2025.02.14
【303日目 16,792km】
首都サンティアゴでは休養と観光で3日間の滞在。
砂漠での疲れもしっかり癒すと、
次なる目的地である
チリ南部の都市「プエルトモント」を目指します。
ここからの距離は1,000kmということで
間に一日休みを挟んで10日前後で付きたいところ。
チリを代表する2都市間を進む
ということで、
その旅路は主に交通量の多い
高速道路を走ることになります。
綺麗に整備され路肩も広いので
逆に安全。
そしてお腹が減ったり
休憩したい時は
高速を降りて小さな町へ。
料金所もしれっと通過できます。
北部の砂漠と違い
ここからは集落も増えるよう。
サンティアゴの街中で
はじめて飲んだ時は
そんなに感動しなかったけど、
30℃の炎天下で走った後には
「モテ・コン・ウエシージョ」の
甘さと冷たさが体に染み渡ります。
120kmを走り切ったこの日の夕方6時頃。
高速道路脇にトラックドライバー向けの休憩所がありました。
トイレに行こうと思ったら、中には監視員さんがいて
トイレのみならず温水シャワーや飲料水まで完備。
しかもWiFiまで付いてるんです。
ということでテント泊のお願い。
設置を許してもらえたのは
ふわっふわの芝生の上。
水もあって、ネット環境もあって
この世の全てを手にしたかのような
最高の野営地となりました。
夕食は道中の町で買っておいた
エンパナダ。
ひき肉とタマネギたっぷりの
具が美味しい総菜パンです。
旧ソビエト圏のピロシキにも似てて、
持ち運べるので旅にはピッタリ。
サンティアゴ出発2日目。
今日も高速道路の脇を黙々と漕ぎ進めていきます。
首都サンティアゴ以北から変わったのは
緑の多さ。
とうもろこしや小麦、果物の木など
広大な畑にすくすくと育っています。
チリの産業や経済なども
南部に集中しているということだろうか。
なかなかいいタイミングで
集落が現れず、
仕方なく路肩のフードトラックで
買ったホットドッグが¥900。
補給や休憩もルートの下調べをして
計画的にやらなければ。
嬉しいのがここ数百kmに渡り
起伏がほとんどないこと。
若干向かい風が多いけども
平坦ならばぐいぐいと
漕ぎ進めることが出来ます。
気持ち良いほどに距離を稼いでいく。
そして前日同様、120kmを走った所で
今日も高速の休憩所へ。
水の心配をしなくていいってだけで
かなり野宿が楽になります。
「向こうに張ってね」と指示されたのは
監視員さんのいる建物から
少し離れた芝生の上。
さすがに電波届かないな、
と思いきや今日もWiFiバッチリ。
チリ高速道路の旅、実に快適です。
テントを張り終えひと段落、
というところで
遠くから声を掛けてくれたのは
こちらのお父さん。
差し入れに
スイカとタマネギを頂きました。
たとえ冷えてなくても
甘くみずみずしいスイカは
疲れた体が喜びます。
夢中でかぶりついてしまいました。
でも、さすがに半玉でギブアップ。
近くに座ってた方にも差し上げました。
サンティアゴ出発3日目、
目を覚ますと綺麗な朝焼け。
薄く広がる雲が良い模様になっています。
大きな坂がないことで
予想よりも早く進めています。
また海から距離があるおかげか
向かい風もさほど強くない。
南米走行でここまでストレスフリー
な道は初めてじゃなかろうか。
一方で、日中は黙々と走り
夜は休憩所でテントを張ってると
あまりに単調に旅が進んでしまう。
ただこの先のスケジュール的に
今はさくさくと南下して
おきたいところ。
昼には「サン・ハビエル」の
町に到着。
田舎の小さな町でも
綺麗に整って
あまりゴミゴミしていないのも
他の南米諸国とは違う。
日に日にチリ名物
「モテ・コン・ウエシージョ」
に魅了されていく。
小麦のおかげで
ランチ代わりとは言わないまでも
多少お腹が膨れるのも良いところ。
今日も順調に走り終え
夕方には休憩エリアへ。
3日連続で120kmと
とてもスムーズに前進してます。
そしてこの休憩所もいい間隔で
待ち受けてくれている。
今日も柔らかい芝生の上にテントを張らせてもらう。
テント泊続きなのに、毎日温かいシャワーを浴びられています。
もはや無料のキャンプ場。
ただ昨日までの休憩所と運営会社が違うらしく、
ここはWiFi無し。
困るじゃないか、まったく…。
ただピクニックテーブルの近くには
コンセントがあります。
ここぞとばかりにあらゆるものを
満タンにさせてもらう。
貰えるものはしっかり貰うタイプ。
もちろん許可頂いとります。
夕食は久しぶりのクスクス。
屋台メシの充実していた南米ですが
ここからは自炊も増えてくるはず。
ちょっと手間だけど、
これが毎日続くと
面倒にも感じないんですよね。
サンティアゴ出発4日目、
朝から近くでゴソゴソ音がすると思ってテントを明けると
そこには一匹の犬。
あまりに人懐っこく、ずっとじゃれあっていたせいで
出発が20分遅れてしまいました。
困るじゃないか、まったく。
今日も変わらない景色を
まっすぐひた走っていく。
サンティアゴ出発直後は
30℃を越えて暑かったけど、
南に進むにつれその暑さも
和らいでいるように感じます。
昼頃に高速を降りて
休憩するのもいつものパターン。
「ヘネラル・クルス」という
町の中心部へ向かい
今日も“アレ”を
探すことにします。
人で賑わうエリアには
必ず“モテ”の屋台があります。
気付けばここ数日ですっかり虜。
チリを象徴する飲み物と言われる
由縁が分かってきました。
なんせ暑い時期にぴったりなんです。
聞けば、ほぼすべての場合
屋台で売ってる方が
自宅で作っているのだそう。
お手製だけあって
砂糖やシナモンの分量はまちまちで、
その微妙な違いも分かってきました。
120kmというのがスタンダードになっている
とても順調なここ数日。
今日はちょうど良い場所に休憩エリアが無く
夕方は野宿場所を求め「ヘネラル・クルス」という集落へ。
集落に入ってすぐに声を掛けてくれたのは、とある夫婦。
「水はある?家そこだからちょっとおいで」
付いていった先のお家では、
ペットボトル入りの水の他にいろいろなモノを勧められます。
「ジュースもあるよ。パンも持ってって。
ここでご飯食べてく?
ていうか、もう泊ってく?」
お昼にBBQをしていたようで
こんがり焼かれた
チキンにビーフをご馳走になりました。
しばらく簡易的な食事が続いたから
こんなに食べ応えあるものに
ありつけるのが嬉しい。
こちらはチリの食卓に欠かせないという
定番ソース「ペブレ」。
お酢ベースに刻みタマネギ、
唐辛子、パクチーが入った
パンチのある一品。
辛みよりも酸味が強いです。
お酢とパクチーのクセが強いので
地元でも好き嫌いが別れるのだとか。
肉と相性が良いですが、
食材に直接かけるのではなく
おかずを飲み込んだ後に
スプーンで一杯口に運ぶのが正しい味わい方だそうです。
さっぱりとして夏にぴったりの味でした。
お言葉に甘えて
敷地内にテントを張らせてもらう。
シャワーもお借りして、
予想もしない展開で
快適な寝床を
確保してしまいました。
夏休みなうえに
奥さんのジェシカさんの誕生日
だったらしく、ご近所さんも一緒に
長い夏の夜を楽しみます。
南米はどこでも爆音で
音楽を流す。
高速道路に沿って走ることで
円滑ながらも単調な日々が続いた中、
チリの日常が垣間見える素敵な出会いに恵まれました。
2025.02.9
【299日目 16,307km】
首都サンティアゴまでいよいよ200km。
チリ入国以来走り続けてきたアタカマ砂漠の旅も
ようやく終わりが見えてきました。
砂漠を越え気候が変わりつつあるのか
このあたりから朝の曇り空が
パタリと無くなりました。
しかもサンティアゴに近づくにつれ
坂も減っていってるので
気持ち良く漕ぎ進めることが出来てます。
それと同時に気温も
少しずつ上がっているように
感じてます。
南下して赤道から
離れているはずなのに。
日中は25℃くらいでしょうか。
お昼過ぎ、南米大陸では初めてとなる
トンネルに差し掛かりました。
ただ高速道路を2kmも進む
長さということで自転車は走行禁止。
トラックに載せてもらうか
周り道をしなければなりません。
トラックがつかまりそうもなく
仕方なく遠回りをしようとしたところ
あるドライバーさんが
声を掛けてくれました。
50kgにも及ぶ自転車を
二人で荷台に抱えて載せる。
10分ほどでトラックは
あっという間にトンネルの反対側へ。
どうしようか、と思いましたが
無事に乗り越えることが出来ました。
ドライバーのカミーロさん、
ありがとう!
サンティアゴに向け道は
内陸へと曲がります。
そのぶん山も多いと思いきや
道路はどこまでも平坦。
嬉しい誤算に
ペダルを漕ぐ足にも力が入る。
野宿をするための十分な水が無いことに気付き
気が付けば道はなにもない荒野へ。
何とか集落へたどり着こうと夜8時過ぎまで
ペダルを漕ぎ続け、ようやく道路脇に食堂を発見。
店主のヴェロニカ&ロベルトさんご夫婦
にテント泊の許可ももらい、
翌朝お店で売るための
パンを焼く作業のお手伝い。
お店の横にある大きな石窯で
次々と焼いていきます。
そのまま店内で焼きたての
パンを食べさせてもらうことに。
近くの村で作られたという
ヤギのチーズと一緒に食べると
もちもちのパンがさらに美味しい。
チリのパンは絶品です。
風を避ける小屋の横に
テントを張らせてもらう。
良い場所に寝られると思いきや、
夜中にご夫婦の飼ってる犬が
近くに寄ってきて
ワンワンと30分くらい吠えてきました。
翌朝、出発前にお二人と記念写真を撮ろうと思ったのに
いつまでも起きてこない。
お店開けなくていいんだろうか…。
残念だけどもう出発しなくては、
昨夜のうちに撮っておけばよかった。
数週間に渡って目指し続けた
サンティアゴまでわずか80km。
やっぱり逐一見所がないと
長期の旅は辛いです。
この3週間はホントに
ただ進むばかりだった…。
南米の都市はどれも
高台にあると思っていたけど
サンティアゴの周辺は
本当にどこまでも平坦。
思いの外スムーズに
都心部までたどり着けそうです。
サンティアゴまでわずか10km。
徐々に大型の小売店や
道路の高架なども現れ
都市空間の片鱗が見えつつあります。
たった数日前とは
全然違う風景。
街の中心部に近づく際には
川沿いの遊歩道を走ります。
こんな綺麗にデザインされた道を
走ること自体、南米では初めてだ。
道沿いに植えられた樹から
漏れる日が美しい。
そびえる高層ビルに
立体交差する道路。
人口550万人を擁する都市とあって
かなり近代的で
人も車も慌ただしく
行き交っています。
そして、ついに到着しました
チリの首都・サンティアゴ!
入国からおよそ3週間、
周辺に町の少ない高速道路ばかりを走ってたことで
半ばモチベーションを失いかけ、
ただ機械の様にペダルを漕ぐだけの日もありましたが、
久しぶりの大都市に気分が高まっております。
まずは宿に向かうのですが、
2日ほど前に予約したはずの所が
カード決済処理が上手くできていない
と言われ、予約できてませんでした。
モヤモヤしつつも地元の人に聞きつつ
飛び込みで別のゲストハウスへ。
ささっと荷物を部屋に移し
5日ぶりのシャワーを浴びたら
近くのラーメン屋へ。
大都市に着いたら
まず一番にラーメン屋を探すという
謎のルーティンが出来上がってます。
到着翌日はさっそく市内の観光へ。
大都市サンティアゴといえども
観光客が訪れる見所は、昨日到着してすぐに向かった
中心部の「アルマス広場」周辺に集約されています。
まず最も目立つ建物
「サンティアゴ大聖堂」へ。
およそ500年の歴史を持つ
風格のある建築は
入植してきたスペインの影響を
大きく感じさせます。
色々な捉え方が出来るだろうけど、
世界中のあらゆる土地において
共通の文化圏を築き上げてきた
キリスト教の力は凄いと感じます。
人類って宗教なしでは
発展できなかったんだろうな。
他にも広場の四方は
歴史的建造物が取り囲んでおり、
こちらは100年以上の歴史を持つ
中央郵便局。
大地震にも耐えてきた
頑丈な作りです。
広場から数百m離れたところにあるのは
大統領官邸の「モネダ宮殿」。
現役の官邸ということで、周囲に賑やかさは無く
荘厳な様子が漂います。
50年前、クーデターにより
社会主義政権が転覆した際、
当時の大統領が
ここで自害したということで、
チリ民主化の歴史においても
大きな意味を持つ場所です。
街を散策する中で、気になるのがこちらのドリンク。
そこらじゅうの屋台で売られています。
名前は「モテ・コン・ウエシージョ」と言って、
桃を砂糖とシナモンで煮出した甘い飲み物です。
これまでのペルー、ボリビアでも似たような
コンポート系の飲み物はありましたが、
特徴的なのが底に沈んだ粒。
実はこれ、殻付きの小麦でございます。
キンキンに冷えたコンポートを飲みつつ、
スプーンで小麦をすくって食べる
というのがこの飲み物の味わい方。
小麦とコンポートの組み合わせが
何とも不思議ですが、夏の風物詩であり
チリを代表するソウルフードだそうです。
滞在2日目に向かったのは
宿からすぐ近くにある山、
「サンクリストバルの丘」。
サンティアゴの街には
ポコポコと小さな山が
いくつか点在してます。
小さいとはいえ高さは
300mほどあり傾斜も急。
自転車乗らない日は
なるべく体力使いたくないけど、
一応観光スポットは網羅しておきたい。
気温は30℃ほどでじわっと汗をかきます。
頂上まで歩くと
大きなマリア像が立っていました。
日光が眩しいし
どう撮っても逆光になるけど
それがまた神々しさを
演出してます。
頂上からの景色がコチラ。
高層マンションがいくつも建ち並ぶ様子は圧巻で、
これまで走ってきた砂漠の景色とはかけ離れています。
海まで100km以上離れているので
どのみち太平洋は見えないのですが、
真夏の昼間ということで空気はかすんで遠くまで
はっきりとは見渡すことができません。
加えて、人口が密集しているサンティアゴは
大気汚染も深刻なようでより空気を濁らせてしまってるのだとか。
こちらはアルマス広場からも
ほど近い中央市場。
チリ入国からそれほど多くの
町を通過してないので
市場というもの自体
チリでは初めて見ることに。
中を覗くと
魚介専門の市場だったようで
魚や貝などがズラリ。
場所によっては市場って
生臭さがヒドいんですが、
ここは新鮮なのかそんなこともなく。
ということでまた食べてしまいました
ラ・セレナの街で虜になった「パイラマリーナ」。
熱々のスープに溶け込んだ魚介の旨味が溜まりません。
チリで美味しいものを食べようと思ったら
やっぱり海鮮になるんだろうな。
これから南下していくのが楽しみ。
さらに観光だけでなく
これから旅の終盤に突入する前に
自転車のメンテナンスをすべく、宿の近くのバイクショップへ。
ギアの変速がスムーズにいかないのが
気になってたのですが、
細かいパーツの取り換えや
ワイヤーの張替えが必要だということに。
アラスカから1万5千kmも走れば
何かとガタもきます。
という感じで、砂漠の疲れを癒しつつ
首都サンティアゴでの3日間の滞在を満喫。
美味しいグルメも堪能しつつ、
柔らかいベッドで横になりつつ、
砂漠の疲れもしっかり癒すことが出来ました。
2025.02.5
【293日目 16,109km】
チリの首都サンティアゴを目指して南下中。
ラ・セレナの街で2日間の休養をして
再びペダルを漕ぎ始めます。
ここからサンティアゴまでは500km足らず。
5日間あれば到着できるはず。
出発した後にも続く都市を見渡して
改めてラ・セレナが
割と大きな街であったことに気付く。
高層ビルや綺麗な住宅が並ぶ様子は
ペルー、ボリビアと眺めた来た
南米の様子とは一味違う。
海沿いを走る高速道路から
右手を見下ろすと
優雅なビーチリゾートが。
おそらくチリだけでなく
各国の富裕層が訪れるんだろうな。
海も建物もすごく綺麗です。
そして例に漏れず
今日も午後から強い風が吹き始める。
目に見えない障害に苦戦してるからか
チリに入国してからとにかく
疲労がスゴイです。
風と戦い続けている。
やはり夜は食堂へ。
もっと地元の人と積極的に
関わろうと思うのですが、
そもそも村が無く食堂しかないので
食事をしてテント泊のお願い、という
パターンが固定してしまっている。
この日は豚のソテーと
スパゲッティ。
すごく美味しいワケじゃないんだけど
1日走り切った後の肉は
やっぱり体に染みます。
素朴でシンプルなお味。
南から吹き上げる風がやまず
場所選びに苦戦するも、
給水塔の陰に
テントを張らせてもらうことに。
風さえなければ食堂横じゃなくても
テント泊できるんだけど…。
ラ・セレナ出発2日目。
朝食は街で買っておいたパンに
チリの定番キャラメルクリームを塗る。
宿にいるときはパンをレンジで温めるんですが、
それがもう美味しくて美味しくて。
朝って大体気分が高揚するんですが、
さすがに絶景も無く
ただ進むだけの日が続きすぎて
ワクワクみたいなものが
無くなってしまっている。
でも安全のために気は抜いちゃダメだ。
ウインドミルの群れを見ると
ゾッとしてしまう。
これが回転しはじめるまえに
この地帯を抜け出さなければ。
もはや強風恐怖症です。
追い風ならいいのに。
海沿いを走るここ数日アップダウンは激しいのですが
今日は特に上りが多い。
汗をかきながらやっと上り終えたと思えば
はるか向こうに次の峠が見える。
体力と同時にメンタルも疲弊してくる。
勾配が急になる場所では
自転車を降りて押しながら、
なるべく止まらないように
少しずつでも進んでいく。
同じ景色ばかり繰り返すのも
やはり辛い…。
夕方、家族連れの車が
わざわざ停まってくれて
エナジードリンクを貰いました。
こんなちょっとしたことで
元気が湧いてくるから
人の優しさってありがたい。
疲れ果てお腹もすいた夜7時頃。
反対車線側に一軒の食堂を発見。
今日は80km程度しか走れてないけど、
そろそろここまでにしておくことに。
少し先に陸橋があり、向こう側へと渡ります。
注文したのは白身魚のフライ。
身が柔らかくて美味しいです。
付け合わせの野菜があるんだけど
いつもイモとトマトばかりで
緑が無いのが残念。
わがままでごめんなさい…。
旅の話で一緒に盛り上がったのは
近くの席で食べていたトラックドライバーの“ホルヘさん”。
アラスカから来たことに感激してくれ
「俺のおごりだ!コーラも飲んでいいぜ!」
と振る舞ってくださいました。
ありがたや。
今日は上りに苦しみ
遅くまで走ったけれど、
人の温もりに触れたことで
気持ち良く眠りにつくことが出来ました。
やっぱり旅は人だなぁ、と
人の少ない砂漠の中でこそ強く感じる。
ラ・セレナ出発3日目。
食堂には看板犬に別れを告げて今日も出発です。
時に人的被害すらもたらすピットブル、
激しい愛情表現でなついてくれました。
ちょっとブサイクなところも可愛いですよね。
昨夜食堂にて
ごちそうしてくれたホルヘさん曰く、
昨日で最も起伏の激しいエリアは
走り切ったはずとのこと。
厚い雲の下
ゆるやかな坂をくだっていきます。
「エンテラウケン」という小さな町を過ぎたところで
ある食べ物屋さんに到着。
グーグルマップでたまたま見つけたのですが
ここを通り過ぎる人たちは皆立ち寄るのだとか。
お店の名物は“チーズエンパナダ”。
ラテン文化圏で広く食べられる
具入りのパイ“エンパナダ”ですが
このお店のチーズが
たっぷり入ったものが
大人気なんだそう。
熱々のエンパナダをかじると
中にはとろけるチーズがぎっしり。
ただのチーズパイでしょと思ったけど
これは予想以上に美味しかった。
そして1つ¥600ほどと
予想以上に高かった。
天気の良くなる午後には
波が打ち寄せる海岸線へ。
地球の裏側の日本まで
この大海原が続くんだから
太平洋ってホントに大きいよなぁ
としみじみ感じる。
ガソリンスタンドで声を掛けてくれたのは
おそろいのホンダのバイクでツーリング中の
“ロドリゴさん&ホルヘさん”。
ジュースとホットドッグを
ご馳走してくれました。
首都サンティアゴが近づくにつれ
交通量も増え、
人と接する機会も
少しずつ増えている気がします。
昨日までの上下に
うねり続ける道が噓のように
まっ平らになりはじめました。
時速20km近い早さで
漕いでいけるのが気持ちいい。
自転車は押すのでなく漕ぐもの。
夕方6時、高速道路脇の
ガソリンスタンドへ。
ファストフードやトイレなども
充実していてとても綺麗です。
しかもWiFiも完備だから
つい長居してしまう。
ガソリンスタンドの敷地の隅に
人目を避ける場所を見つけ、
そのままテントを張ることに。
サンティアゴまではいよいよ200km。
2025.02.1
【291日目 15,826km】
チリの首都サンティアゴを目指しアタカマ砂漠を南下中。
チャニャラルという海辺の町を出発してから、
走り続けて4日目です。
道路脇の食堂で夜を明かし、
今日も強風の吹き始める前にテントを片付け走り始める。
サンティアゴまではおよそ700kmほど。
高速道路の路肩を走るばかりで
なかなか変わった景色も無いのが
アタカマ旅の寂しい所。
大きな街もそれほどなく
疲れはするものの
淡々と日々進んでます。
この日はかなり上り坂の多い行程。
傾斜は決して急ではないものの、
どこまでも続く上り坂を
ゆっくりゆっくりと漕いでいきます。
そして、午後は雲一つない青空が
果てしなく広がる。
世界を巡るサイクリストの間でも
見所の少ないアタカマ砂漠は
バスなどでスキップする人も居るよう。
でもせっかくだから
地続きで旅を進めていきたい、と
せっせとペダルを漕いでるワケです。
夕方には大きな峠に差し掛かり
ここから一気にくだっていく。
風も強いので
どこでも野宿が出来るわけでは
ありません。
目指す場所までは何とか進まねば。
夜7時前に予定していた食堂に到着。
例のごとく、
テントのお願いをするため
まずは先に食事を済ませます。
魚のフライの身がほわっほわで
レモンを絞ると美味しい。
ウェイトレスさんに確認し
無事テントを張れることに。
ちなみに8時半でこの明るさです。
9時過ぎるまで暗くはなりません。
やっぱりチリの時刻設定は
間違ってると思う。
チャニャラル出発5日目。
今日はいつにも増して朝の雲が厚い。
それによって気温も低い。
ジャケットを着こんで坂をくだっていきます。
風と戦い続けているからか、
連続走行5日目にもなると
疲れがどっと出てきました。
いつもはこんなことないのに
砂漠で水を節約していることも
関係あるのかしら。
道路脇の食堂で早めのランチ。
ビフテキはこのあたりの定番ですが
どこで食べても肉が固い。
隣国アルゼンチンの牛肉は
世界的に評価が高いので
今から楽しみです。
昼を過ぎて晴れだした頃に
数日振りの太平洋を拝みました。
日によってはそれほど
気温が上がらないからか
遠くのビーチには
海水浴客の姿は見えません。
海を眺めてのんびり走ろうにも
海岸には崖が多く
道路も常にアップダウン。
疲労の蓄積もあって
途中からはペダルを漕ぐ元気も無く
押しながら進んでいきました。
そして、午後3時。
チャニャラルの町から5日間の走行を経て
「ラ・セレナ」という街に到着しました。
サンティアゴまでの中継地点ということで
ここでひと休みしていくことに。
早速、宿を訪ね歩くと
祝日と重なったようでどこも満室。
「宝石の道」走破した後の
サンペドロを思い出します。
7軒目でようやく空き室を見つけ
ベッドにダイブ。
人口20万人にも達する“ラ・セレナ”の街。
チリ入国3週間目にしてようやく
“街”といえるような街に着いた気がします。
海辺の観光地であると同時に
チリ北部では大きな経済都市でもあるそう。
とはいいつつも、外国人がわざわざ立ち寄るほど
有名な観光スポットがあるわけでもないので
のんびり雰囲気だけ味わってみることに。
入植したスペイン人によって
作られた街の歴史は500年ほどで
チリ国内では2番目に古い街だそう。
街の規模にしては多い
29もの教会が点在するのも
ラ・セレナの特徴です。
街のシンボルとなっているのは。
ビーチにある灯台。
特に古い歴史があるわけでもないけど
シンプルなデザインの建築が
遠くからでも目を惹きます。
白い壁面が青空にマッチ。
ビーチが少し奥まった
湾になっていることから
ここではたくさんの人が泳いでいました。
どうにも小石が多くて、
白い砂が続く気持ちの良いビーチ
というわけではないですけど…。
到着翌日のランチに向かったのは
南米大陸では初めてとなる
マクドナルド。
ペルー、ボリビアでは見かけませんでした。
ただ街に着いてすぐに向かうのが
マックとは、我ながら寂しい…。
セットにナゲットを付けると
¥1,500ほどに。
チリ独自のバーガーもあったけど
それらはセットで¥2,000ほど。
チリの物価は往々にして
日本よりも高いです。
もちろんせっかくなので
チリならではのグルメも堪能しようと
リサーチをして
宿の近くのレストランにやって来ました。
ついにチリの食文化を
たっぷり満喫する時が来た。
それがこちらの「コンプレト」。
パンにソーセージを挟み、刻みタマネギとトマトを加え
最後にドンとワカモレ(アボカド)とマヨネーズを塗りたくった
チリ版“ホットドッグ”です。
これまでもホットドッグの屋台はよく見たのですが、
ネットで調べたところ、まさかコレがチリグルメの一つでした。
「え?これ名物なの??」と思いつつも注文。
気になるお味はというと、もうただのホットドッグ。
そして、南米のマヨネーズって酸味が全然なくて、
“もったり”とした味なんです。
さらに中のソーセージも美味しいかと言われるとそうでもなく
加工肉感がすごくて、肉汁は一滴も溢れません。
うーん…。
砂漠走行中に期待していたのが
街でのグルメだっただけに、
さすがにホットドッグでは
満足するはずもなく。
街の中心にある市場の周辺で
さらなるグルメを探し求めます。
強引な客引きに負けて入ったレストランで注文したのは
「パイラマリーナ」。
熱々の土鍋(パイラ)に注がれているのは海鮮スープ。
煮えたぎっているのでテーブルに置かれてすぐだと
スープ全体が泡を吹いています。
少し冷めた頃を見計らって
一口食べた瞬間、
口いっぱいに広がる貝の旨味。
スープを飲みすすめると
これでもかとゴロゴロ
貝やエビが姿を現します。
何度スプーンですくっても飽きることない
豊かな海の味。
気が付けば夢中で食べ、あっという間に完食してしまいました。
これだけふんだんに海産物が使われているので
当然値段はそれなりですが…。(1杯¥2,000!)
あまりにも美味しかったので
チリ滞在中はリピート確定です。
あぁ、美味しかった。
2025.01.28
【287日目 15,600km】
チリ入国と同時に突入した
アタカマ砂漠の旅が思った以上に過酷で
疲労感もそれなりのもの。
たどり着いた「チャニャラル」の町では
2日間の休養を取ることにしました。
滞在先のゲストハウス。
ペルー、ボリビアより物価は上がり
個室で1泊¥3,000。
ただ移動中は毎日野宿で無料なので
休みの日はためらわず
一人部屋をとるようにしてます。
確認せずとも
Wifiは完備されてるし、
シャワーからお湯は出るし、で
まだ大きな街ではないにせよ
チリがいかに整った国なのか
よく分かります。
海沿いとはいえ
人口も少ない小さな町・チャニャラル。
リゾート感は全くないし
漁港ならではの賑わいみたいなのも
ほとんどありません。
なんだか寂しい…。
そんな町でちょっとテンションが上がったのがスーパー。
南米大陸3カ国目にして劇的に品揃えがよくなり、
アメリカ・カナダで見てきたブランドもラインナップされてます。
そしてペルー、ボリビアでは
探しても無かった
「クスクス」まで発見。
物価高で自炊ばかりだった
北米旅を支えてくれたアイテムです。
迷わず3袋購入。
夕食は町の食堂へ。
これはペルー、ボリビアと変わらない
白身魚のフライなんですが、
物価はグッと上がって
何を頼んでも¥1,000ほど。
そのぶん特に美味しいわけでもなく。
¥300以下で1食を済ませられた
ここ数カ月とは全く別の世界。
ここからは北米の様に
自炊を中心に旅を進めていく必要がありそうです。
2日間の滞在を終え、体力も回復。
引き続き首都サンティアゴを目指して南へ走り始めます。
サンティアゴまでおよそ1,000km。
しばらくは海に沿って道が続いており
久しぶりの太平洋を眺めながら
走っていきます。
この日は雲が厚く
どんよりしてることもあって
さほど綺麗ではないのが残念。
休憩中の野良犬。
“だるまさんがころんだ”の
ごとく、振り向くたびに
こちらに近づいてきました。
そんな目で見つめてこないで。
仕方ないからパンの切れ端をあげる。
正午を過ぎると
空を覆っていた雲が流れ
一気に青空が広がりました。
同時に海も青く輝き始め
眺める景色も綺麗に。
気持ちの良いコーストライン。
バス停一つでも
こんなしっかりしたものが建って
チリは綺麗だなぁ、なんて
感心しながら休憩させてもらいます。
道路にヒビも無いし
確かに“南米のヨーロッパ”だ。
午後になってしばらくすると
再び海を離れ内陸方面へ。
核心部は終えたようだけれど
もうしばらくアタカマ砂漠を
出たり入ったりしながら
道は続いていくようです。
予定以上の130kmを走った夕方6時。
道路脇にレストランを発見。
高速道路の脇にはこうしたトラックドライバー向けの食堂が
一定間隔で現れてくれます。
すでにチリ入国から
2週間近くたちますが
料理の方向性は
ペルー、ボリビアとは
大きく違わないみたい。
シンプルに焼く、揚げるが多いです。
嬉しかったのが食後、
店主のお母さんに声を掛け会計をしようとした時でした。
「ここよくサイクリスト通るのよ。
応援してるからお金は要らないわ!」
そしてそのままお店の横に
テントを張らせてもらうことに。
ドライバーさん達からも
水をよく貰うし、
チリに来て人の温もりを
一段と感じるようになりました。
チニャラル出発2日目。
スクランブルエッグを食べて今日もスタート。
夕食をごちそうしてくれた店主マルシアさんと
記念に写真が撮りたかったけど
まだ寝ているらしくお店にはおらず。
今日も変わらず高速道路の脇を
ひた走って行きます。
チャニャラル以降、
午前中の空は
必ず曇った状態です。
暑くもなく寒くもなくちょうど良い。
ここからおよそ
200km続く砂漠地帯に突入。
またか、という気分だけど
まぁ2日間で走りきれる距離なので
黙々と漕いでいこう。
同じ景色が続きます。
しばらく大きな見所がないだけに
寄り道もせず
どのみち真っ直ぐ走るだけなんだけど、
道路脇にお店もなにもないので
ちょっとだけ心細い。
砂漠の景色にももう飽きてます。
すると12時を回った時点で異変が。
真っ正面から強烈な向かい風が吹きはじめたんです。
ほんの数日前に苦しんだばかりなのに
砂漠にはコレがあることを忘れてた…。
目的の食堂は60kmほど先、
それまでは何もないことが予想される。
ということで今日のところは
進むのを止めといて、
20km戻った街に滞在することに。
風を考慮して
もっと朝早くから
行動をはじめておくべきだった。
「コピアポ」という街には
割りとたくさんの宿があり、
すんなりと泊まれる部屋を
見つけることが出来ました。
¥2000ほどで安いし
延泊したいくらい快適な宿です。
しかし風ひとつで
その日の走行を中止するのも
かなり珍しいです。
南米大陸も南下するにつれ
どんどん強風地域が増えるらしいので
ちょっと不安。
そして翌日、チャニャラル出発3日目。
朝7時には宿を発ちました。
ここ数日の様子を伺うに、
日の出が7時前で、日没が21時頃。
太陽が真上にのぼるのも13時頃だし
チリの時刻って1時間ずれ込んでる感じがします。
朝は曇って、
午後からは曇一つない快晴。
律儀なほどこのパターンを守る
ここ何日かの天気。
この日は曇りというより
雲の中を走ってる様な気分。
しばらくひんやりとした
モヤの中を進むと、
墓地が現れました。
視界の悪さも相まって
非常に怪しげな雰囲気。
お墓は1人に1つみたいです。
昼食はスーパーで買っておいたパン。
ヨーロッパからの影響が大きいチリ。
その恩恵を受けてか
パンがかなり美味しいんです。
小さな町でも歩くと
小麦の良い香りがするほど。
あいかわらず起伏の多い
アタカマ砂漠の道。
午後3時にもなると
日差しは暑くなり
汗をかきながら
必死にペダルを踏み込んでいく。
夕方6時、
この日もやはり道路脇の食堂へ。
まずは食事をして
「あのぅ…、実はお願いが…。」
とテント泊のお願いをするのがお決まりになりつつある。
アメリカの田舎にある
ダイナー(食堂)のように
飾り気はないんだけど
小綺麗に整えられたチリの食堂。
夜も7時頃から作業着を着た
ドライバーさん達で賑わいます。
「カスエラ」という
牛肉と野菜のスープ。
ペルーでもよく食べたけど
疲れた体に嬉しい1品。
やはり値段は¥1000近く
テント泊お願いするための必要経費。
という風に
似た景色、似た行動パターンを繰り返しながら
首都サンティアゴへの距離を縮めています。
2025.01.24
【282日目 15,253km】
ボリビアから宝石の道を越え、チリに入国。
北部に広がるアタカマ砂漠を南下し
首都サンティアゴを目指しています。
アタカマ砂漠を走り始めて4日目。
毎日ペダルを漕ぎ続けるけど
とにかく周辺に街が無い。
物資が補給できないうえに
午後から吹き荒れる風のせいで
朝早く行動しなければいけない。
ボリビアの終盤は苦しみながらも
宝石の道を走り切ったことに清々しさを感じており
ここからはのんびり期間が続くだろうという
根拠のない予想をしていたけれど、
それはあっさり裏切られました。
ここまで風が強いことは
予想外だったにしても、
街が少ないことは
地図を確認すれば分かったはず。
見込みの甘さにより
食料の買い込みも不足気味です。
80kmほど走ったこの日の午後4時前、
想定していなかった場所に食堂が現れる。
この先、風が避けられる場所もないかもだし
ちょっと早いけどここにテントを張らせてもらうことに。
思えばまともな食堂に
立ち寄るのはチリで初めて。
ただシンプルなスープと
鶏肉を焼いたものがだけだったので
まだチリの食文化というものが
分かっていない。
ためらうことなく
テントを張る許可を下さった
“ウェンディさん”ご一家。
砂漠のど真ん中で
こんなのんびりした
レストランに出会えてよかった。
ちなみに食堂内で付いていたテレビの画面を見て、
ボリビアから時刻が1時間ズレていることを知りました。
もう入国から1週間経つというのに
人との関りも少なく砂漠を走るばかりで全然気づかなかった…。
アタカマ砂漠走行5日目。
食堂で朝食をご馳走になり今日も走り始めます。
空気がひんやりとして
風も無い朝の砂漠は
走っていて本当に気持ちが良い。
ただ、こんな時間は
せいぜい最初の1時間で
景色も変わらず進んでる気もしない。
走行開始から1時間弱ほど走ったところで
道路の脇に地面から、うにゅっと突き出る大きな手を発見。
こちらはアタカマ砂漠のちょっとした見所となっている
その名も「砂漠の手(マノ・デ・デシエルト)」
という彫刻作品。
アタカマ砂漠の象徴として、
さらにはかつての独裁政権に
よる被害者を弔うため、
約30年前に製作されたそう。
何もない砂漠の途中で
異様な存在感を放っていました。
この日は斜度がゆるいながらも
獲得標高は1,000mに及ぶ行程。
幸いここ数日に比べると
風がほとんど吹かないおかげで
されほど苦しむことなく
漕ぎ続けることができています。
道端に“食堂”と書かれた小屋を
発見するけども
残念ながら鍵が掛かってました。
“肉が食べられる!”と期待したけど
いつもどおりクッキーなどの行動食で
お腹をごまかすしかなさそう。
気温は25℃くらいだろう
と思うけど、
雲一つなく太陽に
照らされ続けることで
体力を奪われる。
見つけたバス停でしばし休憩。
気付けば水も残り少なくなっており
やむを得ず、走行中のトラックを止め
せがんでしまう。
幸い1台目で停まってくれた
ドライバーさんが快く
ペットボトル一杯に注いでくれました。
前後数十kmに渡って
水の一滴も補給できる場所などないことを、
トラックの運ちゃん達は誰よりもよく知ってくれている。
数日前にはたくさんの差し入れを頂いたし、
チリのトラックドライバー達は
とても好意的に助けてくださいます。
そして夕方5時過ぎ、
前日に続くパンク。
連日ということはタイヤに問題か
と疑ったけれど
新たなトゲが刺さっていました。
チリの高速、多いです。
少しずつ日も傾き、
どこか風をかわせる場所は無いかと探しても
辺りには本当に何もないので
道路から百mほど離れたあたりでテントを張る。
この時は運が良く、ここ数日ではありえないほど
風が弱かったので無事寝床に着くことができました。
アタカマ砂漠走行6日目。
今日も午後の風が怖いので
太陽が上ると同時に走行スタート。
あたりには無数のウインドミル。
このあたりも
風が強い地域と聞いていたので
朝のうちに走り抜けておきたかった。
今は風が弱いどころか
優しい追い風が背中を押してくれるほど。
2時間ほど走った所で
ドライバー向けの食堂を発見。
まだ時間も少し早いけど
何か人の温もりがこもったものを
食べたいので寄ることに。
砂漠に疲れてるんです。
ランチには早い時間だったので
食べれたのは
ハムエッグとパンだけ。
それでも美味しかった。
ただの炒り卵なんだけど
一口ずつ味わって食べる。
すると食事中、しつこく話しかけてくる運ちゃんが。
ぶっきらぼうな話し方と強いアクセントで
ほぼ何を言ってるか分からなかったのですが、
どうやら「オレがおごってやる!」と言ってくれてるよう。
ありがとうアレックさん、
人生で一番おいしいスクランブルエッグでした。
昨日、標高を上げたぶん
今日は下り基調なんだけど
やはり午後からは風が強まるせいで
それほど速くは進めない。
力んでも無駄なので
辛抱強くじっと漕ぎ続けていく。
そして夕方4時、またも道路脇に食堂を見つけました。
本当に砂漠の中のオアシスのよう。
まずは駆け込んで冷たいコーラを流し込む。
お願いしたところ
すんなりとテントを張る許可を
もらうことができました。
地面も平らで整ってるし
風を防ぐ方向に建物があるし
完璧なキャンプ地です。
ランチでも夕食でも
だいたい千円弱ほどと
決して安くはないチリの食事事情。
それでも疲れ切った体には
肉が染み込みます。
この固い牛肉ですら美味しかった。
アタカマ砂漠走行7日目。
今日には小さな町に到着できるはず。
早くシャワーも浴びたい…。
南米大陸の東側沿岸に
細長く伸びるチリの土地。
夏を迎える1月は
陸地の気温が高まることで
広大な太平洋からの空気が
一気に流れ込んでくるそうです。
この日は正午前から
すでに風が吹きはじめてきました。
上りも多い行程だったので
どのみちゆっくりなんだけど
毎日吹きさらされて疲労困憊。
もう好きにして…。
1日に1回はこんな食堂が
道路脇に現れてくれるので、
助かっています。
朝と夜はテントで調理できるけど
日中の移動中は
できるだけ手軽に食事を済ませたい。
さほどお腹が空いていないので
スープだけでささっと済ませる。
いまだに
チリ食文化の核心を突かない
微妙なチョイスをしていると
我ながら思います。
午後からも止まない風の中
ゆっくりと進み続け、
標高800mの峠に到着。
ここから海側に下りていけば
およそ1週間ぶりとなる
町にたどり着けるはず。
そして峠の向こう
最後の10kmが辛かった。
気持ちよく進めそうな下り坂なのに
この3日間ほどで
最も強い向かい風に吹かれる。
だから、もう好きにして…。
そして夕方6時、
サンペドロの町から7日間走り続けた果てに
ようやく海沿いの街「チャニャラル」に到着!
日々、風と戦い続けたことで
もう脚がガクガク。
しばらくここで休むことにします。
2025.01.20
【278日目 14,820km】
「宝石の道」を走り終え、ボリビアも出国。
さらに2国間の緩衝地帯を5km進んだところに
次なる国・チリへの入国審査がありました。
パスポートチェックとX線検査を
終わらせると、あっという間に越境。
国境を越えると同時に
アスファルトで綺麗に整えられた
公道に合流。
およそ一週間に及んだ
砂の道との戦いも
ここで終わりとなります。
4,500mの高所に位置する
宝石の道から脱出して
はじめの町へ向かうには、
標高を2,000mも
下げていきます。
はるか下の地平線が霞んでいる。
2時間以上にも渡って
ペダルをほとんど漕ぐことなく
一気に駆け下りていく。
時速30km近いけど
真っすぐなうえに
交通量がほとんどないのが助かります。
夕方4時頃に到着したのが
アタカマ砂漠観光拠点の町
「サンペドロ・デ・アタカマ」。
宝石の道中盤以降ずっと楽しみにしてたのは、
この町の宿で何もせずゆっくり休むこと。
しかし、いざ町に突入してビックリ。
無数に存在するはずの宿はどれもが満室。
砂漠で年越しをして、この日は1月4日。
クリスマス休暇でバカンスにやって来た観光客で
町は溢れ返っていたのです。
到着から1時間のうちに
訪ねた宿は15軒ほどでしょうか、
町の中心部にやっとのことで
空室のあるトコロを見つけました。
“郊外で野宿”なんていう
最悪のシナリオは何とか避けられた。
南米屈指の物価大国であるチリ。
さらに観光のための街である
「サンペドロ・デ・アタカマ」
の物価は高く1泊¥6,000。
ただ砂漠を走り切ったご褒美に
奮発することにしました。
歩いて回れるほどの大きさしかない
「サンペドロ・デ・アタカマ」。
欧米人が闊歩するメインの通りを歩いても、
カフェとツアー会社があるだけ。
この町自体に見所は無く、
ここから皆さん“宝石の道”や“ウユニ塩湖”へ
ランクルツアーに出かけるみたいです。
観光客の割合は
フランスとブラジルが多いようで、
一気にヨーロッパにワープしたような
錯覚すらしてしまう。
クリスマスとあって
家族連れもよく見かけます。
そんなサンペドロの町で
一番の楽しみだったのが食事。
砂漠の日々はオートミールやクッキー、パスタばかりが続き
走行中は頭の中で食べ物がずっと巡っていました。
思い通りの食材で
思い通りの調理ができる、
ということがこんなにも嬉しい。
滞在中は外食することなく
毎食自炊してました。
パスタは大好きなので飽きません。
朝食は
町で有名なパン屋さんで買った
フランスパン。
オートミールの数倍美味しい。
そして、熱々のコーヒーが
飲めるなんてもう夢のよう。
さらに午後には
ケーキでコーヒーブレイク、
もう砂漠で妄想していたことを
全て実現してやりました。
とにかく“食べ物”なんです。
このケーキ全然美味しくなかったけど…。
オーナー夫妻の
“イヴァンさん&アンへリカさん”
がまた良い方たちで、
夕食に呼ばれた時の魚が美味しかった。
チリはワインも有名ですよね。
僕、飲めませんけども。
という具合に
「宝石の道」走破後、3日間の“冬休み”は
心も体も癒される最高の休息期間になりました。
普段から一人でいることが好きなのですが、
特に今回のように大自然に浸り切った直後は
あまり人と接することなく
神聖な時間の余韻を
たっぷり味わうのが至福のひと時でございます。
合掌。
サンペドロの町で、写真整理やブログ投稿など
のんびりとやるべきことを片付けると
リフレッシュした気持ちでまた自転車を漕ぎ始めます。
宝石の道を走り終えたとはいえ
ここはまだ
チリ北部に広がるアタカマ砂漠の中。
道が舗装されてはいても、
目の前の砂の大地は
もうしばらく続くようです。
砂漠というと
平坦なイメージがあるけど、
アンデスの一角でもあることから
起伏はかなり激しいです。
この日も獲得標高は
1,000m以上に及びます。
ペルー、ボリビアに比べ
道路がとても綺麗に
整備されているのが分かる。
物価面において「南米のヨーロッパ」
などとも言われるチリ。
経済力も豊かなようです。
朝の出発から
緩やかな坂を上り続け
12時には峠に到達。
それなりにしんどい坂だったけど
アスファルトの道を走れるなら
砂に埋まらないぶん快適。
ただ、坂をくだった峠の向こうが過酷だった。
なだらかな平地がどこまでも続く景色の中、
14時を過ぎた時点で
ものすごい向かい風が吹き始めたんです。
あたりには風力発電のウインドミル。
写真で見ると爽やかですが、
これがあるということは
一帯は自転車走行の困難な
強風地帯だということ。
ペダルを踏み込んでも進まない。
平地だというのに
ときに時速8kmという遅さで
夕方5時にやっと
目的の街「カラマ」に到着。
宝石の道走破直後なんだから
のんびり漕がせてほしい。
疲れて余裕がなかったことから
目に留まったハンバーガー屋さんへ。
よく考えると入国後、
はじめての外食。
チリはどんな料理が有名なんだろうか。
これから南へ下っていくのが楽しみだ。
街中に入り込んでしまったので
野宿をあきらめキャンプ場へ。
¥1500と高いんだけれど、
WiFiはサクサクで
シャワーから温かいお湯。
チリのライフラインは安定してるよう。
サンペドロの町を出て
アタカマ砂漠を走ること2日目。
ここから数日は、
路面の整った高速道路の路肩を進んでいくことになります。
山側の内陸部から
海の方へ向かっていくことで
標高2,000m地点から
徐々に下っていきます。
緩やかな坂を信号も無く
滑走していくのが気持ちいい。
途中で小さな集落に到着。
高速道路が延々と続くと
人との交流も少ないんだけど、
宝石の道で深砂に苦戦しまくった
数日前を思えば
黙って爆走してられるのも悪くない。
集落の外れのキッチンカーにて
ランチのホットドッグ。
まだ始まったばかりだけど
チリ旅はこんなファストフード
ばかりになるんだろうか。
海沿いの町に期待。
昼食を終えた走行を再開した午後2時過ぎ、
前日と同じ苦難がまたも襲ってきました。
海側から強烈に吹きつける向かい風です。
下り坂だというのに
やはり時速10kmも出せなくなり、
重たいペダルを踏み込んでいく。
結局、予定していた距離を
走り切ることはできず
高速道路脇に見つけた廃墟で
テントを張ることに。
日が暮れてもしばらく風は止まず
ボロボロの壁でなんとかしのぎます。
向かい風と格闘していた日中、
ほんの30分のうちに
3人ものトラックドライバーから
食料や水の差し入れをもらいました。
アタカマ砂漠は風との戦いになるけど
ちゃんと人の温もりも存在しています。
アタカマ砂漠走行3日目。
この日も午後からの強風が予想されるので、
日も昇りきらないうちからせっせと準備し
朝7時にはペダルを漕ぎ始めます。
砂漠ということで
朝晩の寒暖差もかなりのもの。
ほんの1時間前は凍えながら
テントを片付けてたのに、
ちょっと漕ぎ始めると
もうジャケットが暑くなってしまう。
風さえなければ
路面も綺麗だし、道路幅も広いし
こんなに快適な道はありません。
ただ、午後の風を恐れるあまり
のんびりする間もなく
走れるうちに少しでも進んでおく。
すると後輪がパンク。
ごくごく小さなトゲが
しっかり刺さっていました。
アメリカやメキシコでもそうだったけど
砂利道なんかより高速道路の方が
パンクが多いです。
正午を過ぎ、そろそろ風が吹き始めるか
というタイミングで道路脇すぐにあるキャンプ場へ。
事前に下調べをしたかぎり
他に風をかわせる場所もなさそうだったので
何とか到着できてよかった。
気付けば標高も
500mほどまで下っており
気温も20℃を越えて
じんわり汗をかくくらい。
それでも夜はしっかり冷え込んで
ぐっすり眠れるのが嬉しい。
街がないのでまともに
買い物ができないけれど、
ガソリンスタンドだけはあるので
燃料を気にせずパスタを茹でられます。
そのパスタすら無くなりそうだけど
その前に砂漠を走り切りたい…。
ということで、
走り始めたのは36ヵ国目となるチリ。
細長いことで有名な南米の大国とあって、
走り切るのに2ヵ月程度は掛かってしまいそう。
しかも、現在は
北部から首都のサンティアゴを目指しているのですが
その間にこれといった見所がないので
ただただ南に向け走るだけの日々が続きそう…。
その道中に素敵な出会いがあることに期待しつつ
しばらくイノシシのように爆走していきます!