2025.03.21
【341日目 18,425km】
3週間に及ぶ「アウストラル街道」の旅の果てに
ゴールの村“ヴィジャ・オイギンス”に到着。
いくつかの商店とパン屋さんがある程度で
少し歩けば見て回れるほどの小さな集落です。
滞在していたのは宿、兼キャンプ場。
チリも南下するにつれ
物価が上がってきてるので
テント泊を選びます。
疲れてはいるものの
慣れてしまえばテントも快適。
滞在中には連日
アウストラル街道を走り終えた
サイクリスト達がベッドを求めて
宿にやって来ました。
イギリス、スペイン、フランスなど
特にヨーロッパ勢がたくさん。
さてさて、
オフロードの続いたアウストラル街道を走り終えたことで
すっかり達成感を覚え、羽を伸ばせるかと思いきや
そんなことはなく僕はとてもソワソワしておりました。
というのも
ビジャ・オイギンスから南に待つアルゼンチンに向かうには、
ボートで湖を越え、自転車を抱えトレッキングルートを進む
という大変な道が待ち構えているんです。
その道のりがサイクリストの間では
“世界一過酷な国境越え”ともいわれるほどハードなもの。
そんな厳しい道のりを50kgにも及ぶ自転車で
乗り越えられるかしら、と
不安で不安で夜しか眠れません。
そんな不安を和らげてくれる予期せぬ出会いが
キャンプ場に待っていました!
僕と同じ日にヴィジャ・オイギンスに到着したのは
大阪からお越しの千田(せんだ)さん。
穏やかな笑顔が印象的な千田さんは、
定年退職の節目に2ヵ月かけてパタゴニアを自転車旅されております。
これから向かう国境越えの道は、立ちはだかる困難に向かうため
ペアでの走行が推奨されているのですが
お互いソロサイクリストということで、ここからしばらく
手を取り合って進んでいくことに。
千田さん、よろしくお願いします!
まずは湖を渡るために
週に2回しか就航していない
ボートの予約をする必要があります。
実は、木曜日のボートを狙って
ちょうど良い日にちに村に着くよう
走行を調整していたのです。
ところが最初の困難が…。
翌日木曜の便は
強風予報のため欠航に。
よくあるとは聞いてたものの
早速、出鼻をくじかれる。
でも金曜にはどうやら出られる模様。
宿からは僕たちを含む
5人のサイクリストが
国境越えに挑みます。
各々入念に自転車の手入れをしたり
道中の食料を準備したりと
戦闘態勢を整えていく。
そして、ヴィジャ・オイギンスにて3泊した後の朝。
風を考慮して普段より早く出発するというボートに乗るため
村から7km離れた港を目指し朝の5時45分に出発。
早いし寒いんですけど…。
日の出ていない暗がりを走るのは今回の旅で初めてです。
30分あまりで港に到着。
ここにきてやっと
「アウストラル街道」終点の看板が。
少し達成感を感じるものの
今日待ち受ける道のりが不安で
正直それどころじゃない…。
他の宿に泊まっていた
サイクリストの方もおり
計11台の自転車が港に集いました。
「全部乗るの?」と思ったけど
パズルの要領で上手に
積み込みも完了。
じっくりと日が昇り始め
全ての荷物が乗った8時前に
ボートは出港。
思いのほか穏やかな水面を
滑らかに進んでいきます。
2時間余りで向こう岸へ。
10時過ぎに着岸。
ここから20kmに及ぶ山道を進み
隣国アルゼンチンを目指します。
自転車に荷物を取り付けていく
サイクリストを眺めながら
緊張感を感じる…。
港から急こう配を1kmほど登った所で
チリの出国審査がありました。
一人一人の面談で時間がかかるけど
同じ便の人たちより早めに着いたので
スムーズに通過。
2ヵ月に渡るチリ旅もここで終わりです。
いよいよ国境越えのはじまり。
最初の5kmがかなり急峻でもちろん地面は未舗装。
数日晴れが続いたからぬかるんではいないものの、
乾いた砂のせいで踏んばる足が滑る。
じんわりと汗をかきながらも
2時間程度
自転車に乗り降りしながら
ゆっくりと進んだところで
気が付けば勾配の緩やかな
エリアに突入。
木の生い茂る山道には
美しい木漏れ日が降り注ぎます。
最初は上るのに必死だったけれど、
周囲に目をやると
なんて素敵な道を走ってるんだろうと
幸せな気持ちにすらなる。
やたら木が整っていると思うと
目の前から
ガウチョ(南米のカウボーイ)
のおじさん登場。
牛追いをされてたのでどうやら
このあたりは管理区画らしい。
それからも数kmにわたって走りやすい道が続いていました。
気温も10℃前後で走りやすく
あたりの紅葉した木々がなんとも美しい。
時におしゃべりをしながら、
時に黙々としずかに、
千田さんの背中を追うように
ペダルを踏み込んでいく。
僕より荷物が少ないとはいえ
千田さん、速いです。
そしてちょうど15時、
スタートから15km地点で
アルゼンチン=チリ国境に到達。
イミグレーション(入国審査)は
もう少し先だけど
かなり順調にここまでやってこれました。
ここからゴールまでわずか5km。
“過酷な道なんて大したことないじゃん”と思いながら
アルゼンチン側を進み始めた矢先、
山道はその表情をガラッと変えたのです。
道幅は極端に狭くなり、凹凸も激しく漕げない箇所もしばしば。
まず大変なのが道を横切る小川。
深さは10cm程度のことが多いけど
まともに踏み込めば靴は濡れるので、
傍に横たえられた丸太を渡りつつ
アスレチックの要領で
浸水しないように渡っていく。
これがひとつふたつならまだしも
次から次へと現れるから大変。
先をいく千田さんの足取りを参考に
ゆっくりと一つずつクリアしていきます。
これは確かにペアがいると
精神的にも助けられる。
さらに行く手を阻むのは倒木。
迂回できないこともしばしばで
こればっかりは自転車を持ち上げて
進んでいくしかありません。
最初は楽しみつつこなすけど
徐々に体力は削られていく…。
と、この数点の写真を撮ってくれているのは千田さん。
悠長に写真を撮ってもらえるということは
まだ余裕があるからに他ならず。
この後、公道ではありえないほどの急斜面が続き
時に後ろから支えてもらいながらかろうじて進む、
という状況が続きました。
やっと平坦な場所を見つけ、時間と距離を確認すると
なんとたった1km進むのに1時間半も掛かっていました。
単純計算であと4km進むには6時間を要してしまう。
そして何より足を引っ張っているのは僕。
協力しながらといいつつも、
ただただ助けてもらっているだけ
という申し訳なさに加え
二人ともがゴールに辿り着けない可能性を考慮し、
「千田さん、僕はどっかで野宿してもいいから
もう先に行ってください…」
そう伝えました。
しぶる千田さんを何とか説得して見送ると
心細い一人の旅路が始まりました。
ただ最初の1kmが特に過酷だったようで
徐々に平坦な道も増えてきた。
出来る限り進んで、最悪どこかでテントを張ろう。
時にあらわれる急坂も
もう押してくれる人はいないので、
どうしても登れない所は
全ての荷物を外し
何度も往復をして
かろうじて進んでいく。
一人になって1時間。
ゆっくりと進んではいるけれど
まだ川も坂もありそうだし
お腹も減ってきたしで、
ゴールにたどり着く自信も
無くなってきた。
“やっぱりテントを張るしかないか”
とうつむき気味に自転車を押していると
前から人影が…。
千田さぁーーん!!
ゴールを見下ろす展望台まで進んだところで自転車を置いて、
「やっぱりほっとけないよ」と
僕を助けに戻ってきてくれたんです。
1番重いカバンを背負い先導してくれる千田さんの左膝は
擦りむけて血が流れているではないか…。
「早く助けに行こうと思ったらコケちゃって」
あぁ、千田さん…。
その後も大きな川があり
荷物の着脱を繰り返し
なんとか進んでいく。
「ここまでしてもらったからには
何としてでもゴールせねば」
再び心に火が灯ります。
そしてゴール1km手前、
景色の開けた展望台にやってきました。
ここまで来ればもう確実に
日没までにイミグレーションに
たどり着けるはず。
そして、目の前の広がるのは…
パタゴニア地域を代表する名峰“フィッツロイ”。
雲に覆われることも多く、
「今日の道で綺麗に見えるといいね」
と二人で話していたその山は、
1日の苦労を労うように完璧な姿を見せてくれたのです。
アウトドアブランド“パタゴニア”
のロゴマークにも使用される
その凛々しい姿を目にするため
多くの観光客がやってきます。
でもこの角度から見れるのは
この国境ルートを渡った人だけ。
ここからはもう
ウイニングランの気持ちでのんびり、
と思いきや最後の川。
せっかく荷物を積みなおしたのに
ここでまたほどく。
もう二度とこんな道来たくない…。
そしてついに19時半、
日没前にアルゼンチン側の
イミグレーション到着です。
パスポートにスタンプが押される様子は
この日乗り越えた困難を
評価してもらったかのよう。
イミグレーションの横は
無料のキャンプ場になっており
一緒にボートを渡った方々も
みんなここで夜を明かします。
アメリカ人サイクリストに
千田さんの傷も手当してもらう。
ということで、かろうじて難所を攻略し
国境を越えることが出来ました。
一人では決して乗り越えることが出来なかった道のりですが
最高の出会いに恵まれ
前に進むことができた喜びを嚙み締めつつ眠りに落ちます。
千田さーーん!
2025.03.18
【338日目 18,398km】
「アウストラル街道」最後の休養地となる“コクラン”に滞在中。
何日か走り続けて、山間のひっそりした町でひと休みをする
という街道サイクリングのルーティンが心地良くなりつつあります。
そして休養日は必ず快晴。
走行日も晴れて欲しいけど、まぁ良しとする。
宿泊はコチラのお宿。
休みは一日だけなので
町はちょろっと歩いて回る程度で
そんなにじっくり見たりはしません。
写真整理や荷物の整理やら
何かと地味に忙しい。
どの地域よりもたくさんの
サイクリスト達に出会える
アウストラル街道。
「今どこまで行った?」と
SNSでやり取りできるのは
現代の旅の魅力です。
宿のキッチンが使用不可だったので
夜は久しぶりの外食。
食材が豊富じゃないからか
ステーキにポテトと目玉焼きを
添えただけのもの。
これが¥1500近くしちゃいます。
休養を終えると再び南へと漕ぎ始めます。
町の周辺は嬉しいアスファルト舗装。
アウストラル街道に突入してからは21日目となりますが、
ゴール地である“ヴィジャ・オイギンス”という村は
ここから200km、あと4日で到着の予定です。
天気は概ね晴れの予報。
ここまで雨に苦しんできたけど
終盤戦は割と天気に恵まれる
ことが出来そうです。
青空が広がると
やっと景色を楽しむ余裕も出てきます。
コクランを出て10kmあまり走った所で
未舗装路へと変わっていきました。
アップダウンも激しく
思ったほどスムーズには
距離が伸びていきません。
時には押しながら黙々と前へ。
雪を被った山々と
その麓に鬱蒼と広がる森林。
旅の始まり・アラスカの景色を
彷彿とさせます。
南北の両極に近づくほど
風景も似てくるのが面白い。
アウストラル街道の象徴ともいえる
木々のトンネル。
気持ちよさそうに見えるけど、
路面はガタガタと洗濯板状の
“コルゲーション”なので
走りにくいこともしばしばです。
65kmを走った夕方5時半ごろ。
道路から開けた場所が見えたのでテントを張ることに。
遠くに岩山を臨む最高の景色です。
澄み切った清流が
さらさらと流れる川辺。
水が流れる音以外には
何も聞こえない静かな場所です。
贅沢なパタゴニア大自然のキャンプ、
素敵な時間が過ごせそうです。
雨が続いたことで
あまり良いキャンプも出来てなかった分
最高の気分で焚火を眺めました。
とっぷり暗くなるとパチパチと
薪の爆ぜる音を聞きながら
テントの中で読書、あぁ幸せ。
コクラン出発2日目、
前日とは違って雲が掛かった重たい空模様。
降られなきゃいいんだけど
とにかく可能な限り早く進んでおこう。
と思ったら、パンク。
凸凹道に強くタイヤを
打ち付けてしまいました。
もうタイヤも擦り減って
ツルツルだけど、このまま
ゴールを迎えられるかしら。
くねくねと
左右にそして上下に
森の道はどこまでも続いていきます。
意外とバイクや車も多くて
皆さん結構飛ばしていくので
砂埃が小さなストレス。
僕とは反対方向へ進んでいく
アメリカのカップルと遭遇。
なんと数回に分けてアラスカを
目指すそうです。
あんな遠いとこまで行くなんて…。
良い旅を!
午後3時頃、二手に分かれた分岐に到達。
ここから左に曲がって、
久しぶりのフェリー乗船が待ちうける港に向かうのですが
その前に大き峠越えをしなければいけません。
400mほどとさほど高くはないけど
勾配が異常なまでに急でした。
斜度10%はあろうかという箇所もあり
坂というよりもはや壁。
結果わずか2km進むのに
40分も要してしまいました。
最初の2kmを過ぎてしまえば
傾斜も落ち着いて若干緩やかに。
しかし今度は雨が降ってきてしまった。
雨宿りなどできる場所はなく
もうこれは濡れながら進むしかない。
はぁ、最後までびしょ濡れなのか…。
結局、峠を上って下るまでに
3時間近くかかり
ようやく港が近づいてきました。
30分以上雨に打たれたので
頭からつま先までびしょびしょ。
今日は薪ストーブで乾かせそうにもない。
さらに進んで港到着。
6時の最終便はもう出てしまったようので、明日まで待たなければ。
あぁ、寒い…。
港の待合室が解放されてました。
係員も誰もいないので
ここで夜を越すことに。
雨もしばらく降り続きそうなので
とりあえず屋根の下で
眠ることが出来て嬉しい。
屋内だけどテントを設営。
テント泊ばかりしてると
テントの狭い空間の中の方が
落ち着いて眠れるんです。
若干ながら寒さ対策にもなるかな。
旅人病でございます。
コクラン出発3日目。
目を覚ましてゴソゴソ準備をしてると、
湖の対岸に向かう10時の始発フェリーがやって来ました。
「アウストラル街道」序盤以来、久しぶりのフェリー移動です。
わずか40分で対岸に到着。
昨日パンク修理時に変なとこ触ったのか
ギアの調子が悪く、調整をしておきます。
作業してるとお腹も減ったので
インスタントマッシュポテトで腹ごしらえ。
気付けばすっかりお昼になってました。
12時になってようやく出発。
対岸もこれまでと変わらず
未舗装の林道が続いておりました。
ゴールの“ヴィジャ・オイギンス”
までは残り90km。
雨は昨日ので終わりにしてくれ。
2時間ほど走った所で、路上に停まった一人のサイクリストが。
北上しているというアイルランド人のキムさんですが
チェーンが切れて困っていたようです。
僕は道具を持ってるので、修理をしてあげることに。
スムーズに作業は完了。
普段は他人に
助けてもらってばかりなので
お役に立てて光栄でございます。
お礼にクッキーを頂きました。
キムさん、良い旅を!
「この先、大きな峠よ」と
キムさんから情報を貰ってたのですが
標識がものスゴイ角度。
これ、わざとなのかミスなのか。
でもこんなの張られると
おかげで覚悟はできます。
さすがに標識が示すほどではないけど
確かに坂は急でした。
それでは1時間ほどで
峠を越え下り坂へ。
雨がまたブレーキすり減ってるので
下りが怖い…。
予想以上にアップダウンが激しく、
そもそも出発が遅かったこともあり
朝の港から30kmちょっとの所で野宿をすることに。
「アウストラル街道」最後の夜も
ゆっくり焚火と向き合うことが出来ました。
この先、ここまでの大自然の中で
野営することも無いかもしれないので
どうしても野宿で
締めくくっておきたかった。
コクラン出発4日目。
そして、アウストラル街道走行24日目。
いよいよ今日にはゴールに到達できそうです。
遂に最終日と
意気込んだのはいいものの、
朝からとんでもない斜度の
アップダウンが続いておりました。
ほとんど漕ぐことなどできず
押しながらゆっくり進む。
峠に差し掛かった所で
振り返ると、雄大な景色が。
さっきまで走っていた道を
はるか下に見下ろす。
最悪ヒッチハイクも想定してたけど
なんとか自力で完走できそうです。
お昼を過ぎたところで
ようやく道は平たんになり青空も広がり始めました。
このまま晴天の下、ゴールできそうです。
そのまま緩やかな道が続き
景色を楽しむ余裕も出てきました。
湖畔の爽やかな道を行く。
アウストラル街道だけで
いくつの湖を見てきただろう、
とにかく緑と青がどこまでも広がります。
やがてちょっとした起伏も無くなり
道がどんどん穏やかになってきました。
絶対、最後まで雨なんだろう
と思っていたので
青空を拝みながら走り終われるなんて
すごく幸せ。
そして、夕方4時半頃
ついにアウストラル街道のゴール「ヴィジャ・オイギンス」に到着しました!
スタートの街・プエルトモントから距離にして1,200km、
東京から九州に至るほどの長さに及ぶ道中は
たくさんの雨と森と水辺に溢れていました。
そして、余裕がなくてほとんど写真に撮れなかったけど
たくさんのサイクリスト達と出会えたのも、この道ならでは。
達成感を覚えつつも
オイギンスの村自体は
地味というか、簡素というか
ひっそりとしてホントに静かな様子。
でもこの静けさこそが
“最果て”を感じさせてくれるのかも。
しばらく好天が続くようなので
ここではキャンプ場に滞在することに。
アウストラル街道は走破したものの、
実はまだ“冒険”は続くのです…。
2025.03.14
【333日目 18,398km】
大雨に降られながら逃げ込んだ“アンヘルさん”宅の小屋で
テントを張らせてもらった翌朝。
コヤイケの街を出発して4日目、
「アウストラル街道」を走り始めてからは
16日目になります。
用事があると、僕より少し早く
家を出発していくアンヘルさん。
トラックに荷台には
“山勇畜産”の文字。
でも実は左ハンドルだったりして、
どんな経路でここにやって来たんだろう。
出発準備中は
ちらっと青空も見えたけれど
走り始めるころには
やっぱり雲に覆われ
パラパラと小雨が降り出す。
今日も濡れるんだろうなぁ。
出発1時間のところで
やはり激しく降り始めました。
たまたま見つけた小屋に避難。
じっとしてると
濡れた体が凍えてくる。
はぁ、もうパタゴニア辛い…。
待てど暮らせど止まない雨に
「もうどうにでもなれ」と
ヤケクソで走行再開すると
意外にすっと
雨は弱まってくれました。
漕いでた方が体は暖まる。
途中の道端にあったのはコチラの墓地。
ひとつひとつがこの地域でよく見られる
ログハウスを模した可愛らしいカタチをしてます。
丘の上の墓地からは
美しい湖の景色が見える。
“温かい小屋の中で
綺麗な景色を眺めて欲しい”
という亡き人への思いやりが伝わる
素敵なお墓です。
午後からは少しづつ
晴れ間が広がりました。
青く輝く大きな湖面に、
雲を被った急峻な山々。
ようやく想像通りの
パタゴニアの風景を眺められた。
湖のほとりを進む道路は
起伏に富んでおり
まっすぐのんびり漕がせてくれません。
かなり急な上り坂も随所にあって
じわっと汗をかきながら
必死に押して進んでいく。
午後5時前に到着したのは
「プエルト・リオ・トランキーロ」。
湖畔の小さな町です。
“あるスポット”を訪ねて
多くの観光客がやってくるので
小さい町ながらも
たくさんの宿があります。
僕もそのスポットに行きたいので
ここでひと休みすることに。
トランキーロの町に到着した翌朝。
宿からほんの数百メートル歩くと
南米大陸で2番目に大きな湖
「ヘネラル・カレーラ湖」が目の前に臨めました。
“その場所”へは10人乗りの
小さなボートで向かいます。
「アウストラル街道」はじめての
観光らしい観光だけど
今日は朝から快晴。
気持ち良く現地まで向かえそうです。
「けっこう揺れるし、水も掛かるからね。
カメラは預かるからこのカバンに入れてくれ」
ボートの操縦士さんにそう言われて少しビビる。
穏やかな湖ののんびりクルージングだと思ってたのに。
やがて、モーター音を轟かせ
風が荒らす水面を切るようにボートが進み始めました。
距離にして3kmほどでしょうか、
15分ほどの予想以上に激しいクルージングを終えると
目の前には目的の場所が…。
それがこちらの「マーブル・カセドラル」、
岸壁を水が浸食してできた自然の洞窟です。
“大理石の大聖堂”の名の通り、
表面はゴツゴツとした無骨な岩肌ながらも
繊細で美しい模様をしています。
まるで大理石のよう…、
ではなくこの洞窟は実際の大理石なんです。
外から眺めるだけと思いきや
ボートはぐいぐい洞窟の中へ。
ターコイズブルーの鮮やかな水面を
反射する洞窟が一段と美しい。
そもそも湖の色が綺麗なのも
大理石の成分のおかげなのだとか。
かつて海だった一帯には貝やサンゴが堆積しており、
その海底が隆起して陸地に。
そこを氷河が削って湖が出来たうえで
貝やサンゴのカルシウムがマグマの熱と反応し、
大理石が形成されたそう。
そもそも基となる貝やサンゴを解析すると、
チリではなく遥か北にあるエクアドルあたりから
漂流してやってきたものである可能性も高いとか…。
つまり何万年と気の遠くなるほどの
長い年月をかけてできた
自然の芸術が今目の前にあるということ。
皮脂によってphが変化してしまうので
たとえ近づいても触れるのは厳禁。
まぁ、普通の人は触らない。
地形として大理石と水が
触れ合う位置関係にあるのは
地球上でこの場所だけだとされており
「世界で最も美しい洞窟」
という由縁もそこにあります。
パタゴニアならではの絶景ということ。
カヤックで周辺を漕ぐツアーもあります。
地元の人からも勧められてたけど
“どうせ雨だろな”と止めておきました。
でも僕が自転車を漕がない日は
天気が良いんです。
そういう風になってるんです。
こちらの大理石でできた大きな岩は
教会に見立てられており、
実際に結婚式も挙げられるそう。
こんな大自然で挙行できる式なんでロマンチックですね。
走るばかりだったうえに
雨に打たれてイライラしがちだった
アウストラル街道。
世界各地から多くの人が
やってくる理由の一つを
やっと目にすることが出来ました。
コヤイケ出発6日目。
“マーブル・カセドラル”の観光と町での休養により
ずぶ濡れによる疲れとストレスもリセットできました。
上りは多いけど、今日は天気も良いようだし
晴れやかな気分で漕ぎだします。
この水の色は
なかなかカメラに収めるのは
難しいだろうな。
すごく綺麗な
ターコイズブルーをしてるんです。
本当ですよ。
湖畔の道は常にアップダウン。
そして野生動物にも遭います。
キツネが横切ったと思えば
頭上には2m弱はあろうか
というコンドルが羽ばたいていきました。
本当ですよ。
気持ちの良い晴れではないけど
雨が降らないというだけで
快適さが格段に増します。
雨多いけど動物に襲われないパタゴニア、
天気良かったけど熊に恐れてたアラスカ、
どっちが良いだろうなぁ。
道路脇の草むらでランチ。
のんびりひと休みと思いきや
無数の蚊が襲撃してきました。
「あぁー!!」とイライラしながら
振り払う姿は、遠くから見たら
変な人だったと思います。
大きいものから小さなものまで
たくさんの湖があちこちにあります。
このターコイズブルーはパタゴニアの象徴として
ずっと記憶に残りそうだ。
絶えず水辺とセットなのが急な坂道。
上り坂も大変だけど
砂で滑るうえに
凹凸だらけの下りを行くのも
かなり神経を使います。
もう汗だく…。
夕方6時に「ベルトランド」
という村に到着。
キャンプ場もあるらしいけど
天気も悪くないし
休養日以外は
基本的に野宿をしたい。
まだ体力も余裕があったので
川に沿った道をもう少し進みます。
「世界一美しい林道」とも言われる
アウストラル街道。
美しいかはわからないけど
とにかくどこまでも森が続きます。
ベルトランドから10kmあまり走った所で
平らな場所を見つけキャンプ。
地図を見る限り静かな川辺かと思いきや
数百mの眼下に激流を望む一大パノラマでした。
景色良いけど、なんか落ち着かない…。
コヤイケ出発7日目。
テント撤収中は雨が降ってたけど
走り始めるとすぐに小雨になってきました。
「アウストラル街道」も
終盤を迎えつつあるけど、
ゴール前最後の休養地には
今日到着する予定。
またしてもずぶ濡れの荷物を
今すぐ乾かしたい。
数百mの峠から見下ろす渓谷。
街道の序盤に比べて
かなり起伏が激しくなっています。
最も高い標高でも600m程度だけど
とにかくアップダウンが多いから
決して楽な道のりではない。
さっきすれ違ったサイクリストに
「こっから町まではずっと下りだよ!」
と言われたけど
結構上るじゃないか…。
地球上には下り坂よりも
上り坂の方が多いんですって。
出発したキャンプ地からはわずか35kmなのに
5時間近くも掛かって「コクラン」の町に到着。
アウストラル街道のラストスパート前に
ここでひと休みしていきます。
2025.03.10
【329日目 18,206km】
アウスロラル街道の中間地点にして
最も大きな街「コヤイケ」に滞在中。
昨日まで降り続いた雨は止み、
晴天のもと遥か遠くにはパタゴニアの山々が見えます。
リフレッシュの為に
コヤイケでは2日間の休養。
パタゴニアの玄関口である
「プエルトモント」から
10日間走り続けたことに加え、
直近5日間は雨ばかりで身体はクタクタ。
トレッキングやサイクリングの
合間の休憩地点という位置付けで
街そのものには
さほど用事はありません。
ひたすらベッドで横になってたいけど
片付けておきたいこともたっぷりある。
まず最優先事項は装備品を乾かすこと。
とにかく雨に降られ続けたことで、
あらゆるものがジメッと湿り不快極まりない。
パタゴニアを進む限りどうせまた降られるんだろうけど、
一回なんとしても綺麗にリセットしておきたかった。
そして、プエルトモントで買った
安物ペダルの交換。
途中で応急処置はしたものの
長続きはせず、
気付けば左右ともに
ボキッと折れていたんです。
雨により急激に磨り減った
ブレーキパッド共々
ここで交換しておきます。
ゴールが近いからと
いい加減なものを選んだのが失敗。
“安物買いの銭失い”とはこのこと。
2日間の休養を終えると再びサドルにまたがります。
1200kmに及ぶ「アウストラル街道」ですが
ここからは後半戦に突入。
町を出ると、開けた平原が
どこまでも続いておりました。
深い森林を縫うように
進むことが多かったので
この開放感のある景色は新鮮。
山頂に雪をかぶった景色も綺麗。
今日の獲得標高は1,000mあって
地味に上りの多い行程だったけど
景色も良いうえに
久しぶりに天気も良かったからか
全然苦しく感じることも無く。
ずっとこの天気が続いておくれ。
昼前の11時と
のんびりスタートだったけれど
夕方5時頃には
60kmあまりを走り切って
予定していた無料のキャンプ場に到着。
まだ明るいけど早めに切り上げ。
無料の割には手入れがしっかりされていて
居心地最高。
せっかくの大自然の旅、
毎日こんなキャンプが続いたらどんなに幸せだろう。
(これから数日先の予報をチェックしてるからこそ切なくなる…)
煌々と降り注ぐ太陽の下、
読書しながらコーヒーを飲むなんて
最高の贅沢。
さらにチョコチップクッキー
まであるんだから言うことない。
(あぁ、明日からも晴れてくれたら…)
日が暮れた頃に食べるのは
やっぱり今日もパスタ。
街を出た直後は食材も豊富だから
調理自体が楽しくなる。
ジェノヴェーゼとトマトソース
の日替わりです。
コヤイケ出発2日目。
昨日上りきっていなかった坂を
ちょっとだけ上る所からスタートです。
道路脇の“動物注意”の看板が
ヤギになったりキツネになったり。
鳥は多いんですが
哺乳類の野生動物は見ていません。
この地域にはネコ科の“プーマ”が
生息してるけどかなりレアだそう。
コヤイケ以降は
ほとんど未舗装になるのですが
このあたりはまだ
綺麗なアスファルトが続いております。
この道がどこまでも
続いてくれればいいんだけど。
やがて峠を越えると
蛇のように曲がりくねった
九十九折りの下り坂が。
大自然を整った道路が
貫く様はどこか
ヨーロッパのようでもあります。
坂を下った先で「セロ・カスティージョ」という町に到着。
“アウストラル街道”沿い有数のトレッキングスポットで、
僕も1日休んでちょっと歩こうかとも思ったのですが
あいにくの天気なのでスルーすることに。
町でひと休みしてから
午後の部突入。
朝から薄く広がっていた雲は
徐々に厚みを増してきました。
さらに起伏も激しくなり
気分も重たくなる。
やがてこちらの見晴らし台に到着。
実はここから、先ほどの町の名にもなっていた
“セロ・カスティージョ”というパタゴニアの名峰の一つが
見えるのですが、残念ながらその姿は見ることは出来ず…。
このあたりで少し気持ちも折れてきました。
アウストラル街道の魅力は、道中に待ち受ける絶景の数々。
しかし悪天候が続くばかりで
正直期待していた景色を見ることが出来ていません。
トレッキングの予定を中止にしたり、
雨を避けるためアウストラル街道を逸れていく
他のサイクリスト達と「まぁ、仕方ないよね…」と
傷を舐めあうのが精いっぱい。
やれやれ、とため息をつきつつ
再び漕ぎ始めたところで
看板に書いてあるのは
「舗装路、終了!」のお知らせ。
分かっていたことだけど
いよいよか、はぁ…。
やがて雨も降り始めました。
瞬間的にひどく降ることもあるけど
基本的に雨粒は小さなことが多く
写真では分かりにくいほど。
パタゴニアの雄大な自然の支えだけど
もうちょっと晴れの日もあって欲しい。
前日と同じく60kmほど走った所で
川辺にちょうどいい場所を発見。
軽い雨なら木が防いでくれそう。
先人が焚火の後を
残してくれていたので
ありがたく再利用させてもらう。
あまり気分の良い日じゃなかったけど
揺らめく炎をぼんやり眺めるのが
ちょっとした癒しになりました。
コヤイケ出発3日目。
朝方テントを打っていた雨の音は
出発の頃には鳴り止んでいました。
今のうちに少しでも進もう、と急いで準備を整える。
走り始めてすぐ
前方の山に這うように
伸びている雲が美しい。
気流は激しいようで
こっちは止んでて、向こうは降ってる
なんてのもよく見えます。
1時間ほど走った所で
割と急な上り坂に突入。
足元の砂利道が
すごく緩いワケじゃないけど
ここまで傾斜が急だと
なかなか前にも進みません。
そして坂を上ってしばらくのところで
やっぱり降り出した雨、それもかなり土砂降り。
ちょうど道路脇にキャンプ場があり避難したけれども
オーナーも誰もおらず。
勝手に小屋の下で、なついてくれない犬と一緒に
雨宿りをさせてもらいます。
なんとそのまま激しい雨は
3時間にもわたって降り続けました。
もう今日は無理か、と思った
15時過ぎにピタッと止んだ雨。
「ちょっとだけでも進むか」と
だらだら漕ぎ始める。
“テントを張れる場所はあるだろうか”
とキョロキョロしながら
林道を進みつつ、
この写真を撮った数分後。
再び堰を切ったように
この日一番の雨が降り注ぎました。
1年近く旅をしていて、この数日ほど
自転車を漕ぐモチベーションが下がったことはありません。
“止まない雨はない”とか“雨の日は雨を愛す”なんて言葉は
その日家にいて、外に出る用事がない人が他人事だから言えるのであって、
「30kgの荷物を携えてパタゴニアの砂利道を
大雨の中走ってみやがれ!」という
やり場のない怒りをここに綴らせて頂きます。
合掌。
土砂降りの中10分ほど必死に漕ぎ続けたところ。
道路脇に人家を発見し、
なりふり構わず避難させてもらうことに。
玄関を開け穏やかな笑顔で
迎えてくれた男性は“アンヘルさん”。
温かいコーヒーを供してくれました。
天使(アンヘル)の名に違わぬ
優しさを持ち合わせた
素敵なおじさんです。
凍える自分の体が落ち着いたら
濡れた衣類を乾かさせてもらいます。
ひと段落したところで、ふと
窓の外を見ると雨は止んでました。
いいんです、いいんです。
僕が屋根の下に入ると止むんです。
そのまま小屋の下に
テントを張っても良いと
許可を貰いました。
ワラの上で寝たら気持ち良さそうだけど
まず寒いし、アトピー持ちだから
絶対痒くなる。
ずぶ濡れになった上に
旅の中で最も短い25kmしか進めない
という散々な1日だったけど、
アンヘルさんの優しい眼差しは
「まぁまぁ、そんな日もあるよ」と宥めてくれているようでした。
2025.03.6
【324日目 18,051km】
アウストラル街道7日目。
「プユワピ」の宿で1泊を明かしたけれど
次の日も相変わらずの雨。
予報を見ても、地元の人に聞いても
数日は降り続くようなので、昼頃にはあきらめて走り始めます。
フィヨルドの湾曲した入り江に沿って
ペダルを漕ぎ進めます。
すぐ頭上にはふわふわの雲。
気流が激しいのか
かなりの速さで流れていきます。
おかげで雨も降ったりやんだり。
町を出て20kmほどのところで
路面が未舗装に。
細かいアップダウンもあるので
どうしてもスピードが落ちます。
この入り江沿いも、天気さえよければ
綺麗なんだろうな。
道中にはたくさんのサイクリスト達。
大体みな同じような速度なので
顔馴染みの方もちらほら。
「2日前の町でちょっと喋った、
えぇっと、ナニさんだっけ??」
というのがすごくよくある。
道の傍らでは
そこらじゅうに清流が。
宝石の道やアタカマでは
水の心配ばかりだったので、
この点は本当に助かります。
雨で少し濁ってるけど問題なし。
50kmほど走った夕方6時前。
大きな峠を前にして、今日はここまでに。
途中から一緒に走り始めた
スペイン、アルゼンチンのお二人と一緒に
道路脇でテントを張ります。
雨がヒドくなったので
夕食はそれぞれテント内での自炊。
クスクスだけでなく
パスタも持ち運んでます。
ジェノヴェーゼって和えるだけで
美味しいから便利。
アウストラル街道8日目。
朝7時、ふと目を覚ますとポツポツとテントを打つ雨の音。
悪天候が続くと分かっていても
朝からこれでは気分も乗らない…。
雨が弱まるのを待って
ようやく出発の準備が
整ったのは10時頃。
一瞬だけ顔を覗かせた太陽を
見逃さず、ちょっとだけでも
テントを乾かしておく。
今日のスタートは
6kmで600mの峠を越える
かなりの急坂。
単純計算で斜度10%。
地元の人か観光用の4WDしか通らないので
とにかく傾斜が容赦ありません。
かなり深い山の中を進みます。
砂利道なのも厄介で、
押して歩こうにも
踏んばる足が滑って
思うように進めない。
おまけに地面は水分も含んでます。
見上げる山には
怪しげに雲が立ち込めます。
海のすぐ傍である上に
山がどこまでも広がっているので
とにかく天気がすぐ変わる。
さっきは太陽がちらっと見えたけど。
そして雨が降り始めました。
決して雨粒は大きく無いんだけど
風もそれなりに吹いてるので
顔に打ち付けるのが厄介。
ただでさえ急斜面に
苦戦してるというのに…。
上り始めて3時間弱。
ほとんど押して歩いたけど、ようやく峠に着きました。
そしてここからは嬉しいアスファルト舗装。
ただ雨に濡れるとブレーキシューが
みるみる摩耗し、効きが悪くなります。
50kgの重みを止めるのは容易でなく
握りしめる手もすぐに疲れ果てます。
上りも大変だったけど
下りも同じくらいしんどい。
ようやく坂を下り切った先の
東屋で遅めのランチブレイク。
ただ気温は8℃、
雨に濡れたことで体が冷え
ゆっくり休まらない。
漕いでた方がマシなのですぐ出発。
さらに20km近く走った所で
キャンプ場を発見。
結局、ほぼ終日
雨に降られ続けてしまいました。
ここまでずぶ濡れになるのは
今回の旅で初めてじゃなかろうか。
屋根付きのサイトを選んでテントを張る。
毎日乾き切らない内にたたんでしまうものだから
日ごとにテントがカビくさくなってしまう。
あぁ、徐々に雨によるストレスが蓄積してゆく…。
キャンプ場には小さな食堂も付いてます。
薪ストーブもあるので
明日も着るものを優先的に
乾かさせてもらう。
炎をあげる薪が
体を芯から温めてくれます。
実は今日は誕生日でした。
ということで
贅沢にピザを食べちゃいます。
雨に降られて散々だったぶん
こんな小さな贅沢が
大きな幸せに感じられる。
アウストラル街道9日目。
誕生日の翌日ということで贅沢に朝食も注文。
この調子であと一週間は誕生日フェアやろうかな…。
温かいコーヒーを飲みながら、
今日も朝から降っている外の雨を見ないように現実逃避。
半日休みは数回とったものの
プエルトモントから連続走行9日目。
疲労に加えて、旅の荷物が
びしょびしょに湿ってるせいで
日に日にイライラしてくる。
ダメだ…、平常心、平常心。
前日ほど強く降ることはなく
パラパラと弱い雨が降ったり止んだり。
実は有名な国立公園も通過してるのですが
雲が覆うばかりで
景色を楽しむどころじゃない。
はやく進んで街で休みたい。
この辺りはコンドルの棲み家で
バードウォッチングもできるらしいけど
雨のせいか、何も飛んでません。
1200kmに及ぶアウストラル街道、
その全ての景色を最高の条件で
眺めるのは難しいようです。
最近、ランチはパンに
チーズとハムを挟んで食べてます。
これも気温が低いことの恩恵。
メキシコなんかでは毎日暑いから
とても食材を運ぼうとは
思いもしなかった。
ただ10℃前後の気温って
服の調整がすごく難しい。
着込むと暑いし、薄着じゃ寒いし。
もっと寒くなってくれて
冬用の機能性の高いウェアを来た方が
だいぶマシじゃなかろうか。
午後からは起伏も少なく5時に
「マニウアレス」に到着。
今日も雨が降りそうなので
キャンプ場に泊まっておきたいところ。
町に入ってすぐキャンプ場を発見。
しっかり枝の伸びた大木の下に
テントを張ることに。
大雨にはならなそうなので
たぶんこれで
大丈夫だろう。
オーナーさん宅の共有スペースでのんびり。
もっと野宿ができたらいいんだけど、
ここまで雨が続くと
つい快適さを優先してしまう。
ちなみにキャンプ場はどこも
¥1,000ほどが相場です。
キッチンを借りて夕食の準備。
薪ストーブの上で鍋をかけるのが
パタゴニアスタイル。
屋内だけどちょっとだけ
アウトドア気分を味わうことが
できます。
この日もジェノベーゼ。
雨で不快な日々も
夕食だけは
割りと充実してる気がする
アウストラル街道の旅。
いつも同じメニューだけども。
アウストラル街道10日目。
今日には街道最大の都市である
「コヤイケ」に到着できそう。
天気は当然朝から雨でございます。
谷間の道をのんびり漕いでると
うっすらと虹が!
ひたすら続く森の景色に
うんざりしつつありましたが、
久しぶりに目の前の景色に感動しました。
このままスカッと晴れてくれ。
しかし、それからも
雨は降ったりやんだり。
一時激しくなったときには
バス停で雨宿りをするほど。
ここ数日、靴はずっと
びしょびしょです。
昼頃に一軒の商店を発見。
ただこないだまで汗だくになって
飲み干すジュースが美味しかったけど
気温が下がったことで
そんなに飲み物も欲しくない。
自炊も多いし節約できてます。
コヤイケまであと
40kmに迫った午後。
徐々に空に広がる雲は薄くなり
時には日が照るようになりました。
雨が止んでようやく
周りの景色を眺める余裕が出てくる。
小さなものも含めると
アウストラル街道はとにかく
滝だらけ。
そこらじゅうで水が流れ落ちています。
さらに4時頃には
数日ぶりに青空を
拝むことが出来ました。
そして街へと向かう最後の上り坂。
これがかなり急でしかも長い。
汗もびっしょりになっていく。
そして坂を上りきったところ、
看板には「コヤイケ」まで
残りわずか10km。
連日雨に打たれて
走ってきたけど
ようやく街に着ける。
峠を越えると
一気に景色が開けました。
はるか向こうには
予想以上にたくさんの家屋が
山肌に広がっています。
気合いをいれて最後のひと踏ん張り。
通りも建物もきれいに整って
チリも南下するほど
どんどん“ヨーロッパ感”
が増しているように感じます。
ずっと森と雨ばかりだったので
清々しい気分。
そして到着しました
アウストラル街道・最大の都市
であると同時に前半戦のゴールでもある町「コヤイケ」。
滞在中は天気が良いようなので
太陽の恵みを受けつつ、ここでひと休み。
2025.03.2
【320日目 17,805km】
チリ南部の都市・プエルトモントを出発して3日目。
フェリーを乗り継いで、
入り組んだフィヨルドの沿岸に続く
「アウストラル街道」を進み始めました。
降水量が多いことで有名な
パタゴニアを進むということで
雨の心配をしてたのですが、
ここ3日間は
とても気持ちの良い快晴。
湖の青も良く映えます。
前日から続く深い森林は
まだ途切れそうにもない。
“世界一の林道”という形容が
確かに大げさではないな
と感じるほど、とにかく深い緑。
一歩踏み入れると遭難しそう。
透き通った清流が
あちこちに流れており、
木と水によって目が潤います。
数週間前に砂漠を走っていた自分に
この水をたっぷりと
飲ませてあげたい。
キャンプ場を出発して50km足らずを走った午後1時前。
目標としていた「チャイテン」の町に着きました。
ハイカーやサイクリスト達の
拠点となる場所と聞いていたので、
それなりに活気があると思いきや
昼だというのに通りはとても静か。
まぁ、町自体に見所は無いので
みんな宿でゆっくりしてるのだろう。
案の定、宿はどこも一杯で
5軒目でようやく空室を発見。
パタゴニアの自然を満喫するには
一番の夏季。
道路上でも、町の中でも
たくさんの観光客に出会います。
予定よりも早い日数で
ここまで来られたうえに、
昼には宿にチェックインできたので
明日は休養日を設けずに
もう出発してしまおう。
良い感じ、良い感じ。
アウストラル街道4日目。
せっかく宿代を支払ったので
チェックアウトギリギリの11時まで部屋でのんびり。
スーパーで食料の買い出しを済ませたら
お昼にゆっくり出発です。
しばらく人口の少ない
集落ばかりが続くので、
交通量もかなりまばら。
チャイテン出発直後は
起伏のないなだらかな道を
気持ち良く進んでいます。
すると目の前に割れた酒瓶の底が
落ちておりました。
「あっ、ヤバい」と意識するほど
避けれず踏んでしまうんですよね。
もちろんすぐにパンク。
ため息をつきながら迅速に修理。
現在の目標は、1200kmに渡る
アウストラル街道の半ばに
位置する都市「コヤイケ」。
あと400kmほどということで
これまで通り
順調にいけると良いけど…。
チャイテン出発から
50kmほどのところで
目標としていた橋に到着。
今日は昼出発の
“のんびりデイ”なので
このあたりにしておこう。
橋の下に丁度良く平らな場所を見つけ
テントを張る。
まだ午後4時で太陽も高く
目の前には綺麗な河。
良いキャンプになりそうでございます。
最近、読書熱が上がって
テントで本を読む時間が幸せ。
読書は“紙派”なんですが
長旅にはKindleがピッタリ。
ロマンはないけど
便利なものは便利です。
ここまでのアウストラル街道での
最高気温は15℃ほど。
さらに寒くなっていくはずですが
気温が低いときのメリットは
新鮮な食料を持ち運べること。
キャンプ飯も楽しくなります。
小粒パスタ“クスクス”は
どんなアレンジも可能。
オートミールと違って
「仕方なく食べる」って感じでは
ないんですよ。
ちゃんと美味しいアラブ料理です。
アウストラル街道5日目。
前日ののんびりキャンプで
しっかり体力を温存した翌日は
600mの峠越えからスタートです。
アウストラル街道走破にあたり
過去数年の先人方々の
情報を参考にしているのですが、
ここ数年で一気に道路の舗装工事が
進んでいるみたい。
ここも未舗装だと思ってました。
そのこともあって
1時間ほどで峠も順調にクリア。
砂利道で苦しむのも
良い思い出にはなるはずだけど
まぁ、道路は
綺麗に越したことはないです。
峠を下り切った所で
「サンタ・ルシア」
の集落に到着。
ちょうど昼頃なので
ここでランチブレイクを
取っていくことに。
ここで小さなトラブルが…
アラスカから2万km近く漕いできた右のペダルが
“カリ、カリ”と異音を鳴らすようになったので
プエルトモントの街で新品に交換してたんです。
「もうゴールも近いし、安いのでいいや」と
¥1,000のプラスチック製のものを取り付けておりました。
すると先ほどの峠越えで力んだからか、
気が付けばペダルが半分に折れているではないか!
安物とはいえ、たった5日で折れるとは…。
(商店のおばちゃんにテープを借りて応急処置をしましたが
たった4漕ぎしたところでまた折れました。)
折れたペダルが
若干漕ぎにくいものの、
意外と走行に支障は無く
午後からも順調に前進。
高低差50m程度の
地味なアップダウンが続きます。
午後6時頃に「ラ・フンタ」到着。
今日も野宿が良かったけど、
夜から雨が降るらしく
濡れないように
屋根のあるキャンプ場で
テントを張っておきたかったんです。
アウストラル街道沿いの町には、
広い庭の一画にテントを張らせてもらうスタイルの
キャンプ場が多いです。
風情も何もないけど、
テントを持ってるアウトドア客が多いから
安い値段で寝るだけの、このスタイルが定着してるんでしょうね。
付設の台所で今日もクスクス。
南米は屋台メシの
多いエリアが続いたから、
しばらく自炊がご無沙汰だったけど
やり始めると限られた条件下の
クッキングが楽しい。
アウストラル街道6日目。
やはり予報通り夜中に雨は降り始め
朝になっても止む様子はありません。
雨具を着たら、覚悟を決めて出発です。
あたり一帯の豊かな自然を
支えている雨は、
パタゴニア旅には付きもの。
最も降水量が少ないという
2月でさえ、
雨の日がかなり多いそうです。
そういうわけで
ここまで晴天が続いていたこと自体が
実は意外だったんです。
視界も悪いし、体は冷えるしで
決して快適ではないけど
これこそがアウストラル街道の旅。
40kmあまり走った12時頃に
「プユワピ」という町に到着。
気持ちに余裕があればもうちょっと進もうかとも思ったけど、
やっぱり雨は辛い…。
もう早いとこ宿で休みたい。
海沿いということで
町中には「TSUNAMI」の看板が。
スペイン語圏でも通じるんですね。
ちなみにインスタントラーメンの
「MARUCHAN(マルチャン)」
も南米の皆さんご存じです。
氷河の見える国立公園も近いとあって
小さな町にも関わらずそこら中が宿だらけ。
そのうちの一軒に決めると、
雨から逃げるようにチェックイン。
パタゴニアの宿は
オーナーの自宅も兼ねた
民宿スタイルが定番のよう。
私生活も垣間見れることで
どこか温かみを感じます。
時間がゆったり流れている。
雨雲が広がると同時に
気温も下がって10℃ほど。
日本の冬ほどじゃないけど
居間には薪ストーブが焚かれてました。
びしょ濡れになった衣類や靴を
ここで乾かさせてもらう。
残念ながら宿の台所は使用不可。
ここ数日テント泊の時は、自炊でしっかり野菜も食べれたけど
仕方なくこんなものを食べることに。
「MARCHAN」じゃなくて「NISSHIN」です。
でも、久しぶりに食べると美味しい…。
2025.02.26
【316日目 17,566km】
首都サンティアゴから1,000kmの旅を経て
たどり着いたのは「プエルトモント」。
海に面した都市にはたくさんのビルも建ち並んでいます。
南北に細長く伸びるチリの国土でも
かなり南に位置する
プエルトモント。
ここからさらに南に広がる
“パタゴニア”といわれる
地域への玄関口ともなっています。
街の中心を歩くと
首都サンティアゴと同じ
近代的な印象を受けます。
ただ南に真っすぐ
下ってきたこともあり
日中でも1枚羽織りたいほどの気温。
プエルトモントを訪れる観光客の多くは
周辺の火山や湖を目的とするそうですが、
街中にも見所はあります。
それが“アンヘルモ”という
街の西にある魚市場。
ちょうど滞在が週末と
重なったこともあって
沢山の人で賑わっていました。
そこらに溢れる海鮮の数々。
もちろん魚も沢山売られてるのですが
甲殻類や貝類も充実しております。
これまで海に面した都市を
そんなに通過していないので
ここまで活きの良いものが並ぶと
見てるだけでワクワクしてきます。
魚市場には当然食堂も。
チリ入国以来3杯目となるのは
「パイラマリーナ」。
貝やエビの旨味が
ぎゅっと濃縮されたスープは
海鮮の魅力を味わうには一番です。
別日に再訪して食べたのは
こちらの「チュペ」。
牛乳やパン粉がベースの
濃厚なグラタンでございます。
具材は贅沢にもタラバガニ。
そりゃ、美味しいに決まってます。
滞在していたのはコチラの宿。
到着時にはここまでの都市と同じように
どこも満室だったり高額だったりで
数軒尋ね歩いてようやく見つけた場所です。
1泊¥3,000ほどだけど
この街の個室ではかなり安い方。
しかもすごく綺麗で
これから向かう大自然に備えて
たっぷりと休養のとれる
最高のお宿となりました。
宿に滞在する時の楽しみは自炊。
ということで日中訪ねた魚市場で
サーモンとウニを仕入れておきました。
大体200gほどで¥800。
普段ウニなんて買うことないから
相場が分かりません。
クリーミーかつ塩気のあるウニは
パスタにしてやりました。
あぁ、美味しい。
サーモンは定番のムニエルに。
馴染みのある魚だけに
食べるとほっとします。
思えば日本のスーパーでも
チリ産のサーモンは多いですよね。
海鮮グルメの日々、幸せ…。
同時に泊まっていた
アルゼンチンのご家族には
マテ茶をご馳走になりました。
渋みが強いけど、日本人には
かなり合うお味です。
ちなみに上の白い粉は砂糖ですよ。
さてさて。
プエルトモントから引き続き南へと向かうわけですが、
ここから旅は新たな局面へ突入します。
南に向かうほど先細っていく南米大陸。
特に南緯40度以南、
つまりこのプエルトモントから先の地域は
「パタゴニア」と呼ばれ圧倒的な大自然が広がります。
さらにプエルトモントから続く
ギザギザに入り組んだ海岸線に沿って1,200kmに及ぶ道路
「アウストラル街道」は、
その道中の自然美を楽しむため世界中からサイクリストが訪れる
自転車乗りの聖地ともなっております。
1年通じて雨や風が多いことに加え、
寒さも待ち受けるパタゴニア。
雄大な自然の厳しさと美しさを感じながら
南北アメリカ大陸、そして世界を巡る旅の“最終章”を
楽しんでいきたいと思います。
プエルトモントで休むこと3日間、
荷物をまとめて宿を発つと
いよいよパタゴニアの旅が始まります。
海辺の遊歩道にはアウストラル街道の起点を示す
“KM0,00”の標識。
走り始めて30分ほど、
思いのほかコンパクトな
プエルトモントの郊外へ出るまでは
あっという間でした。
午前中は100%に近い率で
厚い雲が広がります。
海辺を走る道路は
まっ平らか、起伏が激しいか
のどちらかなのですが
どうやら後者であるよう。
写真では伝わりませんが
かなりの激坂です。
昼過ぎの1時には
45kmほどを走って
港に到着。
実はここで道路が途切れており
対岸へと
向かう必要があります。
パタゴニアのチリ側海岸は
氷河によって陸地が複雑に削られた“フィヨルド”
であるため、こうした
フェリーの利用が不可避なポイントが複数あります。
最初のポイントはわずか30分で料金も¥500ほど。
昼過ぎなので
ちょうど良い休憩に。
街で買っていた
パンをかじりながら
ゆっくりと流れる景色を
のんびり眺めて過ごします。
予定通り30分でフェリーは対岸へ到着。
このあたりで1泊と考えてましたが、
時間は午後2時なのでまだまだ漕げそうです。
パタゴニアを南下するにつれ
集落は減るものの、
全く無くなるわけではなく
道路沿いには人家が
まばらに現れます。
土地が安いのか立派な家が多い。
都市間を行き交う
大きな物流トラックが通らないからか
道路の起伏が容赦ありません。
公道ではあるけど
こんな急な坂は
経験がない、というほど。
平坦な道などほとんど無く
常に上るか下るかの道を数時間漕ぎ続け、
夜7時に「オルノピレン」の町に到着。
次なるフェリーの港もあるので
今日はここで泊まっていきます。
町中のキャンプ場へ。
キャンプ場というより
「裏庭にテント張って良いですよ」
という感じで、
サイクリストや登山客でぎっしり。
1泊¥1,000ほどです。
道が起伏に富んでいるうえに
フェリーの利用もあることから
ここまで2日掛かるかも、
と想定してたのですが
1日で順調に来れました。
アウストラル街道、良いスタートです。
アウストラル街道2日目。
ここ数日では珍しく朝から広がる青空の下、
港へ向かうと
すでに10時出港予定のフェリーが停泊していました。
いざ船に乗り込むと
すでに沢山の自転車が。
昨日の時点で
「どこから来たの?」なんて
全員と話せばキリのないほど
たくさんのサイクリストと遭遇してます。
今日のフェリー移動は
2つの船を乗り継いでいく行程で
60kmも南下します。
入り江を進むので
波も無く穏やか。
故郷の瀬戸内海のよう。
あたりを見回すと
チリやお隣アルゼンチンの方が
多い様子。
やはり地元の人でも
パタゴニアにはテンションあがるのか
パシャパシャ写真撮りまくりです。
3時間ほどかけて
船は港に到着。
ここから10km自転車を漕いで
次の港を目指さなければなりません。
シャトルバスが欲しいけど
景色が綺麗だから良しとする。
無事次の港について
20分ほど待ったところで
フェリーが到着。
まずはサイクリスト達が続々乗船。
地元チリや
アメリカ、カナダの方たちです。
気温は20℃を少し切る
くらいでしょうか。
船の上は風が吹くから寒いけど
走る分にはちょうど良い気候です。
まぁ多分それも今だけで
どんどん寒くなりそう…。
2回目のフェリーは45分ほどで港に到着。
この時点ですでに午後4時半。
今日は船旅メインでほとんど走れそうにありません。
といっても港付近に
町は無く、うっそうと
森が広がっているばかりなので
少なくとものんびり
テントを張れるところまでは
走らなければ。
アウストラル街道は
「世界一美しい林道」とも
呼ばれており、さっそく
奥深い原生林へと入り込んでいきます。
道は未舗装である上に
山中なのでアップダウンも多い。
港から走り始め
わずか17kmの距離に2時間半も費やして
下調べしておいたキャンプ場へ。
どうやらスタッフもいないようでタダで泊まれそう。
風に揺れる木の音を聞きながら
クスクスを茹でていると、
改めて大自然に足を踏み入れた
のだと感じさせられました。
プエルトモント出発翌日にして
ガラリと変わった景色。
ということで、いよいよ
旅の最終章・パタゴニア編が始まりました。
これから進む道には
これまでに眺めてきたどの景色にも負けないような
雄大な自然美が待っているはず。
砂利道と上り坂に苦しみながら1日ずつ前進していきます。
2025.02.22
【311日目 17,426km】
チリの首都サンティアゴから
南部の都市「プエルトモント」を目指す1,000kmの旅。
途中の街テムコでは思いのほか疲れが溜まっていたことから
2日間も休んでしまいました。
ここからプエルトモントまでは350km。
これまでのペースで進めれば3日間で到着できるはず。
テムコ到着前から起伏が
増えてはいたけども、
どうやらここからも
ずっとまっ平らということは
ないみたい。
時に踏んばりながら上り坂を進む。
1日1杯のモテは
やっぱり欠かせません。
たまに甘すぎたりして
微妙な時もあるからこそ
当たりの時の喜びがあります。
手作りならではの面白さ。
ひたすら高速道路を走って
道路脇の食堂でひと休みという
パターンは、
サンティアゴからずっと。
テムコ以降、山が多いからか
おしゃれなログハウス調が増えてきた。
ホットドッグが千円ほどするけど
他に選択肢が無くやむを得ず注文。
やってきたのは
肘から指の先まであるような
長いホットドッグでした。
味は普通だけど、食べ応えは抜群。
暑さはそれほどでもないけど
坂が予想以上に多いことで
かなり疲れてしまう。
ここまでの道がスムーズすぎただけに
なかなかスピードに乗れないのが
もどかしい…。
休憩に寄ったガソリンスタンドで
自転車に興味を持ってくれた
ご家族が、
「何でも買ってあげる!」
と何とも嬉しいお言葉をくれました。
優しさは遠慮なく受け取るスタイル。
バイク乗りである旦那さんは
特に感心してくれます。
これから向かう南部にお住まいなので
細かい情報もお聞きできました。
“ファブロ&パトリシアさん”
本当にありがとう!
予定通りの120kmを走り切った6時過ぎ。
橋から見えた河原に向かうと
BBQを楽しむ家族に声を掛けられました。
夏休み中ということで、
こんな人たちがそこらじゅうにいるんです。
「俺たちもう帰るから、ココにテント張りなよ!
あと肉もパンも食べて食べて。
ジュースもこれ飲んで!」
嵐のように家族が去った後
無事テントを設置。
BBQの余りをごちそうになったことで
お腹もいっぱい。
自炊の手間も省けました。
ゆっくり休めそうだ。
夜中1時頃、
「ガサガサ。バキバキ」という音で目が覚めました。
テントのすぐ傍には“フンフン”ととても荒い鼻息。
しばらくすると謎の生き物は去っていきました。
たぶん豚じゃないかと思うのですが、何だったんだろう…。
テムコ出発2日目。
サンティアゴを発ってから朝晩の寒暖差は大きかったのですが
テムコ以降は一段と朝が冷え込むようになりました。
着る服に迷いながらもテントを片付けて今日も出発。
今日もアップダウンが大きく
思ったほどには
スムーズに進めそうにない。
頻繁に休みをとりつつ
ゆっくりでも
前に進んでいきます。
スープや海鮮が美味しいチリ料理だけど
国民食でもあるホットドッグは
本当に普通。
でも¥300だから食べる。
アボカドペーストがのってるのが
特徴です。
引き続き起伏の多い道を進み続けた午後3時。
朝から70kmほど走ったところで
「今日はもうしんどい!」と走るのが嫌になりました。
こんなことも珍しいんですが、
平坦な道が続くだろうという勝手な見込んでたことが
仇になってしまいました。
そのままダラダラ進んだ先にサービスエリアを発見。
まだ時間的には走れるけど
今日はここまでとすることに。
嬉しいことに一画が
“ピクニックエリア”になっており
芝生にテーブルが設置されていました。
しかも温水シャワーも完備。
“あぁ、ここまでにしといて良かった”
のんびり休憩です。
夕食はエンパナダ。
メキシコからずっと売られてた食べ物だけど
チリでやっと
その美味しさに気付きました。
というよりチリのエンパナダは
他の国より絶対美味しいです。
テムコ出発3日目、
昨夜ちょっと遊んだ犬が朝テントにすり寄ってきました。
しかたないから15分ほど撫でてじゃれあう。
犬がいるだけでテント泊が数倍充実します。
これまで内陸を走っていたのが
南部の海が近づいていることで
明らかに風が強くなっています。
それも南から北に吹き上げるので
ほぼ向かい風。
強くペダルを踏んでも時速15km。
チリ入国以来お世話になっている
ガソリンスタンド“COPEC”。
Shellもあるけどこちらの方が
WiFiが安定しており
充電しながらスマホをいじるのが
お決まりになってます。
午後になっても風は止まず。
アタカマ砂漠の強風ほどじゃないけど
止むことなく延々と吹き続けます。
この風の様子だと
どのみちテムコから3日間で
到着するのは無理だったろうな。
今日は「チフィン」という集落にてテント泊。
ここ数日、山が増えたと同時に川も増えました。
橋をいくつも通過するので
そこから良い野宿場を探すのが楽しい。
そしてまたエンパナダ。
両手に収まるほどで
そんなに大きくはないけど、
具がぎっしり詰まってるので
一つで腹八分目までは満たされます。
残りの二分は節約のため我慢。
そのエンパナダを狙ってるのが犬。
チリに限らず南米は犬だらけです。
仕方ないから切れ端をちょっとあげると
上目遣いで
「もっと…」って見つめてくるんです。
あぁ、日本連れて帰りたい。
テムコ出発4日目。
朝から厚い雲が広がるうえに風が吹くものだから
いつもより寒いです。
空は徐々に晴れてきたけれど
向かい風はなかなかやまず。
重いばかりのペダルを踏んでも
さほどスピードにも乗れない。
海が近いことを感じながらも
苦戦しながらゆっくり進みます。
昼過ぎ14時頃。
緩やかながらも長い坂を上ると
高速の料金所が見えました。
いつものように
ゲートを通過する自動車の横を
しれっと抜けてゆく。
ゲートを越えた先の
下り坂を滑り降りていくと
向こうには青くキラキラ輝く
海面が見えています。
手前にはたくさんのビルも建ち
道路には多くの車が行き交う。
ということで到着しました、「プエルトモント」。
首都サンティアゴから走行日数にして10日間、
高速道路をひたすら南に下ること1,000km。
予想を上回る大都市に驚きつつも
まずは宿探し。
いよいよ迎える旅の最終章に備え
ここでしばらく英気を養います。
2025.02.18
【307日目 17,035km】
首都サンティアゴを出発して5日目、
南部の都市「プエルトモント」を目指しています。
途中の小さな町で
親切なご夫婦“ルイス&ジェシカさん”に声を掛けてもらい
テントを張らせてもらった翌朝。
なかなかお二人が起きてこないので、
実は昨日の夕方に判明していたパンクの修理をおこなう。
のんびり起きてきたジェシカさんが
朝食に用意してくれたのは、
チリの家庭料理「ウミタ」。
すり潰したトウモロコシを
皮に包んで茹でたもの。
ほんのり甘味があって美味しいです。
記念撮影をして、今日も出発。
高速道路の単調な日々が
続いていたので、ご夫婦との
出会いがとても嬉しかった。
“ルイス&ジェシカさん”
ありがとうございました!
そしていつも通り高速道路へ。
何でもない町に忘れられない
出会いがあるって
やはり自転車旅は素敵です。
いつもこうだといいけど、
いつもじゃないからこそありがたい。
出発から40分のところで
高速を下ります。
何百kmもひたすらずっと
真っすぐ爆走してますが
今日は珍しく
ちょっと立ち寄ってみたい所が。
すぐに現地に到着。
安全な場所に自転車を置いて
歩きはじめると、
沢山の土産屋や
通りを歩く観光客の姿が。
ワクワクしてきます。
目的の場所がコチラ「ラハの滝」。
森の中を激しく流れ落ちる豪快な瀑布。
ずっとアスファルトを眺めて走って来たので
目が潤います。
すぐ傍まで近づくと
スゴイ水しぶき。
何か記録的だとか、逸話があるとか
そういう滝ではないんですが、
落差40mに及ぶ滝は珍しく
予想以上に圧倒されました。
自転車を置かせてもらっていた屋台で
今日の“モテ”。
日に日に、このチリの
夏の風物詩の飲み物が
大好きになっていってます。
必ずキンキンに冷やされてるのも良い。
そしてまた高速道路を
走り始める。
サンティアゴ出発から
ずっと道は平坦だったけど
このあたりから起伏が出てきました。
時に立ち漕ぎをして進む。
夏真っ盛りのチリは
ただ今夏休み中。
平日なのに交通量多いし、
休憩に停まると
どこも家族連れの人でいっぱい。
ジュースを買うのも行列です。
あたりには木々も増え
気がつけば平原から
山間部に突入していました。
南北にほぼ真っ直ぐチリを
突っ切っていると、
地形の変化が感じられて面白い。
夕方7時頃、
「エスペランサ」という小さな集落に到着。
村に入る手前の橋から
ちょうど良さそうな川辺が見えたので
テントを張ることに。
静かだし、水は手に入るし
これ以上ないキャンプ地です。
傾いていく日を眺めつつ
夕食のクスクスを調理。
久しぶりに食べ始めたら
やっぱりクスクスは美味しい。
しばらくすると大自然に突入するので
かなりお世話になりそうです。
サンティアゴ出発6日目。
連日、朝から天気が良く
雲のない青空がどこまでも広がります。
前日から増え始めた上り坂が
さらに多くなる。
ここ数日120km走るのが
当たり前だったけど、
今日はそこまで楽には
進めないかもしれない。
なかなか休める村を
見つけられないなか、
お昼過ぎに
道路脇のカフェを発見。
何もない景色を延々と走ると
つい休憩を忘れて疲れてしまいがち。
今日のモテ。
よく冷えてるどころか
半分凍ってシャリシャリなのが
すごく美味しい。
フルーツ缶の汁を薄めて
飲みやすくした様なお味です。
朝は一枚羽織るぐらいだけど、
日中はじわり汗をかくほどに
暑いです。
気付けば水も残り少なく
喉が渇いた状態で
前へと漕ぎ進んでいく。
そんなところに停まってくれたのが
こちらのご家族。
興奮した様子で、水と一緒に
熱い応援の言葉を貰いました。
“フリオ&パトリシオさん”
どうもありがとう!
そして、100kmあまりを走った夕方7時。
チリ南部では比較的大きな街だという「テムコ」に到着。
サンティアゴからプエルトモント、1000kmの旅ですが
ここで一度中休みをとっておきます。
すんなり宿を見つけられる
と思いきや、夏休みということで
チリやお隣アルゼンチンからの
旅行客でどこも満室。
一か月前に入国して以来、
大きな街はどこも人で溢れてます。
7軒目でやっと見つけた安宿。
画角の小さな単焦点レンズでは
映り切らないほど狭い部屋だけど
¥3,000とボチボチの値段。
でも個室だし綺麗とは言えないけど
ゆっくり休むことはできそうです。
6日間連続で走ると
さすがに疲れが溜まっています。
同時に、順調に進めた達成感も合わさった
心地の良い筋肉痛を抱え翌日は街を探索。
テムコの街は市場が評判だとか。
思えばチリでは
一定規模以上の街じゃないと
こうしたローカルの市場が無いようで
久しぶりの感じ。
特に買うものは無いんだけど
ダラダラと歩いて廻ります。
目を引いたのは
こちらも久しぶりのセビーチェ。
魚介類を果汁やお酢でしめた
サッパリとした海鮮グルメ。
生なので鮮魚が手に入る場所
じゃないとお目にかかれません。
テムコで一番おいしかったのは
宿近くの食堂で食べた「カスエラ」。
牛肉のほか、じゃがいも、カボチャ、トウモロコシ
と中に入る具材が決まっている定番スープ。
道中何度も食べてきたけども、
ダシが良く効いてて感動的に美味しかった。
スープを染み込ませて食べる付け合わせのパンも
また良いんです。
胃袋から満足できたら
引き続き南へ!
2025.02.14
【303日目 16,792km】
首都サンティアゴでは休養と観光で3日間の滞在。
砂漠での疲れもしっかり癒すと、
次なる目的地である
チリ南部の都市「プエルトモント」を目指します。
ここからの距離は1,000kmということで
間に一日休みを挟んで10日前後で付きたいところ。
チリを代表する2都市間を進む
ということで、
その旅路は主に交通量の多い
高速道路を走ることになります。
綺麗に整備され路肩も広いので
逆に安全。
そしてお腹が減ったり
休憩したい時は
高速を降りて小さな町へ。
料金所もしれっと通過できます。
北部の砂漠と違い
ここからは集落も増えるよう。
サンティアゴの街中で
はじめて飲んだ時は
そんなに感動しなかったけど、
30℃の炎天下で走った後には
「モテ・コン・ウエシージョ」の
甘さと冷たさが体に染み渡ります。
120kmを走り切ったこの日の夕方6時頃。
高速道路脇にトラックドライバー向けの休憩所がありました。
トイレに行こうと思ったら、中には監視員さんがいて
トイレのみならず温水シャワーや飲料水まで完備。
しかもWiFiまで付いてるんです。
ということでテント泊のお願い。
設置を許してもらえたのは
ふわっふわの芝生の上。
水もあって、ネット環境もあって
この世の全てを手にしたかのような
最高の野営地となりました。
夕食は道中の町で買っておいた
エンパナダ。
ひき肉とタマネギたっぷりの
具が美味しい総菜パンです。
旧ソビエト圏のピロシキにも似てて、
持ち運べるので旅にはピッタリ。
サンティアゴ出発2日目。
今日も高速道路の脇を黙々と漕ぎ進めていきます。
首都サンティアゴ以北から変わったのは
緑の多さ。
とうもろこしや小麦、果物の木など
広大な畑にすくすくと育っています。
チリの産業や経済なども
南部に集中しているということだろうか。
なかなかいいタイミングで
集落が現れず、
仕方なく路肩のフードトラックで
買ったホットドッグが¥900。
補給や休憩もルートの下調べをして
計画的にやらなければ。
嬉しいのがここ数百kmに渡り
起伏がほとんどないこと。
若干向かい風が多いけども
平坦ならばぐいぐいと
漕ぎ進めることが出来ます。
気持ち良いほどに距離を稼いでいく。
そして前日同様、120kmを走った所で
今日も高速の休憩所へ。
水の心配をしなくていいってだけで
かなり野宿が楽になります。
「向こうに張ってね」と指示されたのは
監視員さんのいる建物から
少し離れた芝生の上。
さすがに電波届かないな、
と思いきや今日もWiFiバッチリ。
チリ高速道路の旅、実に快適です。
テントを張り終えひと段落、
というところで
遠くから声を掛けてくれたのは
こちらのお父さん。
差し入れに
スイカとタマネギを頂きました。
たとえ冷えてなくても
甘くみずみずしいスイカは
疲れた体が喜びます。
夢中でかぶりついてしまいました。
でも、さすがに半玉でギブアップ。
近くに座ってた方にも差し上げました。
サンティアゴ出発3日目、
目を覚ますと綺麗な朝焼け。
薄く広がる雲が良い模様になっています。
大きな坂がないことで
予想よりも早く進めています。
また海から距離があるおかげか
向かい風もさほど強くない。
南米走行でここまでストレスフリー
な道は初めてじゃなかろうか。
一方で、日中は黙々と走り
夜は休憩所でテントを張ってると
あまりに単調に旅が進んでしまう。
ただこの先のスケジュール的に
今はさくさくと南下して
おきたいところ。
昼には「サン・ハビエル」の
町に到着。
田舎の小さな町でも
綺麗に整って
あまりゴミゴミしていないのも
他の南米諸国とは違う。
日に日にチリ名物
「モテ・コン・ウエシージョ」
に魅了されていく。
小麦のおかげで
ランチ代わりとは言わないまでも
多少お腹が膨れるのも良いところ。
今日も順調に走り終え
夕方には休憩エリアへ。
3日連続で120kmと
とてもスムーズに前進してます。
そしてこの休憩所もいい間隔で
待ち受けてくれている。
今日も柔らかい芝生の上にテントを張らせてもらう。
テント泊続きなのに、毎日温かいシャワーを浴びられています。
もはや無料のキャンプ場。
ただ昨日までの休憩所と運営会社が違うらしく、
ここはWiFi無し。
困るじゃないか、まったく…。
ただピクニックテーブルの近くには
コンセントがあります。
ここぞとばかりにあらゆるものを
満タンにさせてもらう。
貰えるものはしっかり貰うタイプ。
もちろん許可頂いとります。
夕食は久しぶりのクスクス。
屋台メシの充実していた南米ですが
ここからは自炊も増えてくるはず。
ちょっと手間だけど、
これが毎日続くと
面倒にも感じないんですよね。
サンティアゴ出発4日目、
朝から近くでゴソゴソ音がすると思ってテントを明けると
そこには一匹の犬。
あまりに人懐っこく、ずっとじゃれあっていたせいで
出発が20分遅れてしまいました。
困るじゃないか、まったく。
今日も変わらない景色を
まっすぐひた走っていく。
サンティアゴ出発直後は
30℃を越えて暑かったけど、
南に進むにつれその暑さも
和らいでいるように感じます。
昼頃に高速を降りて
休憩するのもいつものパターン。
「ヘネラル・クルス」という
町の中心部へ向かい
今日も“アレ”を
探すことにします。
人で賑わうエリアには
必ず“モテ”の屋台があります。
気付けばここ数日ですっかり虜。
チリを象徴する飲み物と言われる
由縁が分かってきました。
なんせ暑い時期にぴったりなんです。
聞けば、ほぼすべての場合
屋台で売ってる方が
自宅で作っているのだそう。
お手製だけあって
砂糖やシナモンの分量はまちまちで、
その微妙な違いも分かってきました。
120kmというのがスタンダードになっている
とても順調なここ数日。
今日はちょうど良い場所に休憩エリアが無く
夕方は野宿場所を求め「ヘネラル・クルス」という集落へ。
集落に入ってすぐに声を掛けてくれたのは、とある夫婦。
「水はある?家そこだからちょっとおいで」
付いていった先のお家では、
ペットボトル入りの水の他にいろいろなモノを勧められます。
「ジュースもあるよ。パンも持ってって。
ここでご飯食べてく?
ていうか、もう泊ってく?」
お昼にBBQをしていたようで
こんがり焼かれた
チキンにビーフをご馳走になりました。
しばらく簡易的な食事が続いたから
こんなに食べ応えあるものに
ありつけるのが嬉しい。
こちらはチリの食卓に欠かせないという
定番ソース「ペブレ」。
お酢ベースに刻みタマネギ、
唐辛子、パクチーが入った
パンチのある一品。
辛みよりも酸味が強いです。
お酢とパクチーのクセが強いので
地元でも好き嫌いが別れるのだとか。
肉と相性が良いですが、
食材に直接かけるのではなく
おかずを飲み込んだ後に
スプーンで一杯口に運ぶのが正しい味わい方だそうです。
さっぱりとして夏にぴったりの味でした。
お言葉に甘えて
敷地内にテントを張らせてもらう。
シャワーもお借りして、
予想もしない展開で
快適な寝床を
確保してしまいました。
夏休みなうえに
奥さんのジェシカさんの誕生日
だったらしく、ご近所さんも一緒に
長い夏の夜を楽しみます。
南米はどこでも爆音で
音楽を流す。
高速道路に沿って走ることで
円滑ながらも単調な日々が続いた中、
チリの日常が垣間見える素敵な出会いに恵まれました。
2025.02.9
【299日目 16,307km】
首都サンティアゴまでいよいよ200km。
チリ入国以来走り続けてきたアタカマ砂漠の旅も
ようやく終わりが見えてきました。
砂漠を越え気候が変わりつつあるのか
このあたりから朝の曇り空が
パタリと無くなりました。
しかもサンティアゴに近づくにつれ
坂も減っていってるので
気持ち良く漕ぎ進めることが出来てます。
それと同時に気温も
少しずつ上がっているように
感じてます。
南下して赤道から
離れているはずなのに。
日中は25℃くらいでしょうか。
お昼過ぎ、南米大陸では初めてとなる
トンネルに差し掛かりました。
ただ高速道路を2kmも進む
長さということで自転車は走行禁止。
トラックに載せてもらうか
周り道をしなければなりません。
トラックがつかまりそうもなく
仕方なく遠回りをしようとしたところ
あるドライバーさんが
声を掛けてくれました。
50kgにも及ぶ自転車を
二人で荷台に抱えて載せる。
10分ほどでトラックは
あっという間にトンネルの反対側へ。
どうしようか、と思いましたが
無事に乗り越えることが出来ました。
ドライバーのカミーロさん、
ありがとう!
サンティアゴに向け道は
内陸へと曲がります。
そのぶん山も多いと思いきや
道路はどこまでも平坦。
嬉しい誤算に
ペダルを漕ぐ足にも力が入る。
野宿をするための十分な水が無いことに気付き
気が付けば道はなにもない荒野へ。
何とか集落へたどり着こうと夜8時過ぎまで
ペダルを漕ぎ続け、ようやく道路脇に食堂を発見。
店主のヴェロニカ&ロベルトさんご夫婦
にテント泊の許可ももらい、
翌朝お店で売るための
パンを焼く作業のお手伝い。
お店の横にある大きな石窯で
次々と焼いていきます。
そのまま店内で焼きたての
パンを食べさせてもらうことに。
近くの村で作られたという
ヤギのチーズと一緒に食べると
もちもちのパンがさらに美味しい。
チリのパンは絶品です。
風を避ける小屋の横に
テントを張らせてもらう。
良い場所に寝られると思いきや、
夜中にご夫婦の飼ってる犬が
近くに寄ってきて
ワンワンと30分くらい吠えてきました。
翌朝、出発前にお二人と記念写真を撮ろうと思ったのに
いつまでも起きてこない。
お店開けなくていいんだろうか…。
残念だけどもう出発しなくては、
昨夜のうちに撮っておけばよかった。
数週間に渡って目指し続けた
サンティアゴまでわずか80km。
やっぱり逐一見所がないと
長期の旅は辛いです。
この3週間はホントに
ただ進むばかりだった…。
南米の都市はどれも
高台にあると思っていたけど
サンティアゴの周辺は
本当にどこまでも平坦。
思いの外スムーズに
都心部までたどり着けそうです。
サンティアゴまでわずか10km。
徐々に大型の小売店や
道路の高架なども現れ
都市空間の片鱗が見えつつあります。
たった数日前とは
全然違う風景。
街の中心部に近づく際には
川沿いの遊歩道を走ります。
こんな綺麗にデザインされた道を
走ること自体、南米では初めてだ。
道沿いに植えられた樹から
漏れる日が美しい。
そびえる高層ビルに
立体交差する道路。
人口550万人を擁する都市とあって
かなり近代的で
人も車も慌ただしく
行き交っています。
そして、ついに到着しました
チリの首都・サンティアゴ!
入国からおよそ3週間、
周辺に町の少ない高速道路ばかりを走ってたことで
半ばモチベーションを失いかけ、
ただ機械の様にペダルを漕ぐだけの日もありましたが、
久しぶりの大都市に気分が高まっております。
まずは宿に向かうのですが、
2日ほど前に予約したはずの所が
カード決済処理が上手くできていない
と言われ、予約できてませんでした。
モヤモヤしつつも地元の人に聞きつつ
飛び込みで別のゲストハウスへ。
ささっと荷物を部屋に移し
5日ぶりのシャワーを浴びたら
近くのラーメン屋へ。
大都市に着いたら
まず一番にラーメン屋を探すという
謎のルーティンが出来上がってます。
到着翌日はさっそく市内の観光へ。
大都市サンティアゴといえども
観光客が訪れる見所は、昨日到着してすぐに向かった
中心部の「アルマス広場」周辺に集約されています。
まず最も目立つ建物
「サンティアゴ大聖堂」へ。
およそ500年の歴史を持つ
風格のある建築は
入植してきたスペインの影響を
大きく感じさせます。
色々な捉え方が出来るだろうけど、
世界中のあらゆる土地において
共通の文化圏を築き上げてきた
キリスト教の力は凄いと感じます。
人類って宗教なしでは
発展できなかったんだろうな。
他にも広場の四方は
歴史的建造物が取り囲んでおり、
こちらは100年以上の歴史を持つ
中央郵便局。
大地震にも耐えてきた
頑丈な作りです。
広場から数百m離れたところにあるのは
大統領官邸の「モネダ宮殿」。
現役の官邸ということで、周囲に賑やかさは無く
荘厳な様子が漂います。
50年前、クーデターにより
社会主義政権が転覆した際、
当時の大統領が
ここで自害したということで、
チリ民主化の歴史においても
大きな意味を持つ場所です。
街を散策する中で、気になるのがこちらのドリンク。
そこらじゅうの屋台で売られています。
名前は「モテ・コン・ウエシージョ」と言って、
桃を砂糖とシナモンで煮出した甘い飲み物です。
これまでのペルー、ボリビアでも似たような
コンポート系の飲み物はありましたが、
特徴的なのが底に沈んだ粒。
実はこれ、殻付きの小麦でございます。
キンキンに冷えたコンポートを飲みつつ、
スプーンで小麦をすくって食べる
というのがこの飲み物の味わい方。
小麦とコンポートの組み合わせが
何とも不思議ですが、夏の風物詩であり
チリを代表するソウルフードだそうです。
滞在2日目に向かったのは
宿からすぐ近くにある山、
「サンクリストバルの丘」。
サンティアゴの街には
ポコポコと小さな山が
いくつか点在してます。
小さいとはいえ高さは
300mほどあり傾斜も急。
自転車乗らない日は
なるべく体力使いたくないけど、
一応観光スポットは網羅しておきたい。
気温は30℃ほどでじわっと汗をかきます。
頂上まで歩くと
大きなマリア像が立っていました。
日光が眩しいし
どう撮っても逆光になるけど
それがまた神々しさを
演出してます。
頂上からの景色がコチラ。
高層マンションがいくつも建ち並ぶ様子は圧巻で、
これまで走ってきた砂漠の景色とはかけ離れています。
海まで100km以上離れているので
どのみち太平洋は見えないのですが、
真夏の昼間ということで空気はかすんで遠くまで
はっきりとは見渡すことができません。
加えて、人口が密集しているサンティアゴは
大気汚染も深刻なようでより空気を濁らせてしまってるのだとか。
こちらはアルマス広場からも
ほど近い中央市場。
チリ入国からそれほど多くの
町を通過してないので
市場というもの自体
チリでは初めて見ることに。
中を覗くと
魚介専門の市場だったようで
魚や貝などがズラリ。
場所によっては市場って
生臭さがヒドいんですが、
ここは新鮮なのかそんなこともなく。
ということでまた食べてしまいました
ラ・セレナの街で虜になった「パイラマリーナ」。
熱々のスープに溶け込んだ魚介の旨味が溜まりません。
チリで美味しいものを食べようと思ったら
やっぱり海鮮になるんだろうな。
これから南下していくのが楽しみ。
さらに観光だけでなく
これから旅の終盤に突入する前に
自転車のメンテナンスをすべく、宿の近くのバイクショップへ。
ギアの変速がスムーズにいかないのが
気になってたのですが、
細かいパーツの取り換えや
ワイヤーの張替えが必要だということに。
アラスカから1万5千kmも走れば
何かとガタもきます。
という感じで、砂漠の疲れを癒しつつ
首都サンティアゴでの3日間の滞在を満喫。
美味しいグルメも堪能しつつ、
柔らかいベッドで横になりつつ、
砂漠の疲れもしっかり癒すことが出来ました。
2025.02.5
【293日目 16,109km】
チリの首都サンティアゴを目指して南下中。
ラ・セレナの街で2日間の休養をして
再びペダルを漕ぎ始めます。
ここからサンティアゴまでは500km足らず。
5日間あれば到着できるはず。
出発した後にも続く都市を見渡して
改めてラ・セレナが
割と大きな街であったことに気付く。
高層ビルや綺麗な住宅が並ぶ様子は
ペルー、ボリビアと眺めた来た
南米の様子とは一味違う。
海沿いを走る高速道路から
右手を見下ろすと
優雅なビーチリゾートが。
おそらくチリだけでなく
各国の富裕層が訪れるんだろうな。
海も建物もすごく綺麗です。
そして例に漏れず
今日も午後から強い風が吹き始める。
目に見えない障害に苦戦してるからか
チリに入国してからとにかく
疲労がスゴイです。
風と戦い続けている。
やはり夜は食堂へ。
もっと地元の人と積極的に
関わろうと思うのですが、
そもそも村が無く食堂しかないので
食事をしてテント泊のお願い、という
パターンが固定してしまっている。
この日は豚のソテーと
スパゲッティ。
すごく美味しいワケじゃないんだけど
1日走り切った後の肉は
やっぱり体に染みます。
素朴でシンプルなお味。
南から吹き上げる風がやまず
場所選びに苦戦するも、
給水塔の陰に
テントを張らせてもらうことに。
風さえなければ食堂横じゃなくても
テント泊できるんだけど…。
ラ・セレナ出発2日目。
朝食は街で買っておいたパンに
チリの定番キャラメルクリームを塗る。
宿にいるときはパンをレンジで温めるんですが、
それがもう美味しくて美味しくて。
朝って大体気分が高揚するんですが、
さすがに絶景も無く
ただ進むだけの日が続きすぎて
ワクワクみたいなものが
無くなってしまっている。
でも安全のために気は抜いちゃダメだ。
ウインドミルの群れを見ると
ゾッとしてしまう。
これが回転しはじめるまえに
この地帯を抜け出さなければ。
もはや強風恐怖症です。
追い風ならいいのに。
海沿いを走るここ数日アップダウンは激しいのですが
今日は特に上りが多い。
汗をかきながらやっと上り終えたと思えば
はるか向こうに次の峠が見える。
体力と同時にメンタルも疲弊してくる。
勾配が急になる場所では
自転車を降りて押しながら、
なるべく止まらないように
少しずつでも進んでいく。
同じ景色ばかり繰り返すのも
やはり辛い…。
夕方、家族連れの車が
わざわざ停まってくれて
エナジードリンクを貰いました。
こんなちょっとしたことで
元気が湧いてくるから
人の優しさってありがたい。
疲れ果てお腹もすいた夜7時頃。
反対車線側に一軒の食堂を発見。
今日は80km程度しか走れてないけど、
そろそろここまでにしておくことに。
少し先に陸橋があり、向こう側へと渡ります。
注文したのは白身魚のフライ。
身が柔らかくて美味しいです。
付け合わせの野菜があるんだけど
いつもイモとトマトばかりで
緑が無いのが残念。
わがままでごめんなさい…。
旅の話で一緒に盛り上がったのは
近くの席で食べていたトラックドライバーの“ホルヘさん”。
アラスカから来たことに感激してくれ
「俺のおごりだ!コーラも飲んでいいぜ!」
と振る舞ってくださいました。
ありがたや。
今日は上りに苦しみ
遅くまで走ったけれど、
人の温もりに触れたことで
気持ち良く眠りにつくことが出来ました。
やっぱり旅は人だなぁ、と
人の少ない砂漠の中でこそ強く感じる。
ラ・セレナ出発3日目。
食堂には看板犬に別れを告げて今日も出発です。
時に人的被害すらもたらすピットブル、
激しい愛情表現でなついてくれました。
ちょっとブサイクなところも可愛いですよね。
昨夜食堂にて
ごちそうしてくれたホルヘさん曰く、
昨日で最も起伏の激しいエリアは
走り切ったはずとのこと。
厚い雲の下
ゆるやかな坂をくだっていきます。
「エンテラウケン」という小さな町を過ぎたところで
ある食べ物屋さんに到着。
グーグルマップでたまたま見つけたのですが
ここを通り過ぎる人たちは皆立ち寄るのだとか。
お店の名物は“チーズエンパナダ”。
ラテン文化圏で広く食べられる
具入りのパイ“エンパナダ”ですが
このお店のチーズが
たっぷり入ったものが
大人気なんだそう。
熱々のエンパナダをかじると
中にはとろけるチーズがぎっしり。
ただのチーズパイでしょと思ったけど
これは予想以上に美味しかった。
そして1つ¥600ほどと
予想以上に高かった。
天気の良くなる午後には
波が打ち寄せる海岸線へ。
地球の裏側の日本まで
この大海原が続くんだから
太平洋ってホントに大きいよなぁ
としみじみ感じる。
ガソリンスタンドで声を掛けてくれたのは
おそろいのホンダのバイクでツーリング中の
“ロドリゴさん&ホルヘさん”。
ジュースとホットドッグを
ご馳走してくれました。
首都サンティアゴが近づくにつれ
交通量も増え、
人と接する機会も
少しずつ増えている気がします。
昨日までの上下に
うねり続ける道が噓のように
まっ平らになりはじめました。
時速20km近い早さで
漕いでいけるのが気持ちいい。
自転車は押すのでなく漕ぐもの。
夕方6時、高速道路脇の
ガソリンスタンドへ。
ファストフードやトイレなども
充実していてとても綺麗です。
しかもWiFiも完備だから
つい長居してしまう。
ガソリンスタンドの敷地の隅に
人目を避ける場所を見つけ、
そのままテントを張ることに。
サンティアゴまではいよいよ200km。
2025.02.1
【291日目 15,826km】
チリの首都サンティアゴを目指しアタカマ砂漠を南下中。
チャニャラルという海辺の町を出発してから、
走り続けて4日目です。
道路脇の食堂で夜を明かし、
今日も強風の吹き始める前にテントを片付け走り始める。
サンティアゴまではおよそ700kmほど。
高速道路の路肩を走るばかりで
なかなか変わった景色も無いのが
アタカマ旅の寂しい所。
大きな街もそれほどなく
疲れはするものの
淡々と日々進んでます。
この日はかなり上り坂の多い行程。
傾斜は決して急ではないものの、
どこまでも続く上り坂を
ゆっくりゆっくりと漕いでいきます。
そして、午後は雲一つない青空が
果てしなく広がる。
世界を巡るサイクリストの間でも
見所の少ないアタカマ砂漠は
バスなどでスキップする人も居るよう。
でもせっかくだから
地続きで旅を進めていきたい、と
せっせとペダルを漕いでるワケです。
夕方には大きな峠に差し掛かり
ここから一気にくだっていく。
風も強いので
どこでも野宿が出来るわけでは
ありません。
目指す場所までは何とか進まねば。
夜7時前に予定していた食堂に到着。
例のごとく、
テントのお願いをするため
まずは先に食事を済ませます。
魚のフライの身がほわっほわで
レモンを絞ると美味しい。
ウェイトレスさんに確認し
無事テントを張れることに。
ちなみに8時半でこの明るさです。
9時過ぎるまで暗くはなりません。
やっぱりチリの時刻設定は
間違ってると思う。
チャニャラル出発5日目。
今日はいつにも増して朝の雲が厚い。
それによって気温も低い。
ジャケットを着こんで坂をくだっていきます。
風と戦い続けているからか、
連続走行5日目にもなると
疲れがどっと出てきました。
いつもはこんなことないのに
砂漠で水を節約していることも
関係あるのかしら。
道路脇の食堂で早めのランチ。
ビフテキはこのあたりの定番ですが
どこで食べても肉が固い。
隣国アルゼンチンの牛肉は
世界的に評価が高いので
今から楽しみです。
昼を過ぎて晴れだした頃に
数日振りの太平洋を拝みました。
日によってはそれほど
気温が上がらないからか
遠くのビーチには
海水浴客の姿は見えません。
海を眺めてのんびり走ろうにも
海岸には崖が多く
道路も常にアップダウン。
疲労の蓄積もあって
途中からはペダルを漕ぐ元気も無く
押しながら進んでいきました。
そして、午後3時。
チャニャラルの町から5日間の走行を経て
「ラ・セレナ」という街に到着しました。
サンティアゴまでの中継地点ということで
ここでひと休みしていくことに。
早速、宿を訪ね歩くと
祝日と重なったようでどこも満室。
「宝石の道」走破した後の
サンペドロを思い出します。
7軒目でようやく空き室を見つけ
ベッドにダイブ。
人口20万人にも達する“ラ・セレナ”の街。
チリ入国3週間目にしてようやく
“街”といえるような街に着いた気がします。
海辺の観光地であると同時に
チリ北部では大きな経済都市でもあるそう。
とはいいつつも、外国人がわざわざ立ち寄るほど
有名な観光スポットがあるわけでもないので
のんびり雰囲気だけ味わってみることに。
入植したスペイン人によって
作られた街の歴史は500年ほどで
チリ国内では2番目に古い街だそう。
街の規模にしては多い
29もの教会が点在するのも
ラ・セレナの特徴です。
街のシンボルとなっているのは。
ビーチにある灯台。
特に古い歴史があるわけでもないけど
シンプルなデザインの建築が
遠くからでも目を惹きます。
白い壁面が青空にマッチ。
ビーチが少し奥まった
湾になっていることから
ここではたくさんの人が泳いでいました。
どうにも小石が多くて、
白い砂が続く気持ちの良いビーチ
というわけではないですけど…。
到着翌日のランチに向かったのは
南米大陸では初めてとなる
マクドナルド。
ペルー、ボリビアでは見かけませんでした。
ただ街に着いてすぐに向かうのが
マックとは、我ながら寂しい…。
セットにナゲットを付けると
¥1,500ほどに。
チリ独自のバーガーもあったけど
それらはセットで¥2,000ほど。
チリの物価は往々にして
日本よりも高いです。
もちろんせっかくなので
チリならではのグルメも堪能しようと
リサーチをして
宿の近くのレストランにやって来ました。
ついにチリの食文化を
たっぷり満喫する時が来た。
それがこちらの「コンプレト」。
パンにソーセージを挟み、刻みタマネギとトマトを加え
最後にドンとワカモレ(アボカド)とマヨネーズを塗りたくった
チリ版“ホットドッグ”です。
これまでもホットドッグの屋台はよく見たのですが、
ネットで調べたところ、まさかコレがチリグルメの一つでした。
「え?これ名物なの??」と思いつつも注文。
気になるお味はというと、もうただのホットドッグ。
そして、南米のマヨネーズって酸味が全然なくて、
“もったり”とした味なんです。
さらに中のソーセージも美味しいかと言われるとそうでもなく
加工肉感がすごくて、肉汁は一滴も溢れません。
うーん…。
砂漠走行中に期待していたのが
街でのグルメだっただけに、
さすがにホットドッグでは
満足するはずもなく。
街の中心にある市場の周辺で
さらなるグルメを探し求めます。
強引な客引きに負けて入ったレストランで注文したのは
「パイラマリーナ」。
熱々の土鍋(パイラ)に注がれているのは海鮮スープ。
煮えたぎっているのでテーブルに置かれてすぐだと
スープ全体が泡を吹いています。
少し冷めた頃を見計らって
一口食べた瞬間、
口いっぱいに広がる貝の旨味。
スープを飲みすすめると
これでもかとゴロゴロ
貝やエビが姿を現します。
何度スプーンですくっても飽きることない
豊かな海の味。
気が付けば夢中で食べ、あっという間に完食してしまいました。
これだけふんだんに海産物が使われているので
当然値段はそれなりですが…。(1杯¥2,000!)
あまりにも美味しかったので
チリ滞在中はリピート確定です。
あぁ、美味しかった。
2025.01.28
【287日目 15,600km】
チリ入国と同時に突入した
アタカマ砂漠の旅が思った以上に過酷で
疲労感もそれなりのもの。
たどり着いた「チャニャラル」の町では
2日間の休養を取ることにしました。
滞在先のゲストハウス。
ペルー、ボリビアより物価は上がり
個室で1泊¥3,000。
ただ移動中は毎日野宿で無料なので
休みの日はためらわず
一人部屋をとるようにしてます。
確認せずとも
Wifiは完備されてるし、
シャワーからお湯は出るし、で
まだ大きな街ではないにせよ
チリがいかに整った国なのか
よく分かります。
海沿いとはいえ
人口も少ない小さな町・チャニャラル。
リゾート感は全くないし
漁港ならではの賑わいみたいなのも
ほとんどありません。
なんだか寂しい…。
そんな町でちょっとテンションが上がったのがスーパー。
南米大陸3カ国目にして劇的に品揃えがよくなり、
アメリカ・カナダで見てきたブランドもラインナップされてます。
そしてペルー、ボリビアでは
探しても無かった
「クスクス」まで発見。
物価高で自炊ばかりだった
北米旅を支えてくれたアイテムです。
迷わず3袋購入。
夕食は町の食堂へ。
これはペルー、ボリビアと変わらない
白身魚のフライなんですが、
物価はグッと上がって
何を頼んでも¥1,000ほど。
そのぶん特に美味しいわけでもなく。
¥300以下で1食を済ませられた
ここ数カ月とは全く別の世界。
ここからは北米の様に
自炊を中心に旅を進めていく必要がありそうです。
2日間の滞在を終え、体力も回復。
引き続き首都サンティアゴを目指して南へ走り始めます。
サンティアゴまでおよそ1,000km。
しばらくは海に沿って道が続いており
久しぶりの太平洋を眺めながら
走っていきます。
この日は雲が厚く
どんよりしてることもあって
さほど綺麗ではないのが残念。
休憩中の野良犬。
“だるまさんがころんだ”の
ごとく、振り向くたびに
こちらに近づいてきました。
そんな目で見つめてこないで。
仕方ないからパンの切れ端をあげる。
正午を過ぎると
空を覆っていた雲が流れ
一気に青空が広がりました。
同時に海も青く輝き始め
眺める景色も綺麗に。
気持ちの良いコーストライン。
バス停一つでも
こんなしっかりしたものが建って
チリは綺麗だなぁ、なんて
感心しながら休憩させてもらいます。
道路にヒビも無いし
確かに“南米のヨーロッパ”だ。
午後になってしばらくすると
再び海を離れ内陸方面へ。
核心部は終えたようだけれど
もうしばらくアタカマ砂漠を
出たり入ったりしながら
道は続いていくようです。
予定以上の130kmを走った夕方6時。
道路脇にレストランを発見。
高速道路の脇にはこうしたトラックドライバー向けの食堂が
一定間隔で現れてくれます。
すでにチリ入国から
2週間近くたちますが
料理の方向性は
ペルー、ボリビアとは
大きく違わないみたい。
シンプルに焼く、揚げるが多いです。
嬉しかったのが食後、
店主のお母さんに声を掛け会計をしようとした時でした。
「ここよくサイクリスト通るのよ。
応援してるからお金は要らないわ!」
そしてそのままお店の横に
テントを張らせてもらうことに。
ドライバーさん達からも
水をよく貰うし、
チリに来て人の温もりを
一段と感じるようになりました。
チニャラル出発2日目。
スクランブルエッグを食べて今日もスタート。
夕食をごちそうしてくれた店主マルシアさんと
記念に写真が撮りたかったけど
まだ寝ているらしくお店にはおらず。
今日も変わらず高速道路の脇を
ひた走って行きます。
チャニャラル以降、
午前中の空は
必ず曇った状態です。
暑くもなく寒くもなくちょうど良い。
ここからおよそ
200km続く砂漠地帯に突入。
またか、という気分だけど
まぁ2日間で走りきれる距離なので
黙々と漕いでいこう。
同じ景色が続きます。
しばらく大きな見所がないだけに
寄り道もせず
どのみち真っ直ぐ走るだけなんだけど、
道路脇にお店もなにもないので
ちょっとだけ心細い。
砂漠の景色にももう飽きてます。
すると12時を回った時点で異変が。
真っ正面から強烈な向かい風が吹きはじめたんです。
ほんの数日前に苦しんだばかりなのに
砂漠にはコレがあることを忘れてた…。
目的の食堂は60kmほど先、
それまでは何もないことが予想される。
ということで今日のところは
進むのを止めといて、
20km戻った街に滞在することに。
風を考慮して
もっと朝早くから
行動をはじめておくべきだった。
「コピアポ」という街には
割りとたくさんの宿があり、
すんなりと泊まれる部屋を
見つけることが出来ました。
¥2000ほどで安いし
延泊したいくらい快適な宿です。
しかし風ひとつで
その日の走行を中止するのも
かなり珍しいです。
南米大陸も南下するにつれ
どんどん強風地域が増えるらしいので
ちょっと不安。
そして翌日、チャニャラル出発3日目。
朝7時には宿を発ちました。
ここ数日の様子を伺うに、
日の出が7時前で、日没が21時頃。
太陽が真上にのぼるのも13時頃だし
チリの時刻って1時間ずれ込んでる感じがします。
朝は曇って、
午後からは曇一つない快晴。
律儀なほどこのパターンを守る
ここ何日かの天気。
この日は曇りというより
雲の中を走ってる様な気分。
しばらくひんやりとした
モヤの中を進むと、
墓地が現れました。
視界の悪さも相まって
非常に怪しげな雰囲気。
お墓は1人に1つみたいです。
昼食はスーパーで買っておいたパン。
ヨーロッパからの影響が大きいチリ。
その恩恵を受けてか
パンがかなり美味しいんです。
小さな町でも歩くと
小麦の良い香りがするほど。
あいかわらず起伏の多い
アタカマ砂漠の道。
午後3時にもなると
日差しは暑くなり
汗をかきながら
必死にペダルを踏み込んでいく。
夕方6時、
この日もやはり道路脇の食堂へ。
まずは食事をして
「あのぅ…、実はお願いが…。」
とテント泊のお願いをするのがお決まりになりつつある。
アメリカの田舎にある
ダイナー(食堂)のように
飾り気はないんだけど
小綺麗に整えられたチリの食堂。
夜も7時頃から作業着を着た
ドライバーさん達で賑わいます。
「カスエラ」という
牛肉と野菜のスープ。
ペルーでもよく食べたけど
疲れた体に嬉しい1品。
やはり値段は¥1000近く
テント泊お願いするための必要経費。
という風に
似た景色、似た行動パターンを繰り返しながら
首都サンティアゴへの距離を縮めています。
2025.01.24
【282日目 15,253km】
ボリビアから宝石の道を越え、チリに入国。
北部に広がるアタカマ砂漠を南下し
首都サンティアゴを目指しています。
アタカマ砂漠を走り始めて4日目。
毎日ペダルを漕ぎ続けるけど
とにかく周辺に街が無い。
物資が補給できないうえに
午後から吹き荒れる風のせいで
朝早く行動しなければいけない。
ボリビアの終盤は苦しみながらも
宝石の道を走り切ったことに清々しさを感じており
ここからはのんびり期間が続くだろうという
根拠のない予想をしていたけれど、
それはあっさり裏切られました。
ここまで風が強いことは
予想外だったにしても、
街が少ないことは
地図を確認すれば分かったはず。
見込みの甘さにより
食料の買い込みも不足気味です。
80kmほど走ったこの日の午後4時前、
想定していなかった場所に食堂が現れる。
この先、風が避けられる場所もないかもだし
ちょっと早いけどここにテントを張らせてもらうことに。
思えばまともな食堂に
立ち寄るのはチリで初めて。
ただシンプルなスープと
鶏肉を焼いたものがだけだったので
まだチリの食文化というものが
分かっていない。
ためらうことなく
テントを張る許可を下さった
“ウェンディさん”ご一家。
砂漠のど真ん中で
こんなのんびりした
レストランに出会えてよかった。
ちなみに食堂内で付いていたテレビの画面を見て、
ボリビアから時刻が1時間ズレていることを知りました。
もう入国から1週間経つというのに
人との関りも少なく砂漠を走るばかりで全然気づかなかった…。
アタカマ砂漠走行5日目。
食堂で朝食をご馳走になり今日も走り始めます。
空気がひんやりとして
風も無い朝の砂漠は
走っていて本当に気持ちが良い。
ただ、こんな時間は
せいぜい最初の1時間で
景色も変わらず進んでる気もしない。
走行開始から1時間弱ほど走ったところで
道路の脇に地面から、うにゅっと突き出る大きな手を発見。
こちらはアタカマ砂漠のちょっとした見所となっている
その名も「砂漠の手(マノ・デ・デシエルト)」
という彫刻作品。
アタカマ砂漠の象徴として、
さらにはかつての独裁政権に
よる被害者を弔うため、
約30年前に製作されたそう。
何もない砂漠の途中で
異様な存在感を放っていました。
この日は斜度がゆるいながらも
獲得標高は1,000mに及ぶ行程。
幸いここ数日に比べると
風がほとんど吹かないおかげで
されほど苦しむことなく
漕ぎ続けることができています。
道端に“食堂”と書かれた小屋を
発見するけども
残念ながら鍵が掛かってました。
“肉が食べられる!”と期待したけど
いつもどおりクッキーなどの行動食で
お腹をごまかすしかなさそう。
気温は25℃くらいだろう
と思うけど、
雲一つなく太陽に
照らされ続けることで
体力を奪われる。
見つけたバス停でしばし休憩。
気付けば水も残り少なくなっており
やむを得ず、走行中のトラックを止め
せがんでしまう。
幸い1台目で停まってくれた
ドライバーさんが快く
ペットボトル一杯に注いでくれました。
前後数十kmに渡って
水の一滴も補給できる場所などないことを、
トラックの運ちゃん達は誰よりもよく知ってくれている。
数日前にはたくさんの差し入れを頂いたし、
チリのトラックドライバー達は
とても好意的に助けてくださいます。
そして夕方5時過ぎ、
前日に続くパンク。
連日ということはタイヤに問題か
と疑ったけれど
新たなトゲが刺さっていました。
チリの高速、多いです。
少しずつ日も傾き、
どこか風をかわせる場所は無いかと探しても
辺りには本当に何もないので
道路から百mほど離れたあたりでテントを張る。
この時は運が良く、ここ数日ではありえないほど
風が弱かったので無事寝床に着くことができました。
アタカマ砂漠走行6日目。
今日も午後の風が怖いので
太陽が上ると同時に走行スタート。
あたりには無数のウインドミル。
このあたりも
風が強い地域と聞いていたので
朝のうちに走り抜けておきたかった。
今は風が弱いどころか
優しい追い風が背中を押してくれるほど。
2時間ほど走った所で
ドライバー向けの食堂を発見。
まだ時間も少し早いけど
何か人の温もりがこもったものを
食べたいので寄ることに。
砂漠に疲れてるんです。
ランチには早い時間だったので
食べれたのは
ハムエッグとパンだけ。
それでも美味しかった。
ただの炒り卵なんだけど
一口ずつ味わって食べる。
すると食事中、しつこく話しかけてくる運ちゃんが。
ぶっきらぼうな話し方と強いアクセントで
ほぼ何を言ってるか分からなかったのですが、
どうやら「オレがおごってやる!」と言ってくれてるよう。
ありがとうアレックさん、
人生で一番おいしいスクランブルエッグでした。
昨日、標高を上げたぶん
今日は下り基調なんだけど
やはり午後からは風が強まるせいで
それほど速くは進めない。
力んでも無駄なので
辛抱強くじっと漕ぎ続けていく。
そして夕方4時、またも道路脇に食堂を見つけました。
本当に砂漠の中のオアシスのよう。
まずは駆け込んで冷たいコーラを流し込む。
お願いしたところ
すんなりとテントを張る許可を
もらうことができました。
地面も平らで整ってるし
風を防ぐ方向に建物があるし
完璧なキャンプ地です。
ランチでも夕食でも
だいたい千円弱ほどと
決して安くはないチリの食事事情。
それでも疲れ切った体には
肉が染み込みます。
この固い牛肉ですら美味しかった。
アタカマ砂漠走行7日目。
今日には小さな町に到着できるはず。
早くシャワーも浴びたい…。
南米大陸の東側沿岸に
細長く伸びるチリの土地。
夏を迎える1月は
陸地の気温が高まることで
広大な太平洋からの空気が
一気に流れ込んでくるそうです。
この日は正午前から
すでに風が吹きはじめてきました。
上りも多い行程だったので
どのみちゆっくりなんだけど
毎日吹きさらされて疲労困憊。
もう好きにして…。
1日に1回はこんな食堂が
道路脇に現れてくれるので、
助かっています。
朝と夜はテントで調理できるけど
日中の移動中は
できるだけ手軽に食事を済ませたい。
さほどお腹が空いていないので
スープだけでささっと済ませる。
いまだに
チリ食文化の核心を突かない
微妙なチョイスをしていると
我ながら思います。
午後からも止まない風の中
ゆっくりと進み続け、
標高800mの峠に到着。
ここから海側に下りていけば
およそ1週間ぶりとなる
町にたどり着けるはず。
そして峠の向こう
最後の10kmが辛かった。
気持ちよく進めそうな下り坂なのに
この3日間ほどで
最も強い向かい風に吹かれる。
だから、もう好きにして…。
そして夕方6時、
サンペドロの町から7日間走り続けた果てに
ようやく海沿いの街「チャニャラル」に到着!
日々、風と戦い続けたことで
もう脚がガクガク。
しばらくここで休むことにします。
2025.01.20
【278日目 14,820km】
「宝石の道」を走り終え、ボリビアも出国。
さらに2国間の緩衝地帯を5km進んだところに
次なる国・チリへの入国審査がありました。
パスポートチェックとX線検査を
終わらせると、あっという間に越境。
国境を越えると同時に
アスファルトで綺麗に整えられた
公道に合流。
およそ一週間に及んだ
砂の道との戦いも
ここで終わりとなります。
4,500mの高所に位置する
宝石の道から脱出して
はじめの町へ向かうには、
標高を2,000mも
下げていきます。
はるか下の地平線が霞んでいる。
2時間以上にも渡って
ペダルをほとんど漕ぐことなく
一気に駆け下りていく。
時速30km近いけど
真っすぐなうえに
交通量がほとんどないのが助かります。
夕方4時頃に到着したのが
アタカマ砂漠観光拠点の町
「サンペドロ・デ・アタカマ」。
宝石の道中盤以降ずっと楽しみにしてたのは、
この町の宿で何もせずゆっくり休むこと。
しかし、いざ町に突入してビックリ。
無数に存在するはずの宿はどれもが満室。
砂漠で年越しをして、この日は1月4日。
クリスマス休暇でバカンスにやって来た観光客で
町は溢れ返っていたのです。
到着から1時間のうちに
訪ねた宿は15軒ほどでしょうか、
町の中心部にやっとのことで
空室のあるトコロを見つけました。
“郊外で野宿”なんていう
最悪のシナリオは何とか避けられた。
南米屈指の物価大国であるチリ。
さらに観光のための街である
「サンペドロ・デ・アタカマ」
の物価は高く1泊¥6,000。
ただ砂漠を走り切ったご褒美に
奮発することにしました。
歩いて回れるほどの大きさしかない
「サンペドロ・デ・アタカマ」。
欧米人が闊歩するメインの通りを歩いても、
カフェとツアー会社があるだけ。
この町自体に見所は無く、
ここから皆さん“宝石の道”や“ウユニ塩湖”へ
ランクルツアーに出かけるみたいです。
観光客の割合は
フランスとブラジルが多いようで、
一気にヨーロッパにワープしたような
錯覚すらしてしまう。
クリスマスとあって
家族連れもよく見かけます。
そんなサンペドロの町で
一番の楽しみだったのが食事。
砂漠の日々はオートミールやクッキー、パスタばかりが続き
走行中は頭の中で食べ物がずっと巡っていました。
思い通りの食材で
思い通りの調理ができる、
ということがこんなにも嬉しい。
滞在中は外食することなく
毎食自炊してました。
パスタは大好きなので飽きません。
朝食は
町で有名なパン屋さんで買った
フランスパン。
オートミールの数倍美味しい。
そして、熱々のコーヒーが
飲めるなんてもう夢のよう。
さらに午後には
ケーキでコーヒーブレイク、
もう砂漠で妄想していたことを
全て実現してやりました。
とにかく“食べ物”なんです。
このケーキ全然美味しくなかったけど…。
オーナー夫妻の
“イヴァンさん&アンへリカさん”
がまた良い方たちで、
夕食に呼ばれた時の魚が美味しかった。
チリはワインも有名ですよね。
僕、飲めませんけども。
という具合に
「宝石の道」走破後、3日間の“冬休み”は
心も体も癒される最高の休息期間になりました。
普段から一人でいることが好きなのですが、
特に今回のように大自然に浸り切った直後は
あまり人と接することなく
神聖な時間の余韻を
たっぷり味わうのが至福のひと時でございます。
合掌。
サンペドロの町で、写真整理やブログ投稿など
のんびりとやるべきことを片付けると
リフレッシュした気持ちでまた自転車を漕ぎ始めます。
宝石の道を走り終えたとはいえ
ここはまだ
チリ北部に広がるアタカマ砂漠の中。
道が舗装されてはいても、
目の前の砂の大地は
もうしばらく続くようです。
砂漠というと
平坦なイメージがあるけど、
アンデスの一角でもあることから
起伏はかなり激しいです。
この日も獲得標高は
1,000m以上に及びます。
ペルー、ボリビアに比べ
道路がとても綺麗に
整備されているのが分かる。
物価面において「南米のヨーロッパ」
などとも言われるチリ。
経済力も豊かなようです。
朝の出発から
緩やかな坂を上り続け
12時には峠に到達。
それなりにしんどい坂だったけど
アスファルトの道を走れるなら
砂に埋まらないぶん快適。
ただ、坂をくだった峠の向こうが過酷だった。
なだらかな平地がどこまでも続く景色の中、
14時を過ぎた時点で
ものすごい向かい風が吹き始めたんです。
あたりには風力発電のウインドミル。
写真で見ると爽やかですが、
これがあるということは
一帯は自転車走行の困難な
強風地帯だということ。
ペダルを踏み込んでも進まない。
平地だというのに
ときに時速8kmという遅さで
夕方5時にやっと
目的の街「カラマ」に到着。
宝石の道走破直後なんだから
のんびり漕がせてほしい。
疲れて余裕がなかったことから
目に留まったハンバーガー屋さんへ。
よく考えると入国後、
はじめての外食。
チリはどんな料理が有名なんだろうか。
これから南へ下っていくのが楽しみだ。
街中に入り込んでしまったので
野宿をあきらめキャンプ場へ。
¥1500と高いんだけれど、
WiFiはサクサクで
シャワーから温かいお湯。
チリのライフラインは安定してるよう。
サンペドロの町を出て
アタカマ砂漠を走ること2日目。
ここから数日は、
路面の整った高速道路の路肩を進んでいくことになります。
山側の内陸部から
海の方へ向かっていくことで
標高2,000m地点から
徐々に下っていきます。
緩やかな坂を信号も無く
滑走していくのが気持ちいい。
途中で小さな集落に到着。
高速道路が延々と続くと
人との交流も少ないんだけど、
宝石の道で深砂に苦戦しまくった
数日前を思えば
黙って爆走してられるのも悪くない。
集落の外れのキッチンカーにて
ランチのホットドッグ。
まだ始まったばかりだけど
チリ旅はこんなファストフード
ばかりになるんだろうか。
海沿いの町に期待。
昼食を終えた走行を再開した午後2時過ぎ、
前日と同じ苦難がまたも襲ってきました。
海側から強烈に吹きつける向かい風です。
下り坂だというのに
やはり時速10kmも出せなくなり、
重たいペダルを踏み込んでいく。
結局、予定していた距離を
走り切ることはできず
高速道路脇に見つけた廃墟で
テントを張ることに。
日が暮れてもしばらく風は止まず
ボロボロの壁でなんとかしのぎます。
向かい風と格闘していた日中、
ほんの30分のうちに
3人ものトラックドライバーから
食料や水の差し入れをもらいました。
アタカマ砂漠は風との戦いになるけど
ちゃんと人の温もりも存在しています。
アタカマ砂漠走行3日目。
この日も午後からの強風が予想されるので、
日も昇りきらないうちからせっせと準備し
朝7時にはペダルを漕ぎ始めます。
砂漠ということで
朝晩の寒暖差もかなりのもの。
ほんの1時間前は凍えながら
テントを片付けてたのに、
ちょっと漕ぎ始めると
もうジャケットが暑くなってしまう。
風さえなければ
路面も綺麗だし、道路幅も広いし
こんなに快適な道はありません。
ただ、午後の風を恐れるあまり
のんびりする間もなく
走れるうちに少しでも進んでおく。
すると後輪がパンク。
ごくごく小さなトゲが
しっかり刺さっていました。
アメリカやメキシコでもそうだったけど
砂利道なんかより高速道路の方が
パンクが多いです。
正午を過ぎ、そろそろ風が吹き始めるか
というタイミングで道路脇すぐにあるキャンプ場へ。
事前に下調べをしたかぎり
他に風をかわせる場所もなさそうだったので
何とか到着できてよかった。
気付けば標高も
500mほどまで下っており
気温も20℃を越えて
じんわり汗をかくくらい。
それでも夜はしっかり冷え込んで
ぐっすり眠れるのが嬉しい。
街がないのでまともに
買い物ができないけれど、
ガソリンスタンドだけはあるので
燃料を気にせずパスタを茹でられます。
そのパスタすら無くなりそうだけど
その前に砂漠を走り切りたい…。
ということで、
走り始めたのは36ヵ国目となるチリ。
細長いことで有名な南米の大国とあって、
走り切るのに2ヵ月程度は掛かってしまいそう。
しかも、現在は
北部から首都のサンティアゴを目指しているのですが
その間にこれといった見所がないので
ただただ南に向け走るだけの日々が続きそう…。
その道中に素敵な出会いがあることに期待しつつ
しばらくイノシシのように爆走していきます!