2024.12.8
【236日目 12,651km】
クスコに到着してから、
まずすぐに向かったマチュピチュ観光。
そして、
バス酔いに苦しみつつも空中都市の絶景を満喫し
小旅行からクスコに戻った翌日。
僕は性懲りもなくバスの車内で
揺られておりました。
朝4時半にクスコの中央広場にて
予定のバスに乗り込み、
また別の観光地へと向かっています。
観光都市クスコからは行ける場所が多く
まともに休むこともせず
せっせと観光に勤しむ。
日帰りツアーは
嬉しい朝食付き。
観光立国とあって
ペルーのパックツアーは
“やり方を知ってる”という
感じがすごくします。
マチュピチュに向かう時は
散々苦しんだバス酔いですが、
同じく山道を走った今回は全く問題ありませんでした。
あの時は自転車走行の疲れがあったからだろうか、
コンディションが良くなかったみたいです。
10時半には目的地に到着。
向かう先はまた山の上。
杖を突きながらせっせと歩き始めます。
スタート直後から
ゴールの山頂は見えており、
「こんなの余裕ですぐ着くじゃん」
という考えが甘かった。
出発地点の標高4,600mは
すでに低酸素地帯。
標高5,000mオーバーの山頂はすぐ見えているのに
すぐに呼吸は乱れ、足が重く動かない…。
「はぁ、はぁ…」と必死に体に空気を取り込む。
下りる人は意気揚々だけど
登りの人は杖に体を預け、
年齢問わず皆
おじいちゃんおばあちゃんに
なったかのよう。
これはこれで良い経験です。
1時間ほど歩いたところで
頂上付近に到着。
景色を楽しむ前に
食べ物を売っているので
腹ごしらえをしておくことに。
鍋で何かがグツグツ煮られている。
鍋の中身は“アルパカ肉”でした。
塩気が強いけど
疲れた体にしょっぱさが効く。
噛み応えもあって
例えるなら豚に近いでしょうか。
着ても、食べても嬉しいアルパカ。
アルパカを食べ終えて登った頂上から
臨むのはビニクンカ山、通称“レインボーマウンテン”。
地中に含まれる鉱物成分が
独特な模様を生み出しています。
出回ってる写真が過度に編集されてるだけで
「実際大したことないんでしょ?」と斜に構えてやって来ましたが、
いざ目にするとかなりしっかりレインボーしてます。
この写真も明るさしか調整していないんですよ。
実は発見されたのがここ十年程度で
まだまだ新しい観光名所だそう。
日帰りでさくっと参加したツアーだったけど
期待を越える満足感でした。
マチュピチュ、レインボーマウンテンと
目当ての観光を終えるとやっと一息ついて
クスコの街でゆっくりする時間がつくれました。
街の中心にずっしりと構える
大聖堂や周囲の建物からは
スペインからの影響を強く感じます。
イタリアでもなくフランスでもなく
スペインなんですよね。
何かが違うんだけど、知識がない。
山間部とあり斜面の多いクスコ。
遠くの山肌にまでびっしりと
張り着いたように家々が広がる様子は
やはりヨーロッパではなく
南米大陸なんだと気付かせてくれる。
赤茶色の屋根も特徴的です。
インカ帝国の古都とあって
首都リマよりも風情を感じます。
人も建物も多いんだけど
どことなく落ち着きがある。
高所ならではの空気の冷たさもあり
心地の良い滞在になっています。
お世話になったコチラの宿も
傾斜の急な階段の途中にあります。
日本人旅行者に人気で、オーナー夫婦も
単語レベルだけど日本語を知っているのが嬉しい。
マチュピチュ観光など出たり入ったりだったけど
自転車や荷物を置かせてくれて、
何かと心配りをくださいました。
コロナを機に日本人客が
めっきり減ったそうで
他のお客さんも
ほとんどいませんでした。
オフシーズンってのもあるだろうけど
おかげで静かに過ごせます。
宿のテラスから見下ろす
クスコの夜景。
毎晩パレードをやっていたり
花火があがったりと
ほどよい賑やかさでした。
クスコの雰囲気は好きです。
クスコで一番のご馳走はコチラ、
豚のバラ肉を1枚ずつ焼いて食べる
インカ文明の伝統料理「サムギョプサル」。
さらに牛肉などの具を包んだ巻き寿司、
「キンパ」というペルーの国民食も美味しかった。
※冗談ですからね。
めったにないご馳走だけに
キムチチゲと本気で迷ったけど
正しい選択でした。
豚の焼肉って最高に美味しい。
日本に帰ったらホットプレート買って
家でやろっと。
ちなみにクスコ直前で一度別れた
武藤さんと合流して食べに行きました。
これから向かう方向は同じですが
それぞれのペースを尊重して
別々に走っていきます。
お互い良い旅しましょう。
ペルーの料理が不味いワケでなく
むしろものすごく美味しいのですが
たまには胃袋だけ一時帰国したく
なるときがあるんです。
別の日にやってきたのは
和食レストラン“きんたろう”。
注文したのはこちらの“カツ丼”。
見た目は「んっ!?」と思ったけど
味は確かなもので大満足。
やっぱりだしの味って
取って代わるものが無いんです。
幸せの味がしました。
ペルーの飲み物として大定番なのがコチラ、
屋台でもどこでも置いている飲み物「チチャ・モラーダ」。
ある原料を煮出してさらに砂糖をしっかり入れており
コンポートみたいで甘くて飲みやすい。
食事にタダでついてくることもあります。
その原料とは日本で見ることのない
“紫トウモロコシ”。
ジュースやスイーツのみに
使われるそう。
見た目にギョッとするけど
ペルーのどこにでもあります。
さらにはフレッシュジュースも
とてもポピュラー。
クスコに限らず市場に行けば
搾りたてのミックスジュースが飲めます。
¥200ほどと凄く安いワケじゃないけど
連日飲んじゃいました。
パパイヤやパッションフルーツなど
南国系の果物も一般的。
どこで飲んでも美味しいです。
日本帰ったらミキサー買って
ミックスジュースのある日々を
送ろう。
印象的だったのはこちらの「チチャ・デ・ホラ」。
道中の小さな村でも見かけた
とても一般的な飲み物でございます。
濁った茶色をしてますが、原料はやはり“トウモロコシ”。
発芽したトウモロコシから麦汁を抽出し
発酵させて作るそうですが、アルコールは含んでいません。
別名“コーンビール”とも言われる通り
後味はノンアルビールを飲んだ気分の不思議な飲み物でした。
気が付けばペルー旅も終盤に突入。
景色にグルメに、最後までたっぷりと味わっていきます。
2024.12.5
【233日目 12,651km】
アンデスの山々を越え、ナスカから2週間ほどかけて
ついにたどり着いたクスコ。
疲れがたまっているのも当然で、
朝ベッドから体を起こすと
両足太ももがピキーンとつりそうになってしまうほど。
ゆっくり休みたいところですが、
ペルーを訪れるほぼ全ての人がやってくるクスコでは
のんびりするばかりではいられません。
滞在中に行きたい場所がいくつかあります。
何といっても欠かせないのが
世界遺産にも登録される
かの有名な天空都市「マチュピチュ」。
ペルーに来ておいて
ここに行かないわけにはいきません。
移動手段確保ため、朝から旅行会社へ。
クスコから直線距離で
100km足らずの場所にある
秘境マチュピチュ。
当然山奥にあるのですが
現地への向かい方も大変で
ネットで調べても情報は様々。
普段は自由気ままな自転車移動ばかりの僕にとって
タイムスケジュールを考えながら適切な交通機関を選択する
という作業がどうにも億劫。
「もう、誰か代わりにやって」と言いたいけど
大人なので自分でやらなきゃいけません。
クスコから列車でズドンと直行すれば早いけど、当然これは高額。
安いのは、遠回りでバスで移動して最後は10km歩くコース。
悩んだ挙句、行きはバスで向かい、
帰りは贅沢に列車に乗ることにしました。
慣れない行動なので時間や日付を入念に確認して
無事に旅行会社でチケットをゲット。
行きのバスがあんなにも過酷なドライブになるとは思いもせずに…。
クスコ到着翌々日、マチュピチュに向け出発の日。
朝6時に指定の場所に向かうと乗り合いバスが待っていました。
ついにあのマチュピチュを拝めるのだと
ワクワクしながら遠足気分で乗り込みます。
バスの乗車は7時間程度。
最初のうちは何も問題なく
外の景色を気持ち良く眺めながら
車体に揺られておりました。
異変を感じたのは出発から2時間、
峠へ向かう上り坂の途中の事。
「あっ、ダメだ気分悪い」と
自分で気づいてからは一気に体調は悪化。
お腹からぐわっとせり上がるような吐き気に襲われたんです。
「ダメダメ、吐いちゃダメ」
一人格闘しながら、わき上がるものを抑え込みます。
たまたま後ろに座っていたメキシコ人の方がお医者さんで
袋を渡してくれたりと、色々気にかけてくれました。
遠足の時、クラスに一人はいる
残念で可哀そうな子になってしまいました。
やがて健闘むなしく、
堰を切ったように
リバースしてしまう僕。
悲しいのが、他に誰も
気分を悪くしてる人なんていない
ということ。
アンデスの青空の下を走るドライブの中、
BGMとして流れるペルーの伝統音楽に
「オロロロロ…。オェッ、オェッ、……オエェ…。」
という不快なコーラスを添えてしまいました。
結局、最後まで気分は優れず。
汗はびっしょり、お腹もぐるぐるして気持ちが悪い。
午後1時、停留所に着くなり
ベンチに横になって
しばらく休むことに。
気づけば眠りに落ち、
目が覚めると気分は回復して
降っていた雨も止みました。
気を取り直して、マチュピチュへと向かいます。
僕が選んだ最も安い「バス&徒歩ルート」。
マチュピチュの麓にある村まで
ここから10km歩いていかなければなりません。
歩いていくのは線路沿い。
この様子から日本人旅行者の間では
“スタンドバイミールート”
なんて呼ばれています。
僕はゲ〇を吐きまくったぶん
他の人より映画に忠実です。
途中、山稜を見上げると
マチュピチュが確認できました。
とても小さいですが
はるか高くの岩山の一画に
遺跡がちょこんと乗っかってます。
上から眺めるのが楽しみ。
3時間弱の道のりでは
日本人旅行者の方と
2人も出会いました。
互いの身の上を話しながら
歩いていくのが楽しい。
途中で列車にも追いかけられる。
やがて10kmを歩き、観光拠点の村
「アグア・カリエンテ」に到着。
この時点で夕方5時。
基本的にマチュピチュ観光は
2日以上かかってしまいます。
マチュピチュは一日にしてならず。
宿に向かう前に
マチュピチュの入場券を
ゲットしなければいけません。
世界有数の観光地とあって
ネット販売はすべて売り切れ、
現地で前日までに買う必要があります。
マチュピチュ観光って、実はかなり面倒くさいんです。
まず移動手段として、
クスコから列車で直行するのか。
一度途中の村までバスで向かってそこで列車に乗り換えるのか。
はたまたバスで近くまで行って最後ちょっと列車に乗るのか。
あるいは列車に乗らずに歩くのか。
やっと現地に着いたら
遺跡見学の中にも複数のルートがあって、
ルート1、ルート2、ルート3。
さらにルート1にもAとBがあって、ルート2にもAとBが…。
「はあぁ…、めんどくさ。早く自転車旅に戻りたい」と、
事前に調べる内にため息が漏れました。
ただお金さえ払えば
クスコの旅行会社がすべて手配してくれるんですけどね。
無事にチケットを購入し
予約していた宿に向かいました。
朝6時にクスコを出て、
この時点で夕方6時。
半日かけてやっと宿に到着。
車酔いもあって長い一日でした。
一夜明け、ついにマチュピチュ観光の日。
チケットには入場時間の指定があり
僕が買えたのは朝6時。
朝5時過ぎにバス乗り場に向かうと
すでにたくさんの人が並んでいます。
歩いて登ることもできるんですが
朝から1時間以上かけて
階段地獄を登る気になれず。
バスに乗って向かうことにしました。
ただ片道¥1,800と高額なので
帰りは歩きます。
小雨の降る中
6時を迎え、ついにご開門。
チケット管理もかなり厳格で
パスポートを提示して
本人確認を済ませなければいけません。
チケットの横流しは不可能。
入場ゲートから
ほんの少し歩けば
イメージしていた光景が目に入る。
写真やテレビでも幾度と見てきた
あの景色をついに
この目で見ることが出来る。
そして、姿を現してくれました「マチュピチュ」。
雨季ということもあり残念ながら快晴ではなく
空には雲が立ち込めていましたが、
周囲の山が雲を貫く様子も
まさに“空中都市”の呼び名通りの景色。
インカ帝国が1,500年前後に築いた
貴族の為の別荘地だとも言われております。
イギリスの研究家に発見されたのは
たったの100年前。
こんなにも大きな遺跡が
山の上に存在するなんて想像すらできない。
バスに乗車した麓の村からの
高さは400m。
太陽信仰をしていた
当時の人々は、
より高い場所を求め
この場所に街を作り上げました。
遺跡にはおよそ200の住居が
確認されていますが、
車輪を持たないインカの人々が
どのようにこれだけの石材を
運んで上がったのかは
今でも分からないそうです。
マヤ文明にもインカ文明にも共通するのが
“文字を持たない”という点。
そのおかげで解読できる情報も限られてしまう分
想像力も膨らみます。
もっと雨が降ると、遺跡の治水技術が
はっきりと確認できるのだとか。
熱帯雨林気候に属し
様々な動植物が確認される
マチュピチュ。
よく見ると
石の上に何かの動物の糞も
落ちていましたよ。
遺跡の周りは段々畑が囲みます。
頂上からかなり下まで続いたとされ
現在でもそのすべてが
発掘されてはいないのだとか。
高低差を利用して
色々な作物を収穫したようです。
淵に立つと急峻な山肌の果てに
渓谷の下を流れる川が見えます。
気候などの実生活的な面、
太陽信仰など宗教的な面。
何かの理由でこの場所を選んだろうけど
ただ眺めが良いからだったりして。
マチュピチュの観光を終えると
アグアカリエンテスの村にて
もう一泊。
そして、翌朝には駅に向かい
クスコへの帰路に着きます。
欧米の観光客の方がいっぱい。
道中辛い箇所もあったマチュピチュへの小旅行。
行きのバスとは大違いのこのゆったり感。
大きな窓の向こうに見えるアンデスの風景を楽しみながら
のんびり帰ることができました。
2024.11.30
【230日目 12,852km】
アンデス山間の街「アバンカイ」にて
1日休みを挟んで
引き続きペルー第二の都市・クスコを目指します。
斜面に広がるアバンカイとあって
出発時点からいきなり激坂。
ナスカからクスコまでの間に
4,000m越えの大きな峠が
4つあるのですが、
今日挑むのはその3つ目。
街からの獲得標高は1,800m、
1日で登りきってしまいたいところ。
遠いと思っていたクスコも
あと200kmを切りました。
文字通り“山場”はまだあるんだけど
終盤に近づいてるのは間違いない。
容赦のない上り坂を
自分で鼓舞しながら登っていく。
午後4時頃、
疲れ切ったアウレリオさんから
「ここまでにしよう」と提案があり
頂上付近に無人の小屋を見つけ
野宿をすることに。
酪農作業用の小屋のようです。
雨も予想されるので
小屋の中にテントを張る。
風もしのげるし
人目も避けられるし
ここはどうやら
快適な宿泊ができそう。
薪を集め焚き火で
インスタントラーメンを調理。
冷え込む夜に
暖をとるにもピッタリです。
曇って星は見えないけど
良い夜を過ごせました。
アバンカイ出発2日目。
すでに標高4,000mに近づいていることもあり
雲が下に見える。
昨日出発したアバンカイの街を
はるか下に見下ろしながら
昨日登り残した峠を
目指してペダルを踏み込みます。
若干昨日の疲れは残るけど
朝はまだ余裕を持って漕げる。
そして1時間あまり漕いだところで
峠の頂上に到達。
アンデスは他でなかなか経験できない
標高差1,000mの下り坂が
あるから楽しい。
まぁ、登りが大変だけど…。
下り坂の途中で集落に到着。
本当は昨日のうちに
ここまで来ておきたかった
という場所。
朝ご飯をちゃんと食べてないので
ここで食べておくことにします。
朝には重いけど
豚肉の煮込みを頂きます。
水と油が混ざった
不思議な液体で
煮てるのか揚げてるのか
よくわからない調理法。
引き続き坂を下る。
このあたりから
小さな集落が一気に増えました。
どこか日本の田舎にも
雰囲気が似てて
のんびりした空気感が気持ちいい。
雨季の始めということもあり
雲が掛かりがちなここ数日。
雨は困るけど、
雲が山の頂上を被うと
ときに神秘的な景色を
つくりだします。
夕方5時頃、
道路脇に食堂を見つけ
テントを張らせてもらうことに。
思えばペルーで
テントのお願いをして
断られたことはないです。
この日も屋根の下に
寝られることができます。
もちろんテント濡れてもいいけど
朝は乾かす必要があって
出発が遅れるので、
濡れないに越したことはないです。
アバンカイ出発3日目、
この日はスタートから上り坂。
クスコまでの4,000m級峠のラストを攻めます。
嬉しいのは集落が点在しており
食料の補給ができること。
安い食べ物が路上で手に入るので
走行中に食料を運ぶ
必要がありません。
これだけで、結構助かる。
斜度5%になる上り坂を
せっせと登り午後3時頃に
また一つの集落に到着しました。
ちょうどこの村に着くと同時に
後ろから
別のサイクリストの姿が…
それがこちら「武藤大輔さん」。
そう、南北アメリカ大陸においては初めて出会う
日本人のサイクリストです。
実はSNSで連絡を取り合っており
今日あたりにそろそろ道の上で会えるはず、
と分かっていたんです。
もともと和歌山県のパンダが有名な動物園で
“ドルフィントレーナー”をされていた武藤さん。
イルカショーのお兄さんということで、
とても明るい性格でございます。
ちょっと遅れてやってきた
アウレリオさんとも合流。
三人で走るのはこの旅でも初めて。
久しぶりに話せる日本語が嬉しく
べらべら喋りながら
ゆっくりと進み始めます。
夕立に降られた午後5時前、
やむを得ずお家の軒下で雨宿り。
もう峠越えは難しそうだと、
そのままそのお宅に
泊めさせてもらうことに。
スペイン語堪能なアウレリオさんのおかげ。
雨上がりに夕日が差し込む
アンデスの山あい。
散々この山に苦しんでもきたけど
いよいよ明日には
ペルー旅の区切りとなるクスコ
に到着できそう。
お家の方が晩御飯に
ふかしたジャガイモを
用意してくださいました。
そりゃジャガイモの原産地だから
美味しいんですよ。
でもイモばっかり…。
アバンカイ出発4日目。
男三人で物置らしき部屋に川の字で寝ていました。
なかなか無いシチュエーションなので
修学旅行みたいで楽しかった。
目を覚ました時から
気になっていた雨が
止む様子は無く、
覚悟を決めて走り出す。
雨季とは言え
終日降り続くことは少ないそう。
旅はひとりが良いに決まっていますが
たまにこんな大所帯で走るのも
悪くないです。
ちょっとした休憩時に
だらだら話すなんて
いつもはないこと。
そしてついに
最後の峠の頂上に到達。
雨の上にまったく見晴らしもなく
感慨も何もないですが
ナスカから散々上ってきた
山もとりあえず一区切り。
降りやまない雨に
徐々に体も冷えてきました。
防水ジャケットとはいえ
長時間降られ続ければ
内側に水が染みてきてしまいます。
靴もソックスもビショビショ。
11時頃に「アンタ」の町に到着。
クスコの前に他の場所へ寄る武藤さんとは
ここで一度お別れ。
つかの間のグループライドもここで終了です。
別れを告げる前に
みんなで食堂へ。
鶏のスープで体を温めます。
昨日の晩御飯がジャガイモだけ
だったのでなお美味しい。
いや、イモも美味しいんですよ。
武藤さんと別れ
1時間ほど走った所で
クスコ郊外に突入。
気づけば雨もだいぶ弱まっており
ほっとした気持ちになります。
過酷な山登りの旅がとりあえず終わる。
小さな丘から見下ろす
クスコの街並み。
想像していたよりも
ずっと大きく
周囲の山肌まで
びっしり家々が並んでいます。
ナスカの砂漠からはじまり
高山の頭痛に悩まされ
雨に打たれ寒さに凍え、
アンデスの美しさも厳しさも
たっぷり味わったこの2週間。
ひとまずこのクスコで疲れを癒せそう。
街の中心部までやってくると
カフェでひと休み。
一週間以上も共に旅路を共有した
アウレリオさんともここでお別れ。
引き続きお互い
良い旅をしていきましょう!
ということでペルー第二の都市「クスコ」に到着。
ただ休養をとるだけでなく
この都市の周辺には楽しみな観光スポットがたっぷり。
一度、自転車を置いて
“休日”を楽しんでいきます!
2024.11.26
【226日目 12,651km】
プキオを出発し、ブラジル人サイクリストの
“アウレリオ”と走り始めて4日目。
ナスカを出発しアンデスの山々を走り始めてからは
8日目となります。
「クスコ」を目指しつつも
標高4,000mの旅はまだまだ続きそう。
走り始めの朝8時頃。
気温は7°ぐらいだろうか、
ほんのり寒いくらい。
道脇でこちらを見つめてくる
モフモフ達は
この高所でも温かそう。
出発して1時間走った所で
集落に到達。
その集落がそのまま峠に
なっていました。
ここから一気に
下り坂をおりていく。
峠の向こうを見下ろすと
ゴツゴツと隆起した山を
うねるように道が続いています。
アンデス突入以降
何度かこんな景色を見ているけれど
これはいつ見ても爽快。
標高4,200m地点から
一気に3,000m地点まで
下りてきました。
ここからしばらく平地になり
ペルーでは初めて
水の流れる川に沿って進みます。
一気に下ったことで
気温がぐっと上がります。
朝は寒くて冬用のタイツを
履いていたので、
ここで荷物をひっくり返して
衣替え。
数十kmにも渡って
平坦が続くなんて
何日ぶりだろう。
力まず気持ち良く
ペダルを漕いでいるときは
自転車って良い乗り物だなと思う。
ちょうど昼頃に町に到着。
チャンチョ(豚肉)の丸焼き
でお腹を満たす。
アンデスの高所ではマスばかり
続いたので肉が嬉しい。
疲労回復にはやっぱり豚です。
午後からも川沿いを走ります。
スタートのナスカと比べて景色がガラッと変わりました。
砂漠から森林帯へ、アンデスにはいろいろな表情がある。
夕方4時頃、
久しぶりに100km超を走って
「サンタ・ロサ」という
小さな町に到着。
ほとんど登りのない道が
最高に気持ちいい日でした。
寒さを嫌うアウレリオさんの
リクエストもあって
ここ数日、宿に泊まることが多い。
ベッドで寝られるのはいいけど
毎日じゃなくでいいかな。
お金も掛かってしまうし…。
プキオ出発5日目。
気持ちの良い布団で目を覚ますと
今日も走り始めます。
昨日に引き続き
今日も平坦な道が続きます。
景色は単調だけども
ここ数日が過酷すぎたので
良い休憩です。
たまに楽な日が無いと体が持たない。
標高3,000mまで下りると
アルパカは姿を消し
集落が沢山あらわれます。
4,000mというのが
人間の生活圏には適さない
というのがよくわかる。
路肩の食堂にてお昼休み。
ペルーはスープ料理が
充実しているのが嬉しい。
疲れて食欲無い時でも
エネルギー補給のため
ささっと体に流し込めるのが嬉しい。
午後からは上り坂。
山中にある町を目指すのですが
獲得標高は600m。
そこそこの高さだけども
数千m級を登り続けたことを思えば
なんてことのない高さ。
斜度はそれなりだけども
フラットな道が続いたこともあり
脚が絶好調。
スイスイと漕ぎ続け
どこまでも登れそうなほどです。
ランナーズハイ的なものだろか…。
2時間以上にも渡って
坂を上り続けたところで
「アバンカイ」の町に到着。
山の斜面にへばりつくように
町が広がっており
どこも坂だらけで大変。
プキオから連日走ること5日間。
町の中心に位置する宿に泊まり
ここで1日休みをとることに。
山を登って下りての繰り返しで
遅々として進まないようだけど
クスコは徐々に近づいているはず。
到着の晩に食べたこちらが逸品でした。
その名も“アエロプエルト(空港)”。
名前の由来は謎ですが、チャーハンに細い麺が混ざったもので
まさに関西で食べられる“そば飯”なんです。
これまでの食堂でもメニューにあったけど
ここで食べたものが、ごま油の風味も良く
日本でも通用するくらい圧倒的に美味しかった。
もちろん麺なしでお米だけのチャーハン(チャウファ)もありますよ。
ついでにペルーの代表的な料理を
ささっとご紹介します。
“カルド・デ・ガジーナ”
鶏をよく煮込んだスープに
ソフト麵とじゃがいも、ゆで卵
が入った国民的スープ料理。
当たりのお店だと本当に美味しく
まさに鶏塩ラーメンです。
“ロモ・サルタード”
牛肉とじゃがいもを炒めたもので
ほとんど必ずご飯がつけ合わせ。
シンプルで予想通りの味なんだけど
お腹がすいているときの
食べ応えは抜群。
“セビーチェ”
以前もご紹介した
白身魚を柑橘系の果汁で
マリネしたもの。
サッパリとした前菜で
日本人はみんな大好き。
中華料理がかなり国民食として浸透しているようだし、
セビーチェに至っては
日系移民が持ち込んだ食文化の影響なんだとか。
メキシコにおける“タコス”のような
アイコニックな一品が無いように思えるけど、
その背景には他国からの影響を受け入れ
多様化してきた食文化の歴史がひしひしと感じられます。
まだまだ滞在中はペルーグルメを満喫していきます。
2024.11.22
【223日目 12,472km】
ナスカから3日間かけ
4,000mの峠を越えてやって来たのはプキオ。
まだまだアンデス山脈まっ只中ではありますが
つかの間の休みを満喫しています。
平地などほとんど無い
傾斜の急な山間に
これだけの町があるという驚き。
人の数も多いし
これだけの建物や物資が
存在していることが信じられない。
滞在していたのは
こちらのホテル。
観光で訪れるような場所
ではないけれど
¥1,000ちょっとで泊まれる宿が
沢山並んでいます。
路上の屋台で売ってた“コカ茶”。
砂糖が入って飲みやすく
高山病の予防効果もあるそう。
コカの葉は精製しだいで
“ヤべぇ白い粉”も作れてしまうので
日本に持ち込みはできません。
1日休んで町で疲れを癒すと
またクスコに向かいペダルを漕ぎ始めます。
その道のりは当然のように急な山道。
標高3,200mに位置する
プキオの町から、
再び登っていく。
町の周辺は農耕地として
開拓されているようで
畑が広く続いていました。
出発から1時間ほど。
道の上で出会ったのはブラジル人サイクリストの“アイレリオさん”。
コロナ禍の中断をはさみつつ10年近く世界を旅しています。
南米大陸が最後でもうすぐゴールのブラジルに向かうところ。
一緒に走ろうという約束をするでもなく、
ただ一本道をのろのろ走るものだから
当然のごとく共に走ることになりました。
今日は標高を
1,000m上げていく行程。
大変な高さですがアンデス突入後では
ほぼ毎日これぐらい上っています。
一日のうち平坦な道なんて
ほとんどない。
高所あるある。
日焼け止めやコンタクト洗浄液など
フタを明けた瞬間、膨張した空気と共に
「ボフッ」と中身が飛び出します。
この時も相撲取り一人塗れる分の
日焼け止めがこぼれてしまった。
大変だったのがこの日の午後。
路肩で適当に昼食を済ませ、
再び始めてしばらくのことでした。
標高4,000mに近づいた頃に
激しい頭痛に襲われたのです。
「ちょっと休むから先行っといて」
とアウレリオさんに告げ
しばし道端に寝ころび
休むことに。
なかなか痛みが治まらず
1kmほど戻った食堂にて
休ませてもらうことに。
前回の峠越えでもそうだったけど
僕はどうやら3,800mを境に
頭痛が発生してしまう様。
登山においても高い標高に体を慣らす
“高度順応”が必要ですが
まだそれが十分ではなかったみたい。
低気圧下で膨張した血管が
脳をギシギシと圧迫するそうです。
ここまでの頭痛はなかなか無い。
そのまま食堂でテント泊
させてもらうことも考えたけど、
連絡の取れないアウレリオさんに
心配かけてしまうので
頭痛がおさまった2時間後
再び走り出すことに。
そして走ること10kmほど。
別の食堂に到着しました。
「今日はここまでかな」と二人で示し合わせていた場所です。
「追いかけてこないから心配したよ」
と待ってくれていた彼。
さらに頭痛を心配してくれた
食堂のお母さんが
コカ茶を用意してくれました。
人の暖かさが体に染みる。
晩御飯は魚のマス。
カリカリに素揚げされたマスを
素手で持ってかじりながら、
ご飯をかき込むという
日本とそう変わらない
スタイルの食事。
そのまま食堂奥のスペースで
寝させてもらうことに。
標高4,200mに達するここは
深夜0°まで冷え込みます。
アラスカ以来の防寒をして
ゆっくりと床に就きました。
プキオ出発2日目。
朝食にはちょっと重たい牛肉のスープを食べたら
この日も出発です。
昨日から残る頭痛を我慢しつつ、
坂を上るごとに人生最高標高を
記録していく未体験の高所を
なんとか登り続けました。
爽快感のある景色に反して
過酷なアンデスの道のり。
坂を上った先の湖の広がる一帯が
台地になっており
ここからはしばらく平坦な道が
続いていく様子。
昨日プキオを出たばかりだけど
すでにクタクタです。
そして不安が的中した昼過ぎ。
砂漠と森林の境にあたるこの地域。
雨季のはじまりは連日
午後から雨が降ってしまうらしく
どんよりとした雲はあっという間に
雨を降らせ始めました。
急いで漕ぎ進めるなか
ナスカ=クスコ間では最高標高となる
4,500m地点を通過。
ただ景色も良くないし
雨で体が凍え始めているので
ささっと通り過ぎることに。
晴れてたら景色良いんだろうな
と思いつつも、
やがてすぐ横で雷もなり始めました。
避難する場所もなくただただ
無心でペダルを漕ぐ。
昨日まで雨なんて考えもしなかったのに。
60kmほど走った所で
「ネグロ・マヨ」という
集落に到着。
まだまだ走れる時間だけど
悪天候と寒さのため
ここで滞在することに。
村に一つしかない食堂で
唯一のメニューは魚のマス。
カリカリに素揚げされたマスを
片手に持ちかじりながら
ごはんをかき込む、
という行為を最近した気がする。
プキオ出発3日目。
前日の厚い雲は去って、朝からいい天気。
ただ季節的な雨は毎日続くので、
今日も晴れているうちに進んでおきたい。
ちなみにこの宿の2階に泊まっていました。
まだ標高4,200m程度なので
まだ頭痛は残ります。
自転車のガタンという振動で
脳が揺れる。
早く下って
気持ち良く走りたい。
町を離れてほどなく
ついに彼らが現れました!
南米を象徴する動物ともいえる
モフモフ科モフモフ属「アルパカ」。
牛と同じで横を通ると
すっごい見てきます。
出発から10kmあまりで
大きな谷に差し掛かりました。
これが絶景で
勢いよく下りるのがもったいなく
カメラを構えながら
ゆっくりと坂を下る。
こうした雄大な風景こそ
大陸ならではだと感じます。
数百mにも渡って下り続ける道路。
自然が作り出した大地の芸術に
思わず見とれます。
過酷だけど圧倒されるアンデス。
下る途中にもモフモフが。
よーくみたら毛並みが
交換前のダスキンモップみたい
なんて思っても言っちゃダメです。
可愛いで通ってるんだから。
過酷な環境だから汚れるのも仕方ない。
さらに下ると平原いっぱいに
アルパカ達がいました。
写真の小さな点がほぼ全てアルパカです。
夜空を埋める星のようにホント沢山。
このなかに羊もまぎれているので
探してみてください。
谷を下り切った所に
小さな集落があり
そこで昼食を済ませます。
昼間の気温は太陽が出ていれば
16°くらいでしょうか。
割と温かいです。
午後から谷の反対側へ
上ろうとしたころ、
やはり暗雲が立ち込める。
雨が降り出す前に
400mの高さを
登り切ってしまいたい。
と思いきや頂上付近で
やはり雨に打たれてしまう。
民家のガレージ的なスペースにて
ひと休みすることに。
結局降りやまず
2時間の足止めをくらいました。
雨が上がったタイミングで
再び漕ぎはじめ、
谷の頂上までやって来ました。
太陽が隠れると
とたんに気温が下がってしまう。
服の脱ぎ着が大変。
峠の向こうには
緩やかな下りが長く続いていました。
ブレーキを握る必要もない
絶妙な傾斜で
気持ち良くどこまでも下る。
坂道の後のこのご褒美がたまらない。
峠から20kmほどの所で
「ウアラコヨク」という集落に到着。
¥800の安宿に泊まることに。
4,000m付近の寒さと
悪天候のせいで
テント泊から離れてしまっている。
想像すらできなかった高所へ上ることに
不安を感じていたアンデスサイクリング。
頭痛に悩まされたりと苦しいこともありますが、
見たこともないような絶景に圧倒しつつ
南米大陸ならではの旅を楽しんでおります。
2024.11.18
【219日目 12,336km】
リマから6日間かけてやってきたナスカ。
一応は目視確認できた地上絵に満足したことにして
砂漠の町で2日間の休養をとりました。
次に向かう目的地は
かの有名なマチュピチュ観光の
拠点となる街「クスコ」。
距離にして600kmあまりですが
これがただの道のりではなく
文字通り大きな“壁”が立ちはだかります。
それは南米大陸を縦に貫くアンデス山脈。
4,000mにも及ぶ山嶺を
自転車で越えなければなりません。
もちろん山脈なので、
一つ峠を越えて終わりではなく
登っては下り、を何度も繰り返します。
休養を終えたらいよいよ出発。
クスコまで2週間弱はかかるだろうか。
山間に現れる町で休憩をはさみつつ、
ゆっくりと確実に進んでいこう。
ナスカの町を南に出ると
あっという間に民家は無くなります。
遠くに見える山が
少し怖くすら感じる。
けれど最高の景色も持っているはず。
南米旅もここから本番という気持ちです。
道程は初日からかなり過酷で
1日目に2,000m、
2日目には1,500mと
いきなり標高を上げていきます。
アルメニアで経験した1日あたりの
獲得標高の最高記録、2千mに並ぶ。
出発から4時間経ったお昼ごろに
1,000mを登りました。
後ろを振り返るとこの景色。
荷物を積んだ自転車で上るのだから
ひと漕ぎひと漕ぎが重い。
時速7kmでゆっくり進みます。
交通量が少ないのが幸い。
通過するほとんどが大型トラックで、
九十九折りの道を猛スピードで
走れるはずもなく
エンジンをうならせつつも
徐行で僕を追い抜いていきます。
事前にルートチェックはしてますが
思わぬ場所で把握してなかった
フードトラックを発見。
昼食はパンをかじって済ませたけど
路上で人と会うことも無いので
喋りながら言い息抜きになる。
ペルーに来てよく飲むのが
こちらのインカコーラ。
コーラよりもオロナミンCに近い味です。
駄菓子屋の安いジュースみたいだけど
飲み慣れると美味しくなくはない。
まぁ、あくまで“美味しくなくはない”。
大型トラックの走行を考慮してか
傾斜がさほどキツくないのも
なんとか登れる理由です。
立ち漕ぎもせず座ったまま
なんとかペダルを回していく。
後ほど苦しむことになるけど。
午後3時頃、標高2,000m付近に到達。
後ろを振り返ると波のように隆起した山々と
それを縫うように敷設された道路が見える。
さらに進んで夕方5時。
数軒の家屋が並ぶ集落に到着。
十軒あるかないかだけど
ここでどんな生活が
営まれているのだろうか。
トラックが通過するだけの場所なのに。
一軒の食堂があったので
入ってみることに。
牛肉とじゃがいもの煮込み。
ペルーの人はお米も良く食べます。
日系文化の影響もあるだろうか、
食事はかなり美味しいです。
食堂の裏手にテントを張らせてもらう。
聞くと、各国のサイクリストが
立ち寄ってるみたいです。
他に食べる場所もほとんど無いので
皆同じ場所になるよね。
疲れ果てて7時過ぎには就寝。
ナスカ出発2日目。
テントを開けると標高2,500mのアンデスが目に飛び込む。
筋肉の張った足をほぐしたら今日も登りはじめます。
今日は標高4,000m付近まで登る予定。
ナスカで買っておいた高山病の予防薬を
走行前に飲んでおきます。
未体験ゾーンに突入する不安もあるけど
もちろんワクワクもある。
ちゃんと自力で登れるだろうか。
走り始めると食堂の犬が
追いかけてくれました。
昨日の夜、全力で
なでなでしすぎたのかもしれない。
そんな切ない目で見つめられると
出発しにくくなるじゃないの。
走り始めて1時間したところで
集落に到着。
数十km置きにいくつかの食堂も
あるようなので、
これらを頼りつつ
高所アンデスの旅を進めていく。
前日よりも若干ながら
傾斜が緩い気がする。
今日の獲得標高は1,500mだけど
昨日の疲労がある分、
よりしんどく感じる。
クスコに着くころにはボロボロだ。
前日ほど九十九折りの峠もなく
難所らしい所もないんだけど
平坦になる瞬間がほぼないので
体力的にも精神的にも
こたえます。
坂を上ると次の坂が待っている。
そして午後3時頃、
標高3,800mと富士山よりも高い場所に到達した時点で
いよいよ高山病の症状が出始めました。
ズキズキと頭が痛むのに加え、
立ちくらみのように瞬間的にフラッと力が抜ける。
同時に脚の疲労もかなり溜まっているので
自転車を降りて押しながらゆっくり進むことに。
夕方5時前、集落に到着し
休める場所は確保できそう。
もちろん食料は持ち運んでいますが
疲れていることもあって
なるべく栄養と食べ応えと温かさの
あるものが欲しい。
標高は遂に4,000mに到達。
日中は半袖で走っていましたが、
夕暮れが迫ると同時に
一気に気温が下がります。
気温を保持する空気が少ないからか、
ここまで極端な変化は体験したことが無い。
唯一のメニューは
魚のフライと付け合わせに
ジャガイモ。
何でもない料理なんだけど
これが揚げたてで
最高に美味しい。
ナスカ出発3日目。
そのまま食堂の横でテントを張らせてもらいました。
明け方は2~3°まで冷え込むけど、
日が出ると一気に15℃以上まで上昇します。
お世話になった食堂の店主「アナさん」。
週末には町へ下りて
民謡の歌い手をされています。
動画も見せてもらったけど
素晴らしかった。
伝統音楽の生演奏も見たいなあ。
走り始めてすぐの道。
若干のぼり気味なんだけど
それでもここまで平坦な道は
アンデス突入以降
初めてでなかろうか。
スイスイ進むのが気持ちいい。
そして10kmばかり走った所で
標高4,150mの峠に到達。
クスコまでの道のりにおいて
序盤の最高点となります。
まだ、ここより高い場所もあるけど
ここまで一気に登らなくていいはず。
黄金色の草が大地を覆う
標高4,000mの風景。
昨日からの頭痛がうっすら残るけど
呼吸については
さほど息苦しさを感じません。
ちょっとずつ順応しているのか。
峠の向こう側には
果てがうかがい知れないほど
長く続く下り坂が伸びていました。
ここから1,000m近く
標高を下げていきます。
これだけ登ってきたとは信じられない。
途中にいくつかの
集落を通過しながら
3,200m地点まで降下。
最高に気持ちいいんだけど、
どうせまた登ると思えば
嬉しいばかりではないのがアンデス。
山地とあって
牛や羊もたくさん飼われてます。
耳に飾りをつけるのが
アンデススタイル。
そういえば、もふもふした
あの動物はまだ見ていません。
小さな川を越えると
また登りが始まりました。
急峻な山を3日も漕いでると
もう頑張ろうとすら思わなくなる。
押してでもいいからとにかく前へ。
早く町で休みたい。
ちなみに南半球なので季節は
日本と逆転して、ただ今ペルーは春先。
といっても赤道に近いので
この辺りは冬でも雪が降らないそうです。
アラスカを思えば、
アンデスの寒さは何でもない。
午後からも黙々と
登りが基調の道を進み
夕方4時頃、
ついに眼下に広がる町を
確認できました。
あぁ、ベッドで寝られる。
滑り降りるように最後の坂を下り
あっという間に「プキオ」の町に到着しました。
ナスカを出発してアンデスを走ることまずは3日。
たったの150kmですが、濃い道のりでした。
クスコはまだまだ先だけど
休みを挟みつつゆっくり進んでいきます。
2024.11.13
【214日目 12,171km】
首都リマを発ち、南米旅が始まって4日目。
引き続き都市を結ぶ主要道に沿って
南へと下っていきます。
景色はいよいよ本格的な
砂だらけの砂漠へと
移り変わってきました。
“南米すなわち山”という印象だったので
ここまで広大な砂漠が広がっている
ということにビックリ。
町や村の近くの道路上には
車のスピードを抑制するための
突起物がよくあるのですが、
ペルーのはひとつずつがデカい。
高さが10cm弱ほどあるので
停まってゆっくり越えなければ。
60kmほどを走った昼過ぎには
目的の街「イカ」に到着。
リマから300kmほどで、
ここまで大きな規模の街は
出発以来初めて。
先を急がず、今日はここで泊まります。
予約していたゲストハウスにチェックイン。
ペルーは南米屈指の観光立国とあって
それなりの規模の街であれば
安価な宿が充実しているようです。
テントを張る場所も見つけやすいし
ペルーの宿泊事情は良好です。
パパっとシャワーだけ浴びると
オート三輪“トゥクトゥク”に乗って
街の郊外にある観光名所に向かいます。
自転車移動ばっかりだから
他の交通機関で移動すると
ちょっとテンションが上がります。
やって来たのは砂漠のオアシス“ワカチナ”。
イカからほんの2km西に位置する観光スポットです。
写真の通り砂漠にぽっかり穴が開いたようにオアシスがあり、
その周りに小さな町ができている珍しい光景。
水辺には背の高いヤシの木が影を作り
建物がぐるりとオアシスを囲みます。
その背景には数十mに及ぶ砂丘が
ズンと存在していて、
独特な景色を作っています。
これもイメージしてた南米とは違う。
オアシスのほとりに立ち並ぶのは
カフェや宿ばかりで
すっかり観光の町に
なってしまっているそう。
日中の気温は25°くらいでしょうか
影もあるのでそんなに暑くない。
砂丘から見下ろした夕暮れのワカチナ。
本当は日が沈みきった夜景を撮りたかったけど
砂を舞い上げる風と寒さのせいで早めに宿へと切り上げることに。
リマ出発5日目。
イカの街を出る前に路上屋台で朝食を済ませます。
ペルーの皆さんが良く食べるのは
パンに切り込みを入れたサンドウィッチ。
具はソーセージや卵、アボカドなど色々です。
朝夕の気温は13°くらいで
一枚羽織りたいくらいの
気持ちいい寒さ。
日中も汗が滴るほどではなく
旅をしていて一番快適な気候です。
すぐ高山に行くので続かないですけど。
イカの街を過ぎると
道路状況が一気に悪くなりました。
路面のひび割れが酷いし
細かな凹凸も多い。
これらのせいでスピードに乗れないのが
小さなストレス。
午後からは周囲の家屋が激減し
よりディープな砂漠へと
突入していきます。
遮るものが無いから
横からの風がもろに吹き付ける。
思うように進めない。
トラックドライバー向けの
休憩所として、
まれに食堂や商店が現れます。
気温がさほど高くないので
そんなに喉は乾かないけど
座って休める場所が嬉しい。
砂漠を突っ切る一本道。
結局午後は延々と
この景色を走ることになりました。
「あそこまで頑張ろう」という
標石が無いから
メンタルがやられます。
5時頃、手招きされた路肩の商店で
スイカをご馳走になります。
クーラーでしっかり冷えた
果汁が喉に体に染み渡る。
砂漠で食べる果物って
最高に美味しいです。
この先の村まで行って
夜を過ごすことを伝えると、
「もうココで寝てきなよ」と
彼らが寝泊まりしている
道路を挟んだ向かいのプレハブ小屋を
案内してくれました。
6時を過ぎると夕日が沈み、
おぼろ気になっていく地平線を眺める。
首都の喧騒を離れ
雄大な南米の自然へと徐々に
踏み込んでいくのを感じます。
砂漠で過ごす夜は気持ちが良い。
夕食も呼ばれてしまいます。
牛豚も食べるけど一番身近なのは
やはり鶏肉。
そして定番の野菜はジャガイモ。
どっちもスープに沈んでしまって
見えないですが。
プレハブ小屋で目を覚ましたリマ出発6日目。
深夜は少し冷え込むので久しぶりに寝袋の登場。
夜はちょっと寒いくらいの方が熟睡できます。
出発前には朝食までご馳走に。
ご飯に卵を乗っけたもの。
タンパク質と炭水化物が取れて
もう言うことないんだけど、
強いて言うなら醬油をかけたい。
卵にほんの数滴の醤油をかけたい。
名前も無い、村ですらない場所で
一つ思い出が出来ることこそ
自転車旅の魅力。
ペルー旅はスタートから
良い出会いが続いています。
ルイスさん、ありがとう!
昨日と変わらない砂漠を進む。
なかなか写真では
伝わりづらいかも知れないけど、
ペルーの大地の広大さに
圧倒されています。
そして、空が大きく感じられる。
しばらく進むとこんな道が。
南米初のトンネルです。
狭くて暗くて怖いのですが、
手前に信号代わりに
係の人が立っているので
安心して進むことが出来ました。
トンネルと抜けるとそこは雪ぐ…、
長い下り坂が待っていました。
グネグネと九十九折りに
なっているのですが、
これがかなりの急こう配で
ブレーキを必死に握り恐々と下る。
坂の下に村があり
そこでランチ休憩。
魚のフライを頼みました。
川でとれたモノらしく
マスの仲間だそうです。
鮭みたいなピンクの身が美味しい。
食事を済ませ村を出ると
緩やかながらも長い上り坂が
待っていました。
ギアを軽くして
ゆっくりゆっくりペダルを回す。
じわっと汗をかき始める。
坂を上り切った先は標高600mに位置する砂漠地帯。
看板に記されているのは“LINEAS DE NAZCA(ナスカの線)”。
そう、かの有名な「ナスカの地上絵」が描かれた一帯です。
南米大陸を代表する世界遺産に到着したところで
気分も高揚します。
テレビなどで何度も見てきた古代の遺産を
遂に間近で見られるチャンス。
砂漠に入ってすぐの所に
こんな見晴らし台が建っています。
高さ20mくらいはあるだろうか、
ここに上ればきっと
大地に描かれた太古のアートが
目の当たりにできる。
しかし近づいてみると
何やら封鎖されている様子。
ガードマンに確認すると、
ここ一カ月ほどメンテナンスの為
利用不可だとのこと。
「ウ、ウソでしょ…。」
「いや、ちょっと上るだけだからいいじゃん。
アラスカから走って来たんだよ。これを見るために!」
と無駄だろうな、と思いつつ食い下がったけど
やっぱり無理なものは無理でした。
期待していただけに、これはガッカリ…。
仕方なく見張り台を離れ
1kmほど走った先に
小高い丘がありました。
鉄塔の半分くらいの高さしかないけど、
現在地上から見えるのは
ココしかないそう。
丘の上からは大地に連なる一本の線が見えました。
太さ2~3mほどの線が地平線の果てまで続いている。
世界遺産にも登録されている「ナスカの地上絵」。
最も古いもので紀元前3,000年頃から存在しているのだとか。
古代ナスカ文明の遺産でありながら
その線が描かれた目的、方法は
現在でもはっきりとは分かっていないそうです。
他にもいくつもの細い線が
あらゆる方向へと伸びています。
太陽や月の軌道と重なるものもあり
暦との関連もあるそう。
メキシコのマヤ遺跡でも感じたけど
太古の遺跡にはロマンが詰まっている。
あたりの砂漠は小石や砂利が多く
それらの石を綺麗に横に除けるだけで
線が描かれています。
地面に深々掘られてるわけではありません。
数千年も維持されているのは
ほとんど雨が降らないおかげ。
コンドルやクモのモチーフの絵が有名ですが
それらはセスナ(小型飛行機)からでないと
見ることはできません。
発見されたのも飛行機が発明されたここ100年の話で
ホント何のためにこんなものが描かれたのか…。
ロマンです。
30kmほど続く砂漠を再び走ります。
そこらに絵が点在しているのですが
当然サイクリスト目線では
見えるはずもなく。
「あぁ、横に地上絵あるんだなぁ」と
感受性をマックスにして進みました。
砂漠を走り切った所で
「ナスカ」の町に到着。
地上絵を目的にやってくる
観光客が滞在する場所です。
ちなみにセスナ飛行は1万5千円ほど。
僕は怖いので¥100でも乗りたくない。
飛び込みでやって来たゲストハウスにチェックイン。
リマから6日間かけてやって来ましたが
ペルー旅のスタートは
人との出会いあり、魅力的な観光地ありで
充実の旅路となりました。
2024.11.9
【211日目 11,959km】
日本人宿「桜子」ではたっぷり5日間の滞在。
出発時には、
最後の夜にやっと会えた日本人旅行者の方と
オーナーのナツキさんに見送られ
ついに南米旅がスタートです。
南米大陸はじめの国、
そして自転車旅においては34か国目となるペルー。
古代文明が遺した多くの文化遺産や
数千mにもなるアンデス山脈の雄大な光景など、
とても楽しみにしていた国の一つです。
期待と不安を胸に南へと走り始めます。
宿から1kmも走らないうちに
高速道路の乗り口へ。
首都から出るためには
高速道路を進むのが
安全かつ早いそうです。
ちょっとドキドキ。
メキシコは自転車走行が公認だったけど
ペルーではグレゾーンだそう。
ただ料金所でも警察にも
止められないので
事実上オッケーみたい。
路肩も広く落ち着いて走れる。
首都とはいえ高層ビルが
立ち並ぶのは中心の
ほんの一部分だけ。
あとはレンガ造りの建物が
埃っぽい景色を埋め尽くします。
地震が来たら絶対危ない。
新たな大陸とあって
出発前は緊張もあったけど
しばらく走ってしまえば
これまでとなんら大きく
変わることはありません。
ただペルーはクラクション多めかな。
「ここを過ぎるまでは
寄り道なしで突っ切って!」
と忠告を受けていた
“ヴィジャ・エルサルバドル”。
丘の上がギャングの巣窟らしいけど
出発から30kmほどで無事通過。
安全地帯までたどり着いたところで
ガソリンスタンドにて昼休憩。
出発前にナツキさんから
おにぎりとスナックを頂きました。
おかげで余計な買い物もせず
ここまで来ることが出来た。
しばらく走った所で
限りなく広がる太平洋が
お目見え。
バハカリフォルニアでもそうだったけど
はるか向こうにある故郷・日本が
つい頭をよぎる。
夕方になると街も無くなり
ゴツゴツとした岩肌ばかりで
緑のない山々が姿を現しました。
ついこないだまで走っていた
ユカタンのジャングルとは
似つかない風景。
夕方5時を過ぎた頃、リマから90km地点の
「プラジャ・レオン・ドルミド(眠る獅子の海岸)」に到着。
もっと走る予定だったけど、思いのほか日の入りが早い。
ビーチの左手にある大きな岩が
ライオンが寝ている姿に見えるとのこと。
写真の左が頭で、右がおしりです。
砂浜に並んだ海の家のうちの
一軒に尋ねると
テントを張ってもいいとの
許可を頂けました。
ペルー走行初日はとてもスムーズに
野営地を確保。
夕食もここで頂くことに。
海水浴客向けなので値段は高め。
鶏肉を揚げたものに
ポテトとライスで¥1,000ちょっと。
ペルーの相場の把握がまだだけど
毎食こんなに高い訳じゃないです。
ほどなく太陽が海へと沈んでいきます。
言うまでもなくここは海抜0m。
数日後にはここから4,000m
のアンデスまで上っていくんだから
正直全然想像がつかない。
本当に上れるのだろうか…。
リマ出発2日目。
メキシコカンクン到着から昨日のリマ出発まで
10日間空いたものだから、体がなまって仕方ない。
夜の19時半には寝たのに目を覚ますと朝の7時。
ほぼ12時間の爆睡でございます。
テントを畳んですぐ出発と思ったけど
海の家を営業する方から
「朝ごはんも食べていきなよ」
とお誘いを受けたので
お言葉に甘えることに。
これはラッキー。
朝からたまたま親戚の方も
集まっていたそうで
なんだか賑やかな朝食に
なってしまいました。
申し訳ないのでパラソルを運んだり
営業の準備を手伝います。
出発が遅れて今日も予定の街に
着くこと出来なさそうだけど、
こんな理由で足止めされるなら
いくらでも大歓迎です。
フランシアさんご一家、
どうもありがとう。
走り出した道は
昨日と同じ埃っぽい景色。
ペルーといえば山
というイメージだったけれど
それ以上に砂漠が広がっているよう。
とにかく砂が多いです。
リマから数百kmに渡る海岸線には
高級住宅街がたくさん存在します。
白くて無機質な建物が
のっそりと佇んでいる。
全く風景に溶け込んでないんだけど
ほんとに人が住んでるのだろうか。
リマを出発した昨日の午後から
ほとんど景色に変化がない。
退屈といえば退屈なんだけど
これがペルーなのか。
道は綺麗なので
気持ち良くは走れています。
砂漠といえば平地のイメージですが
実はかなり起伏もあります。
ユカタン半島が
ほぼ平らだったこともあって
足がビックリしている。
立ち漕ぎなんて一か月振りじゃないかな。
今日も90kmほど走った所でストップ。
名前も分からない村の食堂で
とりあえず夕食をとります。
まだ料理の名前を覚えてないので
いちいちどんなのが出てくるかも
分からない。
リマ出発3日目。
結局昨晩は食堂の前にテントを張らせてもらいました。
すごい静かでお客さん来るのかなと思ったけど、
日が暮れると高速バスが何台も止まって
百人以上のお客さんが次から次へとやってきました。
休憩地点になってるみたいです。
いざ走り始めると灰色の空。
リマ滞在中もそうだったけど
この辺り午前中は
雲がかかりがちなようです。
雨が降らないからいいんだけど
せっかくなんでスカッと晴れて欲しい。
メキシコほどそこらじゅうに
屋台があるわけじゃないけど、
村や町にたどり着けば
手頃な食堂が沢山あります。
もうちょっとパターンが見えてきたら
ペルー料理もまとめますね。
リマから200kmほど離れると
交通量もかなり落ち着いてきました。
新しい国に入るとまずは
交通事情が不安。
とりあえずこれまでのところ
猛スピードのトラックはいません。
明日には目的の街に
余裕をもってつきそうなので
今日は70kmちょっとでストップ。
「パラカス」という町の外れに
¥1,500の安い宿を
見つけることが出来ました。
いよいよ始まった南米の旅。
まだ海岸線をのんびり漕いでるだけだけど、
先に待ち構えるアンデスの山岳地帯へと
少しずつ距離を縮めていきます。
2024.11.5
【207日目 11,703km】
メキシコのカンクン国際空港にて。
大きな荷物を携えてタクシーで無事に空港までやってきました。
23kgの荷物を2つまで預けられるチケットを購入しております。
おかげで料金は倍に跳ね上がり、全部で7万円ほど掛かりました。
自転車の重さは把握しており箱に入れた状態で21kg程度。
もう一つの旅の荷物がすべて入ったカバンは、量ってすらないのに
なんとほぼ限度重量の「23.1kg」!
この時は自分で自分を褒めてあげたくなりました。よしよし。
(0.1kg分は見逃してくれます。)
尚、心配していたメキシコ入国審査のスタンプ押印が無い件ですが
移民局の事務所に行くと
ティファナ国境にて払うはずだった¥5,000程度の入国税だけ払って
すんなり押印してもらえました。3分で終了。
「最悪、搭乗拒否されたりして」なんて思ったけれど
心配事の9割は実際には起こらない。
宿を出る前に晩御飯を済ませたけど
離陸が深夜1時とあって
やっぱりお腹がすいてしまう。
¥2,000の無駄に高いバーガーが
メキシコ最後の食事になってしまった。
味はとても普通。
そして、予定通り深夜1時に飛行機は離陸。
なにかと不安の付きまとう空路移動もとりあえずはひと安心。
時間も時間なので席に着くなり爆睡してしまいました。
約5時間の飛行の後、現地時間の朝6時に
南米ペルーの首都・リマの空港に到着しました。
ちなみにカンクンとリマに間に時差は無し。
実は、僕は飛行機に乗るのがあまり好きではなく
飛んでる間は不安で仕方ないので、
無事着陸した時にはパイロットの方に、心の中で大きな拍手を送っています。
今回も衝撃の少ない見事な着陸でした。
入国審査を終えると
すでに2つの荷物が
受取所に置いてありました。
過去に例がないほど
スムーズな流れで空港を出られそう。
荷物もすごく綺麗だし。
そのまま空港を出てしまうと
競り市場のごとく
タクシーに声を掛けられまくるので、
ちょっと割高だろうけど
無難に空港オフィシャルタクシーを
利用することに。
余裕のあるサイズの車を
ご用意してもらえました。
飛行機を降りてこの時点まで
ほぼ全ての行程に待ち時間が無く、
30分程度でやってこれました。
幸先のいい南米旅のスタート。
予約している宿までは20km程度。
窓の外に広がる雑然としたリマの街を
キョロキョロと見渡す。
暑い雲が覆っているせいで
スカッとした気分にはなれない。
アラスカ到着時も曇ってたな。
まだ朝も早い7時過ぎに着いたのは「お宿 桜子」。
日本人のオーナーさんが経営されており、
南米を旅する日本の旅人の間では有名な
いわゆる“日本人宿”です。
久しぶりに日本の方との
交流を楽しめると思ったけど
いくつもベッドが並ぶドミトリーには
なんと僕一人だけ。
いいんです、いいんです
一人好きだから。
結果、滞在中には一泊利用の方が
2組泊まっただけ(それも個室)。
広いドミトリーにポツンと一人で眠る毎日でした。
いいんです、いいんです
一人好きだから。
到着当日は移動の疲れもあるけど
何もしないのも勿体ないので
早速、自転車の組み立てを。
数日前に分解したばかりなので
ここではとてもスムーズに
作業が進みます。
翌日からはバスに乗って
リマの中心部の旧市街へと出かける日々です。
のんびり観光という訳にもいかず、
南米旅本格スタートの前に
やっておかなければならないことがいくつもある。
※
ちなみに、今回のブログは
“飛行機移動”と“治安の良くないリマの散策”ということで
カメラを持ち歩かず、スマホで撮影した写真が大部分です。
普段より画質悪いのでご了承ください。
まずやってきたのは電気街。
カメラ周辺機器ばかりのお店が
いくつも並んだエリアへ。
実は、ユカタン半島で
カメラと三脚を固定する“クイックシュー”
という部品を紛失おりました。
同サイズのクイックシューが
見つからないので、
「雲台」というパーツごと
新調することに。
取り寄せになるかも、と思ってたので
すぐ見つかってよかった。
飛行機に乗る前の
梱包作業中に気が付いたのは、
荷物を取り付けるリアキャリアの
ネジ穴が金属疲労で折れていたこと。
暑さ寒さに加え、乾燥と湿気も。
三大陸も巡ればこれだけくたびれて当然。
近くの自動車工場で溶接を
お願いしましたが、
軽量スチールの接合は難しく
これが上手いことくっつきません。
他の場所を尋ねても
無理だと断られてしまいました。
どうにも難しそうなので
ホームセンターで“エポキシ樹脂”を
購入し、自分でくっつけてみる。
ついたけどこれでは弱いだろうな。
応急処置にすぎないけど
一応これでオッケーとしておく。
10,000km以上を走って
かなりすり減った後輪のタイヤ。
メキシコではかなりパンクの回数も増えていました。
大陸規模のサイクリストがほぼ全員使用している
ドイツメーカー“シュワルベ社製”のタイヤ。
耐久性では群を抜いていると評判の製品。
果たしてペルーで見つかるだろうか。
旧市街の自転車ショップエリアで。
分野ごとのお店が密集しているのが
とても助かります。
ただひと通りのお店を見ても
シュワルベタイヤは見当たらない。
違うのを試してみようか…。
手に入れたのはCSTという
台湾メーカーのタイヤ。
¥5,000のシュワルベに対し
わずか¥1,500なので、
3本以下の交換で南米を走り切れたら
CSTの勝ち、結果はいかに。
空港に向かうタクシーで失くしたのは
ウインドブレーカー。
ユーラシア・アフリカを共にしただけに
最後まで一緒に走りたかった。
ご提供いただいたモンベル様、本当に申し訳ございません。
こちらは旧市街の衣類の問屋街へ。
最初はワクワクしたけど
店が無数にありすぎて探すのが大変。
そもそもアウトドア用のジャケット
というものの取り扱いが少ない。
山岳国家なのに。
購入したのはコロンビア製の
ウインドブレーカー。
限られた選択肢の中から
選んだので、あまり気に入ってないけど
これなしで旅はできないので
仕方ない。
という具合に、旅の後半戦に向けて
諸々の準備を整えておりました。
すっきりまとめて書いていますが、
たった一日でスムーズに見つかったのは三脚の部品くらい。
他のものは数日探したうえに、妥協して選んだりもしているので
“のんびり4日間”の予定だったリマの滞在は
“バタバタの5日間”になってしまいました。
最後に滞在中に食べた
ペルーの料理をご紹介。
白身魚をレモンなどの
柑橘系の果汁でマリネにした
“セビーチェ”。
サッパリとして日本人なら誰もが好き。
新鮮な魚じゃなければいけないので
内陸に入ると食べられないだろうな。
一番感動したのは、牛のハツ(心臓)を
串焼きにした“アンティクーチョ”。
スパイスに漬け込んでるので臭みもなく
新鮮だからかすごく柔らかかった。
日本の焼き肉屋を思い出す
最高のグルメでした。
全大陸でも一番といわれる
南米産の牛肉。
市場では200gを
¥250ほどで買うことが出来ました。
シンプルにフライパンで
ステーキにしてみる。
いざ食べると、評判に違わないその美味しさ。
決して“良い肉”とはいえないランクだろうけど
ちゃんと柔らかいし、塩コショウで焼くだけで
しっかり旨味があります。
いよいよ始まる南米旅。
料理だけでなくどんな人がどんな風景が待っているのか、
目の前に待ち受けるすべての出会いが楽しみです。
準備が整ったら、いよいよペダルを漕ぎ始めます!