Cycling The Earth ~自転車世界一周の旅~

日記

カテゴリー: 中国

バイバイ中国

2018.07.18

【55日目 2,448km】

 

西の果ての町・霍尔果斯(コルガス)。

この町にある国境線を超えればいよいよカザフスタン入国です。

 

滞在していたホテルからほんの1km進めば国境なのですが、

ここもなんだかややこしいみたいで…。

 

前日にカザフスタンに入国したステファンさん曰く、

自転車で突入しても門前払いを食らうだけ。

町のバスターミナルから出ているバスに乗らないと

出国の手続きをしてくれないそうです。

 

過去には自転車で越境した人も沢山いるみたいですが、

事情がコロコロ変わってこちら思い通りにいかないあたりは最後まで中国。

 

 

ということで自転車を載せて国境を超えるバスに乗車。

満員のバスの乗客は瞳の色が透明がかったカザフスタン人が大半を占めています。

 

国境に着くと、空港の荷物検査や出入国審査と同じ要領で進んでいきます。

中国側の出国審査はスマホの中のデータをじろじろ見られたくらいで

思いのほかスムーズに完了。

 

そのままバスに乗ってカザフスタンの入国審査。

こちらも特に何も聞かれることなくさらっと完了。

 

・荷物を全部ひっくり返される

・パソコンやカメラのデータを全部見られる などなど

やっかいそうな前評判を聞いていたコルガスの国境ですが

本当に拍子抜けするほど順調に進みました。

 

国境を越えたバスはそのまま30kmほど進み、“ジャルケント”という小さな町に到着。

とりあえずここのホテルでゆっくりします。

 

 

 

記念すべきカザフスタン第一回目の食事はウイグル地区にもありました「ラグマン」。

茹でた麺にトマトと牛肉(もしくは羊肉)ベースの炒め物が乗っかっています。

非常に食べやすく日本人なら誰もが好むであろう一品。

中国生まれ、中央アジア育ちのようです。

 

 

 

これといった見どころのない田舎町をぶらつくと、

ごちゃごちゃと乱立したビルや13億人のかもし出す活気はなく

ここはもうすでに中国ではないことを実感。

 

 

ついにアジアの大国・中国の旅を終えました。

鉄道を利用してではありましたが振り返ってみれば長い道のり。

世界地図を見ても、東西の幅でいうと

広大なユーラシア大陸の3分の1ほど占めているのではないでしょうか。

 

たくさんのトラブルをもたらし、たくさんのトラブルから救ってくれた中国の人たち。

一カ国目にして、旅の大変さと楽しさを同時に教えてくれました。

 

まだまだ最高の出会いを求めて、旅は続きます!

 

てことで、

バイバイ中国!!

 

 

 

山を越え、国境の町へ

2018.07.14

【53日目 2,446km】

 

乾いた土壌に高いビルが連なっていた新疆ウイグルの土地も

西に進むにつれて街は減っていき、そこには何もない荒野が広がっています。

 

 

 

カザフスタンへ向け真っすぐ伸びる道路に並行して

東西を貫くようにそびえるのは、

7,000m超のポベーダ山を含む広大な群山“天山山脈”。

 

ここ数日間、どこまでいっても続く山々を左手に見ながら走っています。

延々とつづく壮大な自然の景色はまさに大陸ならでは。

 

そして、中国~カザフスタンの国境を通過するためには

この天山山脈を超える必要があります。

 

 

真夜中に公安に連れられたどり着いたホテルで1日休んだのち、

中国人チェンくん、イギリス人ステファンさんと一緒に

2日間かけての山越えに挑みます。

 

泊まっていた町“精河”の標高は約350mほど。

そこから出発して目指す峠の頂上はなんと標高約2,000m。

西へ130km進むと同時に、1,700mも登っていかなければなりません。

そして、この日の予想気温は40℃近くまで上がる見込み。

中国最後にして最大の難関が立ちはだかります。

 

1日目に頂上の盆地に到着して、2日目は下るだけというプラン。

9時ごろに出発し、午前中は順調な走り出し。

意外に勾配は緩やかでスムーズに進んでいきました。

 

しかし、70kmほど走りお昼を済ませた2時頃から一気に余裕はなくなります。

目の前にはどこまでも続く果ての見えない上り坂。

村や集落はとっくに見えなくなり、周りにはとてつもなく広い荒野と山々。

 

照り付ける太陽から隠れる陰なんてあるわけがなく、

体力は少しづつ奪われていきます。

気温が上がっても乾燥しているのでほとんど汗はかかず、

肌の表面には塩田のように乾いた塩分が浮かびあがってきました。

 

砂漠みたいに建物が何もない空間にいると距離感がなくなるのか

漕いでも漕いでも進んだ気がせず精神力も奪われていきます。

 

そんななか突如ぽつんと現れた建物。

どうやら食堂のようで、ここで休憩しました。

こんなに水をありがたいと思ったことはないというほど美味しかった。

オアシスってこういうことです。

でも周囲10km以上何もなかったけど、お店の人どんな生活を送ってるんだろう。

 

徐々に日は暮れて少しずつ涼しくなってきました。

道路わきでお菓子をつまんだり、袋ラーメンをそのままバリバリ食べたり、

疲れ果ててしまいそうな中、何とか体力をつなぎ留めます。

 

この坂を超えれば頂上かと期待するたびに

その先には上り坂があって何度も心をくじかれましたが、

日没直後の22:30頃、燃え尽きそうな状態で頂上の盆地に到着しました。

 

 

この盆地には“賽里木(サリム)湖”という湖がありホテルの建つ観光地にもなっています。

湖のニックネームは「大西洋が流した最後の一滴の涙」。…素敵。

でもこの時の写真はありません。

 

夕暮れに染まる湖だったり、放牧中のラクダの赤ちゃんだったり

ぜひ写真に撮ってここに載せるべき景色は沢山あったんですが

カメラを取り出す体力すらなかったんです。

本当に疲れたら、そんなもんなんです!

 

 

ホテルで1泊したのち、翌日は山の反対側に下っていくだけ。

お昼頃にのんびり出発し、湖畔のサイクリングを満喫しました。

 

山脈の北側から南へ超えると、

これまでの乾いた土地が嘘のように青々とした景色に変わります。

連なる山々を縫うように敷設された道路はまさに天空の道。

絶景の中を颯爽を下っていけば、前日の苦労が一気に報われました。

 

 

山を下って平坦な道を50kmほど進むと国境の町・霍尔果斯(コルガス)。

故郷の町へかえるチェンくん、先にカザフスタンへと入国するステファンさん

二人ともお別れ。

 

 

新疆ウイグル自治区に入ってからいっきに過酷な自転車旅になりましたが、

見計らったかのように新しい出会いが待っていてくれました。

しんどい時も誰かが支えてくれれば思ったよりも頑張れるもの。

 

この調子で進んでいきます!

 

 

 

最長記録

2018.07.12

【50日目 2,208km】

 

不安定な情勢ゆえの公安による厳しい取り締まり。

新疆ウイグル自治区の“ルール”に翻弄される日々が続いています。

 

 

いちおう中国では自転車は高速道路を走ってもいいようで、

ここしばらく無料で料金所を抜け

無数のバスやトラックに追い抜かれながら進んでいます。

路肩の幅も広いので、わりとゆったり走れるんです。

 

 

日本と同じように数kmごとにサービスエリアが設けられており、

この日もお昼頃に休憩に立ち寄りました。

 

休んでからさぁ出発しようと自転車のところへ戻るとそこには

旅の荷物を積んだ二人のサイクリストが居ました!

 

国境付近の町に帰る中国人チェンくんと

故郷のスコットランドまで自転車で旅をするステファンさん。

向かう方向はみな同じということで一緒に走ることに。

 

のんびり話しながら、ときに休みながら数時間走りました。

19:00には目的地である“托托”という町に到着。

 

 

 

のんびり休もうと思った矢先、この日はこれからが長かった…。

 

高速を降りるため料金所を通過するとそのすぐ先には

例によって公安の検問が待ち構えています。

 

3人そろって進んでいくと、通過できたのは中国人のチェンくんだけ。

保安上、僕たち外国人2人はこの街には入れないとのこと。

検問を通過できなければ高速に戻るしかありません。

つまり、高速道路に閉じ込められた状態。

 

この日はすでに10時間、120kmを走りぬいた後で疲れは溜まってます。

聞いてみると次に外国人が立ち入れるのは60km先の町。

「今日はお疲れさん!」って気分だったのにこれはしんどい。

 

どうするべきか悩みつつも進むしかないので重い足でペダルを漕ぎだします。

当然、昼間と同じペースで進むことはできずダラダラと走ってしまいました。

 

途中、インスタントラーメンを食べたり、

「宿が高い!」と再合流したチェンくんのタイヤがパンクしたりと

予想以上に時間が掛かり、

外国人が滞在できる町“精河”に着いたのは

すっかり日付も変わった真夜中0時過ぎのこと。

 

高速を降りた先には当然のように公安の検問がありましたが、

何とか通過できることに。

しかし宿泊先は公安の指定するホテルで、

そこに着くまではパトカーの誘導のもと全員揃って移動する

という条件付きでした。

 

日をまたぐ大移動の結果、

走行時間15時間、移動距離180kmという最長記録をみごとに樹立。

 

 

色んなことが思い通りにならない場所ですが、

これも旅の醍醐味だと自分をなだめながら眠りに落ちました。

 

ホントに疲れた…。

 

 

 

身柄拘束、そして移送

2018.07.10

【48日目 1,917km】

 

烏魯木斉(ウルムチ)を出発し、

隣国・カザフスタンを目指してさらに西へ向かいます。

 

街を出てからの道のりは内陸の乾いた荒野の風景をイメージしていたんですが

実際は、ところどころ建物が途切れるものの立派な都市空間が続いていました。

 

走行していると横からはみ出してくる羊たち。

(羊ですよね? ヤギじゃないですよね?)

 

 

鉄道に乗ってやってきたウルムチをはじめとする“新疆ウイグル自治区”ですが、

民族間の歴史的な遺恨があり、

数年前には死者を伴う暴動やテロ事件も発生している地域です。

 

今でも厳戒態勢は続いているようで、

それを象徴するのが街のあちこちで市民を監視する公安(警察)の姿。

スーパの入り口、ガソリンスタンド、バス停、交差点…など、

いたる所に立っています。

 

 

自転車で走っていても市や町をまたぐ位置に検問が設けられていて

トラックのドライバーたちと一緒にセキュリティチェックを受けました。

 

パスポートを渡すと、通行の目的や行き先などの質問に答えて5分ほどで終了。

一回目の検問は少しドキドキでしたが問題なく通過できました。

悪いことしてるワケじゃないんだし、特に構える必要もないはず。

 

そして、しばらく走ってお昼頃に2回目の検問所に到着しました。

今度は余裕しゃくしゃくでリラックスして臨みます。

 

簡単な質問をされパスポートをじろじろ見られた後に言われたのが

「ちょっとこちらへ来てもらえますか」。

あれ、さっきと様子が違う。

椅子だけが置かれた真っ白な部屋に通されました。

 

すると、「水を飲みますか?」とコップを渡され一人ぼっちにされます。

何か取り調べられるんだろうか?

次は牛丼が出てくるんだろうか?

ソワソワして待っていると再び現れた警官が一言、

「あなたをこの先の検問所まで車で連れていきます」。

 

 

まったく何の説明もないままコトが進むのでびっくりでしたが、

言われるがままパトカーに自転車を積むと、

そのまま若い二人の警察と一緒に出発しちゃいました。

 

 

50kmほど進んで次の検問所に着くと、

自転車を降ろして二人の警察はどこかに行ってしまいます。

そのままキョロキョロしても誰も来ないので、

何事もなかったように再び走りはじめました。

 

 

急に連れてかれて急に置いてかれるという謎の展開。

しかも公安たちは互いに中国語で話すばっかりで誰もこちらには

いきさつを伝えてくれませんでした。

 

自分たちの管轄内でトラブルに遭ってほしくないのか。

外国人に変にうろちょろしてほしくないのか。

理由は不明ですが、先へ進めてくれたので良しとします!

 

 

ドライバーになってくれた若い警官も運転ありがたいんだけど

爆音でBGM流して、スマホいじりながら、タバコ吸いながら

運転するのはヤメて。

 

いざ、シルクロードへ

2018.07.8

【46日目 1,812km】

 

中国内陸の大都市、“西安”でしばしゆっくり過ごしたのち

遂に、はるか西の果て“ウルムチ”まで向かう日がやってきました。

 

 

こうして見ると自転車を漕いだ距離なんてほんのわずかだと情けなくなりますが

予定通り旅を進めるためには仕方がありません。

鉄道に乗っての大移動です!

 

中国の鉄道には荷物を一緒に輸送してくれるサービスがあるので

カバンをずた袋に詰め込んで、愛車とも束の間のお別れ。

 

 

ここから、ちょっとしたトラブルというか勘違いがありまして…。

 

出発前日に駅で切符を購入したんですが、

売り場のお姉さん曰く「夜8時に出て翌朝7時には着くよ」とのことだったんです。

だったんです!

 

2,500kmという日本列島縦断ほどの長い距離もわずか半日で着くなんて、

「中国の鉄道も意外と発展してるんだね、どんなスーパー新幹線だろう?」

と思ってホームに降り立つとそこにはごく普通の電車。

 

まぁ、動き出すと猛スピードで加速するに違いないと予想しつつ

いざ出発するといつまでたってもトコトコトコトコ…。

「ありゃ?」と思って隣の人に筆談で聞くと

「到着は明後日の朝7時だよ。」とのこと。

 

この瞬間、乗車予定が24時間延長されました。

いやいや怪しいとは思ってたんです、

だって調べたら30時間くらい掛かるってネットにも書いてあったし。

 

でもお姉さんが翌朝着くっていうから、

それを信じて食料も持ち込まず軽やかなステップで跳び乗ったらこの始末。

ブーブー言っても仕方ないので割高な車内販売で食いつなぎつつ

寝心地の悪い通常座席で2つの晩を越してなんとか到着しました。

 

 

 

やってきたのが新疆ウイグル自治区・烏魯木斉(ウルムチ)。

イスラム教徒であるウイグル族が大勢暮らす都市です。

一番近い海からも2,300km離れているウルムチは

“世界で最も海が遠い都市”だそう。

 

砂漠の中の伝統を色濃く残した街並みを想像してましたが、

以外にも高層ビルの立ち並ぶ大都会。

漢民族の流入もあってか、かなり発展している様子です。

 

これまでの都市と比べても大きな違いはないかと思いきや、

街を歩けば、看板には今回の旅ではじめてアラビア語が現れました。

道行く人の顔立ちも目や鼻がくっきりした中東系のルックス。

 

観光スポットでもある「新疆国際大バザール」には

香辛料や民族衣装、伝統楽器のお店がずらっと並び

中華と中東文化の分岐点の街であることに気づきます。

 

中国各所で味わえる羊肉のケバブもこのウイグル地区が本場。

臭みはほとんどなく香辛料がしっかり効いた熱々のお肉はホントに絶品です!

 

 

ユーラシア大陸を横切るシルクロード。

その東の端は西安ですが、このウルムチにやってくると

いよいよ目の前に歴史を築いた“悠久の道”が広がっていることを実感します。

この旅もさらに興奮に溢れたものになっていくはず!

 

ここから目指すは西の端、“イタリア・ローマ”。

いざ、シルクロードへ!

 

 

西安到着!

2018.07.1

【42日目 1792.4km】

 

霊峰・崋山から黄河に沿ってなだらかな道を走ること130km、

ついに中国内陸の大都市「西安」に到着しました!

 

上海に上陸してから6週間ほど、

ウォーミングアップをしつつ観光も楽しみつつ

予想以上に時間とお金を注いでしまいましたが、

とりあえず第一の目的地にたどり着くことができました。

 

 

以前も触れたのですが、

2カ月のビザ猶予期間中に中国を横切ることは難しいので

この都市から新疆ウイグル自治区・烏魯木斉(ウルムチ)まで鉄道で移動する予定です。

 

 

 

さてこの西安ですが、

こないだ寄った“洛陽”と同じように古代から都が置かれてきた場所とあって

多数の歴史遺跡を有する、中国でも指折りの観光都市となっています。

 

 

<大雁塔>

市内中心部から真っすぐ南下したところにそびえたつ石でできた塔。

実はこの西安で最も古い建造物は、かの有名な玄奘(三蔵法師)が

インドから持ち帰った経典を保存するために建立されたものなんです。

 

当時主流だった木造建築では火災の可能性があるから政府にお願いして

石で作ってもらったんだとか。

それでも、一回燃えちゃってるらしいです…。

 

 

<青龍寺>

見た目は普通のお寺なんですが、

日本文化にも大きな関わりがある場所です。

 

唐の時代に日本からやってきた空海が教えを受けたのがこの青龍寺。

1000年以上も前に瀬戸内海を抜け、東シナ海を渡ってここまでやってきた空海。

つまり旅の大先輩でもあります。

 

空海が切り開いた“四国霊場八十八箇所”の第0番札所でもあるそうで。

旅立ち前の巡礼を思い出して参拝してきました。

 

 

<兵馬俑>

西安観光のハイライトになっているのが有名な“兵馬俑”。

秦の始皇帝を埋葬する際の弔いとしてつくられたもので、

始皇帝の軍団を模しているそうです。

 

何千という数も圧巻ですが、紀元前200年ほどの昔に

これだけ精巧なものをつくる技術があったことに驚きです。

現在でも解明されていない技術も用いられていたそう。

 

1974年に井戸を掘っていた農夫さんがたまたま兵馬俑の破片を見つけ、

それをきっかけに研究が始まり、そのままドームをかぶせて博物館にしてしまっています。

そして、破片を見つけた農夫さんは現在博物館の名誉館長に!

掘ってみるもんですね。

 

ドーム内では今でも発掘作業や壊れた個体の修復作業が行われていますが、

まだ全体の1/10しか発掘されていないという話もあるとか。

 

 

こちら市内にある“回民街”というイスラム街で食べた「びゃんびゃん面」。

太いしっかりとした麺が特徴的でかなり美味。

びゃんびゃんの「びゃん」の字はこれまでに見たこともないほど

画数が多くて(58画)、変換もできないので

気になる人はぜひ検索してみてください。

 

 

大きな街だけに見て回るのにも時間がかかる西安ですが

たっぷり満喫してから次の街へ向かいます!

 

 

はるか雲の上

2018.06.27

【39日目 1672.3km】

 

古都“洛陽”を出発してから、400kmほどの道のりを3日で走り切って

当面の目的地である大都市「西安」に到着する予定だったのが、

思いのほかのんびり進んでしまいまして…。

 

 

まず洛陽を発った日に到着したのが“三門峡”という街。

ここで野宿をするつもりだったのですが、実はこの日は6月24日。

そう、「日本vsセネガル戦」です。

テントでのんびり寝ている場合ではないと思い、観戦すべくホテルにチェックイン。

 

深夜放送だったこともあり、ゆっくりもう1泊してしまいました。

もはや旅人でもなんでもないです。

でも、本当に楽しい試合だったので良しとします。

2点入ったので2回ほど夜中に一人で叫んでました。隣室の人、ゴメンナサイ。

(いよいよ明日3戦目! 頑張れ、ニッポン!!)

 

 

なかなか前に進もうとしないバチがあたったのか

曇り空のもと次の街へ走りはじめると、中国にきて一番ヒドい大雨に降られました。

びしょ濡れで重くなった服と靴を身に着けたまま130kmほど走りました。

 

 

たどり着いたのが「華陰市」という小さな街。

田舎の小さな街ですが、ここにはホテルが数多く立ち並び

たくさんの観光客が押し寄せます。

 

訪れる人々の目的は「崋山(かざん)」。

少林寺を有する嵩山とならぶ霊峰で、古くから僧侶が修行をした山だそうです。

 

 

花崗岩がむき出しになった堂々たる風格は街からも拝めます。

 

 

到着翌日、早速登ってみることに。

登山道もありますが、自転車を漕ぎつづけて足がパンパンなので

ロープウェーに乗ります。

何百メートルの高所に宙ぶらりんになるゴンドラはもはや絶叫マシーン。

 

到着後しばらく歩けば頂上です。

たどり着いた山頂ははるか雲の上、標高2,154m。

 

頂上からは切り立った岩山の数々が見下ろせます。

高い山が連立しており、寺院などもあって散策できるようになっていました。

踏みしめる山道も土ではなく岩なので歩くのにもの凄く疲れます。

 

雲がかかっていたので下の街まで見えなかったのですが

もやがかった景色はまさに神秘的。“幽玄”とはこのこと。

仙人が住んでそうな雰囲気です。

古くから霊峰として称えられてきたことも納得でした。

 

 

山頂付近はご覧の人だかり。

13億人の国はどこにいっても大渋滞です。

 

 

古都へ”上洛”

2018.06.23

【34日目 1406.3km】

 

ここしばらく気温26℃前後が続き、

外を散策しているだけでじとっと汗ばむような日が続いています。

走行の疲れも相まって夏バテ気味(早いけど)ですが、しっかり食べて乗り切っています。

 

 

 

この日は2日間滞在した“登封”の街を出発。

屋台で朝ご飯を済ませて荷物をまとめると、

少林寺を中腹に抱える嵩山(すうざん)の峠越えルートに向けて漕ぎだします。

 

もちろん頂上まで登るわけではないですが、

思えば中国に来てから山らしい山を走っていませんでした。

1,000km以上も山にぶつからず来れたのは広大な大陸ならでは。

起伏の多い日本では考えられません。

 

必死に坂道をのぼって、颯爽と風を切りくだっていく。

「これこれ!」と自転車の醍醐味を思い出しながら走りました。

 

 

70kmほど走行した後、

お昼過ぎに目的地「洛陽」に到着しました。

 

 

この洛陽は非常に歴史深い都市で、かつて王朝の都が置かれた場所なんです。

京都を指して“洛中”といったり 、“上洛”という言葉なんかも

この都市の名に由来するそうです。

しかし、数々の内乱でその美しい街並みも残念ながらほとんど失われてしまったそうな。

 

近代的なビルが立ち並ぶ現在の洛陽ですが、

トレードマークである“麗景門”をくぐった先にある旧市街をねり歩けば

昔ながらの雰囲気を味わうことができます。

立ち並んだ露店と食べ歩きをする人々。

平日にもかかわらずお祭りのような気分を楽しめました。

 

 

 

そんな洛陽の観光の目玉になっているのが

市内から数km離れたところにある「竜門石窟」。

 

今から1500年ほど前に山肌の岩を削って彫られた数万体の仏像たちは、

少林寺に引き続きこれまた世界遺産に登録されています。

 

これまでに巨大な文化遺産、自然遺産をたくさん見てきましたが

毎度思うのが写真にはその圧倒的存在感を写し出すことができないということ。

枠内に収まったとしても、実際に目の前に立ったときの

言葉も出ない感動は現地でしか味わえないんだと思います。

デカいものは美しい。

 

 

汁モノが有名な洛陽での一品「不翻湯」。

ものすごく美味しくて奥の深い味なのですが、

上に乗っかったネギと牛肉以外は“はじめまして”な食材ばかり。

 

どことなく薬っぽい不思議な味が美味しいけど伝えられない…。

料理の味も写真に写せません。

 

 

カンフーの故郷へ

2018.06.20

【31日目 1334.0km】

 

先週1週間ジタバタして時間とお金を費やした結果、

何とかビザを取得することができ自転車旅を再開しています。

 

旅立ちから1ヶ月が経ち

順調に肩慣らしもできているのではないでしょうか。

(誰に聞いているのでしょうか。)

 

 

停滞していた河南省・許昌の街を発つべく、

1週間ぶりにサドルにまたがるとあいにくの雨。

1ヶ月の滞在延期が認められ心機一転と意気込んだのに、

上海上陸のときもそうでしたが、はじまりはいつも雨。

 

ただ、割高なホテルにこれ以上滞在もできず

どこかで止むことを信じて出発しました。

 

 

結果的に雨はやまず

体も荷物も自転車も泥だらけになりながら1日中進みました。

 

たどり着いたのが許昌から北西方向にちょうど100kmの場所、

「登封」というこじんまりとした町。

 

この町自体に大きな見所はないのですが

北に数kmのところにそびえる嵩山(すうざん)という山は

古くから山岳信仰の対象だそう。

地質学的にも貴重で一帯はユネスコの指定公園にもなっています。

 

その山麓に点在する史跡は世界遺産にも登録されているので、

さっそく観光に行ってみました。

 

広大な自然風景のなかには寺や遺跡だけでなく、宿舎やグラウンドなどもあります。

 

そこにはたくさんの少年たちがおり、あちこちで剣舞や棒術の組み手をしています。

グラウンドでは体育の授業のようなものがおこなわれてますが、

少年たちの動きはあり得ないほどアクロバティック。

 

 

圧倒されながら先へ進んだところには、堂々と構えられた寺の門。

看板に刻まれた文字は「少林寺」。

そう、ここはカンフーの誕生したかの有名な少林寺です!

 

かなり観光地化されており、

荘厳な雰囲気の中、境内で拳を突き出しているイメージとは

少し違いましたが…。

鍛練に励む少年たちの姿を眺めるのはなかなかの見ものです。

(ちなみに日本で有名な“少林寺拳法”の直接のルーツではこちらではないそうです。)

 

 

劇場もあって、ステージで繰り広げられる流麗な武術の数々は圧巻でした。

 

「ホワタァァーーー!!」とか「アチョーーー!!」とかは無かったですけど、

「セイッ!」とか「ハッ!」は言ってましたよ。

 

 

やっとの思いで…

2018.06.14

【26日目 1206.8km】

 

前回の更新でお伝えしたビザ更新の件ですが…。

 

やはりと言うべきか思った通りにことは運ばず

今週に入りバタバタと動き回った結果、

やっとの思いで希望の光が降りそそいできました。

 

中国に滞在するための許可証であるビザ。

そして現在の僕に許された猶予期間は残り4日。

このビザ延長を申請するに至る紆余曲折についてご紹介します。

 

 

まず、

河南省許昌市の公安(警察)出入境管理局へ行ったところ、

「その処理はここではできません。」

見事に突っぱねられました。

それ以上の説明もなく、あっさり撃沈。

 

戻ってホテルのスタッフに相談すると

実は同じ街にもう一つ管理局があるとのこと。

そちらに出直すと「ビザ? ここじゃ無理だよ。」

はい撃沈。

 

見かねたホテルのマネージャーが

一緒に管理局に出向いてくれることに。

中国人がいれば心強いと思い、胸を張って再び飛び込むと、

「ダメです。」

やっぱり撃沈。

 

詳しい事情は分からないけども、

とにかくダメなものはダメだそう。

 

■管理局がある街ならどこでもできる

■大都市よりも地方の方が申請がスムーズ などなど

これまでに聞いた情報、ネットで調べた情報を考慮して挑戦した

許昌市での申請でしたが、どうやら難しい様子。

 

 

そこで、100kmほど離れたところにあり

同じ河南省の省都でもある「鄭州」でできないかと

オフィシャルサイトを調べたところ、

管轄業務のなかに“外国人ビザ申請”と書いてありました!

 

「電話で確認したげるよ。」とホテルのスタッフ。

期待しつつも、立て続けに断られたこともあり

どうせ無理なんじゃないかと不安を抱えて返事を待つこと数分。

「この省では処理できません。」

ほらね。撃沈。

まさに、八方塞がり。

体育座りをして夕日を眺めるしかなくなりました。

 

 

そこで最悪の場合はこれしかないと

頭の隅に置いていたプランを決行することに。

 

 

それは旅の先人たちがブログなどに書き綴ってくれた知恵でした。

 

許昌からはるか南西へ1,200km、四川省「楽山」という都市。

この場所ではかなり高い確率でビザ延長が申請できると同時に、

通常発行までに5~10日かかるところわずか24時間で処理してくれるそう。

 

残された時間は僅か、迷っている時間はないと

すぐさま新幹線に飛び乗り“楽山”へと向かいました。

中国上陸以来、自転車以外の乗り物に乗っていなかったのですが

急遽自転車をホテルに残し、“鉄道の旅”がはじまりました。

 

タクシーで違う駅に到着したり、

新幹線に歯ブラシ、タオルなどお泊まりセットを置き忘れたり、

正しい駅にいるのにタクシーで変なトコに向かったり。

 

心の余裕を失った途端にミスを連発しましたが、

複数の乗り継ぎをこなし13時間かけて目的の“楽山”に到着しました。

 

 

そして到着の翌朝、“人民政府政務服務中心”という所へ向かい

恐る恐る申請したい旨を伝えると、

「あーはいはい、ビザね。」

なんともまぁ、あっさり受け付けてもらえました。

必要書類の提出や証明写真を撮影の後、わずか30分ほどで終了。

翌日にビザを受け取ってビザ延長処理完了です。

 

ということでいま、四川省・楽山にいます。

ほんの一週間前には予想していなかった動きをしましたが

なんとか目の前に道は開けました。

 

 

なぜ、河南省では不可能なのか?

なぜ、楽山はたやすく申請できるのか?

なぜと問うても誰もわからないようで、

在中日本大使館も

「ビザ申請ができるかどうかはわかりません」と、サイトで述べてます。

 

理由なんて聞いてもムダ!

ただ目の前の道が閉じたら、開く! 開いたら進む!!

変わらず日々前進してまいります。

 

 

書類手続き

2018.06.10

【21日目 1206.8km】

 

 

出発から3週間が経ち、走行距離も1,000kmを過ぎました。

1日の走行距離はおよそ100~120km、一番走った日で150kmほどです。

体力にも余裕が出てきて、長い距離を走ることにもだいぶ慣れてきました。

 

ただ、日に日に気温が上がってきており

日本のような湿気のあるジメジメした気候に苦しむ日々です。

特に走行中は、

道路に舞う砂ぼこりとどこまで行ってもかすんだままの空気のせいもあって

より一層暑さを感じながらペダルを漕いでいます。

 

これまで西に向かい続けてきましたが、

今は北へと進路を変えて「許昌」という地方都市に来ています。

 

現在、目指しているのはここから北西の方向に位置する

かつての都でありシルクロードの起点でもある都市「西安」。

西安から鉄道に乗って新疆ウイグル自治区・烏魯木斉(ウルムチ)へと向かう予定です。

 

ユーラシア大陸東部一帯を占める中国。

この広大な国をビザの猶予期間内で横切るのは困難であるため鉄道を使います。

いいんです!

使います。乗ります。

 

ただ、日本で取得した中国ビザの残り日数は10日ほど。

西安から鉄道を使ったとしても隣国・カザフスタンに抜けていくことはできません。

 

 

そこで、今いる許昌でビザ延長の手続きをする必要があります。

週末明けに“出入境管理局”なるところへ行くつもりなのですが、

すでに出鼻をくじかれた気分でして。

 

というのも、この街に着いてからのこと

調べていた宿に到着するなり告げられた言葉が

「あなたはここに泊まれません」。

 

実は、中国の特定の地域では

“外国人を安宿に泊めるべからず”というルールがあり、

中国籍を持たない人は三ツ星以上のホテルでないと宿泊できないんです。

小汚くみすぼらしい宿を外国に見せたくないんでしょうか?

すでにいっぱい見てきましたけども…。

 

しかも、ビザ延長を申請するためには

“ちゃんとした場所に滞在していますよ”という証明が必要だそうで、

ホテルでの宿泊は不可欠。

 

下調べ不足を反省しつつ、

「どうしようかしら」と途方に暮れた行き場のない旅人を救ってくれるのは

やはりその地で暮らす人たち。

 

僕を断った宿のスタッフたちが奮闘してくれました。

複数のホテルに電話をしてくれて、さらに安値で泊まれるよう値段交渉もしてくれました。

おかげで無事滞在先も見つかり、延長申請の準備は整いました。

 

果たして無事ビザは取得できるのか…!?

 

 

ここしばらく、何百kmも田舎道が続いてます。

 

水を買いに寄った商店の主人がそっと店先にイスを出してくれたり。

ドライバー達が追い抜き際にこちらに親指をぐっと立てて満面の笑顔で去っていったり。

 

地域性なのか、自分の感じ方が変わったのか

人の暖かさに触れることが増えた気がします。

 

 

中国の物価事情

2018.06.5

【16日目 983.0km】

 

スタート地点・上海からひたすら西に進み、

現在、信阳(しんよう)という都市に来ています。

 

特にこの2日間は、合計300km近くにも及ぶ長距離の移動で

一気に体力を使い切ったような気がします。

 

 

海沿いの街から内陸部へ移動してきたことで、

ずっと平地だった道に起伏が出てきて、視界の端にも山が見えるようになってきました。

工業地帯ばかりだった景色も田園へと変わり、

広大な国の土地の移り変わりを肌で感じています。

 

右側通行にもすっかり慣れ、

飛び交うクラクションの音もさらっと聞き流せるようになってきました。

 

 

 

さて、中国に入国してから2週間が過ぎ

食事や宿泊など色々な場面でお金を使ってまいりました。

出発前は日本とそんなに変わらないと聞いていた中国の物価事情。

豪華絢爛な観光ツアーではないので出入りするお店や買うモノも限られていますが、

少しづつ様子がつかめてきたのでご報告したいとおもいます。

 

※1元→17.14円(2018年6月5日現在)

( )内の日本円はざっくりです!

 

・水(1.5ℓ)→3.5元(60円)

・コカ・コーラ(500mℓ)→3元(50円)

・ビール1缶→3元(50円)

・ポテトチップス1袋→4.5元(75円)

・カップラーメン→5元(85円)

・梨(果物の中では主流な模様)→1.5元(25円)

・炒米(チャーハン)→10~15元(170~255円)

・牛肉面(こっちで定番のラーメン)→12~18元(200~300円)

・マクドナルド・ダブルチーズバーガーセット→26元(440円)

・ゲストハウス1泊→40~50元(680~850円)

 

と、こういった具合になっています。

半額までいかないまでも、すべてのものが日本よりは安い!というのが感想。

観光客向けではない庶民食堂であれば300円前後で1食分は食べれてしまいます。

 

ただ

板チョコ1枚7元(120円)、コンビニのコーヒー1杯10元(170円)。

海外ブランドの水は倍以上の価格設定、

と中国原産ではないものは高めの値段となっており、

なるべく国産品の消費を促そうという姿勢がうかがい知れます。

 

こんな中国の物価事情。

工夫して節約すれば安く旅をすることができそうです。

 

 

話は変わって、信阳にたどり着くまでの道中のこと。

集落を見つけ自転車を停めて休んでいると、

近くのお茶屋さんが「入っておいで」と優しい一言。

 

差し出された一杯は“信阳毛尖”という中国国内でも最高級品と名高い茶葉で淹れられたもの。

素人でも飲んだ瞬間に分かる美味しさでした。

こういった何気ない思いやりが、ひとり旅の疲れと寂しさをじんわり癒してくれます。

 

 

初野宿

2018.06.1

【13日目 632.5km】

 

体力も回復し、止まらない咳以外はバッチリの状態です。

のんびり観光したり、体調崩したりで

予定よりはるかに遅いペースで進んでいましたが、

ビザにも限りがあって、いつまでも中国には滞在していられません。

もう少しスピードを上げなければと何となく焦りを感じはじめています。

 

常州を発ってから大都市・南京に寄り、

現在「合肥」という都市にきています。

 

この南京から合肥までの距離が200km近くあり、途中で一泊したのですが

これが記念すべき海外初野宿となりました!

 

中国人曰く、「この国はどこでも野宿できるよ」というのですが

そうはいってもはじめは抵抗があるもの。

 

そんななか今回の旅で有益情報を得ました。

野宿をするなら「大学構内だ!」とのこと。

どこの街にでもあって一番安全な場所だそうです。

 

といいながら、そもそも簡単に入れるのだろうかと疑いつつ向かったのが、

巣湖(そうこ)という湖のほとりにある“巣湖学院”。(創立40周年!)

 

入口ゲートには二人のガードマンが仁王立ちしており、

授業を終えた学生さんたちがぞろぞろと帰っていくところでした。

その流れに逆らうように、

大荷物を積んだ自転車に乗ってヘルメットを被ったまま突撃したところ

ガードマンは何も言わずそのまま仁王立ち。

「へっ?いいの?」

と思いましたが、何も言われないのでそのまま突っ切り無事に侵入成功しました。

 

「30歳無職の外国人を止めなければ、あのガードマンは誰を止めるんだろう?」

と考えながら、構内を散策しつつ程よい場所を探し求めました。

 

出会う人たちに尋ねても、

「別にテント張ってもいいんじゃない」との答え。

大学の敷地は公共の場所でもあるそうで、迷惑をかけなければいいようです。

 

そのままテントを張って寝床についたあとも、

誰にも邪魔されず気持ちよく眠りにつくことができました。

 

これからも色んな大学でお世話になろうと思います。

 

 

 

そういえば、数日前に自転車トラブルの定番“パンク”が発生してしまいました。

海外では初めてだからなのか気づいた瞬間動揺してしまいましたが

正しい手順に則って即座に穴を確認し、

自転車屋のお兄さんのように迅速に穴をふさいで、

再び走りはじめました。

 

ただ、せっかく旅を発信するからにはそういうちょっとしたハプニングも

しっかり写真に収めてお伝えしていかなければいけないなぁと感じました。

 

ということで明日もまた走ります!

 

旅の相棒①

2018.05.28

【9日目 280.6km】

 

東洋のベニス・蘇州を後にして、

現在、「常州」という所に来ています。

天気に阻まれ出足が鈍っていましたが、

追い打ちをかけるように風邪を引いてしまいまして…。

 

実は上海出発の時点で、風邪の予兆はあったのですが

ちょっと無理をしながら、だましだまし前に進んできたのが祟っちゃいました。

晴れの日でも遠くがかすんで見えるほどの空気の汚れも影響しているのか

咳もとまりません。

 

健康な体なくして健全な旅あらずですね。

自己管理を徹底せねばと粛々と反省しております。

 

 

さて遅らばせながらですが、ここで旅の相棒を紹介したいと思います。

旅を支えてくれるものは人ばかりではなく、大切な「モノ」も欠かせません。

 

まずは、自転車に乗って世界を旅していくうえで必要なのは「自転車」。

これがなければはじまりません。

 

そして、こちらが今回僕が相棒に選んだ一台。

 

「Panasonic OJC4」

ロードバイクやクロスバイクなどのスポーツバイクが流行っていますが、

こちらは“ランドナー”と呼ばれる種類。

大陸横断規模の長旅にも適応しており、

まさに今回の旅にうってつけの自転車だそうです。

 

フレームはクロモリと呼ばれる鉄鋼でできておりかなり頑丈。

しかも、カーボンなどの特殊素材と違って溶接が可能なので、

仮にボキッと折れた場合、途上国の鉄工所などでも修理が可能だそうです。

 

また、自転車用タイヤのサイズ規格は多岐にわたるなか、

外国でのトラブル時にも対応できるよう、

世界でも流通量の多い26インチのタイヤを採用しているそうです。

 

このように“だそうです”ばっかりで人からの受け売りを説明するしかないほど

自転車の知識に乏しい僕のために、今回自転車をセットアップしてくださったのが

広島市東区にあるバイクショップ「HILLCLIMB(ヒルクライム)」さん。

 

出発の約半年前から相談に乗ってくださり、

無茶な要望にもかかわらず過酷な旅を乗り越えられるよう

自転車をパワーアップさせてくれました。

さらにトラブルにも対処できるようワイヤーやチェーンの替え方なども

レクチャーしていただきました。

心より感謝しております。

 

 

協力企業様のロゴも貼り、看板を背負って明日も走ります!

 

 

東洋のベニス

2018.05.24

【4日目 136.8km】

 

降り続いていた雨がやみ、初めて晴れ間が見えたのが

中国上陸から4日目のこと。

やっと自転車を漕ぎだせるときが来ました。

 

雲がかかってばかりの上海を後にして、青空のもと颯爽と走れるかと思いきや、

見上げる空には霞がかかって、工事現場のように埃っぽい空気。

うわさに聞くPM2.5を肌で感じながらも、タオルで顔を覆いながら

幹線道路を西へと進みます。

 

初日は苦戦した中国の道路事情も慣れてみると、

自動車レーンと原付・自転車レーンが完全に分かれており

日本よりもむしろ走りやすいことに気づきます。

 

ただこっちの原付バイクってエンジン音が全く鳴らないので

ドキッとすることが多々あります。

プリウスみたいにのそーっと近づいてきて気がついたらすぐ後ろにいるんです。

みんなクラクション鳴らしまくるから結局うるさいんですけど…。

 

 

休みをとりつつ上海から西へおよそ80km走ると、

昼過ぎにはこの日の目的地「蘇州」にたどり着きました。

 

この街、「東洋のベニス」なんて呼ばれているそうです。

上海のような高層ビル群もありつつ、

旧市街には運河が張りめぐらされた歴史的な景観が広がる渋い場所。

古くから生活に溶け込んできた運河の歴史は本家イタリア・ヴェニスよりも古いそうです。

 

 

また、市内に点在する沢山の庭園の多くは世界遺産にも登録されており、

観光にぴったりの場所。飽きません。

 

このあたりの地域は雨期に入りかけているそうで、

天気予報を見るかぎりまた足止めを食らいそうな予感。

なので、しばらくのんびり観光していきたいと思います。

(全然、 Cycling してない)

 

蘇州にたどり着く前に、休憩にふらっとよった市場で

珍しく英語で話しかけれられたかと思うと、青年は自転車に興味津々。

 

実はこのチャンくん、今年の夏から自転車中国横断を計画している

同胞だったんです。しかも、同い年。

夜には友達と一緒にわざわざ滞在先まで遊びに来てくれて、

食事をしながら旅について語り合いました。

 

聞けば彼の友達も現在、自転車で世界を一周しているそう。

流行ってます!

 

上海上陸、旅の始まり。

2018.05.21

【1日目 18.6km】

 

2日前に大阪港を発ち、

ときおりの荒波と悪天候にもまれつつ、

瀬戸内海を抜け東シナ海へ。

 

そして、5月20日 午前10時34分(現地時間)。

上海国際旅客港に到着。

 

ついに旅の始まりの場所、中国・上海に降り立ちました。

門出を祝うかのように日の光が大空を照らしてくれるのを期待していましたが、

あいにく到着からずっと厚い雲がかかっており、雨まで降る始末。

 

しかし、これも

「旅は決して思い通りにはいかない。気を引き締めていきなさい。」

という宇宙からのメッセージに違いありません。

 

荷物を引き受けるとそのまま自転車に乗って

予約していたゲストハウスへ向かいます。

 

空を貫く高層ビル群や耳に飛び込んでくる中国語。

「まさにここは外国だね。」

なんて思わず、

日本でも都市部の観光地に行けば似たような風景にはよく出会います。

 

しかし、しばらく走れば確かに中国。

右側通行、信号無視、スマホ片手のドライバーたち、

などなど日本国内ではお目にかかれない道路状況。

慣れない交通習慣に苦戦しながらも宿を目指して進みました。

 

 

予想以上に英語が通じず、道行く人に尋ねても

「あっち」「こっち」とバラバラの答えが返ってくるばかり。

迷いに迷って、最短7.5kmの道のりを

気づけば18.6kmも走り倒していました。

 

 

世界地図を開けば横たわる広大なユーラシア大陸。

そしてその東の果てに位置するのが中国・上海。

ここから西へと続く道のりを想像するだけで不安と興奮が同時に沸きたちます。

 

小籠包の肉汁のように漕ぎ出したい気持ちが溢れるのを抑えつつ、

しばらくはこの近代都市をのぞいてみたいと思います。

 

 

<情報>

昭文社様HPにて、情報掲載いただいております。ぜひご覧ください!

http://www.mapple.co.jp/mapple/news

 

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