過酷な国境越え
【341日目 18,425km】
3週間に及ぶ「アウストラル街道」の旅の果てに
ゴールの村“ヴィジャ・オイギンス”に到着。
いくつかの商店とパン屋さんがある程度で
少し歩けば見て回れるほどの小さな集落です。
滞在していたのは宿、兼キャンプ場。
チリも南下するにつれ
物価が上がってきてるので
テント泊を選びます。
疲れてはいるものの
慣れてしまえばテントも快適。
滞在中には連日
アウストラル街道を走り終えた
サイクリスト達がベッドを求めて
宿にやって来ました。
イギリス、スペイン、フランスなど
特にヨーロッパ勢がたくさん。
さてさて、
オフロードの続いたアウストラル街道を走り終えたことで
すっかり達成感を覚え、羽を伸ばせるかと思いきや
そんなことはなく僕はとてもソワソワしておりました。
というのも
ビジャ・オイギンスから南に待つアルゼンチンに向かうには、
ボートで湖を越え、自転車を抱えトレッキングルートを進む
という大変な道が待ち構えているんです。
その道のりがサイクリストの間では
“世界一過酷な国境越え”ともいわれるほどハードなもの。
そんな厳しい道のりを50kgにも及ぶ自転車で
乗り越えられるかしら、と
不安で不安で夜しか眠れません。
そんな不安を和らげてくれる予期せぬ出会いが
キャンプ場に待っていました!
僕と同じ日にヴィジャ・オイギンスに到着したのは
大阪からお越しの千田(せんだ)さん。
穏やかな笑顔が印象的な千田さんは、
定年退職の節目に2ヵ月かけてパタゴニアを自転車旅されております。
これから向かう国境越えの道は、立ちはだかる困難に向かうため
ペアでの走行が推奨されているのですが
お互いソロサイクリストということで、ここからしばらく
手を取り合って進んでいくことに。
千田さん、よろしくお願いします!
まずは湖を渡るために
週に2回しか就航していない
ボートの予約をする必要があります。
実は、木曜日のボートを狙って
ちょうど良い日にちに村に着くよう
走行を調整していたのです。
ところが最初の困難が…。
翌日木曜の便は
強風予報のため欠航に。
よくあるとは聞いてたものの
早速、出鼻をくじかれる。
でも金曜にはどうやら出られる模様。
宿からは僕たちを含む
5人のサイクリストが
国境越えに挑みます。
各々入念に自転車の手入れをしたり
道中の食料を準備したりと
戦闘態勢を整えていく。
そして、ヴィジャ・オイギンスにて3泊した後の朝。
風を考慮して普段より早く出発するというボートに乗るため
村から7km離れた港を目指し朝の5時45分に出発。
早いし寒いんですけど…。
日の出ていない暗がりを走るのは今回の旅で初めてです。
30分あまりで港に到着。
ここにきてやっと
「アウストラル街道」終点の看板が。
少し達成感を感じるものの
今日待ち受ける道のりが不安で
正直それどころじゃない…。
他の宿に泊まっていた
サイクリストの方もおり
計11台の自転車が港に集いました。
「全部乗るの?」と思ったけど
パズルの要領で上手に
積み込みも完了。
じっくりと日が昇り始め
全ての荷物が乗った8時前に
ボートは出港。
思いのほか穏やかな水面を
滑らかに進んでいきます。
2時間余りで向こう岸へ。
10時過ぎに着岸。
ここから20kmに及ぶ山道を進み
隣国アルゼンチンを目指します。
自転車に荷物を取り付けていく
サイクリストを眺めながら
緊張感を感じる…。
港から急こう配を1kmほど登った所で
チリの出国審査がありました。
一人一人の面談で時間がかかるけど
同じ便の人たちより早めに着いたので
スムーズに通過。
2ヵ月に渡るチリ旅もここで終わりです。
いよいよ国境越えのはじまり。
最初の5kmがかなり急峻でもちろん地面は未舗装。
数日晴れが続いたからぬかるんではいないものの、
乾いた砂のせいで踏んばる足が滑る。
じんわりと汗をかきながらも
2時間程度
自転車に乗り降りしながら
ゆっくりと進んだところで
気が付けば勾配の緩やかな
エリアに突入。
木の生い茂る山道には
美しい木漏れ日が降り注ぎます。
最初は上るのに必死だったけれど、
周囲に目をやると
なんて素敵な道を走ってるんだろうと
幸せな気持ちにすらなる。
やたら木が整っていると思うと
目の前から
ガウチョ(南米のカウボーイ)
のおじさん登場。
牛追いをされてたのでどうやら
このあたりは管理区画らしい。
それからも数kmにわたって走りやすい道が続いていました。
気温も10℃前後で走りやすく
あたりの紅葉した木々がなんとも美しい。
時におしゃべりをしながら、
時に黙々としずかに、
千田さんの背中を追うように
ペダルを踏み込んでいく。
僕より荷物が少ないとはいえ
千田さん、速いです。
そしてちょうど15時、
スタートから15km地点で
アルゼンチン=チリ国境に到達。
イミグレーション(入国審査)は
もう少し先だけど
かなり順調にここまでやってこれました。
ここからゴールまでわずか5km。
“過酷な道なんて大したことないじゃん”と思いながら
アルゼンチン側を進み始めた矢先、
山道はその表情をガラッと変えたのです。
道幅は極端に狭くなり、凹凸も激しく漕げない箇所もしばしば。
まず大変なのが道を横切る小川。
深さは10cm程度のことが多いけど
まともに踏み込めば靴は濡れるので、
傍に横たえられた丸太を渡りつつ
アスレチックの要領で
浸水しないように渡っていく。
これがひとつふたつならまだしも
次から次へと現れるから大変。
先をいく千田さんの足取りを参考に
ゆっくりと一つずつクリアしていきます。
これは確かにペアがいると
精神的にも助けられる。
さらに行く手を阻むのは倒木。
迂回できないこともしばしばで
こればっかりは自転車を持ち上げて
進んでいくしかありません。
最初は楽しみつつこなすけど
徐々に体力は削られていく…。
と、この数点の写真を撮ってくれているのは千田さん。
悠長に写真を撮ってもらえるということは
まだ余裕があるからに他ならず。
この後、公道ではありえないほどの急斜面が続き
時に後ろから支えてもらいながらかろうじて進む、
という状況が続きました。
やっと平坦な場所を見つけ、時間と距離を確認すると
なんとたった1km進むのに1時間半も掛かっていました。
単純計算であと4km進むには6時間を要してしまう。
そして何より足を引っ張っているのは僕。
協力しながらといいつつも、
ただただ助けてもらっているだけ
という申し訳なさに加え
二人ともがゴールに辿り着けない可能性を考慮し、
「千田さん、僕はどっかで野宿してもいいから
もう先に行ってください…」
そう伝えました。
しぶる千田さんを何とか説得して見送ると
心細い一人の旅路が始まりました。
ただ最初の1kmが特に過酷だったようで
徐々に平坦な道も増えてきた。
出来る限り進んで、最悪どこかでテントを張ろう。
時にあらわれる急坂も
もう押してくれる人はいないので、
どうしても登れない所は
全ての荷物を外し
何度も往復をして
かろうじて進んでいく。
一人になって1時間。
ゆっくりと進んではいるけれど
まだ川も坂もありそうだし
お腹も減ってきたしで、
ゴールにたどり着く自信も
無くなってきた。
“やっぱりテントを張るしかないか”
とうつむき気味に自転車を押していると
前から人影が…。
千田さぁーーん!!
ゴールを見下ろす展望台まで進んだところで自転車を置いて、
「やっぱりほっとけないよ」と
僕を助けに戻ってきてくれたんです。
1番重いカバンを背負い先導してくれる千田さんの左膝は
擦りむけて血が流れているではないか…。
「早く助けに行こうと思ったらコケちゃって」
あぁ、千田さん…。
その後も大きな川があり
荷物の着脱を繰り返し
なんとか進んでいく。
「ここまでしてもらったからには
何としてでもゴールせねば」
再び心に火が灯ります。
そしてゴール1km手前、
景色の開けた展望台にやってきました。
ここまで来ればもう確実に
日没までにイミグレーションに
たどり着けるはず。
そして、目の前の広がるのは…
パタゴニア地域を代表する名峰“フィッツロイ”。
雲に覆われることも多く、
「今日の道で綺麗に見えるといいね」
と二人で話していたその山は、
1日の苦労を労うように完璧な姿を見せてくれたのです。
アウトドアブランド“パタゴニア”
のロゴマークにも使用される
その凛々しい姿を目にするため
多くの観光客がやってきます。
でもこの角度から見れるのは
この国境ルートを渡った人だけ。
ここからはもう
ウイニングランの気持ちでのんびり、
と思いきや最後の川。
せっかく荷物を積みなおしたのに
ここでまたほどく。
もう二度とこんな道来たくない…。
そしてついに19時半、
日没前にアルゼンチン側の
イミグレーション到着です。
パスポートにスタンプが押される様子は
この日乗り越えた困難を
評価してもらったかのよう。
イミグレーションの横は
無料のキャンプ場になっており
一緒にボートを渡った方々も
みんなここで夜を明かします。
アメリカ人サイクリストに
千田さんの傷も手当してもらう。
ということで、かろうじて難所を攻略し
国境を越えることが出来ました。
一人では決して乗り越えることが出来なかった道のりですが
最高の出会いに恵まれ
前に進むことができた喜びを嚙み締めつつ眠りに落ちます。
千田さーーん!