Cycling The Earth ~自転車世界一周の旅~

日記

投稿者: ryosuke

謎深きトルクメニスタン

2018.09.30

【127日目 5,198km】

 

 

砂漠の聖都“ヒヴァ”での滞在を終えると

いよいよウズベキスタンともお別れ。

わずか60kmほど西にある国境を目指します。

 

 

国境の向こうに待ちかまえる次の国は“トルクメニスタン”。

中央アジア最後の国となります。

 

実はこのトルクメニスタンという国、

・故ニヤゾフ大統領時代より続く独裁政治

・旅程詳細を申請の上、ガイド付きでなければ観光旅行不可

・報道の自由度世界ワースト3位

 

これらのことから

「中央アジアの北朝鮮」とも呼ばれ、

極めて閉鎖的な国として知られています。

 

ただ入国することがまったく不可能なわけではなく

他の国へ向かうための経由地としてであれば5日間滞在することが認められており、

シルクロードを辿って旅をしているものとしては

通らざるを得ない場所にあります。

 

実際に、近年「地獄の門」なる観光スポットが人気で

多くの旅人が訪れているんです。

(絶景ですが、今回は行っていないので気になる人は検索!)

 

 

当初、自転車で縦断することを予定していたのですが

5日間という期限付きであることから断念してしまいました。

 

ということで、

お昼前頃にウズベキスタン-トルクメニスタン国境を

予想以上にスムーズに超えた後、

待ち構えていたタクシーを捕まえました。

(というか捕まりました。)

 

南のイラン側国境付近の首都アシガバードまで40ドル。

トヨタセダンの後部座席に何とか自転車を押し込むと

ドライバーは勢いよく走りだします。

 

道のりのほとんどはウズベキスタンでも散々見てきたような砂漠ばかり。

国土の85%が砂で埋め尽くされており、

人が住むのは国境付近の端のあたりだけだそう。

 

 

7時間ほどのドライブの末、目的地のアシガバードに着いたのが夜8時ごろ。

野宿は当然許可されておらず、

外国人が宿泊できるホテルも限られています。

 

いくつか安宿に目を付けていたのですがすべて満室で断られ、

たどり着いたのが1泊80ドル(1万円弱)の高級ホテル。

今回の旅で最高額の宿です。

 

夕食をとろうとホテルのレストランに向かうと、

30人程のスーツを着た大人たちが円卓を囲み大宴会をしておりました。

こちらの姿を見つけると、

「こっちおいで!」と無理やり椅子に座らされます。

 

次々と出される料理をつまみながら、

「どっから来たんだ?」「どんな旅をしてるんだ?」と、

酔っ払いたちから矢継ぎ早の質問。

 

何となく打ち解けたと感じた頃合いを見はかり

一緒に写真を撮ってもいいかと聞くと、

「ダメだ。カメラをしまいなさい」と忠告されてしまいました。

さっきまで機嫌よく話していたのに断られるとは…。

 

 

公的機関などの撮影が固く禁じられていることは聞いていました。

街中で白昼堂々とカメラを構えているとたちまち公安がやってきて

データの削除を命令するそうです。

 

そしてどうやらこのスーツのおじさん達も撮影禁止。

何者だったんだろう…。

終わりの見えない宴会の隙を突き、トイレに行くふりをして逃げ出しました。

 

 

どことなく窮屈さを感じつつこの日は就寝。

高級ホテルにもう1泊できるはずはなく、

ろくに観光もしないまま翌日トルクメニスタンを後にすることになりました。

 

 

聖都ヒヴァ

2018.09.27

【122日目 5,138km】

 

 

3日間かけてわたりきった砂漠の果てにたどり着いた小さなモーテル。

そこからさらにいくつかの町を通り抜け100kmあまりを進むと

国境近くの町“ヒヴァ”にたどり着きました。

 

サマルカンド、ブハラに並ぶウズベキスタン屈指の観光地でもあり、

同じように神学校やモスクを中心とした旧市街が見どころのこの町。

実は、ウズベキスタンで一番楽しみにしていた場所でもあります。

 

中世には国の首都でもあったというヒヴァ。

非常にこじんまりした町ですが、魅力がギュッと詰まった渋いトコロです。

 

泉が湧き出ることから砂漠の中のオアシスとして栄えたヒヴァですが、

その特徴ともなっているのが

1000年前ごろから建てはじめられたという城壁。

町をぐるりと囲んでいる土を塗り固めた壁の高さは10mにも及びます。

城壁が囲む旧市街は、

1km四方ほどなのでのんびり散歩しながら回れるほどの大きさ。

 

メインゲートである西門をくぐればいよいよ旧市街。

城壁に囲まれた内側は“イチャン・カラ”と呼ばれ、

町全体が世界遺産にも指定されています。

 

通りにはお土産屋がずらっと並び、

各国の旅行者が散策する様子が目に留まります。

レンガ造りの建物がイスラムの雰囲気をぐっと演出しています。

堂々たるマドラサ(神学校)も、

現在は内部がお土産屋さんやレストランとなっています。

 

イチャン・カラに複数ある塔の中で最も高いものが

“イスラーム・ホジャ・ミナレット”で45mほど。

ヒヴァの象徴でもあり、頂上は見張り台になっていて登ることができるんです。

 

 

町をぶらぶら散歩していると人だかりと何やらにぎやかな声が聞こえました。

 

近寄ってみると、スマホのカメラを向ける人々の向こうに

メガホンを握る監督とカチンコを鳴らすスタッフが!

どうやら映画か何かの撮影のようです。

 

時間をおいた別の場所でもまた撮影現場に出くわしました。

剣を携えた大勢の騎士たちが「ヤァアーーッ!」と叫びながらぶつかり合います。

 

やはり歴史ある景観地区だからでしょうか、

確かにどこを撮っても画になります。

 

 

旧市街の中心を少しはずれるとレンガ造りの民家が多く立ち並びます。

静かな路地を歩くと、現地で暮らす住民の方にもたくさんすれ違いました。

現在でも、城壁の中で3,000人ほどの人々が生活しているそう。

 

ヒヴァの町でとにかくよく見かけるのがタキシードとドレスの新郎新婦。

ポージングをするカップルとそれを取り巻く親戚とカメラマンたち。

みんな楽しそうだし、幸せそう。

 

 

おそらく近くで式も挙げると思うのですが、

やはりウズベキスタンの人たちにとっても特別な場所なのだと感じます。

 

 

 

イスラーム・ホジャ・ミナレットから見下ろす夕暮れのヒヴァ。

砂でかすんで遠くは見えないのですが、

オレンジに染まる町は風情たっぷりです。

 

いよいよウズベキスタンもこの町で最後。

こんな素晴らしい景色を求めてどんどん前に進んでいきます!

 

 

 

砂漠を渡る

2018.09.23

【120日目 5,022km】

 

 

しばらくブハラでの滞在を楽しんでから、

ウズベキスタン最後の街“ヒヴァ”に向かって再びペダルを漕ぎだします。

 

 

ユーラシア大陸の中央に位置するウズベキスタンの領土ですが、

実はその多くを占めるのは砂漠。

なんと国土の80%ほどにも及ぶそうです。

 

山が少ないことからここまで自転車で進むことも容易でしたが、

ブハラからヒヴァの間には“キジルクム砂漠”という難関が待ち構えており、

400kmあまりの移動のうち約300kmは砂漠のなかを走ることとなります。

 

無事越えられるだろうかという不安の反面、少しワクワクもしつつ走りはじめました。

 

ブハラを離れ50kmほどすると家屋はほとんど無くなり、

乾いた砂の大地が広がりはじめました。

ただ砂漠といっても舗装された一本道が敷かれており、

かなり走行しやすくなっています。

 

向かう西のヒヴァが観光地ということもあって

10分に1台程度、車も通過するので

何かトラブルがあっても大丈夫だろうと安心して進みはじめました。

 

 

変わらぬ景色の中をひたすら走り続けるのですが、

実はこの砂漠まったく何も建物がないワケではないんです。

 

事前に走行計画を立てるため、Googleマップの衛星写真を拡大して見ていると…

砂のなかを突っ切る一筋の国道脇に集落らしきものが見えました!

 

「これが村ならば休めるはず!最悪、廃墟でもここでテントを張ろう」

と、この場所に目星を付けて期待しつつ走っていきます。

 

100km以上の距離を進み現地に辿り着くと、そこにはやはり村がありました。

周囲数十kmは何もない砂の中に突如現れた村。

500m四方ほどの土地に100軒にも満たない家が建っていました。

 

通りを散策していると、「コンニチワー」と日本語のあいさつで声を掛けられます。

声の主は家の前で作業をするお父さん。

家の床を固めるためワラと粘土を一生懸命こねています。

 

家の中を覗いてみると、床をペタペタと塗り固めるお母さん。

夫婦そろっての共同作業です。

聞くと、移り住むための家をつくっている最中だそうでした。

 

何もない砂漠のど真ん中にぽつんと佇む村でも、

新しい家が日々完成に近づいています。

 

テントを張れる場所がないか尋ねると、

「この家の前で寝ていいよ」とのことだったので、

人のいない建築中の家の前でありがたく寝床を確保させてもらいました。

 

 

一晩体を休めるとまた延々と続く砂漠の中を進んでいきました。

 

村と同じように、3~40kmおきに小さな食堂や休憩所のようなものが在り

そこで時おり身を休めます。

 

砂漠といえど9月も後半に差し掛かっていたからか、

気温は高くても28℃ほどにとどまり、猛暑というほどではありません。

キルギスでビザ待ちをして時期がズレ込んだことによる恩恵が

こんなところにあらわれます。

 

声を掛けてくれたり、手を振ってくれたりと

追い越していくドライバーたちに励まされながら漕いでいきました。

 

 

次の日の晩も、通りがかりの集落でしっかり休み

ブハラから進んだ距離が350km!

 

 

家や緑が見えはじめ、ついに砂漠が途切れたのが3日目の夕方近く、

無事に難所を渡り切ることができました。

道路わきのモーテルのベッドに倒れ込んで爆睡です。

 

 

砂漠の食堂で食べたウズベキスタン代表料理“シャシュリク”。

要は、牛や羊などの肉を串焼きにしたシンプルな料理ですが、

疲れた身体に肉の旨味がじわっと沁みわたるんです。

これは旨かったー!

 

 

 

オアシス都市ブハラ

2018.09.19

【116日目 4,672km】

 

到着するなり首都タシケントに戻ったりとバタバタしましたが

“ブハラ”は、乾いたシルクロードの道中に在るオアシス都市として栄え、

神学校やモスクが集中していたことで多くの有識者を育成、輩出。

旧市街には数々の史跡が溢れ、

現在でも世界中からの旅行者をひきつける観光地なんです。

 

自転車を置いてのんびり観光を楽しめたので

街のハイライトをご紹介したいと思います!

 

「カラーン・ミナレット」

ブハラ旧市街を代表する建築物が、

カラーン・モスクとその傍らにある“カラーン・ミナレット”。

約900年前に建てられた高さ47mにも及ぶ塔は

中央アジア地域のイスラム建築の中でも最大の高さを誇るのだそう。

 

青い空を貫く姿が爽快ですが、かつては罪人を袋に詰め

ここから突き落とす公開処刑の場でもあったみたいです。(怖いっ。)

現在修復工事中で残念ながら上には登れませんでした。

 

 

「アルク(城)」

5世紀頃に地を収めた領主の王宮として建てられ、

ブハラで一番古い建物でもあるのが「アルク(城)」。

壮大な建築ですが、1920年にロシア赤軍に爆撃され8割が崩壊してしまいました。

 

内部は博物館になっていて、

王室や処刑場など当時の暮らしが分かるようになっています。

中央アジアに来て以来あまり見かけなかった

中国人旅行客が殺到してました…。

 

 

「チャル・ミナール」

入り組んだ住宅街の中にこじんまり佇むのが「チャル・ミナール」。

築およそ200年のこの建物はかつて傍にあった神学校の門番小屋だったらしく、

重要な役割を担う場所ではなかったみたいです。

 

しかし、ブハラでは珍しくインドの建築様式の影響下にあり

そびえる青い4つの塔が特徴的。

中はお土産屋さんになっていました。

 

 

「ボロハウス・モスク」

アルク(城)のすぐにあるこちら「ボロハウス・モスク」。

王族が祈りを捧げとき専用のモスクであったそうです。

 

外側の柱に石ではなくクルミの木を使っていたり、

砂漠の地域にも関わらず目の前に大きな池があったりと、

王族ならではの特別配慮がちりばめられていました。

 

 

「タキバザール」

小さなドームが集合して、モコモコと丸い屋根が特徴の「タキバザール」。

数百年間前から市場としてあちこちに点在していたそうですが、

旧市街には3つのバザールが現存しています。

 

その名の通り今もバザールとしての役目を果たしています。

すべてお土産屋さんで、

民族衣装、絨毯、ナイフ、スパイスなどなど

まさにシルクロードを彷彿とさせるアイテムがそろっており

貧乏旅をしている身でもついつい買い物したい気分になってしまいます。

 

 

まだまだこれだけでなく、

大きなものから小さなものまで歴史を語る貴重な建築物が

ずらっと揃っている“ブハラ”の街。

しかもその多くは旧市街中心地に密集しているので

1日もあればひと通りまわれてしまいます。

 

 

自転車で移動すれば上海からたったの3カ月。

中央アジアへのご旅行をお考えの方はぜひお立寄りください!

 

 

 

ビザをもらいに

2018.09.14

【114日目 4,672km】

 

豪華絢爛なサマルカンドでのんびりと観光を楽しむこと3日間。

すっかり疲れも癒えてまた次の目的地を目指します。

 

 

山がほとんどなく、とにかく平坦な道が続くウズベキスタン。

 

この日、100kmあまりを走り

夕方たどり着いた小さな町でお腹を満たすべく

レストランはないかと通りすがりの人に尋ねたところ、

指された方には看板も何もない倉庫のような建物がありました。

 

 

こんなところで食事が出るのかと疑いながらも中に入ると、

いくつかのテーブルが並び奥にはキッチンもありました。

メニューなんてものもなく、適当に食べれるものちょうだいと注文します。

 

出されたスープを食べていると、

「どうせ泊まるとこもないんだろうから、ここで寝てけよ。」

と優しく声をかけてくれるマスター。

 

食べ終えて案内されたのは隣の部屋で、モノが雑多に置かれた倉庫です。

ネズミがごそごそ走り回る音を聞きながら、

年季の入ったベッドで朝までゆっくり寝かせてもらいました。

 

ついに頼んですらないのに寝床を提供してもらえるようになりました。

新しい場所にたどり着くたびに、恩を受け取るばかりです。

 

 

 

さらに2日かけて目的地の“ブハラ”にたどり着きました。

暑いなか走り続けたことが祟ったのか、

到着と同時に熱が出て寝込んでしまう始末。

確実に体力を奪われているのを感じます。

 

 

しっかり休んでから、

いざ“サマルカンド”と並ぶシルクロードの要所を観光したいところでしたが

実はその前に、首都“タシケント”に戻って申請中の隣国トルクメニスタンの

ビザを受け取るという重要ミッションをこなさなければなりません。

 

自転車では時間が掛かりすぎるので、ここは列車を使っての移動です。

早速タシケントに向かおうと駅に着けば

そこには新幹線のように先のとんがった立派な電車が!

と興奮したのですが、実際乗るのは奥の普通の電車でした。

 

がっかりしたのも束の間で、内装は意外としっかりしていて

個室にはクッションやら新聞やらバッチリおもてなしモードでした。

(上級座席しか残ってなかったので…)

 

乗り慣れぬ電車に揺られ、夜にはタシケント到着。

計6日間かけてやってきた道をわずか6時間ほどで戻ってしまいました。

 

 

明くる日、トルクメニスタン大使館に向かいます。

移動で疲れていることもありのんびり休みたいところですが

この日は早起きする必要があります。

開館時間は9時なのですが、

早朝6時に門の前に置かれる紙に自分の名前を書いて

順番を予約する必要があるのです。

 

予約せず9時に向かうと

こんなにもたくさんの人だかり↓の中で待たされた挙句、

運が悪ければ「今日はもうビザ処理やんなーい!」と相手にされないこともあるとか。

変なルールだ。

6時10分に到着して名前を書くと順番はすでに10番目!

皆さん予想以上に早いです。

 

改めて9時に向かうと予約していたこともありすんなり中に入れました。

そして、簡単な書類記入とビザ代55ドルを支払うと

無事にトルクメニスタンビザ取得です!

 

世界を飛びまわる旅人たちのなかでもビザ取得には骨が折れると評判の中央アジア。

これでひと通り取得完了です。

 

あとは安全に自転車で通過するのみ!

 

 

 

青の都

2018.09.10

【107日目 4,398km】

 

トルクメニスタンのビザ申請を終え、

首都タシケントを後に再び南に向けて進んでいきます。

 

道を進んでいると声を掛けてきたのは路上のメロン商人たち。

カザフスタンではスイカを売る人たちに助けられましたが、今度はメロンです。

自転車を停めるなり、おじさんたちは切り出したメロンを差し出してくれました。

 

中央アジアではラグビーボールのような楕円形をしたメロンが主流。

荒涼とした大地が広がるウズベキスタンで獲れるメロンは、

昼夜の温度差が大きいことで果肉に甘みがギュッと凝縮されるそうです。

 

噂に違わぬその美味しさに大満足し、

差し出されるまま山ほどいただきました。ごちそうさまでした。

さらに、去り際には2玉タダでくれるという大サービス。

走行に影響が出るほどずっしり重いメロンをたずさえて、再び走り出します。

 

 

安定した舗装路を進み、途中の小さな町で休みをとりながら進むこと3日。

いくつもの丘を越え、次なる目的地にたどり着きました。

 

 

街の名前は“サマルカンド”。

ここはウズベキスタン随一の観光地でもあります。

 

街の真ん中に佇むのが見どころの一つである“レギスタン広場”。

“マドラサ”と呼ばれる神学校として500~400年前に建てられ、

破損と修復を繰り返しながら現在のかたちに至るのだそう。

 

かつては交易の要所として栄えたサマルカンドの経済的中心地であり

バザールが開かれる場所でもあったそうです。

 

その豪華絢爛な外観、繊細なタイルの模様など

いかにもシルクロードの繁栄を象徴している建造物です。

細かく華やかに彩られた、煌びやかな内装。

思えば今回の旅で歴史的に重要なイスラム建築を目にするのは初めてで、

これから奥深いイスラム世界の土地に飛び込んでいくことを予感させてくれます。

 

さらに中心部から少し離れた場所にあるのが“シャーヒ・ズィンダ廟群”。

この地にイスラム教を持ち込み反映させた領主達の霊廟であり、

神殿でもあるこの場所。

やはり、豪華な装飾で華やかに彩られています。

 

これらの他にも華やかなモスクなどがそびえるサマルカンド。

文明発展に貢献した重要な文化交差路として世界遺産にも登録されているこの街は

装飾の鮮やかなブルーのタイルと透き通るような青空から、

“青の都”とも呼ばれています。

 

最近観光地としてますます人気が増しているそうで、

日本人旅行者の方とも沢山お会いしました。

 

 

カラフルにライトアップされる夜のレギスタン広場。

 

 

夜の宿で道中貰ったメロンを食べることを楽しみにしてました。

しかし、自転車にしっかりくくり付けていたはずのメロンが

到着する前どこかでコロリと落下して無くなってたんです。

 

またどこかで貰えますように!

 

 

 

4ヵ国目ウズベキスタン

2018.09.5

【101日目 4,059km】

 

カザフスタン最後の都市“シムケント”を発って

100kmあまり南にある国境ゲートを目指します。

 

 

連日100km以上に及ぶ距離を走ってきましたが、

あまり景色に代わり映えはなくとにかく目の前に広がるのは何もない荒野。

綺麗な舗装路を快調に走れるのはいいですがちょっと退屈…。

 

 

早朝に出発し、お昼過ぎにはカザフスタン~ウズベキスタン国境に到着。

 

 

沢山の車が行列をなしており、この後ろに並ぶのかと嫌な予感がします。

先に進んでみると、係員が「自転車はコッチ!」と別の道を案内してくれました。

列に巻き込まれなくていいんだとホッとしたのも束の間、

係員が指さした先には数え切れないほどの人たちが!

 

そこは徒歩で国境を超える人専用の道でした。

2m幅ほどの通用口になだれ込む人々はもはや列をなしておらず、

我先にと群衆に身を投じなければ先には進めない状況。

 

「でっかい荷物と自転車あるし、通れるワケないじゃん!」と訴えても、

係員には「いやいや、君もここから通過してね。」と言われるばかり。

自転車携えて通勤ラッシュの電車に乗り込むようなもんです。

 

 

覚悟を決めて人だかりに飛び込むと、身体も自転車も揉みくちゃにされました。

ブーブー文句を言われながら、ジロジロ睨まれながらかろうじて進んでいきます。

 

カザフスタン出国審査からのウズベキスタン入国審査。

そして、最後は荷物検査。

1時間強ほどかかってボロボロになりながら

何とか無事に国境を超えることができました…。

 

 

国境からわずか10kmほど進むと首都“タシケント”に到着です。

これまでの広大な荒野が嘘かと思うほどの大都会が現れました。

 

旅人の間でもウズベキスタン名物として知られるのが

かさばってしまう大量の紙幣。

1円=約70スムということで、

およそ1万円を両替すると写真の通り1万スム札が70枚にも及びます。

 

財布にもおさまらず邪魔で仕方ないですが

大量のお札をパタパタなびかせ、しばしの富豪気分を楽しみたいと思います。

 

 

今後はウズベキスタンを渡りイランに向かうわけですが、その前に立ちはだかるのが

「中央アジアの北朝鮮」の異名をとる“トルクメニスタン”。

あまり観光客に対してもオープンな国ではないですが

ここタシケントでトルクメニスタンのビザを取得しておく必要があります。

 

タシケント到着翌日の早朝、大使館へ向かうと

申請用紙に記入をして思いのほかスムーズに申請作業は終了。

あとは無事発行されるのを待つのみ。

(イランの時みたいに待たされませんように!)

 

発行までしばらく時間が掛かる様なので

自転車で次の街に向かってしまおうと思います。

 

 

ということで4ヵ国目ウズベキスタン、はじまり!!

 

 

 

キルギス脱出、再びカザフスタン

2018.09.1

【100日目 3,923km】

 

 

キルギスの首都ビシュケクに留まること3週間、

遂にイランビザが発行されました!

 

 

夏の休暇時期と被ったとはいえ、あまりに時間が掛かったので

このまま入国拒否されるのではないかという不安もよぎりましたが

無事、先へと続く道は開けました。

 

予定スケジュールよりも若干遅れているので、

荷物をまとめて早速出発です。

思わぬ長逗留に体がなまってしまったのか、踏み込むたび重く感じるペダル。

それでもなんとか進みつつ、大きな荷物を運ぶ感覚を取り戻していきます。

 

首都ビシュケクから西に向かって90kmほど、

お昼過ぎにはキルギス~カザフスタン国境にたどり着きました。

交通量の多い主要道路ということもあり混雑している様子でしたが

意外にスムーズに流れ大きなトラブルもなく難なく通過。

 

緑と青が美しい自然豊かな小国キルギス、

多くの思い出を噛みしめつつ、ここでお別れです。

 

 

およそ1か月ぶりに再入国したのはカザフスタン。

人々の表情や言葉に大きな違いがないので別の国だとは感じませんが…。

 

国境から進むこと30kmほどのところ。

この日、野宿する予定だった“メルケ”という町が予想以上に栄えており

キャンプ場所を見つけるのが難しそうなのでホテルを探すことにしました。

 

そこで、

道端のスイカ売りの青年たちにホテルがないか尋ねると、

「ここで寝てけよ。」

思わぬカタチで寝床を確保してしまいました。

 

ピラミッドのように高く積まれたスイカの山。

それらが道路脇にずらっと並んでおります。

このスイカたちを見守るため、すぐ横に毛布を敷いて当番が寝るのだそうです。

 

 

道路には車がビュンビュン走ってますが、疲れていれば気にせず爆睡できるもの。

 

ただ、中央アジア定番の果物であるスイカは大人気。

すっかり夜は更けて深夜になっても

路肩に車を止めたドライバーたちが次々に買っていきます。

 

まるまる1玉食べさせてもらいましたが

水分たっぷりのスイカはかなり甘くて美味しかったです。

 

 

夜を明かし路上のスイカ商人たちに別れを告げると、

再び西に向かって、乾いた中央アジアの大地をひたすら進みます。

 

 

この日の夕暮れにたどり着いたのは、“シャクパク・ババ”という村。

道路の両脇に100軒ほどの家が集まっただけの小さな集落でした。

 

道で遊んでいた子どもたちが

たくさんの荷物を積んだ自転車に興味を持ってくれます。

「テントを張りたいんだけど、この辺オオカミ出ないかな?」

ジェスチャーで何とか伝えると

「家の庭で寝ればいいじゃん!」と、あるお家に連れていかれました。

 

 

「このヤポーニャ(日本人)泊めたげて」と、

親に直談判してくれる頼もしい子どもたち。

 

すんなり許しをくれて、庭にベッドをこしらえてくれたのは

この家でかなり強い発言権を持っていると思しきおばあちゃん。

お父さんでもおじいちゃんでもなく、おばあちゃん。

 

空気の澄み切った星空の下、ぐっすり眠ることができました。

 

好奇心たっぷり、元気いっぱいの子どもたち。

見知らぬ外国人にも臆することなく、優しく受け入れてくれました。

 

 

道路の脇に建つモーテルでも身を休めつつ、

ビシュケクから4日間かけてたどり着いたのはカザフスタン南部の都市“シムケント”。

旅に出てからちょうど100日目でした。

 

 

そして、

すぐ近くの国境の向こうに待つのは、4カ国目ウズベキスタンです!

 

 

 

ビザが出ない…

2018.08.25

  • 【93日 3,446km】

 

当初2~3週間の滞在を予定していたキルギスですが、

気がつけば入国してから5週間目をむかえようとしています。

 

8月のはじめに首都ビシュケクに到着してすぐ

旅行代理店にてイランのビザを申請。

キルギスに駐在している担当者が休暇中らしく

発行まで10日ほどかかってしまうとのことでした。

「夏だしね。まぁ、仕方ない仕方ない。」

と大人しく待っていました。

 

標高が高いとはいえ、気温が35℃ほどにもなるキルギスの夏。

暑さと戦いつつ、

同じくビザ発行を待ちわびる日本の旅の方々と時間を過ごしました。

 

 

10日が過ぎてもビザの連絡が来ないので確認に行くと、

「もう1週間かかります。」

今度はイラン本国の担当部署が休暇に入ってしまったとのこと。

 

休暇シーズンに訪れてしまったタイミングの悪さを悔やみつつも、

こみあげてくるのは旅を進められないもどかしさ。

走行距離が伸びない日々が続きます。

旅人でありながら旅をしない、旅用語でいうところの「沈没」状態です。

 

 

ということで、何もせずムダに過ごすこともできないので

キルギス各所の観光に行ってみました。

 

 

■ブラナの塔

 

数少ないキルギスの世界遺産の一つがコチラ。

平原に立つ20mほどの塔は

1,000年ほど前に栄えた都市・ベラサグンの遺跡で

シルクロードの象徴の一つでもあるそうです。

 

 

■アニマル・マーケット

 

キルギス東部の都市・カラコルで毎週日曜日の早朝に

家畜たちの売買がおこなわれる市場。

大勢の人と家畜でいっぱいの会場は熱気とケモノの臭いに溢れています。

 

 

売られる家畜は主にヒツジ、牛、馬。

ヒツジ1頭=約6,000円

牛1頭=約80,000円

馬1頭=約120,000円

 

買われた家畜はよその土地に連れていかれるのを予感するのか、

呻き声をあげて暴れるものもいます。

 

 

■アルティン・アラシャン

カラコルの町から少し離れたところにある登山口から

15kmほどにわたるトレッキングルート。

 

ヨーロッパを中心に様々な国からやってきたハイカーたちが

大きなザックを背負って黙々と歩いています。

 

ゴツゴツとした岩場や砂利道を、

時には急斜面を登りつつ

およそ4時間に亘って進み続けました。

 

 

たどり着いた谷は“アルティン・アラシャン”。

川が流れる山間にキャンプサイトやゲストハウスが並びます。

現地語で“黄金の温泉”を意味するその名の通り

ここでの名物は温泉!

 

「ぬるい」「お湯が汚い」などの前評判もあり

あまり期待はしてなかったんですが、

貸し切りの小さな浴槽のお湯は予想に反して熱々で綺麗です。

日本を出て以来3カ月ぶりのお風呂は体の芯まで癒してくれました。

 

 

という感じで、時間を潰すように色々な場所へ行ってますが

ぼちぼちキルギスもお腹いっぱいです…。

 

いつになれば先に進めるのか。

大使館の人、ビザ早くちょうだい。

 

 

 

首都ビシュケク

2018.08.8

【76日目 3,446km】

 

 

秘境「ソンコル湖」での滞在を終え、はるか下界を目指します。

 

湖の周辺エリアは未舗装のオフロードが続きスピードもなかなか出ません。

加えて、アップダウンの多い丘によって体力が着実に奪われていきます。

 

ハンドル操作もままならない急こう配を下りつつ、

ガイドブックにも載らない小さな町で休みつつ、

3日かけて、何とか麓の町“コシュコル”に戻ってきました。

 

キルギス山間部のハイライトを終え、

首都の「ビシュケク」を目指します。

 

 

キルギス最後の目的地となるであろうビシュケクに向かって

ある山を登り、峠を越えようとしたまさにその時、

ふと男性の集団が声を掛けてきました。

 

「ヘイ、フレンド。どこに向かってるんだ?」

これまで幾度となく聞かれた質問に、さらっと答えて進もうとしたとき

意外な言葉が…。

「ちょっとインタビューさせてもらってもいいかな?」

 

実は彼ら、

キルギスで一番の人気を誇るインターネット番組(自称)の撮影クルーでした。

 

「なぜ世界を旅しているのか?」

「キルギスの感想はどうか?」

「トラブルに遭ったことはないか?」

「一番の旅の思い出は?」 …などなど

矢継ぎ早の質問を受けたあと、

ヘルメットにカメラを装着され、頭上にはドローンが飛び始めました。

イメージ映像の撮影だそうです。

 

30分ほどで突然の撮影は終了。

編集が終わって公開するときには連絡をくれるとのことでした。

(まだきてないけど…。)

思わぬ出会いがあるもんですね。

 

引き続き西へと走り、コシュコルから2日かけて辿り着いたのが

キルギスの首都「ビシュケク」。

特にこれといって見どころもない街ですが、

今後訪問予定の国のビザを取得するという重大なミッションを果たします!

 

 

滞在しているのが日本人オーナーの経営する“さくらゲストハウス”。

これまでまったく関わりのなかった日本人バックパッカーの方々とも交流。

重要な情報交換の場にもなっています。

 

 

到着翌日、ビザの申請をおこなうため旅行代理店へ行くと、

「大使館の人が夏休み入っちゃったんでビザ出るの10日後です。」

 

思い通りに進まないことなんていつものこと。

早く先に進みたくて仕方ないんですが、

この街で足止めを食らうことが決定しました。

 

 

てことで、しばらくココでのんびりしまーす!

 

 

 

 

標高3,000mの日常

2018.08.4

【70日目 3,012km】

 

“イシク・クル湖”の湖畔サイクリングを終えたあと、

キルギス西部山中の町・“コシュコル”に滞在しておりました。

 

小さな町でありながら多くの観光客が集まるコシュコル。

その目的は、町から1,000m以上登った先にある秘境「ソン・コル湖」。

多くの湖があるキルギスのなかでも、ソン・コルは高い人気を誇るそう。

コシュコルはそこを目指す人たちの拠点となっています。

 

 

さっそくソン・コル目指して走りはじめますが、

拠点のコシュコルの標高はすでに2,000m弱。

少し走っただけで息が荒くなってしまいます。

高山病の症状が出るのは3,000m付近だそうですが、

自転車で体力を使っていることもあってか、軽い前兆が現れ始めました。

 

 

 

やがて舗装路も途切れ、ときには自転車を押しつつ悪路をなんとか進んでいきます。

すると、通りすがりのワゴンが停まり

降りてきた二人組のおっちゃんが「乗っていけ!」と、

救いの手を差し伸べてくれました。

自力で登りたかったので断ったのですが、

「遠すぎる!いいから乗ってけ!」と

半ば強引に乗っけてもらうことになりました。

おかげで絶景ドライブ楽しめました。ありがとう!

 

 

たどり着いたところが標高3,016m、「ソン・コル湖」。

 

気温も一気に下がり、10℃ほどだったでしょうか。

湖畔には移動式住居“ユルト”で家畜と共に暮らす人々の姿が見えます。

 

ワゴンを降り、自転車にまたがったと同時に

地元の子供たちが大勢集まってきました。

当然英語は通じませんが、ものすごく興味を持ってくれているのは分かります。

手を引かれるままに連れていかれたのがひとつのユルト。

 

 

中に入ると、ティータイムだったようでテーブルには

チャイとパンが並んでいます。

そのまま勧められチャイをいただきました。

なぜ何の予告もなくやってきた言葉すら通じない人間を

こんなにも自然に受け入れてくれるんだろう?

 

 

テレビもマンガもない標高3,000mの日常はとにかく自然に寄り添ったものでした。

羊の群れを導いたり、馬の手入れをしたり。

牛の乳を搾ったり、犬とじゃれたり。

小さな子どもたちだって皆上手に馬を乗りこなします。

 

遊ぶばかりではなく、

食事の用意をしたり、ストーブの薪をくべたり。

羊の毛を刈ったり、肉を捌いたり。

家族みんなで生活のための仕事をこなしていくのがここのスタイル。

 

 

 

そんななか、娯楽はもっぱらトランプ。

日が沈み夜が更けても、懐中電灯のもとみんなでカードに興じます。

ちょっとまぜてもらいましたが(無理やりやらされただけ…)

ルールが全くわかりません。

 

そのまま晩御飯もご馳走になり、ユルトの中でぐっすり寝させてもらいました。

観光用のユルトでくつろぐ予定が、思わぬかたちで現地住民の方との交流の機会に。

ゆったりと良い時間が過ごせました。

 

 

“バカイさん”一家、ありがとう!

お邪魔しました!!

 

 

 

湖沿いを行く

2018.07.31

【67日目 2,918km】

 

国境を通過した後、

引き続きベルギー人サイクリスト“ヤン”と共に

キルギスの首都・ビシュケクの方面へ向けて西に走ります。

 

 

山中の道は舗装されておらず、砂利の上をガタガタいわせながら進んでいきます。

スムーズには走れませんが、

青々とした山を遠目に眺めつつ、草を食む馬たちの横を通り過ぎるのは

なかなか乙なモノ。

 

しかし、のんびり走っていると時に遠くから大きな鳴き声が!

唸り声とともに草原を駆けこちらに猛ダッシュしてくるのは民家の番犬です。

牙をひんむいて自転車のすぐ後ろまで迫ってくるのはスリル満点。

ただの“のどかなサイクリング”では終わらせてくれません…。

 

 

 

東部の都市・カラコルではこの旅はじめての教会を見に行きました。

100年以上の歴史を誇る、珍しい木造の教会です。

国民の多数がイスラム教徒であるキルギスにおいて

教会という建物自体、決して数は多くないようですが。

火事になったらよく燃えそうですけど大丈夫なんでしょうか?

 

キルギスの地図のなかで、

圧倒的な存在感をあらわしているのが“イシク・クル湖”。

東西の幅は約180kmにも及びなんと琵琶湖の9倍もの面積を誇ります。

浜辺に立つと、まるで大海を目の前にしているかのようでした。

この湖に沿ってひたすらペダルを漕ぎます。

 

 

途中に現れたのが、うねる様な大地の起伏が美しい“フェアリーテイル・キャニオン”。

波のような地面の浮き沈みと、様々な色に彩られた地層が

その名の通り“フェアリーテイル(おとぎ話)”の世界を演出しています。

カザフスタンのチャリン・キャニオンとはまた違う地球の芸術でした。

 

ここで、南に向かって山に登っていくヤンさんとはお別れ。

 

再び一人ぼっちになり、湖の西端の小さな村・オットゥクの浜辺で

テントを張ろうかと準備していたその時、ある親子が声をかけてきました。

「風が強くてキャンプ大変だろうから、家へおいで。」

 

家に着くなり、パンとチャイでもてなしてくれました。

日本が大好きな娘の“アクニエトちゃん”は

18歳になったら東京に留学するのが夢だそう。

単語を覚えたり、ひらがなを書く練習をしたり

楽しそうに外国の言葉を勉強するする姿が印象的でした。

 

仲良く食事の準備をするマナトさん親子。

裏庭のニワトリが産んだばかりの卵を使った目玉焼きは最高でした。

 

夢に向かってガンバレ!

日本で会いましょー!!

 

 

3か国目“キルギス”

2018.07.27

【62日目 2,734km】

 

カナートさん一家にお世話になった後、

南に向かってたどり着いたのはカザフスタン最後の町“ケゲン”。

 

旅をしていると新たな出会いがとどまることなくやってきます。

夜中、滞在していた古いホテルの隣室にやってきたのはベルギー人のサイクリスト。

そして彼の開口一番は、

「君が自転車で世界を旅している日本人かい?」

 

聞けば来る途中に別の旅人から

このあたりを走っている日本人がいるという噂を耳にしたそうです。

恐るべし旅人ネットワーク。

 

元・写真家で教師でもある“ヤンさん”は

連休のたびに自転車で外国をまわっているそう。

50ヵ国以上を訪れた生粋の旅人です。

向かう先が同じく南のキルギスということで一緒に走ることに。

 

 

翌朝、国境に向かって走りはじめます。

すれ違うのは人よりも動物の方が圧倒的に多いという

のどかな草原を進んでいきました。

 

 

静かな1本道の向こうに見えてきた小さなゲート。

カザフスタン~キルギスの国境です。

緊張感のようなものは全くなく、

ちょっとお喋りしたのち、荷物の中身を簡単に(適当に)見られて

あっさり出国および入国審査は終了しました。

 

振り返って写真を撮ろうとしたのですが制止されちゃいました。

そこはちゃんとしてます…。

 

カザフスタンにはほんの1週間ほどの滞在で、

あっという間に3か国目の“キルギス”にやってきました。

国境を越えたとはいえど、

広がる風景は相変わらず延々と続く草原で、

違う国にやってきた実感はあまり沸きません。

 

 

数十kmおきに現れる小さな村で休憩をはさみつつ、

夕方にたどり着いたのが警察の検問所。

外国人サイクリストは対象外で、

地元のドライバーを取り締まっているようです。

 

雲行きも怪しくなってきており

このあたりにテントを張れるところがないか聞いていたまさにその時、

土砂降りの大雨が降りはじめ、さらに雹(ひょう)も降りだしました。

一瞬のうちに天気が変わってしまう山間部ならではの気候です。

 

困ったときに頼りになるのはやはり警察。

「検問所に泊まってきな。」と、優しい一言をくれました。

“検問所”なんて聞こえはいいですが、

実際は道ばたに置かれたトラックの荷台でしたけども…。

 

 

 

雨雲も過ぎ去り、無事に夜を明かすことができました。

これからも色んなかたちで警察にお世話になるんだろうな。

 

 

 

田舎に泊まろう

2018.07.23

【58日目 2,639km】

 

 

チャリンキャニオンの谷底で目を覚ました朝、

まったく予想していなかった雨に降られてしばし足止めを食らいました。

 

覆っていた雲に青い切れ間が見え、雨が止みはじめたのが昼の12:00頃。

急な坂道を必死に踏ん張り、重い荷物を積んだ自転車を

何とかキャニオンの上まで持ち上げました。

 

だだっ広い荒野のど真ん中に横たわるチャリンキャニオンから

5kmほど走ったところに久々の舗装路が見えます。

 

そして、西へ向かうステファンさんともお別れ。

またどこかの国で会えることを祈りつつ

出会って1週間余り共に走ってきた旅仲間を見送りました。

 

依然広がり続ける荒野を進むと、

遠く山の麓にかすかに村が見えてきました。

雨のせいで出発が遅れたこともあり予定していた山越えが難しそうなので

この村で1泊していくことに。

 

たどり着いた村の名前は“アクサイ”。

とりあえず入った食堂で宿はあるか尋ねると

村には民家しかなく宿泊施設はないとのこと。

確かにどうみても観光で人がやってくるような所には見えませんでした。

歩いて回れるほどの村を自転車でぶらついてみることにします。

 

とある民家の前を横切るとじっとコチラを見てくる親子。

何だか興味を持ってくれているようだったので

庭先でテントを張ってもいいか身振りで必死にお願いすると、即OKが!

 

早速、こじんまりとした小さなお家の横にテントを張らせてもらいました。

しっかり柵で囲われておりオオカミに骨までしゃぶられる心配もなさそうです。

 

しばらくして落ち着くと、

「お腹はすいてないかい?」と差し出されたパン。

家の牛から絞った牛乳でつくったチャイと一緒に食べると

疲れていることもあってか、シンプルながら豪華料理の様に感じます。

 

ここアクサイは家畜と共に暮らす人々の静かな村。

夕方になると子供たちも協力して馬や牛、羊たちを柵の中に連れ戻します。

そして、日が暮れるまで動物とじゃれ合ったり追いかけっこをしたり。

 

 

夜になると裸電球の下、家族みんなと食卓を囲んでのんびり食事をしました。

 

食後に「シャワー浴びといで」と案内された先には

火がゴウゴウを燃え盛る窯の備わったロウリュウ(北欧式サウナ)。

蒸し暑い部屋の中で汗と一緒に疲れも吹き飛ばしてくれます。

 

子供たちは自転車やテントに興味津々。

言葉が理解できないなかでも身振り手振りで何とか互いの意思を伝え合います。

 

ふらっと立ち寄っただけの旅人を

心優しく受け入れ、もてなしてくれたカナートさん一家。

 

こんなに優しさに溢れた人たちがいるなら

どこまでだって旅をしていけそうです。

 

穏やかで素敵なひと時をありがとう!

 

 

 

ミニ・グランドキャニオン

2018.07.20

【57日目 2,596km】

 

無事カザフスタンに入国して、いよいよ2カ国目の走行開始です。

といってもすぐに南下して次の“キルギス”に向かうので、

とりあえずの滞在期間は1週間ほど。

キルギスを走った後で再入国する予定です。

 

中国の終盤戦が過酷だったことを言い訳に

カザフスタンに対する予習を全くしていませんでした。

通貨は“T(テンゲ)”。こんにちわは“サラム”。

基本情報をその場その場で調べつつ勢い任せに走りはじめます!

 

国境の町“ジャルケント”を抜けると建物の少ない荒野が広がります。

ロシア語に代表される「キリル文字」で書かれた看板を見れば、

間違いなくここは東アジアとは違う文化圏。

 

大地と空のほかに何も見えない道をひたすら数十km進んでいきます。

時折あらわれる道端の露店で

トラックのドライバーたちにケバブをごちそうになったり、

スイカ売りのおっちゃんにスイカを丸ごともらったり。

透明な瞳がどことなく冷淡なイメージを与えるカザフスタンの人々ですが、

訪れた外国人をやさしく受け入れてくれる心を感じました。

 

 

そして、90kmほど進んだ“チュンジャ”という小さな町で

中国で分かれたステファンさんと再合流することに。

 

二人ともこの先の目的地でそれぞれキャンプをする予定だったんですが、

事前に現地の人から、

「この地域ではオオカミが出るので一人でキャンプをしないように!」

との警告を受けていました。

オオカミなんて日本人には馴染みがないですが

ロシアや周辺国では死亡例も数多く出ているほど危険な動物です。

ということで、連絡を取って落ち合ったホテルでこの日は宿泊。

 

 

翌日、チュンジャの町からさらに荒野のど真ん中に突き進んでいきます。

緑も徐々に減っていき、ほとんど砂漠地帯のなか

オフロードに苦戦しながらも走り続けました。

 

 

そして、周囲数十kmに渡って何もない広大な荒野の中に

突如現れたのがこの日の目的地「チャリンキャニオン」。

チャリン川が削りだした渓谷は

“カザフスタンのグランドキャニオン”の異名を持ちます。

 

本家アメリカのグランドキャニオンのスケールには及びませんが

日に照らされた赤土の崖は圧巻の風景です。

カザフスタンからはもちろん、

アメリカやヨーロッパなどからも観光客が来ていました。

 

ちなみに1日目に上海で出会って以来、日本人には1人も会ってないです…。

別にいいんですけどね。…寂しいワケじゃないですし。

「お寿司食べたいね」とか、「W杯良かったね」とか話せたらいいですけども。

まあ、別にいいんですけどね…。

 

 

ぐるっと回ってくれば谷底に降りられるようになっています。

底から崖を見上げるのもなかなか素晴らしい景色。

 

 

谷底を流れるチャリン川のほとりには簡単なアウトドア設備が整っており

この日はここで1泊。

 

オオカミも現れることなく、

大自然に囲まれた静かな夜を過ごしました。

 

 

バイバイ中国

2018.07.18

【55日目 2,448km】

 

西の果ての町・霍尔果斯(コルガス)。

この町にある国境線を超えればいよいよカザフスタン入国です。

 

滞在していたホテルからほんの1km進めば国境なのですが、

ここもなんだかややこしいみたいで…。

 

前日にカザフスタンに入国したステファンさん曰く、

自転車で突入しても門前払いを食らうだけ。

町のバスターミナルから出ているバスに乗らないと

出国の手続きをしてくれないそうです。

 

過去には自転車で越境した人も沢山いるみたいですが、

事情がコロコロ変わってこちら思い通りにいかないあたりは最後まで中国。

 

 

ということで自転車を載せて国境を超えるバスに乗車。

満員のバスの乗客は瞳の色が透明がかったカザフスタン人が大半を占めています。

 

国境に着くと、空港の荷物検査や出入国審査と同じ要領で進んでいきます。

中国側の出国審査はスマホの中のデータをじろじろ見られたくらいで

思いのほかスムーズに完了。

 

そのままバスに乗ってカザフスタンの入国審査。

こちらも特に何も聞かれることなくさらっと完了。

 

・荷物を全部ひっくり返される

・パソコンやカメラのデータを全部見られる などなど

やっかいそうな前評判を聞いていたコルガスの国境ですが

本当に拍子抜けするほど順調に進みました。

 

国境を越えたバスはそのまま30kmほど進み、“ジャルケント”という小さな町に到着。

とりあえずここのホテルでゆっくりします。

 

 

 

記念すべきカザフスタン第一回目の食事はウイグル地区にもありました「ラグマン」。

茹でた麺にトマトと牛肉(もしくは羊肉)ベースの炒め物が乗っかっています。

非常に食べやすく日本人なら誰もが好むであろう一品。

中国生まれ、中央アジア育ちのようです。

 

 

 

これといった見どころのない田舎町をぶらつくと、

ごちゃごちゃと乱立したビルや13億人のかもし出す活気はなく

ここはもうすでに中国ではないことを実感。

 

 

ついにアジアの大国・中国の旅を終えました。

鉄道を利用してではありましたが振り返ってみれば長い道のり。

世界地図を見ても、東西の幅でいうと

広大なユーラシア大陸の3分の1ほど占めているのではないでしょうか。

 

たくさんのトラブルをもたらし、たくさんのトラブルから救ってくれた中国の人たち。

一カ国目にして、旅の大変さと楽しさを同時に教えてくれました。

 

まだまだ最高の出会いを求めて、旅は続きます!

 

てことで、

バイバイ中国!!

 

 

 

山を越え、国境の町へ

2018.07.14

【53日目 2,446km】

 

乾いた土壌に高いビルが連なっていた新疆ウイグルの土地も

西に進むにつれて街は減っていき、そこには何もない荒野が広がっています。

 

 

 

カザフスタンへ向け真っすぐ伸びる道路に並行して

東西を貫くようにそびえるのは、

7,000m超のポベーダ山を含む広大な群山“天山山脈”。

 

ここ数日間、どこまでいっても続く山々を左手に見ながら走っています。

延々とつづく壮大な自然の景色はまさに大陸ならでは。

 

そして、中国~カザフスタンの国境を通過するためには

この天山山脈を超える必要があります。

 

 

真夜中に公安に連れられたどり着いたホテルで1日休んだのち、

中国人チェンくん、イギリス人ステファンさんと一緒に

2日間かけての山越えに挑みます。

 

泊まっていた町“精河”の標高は約350mほど。

そこから出発して目指す峠の頂上はなんと標高約2,000m。

西へ130km進むと同時に、1,700mも登っていかなければなりません。

そして、この日の予想気温は40℃近くまで上がる見込み。

中国最後にして最大の難関が立ちはだかります。

 

1日目に頂上の盆地に到着して、2日目は下るだけというプラン。

9時ごろに出発し、午前中は順調な走り出し。

意外に勾配は緩やかでスムーズに進んでいきました。

 

しかし、70kmほど走りお昼を済ませた2時頃から一気に余裕はなくなります。

目の前にはどこまでも続く果ての見えない上り坂。

村や集落はとっくに見えなくなり、周りにはとてつもなく広い荒野と山々。

 

照り付ける太陽から隠れる陰なんてあるわけがなく、

体力は少しづつ奪われていきます。

気温が上がっても乾燥しているのでほとんど汗はかかず、

肌の表面には塩田のように乾いた塩分が浮かびあがってきました。

 

砂漠みたいに建物が何もない空間にいると距離感がなくなるのか

漕いでも漕いでも進んだ気がせず精神力も奪われていきます。

 

そんななか突如ぽつんと現れた建物。

どうやら食堂のようで、ここで休憩しました。

こんなに水をありがたいと思ったことはないというほど美味しかった。

オアシスってこういうことです。

でも周囲10km以上何もなかったけど、お店の人どんな生活を送ってるんだろう。

 

徐々に日は暮れて少しずつ涼しくなってきました。

道路わきでお菓子をつまんだり、袋ラーメンをそのままバリバリ食べたり、

疲れ果ててしまいそうな中、何とか体力をつなぎ留めます。

 

この坂を超えれば頂上かと期待するたびに

その先には上り坂があって何度も心をくじかれましたが、

日没直後の22:30頃、燃え尽きそうな状態で頂上の盆地に到着しました。

 

 

この盆地には“賽里木(サリム)湖”という湖がありホテルの建つ観光地にもなっています。

湖のニックネームは「大西洋が流した最後の一滴の涙」。…素敵。

でもこの時の写真はありません。

 

夕暮れに染まる湖だったり、放牧中のラクダの赤ちゃんだったり

ぜひ写真に撮ってここに載せるべき景色は沢山あったんですが

カメラを取り出す体力すらなかったんです。

本当に疲れたら、そんなもんなんです!

 

 

ホテルで1泊したのち、翌日は山の反対側に下っていくだけ。

お昼頃にのんびり出発し、湖畔のサイクリングを満喫しました。

 

山脈の北側から南へ超えると、

これまでの乾いた土地が嘘のように青々とした景色に変わります。

連なる山々を縫うように敷設された道路はまさに天空の道。

絶景の中を颯爽を下っていけば、前日の苦労が一気に報われました。

 

 

山を下って平坦な道を50kmほど進むと国境の町・霍尔果斯(コルガス)。

故郷の町へかえるチェンくん、先にカザフスタンへと入国するステファンさん

二人ともお別れ。

 

 

新疆ウイグル自治区に入ってからいっきに過酷な自転車旅になりましたが、

見計らったかのように新しい出会いが待っていてくれました。

しんどい時も誰かが支えてくれれば思ったよりも頑張れるもの。

 

この調子で進んでいきます!

 

 

 

最長記録

2018.07.12

【50日目 2,208km】

 

不安定な情勢ゆえの公安による厳しい取り締まり。

新疆ウイグル自治区の“ルール”に翻弄される日々が続いています。

 

 

いちおう中国では自転車は高速道路を走ってもいいようで、

ここしばらく無料で料金所を抜け

無数のバスやトラックに追い抜かれながら進んでいます。

路肩の幅も広いので、わりとゆったり走れるんです。

 

 

日本と同じように数kmごとにサービスエリアが設けられており、

この日もお昼頃に休憩に立ち寄りました。

 

休んでからさぁ出発しようと自転車のところへ戻るとそこには

旅の荷物を積んだ二人のサイクリストが居ました!

 

国境付近の町に帰る中国人チェンくんと

故郷のスコットランドまで自転車で旅をするステファンさん。

向かう方向はみな同じということで一緒に走ることに。

 

のんびり話しながら、ときに休みながら数時間走りました。

19:00には目的地である“托托”という町に到着。

 

 

 

のんびり休もうと思った矢先、この日はこれからが長かった…。

 

高速を降りるため料金所を通過するとそのすぐ先には

例によって公安の検問が待ち構えています。

 

3人そろって進んでいくと、通過できたのは中国人のチェンくんだけ。

保安上、僕たち外国人2人はこの街には入れないとのこと。

検問を通過できなければ高速に戻るしかありません。

つまり、高速道路に閉じ込められた状態。

 

この日はすでに10時間、120kmを走りぬいた後で疲れは溜まってます。

聞いてみると次に外国人が立ち入れるのは60km先の町。

「今日はお疲れさん!」って気分だったのにこれはしんどい。

 

どうするべきか悩みつつも進むしかないので重い足でペダルを漕ぎだします。

当然、昼間と同じペースで進むことはできずダラダラと走ってしまいました。

 

途中、インスタントラーメンを食べたり、

「宿が高い!」と再合流したチェンくんのタイヤがパンクしたりと

予想以上に時間が掛かり、

外国人が滞在できる町“精河”に着いたのは

すっかり日付も変わった真夜中0時過ぎのこと。

 

高速を降りた先には当然のように公安の検問がありましたが、

何とか通過できることに。

しかし宿泊先は公安の指定するホテルで、

そこに着くまではパトカーの誘導のもと全員揃って移動する

という条件付きでした。

 

日をまたぐ大移動の結果、

走行時間15時間、移動距離180kmという最長記録をみごとに樹立。

 

 

色んなことが思い通りにならない場所ですが、

これも旅の醍醐味だと自分をなだめながら眠りに落ちました。

 

ホントに疲れた…。

 

 

 

身柄拘束、そして移送

2018.07.10

【48日目 1,917km】

 

烏魯木斉(ウルムチ)を出発し、

隣国・カザフスタンを目指してさらに西へ向かいます。

 

街を出てからの道のりは内陸の乾いた荒野の風景をイメージしていたんですが

実際は、ところどころ建物が途切れるものの立派な都市空間が続いていました。

 

走行していると横からはみ出してくる羊たち。

(羊ですよね? ヤギじゃないですよね?)

 

 

鉄道に乗ってやってきたウルムチをはじめとする“新疆ウイグル自治区”ですが、

民族間の歴史的な遺恨があり、

数年前には死者を伴う暴動やテロ事件も発生している地域です。

 

今でも厳戒態勢は続いているようで、

それを象徴するのが街のあちこちで市民を監視する公安(警察)の姿。

スーパの入り口、ガソリンスタンド、バス停、交差点…など、

いたる所に立っています。

 

 

自転車で走っていても市や町をまたぐ位置に検問が設けられていて

トラックのドライバーたちと一緒にセキュリティチェックを受けました。

 

パスポートを渡すと、通行の目的や行き先などの質問に答えて5分ほどで終了。

一回目の検問は少しドキドキでしたが問題なく通過できました。

悪いことしてるワケじゃないんだし、特に構える必要もないはず。

 

そして、しばらく走ってお昼頃に2回目の検問所に到着しました。

今度は余裕しゃくしゃくでリラックスして臨みます。

 

簡単な質問をされパスポートをじろじろ見られた後に言われたのが

「ちょっとこちらへ来てもらえますか」。

あれ、さっきと様子が違う。

椅子だけが置かれた真っ白な部屋に通されました。

 

すると、「水を飲みますか?」とコップを渡され一人ぼっちにされます。

何か取り調べられるんだろうか?

次は牛丼が出てくるんだろうか?

ソワソワして待っていると再び現れた警官が一言、

「あなたをこの先の検問所まで車で連れていきます」。

 

 

まったく何の説明もないままコトが進むのでびっくりでしたが、

言われるがままパトカーに自転車を積むと、

そのまま若い二人の警察と一緒に出発しちゃいました。

 

 

50kmほど進んで次の検問所に着くと、

自転車を降ろして二人の警察はどこかに行ってしまいます。

そのままキョロキョロしても誰も来ないので、

何事もなかったように再び走りはじめました。

 

 

急に連れてかれて急に置いてかれるという謎の展開。

しかも公安たちは互いに中国語で話すばっかりで誰もこちらには

いきさつを伝えてくれませんでした。

 

自分たちの管轄内でトラブルに遭ってほしくないのか。

外国人に変にうろちょろしてほしくないのか。

理由は不明ですが、先へ進めてくれたので良しとします!

 

 

ドライバーになってくれた若い警官も運転ありがたいんだけど

爆音でBGM流して、スマホいじりながら、タバコ吸いながら

運転するのはヤメて。

 

いざ、シルクロードへ

2018.07.8

【46日目 1,812km】

 

中国内陸の大都市、“西安”でしばしゆっくり過ごしたのち

遂に、はるか西の果て“ウルムチ”まで向かう日がやってきました。

 

 

こうして見ると自転車を漕いだ距離なんてほんのわずかだと情けなくなりますが

予定通り旅を進めるためには仕方がありません。

鉄道に乗っての大移動です!

 

中国の鉄道には荷物を一緒に輸送してくれるサービスがあるので

カバンをずた袋に詰め込んで、愛車とも束の間のお別れ。

 

 

ここから、ちょっとしたトラブルというか勘違いがありまして…。

 

出発前日に駅で切符を購入したんですが、

売り場のお姉さん曰く「夜8時に出て翌朝7時には着くよ」とのことだったんです。

だったんです!

 

2,500kmという日本列島縦断ほどの長い距離もわずか半日で着くなんて、

「中国の鉄道も意外と発展してるんだね、どんなスーパー新幹線だろう?」

と思ってホームに降り立つとそこにはごく普通の電車。

 

まぁ、動き出すと猛スピードで加速するに違いないと予想しつつ

いざ出発するといつまでたってもトコトコトコトコ…。

「ありゃ?」と思って隣の人に筆談で聞くと

「到着は明後日の朝7時だよ。」とのこと。

 

この瞬間、乗車予定が24時間延長されました。

いやいや怪しいとは思ってたんです、

だって調べたら30時間くらい掛かるってネットにも書いてあったし。

 

でもお姉さんが翌朝着くっていうから、

それを信じて食料も持ち込まず軽やかなステップで跳び乗ったらこの始末。

ブーブー言っても仕方ないので割高な車内販売で食いつなぎつつ

寝心地の悪い通常座席で2つの晩を越してなんとか到着しました。

 

 

 

やってきたのが新疆ウイグル自治区・烏魯木斉(ウルムチ)。

イスラム教徒であるウイグル族が大勢暮らす都市です。

一番近い海からも2,300km離れているウルムチは

“世界で最も海が遠い都市”だそう。

 

砂漠の中の伝統を色濃く残した街並みを想像してましたが、

以外にも高層ビルの立ち並ぶ大都会。

漢民族の流入もあってか、かなり発展している様子です。

 

これまでの都市と比べても大きな違いはないかと思いきや、

街を歩けば、看板には今回の旅ではじめてアラビア語が現れました。

道行く人の顔立ちも目や鼻がくっきりした中東系のルックス。

 

観光スポットでもある「新疆国際大バザール」には

香辛料や民族衣装、伝統楽器のお店がずらっと並び

中華と中東文化の分岐点の街であることに気づきます。

 

中国各所で味わえる羊肉のケバブもこのウイグル地区が本場。

臭みはほとんどなく香辛料がしっかり効いた熱々のお肉はホントに絶品です!

 

 

ユーラシア大陸を横切るシルクロード。

その東の端は西安ですが、このウルムチにやってくると

いよいよ目の前に歴史を築いた“悠久の道”が広がっていることを実感します。

この旅もさらに興奮に溢れたものになっていくはず!

 

ここから目指すは西の端、“イタリア・ローマ”。

いざ、シルクロードへ!

 

 

西安到着!

2018.07.1

【42日目 1792.4km】

 

霊峰・崋山から黄河に沿ってなだらかな道を走ること130km、

ついに中国内陸の大都市「西安」に到着しました!

 

上海に上陸してから6週間ほど、

ウォーミングアップをしつつ観光も楽しみつつ

予想以上に時間とお金を注いでしまいましたが、

とりあえず第一の目的地にたどり着くことができました。

 

 

以前も触れたのですが、

2カ月のビザ猶予期間中に中国を横切ることは難しいので

この都市から新疆ウイグル自治区・烏魯木斉(ウルムチ)まで鉄道で移動する予定です。

 

 

 

さてこの西安ですが、

こないだ寄った“洛陽”と同じように古代から都が置かれてきた場所とあって

多数の歴史遺跡を有する、中国でも指折りの観光都市となっています。

 

 

<大雁塔>

市内中心部から真っすぐ南下したところにそびえたつ石でできた塔。

実はこの西安で最も古い建造物は、かの有名な玄奘(三蔵法師)が

インドから持ち帰った経典を保存するために建立されたものなんです。

 

当時主流だった木造建築では火災の可能性があるから政府にお願いして

石で作ってもらったんだとか。

それでも、一回燃えちゃってるらしいです…。

 

 

<青龍寺>

見た目は普通のお寺なんですが、

日本文化にも大きな関わりがある場所です。

 

唐の時代に日本からやってきた空海が教えを受けたのがこの青龍寺。

1000年以上も前に瀬戸内海を抜け、東シナ海を渡ってここまでやってきた空海。

つまり旅の大先輩でもあります。

 

空海が切り開いた“四国霊場八十八箇所”の第0番札所でもあるそうで。

旅立ち前の巡礼を思い出して参拝してきました。

 

 

<兵馬俑>

西安観光のハイライトになっているのが有名な“兵馬俑”。

秦の始皇帝を埋葬する際の弔いとしてつくられたもので、

始皇帝の軍団を模しているそうです。

 

何千という数も圧巻ですが、紀元前200年ほどの昔に

これだけ精巧なものをつくる技術があったことに驚きです。

現在でも解明されていない技術も用いられていたそう。

 

1974年に井戸を掘っていた農夫さんがたまたま兵馬俑の破片を見つけ、

それをきっかけに研究が始まり、そのままドームをかぶせて博物館にしてしまっています。

そして、破片を見つけた農夫さんは現在博物館の名誉館長に!

掘ってみるもんですね。

 

ドーム内では今でも発掘作業や壊れた個体の修復作業が行われていますが、

まだ全体の1/10しか発掘されていないという話もあるとか。

 

 

こちら市内にある“回民街”というイスラム街で食べた「びゃんびゃん面」。

太いしっかりとした麺が特徴的でかなり美味。

びゃんびゃんの「びゃん」の字はこれまでに見たこともないほど

画数が多くて(58画)、変換もできないので

気になる人はぜひ検索してみてください。

 

 

大きな街だけに見て回るのにも時間がかかる西安ですが

たっぷり満喫してから次の街へ向かいます!

 

 

はるか雲の上

2018.06.27

【39日目 1672.3km】

 

古都“洛陽”を出発してから、400kmほどの道のりを3日で走り切って

当面の目的地である大都市「西安」に到着する予定だったのが、

思いのほかのんびり進んでしまいまして…。

 

 

まず洛陽を発った日に到着したのが“三門峡”という街。

ここで野宿をするつもりだったのですが、実はこの日は6月24日。

そう、「日本vsセネガル戦」です。

テントでのんびり寝ている場合ではないと思い、観戦すべくホテルにチェックイン。

 

深夜放送だったこともあり、ゆっくりもう1泊してしまいました。

もはや旅人でもなんでもないです。

でも、本当に楽しい試合だったので良しとします。

2点入ったので2回ほど夜中に一人で叫んでました。隣室の人、ゴメンナサイ。

(いよいよ明日3戦目! 頑張れ、ニッポン!!)

 

 

なかなか前に進もうとしないバチがあたったのか

曇り空のもと次の街へ走りはじめると、中国にきて一番ヒドい大雨に降られました。

びしょ濡れで重くなった服と靴を身に着けたまま130kmほど走りました。

 

 

たどり着いたのが「華陰市」という小さな街。

田舎の小さな街ですが、ここにはホテルが数多く立ち並び

たくさんの観光客が押し寄せます。

 

訪れる人々の目的は「崋山(かざん)」。

少林寺を有する嵩山とならぶ霊峰で、古くから僧侶が修行をした山だそうです。

 

 

花崗岩がむき出しになった堂々たる風格は街からも拝めます。

 

 

到着翌日、早速登ってみることに。

登山道もありますが、自転車を漕ぎつづけて足がパンパンなので

ロープウェーに乗ります。

何百メートルの高所に宙ぶらりんになるゴンドラはもはや絶叫マシーン。

 

到着後しばらく歩けば頂上です。

たどり着いた山頂ははるか雲の上、標高2,154m。

 

頂上からは切り立った岩山の数々が見下ろせます。

高い山が連立しており、寺院などもあって散策できるようになっていました。

踏みしめる山道も土ではなく岩なので歩くのにもの凄く疲れます。

 

雲がかかっていたので下の街まで見えなかったのですが

もやがかった景色はまさに神秘的。“幽玄”とはこのこと。

仙人が住んでそうな雰囲気です。

古くから霊峰として称えられてきたことも納得でした。

 

 

山頂付近はご覧の人だかり。

13億人の国はどこにいっても大渋滞です。

 

 

古都へ”上洛”

2018.06.23

【34日目 1406.3km】

 

ここしばらく気温26℃前後が続き、

外を散策しているだけでじとっと汗ばむような日が続いています。

走行の疲れも相まって夏バテ気味(早いけど)ですが、しっかり食べて乗り切っています。

 

 

 

この日は2日間滞在した“登封”の街を出発。

屋台で朝ご飯を済ませて荷物をまとめると、

少林寺を中腹に抱える嵩山(すうざん)の峠越えルートに向けて漕ぎだします。

 

もちろん頂上まで登るわけではないですが、

思えば中国に来てから山らしい山を走っていませんでした。

1,000km以上も山にぶつからず来れたのは広大な大陸ならでは。

起伏の多い日本では考えられません。

 

必死に坂道をのぼって、颯爽と風を切りくだっていく。

「これこれ!」と自転車の醍醐味を思い出しながら走りました。

 

 

70kmほど走行した後、

お昼過ぎに目的地「洛陽」に到着しました。

 

 

この洛陽は非常に歴史深い都市で、かつて王朝の都が置かれた場所なんです。

京都を指して“洛中”といったり 、“上洛”という言葉なんかも

この都市の名に由来するそうです。

しかし、数々の内乱でその美しい街並みも残念ながらほとんど失われてしまったそうな。

 

近代的なビルが立ち並ぶ現在の洛陽ですが、

トレードマークである“麗景門”をくぐった先にある旧市街をねり歩けば

昔ながらの雰囲気を味わうことができます。

立ち並んだ露店と食べ歩きをする人々。

平日にもかかわらずお祭りのような気分を楽しめました。

 

 

 

そんな洛陽の観光の目玉になっているのが

市内から数km離れたところにある「竜門石窟」。

 

今から1500年ほど前に山肌の岩を削って彫られた数万体の仏像たちは、

少林寺に引き続きこれまた世界遺産に登録されています。

 

これまでに巨大な文化遺産、自然遺産をたくさん見てきましたが

毎度思うのが写真にはその圧倒的存在感を写し出すことができないということ。

枠内に収まったとしても、実際に目の前に立ったときの

言葉も出ない感動は現地でしか味わえないんだと思います。

デカいものは美しい。

 

 

汁モノが有名な洛陽での一品「不翻湯」。

ものすごく美味しくて奥の深い味なのですが、

上に乗っかったネギと牛肉以外は“はじめまして”な食材ばかり。

 

どことなく薬っぽい不思議な味が美味しいけど伝えられない…。

料理の味も写真に写せません。

 

 

カンフーの故郷へ

2018.06.20

【31日目 1334.0km】

 

先週1週間ジタバタして時間とお金を費やした結果、

何とかビザを取得することができ自転車旅を再開しています。

 

旅立ちから1ヶ月が経ち

順調に肩慣らしもできているのではないでしょうか。

(誰に聞いているのでしょうか。)

 

 

停滞していた河南省・許昌の街を発つべく、

1週間ぶりにサドルにまたがるとあいにくの雨。

1ヶ月の滞在延期が認められ心機一転と意気込んだのに、

上海上陸のときもそうでしたが、はじまりはいつも雨。

 

ただ、割高なホテルにこれ以上滞在もできず

どこかで止むことを信じて出発しました。

 

 

結果的に雨はやまず

体も荷物も自転車も泥だらけになりながら1日中進みました。

 

たどり着いたのが許昌から北西方向にちょうど100kmの場所、

「登封」というこじんまりとした町。

 

この町自体に大きな見所はないのですが

北に数kmのところにそびえる嵩山(すうざん)という山は

古くから山岳信仰の対象だそう。

地質学的にも貴重で一帯はユネスコの指定公園にもなっています。

 

その山麓に点在する史跡は世界遺産にも登録されているので、

さっそく観光に行ってみました。

 

広大な自然風景のなかには寺や遺跡だけでなく、宿舎やグラウンドなどもあります。

 

そこにはたくさんの少年たちがおり、あちこちで剣舞や棒術の組み手をしています。

グラウンドでは体育の授業のようなものがおこなわれてますが、

少年たちの動きはあり得ないほどアクロバティック。

 

 

圧倒されながら先へ進んだところには、堂々と構えられた寺の門。

看板に刻まれた文字は「少林寺」。

そう、ここはカンフーの誕生したかの有名な少林寺です!

 

かなり観光地化されており、

荘厳な雰囲気の中、境内で拳を突き出しているイメージとは

少し違いましたが…。

鍛練に励む少年たちの姿を眺めるのはなかなかの見ものです。

(ちなみに日本で有名な“少林寺拳法”の直接のルーツではこちらではないそうです。)

 

 

劇場もあって、ステージで繰り広げられる流麗な武術の数々は圧巻でした。

 

「ホワタァァーーー!!」とか「アチョーーー!!」とかは無かったですけど、

「セイッ!」とか「ハッ!」は言ってましたよ。

 

 

やっとの思いで…

2018.06.14

【26日目 1206.8km】

 

前回の更新でお伝えしたビザ更新の件ですが…。

 

やはりと言うべきか思った通りにことは運ばず

今週に入りバタバタと動き回った結果、

やっとの思いで希望の光が降りそそいできました。

 

中国に滞在するための許可証であるビザ。

そして現在の僕に許された猶予期間は残り4日。

このビザ延長を申請するに至る紆余曲折についてご紹介します。

 

 

まず、

河南省許昌市の公安(警察)出入境管理局へ行ったところ、

「その処理はここではできません。」

見事に突っぱねられました。

それ以上の説明もなく、あっさり撃沈。

 

戻ってホテルのスタッフに相談すると

実は同じ街にもう一つ管理局があるとのこと。

そちらに出直すと「ビザ? ここじゃ無理だよ。」

はい撃沈。

 

見かねたホテルのマネージャーが

一緒に管理局に出向いてくれることに。

中国人がいれば心強いと思い、胸を張って再び飛び込むと、

「ダメです。」

やっぱり撃沈。

 

詳しい事情は分からないけども、

とにかくダメなものはダメだそう。

 

■管理局がある街ならどこでもできる

■大都市よりも地方の方が申請がスムーズ などなど

これまでに聞いた情報、ネットで調べた情報を考慮して挑戦した

許昌市での申請でしたが、どうやら難しい様子。

 

 

そこで、100kmほど離れたところにあり

同じ河南省の省都でもある「鄭州」でできないかと

オフィシャルサイトを調べたところ、

管轄業務のなかに“外国人ビザ申請”と書いてありました!

 

「電話で確認したげるよ。」とホテルのスタッフ。

期待しつつも、立て続けに断られたこともあり

どうせ無理なんじゃないかと不安を抱えて返事を待つこと数分。

「この省では処理できません。」

ほらね。撃沈。

まさに、八方塞がり。

体育座りをして夕日を眺めるしかなくなりました。

 

 

そこで最悪の場合はこれしかないと

頭の隅に置いていたプランを決行することに。

 

 

それは旅の先人たちがブログなどに書き綴ってくれた知恵でした。

 

許昌からはるか南西へ1,200km、四川省「楽山」という都市。

この場所ではかなり高い確率でビザ延長が申請できると同時に、

通常発行までに5~10日かかるところわずか24時間で処理してくれるそう。

 

残された時間は僅か、迷っている時間はないと

すぐさま新幹線に飛び乗り“楽山”へと向かいました。

中国上陸以来、自転車以外の乗り物に乗っていなかったのですが

急遽自転車をホテルに残し、“鉄道の旅”がはじまりました。

 

タクシーで違う駅に到着したり、

新幹線に歯ブラシ、タオルなどお泊まりセットを置き忘れたり、

正しい駅にいるのにタクシーで変なトコに向かったり。

 

心の余裕を失った途端にミスを連発しましたが、

複数の乗り継ぎをこなし13時間かけて目的の“楽山”に到着しました。

 

 

そして到着の翌朝、“人民政府政務服務中心”という所へ向かい

恐る恐る申請したい旨を伝えると、

「あーはいはい、ビザね。」

なんともまぁ、あっさり受け付けてもらえました。

必要書類の提出や証明写真を撮影の後、わずか30分ほどで終了。

翌日にビザを受け取ってビザ延長処理完了です。

 

ということでいま、四川省・楽山にいます。

ほんの一週間前には予想していなかった動きをしましたが

なんとか目の前に道は開けました。

 

 

なぜ、河南省では不可能なのか?

なぜ、楽山はたやすく申請できるのか?

なぜと問うても誰もわからないようで、

在中日本大使館も

「ビザ申請ができるかどうかはわかりません」と、サイトで述べてます。

 

理由なんて聞いてもムダ!

ただ目の前の道が閉じたら、開く! 開いたら進む!!

変わらず日々前進してまいります。

 

 

書類手続き

2018.06.10

【21日目 1206.8km】

 

 

出発から3週間が経ち、走行距離も1,000kmを過ぎました。

1日の走行距離はおよそ100~120km、一番走った日で150kmほどです。

体力にも余裕が出てきて、長い距離を走ることにもだいぶ慣れてきました。

 

ただ、日に日に気温が上がってきており

日本のような湿気のあるジメジメした気候に苦しむ日々です。

特に走行中は、

道路に舞う砂ぼこりとどこまで行ってもかすんだままの空気のせいもあって

より一層暑さを感じながらペダルを漕いでいます。

 

これまで西に向かい続けてきましたが、

今は北へと進路を変えて「許昌」という地方都市に来ています。

 

現在、目指しているのはここから北西の方向に位置する

かつての都でありシルクロードの起点でもある都市「西安」。

西安から鉄道に乗って新疆ウイグル自治区・烏魯木斉(ウルムチ)へと向かう予定です。

 

ユーラシア大陸東部一帯を占める中国。

この広大な国をビザの猶予期間内で横切るのは困難であるため鉄道を使います。

いいんです!

使います。乗ります。

 

ただ、日本で取得した中国ビザの残り日数は10日ほど。

西安から鉄道を使ったとしても隣国・カザフスタンに抜けていくことはできません。

 

 

そこで、今いる許昌でビザ延長の手続きをする必要があります。

週末明けに“出入境管理局”なるところへ行くつもりなのですが、

すでに出鼻をくじかれた気分でして。

 

というのも、この街に着いてからのこと

調べていた宿に到着するなり告げられた言葉が

「あなたはここに泊まれません」。

 

実は、中国の特定の地域では

“外国人を安宿に泊めるべからず”というルールがあり、

中国籍を持たない人は三ツ星以上のホテルでないと宿泊できないんです。

小汚くみすぼらしい宿を外国に見せたくないんでしょうか?

すでにいっぱい見てきましたけども…。

 

しかも、ビザ延長を申請するためには

“ちゃんとした場所に滞在していますよ”という証明が必要だそうで、

ホテルでの宿泊は不可欠。

 

下調べ不足を反省しつつ、

「どうしようかしら」と途方に暮れた行き場のない旅人を救ってくれるのは

やはりその地で暮らす人たち。

 

僕を断った宿のスタッフたちが奮闘してくれました。

複数のホテルに電話をしてくれて、さらに安値で泊まれるよう値段交渉もしてくれました。

おかげで無事滞在先も見つかり、延長申請の準備は整いました。

 

果たして無事ビザは取得できるのか…!?

 

 

ここしばらく、何百kmも田舎道が続いてます。

 

水を買いに寄った商店の主人がそっと店先にイスを出してくれたり。

ドライバー達が追い抜き際にこちらに親指をぐっと立てて満面の笑顔で去っていったり。

 

地域性なのか、自分の感じ方が変わったのか

人の暖かさに触れることが増えた気がします。

 

 

中国の物価事情

2018.06.5

【16日目 983.0km】

 

スタート地点・上海からひたすら西に進み、

現在、信阳(しんよう)という都市に来ています。

 

特にこの2日間は、合計300km近くにも及ぶ長距離の移動で

一気に体力を使い切ったような気がします。

 

 

海沿いの街から内陸部へ移動してきたことで、

ずっと平地だった道に起伏が出てきて、視界の端にも山が見えるようになってきました。

工業地帯ばかりだった景色も田園へと変わり、

広大な国の土地の移り変わりを肌で感じています。

 

右側通行にもすっかり慣れ、

飛び交うクラクションの音もさらっと聞き流せるようになってきました。

 

 

 

さて、中国に入国してから2週間が過ぎ

食事や宿泊など色々な場面でお金を使ってまいりました。

出発前は日本とそんなに変わらないと聞いていた中国の物価事情。

豪華絢爛な観光ツアーではないので出入りするお店や買うモノも限られていますが、

少しづつ様子がつかめてきたのでご報告したいとおもいます。

 

※1元→17.14円(2018年6月5日現在)

( )内の日本円はざっくりです!

 

・水(1.5ℓ)→3.5元(60円)

・コカ・コーラ(500mℓ)→3元(50円)

・ビール1缶→3元(50円)

・ポテトチップス1袋→4.5元(75円)

・カップラーメン→5元(85円)

・梨(果物の中では主流な模様)→1.5元(25円)

・炒米(チャーハン)→10~15元(170~255円)

・牛肉面(こっちで定番のラーメン)→12~18元(200~300円)

・マクドナルド・ダブルチーズバーガーセット→26元(440円)

・ゲストハウス1泊→40~50元(680~850円)

 

と、こういった具合になっています。

半額までいかないまでも、すべてのものが日本よりは安い!というのが感想。

観光客向けではない庶民食堂であれば300円前後で1食分は食べれてしまいます。

 

ただ

板チョコ1枚7元(120円)、コンビニのコーヒー1杯10元(170円)。

海外ブランドの水は倍以上の価格設定、

と中国原産ではないものは高めの値段となっており、

なるべく国産品の消費を促そうという姿勢がうかがい知れます。

 

こんな中国の物価事情。

工夫して節約すれば安く旅をすることができそうです。

 

 

話は変わって、信阳にたどり着くまでの道中のこと。

集落を見つけ自転車を停めて休んでいると、

近くのお茶屋さんが「入っておいで」と優しい一言。

 

差し出された一杯は“信阳毛尖”という中国国内でも最高級品と名高い茶葉で淹れられたもの。

素人でも飲んだ瞬間に分かる美味しさでした。

こういった何気ない思いやりが、ひとり旅の疲れと寂しさをじんわり癒してくれます。

 

 

初野宿

2018.06.1

【13日目 632.5km】

 

体力も回復し、止まらない咳以外はバッチリの状態です。

のんびり観光したり、体調崩したりで

予定よりはるかに遅いペースで進んでいましたが、

ビザにも限りがあって、いつまでも中国には滞在していられません。

もう少しスピードを上げなければと何となく焦りを感じはじめています。

 

常州を発ってから大都市・南京に寄り、

現在「合肥」という都市にきています。

 

この南京から合肥までの距離が200km近くあり、途中で一泊したのですが

これが記念すべき海外初野宿となりました!

 

中国人曰く、「この国はどこでも野宿できるよ」というのですが

そうはいってもはじめは抵抗があるもの。

 

そんななか今回の旅で有益情報を得ました。

野宿をするなら「大学構内だ!」とのこと。

どこの街にでもあって一番安全な場所だそうです。

 

といいながら、そもそも簡単に入れるのだろうかと疑いつつ向かったのが、

巣湖(そうこ)という湖のほとりにある“巣湖学院”。(創立40周年!)

 

入口ゲートには二人のガードマンが仁王立ちしており、

授業を終えた学生さんたちがぞろぞろと帰っていくところでした。

その流れに逆らうように、

大荷物を積んだ自転車に乗ってヘルメットを被ったまま突撃したところ

ガードマンは何も言わずそのまま仁王立ち。

「へっ?いいの?」

と思いましたが、何も言われないのでそのまま突っ切り無事に侵入成功しました。

 

「30歳無職の外国人を止めなければ、あのガードマンは誰を止めるんだろう?」

と考えながら、構内を散策しつつ程よい場所を探し求めました。

 

出会う人たちに尋ねても、

「別にテント張ってもいいんじゃない」との答え。

大学の敷地は公共の場所でもあるそうで、迷惑をかけなければいいようです。

 

そのままテントを張って寝床についたあとも、

誰にも邪魔されず気持ちよく眠りにつくことができました。

 

これからも色んな大学でお世話になろうと思います。

 

 

 

そういえば、数日前に自転車トラブルの定番“パンク”が発生してしまいました。

海外では初めてだからなのか気づいた瞬間動揺してしまいましたが

正しい手順に則って即座に穴を確認し、

自転車屋のお兄さんのように迅速に穴をふさいで、

再び走りはじめました。

 

ただ、せっかく旅を発信するからにはそういうちょっとしたハプニングも

しっかり写真に収めてお伝えしていかなければいけないなぁと感じました。

 

ということで明日もまた走ります!

 

旅の相棒①

2018.05.28

【9日目 280.6km】

 

東洋のベニス・蘇州を後にして、

現在、「常州」という所に来ています。

天気に阻まれ出足が鈍っていましたが、

追い打ちをかけるように風邪を引いてしまいまして…。

 

実は上海出発の時点で、風邪の予兆はあったのですが

ちょっと無理をしながら、だましだまし前に進んできたのが祟っちゃいました。

晴れの日でも遠くがかすんで見えるほどの空気の汚れも影響しているのか

咳もとまりません。

 

健康な体なくして健全な旅あらずですね。

自己管理を徹底せねばと粛々と反省しております。

 

 

さて遅らばせながらですが、ここで旅の相棒を紹介したいと思います。

旅を支えてくれるものは人ばかりではなく、大切な「モノ」も欠かせません。

 

まずは、自転車に乗って世界を旅していくうえで必要なのは「自転車」。

これがなければはじまりません。

 

そして、こちらが今回僕が相棒に選んだ一台。

 

「Panasonic OJC4」

ロードバイクやクロスバイクなどのスポーツバイクが流行っていますが、

こちらは“ランドナー”と呼ばれる種類。

大陸横断規模の長旅にも適応しており、

まさに今回の旅にうってつけの自転車だそうです。

 

フレームはクロモリと呼ばれる鉄鋼でできておりかなり頑丈。

しかも、カーボンなどの特殊素材と違って溶接が可能なので、

仮にボキッと折れた場合、途上国の鉄工所などでも修理が可能だそうです。

 

また、自転車用タイヤのサイズ規格は多岐にわたるなか、

外国でのトラブル時にも対応できるよう、

世界でも流通量の多い26インチのタイヤを採用しているそうです。

 

このように“だそうです”ばっかりで人からの受け売りを説明するしかないほど

自転車の知識に乏しい僕のために、今回自転車をセットアップしてくださったのが

広島市東区にあるバイクショップ「HILLCLIMB(ヒルクライム)」さん。

 

出発の約半年前から相談に乗ってくださり、

無茶な要望にもかかわらず過酷な旅を乗り越えられるよう

自転車をパワーアップさせてくれました。

さらにトラブルにも対処できるようワイヤーやチェーンの替え方なども

レクチャーしていただきました。

心より感謝しております。

 

 

協力企業様のロゴも貼り、看板を背負って明日も走ります!

 

 

東洋のベニス

2018.05.24

【4日目 136.8km】

 

降り続いていた雨がやみ、初めて晴れ間が見えたのが

中国上陸から4日目のこと。

やっと自転車を漕ぎだせるときが来ました。

 

雲がかかってばかりの上海を後にして、青空のもと颯爽と走れるかと思いきや、

見上げる空には霞がかかって、工事現場のように埃っぽい空気。

うわさに聞くPM2.5を肌で感じながらも、タオルで顔を覆いながら

幹線道路を西へと進みます。

 

初日は苦戦した中国の道路事情も慣れてみると、

自動車レーンと原付・自転車レーンが完全に分かれており

日本よりもむしろ走りやすいことに気づきます。

 

ただこっちの原付バイクってエンジン音が全く鳴らないので

ドキッとすることが多々あります。

プリウスみたいにのそーっと近づいてきて気がついたらすぐ後ろにいるんです。

みんなクラクション鳴らしまくるから結局うるさいんですけど…。

 

 

休みをとりつつ上海から西へおよそ80km走ると、

昼過ぎにはこの日の目的地「蘇州」にたどり着きました。

 

この街、「東洋のベニス」なんて呼ばれているそうです。

上海のような高層ビル群もありつつ、

旧市街には運河が張りめぐらされた歴史的な景観が広がる渋い場所。

古くから生活に溶け込んできた運河の歴史は本家イタリア・ヴェニスよりも古いそうです。

 

 

また、市内に点在する沢山の庭園の多くは世界遺産にも登録されており、

観光にぴったりの場所。飽きません。

 

このあたりの地域は雨期に入りかけているそうで、

天気予報を見るかぎりまた足止めを食らいそうな予感。

なので、しばらくのんびり観光していきたいと思います。

(全然、 Cycling してない)

 

蘇州にたどり着く前に、休憩にふらっとよった市場で

珍しく英語で話しかけれられたかと思うと、青年は自転車に興味津々。

 

実はこのチャンくん、今年の夏から自転車中国横断を計画している

同胞だったんです。しかも、同い年。

夜には友達と一緒にわざわざ滞在先まで遊びに来てくれて、

食事をしながら旅について語り合いました。

 

聞けば彼の友達も現在、自転車で世界を一周しているそう。

流行ってます!

 

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