Cycling The Earth ~自転車世界一周の旅~

日記

投稿者: ryosuke

首都アンカラ

2019.01.21

【235日目 8,772km】

 

 

2晩お世話になった

サヴァシさんの家を発って向かうのは

いよいよトルコの首都「アンカラ」。

 

 

 

クルッカレから1つ山を越え

60km足らずを走ると、

交通量も増え

都市の雰囲気が漂いはじめます。

 

 

実を言うとこの首都・アンカラ。

あまり見どころもなく面白い場所じゃないと、

トルコの人たちからも聞いていたので

立ち寄るべきか迷っていました。

 

しかし、

走行ルート上避けた方が遠回りになるし、

大国の首都の様子を少しでも覗き見るべく

訪れてみることに。

 

 

ということで到着しました「アンカラ」。

気がつけばトルコ入国から5週間以上が過ぎ

中国に次ぐ長期滞在国になってます。

 

繁華街の中心に建てられているのは

現在も国民からの絶大な支持を集める

初代アタテュルク大統領の像。

 

 

 

やはり首都だけあって

トルコでは見たことのないほどの

高層ビル、

そして人の数。

活気に溢れています。

 

 

 

 

 

中心部にある城壁にのぼると

360°広がるアンカラの都市が

見渡せます。

あまりの広さに

その端は見えないほどでした。

 

 

 

 

 

 

 

クルッカレで出会った

うどん職人兼・織物職人兼・高校教師の

サヴァシさんから

「アンカラに友達いるよ」

ということで紹介してもらい、

お世話になったのは“アイジャンさん”。

 

 

 

まだまだ駆け出しだそうですが、

ファッションブランドを立ち上げ

自ら製作した服を販売している

デザイナーさん。

家がそのまま工房になっています。

 

 

 

 

当然、服飾文化の造詣は深く

日本の“藍染め”にも挑戦している

アイジャンさん。

こうして海外で日本文化に出会うと

誇らしい気分になります。

 

 

 

 

 

 

 

お邪魔させてもらったのは

アイジャンさんと

彼女のお手伝いをする友達が

共同生活をする

シェアハウスのようなところ。

 

 

 

 

都会らしく

モダンで何ともハイカラな部屋。

これまで色々なお宅に

お世話になりましたが

一番おしゃれな部屋でした。

 

 

 

 

 

 

 

この日はモデルとなる友人を招いて

ネット販売用の広告写真の撮影会。

リビングがそのままスタジオになります。

 

 

 

こないだ田舎の村で

のんびり暮らす人に

お世話になったばかりだけど、

都会の若者はエネルギッシュで

面白いことやるなあと

ぼんやり眺めてしまいます。

 

 

 

自分たちで撮ること自体が

初の試みらしく、

あーでもないこーでもないと

撮影はかなり長い時間に

およびました。

 

 

 

 

 

 

 

そして夜はなんと“巻き寿司”をつくることに!

こないだのうどんといい、

嬉しいことに日本食が続きます。

 

 

旅に出て実感しているのが、

我らが国民食“スシ”は

本当に世界中で愛されているということ。

 

この時だって、

「スシをつくろう!」と決まると

彼女たち歓喜に沸いていました。

 

「日本から来たんだよ」と伝えると、

“イチロー”よりも“ケイスケ・ホンダ”よりも

とにかく“スシ”なんです。

 

 

 

酢飯のつくり方や具材の味付けを

監修させていただきました。

レストランや居酒屋で

バイトしてて本当に良かった。

料理すること自体が

良いコミュニケーションになります。

 

 

 

海苔や乾燥シイタケも

流通しているトルコ。

これまであまり良い醤油に

出会えていなかったのですが、

トルコ産の醤油はかなり日本のものに

近くて美味しかったです。

 

 

 

アンカラの日本食レストランでは

たった6切れで

¥1,000近くもするそう。

手作りならば安くて旨い

スシが食べれちゃいます。

やっぱり日本食が美味しい。

 

 

 

 

 

 

ほんの1カ月前にやってきたばかりの国で、

ありがたいことに

人から人へと出会いをつないでもらっています。

 

 

険しい山と厳しい寒さの道中にあふれている

温かい出会いの数々のおかげで、

トルコは忘れられない国になりそうな予感。

 

 

 

日本人より日本人

2019.01.11

【232日目 8,700km】

 

 

大雪の中たどり着いたハミットの村を出て

親切なトールガさん一家に別れを告げると、

首都アンカラの方向へと走りだします。

 

 

 

前日の猛吹雪はぱったりと止み

綺麗な青空が広がっています。

一面に広がる雪景色が

クセになりつつあるトルコの旅。

 

 

 

時々あらわれる町を横目に

ひたすら進んでいきます。

ほどほどの起伏があるおかげで

身体があったまりました。

 

 

 

 

 

 

 

この日に着いたのは「クルッカレ」という街。

街の中心部で安いホテルはないかと探していると

とある男性が声を掛けてきました。

 

「ホテルは沢山あるけど、せっかくだしウチにおいでよ」

 

これまでに沢山の外国人旅行者を招いてきたという

彼を信用してお邪魔することにしました。

 

車で走る彼を7kmほど追いかけると

郊外のマンションに到着。

 

 

 

奥さんは近々引っ越す予定の

イスタンブールに先に行っており、

しばらく独りで暮らしているという「サヴァシさん」。

 

少し話しただけで

にじみ出る人柄の良さが感じられる人でした。

 

 

 

そんな彼の趣味は“織物”。

伝統工芸職人であるあばあちゃんから

直々に教わったという腕は

素人でもその精巧さが分かるほど。

リビングには自作の手織り機が

堂々と置いてありました。

 

 

 

羊毛を紡ぐところから

手作業でおこなう本格派。

トルコでもここまでやる人は

決して多くないらしく、

彼のもとにやってきた友人が

パシャパシャ写真を撮っていました。

 

 

 

 

 

 

実は、

織物好きのサヴァシさんの本職は学校の先生。

街の外れにある高校で英語を教えてるんです。

 

出会った翌日、

彼が教鞭をとる学校に出向き

授業に参加させてもらうことになりました。

 

校長先生にも許可をいただき、ワクワクしつつ

日も昇りきらぬうちからバスに乗って学校に向かいます。

 

 

 

山間部にある学校のため

交通手段はみんなスクールバス。

生徒や同僚の先生が

次々と乗ってきました。

 

 

 

 

 

いよいよ楽しみになってきたと思いきや

バスの中で残念なお知らせが…。

あまりに雪が深いため

この日の学校は

お休みになってしまいました。

 

 

 

 

学校にたどり着くことすらできず

バスはそのままUターン。

後々聞くと、

この日から3日連続休みになったそう。

この辺でも珍しいほどの雪とのこと。

我ながらよくこの中を漕いできたな。

 

 

 

 

 

 

プロ並みの織物師だったり、

僕の前職でもあった英語教員であったり、

色々と驚かされたサヴァシさんですが

一番の衝撃は奥さんと夫婦そろって

大の“日本フリーク”だということ。

 

特に日本食に関心が強いらしく、

「朝ごはんを食べよう!」と言ったとき

まさか卵焼き用の四角いフライパンが出てくるとは

思いませんでした。

 

 

 

学校が休みになって時間ができたので

一緒にうどんを作ることに。

「こっちの食材じゃ

和食のだしは再現できないよ」

と伝えると、海外ではほとんど見ない

“昆布”が出てきました。

 

 

 

「こんな田舎じゃ

日本の麺なんか売ってないでしょ」

と言うと、小麦粉を出してきて

“うどんの麺”を打ちはじめました。

 

 

 

 

 

「麺をのばす棒が要るよ」

と言ってすらないのに、

“麺棒”が出てきました。

もはやこの家にはなんでもある。

 

 

 

 

 

まさか故郷の日本から

数千kmも離れた異国で

人生で初めてうどんを打つとは。

うどん打ち体験に興味がある方は

トルコへどうぞ。

 

 

 

 

もちろん麺を切るための

包丁も出てきました。

ホント職人みたい。

実はトルコにも似たような

麺料理の文化はあるそうです。

 

 

 

 

箸も上手に使いこなし

見事に茹で上げてくれました。

茹でた後に冷水にさらすとこまで

もう完璧。

 

 

 

 

 

うどんだけじゃ寂しいので

親子丼もつくりました。

これは僕が作ったんですよ。

ホントに。

 

 

 

 

 

旅をしていて「日本が恋しい!」

と思う時の理由は食事。

摂取することで精神的余裕を取り戻し

旅を続けることができます。

まさかトルコの田舎で食べられるとは。

予想を大きく超えるほど美味しかった。

 

 

 

 

 

 

日本を愛し、

手打ちの麺を茹で、自作の袴を身に着ける。

そんなサヴァシさんは日本人よりも日本人。

 

 

ホテル泊が中心となっていた

冬のトルコの旅路。

ここにきて現地の人とのかかわりが増えてきています。

 

思わぬ場所での思わぬ出会い、

どれだけ味わっても飽きることがありません。

 

 

 

猛吹雪

2019.01.10

【231日目 8,638km】

 

 

カッパドキアでのんびりと年末年始の休みを過ごした後は、

再び自転車にまたがり西へと向かいます。

 

 

いよいよ2019年の走り始めと意気込んだこの日は

朝から強い風と雨。

出発を遅らせて

天気予報を確認しつつ空模様をうかがっても、

これから数日間天気は安定しないようなので

腹をくくって小雨のなかいよいよ出発しました。

 

 

 

道は決して過酷ではないものの

強い風のせいで

思うようにペダルを漕げません。

さらに時折強まる雨のため

休みを取りつつ

ゆっくり進みました。

 

 

 

予定の半分も走れなかったこの日は

「ハシベクタシュ」という

小さな田舎町で一泊。

通りを歩いても

誰一人すれ違わない淋しい町でした。

 

 

 

 

 

 

 

明くる日も曇天の下を走り始めます。

寒いし、気持ちのいい天気ではないですが

雪が降ってないのが救い。

 

 

 

走り始めてわずか3kmのところで

サドルに違和感を覚え、

自転車を確認してみると

およそ4カ月ぶりのパンク。

脇に建つ民家の軒下で

ささっと修理させてもらいました。

 

 

 

前日に到着予定だった

「クルシェヒル」に着きここで一泊。

トルコの田舎では1,000円前後で

割に良いホテルに泊まれるから

助かってます。

 

 

 

 

 

 

 

大変だったのが

カッパドキアを出発してから3日目のこと。

走り始めにパラパラと降っていた雨は

気がつくと雪に変わっていました。

 

 

この日走行予定の100kmをこなすために

急がねばとペダルを踏みしめますが

50kmを走った昼前ごろに状況は悪化。

猛吹雪に見舞われ、視界はほとんど奪われました。

 

 

 

みるみるうちに雪は積もっていき、

さすがに走行不可能と判断して

自転車を押しながら

助けを求めてたどり着いたのは小さな村「ハミット」。

 

 

 

ひと気のない村の通りを歩くと

ある建物に中年の男たちが集まっており

「ここで休んでけ」と、

声を掛けてもらいました。

 

 

 

 

 

建物の中に足を踏み入れると、

何やら無数の大人たちが

テーブルを囲んでおり

かなり活気が溢れています。

 

 

 

 

 

そこにいる人たちは皆

麻雀のような遊びに興じており、

どのテーブルも満席。

いわゆる“雀荘”のような所で

順番待ちの人もいるほどの

大賑わいでした。

 

 

 

キョトンと立ち尽くしていると、

「これに着替えろ」と

雪でびしょ濡れになった服の替わりを

用意してくれたり

昼ごはんまで食べさせてくれたりと

まさに至れり尽くせり。

 

 

 

ギャンブルに没頭する男たちの

ダーティな遊び場で出会ったのは、

トルコの心優しき

ジェントルマンたちでした。

平日の昼間から

ずっと遊んでたけど…。

 

 

 

 

 

 

そんな雀荘(らしき場所)で出会ったのは

近くに住む“トールガさん”。

「今夜はウチで泊まっていいよ」と、

優しく迎え入れてくれました。

 

 

 

同居する

おじいちゃん、おばあちゃん

との夕食。

思えばトルコで

地元の方の手料理をご馳走になるのは

はじめてのこと。

 

 

 

真ん中に座るのが

“トールガさん”。

雪に埋もれた小さな村で

ゆっくり穏やかな時間を

過ごすことがました。

 

 

 

 

経験したことのないような猛吹雪の中

1人ぽつんとたたずみ

一時はどうなることかと思いましたが、

そんな状況だからこそ与えられる

素晴らしい出会いってものがあります。

 

 

寒さはまだまだ厳しいけれど、

なんとか進んでいけそうです。

 

 

 

1年のはじまり、カッパドキア

2019.01.9

【227日目 8,473km】

 

 

パムッカレでの観光を終え、

再びバスに乗って“カッパドキア”に戻ってきました。

世界屈指の絶景を堪能しつつ

年を越すことにします。

 

 

 

ウネウネ、ニョキニョキと

不思議な形をした奇岩が

あたりに広がるカッパドキア。

 

 

 

 

 

 

火山の噴火によって

堆積した地層が

数万年という年月をかけ

風化、侵食され

この地が形成されたそう。

 

 

 

 

 

 

パムッカレから戻ると、

自転車で到着した時とうって変わり

奇岩群が雪をかぶっていました。

この時期ならではの貴重な風景です。

 

 

 

6,000~8,000年前には

人類が居住しはじめていた

といわれるカッパドキア。

岩肌には無数の穴があり

洞窟住居の形跡が残っています。

 

 

 

 

視界に収まる程度の広さだと

思っていたのですが、

じっくり見て回ると

バスに乗っても

とても1日では足りないほど。

 

 

 

 

奇岩群のなかに

ひっそりたたずむ

通称“ラクダ岩”。

ほかに

アザラシやライオンもいます。

 

 

 

 

 

 

世界遺産に登録されているカッパドキア。

実は、自然景観だけでなく

文化的価値もあわせ持った複合遺産として登録されています。

 

 

 

キリスト誕生直後の

2,000年前ごろ、

現地に根ざしていた土着の宗教を

押しのけるようなかたちで

定着したキリスト教。

 

 

 

地理的に、

イスラム勢力との衝突が多かったこの地域。

キリスト教徒は逃げ隠れるように

岩の中を暮らしの場として選びました。

 

 

 

教会や修道院、住居など

当時の生活を物語る遺跡。

現在、残っているのは

11世紀ごろに

建てられた(掘られた)

ものだそうです。

 

 

 

洞窟の中の壁には

藍やクルミを染料とした

色鮮やかな“フレスコ画”が

描かれています。

絵にダメージを与えないため

残念ながら撮影禁止でした。

 

 

 

 

 

カッパドキアの中心に位置し、

ホテルが密集していて観光の拠点になる町が

“ギョレメ”。

 

 

 

レストランや旅行会社など

世界各地からやってくる観光客を

ターゲットとしたお店が

ひしめき合っていました。

 

 

 

 

 

 

町中を歩いていても

そこら中に大きな岩が

ズシンとあらわれます。

 

 

 

 

 

 

かつての洞窟住居も

現在はその多くが

旅行者を迎えるためのホテルへと

改築されています。

 

 

 

 

宿泊したホテルの相部屋。

岩を掘っているので窓はなし。

ヒンヤリして寒いのかと

思ってましたが、

保温性があるのか意外と

暖かったです。

 

 

 

 

 

カッパドキアの名物料理

“テスティケバブ(壺焼きケバブ)”。

ふたのついた壺を

トンカチでパッコンと割ります。

 

 

 

 

 

中から出てくるのは

肉と野菜の煮もの。

羊肉、鶏肉もありますが

このとき食べたのは牛肉。

串焼きのケバブにくらべマイルドで

寒い季節にぴったりの1品です。

 

 

 

 

 

ギョレメ滞在中にお世話になっていたのが

ムラートさんと日本人・りょうこさんの

ご夫婦が営む旅行会社 “Bridge Of The World”。

 

 

日本で出会ったお二人が4カ月ほど前にはじめたお店には、

沢山の日本人旅行者の方が

観光ツアーや気球などのアクティビティーを

申し込みにやってきていました。

 

 

貧乏旅行ゆえに

いくつものツアーには

参加できなかったにもかかわらず、

訪れるたびチャイでもてなしてもらい

すっかりくつろぎの場となりました。

 

 

 

 

大晦日の夜には

元コックでもあるムラートさんの

手料理をごちそうになりました。

おかげで楽しい年越しを

過ごせました。

 

 

 

強引な客引きやぼったくりも多い

海外の人気観光地にありながら

安心の日本人スタッフ駐在のお店です。

 

カッパドキアご訪問の際は、ぜひお立ち寄りください!

https://www.instagram.com/bridge_of_the_world

 

 

 

お店で出会った日本人の方々と

町を見下ろす丘の上で年越しのカウントダウン。

 

町中のあちこちから無数の花火が上がる様子は

1年に1回きりのド派手な光景。

2019年は最高の幕開けでした!

 

 

いつもよりちょっと贅沢なホテルでのんびり充電したら

今年もいよいよ走りはじめます!!

 

 

 

2018年、走り納め

2018.12.29

【221日目 8,473km】

 

トラックに乗ってやって来たシワスで3日間過ごしたのち

再び自転車に乗って進みはじめます。

 

 

 

標高が1,000m近くまで下がっているので

遠くを眺めても雪は見当たりません。

気温も5℃くらいまで上がって

少し漕ぐと暑さを感じるほど。

 

 

 

久しぶりに123kmと

長距離を気持ちよく走ったこの日は

「ゲメレク」という田舎町で1泊。

心地よい疲れの中

ゆっくり眠りました。

 

 

 

 

翌日も平坦な道を80kmあまり走り

トルコ中部の大都市「カイセリ」に到着。

有名な観光地もないので

翌朝すぐ発つことにしました。

 

 

 

 

 

 

 

シワスから続けて走ること3日目。

久々に爽快な青空が広がったこの日は

2018年最後の走行、

今年の走り納めです。

 

 

 

大都市カイセリから

400mほど標高の高い台地。

霊峰“エルジェス山”を背に

進んでいきます。

 

 

 

 

 

この日の行程は短めの70kmほど。

旅が始まった今年、

思えば遠くへ来たもんだと

しみじみ感じつつ

ペダルを漕ぎつづけました。

 

 

 

 

15時頃、目的地である村

「ギョレメ」に到着。

村の中には奇妙な岩が

ウニョウニョと生えています。

 

 

 

 

 

 

 

高台から見下ろしたギョレメ。

 

実はこの村、奇岩群が織りなす絶景で

世界的にも有名な観光地“カッパドキア”の

ど真ん中に位置しているんです。

 

年末年始の冬休みということで、

しばらく自転車を置いて

ここでのんびり年越しを過ごしたいと思います。

 

 

 

ユーラシア大陸を渡る中でも楽しみにしていたカッパドキア。

 

早速じっくりと観光したいところでしたが、

年越しまでしばし日にちもあるということで

はやる気持ちを抑えつつ

まずはバスに乗って遠く離れた別の観光地へと

足を伸ばすことにしました。

 

 

ところが

向かう道中ちょっとしたハプニングが…。

 

 

 

予定通り走りはじめた

ギョレメ発の夜行バスは、深夜0時に

とあるターミナルでなぜか停車。

トルコ語のアナウンスが流れますが

よく分からないので

そのまま寝入ってしまいました。

 

 

 

到着予定の朝6時、目を覚ますと

そこはまだ

深夜に停まったターミナルのまま。

実はこの時、広範囲で大雪が降り

先の道路で大勢が病院に運び込まれる

大事故が発生し道路網は大混乱。

 

 

 

停車してから約12時間後の正午。

待ち続けた末、警察の通行許可がおり

半日ぶりに走りはじめたバスは拍手喝采に包まれました。

 

本来、早朝に着く予定だったのですが

遅れながらもその日の夜7時に何とか目的地に到着。

 

 

 

 

 

ギョレメから西へおよそ500km、

やってきた観光地は

「ヒエラポリス-パムッカレ」。

 

 

 

紀元2~3世紀、

2000年近いほどの昔に反映した

古代ローマ帝国の遺跡群。

石造りの宮殿が崩れながらも

所々その姿を残しています。

 

 

 

 

なかでも圧巻は

丘の上に立つ半円形の劇場。

最上部からすり鉢状の底にある

舞台を見下ろすと

その大きさが感じ取れます。

 

 

 

 

 

 

そして、

ヒエラポリス遺跡観光の目玉ともいえるのがこちら

「パムッカレ」。

 

溢れ出る温泉水に含まれる石灰によって

丘の斜面に大きなお皿が幾重にも重なった棚田のような

絶景が出来上がったそうです。

 

 

 

しみ出るお湯の温度は

38℃ほど。

石灰岩を汚さないよう

皆はだしになります。

 

 

 

 

 

かつてはローマ帝国の

温泉保養地として栄えたパムッカレ。

数百人の兵士たちが同時に浸かって

汗を流したそうです。

 

 

 

 

 

冬場の石灰岩の上は

すっかり冷えきっています。

脇の水路を流れるお湯に足を浸すのが

本当に気持ち良い。

 

 

 

 

 

 

 

数年前まではお皿の1枚1枚に

しっかりお湯が溜まって、

石灰の白と水の青がより美しい絶景を作り出していた上に

深い所では全身浸かることもできたとか。

 

 

 

しかし、

開発が進み周囲に建つホテルたちが

温泉水をひいたことで

パムッカレは干上がりつつあるそう。

お湯を返せ。

 

 

 

 

 

 

バスで一緒になった中国の方と。

 

干上がりかけていることで

「がっかり遺産」なんていう前評判も聞いておりましたが、

上から見下ろす景色は綺麗だし

のんびり足湯につかるのも気持ち良くて

しっかりパムッカレを満喫させてもらいました。

 

 

再びバスでギョレメに戻り、

今度はカッパドキアを楽しみたいと思います!

 

 

ということで2018年の自転車旅はこれにて終了。

それでは、皆さん良いお年を!

 

 

師走にシワス

2018.12.27

【212日目 8,190km】

 

 

エルジンジャンを出て

次の街を目指します。

 

予定ではここから3日間かけて

1,000mの峠を2つ超えるという

トルコ入国以来の過酷な道のりを行くつもりでした。

…つもりでした。

 

 

ところが、

出発から30kmほどのところで

上り坂を一生懸命漕いでいたときのこと。

 

 

後ろからやってきた大きなトラックの運転手が

クラクションを鳴らして合図をしてきました。

「ここからは坂がキツいし、ひどい寒さだ。」

 

それでも道路に雪はないし

何とか自力で進む意思を伝えると、

「やめとけ、街まで乗っけてやる。」

 

 

地元の人がやめろって言ってるし

人の優しさを無下にできないし

ということで、迷いながらも

お言葉に甘えることにしました。

 

 

 

 

 

厳冬の険しい道をゆけるのも

こうやって

いざという時の助けがあるからだと

感謝を抱きつつ車体に揺られました。

 

 

 

 

 

しかし、

トラックの助手席に座りながら

雪景色を眺めていると

胸の中にはモヤモヤが。

 

 

 

 

確かに寒そうだし、坂も急だけど

「これなら自転車でイケてた」とぼんやり思ったんです。

ここに来るまでに

2,000mの峠も越えてきたし、

氷点下のアイスバーンの道も走ってきたし。

 

現地の人の言うことをきくのも大事だけど、

それと同じくらい

自分を信じて突き進むのも大事だと強く実感しました。

 

 

 

ただ、

言葉も通じない見ず知らずの旅人を

放っておけない暖かい人情が

トルコの人々の心に

宿っているのを感じました。

“アルメットさん”本当にありがとう!

 

 

そんなことを考えつつ

気づけば泊まるつもりだった村を過ぎ

トラックはどんどん目的の街に近づきました。

 

 

 

3日間の行程をすっ飛ばしてやって来たのは

トルコ東部最大級の都市“シワス”。

「師走」に「シワス」です、ダジャレなんです。

 

 

街の中央通りには

ブティックや高級レストランも立ち並び

これまでのトルコの都市と比べても

かなり発展していて賑やかです。

 

 

 

 

 

近代的な建物がたち

自動車が行きかう景色の真ん中に

堂々たるモスクがそびえ立つのも

シワスの特徴。

“これぞトルコ”といった街並みです。

 

 

 

 

さらにこのシワスから100kmあまり離れた街に

「ディヴリーイの大モスクと病院」という、

イスラム建築の最高峰ともいわれ

世界遺産にも登録されている

800年前の遺跡があるんです。

 

 

ホテルのスタッフや街中で会った人も

「あの建築は素晴らしい」「ぜひ見ておくべきだ」

と口を揃えて絶賛するほど。

 

英語の通じない人が多いなか

何とか行き方を調べ、

2時間半バスに乗ってたどり着きました!

 

 

はい、改修工事中。

立ち入り禁止。

 

 

「日本からはるばる来たんだぞ!」

と、無理を言って

敷地内には入れてもらいましたが

鉄骨と屋根に覆われて

ほとんどなにも見えません。

 

 

 

 

帰り際に振り向いてみましたが

やはり何も見えません。

改修が終わるのは2年後だそう。

というか、バスの運ちゃんか誰かが

「今は見れないよ」って

教えてくれてもいいと思うんですけど。

 

 

 

 

そんなこんなで数日間過ごしているシワス。

あっという間に過ぎてしまう師走。

 

今年もあと少しですな。

 

 

 

白銀をゆく

2018.12.25

【209日目 8,154km】

 

エルズルムの街を3日間ほど堪能したのち

次なる場所へと走りはじめます。

 

 

 

エルズルム周辺はこれまでより標高が低いので

寒さも和らぎ雪も少ないのではと予想してたのですが

出発前夜に激しい雪が降り

走りはじめるとやっぱり白銀の世界。

道路も泥まじりの雪でビチャビチャでした。

 

 

 

 

 

日本ではなかなか

お目にかかれない規模の雪原を

横に見ながら

延々とペダルを漕ぎます。

 

 

 

 

 

深い雪景色のなかに

突如ぽつんと現れる町や村。

レストランで休憩すると

寒さゆえに

休み終えて出発するのが億劫になります。

 

 

 

 

 

 

起伏の多さは相変わらずで

この日も400mほどの峠を越えました。

重いペダルを必死に漕ぐのはつらくても

のぼっている最中は体が温まるので寒さを感じません。

 

峠の頂上から眺める

雪をかぶった山々が波打つように連なる風景は息をのむ素晴らしさ。

この季節ならではの光景です。

 

 

 

 

 

下りの坂も急傾斜すぎず

気持ちよく滑り降りていきます。

標高が下がるにつれ雪も減っていき

走りやすくなりました。

 

 

 

 

 

90kmほど走行したこの日は

「タルチャン」という

小さな町に泊まることに。

 

 

 

 

 

 

日が暮れ始めると

通りにはほとんど人がいなくなります。

地元の人も

家に閉じこもりたくなる寒さ。

 

 

 

 

 

 

 

明くる日も西へ向かって走ります。

標高も1,500mを下回ると雪はなくなりました。

1日中走っても雪を見なかったのは久々な気がする。

 

 

 

 

ゆるやかな下りがほとんどの道のりを

90km走ってたどり着いた町が

「エルジンジャン」。

 

 

 

 

 

 

大きすぎず小さすぎずの中級都市

といったところでしょうか。

ここしばらくどの町にも

安いホテルがたくさんあるので

宿探しがとても簡単で助かってます。

 

 

 

 

 

 

街中にはとくに見どころはないのですが

少し離れたところに地元の人に人気の観光スポットがありました。

 

エルジンジャンの町から20kmほど、

バスで1時間弱揺られたところにある「ギルヴィクの滝」。

 

小さな滝がいくつも集まっており

あちこちから水が流れている不思議な景色で

“トルコで1番美しい滝”とも言われているそう。

 

 

 

気温が氷点下近くまで下がるこの時期は

滝の凍った姿が見れるかもと

期待して向かいましたが

結果は、“半凍り”でした。

岩の壁を伝い落ちる水が

ところどころ凍っています。

 

 

 

1m以上はあろうかという大きなつららが

何百、何千と並んでぶら下がる

幻想的な光景。

まさに

自然が作り出した芸術品です。

 

 

 

 

 

こごえる寒さのサイクリングにも慣れつつあり、

冬ならではの魅力を何とか見出せそうです。

 

ただ、

これからもっと雪が降り積もって道が閉ざされたら

この旅はどうなってしまうのでしょうか。

 

どうしよう。

 

 

 

エルズルム到着

2018.12.21

【204日目 7,964km】

 

ホラサンを発ち、

さらに西へと進んでいきます。

 

 

 

ここしばらく天気は良好。

冬の青空は空気が透き通って清々しい気分で走れます。

 

この日は平坦に見えて

ゆるやかな上り坂がずっと続いていました。

90kmの道のりのほぼすべてが上りで

太ももには着実に疲労が溜まっていきます。

 

 

 

 

 

7時間にわたり

ゆっくりゆっくり上り続けて

たどり着いた所が「エルズルム」。

トルコで最初に訪れた都市・カルス

を上回るほどの大きな都市です。

 

 

 

 

ホテルやビルが乱立し

沢山の車が行き交っています。

ヨーロッパとの距離が近いからか

よく目にするのは

BMW、フィアットなどの欧州産。

もちろんトヨタや日産も走ってます。

 

 

 

標高1,500mの高所にあることから

スキーリゾートでも有名なこの街からは

すぐそこに雪山も望めます。

 

 

 

 

 

 

 

 

街中には近代的なビルだけでなく

イスラム教の歴史ある建築物も堂々たる存在感を表しています。

 

2本の塔が印象的なコチラは“チフテ・ミナーレ・マドラサ”。

イスラムの神学校ですが

石造りの重厚な見た目はどこかアルメニアの教会にも似た雰囲気。

宗教は違えど地理的に近いことで

互いに影響を与え合ったのでしょうか。

 

 

神学校の近くにある3つの尖塔

“ユチ・キュンベット”は

細かい彫刻などの装飾がなされた霊廟なのですが

誰を弔ったものかは分かっていないそうです。

 

 

 

 

 

街の中心部には

ショッピングモールもあります。

中央アジアなどの商業施設は

たいてい閑散として空虚感が漂うのですが

こちらは割と賑わっていました。

 

 

 

 

フードコートには

旅の始まり中国以来のマクドナルドが!

日本生まれでも何でもないけれど

久々に見るとちょっと落ち着きます。

 

 

 

 

 

“マンガルバーガー”なるものを注文。

若干ケモノ臭かったので

おそらく羊肉のバーガーです。

セットにナゲットを加えて約400円。

激安ではないですが

やはり日本の相場に比べると安い。

 

 

 

 

 

中央アジアからイラン、コーカサスにかけて

単調な食事が続いておりましたが

中華料理、フランス料理に並んで

“世界3大料理”の1つに数えられるトルコ料理。

確かにその食材、味はこれまでの国よりも豊か。

ここ数日で味わったものをご紹介します。

 

 

“キョフテ”

羊や牛の挽き肉を

卵と玉ねぎをつなぎにしてこねて焼いた

まさにトルコ風ハンバーグ。

空腹時にガツンと食べ応えありです。

 

 

 

 

“バルク・ウズガラ”

そのまんま「魚の塩焼き」です。

この時は食べたのはカツオでした。

黒海、地中海に挟まれたトルコは

海鮮料理も豊富。

レモンを絞ってどうぞ。

 

 

 

“マンティ”

小麦粉でつくった皮で

挽き肉などの具を包んで茹でた

トルコ風ギョウザ。

トマトソースとヨーグルトをかけて

あっさり召し上がれ。

 

 

 

“ピデ”

パン生地にお肉たっぷりの具と

チーズをのせて焼いた料理。

ピザの原型だという説もあるとか。

濃厚で結構お腹にきます。

 

 

 

 

“ストゥラッチ”

お米のはいった

トロットロの焼きミルクプリン。

甘さたっぷりの定番スーツは

脂っこい肉料理の後にピッタリ。

 

 

 

 

 

ここエルズルムの名物料理として有名なのが「ジャー・ケバブ」。

焼肉料理を総称して“ケバブ”と呼ぶそうですが、

こちらはマリネ(酢漬け)した羊肉を

回転させながらローストするもので

垂直ではなく横方向にして焼くのが特徴。

 

 

薄切りにしたものが鉄串に刺さった状態で提供されます。

塩をパパッとかけるだけのシンプルな味付けなのですが

肉の旨みたっぷりでこれまた美味しい。

 

 

このように種類豊富なトルコ料理。

味覚は国や文化によってそれぞれなので

どれが美味しいとは一概には決められませんが、

料理に対してどれだけ工夫するか、手をかけるかという点で

これまでの国のなかでも

中国とトルコは群を抜いていると感じます。

 

しかしトルコ料理はまだこんなものではありません。

西に向かえばさらなるグルメがあると聞いております。

 

究極の食を求める旅、

まだまだ続きます。

 

 

 

寒さ増してくトルコの道

2018.12.16

【202日目 7,877km】

 

カルスで2日間ほど身を休めたら

西に向かってまた走りはじめます。

 

 

 

日に日に下がっていく気温。

知ったところで良いことは何もないから調べてすらないですが

おそらく1℃か0℃くらいでしょうか。

 

吹く風は冷たいけども

走行中に雪が降っていないのが救いです。

 

 

 

 

 

夏のように体力を使い切ってしまうと

バテて風邪をひくのがこわいので

毎日少しづつ進むことにしています。

この日もわずか60km足らずを走り

「サルカムシュ」の町に到着。

 

 

 

 

たどり着くまでの道路に雪はなかったのに

町の中は雪がどっしりで

歩道はかっちかちのアイスバーン状態。

しかも坂の多い所だったので

自転車を押すのも一苦労です。

 

 

 

 

面白いのが

通りを歩く現地の人も

ツルツル滑りまくって

コケそうになってること。

この場所で幾度冬を越せども

全然、雪に慣れてない様子です。

 

 

 

 

 

イランを離れてから

アルメニア、ジョージアの人はシャイなのか

あまり声を掛けられることはなかったのですが、

トルコに入ってまた明るい笑顔とともに

声を掛けられることが増えた気がします。

 

 

夕食時のレストランで同席した地元の女子学生。

散々キャッキャと話したあとで

「写真送っといてねー」と言い放ち去っていきました。

 

親日国として知られるトルコ。

陽気でフレンドリーな人が多いです。

 

 

 

 

 

翌日早くに走りはじめると

空気は前日よりも

ぐっと冷え込んでいました。

ついに道路も

凍ってアイスバーンになってます。

 

 

 

 

主要道路を外れて

車の少ない道をひとり寂しく漕いでいると

横を列車が走っていきました。

写真を撮っていると

中から手を振ってくれるたくさんの人。

こんなちょっとしたことで元気が出ます。

 

 

 

 

 

 

雪の積もった峠を越え

冷たい風にさらされながら

長い下り坂をおりると

小さな集落にたどり着きました。

 

 

 

 

 

通りに立つおじさんに「休んでいきな」

と呼び止められ建物の中へ。

ごうごうと燃えるストーブに

あたりながら飲む甘いチャイ(紅茶)は

前に進む活力を与えてくれました。

 

 

 

 

 

 

さっきまで真っ白だった景色が一変。

平坦な道はなく常にアップダウンを繰り返しているので

1日走っているあいだに

雪があらわれたり突然なくなったり。

汗をかいたり、こごえたりと体温調整が大変です。

 

 

この日もおよそ70kmを走り「ホラサン」の町に到着。

立ち寄ったレストランの愉快な店員さんたちが

教えてくれたホテルに向かいベッドに倒れ込みました。

 

 

世界を旅するサイクリストの悩みの種が“野犬”。

 

彼らのテリトリーに入ると

野生の咆哮とともに親の仇でもあるかのごとく

執拗に追われるわけですが

こっちから「おいでおいで」すると

意外となついてくるものだと最近発見しました。

 

犬って顔は怖くても、

根はいいヤツが多いです。

 

 

 

冬山の洗礼

2018.12.15

【199日目 7,747km】

 

国境付近の町「チュルドゥル」を出発し、

いよいよアジアからヨーロッパへの玄関口である

トルコのサイクリングがはじまります。

 

しかし、意気揚々と走りだしたトルコの道に

冬山の厳しさをまざまざと見せつけられました。

 

 

 

ホテルを出てしばらく走るとそこに綺麗な湖。

透き通る空の下で

気持ちの良い湖畔のサイクリングが楽しめたのも

ほんの束の間のこと。

 

ここからわずか30分ほど走ると

天気は急変し、あたりは雪に覆われ

台風並みの暴風が吹き荒れ始めたんです。

 

手はかじかみ耳はちぎれそうなほど冷え切っているうえ

激しい風で前には進めず後ろにも戻れずまさに絶体絶命!

(カメラを取り出す余裕もありませんでした…。)

 

困り果てていたその時

後ろから1台のワゴン車が通りがかり、

降りてきたドライバーは無言のまま

後ろのトランクを開ると

ジェスチャーで「自転車をのせろ!」と

示してくれました。

 

さっきまで広がっていた青空が

一瞬で灰色の雲に覆われ強風が吹くとは

さすがに山の上。

予想のできない天候は

冬山の油断できないところです。

 

湖から標高が300mほど下がり

雪も減り、風が穏やかになったところにある

小さな町でおろしてもらいました。

 

 

 

車をおりてすぐレストランで食べた牛肉とジャガイモのスープ。

芯まで冷えきった体にしみわたる美味しさでした。

 

 

しっかり体力も回復して

相変わらず冷たい風が吹くなか40kmを走りました。

 

 

 

たどり着いた

トルコ最初の都市は「カルス」。

7万人ほどが住む

トルコ東部最大級の都市です。

 

木もはえない荒野のような風景のなか

どこかから街をまるごと持ってきたかのように

とつぜん都会になりました。

 

通りを歩けば活気に溢れていて

笑顔で声を掛けられます。

アルメニアの首都エレバン以降

あまり元気のない場所が続いていたので

街歩きの楽しさがよみがえりました。

 

 

オスマン帝国の前身である

“セルジューク・トルコ”時代の要塞などの

歴史遺跡もあるカルス。

ヨーロッパからの観光客もいました。

 

イスラム教国家であるトルコにありながら

アルメニア式の教会もあります。

まだ国境からさほど離れていないので

周辺国の文化が交わっているよう。

 

 

 

宿泊先のホテル。

夜が氷点下まで下がるようになってから

野宿や現地の方の家に泊まったりする

機会が減ってます。

 

寒いせいか自転車で走ってても人を見かけることが少なく

地元の方々との交わりも少ないです。

 

ホテル泊はゆっくり休めるし、気楽だけど

ワクワクもちょっと少ない。

 

冬は淋しい季節だ。

 

 

 

 

あっという間のジョージア、そしてトルコへ!

2018.12.11

【197日目 7,692km】

 

 

無事アルメニアを出国してやってきたのは

8ヵ国目となる「ジョージア」。

国境から40kmほどの田舎町「アハラカルキ」に到着しました。

 

特に観光地もない静かな町です。

これまで山中では部分的に雪が降り積もっている所はありましたが

いよいよ町中にもちらほら雪が見えるようになりました。

 

このジョージア。

ワインや伝統料理が評判で長居する観光客もいるそうですが、

これから厳しい冬を迎えるうえで

自転車での進行速度が鈍ることが予想されるため

観光はせず早々と次のトルコに向かうことにしました。

 

アルメニアから直接トルコに入ればよいのですが、

隣り合う両国の関係が悪く国境が閉鎖されているので

一度ジョージアに入国する必要があったのです。

 

アルメニアの山々によって疲労困憊状態のため

この町で3日ほど休憩。

美味しそうなレストランもないので毎日自炊しとりました。

 

 

疲れが癒えたらいよいよ出発。

いちおう道路には雪はないですが

見渡す限り真っ白の景色のなかを走りだします。

 

交通量が少ないうえに、雪が積もっていることもあって

あたりは本当に静寂の世界。

寒さと同時に清々しさも感じます。

 

 

不思議なことに、

若干の起伏がある程度でほとんど標高は下がっていないのに

ある丘を越えると突然雪が消え去りました。

 

「アハラカルキ」の町を出発してから30kmほど走ると

ジョージア-トルコ国境に到着。

 

ジョージアに入る際はかなりスムーズに入国できましたが、

ここではかなり入念な荷物検査を受けました。

数年前にはテロが起こっていたり、

シリアの隣でもあるトルコ。

警備の目を光らせているのが感じ取れます。

 

 

いよいよ国境を越えて入国すると

一気に400mをのぼる峠が待っていました。

本当に休む間を与えてくれません。

 

ここしばらく標高1,500~2,000mのあいだを

ひたすら上ったり下りたりしています。

そして気温は5℃から-5℃。

走っている最中は身体も温まっていますが、

少し止って休むと一気に冷え込みます。

 

 

峠を下った先にあるのが「チュルドゥル」という町。

声を掛けてきた警察が町はずれのホテルへと案内してくれました。

 

1泊1,200円なので

物価はこれまでの国とも大きくは変わらない様子。

 

 

入国後、記念すべき1食目の食事は

やっぱりケバブ。

イランには失礼ですが、ケバブの味はトルコの勝ち。

 

 

ということで

アジアとヨーロッパが出会う国、

地中海と黒海に挟まれた大国“トルコ”の旅がはじまります!

 

 

アルメニア出国

2018.12.7

【193日目 7,632km】

 

大成さんとも別れを告げて、ふたたび1人に。

「スピタック」という町から

北側のアルメニア-ジョージア国境に向けて走りだします。

 

 

アルメニアを出るまで残り100kmあまりなのですが、

山ばかりであることに加えて日が短くなっていることもあり

1日の移動距離も短くなってしまいます。

 

これまでは1日当たり120~130kmほど平気で走れていましたが、

アルメニアに入ってからは100km未満に留まっているのが現状。

やはり冬のサイクリング、

穏やかな季節とはわけが違います。

 

この坂の少し前にトンネルがありました。

中国で旅を始めて以来トンネルはほとんどなく、これで5本目くらい。

困ったことにこれまでどのトンネルも日本のように灯りはついておらず

中に入ると完璧な暗闇。

 

どれも猛スピードで間近を走り去る自動車に肝を冷やすような

命がけの走行でした。

 

今回の2kmにおよぶトンネルも前日から不安だったのですが

トンネルに到着していざ突入しようとした時、

後ろから通りがかった車のドライバーのおじさんが

「自転車で通るのか? 危ないからオレが後ろから守ってやる」

 

駅伝の監督車のようについてきてくれることで、

道を照らしてくれると同時に後続車の追突を防いでくれたのです!

出国直前に、

アルメニア男児の粋な思いやりを感じた出来事でした。

 

 

この日はわずか50km足らずを走り

「ギュムリ」という町で1泊。

 

市役所(写真右)も西洋風の洗練されたデザイン。

こじんまりとした田舎町です。

 

街の中心にある教会を訪れると結婚式が行われていました。

この旅でもかなりの結婚式に出くわしてます。

良いこと良いこと。

 

 

翌朝、日も昇りきらない8時前(日の出がかなり遅いんです)に

標高2,200mに位置する国境に向かい走りはじめます。

 

ギュムリの町が標高1,500m前後なので、700mの上昇。

毎日数百m上るのが日課になってきています。

少しは慣れてる気がするけど

やはり数十kmにおよぶ上りは辛い。

 

村が時々あるくらいで建物はほとんどなく車もあまり通らない、

まさに荒涼とした風景のなかアップダウンを繰り返し進んでいきます。

 

冷たい風を避けて休むような場所もない。

前を向いてひたすら漕ぎ進むだけ。

 

 

出発から5時間ほど。

黙々と進み続け、道ばたに雪も見えてきたころに

アルメニア-ジョージア国境が見えてきました。

 

観光バスはおろか地元の人もほとんどいない、

物流トラックが数台のみというこれまでで最も閑散とした国境です。

パスポートや荷物チェックも、

自転車に乗ったままドライブスルーのごとく

簡潔に(いい加減に)終了しました。

 

 

広大な砂漠が広がるイランとはうって変わって、

起伏の激しい山間に古い教会が美しく点在する

小ヨーロッパのような国でした。

 

短い間でしたが、

さようならアルメニア。

 

 

 

旅の仲間

2018.12.3

【191日目 7,493km】

 

エレバンを発ち、次の国ジョージアを目指します。

 

ゴリスでは霧に阻まれ、エレバンではリダの家でくつろいでしまい

気がつけば自転車を漕ぐことがほぼ2週間振り。

なまった体に鞭打って走りはじめました。

 

 

そして実は、

この日は心強い仲間が!

 

この夏にキルギスの日本人宿で出会った

日本人サイクリスト・大成和義(おおなりかずよし)さん。

「リダの家」でおよそ3ヵ月ぶりの再会を果たしていたのです。

※写真左

 

すでに1年以上世界を走っている旅の先輩である大成さんは

なんと僕と同じ広島県(瀬戸内海に浮かぶ大崎上島)のご出身。

つまり、広島人は自転車で旅しがちということ。

 

※大成さんのブログもぜひご覧ください。↓

「今日も世界のどこかで全力疾走」  https://zenryoku-sissou.com/

 

日本から遠く離れたアルメニアにいながら

僕らの話題は「カープの丸は移籍するのか?」

(行っちゃいましたね。)

 

 

走る道がしばらく同じということで

大成さんと一緒に出発することになりました。

 

 

相変わらず山だらけのアルメニアの大地。

平坦な道はほとんどなく、常に坂道ばかり。

(そのほとんどが登りだったんです…。)

 

 

国のいたるところに歴史ある教会が点在するのはアルメニアの特徴。

首都エレバンを離れて山間部に向かったこの日も

「オハナバンク」、「サモサバンク」という

2つの教会を観光しました。

 

昼はケバブを食べて休憩。

イランを離れてもケバブからは逃げれませんでした。

この時は疲れてたのでただただ美味しかったですが。

 

進めども進めども終わりの見えないゆるやかな上り坂。

終日ほとんど登りっぱなしで

首都エレバンから1,000mほど上がったでしょうか。

 

 

日が沈むころにたどり着いた「アパラン」という町では

調べていたホテルが存在しておらず、

警察に泊まれる場所をたずねました。

 

紹介してもらった暖房なし、お湯なしのホテルに滞在。

本当に寒かったけど、夕食の“鶏肉の何か”は美味しかった。

 

 

明くる日もしばらくは登り坂。

標高も2,000mを超えると景色は真っ白。

水たまりも凍っています。

 

雪を被った山を見渡すことも、

車の中からなら綺麗かもしれないけど

冷たい風が直接吹きつける自転車だとそんな余裕がないです。

ただただ寒かった。

 

 

ゆっくり進み続けて昼頃には標高2,200mの峠に差し掛かりました。

ここから一気に600mを滑降していくのですが

これまた冷たい風の中を切り裂くように走るのでものすごく寒かった。

 

 

2週間ぶりの高山サイクリングは

これから迎える冬の厳しさを思い知るには十分でした。

 

ただ、

たとえ身を切る寒さと終わりの見えない登り坂の途中でも

同じ苦しみを味わう仲間がそばにいることで

前に進もうという気持ちが湧いてくるんです。

 

峠を下った先、「スピタック」の町に着くと

ジョージアの首都トビリシへ向かう大成さんともお別れ。

 

こごえる山越えを心折れることなく1つこなせたのも、

一緒に走る仲間がいたからこそ。

出会いに感謝です。

 

 

そして、これから続く山々は自分だけで

進んでいかなければいけません。

 

旅に出て1人が心細いって思うの初めてかも…。

頑張ろう。

 

 

 

アルメニア、負の歴史

2018.11.29

【184日目 7,384km】

 

 

エレバンの中心部から少し外れた小高い丘の上。

地面に潜り込むように下へと続く階段をおりるとそこに

“アルメニア人虐殺博物館”はあります。

 

アルメニアという国について知ろうと調べるとき、

避けて通ることのできないのが

「アルメニア人虐殺」という負の歴史。

 

僕自身、旅に出るまで

この国の悲しい歴史について何も知りませんでした。

 

この施設を訪れたことで

“虐殺博物館”という名が表すとおりの

物々しい出来事の断片を垣間見ることができました。

 

最盛を誇った15~16世紀から20世紀初頭にかけて

地中海東部沿岸を中心に大きな存在感を示していた

強大な「オスマン帝国」。

 

支配層はイスラム教徒であるトルコ人が占めていたものの、

大国は多くの異なる民族、宗教、文化を抱えていました。

 

長きに渡って共存していた複数の民族たちでしたが

19世紀に入ってキリスト教を重んじる西ヨーロッパ諸国が台頭すると

オスマン帝国内のキリスト教徒である

アルメニア人に対する風向きも大きく変化。

異教徒として排斥しようという動きが始まります。

 

彼らに対する差別が最も激化し、

ついに虐殺が行われたのは1910年代後半。

戦うことのできる成人男性たちは命を軽んじられたことから

第一次世界大戦の最前線に置かれました。

 

女性や子供、お年寄りたちは祖国を追いやられ

オスマン帝国の領外(現在のシリア)の砂漠地域に

強制的に連行されていきます。

そして、ただ追放されただけでなく

そこで彼らを待っていたのは

オスマン帝国軍による人を人とも思わぬ残酷な殺戮でした。

 

崖から湖に飛び込ませ溺死させる。

馬に身体をくくりつけて引きずり回す。

生きたまま火に焼かれる。

 

あらゆる方法で無数の命が消し去られ、

現在でも明らかになっていないながら

その犠牲者の数は数十万とも百万以上とも言われています。

(現在のアルメニア国内の人口はおよそ300万人)

 

 

かなり簡潔にまとめてしまいましたが

このようにして起きたのが、

わずか100年前このアルメニアを中心におこなわれた

近代史におけるはじめての大虐殺ともいわれる

「アルメニア人虐殺」。

 

博物館の外には犠牲となった人びとを追悼する

モニュメントが静かにたたずんでいます。

 

互いに隣り合う

トルコ(オスマン帝国の後継国)とアルメニアは

この出来事を巡った歴史認識問題を抱えており

両国の友好関係構築の障害になっているそう。

 

慰霊の炎の周りに捧げられた花たち。

この写真を撮った直後にも花をたむける人の姿がありました。

 

現在でもこの国の人々の胸に深く刻まれている出来事。

経緯がどうであれ、被害者の累計数がどうであれ

多くの命があまりにも虚しく扱われたことに違いはありません。

 

 

旅をして世界各国を巡っているわけですが、

こうして歴史を知ることは

その土地とそこで暮らす人々に対する敬意を示す方法のひとつ。

 

 

環境に恵まれ自由に旅ができている身として、

多くの場所を訪ねて

世界を知らねばと感じます。

 

 

 

首都エレバン

2018.11.26

【183日目 7,384km】

 

 

タテヴ修道院への観光も終えて

いざ首都エレバンに向かおうとすると、再び雨と霧。

時期的にどうしても悪天候は避けられないようです。

 

朝一晴れてたからと自転車に乗って出発したのですが

山のうえへと進んでいくにつれ天気は悪化、

雨と強風にあおられて宿に戻ってしまうほど。

 

このままでは先に進めないので

やむを得ずバスに自転車を載せて移動することを決心しました。

 

バスといっても実際は大きめのワンボックスカー。

現地の人に任せた結果、

自転車を無理やりトランクにぐいぐい押し込められてしまいましたが

何とか載せて移動することはできました。

もう二度とやりたくない。

 

 

ゴリスから北西に約200km、バスでおよそ4時間。

アルメニアの首都エレバンにやって来ました!

 

首都だけにそれなりに活気があって賑やかですが

人であふれかえっているほどではなく過ごしやすそうな雰囲気。

街や建物の様子を見ると、

イランからぐっと西欧に近づいたように感じます。

 

行き交う人の顔つきはロシア系。

アルメニア語という独自の言語が話されてますが

聞くかぎりロシア語との共通点も多いよう。

文字はロシアのキリル文字をもっとクニャクニャさせた感じです。

 

街中にどしっとそびえ立っている大聖堂。

昼間からお祈りに訪れる人も多くおり、

改めてキリスト教が深く根付いた場所であることを感じます。

 

 

 

エレバン到着の翌日、さっそく口にしたのは

数百年前からアルメニアに伝わる伝統料理「ウドン」。

(嘘ですよ。)

 

あっさりのカツオ出汁とシコシコの麺、

そして上にのっかるのはサクサクの衣に包まれたかしわ天。

それは故郷を思わせる懐かしい味。

 

4年ほど前からオーナーの櫻田さんが営む日本食レストラン、

その名も「SAKURADA」。

日本からの旅人だけでなく、日本の食文化に興味を持つ現地人にも

愛されるレストランです。

 

キルギス以来3カ月ぶりの和食でしたが、

やさしく芳醇なだしの味は五臓六腑にしみわたります。

もう毎日うどん食べながら旅したい。

 

 

 

エレバンから郊外へと足をのばして

観光にやってきたのが「ゲガルド修道院」。

山間にぽつんとたたずむ修道院です。

 

そして、世界遺産にも登録されているこの修道院を

有名にしているのが“ロンギヌスの槍(やり)”の存在。

 

 

およそ2,000年前に磔に処されたイエス・キリスト。

刑が処されたあと、キリストの死を確認するために

亡骸の脇腹を槍でツンツンしたのがロンギヌスという兵士。

浴びた返り血によって

ロンギヌスが患っていた白内障が治ってしまったのだとか。

 

そして、その時に使われた

“ロンギヌスの槍”の一部が発見されたのがここゲガルド修道院。

槍を意味する“ゲガルド”がそのまま修道院の名前になっています。

 

本来であれば少し離れた別の修道院にその槍は展示されていますが、

現在はニューヨークの博物館に貸し出し中。

この旅でニューヨークを訪れるのは1年以上先になるのですが

その頃には槍はアルメニアに戻ってきているそう。

 

追いかけても追いかけても、逃げていく槍。

 

先日訪れた崖の上のタテヴ修道院しかり、

谷間に佇むゲガルド修道院にしかり、

たどり着くにはアクセスの悪い場所にあるのが特徴。

 

かつての僧侶たちは神に近づくため、

俗世間から離れて生活していたということでしょうか。

修道院がなおさら神秘的な雰囲気を帯びている要因です。

 

 

エレバン滞在中にお世話になっている「リダの家」。

 

数年前に宿泊先に困っていた日本人旅行客を泊めて以来、

日本からの旅人を受け入れているリダおばあちゃんとその一家。

ホテルでもゲストハウスでもなく、ここは「リダの家」なんです。

 

アルメニアを訪れる旅人たちには有名なため

複数のバックパッカーの方々が集まっています。

おかげでみんなで鍋をしたりと楽しいひと時を過ごせました。

 

 

穴の開いたズボンを直してくれるリダおばあちゃん。

 

コーヒーを淹れてくれるリダおばあちゃん。

 

このやさしさにどれだけの人が癒されてきたことだろう。

いつまでも元気で長生きしてね。

 

 

 

ついに晴れ間が

2018.11.23

【179日目 7,384km】

 

あいもかわらず霧に包まれた山間の町「ゴリス」で

どこにも行くことができず

悶々と宿で過ごすこと3日間。

 

劇的に天気が回復する見込みもなく

いっそのこと次の町へと進んでしまおうかと

考え始めた4日目の朝のこと。

窓から外をのぞくと、空にはわずかな晴れ間が!

 

 

到着以来、その姿をおがむことのなかったゴリスの町。

高台から見下ろしてみれば

山を背景に家々がずらっと立ち並ぶ景色が美しい場所です。

 

 

まだまだ完璧な天気とはいえませんが

いつ雲に覆われるかもわからないので、

さっそく念願の観光スポット「タテヴ修道院」へと向かうことにしました。

 

ゴリスの町からタクシーで10kmほど、

山の頂へと続くロープウェーに乗ります。

 

麓と崖の上の修道院を結ぶこちらのロープウェー

“Wings Of Tatev(タテヴの翼)”。

 

中継地点を持たないロープウェーとしては

世界最長を誇りその距離じつに5752m。

ギネスブックにも登録されています。

 

閑散期とあって、地元の観光客の方が数名のみでしたが

夏場は満員でこれに乗り込むそう。

 

中国でもロープウェーに乗りましたが、

地上数百mの高さで宙ぶらりんの状態がつづくのって

あまり落ち着くものじゃないです。

安心のスイス社製ですが…。

 

とはいいつつ、地上の谷や川を見下ろすのは

なかなか乙なもの。

まさに鳥になった気分で空の旅を満喫しました。

 

 

そして、たどり着いた先には崖の淵に建つ「タテヴ修道院」。

山に囲まれた場所にたたずむ姿から放たれる独特の存在感。

すべて石でできた武骨なルックスもあって、

ずしっと重厚感を醸しています。

 

中に入ってみれば荘厳な空気が漂っていました。

 

このタテヴ修道院が建てられたのは9世紀ごろ。

建設からすでに1,000年以上が経過している歴史深い建物です。

かつては600人近い僧侶たちが共同生活を送っていたのだとか。

 

敷地内には、地震や敵の襲来(ひずめの振動)を

感知する機能を備えた柱もあったそうです。

 

 

近くの丘から見たタテヴ修道院。

 

日本人にとってあまりなじみのないコーカサスの小国アルメニア。

この国を象徴するのが「タテヴ修道院」に代表される

教会や修道院などのキリスト教関連施設です。

 

イラン、トルコというイスラム教国家と隣接していながら

西暦301年に世界で初めてキリスト教を

国教として定めた国でもあります。

 

“アルメニア正教会”とも呼ばれる独自の宗教文化を築いたが故に

悲しい歴史を持つことにもなるのですが…。

(また後ほど。)

 

 

観光を終えるとゴリスの町に戻りました。

 

連日天気に恵まれなかったゴリスで

お世話になっていた“Aregak Guest House”。

そして、名物女将にもなっているのがお母さん“マリエッタ”。

到着した瞬間から熱いハグで出迎えてくれました。

 

壁にしたためられた

旅人からの感謝のメッセージの数々が

物語っているこの宿とマリエッタの魅力。

 

なかなか外に出ることもかなわず

毎日のようにマリエッタの手作りスイーツを堪能していました。

 

この宿がアルメニアで一番思い入れのある場所になるかも。

 

 

 

何も見えない

2018.11.20

【177日目 7,384km】

 

 

「カパン」の町で一休みをして

大きな峠を越えた勢いそのままに意気揚々と走りだそうとしたその日、

コーカサスの大地は決して優しくありませんでした。

 

 

「ゴリス」という町を目指して朝早く宿を出ると

雲が空を覆い、小雨が降っています。

 

旅をするうえで

多少の暑さや寒さ、雨に雪は覚悟をしているつもりですが

この日の出発からわずか5kmで行く手を阻んだのは“霧”。

ほんの20~30m先が見えないほど濃く深い霧が

一帯を覆い尽くしていました。

 

視界が奪われた中、蛇行しながらアップダウンを繰り返し

さらに車も行きかう山道を走るのはあまりにも危険と判断し、

やむを得ずタクシーでの移動を決断しました。

 

地元のドライバーは慣れているのでしょうが

助手席に座っていると、

どこを走っているのかわからず、ギリギリまで対向車の姿も見えず

命の危険すら感じる極限のドライブです。

 

 

肝を冷やしながら1時間ほどで目的の町「ゴリス」に到着しました。

ほんの少しだけど標高が下がるぶん霧もはれていると思いきや、

やはり町全体に立ち込める深い霧。

 

古くから山間に存在する歴史ある町だそうですが、

どんより沈んだように感じます。

おまけに雨でろくに散歩もできず。

 

 

 

この町にやってきた旅人たちが目指すのは

少し離れた山にある「タテヴ」。

崖の淵に建つ教会が絶景と評判の観光地で

期待に胸が膨みます。

 

天気なんて日々移り変わるもの。

そのうち晴れるだろうとゴリスの町で

1日過ごし2日過ごし、太陽の姿を首をながくして待っていました。

 

ところが、

国土のほとんどが標高1,000m以上という山岳国家アルメニア。

待てども待てども、一瞬たりとも霧がはれることはありません。

 

 

 

同じ宿に滞在していたドイツ人バックパッカーの方と

何もしないまま過ごしていたところ、

「ここならあまり霧も出てないはず!」という宿主のアドバイスを受け

タクシーで近くの観光地に行くことにしました。

 

そこは、

吊り橋が掛かった谷の向こう側に

中世の人々が暮らした洞窟住居群があるという

地元有数の観光スポット。

 

久々に霧の外に出られるかもとワクワクしながら

タクシーに乗り込みます。

 

相変わらず視界の奪われた危険な山道を進み、

10kmほど走ると到着!

 

 

あれ?

 

あれれ?

でもまあ吊り橋の向こうはきっと…

 

 

 

……、

……………。

そのまま宿に戻って温かい料理を食べました。

 

 

旅の出発当初、訪れる予定はなかったのですが

出会う旅人たちが口を揃えて「美しい」と称賛していた国・アルメニア。

 

僕にはまだその魅力を理解できそうにないです。

 

 

 

7ヵ国目”アルメニア”

2018.11.17

【174日目 7,379km】

 

イランを北側に抜けてたどり着いたのは

7ヵ国となる「アルメニア」。

カスピ海と黒海に挟まれ、険しい山が連なった

「コーカサス」と呼ばれる地域に位置する国です。

 

国境を越えてすぐに景色が変わるということはなく

イラン北部から引き続き、緑の少ない岩山の間を縫うように走りました。

 

入国したこの日は山中の小さな村「メグリ」で1泊。

通りを歩く人とすれ違っても

イラン人のように元気よく声を掛けられることがありません。

 

気温も下がりどことなく寂しさを感じてしまいますが

まだまだ田舎なので、アルメニアの雰囲気が掴めるのもしばらく先でしょうか。

 

初日から驚いたのは宿の値段。

暖房もなく病院のような飾りっ気のないベッドが

ぽつんと置かれただけの部屋で5,000ドラム(≒1,150円)。

 

イランでは500~700円ほどで安宿に泊まれていたので

高く感じてしまいます。

節約しよう。

 

 

 

翌日、南の端からアルメニア中心部を目指していくわけですが

滞在2日目にして目の前に難関が立ちはだかっていました。

はるか高く峠を越えていかなければならず、

その高さは出発地点の村・メグリから1,960m。

 

イラン後半から起伏が激しく、いくつも山を越えてきましたが

今回は少し段違いです。

2,000m近くをたった1日で登ってしまうのはこの旅でも初めての経験。

果たして自分にできるのだろうか…。

またしても、前日から不安に襲われていました。

 

 

日が昇って間もない朝7:30、

少しおびえながら漕ぎだします。

 

走りはじめは快調。

ゆっくりゆっくりではあるけれど、これを繰り返していけば

いつか着くんだと自分を励まします。

 

とはいいつつも、時間が経つにつれ高く登っていくにつれ

踏み込むのが重くなっていくペダル。

少し勾配が急になるとすぐにサドルを降りて自転車を押して進みました。

 

過酷さを記録するため、なるべくたくさん写真を撮ろうを思ってましたが

結果的に登りながら唯一撮ったのがこの1枚。

カメラを構えるために立ち止まってしまうと、

次に踏み出す一歩がなかなか出ないんです。

それくらいしんどかった。

 

途中で、持ってきたパンをかじりながら

なるべく止まらないよう少しずつ登ります。

それでも午後になってからは足がつりそうになり

数十m進んでは休むの繰り返し。

 

そして、午後3:00頃。

登りはじめてから7時間半、標高は2,535m。

ふらつきながらもついに峠に到着しました。

 

 

まばらではありますが雪を被った峠付近。

ゆっくりでも必死に進んでいるとじんわり汗をかきますが、

少し休むとすぐに0℃近くの寒さが身体を冷やします。

 

北側(写真左側)に向かうと一気に下り坂。

努力が報われたように気持ちよく滑り降りていきました。

 

山をくだりながら見下ろしたカジャランという町。

この日はさらにここから30kmほど下りて

「カパン」という町で休みました。

 

 

過酷な道が続き、

ときに次の町へと向かうのが怖くもある自転車旅。

そのぶん、困難を乗り越えた達成感も相まって

たどり着いた先のなんでもない安宿のベッドが

最高に気持ち良いんです。

 

まだまだこの調子でビビりながら進んでいきます。

 

 

 

 

さよなら、イラン

2018.11.14

【173日目 7,305km】

 

 

イラン最後の都市タブリーズでしばらく休むこと3日間。

いざ北の隣国「アルメニア」に向かいます。

 

 

気合を入れて走りだしたその日ですが、ちょっと予想外のことが。

 

目指すはタブリーズから真北の方角に位置する

イラン-アルメニア国境だったのですが、

直進の最短ルートを行くと途中の山を1,000m登る必要があります。

 

これまでの経験からも十分越えられるはずと意気込み、

朝早く出発しました。

そして徐々に急になっていく勾配を登っていくこと

3時間、距離にして30kmほど。

 

小さな村の商店に寄るとそこには井戸端会議をする地元のおじさんたち。

これから山を越えてアルメニアに入国することを伝えると、

「無理だ、雪が積もって車でも行けないぞ。戻れ!」

 

なんとも浅はかでした。

イラン北部の気候と標高を考えれば、雪は想定できたはず。

タブリーズまで戻るというトラックの運ちゃんに乗せてもらい

その日はまた宿に戻って、ベッドでぬくぬくと休みました。

 

これから気候も地形も過酷になっていくため、

地元の人からの情報収集は非常に重要です。

今回の出来事はそれを学ぶための必要な失敗だったのです。

(絶対必要だったんです!)

 

 

 

気を取り直して翌日、山を迂回する国道ルートを走りはじめました。

若干の起伏はあるものの道も整備されていてなんとも走りやすい。

急がば回れとはよく言ったもの。

 

 

イラン北の果ての町「ジョルファ」で1晩休み、

国境である川に沿って走ります。

 

 

川の右手はイラン、左手は未承認国家「ナゴルノ・カラバフ」。

隣り合うアルメニアとアゼルバイジャンがその領土権を争っている地域です。

 

平坦だろうという予想に反してアップダウンの激しい川沿いを

東に走ることおよそ60km。

ついにイラン-アルメニア国境に到着しました!

 

両国を分ける川に架かる橋の向こう側に渡れば次の国アルメニア。

いよいよ1カ月以上に及ぶイランの旅は終わりです。

 

 

ユーラシア大陸の中央に位置する中東の大国イラン。

陽気で友好的で、

ふらっと訪れただけの旅人を優しく暖かく迎え入れてくれる人たち。

 

常にのんびりで、時にいい加減な彼らは

「厳格な生活習慣を持った排他的な国」という

ネガティブなイメージを拭ってくれました。

半ばその優しさにすがる様に旅をしてしまっていましたが、

それほどにこの国の魅力は「人そのもの」だったなぁと感じます。

 

寂しさを噛みしめつつ、これからも色んな人に出会っていかなければ。

 

ということで

さよなら、イラン。

 

 

 

イラン北部をゆく

2018.11.10

【166日目 7,096km】

 

山あいの小さな村“シャル”からさらに北に向かい国境を目指します。

 

 

イラン北部になると気温もぐっと下がり防寒が必要になってきました。

10℃を少し上回るくらいでしょうか。

 

ピリッとした空気が肌寒い一方で、

視界が澄んで空の青がすごく鮮やかで気持ちいいです。

しかしこれから本格的な冬を迎えるのが不安で不安で仕方ない。

 

 

有名観光地の少ないイランの北部。

外国人が珍しいのか、声を掛けられる回数が一段と増えた気がします。

おかげさまで、こちらからお願いしてもいないのに

その日の寝床はなんとかなるからありがたい。

 

“ギヴィ”という村で迎え入れてくれたのは

小学校教諭の「アレハンさん」とその兄弟。

サッカー大好きな彼らとの話題はもっぱら

ACL決勝戦の鹿島アントラーズVSペルセポリス(イラン)について。

 

というかこの1週間、出会う人に「日本人だよ」と伝えるたび

ACLの話題ばっかり。

娯楽の少ないイランにおいてサッカー熱はかなりのものです。

 

 

さらに次の日、

かなり久々に本格的な雨に降られながら走っていたときの事。

横を通り抜けた1台の車が目の前で停まりました。

 

「近くの街に俺の家があるからそこまで乗っけてくよ!」

 

基本的に車では移動したくないしもうすぐでその街に着くしなぁ、

とためらいつつも雨は止みそうにないし風邪の予感もしてたので

お言葉に甘えてしまいました。

 

プロのレスリング選手として駆け出しのころにケガをしてしまい

現役の道を断たれた「バーゲルさん」。

現在は、牧場で働きながらレスリングコーチをするいいお父さんです。

 

鍛えることが大好きな彼には夜の8時半に「泳ぐぞ!」と

市民プールに連れてかれました。

(プール行くには時間遅いんですけど…。)

 

いざ行ってみると温水のジャグジーがあって、ずっとそこに浸かってました。

イランでお風呂に入れるとは予想外。

めちゃくちゃ気持ちよかったです。

 

戦闘民族であったペルシャ人の家庭にはナイフに剣に銃まで。

夜中に身体をズタズタに切り裂かれるのではと思いましたがそんなことはなかったです。

 

右上の手はキツネではなく、聖なる動物オオカミ。

トルコやイラン北部では幸福のシンボルだそうです。

 

 

さらに翌日、1日走ってイラン最後の都市“タブリーズ”に到着。

もう一つ山を越えれば次の国・アルメニアが待っています。

 

連日の走行を終えて大都市に着くといつも安心感を感じるのですが

今回ばかりは心優しいイランの人との別れが近づいていることに

寂しさがこみ上げてきます。

 

タブリーズの名物は、1000年以上も前から街の中心に存在しており

世界遺産にも登録されているというバザール。

道が入り組んでいるうえに人がかなり密集しているので1度入ると同じ所には出られません。

 

並んでいる商品はほかの街と変わりありませんでした。

電化製品や洋服など現代的なモノもあるのですが、

こういう香辛料は何百年も前から同じカタチで売られてるんでしょうね。

 

 

故障のため、「新富士バーナーさん」から再度ご提供頂いた

ガソリンストーブの代替品と、

実家から送られたみそ汁をこの街の郵便局で受け取りました!

 

改めて、

多くの人に支えられてこの旅は成り立っていることを実感しております。

 

 

やっぱりみそ汁美味しいなあ。

 

 

 

山を越える

2018.11.7

【162日目 6,730km】

 

“マースーレ”での滞在を終えると、

再び北に向かって進んでいきます。

 

 

北側の国境にたどり着くためには

幾つかの山を越えていくことは避けられず、

高所の村・マースーレからさらに上を目指さなければなりません。

 

この日、越えていく峠は標高およそ2,800m。

のんびり坂道をのぼれるのならまだいいですが、

傾斜も急でわずか10kmあまりの移動の内に

1000m以上の高さまで上がっていきます。

 

果たして、自分の体力で越えていけるのか

前の晩からソワソワしてうまく眠れないほど。

 

覚悟を決めて朝早く走りはじめると

緑豊かな風景に癒されつつ、少しずつ進みました。

さすがにコンクリートの舗装路ではないですが、

車の往来はあるようでしっかり踏み固められて思いの外走りやすい山道。

 

ギアを一番軽くして必死にペダルをぐるぐる回しますが

少しずつ傾斜はきつくなり、しまいには自転車を押して歩くことに。

標高が上がるにつれ気温が下がると汗も出てこなくなります。

 

 

1時間に5kmも進まないようなペースでゆっくりゆっくりと登っていき

4時間が経った頃でしょうか、ついに峠にたどり着きました。

 

冷たい風が吹き抜け、雲を見下ろす標高2,800m。

予想以上に早く着き終わってみれば大したことはなかったのですが、

登り切った後の気分はやっぱり清々しいもの。

 

 

峠の向こう側は舗装もされており、整った道を一気に下っていきます。

猛スピードで走ると身を切るように吹き付ける冷たい風。

 

重い荷物を積んで下り坂を進むと自転車の勢いが猛烈なので

ブレーキが利かずヒヤッとすることもしばしば。

お金出して良いブレーキにしとけばよかったな…。

 

 

山を下り人家が見え始めると“シャル”という小さな村にたどり着きました。

 

通りを走っていると、ある男性が寄ってきて

「ヘーイ、ストップストップ!!」

と半ば強制的に自転車を止められます。

 

外国人旅行者と話をするのが大好きな“モルテザ”というこの男性。

「紅茶だけでも飲んでって! いや、むしろ泊まってって!!」

かなり必死に招き入れようとしてくれました。

 

まだまだ走れる時間だったので迷いつつも、

良い人そうだしいいかなということでお世話になることに。

 

夏場だけ開店して現在は休業中のレストランに寝床を準備してくれました。

寒さもしのげてかなり快適。

 

それから車で村を案内してくれたり、

ご飯をごちそうしてくれたり、

一緒にTVゲームをしたり。

 

心温まるおもてなしのおかげで、

観光資源なんて何もない小さな村にも忘れられない思い出ができました。

 

 

イラン北部では養蜂が盛ん。

村のいたるところに木箱が置かれています。

 

巣まるごと供される新鮮なハチミツは甘さたっぷり。

最高の朝食でした。

 

 

 

山奥の村”マースーレ”

2018.11.3

【160日目 6,679km】

 

北の方角にある国境へ向け、引き続き進んでいます。

 

10月も後半にさし掛かったとはいえやはり砂漠の国イラン。

汗が滴るまではないですが、

まだまだ半袖で走れるほど。

 

国土のほとんどを緑の少ない砂漠や荒野が占めるイランですが、

北部のカスピ海の周りにはぐるっと覆うように山脈がそびえています。

 

もちろんこれを超えていく必要があるのですが、

首都のテヘランはすでに標高1,000m越え。

ほとんど登ることなく山間を滑降するように

カスピ海沿いの地域へ下ることができました。

 

 

気持ちよく山を下りた日は

路肩のレストラン横の小屋で一晩お世話になりまして

明くる日にそのままカスピ海沿岸を進むこともできたのですが、

ここでしばし寄り道。

再び山の中へと向かいます。

 

 

久々に緑に囲まれた山の中を漕ぎつづけ、

2時間ほどかけて900mの高さを登りました。

 

 

はるばる高所目指してたどり着いたのが、

標高1,500mにひっそり佇む山奥の村“マースーレ”。

山肌に張り付くように無数の住宅が寄り添い合い建っています。

 

標高のせいもあり、

見上げるとすぐ真上はかなり濃い霧に包まれていました。

というかほとんど雲の中にいるような感じ。

 

遠目から一見するとただの集合住宅のように見えるこの村。

 

実はここ、

家の上にまた家がのっかるようにして建てられており

それぞれの家の屋根が生活道として利用されているんです。

つまり、自分の頭の上を誰かがペタペタと歩いている状態。

そのためどの家の屋根も平らにできています。

 

内部をのぞいてみると家と家の間には階段がびっしり。

かなり傾斜も急で足腰がしっかり鍛えられそうです。

当然、自動車が乗り入れるような道は無し。

 

綺麗に段々になっているわけではなくて、

それぞれの家の向きや高さはバラバラ。

 

おそらく都市計画も何もなく、

低い位置から建てたいように建てたんだと思いますが

道も階段も非常に入り組んでいて、

まさに村全体が立体迷路になっているマースーレ。

 

手すりすらない坂道が複雑に絡み合っているので

気を付けて歩かないと、時々ヒヤッとしてしまいます。

多分、年に何人か落ちてる人いそうですけど…。

 

中心部に数多く並ぶのはお土産屋さんに、レストランやカフェなど。

イラン国内の人々に人気の観光地らしく、

夜はかなり賑わっていました。

 

反面、外国人観光客をそれほど見かけなかったんですが、

あまり有名ではないんでしょうか。

雰囲気があって良いトコなんですけど。

 

足元に通りが伸びていて人が歩いてたり、

頭上に誰かがいてこっちをのぞいてたり。

なかなか日常では味わえない不思議な空間がここに広がってます。

 

人間ばかりでなく犬もいっぱいいました。

鎖でつなぐ習慣がないからなのか、

角から急に現れるのでしょっちゅう驚かされます。

 

ちっちゃな村だし、

することなくて暇なんでしょうね。

 

観光でふらっと訪れるぶんには良いのでしょうが、

杖をつくお年寄りの姿を見るたびに

ココに住むのは大変だろうなあと感じてしまいます。

 

 

山間の限られた空間を有効的に使って出来上がった村・マースーレ。

その土地ならではの独特の暮らしを目にするたび、

世界には色んな場所があるもんだと感心するばかり。

 

イランの旅もそろそろ終盤。

出会う景色をしっかり目に焼き付けて進んでいきます!

 

 

 

やさしさが止まらない

2018.10.31

【157日目 6,461km】

 

 

無事イラン延長分のビザも取得し、

再び自転車に乗って進んでいきます。

 

イラン各所への観光旅行とビザ待ちもあって、荷物を積んで走るのが2週間ぶり。

漕ぎはじめは重みを感じてフラフラしてしまいました。

 

首都テヘランの混雑は相変わらずで、

すぐ横すれすれを追い抜いていく自動車たち。

都市部を抜けるのに2時間ほど掛かったでしょうか。

 

 

しっかり走行感覚を取り戻したこの日の終わりに

たどり着いたのは道端のサービスエリア。

 

食事を済ませ、広々した駐車場の隅にこっそりテントを張ることに。

無事設置を済ませて売店に水を買いに行くと

レジのおじちゃんが、

「あそこで寝るつもりなのか? 寒いし、野良犬もいるぞ」

 

そのままおじちゃんとレストランの店員さんたちの緊急会議開始。

結果的に「ここで寝な」と通されたのはレストラン横にある

イスラム圏お馴染みの礼拝部屋。

こんな神聖な場所で寝てもいいのかと思いつつ、お言葉に甘えました。

 

イランに入国して以来、

移動中は毎日と言っていいくらい好意を受け取っています。

こんなに人に親切にしてもらうばかりでいいのかと疑問を抱きつつも、

イラン人のやさしさは止まりません。

 

 

翌日も快調に走りはじめたのですが、

いつかやらかすのではと思っていた失敗をついにしでかします。

 

お昼過ぎに少し休憩をしようと自転車を停め、

スマホのGPSで場所を確認したところ真っすぐ西に向かっていたつもりが

気がつけば矢印は下向き、南に下っていました。

 

大きな街に入り、抜け出すときに間違った方向に出てしまった様子。

正しい道路には後方30km戻る必要があります。

 

時間にして2時間分ほどの走行が水の泡になったと嘆きつつも

できるのは自分を責めることだけ。仕方なく来た道を引き返します。

 

 

再び2時間かけて合計60kmの無駄な寄り道を済ませ、

本来の道に戻ってすぐのこと。

1台のセダンがのろのろと並走してきました。

 

「ヘイ、フレンド! どこから来たんだい?」

声を掛けられても、遅れを取り戻すために

いちいち止まってる場合じゃないとさらっと流して先を急ぎました。

 

すると、わざわざ路肩に停めた車から降りてくるドライバー。

「オレは警察官なんだ。何か君の力になりたい」

胸には確かに警察のバッジもあり、すでに夕方だったことから

言われるがままついていくことにしました。

 

たどり着いた先は彼の家。

あがるなり果物やチャイをごちそうになりました。

 

「ここを家だと思ってくれていいよ。」

優しい言葉のまま、シャワーを借りたり、車で町を案内してもらったり。

とにかく至れり尽くせりでした。

 

食事までごちそうになり、すっかり家でくつろがせて頂きました。

やはり布団でぐっすり眠るのはテントよりも快適なもの。

 

居間でくつろぎながら次々聞かれるのは日本のことや、旅のこと。

見知らぬ外国人に興味津々で接してくれました。

 

 

現地に住む人の優しい表情を見ているときは、

“他人の親切を食いつぶしているだけでは?”という疑問も吹き飛んで、

“出会えて良かった”という感謝の気持ちが沸いてきます。

 

その時間、その場所にいたからこその出会いに気づかされるのは、

間違えた道にも意味があるということ。

 

心優しき警察官、バーバイーさん一家。

素敵なひと時をありがとうございました!

 

 

ただいまテヘラン

2018.10.27

【150日目 6,226km】

 

ほぼ1週間かけてイランの有名観光地を巡った後に

再び首都テヘランに舞い戻ってきました。

 

相変わらず道路は混沌としており、

どこを歩いても人口密度の高さを肌で感じます。

 

すぐに自転車に乗って出発したいところなのですが、

ビザ期間30日間のうちに出国することが難しそうなので

ビザを延長する必要があります。

 

申請の次の日には発行されるとのことだったでのんびり構えてたのですが

観光から戻った翌日の木曜に申請のため警察に行くと、

翌週の月曜日までかかるとのこと。

イスラム圏は金曜日が休日であることを完璧に忘れていました。

 

急に3日間予定が空くって結構長いです。

せっかくなのでテヘランをぶらぶらしてみました。

 

見所の少ないテヘランにも世界遺産があって、

それがこの「ゴレスターン宮殿」。

かつての王宮が現在は博物館になっています。

 

内部はまさに贅沢尽くしで、キラキラの装飾に覆われています。

展示品は各国からの調度品などが並んでいました。

 

宮殿から少し離れると考古学博物館もあります。

ただ、早く走りたいとはやる気持ちのせいかあまりじっくり見ていませんが…。

 

観光なんて1日で終わってしまい何とか時間を潰すべく

バザールを歩いてみたり、

 

ざくろのフレッシュジュースを飲んでみたり、

 

いろいろするのですが少しづつうんざり感じ始めます。

ゆっくり休めばいいのに

何でこんなに落ち着かないんだろうと考えるとある答えが見つかりました。

 

それはイランのレストラン事情です!

 

ケバブ。

 

次もケバブ。

 

はい、またケバブ。

 

ケバブに次ぐケバブ。明けても暮れてもケバブ。

 

そもそもレストランが少ないのにその多くがケバブ屋さんなんです。

サンドイッチ屋さんもあるんですがモサモサしてあまり美味しくない…。

 

あまり食にこだわっているつもりもないんですが

「次の食事なに食べようかな、フフフ」っていう楽しみが

ものすごく大切だということに気づきました。

早く次の食文化に出会いたい!

 

 

実は自転車でテヘランに着く前に初めて装備品のトラブルがありまして。

外で料理をするためのガソリンストーブですが、

火がつかなくなってしまいました。

 

提供メーカーさんに確認をした結果、

内部に溜まったススを取り除く際に、重要な部品を誤って捨ててしまったことが発覚。

早急に対応いただきイラン出国直前の都市で

日本からの代替品を受け取ることになりました。

「新富士バーナー」さん、本当にありがとうございます!

 

これからもっと大変なトラブルが待ち構えているんだろうなあと

びくびくしながら進んでいきたいと思います。

 

 

 

観光地めぐり②

2018.10.23

【149日目 6,226km】

 

ヤズドを後にして

夜行バスで次の街「シーラーズ」に向かいます。

 

 

シーラーズを訪れる人の多くが目的とするのは

車で1時間ほどの郊外にある遺跡“ペルセポリス”。

 

約2,500年前の帝国・アケメネス朝ペルシアの宮殿群で、

500m四方ほどのかなり広大な範囲に広がるこの遺跡は

世界遺産にも登録されています。

 

長い年月を経ているため破壊されている箇所も多いですが

それでも吹きさらしの大地にありながら

2,000年以上経過した現在も、数々の彫刻が姿を残しています。

 

機械もない時代に人の手によって掘られた芸術はかなり見もの。

ライオンの彫刻があったんですが、中東にライオンがいたんでしょうか。

 

王族が住む宮殿だけとしてだけでなく政治や儀式も行われていたらしく、

かなりの人数を収容できる施設が複数あったようです。

丘から見下ろせばその規模が一目瞭然。

 

 

シーラーズの街中にも歴史あるモスクや庭園などが数多くありますが、

なかでも有名なのが“マスジェデ・ナスィーロル・モルク”。

モスクのタイルは青を基調としたものが多いなか、

細かくピンクのバラが一面に描かれていることから

「ピンクモスク」とも呼ばれています。

 

そして、西側の礼拝堂に足を踏み入れるとその先に幻想的な空間が広がっていました。

差し込む光がステンドグラスを通過して綺麗に反射します。

 

この瞬間が見れるのは東から低い朝日が差し込む午前の数時間のみ。

早起きして7時過ぎに到着したらすでに20名ほどの観光客がおり、

良い写真を撮るべく場所取り合戦が勃発してました。

 

 

さらにシーラーズから北に向かうのは「イスファハーン」。

中世の王朝が首都を置いた場所であり、

「世界の半分がある」と称されてきた街です。

 

見どころは中心部にあるイマーム広場。

モスクや王宮、さらにバザールなどの複合施設で

当時の建設技術の最先端が詰まった綺麗な場所です。

 

光に照らされた美しい夜の姿。

 

ただ、

左右対称の整った形状、繊細な装飾、

豪華絢爛を形にしたようなデザイン。

非の打ちどころのないイスラム建築もお腹いっぱいになりつつあります…。

 

 

街を流れる河にはおよそ400年前に

都市計画の一環で架けられた橋が今も残ります。

写真はその1つ、ハージュ橋。

 

夕方になると地元の人たちが多く集まってきました。

それぞれの時間を過ごす憩いの場にもなっているよう。

心の落ち着く場所です。

 

イマーム広場で出会った日本語を巧みに操るイラン人が

「コノ料理ニハ、世界ノ全テガ詰マッテイマス。」

と称賛していた地元の名物料理“ベルヤーニ”。

 

羊肉をこねて焼いたものですが、食感がパッサパサのモッサモサ。

ガストのハンバーグの方が断然美味しいんですけども…。

 

 

 

観光地めぐり①

2018.10.21

【144日目 6,226km】

 

1週間に及ぶ走行の末にたどり着いた首都テヘラン。

少し落ち着きたいところだったのですが、

人ごみに溢れ、空気も汚く、これといった観光地もないというのは

各国の首都ではお約束。

 

実はイランの見所は国の中央部~南部に集中しています。

もちろん自転車でまわれたらいいのですが

ビザの期限や冬が迫っているという焦りもあって

宿に自転車を残し、交通機関で各観光地を巡ることにしました。

 

早速、駅に向かって電車に乗るのですが

イランの特徴でもあるのが交通機関の安さ。

 

7時間ほどかけて400kmあまり南へ下る大きな移動だったのですが

切符の値段は400円ほど。

日本のタクシー初乗り運賃よりも安いです。

 

上等席ではなかったのですが隣には食堂車両がついていました。

思わぬところで人生初体験を味わっちゃいます。

(料理は普通のケバブでしたが)

 

 

 

のんびり揺られつつ日が暮れてから

到着した街の名が“ヤズド”。

砂漠に囲まれたイランの定番観光地です。

 

 

モスクを中心に広がる旧市街が特徴で、

藁を混ぜた土壁でできた住宅が迷路のように連なります。

 

外部の車両は入ってくることができないので

のんびり散歩をしながら街で暮らす人々の姿を垣間見ることができました。

 

 

さらにヤズドは、

世界最古の宗教として知られる「ゾロアスター教」の中心地

ということでも有名。

 

この「ゾロアスター教」は

砂漠の宗教と言われるユダヤ教、キリスト教、イスラム教はもちろん

シルクロードを辿って仏教にも影響を与えたことから

人類史すべての主要宗教のルーツになっているとも言えるそうです。

 

拝火教とも呼ばれ、火を崇めるゾロアスター教。

旧市街から少し離れたところにある寺院をのぞくと

預言者“ツァラトゥストラ”が灯したといわれる聖火が煌々と燃えていました。

 

ゾロアスター教の善の神“アフラ・マズダー”は

広島が誇る自動車メーカー「MAZDA」の社名の由来でもあります。

 

 

さらにヤズドの街外れに

2つ並んで小高い岩山のようにたたずむのが「沈黙の塔」。

コチラもゾロアスター教の重要な遺産です。

聖なる火、水、土を汚すことを嫌った人々が

死者を葬る際に選んだのが鳥葬。

 

塔の頂上に亡骸を安置し、

その死肉をハゲタカがついばむのを待つという方法。

そして残った骨を中央の穴の中に放っていたそうです。

 

紀元前の昔に、

死者を送る神聖な儀式がおこなわれていたこの場所。

遠い過去の時代も今と変わらず

亡き人の命に対する敬意がはらわれていた証です。

 

 

イラン観光地巡り第1弾は

人類史のルーツともいえる聖地を訪ねる

貴重な体験となりました。

 

引き続きイラン観光ツアー楽しんでまいります!

 

 

首都テヘランへ!②

2018.10.17

【141日目 6,226km】

 

砂漠の町シャールードで1日休みをはさみ

再びテヘランを目指して走りはじめます。

 

相変わらず色彩の乏しい景色の中を黙々と進んでいきました。

中央アジア・キルギスの豊かな青と緑が懐かしい。

 

巨大なユーラシア大陸の真ん中だからなのか、

中央アジアでは雨に降られることはなく連日晴天だったので

天気予報をチェックするという習慣すら忘れ去っていました。

ところがイランでは空模様が怪しくなることもあり、

にわか雨に遭ってしまうことも。

 

カスピ海沿岸には高い山が連なり5,000m級の山まであるそう。

砂漠を走っていてもかなり起伏があります。

 

この日も傾斜を800m登った先にあるサービスエリアに到着。

傍らには2,000年前の遺跡がありちょこっと探索してみました。

するとパトロール中の警官に呼び止められて、

そのまま警察の詰め所に泊めさせてもらうことに。

 

休憩室のようなところに横になっていると

色々な人がやって来て休んでは、また出て行ったりの繰り返し。

こちらから「あなた誰なの?」と尋ねると、

「警察だ。」「レストランのコックだ。」「近くで店をやってるんだ。」

みんな答えはバラバラ。

 

なんで警察の詰め所にこんな色々な人が好き勝手出入りするんだろう。

海外のこういうトコロって本当によくわかりません。

でもとにかく安全に夜を越すことはできました。

 

 

何百キロと離れた場所でも残り200kmほどとなれば

何となく終わりが見える気がしてきます。

走る以外なにもすることがない荒野の中にいるので

いちいち休んでられないと毎日走り続けました。

 

 

そして最後の夜、たどり着いたのが道端にある“キャラバンサライ”。

かつてシルクロードを渡った商人たちのための宿です。

現代風の改築がされており、どことなく上品。

 

レストランで食事をするだけの予定だったのですが

せっかくなので泊まってみることにしました。

 

中庭を囲うようにロの字型に配置された宿泊部屋はこじんまりしており

砂を防ぐためなのか窓はついていません。

少し暑いのですが、こういうところは快適性よりも雰囲気が大事なんです。

 

1泊1,000円と予想よりリーズナブルでしたが他の観光客はゼロ。

周囲数十kmにわたって観光地も何もない場所だからか

そもそも車もほとんど通らないようなところでした。

 

翌朝、宿のオーナーと

「朝食代が高い!」「いや、高くない!」と

激しい言い争いをしつつ互いにムスッとしたままここを出発。

(絶対高かった。)

 

 

そしてこの日、約150kmを走りぬいて

たどり着いたのがイランの首都「テヘラン」。

ついに到着です。

 

休養日を1日はさみ7日間で走った距離が905km!

かなり走ったつもりですが、疲れもあまり溜まっていません。

身体が旅に慣れてきてるんでしょうか。

 

しばらく自転車をおいてのんびりします!

 

 

 

首都テヘランへ!①

2018.10.13

【136日目 5,817km】

 

イラン東部の都市マシュハドから

まっすぐ西の方向にあるのが首都「テヘラン」。

地図で見る限りその距離は800kmあまりにおよび、

東京-広島間に相当する大移動となります。

 

マシュハドの街を少しはずれるとあたりは何もない荒野がつづきます。

カザフスタンあたりからずっと似た景色ばかりで新鮮味がないのは

ユーラシア大陸中央部を走るサイクリストにとってちょっとした難点。

 

それこそ広島から東京に向かうのであれば、

兵庫で有馬温泉に入ったり、大阪でたこ焼き食べたり、静岡で富士山を眺めたり

その土地ごとでの楽しみがあるのになあと妄想してしまいます。

好きで走っといて文句言うなって話ですけども…。

 

 

大移動の初日は野宿をする予定でした。

しかし、毎度のことながら良い意味で予定とは違う方へと向かっていきます。

 

日が沈む前に食糧調達のために寄った小さな商店で買い物を済ますと、

「この近くに俺の部屋があるからそこで寝てけよ」と店主。

店から少し離れた長屋の一室には

家庭のリビングルームのような空間が広がっています。(シャワー、トイレ付き)

店主の家は別にあるらしくこの夜は一人でここに寝ることに。

 

 

のんびり休んでいると、突然図体の大きな中年の男たち5人が入ってきました。

なんで日本人がここにいるんだと驚かれましたが経緯を説明すると

チャイ(紅茶)をすすめられ歓迎ムードに。

しばらくして、輪になった男たちはトランプで遊び始めます。

 

店主の友人である彼らは毎夜ここに集まって

チャイを飲み、シーシャ(水タバコ)を吸いながらトランプに興じるそう。

お金も飛び交ってないし、健全な人たちによる健全な遊びなようでした。

 

 

夜が明けると、

前日も同じ道を走ったんじゃないかというような景色のなか

懸命に進んでいきます。

 

そろそろテントで寝てもいいなと思いながらも、

イラン人の優しさがそうはさせてくれません。

 

夕方、休憩のため商店に寄ると

「この先はしばらく荒野が続くからここで寝てきなさい。」

(ここまでもずっと荒野だったんですけど…。)

商品がずらっと並ぶ棚の前に布団を敷いてくれました。

こんなトコで、と思いながらも横になるとスッと寝入ってしまいます。

 

翌朝、片付けようとしても

「いいから置いときな!」と手に持った布団を奪われる始末。

とにかく“お客さん”に徹しなさいということです。

 

その後も、犬と遊んだり(遊ばれたり)

 

レストラン裏でテントを張ったりしつつ、

 

とにかく西へと毎日120km超の移動をつづけること4日間、

砂漠の中の町“シャ-ルーズ”に到着。

 

まだまだテヘランへの道は続きます。

 

 

 

巡礼地マシュハド

2018.10.9

【131日目 5,321km】

 

国境付近の村でお世話になった翌日、

もっとも近い都市“マシュハド”を目指して進みます。

 

しばらくは標高2,000m付近の山を登ったり下ったり。

砂漠のイメージが強い中東ですが、高い山々もそびえ立っています。

 

 

黙々と走り続け、国境から80kmほど走ると山の麓に降り立ちました。

ここからはひたすら都市間を結ぶ幹線道路を走ります。

 

この日、日没前にたどり着いたのが道路わきのモスク。

食堂や売店も隣接しており、休憩所として利用されています。

 

テントを張っていいかと尋ねると、

「モスクはみんなのものだから」ということで了承をもらえました。

神聖な場所なのでダメもとで聞いたのですが、

イスラムの人はかなり懐が深い様子。

 

眺めていると、休憩がてらモスクでお祈りをしていくたくさんの人たち。

モスクがイランの人たちにとって身近な存在だということが改めて分かります。

 

 

夜が明けると、再び平坦な道を走りはじめます。

少しづつ交通量が増え始め気がつくと大都会の中に。

イラン第二の都市“マシュハド”に到着です。

道路に並ぶたくさんの車に、道を埋め尽くす人々。

ここまで熱気のある街は中国以来かもしれません。

 

 

イラン各地から人が押し寄せる都市・マシュハド。

そしてこの地を訪れた人々は街の中心に位置する

イスラム教の聖地「イマーム・リダー・ハラム」に向かいます。

 

神の啓示を受けた預言者ムハンマドの8代目後継者“イマーム・リダー”。

マシュハドで埋葬されたその人の霊廟である「金のドーム」を中心に

複数のモスクや儀式のための広場などがひろがっています。

 

その面積は広大で、

サッカーグラウンド2面ほどの大きな広場の向こうに

また同じくらいの広場が次々と現れます。

 

広さはもちろんのこと、圧倒されるのはそこにいる人の多さ。

メッカ巡礼にも並ぶほどマシュハドへの巡礼は貴重とされているらしく

年間2,000万人以上の人がこの地を訪れます。

 

いざ広場に入ってみると荘厳な雰囲気というよりも、

お祭り会場のようでワイワイと盛り上がっているような感じ。

家族連れの姿もかなり目にしました。

 

晴天の下で熱心に祈りを捧げる人々の姿をみると、

この土地がただ歴史の足跡を世に伝えるためではなく

現在進行形で人々のこころの拠りどころになっていることがわかります。

 

 

ウズベキスタンの遺跡も「青」を基調としたものが多かったですが、

神と対話するときに仰ぐ空の色であり

生命の象徴である水の色であることに由来するそう。

乾燥した地域に暮らす人々にとって癒しの色にも感じられるのでしょうか。

 

色々な宗教の経典や信条を理解することは簡単ではないですが、

幸せを求めて祈りを捧げる人が集まる場所には力強いエネルギーを感じます。

 

 

日本から観光客がやってきたということで

現地ラジオ局のお姉さんからインタビューを受けました。

この後別れ際に握手を求めたのですが、笑顔でやんわり断られることに。

イスラム教では異性間の握手は禁止なの忘れてました。

 

 

 

中東の大国イラン

2018.10.4

【128日目 5,245km】

 

 

謎深きトルクメニスタンでの1泊を終え、

早々と次の国イランを目指します。

 

国境に向かうべくアシガバードの街中を走ると

石油産出国だけあり道路やビルはまさに豪華絢爛。

行ったことはないですが、ドバイなどに似た街並みなのでしょうか。

(自転車がかなり目立ってしまいジロジロみられるので写真は控えました。)

 

 

トルクメニスタン-イラン国境は、

アシガバードから距離にしてみればわずか60kmなのですが

その標高ははるか山の上1,700m。

5日間でのトルクメニスタン自転車縦断をあきらめた理由がここにあります。

 

1日掛かりの山登りになると意気込んでおりました。

食料も買い込んで準備万端だったのですが、実はしばらくして拍子抜け。

 

山道を登り始めて5kmほどで小さなゲートに着きました。

「ここからは自転車もバスに乗っけていってね。」

徒歩や自転車での通行は禁止されているようです。

しばらくしてやって来た大型バスに自転車ごと乗ってしまいました。

 

 

汗をかきながら数時間かけて走ることになるだろうと

思っていた登り道ですが、30分ほどで国境に到着。

何か予想しえないトラブルに遭うのではと

ヒヤヒヤしていたトルクメニスタンでの滞在はわずか24時間ほどで終了。

 

あっという間に6ヵ国目“イラン”に入国してしまいました。

今回の旅で唯一となる中東の国に突入です!
といっても越境直後はまだまだ何もない山の上、

はるか麓を目指して進まねばなりません。

 

木も生えていない殺伐とした山の中を2時間ほど走り、

夕方にたどり着いたのが

ひっそりとした山間の村“ダル・バーダーム”。

 

四角い家々が立ち並ぶ中央アジアにはなかった光景が

確かに異なる地域にやってきたコトを感じさせてくれます。

 

小さな商店の前に集まっていた人たちと話をしてみましたが、

英語は当然通じず、響きもこれまでの中央アジアとは違うペルシャ語になりました。

アルファベットから変化したキリル文字(ロシア語)も難しかったですが、

ペルシャ文字ともなるといよいよ解読不能です。

 

テントを張る場所を探しつつ村を散策していると、

ある男性が「ウチに泊まっていきなさい。」と優しい言葉。

リンゴ畑の奥を進んだ離れに寝床を用意してくれました。

 

ウズベキスタン最後の町ヒヴァを出発する時から、

閉鎖的なトルクメニスタンを経由し

中東のイランに入っていくということで、

どことなく不安や緊張がありました。

 

それでもこうした人の優しさに触れることで

晴れた気持ちで落ち着いて眠ることができます。

 

心優しきバルゲリーさん一家。

本当にありがとう!

 

とにかく人が親切だということで旅人からも評判の国・イラン。

1日目から素敵な出会いを与えてくれました。

 

この勢いで中東の大国を旅していきます!

 

 

 

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