ます。
午後3時に「ティワナク」という
小さな町に到着。
まだ漕げるけど、明日には
余裕を持って首都に着けるし
“キャンピング”と書かれた看板に誘われ
今日はここまでとすることに。
敷地内のテント泊が¥600。
ペルーからは宿も安いから
さほどお得でもないけど
温水シャワーを浴びれたから
よしとする。
「ルイスさん」という男性に
中へと導かれると、
ただのキャンプ場ではなく
近辺の発掘品を展示する資料館
だということがわかりました。
骨や石器など様々な展示品。
日がくれた頃に町の中心にある食堂へ。
出てきたのはシンプルに
豚を焼いたもの。
牛もあったけど
自転車で疲れた後には
豚が体に染み渡るんです。
翌朝、出発前に撮影させてもらった
ルイスさん(右)と共同オーナーのオウグスティンさん(左)。
実は後日、首都に着いてから衝撃の事実を知ったのですが
この町には世界遺産にも登録される
古代ティワナクの遺跡があったそう。
「いやルイスさん、教えてよ!」と思いつつも
自分の予習不足を嘆いたのでした。