悲しい出来事
【106日目 6,518km】
絶景・モニュメントバレーで朝日を迎え、
いざ走り出そうとするも前輪がフニャフニャ。
“やれやれ”とため息をつきながら、予備のチューブと交換です。
実は前夜、夕日を待っている時に
左足親指を“ヒアリ”に刺されるというトラブルもありました。
裸足にサンダルだったのですが、
突然、成人男性に爪の先っちょで
おもっきり強くつねられたくらいの痛みと
同時に燃えるような熱さも感じる未体験の刺激。
朝になってもタンスにひどくぶつけた時のような痺れが続いてました。
赤土の地域をご旅行の際はお気をつけください。
チューブ交換もスムーズに完了し、
気を取り直して再出発。
ここモニュメントバレーを境に
ユタ州からアリゾナ州に突入です。
乾いた荒野の大地、砂漠の旅は
まだまだ続く。
と、ほどなくしてまたパンク。
しっかり確認したはずのタイヤに
おそらくトゲが残ってたようです。
予備チューブがもうないので、
穴を塞ぐべく修理キットを
取り出したところでビックリ。
写真のパッチを接着剤で貼り付ける
必要があるのですが、
日毎続く暑さのせいで、
接着剤がカバンの中で爆発してました。
さすがに予想外。
これでは修理はできない…。
本当にどうしようもなかったので
お世話になった人にお渡しする
ステッカーで応急処置を。
置かれた環境で
いかに問題を解決できるか。
旅の経験が問われます。
ところが、やっぱりそんな甘くない。
すぐに空気は抜けふにゃふにゃに。
ついにお手上げ、
ヒッチハイクをすることに。
ただキャンピングカーが多く
なかなか乗せてもらえません。
1時間ほど路肩で手をあげ続け、
ついにトラックが停まってくれました。
このあたりは「ナバホ・ネイション」と呼ばれ
ネイティブアメリカンの人々の居留地となっております。
アジア人にも似た顔立ちで、
どこか親近感を感じずにはいられないドライバーさんに
20kmほど離れた「カリェンテ」の町まで乗せてもらいました。
接着剤も購入し、
自動車整備の工場にて腰を据えて
修理作業をさせてもらうことに。
パンク修理、今回の旅では3回目です。
距離の割りには少ない方かな。
メキシコ以降、増えるだろうけど。
タイヤをよく見ると、パインツリーの
棘が2つも刺さってました。
この地域に生える木なので
しばらく続く可能性もありそう。
アフリカではアカシアの棘に
何回もやられたっけ。
やっとまともにペダルを漕げると安心し、幹線道路を南へ。
観光地モニュメントバレーに近い割りには
交通量は落ち着いています。
夕方、商店があると聞いており
横でテント張らせてもらうつもりが
廃業してました。
虚しい…。
せっかく冷たいジュースが
飲めると思ってたのに。
すぐ近くにお家があり、
奥さんに訪ねると
「うちの敷地でテント張っていいよ」
とのこと。
南に下るにつれ野宿が
しやすくなったように感じます。
さらにテントまでご飯を
持ってきてくれました。
“インディアンタコ”と呼ばれる、
ナバホの伝統料理だそう。
小麦粉ベースの揚げパンで
鶏肉が挟んであって食べ応えバッチリ。
モニュメントバレー出発2日目。
テントを片付け出発してから、わずか10分後に
キコキコと後ろから追いかけてくる男性が。
こちらのロブさんは、子ども達の住むミシガン州から
アリゾナ州フェニックスの自宅まで
自転車で帰っている最中だとか。
地図で見てもらえると分かりますが
73歳のおじいちゃんが漕ぐにしてはすごい距離です。
ただ、僕は他人と行動するのが苦手でして。
こういう時は、しばらく共に走っておいて
適当なタイミングでしれっと距離を空け
お別れしたいのが本音なところ。
一人で旅をしているだけに
一人でいることが好きなんです。
一方、ロブさんは他人と走るのが大好き。
「なぁリョウスケ、あの日陰で休もう」
「次の休憩でサンドイッチを食べるぞ。
お前は何を食べるんだ?」
あぁ…、もうすっごい
話しかけてくるんですけど。
まぁアラスカからここまで
誰かと一緒に走ることもしてないし、
“たまにはこういうのも良いよね”
と自分を納得させながら、
暑い道のりを
一緒にゆっくりと漕ぎ進めました。
15時には目標のトゥーバシティに到着。
「今日はキャンプ場予約してあるから
一緒に泊まろう。あとマックも食べよう、
ご馳走するから」とロブさん。
悪いなぁ、と思いつつも
お言葉に甘えてしまう。
「リョウスケのペースは俺にぴったりだ。
今日は一緒に走ってくれてありがとう」
いつも一人で走るのが当たり前だからこそ
そんな飾りっ気のない言葉がすごく嬉しい。
“誰かと一緒に走るのも悪くない”
と心から感じつつ眠りに落ちました。
モニュメントバレー出発3日目。
この日も気温の上がりきらない朝のうちに
たくさん走るため、7時前には出発します。
目的の「フラッグスタッフ」という
大きな街までは、
1日で1,000mも標高を
あげなければなりません。
こんなときに、ひとりじゃない
という事実はとても心強い。
僕が先を走り
ロブさんが後ろを追って走ります。
今日は景色も地味でとくに見所がなく
ただただ距離を縮めていくだけの
日になりそうな予感。
なおさら二人で良かった。
そして、その瞬間はあまりにも突然でした。
「カマロン」という小さな町を過ぎたあたり。
路肩に自転車を寄せ水をごくごくと飲み込んでから、
後ろのロブさんの姿を確認した、その時。
ハザードランプを点けて停まった2台の車。
そして、道路脇に倒れ込んで動かないのはロブさん。
「えっ?」と戸惑いながらも状況を把握するため近づくと、
ロブさんの周りには散乱した旅の荷物、そして痛々しい血痕。
頭から血を流し真っ青な顔をして、目をつむったままのロブさん。
「ウソでしょ…? ロブさん…。ロブさー-ーん!」
あっという間に、人が集まり
たまたま通りかかったナースの女性を中心に
応急処置が始まりました。
弱りながらも呼び掛けには応えており、
なんとかロブさんの命には別状がなさそう。
どうやら、白線上を走っていたロブさんの頭部を
追い越した車のミラーが直撃したとのこと。
まずはパトカーが来て、30分経ったところで救急車が到着。
なにもできない無力感を感じながら傍観していると、
ナースの女性が僕に声をかけてきました。
「リョウスケってあなた? 彼から話があるみたいよ」
近づくと、弱々しく口を開くロブさん。
「リョウスケ…。
今日の目的地にキャンプ場を予約してある。
もうオンラインで払っちゃったから、絶対泊まるんだ…。」
「どうでもいいよ!無理して喋んなくていいから!」
思わず半泣きで突っ込んでしまいました。
救急車が到着してからは処置も順調に進み、
集まった人たちも徐々に去っていきました。
僕も警察から簡単な聴取を受けると、
「もう行っていいよ」とのことで現場を去ることに。
正直あまりに衝撃的な出来事に
それから走る気も起こらなかったのですが、
ストレッチャ-で運ばれるロブさんが最後に言い残した
「Hit The Road!(進め!)」
という言葉が耳に残っており、
重い足を踏み込みながらなんとか走り続けることに。
標高を数百mも上げていく
長い上り坂だったのですが、
半分放心状態でぼぉっとしながら走るものだから
写真すらまともに撮っていません。
事故の瞬間を見てしまっていたら、
おそらくこの日漕ぐことはできなかったと思います。
そして、19時前には目的の街「フラッグスタッフ」に到着。
受付に行くと確かにロブさんの予約はあり
遺言に従って代わりに泊まらせてもらうことに。
(死んでません。)
テントを張って一段落すると
今日起こったことを反芻する。
もし自分に同じことが起こったら…。
ロブさんに最悪の事が起こっていたら…。
改めて旅の危険性を確認しつつ、
ここまで安全に進めていることに感謝。
事故翌日。
フラッグスタッフには大きな病院が一つしかないようで
おそらくここだろうと目星をつけのぞいてみることに。
すると、たしかにロブさんはここに搬送されたそうですが
ほんの1時間前に奥さんの運転でご自宅へと帰ったそう。
一目会えたらよかったけど、入院も必要無いようで本当に良かった。
ほっとしたのもつかの間。
実は前日の午後、ひどい夕立に降られおり体はクッタクタ。
悪寒がしはじめました。
もう今日は走れそうにないやと、
やむを得ずモーテルに泊まることに(¥16,000!)。
思えば、まともに風邪をひくのはアラスカ出発以降はじめて。
倒れ込むように、ベッドに体を沈めました。