Cycling The Earth ~自転車世界一周の旅~

日記

カテゴリー: アルゼンチン

世界の果てから、故郷へ

2025.04.17

【365日目 19,429km】

 

 

南北アメリカ大陸を巡る旅の果てに

たどり着いた街・ウシュアイア。

到着の翌日には雪が降り始め、

本格的に寒くなる前に到着することが出来てよかったと

ホッと胸をなでおろしております。

 

 

 

“世界の果ての街”という冠を

掲げているだけあって

多くの観光客がやってくるウシュアイア。

通りにはお土産屋や旅行会社が沢山あり

何となく話には聞いてたものの

予想以上の発展ぶりに驚かされます。

 

 

 

 

 

 

帰国の便までは1週間余り。

日にちがあるようだけど

帰国準備のためそんなにのんびりもしてられません。

滞在していたゲストハウスを拠点に

何かとせわしなく動き回っておりました。

 

 

 

大変だったのが

自転車輸送に必要な段ボールの調達。

大陸の端にあることで

物流もままならないウシュアイア。

サイクリストが皆欲しがるものだから

どのお店も余剰段ボールがないんです。

 

 

 

街の通りを歩き回ったり、

宿のお姉さんに電話で当たってもらうも

譲ってくれるお店は見つからず。

結局、事前情報で得ていた

3kmも街から外れた自転車屋さんから

¥1,000で譲ってもらう。…高い。

 

 

 

バラした自転車を

もらった段ボールに収納。

ラッピングまで自分でしておかないと

アルゼンチンでは空輸の際に

高額なラッピング代を取られる

という噂を聞いとります。

 

 

 

さらには自転車だけでなく

旅の荷物もまとめたりと、

整理整頓ができる人なら

一瞬でやってのける作業を

ダラダラと時間をかけて行います。

同室の方々、ごめんなさい。

 

 

 

 

 

 

作業の合間に唯一観光らしいことをしたのが

ウシュアイアが面するビーグル海峡を

遊覧するというボートツアー。

この日、3月31日が今シーズン最後の運航と聞いて

作業を放り投げて飛び込みで参加しました。

 

 

 

ツアーの見所は海にすむ野生動物達。

といっても結果的に見られたのは

岩山に群れるトドだけでしたが…。

それでも数百という個体が

所せましとそこら中に

横たわっている様子は圧巻。

 

 

 

摂氏0℃で冷たい風も吹き付ける

海の上で気持ちよさそうに

寝そべる姿をみると

自然の動物の力強さを感じます。

世界の果てなんだけど

こんなところにも無数の命が宿っている。

 

 

 

 

 

 

最終的に4日間の滞在となった宿での最後の夜。

みんなでBBQを食べるというので混ぜてもらいました。

 

「おい、コイツ自転車で世界一周したんだぜ!」

仲良くなった地元アルゼンチンのお父さんが

自分のことのように皆に触れ回ってくれるのが嬉しい。

 

 

 

ウシュアイア最後の夜を

最高の料理で締めくくることに。

雄大なパタゴニアで育った牛は

身が引き締まっており

北部のものより質が良いそうです。

これは本当に美味しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして遂に最果ての地を離れる時が。

ウシュアイア到着5日目の朝、

軽めの食事を済ませると予約しておいたタクシーで空港へ。

 

宿からほんの15分ほどで到着したかと思うと、

自転車など荷物の預け入れまでスムーズに完了。

晴れやかな気分で機内へと乗り込みます。

 

 

 

一気に日本に帰りたい気分だけど、

例えるならば

まだ北海道の知床にいるようなもの。

まずはアルゼンチンの中心部へ。

首都のブエノスアイレスまで

4時間あまりのフライトです。

 

 

 

 

 

 

 

 

雪も降り風も強かったけど、

飛行機はスムーズにブエノスアイレスに到着。

自転車などの荷物を受けとると空港の公式タクシーを手配し

宿泊場所へと向かいます。

 

 

 

空港から20分ほど乗車して

やって来たのはこちらのアパート。

旅における最後の滞在地となる

ブエノスアイレスでは

宿ではなく人のお家に

お世話になることに。

 

 

 

家の主は“フリアンさん”。

チリのアウストラル街道で2日間ほど

一緒に走ったサイクリスト仲間です。

彼も1年間に及ぶ南米大陸の旅を終え

ブエノスアイレスのお家に戻ったばかり。

別れてからも連絡を取り合っていたのです。

 

 

 

 

 

 

帰国便で南米を発つまではあと4日。

フリアンさんのアパートを拠点に

大陸を代表する大都市・ブエノスアイレスの

観光へと繰り出すことに。

 

 

 

スペインをはじめヨーロッパの

影響をとても色濃く表す建物。

碁盤目状に整った街並みも

西欧の都市を思い起こさせます。

“南米のパリ”と形容されることも

うなずけます。

 

 

 

観光客が多く訪れる街の中心には

大統領官邸「カサ・ロサダ」。

海外の官邸って観光地のど真ん中に

あることが多いけど

ただ賑やかなだけでなく

独特の緊張感もあるんですよね。

 

 

 

各国をイメージした庭園が

集まる一角には

“日本庭園”もありました。

興味本位で行ってみたけど

イメージを取ってつけたよな感じで

厳かな雰囲気が無かったな。

 

 

 

 

 

 

ブエノスアイレスの代表的な観光地になっているのが

こちらの「エル・アテネオ」。

 

“世界で二番目に美しい書店”と

称される本屋さんなのですが、

なんと百年近い歴史を持つ本物の劇場が

20年ほど前に本屋さんへと改修されたという場所。

 

 

 

観客席のバルコニーにも

ぎっしりと本が並んでおります。

ライトアップも劇用だからか

荘厳なビジュアルが印象的です。

でもなぜ“世界で二番目”なのか、

そこは謎でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

特に街歩きが楽しかったのは

イタリアからの移民が多く住んでいた地区「ラ・ボカ」。

ガイド付きの無料ウォーキングツアーに参加しました。

 

 

 

かつてはトタンなどを継ぎ接ぎした

掘っ立て小屋に

複数の家族が密集して暮らしたのだとか。

むさ苦しさを紛らわすためか、

カラフルに塗られた壁面が

現在ではこの地区の魅力でもあります。

 

 

 

音楽や絵など芸術も盛んなラ・ボカ。

旅で初めておみやげに絵を

買ってしまいました。

部屋に飾るのが楽しみ。

この画家のおじさん、過去に

日本のテレビ番組に取材されてましたよ。

 

 

 

さらにラ・ボカ散策で見落とせないのは

地区のはずれで大きな存在感を示す

青と黄色のスタジアム。

ひしめき合う建物の

合間を縫って歩いた先に

急に、どどんと現れます。

 

 

 

実は、ラ・ボカは南米を代表する

サッカークラブチーム

「ボカ・ジュニア―ス」の

本拠地なのです。

かのマラドーナがここでプレーした

と思えば、やはりすごい場所だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

限られた滞在期間のうちに要所だけは押さえておこうと

ちょこまか動き回ったブエノス・アイレス。

その中でも最高の思い出になったのは

大都市を歩き疲れた夜に訪れた

こちらのバー「ボリチェ・デ・ロベルト」。

 

 

 

130年の歴史を抱える

小さなバーの魅力は

地元のミュージシャンによって

奏でられる“タンゴ”。

ブエノスアイレスには欠かせない

伝統音楽です。

 

 

 

「タンゴに幸せな歌はない」

と言われるように

人生の悲哀を主題とした音楽ですが、

力強い歌声とギターからは

強烈なエネルギーが放たれています。

ものすごくエモーショナル。

 

 

 

 

滞在していたフリアンさん宅から徒歩5分と

“近いから”行ったのですが、

観光客向けではなく通なローカルの方々が集う

最高の音楽空間でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなブエノスアイレスの滞在で何より良かったのは

フリアンさんやお家にやって来る友達と時間を過ごせたこと。

特に何をしたわけでもないのですが

一緒にピザを食べたり、TVゲームをしたり。

 

 

 

一人で宿に泊まってると、

旅の終わりだからと

感傷に浸りすぎてしまいそう。

地元の皆さんと過ごすなかで

感じたのは、どこまで行ったって

何げない日常こそ世界の景色だってこと。

 

 

 

地球の裏側にあるこの街でも

日々の楽しみ方は変わりありません。

週末には皆集まってあれこれ話しながら

テレビを見たり、お酒を飲んだり。

色んな国でこんな光景を見てきたし

もちろん日本にもこんな日常が溢れている。

 

 

 

そんなことを考えていると

いよいよ日本の日常が

恋しくなってきました。

出発の朝、アパートの近くで

最後のコーヒーを飲み干したら

いよいよ日本に帰る時です。

 

 

 

 

 

 

カフェから戻ってしばらくしたら

フリアンさんが手配してくれたタクシーが迎えにきました。

 

思えば、前回の旅で南アフリカ・ケープタウンにてゴールを迎えた時も

地元のご家族が観光に連れていってくれたり空港まで送ってくれたりと

旅の終わりはいつも誰かが見送ってくれます。

 

僕はあまり積極的に人と関わる方じゃないけど

旅は素敵な出会いを最後まで与えてくれる。

 

そして、たくさんの人と出会っては別れてきたけど

これでいよいよ最後。

フリアンさん、そして旅で出会ったすべての人たち

本当にありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

1時間足らずで郊外の国際空港へ。

ちなみにブエノスアイレスからは

ブラジル・サンパウロ(3時間)、

カナダ・モントリオール(10時間)

日本・成田(13時間)の経路で飛び、

合計26時間、待ち時間も含めると36時間もの

人生最長のロングフライトとなります。

 

 

 

機内やトランジットの待ち時間には

旅の日記を読み返し

アラスカから1日1日を振り返る。

これだけで何時間も時間が潰せて

自分が走ってきた道のりの長さを

改めて知ることが出来る。

 

 

 

やがて最後の経由地

カナダ・モントリオールを発つと

まっすぐ西の方向へ。

もうすぐ故郷に帰れる。

1年前の出発の時と似たような

ワクワクがこみ上げる。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして4月9日午後16頃、

成田空港に到着。

1年振りに日本に帰ってまいりました!

 

預け荷物がモントリオールの空港に取り残されたままだけど

大きなトラブルも無く

無事に日本の土地を踏むことが出来ました。

(※後日自宅に送られてきました。)

 

 

 

 

 

 

 

 

ということで、

世界を巡る自転車の旅はこれで終了となります。

ユーラシア・アフリカ大陸を含めると

44,000km、37カ国の道のりを走ってきました。

 

準備段階やコロナ禍による中断を含めると

10年にも及ぶ夢の旅路。

2018年、上海を出発する前には想像もつかなかった

たくさんの景色をこの目で眺めてきました。

 

 

ただ大きな挑戦を達成したことで晴れやかな気分はあるものの、

まだ旅は続くような気がしていて

“終わった感覚”がしてないんです。

 

 

旅を計画し始めた頃から気になっていたこと。

それは“自転車で世界一周を旅した人は、その後どんな人生を送るんだろう”

という疑問。

 

まだまだこれからのことは不透明なことも多いです。

でも旅で培った経験、行動力さえあればなんだってできるはず。

新たに始まる旅の日々に期待しつつ、

“Cycling The Earth ~自転車世界一周の旅~”

はここで幕を下ろします。

 

ブログを読んでくださった皆さん

本当にありがとうございました。

 

 

 

ゴールの地、ウシュアイア到着!

2025.04.2

【356日目 19,429km】

 

 

パタゴニアを吹き荒れる風に行く手を阻まれ

やむを得ずヒッチハイクをしてやってきた集落「セロ・ソンブレロ」。

 

車での移動中に渡った海はマゼラン海峡。

旅のステージは正真正銘の最終章「フエゴ島」へ。

 

 

 

滞在していたキャンプ場を出発すると

ここ数日続いている

何もないだだっ広い草原。

予報では弱いと言っていた

午前中の風も

漕ぎ始めると大きな障害に。

 

 

 

出発から1時間半も掛かって

走れたのはほんの10km。

バス停のような小屋を見つけ

しばし風をよけて休むことに。

ただ風は止むどころか

むしろ強まるばかり。

 

 

 

また通りすがるトラックに

載せてもらうのか…。

いやゴールまでたったの400km、

ここからは何が何でも

自走で進みたい。

最後まで走りぬきたい。

 

 

 

 

 

 

悩んだ挙げ句、けっきょく朝出発したばかりの

「セロ・ソンブレロ」の集落まで戻ることに。

逆方向となるので立ちはだかった風は追い風となり

あっという間に到着。

 

一度出発した場所に戻ってくるなんて今回の旅で初めてです。

すぐそこに迫ったゴールになかなか近づけない。

昨晩は無料のキャンプ場に滞在したけど、

時間を有効利用してパソコン作業に充てたいので

値段は高くてもネット環境のあるホテルへ。

 

 

 

実はすでに帰国便の航空券を

購入しているため、

いつまでも停滞するわけにいかない。

これから数日間の風向きを

入念にチェックし、

ゴールまでの計画を練る。

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日。

予報では風向きが変わりむしろ背中を押してくれそう。

パタゴニアに広がるパンパの大草原、風が全てです。

 

 

 

停滞していたセロ・ソンブレロを

横目に眺めつつ、

いよいよ終幕の地へ

ペダルを漕ぎ始める。

無機質な建物が集まっただけの

侘しい雰囲気だったな。

 

 

 

強い風が吹かない代わりに

平原に深いもやがかかっています。

景色は似たような毎日だけど

気候は色んな表情を見せてくれる。

人がなかなか住み着かないのも

落ち着かない気象条件のせいだろうか。

 

 

 

あれだけ風に苦しんだ

ここ2日間が嘘のように

走りやすい道のりです。

起伏も無くどこまでも

原っぱが続くばかり。

進んでる気がしなくなるほどに。

 

 

 

 

 

 

本当に道中の景色に何の変化もないまま

110kmを走りきった夕方6時。

道路脇に

この日何度か見かけていた風よけのシェルターがあったので

ここで夜を越すことに。

 

 

 

現地の人からも

“何km地点にあるぞ”

と聞いてたので、あてにしてました。

サイクリストの為に設置されてるそうだけど

これが無かったらどこにテント張ろう、

というくらい辺りは何もない。

 

 

 

 

 

 

 

 

セロ・ソンブレロ出発2日目。

アルゼンチン入国以来

ほぼ毎朝拝むことが出来ている朝焼けが

1日の始まりを知らせます。

 

 

 

出発から25kmほどのところで

アルゼンチン側に再入国。

これまでにいくつも自転車で

国境を越えてきたけれど、

いよいよこれが最後の

国境越えとなります。

 

 

 

国境を越えてすぐのところに看板が。

ついにゴールの地・ウシュアイアまでの

距離が表示されました。

あと300km足らず、

どんな気持ちでその時を迎えるんだろう。

ドキドキしてきます。

 

 

 

永遠に続くのではと思うほど

限りなく続くパンパの草原。

でも間違いなく

距離は進んでいる。

漕いでも漕いでも道は続く。

そんな自転車の旅がもうすぐ終わる。

 

 

 

順調に100kmを進み

「リオ・グランデ」という街に

差し掛かった頃、視界の端に見えていた

大西洋が一気に近づきました。

吹き付ける風も南へ向かうほど

冷たくなってきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

リオ・グランデ付近で野宿のつもりが

気が付くと住宅地まで入り込んでいたので、

一応下調べをしておいたキャンプ場へ。

 

 

 

キャンプ場といっても

チリ以降よくある

自宅の庭にテント張ってください

というスタイル。

それでも温水シャワーがあって

風が避けられれば十分です。

 

 

 

他にもパタゴニア地方を走っている

サイクリストやバイカーがおりました。

皆さんヨーロッパからお越しです。

ここ2日寂しい時間が続いたので

人との交流が嬉しく

楽しい時間を過ごす。

 

 

 

 

 

 

 

翌朝、リオグランデの街を出発。

ゴールまではおよそ200km。

あぁ、もうすぐそこだ…。

 

 

 

嬉しいことに今日も追い風。

ここまでくれば

もうヒッチハイクに頼ることなく

自分の力で走り切ることが出来そう。

ゆっくり眺めるほどの景色も無く

ただ前へと向け走る。

 

 

 

フエゴ島に入ってからは

かなり起伏の多い日。

なだらかで長い坂が多いかと思えば

周囲に木が増えてきました。

永遠に続くかと思えたパンパ地帯も

いよいよ終わりに差し掛かっている様。

 

 

 

110kmを走り切った夕方6時、

「トルウィン」という町に到着。

ゴール前最後の宿泊となる場所。

この町にはぜひ

寄っておきたいところが

あったんです。

 

 

 

 

 

 

それはこちらのパン屋さん「ラ・ウニオン」。

ガラス張りの綺麗なお店はとても評判で

特に世界をめぐるサイクリストの間でも有名なんです。

 

 

 

眩しいほどにライトアップされた

ショーケースに並ぶ

パンやスイーツ。

もはやヨーロッパ水準の

高級感あふれる店構えなのですが、

目的はパンだけではありません。

 

 

 

実は、このパン屋さん

向かいにある倉庫の地下で

旅するサイクリストを

無料で泊めさせてくれるんです。

数年前の火事での店舗焼失にもめげず

そのホスピタリティは健在。

 

 

 

美味しそうなパンも気になったので

夕食はお店で。

アルゼンチン名物

ミラネッサ(牛カツ)の

サンドウィッチはボリューム満点。

大きすぎて翌朝の朝食になりました。

 

 

 

寝室を案内してくれたりと

いろいろ気にかけてくれた

“ファブリシオくん”をはじめ

ラ・ウニオンのスタッフの皆さん

ありがとうございました!

これからもサイクリストをよろしく。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして迎えた翌朝、最後の走行日。

コーヒーを飲みながら毎日つけている旅の日記を読み返す。

その日の出来事を簡単にメモしてる程度だけど

目にした景色、出会った人がありありと脳裏によみがえる。

 

 

 

一緒に泊まっていた

地元アルゼンチンのアレックスさん。

「一緒に走りたいトコだけど

今日は一人で行きたいだろう」

気持ちを汲んでくれるのがありがたい。

思い出を振り返りつつ終わりへと向かいます。

 

 

 

 9時を少し過ぎたところで出発。

かなり南下してきていることもあって

気温は3℃。

手袋をして少し凍えながら

ペダルを漕ぎ始めます。

雪が降る前にゴールできそうで良かった。

 

 

 

昼前にはスカッと晴れて

気持ちの良い青空が広がりました。

それでも停まると寒く

ゆっくり休む気にはなれない。

まわりに山が増えたおかげで

風はそれほど強くありません。

 

 

 

荒涼とした大草原のまま

最後まで走り切るのかと思ったけど

気が付けばあたりは

綺麗に紅葉した木々に溢れてます。

針葉樹があまり見られないのが

アラスカとは違う。

 

 

 

 

 

 

お昼過ぎには上り坂に突入。

400mの峠で大したことは無いんだけど

寒さ対策で着込んでるので

じんわりと汗をかいてしまう。

 

 

 

1時間ほどで頂上に到達。

今日はのんびりかつしみじみ

漕げると思ってたけど

気付けば必死に漕いでました。

あとはここを下れば

もうじきゴールだ。

 

 

 

ゆるやかな起伏を越えつつ

周りの景色に目をやる。

雪を被った険しい山が増えました。

数千mの山々も越えてきたけど

このあたりはアンデスの端に

あたるそうです。

 

 

 

 

 

 

そして、ゴールまでの距離が10km足らずに迫ったところで

“ウシュアイア”と刻まれたモニュメントが現れました。

本当にここまで来たんだ、もう終わるんだ。

 

 

 

ここで声を掛けてくれたのが

地元アルゼンチンの旅行者の皆さん。

「アラスカから来たのか!?

おめでとう、本当にスゴイよ!」

褒められることで

ちょっとずつ実感が沸きます。

 

 

 

モニュメントを過ぎると

一気に景色が開けて

予想以上に発展している

ウシュアイアの街が一望できました。

ずっと目指してきた場所が

今、目の前にある。

 

 

 

“あぁ、もう終わる

走り続けた道がここで終わる”

嬉しいとも、悲しいとも表現できない

気持ちがグルグルと渦巻きながら

ゆっくりと街の中心部へと

近づいていきます。

 

 

 

そして、観光客の方々が行き交う一画に

ひっそりと木の看板が立っていました。

看板には「ウシュアイア」

という街の名の下に

はっきりとこう書かれています。

“フィン・デル・ムンド(世界の果て)”

 

 

 

 

 

 

遂にこの場所にたどり着きました、

南北アメリカ大陸を渡る自転車旅のゴール「ウシュアイア」!

 

356日間、19,429km。

1年前アラスカを出発した時には遠すぎて想像もしなかった場所に

無事到着することが出来ました!!

 

 

 

 

 

 

地図を見れば本当に先の先までやって来たのが分かります。

“到着しては、また出発して”

をずっと繰り返してきたので

正直まだ続きがあるように感じてしまいますが

確かにこれより南に目指す場所などありません。

 

旅で見てきたこと、感じたこと。

これらを自分の中で整理するには

しばらく時間がかかってしまいそうですが、

帰国の準備をしながら達成の余韻に浸りたいと思います。

 

ということで

“南北アメリカ大陸を巡る自転車の旅”

走破しました。

 

 

 

 

 

 

世界の果てへ

2025.03.28

【351日目 18,979km】

 

 

「エル・カラファテ」に滞在しながら

“ペリト・モレノ氷河”への観光を終えて宿に戻ってからのこと。

 

ここからしばらく連続走行が続くため、

もう1日延泊して

ブログ執筆やルートの下調べなどの

事務作業を片付けるつもりでいました。

 

ドミトリーのベッドも結構空いてるし、

まあ問題ないでしょと気楽に受付にお願いしてビックリ。

「明日から4日間は全部、予約埋まっちゃってるよ」

 

 

 

聞くと、“La Renga”という

ロックバンドのコンサートが

このエル・カラファテで行われるため、

パタゴニアのみならず

アルゼンチン全土から

多くの人が押し寄せるのだとか。

 

 

他のホテルを調べても、どこも満室。

やむをえず最低限の用事だけ済ませ、出発の準備を整えることに。

 

ただ間接的にではあるものの、

このコンサートに後々助けられることになります。

 

 

 

 

 

結局2日間の滞在となったエル・カラファテの街。

長距離バスで先に南へと向かう

千田さんともついにここでお別れ。

 

短い時間ながら旅の思い出を共有させてもらい光栄です。

日本で必ず会いましょう!

 

 

 

エル・カラファテを発つと

だだっ広いパンパの景色が

どこまでも続きます。

ここから目指すは

ゴールの“ウシュアイア”。

もうじき旅も終わりを迎えます。

 

 

 

2時間ほどで3日前に

バスに拾ってもらった地点に到着。

あの時は100mすら進めなかったのに。

風向き一つで走行が左右されるとは…。

自転車旅における最も重要な天候条件は

雨より気温より、風なのかも。

 

 

 

午後からは緩やかながら

20kmにもわたる上り坂に突入。

傾斜が緩いだけに

ずっと漕ぎ続けられるんだけど、

どこまでのぼっても

終わりが見えないのが辛い…。

 

 

 

途中から降り出した

雨を耐え忍ぶと、

坂の上には平らな道が

延々と続いておりました。

右を向いても左を向いても

どこまで草原だらけ。

 

 

 

 

 

 

雨雲も去り青空が広がった夕方5時過ぎ。

エル・カラファテから100kmの地点で

事前に調べていた道路整備の施設に到着。

サイクリストやバイカーを泊めてくれるそうです。

 

 

 

雨風をしのげる軒下に、テントを

張らせてもらうことが出来ました。

さらにはフリーWiFiまで完備。

数百kmに渡り草原が続くパンパ地帯。

緊急連絡用に要所で

WiFiが飛んでるんです。

 

 

 

管理人の“クラウディオさん”。

気を使って

大きなやかん一杯の水まで

持ってきてくれました。

心配りに感謝です。

Oh! クラウディオ。

 

 

 

 

 

 

 

 

エル・カラファテ出発2日目、

朝7時に目を覚ますとオレンジ色に灼ける東の空。

天気に恵まれる1日になりそうです

 

 

 

もうここからウシュアイアまで

目立った観光地もなく、

言ってしまえばこの殺風景な

草原が続くばかり。

人もほとんど住まない大陸の南、

世界の果てへと進んでいく。

 

 

 

  70kmを走ったお昼過ぎに

「エスペランサ」という集落へ。

集落といってもドライバーの休憩のため

ガソリンスタンドといくつかの

食堂が集まっただけです。

それでも貴重なオアシス。

 

 

 

ガソリンスタンドの前に立ってると

「ヘイ、アミーゴ!」と

ガタイの良い兄ちゃんがピザをくれ、

名前を聞く間もなく去っていきました。

臆することなく人に親切を与えられる、

そんな人間に私はなりたい。

 

 

 

午後の部スタート直後、

道路脇には轢かれたであろう

アルマジロの亡き骸が…。

アウストラル街道で見れるかも

と思ってたけど、こんな初対面だとは。

こうなる前のキミに会いたかった…。

 

 

 

基本的には西から東へと

吹き抜けるのが

秋を迎えるパタゴニアの風。

南東方向に走るここ2日間は

追い風基調だから良いものの

これが向かい風だと思えばぞっとする。

 

 

 

 

 

順調に走り、気づけば130kmも走ったこの日。

川辺に風をかわす林を見つけてテントを張ります。

 

 

 

「このキャンプ飯もあと何回…」

とぼんやり火を眺めてると

クスクスの入った鍋を

コテンと傾けてしまいました。

“あぁー、クソー!”と誰もいない

パタゴニアの草原で叫ぶ。

 

 

 

 

 

 

 

エル・カラファテ出発3日目。

今日も朝から青空が広がり気持ち良く走れそうです。

 

 

さらに前日に引き続き

背中を押してくれる追い風。

調子が良いと時速30kmも出るから

漕いでいて楽しい。

あぁ、このままゴールまで行けたら

どんなに良いだろう。

 

 

 

そのまま風に乗って

80kmをスムーズに走り、

午後2時過ぎには

カラファテから3日振りとなる街

「リオ・ガジェゴス」に到着。

計画通りに進めてます。

 

 

 

向かったのは住宅街の真ん中にある

こちらの宿。

パタゴニア特有なのか、

住宅街も殺伐とした雰囲気で

陽気なラテンアメリカという

感じではありません。

 

 

 

 

 

 

 

到着翌日、宿にて1日休養。

エル・カラファテで済ませておきたかった作業を

ここで完了させておきます。

 

 

 

宿のお母さんから

「今夜はBBQだから

あんたも一緒に食べるのよ!」

とのお誘い(有料)。

屋内に炭火グリルがあるほど

アルゼンチン人はBBQ好き。

 

 

 

道中に出会った人からも

アルゼンチンのBBQは勧められており

実は楽しみにしてました。

そして、期待に違わぬその美味しさ。

チョリソーもビーフも

本当に絶品でした。

 

 

 

 

 

パソコン作業ばかりの休日でしたが

宿主“シリさん”とそのお友達のおかげで

美味しく素敵な夜を過ごせました!

アルゼンチン滞在中、絶対またBBQ食べよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

「リオ・ガジェゴス」で休養をした翌日。

BBQの旨味を思い出しながら、

さらに大陸の南を目指します。

 

 

ただエル・カラファテから

順調に進んでいたここ数日とは

大きな違いが…。

街を出ると斜め前から吹き付ける風。

風向きは変わらないものの

進路自体が南西に向かい始めたんです。

 

 

 

 

 

数日間は強い風が吹き続けること、

リオ・ガジェゴス以降進路上どうしても

向かう風を受けてしまうこと。

 

当然そんなことは出発前から分かっておりました。

実際この時期、多くのサイクリストは

強風を考慮してバスでスキップしてしまうエリアなんです。

 

でもゴールまで数百kmに迫った地点で

バスに乗るなんてしたくなかったし、

何とか自力で、と思っておりました。

ただ吹き付ける風はあまりに強く

頑張ってどうにかなるレベルではない。

 

やむをえず、ヒッチハイクをすることに。

 

 

 

 

 

交通量の少なさから長期戦を覚悟したヒッチハイクですが

10分ほどすると1台のピックアップトラックが

停まってくれるではないか!

 

ちょうど進行方向にある街へと帰るのだという

“レネさん&ダイアナさん”父娘。

なんと僕がエル・カラファテの宿を

予定より早くチェックアウトせざるを得ない理由となった、

La Rengaのコンサートを見に行った帰りだというのです。

 

どの宿も満室で困ったけど、これでプラマイゼロになった気がします。

La Rengaの皆さん、ありがとう!

 

 

 

「いや、もうちょいゆっくり…」

と後ろからお願いしたくなるほど

の速さで爆走するレネさん。

けど乗せてもらってる身なので

わがままなんて言えません。

でも、ちょっと怖い…。

 

 

 

ここで一度、国境を越えチリへ再入国。

ゴールのウシュアイアは

アルゼンチン側ですが

このあたり国境線が複雑なので

出たり入ったりなんです。

検疫でタマネギとトマトを没収される。

 

 

 

さらに船に乗って海を渡る。

客室などなく車に乗ったままです。

あまりにも風が強いため、

なかなか船が出ず

2時間近くも待たされました。

乗船時間はわずか30分ほど。

 

 

 

 

 

向こう岸についてさらに40kmほど進んだ

「セロ・ソンブレロ」という小さな町で降ろしてもらうことに。

結局、終日風が止むことは無く

町中まで1kmあまりを進むにも大変なほどでした。

レネさん、ダイアナさん

本当にありがとう!

 

 

町の外れには

公営の無料キャンプ場が。

「こんな大草原の真ん中に

誰が泊まるのか」

と思いきや、予想以上の

車が泊まりに来てました。

 

 

 

 

 

 

という具合に、

思い通りにことが進まないながらも

ゴールに向け前進することができました。

 

自分の脚で進めなかったのが悔しいけど

これがパタゴニア、世界の果てならではの旅なのかもしれません。

旅の終わりウシュアイアまで、あと400km。

 

 

 

 

 

37ヵ国目・アルゼンチン

2025.03.25

【346日目 18,649km】

 

 

大恩人・千田さんの助けもあって

何とか苦難の国境越えを終えた翌日。

 

前日通過したアルゼンチンの入国審査は湖に面しており、

ボートに乗って対岸に向かうことから

アルゼンチン走行の初日が始まります。

といっても午前11時出発なので朝はかなりのんびりできました。

 

 

 

南の方角、ボートの進行方向には

名峰フィッツロイが鎮座するのですが

朝からずっと雲に覆われています。

天気は良いのに

どうしても山頂が見えないのが悔しい。

早起きしたけど、日の出もダメでした。

 

 

 

ただ横を見てみると

山の上が真っ白。

雪のように見えますが

所々青く透き通ってることから

氷河だというのがよく分かる。

小さな滝も滴ってました。

 

 

 

 

 

 

ということで、

美しい大自然から始まった

37ヵ国目、そして世界を巡る旅における

最後の国となるのは“アルゼンチン”。

 

メキシコ以来、ずっとスペイン語圏が続くので

国が変わってもさほど

大きな変化がないように感じてはいるのですが、

“サッカー”、“タンゴ”のイメージが強いこの国では

どんな旅路が待ち受けているのでしょう。

 

 

 

 

 

 

1時間しないうちにボートは着岸。

ここから40km弱離れた

アルゼンチン最初の町を目指す。

写真に写ってないけど、横には大恩人・千田さんもいます。

 

 

 

アウストラル街道後半から

数百kmに及んだ未舗装路も

もうじき終わり。

“あぁ、このガタガタ道も最後か…”

なんて名残惜しくはありません。

はやくアスファルトを走りたい。

 

 

 

未舗装に加えて

のんびり会話をしながら

走ったこともあって、

4時間あまりも掛かった末に

ようやく遠くに

目指す町が見えてきました。

 

 

 

 

 

 

夕方5時前、国境から40kmに位置する

「エル・チャルテン」に到着。

 

“名峰フィッツロイ”のトレッキング拠点として

この20年で出来上がった町らしく、

新しい建物ばかりがまばらに建っている様子は

住宅展示場みたい。

観光客は多いけど、なんかスカスカな印象です。

 

 

 

自転車旅を締めくくり、

ここからは交通機関を利用しつつ

南へ向かう千田さんとは

一度お別れ。

とはいえ200km離れた

次の観光地ですぐ再会の約束。

 

 

 

その後、節約のためにも

キャンプ場へ向かうつもりだったけど

調べてたところが休業中。

しかたなく近くの宿へ。

6人の相部屋でも¥3000

してしまう…、高い。

 

 

 

 

 

 

 

 

エル・チャルテン到着翌日、

雲に隠れてなかなか姿を見せてくれないフィッツロイ。

 

晴れの日にその頂を間近でみるためには

場合によっては5日近くも待たなくてはならず、

天候が好転しそうもないことからトレッキングをあきらめ

すぐに出発することに。

国境越えの日に見れたのが本当にラッキーだ。

 

 

 

エル・チャルテンを出るなり

数週間ぶりとなる

アルファルト舗装の道が

待ち受けておりました。

あぁ、もうあんな悪路を走る

必要なんて無いんだ…。

 

 

 

当初はトレッキングを

したかっただけに

後ろのフィッツロイが気になる。

ただ何度振り返っても

常に雲に覆われており

以後、山頂を見ることはできず。

 

 

 

 

 

 

 

 

国境を越えエル・チャルテンを発ったと同時に

大陸東部に広がる広大な草原

“パンパ地帯”に突入しました。

 

深い森を進み続けた「アウストラル街道」から

たった2日で景色はガラリと変わり、

木の一本も生えてはおりません。

 

 

 

山あり谷ありの砂利道ばかりで

1日60km程度を

走るのがやっとだった

この一カ月。

ここからは時速20kmで

ぐんぐん進めそうです。

 

 

 

ただスムーズに走れるのは良いけど

建物なんて一つも無く

走れども走れども

同じ景色が続くばかり。

朝に町を出てから

歩いてる人を見てません。

 

 

 

 

 

 

夕方5時頃にようやく

道端に建物を発見。

レストラン兼ホテルのよう。

本来ならわざわざ寄らないけど

あまりに寂しい道が続いたので

人恋しくて立ち寄ることに。

 

 

 

前後100km近くにわたり

お店などないからか

特別美味しくもないピザが

ひと切れで¥500。

アルゼンチンの物価が怖いけど

疲れてるからつい買ってしまう…。

 

 

 

 

何気なくレストランの壁を眺めると賞金首の張り紙が。

よく見ると“ブッチ・キャシディ”

と書かれているではないか。

 

お店の人に尋ねると

映画「ブッチ・キャシディ&サンダンス・キッド(明日に向かって撃て)」

の題材になった二人の強盗が

実際にこの宿に宿泊したのだそう。

 

 

 

映画のロケ地に使われたのか

と思ったのですが、

そうではなく実物の2人が

100年前に泊ったと聞いて

一人で興奮してしまいました。

(※60年代の映画が好きなんです)

 

 

 

ホテルはキャンプ場も兼ねてたけど

寝るだけのためにお金使うのも

勿体ないので、

川を挟んだ向かい側にて野宿。

ロケーションは悪くないけど

トゲのある植物がやっかいでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

エル・カラファテ出発2日目。

東からのぼる眩しい朝日を眺め

朝食を済ませる。

 

“さぁ、今日も100km超の道のりを行こう”

と張り切ったのですが…

 

 

 

テントを片付けている最中に

西からものすごい風が

吹き始めました。

進行方向に対して右から吹くので

道路側にどんどん体が

持ってかれてしまう。

 

 

 

大西洋と太平洋、

二つの大海が合流する

パタゴニアは

世界有数の暴風地帯としても

知られています。

朝から1秒たりとも吹き止まない。

 

 

 

昨日は穏やかだったけど

今日はとことん吹き荒れるみたい。

横風でもなかなか前には進まず

体力だけが奪い取られる…。

小さいのに¥500もする

エンパナダで回復を図る。

 

 

 

天気予報では追い風基調

のはずだったけど、

道は曲がりくねるし

丘などで風の向きが変わる

こともあって

ときに向かい風を浴びることも。

 

 

 

 

 

それでもなんとか80kmを進み

夕方5時半には東西に走る道路と合流する丁字路に到着。

ただここからの問題は、目指す街が西の方角にあるということ。

つまり完全な向かい風を受け続けなければなりません。

 

試しにペダルを踏み込んでも

まともに前進はできず…。

やむを得ずヒッチハイクを試みることに。

ただ交通量が少ないのですんなりいきそうもない。

 

 

 

 

冷たい風に吹かれ続けること1時間。

あまりにも成果が出ないので

停まってくれるわけないと思いつつ、

ツアーバスにも向けて親指を立てると

バスは徐々に減速。

ついに乗せてもらうことができました!

 

 

 

聞けば、僕が昨日出発した

エル・チャルテンに

お客さんを降ろしたのち、

会社に戻っている最中でした。

ということで広々とした車内に

優雅に座らせて頂く。

 

 

 

 

30分ほどでバスは目的の街

「エル・カラファテ」に到着。

しかも、わざわざ僕の予約していたゲストハウスの前まで

送り届けてくださいました。

クリストファーさん、ありがとう!

 

 

 

ということで

そのまま宿にチェックイン。

荷物を運びひと段落したところで

食事スペースに向かうと、

先にバスで移動していた

千田さんと合流を果たしました。

 

 

 

 

 

 

 

エル・チャルテンからたった2日しか漕いでないけど

前日風にあおられ続けたことで疲労困憊。

宿でダラダラしつつ、

観光客でにぎわう綺麗な街並みを歩きつつ、

到着翌日は休養日とします。

 

 

 

チリでは、ほぼ野宿を中心にしつつ

大きな街では個室に泊まってたので

ドミトリー(相部屋)自体が

久しぶり。

まだ物価がよく分かってないけど

贅沢が出来る国ではありません。

 

 

 

 

 

 

「エル・カラファテ」の街はパタゴニアを代表する

一大観光地への拠点として知られております。

 

ということで、

滞在2日目の朝7時から大恩人・千田さんと連れ立って

バスに揺られながらその場所を目指す。

 

 

街から西に進むこと70km、

バスで1時間以上かけて

目的地に到着。

琵琶湖よりも大きな湖の一画に

それは待ち構えております。

ワクワク…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たどり着いたテラスから見渡すのはこちら

「ペリト・モレノ氷河」。

チリ=アルゼンチン間にまたがる広大な氷原から

ゆっくりと這うようにせせりだす巨大な氷塊です。

 

 

 

青みがかった幻想的な色も

素敵ですが、

何よりまずその大きさに

圧倒されてしまいます。

高さにして40m、

とにかくデカイ…。

 

 

 

1日あたり2m押し出されており

先端から崩落した氷が

流氷となって漂っております。

この日は確認できませんでしたが

轟音とともに崩落する瞬間は

迫力もあり見ものだそうですよ。

 

 

 

 

付近にある48もの氷河の多くが

温暖化の影響を受けて縮小・後退が確認されるなか、

“ペリト・モレノ氷河”については

今のところ観測上の変化はないのだとか。

 

パタゴニア氷河界のエースに

予想を越える衝撃を受ける満足の観光となりました。

 

 

 

 

 

 

氷河の観光を終えた後は

ゲストハウスでまったり。

大恩人・千田さんへのささやかなお礼として

食事をごちそうさせて頂きます。

 

観光客向けスーパーの品揃えは悪く

大したものを用意できなかったけれど、

それでも喜んで頂くことが出来ました。

千田さーーん!!

 

 

 

 

過酷な国境越え

2025.03.21

【341日目 18,425km】

 

 

3週間に及ぶ「アウストラル街道」の旅の果てに

ゴールの村“ヴィジャ・オイギンス”に到着。

いくつかの商店とパン屋さんがある程度で

少し歩けば見て回れるほどの小さな集落です。

 

 

 

滞在していたのは宿、兼キャンプ場。

チリも南下するにつれ

物価が上がってきてるので

テント泊を選びます。

疲れてはいるものの

慣れてしまえばテントも快適。

 

 

 

滞在中には連日

アウストラル街道を走り終えた

サイクリスト達がベッドを求めて

宿にやって来ました。

イギリス、スペイン、フランスなど

特にヨーロッパ勢がたくさん。

 

 

 

 

 

 

さてさて、

オフロードの続いたアウストラル街道を走り終えたことで

すっかり達成感を覚え、羽を伸ばせるかと思いきや

そんなことはなく僕はとてもソワソワしておりました。

 

というのも

ビジャ・オイギンスから南に待つアルゼンチンに向かうには、

ボートで湖を越え、自転車を抱えトレッキングルートを進む

という大変な道が待ち構えているんです。

 

その道のりがサイクリストの間では

“世界一過酷な国境越え”ともいわれるほどハードなもの。

そんな厳しい道のりを50kgにも及ぶ自転車で

乗り越えられるかしら、と

不安で不安で夜しか眠れません。

 

 

 

そんな不安を和らげてくれる予期せぬ出会いが

キャンプ場に待っていました!

 

僕と同じ日にヴィジャ・オイギンスに到着したのは

大阪からお越しの千田(せんだ)さん。

穏やかな笑顔が印象的な千田さんは、

定年退職の節目に2ヵ月かけてパタゴニアを自転車旅されております。

 

これから向かう国境越えの道は、立ちはだかる困難に向かうため

ペアでの走行が推奨されているのですが

お互いソロサイクリストということで、ここからしばらく

手を取り合って進んでいくことに。

千田さん、よろしくお願いします!

 

 

 

まずは湖を渡るために

週に2回しか就航していない

ボートの予約をする必要があります。

実は、木曜日のボートを狙って

ちょうど良い日にちに村に着くよう

走行を調整していたのです。

 

 

 

ところが最初の困難が…。

翌日木曜の便は

強風予報のため欠航に。

よくあるとは聞いてたものの

早速、出鼻をくじかれる。

でも金曜にはどうやら出られる模様。

 

 

 

宿からは僕たちを含む

5人のサイクリストが

国境越えに挑みます。

各々入念に自転車の手入れをしたり

道中の食料を準備したりと

戦闘態勢を整えていく。

 

 

 

 

 

 

 

そして、ヴィジャ・オイギンスにて3泊した後の朝。

風を考慮して普段より早く出発するというボートに乗るため

村から7km離れた港を目指し朝の5時45分に出発。

早いし寒いんですけど…。

日の出ていない暗がりを走るのは今回の旅で初めてです。

 

 

 

30分あまりで港に到着。

ここにきてやっと

「アウストラル街道」終点の看板が。

少し達成感を感じるものの

今日待ち受ける道のりが不安で

正直それどころじゃない…。

 

 

 

他の宿に泊まっていた

サイクリストの方もおり

計11台の自転車が港に集いました。

「全部乗るの?」と思ったけど

パズルの要領で上手に

積み込みも完了。

 

 

 

じっくりと日が昇り始め

全ての荷物が乗った8時前に

ボートは出港。

思いのほか穏やかな水面を

滑らかに進んでいきます。

2時間余りで向こう岸へ。

 

 

 

10時過ぎに着岸。

ここから20kmに及ぶ山道を進み

隣国アルゼンチンを目指します。

自転車に荷物を取り付けていく

サイクリストを眺めながら

緊張感を感じる…。

 

 

港から急こう配を1kmほど登った所で

チリの出国審査がありました。

一人一人の面談で時間がかかるけど

同じ便の人たちより早めに着いたので

スムーズに通過。

2ヵ月に渡るチリ旅もここで終わりです。

 

 

 

 

 

いよいよ国境越えのはじまり。

最初の5kmがかなり急峻でもちろん地面は未舗装。

数日晴れが続いたからぬかるんではいないものの、

乾いた砂のせいで踏んばる足が滑る。

 

 

 

じんわりと汗をかきながらも

2時間程度

自転車に乗り降りしながら

ゆっくりと進んだところで

気が付けば勾配の緩やかな

エリアに突入。

 

 

 

木の生い茂る山道には

美しい木漏れ日が降り注ぎます。

最初は上るのに必死だったけれど、

周囲に目をやると

なんて素敵な道を走ってるんだろうと

幸せな気持ちにすらなる。

 

 

 

やたら木が整っていると思うと

目の前から

ガウチョ(南米のカウボーイ)

のおじさん登場。

牛追いをされてたのでどうやら

このあたりは管理区画らしい。

 

 

 

 

 

 

それからも数kmにわたって走りやすい道が続いていました。

気温も10℃前後で走りやすく

あたりの紅葉した木々がなんとも美しい。

 

 

時におしゃべりをしながら、

時に黙々としずかに、

千田さんの背中を追うように

ペダルを踏み込んでいく。

僕より荷物が少ないとはいえ

千田さん、速いです。

 

 

 

そしてちょうど15時、

スタートから15km地点で

アルゼンチン=チリ国境に到達。

イミグレーション(入国審査)は

もう少し先だけど

かなり順調にここまでやってこれました。

 

 

 

 

 

ここからゴールまでわずか5km。

“過酷な道なんて大したことないじゃん”と思いながら

アルゼンチン側を進み始めた矢先、

山道はその表情をガラッと変えたのです。

道幅は極端に狭くなり、凹凸も激しく漕げない箇所もしばしば。

 

 

まず大変なのが道を横切る小川。

深さは10cm程度のことが多いけど

まともに踏み込めば靴は濡れるので、

傍に横たえられた丸太を渡りつつ

アスレチックの要領で

浸水しないように渡っていく。

 

 

 

これがひとつふたつならまだしも

次から次へと現れるから大変。

先をいく千田さんの足取りを参考に

ゆっくりと一つずつクリアしていきます。

これは確かにペアがいると

精神的にも助けられる。

 

 

 

さらに行く手を阻むのは倒木。

迂回できないこともしばしばで

こればっかりは自転車を持ち上げて

進んでいくしかありません。

最初は楽しみつつこなすけど

徐々に体力は削られていく…。

 

 

 

と、この数点の写真を撮ってくれているのは千田さん。

悠長に写真を撮ってもらえるということは

まだ余裕があるからに他ならず。

 

この後、公道ではありえないほどの急斜面が続き

時に後ろから支えてもらいながらかろうじて進む、

という状況が続きました。

 

 

 

 

 

 

やっと平坦な場所を見つけ、時間と距離を確認すると

なんとたった1km進むのに1時間半も掛かっていました。

単純計算であと4km進むには6時間を要してしまう。

そして何より足を引っ張っているのは僕。

 

協力しながらといいつつも、

ただただ助けてもらっているだけ

という申し訳なさに加え

二人ともがゴールに辿り着けない可能性を考慮し、

「千田さん、僕はどっかで野宿してもいいから

もう先に行ってください…」

そう伝えました。

 

 

 

 

 

しぶる千田さんを何とか説得して見送ると

心細い一人の旅路が始まりました。

ただ最初の1kmが特に過酷だったようで

徐々に平坦な道も増えてきた。

出来る限り進んで、最悪どこかでテントを張ろう。

 

 

 

時にあらわれる急坂も

もう押してくれる人はいないので、

どうしても登れない所は

全ての荷物を外し

何度も往復をして

かろうじて進んでいく。

 

 

 

一人になって1時間。

ゆっくりと進んではいるけれど

まだ川も坂もありそうだし

お腹も減ってきたしで、

ゴールにたどり着く自信も

無くなってきた。

 

 

“やっぱりテントを張るしかないか”

とうつむき気味に自転車を押していると

前から人影が…。

 

 

 

 

 

千田さぁーーん!!

ゴールを見下ろす展望台まで進んだところで自転車を置いて、

「やっぱりほっとけないよ」と

僕を助けに戻ってきてくれたんです。

 

1番重いカバンを背負い先導してくれる千田さんの左膝は

擦りむけて血が流れているではないか…。

「早く助けに行こうと思ったらコケちゃって」

あぁ、千田さん…。

 

 

 

その後も大きな川があり

荷物の着脱を繰り返し

なんとか進んでいく。

「ここまでしてもらったからには

何としてでもゴールせねば」

再び心に火が灯ります。

 

 

 

そしてゴール1km手前、

景色の開けた展望台にやってきました。

ここまで来ればもう確実に

日没までにイミグレーションに

たどり着けるはず。

そして、目の前の広がるのは…

 

 

 

 

 

 

パタゴニア地域を代表する名峰“フィッツロイ”。

 

雲に覆われることも多く、

「今日の道で綺麗に見えるといいね」

と二人で話していたその山は、

1日の苦労を労うように完璧な姿を見せてくれたのです。

 

 

 

アウトドアブランド“パタゴニア”

のロゴマークにも使用される

その凛々しい姿を目にするため

多くの観光客がやってきます。

でもこの角度から見れるのは

この国境ルートを渡った人だけ。

 

 

 

ここからはもう

ウイニングランの気持ちでのんびり、

と思いきや最後の川。

せっかく荷物を積みなおしたのに

ここでまたほどく。

もう二度とこんな道来たくない…。

 

 

 

そしてついに19時半、

日没前にアルゼンチン側の

イミグレーション到着です。

パスポートにスタンプが押される様子は

この日乗り越えた困難を

評価してもらったかのよう。

 

 

 

イミグレーションの横は

無料のキャンプ場になっており

一緒にボートを渡った方々も

みんなここで夜を明かします。

アメリカ人サイクリストに

千田さんの傷も手当してもらう。

 

 

 

 

 

 

ということで、かろうじて難所を攻略し

国境を越えることが出来ました。

 

一人では決して乗り越えることが出来なかった道のりですが

最高の出会いに恵まれ

前に進むことができた喜びを嚙み締めつつ眠りに落ちます。

千田さーーん!

 

 

 

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